【ゆっくり歴史解説】晋陽の戦い『趙・魏・韓の独立と戦国時代の始り』

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 25 окт 2024

Комментарии • 22

  • @一柳和明-n9j
    @一柳和明-n9j Год назад

    昔見たけど、最近宮城谷さんの「重耳」「沙中の回廊」「管仲」読んだから、また見直しました。

  • @w_blue
    @w_blue 3 года назад +5

    銅が足りない、どうしよう

  • @my-eg8ge
    @my-eg8ge 3 года назад +2

    中国のどの書物か失念しましたが「崩そうと思えば積み上げさせればよく、倒そうと思えば高々と掲げさせればよい」という言葉がありますが、智伯がまさにそうなりましたね。

  • @士会雄樹
    @士会雄樹 3 года назад +9

    晋が滅亡した時点で春秋時代が終わった感じがする。
    春秋の超大国晋が消えたのだから。

    • @knak8040
      @knak8040 3 года назад +1

      秦の統一の手助けになってしまった感はあります。

  • @shion-akechi
    @shion-akechi 3 года назад +1

    『春秋左氏伝』の最後が「自分をブサメン扱いした人をやっつける」というすごい展開だとは…。

  • @hageoyaji4347
    @hageoyaji4347 3 года назад +1

    待ってました。晋陽城の戦いは、春秋・戦国時代の中に於いては「呉越の戦い」「魏と秦の覇権争い」に並ぶ時代を変える事件だと思っています。時代背景やストーリー的にもドラマティックで興味があります。また管仲、孫子、楽毅、商鞅、始皇帝等が時代を変えた人物だと思っています。

  • @阿修羅猫
    @阿修羅猫 3 года назад +2

    智伯はあと一歩で大失敗してしまったなぁ

  • @戸田賢司
    @戸田賢司 2 года назад +1

    趙って何故か毎回籠城する。何故か勝つから続いたわけだが。

  • @2ytku723kp
    @2ytku723kp 3 года назад +3

    張(趙?どっちだろ?)孟談の引退の話を知らなかった
    もしかしたら范蠡であるとか過去の賢人達の成功と失敗の逸話を知ってて身を引いたのかも?

  • @kappanouen
    @kappanouen 3 года назад

    3:18~】ここでいう『常山』って
    『孫子』に出てくる「常山の蛇(率然)」の『常山』や三国志の趙雲の出身地『常山』とそれぞれ同じ『常山』なんですかね?(詳しい人教えて>

    • @mocchi2643
      @mocchi2643 3 года назад +4

      ここでいう常山は現在の山西省にある山。「常山の蛇勢」の常山も同じ山を示すけど趙雲の出身地の常山郡は現在の河北省石家荘市で別の場所。但し戦国時代には常山郡に常山も含まれていたと推察されている。

    • @kappanouen
      @kappanouen 3 года назад

      @@mocchi2643 なるほど😃
      ありがとうございます😊✨

  • @hirosat5269
    @hirosat5269 3 года назад +5

    趙いっつも子供食ってるな・・・。

  • @宴は終わったが
    @宴は終わったが 3 года назад

    私は古代中国史には詳しくないですが、智伯の態度はズデーテンドイツの割譲を要求し、その上チェコを武力で併合した上、ポーランドにダンツィヒの割譲とポーランド回廊の通行権の主張をし、拒絶されてポーランド侵攻をしたアドルフ・ヒトラーのやり方とどこが違うのかと思いました。
    時代は古代、近代と違う、場所も西洋と東洋と異なりますが、人間のやることですからやはり同じなのでしょうか。まあ智伯は失敗し(というか正確には趙・魏・韓の思惑を見抜けなかったのですが)、ヒトラーはこの時は成功をしたのですが(もっともヒトラーも領土的野心、占領された地域の民衆反乱、連合軍の総攻撃によって最後は滅んだ意味では同じですか)

    • @RI-sp8nv
      @RI-sp8nv 3 года назад +3

      智伯は確かに野心家だけどヒトラー程度の器の小物なら中国史上屈指の刺客豫譲があそこまでしないんだなあ・・・

    • @スリーリングス
      @スリーリングス 3 года назад +2

      @@RI-sp8nv
      やはり、このあたりも「歴史は勝者によって書かれたもの」の法則が適用されてる気がします。史書だからといって、それを書いた人間の立場を考慮せずに鵜呑みにはできませんからね。個人的に、智伯は殷の紂王のように、悪行をカリカチュアされて、必要以上に喧伝されたのだと思います。豫譲の逸話は、勝者のプロパガンダから漏れて伝わった話ではと思ってます。

    • @RI-sp8nv
      @RI-sp8nv 3 года назад +3

      @@スリーリングス 春秋時代の各国共通の課題である
      『(君主権に対して)貴族(卿・大夫)の力が強すぎる』を智伯はよく理解していて(お前が言うな・・・というカンジですが笑)自分が権力を握った段階で晋の他の貴族の力をなんとか削ごうとしていたんでしょうね
      無論上記の通り他の貴族からすれば『おま言う』な話で
      その恨みが趙・韓・魏を結束させてしまい晋は国家権力の統一に完全に失敗(最終的に三家は正式に晋より分裂)する結果となってしまいましたね

  • @ぼんくら-l7g
    @ぼんくら-l7g 3 года назад +1

    自分が領土割譲しろって言っといて、二人を信用してるって感覚が分からない…
    暴力で屈した相手は連合してでも上回る暴力を得れるなら、そりゃ裏切ると思う
    裏切る以前に初めから信用で成り立つ関係でもないか