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スリキンの龐統が、役者さんもキャラも素晴らしすぎたなぁ。あのドラマでの、自らの命と引き換えに、劉備に蜀攻めの大義を作る龐統の決意が涙を誘う…本当に魅力にあふれた三国志キャラだと思う。
しかもコミュ力も凄い・・・関羽・張飛も上手く乗せて話をするシーンも必見です。一番面白かったのは法正との会話シーンでしたね。
龐統は君や将に仕えたのではなく、土地の民を支えた師だと思っています。三国志で最も好きな方です。
宴席での劉備と龐統のやり取りいいよねあと、蒼天航路の「腕が無いから風体が上がらないけど顔はイケメン」というのは面白い解釈だった
蜀漢はその時に限れば優秀な家臣達はいるのだがその家臣がいなくなった時に代わりがなかなか出てこないのがネックで…
もっさり士元=きめぇ丸、という配役が絶妙👏きめぇ丸、主役の大任、お疲れ様💖
「流矢」という言葉が二通りに解釈できるらしくて、皆が想像する流れ矢に運悪く当たってしまったのか、龐統自身、もしくは龐統の軍に向けて斉射された矢に当たったのか…後者なら的確に龐統を射抜いた張任とその軍の武勇を示すことになるのかもしれませんね。
龐統は、諸葛亮より法正とウマが合いそうな気がする。
龐統が攻めて孔明が内から支える、この形になるのが理想的だったかな・゜・(ノД`)・゜・
霊夢いつの間にw 的驢の厄を払うために敢えて乗馬したという話もありますよね? 若さが又悔やまれる😢
龐統が早々に消えたのは痛かったな。ただでさえ人材不足の蜀で 重要な箇所を関羽と孔明で任せて安定していたのを孔明を呼ばなければならなくなったのはそれだけで痛手。龐統は孔明の負担を減らすだけでも価値があった。
24:44~『あの』龐統に『そう』評価されてしまうのはなかなかすごいですね…
軍師が流れ矢に当たって死ぬのはおかしいという人がいますが、中郎将って近衛兵を率いる武官職なので、劉備と一緒に前線に出ることは普通にあったと思います。ちなみに、孫堅が死んだ時や夏侯惇が片目を失った時、関羽がヒジを負傷した時も『流矢』でした。総大将が死傷するくらいですから、その他は推して知るべしかと。
ガンダムでも「歴戦の勇者でも乱戦であっさり墜ちる」と描かれてましたね
龐統は蜀攻略の時、死んでなければって思わせる軍師。死んで無ければ孔明は荊州に留まってた。関羽は死なずに済んでたかも。なら夷陵の戦いは無い。軍略は孔明より優れてたみたいやから、北伐は龐統、内政は孔明が担当してたと思う。勝敗は分からんけど龐統の指揮する北伐見たかった。
それよく言われてるけど法正いたのになぜ孔明呼んだのかな?
その段階じゃまだ法正は本格的に劉備の参謀になってないからじゃないかな?立場的に微妙な段階だし法正が劉備が唯一言う事を聞く参謀になるのは蜀制圧してからだと思う
劉備視点で考えたら劉備が諸葛亮に期待してるのは魏で言うなら荀彧に近い役割で荊州の統治が落ち着いて潘濬という荊州の内政を任せられる逸材も見付けたから蜀の方を頼むって事かもね
蜀科作るのに、どのみち蜀に呼び寄せたんじゃないかね?借荊州の内容が不明だけど、呉と手切れにならない前提で劉備は動いてたんだと思う
龐統って蜀陣営で「もし早逝していなかったら・・」と考えた時一番妄想が膨らむ方かもしれない・・
ほうとうは劉備に殺されたようなもの、劉障の暗殺すればとか、首都の近くにいたとき速攻で首都を攻め落とすチャンスも劉備の世間体を気にして、結局長い戦いになりましたね。劉備は気に入った人はかなり使いまくるからほうとうは戦闘に出まくるから流れ矢に当たる不幸も仕方がなかったな、法正も漢中や全ての戦いで神経すり減り死んだようなもの。ブラック企業みたいなものだろうな、
この時代の外見、容姿は能力を現す大きなステータスの一つだったみたいですねぇ、袁紹が容姿が優れていたので評価されたみたいな話があったような
人の内面は外面に現れるとされた時代ですからね文醜とかわざわざ外見が醜いことを書かれてる辺り、あの人は醜いのに取り立てられた、ってイメージなのかも
今の時代もそう変わらないと思いますがねぇ
ルッキズム😂😂
龐統、法正、黄権が蜀に揃っていれば戦略的にも有利に進めることができたでしょうね。
軍師というより人物批評家のイメージが強いです。世説新語での登場回数をみるに、当時は相当人気者だったんでしょう。
