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戦争だけでなく、他国を合従させない秦の外交のうまさもすごいですね。
秦国は3回合従軍を起こされてるよ1度目は張儀がうまく懐柔させ崩壊2度目はかなりやられる3度目は見せかけからの最強斉国を逆合従軍に持っていき楽毅白起廉頗らでフルボッコ後に燕国単独で莒と即墨以外全て落とされてる
@@秦国六大将軍武陵君白 某キングダムでは無視されてるが、信陵君達の合従軍にはかなり押し込まれている。高々10年前の事を誰も覚えてないキングダムの秦の朝廷はかなり無能。
廉頗から趙括への指揮官交代は目に見えた結果が出てないプロ野球の監督をパワプロ得意なプロゲーマーに交代させるようなものかな。趙の孝成王は言わば現場へのリスペクトが無くちょっとしたことで監督交代する三◯谷オーナー
毎回楽しみにしております😇
考成王はたくさん失敗を重ねたけど、成長して良い王になっていくところが好き
趙奢が息子の趙括への評価と、諸葛瑾の諸葛恪への評価が重なる・・
ただ、諸葛恪のほうが実戦で結果を出したことがあるだけにマシに見えるのは自分だけ?
@@YH-nu7wcうん、お前だけ👎
長平の戦いといえば、廉頗が更迭されてから趙兵40万が生き埋めにされるとこまでしか描かれないことが多いけど、廉頗がどれだけ秦軍を苦戦させたのか?ってところも知りたかったから今回の動画はすごく良かったです!
これだけ大規模な戦いが起きた秦と趙だけど、実は王同士は同族。どちらも嬴姓趙氏。
いやー、面白かったです。全体的に、外交で虞卿の意見を容れず早期講和に失敗したことと、軍事で焦って将軍を趙括にしたことと、負けた後になって、秦に外交工作を仕掛けたことでしょうか・・・て、ほとんど孝成王のせいやんけ。若くて未熟と言うのは、趙括もそうですが、孝成王もそういう感じですね。廉頗は負けても致命傷にならず、秦の方が焦る状況になりましたが、趙括は有利なはずの防衛戦で初手からコケて、ジタバタするもどうしようもなくなりアウト。孝成王も外交の根回しを怠って、現場での勝利に頼る状況になり、それも「はよ勝てや!」と廉頗を更迭・・・焦っているのか、やることなすこと、裏目に出ます。虞卿の言うようにしていれば、秦との早期講和に失敗しても、各国との合従に活路を見出せますし、二重三重に策を構えているか、失敗した時の保険を考えているかが、老獪と未熟の差となって表れているように思います。趙奢が趙括を机上の兵法だから将軍にするなと言ったのも、こういうところを危惧したのかもしれません。
廉頗交代が批判されるけど対峙が3年に及んでこれ以上持久戦が続けるのが難しいくらい趙の食糧事情が悪くなっていたことが考慮されていないよな戦争は戦術だけじゃないというのに
ジリ貧負けしてた説がでてたよね
趙括の母のエピソードを入れてもらってるのはよかったです。でも流言によって楽毅の代わりに騎劫に変わった後に大敗し、その楽毅は趙へ亡命してるのに亡命した趙で同じ手口?の流言によって廉頗から趙括に変わって大敗するって何の因果か・・・ちなみに自分は大敗の原因は趙括を最終的に任命した孝成王にあると思ってます。
秦は将軍も宰相も王も優れているよね。趙軍を包囲した白起の後巻きに昭襄王(昭王)自ら出撃するなんて、気合いの入り方から戦局眼から、趙とは雲泥の差だよな。この戦いで趙の人的資源は涸れてしまった。邯鄲を落とし、趙を滅ぼそうとする白起の作戦は正しかったろうが、あまりにも趙人のヘイトを買いすぎてしまった点に、昭襄王と范雎は恐れを成したのかも。
天下統一を目指すのならば捕虜の兵士は趙に送り返すべきやったかもな。例え敵として返ってくるとわかっていたとしても半端なヘイトが買うよりマシやろうな
@@石塚大吾-q7t それは無い過ぎた虐殺は恐怖に変わり平清盛が源頼朝を生かした時は逆に攻め滅ぼされた敵は根絶やしにするそれが白起白起像をより磐石にしてこそ中華統一がなせると
それはないっておっしゃいますがではなぜ項羽は劉邦に破れたのでしょう?董卓も滅ぼされました一般兵や民衆を生かすのと、総大将を生かすのとは別では?頼朝の例ならば、例として適切なのは呉越では?
