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日本では親魏倭王という称号を軽く流しているところがあると思いますが(自分もそうでした)、よくよく考えると曹操の最高官位は魏王でしたし、劉備、孫権もそれぞれ皇帝の前は漢中王、呉王だと考えると、親魏倭王もめちゃくちゃ権威がある称号だったんでしょうね。
司馬懿と曹真の確執が中国ドラマにすら描かれるくらいですから、曹真よりも大きな国を引っ張って来た、という司馬懿の芝居(笑)はうなづける所ですね。さすが渡邉先生ならではの視点!
渡辺先生の話しは本当に面白い。
渡辺先生は大好きです。仙石先生とのやり取りも大好きです❗️
わかりやすい説明を有難うございます。魏志倭人伝について、魏志全体を見て、魏志の作者の立ち位置を見て、の解釈していくという方法を採られており、とても貴重なお話だと感じます。文献解釈としては、当たり前なのかも知れませんが。魏志には、大月氏伝とか、もろもろの朝貢国についての記載もあると思います。それらも見ておきたいと思います。一般の日本人は、魏志のうち倭人伝のみ注目してしまいますが、中国の学者は、倭人伝以外をも読んで、それらを比較するという視点がある筈にて、中国の学会や台湾の学会では、とういう議論になっているのか、把握しておきたいと思いました。
非常に参考になります。さすが、大学の先生、解りりやすいですね。今後に更に期待です。
気持ち良いほどに一番納得できる説明。一般に広まってる畿内説も九州説も大陸側の事情完全にシカトしてるんでただまぁ陳寿くんさぁ、ホント盛りに盛ったよなぁw
なるほどなあ。。とても納得。
渡邉義浩先生の「魏志倭人伝の謎を解く」を何度も読み返しております文献歴史学者として見識の広さ深さを感じます邪馬台国の著書を数多く拝読しましたが、初めてロマンではなく事実に近いものを感じました本講座は、本著書を要約してくださっており、10TVで最後まで毎日聞かせていただいております
そうすると距離も人口も当てにならないという感じか。ますますどこにあったのかわからん感じだなあ
とんでもなく説得力のある話。魏志倭人伝の距離の文言はほぼ意味が無いって思えるンゴ。
目から鱗。もっと聞かして❤
😅航海技術により海の距離は当時はまだよく言えない可能性もありますか?
海を超えてきたというところで、海をわたるだけの技術力が邪馬台国を巨大に見せたとも言えるのかな。
万里の長城ってそういう意味なんだ…長い!超長い!くらいの意味だとばかり思ってました
魏志倭人伝をどこまで信用できるかだな
他者の立場に立ってみるって事ですね。
三国志を専門的に研究しているなら、烏丸鮮卑東夷伝 中の里程が他の部分と異なり短里で統一されていることは明白なはず。 扶余、高句麗、韓の大きさも把握されていたはずで、そこで使われた里程も周知のことであったと考えられる。
倭人伝であり倭国伝ではないからそもそも日本のことなど書いてないと見るべき倭人と呼ぶ人なら中国東南にもいるし中国東北部にも居た
邪馬台国と大月氏だけが親魏〇王って..凄い事だと思います。当時の世界の中心の..国からその様な別格の扱いを受けているのに..日本書紀に..邪馬台国や女王卑弥呼が出て来ないはどうして..なのでしょうか...? 日本の国の最初の歴史書なのに..そんな凄い話を載せないなんて....🤔
道程では無く、遺物、遺構、以降の時代のファクトから邪馬台国の場所の 推理推考が必要ですね。
司馬懿の功績を大きく見せるために、倭国の話を盛ったんだね。岡田英弘先生の本にもそんなことが書いてあった記憶がある。
紀元2世紀界隈の鳩摩羅什ですね!