龐統の様に一見ではわからない頭脳明晰な人物が好きで憧れます。
演義の飲んだくれて仕事しなかったエピソードのとき、確か張飛一人だと(龐統の命が)危ないと思って孫乾を同行させてるはず。
諸葛亮は内政タイプで、龐統と法正は参謀タイプって聞いたこと有ります。龐統か法正が生きていれば、北伐はどちらかがやって、諸葛亮は漢の蕭何みたいな役割分担がに集中できて、過労死する事も無かったと思います。
蜀には韓信みたいな武将は居ないけれどね…魏でも呉でもだけど。
@@生き返った伝説の投手村山 夏候淵・周瑜・関羽がそれっぽいけど、一人もうまくいってませんね……。
この辺も諸葛亮=官兵衛 龐統=鹿之助みたいな構図で面白いんだよな
うぽつです。おお龐統ですか。あくまで演義の話だけど、演義での最期あたりの龐統は功を焦った所為で思考能力が鈍って普段の知力を発揮できなくなってたんだろうなと……
合コンなどに行く時、敢えて外見を悪くする事も有りかもしれない
政務に長け成都の締め付けや物資輸送の役割を孔明。性格に難があるがキレキレだった法正が劉備担当。荊州を熟知して呉と面識があり張飛が一目置く龐統が荊州担当。このトライアングルができていたら樊城の戦い時の呉と魏の挟み撃ちが避けられたのかも。
本来呉とは共にしなければいけなかった。関羽を抑えられる人物がいたら結果は変わっていたかもね。孔明は後方支援法正が軍略担当龐統が戦略を担当が良かったのではないかな。
漢の三傑みたいですね孔明=蕭何法正=韓信龐統=張良見た目はのイメージは全然違いますがねww
@@tankurared4423 さん法正=陳平だと思いますよ
短気損気鳳凰なる前に戦死するとは、生きていればまた歴史変わっていたかも‼︎
龐統が戦死した時は残念だったが、あまり引きずらなかったのは法正がいたからかなとも思う。
大抵の人は、違いではなく優劣でしか物を見ないよね
正史三国志での「地味でもっさりしていた」という記述が拡大解釈されて「龐統はブサイク」という設定にされたようだけど、「地味」と「ブサイク」はそれぞれ別の概念だよね。現に、「地味系美人」を好む男性は少なくないようだし。若い頃の吉川ひなのさんみたいな「お人形さんみたいな美人」って、案外そんなに男ウケは良くない。同じく若い頃の広末涼子さんみたいな「地味系美人」の方がよっぽど男性(少なくとも日本人男性)にはウケる。
伏龍、鳳雛と揃っていながら天下をとれなかった劉備。この二人が劉備を主君にした理由も謎だし、水鏡先生に騙されたんじゃないかと思ってしまふ。
いつも分かりやすくて面白いなー( ´∀`)登場人物同士が話す場面が好きです( ´∀`)
適材適所という点において、内政の諸葛亮、外交の龐統(人当たりの良さと懐柔の上手さもあるので)、軍事の法正、だったら強力な組織になったのでしょうね。ただ、性格的な相性が龐統と法正は合うかもしれないけど、堅物の諸葛亮はどうだろう。クッション役になれるのが劉備だけだと、先は難しかったもしれません。
孔明とは合わないけどお互い認めていたからね。
ここに徐庶が入れればクッション役もバッチリですが・・・
演義では落鳳坡と言ういかにも取って付けたような名の場所で死亡となるが。いかにも過ぎて・・。
水鏡先生って凄い先生だったって感じだな
ナズーリンの耳動くのかわいい
早死にしたのは蜀にとって大きなマイナス孔明一人に負担がかかり過ぎて結局陣中で病没してしまった
徐庶が離れず 龐統と法正存命ならばまた違う歴史になったかも
@@アイーン四郎 夷陵の戦いで黄権が欠けたのも痛手やな。
龐 士元のイメージ達観した先読みを持つ中立的なリアリストかな。
言われてみれば、軍師であるホウトウが流れ矢に当たるってことは何かしら無理をしてたわけか
蜀の快進撃にケチがついたのは龐統の死だからな龐統が死んだので孔明が蜀入り龐統が死んでいなければ孔明は刑州に留まり(ここ重要)蜀・刑州領土を確保した上で呉と問題を起こすこと無く、刑州4郡を引き替えに双方主力を残したまま蜀呉の同名は成立していた。
違う違う龐統は
龐統士元が無事であれば歴史が変わっていたかも。それくらいの人物では。
劉備ってホンマ頭お花畑よな、部下が優れてても使う人間がこれじゃあ…
龐統は、現代に例えるなら「夏休みの宿題を8月31日に全部やって終わらせる」タイプでしょうか?
