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キハ40系列を設計する際に、当時赤字経営だった国鉄が、将来を見据えて長く使える様に汎用性や耐久性を重点的に考慮したと聞いた事があります。大好きな形式の1つです。
あのエンジン音と振動と頑張ってる感を感じる加速が良いですね。
汎用性の高さはまさに鉄道界のザクですね。
JR四国のキハ40系は全て原型エンジン搭載車です。首都圏色の車両も存在しており、国鉄時代そのままにかなり近いキハ40系を堪能できます。
登場当初は、音と振動の割に出足が遅い・加速してもイマイチ速度が出ないという「鈍重DC」の印象でしたね。まだ、キハ20系列やキハ58系列の方がエンジン音も走りも軽快でした。ハイブリッドDCや蓄電池電車の登場で、純粋なディーゼル駆動の車両は今後減って行く一方だと思います。かつては「石を投げれば当たる」ほど日本中どこでも見られたキハ20や58が本線から消えたように、キハ40系列もいずれ姿を消してしまうでしょう。消えるとなって慌てるより、ふだん使いで乗れる今のうちに乗っておくのがいいと思います。
キハ40系初期はエンジンも非力でトルコンも性能が良くないので時速60kmまでノッチ変えずに加速でしたねキハ20系は小さい感じで軽そうですが40系よりも非力に感じましたねキハ58系は急行向きなので加速より最高速って感じでしたね更新後のキハ40系はエンジン換装やトルコン変更でかなりマシになった感じですね小中と通学で乗ってたのでキハ40系や20系、58系のエンジンの音の違いは未だに忘れることはできないですね音的には20系が独特の音が強かったですね
僕はキハ40は千葉県の小湊鐵道のやつしか乗ったことありませんが、昔ながらのエンジン音がたまらないですね!!!小湊鐵道はキハ40だけでなく、キハ200という古い気動車も走ってます。また、小湊鐵道のほとんどの駅がレトロな雰囲気です。東京からとても近い路線なのでオススメです!!!!
個人的にキハ40系列で一番良かったのは学生時代に冬の北海道旅行で乗った急行仕様に改造されたキハ400系です。座席がリクライニングシートに交換されており、ほぼ特急と言って良いくらいの豪華さでした。急行天北で乗車しましたがエアサスのおかげで線路状態の悪い天北線内ではローリングが激しかったです。日高本線のキハ130形にも乗りましたがデッキのない構造で車内が寒かったです。帰りに乗ったキハ40形の過剰とも言える暖房のサービスがありがたかったです。
『過剰な暖房サービス』 ← 激しく同意します!
キハ40系は小回りが効き非電化ローカル線のエースですね。製造から40年以上が過ぎていて新型車両も多く出回っているにも関わらずJR東海を除くJR5社で健在なのが凄いですね。
ていうか品質やば、今のメイドインジャパンから想像できない
故障がほぼなく、各地で安定した性能を発揮しているのが素晴らしいですね。
JR東でもキハ40は全滅してるだけど
@@Sweepshow越乃Shu*Kuraを除いて東日本からは一般のキハ40系は全滅していますね。
@@ねばねば-b6m 長持ちするってのは、言い換えれば数十年前の性能・設計思想だけど使い続けるという事なのでテクノロジーの進歩や社会の変化が速まったりすると、長持ちするというのがあまり価値として見られなくなって来るんですよね
非電化路線で困ったときのキハ40というイメージ個人的に国鉄型気動車の中でも最高傑作の一つだと思う
山陰でもまだまだ走ってますね♪ディーゼル最高!!!
JR九州の2つ星は「元はやとの風」でした・・・肥薩線が台風の災害で不通となり、活躍出来なくなっての生まれ変わりとなりました。。。キハ40系の仲間でしたらまだ指宿枕崎線や志布志線でも見られます♪♪
エアコンが弱く、JNRマーク付扇風機でカバーしていた。ロングシートを削ったり、乗車率が低いから風が届くが、それでも暑い。
JR西日本の非電化区間の普通列車としては、まだまだエースですよ。キハ40は。山陰本線の城崎以西。播但線の寺前以北、吉備線、津山線などなど。このあたりでは無くてはならない車両ですわ。
吉備線はLRT化の予定だが、まだまだ時間がかかるな
解説どおり岡山駅では普通に見れます。
ナレーションの話し方が大好きです。
或る列島は季節により久大本線を走ったり、大村線を走ったりする。新緑の山を走る久大本線と、冬でも鏡のように穏やかな大村湾を見れる。
芸備線の朝下りの6両は、この列車の需要というより実質的には三次行き2両+朝ラッシュ輸送に使う下深川→広島の4両の送り込みを線路容量や留置箇所の都合で無理やり1本の列車にまとめたという側面が強い
九州のキハ40はどうしても改造されたやつに目が行ってしまうけど、是非一般型も乗って欲しい! 特に後藤寺線では朝に線内ノンストップの快速運用もあったりするので!
そうそう、ノンストップの快速ありますね。
キハ40、我が宮城県の石巻線&陸羽東線等で長年使用されていました。加速は悪かったですが頑丈なので乗り心地は良かったですね。
去年に石北本線で旭川から網走までひたすら乗ったね。珍しく窓が全開になるので、真夏の北海道の空気と風景を満喫しながら乗ったキハ40系は最高でした。
キハ40系はローカル線の主力で馴染み深い。ふたつ星4047は、かつては「はやとの風」だった。A列車で行こうは今回の動画で関係無いね。キハ185系の動画が見たくなりました。是非とも作ってください。
A列車で行こうは、キハ185です。
そこ最重要ですね。
関東に対抗して北海道はキハ183でしょう北海道ならばどこでも走れた特急型ローカルA列車ならばここのキハ40🚃
四国は徳島運転所に集められてますが(原型エンジン)ハイブリッド気動車導入で2030年で廃車だそうです
逆に2030年まで残るのか
すぐ廃車になるんだ…って2030年ww
2026年に新型気動車が登場するだけで、そこから順次置き換えやからそれくらい残る
新製時には冷房はなかったものの、キハ58系なみの大型で幅広の車体であることによる居住性の高さと乗り心地のよい台車(寒冷地向けは空気ばね台車を装着しており、当時の急行型気動車だったキハ58系を上回っていた)で、非電化ローカル線の車両レベルを大きく向上させましたね。
一番大好きな気動車ですね、自分の住む町には走らなかったのですが好きな気動車でしたよ。
八高線では、国鉄時代極偶にではあったが、足尾線用のキハ40が入ることがありました。
唐津線では、キハ47が全車「ロマンシングSAGA」のラッピングを施されて佐賀-唐津(西唐津)間を往復しています。
新車で入って来てすぐ乗らざるを得ませんでした。キハ58に対してエンジン音がうるさい車輛だと思いました。また、非力だったのは言うまでもありません。ただ、空気バネのため、古い車輛より乗り心地良かった様な気がします。また、当時ツートーンカラーが主流だったのであの首都圏色には幻滅した記憶があります。しかしながら、キハ58の1500番台を思わせる前面のパノラミックウインドウや座席背もたれに付いた四角い取っ手については、この辺ではキハ40が来るまでは455系電車でしか見れなかったので、なんか新しさを感じた気分でした。動画ではキハ40系は称賛されてましたが、こちらではお荷物だったのか30年も前(導入して15年未満)に早々に引退が始まってしまいました。後継のキハ100系の方が在籍期間がとっくに長くなってしまいましたね。実際性能的にキハ100系の方が加速良いですし、その恩恵かわかりませんが所要時間が短縮されました、加えて冷房も付いてますからね。
何気にカラバリが多いキハ40個人的には八戸線走ってたリゾートうみねこのレインボー魔塗装が頭から離れない…←
これが今もいるのが凄い
独特の匂いがあるような気がするのは私だけ?今は芸備線たまーに乗るんですが北海道で乗った時にも同じ匂いがしたような…
他コメにもあるように五能線のリゾートしらかみはキハ40の豪華列車改造としては古いタイプで、九州の水戸岡デザインよりこっちの方が好みでした。老朽化で廃車になってしまいましたが・・・
ちょうど今日乗りました! 北見から網走まで!
