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30年位前から司馬氏宮城谷氏等の影響で春秋戦国中心に中国古代史に取り付かれ戦国策、史記、資治通鑑やら読み漁ってました。主の動画は周辺事情を織り込んだ深い考察もあり切り口に驚かされる事が多々あり会話場面など東方キャラで発言者が判断しやすくとても面白く、また内容も記載にほぼ忠実なので大変勉強になります。ピンポイントで自分の好きな分野を取り上げてもらい非常に嬉しいです。ネタが尽きるまで頑張ってくださいw^^v
何時も楽しく拝見させていただいています。この31年後に邯鄲は陥落してそれが趙の滅亡とされますが(代を除いて)、その時も籠城戦になったようです。そちらの戦いでも邯鄲城内は同じような事態になったであろうにその戦いがほとんど語られないのは、本当の歴史を知るのは難しいなとつくづく思います。
平原君は失敗を反省できる指導者だったから最終的に道を過たずにできた。李談の例は流石ですね☹️チルノールーミアコンビでこの二傑、胸熱🥺
今回も熱かったです!マンガだと「達人伝」のところですよね!!めちゃ熱い人間が溢れ出てて最高でした!!また続きを拝見したいです!いつもありがとうございます!
李談の「生きて帰る必要はないのだー」には、何度見ても何とも言えない感動を覚える。。。。
決死隊は、家族が長平や今回の籠城で亡くなって、秦に一矢報いたい人がほとんどだろうな。
堺動画チャネルさんのCM最高です墨攻も大好きこの瞬間だけは人っていいなと思える
平原君は道にいる誰も知らぬものの言葉を聞くことができ自らの過ちを認め反省し必要あれば自らの財産を全て差し出すことができ恥を受け入れる度量があり天下で笑われようとも国のために尽くせる真の人だと思う
史記のエピソードは基本偉人達の功績が書かれているけど平原君だけは「ちょっと駄目なところがあるけど、キチンと反省できる上司」が描かれていて「ああ、こういう人いるよなー」みたいな感じが出ているので、平原君が偉人という感じがしないんですよね。
平原君は諫言を素直に聞き入れる人だったのですね。
平原君はエピソード的には失敗、反省、そして色々対処を誤って食客や他の君子に見限られてしまうようなとこもあるけど憎めないのよね。突出した才能や、いつでも公平に分け隔てなく、という超人タイプではないけど、なぜか有能な士が集まってくる。ちょっと駄目だけど見捨てられない、という雰囲気を醸し出していたのかもwそして時と場を与えられたら奮戦し、下々の者の意見も取り入れる。彼は凡人寄りだが、精いっぱい自分のできることをやった人という印象が強いなあ。
平原君と毛遂の故事は嚢中之錐(のうちゅうのきり:すぐれた才能をもつ人は、凡人の中に混じっていても、自然とその才能が目立ってくるということ。)という四字熟語で知られていますね。
毛遂先生が何故それまでパッとしなかったのか、功績を挙げた後の態度に出ているような気がしました😅それはともかく、長平の戦いで完膚無きまでに叩きのめされた趙ですが、さすがに意地を見せましたね!ただ、いつの世でも同じだと思いますが、弱い方(秦以外の6ヶ国)が一致団結すれば、秦にも抵抗できるのに、不思議と内輪揉めしちゃうんですよね💦そしてその結果最後はみんな滅亡してしまう、歴史から学べる部分だなぁと思いました🤔
曹操と戦ったときの袁紹の息子たちと同じレベルw
物語や人物が濃密なシーンですき
李談かわゆすwww