Tokihiko Sakamoto 正確には「8月31日だけで全部終わらせることができるタイプ」かと
周瑜が50まで生きていたら伏龍鳳雛出番あったかな?孫堅孫策周瑜が早く死んだから、劉備が荊州かすめ取る機会が回ってきた...と孫呉の将星は考えてたでしょう。関羽を倒すことにも彼らの正義あり。
新三国志演義ドラマだと龐統が自分を犠牲にして劉備助けてるから違和感が凄い 軍師が自分の命かけてまですることじゃない
人形劇でも劉備の「凶星」を見て代わりに自分が死ねば…とやってましたね。
25:00過ぎに、劉備役の霊夢さんの名前表記に、「劉備」ではなく「霊夢」と出てきていますけど、誤表記でしょうか・・・
誤表記です。ご指摘ありがとうございます。概要欄に訂正を致しました。
龐統があと20ねん生きていた時代が見たいばい(。・・)σ
龐統と法正が長生きならどうなっていたかな‥
成都に孔明/漢中に法正/荊州に龐統
よっぽど見た目とかが悪かったのかな?孫権や劉備がそこまで見る目がないとも思えないし、独特な雰囲気であったのは間違いなさそうだね
三国志の後の時代、三国志よりもカオスな五胡十六国時代も時間が出来たらやってほしいです(・∀・)
>ゆっくりと漢中を目指し(ry→劉備の本陣で霊夢と孫権の使者が語る実は劉備は霊夢だった可能性が微レ存…?
エフェクトが独自。
深く交わる(意味深)
司馬徽先生、龐統の見た目が怖くて近づけなかったんじゃ・・・
いつも悪役のきめぇ丸が主役になった。けど喋っている内容は割といつも通りだったw
もし、孫権がそのまま龐統を召し抱えてたら、蜀に劉備が行けたかも怪しい。ただ、龐統自身も人の好き嫌いが激しそうたからなあ。
魯粛がどこまでクッション役を果たせるかやな・・・?
一戦だけなのに張任いいよなぁ
龐統よりも徐庶が好き。曹操軍を埋伏の計で散々に打ち破った事で関羽張飛趙雲だけじゃなく、徐庶が仲間になってれば、孔明がいなくてもどうにかなったんじゃないのかな?
ホウトウの早死から蜀漢は詰将棋にハマった気がする
止めを刺したのは法正の死だと思いますね。あれで諸葛亮のワンマンが決まったようなものでしたから。内政と軍事、両方に才能があった傑物でしたから。
法正を失った事で孔明が両方こなさないといけないくらい人材の枯渇が明らかに
裏で流れている恐竜は何かのゲームだろうか。
青泥の戦いの時期が曖昧なのよね呉を援けようと北上して戦ったのか負けたあとでジュシュ口の戦いがあったのか後者であれば援軍出さなかったことになるから、孫権も怒るよな
ほろとう人形劇では天然痘の跡が目立ったり蒼天公路では左腕を失っていた
深く・・交わる・・・だと・・・?