趙括は最後に兵をまとめて突撃して死んだ、つまりある程度統率取れていたわけだから経験さえ積めばそれなりにはなったと思う。それなりになっても白起さんに勝てるかと言われればそうじゃないけど
多分実績積んでも諸葛郭のようになるだけだと思う
諸葛格やった(汗)誤爆
長平の戦いは中国ドラマ昭王大秦帝国の夜明け、で動画として見れますね。白起はカッコイイんです。ただ平原君が凄く悪く描かれているんですよね。
長平の戦いの結果は孝成王の責任でも平原君の責任でも趙括の責任でもない秦が上手すぎたのだ!強すぎたのだ!
政治家、外交官、軍人の三者が信頼しあってこそ、大きな戦果を得るのだ。
戦争は全部を持ち出して戦うからな軍事技術なんて本当はないんだ全て使うから
兵を生き埋めにしたというエピソードですが、なんとなく秦の悪行を印象付けるた為に味付け過多にしたんじゃないかなという気は昔からしていました。この後始皇帝による焚書坑儒でも生き埋めエピソード出てきますよね?生き埋め好きだな秦って国は。
そして項羽が秦兵20万を生き埋めにすると秦だって長平で40万生き埋めにしたじゃねーかと言い返されると
いくら王が残念な奴でも、ルーキーをいきなり日本シリーズに先発させるようなことをするとは思えないので、ある程度は小競り合いとかの経験はあると思うんだがな。分かりやすく初陣と話を盛っているが。
大炎上でよくネタにされる西武の俺達ですら、敗戦処理やらはちゃんとやれてるから…。なお、ごく稀に上原や松坂のような超がつくスーパールーキーはいたりします。
「頼んじゃぞ」って日本語としては何か不自然に感じるw
失敗することに定評がある平原君だーでも嫌でも秦と戦うはめになるから難しいね白起という化け物が悪いんやまあこの戦いが原因で始末されるけど
趙は優秀な臣下を誅殺する事に定評があるからね。讒言は聞き諫言は聞かない。まともなのは恵文王が最後だと言っても良い。廉頗は戦を知り尽くしてる名将。代えた時点でない。そして李牧も趙最後の犠牲者となる。
秦も趙も総動員掛けてるから領内隙だらけなはずだが他国がソレに突け込まなかったのは諜報能力が低いのか?それとも相討ちで疲弊するのを待っていたのか?
昭王は後の始皇帝の様に天下統一してその後の中華を考えて居たのでしょうか?それとも只単に自分の領地を少しでも大きく増やしておきたかっただけなのでしょうか?
