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面白かったです。最後まで見てしまいましたから。
趙括って弓でしねてある意味ラッキーだったよなこんだけの大戦犯のくせに数本矢で射られてあっさり永眠だなんて楽過ぎでしょ、もしかすると夢見たまま逝けたわけだし立派に生きて成果もあげたのに評価もされずそれどころか凄惨な最期を迎えている人物もいるってのに
劉邦は部下に横柄だったが報奨は気前が良かった。 項羽は病気の部下に自分の食べ物を与えるほど厚情であったが報奨はケチった。
はじめてのいくさでママが止めに入るとかどんな将軍だよ
趙括には理論上は実戦経験がなく、豊富な理論的経験もないが、戦争の失敗には多くの要因があり、趙括だけを責めることはできない。
@@yuzhe-e6v総大将っていうその戦の全てを一任される最高責任者なんだから責められておかしくないけどな
特攻で身体中矢だらけになって最期の時、「こんなこと兵法書に書いてなかった…」とか考えてたら救いようが無いな。
銀英伝のフォーク准将のモデルは馬謖と趙活?!
部下が理解できないような複雑な命令は出してはいけないっていう兵法の教えもあったよね?
もちろん趙括の責任も大ですが、兵法の大家という評判だけで経験のない若造をいきなり総大将に据えるという孝成王の任命責任が1番でかいような気がしますね、親父が趙奢の大抜擢を成功させたので真似してみたくなったのかな
名声って、中身が伴ってない場合もあるから判断を狂わせますね
その親子の違いは周りが薦めたか反対したかですよね趙奢は平原君が推挙したこともあって恵文王が大抜擢したけど趙括は周りが全て反対してるのに孝成王は大抜擢している
超括の例を見ると、理論は実戦に敵わず、実戦は知識と経験の融合が物を言うという事がよくわかる。
ほとんど実践経験ない将軍を白起相手にぶつけるのは流石にアホすぎる馬謖もそうだけど実践経験を踏んで兵法はあくまで机上の空論であることを知れば名将になったのかもな
今回は秦国一の名将の話ですか
父親「ダメです」母親「ダメです」廉頗「ダメです」藺相如「ダメです」孝成王「うーん.....ま、いっかww」白起「やったぜ」
分かりやすすぎ✨
三大天全員からのお墨付き(棒)
趙括が父を論破した話素人は簡単に「こうに違いない!」って断言しちゃうけど、専門家程色々な状況や知識を知ってるから断言できなくて一見歯切れ悪そうに見えちゃう事あるすよね。
趙括は出世の段階を踏めれば自分の非を修正できたかもしれないただ当時の時代として大抜擢が起こる可能性もあり趙括は名声が無駄に先行していた父親が将軍になったらやばいと思ってたのはそういう時代背景が多分にあったと思う
現代の趙括は進次郎やな
相手が白起でなく、敗走出来たのなら趙括も一度の失敗から経験で学び直してその頭の回転の良さをフルに活用してたらのIFが見てみたい
生前、夫の忠告を受けていたとは言え、趙括の母君、賢過ぎる。少なくとも、一族にとっては「救世主」ですな。
龐統は城攻めの最中では無く雒城に進軍中の落鳳坡で張任に弓矢を射られ亡くなっている。
それ、三国志演義の話。ついでに言うと、史実は誰かに狙い撃ちされたのではなく、流れ矢に当たった。
長平の戦いでは趙括の責任が一番重いのは間違いありませんが、昭王と考成王の意気込みの違いも大きいと思います。昭王は上党に近い河内まで出向いて白起を後援していますが、考成王は趙括が包囲された後も邯鄲から動いていません。城僕の戦いも泌の戦いも軍を君主が率いた側が勝ち、臣下が率いた側が負けています。
海皇紀のジーゴ・サナリア編のウォルカ・ベアスは趙括のエピソードを参考にしたのかな?
某漫画では、王騎将軍に一刀両断にされてましたね。孫子の兵法の「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求むる」のごとく、諜報戦の重要性を見せつけた戦いの一つですね。
王騎将軍の○んで出直して来なさいはめちゃかっこよかった
蒼天航路の王欣太先生の描かれている達人伝という漫画で趙括が登場してました。趙括の才気はあるけどなんかダメな感じをうまく表現してて面白かったです
趙奢役があやや、趙括役がみすちーという配役が合ってる
趙って抜擢大好きなイメージ。藺相如も趙奢もいきなり出てきたわけだし、李牧も辺境で頑張っていたとはいえ抜擢。そういうお国柄なのだろうか。
先代の王を超える功績を出したくて新たな将軍を登用するのはよくある話です。(重臣が自分より力を持つことに警戒している可能性もありますが)趙の場合、結果が極端ですよね。。
楊大眼さんは、史上最も身が軽い大将軍と言われてるからな。ジャンプして飛んでいる鳥を捕まえたなんて盛りまくりなエピソードがある。
趙括は机上の空論、馬謖は生兵法
趙括は無能・凡人と言うよりかは「自分を天才だと勘違いした秀才」と言った感じがする。だからこそ一番手に負えないタイプかも知れないが…
趙括が糧道を断たれて46日間耐え続けたのが、実は趙括が不利な状況であっても上手く軍内を纏めれた統率力があり、今の時代に悪し様に言われるほど無能ではなかった可能性もあるけど結果が結果なので何とも寧ろ糧道断たれる前に自軍が大軍である訳だし突撃仕掛けて元の自陣地に戻ればと思うが、それじゃ廉頗の固く守る持久戦法が正しかったと認める事になるし敢えてそうしなかったのか…
