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【参考文献のリンク】◯『新編 越後三面山人記』(山と渓谷社)amzn.to/3OIwAG6◯『越後三面山人記』(農山漁村文化協会)amzn.to/3OqGKtX【ゆる民俗学ラジオグッズはこちら】狐のアクリルキーホルダー⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063362534狐の折りたたみ傘⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063376643狐の手ぬぐい⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063341869
「この村もう無いんですよ」じゃなくて「航空写真を見てみましょう」なのもはやエモの匠という感じ
私の実家では昔養蚕をやっていた影響か絹織物が残っています。自分の家で作った糸で織られた着物は、今のお店で売られているものよりなんともしっとりとしています。母曰く、品種改良によってお蚕さんが吐く糸は長くなったけど質がなくなった、とのことです。技術革新によって失われたものというお話で思い出しました。
どうしよう、最後泣いてしまった。そんなに遠くない過去、でももう二度と感じることは叶わないそこに確かにあったもの。黒川さんが愛する民俗学の意義を、ほんの少しだけど、とてつもなく鋭く突き付けられた感じがしました。個人的に今回は神回であったと思います。
やはり、このスタジオなら白シャツだと映えます。
1982年2月に調査に入って、1985年に…ってことは、調査に入った時点できっと村の人々にはダムの建設計画は伝えられていたんだろうなぁ。故郷が数年後に消えてしまうことが決まっているなんて、どんな気持ちで暮らしてたのかなと想像するだけで涙が…
じぶん的には神回でした。ゆる民俗学ラジオ見ていて良かったです。
「くま」のくだり、本当に泣いてしまった
自分は新潟県民で村上からは離れてますが、もしかしたら?という範囲で気になったのが、「ハー!」と言う部分。これ、音の調子的な言い方や癖じゃなく、「はぁ」という方言だと思います。「はぁ」は、一番分かりやすく言うと「もう」に近いと思います。「スカイツリーって、そんな高いの?」「もう凄い高いんだから!」的な、強調したい時に使うというか。なので、ゼンマイ戦争の件も「もう、ゼンマイの時期なんて戦争なんだから!」になるんじゃないかなと。ただ、「はぁ、もういい」と使う場合もあり、「もう、もういい」と訳すとオカシイので、我々はニュアンスと使い所で分けますが、本当にいろんな意味で使います。
それ、静岡方言もですよ!>「はぁ」=「もう」
群馬県でも言います。合いの手というか、会話の中にひと呼吸入れる感じ。はぁ、けえるんきゃ=もう帰るんですか?
くま と クマ のやり取りで朝からベロベロに泣きました。田口先生は三面の人に受け入れられ、一員として受け入れられていたんだな。熊狩に犬を使うのかが気になるので、本読んでみます。
大急ぎで本を注文しちゃった!!三面村の行く末は早い段階で想像できたけど、著者先生がフィールドワークに行かれたたった2年後とは…。1980年~86年、特に83~85年って全国的にいろんなものが激変して、昭和体制から次なる平成時代へ変わって行くちょうどその境界の3年間だったと、今振り返って思います(年号自体は天皇交代によるものなのですけど「昭和」「平成」が象徴する文化や価値観や世相という意味で)。地域の方の「はあー!」は、今のくだけた話し言葉の「マジ(で)~~~だ!」のマジの部分に限りなく近い用法だと感じました。強調のニュアンスを含んだ感嘆詞とでもいいますか。ところで私は大阪の都市部に住んでいた時、公立の中学で、秋になると毎年休む臨採でもない正規の担任持ちの先生がいました。土日や祝日と繋げて一週間ほど、家業の田の収穫に動員されるためと聞いて「えええ!?」って思ったことあります。公立の正規の先生なのに休むんだ…と、都会っ子過ぎた当時の自分はかなり驚きました。そういえば岸和田市のだんじりの際、確か岸和田の公立の学校は休みで、伴って親である同僚たちも有給申請をこぞって出すのだけど、大阪北部の同僚は理解できない感じでしたね。ゼンマイとりは祭りとは違うけど、それが生活の中心にあってとてもとても日常生活を送るどころではない!という行事の場合、学校が休みになるのはわかる。どうせ学校やってたって誰も来ない(笑)。
