【氏族深掘】「 吉備氏」黎明編【歴史解説】
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- Опубликовано: 10 дек 2024
- 氏族深掘シリーズ、第七弾
「吉備氏」黎明編
ヤマト王権に匹敵する、四大王国の一翼「吉備」
鬼退治伝説の謎や、日本武尊を輩出した氏族の成り立ちを深掘りします。
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#古代史 、#日本史 、#吉備氏
待ってました❣️
氏黎明編のまとめ楽しみです。最後の年表は分かりやすかった。
間が空いてもいいです。素敵な動画を作成して下さい。大好きです。
いつもご視聴ありがとう御座います!
大好きと言って下さって、とても嬉しいです!!
なるべく早く仕上げるように、一層頑張る気が湧いてきました!
ショート動画も挑戦してみようと思うので、そちらも含めれば頻度も上がってくると思っています(頑張ります!)
ご期待に添えるように励みますので、これからも応援よろしくお願いいたします!
サンドイッチマンの番組に
桃太郎伝説を研究している子供、小学生は桃太郎は鬼退治した事になっていますが、逆で鬼は地域の人々と仲良く暮らしていて、苦しい人には鬼の財宝から助けている鬼で、いろんな困難を助ける存在で
桃太郎たちは、犬、猿、キジを家来に鬼の宝を略奪する奴らで、地域を一緒に苦難など発生すると助け合う鬼の宝を盗み歩く集団と研究してました。と研究内容話しています。
分かりやすく簡潔にまとめてあってすごいと思いました。
この時代はあまり知らないのでこれからも頑張って続けていってほしいです。
余談ですが、桃太郎関連でお供の3匹を干支に当てはめると西を指すという話もありましたね。
ご視聴ありがとう御座います!
応援ありがとうございます!
一人で作成しているので更新頻度が遅いですが、今後ともどうぞよろしくお願いします!
お供が方位の話もありますよね。
いずれ桃太郎にフォーカスした動画も作ってみたいと思っていますので、その際に掘り下げてみます!
配信気がつくの出遅れました!待ってましたよ。時代比較シリーズワクワクします❤
いつもご視聴ありがとう御座います!
こちらこそ、最近アップが遅れてごめんなさい!
各氏族ごとの動画を「黎明編」「古墳時代編」「飛鳥時代以降」と進めてゆこうと思っていますが、縦軸として時期別の比較動画も必要かと思い至りました。
まずは神武天皇から開化天皇までの「欠史の時代編」を構想中です!
とても丁寧で分かりやすく作っていただきありがたいです。年表にすると一目でわかりますね。とてもいいです。
いつもご視聴ありがとう御座います!
年表が好評のようで良かったです!
今後もなるべく見やすく解り易くを心がけますので、どうぞよろしくお願いいたします!
今回、富雄丸山古墳で凄い物が多く出土したけれど、時代と、出土品から 四道将軍の時代と凄く合う気がします。特に、吉備との繋がりが非常に強い。古墳が円形古墳である事、埴輪の一部が出土しているが、吉備地方型の埴輪である事 当時都は、滋賀県であったのに、あれだけ大きな古墳が作れる豪族は、皇室と何らかの血縁関係でないと作れない事。
ご視聴ありがとう御座います!
富雄丸山古墳は凄い発見をしましたよね。
しかも造出からの出土ですから、盗掘されたとされる主葬者の遺物はどのようなものだったか想像も出来ないですね!