たまにはこのような列車に乗って、ガタゴトのんびり旅してみたい…
キハ40は神!勿論キハ47、48も負けてないけど…あの乗り心地は素晴らしい乗り物
サムネ見たとき「ぬぉ~懐かしい~」と思った。八高線ユーザーだったからこの車両も利用してた
昔は城北線でキハ11の定期検査や故障時の代車として(今は代車もキハ11)、他に太多線でも何度か乗ったけど、とにかく車両騒音が大きいので苦手でしたねw
今でも、新車当時に乗れた思い出は忘れない。(新車当時から朱色の塗装だった最初の車輌だと思う。)
7:45~7:50直流電車は1両でも可能だけど、交流・交直流電車の場合は搭載する機器の関係で2両編成が最短だと聞いたことがある。気動車なら1両でも長編成でも運用出来るし、それが頑丈なキハ40なら尚更だね。
交流、交直流の電車は直流電車より価格が高いこともあるようです。羽越本線の村上から酒田間、えちごトキめき鉄道、肥薩おれんじ鉄道などが、電化されているのに気動車を使用している理由のひとつのようです。
711系みたいに1M式もあったけどね。
岩徳線での通学で大変お世話になった車両です。欽明路トンネルを抜けるときは、エンジン全開で苦しそうでしたね。
大学時代に現在の新山口でとあるキハ40に出会って、特定車番のファンになったバカがここにひとり ちなみにその車番はキハ40 209613:37 「A列車」はキハ40ではなくキハ185ですな
北条鉄道でも現役で走っていますね。しかも五能線時代と同じ仕様で。
ちょっと塗装しなおしたほうがちょっと薄くなったような気がする
JR四国が、新型ハイブリッド気動車で、キハ40などの国鉄型気動車を置き換えると発表しました!ついにこの時が来てしまいましたね。徳島には2026年以降、電車も訪れるということになりますね
素晴らしい動画でした!個人的には函館本線の函館~長万部をキハ40で走行するのが堪らなく好き!…、だが、函館本線の先行きが怪しいし、もし旅客営業がなくなってしまったらと思うとすごくつらいわ…(つд;*)
北海道といえばキハ40のイメージが強い。
この1つ前のキハ20.22もですが、北海道ならキハ40にはかなわないでしょう。
頃菜が流行る前、札幌駅発6時台の下り普通列車がキハ40系でした。然も都市型車両だったのか全部1人掛け座席で、車内の立ち乗り空間が物凄く広かった印象があります。
長崎本線のキハ47投入は衝撃だったてっきりYC1が入るものだと
JQにお金がなかったから、導入を諦めたようです。諫早〜江北路線も、上下分離式にしており、路線は、周辺自治体。運営は、JQとなります。香椎線の置き換え(819系化)となり各地に余剰車として疎開された車両が導入されました。久大線、豊肥線ガ、キハ200や125に統一されたので、まとまった数でましたね!
キハ40シリーズは魔改造しやすいのと、もうオリジナルのエンジンはほとんど搭載していないはず
原型エンジンが残ってるのJR四国ぐらい。
「キハ40形」「キハ47形」「キハ48形」を区別して解説して欲しかったです。
その3形式の区別をすでにちゃんと理解しているコメント主は、このチャンネルをわざわざご覧にならなくても良い気がします。
@@user-nak7etahew さんいや、鉄道雑誌や書籍に載ってない事が解説されていて面白いんですが。
札沼線のキハ40の1部に450PSエンジンを搭載してたやつがいたような…
最近、JR北海道もかなりキハ40がかなり減っていますね。寂しいですね。キハ40は2025年に引退予定です。
座席柔らかいし大好き
道南いさりび鉄道も挙げて欲しかった…|ω・`)…
JR北海道から9両いただきほとんどの車両が自社塗装されました😊
名古屋港の関係者以外立入禁止の突堤の先に、何故かキハ40の廃車体が何両か置いてある。東海色だけでなく首都圏色のものもあるけど、廃車されてもう何年も潮風にさらされているのにそこまでくたびれたように見えないのは国鉄型車両の頑丈さの証といったところだろうか。
昔の男鹿線にはキハ40系+キハ58系とかキハ40系にキハ58系中間にキハ20系中間などとんでもない魔編成がありましたねJR東としては最後の運用地区でしたが土崎工場がJR東すべてのディーゼルの整備をやってるから逆に最後まで残れたかと思います
青森帰る時に、必ず22時台の最終津軽線に乗って帰った。今は701系なのが悲しい。ンゴァァァー!!って響くエンジン、スイッチでブンブン回る天井扇風機、真夜中の水田をバックに走る車窓が異世界感…だったけど、JR東日本から引退したのが悲しい。乗れていた頃が懐かしい。
関西だと、北条鉄道に加え、播但線でも走っていますね。
北条鉄道を走っているのは、2021年の3月まで五能線を走っていたキハ40系535号ですね。クラウドファンディングで資金を集め購入したもので、2022年3月16日より運行開始しております。播但線の方は寺前から和田山駅までの非電化区間をキハ40系・41系が走っているのですが、こちらはJR西日本が2030年代に導入を計画している燃料電池車に置き換えられる事になりそうですね。
国鉄時代、キハ58や20系列と併結されていても40の方を選んで乗ってました。どうせ乗るなら明るくキレイな車両をと。
あまり知られていないと思われますが、日豊本線(電化済)の鹿児島中央〜隼人または国分でも架線下DCとしてキハ40、47の運用が数本あります。そのうち1往復はキハ40の単行になります。
3:39 この列車の色好き。
キハ40の三セク譲渡はJR東日本から北条鉄道に1両行ったのもあります。かつて五能線を走ってた頃の姿をそのまま残してるため(内装もJR東日本の時のまま)小湊鉄道と共にJR東日本仕様に会える三セクになってます。まあ、導入理由は列車交換設備が法華口にできて(昔はあったそうなんで復活みたいなモン?)通勤通学時の増発ができるようになったが予備用車両が無いため購入した、という事情がありますが。
2023年の春に播但線の寺前〜和田山で乗りました竹田城のラッピング車両や簡易運転台がついたやつも留置されてて珍しかったなあ
知らないことが多くて、とても面白かったです。今度は西武の特急についてやってください!
40系気動車は元々は、かなり意味不明な部分もあった車両だった。初めて乗ったときは、車内が広いという良い印象を持った。寒冷地仕様車の100、500番台は空気ばね台車で、乗り心地は急行形の58系を上回るという評判だった。なぜか888両造られた。そのうち、矛盾だらけの問題点が明らかになるまでにはそう時間はかからなかった。エンジンも、12気筒エンジン500PSのものを、パワーダウンして440PSにしたものを、さらに半分にした6気筒220PSのものを載せた。当時の標準エンジンの180PSのものよりは幾分上ではあるものの、車体重量の増大によって相殺され、180PSエンジン搭載の従来車よりも走行性能が劣ることとなった。北海道用の100番台だと40tを超えるものすらあった(キハ20は32t、キハ58は2エンジンで39t)。両運転台のキハ40は単行運転ができるが、積雪期で220PSの1軸駆動では、空転して使えない。北海道や東北地方の山の中などは豪雪地帯で、利用客も少ないから単行運転をしたいが、必ず重連以上の運転にせざるを得ない。両運転台で単行運転向きだが単行運転ができない。勾配線区は山の中であるので、乗客が少ない。だから単行運転をしたいが、すべて1軸駆動で弱馬力なので、空転を起こしたり、登攀不能になり、勾配線区には全く向いていない。両運転台なのに山では単行運転ができない。両運転台車なのにパワーラインは、どちらかというと中速向き、つまり長大編成急行列車向きの設定であった。長大編成急行列車向きならば、両運転台車はいらない。長大編成急行列車向きということだと、高出力である必要があるのに、220PSの弱馬力では、何のための中速向き、長大編成急行列車向き設定なんだかわからない。そもそも40系は普通列車用に投入された車両だから、長大編成急行列車向きの設定などいらない。40系気動車は、はっきり言って使い勝手の悪いお荷物のような車両だった。にもかかわらず車体は頑丈にできていたので、廃車にするわけにもいかず、その後も使い続けなければならなかった。車体が頑丈だということは、重量も重いということだから、最も使いずらい低性能車を、最も長期にわたって使い続ける羽目になった。その後民営化され、さすがにこれは酷いということで、半数以上の40系気動車は、300馬力クラスの新型エンジン(小松、新潟、カミンズ)に交換された。中には2軸駆動車に改造されたものもあった(400番台、3500,4500番台)。すべてが欠点というわけでもない。頑丈で重量が重かったので、事故があったときは、乗客や乗務員を守った。また普通鋼製車両だったので、改造がしやすく、多くの改造車の種車にもなった。中には特急形になった車両もある。40系気動車は普通列車から特急列車、特別列車までのすべてをこなす車両になっていった。