昭和から平成に変わっていく時代。そうなんですね。その辺りに産まれていますが、三面村が自分の産まれた時には存在していて、このような生活をされていた事にかなりの驚きがあったんですが、何だか腑に落ちました。岸和田のだんじりは大阪南部から見ても特殊ですよw友人が仕事で岸和田の職人さん?にだんじりの少し前に電話したら「こんな時期にかけてくるな!」と怒られたそうです😅岸和田の人はだんじりの為に一年生きてますからね。隣の高石市に友人がいて、高石のだんじりに呼んでもらった事がありますが、男性陣だけでなく女性陣も忙しそうでした。確かに、学校には誰も来ないと思います😂
@@user-oj5fu9ds5h 後から思うと、ですけどね。自分が幼児や小学低学年のとき、NHK教育テレビの子供向け社会科番組では地方の暮らしの事を紹介してたりして、大阪の自分はすでにして異世界だな感あったんですが、それでもそれは過去の紹介ではなく同時代の同世代の子どもとその家族たちの営みで、「ほえ~~~」って感じで…三面村みたいな暮らしや語り口のご老人を結構見ました。で、その後3,4,5年はがらっと違う中部地方に転校したんですが、これまた「えええ」って感じで…異文化でした。で、小6のとき大阪に戻ったんですけど、町も学校も何もかも様変わりしていて(わりと都会なのにです)、たった3年ほど中抜けしただけでマジ浦島太郎やん、って。そして5歳下・7歳下の弟妹が見ているNHK教育テレビの社会科番組でやっている内容にも浦島。勿論その時も弟妹の同時代同世代の地方の紹介をしていたんですよ、でも全然そこに出てくる地方の方々の生活が変わってて…どこそこがダムに沈んだとか、過疎が進んで(過疎時代は自分の時も問題になっていました)ついに無人になった廃集落とか…たびたび崩壊していた山道に綺麗に舗装された短絡ルートができて安全に登校できるようになったとか、あの、雪ん子スタイルにスキー履いて小さな分校に通学していた子たちの弟妹は、山一つ下りた校区にカラフルなニット帽かぶって融雪されたアスファルトを歩いて通学している…親子でもなく、たった数年の年齢差しかない兄弟で、こんなにも違う…。10年ひとむかしという言葉がありますが、80年代を含めて前後3年ぐらい(合わせて15年ほど)はたった5年で激変しました。その後この勢いで世の中が変わるのかと言えばそうではなく、「失われた30年」の変化は緩やかでしたから、やはりあの十数年間は相当な速さで変わって行ったのだと感じます。だんじりの「こんなときに掛けてくるな!」はすごくよくわかります。それどころじゃない…地区の方にとっては「非常時」ですよね。男衆も大変だろうけど、裏方を一手に引き受ける女衆もめっちゃくちゃ大変です。友人や知人がたくさんいるだけに「…ないわあ…~」(敬意はありますが、自分は出来ないw)と思います。
黒川さんの構成力すごいな
新しい動画が来てる!と思ってみたら地元の話でうれしいやら面はゆいやら。現代でも山菜採りは戦争です。腰の曲がった婆さんも朝早くで山に入って行ってニコニコで帰ってきますよ。
東北の奥深いって黒川くんが喋った時、ん!?と一瞬違和感があったものの三面(村上)はほとんど山形だしまぁ東北か、と思い直しました(新潟県民)新潟は南北に長いので同じ県でもちょっと方言か違って懐かしい部分もありながら新鮮で面白かったです!熊の掌といえば、冬眠中熊はおしりをかいているから片方の手がとてもくさいという話を聞いたのを思い出しました
まぁ言い間違いだと思われますが、山形にも朝日村はありますからね。その辺の混同は有るし、地元民からしても同文化圏って意識は有ったのかもしれません。新潟の方からはそうした指摘でてもおかしくないかなぁと気になってはいました。
瞳孔の形といえば「横たわる三日月」…いやぁ今回も黒川さんの構成力が光りましたね。エモエモのエモ。語る言葉ば結局「くま」の一言だけで良かったとか。方言がそのまま掲載されているのも、朗読されるのも大変良きですね。これをご覧になってるその地域のどなたかに「リアル朗読」とかして頂けたら「ハァー」の魅力がもっと際立つでしょうね😊
ゼンマイ戦争の話で地元栃木のチタケの話を思い出しました。栃木県民しか食べない乳茸とかいてチタケというキノコがありますが、県内では地権者の許可なく山に入りトラブルになるケースが後をたたないそうです。採取する人も自家用ではなく道の駅などで売って小遣い稼ぎをしたい人がほとんどで、あえて隣の市の山など顔見知りのいない土地で根こそぎとっていってしまうのだとか。そういう不心得者は最近では食べる習慣のない福島県まで遠征することもあるらしいです。
大学でマタギの先生がいてそこのゼミは冬に狩りに行くという噂の先生がやっぱりめっちゃ有名な先生だったんだなぁと……。別コースだったのですが、選択できたので授業取ったことあります。イオマンテの映像とか見られてよかったですよ!