おそらく最初の半月くらいは騎馬隊や戦車隊の馬を殺して食べることで飢えを凌いだんでしょう。統率が何とか取れていたのは趙括の弁が立ち何とか士気を維持したことと、「あの名将の息子なんとかしてくれるはず」という期待があったためなんでしょうね。
白起は、この時は趙軍をハメルため、自分が来たことを隠してたからな。
首都の邯鄲ならともかく、所詮は出先の長平に趙軍の大部分なんて集めたら別動隊にあっけなく首都を落とされるから、盛られてる部分はあるだろうな。
長平の戦いがあったとされるところでは実際に当時の兵とみられる白骨が大量の見つかるそうです。大量の兵がなくなったのは間違いないでしょう。以前テレビで白起の生き埋めの行為に対し、趙の人々は恨みを忘れずに今でも豆腐を白起の体や脳と名付けて恨みを晴らしているのを紹介していた記憶があります。
うぽつです。うーむ、馬謖と違って山に登った事で成功して人の息子が、後の馬謖タイプというのは皮肉というか…………あと、今回は珍しく みすちー がドラマパートでの主役だったそうですが、鴉の子が雀というキャスティングが皮肉が効いてて上手いと感じました(^ ^
子供を育てるという事は本当に難しいという一例ですよね。趙奢もその妻も決して甘やかして育てたわけではないと思うのですが、結果的に父親と真逆の人物になってしまったわけですし
そういえば、生兵法はケガのもとっていうことわざがあったなぁ。誰だって戦争なんてしたくないよな~。そこをいかにてなづけて、ついてくるようにさせるか、大事なことだよね。
超括は数回でも実戦を経験しとけばそれなりの将軍になれた気がする。いやそれでも白起には負けそう…
白起が相手じゃ……ねぇ…?
動画を見て、むしろ趙括は大変優れた人物だと感心した。統率力指揮能力実行力に富む、上手く育てたらショウカイの様な天才に成れたかも知れない。少なくとも、一般人に馬鹿にされるレベルでは無いと思う。大軍は非常に扱い難しいのでしょう。数万の軍を率いさせてみれば面白かったと感じた。伝令系統大幅変更しても指揮していた→相当な指揮能力部下と寝食を共にしなくても大軍を回していた→相当な人事能力自身が戦死するまで包囲下で内部崩壊させなかった→相当な統率力数回突撃して弓兵により戦死→白兵戦で討ち取れなかった→相当な戦術能力と胆力勇気父親を論破する→相当な知能と論理的思考力趙王や周辺が期待するのに多くの根拠が有ったのだろう。結果に原因を求め過ぎるのは如何と思う。
身内以外に趙括を叱咤教育できる存在がおり、いきなり将軍ではなく誰か(理想は廉頗辺り)の下で実戦経験を積んで出世していれば、父に匹敵する名将になったかもしれませんね。
まぁしくじった結果出したら悪く言われるのは世の常よ
ふと思ったけど白起が40万の敵兵を生埋めにしたのは長い兵糧攻めの中で趙軍に疫病が蔓延し感染拡大を防ぐためだったって可能性もあるのだろうか
銀英伝のフォーク准将のモデルだったりしてね
それは歴史の偶然であり必然である
フォークは受験勉強と暗殺に長けていたが兵法や弁舌の歳はダメダメだったような?
白起の作戦にはまってしまったとはいえ、そのあと兵糧なしで46日持ちこたえたのはすごいことだと思います。本当に人望が統率力がないのなら馬謖のように兵卒を見捨てて逃げるか、部下に寝首をかかれてもっと早く決着が着いてたかと。最初の大失敗からの修正が見事で、包囲してからの趙括の反撃が想像以上となり、秦も国力を全て傾けなければ、趙括の包囲を維持できなかったのだと思います。そう考えれば長平の戦い以前に父親の元で実践経験を積めてさえいれば、名将になっていた可能性もあります。それに、壊滅まで46日もあって包囲の外から手を打てなかった趙王サイドにも多大な問題がありますし、内外の攻撃に耐え抜き包囲をやりきった白起が強すぎたのだと思います。やはり、初陣の相手が最悪だったことによる悲劇だったのではないでしょうか。
全然すごくない。包囲されて身動き出来なかっただけだ。もっとマシな将軍なら食料が尽きる前に体力がなくなる前に突撃して血路を開いただろう。徳川軍を突破した島津義弘みたいに。
@@miyamiya2237 経験も采配も白起の方がはるかに上だったのですから仕方ないかと。それにこの戦いは総力戦で開戦当初こそ秦軍6万趙軍40万で数の上では趙軍が有利だったものの持久戦で、趙括が将軍になる頃には秦軍が増兵されて50万近くいたようです。そもそも6万で40万を包囲するのは無理がありますからね。最近になり長平の戦いの跡地ではおびただしい人骨が発掘されて、勝った秦軍も大損害を被っていたようです。趙軍が立地有利な状態で、決戦せざる負えなかったのは、秦軍は蜀の地から大量に食料を賄えたのに対して趙軍は元の国力の差に加えて飢饉続きで前線に送る食料も滞るほどだったからです。将兵の質もありますが、元気いっぱいの薩摩隼人と持久戦で疲労した兵士を比較するのは可哀想かと
店長もの申すの再生リストに入ってて草
銀河英雄伝説のフォーク准将のモデルなんじゃね?と思える。
あれでも前線勤務時代は実績積んでるんやでフォーク
春秋戦国時代では王翦と趙奢が一番好きなんですが、趙奢の特集が無くて悲しいです。それとも、私が見落としているだけですか?