時代的には4世紀後半築造というのが今のところの見解のようなので、僕的には四道将軍の時代よりも少し後なのかなと思っています。
四道将軍の時代は箸墓古墳と同時期で、3世紀後半だと考えています。
大仙陵古墳が5世紀前半から中期の築造と考えられているので、どちらかというとこっちの方が近いですよね。
ですので僕個人の考えでは、応神朝あたりの墳墓なのではないかと思っています。
もちろん、この辺りの年代はまだ不鮮明なので、あくまで僕の個人的見解です笑
吉備との関連に関しては、大いにあり得ると思います。
まだこの頃は吉備とヤマト王権が対等に近い関係だったのではないかと思うので、もしかしたら吉備の出先機関が登美地方にあったのかもしれませんね。
富雄丸山古墳は四世紀後半の古墳です。
しかし四道将軍派遣、つまり崇神天皇の時代は、一般に崇神天皇が実在したとしと三世紀後半の人物と考えられています
四道将軍の時代とは合致しないのではないかと思います。
@@御神誉黎 確かに崇神天皇の時代に四道将軍が派遣されましたね。ですが、二代後の景行天皇の時に日本武尊に大伴武日と供に吉備武彦も東征の従者の一人とされていましたね。又、日本武尊の妃の一人は、吉備穴戸武媛ですから、出土した物を考えると、武人系で、当時円墳が多かった中国地方に所縁が有る人物かと思って居るのですがね。
@@TY-nf8yc
別に述べていますが。
吉備は大和朝廷黎明期には大和朝廷に強い影響力を持っていたことがわかっています。
私はもともと畿内と吉備は対等な連合関係にあったのではないかと思っています。
筑紫から瀬戸内海を通って畿内に至る
神武の東征も、当然、瀬戸内海沿いの勢力を服従させるか連合を組みかしなければ成しえないことですからね
富雄丸山古墳の被葬者に関しては、四世紀当時に古墳の所在地の奈良市丸山のあたりを支配した豪族かなって漠然と考えていましたが。
@@御神誉黎確かに、神武東征時期には、中国地方は、神倭伊波礼毘古命一行に対しては、味方あるいは、同盟関係に有った様な気がしますね。ですが、温羅伝説にもあるように、崇神天皇の時に鴨氏一族(吉備一族)に中国地方を侵略させたのではないかと思って居るのですが・・・・
富雄丸山古墳の辺りは、昔から矢田(八咫)と呼ばれていました。又、この辺りは、何故かカラス又は、鳥に纏わる民話が多く有る地域で、地名も鳥に因んだ物が多いんです。
白庭台・鳥見・登美ヶ丘・矢田・斑鳩等がその代表的な物です。
又、あの辺りは、未だ古墳が多く存在していて、富雄丸山古墳の正面にも一つ無名の古墳が有りますし、あの辺りは平地が広く広がっているのですが、何故かこんもりとした丘の様な場所が点在しています。
そして、その場所は、昔から祠があって、禁足地に成っている事が多いです。
ちょー勉強になりました。
色んな話、何処から仕入れてるんですか?(笑)
氏族シリーズ落ち着いたら、皇后シリーズお願いしたいのですが(笑)
允恭天皇・伊香賀神社・透け透け服とか?(笑)
美作国の楽楽福神社伝承の牛鬼退治と歯黒皇子の話って、別の話?何でしょうか?
いつもご視聴ありがとう御座います!
情報のソースはありきたりですが、本とネットですよ笑
僕は一つの説を鵜呑みにするのが苦手で、気になるお話を見つけるとその関連をネットや図書館でひっかきまわすんですよ。
メモ帳片手に!
それで関連ワードで検索していると引っかかる話をまた複合して考えて、足りない部分は妄想で補ってます笑
ですので僕の動画は「思うのです」「じゃないでしょうか?」が多いのですが、そこはご容赦ください!
あとはグーグルアースで地元探索も、結構発見がありますよ!
昔話って、紐解くと歴史に深く関わってくる話が多いですよね。
しかし、よく考えれば日本武尊は四道将軍のうち三人の血を受け継いでいるんですね。
いつもご視聴ありがとう御座います!
