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小さい頃に遊んだNゲージの貨物車には無くてはならない名脇役ヨ8000…刺し身のツマのような存在だけど、コレが最後尾に無いと締まりが悪くて……実車で、まさかヨ8000の魔改造車があったとは!
懐かしいヨ38000!何十回乗ったかな?入れ換えしてたんで。
ヨ38000の「うしろむきの●ード」感
国鉄特急色のDE10…普通にかっこいいな
東武鉄道のヨ8000「前照灯をつけた仲間がいると聞いて」
機回し出来ない線形なので推進運転の前方監視用の緩急車ですね。
苅田港対応ヨ38000、コンテナ列車50周年で門司貨物駅とか公開されたときに、まだ側線に放置されていたのを確認したのを思い出しました。
コロール=カラーだからトリコロールで3色という意味になり、そこにカラーを付ける必要はない。ほとんどの日本人が勘違いしているようだが。
ヨ8000は近くの住友セメントの貨物線でよく見たな。タンク車の後ろにいつもついていた印象が強い
苅田港線の分岐駅「小波瀬西工大前」の近くが亡き父の故郷でした。苅田港線が廃止の噂があった年が、亡き祖父母の初盆の年でした。でもって運転免許取り立ての時で、ヨの撮影の許可をすべく許可を願い出たら、怒られたのが良い思い出です。
最後のおみこしみたいになってるの悲し過ぎる
非常に面白い、貴重な記録の動画です。機関車などのブレーキ性能等も上がり、80年代中頃には車掌車(ヨ)、緩急車(フ)の連結は廃止された。緩急車の記号「フ」は「ブ」レーキ車からで、ブレーキをかける重要性がうかがわれる。ちなみに車掌車の「ヨ」は、シャシ「ョ」ウの「ヨ」(「シ」にすると「食堂車」になってしまうから。)。ヨ太郎、夜太郎の「ヨ」ではない。この当時は、「箱型」である電気機関車の牽引列車には、貨車の最後部に反射板をつけ、機関車に工具などを常備し、機関車の後部乗務員室に車掌が乗務することとした。また、「凸型」であるディーゼル機関車の牽引列車の場合、乗務員室は同じ空間となるため、車掌車、緩急車の省略は見送られた。この頃には「箱型」のディーゼル機関車は無く、夜には運転室は消灯、車掌室は点灯となるため見送られた。箱型のDF50は廃止され、同じく箱型のDF200はまだ存在していない時期である。夜間のバス等の例もあるではないか!?なんて私は思ったが。このようにして大量の「ヨ」や「フ」の余剰車が発生した。昔から、非電化区間や、異電源区間に電車が乗り入れる場合には、電源車を必要とした。非電化区間である小海線へ直通する169系電車の「葉ッピーきよさと」の一部のように、牽引機であるディーゼル機関車(DD16)自体に発電機をつけた例もある。当線区は高原で冷房もあまり必要なく、連結両数も少ない時にはこれで足りる。以前の連結両数の多い時にはスハフ12を電源車として連結していた。新幹線が東京⇔新大阪のみの頃の鹿児島本線などでは、電源車を151系電車編成の「つばめ」「はと」「かもめ」につけ、交流電化区間である九州島内には、EF30(関門トンネルのみ)とED73電気機関車牽引で乗り入れていたのは有名な話しだ。機関車牽引区間での電車の車内電源は、421系電車のパンタグラフ付電動車モハ420、3両を早期に落成させて電源車としたサヤ420を間に挟んで確保していた。また、群馬県の長野原線(現、吾妻線)では当時非電化区間であったため、C11蒸気機関車+控車兼電源車のオハユニ71に牽引されて、153系電車が客車として運転された例や、房総西線(現、内房線)千葉 ⇔ 館山間が非電化区間であったために、DD13ディーゼル機関車重連+電源車クハ16の牽引による153系電車の客車としての運転となった例がある。海外でも、どこの国でもそうだが、このようなケースは、車両の運用上生じる場合があり、ほとんどの国では客車を電源車として使っている場合が多い。日本の場合上記のほかに、福岡県大牟田の三井三池炭鉱鉄道の「電源車デ-4」(工場内では引火性の強い物質を扱う区域があるので、その区域内では専用鉄道はパンタグラフからのスパークを避けるため非電化とし、バッテリー電源車から電気機関車へ電力を供給して走行するもの。)の実例や、電車の非電化区間乗り入れのために、電車からの前方視界を遮らない車高の低い「ディーゼルテンダー」を電車の前面へ連結し、ここから電車が自力で走行するための電気を得る、などという話しもある。こんな時に余った「ヨ」などがあった場合に、これを改造したくなるのは人情かもしれない。もっとも、DE10の小さい方のボンネットの中には大したものは入っていないので、ここに発電機を設けることもできうる。また、最近めっきり増えたDD200は電気式なので、その電気の一部をサービス電源として使える可能性がある。
夜が来ないと、1日終わらぬヨが来ないと、貨物編成終わらぬ
東武のSL大樹で機関車の真後ろに繋がれたヨもATSユニット搭載ように改造されてますからね…
ヨ8000は今も甲種として活躍してますね。
3:22 闇落ちてww
苗穂に匹敵する変態魔改造…。
藤原文太のもう1両の愛車
ヨを忍姿・・。
ヨ8000を簡易宿泊車にしたバンガロー列車ってのがあったと思うけど、あれは網戸を貼り付けただけだったっけ?