趙括は実戦を経験していれば、長平の戦いも少しは違った結果になっていたかもしれませんね。実戦は兵法書通りではない、其れがわからず、想像力に乏しかった為、廉頗の採っていた作戦の意図もわからなかったのでしょう。長平の戦いの趙括の心境は主様の考察を見て、なるほど、と思いました。実は趙奢は名将ではあっても兵法にはそこまで精通していなかった為、趙括に言い負かされたのでは?とか思っちゃいました。
こいつの子孫から名将・馬援を輩出するんだから運命は皮肉だよな
趙奢には趙括の他にも趙牧という息子が居たらしい。馬援の直接の先祖は趙牧の方なのかもしれない。
まぁ、趙括が実戦経験がない兵法野郎というのもあるけど、相手が白起とか言う当時最強の化け物で、趙軍随一の武将である廉頗が勝てなかったくらいのやつって言うのも忘れないでくれ…
とまちゃん レンパは勝てない相手と見るや負けない戦いに切り替えた。正しいのだが、背後がそれに耐えられず、秦の策にハマってしまった。
兵法の大家を自負するなら、実戦経験が無くても勝てるはずだよね?って期待もしますが
菅原峰春 歴史上に名将たちに共通しているのは、戦機を摑む嗅覚が鋭いことだ。こういうものは兵法書をいくら読んでも身につかない天性のものだろう。実戦経験のない趙括は軍事オタクでしかなかった。
廉頗将軍が野戦で負けたのは秦がボウガンを開発装備したからで、さすが廉頗は直ぐに籠城に切り替え、秦の攻撃を跳ね返して優位を保った…趙括はドンドン誘き出されて強力な騎馬軍団に素早く後方に回り込まれ(秦は騎馬民族と交流があり、馬と馬術に優れていた)糧道を断たれ挟み撃ちにされて敗れたとか…趙括は今だと、東大一橋大経済学部を出て更にアメリカ留学で経営を学んだエリートが、高卒社長に代わって実際に会社を任されたら、専門知識のあるベテランをリストラして人件費を削り、勉強した安価大量販売ビジネスモデルを丸真似して倒産させてしまった!という感じ。
せめて副将ぐらいから始めてればなぁ・・・。
日本だと辻正信、牟田口廉也、長勇中将かな。口だけは達者でお前実は敵だろってぐらい迷将だったの
つじーんも無駄口も現場指揮官としては評価高かったからこのケースには当てはまらない気はする
有識者が悉く趙括を将軍になることを反対してるけどそんなに適切かどうかってわかるもんなんやな~
机上の空論…と評されてしまうのは、敵軍と接触する前の情報戰を輕んじて居る點にも…よく表れてますね。廉頗が局地戰で負けても可としたのも、秦の補給線を伸び切らせる狙いかも?→地形と軍の展開を把握して居る。趙括の包囲され方が…あまりにも敵&地形の把握が杜撰、孝成王の器量の無さが酷い(泣)
口が上手い人と口も上手い人の差は、実務能力だと言われている。趙括は、現場経験の不足から頭の中の絵をどう実現させるのかの、実行能力が未熟だったんだろう。
趙のアンドリューフォーク。
兵法の大家を自称してるとは思えない戦い方をしてますし、やっぱり色々言われて血がのぼって実力さえ発揮出来ずに散った感じですかね最期死に急ぐように先頭に立ち戦ったのは、周りの言うことを聞かなかったばかりにこんなことになり会わせる顔もないと後悔してのものと思いたいです大将が死ねば兵も早目に降伏しやすくなりますしねまぁそれが逆に最悪の結果になったわけですが
いいとこの子が、親のように優秀とは限らないのは当然で、周囲の身近な人はそれを感じてたし、実際にそういう評価があったんだろうけど、でもそういう人を起用せざるを得ないほど、秦の勢いに当たるずば抜けた人材がいなかったんだろうし、縦横家のようなスパイたちの情報戦が裏であったんだろうなぁ。
ああ、そっか 三国志の誰かに似ているとは思ったのですが 馬謖かぁ、確かにそんなイメージですね趙括
日本でも三成辺りが趙括タイプか…だから三成は左近を雇ったんでしょうね…
三成は自分ができないことを知ってた、自己を認識できたからその差がね……趙括も負けたあと生きていたらなにか変わったかもしれないと思う
@@REKI-AKAHOSI 欲をいえば清正や正則とも仲直りしていれば歴史は変わったかも知れませんね…
コメ見て「やっぱそうだよな」って思ったけど、俺もなんとなく銀英伝のフォーク准将思い浮かべたわw あいつがヤンの地位にいたらこうなってたんだろうなぁと。こいつも陰口言われたこと知った時点で卒倒してればよかったのにw『やり方を知っている』ことと『実践できる』ことを履き違えた結果ってのは古今変わらんもんだわ。趙括もも少し謙虚であれば名将になれたかもしれないのに。
ノウハウも人脈もほとんど引き継いでないのなら世襲のメリットが皆無ですね
他にも楚漢戦争時の陳余も結構似てますね。遊説を好み兵書を暗記して敵手(韓信)を侮り戦死するなど。挙句に戦死したことで優れた敵手の名声を高める結果になったところなど、まあそっくり。趙括→長平の戦い(白起に40万の兵を溶かされる 戦死)馬謖→街亭の戦い(張郃に水道を絶たれて北伐軍崩壊に追い込む 逃亡し処刑)陳余→井陘の戦い(韓信に背水の陣を敷かれ20万を溶かす 戦死)戦で勝つのって難しいものですね。北魏の楊大眼と梁の韋叡の名前がここで出てくると思わなかった。