文献解釈でのスタンスとして「『全てを真実である筈』と見ては間違い」であり、また、「『作者は、ひたすら真実を書こうとしていた筈』とは限らないこと」を示すお話であり、これは、日本人に抜けているポイントかもしれないと思いました。歴史学にとどまらない視点です。「青史」の意義を熟知している歴史家ならではの御講義です。距離や方向は、盛っている可能性を意識するのは大事ですね。「親魏倭王にしてやつた」、「親魏倭王のハンコを与えてやった」、とかは改竄や創作をしにくい部分ですね。
非常に有力な説明ではあるけど、思想的主観的に説明したものなので、受け入れない人は一定数いると思う。しかし、合理的客観的な見方でも九州島内にあるという説明はできる。(里数表記と日数表記は別の文献が基になっている事が明らかで、そこで「全く別々の情報を同じものだと誤解して繋げてしまった」と考えれば説明がつく)両方合わせて、どんな見方でも九州説以外に解釈のしようが無いという言い方をした方が、誰に対しても受け入れられると思う。
折角の歴史文献も理念等と言う言葉でその信憑性が薄れるとなると、考古学・歴史学とは何かと思ってしまう。
邪馬台国の説明は非常に簡単です。 古事記、日本書紀の記述があるか、大規模な古代遺跡があるか、詳しい具体的な伝説、さらに伝説を裏付ける史跡があるか、その史跡が一定の範囲にあるかどうかの五拍子がそろっているのが最低限の条件です。 それがそろっているのは全国でも宮崎市、奈良県橿原市しかありません。日本のトップクラスの文化人が書いた日本の歴史書である古事記、日本書紀に書かれた日本建国、天皇誕生地は宮崎市。その一帯には、今残っているだけで古墳が1000基以上。最近は、日本最大の縄文遺跡が相次いで見つかり、巨大な神殿跡も。驚くほどの日本最大の古代遺跡地帯が宮崎市。 宮崎市北部が皇祖天照大神、スサノオ、住吉様らの生誕地。皇祖天照大神の孫に当たる天孫降臨の人物、天孫ニニギの御陵墓は、宮崎市南方町の奈古神社。 皇室が特に尊崇する神武天皇宮、いわゆる宮崎神宮近くの皇宮神社が、ヤマト(神武天皇)が奈良県橿原市で大和朝廷を開くまで住んでいた皇居跡。天皇の軍隊、皇軍発祥地の碑がある。皇宮神社の社殿は、三重県の伊勢神宮の式年遷宮で使われた社殿を移築した歴史的建造物。 宮崎市で生まれた皇祖天照大神の子孫がヤマト(神武天皇、大和、中国の古代書籍では邪馬台と表記)ヤマト(神武天皇)は西暦100年代の日本最高の英雄。大和朝廷の創設者。12:38 その150年後ぐらいに書かれたのが魏志倭人伝。その頃には、大和朝廷は基盤がしっかりし、藤原京につながります。 ヤマト(神武天皇)は、宮崎市から奈良県橿原市に東征しており、中国の書籍に登場する邪馬台(ヤマト)国とは時代的にも一致。 邪馬台(ヤマト)国は、源流地が宮崎市、栄えたのが奈良県橿原市。日本語、日本史では大和朝廷のことです。 ヤマト国は宮崎市から奈良県橿原市に移動したのが正解です。 宮崎市は、日本最大規模の古代史跡にあふれ、伝説、記紀の記述があり、それがそろうのは全国で宮崎市だけ。疑いを入れる余地はまったくありません。 全国に天孫降臨の話はありますが、天皇が戦が来たとか、流されてきたとかが関係しています。 京都市山科区の天孫降臨の話がある日向大神宮は、第23代の顕宗天皇が、天皇の歴史を伝えるために創建したもので、実際に天孫降臨の地ではありません。 宮崎県高千穂町にある天孫降臨の話は、ヤマト(神武天皇)の兄が東征の土地、日向に帰り、高千穂町に住みついてヤマト兄弟の話を残した伝説地です。 巨大な史跡地帯、記紀記述、伝説地、伝説を裏付ける宮崎市とは異なります。ヤマトの兄が住みついた場所という点では、大変重みがあるのは当然です。
洛陽から全て5000里なら半径5000里の円だと思うんだけど、1辺10000里の正方形というのは先生の勘違い?そういう文献がある?
あぁ、古代中国人は正方形の中心から任意の正方形上の点までの距離は等しいと思っていたのか
多分、アカウントを消した人が間にコメントしててもうわかってらっしゃるとは思いますが……「三角関数がねえなってわかってしまうんですが」からわかるようにそういうことですねw
その辺を、先生は頭が良いから「三角関数が無いことがわかっちゃいますね」の軽口で流すように説明してますね。実に軽妙
一体いつまで三国志を正しいとして邪馬台国、卑弥呼を語るのでしょうか。三国志が創作の可能性もあるのですからその辺りを考慮して欲しいです。
他の学者や機内大和と邪馬台国を同一視して荒唐無稽なこと言ってる輩と一線を画していて素晴らしい。元をきちんと把握しないと本来話にはならないと思うんだが。把握しないで最初から結論ありきで喋ってる奴の多いこと、多いこと。本当薄っぺらい奴が多い。学の無さがそういうところにも出てくるのかな。
日本では親魏倭王という称号を軽く流しているところがあると思いますが(自分もそうでした)、よくよく考えると曹操の最高官位は魏王でしたし、劉備、孫権もそれぞれ皇帝の前は漢中王、呉王だと考えると、親魏倭王もめちゃくちゃ権威がある称号だったんでしょうね。
司馬懿と曹真の確執が中国ドラマにすら描かれるくらいですから、曹真よりも大きな国を引っ張って来た、という司馬懿の芝居(笑)はうなづける所ですね。さすが渡邉先生ならではの視点!