邯鄲防衛戦に関する多くのエピソードをひとつにしてくださったのですね!わかりやすく大ボリュームです!!邯鄲は、平原君や李牧がいる間は、難攻不落の城で、各国のさまざまな物語が展開されましたが、逆に秦末期には、章邯に徹底的に破壊されて出番なしです。しかし北で行われた鉅鹿の戦いでも、各国軍が集まっているので、当時の7カ国の中心的地域、もしくは日本の関ヶ原の様に、交通の要衝だったのでしょうか。平原君は、失敗しても周りに助けられて難関を乗り越える人物で、おそらく普段はとても人気のある人物なのでしょう。後に平原県の県令になる劉備にも少し似てると思います。(信陵君が完璧超人すぎると思いますが)
@@taaaaakaaaaa0000 様、ありがとうございます。そういえば、項羽も鉅鹿の戦いに臨むにあたって、黄河から3日分の食料しかもたなかった、とあるから、当時は1日ちょっとの距離だったのかもしれませんね。現代の地図を見たら100キロぐらい離れていそうですが。
いつもありがとうございます。平原君の全財産を餓死寸前の民衆のために差し出したというエピソード、仮に事実であれば何気に感慨を受けました。権力を握る者はしょせん己の権力維持や己の願望のためにしか権力を使わない、とシニシズムに考えがちな自分への戒めにもなればとは思います。
それが出来る人間だからこそ歴史に「良い」意味で名前が残るのでしょうね。今の政治家にも学ばせたい。
ただ、・妾の首を要求されたエピソード・後に趙を支えた一人の趙奢とのエピソード・信陵君との博徒と味噌屋を巡るエピソード等も加味して考えるべきかと……
エピソード盛り沢山!やはり長平の戦いから間をおいた事がいけなかったのかと。趙にも意地があるもんね。宮城谷昌光さんの影響で、范雎が贔屓。いつか取り上げて下さると嬉しいです、閑話休題。
李談がいなかったら落とされてたかもな…
孝成王は長平の逸話からダメ王と思われているが、援軍ありとはいえ、長い籠城の後に首都を守り抜いたのは中々のカリスマだな。
中華史は分からないけど「塩辛にする」という例えって、すごい表現だね!
例えではなく、古代中国では本当にやってたんですよ…塩辛にされた人物は他にも楚漢戦争時代の彭越なんかも塩辛にされました
今回のサムネまじ好き
自分は横山先生の史記を読んだのに、長平の戦い→邯鄲戦が連続している事にしばらく気が付きませんでした。戦国末期のエピソードは密度が高いので時間帯が近いことが多いですが、それぞれが独立したエピソードとして扱われるので気が付きにくいですよね。
ナズーレンが毛遂先生😅袋の中の錐どころか、袋の中の核兵器でしたね☹️
投稿ありがとうございます。漫画「墨攻」で主人公が籠城指揮した小城を包囲していた趙軍が撤退した原因となった戦いでしょうか。
墨攻って漫画化されてたんですか、墨子の兼愛の解釈に疑問のある職人礼賛小説で面白かった記憶があります。
個人的には毛遂のような腹蔵なく、耳に痛いような言葉を言ってくれるような人こそありがたく感じます。とはいえ、古代中華の人は体面を重んじる傾向が強く、趙が弱っている時期にあり宮仕えすれば内紛のもととなりかねないと考えたのが推挙されなかった理由なのかな、と。平原君もそのあたり事情を考慮していたとすればやはり非凡な人選眼であったと思います。
人肉を炊くほど過酷な籠城戦を戦っていた邯鄲城内で敵国の王族として始皇帝が誕生している。なんて過酷でドラマチックなんだろう!鳥肌立った!
達人伝みてるからタイムリーで助かった
李談は主人公を食う活躍をしてましたね。
冬の籠城戦、、、キツかったなぁ
平原君の妻=信陵君の姉。この人も地味に歴史に影響を与えてるな。
毛遂は一言多いっていうか、この時代の食客はこれくらい強気に何でも言わないと職にありつけない時代だったということではないかと。
連覇さんは、当時はまだ趙にいたわけだが、この時に何をしてたのかはよく分からないな。
毛遂先生だ!