あの時代の国鉄型車両、201系もそうですが101系の置き換え車両であったりキハ10系の置き換えであったりと、動力近代車の置き換えを進めていたのはなんか国鉄矛盾が多くありましたよね。旧型国電ならまだしも、101系電車の置き換えって何?とは思いました。やはり初期新世代車両の老朽化が早すぎたという事なのでしょうが、それがなければキハ40系も201系も出ていなかったのでしょうね。
言いたいこと全部盛り込んだコメントですね。私の評価も同じです。国鉄時代はエンジンの修繕は自社工場で行い、交換部品も多数ストックしていました。現代ならエンジン丸ごと交換するケースでもオーバーホールし削正の上で組み直すくらい手間を掛けていました。これには新しい車両導入には国会で長々と説明が必要なのに対し、修繕費は人件費でもあるので、実際には大きな無駄遣いであっても新規導入よりは予算を通しやすかったことも影響しています。膨大な部品費とともに高額な人件費を垂れ流すこうした手法は国鉄民営化を前にして打ち切られ、市販のディーゼルエンジンを『部品として』積もうという発想に代わりました。三島会社向けの新規ローコスト車両に新潟鐵工所などが応じ、キハ31形・キハ32形そして、2エンジン両運転台車のキハ54形が製造されました。そしてJR化後のディーゼルエンジンは製造会社の営業秘密を侵さないよう、一からのオーバーホールはせずにメーカーに送って整備したりエンジンごと取り替えたりしています。JR貨物のDF200搭載のエンジンに至っては秘密保持契約もあるらしく、北海道の整備工場への鉄道趣味誌のカメラ取材では整備光景は一切撮影不可だったことが記されていました。他社もまた組み付けた後の撮影はOKでもバラした状態のものはアウトとか……。それを国鉄はDNH17系エンジンのクランクシャフトを研削盤で削り直し、さらに磨き加工を施して再用する徹底ぶりだったのと対照的です。また国鉄設計の車両は車体構体も構成部品も『長期の保守』が前提の設計でしたから、極めて保守的な設計とともに他線への転用も考慮された設計が当然とされ、キハ40系もその設計思想が踏襲されました。それ故に暖地型金属ばね台車を履く車両が極寒の広尾線を走る姿がフィルムに収められていたりします。『さよなら広尾線 夢をありがとう』(北海道映像記録社 製作)ruclips.net/video/X2H6NOQGU4w/видео.html
@@naomiyamada8581 さんなるほど、当時の背景がよくわかりました。詳しい説明ありがとうございます。国鉄は、役所なので、予算の審議から始まって、様々なセクショナリズム的な決まり事、思想等にも阻まれていたので、素人目にも変な車両ができたわけですね。分轄民営化後、そこら辺の規制のようなものは大幅に緩和され、民間企業なので、その自由度も向上したわけです。もちろん、ほかの分野でもそうですが、「営業秘密」などの知的所有権の保護というものは、年々厳しくなってきています。「営業秘密」は、不正競争防止法(Unfair Competition Prevention law:条約等にもより、世界的にも本法および同種の法律が適用される。)などによる保護対象ですが、不正競争防止法も、毎年のように法改正が行われ、罰則も厳しくなってきています。また両罰規定等の刑事罰もあることから、違法行為を犯した本人及びその所属組織も罰せられる場合があります。基本的には「民事」なので、どこまでが「営業秘密」に当たるのか、どこまでを自由に扱ってはならないのかといった範囲、それらの保守を行ってよい範囲、外部から見えるかどうかによる識別分別範囲、等々は、秘密保持契約等の「特約」で細かく決めることができます。該当する部分については、通常、公開することはできません。
@@権三郎平衛 さん今では輸出もされる日本のトラックですが、つい最近まで乗用車の関税を撤廃したあとも関税その他で国内産業を保護してきた過去があります。エンジンと変速機だけに絞ってさらにコメントしますと、ディーゼルエンジンの設計は長年の蓄積が物を言う分野で、高い設計目標を持てば持つほどに開発は困難を極めました。それこそ型式認証でエンジン不正を働いた○野自○車や○ォルク○ワー○ンみたいなことも起きるほどに開発は困難を極めました。鉄道向けエンジンは排ガス規制が緩やかですが、気動車向け高速小形機関で高出力かつ頑丈なエンジンともなると国鉄の開発陣をもってしても難しいものでした。またシリンダーを寝かせるエンジン構成も潤滑の問題が難しく焼き付きの問題も抱えていたと聞きます。たまたま水平対向エンジンがアイコンの富士重工のエンジンのノウハウが気動車向け水平シリンダーエンジンに生かされた格好です。国鉄はその購買力からメーカー各社の特許権のライセンス公開を強く促し、競合各社へ安く使わせる方策を採ったことでも知られます。米バッド社のライセンスゆえに他社に作れなかったオールステンレス車両も205系電車では技術を半ば『供出』させたくらいですし、回生ブレーキの定番の添加励磁制御も東洋電機製造から供出させました。こうして二人三脚で日本の車両メーカーは電車では大手私鉄の旺盛な購買力もあってメーカーの発展も支えたわけですが、気動車の場合は自社開発ができるほどの輸送力と財力のある私鉄は有るはずがなく、国鉄もディーゼルエンジンメーカーも国鉄の購買力に頼る仕組みが残りました。結果としてターボチャージャーの導入はDML30系列まで先延ばしされ、戦前の原設計であるDMH17系列のエンジンを永らく使うことになりました。新幹線のATCシステムを開発できた国鉄の技術力をもってしても、ついに緻密な機械式ガバナーや電子制御エンジン・多段変速機はモノにできず、旧式のガバナーや一段変速機を永らく使用を強制されました。機械式ガバナーの設計の問題はJR北海道のキハ183系で燃料過多による過回転問題を招いたくらい深刻な問題でしたし、そもそも基本的な渦流室式エンジンの熱効率の低さには根本的対応が採られませんでした。それどころか最大回転数を制限するデチューンという『改悪』を行い、整備工場での技術力に合わせるかたちでキハ40系に大量採用しちゃったのです。また過去の気動車との混結を行う運用上からの要請もあってか、多段変速機の採用はできなかったようです。気動車向けディーゼルエンジンはその運用から船舶用エンジンよりも過酷な運用を強いられました。しかしながらエンジンを『部品』と割り切ったJR東海は出自が汎用エンジンで静岡の漁船が多く採用していた米カミンズのエンジンを採用したのを皮切りに、JR東日本他でも各社の既製品のエンジン採用が浸透しましたし、従来型車両との混結を考慮しないことで電子制御多段変速機の採用も進みました。過去に縛られた国鉄の気動車のくびきから逃れられたことで、富士重工業のLE-Carや新潟鐵工所のNDCが誕生し、NDCが今も製造されブラッシュアップが図られているのは、皮肉としか言いようがありません。
今度はキハ143形・キハ141形・キサハ144形の解説もやってください
昔まだ片町線が長尾駅〜木津駅間が非電化の頃末期にはよくキハ58とキハ40系が連結して走ってましたね
キハ40+キハ35というペアを組んだ2両で木津線(片町線長尾~木津間)を走る姿よく見かけましたよ。
@@nobenjohnson552 さんいろんな編成がありました。キハ35とキハ58も連結されてました。当時の奈良線から回ってきたのかなあ?