闇オチ版は最近KATOで発売されたやつですか?
何?最後のヤツ、あれはなに?( ゜o゜)初めて見たΣ(゜Д゜)
まさに魔改造オンパレードですね。😅
正確には「貨物列車に押された」ですな
もう二十年以上前に、確かレイルマガジンだったか、相模鉄道にむかしトフに制御車機能を載せたクトフという車輌があったという記事を読んだ記憶があります、其を思い出しましたが、全てうろ覚え、鉄道会社も違ったかも、いい加減ですみません.
大昔京王にクトフ161という制御貨車がいたそうなので恐らくそれかと思います
ありがとうございます、胸のつかえがすっきりしました、魔改造や変わった車輌は大好物ですが、歳のせいか記憶の欠落が有りがちで😥
「車掌常務」ではなく、「車掌乗務」ですね。
小さい頃に遊んだNゲージの貨物車には無くてはならない名脇役ヨ8000…
刺し身のツマのような存在だけど、コレが最後尾に無いと締まりが悪くて……実車で、まさかヨ8000の魔改造車があったとは!
懐かしいヨ38000!
何十回乗ったかな?
入れ換えしてたんで。
ヨ38000の「うしろむきの●ード」感
国鉄特急色のDE10…普通にかっこいいな
東武鉄道のヨ8000「前照灯をつけた仲間がいると聞いて」
機回し出来ない線形なので推進運転の前方監視用の緩急車ですね。
苅田港対応ヨ38000、コンテナ列車50周年で門司貨物駅とか公開されたときに、まだ側線に放置されていたのを確認したのを思い出しました。
コロール=カラー
だからトリコロールで3色という意味になり、そこにカラーを付ける必要はない。
ほとんどの日本人が勘違いしているようだが。
ヨ8000は近くの住友セメントの貨物線でよく見たな。タンク車の後ろにいつもついていた印象が強い
苅田港線の分岐駅「小波瀬西工大前」の近くが亡き父の故郷でした。苅田港線が廃止の噂があった年が、亡き祖父母の初盆の年でした。でもって運転免許取り立ての時で、ヨの撮影の許可をすべく許可を願い出たら、怒られたのが良い思い出です。
最後のおみこしみたいになってるの悲し過ぎる
非常に面白い、貴重な記録の動画です。
機関車などのブレーキ性能等も上がり、80年代中頃には車掌車(ヨ)、緩急車(フ)の連結は廃止された。
緩急車の記号「フ」は「ブ」レーキ車からで、ブレーキをかける重要性がうかがわれる。
ちなみに車掌車の「ヨ」は、シャシ「ョ」ウの「ヨ」(「シ」にすると「食堂車」になってしまうから。)。ヨ太郎、夜太郎の「ヨ」ではない。
この当時は、「箱型」である電気機関車の牽引列車には、貨車の最後部に反射板をつけ、機関車に工具などを常備し、機関車の後部乗務員室に車掌が乗務することとした。
また、「凸型」であるディーゼル機関車の牽引列車の場合、乗務員室は同じ空間となるため、車掌車、緩急車の省略は見送られた。
この頃には「箱型」のディーゼル機関車は無く、夜には運転室は消灯、車掌室は点灯となるため見送られた。箱型のDF50は廃止され、同じく箱型のDF200はまだ存在していない時期である。夜間のバス等の例もあるではないか!?なんて私は思ったが。
このようにして大量の「ヨ」や「フ」の余剰車が発生した。
昔から、非電化区間や、異電源区間に電車が乗り入れる場合には、電源車を必要とした。