韓信が勝因を問われて返答が「味方を死地に追い込めば必ず勝つという兵法の一節を実施しただけ」応用の重要さを示す逸話
実は陳余は将軍としては本当に優秀で、陳勝軍と趙再興軍を率いて、きちんと戦果は上げてるんですよ。韓信がぶっ飛びすぎてるだけ陳余→趙最強クラス韓信→楚漢戦争最強クラス
外交官も無理な気がする。ヤクザ顔負けの藺相如というお手本があるだけに。思うに、常に父親と比較され続けたのが視野を狭くした要因かと。もちろん、それで視野が狭くなるなら才覚がない。弁に勝つというけど、実際は理詰めではなく、屁理屈だったのでは?と思う。良く言えば、賢人の知恵。
趙括超迂闊
全権を任され40万で出陣した時点で援軍が来ると期待するのは愚か。味方が空腹で殺し合い人肉を喰らう状況になってから突撃するなら背後に伏兵が現れ糧道が絶たれた時点で塁壁など築かず背後を白起に突かれたとしても伏兵相手に突撃すべき。どう考えても援軍は無いことは目に見えており糧道が絶たれてから塁壁を築いてる時点で壊滅確定。しかし白起が塁壁から出て背後を突いてきたとしても伏兵に突撃していれば40万全滅は無かった。最後のやけっぱちの突撃でも善戦できたのならばなおのこと最初の段階で伏兵に突撃していれば士気も高くあるいはということがあったかもしれない。趙括は生き残っても経験を積むほど生き残れず万に一つも名将になることは無かっただろう
何処かの国の政治家にもあてはまりそうな・・・。
銀英伝の同盟軍にフォークと言うやつがいたな。
理屈倒れって言われたシュターデンって人も居たね。
まあ仕事さえしなければ無能とは言えない(byポプラン)点は似てますね。注)正確にはドーソン大将への評価です。
@@翼竜劉羽 あいつはミュッケンベルガー元帥の参謀もやってるから無能というわけでは無いが相手が歴史に名を遺す名将集団だったから相手が悪かった(味方の有害振りに足を引っ張られたのもあるが)
優秀な駒も、心を掴んで、実際に動いてくれないと、役に立たないですからねえ・・。どんなに良い作戦を立てても、実戦するのは部下なのですから、普段の付き合いとか、教育は必要ですよね。
それだけ突撃して40万も残るのか?まぁ、でもやっぱ王が一番悪いと思う。
おー、レジェンド様やんけ!
武田勝頼が長篠の戦いで大敗した経緯にそっくりな気がしました。
いわゆる野球のルーキーとプロ現役時代の松井秀樹を当てたみたいな感じだったのかな?
趙も悲しいね。この辺りから王も近臣もポンコツになっていく。范雎の掌に転がされる程度の王、情けない。
印象からすると秦は考公から始皇帝までは暗君はおらず趙は考成王以降は暗君続きの印象が有るよな。
晋の卿だった時代から傑物揃いの家だっただけに、ホント残念です。
まぁ范雎も趙の口車に乗せられて趙に軍を立て直す時間を与えちゃったけどね
某危険なCHが趙奢扱ったら、こちらのCHではダメ息子の方を・・・秦の范雎に見抜かれるくらいなら実父の趙奢が危ぶむのも当然なんでしょう。
こいつ(小傘)いつも側近役だな
それをいうなら、みすちーはいつもろくな役じゃないwきめぇ丸ですら龐統やったのに。
歴史書ではよくあることかもしれないけど全体的にエピソードとして出来すぎてる感があるように思う。人物像も将軍になるまではインテリっぽいのに、将軍になってからは白起の罠に不用意に突っ込んだり、最後は敵陣に突撃かましたり統一感が感じられない。なので個人的には現実よりかなり悪く描かれているんじゃんないかと思ってしまうな。
@akira 敗戦した結果論から、教訓エピソードとして記録されてしまった感はありますね。中国の歴史書ってそういう人物評的主観入れたがるから。
趙括は三国志の馬謖、曹丕とダブってしまいます。
口先ばかりの奴は実際にやるとこんなものだ。馬謖も同じだ。中国史では時々こういう奴が出てくる。日本だと実戦を積み重ねさせている。義経みたいな天才もたまに出るが。
まるで習近平
経験程貴重な財産は有りませんね
チョウシャがチョウカツに言い負かされたにも関わらず、チョウカツを評価しなかったのはチョウシャは天才でありチョウカツが秀才だったということがあったのかもしれません天才は考えずとも最適な行動を選べますが、秀才は考え勉強する事で同じ選択をします一瞬の判断が重要な戦場では秀才のチョウカツは不向きと感じたのかもしれません逆に秀才は良く考え勉強するため理論的であり討論や指導力に長けますどちらが秀でているではなく向き不向きがあるのだと思いました
敗北の予言などできるものだろうか?劉備の遺言の話と同じで結果からの後付けのような?
チョウカツなのに超負ける
最終的には白起を倒したと思えば・・・
来世は馬謖確定な。
背景をガチャガチャ動かすの気持ち悪くてみてられない
民主党の議員みだいな人だった?