恵文王が45歳前後で没したのが趙にとって一番の不幸だったんだろうなあ…孝成王は生年不詳のため長平の戦いの際に年齢が幾つであったのか不明だけど、親父が対秦政策で苦慮してるのを見てなかったのかそれとも見てたとしても何も感じなかったのか…私見だけど仮に白起が長平の戦いの勝利の余波のまま邯鄲を攻め落としたとしても昭襄王の代で秦の中華統一を成せたとは思えないですねそれこそまず攻め滅ぼした趙の土地を秦の国土として円滑に運営するまで時間が掛かり過ぎて昭襄王の余命が先に尽きたのでは?思います
趙括って、現代ならスタバでカタカタパーン!やってそう
よく馬謖と並べてネタにされるけどあの白起に一矢報いた(かもしれない)とか、趙括さんサイドには一緒にして欲しくない事情も多いようですね。
趙にとっては不運が重なりましたね、前君主が死去し、藺相如は病で往年の勢いは無く、趙括がほんの少しでも廉頗に敬意を持っていたらと考えると…結果論にはなりますが、負ける時というのは、様々な事が重なるものだなと改めて感じさせられました🤔
上党の太守役、なかなかの漢でしたね😓キャラは何を使ったんでしょうか😅
後任太守の馮亭は犬走椛ですね。なお前任の靳黈はルーミアです。
@@jodasow 様ありがとうございます。
某英雄伝説でいうと、アスターテ会戦前の会見時、フォーク准将(趙括)に対し”前線に出てみろや”と怒鳴ったビュコック提督(廉頗)が、トリューニヒト国防委員長(恵文王)に「それ面白いな、やってみろ」といわれラインハルト(白起)相手に、前線で戦うことになるという事か…(実際の小説ではてんかんの発作を起こして、フォーク准将は予備役に更迭されるんだけどね。)
アムリッツア会戦じゃないですかね。それとトリューニヒトは出兵には反対してましたので別の人にした方がいいかもしれません
@@herohero867 すみません、アムリッツァ会戦でしたm(__)mならば、恵文王はロボス元帥かな?
趙括は初陣でラスボスを相手にしたんだからな人材育成しなかった王が悪いかのアメリカ初代大統領ワシントンだって初戦では傲慢で支持されず、部下の意見を聞かず、ベテランの更迭を行ない、大敗北をしたわけでもし十分に育成されていれば歴史の名を残す将になれた可能性があるだけに王の罪は重い
寧ろ、似てるのは馬謖さんでしょ。基本的な知識は相当なもので経験積む機会さえ有れば十分に成長したと思いますね。只、初陣で絶対勝てない大物相手にした事が不運。レベル10程度の初陣ではそこそこ優秀程度の人が、レベル60代のラスボスクラス相手にしてしまった。レベルが違い過ぎると、実力差すら見えない。
飢えた人が戦う⁈、無理ですね。空想でなく、自分で体験したら分かる。
それまでして守った地位なのに范雎は、ひょっこり現れた才人のアドバイスに従いさっさと引退しているいやいや、だったら。。
200年戦争してるのに40万も兵を動員できる人口が趙にいるわけがない
斉に桓公や威王の頃の甲斐性が半分でもあればな、、、
どの時代も人材を大切にする国が勝つな当初は魏国の諸子百家次に斉国秦国最後に燕国隗より始めよときて秦国韓非子李斯結局李斯はどうなんだろうね国を滅ぼす奸臣なのか法律を作った英雄なのか
@@秦国六大将軍武陵君白 李斯がどの様な人物なのかについてまず考察してみましょう立身出世のきっかけになったネズミの話は御存じでしょうか?