昔話の元ネタが古事記ってパターンは多いですね。
あとは風土記とか。
四道将軍のうち三人のと言われれば、そうですね。
あ、でも吉備津彦と武渟川別は直接の血縁では無いかも。
①丹波道主→日葉酢媛→景行天皇→日本武尊
②大彦命→御間城入媛→垂仁天皇→景行天皇→日本武尊
は確かにそうですが、日本武尊は播磨稲日大郎姫は吉備津彦の弟の稚武彦の子孫とされていますから。
日本武尊は淡海閥と吉備閥のハイブリットなので、皇位に就くことが逆に出来なかったのではないかと考えていました。
いずれそのあたりも深掘りしていきたいと思っています。
岡山って桃などの果物で有名ですよね。鉄もあって、海産物も豊富で、いい旅だった覚えがあります。
温羅の像あるじゃないですか、あれが今回の温羅のイラストのモデルですよね。
つかあれですね、肩。結城屋様は肩出してる女性多めですね🤩
真面目な話、吉備と言われるようになった地は相当重い要所だったのですね。
鬼と退治者の入れ替えは結構よく見られます。追儺の方相氏や陰陽師たちしかり。
牛頭天皇など有角神の系譜にも絡む吉備氏ですが、こうやって俯瞰して見せて頂くと、新しい発見があってやっぱり楽しい!!😁
いつもご視聴ありがとう御座います!
岡山は良いところですよね!
実は山間部はあまり行ったことが無いのですが笑
温羅の像がモデルなのは、大正解です!
いやぁ、気付いてくれる人がいるとは、嬉しい!!
肩出してる女性、多めなのは意識してませんでした笑
露骨にならない程度の露出を心がけているつもりなのですが、ついつい・・・笑
逆に今回は、男性陣がほぼ半裸です笑
パンイチが2名笑
さすが、呪術や陰陽道に関してはお詳しいですね!
角のある伝承が多いですよね、吉備って。
北陸と吉備に多いように感じますが、有角神の有名どころって他にどんな方がいるんですか?
角に「奇形」「畏怖」以外の霊的な意味を、深掘りたいです!
@@nihonshi は、恥ずかしい🤐
長文を返信してしまいましたが、やっぱり消します!早口でいい加減なことを書き連ねてしまいました…
お目汚しすみませんでした🙇
@@wonderfulSMTworld さま
えー!
まだ読んでなかったのに!!
全然お目汚しなんかじゃないですよ!
コメント返しも合間を見てしているので、すぐにお返しできなくてすみません。
まだ返さなくてはいけないコメントが溜まってまして。。。
是非改めてお教えくださいませ!!
@@nihonshi お恥ずか限りですが再度投稿いたします。長文失礼いたします。
結城屋様に対していい加減なことは言えないので参考程度であれですが、
やはり代表は牛頭天皇とアメノカクノカミ様、シナノノサカノカミ様でしょうか。
牛の角に限定して異説で言うなれば、オオケツヒメ様やオトシカミ様、クマノクスヒ様が牛の角を持っている可能性があると聞きます。🐮
鹿の角に限定して異説で言うなれば、ケヒノオオカミ様、ヒノカグツチ様などが鹿の角を持っている可能性があると聞きます。
ケツに角は角鹿(敦賀)に関係していると思われますので、地名由来のツヌガアラシト様の系譜や伽耶、牛頭天皇の伝承などを紐解く必要がありそうです。🦌
ヒノカグツチ様とアメノカクノカミ様は製鉄や噴火、扶桑伝承などに関係しているようです。
オトシカミ様は牛の肉を嫌ったとかいう伝承があったので、農耕の助けとなる牛を殺すとは何事か!から牛の姿をしているのでは?と推測された地方があったのかもしれませんが、もしかすると神農様、ひいては牛頭天皇ともつながるかもしれません。
シナノノサカノカミ様は白鹿の姿で表われましたし、アメノカクノカミ様は鹿の神と言われるので、当然かもしれません。
ケルト神話のケルヌンノス様のように牛角と鹿角が入れ替わることもあり、一刀両断に牛角と鹿角を分けることもできませんが、
ほとんどの牛角神はシュメール神話やミトラ神話の有角冠が起源と考えられるので、およそ「畏怖」および神威の象徴でまちがいなさそうですが、
鹿角神は意外と難しいです。火、鍛冶、武具、樹木、豊穣、食料など自然的でありながらも文化的で難解です。
長文失礼しました。🤩
@@wonderfulSMTworld さま
有難うございます!
さすが!とても興味深く、深いお話しでした!
角一つとってもこんなにも奥深いのですね!