面白かったです。最後まで見てしまいましたから。
趙括って弓でしねてある意味ラッキーだったよな
こんだけの大戦犯のくせに数本矢で射られてあっさり永眠だなんて楽過ぎでしょ、もしかすると夢見たまま逝けたわけだし
立派に生きて成果もあげたのに評価もされずそれどころか凄惨な最期を迎えている人物もいるってのに
劉邦は部下に横柄だったが報奨は気前が良かった。
項羽は病気の部下に自分の食べ物を与えるほど厚情であったが報奨はケチった。
はじめてのいくさでママが止めに入るとかどんな将軍だよ
趙括には理論上は実戦経験がなく、豊富な理論的経験もないが、戦争の失敗には多くの要因があり、趙括だけを責めることはできない。
@@yuzhe-e6v総大将っていうその戦の全てを一任される最高責任者なんだから責められておかしくないけどな
特攻で身体中矢だらけになって最期の時、「こんなこと兵法書に書いてなかった…」とか考えてたら救いようが無いな。
銀英伝のフォーク准将のモデルは馬謖と趙活?!
部下が理解できないような複雑な命令は出してはいけないっていう兵法の教えもあったよね?
もちろん趙括の責任も大ですが、兵法の大家という評判だけで経験のない若造をいきなり総大将に据えるという孝成王の任命責任が1番でかいような気がしますね、親父が趙奢の大抜擢を成功させたので真似してみたくなったのかな
名声って、中身が伴ってない場合もあるから判断を狂わせますね
その親子の違いは
周りが薦めたか反対したかですよね
趙奢は平原君が推挙したこともあって恵文王が大抜擢したけど
趙括は周りが全て反対してるのに
孝成王は大抜擢している
超括の例を見ると、理論は実戦に敵わず、実戦は知識と経験の融合が物を言うという事がよくわかる。
ほとんど実践経験ない将軍を白起相手にぶつけるのは流石にアホすぎる
馬謖もそうだけど実践経験を踏んで兵法はあくまで机上の空論であることを知れば名将になったのかもな
今回は秦国一の名将の話ですか
父親「ダメです」
母親「ダメです」
廉頗「ダメです」
藺相如「ダメです」
孝成王「うーん.....ま、いっかww」
白起「やったぜ」
分かりやすすぎ✨
三大天全員からのお墨付き(棒)
趙括が父を論破した話
素人は簡単に「こうに違いない!」って断言しちゃうけど、専門家程色々な状況や知識を知ってるから断言できなくて一見歯切れ悪そうに見えちゃう事あるすよね。
趙括は出世の段階を踏めれば自分の非を修正できたかもしれない
ただ当時の時代として大抜擢が起こる可能性もあり趙括は名声が無駄に先行していた
父親が将軍になったらやばいと思ってたのはそういう時代背景が多分にあったと思う
現代の趙括は進次郎やな
相手が白起でなく、敗走出来たのなら趙括も一度の失敗から経験で学び直してその頭の回転の良さをフルに活用してたらのIFが見てみたい
生前、夫の忠告を受けていたとは言え、趙括の母君、賢過ぎる。少なくとも、一族にとっては「救世主」ですな。
龐統は城攻めの最中では無く雒城に進軍中の落鳳坡で張任に弓矢を射られ亡くなっている。
それ、三国志演義の話。
ついでに言うと、史実は誰かに狙い撃ちされたのではなく、流れ矢に当たった。
長平の戦いでは趙括の責任が一番重いのは間違いありませんが、昭王と考成王の意気込みの違いも大きいと思います。昭王は上党に近い河内まで出向いて白起を後援していますが、考成王は趙括が包囲された後も邯鄲から動いていません。城僕の戦いも泌の戦いも軍を君主が率いた側が勝ち、臣下が率いた側が負けています。
海皇紀のジーゴ・サナリア編のウォルカ・ベアスは趙括のエピソードを参考にしたのかな?
某漫画では、王騎将軍に一刀両断にされてましたね。
孫子の兵法の「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求むる」のごとく、
諜報戦の重要性を見せつけた戦いの一つですね。
王騎将軍の○んで出直して来なさいはめちゃかっこよかった
蒼天航路の王欣太先生の描かれている達人伝という漫画で趙括が登場してました。趙括の才気はあるけどなんかダメな感じをうまく表現してて面白かったです
趙奢役があやや、趙括役がみすちーという配役が合ってる
趙って抜擢大好きなイメージ。
藺相如も趙奢もいきなり出てきたわけだし、李牧も辺境で頑張っていたとはいえ抜擢。そういうお国柄なのだろうか。
先代の王を超える功績を出したくて新たな将軍を登用するのはよくある話です。(重臣が自分より力を持つことに警戒している可能性もありますが)
趙の場合、結果が極端ですよね。。
楊大眼さんは、史上最も身が軽い大将軍と言われてるからな。ジャンプして飛んでいる鳥を捕まえたなんて盛りまくりなエピソードがある。
趙括は机上の空論、馬謖は生兵法
趙括は無能・凡人と言うよりかは「自分を天才だと勘違いした秀才」と言った感じがする。
だからこそ一番手に負えないタイプかも知れないが…
趙括が糧道を断たれて46日間耐え続けたのが、
実は趙括が不利な状況であっても上手く軍内を纏めれた統率力があり、
今の時代に悪し様に言われるほど無能ではなかった可能性もあるけど結果が結果なので何とも
寧ろ糧道断たれる前に自軍が大軍である訳だし突撃仕掛けて元の自陣地に戻ればと思うが、
それじゃ廉頗の固く守る持久戦法が正しかったと認める事になるし敢えてそうしなかったのか…