渡辺先生の話しは本当に面白い。
渡辺先生は大好きです。仙石先生とのやり取りも大好きです❗️
わかりやすい説明を有難うございます。魏志倭人伝について、魏志全体を見て、魏志の作者の立ち位置を見て、の解釈していくという方法を採られており、とても貴重なお話だと感じます。文献解釈としては、当たり前なのかも知れませんが。
魏志には、大月氏伝とか、もろもろの朝貢国についての記載もあると思います。それらも見ておきたいと思います。
一般の日本人は、魏志のうち倭人伝のみ注目してしまいますが、中国の学者は、倭人伝以外をも読んで、それらを比較するという視点がある筈にて、中国の学会や台湾の学会では、とういう議論になっているのか、把握しておきたいと思いました。
非常に参考になります。さすが、大学の先生、解りりやすいですね。今後に更に期待です。
気持ち良いほどに一番納得できる説明。一般に広まってる畿内説も九州説も大陸側の事情完全にシカトしてるんで
ただまぁ陳寿くんさぁ、ホント盛りに盛ったよなぁw
なるほどなあ。。とても納得。
渡邉義浩先生の「魏志倭人伝の謎を解く」を何度も読み返しております
文献歴史学者として見識の広さ深さを感じます
邪馬台国の著書を数多く拝読しましたが、初めてロマンではなく事実に近いものを感じました
本講座は、本著書を要約してくださっており、10TVで最後まで毎日聞かせていただいております
そうすると距離も人口も当てにならないという感じか。ますますどこにあったのかわからん感じだなあ
とんでもなく説得力のある話。魏志倭人伝の距離の文言はほぼ意味が無いって思えるンゴ。
目から鱗。もっと聞かして❤
😅航海技術により海の距離は当時はまだよく言えない可能性もありますか?
海を超えてきたというところで、海をわたるだけの技術力が邪馬台国を巨大に見せたとも言えるのかな。
万里の長城ってそういう意味なんだ…長い!超長い!くらいの意味だとばかり思ってました
魏志倭人伝をどこまで信用できるかだな
他者の立場に立ってみるって事ですね。
三国志を専門的に研究しているなら、烏丸鮮卑東夷伝 中の里程が他の部分と異なり短里で統一されていることは明白なはず。
扶余、高句麗、韓の大きさも把握されていたはずで、そこで使われた里程も周知のことであったと考えられる。
倭人伝であり倭国伝ではないから
そもそも日本のことなど書いてないと見るべき
倭人と呼ぶ人なら中国東南にもいるし中国東北部にも居た
邪馬台国と大月氏だけが親魏〇王って..凄い事だと思います。当時の世界の中心の..国からその様な
別格の扱いを受けているのに..日本書紀に..邪馬台国や女王卑弥呼が出て来ないはどうして..
なのでしょうか...? 日本の国の最初の歴史書なのに..そんな凄い話を載せないなんて....🤔
道程では無く、遺物、遺構、以降の時代のファクトから邪馬台国の場所の 推理推考が必要ですね。
司馬懿の功績を大きく見せるために、倭国の話を盛ったんだね。
岡田英弘先生の本にもそんなことが書いてあった記憶がある。
紀元2世紀界隈の鳩摩羅什ですね!