同じネズミでも便所に住むか穀物倉庫に住むかで生き方が変わるってヤツです楚で郡の役人になりましたがネズミを見て秦以外の六国では更なる功を立てる事が困難だと気付いてしまったので荀子の元で帝王学を学び秦で呂不韋の食客になりました李斯は権力欲が強い人間であるのは間違いありません・離間策を多く採用し敵を弱らせる・嬴政に鄭国を追放させてから逐客令の撤回をさせる・嬴政に韓非子を読ませ感動させてから韓非を会わせる(韓非子を妬んで嬴政にバレないよう韓非は自殺させた)・法の整備など国内を引き締め封建性に反対・7国バラバラだった度量衡、文字、貨幣の統一・焚書坑儒など自分の献策に余計な事を言うヤツの思想弾圧・本人は秦の最高位に昇りつめ息子たちには嬴政の公女を娶る三つ子の魂百までとかよく言いますが李斯だってそうですなんやかんやあっても上昇志向ではあるので(やり方が正しいかは知らんけど)嬴政の存命中は李斯は奸臣ではなく忠臣であったと言えます当然嬴政が死んだ時点で自分も引退しておけば趙高なんかに殺されることもなかったでしょうが保身に走ってしまったので趙高に嵌められ自業自得かなと思います李斯の欲で自滅したって感じ?趙高は中華史上最悪な奸臣の代表w
@@phoenityan なるほどね、意識高い系のサラリーマンが出世街道を登りつめて頂上まできたら今度は降りるに降りれなくなった成れの果てってことねそれは忠臣だ曹操も乱世の奸雄治世の能臣って言われるから環境時代立場によって悪にもなれば善にもなるんだね日本では織田信長の死後豊臣秀吉が権力を手にしたのと近いけど信長は一地方の主ではあったものの王様天皇では無いから政権交代も大した摩擦が起こらなかったのか
40万也是有可信度的,史記記載,長平之戰后趙國幾乎每個家庭都丈夫或者兒子戰死。秦國在包圍趙軍以後為了戰爭勝利,甚至要求國中16-60歲左右的男丁全部上前線。這是兩國拼盡全力的大決戰。
孝成王には正邪入り組んで色々な意見を聞いた上で、判断を下していったわけだから最大の責任は構成王にあるでしょう。平原君の意見も孝成王が取り上げなければ問題ないわけですから。趙括は……まぁ、秦が白起将軍を出さずとも王齕将軍のままでも負けてたでしょうね。漫画のキングダムでは別人として書かれてましたが王騎将軍と同一人物説もある将軍ですし。キングダム基準で初戦の相手が白起将軍OR王騎(王齕)将軍とか無理ゲーにもほどがありますよね。生き延びてたら自戒からの覚醒にワンチャンあったかなあ……
白起こえぇw
>GAME:Tree Simulator 2021つべの判定が怖いんだけど
でも白起ってたしか40万人の人を生き埋めにしたから結構残酷。それに白起は強すぎたゆえに処刑されてしまったんですよね。
元凶は靳黈なのでは?
腸活は空論
まるで現在の隣国
最大に戦犯は平原君
及びそれを取り上げた孝成王も。
一番の大戦犯は趙括!
历史有夸大成分,没有40万应该是不到十万
戦争だけでなく、他国を合従させない秦の外交のうまさもすごいですね。
秦国は3回合従軍を起こされてるよ
1度目は張儀がうまく懐柔させ崩壊
2度目はかなりやられる
3度目は見せかけからの最強斉国を逆合従軍に持っていき楽毅白起廉頗らでフルボッコ
後に燕国単独で莒と即墨以外全て落とされてる
@@秦国六大将軍武陵君白
某キングダムでは無視されてるが、信陵君達の合従軍にはかなり押し込まれている。高々10年前の事を誰も覚えてないキングダムの秦の朝廷はかなり無能。
廉頗から趙括への指揮官交代は目に見えた結果が出てないプロ野球の監督をパワプロ得意なプロゲーマーに交代させるようなものかな。
趙の孝成王は言わば現場へのリスペクトが無くちょっとしたことで監督交代する三◯谷オーナー
毎回楽しみにしております😇
考成王はたくさん失敗を重ねたけど、成長して良い王になっていくところが好き
趙奢が息子の趙括への評価と、諸葛瑾の諸葛恪への評価が重なる・・
ただ、諸葛恪のほうが実戦で結果を出したことがあるだけにマシに見えるのは自分だけ?
@@YH-nu7wcうん、お前だけ👎
長平の戦いといえば、廉頗が更迭されてから趙兵40万が生き埋めにされるとこまでしか描かれないことが多いけど、
廉頗がどれだけ秦軍を苦戦させたのか?ってところも知りたかったから
今回の動画はすごく良かったです!