おそらく最初の半月くらいは騎馬隊や戦車隊の馬を殺して食べることで飢えを凌いだんでしょう。統率が何とか取れていたのは趙括の弁が立ち何とか士気を維持したことと、「あの名将の息子なんとかしてくれるはず」という期待があったためなんでしょうね。
白起は、この時は趙軍をハメルため、自分が来たことを隠してたからな。
首都の邯鄲ならともかく、所詮は出先の長平に趙軍の大部分なんて集めたら別動隊にあっけなく首都を落とされるから、盛られてる部分はあるだろうな。
長平の戦いがあったとされるところでは実際に当時の兵とみられる白骨が大量の見つかるそうです。
大量の兵がなくなったのは間違いないでしょう。
以前テレビで白起の生き埋めの行為に対し、趙の人々は恨みを忘れずに今でも豆腐を白起の体や脳と名付けて恨みを晴らしているのを紹介していた記憶があります。
うぽつです。うーむ、馬謖と違って山に登った事で成功して人の息子が、後の馬謖タイプというのは皮肉というか……
……あと、今回は珍しく みすちー がドラマパートでの主役だったそうですが、鴉の子が雀というキャスティングが皮肉が効いてて上手いと感じました(^ ^
子供を育てるという事は本当に難しいという一例ですよね。趙奢もその妻も決して甘やかして育てたわけではないと思うのですが、結果的に父親と真逆の人物になってしまったわけですし
そういえば、生兵法はケガのもとっていうことわざがあったなぁ。
誰だって戦争なんてしたくないよな~。
そこをいかにてなづけて、ついてくるようにさせるか、大事なことだよね。
超括は数回でも実戦を経験しとけばそれなりの将軍になれた気がする。いやそれでも白起には負けそう…
白起が相手じゃ……ねぇ…?
動画を見て、むしろ趙括は大変優れた人物だと感心した。統率力指揮能力実行力に富む、上手く育てたらショウカイの様な天才に成れたかも知れない。
少なくとも、一般人に馬鹿にされるレベルでは無いと思う。大軍は非常に扱い難しいのでしょう。数万の軍を率いさせてみれば面白かったと感じた。
伝令系統大幅変更しても指揮していた→相当な指揮能力
部下と寝食を共にしなくても大軍を回していた→相当な人事能力
自身が戦死するまで包囲下で内部崩壊させなかった→相当な統率力
数回突撃して弓兵により戦死→白兵戦で討ち取れなかった→相当な戦術能力と胆力勇気
父親を論破する→相当な知能と論理的思考力
趙王や周辺が期待するのに多くの根拠が有ったのだろう。結果に原因を求め過ぎるのは如何と思う。
身内以外に趙括を叱咤教育できる存在がおり、いきなり将軍ではなく誰か(理想は廉頗辺り)の下で実戦経験を積んで出世していれば、父に匹敵する名将になったかもしれませんね。
まぁしくじった結果出したら悪く言われるのは世の常よ
ふと思ったけど
白起が40万の敵兵を生埋めにしたのは
長い兵糧攻めの中で趙軍に疫病が蔓延し
感染拡大を防ぐためだったって可能性も
あるのだろうか
銀英伝のフォーク准将のモデルだったりしてね
それは歴史の偶然であり必然である
フォークは受験勉強と暗殺に長けていたが
兵法や弁舌の歳はダメダメだったような?
白起の作戦にはまってしまったとはいえ、そのあと兵糧なしで46日持ちこたえたのはすごいことだと思います。本当に人望が統率力がないのなら馬謖のように兵卒を見捨てて逃げるか、部下に寝首をかかれてもっと早く決着が着いてたかと。最初の大失敗からの修正が見事で、包囲してからの趙括の反撃が想像以上となり、秦も国力を全て傾けなければ、趙括の包囲を維持できなかったのだと思います。そう考えれば長平の戦い以前に父親の元で実践経験を積めてさえいれば、名将になっていた可能性もあります。それに、壊滅まで46日もあって包囲の外から手を打てなかった趙王サイドにも多大な問題がありますし、内外の攻撃に耐え抜き包囲をやりきった白起が強すぎたのだと思います。
やはり、初陣の相手が最悪だったことによる悲劇だったのではないでしょうか。
全然すごくない。包囲されて身動き出来なかっただけだ。もっとマシな将軍なら食料が尽きる前に体力がなくなる前に突撃して血路を開いただろう。徳川軍を突破した島津義弘みたいに。
@@miyamiya2237
経験も采配も白起の方がはるかに上だったのですから仕方ないかと。
それにこの戦いは総力戦で開戦当初こそ秦軍6万趙軍40万で数の上では趙軍が有利だったものの持久戦で、趙括が将軍になる頃には秦軍が増兵されて50万近くいたようです。そもそも6万で40万を包囲するのは無理がありますからね。最近になり長平の戦いの跡地ではおびただしい人骨が発掘されて、勝った秦軍も大損害を被っていたようです。
趙軍が立地有利な状態で、決戦せざる負えなかったのは、秦軍は蜀の地から大量に食料を賄えたのに対して趙軍は元の国力の差に加えて飢饉続きで前線に送る食料も滞るほどだったからです。将兵の質もありますが、元気いっぱいの薩摩隼人と持久戦で疲労した兵士を比較するのは可哀想かと
店長もの申すの再生リストに入ってて草
銀河英雄伝説のフォーク准将のモデルなんじゃね?と思える。
あれでも前線勤務時代は実績積んでるんやでフォーク
春秋戦国時代では王翦と趙奢が一番好きなんですが、趙奢の特集が無くて悲しいです。
それとも、私が見落としているだけですか?