キハ40系といえば鈍足なことがよく取り上げられるが、実はブレーキも中々酷いとのこと。
キハ40系は懐かしいですね、学生の頃通学で利用してました。当時は非冷房車が当たり前で窓全開で扇風機で暑さをしのいでましたね、たまーに冷房車が来るとラッキーでした、まぁそんなに冷えない冷房でしたけど。 もうこの路線に乗る事はほとんど無いですけど、たまに乗ると新型車になっており冷房も標準装備で加速も良くて駅間の時間も短縮されましたか全車両オールロングシート車になってしまいました、なんでもこの路線専用のトイレ無しの短尺の特別仕様なんだとか。またあの重々しくも頑張ってエンジン音を轟かせて走るキハ40系に乗ってみたいですね。
今年の春先に、雨晴海岸に行ってみたくて高岡に向かいました。いやいや🚋に乗り慣れていると違和感が凄かった。キハ47、いつまでも走っているとは思えないので、良い経験でした。それ以前に、氷見線、城端線の存続問題があります。
今週、山口の岩徳線でキハ40系乗ってきました。(キハ40-3501+キハ40-?の2両編成ワンマン運転)以前、末期色塗装だったのですが、サムネと同じ赤系の塗装に戻ってました。確かに動き出してからスピードが出るまでは時間がかかるように感じました。多少年季も入っているのでガラスが煤けていたのとトイレ前が少し匂いがしてました。2時間くらいに1本の運転間隔ですが、岩国以西は115系もまだ現役のようなので合わせて乗るにはお勧めです。個人的には115系はともかく岩徳線のキハ40系は最後まで残りそうな気がします。学生の乗り降りが多いので廃線は無いでしょうが、岩国以西は新型入れ替えは後回しにされる感じがしています。
日田彦山線・原田線とか現役で走ってます!鹿児島本線でキハ40・47 四両編成の回送も見れますよ~
キハ40形は、当方の地元JR五能線でも、数年前まで、運用されてました。
今も乗れるキハ40で忘れられた北条鉄道…
関東からのアクセスに重点置いた解説なんやろなぁ。北条まで行くくらいなら一足伸ばして岡山行ったほうが山ほど見られる
キハ130形は全部で11両作られています。座席配置の違いで前期型5両、後期型6両です。
あと、或る列車は、運行路線が複数ありますね!キハ40の初期車は、竹下にいます。今は、団体運用及び伴奏車ですね
5:24 懐かしい通学の時お世話になったんだよ
かつて通勤でお世話になってた。残念ながら、トイレ撤去とロングシートに変わってたけどね。
4:25加古川色のキハ40懐かしい写真は津山と表示されてるから2004年あたりに撮影されましたね
先日広島に旅行して広島駅でキハ40が止まっていたので撮影出来ましたおお國鐵岡山と写真撮りました、ラッキーでした
昔、国鉄全線乗りつぶしをしてた頃、40に当たるとがっかりしたな。うるさいし、重いし、遅いし。28+58も急行落ちで寂しかったけどまだよかった。古い20系列、特に内装がピンク塗りで板張り床で二重窓の22は、北海道を旅してる感と、開拓以来の歴史を感じつつ、廃止間近のローカル線に乗る感じが素晴らしかった。新しい系なら、九州の66、67がよかったな。うるさいけど冷房付きだし。40は新しいくせに鈍重で、ローカル線の雰囲気が出なかった。35よりはましだったけど。
私も、おおむね似た感想です。私が通学に使っていた路線の普通列車には、12[冷]・58[冷]・40[非冷]が走っていましたが(24・14・181は料金かかるので当然除外)、やはり、12・58・40の順に快適なので、行きは「12一択」で登校し、帰りは「なるべく12になるよう、それが無理でもなるべく40にはならないよう」下校時間を調整していました。余談ですが、一度181で帰宅したら、親に怒られました。
しかも九州は或る列車 二つ星だけじゃなく いさぶろう・しんぺい いぶたま かわせみやませみもあるから言って欲しかったな
初めまして、いつも動画を楽しく拝見しています。6:46 でのキハ130系の製造両数は11両です。しかし動画でも触れていましたが、海沿い路線にキハ130系が適応出来ずに、追い出したはずのキハ40系に一掃されてしまったのはなんとも言えないですね。キハ160系が本格増備されていたら、このエピソードは生まれなかったと思いますが。
気動車版201系みたいな側面もある、201系も新性能電車を置き換える為に出たわけだが、キハ40は初期の動力近代車の気動車を置き換える名目で出た気動車という事だね。本当ならキハ52やキハ22みたいな2エンジン車もハイパワーで設計されていたらできたんだろうが、実現することはなかった。
キハ40が追い出したのは、九州では、香椎線もですし、後藤寺線、三角線、原田線は有名な話ですね!香椎線は、キハ200と220、キハ31後藤寺、原田線、三角線は、キハ31。或る列車は、四国から転属。うみせみやませみ号は、本当に綺麗な車両。
〈鈍足の貴公子〉ですからね!ヨンマルは!
キハ40系の気動車はJR九州内では今でも久大本線と豊肥本線で運行されてますね。最近では気動車に乗ることはなくなりました。
久大線はキハ200または、キハ125シリーズにおきかわりました。
長崎本線に配属されたぐらいだし後10年くらいは使用しそうだな。つまりJR九州の配備車がが最期まで生き残る。
キハ40好きですがかなり置き換えられましたね😂丈夫で重厚ですがエンジンが非力ですね。エンジン載せ替えもしていますが。雪国の単行は苦しいですね。旅客輸送が多かった時代は編成数も多くて良かったのですが、今の時代排雪運転のため編成を多くするのはたいへんです。北海道では日高線用と札沼線用に増強エンジンを乗せましたが、それ以外は当初のエンジンだと思いますが。
私はキハ40系は烏山線で乗りました。非力なエンジンなので、電車に比べると加速は悪いことも感じました。新田~鴻野山間の山岳区間ではエンジン全開でも速度は時速30キロ程度で息も絶え絶えでした。宇都宮線への乗り入れでは、時速100キロ近くも出すので、爆走気動車ですね。
西はまだ使う予定なのね~西と九州は、古い車両を延々使うよね。あちこち古くなっても、どうしても新型を入れなくちゃ困るって感じではない線形や地形や運用本数なんかな。ただケチなだけなら、四国や北海道のほうがお金ないもんね。海岸地域の塩害の問題は住んでいてすごく感じる(自家用車も自転車もベランダの柵も…あらゆる鉄製品の寿命の速さよ)から、山陽地区でよく走っているというのはわかる気もする。或る列車は乗ったことないけどべるもんたは乗った。コロナ禍以後こういう観光列車はことごとく運休・減便していて、再開してから親孝行のつもりで(母が観光列車好きなので)3つほど乗ったけど、どこも運行していても1シート置き(1グループというか、仕切れる単位で一つおき)にしかお客を取ってないみたいで、満席でも半分しか埋まらない。だから、人気のものは予約がとても取りにくいみたい。自分もかなり頑張って予約した。そして、乗車率50%はスカスカだから絶対元取れない(そも満席でも6億なんて人件費とかメンテ費かんがえたら元は取れないと思うが。こういうのはPRだよなあ)よなあ…って視覚的にもなんか切なくなってしまったし、グループでも控えめにしゃべることになってるから物寂しい雰囲気もある。でもガコガコ揺られ、モーター音聞きながら見る海や山の景色は、ノスタルジーがある。ああ、子供の時こういう電車(気動車だけど)田舎で乗ったなあ…って。5類移行後、もうちょっと乗りやすくなるといいね。
越乃Shu*Kuraと或る列車乗りたくなった❗️
西九州新幹線の開業後、博多ー肥前鹿島間で「かささぎ」が運行されていますねえ。
札幌 6時発の923Ⅾ(旭川行普通)もいいですよ
あとは山陰本線(豊岡〜鳥取〜米子)(益田〜下関)、芸備線(広島〜三次)ですかね。本当に乗るなら今のうちだよ🚃
岩徳線
境線、氷見線、城端線を忘れてた(^^ゞ
下関は山陽線も115系、九州連絡線も415系と国鉄車両の宝庫。というか国鉄車両しかない😢
キハ40系より少し先に、キハ66・67が登場したが、高性能・冷房・転換クロスシートで登場したが、低性能・非冷房・固定クロスシートで登場した、一般用なので固定クロスシートは仕方ないと思ったが、低性能・非冷房にはがっかりした。当時の国鉄の財政状況では仕方なかったかもしれないが、車体は重いが頑丈なので、JR化以降、冷房化・エンジン交換等で改良され長持ちした。
キハ40系を含む国鉄末期型のよさは、恐ろしいくらいの丈夫さと、使い勝手のよさと、汎用性の高さなんですよね👍️。まぁ、併結は国鉄の代名詞なんで…。
確かリゾートしらかみもキハ40ですよね、全然違うので乗った時びっくりしました
オレはやはり北海道の白と黄緑のカラーだな!これに乗ってからが北海道の旅が始まるんだよ!