劉備は劉邦の生まれ変わりなのだそうです。劉備はその後戦国時代で徳川家康になったそうです。だから劉備時代に曹操に後ろ足で砂をかけるように去ったような事をせず、最後まで同盟を貫いたのだと思いますよ。三国志を観ていると劉備に天下を取らせない天下の配剤も有ったのかも知れません。でも半分は小さなエゴを捨てられなかった所もあります。蜀の人材不足は全ては夷陵の大敗で精鋭軍団も人材も殆どが皆殺しになったからです。例えて言えば、アルマダの海戦で大兵力がイギリスに全滅させられたくらいの衝撃でしょうね。劉邦、項羽、韓信。楚漢戦争では誰が天下を取ってもおかしくなかった。本当なら劉邦が最も部が悪い。でも天下を取った。三国志の図式が途中経過が似ているですよね。韓信もその気になれば曹操くらいの事は出来たのかも知れません。項羽は武力一辺倒で臣下を上手く使えなかった反省で戦下手に生まれて臣下を活かすようになったのかも知れません。※この部分は自分なりの推測ですよ。孫権も項羽も武門の名家ですから。甲子園でも連覇は難しい。それだけ運を使います。大抵は5年くらいは沈んでいます。劉邦と劉備は本当に似ているんだけど、劉備の配下に曹操が居たら簡単に天下が取れていたと思います。だから劉邦は韓信を得ていた事が如何に大きかったのか?だと思います。頼朝も義経を得ていた事が大きかったのとにています。良ければ強運は面白い本です。明治維新の志士がどんな人生で誰に護られていたとか、どの偉人から背後で知恵を貰っていたか?など興味深いです。因みに松下幸之助は朱元璋の生まれ変わりなのだそうです。Panasonicが何故か不思議と中国と関係が深くなるのは、背景がそんな所から来ているのかも知れません。SONY創業者2人はアメリカと縁が深い前世で、だからアメリカに無意識に進出するのかなあと感じてしまいます。
演義の張飛ならさぼってる(ようにしか見えない)龐統見たら怒り狂ってボッコボコにしそうだがw
劉備玄徳食わせ者伝をお願いします。
龐統が劉備没後まで生きてたかどうかはいいとして、夷陵戦で歴史変わってるだろうなぁ。しかし言い回しが知性あるよね。駑馬とか鈍牛とか一見聞くと低評価に見えるけど、それぞれの評価が一長一短で良いところも含めてるのがなんというか…納得しちゃう。
龐統が曹操に連環の計を説明してる時に、周りに荀攸とか程昱はいなかったのかな?至極まともな作戦だから、疑わなかったのかな?あの東南の風とか、天変地異の類だから、油断してたのかな?徐庶だけが見抜くという、徐庶最後の見せ場に見えます(笑)
わかっていても…疫病がかなりヤバかったっとかじゃ…?
イメージで言うと、あそこは劉備、孫権の逆転サヨナラ満塁ホームランですかね?ギリギリの心理戦だったとは思いますが。
酒の事で張飛にとやかく言われたく無いよね。
龐統さん。自分で蜀取れと言っといて浮かれてる劉備に皮肉言うとか最後の方精神病んでたのかね。
これに関してはまだ劉璋を追い出して蜀を取ってないのに調子乗んなって意味合いがあったのかとというか、演義の不自然な良い人設定だったのなら未だしも、正史の劉備はヤクザ気質の傭兵団長みたいな奴なのに龐統の進言を入れてサッサと劉璋を捕えなかったのが今になっても不思議でならないここで労少なく早めに蜀をブン獲り治めてたら三國志もかなり違ったんだろうなあ
諸葛亮と並ぶ二大軍師などとは気は確かですか?確かに彼は法正と並ぶ名軍師ですが、諸葛亮は宰相としては蜀を豊かには出来ず、軍を率いては5戦全敗です。後任の宰相の蒋エンがどんなに苦労したか・・・。
三国志や信長の野望などのゲームは人の能力を項目の少ないデータで数値化をしており人を評価するには無理があると思う。結果を出した数が少ないから能力は低くていいなら、それこそこれらの世界を数値化するのはもっと非現実的なんだろうなあ。
嫌われ関羽の一生をしてください。
絵と字が?天才?何それ?なんだよなぁ~って事なんですよねぇ~、天才の俺ってこのタイミングでどうなんだろうねぇ~、言葉壊したらあかんよねぇ~。強弱色々、お付き合いまっせん!ふんっ!
劉備は龐統を活かしきれなかったのでは?蜀を奪う策を取り入れてはいるけれど、動画でも劉備のクズさが目立つ。赤壁で曹操を嵌める為に接触したが、そのまま曹操に仕えていたら自身も曹操もwin-winだったのでは…?
周瑜ってホウトウに嫉妬しなかったのかな演技だと孔明にめっちゃ嫉妬してるじゃん
龐統 徐庶がいれば荊州守れていたかも
徐庶が欠けたのも痛すぎだと思います人当たりなら諸葛亮、龐統よりはるかに上です関羽・張飛との相性もばっちりでした。
イラストの顔が簡雍にみえるのは私だけか?