趙括は実戦を経験していれば、長平の戦いも少しは違った結果になっていたかもしれませんね。
実戦は兵法書通りではない、其れがわからず、想像力に乏しかった為、廉頗の採っていた作戦の意図もわからなかったのでしょう。
長平の戦いの趙括の心境は主様の考察を見て、なるほど、と思いました。
実は趙奢は名将ではあっても兵法にはそこまで精通していなかった為、趙括に言い負かされたのでは?とか思っちゃいました。
こいつの子孫から名将・馬援を輩出するんだから運命は皮肉だよな
趙奢には趙括の他にも趙牧という息子が居たらしい。馬援の直接の先祖は趙牧の方なのかもしれない。
まぁ、趙括が実戦経験がない兵法野郎というのもあるけど、相手が白起とか言う当時最強の化け物で、趙軍随一の武将である廉頗が勝てなかったくらいのやつって言うのも忘れないでくれ…
とまちゃん レンパは勝てない相手と見るや負けない戦いに切り替えた。正しいのだが、背後がそれに耐えられず、秦の策にハマってしまった。
兵法の大家を自負するなら、実戦経験が無くても勝てるはずだよね?って期待もしますが
菅原峰春 歴史上に名将たちに共通しているのは、戦機を摑む嗅覚が鋭いことだ。こういうものは兵法書をいくら読んでも身につかない天性のものだろう。実戦経験のない趙括は軍事オタクでしかなかった。
廉頗将軍が野戦で負けたのは秦がボウガンを開発装備したからで、さすが廉頗は直ぐに籠城に切り替え、秦の攻撃を跳ね返して優位を保った…趙括はドンドン誘き出されて強力な騎馬軍団に素早く後方に回り込まれ(秦は騎馬民族と交流があり、馬と馬術に優れていた)糧道を断たれ挟み撃ちにされて敗れたとか…趙括は今だと、東大一橋大経済学部を出て更にアメリカ留学で経営を学んだエリートが、高卒社長に代わって実際に会社を任されたら、専門知識のあるベテランをリストラして人件費を削り、勉強した安価大量販売ビジネスモデルを丸真似して倒産させてしまった!という感じ。
せめて副将ぐらいから始めてればなぁ・・・。
日本だと辻正信、牟田口廉也、長勇中将かな。口だけは達者でお前実は敵だろってぐらい迷将だったの
つじーんも無駄口も現場指揮官としては評価高かったからこのケースには当てはまらない気はする
有識者が悉く趙括を将軍になることを反対してるけど
そんなに適切かどうかってわかるもんなんやな~
机上の空論…と評されてしまうのは、敵軍と接触する前の情報戰を輕んじて居る點にも…よく表れてますね。廉頗が局地戰で負けても可としたのも、秦の補給線を伸び切らせる狙いかも?→地形と軍の展開を把握して居る。趙括の包囲され方が…あまりにも敵&地形の把握が杜撰、孝成王の器量の無さが酷い(泣)
口が上手い人と口も上手い人の差は、実務能力だと言われている。趙括は、現場経験の不足から頭の中の絵をどう実現させるのかの、実行能力が未熟だったんだろう。
趙のアンドリューフォーク。
兵法の大家を自称してるとは思えない戦い方をしてますし、やっぱり色々言われて血がのぼって実力さえ発揮出来ずに散った感じですかね
最期死に急ぐように先頭に立ち戦ったのは、周りの言うことを聞かなかったばかりにこんなことになり会わせる顔もないと後悔してのものと思いたいです
大将が死ねば兵も早目に降伏しやすくなりますしね
まぁそれが逆に最悪の結果になったわけですが
いいとこの子が、親のように優秀とは限らないのは当然で、周囲の身近な人はそれを感じてたし、実際にそういう評価があったんだろうけど、でもそういう人を起用せざるを得ないほど、秦の勢いに当たるずば抜けた人材がいなかったんだろうし、縦横家のようなスパイたちの情報戦が裏であったんだろうなぁ。
ああ、そっか 三国志の誰かに似ているとは思ったのですが 馬謖かぁ、確かにそんなイメージですね趙括
日本でも三成辺りが趙括タイプか…
だから三成は左近を雇ったんでしょうね…
三成は自分ができないことを知ってた、自己を認識できたからその差がね……趙括も負けたあと生きていたらなにか変わったかもしれないと思う
@@REKI-AKAHOSI
欲をいえば清正や正則とも仲直りしていれば歴史は変わったかも知れませんね…
コメ見て「やっぱそうだよな」って思ったけど、俺もなんとなく銀英伝のフォーク准将思い浮かべたわw あいつがヤンの地位にいたらこうなってたんだろうなぁと。こいつも陰口言われたこと知った時点で卒倒してればよかったのにw
『やり方を知っている』ことと『実践できる』ことを履き違えた結果ってのは古今変わらんもんだわ。趙括もも少し謙虚であれば名将になれたかもしれないのに。
ノウハウも人脈もほとんど引き継いでないのなら世襲のメリットが皆無ですね
他にも楚漢戦争時の陳余も結構似てますね。
遊説を好み兵書を暗記して敵手(韓信)を侮り戦死するなど。
挙句に戦死したことで優れた敵手の名声を高める結果になったところなど、まあそっくり。
趙括→長平の戦い(白起に40万の兵を溶かされる 戦死)
馬謖→街亭の戦い(張郃に水道を絶たれて北伐軍崩壊に追い込む 逃亡し処刑)