最寄りの路線がキハ40系しか運転されていないので、今は殆ど価値をかんじませんが淘汰されるとまた乗りたくなるんでしょうねキハ58系のように。
13:36 A列車で行こう ってキハ185系ですよ
べるもんただけじゃなく、はっとりくんもお忘れなく。てか、氷見線城端線もキハ40系列の巣窟なんですが。
魔理沙さん霊夢さんこんにちは!キハ40型の寒地向けと北海道仕様はエアサスですね!これは雪のかたまりが台車に入って軸バネに付いて乗り心地が著しく悪くなる為だと聞いたことがあります。今ではエアサスが当たり前ですが当時は降雪地帯ではありがたい隠れた設備です。
空吹かしするのは吸気した時にちゃんと完全燃焼が出来るか確認するためだったと思います
8:16 長崎本線の非電化区間は長崎〜肥前浜までです
キハ40系列を設計する際に、当時赤字経営だった国鉄が、将来を見据えて長く使える様に汎用性や耐久性を重点的に考慮したと聞いた事があります。
大好きな形式の1つです。
あのエンジン音と振動と頑張ってる感を感じる加速が良いですね。
汎用性の高さはまさに鉄道界のザクですね。
JR四国のキハ40系は全て原型エンジン搭載車です。首都圏色の車両も存在しており、国鉄時代そのままにかなり近いキハ40系を堪能できます。
登場当初は、音と振動の割に出足が遅い・加速してもイマイチ速度が出ないという「鈍重DC」の印象でしたね。
まだ、キハ20系列やキハ58系列の方がエンジン音も走りも軽快でした。
ハイブリッドDCや蓄電池電車の登場で、純粋なディーゼル駆動の車両は今後減って行く一方だと思います。かつては「石を投げれば当たる」ほど日本中どこでも見られたキハ20や58が本線から消えたように、キハ40系列もいずれ姿を消してしまうでしょう。消えるとなって慌てるより、ふだん使いで乗れる今のうちに乗っておくのがいいと思います。
キハ40系初期はエンジンも非力で
トルコンも性能が良くないので
時速60kmまでノッチ変えずに加速でしたね
キハ20系は小さい感じで軽そうですが
40系よりも非力に感じましたね
キハ58系は急行向きなので
加速より最高速って感じでしたね
更新後のキハ40系はエンジン換装やトルコン変更で
かなりマシになった感じですね
小中と通学で乗ってたので
キハ40系や20系、58系のエンジンの音の違いは
未だに忘れることはできないですね
音的には20系が独特の音が強かったですね
僕はキハ40は千葉県の小湊鐵道のやつしか乗ったことありませんが、昔ながらのエンジン音がたまらないですね!!!
小湊鐵道はキハ40だけでなく、キハ200という古い気動車も走ってます。また、小湊鐵道のほとんどの駅がレトロな雰囲気です。東京からとても近い路線なのでオススメです!!!!
個人的にキハ40系列で一番良かったのは学生時代に冬の北海道旅行で乗った急行仕様に改造されたキハ400系です。座席がリクライニングシートに交換されており、
ほぼ特急と言って良いくらいの豪華さでした。急行天北で乗車しましたがエアサスのおかげで線路状態の悪い天北線内ではローリングが激しかったです。
日高本線のキハ130形にも乗りましたがデッキのない構造で車内が寒かったです。帰りに乗ったキハ40形の過剰とも言える暖房のサービスがありがたかったです。
『過剰な暖房サービス』 ← 激しく同意します!
キハ40系は小回りが効き非電化ローカル線のエースですね。製造から40年以上が過ぎていて新型車両も多く出回っているにも関わらずJR東海を除くJR5社で健在なのが凄いですね。
ていうか品質やば、今のメイドインジャパンから想像できない
故障がほぼなく、各地で安定した性能を発揮しているのが素晴らしいですね。
JR東でもキハ40は全滅してるだけど
@@Sweepshow越乃Shu*Kuraを除いて東日本からは一般のキハ40系は全滅していますね。
@@ねばねば-b6m 長持ちするってのは、言い換えれば数十年前の性能・設計思想だけど使い続けるという事なので
テクノロジーの進歩や社会の変化が速まったりすると、長持ちするというのがあまり価値として見られなくなって来るんですよね
非電化路線で困ったときのキハ40というイメージ
個人的に国鉄型気動車の中でも最高傑作の一つだと思う
山陰でもまだまだ走ってますね♪
ディーゼル最高!!!
JR九州の2つ星は「元はやとの風」でした・・・肥薩線が台風の災害で不通となり、活躍出来なくなっての生まれ変わりとなりました。。。
キハ40系の仲間でしたらまだ指宿枕崎線や志布志線でも見られます♪♪
エアコンが弱く、JNRマーク付扇風機でカバーしていた。ロングシートを削ったり、乗車率が低いから風が届くが、それでも暑い。
JR西日本の非電化区間の普通列車としては、まだまだエースですよ。キハ40は。山陰本線の城崎以西。播但線の寺前以北、吉備線、津山線などなど。このあたりでは無くてはならない車両ですわ。
吉備線はLRT化の予定だが、まだまだ時間がかかるな
解説どおり
岡山駅では普通に見れます。
ナレーションの話し方が大好きです。
或る列島は季節により久大本線を走ったり、大村線を走ったりする。
新緑の山を走る久大本線と、冬でも鏡のように穏やかな大村湾を見れる。
芸備線の朝下りの6両は、この列車の需要というより実質的には三次行き2両+朝ラッシュ輸送に使う下深川→広島の4両の送り込みを線路容量や留置箇所の都合で無理やり1本の列車にまとめたという側面が強い
九州のキハ40はどうしても改造されたやつに目が行ってしまうけど、是非一般型も乗って欲しい! 特に後藤寺線では朝に線内ノンストップの快速運用もあったりするので!
そうそう、ノンストップの快速ありますね。
キハ40、我が宮城県の石巻線&陸羽東線等で長年使用されていました。加速は悪かったですが頑丈なので乗り心地は良かったですね。
去年に石北本線で旭川から網走までひたすら乗ったね。珍しく窓が全開になるので、真夏の北海道の空気と風景を満喫しながら乗ったキハ40系は最高でした。
キハ40系はローカル線の主力で馴染み深い。
ふたつ星4047は、かつては「はやとの風」だった。
A列車で行こうは今回の動画で関係無いね。
キハ185系の動画が見たくなりました。是非とも作ってください。
A列車で行こうは、キハ185です。
そこ最重要ですね。
関東に対抗して
北海道はキハ183でしょう
北海道ならばどこでも走れた特急型
ローカルA列車ならばここのキハ40🚃
四国は徳島運転所に集められてますが(原型エンジン)
ハイブリッド気動車導入で2030年で廃車だそうです
逆に2030年まで残るのか
すぐ廃車になるんだ…
って2030年ww
2026年に新型気動車が登場するだけで、そこから順次置き換えやからそれくらい残る
新製時には冷房はなかったものの、キハ58系なみの大型で幅広の車体であることによる居住性の高さと乗り心地のよい台車(寒冷地向けは空気ばね台車を装着しており、当時の急行型気動車だったキハ58系を上回っていた)で、非電化ローカル線の車両レベルを大きく向上させましたね。
一番大好きな気動車ですね、自分の住む町には走らなかったのですが好きな気動車でしたよ。
八高線では、国鉄時代極偶にではあったが、足尾線用のキハ40が入ることがありました。
唐津線では、キハ47が全車「ロマンシングSAGA」のラッピングを施されて佐賀-唐津(西唐津)間を往復しています。
新車で入って来てすぐ乗らざるを得ませんでした。キハ58に対してエンジン音がうるさい車輛だと思いました。また、非力だったのは言うまでもありません。ただ、空気バネのため、古い車輛より乗り心地良かった様な気がします。
また、当時ツートーンカラーが主流だったのであの首都圏色には幻滅した記憶があります。しかしながら、キハ58の1500番台を思わせる前面のパノラミックウインドウや座席背もたれに付いた四角い取っ手については、この辺ではキハ40が来るまでは455系電車でしか見れなかったので、なんか新しさを感じた気分でした。
動画ではキハ40系は称賛されてましたが、こちらではお荷物だったのか30年も前(導入して15年未満)に早々に引退が始まってしまいました。後継のキハ100系の方が在籍期間がとっくに長くなってしまいましたね。実際性能的にキハ100系の方が加速良いですし、その恩恵かわかりませんが所要時間が短縮されました、加えて冷房も付いてますからね。
何気にカラバリが多いキハ40
個人的には
八戸線走ってたリゾートうみねこの
レインボー魔塗装が頭から離れない…←
これが今もいるのが凄い
独特の匂いがあるような気がするのは私だけ?
今は芸備線たまーに乗るんですが北海道で乗った時にも同じ匂いがしたような…
他コメにもあるように五能線のリゾートしらかみはキハ40の豪華列車改造としては古いタイプで、
九州の水戸岡デザインよりこっちの方が好みでした。老朽化で廃車になってしまいましたが・・・
ちょうど今日乗りました! 北見から網走まで!