これだけ大規模な戦いが起きた秦と趙だけど、実は王同士は同族。どちらも嬴姓趙氏。
いやー、面白かったです。
全体的に、外交で虞卿の意見を容れず早期講和に失敗したことと、軍事で焦って将軍を趙括にしたことと、負けた後になって、秦に外交工作を仕掛けたことでしょうか・・・て、ほとんど孝成王のせいやんけ。
若くて未熟と言うのは、趙括もそうですが、孝成王もそういう感じですね。
廉頗は負けても致命傷にならず、秦の方が焦る状況になりましたが、趙括は有利なはずの防衛戦で初手からコケて、ジタバタするもどうしようもなくなりアウト。孝成王も外交の根回しを怠って、現場での勝利に頼る状況になり、それも「はよ勝てや!」と廉頗を更迭・・・焦っているのか、やることなすこと、裏目に出ます。
虞卿の言うようにしていれば、秦との早期講和に失敗しても、各国との合従に活路を見出せますし、二重三重に策を構えているか、失敗した時の保険を考えているかが、老獪と未熟の差となって表れているように思います。
趙奢が趙括を机上の兵法だから将軍にするなと言ったのも、こういうところを危惧したのかもしれません。
廉頗交代が批判されるけど対峙が3年に及んでこれ以上持久戦が続けるのが
難しいくらい趙の食糧事情が悪くなっていたことが考慮されていないよな
戦争は戦術だけじゃないというのに
ジリ貧負けしてた説がでてたよね
趙括の母のエピソードを入れてもらってるのはよかったです。
でも流言によって楽毅の代わりに騎劫に変わった後に大敗し、その楽毅は趙へ亡命してるのに
亡命した趙で同じ手口?の流言によって廉頗から趙括に変わって大敗するって何の因果か・・・
ちなみに自分は大敗の原因は趙括を最終的に任命した孝成王にあると思ってます。
秦は将軍も宰相も王も優れているよね。趙軍を包囲した白起の後巻きに昭襄王(昭王)自ら出撃するなんて、気合いの入り方から戦局眼から、趙とは雲泥の差だよな。
この戦いで趙の人的資源は涸れてしまった。邯鄲を落とし、趙を滅ぼそうとする白起の作戦は正しかったろうが、あまりにも趙人のヘイトを買いすぎてしまった点に、昭襄王と范雎は恐れを成したのかも。
天下統一を目指すのならば捕虜の兵士は趙に送り返すべきやったかもな。例え敵として返ってくるとわかっていたとしても半端なヘイトが買うよりマシやろうな
@@石塚大吾-q7t それは無い過ぎた虐殺は恐怖に変わり
平清盛が源頼朝を生かした時は
逆に攻め滅ぼされた
敵は根絶やしにするそれが白起
白起像をより磐石にしてこそ中華統一がなせると
それはないっておっしゃいますが
ではなぜ項羽は劉邦に破れたのでしょう?
董卓も滅ぼされました
一般兵や民衆を生かすのと、総大将を生かすのとは別では?
頼朝の例ならば、例として適切なのは呉越では?
趙括は最後に兵をまとめて突撃して死んだ、つまりある程度統率取れていたわけだから経験さえ積めばそれなりにはなったと思う。
それなりになっても白起さんに勝てるかと言われればそうじゃないけど
多分実績積んでも諸葛郭のようになるだけだと思う
諸葛格やった(汗)誤爆
長平の戦いは中国ドラマ昭王大秦帝国の夜明け、で動画として見れますね。白起はカッコイイんです。ただ平原君が凄く悪く描かれているんですよね。
長平の戦いの結果は孝成王の責任でも平原君の責任でも趙括の責任でもない
秦が上手すぎたのだ!強すぎたのだ!
政治家、外交官、軍人の三者が信頼しあってこそ、大きな戦果を得るのだ。
戦争は全部を持ち出して戦うからな軍事技術なんて本当はないんだ全て使うから
兵を生き埋めにしたというエピソードですが、なんとなく秦の悪行を印象付けるた為に味付け過多にしたんじゃないかなという気は昔からしていました。この後始皇帝による焚書坑儒でも生き埋めエピソード出てきますよね?生き埋め好きだな秦って国は。
そして項羽が秦兵20万を生き埋めにすると秦だって長平で40万生き埋めにしたじゃねーかと言い返されると
いくら王が残念な奴でも、ルーキーをいきなり日本シリーズに先発させるようなことをするとは思えないので、ある程度は小競り合いとかの経験はあると思うんだがな。分かりやすく初陣と話を盛っているが。
大炎上でよくネタにされる西武の俺達ですら、敗戦処理やらはちゃんとやれてるから…。
なお、ごく稀に上原や松坂のような超がつくスーパールーキーはいたりします。
「頼んじゃぞ」って日本語としては何か不自然に感じるw
失敗することに定評がある平原君だー
でも嫌でも秦と戦うはめになるから難しいね
白起という化け物が悪いんや
まあこの戦いが原因で始末されるけど
趙は優秀な臣下を誅殺する事に定評があるからね。
讒言は聞き諫言は聞かない。
まともなのは恵文王が最後だと言っても良い。
廉頗は戦を知り尽くしてる名将。
代えた時点でない。
そして李牧も趙最後の犠牲者となる。
秦も趙も総動員掛けてるから領内隙だらけなはずだが他国がソレに突け込まなかったのは諜報能力が低いのか?それとも相討ちで疲弊するのを待っていたのか?