陳余→井陘の戦い(韓信に背水の陣を敷かれ20万を溶かす 戦死)
戦で勝つのって難しいものですね。
北魏の楊大眼と梁の韋叡の名前がここで出てくると思わなかった。
韓信が勝因を問われて返答が「味方を死地に追い込めば必ず勝つという兵法の一節を実施しただけ」
応用の重要さを示す逸話
実は陳余は将軍としては本当に優秀で、陳勝軍と趙再興軍を率いて、きちんと戦果は上げてるんですよ。
韓信がぶっ飛びすぎてるだけ
陳余→趙最強クラス
韓信→楚漢戦争最強クラス
外交官も無理な気がする。ヤクザ顔負けの藺相如というお手本があるだけに。
思うに、常に父親と比較され続けたのが視野を狭くした要因かと。もちろん、それで視野が狭くなるなら才覚がない。
弁に勝つというけど、実際は理詰めではなく、屁理屈だったのでは?と思う。良く言えば、賢人の知恵。
趙括超迂闊
全権を任され40万で出陣した時点で援軍が来ると期待するのは愚か。味方が空腹で殺し合い人肉を喰らう状況になってから突撃するなら背後に伏兵が現れ糧道が絶たれた時点で塁壁など築かず背後を白起に突かれたとしても伏兵相手に突撃すべき。どう考えても援軍は無いことは目に見えており糧道が絶たれてから塁壁を築いてる時点で壊滅確定。しかし白起が塁壁から出て背後を突いてきたとしても伏兵に突撃していれば40万全滅は無かった。最後のやけっぱちの突撃でも善戦できたのならばなおのこと最初の段階で伏兵に突撃していれば士気も高くあるいはということがあったかもしれない。趙括は生き残っても経験を積むほど生き残れず万に一つも名将になることは無かっただろう
何処かの国の政治家にもあてはまりそうな・・・。
銀英伝の同盟軍にフォークと言うやつがいたな。
理屈倒れって言われたシュターデンって人も居たね。
まあ仕事さえしなければ無能とは言えない(byポプラン)点は似てますね。
注)正確にはドーソン大将への評価です。
@@翼竜劉羽 あいつはミュッケンベルガー元帥の参謀もやってるから無能というわけでは無いが
相手が歴史に名を遺す名将集団だったから相手が悪かった(味方の有害振りに足を引っ張られたのもあるが)
優秀な駒も、心を掴んで、実際に動いてくれないと、役に立たないですからねえ・・。どんなに良い作戦を立てても、実戦するのは部下なのですから、普段の付き合いとか、教育は必要ですよね。
それだけ突撃して40万も残るのか?
まぁ、でもやっぱ王が一番悪いと思う。
おー、レジェンド様やんけ!
武田勝頼が長篠の戦いで大敗した経緯にそっくりな気がしました。
いわゆる野球のルーキーとプロ現役時代の松井秀樹を当てたみたいな感じだったのかな?
趙も悲しいね。この辺りから王も近臣もポンコツになっていく。范雎の掌に転がされる程度の王、情けない。
印象からすると秦は考公から始皇帝までは暗君はおらず趙は考成王以降は暗君続きの印象が有るよな。
晋の卿だった時代から傑物揃いの家だっただけに、ホント残念です。
まぁ范雎も趙の口車に乗せられて趙に軍を立て直す時間を与えちゃったけどね
某危険なCHが趙奢扱ったら、こちらのCHではダメ息子の方を・・・
秦の范雎に見抜かれるくらいなら実父の趙奢が危ぶむのも当然なんでしょう。
こいつ(小傘)いつも側近役だな
それをいうなら、みすちーはいつもろくな役じゃないw
きめぇ丸ですら龐統やったのに。
歴史書ではよくあることかもしれないけど全体的にエピソードとして出来すぎてる感があるように思う。
人物像も将軍になるまではインテリっぽいのに、将軍になってからは白起の罠に不用意に突っ込んだり、最後は敵陣に突撃かましたり統一感が感じられない。
なので個人的には現実よりかなり悪く描かれているんじゃんないかと思ってしまうな。
@akira 敗戦した結果論から、教訓エピソードとして記録されてしまった感はありますね。中国の歴史書ってそういう人物評的主観入れたがるから。
趙括は三国志の馬謖、曹丕とダブってしまいます。
口先ばかりの奴は実際にやるとこんなものだ。馬謖も同じだ。中国史では時々こういう奴が出てくる。
日本だと実戦を積み重ねさせている。義経みたいな天才もたまに出るが。
まるで習近平
経験程貴重な財産は有りませんね
チョウシャがチョウカツに言い負かされたにも関わらず、チョウカツを評価しなかったのはチョウシャは天才でありチョウカツが秀才だったということがあったのかもしれません
天才は考えずとも最適な行動を選べますが、秀才は考え勉強する事で同じ選択をします
一瞬の判断が重要な戦場では秀才のチョウカツは不向きと感じたのかもしれません
逆に秀才は良く考え勉強するため理論的であり討論や指導力に長けます
どちらが秀でているではなく向き不向きがあるのだと思いました
敗北の予言などできるものだろうか?
劉備の遺言の話と同じで結果からの後付けのような?
チョウカツなのに超負ける
最終的には白起を倒したと思えば・・・
来世は馬謖確定な。
背景をガチャガチャ動かすの気持ち悪くてみてられない
民主党の議員みだいな人だった?