ほうとうがあっさり死んでるだけで無能って思っちゃだめ?一回助かったとしても即死ねると思う全線に立たせちゃいけない人なのかもね
何を言っているのか聞き取れない
耳を掃除してこいまずそこからだ
スリキンの龐統が、役者さんもキャラも素晴らしすぎたなぁ。
あのドラマでの、自らの命と引き換えに、劉備に蜀攻めの大義を作る
龐統の決意が涙を誘う…本当に魅力にあふれた三国志キャラだと思う。
しかもコミュ力も凄い・・・関羽・張飛も上手く乗せて話をするシーンも必見です。
一番面白かったのは法正との会話シーンでしたね。
龐統は君や将に仕えたのではなく、土地の民を支えた師だと思っています。三国志で最も好きな方です。
宴席での劉備と龐統のやり取りいいよね
あと、蒼天航路の「腕が無いから風体が上がらないけど顔はイケメン」というのは面白い解釈だった
蜀漢はその時に限れば優秀な家臣達はいるのだがその家臣がいなくなった時に代わりがなかなか出てこないのがネックで…
もっさり士元=きめぇ丸、という配役が絶妙👏
きめぇ丸、主役の大任、お疲れ様💖
「流矢」という言葉が二通りに解釈できるらしくて、皆が想像する流れ矢に運悪く当たってしまったのか、龐統自身、もしくは龐統の軍に向けて斉射された矢に当たったのか…
後者なら的確に龐統を射抜いた張任とその軍の武勇を示すことになるのかもしれませんね。
龐統は、諸葛亮より法正とウマが合いそうな気がする。
龐統が攻めて孔明が内から支える、この形になるのが理想的だったかな・゜・(ノД`)・゜・
霊夢いつの間にw
的驢の厄を払うために敢えて乗馬したという話もありますよね? 若さが又悔やまれる😢
龐統が早々に消えたのは痛かったな。ただでさえ人材不足の蜀で 重要な箇所を関羽と孔明で任せて安定していたのを
孔明を呼ばなければならなくなったのはそれだけで痛手。龐統は孔明の負担を減らすだけでも価値があった。
24:44~
『あの』龐統に『そう』評価されてしまうのはなかなかすごいですね…
軍師が流れ矢に当たって死ぬのはおかしいという人がいますが、中郎将って近衛兵を率いる武官職なので、劉備と一緒に前線に出ることは普通にあったと思います。
ちなみに、孫堅が死んだ時や夏侯惇が片目を失った時、関羽がヒジを負傷した時も『流矢』でした。総大将が死傷するくらいですから、その他は推して知るべしかと。
ガンダムでも「歴戦の勇者でも乱戦であっさり墜ちる」と描かれてましたね
龐統は蜀攻略の時、死んでなければって思わせる軍師。死んで無ければ孔明は荊州に留まってた。関羽は死なずに済んでたかも。なら夷陵の戦いは無い。
軍略は孔明より優れてたみたいやから、北伐は龐統、内政は孔明が担当してたと思う。勝敗は分からんけど龐統の指揮する北伐見たかった。
それよく言われてるけど法正いたのになぜ孔明呼んだのかな?
その段階じゃまだ法正は本格的に劉備の参謀になってないからじゃないかな?
立場的に微妙な段階だし
法正が劉備が唯一言う事を聞く参謀になるのは蜀制圧してからだと思う
劉備視点で考えたら劉備が諸葛亮に期待してるのは魏で言うなら荀彧に近い役割で荊州の統治が落ち着いて潘濬という荊州の内政を任せられる逸材も見付けたから蜀の方を頼むって事かもね
蜀科作るのに、どのみち蜀に呼び寄せたんじゃないかね?