たまにはこのような列車に乗って、ガタゴトのんびり旅してみたい…
キハ40は神!勿論キハ47、48も負けてないけど…あの乗り心地は素晴らしい乗り物
サムネ見たとき「ぬぉ~懐かしい~」と思った。八高線ユーザーだったからこの車両も利用してた
昔は城北線でキハ11の定期検査や故障時の代車として(今は代車もキハ11)、他に太多線でも何度か乗ったけど、とにかく車両騒音が大きいので苦手でしたねw
今でも、新車当時に乗れた思い出は忘れない。
(新車当時から朱色の塗装だった最初の車輌だと思う。)
7:45~7:50
直流電車は1両でも可能だけど、交流・交直流電車の場合は搭載する機器の関係で
2両編成が最短だと聞いたことがある。
気動車なら1両でも長編成でも運用出来るし、それが頑丈なキハ40なら尚更だね。
交流、交直流の電車は直流電車より価格が高いこともあるようです。
羽越本線の村上から酒田間、えちごトキめき鉄道、肥薩おれんじ鉄道などが、電化されているのに気動車を使用している理由のひとつのようです。
711系みたいに1M式もあったけどね。
岩徳線での通学で大変お世話になった車両です。
欽明路トンネルを抜けるときは、エンジン全開で苦しそうでしたね。
大学時代に現在の新山口でとあるキハ40に出会って、特定車番のファンになったバカがここにひとり ちなみにその車番はキハ40 2096
13:37 「A列車」はキハ40ではなくキハ185ですな
北条鉄道でも現役で走っていますね。しかも五能線時代と同じ仕様で。
ちょっと塗装しなおしたほうがちょっと薄くなったような気がする
JR四国が、新型ハイブリッド気動車で、キハ40などの国鉄型気動車を置き換えると発表しました!ついにこの時が来てしまいましたね。徳島には2026年以降、電車も訪れるということになりますね
素晴らしい動画でした!
個人的には函館本線の函館~長万部をキハ40で走行するのが堪らなく好き!
…、だが、函館本線の先行きが怪しいし、もし旅客営業がなくなってしまったらと思うとすごくつらいわ…(つд;*)
北海道といえばキハ40のイメージが強い。
この1つ前のキハ20.22もですが、北海道ならキハ40にはかなわないでしょう。
頃菜が流行る前、札幌駅発6時台の下り普通列車がキハ40系でした。然も都市型車両だったのか全部1人掛け座席で、車内の立ち乗り空間が物凄く広かった印象があります。
長崎本線のキハ47投入は衝撃だった
てっきりYC1が入るものだと
JQにお金がなかったから、導入を諦めたようです。諫早〜江北路線も、上下分離式にしており、路線は、周辺自治体。運営は、JQとなります。香椎線の置き換え(819系化)となり各地に余剰車として疎開された車両が導入されました。
久大線、豊肥線ガ、キハ200や125に統一されたので、まとまった数でましたね!
キハ40シリーズは魔改造しやすいのと、もうオリジナルのエンジンはほとんど搭載していないはず
原型エンジンが残ってるのJR四国ぐらい。
「キハ40形」「キハ47形」「キハ48形」を区別して解説して欲しかったです。
その3形式の区別をすでにちゃんと理解しているコメント主は、このチャンネルをわざわざご覧にならなくても良い気がします。
@@user-nak7etahew さん
いや、鉄道雑誌や書籍に載ってない事が解説されていて面白いんですが。
札沼線のキハ40の1部に450PSエンジンを搭載してたやつがいたような…
最近、JR北海道もかなりキハ40がかなり減っていますね。寂しいですね。キハ40は2025年に引退予定です。
座席柔らかいし大好き
道南いさりび鉄道も挙げて欲しかった…|ω・`)…
JR北海道から9両いただきほとんどの車両が自社塗装されました😊
名古屋港の関係者以外立入禁止の突堤の先に、何故かキハ40の廃車体が何両か置いてある。東海色だけでなく首都圏色のものもあるけど、廃車されてもう何年も潮風にさらされているのにそこまでくたびれたように見えないのは国鉄型車両の頑丈さの証といったところだろうか。
昔の男鹿線にはキハ40系+キハ58系とか
キハ40系にキハ58系中間にキハ20系中間など
とんでもない魔編成がありましたね
JR東としては最後の運用地区でしたが
土崎工場がJR東すべてのディーゼルの整備をやってるから
逆に最後まで残れたかと思います
青森帰る時に、必ず22時台の最終津軽線に乗って帰った。今は701系なのが悲しい。ンゴァァァー!!って響くエンジン、スイッチでブンブン回る天井扇風機、真夜中の水田をバックに走る車窓が異世界感…だったけど、JR東日本から引退したのが悲しい。乗れていた頃が懐かしい。
関西だと、北条鉄道に加え、播但線でも走っていますね。
北条鉄道を走っているのは、2021年の3月まで五能線を走っていたキハ40系535号ですね。クラウドファンディングで資金を集め購入したもので、2022年3月16日より運行開始しております。
播但線の方は寺前から和田山駅までの非電化区間をキハ40系・41系が走っているのですが、こちらはJR西日本が2030年代に導入を計画している燃料電池車に置き換えられる事になりそうですね。
国鉄時代、キハ58や20系列と併結されていても40の方を選んで乗ってました。どうせ乗るなら明るくキレイな車両をと。
あまり知られていないと思われますが、日豊本線(電化済)の鹿児島中央〜隼人または国分でも架線下DCとしてキハ40、47の運用が数本あります。
そのうち1往復はキハ40の単行になります。
3:39 この列車の色好き。
キハ40の三セク譲渡はJR東日本から北条鉄道に1両行ったのもあります。
かつて五能線を走ってた頃の姿をそのまま残してるため(内装もJR東日本の時のまま)
小湊鉄道と共にJR東日本仕様に会える三セクになってます。
まあ、導入理由は列車交換設備が法華口にできて(昔はあったそうなんで復活みたいなモン?)
通勤通学時の増発ができるようになったが予備用車両が無いため購入した、という事情がありますが。
2023年の春に播但線の寺前〜和田山で乗りました
竹田城のラッピング車両や簡易運転台がついたやつも留置されてて珍しかったなあ
知らないことが多くて、とても面白かったです。今度は西武の特急についてやってください!
40系気動車は元々は、かなり意味不明な部分もあった車両だった。
初めて乗ったときは、車内が広いという良い印象を持った。寒冷地仕様車の100、500番台は空気ばね台車で、乗り心地は急行形の58系を上回るという評判だった。なぜか888両造られた。
そのうち、矛盾だらけの問題点が明らかになるまでにはそう時間はかからなかった。
エンジンも、12気筒エンジン500PSのものを、パワーダウンして440PSにしたものを、さらに半分にした6気筒220PSのものを載せた。当時の標準エンジンの180PSのものよりは幾分上ではあるものの、車体重量の増大によって相殺され、180PSエンジン搭載の従来車よりも走行性能が劣ることとなった。北海道用の100番台だと40tを超えるものすらあった(キハ20は32t、キハ58は2エンジンで39t)。
両運転台のキハ40は単行運転ができるが、積雪期で220PSの1軸駆動では、空転して使えない。北海道や東北地方の山の中などは豪雪地帯で、利用客も少ないから単行運転をしたいが、必ず重連以上の運転にせざるを得ない。両運転台で単行運転向きだが単行運転ができない。
勾配線区は山の中であるので、乗客が少ない。だから単行運転をしたいが、すべて1軸駆動で弱馬力なので、空転を起こしたり、登攀不能になり、勾配線区には全く向いていない。両運転台なのに山では単行運転ができない。
両運転台車なのにパワーラインは、どちらかというと中速向き、つまり長大編成急行列車向きの設定であった。長大編成急行列車向きならば、両運転台車はいらない。長大編成急行列車向きということだと、高出力である必要があるのに、220PSの弱馬力では、何のための中速向き、長大編成急行列車向き設定なんだかわからない。
そもそも40系は普通列車用に投入された車両だから、長大編成急行列車向きの設定などいらない。
40系気動車は、はっきり言って使い勝手の悪いお荷物のような車両だった。にもかかわらず車体は頑丈にできていたので、廃車にするわけにもいかず、その後も使い続けなければならなかった。車体が頑丈だということは、重量も重いということだから、最も使いずらい低性能車を、最も長期にわたって使い続ける羽目になった。
その後民営化され、さすがにこれは酷いということで、半数以上の40系気動車は、300馬力クラスの新型エンジン(小松、新潟、カミンズ)に交換された。中には2軸駆動車に改造されたものもあった(400番台、3500,4500番台)。
すべてが欠点というわけでもない。頑丈で重量が重かったので、事故があったときは、乗客や乗務員を守った。
また普通鋼製車両だったので、改造がしやすく、多くの改造車の種車にもなった。中には特急形になった車両もある。40系気動車は普通列車から特急列車、特別列車までのすべてをこなす車両になっていった。