これだけで余裕で深掘り動画を作れます。
いずれこの頂いたお話を元に動画を作らせてください!
いやぁ、異形の神様の解釈って難しいですよね。
角って、異形の中では割とノーマルな部類じゃないですか?(素人目線ですみません笑)
それでこれだけ様々な解釈や神様の由縁が有るんですからね。
「三目・多目・一目」とか、「多腕」とか、「多顔」とか、もっと特殊な神様はいったいどんな!って思っちゃいます!
耳だけの神様や目だけの神様に至っては、「もう、どうしてそうなったの?」って感じです!
角のお話しは大きく分けて「牛」と「鹿」があることが分かりました。
読んでいて思ったのが、鹿の角は殺さず手に入るけど、牛角は殺さないと手に入らないなという点です。
中世ヨーロッパでは牡鹿を紋章にしている騎士も多く、牡鹿は家族を守るために獅子をも倒すと言われているので、騎士道の象徴になっているそうなのですが、どこか鹿角神との共通点もあるのかもしれません。
いやぁ、深いお話し有難うございます!
また色々と教えて下さい!
有難うございます。
同じ岡山の三宅氏について、何か伝えられていることはありますか?
もし分かりましたら教えていただけたら嬉しいです。
よろしくお願い致しします🙇
ご視聴ありがとう御座います!
三宅氏に関して深掘りしていないので浅いお話になってしまって恐縮ですが、三宅は屯倉(みやけ)からくる氏名だと推測されます。
屯倉は簡単に言うと「大王の公田とその収納庫」というのが固有名詞としての意味合いで、広義では大王の直轄地などの意味となります。
始めて屯倉が設置されたのは確か景行朝だったと思いますが、奈良盆地の丘陵部に「倭屯倉」が設置されたのが最初だったと記憶しています。
垂仁朝だった気もしてきました!
「屯倉」の管理を職掌とした人々が「屯倉部」となり、やがて三宅氏になっていったであろうと推測します。
屯倉は畿内を中心に徐々に全国に設置され、大化の改新までその制度は続きます。
弥生後期から奈良時代までの長い期間設置されていた公営管理職ですので、佐伯部や日下部などと同様に全国にその職掌を氏名とした氏族が存在すると考えられます。
吉備の三宅氏に関しての詳しいお話しではなく恐縮ですが、ざっとこのような考察でいかがだったでしょうか?
@@nihonshi
早速、ご丁寧なお返事有難うございます。
先祖は 遠い昔の日本でそういう仕事に携わっていた可能性があるのですね…
先祖は彼らばかりではありませんが😅
色々思いを馳せるのは面白いです。
こらからも興味深く楽しい配信、よろしくお願いいたします
🙇😊
やはり吉備を平定する為にきびだんごを上げまくったんでしょうかね?
分かりやすく年表にまとめて頂きありがとうございます♪
いつもご視聴ありがとう御座います!
黍団子が吉備団子になったのは江戸時代のことらしく、桃太郎と結びついたのも江戸時代の「昔話」かららしいです。
ボケ無しに答えてしまいました笑
年表が好評のようで良かったです。
フォーマット作るのに試行錯誤した甲斐がありました!
@@nihonshi 真面目に答えていただいて申し訳ないないですw
時間をかけても毎回丁寧で分かりやすく作っていただいてありがとうございます♪
@@tawaman-kuwaman-miwakenin さま
こちらこそ、いつもありがとうございます!
「これはタワクワさんのボケ潰しになってないか?」って思いつつ答えてしまいました笑
多氏もやってほしいな
ご視聴ありがとう御座います!
多氏ですか。
確かに多くの氏族の元になっている氏族ですので、重要ですね。
古事記の編纂にも関わっているので、いずれ取り上げると思います!
大好きチャンネルありがとう楽しい!
近くてに浦島神社 裏切ったの語源何かで繋げていただけてら。
浦島神社行ったら御祭神クニトコ様いらしゃって! 知りたーい^ - ^
いつもご視聴ありがとう御座います!
楽しんでくださって、僕も嬉しいです!!
浦島神社と裏切ったのお話は僕も聞いたことがあります。
深掘りしたことは無かったですが、興味深いですね!