田口先生とたまたま先週お話ししたばかりなので嬉しくそして楽しく拝見しました!文章もお上手ですがお話もお上手な方でいらっしゃいます、本当。
村が今存在しないことを説明する方法が上手い
エモエモのエモで最高!!動画内の方言と私の父親の口調がそっくりで驚いた。群馬育ちだから上州弁がきついのだと思っていたけど、新潟へ山遊びに行く人だからそっちの方言がうつっているっぽい。動画内の台詞のイントネーションが脳内再生できる。
エモエモでした…!電子書籍であったので買ってしまった…これから読みます!父の実家が村上なので,方言に覚えがありすぎる……そういえば祖母がよく「はー」言ってました
雪が積もったときに普段の道と違う場所を通れるようになる非日常感…宮沢賢治の「雪渡り」で見たやつだ…ラストの黒川さんのまとめ方が非常に巧みなのに加えて、(チャプターにはなっていませんが)右上の見出し(?)の言葉選びも印象的で素敵でした。
人間味ある筆者の心情と共に三面の山人の文化や生活が知れて、しかも筆者と高橋さんのエモの煮凝りみたいな話がまだ序章だなんて、もう買って読むっきゃないじゃないか
わ!つい最近博物館で立ち読みした本だ!!
私は秋田出身ではありませんが、ケモノ肉が美味しいのは冬あるあるですね…たまに猪をもらったりしますが、冬しか食べないです。あと、うちの地元は地域のお祭りのために授業を休むことが容認されてました。(※平成のお話です)
とても素晴らしい回でした
知らん人が実家の山に入って山菜採りをしていたことがありましたね(田舎の山あるある)
カモシカ、もののけ姫の祟り神みたいな不気味さある。美味しいのか…烏帽子様も食いたくなるワケだ(違)
「素直な気持ちで行けばいい」これは泣くやろ😭
本の内容もさることながら黒川さんの語りがまたエモい…素晴らしかったです
自分が住んでいる世界とは違う世界に踏み入れた時の恐怖とカルチャーショックを受ける機会は自分から行動しないと絶対得られないものだし、その経験と向き合う中で関わる人や新しい価値観、感じた事の無い自分自身に出会えるのって人生と同じだなと思いました。僕自身この動画はモチベ回でもあるなと感化されました。黒川さんの構成、素晴らしいです。次回も楽しみにしています。
カモシカは鹿ではなく牛の仲間です。味が良いというのはそのあたりも関係しそうですね。
イワシシ、カベシシと言った異名もありますので寒立の習性からの山羊に近いといった旧来の分類でしょうね。(収斂進化で似た結果)最近のDNAでの分類ですと鯨偶蹄目。ゴールデンカムイなんかでも触れられていますが、クマの内蔵も漢方薬として重宝したとか。。
あまりに面白くてエモいお話だったのでバリューブックスさんで越後三面山人記を注文しました!読むの楽しみだしイケメンを見れるのも楽しみです〜
ゼンマイだけに銭が舞ってたんですね
ありがとうございます。さっそく、本を発注いたしました。筑波大出身とのことで、間接的に拙の後輩ということになるのでしょうか。拙は廃校間際のどさくさに紛れ、教育大で宮田登教授に民俗学を習いましたが、以降ブランクが長く、拝聴して久々に学徒に戻った気分で楽しませて頂きました。
楽しみに待ってました!相変わらずサムネが素敵ですね
黒川さんの語り口の中にある「安定したもの」に、今回は惹かれました。それは、大学での研究生活を中心に時間をかけて培ってきた裏付けがあってこそなのだな、と感じました。
おいおい激エモやないか
萩尾望都『とつくにの娘』を思い出してしまった…1972年の作品でした。
只見湖に沈んだ村の資料館で近い説明を受けましたが、もう一度行けば少しだけ解像度高く理解することができそうです
最近でもないけど、東中野で「越後奥三面」というドキュメンタリー映画やってたな。貴重かつ大変面白かったのでぜひ、見てもらって語ってほしい
サムネめちゃくちゃ可愛い😍
農文協、今一番行きたい本屋さん
ゼンマイ戦争とサムネがちょっとゆる生態学ラジオみある
めちゃ面白い!ノンフィクションのファンタジーみたいですね
さすがの構成でした…😊
四国 山間部在住です。深夜早朝運転する時ロードキルの獣を拾って捌いて食べてますが、冬の獣と夏では匂い脂が違いますね。狸は癖があると言われていますが、冬の狸は脂ものって旨いです。若干羊のような匂いがあるのですが、羊頭狗肉の語源はこういうことかと食べて納得しました。アナグマ、ハクビシン、キテンは非常に旨いです。ゼンマイは、四国ではゼンマイ畑があります。最近は放置されているところが多いです。祖父は若い頃川で渡し船の船頭をしていたそうですが、渡しをしていたあたりもダム湖に沈んでいます。
サムネの吸引力よ
黒川さん大好き過ぎます!