あの時代の国鉄型車両、201系もそうですが101系の置き換え車両であったりキハ10系の置き換えであったりと、動力近代車の置き換えを進めていたのはなんか国鉄矛盾が多くありましたよね。旧型国電ならまだしも、101系電車の置き換えって何?とは思いました。やはり初期新世代車両の老朽化が早すぎたという事なのでしょうが、それがなければキハ40系も201系も出ていなかったのでしょうね。
言いたいこと全部盛り込んだコメントですね。私の評価も同じです。
国鉄時代はエンジンの修繕は自社工場で行い、交換部品も多数ストックしていました。現代ならエンジン丸ごと交換するケースでもオーバーホールし削正の上で組み直すくらい手間を掛けていました。これには新しい車両導入には国会で長々と説明が必要なのに対し、修繕費は人件費でもあるので、実際には大きな無駄遣いであっても新規導入よりは予算を通しやすかったことも影響しています。
膨大な部品費とともに高額な人件費を垂れ流すこうした手法は国鉄民営化を前にして打ち切られ、市販のディーゼルエンジンを『部品として』積もうという発想に代わりました。三島会社向けの新規ローコスト車両に新潟鐵工所などが応じ、キハ31形・キハ32形そして、2エンジン両運転台車のキハ54形が製造されました。そしてJR化後のディーゼルエンジンは製造会社の営業秘密を侵さないよう、一からのオーバーホールはせずにメーカーに送って整備したりエンジンごと取り替えたりしています。JR貨物のDF200搭載のエンジンに至っては秘密保持契約もあるらしく、北海道の整備工場への鉄道趣味誌のカメラ取材では整備光景は一切撮影不可だったことが記されていました。他社もまた組み付けた後の撮影はOKでもバラした状態のものはアウトとか……。それを国鉄はDNH17系エンジンのクランクシャフトを研削盤で削り直し、さらに磨き加工を施して再用する徹底ぶりだったのと対照的です。
また国鉄設計の車両は車体構体も構成部品も『長期の保守』が前提の設計でしたから、極めて保守的な設計とともに他線への転用も考慮された設計が当然とされ、キハ40系もその設計思想が踏襲されました。それ故に暖地型金属ばね台車を履く車両が極寒の広尾線を走る姿がフィルムに収められていたりします。
『さよなら広尾線 夢をありがとう』(北海道映像記録社 製作)
ruclips.net/video/X2H6NOQGU4w/видео.html
@@naomiyamada8581 さん
なるほど、当時の背景がよくわかりました。詳しい説明ありがとうございます。
国鉄は、役所なので、予算の審議から始まって、様々なセクショナリズム的な決まり事、思想等にも阻まれていたので、素人目にも変な車両ができたわけですね。
分轄民営化後、そこら辺の規制のようなものは大幅に緩和され、民間企業なので、その自由度も向上したわけです。
もちろん、ほかの分野でもそうですが、「営業秘密」などの知的所有権の保護というものは、年々厳しくなってきています。
「営業秘密」は、不正競争防止法(Unfair Competition Prevention law:条約等にもより、世界的にも本法および同種の法律が適用される。)などによる保護対象ですが、不正競争防止法も、毎年のように法改正が行われ、罰則も厳しくなってきています。また両罰規定等の刑事罰もあることから、違法行為を犯した本人及びその所属組織も罰せられる場合があります。
基本的には「民事」なので、どこまでが「営業秘密」に当たるのか、どこまでを自由に扱ってはならないのかといった範囲、それらの保守を行ってよい範囲、外部から見えるかどうかによる識別分別範囲、等々は、秘密保持契約等の「特約」で細かく決めることができます。該当する部分については、通常、公開することはできません。
@@権三郎平衛 さん
今では輸出もされる日本のトラックですが、つい最近まで乗用車の関税を撤廃したあとも関税その他で国内産業を保護してきた過去があります。
エンジンと変速機だけに絞ってさらにコメントしますと、ディーゼルエンジンの設計は長年の蓄積が物を言う分野で、高い設計目標を持てば持つほどに開発は困難を極めました。それこそ型式認証でエンジン不正を働いた○野自○車や○ォルク○ワー○ンみたいなことも起きるほどに開発は困難を極めました。
鉄道向けエンジンは排ガス規制が緩やかですが、気動車向け高速小形機関で高出力かつ頑丈なエンジンともなると国鉄の開発陣をもってしても難しいものでした。またシリンダーを寝かせるエンジン構成も潤滑の問題が難しく焼き付きの問題も抱えていたと聞きます。たまたま水平対向エンジンがアイコンの富士重工のエンジンのノウハウが気動車向け水平シリンダーエンジンに生かされた格好です。
国鉄はその購買力からメーカー各社の特許権のライセンス公開を強く促し、競合各社へ安く使わせる方策を採ったことでも知られます。米バッド社のライセンスゆえに他社に作れなかったオールステンレス車両も205系電車では技術を半ば『供出』させたくらいですし、回生ブレーキの定番の添加励磁制御も東洋電機製造から供出させました。こうして二人三脚で日本の車両メーカーは電車では大手私鉄の旺盛な購買力もあってメーカーの発展も支えたわけですが、気動車の場合は自社開発ができるほどの輸送力と財力のある私鉄は有るはずがなく、国鉄もディーゼルエンジンメーカーも国鉄の購買力に頼る仕組みが残りました。結果としてターボチャージャーの導入はDML30系列まで先延ばしされ、戦前の原設計であるDMH17系列のエンジンを永らく使うことになりました。
新幹線のATCシステムを開発できた国鉄の技術力をもってしても、ついに緻密な機械式ガバナーや電子制御エンジン・多段変速機はモノにできず、旧式のガバナーや一段変速機を永らく使用を強制されました。機械式ガバナーの設計の問題はJR北海道のキハ183系で燃料過多による過回転問題を招いたくらい深刻な問題でしたし、そもそも基本的な渦流室式エンジンの熱効率の低さには根本的対応が採られませんでした。それどころか最大回転数を制限するデチューンという『改悪』を行い、整備工場での技術力に合わせるかたちでキハ40系に大量採用しちゃったのです。また過去の気動車との混結を行う運用上からの要請もあってか、多段変速機の採用はできなかったようです。
気動車向けディーゼルエンジンはその運用から船舶用エンジンよりも過酷な運用を強いられました。しかしながらエンジンを『部品』と割り切ったJR東海は出自が汎用エンジンで静岡の漁船が多く採用していた米カミンズのエンジンを採用したのを皮切りに、JR東日本他でも各社の既製品のエンジン採用が浸透しましたし、従来型車両との混結を考慮しないことで電子制御多段変速機の採用も進みました。
過去に縛られた国鉄の気動車のくびきから逃れられたことで、富士重工業のLE-Carや新潟鐵工所のNDCが誕生し、NDCが今も製造されブラッシュアップが図られているのは、皮肉としか言いようがありません。
今度はキハ143形・キハ141形・キサハ144形の解説もやってください
昔まだ片町線が長尾駅〜木津駅間が非電化の頃末期にはよく
キハ58とキハ40系が連結して走ってましたね
キハ40+キハ35というペアを組んだ2両で木津線(片町線長尾~木津間)を走る姿よく見かけましたよ。
@@nobenjohnson552 さんいろんな編成がありました。キハ35とキハ58も連結されてました。当時の奈良線から回ってきたのかなあ?
キハ40系といえば鈍足なことがよく取り上げられるが、実はブレーキも中々酷いとのこと。
キハ40系は懐かしいですね、学生の頃通学で利用してました。当時は非冷房車が当たり前で窓全開で扇風機で暑さをしのいでましたね、たまーに冷房車が来るとラッキーでした、まぁそんなに冷えない冷房でしたけど。 もうこの路線に乗る事はほとんど無いですけど、たまに乗ると新型車になっており冷房も標準装備で加速も良くて駅間の時間も短縮されましたか全車両オールロングシート車になってしまいました、なんでもこの路線専用のトイレ無しの短尺の特別仕様なんだとか。
またあの重々しくも頑張ってエンジン音を轟かせて走るキハ40系に乗ってみたいですね。
今年の春先に、雨晴海岸に行ってみたくて高岡に向かいました。いやいや🚋に乗り慣れていると違和感が凄かった。キハ47、いつまでも走っているとは思えないので、良い経験でした。それ以前に、氷見線、城端線の存続問題があります。
今週、山口の岩徳線でキハ40系乗ってきました。(キハ40-3501+キハ40-?の2両編成ワンマン運転)
以前、末期色塗装だったのですが、サムネと同じ赤系の塗装に戻ってました。
確かに動き出してからスピードが出るまでは時間がかかるように感じました。
多少年季も入っているのでガラスが煤けていたのとトイレ前が少し匂いがしてました。
2時間くらいに1本の運転間隔ですが、岩国以西は115系もまだ現役のようなので合わせて
乗るにはお勧めです。
個人的には115系はともかく岩徳線のキハ40系は最後まで残りそうな気がします。
学生の乗り降りが多いので廃線は無いでしょうが、岩国以西は新型入れ替えは
後回しにされる感じがしています。
日田彦山線・原田線とか現役で走ってます!