国之常立神 も外せない神様ですから、いずれ深掘り挑戦してみます!
現代の大阪の民の感覚からすれば、加古川から向こうは違う国と言われてもなんとなく納得出来る。
半分くらいは福本豊のせいかも知らんけど。
ご視聴ありがとう御座います!
コメ返し遅くなって申し訳ないです!
そうなんですね笑
福本豊の影響に関しては勉強不足で分からないのですが、関西の方々の感覚が古墳時代にまで遡れるのは面白いですね!
温羅が実在の人物であるか否かは「諸説あり」ですが、実在の人物だったと仮定して・・・。
温羅は吉備に朝鮮半島(経由で大陸?)から製鉄技術をもたらし、「大都会岡山w」の礎を築いた英雄でしょう。岡山市の桃太郎推しを否定するわけではありませんが、それと並行して、温羅の汚名挽回・名誉回復にも力を注ぐべきだと思うのです。
ご視聴ありがとう御座います!
僕もこの動画を作っていて、温羅派になりました笑
温羅の名誉挽回は、いつか温羅伝説を掘り下げた動画でトライしたいと思っています!
名前は知らなかったですが、温羅は(多分)ロシアからの流民だとばかり思ってました。
逆説もあったんですね。
ご視聴ありがとう御座います!
温羅は海外流民という伝承も多かったです。
朝鮮半島系の流民という伝承が多かったです。
錬鉄技術を持っていたため、吉備地方で基礎を築くことができ、祝と親しくなって地元の権力者になった的な伝承が多かったですね。
阿曽姫から阿曽って地名が来てるんですね(逆かな)
孝霊天皇など欠史八代の一人であり、実在性は怪しく。仮に実在しても記紀の記述をそのまま信じる事は出来ないな
孝霊天皇の皇子とされる吉備津彦もそれは同じ事だ。
神武東征の際に神武が中国地方に置いた高嶋宮はまさに吉備国に存在する。
その前に置いた埃宮は安芸で、旧律令制における吉備国には含まれていないが
おそらくこの地も当時、吉備の勢力圏内であったでしょう。この時代の吉備は中国地方の瀬戸内海沿いの広い範囲から四国の一部まで支配していたとされるのですし
要するに神武の東征自体、吉備を支配下に置くか、協力関係を結んでいないと成り立たないでしょう。
そこから私は筑紫から瀬戸内海を東に上り、畿内に至るまで吉備国は同盟国として神武を支援したのではないかと考えている。
大和朝廷黎明期に吉備が強い影響力を持っていたのも、この関係なら納得がいきますしね
吉備地方には逆にヒコイサセリビコが英雄温羅を倒したとの伝承が残されている事は初めてしったが。
吉備は筑紫の高千穂を拠点とした勢力が畿内に侵攻するのを支援し。当然、吉備もその見返りに雄敵である出雲と共闘するとか
吉備の勢力拡大に一役買っていたのではないかとね
あと、この場合の神武の東征は、筑紫の勢力が畿内に拠点を移したことを意味するのであり、神武天皇の実在の有無は別問題として捉えてください
実際のところ、東征は崇神天皇あたりが行ったのではないかとは思っていますが、その辺ははっきりとはしませんけど
いつもご視聴ありがとうございます!
大きく同意です!
吉備は間違えなく倭とは別の王国だったでしょうし、後の吉備氏がネイティブ吉備の流れなのか、討伐勢の流れなのかなど、深掘り要素が満載な地域です。
吉備はイザナミとも関りが深いですし、天照大御神以前の日本の有力国の一つだったのは間違いないですよね。
吉備は瀬戸内にあるのに、何故か大陸との交易が盛んだった日本海側以上に異国情緒を感じる不思議さがありましたけど、渡来人が落ち着ける土地が吉備だったのでしょうか?吉備氏が複数の豪族の総称だったとは知りませんでした。
温羅と関係あるかどうか分かりませんけども、私の出身地(越前)で1人称に“ウラ”を使うんですよね。現代でも年配の方は自分の事を“ウラ”って言ってますよ。全国的な方言なんでしょうか?古代語の名残の1人称なら、温羅も本名ではなかったかもしれないですね。
PS.今をときめく富雄丸山古墳✨
結城屋さんのイラストが印象的だったせいか、個人的には埋葬者が、武埴安彦と吾田媛だったら良いな~✨と思います。(ちょっと勢力範囲がズレてる?)