ヤッパリ、日本人の琴線に触れる人間ドラマが多かったのは春秋・戦国時代ですね。秦・漢・三国時代を経て宋に至りドンドン薄まり、近くなるほど見る影も無くなり、現在の共産党帝国に至っては、皇帝から庶民まで建前だけで腐りきってますからね。
それも歴史の中の一部でしょう。
@@士会雄樹 さんへ南宋以降も国士たらんとする人間がいなかった訳では無いが、富と権力のためには裏切り・騙し討ちの奸計を駆使して恥ずべき所も無い星の数ほどいる佞臣・奸臣たちと、それらにかしずかれた暴君・愚帝の前ではあまりにも貧弱。清朝が明の体制のコピーで有るように、文化も政治体制も過去の劣化コピーに成り果ててしまった。そして、それまでの皇帝たちの粛清・虐殺が稚児のお遊戯のように見える毛沢東が出現した。政策の過ちという部分もあるが、過ちに気づいた後も、過ちを認める代わりに放置し、諫めるものを殺していった。そして、5千万人とも6千万人ともいわれる国民を死に追いやった。これは、2位のスターリンをはるかにしのぎダントツのトップで、将来に毛沢東超える人間が出てくるとしたら、全面核戦争のためのボタンを押す人間しか無いと言われるほどである。土地も民も皇帝のものから、国土も国民も共産党の指導のもと存在するに置き換えただけの劣化コピー。それらの歴史には、何のロマンも感じられず、その歴史を追っていっても胃が重たくなるだけなので、鳥人間になった気分には、なれないのです。
@@音無-k5w いやそれも歴史の一部でしょうと言ってるんですが。皆が粛清・虐殺した訳では無いんですよ。そいうい一部分を見すぎているんですよ。今現在中国共産党がいると言うだけ。その歴史にロマンは感じなくてもそういう歴史もまたあると言う事。決して胃が重くなるだけではない。意味も有るよ。清などとは決して同じではない。なら今の日本にロマンなんてある?権力や自らの栄達しか考えない政府。それでもそうなった経緯には意味があるよね。
趙は常に北の国境で遊牧民と接してるから、そっちの部隊なんかを回して何とか防いだんだろうな。
彼氏が「コウラン伝 始皇帝の母」を見ているので付き合ってるんですけど、あのドラマ、政治の話なんて全然やりゃしない。期待を込めてドロドロドラマをガマンして見てるんですけど…。
この戦いでは、秦が珍しく泥縄な対応だな。やはり得意の離間の策が使えないのが響いたか。
白起はやる気だろうが、秦の方も長平ではかなり疲れてるからな。邯鄲を攻め落とすには少しは休まないと無理だろ。
毛遂「嚢が小さすぎて錐が入らなかったようですなwww」
後の始皇帝、政はこの戦いの最中に、邯鄲城内で生まれたとも言われているな。
王乞将軍も一流なのだが、何故か毎回連覇さんとか信陵君とか、敵のスーパーエースと当たってしまうツキのなさ。
邯鄲攻囲戦時もし范雎に言われて秦が兵を引かなくば、人質だった荘襄王・呂不韋や、もちろん始皇帝もいなかっただろうし。のちの世からすれば白起が長平の勢いそのまま邯鄲を攻略することが良かったかどうかはわかりませんね (白起なら多分落としたでしょうが)。
なお横山漫画史記では邯鄲攻囲時邯鄲側では「隣人の子を交換し〇して食糧とし、その骨は薪とした」という記載があるほど、攻囲戦となりました (当時親のほうが子より尊いと考えられていたため)
信陵君の活躍に目を奪われていて失念してたけどこの時、楚の軍勢は魏の領内を通過したということでいいのかな楚と趙は直接国境を接して無いわけだから
加藤清正スゲー😆
長平の時点で30年ぐらい将軍してるのに小僧呼ばわりされる白起さん。実際は60ぐらいのお爺さんだろうに。
李談は没落貴族かなにかだったのだろうか。なんの素養もない人間が三千人の指揮官として活躍できるとも思えんが。しかしなんにせよカッコイイ。
さすがに初めての実戦でこんな鮮やかに勝てないと思うのだが、信陵君ってどこで実戦を経験したんだろう。
今の政治家に必要なのは平原君みたいな度量の大きさと行動力だろうね。今の政治家って器が小さすぎて笑えるし、行動できるのが不祥事を起こすくらいだろう。
趙の関係者で、李姓の人、李談とか見たら、どうしても、李牧の一族か!?と思ってしまいます。また、秦の王陵を見ても、王翦、王騎の一族か!?と飛躍した想像をしてしまいます。中国の特によくある名字なのに、有名漫画の人気人物とつなげてしまう、ずれたファンだと実感してしまいます。
信陵君に太刀打ち出来る将軍は白起だけだからな。
実戦の経験がなく口達者、そして負けっぷりで趙括と馬謖が被る
「お前はバカだな」と言うときは例え話が普通なのに、直球で平原君を批判してる李談。
范雎は処刑された説も有るけどどうなんだろう。処刑の可能性が高いと思うけど。趙が滅亡してたら李牧は居なかったかも。
30年位前から司馬氏宮城谷氏等の影響で春秋戦国中心に中国古代史に取り付かれ戦国策、史記、資治通鑑やら読み漁ってました。
主の動画は周辺事情を織り込んだ深い考察もあり切り口に驚かされる事が多々あり会話場面など東方キャラで発言者が判断しやすくとても面白く、また内容も記載にほぼ忠実なので大変勉強になります。
ピンポイントで自分の好きな分野を取り上げてもらい非常に嬉しいです。ネタが尽きるまで頑張ってくださいw^^v
何時も楽しく拝見させていただいています。この31年後に邯鄲は陥落してそれが趙の滅亡とされますが(代を除いて)、その時も籠城戦になったようです。そちらの戦いでも邯鄲城内は同じような事態になったであろうにその戦いがほとんど語られないのは、本当の歴史を知るのは難しいなとつくづく思います。
平原君は失敗を反省できる指導者だったから最終的に道を過たずにできた。李談の例は流石ですね☹️
チルノールーミアコンビでこの二傑、胸熱🥺
今回も熱かったです!マンガだと「達人伝」のところですよね!!めちゃ熱い人間が溢れ出てて最高でした!!また続きを拝見したいです!いつもありがとうございます!