鹿児島本線でキハ40・47 四両編成の回送も見れますよ~
キハ40形は、当方の地元JR五能線でも、数年前まで、運用されてました。
今も乗れるキハ40で
忘れられた北条鉄道…
関東からのアクセスに重点置いた解説なんやろなぁ。
北条まで行くくらいなら一足伸ばして岡山行ったほうが山ほど見られる
キハ130形は全部で11両作られています。座席配置の違いで前期型5両、後期型6両です。
あと、或る列車は、運行路線が複数ありますね!
キハ40の初期車は、竹下にいます。今は、団体運用及び伴奏車ですね
5:24 懐かしい
通学の時お世話になったんだよ
かつて通勤でお世話になってた。
残念ながら、トイレ撤去とロングシートに変わってたけどね。
4:25
加古川色のキハ40懐かしい
写真は津山と表示されてるから
2004年あたりに撮影されましたね
先日広島に旅行して広島駅でキハ40が止まっていたので撮影出来ました
おお國鐵岡山と写真撮りました、ラッキーでした
昔、国鉄全線乗りつぶしをしてた頃、40に当たるとがっかりしたな。うるさいし、重いし、遅いし。
28+58も急行落ちで寂しかったけどまだよかった。古い20系列、特に内装がピンク塗りで板張り床で二重窓の22は、北海道を旅してる感と、開拓以来の歴史を感じつつ、廃止間近のローカル線に乗る感じが素晴らしかった。新しい系なら、九州の66、67がよかったな。うるさいけど冷房付きだし。40は新しいくせに鈍重で、ローカル線の雰囲気が出なかった。35よりはましだったけど。
私も、おおむね似た感想です。
私が通学に使っていた路線の普通列車には、12[冷]・58[冷]・40[非冷]が走っていましたが(24・14・181は料金かかるので当然除外)、
やはり、12・58・40の順に快適なので、
行きは「12一択」で登校し、帰りは「なるべく12になるよう、それが無理でもなるべく40にはならないよう」下校時間を調整していました。
余談ですが、一度181で帰宅したら、親に怒られました。
しかも九州は或る列車 二つ星だけじゃなく いさぶろう・しんぺい いぶたま かわせみやませみ
もあるから言って欲しかったな
初めまして、いつも動画を楽しく拝見しています。
6:46 でのキハ130系の製造両数は11両です。
しかし動画でも触れていましたが、海沿い路線にキハ130系が適応出来ずに、追い出したはずのキハ40系に一掃されてしまったのはなんとも言えないですね。
キハ160系が本格増備されていたら、このエピソードは生まれなかったと思いますが。
気動車版201系みたいな側面もある、201系も新性能電車を置き換える為に出たわけだが、キハ40は初期の動力近代車の気動車を置き換える名目で出た気動車という事だね。本当ならキハ52やキハ22みたいな2エンジン車もハイパワーで設計されていたらできたんだろうが、実現することはなかった。
キハ40が追い出したのは、
九州では、香椎線もですし、後藤寺線、三角線、原田線は有名な話ですね!
香椎線は、キハ200と220、キハ31
後藤寺、原田線、三角線は、キハ31。
或る列車は、四国から転属。
うみせみやませみ号は、本当に綺麗な車両。
〈鈍足の貴公子〉ですからね!ヨンマルは!
キハ40系の気動車はJR九州内では今でも久大本線と豊肥本線で運行されてますね。
最近では気動車に乗ることはなくなりました。
久大線はキハ200または、キハ125シリーズにおきかわりました。
長崎本線に配属されたぐらいだし後10年くらいは使用しそうだな。
つまりJR九州の配備車がが最期まで生き残る。
キハ40好きですがかなり置き換えられましたね😂丈夫で重厚ですがエンジンが非力ですね。エンジン載せ替えもしていますが。雪国の単行は苦しいですね。旅客輸送が多かった時代は編成数も多くて良かったのですが、今の時代排雪運転のため編成を多くするのはたいへんです。北海道では日高線用と札沼線用に増強エンジンを乗せましたが、それ以外は当初のエンジンだと思いますが。
私はキハ40系は烏山線で乗りました。非力なエンジンなので、電車に比べると加速は悪いことも感じました。
新田~鴻野山間の山岳区間ではエンジン全開でも速度は時速30キロ程度で息も絶え絶えでした。
宇都宮線への乗り入れでは、時速100キロ近くも出すので、爆走気動車ですね。
西はまだ使う予定なのね~西と九州は、古い車両を延々使うよね。
あちこち古くなっても、どうしても新型を入れなくちゃ困るって感じではない線形や地形や運用本数なんかな。
ただケチなだけなら、四国や北海道のほうがお金ないもんね。
海岸地域の塩害の問題は住んでいてすごく感じる(自家用車も自転車もベランダの柵も…あらゆる鉄製品の寿命の速さよ)から、山陽地区でよく走っているというのはわかる気もする。
或る列車は乗ったことないけどべるもんたは乗った。
コロナ禍以後こういう観光列車はことごとく運休・減便していて、再開してから親孝行のつもりで(母が観光列車好きなので)3つほど乗ったけど、どこも運行していても1シート置き(1グループというか、仕切れる単位で一つおき)にしかお客を取ってないみたいで、満席でも半分しか埋まらない。だから、人気のものは予約がとても取りにくいみたい。自分もかなり頑張って予約した。
そして、乗車率50%はスカスカだから絶対元取れない(そも満席でも6億なんて人件費とかメンテ費かんがえたら元は取れないと思うが。こういうのはPRだよなあ)よなあ…って視覚的にもなんか切なくなってしまったし、グループでも控えめにしゃべることになってるから物寂しい雰囲気もある。
でもガコガコ揺られ、モーター音聞きながら見る海や山の景色は、ノスタルジーがある。
ああ、子供の時こういう電車(気動車だけど)田舎で乗ったなあ…って。
5類移行後、もうちょっと乗りやすくなるといいね。
越乃Shu*Kuraと或る列車乗りたくなった❗️
西九州新幹線の開業後、博多ー肥前鹿島間で「かささぎ」が運行されていますねえ。
札幌 6時発の923Ⅾ(旭川行普通)もいいですよ
あとは山陰本線(豊岡〜鳥取〜米子)(益田〜下関)、芸備線(広島〜三次)ですかね。
本当に乗るなら今のうちだよ🚃
岩徳線
境線、氷見線、城端線を忘れてた(^^ゞ
下関は山陽線も115系、九州連絡線も415系と国鉄車両の宝庫。
というか国鉄車両しかない😢
キハ40系より少し先に、キハ66・67が登場したが、高性能・冷房・転換クロスシートで登場したが、低性能・非冷房・固定クロスシートで登場した、一般用なので固定クロスシートは仕方ないと思ったが、低性能・非冷房にはがっかりした。
当時の国鉄の財政状況では仕方なかったかもしれないが、車体は重いが頑丈なので、JR化以降、冷房化・エンジン交換等で改良され長持ちした。
キハ40系を含む国鉄末期型のよさは、恐ろしいくらいの丈夫さと、使い勝手のよさと、汎用性の高さなんですよね👍️。まぁ、併結は国鉄の代名詞なんで…。
確かリゾートしらかみもキハ40ですよね、全然違うので乗った時びっくりしました
オレはやはり北海道の白と黄緑のカラーだな!これに乗ってからが北海道の旅が始まるんだよ!
最寄りの路線がキハ40系しか運転されていないので、今は殆ど価値をかんじませんが淘汰されるとまた乗りたくなるんでしょうねキハ58系のように。
13:36 A列車で行こう ってキハ185系ですよ
べるもんただけじゃなく、はっとりくんもお忘れなく。
てか、氷見線城端線もキハ40系列の巣窟なんですが。
魔理沙さん霊夢さんこんにちは!キハ40型の寒地向けと北海道仕様はエアサスですね!これは雪のかたまりが台車に入って軸バネに付いて乗り心地が著しく悪くなる為だと聞いたことがあります。今ではエアサスが当たり前ですが当時は降雪地帯ではありがたい隠れた設備です。
空吹かしするのは吸気した時にちゃんと完全燃焼が出来るか確認するためだったと思います
8:16 長崎本線の非電化区間は長崎〜肥前浜までです