借荊州の内容が不明だけど、呉と手切れにならない前提で劉備は動いてたんだと思う
龐統って蜀陣営で「もし早逝していなかったら・・」と考えた時一番妄想が膨らむ方かもしれない・・
ほうとうは劉備に殺されたようなもの、劉障の暗殺すればとか、首都の近くにいたとき速攻で首都を攻め落とすチャンスも劉備の世間体を気にして、結局長い戦いになりましたね。劉備は気に入った人はかなり使いまくるからほうとうは戦闘に出まくるから流れ矢に当たる不幸も仕方がなかったな、法正も漢中や全ての戦いで神経すり減り死んだようなもの。ブラック企業みたいなものだろうな、
この時代の外見、容姿は能力を現す大きなステータスの一つだったみたいですねぇ、袁紹が容姿が優れていたので評価されたみたいな話があったような
人の内面は外面に現れるとされた時代ですからね
文醜とかわざわざ外見が醜いことを書かれてる辺り、あの人は醜いのに取り立てられた、ってイメージなのかも
今の時代もそう変わらないと思いますがねぇ
ルッキズム😂😂
龐統、法正、黄権が蜀に揃っていれば戦略的にも有利に進めることができたでしょうね。
軍師というより人物批評家のイメージが強いです。
世説新語での登場回数をみるに、当時は相当人気者だったんでしょう。
龐統の様に一見ではわからない頭脳明晰な人物が好きで憧れます。
演義の飲んだくれて仕事しなかったエピソードのとき、確か張飛一人だと(龐統の命が)危ないと思って孫乾を同行させてるはず。
諸葛亮は内政タイプで、龐統と法正は参謀タイプって聞いたこと有ります。
龐統か法正が生きていれば、北伐はどちらかがやって、諸葛亮は漢の蕭何みたいな役割分担がに集中できて、過労死する事も無かったと思います。
蜀には韓信みたいな武将は
居ないけれどね…
魏でも呉でもだけど。
@@生き返った伝説の投手村山 夏候淵・周瑜・関羽がそれっぽいけど、一人もうまくいってませんね……。
この辺も
諸葛亮=官兵衛 龐統=鹿之助
みたいな構図で面白いんだよな
うぽつです。おお龐統ですか。あくまで演義の話だけど、演義での最期あたりの龐統は功を焦った所為で思考能力が鈍って普段の知力を発揮できなくなってたんだろうなと……
合コンなどに行く時、敢えて外見を悪くする事も有りかもしれない
政務に長け成都の締め付けや物資輸送の役割を孔明。
性格に難があるがキレキレだった法正が劉備担当。
荊州を熟知して呉と面識があり張飛が一目置く龐統が荊州担当。
このトライアングルができていたら樊城の戦い時の呉と魏の挟み撃ちが避けられたのかも。
本来呉とは共にしなければいけなかった。
関羽を抑えられる人物がいたら結果は変わっていたかもね。
孔明は後方支援
法正が軍略担当
龐統が戦略を担当が良かったのではないかな。
漢の三傑みたいですね
孔明=蕭何
法正=韓信
龐統=張良
見た目はのイメージは全然違いますがねww
@@tankurared4423 さん
法正=陳平だと思いますよ
短気損気鳳凰なる前に戦死するとは、生きていればまた歴史変わっていたかも‼︎
龐統が戦死した時は残念だったが、あまり引きずらなかったのは法正がいたからかなとも思う。
大抵の人は、違いではなく優劣でしか物を見ないよね
正史三国志での「地味でもっさりしていた」という記述が拡大解釈されて「龐統はブサイク」という設定にされたようだけど、「地味」と「ブサイク」はそれぞれ別の概念だよね。現に、「地味系美人」を好む男性は少なくないようだし。
若い頃の吉川ひなのさんみたいな「お人形さんみたいな美人」って、案外そんなに男ウケは良くない。同じく若い頃の広末涼子さんみたいな「地味系美人」の方がよっぽど男性(少なくとも日本人男性)にはウケる。
伏龍、鳳雛と揃っていながら天下をとれなかった劉備。この二人が劉備を主君にした理由も謎だし、水鏡先生に騙されたんじゃないかと思ってしまふ。
いつも分かりやすくて面白いなー( ´∀`)
登場人物同士が話す場面が好きです( ´∀`)
適材適所という点において、内政の諸葛亮、外交の龐統(人当たりの良さと懐柔の上手さもあるので)、軍事の法正、だったら強力な組織になったのでしょうね。
ただ、性格的な相性が龐統と法正は合うかもしれないけど、堅物の諸葛亮はどうだろう。
クッション役になれるのが劉備だけだと、先は難しかったもしれません。
孔明とは合わないけどお互い認めていたからね。
ここに徐庶が入れればクッション役もバッチリですが・・・
演義では落鳳坡と言ういかにも取って付けたような名の場所で死亡となるが。いかにも過ぎて・・。
水鏡先生って凄い先生だった
って感じだな
ナズーリンの耳動くのかわいい
早死にしたのは蜀にとって大きなマイナス
孔明一人に負担がかかり過ぎて結局陣中で病没してしまった
徐庶が離れず 龐統と法正存命ならばまた違う歴史になったかも
@@アイーン四郎 夷陵の戦いで黄権が欠けたのも痛手やな。
龐 士元のイメージ
達観した先読みを持つ中立的なリアリストかな。
言われてみれば、軍師であるホウトウが流れ矢に当たるってことは何かしら無理をしてたわけか
蜀の快進撃にケチがついたのは龐統の死だからな
龐統が死んだので孔明が蜀入り
龐統が死んでいなければ孔明は刑州に留まり(ここ重要)
蜀・刑州領土を確保した上で呉と問題を起こすこと無く、刑州4郡を引き替えに双方主力を残したまま蜀呉の同名は成立していた。
違う違う
龐統は
龐統士元が無事であれば歴史が変わっていたかも。それくらいの人物では。
劉備ってホンマ頭お花畑よな、部下が優れてても使う人間がこれじゃあ…
龐統は、現代に例えるなら「夏休みの宿題を8月31日に全部やって終わらせる」タイプでしょうか?