李談の「生きて帰る必要はないのだー」には、何度見ても何とも言えない感動を覚える。。。。
決死隊は、家族が長平や今回の籠城で亡くなって、秦に一矢報いたい人がほとんどだろうな。
堺動画チャネルさんのCM最高です墨攻も大好き
この瞬間だけは人っていいなと思える
平原君は道にいる誰も知らぬものの言葉を聞くことができ
自らの過ちを認め反省し必要あれば自らの財産を全て差し出すことができ
恥を受け入れる度量があり天下で笑われようとも国のために尽くせる
真の人だと思う
史記のエピソードは基本偉人達の功績が書かれているけど
平原君だけは「ちょっと駄目なところがあるけど、キチンと反省できる上司」が描かれていて
「ああ、こういう人いるよなー」みたいな感じが出ているので、平原君が偉人という感じがしないんですよね。
平原君は諫言を素直に聞き入れる人だったのですね。
平原君はエピソード的には失敗、反省、そして色々対処を誤って食客や他の君子に見限られてしまうようなとこもあるけど憎めないのよね。
突出した才能や、いつでも公平に分け隔てなく、という超人タイプではないけど、なぜか有能な士が集まってくる。
ちょっと駄目だけど見捨てられない、という雰囲気を醸し出していたのかもw
そして時と場を与えられたら奮戦し、下々の者の意見も取り入れる。彼は凡人寄りだが、精いっぱい自分のできることをやった人という印象が強いなあ。
平原君と毛遂の故事は
嚢中之錐(のうちゅうのきり:すぐれた才能をもつ人は、凡人の中に混じっていても、自然とその才能が目立ってくるということ。)
という四字熟語で知られていますね。
毛遂先生が何故それまでパッとしなかったのか、功績を挙げた後の態度に出ているような気がしました😅
それはともかく、長平の戦いで完膚無きまでに叩きのめされた趙ですが、さすがに意地を見せましたね!
ただ、いつの世でも同じだと思いますが、弱い方(秦以外の6ヶ国)が一致団結すれば、秦にも抵抗できるのに、不思議と内輪揉めしちゃうんですよね💦
そしてその結果最後はみんな滅亡してしまう、歴史から学べる部分だなぁと思いました🤔
曹操と戦ったときの袁紹の息子たちと同じレベルw
物語や人物が濃密なシーンですき
李談かわゆすwww
邯鄲防衛戦に関する多くのエピソードをひとつにしてくださったのですね!わかりやすく大ボリュームです!!