昭王は後の始皇帝の様に天下統一してその後の中華を考えて居たのでしょうか?それとも只単に自分の領地を少しでも大きく増やしておきたかっただけなのでしょうか?
恵文王が45歳前後で没したのが趙にとって一番の不幸だったんだろうなあ…
孝成王は生年不詳のため長平の戦いの際に年齢が幾つであったのか不明だけど、
親父が対秦政策で苦慮してるのを見てなかったのかそれとも見てたとしても何も感じなかったのか…
私見だけど仮に白起が長平の戦いの勝利の余波のまま邯鄲を攻め落としたとしても昭襄王の代で秦の中華統一を成せたとは思えないですね
それこそまず攻め滅ぼした趙の土地を秦の国土として円滑に運営するまで時間が掛かり過ぎて昭襄王の余命が先に尽きたのでは?思います
趙括って、現代ならスタバでカタカタパーン!やってそう
よく馬謖と並べてネタにされるけど
あの白起に一矢報いた(かもしれない)とか、
趙括さんサイドには一緒にして欲しくない事情も多いようですね。
趙にとっては不運が重なりましたね、前君主が死去し、藺相如は病で往年の勢いは無く、趙括がほんの少しでも廉頗に敬意を持っていたらと考えると…
結果論にはなりますが、負ける時というのは、様々な事が重なるものだなと改めて感じさせられました🤔
上党の太守役、なかなかの漢でしたね😓
キャラは何を使ったんでしょうか😅
後任太守の馮亭は犬走椛ですね。なお前任の靳黈はルーミアです。
@@jodasow 様
ありがとうございます。
某英雄伝説でいうと、アスターテ会戦前の会見時、
フォーク准将(趙括)に対し”前線に出てみろや”と怒鳴ったビュコック提督(廉頗)が、
トリューニヒト国防委員長(恵文王)に「それ面白いな、やってみろ」といわれ
ラインハルト(白起)相手に、前線で戦うことになるという事か…
(実際の小説ではてんかんの発作を起こして、
フォーク准将は予備役に更迭されるんだけどね。)
アムリッツア会戦じゃないですかね。それとトリューニヒトは出兵には反対してましたので別の人にした方がいいかもしれません
@@herohero867
すみません、アムリッツァ会戦でしたm(__)m
ならば、恵文王はロボス元帥かな?
趙括は初陣でラスボスを相手にしたんだからな
人材育成しなかった王が悪い
かのアメリカ初代大統領ワシントンだって初戦では傲慢で支持されず、部下の意見を聞かず、ベテランの更迭を行ない、大敗北をしたわけで
もし十分に育成されていれば歴史の名を残す将になれた可能性があるだけに王の罪は重い
寧ろ、似てるのは馬謖さんでしょ。基本的な知識は相当なもので経験積む機会さえ有れば十分
に成長したと思いますね。
只、初陣で絶対勝てない大物相手にした事が不運。レベル10程度の初陣ではそこそこ優秀程度の人が、レベル60代のラスボスクラス相手にしてしまった。
レベルが違い過ぎると、実力差すら見えない。
飢えた人が戦う⁈、無理ですね。空想でなく、自分で体験したら分かる。
それまでして守った地位なのに范雎は、ひょっこり現れた才人のアドバイスに従いさっさと引退している
いやいや、だったら。。
200年戦争してるのに40万も兵を動員できる人口が趙にいるわけがない
斉に桓公や威王の頃の甲斐性が半分でもあればな、、、
どの時代も人材を大切にする国が勝つな
当初は魏国の諸子百家
次に斉国秦国
最後に燕国隗より始めよ
ときて秦国韓非子李斯
結局李斯はどうなんだろうね国を滅ぼす奸臣なのか法律を作った英雄なのか
@@秦国六大将軍武陵君白
李斯がどの様な人物なのかについてまず考察してみましょう
立身出世のきっかけになったネズミの話は御存じでしょうか?