文献解釈でのスタンスとして「『全てを真実である筈』と見ては間違い」であり、また、「『作者は、ひたすら真実を書こうとしていた筈』とは限らないこと」を示すお話であり、これは、日本人に抜けているポイントかもしれないと思いました。歴史学にとどまらない視点です。
「青史」の意義を熟知している歴史家ならではの御講義です。
距離や方向は、盛っている可能性を意識するのは大事ですね。「親魏倭王にしてやつた」、「親魏倭王のハンコを与えてやった」、とかは改竄や創作をしにくい部分ですね。
非常に有力な説明ではあるけど、思想的主観的に説明したものなので、受け入れない人は一定数いると思う。
しかし、合理的客観的な見方でも九州島内にあるという説明はできる。
(里数表記と日数表記は別の文献が基になっている事が明らかで、そこで「全く別々の情報を同じものだと誤解して繋げてしまった」と考えれば説明がつく)
両方合わせて、どんな見方でも九州説以外に解釈のしようが無いという言い方をした方が、誰に対しても受け入れられると思う。
折角の歴史文献も理念等と言う言葉でその信憑性が薄れるとなると、考古学・歴史学とは何かと思ってしまう。
邪馬台国の説明は非常に簡単です。
古事記、日本書紀の記述があるか、大規模な古代遺跡があるか、詳しい具体的な伝説、さらに伝説を裏付ける史跡があるか、その史跡が一定の範囲にあるかどうかの五拍子がそろっているのが最低限の条件です。
それがそろっているのは全国でも宮崎市、奈良県橿原市しかありません。
日本のトップクラスの文化人が書いた日本の歴史書である古事記、日本書紀に書かれた日本建国、天皇誕生地は宮崎市。
その一帯には、今残っているだけで古墳が1000基以上。最近は、日本最大の縄文遺跡が相次いで見つかり、巨大な神殿跡も。驚くほどの日本最大の古代遺跡地帯が宮崎市。
宮崎市北部が皇祖天照大神、スサノオ、住吉様らの生誕地。皇祖天照大神の孫に当たる天孫降臨の人物、天孫ニニギの御陵墓は、宮崎市南方町の奈古神社。
皇室が特に尊崇する神武天皇宮、いわゆる宮崎神宮近くの皇宮神社が、ヤマト(神武天皇)が奈良県橿原市で大和朝廷を開くまで住んでいた皇居跡。天皇の軍隊、皇軍発祥地の碑がある。皇宮神社の社殿は、三重県の伊勢神宮の式年遷宮で使われた社殿を移築した歴史的建造物。
宮崎市で生まれた皇祖天照大神の子孫がヤマト(神武天皇、大和、中国の古代書籍では邪馬台と表記)
ヤマト(神武天皇)は西暦100年代の日本最高の英雄。大和朝廷の創設者。
12:38
その150年後ぐらいに書かれたのが魏志倭人伝。その頃には、大和朝廷は基盤がしっかりし、藤原京につながります。
ヤマト(神武天皇)は、宮崎市から奈良県橿原市に東征しており、中国の書籍に登場する邪馬台(ヤマト)国とは時代的にも一致。
邪馬台(ヤマト)国は、源流地が宮崎市、栄えたのが奈良県橿原市。日本語、日本史では大和朝廷のことです。
ヤマト国は宮崎市から奈良県橿原市に移動したのが正解です。
宮崎市は、日本最大規模の古代史跡にあふれ、伝説、記紀の記述があり、それがそろうのは全国で宮崎市だけ。疑いを入れる余地はまったくありません。
全国に天孫降臨の話はありますが、天皇が戦が来たとか、流されてきたとかが関係しています。
京都市山科区の天孫降臨の話がある日向大神宮は、第23代の顕宗天皇が、天皇の歴史を伝えるために創建したもので、実際に天孫降臨の地ではありません。
宮崎県高千穂町にある天孫降臨の話は、ヤマト(神武天皇)の兄が東征の土地、日向に帰り、高千穂町に住みついてヤマト兄弟の話を残した伝説地です。
巨大な史跡地帯、記紀記述、伝説地、伝説を裏付ける宮崎市とは異なります。ヤマトの兄が住みついた場所という点では、大変重みがあるのは当然です。
洛陽から全て5000里なら半径5000里の円だと思うんだけど、1辺10000里の正方形というのは先生の勘違い?そういう文献がある?
あぁ、古代中国人は正方形の中心から任意の正方形上の点までの距離は等しいと思っていたのか
多分、アカウントを消した人が間にコメントしててもうわかってらっしゃるとは思いますが……
「三角関数がねえなってわかってしまうんですが」からわかるようにそういうことですねw
その辺を、先生は頭が良いから「三角関数が無いことがわかっちゃいますね」の軽口で流すように説明してますね。実に軽妙
一体いつまで三国志を正しいとして邪馬台国、卑弥呼を語るのでしょうか。三国志が創作の可能性もあるのですからその辺りを考慮して欲しいです。
他の学者や機内大和と邪馬台国を同一視して荒唐無稽なこと言ってる輩と一線を画していて素晴らしい。元をきちんと把握しないと本来話にはならないと思うんだが。把握しないで最初から結論ありきで喋ってる奴の多いこと、多いこと。本当薄っぺらい奴が多い。学の無さがそういうところにも出てくるのかな。