邯鄲は、平原君や李牧がいる間は、難攻不落の城で、各国のさまざまな物語が展開されましたが、逆に秦末期には、章邯に徹底的に破壊されて出番なしです。しかし北で行われた鉅鹿の戦いでも、各国軍が集まっているので、当時の7カ国の中心的地域、もしくは日本の関ヶ原の様に、交通の要衝だったのでしょうか。
平原君は、失敗しても周りに助けられて難関を乗り越える人物で、おそらく普段はとても人気のある人物なのでしょう。後に平原県の県令になる劉備にも少し似てると思います。(信陵君が完璧超人すぎると思いますが)
@@taaaaakaaaaa0000 様、ありがとうございます。そういえば、項羽も鉅鹿の戦いに臨むにあたって、黄河から3日分の食料しかもたなかった、とあるから、当時は1日ちょっとの距離だったのかもしれませんね。現代の地図を見たら100キロぐらい離れていそうですが。
いつもありがとうございます。
平原君の全財産を餓死寸前の民衆のために差し出したというエピソード、仮に事実であれば何気に感慨を受けました。権力を握る者はしょせん己の権力維持や己の願望のためにしか権力を使わない、とシニシズムに考えがちな自分への戒めにもなればとは思います。
それが出来る人間だからこそ歴史に「良い」意味で名前が残るのでしょうね。
今の政治家にも学ばせたい。
ただ、
・妾の首を要求されたエピソード
・後に趙を支えた一人の趙奢とのエピソード
・信陵君との博徒と味噌屋を巡るエピソード等も加味して考えるべきかと……
エピソード盛り沢山!
やはり長平の戦いから間をおいた事がいけなかったのかと。趙にも意地があるもんね。
宮城谷昌光さんの影響で、范雎が贔屓。いつか取り上げて下さると嬉しいです、閑話休題。
李談がいなかったら落とされてたかもな…
孝成王は長平の逸話からダメ王と思われているが、援軍ありとはいえ、長い籠城の後に首都を守り抜いたのは中々のカリスマだな。
中華史は分からないけど
「塩辛にする」という例えって、すごい表現だね!
例えではなく、古代中国では本当にやってたんですよ…
塩辛にされた人物は他にも楚漢戦争時代の彭越なんかも塩辛にされました
今回のサムネまじ好き
自分は横山先生の史記を読んだのに、長平の戦い→邯鄲戦が連続している事に
しばらく気が付きませんでした。
戦国末期のエピソードは密度が高いので時間帯が近いことが多いですが、
それぞれが独立したエピソードとして扱われるので気が付きにくいですよね。
ナズーレンが毛遂先生😅
袋の中の錐どころか、袋の中の核兵器でしたね☹️
投稿ありがとうございます。漫画「墨攻」で主人公が籠城指揮した小城を包囲していた趙軍が撤退した原因となった戦いでしょうか。
墨攻って漫画化されてたんですか、墨子の兼愛の解釈に疑問のある職人礼賛小説で面白かった記憶があります。
個人的には毛遂のような腹蔵なく、耳に痛いような言葉を言ってくれるような人こそありがたく感じます。
とはいえ、古代中華の人は体面を重んじる傾向が強く、趙が弱っている時期にあり宮仕えすれば内紛のもととなりかねないと考えたのが推挙されなかった理由なのかな、と。
平原君もそのあたり事情を考慮していたとすればやはり非凡な人選眼であったと思います。
人肉を炊くほど過酷な籠城戦を戦っていた邯鄲城内で敵国の王族として始皇帝が誕生している。
なんて過酷でドラマチックなんだろう!
鳥肌立った!
達人伝みてるからタイムリーで助かった
李談は主人公を食う活躍をしてましたね。
冬の籠城戦、、、キツかったなぁ
平原君の妻=信陵君の姉。この人も地味に歴史に影響を与えてるな。
毛遂は一言多いっていうか、この時代の食客はこれくらい強気に何でも言わないと職にありつけない時代だったということではないかと。
連覇さんは、当時はまだ趙にいたわけだが、この時に何をしてたのかはよく分からないな。
毛遂先生だ!