Tokihiko Sakamoto 正確には「8月31日だけで全部終わらせることができるタイプ」かと
周瑜が50まで生きていたら伏龍鳳雛出番あったかな?孫堅孫策周瑜が早く死んだから、劉備が荊州かすめ取る機会が回ってきた...と孫呉の将星は考えてたでしょう。関羽
を倒すことにも彼らの正義あり。
新三国志演義ドラマだと龐統が自分を犠牲にして劉備助けてるから違和感が凄い 軍師が自分の命かけてまですることじゃない
人形劇でも劉備の「凶星」を見て代わりに自分が死ねば…とやってましたね。
25:00過ぎに、劉備役の霊夢さんの名前表記に、「劉備」ではなく「霊夢」と出てきていますけど、誤表記でしょうか・・・
誤表記です。ご指摘ありがとうございます。概要欄に訂正を致しました。
龐統があと20ねん生きていた時代が見たいばい
(。・・)σ
龐統と法正が長生きならどうなっていたかな‥
成都に孔明/漢中に法正/荊州に龐統
よっぽど見た目とかが悪かったのかな?孫権や劉備がそこまで見る目がないとも思えないし、独特な雰囲気であったのは間違いなさそうだね
三国志の後の時代、三国志よりもカオスな五胡十六国時代も時間が出来たらやってほしいです(・∀・)
>ゆっくりと漢中を目指し(ry
→劉備の本陣で霊夢と孫権の使者が語る
実は劉備は霊夢だった可能性が微レ存…?
エフェクトが独自。
深く交わる(意味深)
司馬徽先生、龐統の見た目が怖くて近づけなかったんじゃ・・・
いつも悪役のきめぇ丸が主役になった。けど喋っている内容は割といつも通りだったw
もし、孫権がそのまま龐統を召し抱えてたら、蜀に劉備が行けたかも怪しい。
ただ、龐統自身も人の好き嫌いが激しそうたからなあ。
魯粛がどこまでクッション役を果たせるかやな・・・?
一戦だけなのに張任いいよなぁ
龐統よりも徐庶が好き。曹操軍を埋伏の計で散々に打ち破った事で関羽張飛趙雲だけじゃなく、徐庶が仲間になってれば、孔明がいなくてもどうにかなったんじゃないのかな?
ホウトウの早死から蜀漢は詰将棋にハマった気がする
止めを刺したのは法正の死だと思いますね。あれで諸葛亮のワンマンが決まったようなものでしたから。内政と軍事、両方に才能があった傑物でしたから。
法正を失った事で孔明が両方こなさないといけないくらい人材の枯渇が明らかに
裏で流れている恐竜は何かのゲームだろうか。
青泥の戦いの時期が曖昧なのよね
呉を援けようと北上して戦ったのか
負けたあとでジュシュ口の戦いがあったのか
後者であれば援軍出さなかったことになるから、孫権も怒るよな
ほろとう人形劇では天然痘の跡が目立ったり
蒼天公路では左腕を失っていた
深く・・交わる・・・だと・・・?