同じネズミでも便所に住むか穀物倉庫に住むかで生き方が変わるってヤツです
楚で郡の役人になりましたがネズミを見て秦以外の六国では
更なる功を立てる事が困難だと気付いてしまったので
荀子の元で帝王学を学び秦で呂不韋の食客になりました
李斯は権力欲が強い人間であるのは間違いありません
・離間策を多く採用し敵を弱らせる
・嬴政に鄭国を追放させてから逐客令の撤回をさせる
・嬴政に韓非子を読ませ感動させてから韓非を会わせる
(韓非子を妬んで嬴政にバレないよう韓非は自殺させた)
・法の整備など国内を引き締め封建性に反対
・7国バラバラだった度量衡、文字、貨幣の統一
・焚書坑儒など自分の献策に余計な事を言うヤツの思想弾圧
・本人は秦の最高位に昇りつめ息子たちには嬴政の公女を娶る
三つ子の魂百までとかよく言いますが李斯だってそうです
なんやかんやあっても上昇志向ではあるので(やり方が正しいかは知らんけど)
嬴政の存命中は李斯は奸臣ではなく忠臣であったと言えます
当然嬴政が死んだ時点で自分も引退しておけば
趙高なんかに殺されることもなかったでしょうが
保身に走ってしまったので趙高に嵌められ自業自得かなと思います
李斯の欲で自滅したって感じ?趙高は中華史上最悪な奸臣の代表w
@@phoenityan なるほどね、意識高い系のサラリーマンが出世街道を登りつめて頂上まできたら今度は降りるに降りれなくなった成れの果てってことね
それは忠臣だ
曹操も乱世の奸雄治世の能臣
って言われるから
環境時代立場によって悪にもなれば善にもなるんだね
日本では織田信長の死後豊臣秀吉が権力を手にしたのと近いけど
信長は一地方の主ではあったものの王様天皇では無いから
政権交代も大した摩擦が起こらなかったのか
40万也是有可信度的,史記記載,長平之戰后趙國幾乎每個家庭都丈夫或者兒子戰死。
秦國在包圍趙軍以後為了戰爭勝利,甚至要求國中16-60歲左右的男丁全部上前線。這是兩國拼盡全力的大決戰。
孝成王には正邪入り組んで色々な意見を聞いた上で、判断を下していったわけだから最大の責任は構成王にあるでしょう。
平原君の意見も孝成王が取り上げなければ問題ないわけですから。
趙括は……まぁ、秦が白起将軍を出さずとも王齕将軍のままでも負けてたでしょうね。
漫画のキングダムでは別人として書かれてましたが王騎将軍と同一人物説もある将軍ですし。
キングダム基準で初戦の相手が白起将軍OR王騎(王齕)将軍とか無理ゲーにもほどがありますよね。
生き延びてたら自戒からの覚醒にワンチャンあったかなあ……
白起こえぇw
>GAME:Tree Simulator 2021
つべの判定が怖いんだけど
でも白起ってたしか40万人の人を生き埋めにしたから結構残酷。それに白起は強すぎたゆえに処刑されてしまったんですよね。
元凶は靳黈なのでは?
腸活は空論
まるで現在の隣国
最大に戦犯は平原君
及びそれを取り上げた孝成王も。
一番の大戦犯は趙括!
历史有夸大成分,没有40万应该是不到十万