いつもご視聴ありがとう御座います!
瀬戸内は古代より海上交通の要所であり、大陸との交流も盛んだったと考えられます。
北陸などからの日本海経由よりも、距離はあっても安全な航路だったのではないでしょうか?
私の祖母は東北出身でしたが、「おら」でしたね。
温羅が一人称のことだという発想は無かったので、改めて深掘り要素ができました!
富雄丸山古墳はトキメキますよね!
氏族シリーズとは別に深掘り動画を作ろうと思っています!
武埴安彦関連だったら熱いですね!
@@nihonshi さん
コメント欄にあった台湾のパイソン族の紋様の情報を読んで、吾田媛は隼人族系説を思い出しました。
隼人と言えば、縄文人と高砂族との混血民と言われてますし、海沿いに勢力範囲を広げていたのかもしれないですね。
大和王朝の隼人平定の決戦舞台は、九州南部じゃなくて実は武埴安彦の乱だった⁉️
@@user-ikesan さん
興味深いch紹介して頂きまして、ありがとうございます✨😃
隼人とニギハヤヒが繋がるとは思いませんでした!
知識不足の私には、この動画の考察が何処まで真相に迫っているのか?吟味できないのですが、
茂木誠さんのchで紹介されてた秦氏の末裔の方の伝承では、たしか台湾→沖縄諸島→対馬まで来て、右へ向かって日本へ行くか、左の半島へ行くか考えて、日本へ来たとか?
もしかしたら、隼人とニギハヤヒと秦氏も繋がるのかも?
それと、上の自分のコメ読み返してみたら、高砂族の名称間違えてました。パイソン族じゃなくて『パイワン族』ですね(恥)😅💦
パイソンじゃ蛇🐍だ。…( -_・)?蛇…
いやいや💦ただの素人の妄想です。
似通った言葉は、無限大に妄想を膨らませてくれます。
@@user-ikesan さん
徐福伝説や三星堆遺跡とも繋がるとは!!😳
日本人には、あまり馴染みの無さそうな道教ですが、実は神道にかなり影響してるみたいです。神武東征は崇神天皇と応神天皇の合体?神武の即位年も道教思想から設定されてる?
秦氏も、弓月君の民だけではなく、弓月君の渡来以前から、帰化した秦人が日本にいて、その手引きがあったから、弓月君もはるばる弓月国(今のウイグル北部辺り?)から万里の長城の北側を通って日本に亡命できたと考えれば、唐突な話では無いですね。
@@雨の菫さま
なかなか大胆な仮説ですが、面白いです!
確かに隼人が九州勢というのは先入観と言えますね。
そうなってくると、また可能性が膨大に膨れてきますね!
温羅が外国人だったというのは本当だろう。製鉄で力をつけ地元有力者と関係を結び力を振るったが大和に成敗されたわけだ。温羅を良く描くのが正しいような時世だが間違いだろう。その理由は桃太郎の猿のモデルの出自が地元の豪族だったということ。温羅が地元に愛されていたなら地元の豪族が大和の味方になるわけがないし、その後裔が今に続くようなこともないだろう。古代に外国人が岡山に来て力をつけて暴れたと考えれば納得できる。
温羅が暴れたから地元の豪族が大和の味方になったわけではない。
沼鉄による製鉄を行っていた地元の豪族である楽々森彦命にとって、鉱石からの製鉄技術を携えて渡来して阿曽郷と交流し先導者の立場になった温羅は自らを脅かす邪魔な存在であった。だから大和の王権に恭順して先陣を切って戦い、娘の高田姫命が吉備津彦命に嫁がせることで強固な地位を得た。
@@らぷ-e8x 地元が外国人に仕切られるのは嫌だろw