ヤッパリ、日本人の琴線に触れる人間ドラマが多かったのは春秋・戦国時代ですね。
秦・漢・三国時代を経て宋に至りドンドン薄まり、近くなるほど見る影も無くなり、
現在の共産党帝国に至っては、皇帝から庶民まで建前だけで腐りきってますからね。
それも歴史の中の一部でしょう。
@@士会雄樹 さんへ
南宋以降も国士たらんとする人間がいなかった訳では無いが、富と権力のためには裏切り・騙し討ちの奸計を駆使して恥ずべき所も無い星の数ほどいる佞臣・奸臣たちと、それらにかしずかれた暴君・愚帝の前ではあまりにも貧弱。
清朝が明の体制のコピーで有るように、文化も政治体制も過去の劣化コピーに成り果ててしまった。
そして、それまでの皇帝たちの粛清・虐殺が稚児のお遊戯のように見える毛沢東が出現した。
政策の過ちという部分もあるが、過ちに気づいた後も、過ちを認める代わりに放置し、諫めるものを殺していった。
そして、5千万人とも6千万人ともいわれる国民を死に追いやった。
これは、2位のスターリンをはるかにしのぎダントツのトップで、将来に毛沢東超える人間が出てくるとしたら、全面核戦争のためのボタンを押す人間しか無いと言われるほどである。
土地も民も皇帝のものから、国土も国民も共産党の指導のもと存在するに置き換えただけの劣化コピー。
それらの歴史には、何のロマンも感じられず、その歴史を追っていっても胃が重たくなるだけなので、鳥人間になった気分には、なれないのです。
@@音無-k5w
いやそれも歴史の一部でしょうと言ってるんですが。
皆が粛清・虐殺した訳では無いんですよ。
そいうい一部分を見すぎているんですよ。
今現在中国共産党がいると言うだけ。
その歴史にロマンは感じなくてもそういう歴史もまたあると言う事。
決して胃が重くなるだけではない。
意味も有るよ。
清などとは決して同じではない。
なら今の日本にロマンなんてある?
権力や自らの栄達しか考えない政府。
それでもそうなった経緯には意味があるよね。
趙は常に北の国境で遊牧民と接してるから、そっちの部隊なんかを回して何とか防いだんだろうな。
彼氏が「コウラン伝 始皇帝の母」を見ているので付き合ってるんですけど、あのドラマ、政治の話なんて全然やりゃしない。期待を込めてドロドロドラマをガマンして見てるんですけど…。
この戦いでは、秦が珍しく泥縄な対応だな。やはり得意の離間の策が使えないのが響いたか。
白起はやる気だろうが、秦の方も長平ではかなり疲れてるからな。邯鄲を攻め落とすには少しは休まないと無理だろ。
毛遂「嚢が小さすぎて錐が入らなかったようですなwww」
後の始皇帝、政はこの戦いの最中に、邯鄲城内で生まれたとも言われているな。
王乞将軍も一流なのだが、何故か毎回連覇さんとか信陵君とか、敵のスーパーエースと当たってしまうツキのなさ。
邯鄲攻囲戦時もし范雎に言われて秦が兵を引かなくば、人質だった荘襄王・呂不韋や、もちろん始皇帝もいなかっただろうし。
のちの世からすれば白起が長平の勢いそのまま邯鄲を攻略することが良かったかどうかはわかりませんね (白起なら多分落としたでしょうが)。
なお横山漫画史記では邯鄲攻囲時邯鄲側では「隣人の子を交換し〇して食糧とし、その骨は薪とした」という記載があるほど、
攻囲戦となりました (当時親のほうが子より尊いと考えられていたため)
信陵君の活躍に目を奪われていて失念してたけどこの時、楚の軍勢は魏の領内を通過したということでいいのかな楚と趙は直接国境を接して無いわけだから
加藤清正スゲー😆
長平の時点で30年ぐらい将軍してるのに小僧呼ばわりされる白起さん。実際は60ぐらいのお爺さんだろうに。
李談は没落貴族かなにかだったのだろうか。
なんの素養もない人間が三千人の指揮官として活躍できるとも思えんが。
しかしなんにせよカッコイイ。
さすがに初めての実戦でこんな鮮やかに勝てないと思うのだが、信陵君ってどこで実戦を経験したんだろう。
今の政治家に必要なのは平原君みたいな度量の大きさと行動力だろうね。
今の政治家って器が小さすぎて笑えるし、行動できるのが不祥事を起こすくらいだろう。
趙の関係者で、李姓の人、李談とか見たら、どうしても、李牧の一族か!?と思ってしまいます。また、秦の王陵を見ても、王翦、王騎の一族か!?と飛躍した想像をしてしまいます。中国の特によくある名字なのに、有名漫画の人気人物とつなげてしまう、ずれたファンだと実感してしまいます。
信陵君に太刀打ち出来る将軍は白起だけだからな。
実戦の経験がなく口達者、そして負けっぷりで趙括と馬謖が被る
「お前はバカだな」と言うときは例え話が普通なのに、直球で平原君を批判してる李談。
范雎は処刑された説も有るけどどうなんだろう。
処刑の可能性が高いと思うけど。
趙が滅亡してたら李牧は居なかったかも。