劉備は劉邦の生まれ変わりなのだそうです。
劉備はその後戦国時代で徳川家康になったそうです。だから劉備時代に曹操に後ろ足で砂をかけるように去ったような事をせず、最後まで同盟を貫いたのだと思いますよ。
三国志を観ていると劉備に天下を取らせない天下の配剤も有ったのかも知れません。でも半分は小さなエゴを捨てられなかった所もあります。
蜀の人材不足は全ては夷陵の大敗で精鋭軍団も人材も殆どが皆殺しになったからです。例えて言えば、アルマダの海戦で大兵力がイギリスに全滅させられたくらいの衝撃でしょうね。
劉邦、項羽、韓信。楚漢戦争では誰が天下を取ってもおかしくなかった。本当なら劉邦が最も部が悪い。でも天下を取った。
三国志の図式が途中経過が似ているですよね。
韓信もその気になれば曹操くらいの事は出来たのかも知れません。項羽は武力一辺倒で臣下を上手く使えなかった反省で戦下手に生まれて臣下を活かすようになったのかも知れません。
※この部分は自分なりの推測ですよ。孫権も項羽も武門の名家ですから。
甲子園でも連覇は難しい。それだけ運を使います。大抵は5年くらいは沈んでいます。劉邦と劉備は本当に似ているんだけど、劉備の配下に曹操が居たら簡単に天下が取れていたと思います。
だから劉邦は韓信を得ていた事が如何に大きかったのか?だと思います。頼朝も義経を得ていた事が大きかったのとにています。
良ければ強運は面白い本です。明治維新の志士がどんな人生で誰に護られていたとか、どの偉人から背後で知恵を貰っていたか?など興味深いです。
因みに松下幸之助は朱元璋の生まれ変わりなのだそうです。Panasonicが何故か不思議と中国と関係が深くなるのは、背景がそんな所から来ているのかも知れません。
SONY創業者2人はアメリカと縁が深い前世で、だからアメリカに無意識に進出するのかなあと感じてしまいます。
演義の張飛ならさぼってる(ようにしか見えない)龐統見たら怒り狂ってボッコボコにしそうだがw
劉備玄徳食わせ者伝をお願いします。
龐統が劉備没後まで生きてたかどうかはいいとして、夷陵戦で歴史変わってるだろうなぁ。
しかし言い回しが知性あるよね。駑馬とか鈍牛とか一見聞くと低評価に見えるけど、それぞれの評価が一長一短で良いところも含めてるのがなんというか…納得しちゃう。
龐統が曹操に連環の計を説明してる時に、周りに荀攸とか程昱はいなかったのかな?至極まともな作戦だから、疑わなかったのかな?あの東南の風とか、天変地異の類だから、油断してたのかな?徐庶だけが見抜くという、徐庶最後の見せ場に見えます(笑)
わかっていても…疫病がかなりヤバかったっとかじゃ…?
イメージで言うと、あそこは劉備、孫権の逆転サヨナラ満塁ホームランですかね?ギリギリの心理戦だったとは思いますが。
酒の事で張飛にとやかく言われたく無いよね。
龐統さん。自分で蜀取れと言っといて浮かれてる劉備に皮肉言うとか最後の方精神病んでたのかね。
これに関してはまだ劉璋を追い出して蜀を取ってないのに調子乗んなって意味合いがあったのかと
というか、演義の不自然な良い人設定だったのなら未だしも、
正史の劉備はヤクザ気質の傭兵団長みたいな奴なのに龐統の進言を入れて
サッサと劉璋を捕えなかったのが今になっても不思議でならない
ここで労少なく早めに蜀をブン獲り治めてたら三國志もかなり違ったんだろうなあ
諸葛亮と並ぶ二大軍師などとは気は確かですか?
確かに彼は法正と並ぶ名軍師ですが、諸葛亮は宰相としては蜀を豊かには出来ず、軍を率いては5戦全敗です。後任の宰相の蒋エンがどんなに苦労したか・・・。
三国志や信長の野望などのゲームは人の能力を項目の少ないデータで数値化をしており人を評価するには無理があると思う。結果を出した数が少ないから能力は低くていいなら、それこそこれらの世界を数値化するのはもっと非現実的なんだろうなあ。
嫌われ関羽の一生をしてください。
絵と字が?天才?何それ?なんだよなぁ~って事なんですよねぇ~、天才の俺ってこのタイミングでどうなんだろうねぇ~、言葉壊したらあかんよねぇ~。強弱色々、お付き合いまっせん!ふんっ!
劉備は龐統を活かしきれなかったのでは?
蜀を奪う策を取り入れてはいるけれど、動画でも劉備のクズさが目立つ。
赤壁で曹操を嵌める為に接触したが、そのまま曹操に仕えていたら
自身も曹操もwin-winだったのでは…?
周瑜ってホウトウに嫉妬しなかったのかな
演技だと孔明にめっちゃ嫉妬してるじゃん
龐統 徐庶がいれば荊州守れていたかも
徐庶が欠けたのも痛すぎだと思います
人当たりなら諸葛亮、龐統よりはるかに上です
関羽・張飛との相性もばっちりでした。
イラストの顔が簡雍にみえるのは私だけか?
ほうとうがあっさり死んでるだけで無能って思っちゃだめ?
一回助かったとしても即死ねると思う
全線に立たせちゃいけない人なのかもね
何を言っているのか聞き取れない
耳を掃除してこいまずそこからだ