非電化区間である小海線へ直通する169系電車の「葉ッピーきよさと」の一部のように、牽引機であるディーゼル機関車(DD16)自体に発電機をつけた例もある。当線区は高原で冷房もあまり必要なく、連結両数も少ない時にはこれで足りる。以前の連結両数の多い時にはスハフ12を電源車として連結していた。
新幹線が東京⇔新大阪のみの頃の鹿児島本線などでは、電源車を151系電車編成の「つばめ」「はと」「かもめ」につけ、交流電化区間である九州島内には、EF30(関門トンネルのみ)とED73電気機関車牽引で乗り入れていたのは有名な話しだ。機関車牽引区間での電車の車内電源は、421系電車のパンタグラフ付電動車モハ420、3両を早期に落成させて電源車としたサヤ420を間に挟んで確保していた。
また、群馬県の長野原線(現、吾妻線)では当時非電化区間であったため、C11蒸気機関車+控車兼電源車のオハユニ71に牽引されて、153系電車が客車として運転された例や、
房総西線(現、内房線)千葉 ⇔ 館山間が非電化区間であったために、DD13ディーゼル機関車重連+電源車クハ16の牽引による153系電車の客車としての運転となった例がある。
海外でも、どこの国でもそうだが、このようなケースは、車両の運用上生じる場合があり、ほとんどの国では客車を電源車として使っている場合が多い。
日本の場合上記のほかに、福岡県大牟田の三井三池炭鉱鉄道の「電源車デ-4」(工場内では引火性の強い物質を扱う区域があるので、その区域内では専用鉄道はパンタグラフからのスパークを避けるため非電化とし、バッテリー電源車から電気機関車へ電力を供給して走行するもの。)の実例や、
電車の非電化区間乗り入れのために、電車からの前方視界を遮らない車高の低い「ディーゼルテンダー」を電車の前面へ連結し、ここから電車が自力で走行するための電気を得る、などという話しもある。
こんな時に余った「ヨ」などがあった場合に、これを改造したくなるのは人情かもしれない。
もっとも、DE10の小さい方のボンネットの中には大したものは入っていないので、ここに発電機を設けることもできうる。
また、最近めっきり増えたDD200は電気式なので、その電気の一部をサービス電源として使える可能性がある。
夜が来ないと、1日終わらぬ
ヨが来ないと、貨物編成終わらぬ
東武のSL大樹で機関車の真後ろに繋がれたヨもATSユニット搭載ように改造されてますからね…
ヨ8000は今も甲種として
活躍してますね。
3:22 闇落ちてww
苗穂に匹敵する変態魔改造…。
藤原文太のもう1両の愛車
ヨを忍姿・・。
ヨ8000を簡易宿泊車にしたバンガロー列車ってのがあったと思うけど、あれは網戸を貼り付けただけだったっけ?
闇オチ版は最近KATOで発売されたやつですか?
何?最後のヤツ、あれはなに?( ゜o゜)初めて見たΣ(゜Д゜)
まさに魔改造オンパレードですね。😅
正確には「貨物列車に押された」ですな
もう二十年以上前に、確かレイルマガジンだったか、相模鉄道にむかしトフに制御車機能を載せたクトフという車輌があったという記事を読んだ記憶があります、其を思い出しましたが、全てうろ覚え、鉄道会社も違ったかも、いい加減ですみません.
大昔京王にクトフ161という制御貨車がいたそうなので恐らくそれかと思います
ありがとうございます、胸のつかえがすっきりしました、魔改造や変わった車輌は大好物ですが、歳のせいか記憶の欠落が有りがちで😥
「車掌常務」ではなく、「車掌乗務」ですね。