kindle版買いました。
数日前、仙台駅前にカモシカが出現したというニュースもあり、タイムリーでは有りました。
1982年かぁ~。北の国からが81年だっけかな?なんか重ねちゃうなぁ・・・
ヲのフォントが独特
おもしろい
読みたくなりました😳
カモシカが青いってことにピンときてない浦下さんはカモシカを知らないのでは?自分はもののけ姫のヤックルのようなイメージを持っていましたが(みんなそうじゃない?)実物は青いはシシガミのようです。遠野の神社で初めてみたとき遠野物語に出てくる妖怪だと半ば本気で信じてしまうほどの衝撃でした。
よしのぶさんの右の掌はハチミツで甘いのかなぁ
えもえも侍やん…
越後 ルマンド かしわざき(BOURBONは本社が新潟県柏崎市)
調べたら『越後奥三面ー山に生かされた日々』という映画がありました。RUclipsに予告編があるようです。
水野堀元ぬいはあれからお留守番かぁ………
連れてくれば良いのに
群馬県に住んでいますが、地域に赤城山と日光男体山の神が昔たたかったという伝説があります。その日光の神が万事万三郎というマタギの祖であり、秋田の阿仁マタギも日光マタギを祖先にもっているという話を何かで読みました。
ちなみにそのときにたたかった現場が戦場ヶ原だと言われています。
結構その辺は混同があるようで、秋田マタギは桓武天皇代なので、時系列的に先ではないか?との指摘も有ったり。万事万三郎自身は日光権現以後なので、江戸期の話かなぁとも思ったり。まぁ緩く山の民同士で繋がり、交易があったようですし、江戸期の赤城山のマタギは一大勢力として頂点でも有ったようなので、そういった事から繋がりを大事にしていた事の現れなのかもしれません。(山の民、修験者は一説には忍者やスパイ活動を命じられたモノとされる事も。)ちなみに、磐司磐三郎は白犬に助けられた伝説が有りますが、それはゆる民俗学ラジオ#17の猿神退治の談でも取り上げられていますね。
@@ATI_PC ありがとうございます。 私が聞いたのは、万事万三郎と歌人の猿丸大夫が同一人物だという話です。古今和歌集の編纂が九世紀ごろなので、そうすると伝説の時期もそれと同じ頃だと類推できます。 アイヌ語学者の知里真志保は、樺太アイヌ語とマタギことばが似ていると言ってます。アイヌ語由来の地名については、かなり広く分布するという意見もあるし、はっきりアイヌ語由来だといえるのは北東北までだという人もいます。
@@user-jx7pq1vp1t ありがとうございます。猿丸のお話は面白く聞かせていただきました。(リンクを貼ると、投稿無効になってしまうようなので、参照でスイマセン。)山形の磐次磐三郎伝説では、芭蕉の奥の細道で有名な立石寺の創建後、帰依したともありまして、ソレが貞観二年(860年)。コトバンク 磐次磐三郎 参照宮城の磐司磐三郎伝説では白川犬卒都婆といいう地名が今も残り、地獄の閻魔大王の手伝いをしていたで有名な小野篁と共闘して戦ったと有ります。>白石市の珍しい住所・ 白川犬卒都婆とは? 参照小野篁の陸奥国赴任同行が815年猿丸伝説と符合してくるのがこの辺で、猿丸も陸奥国小野郷出身で姓が小野。秋田美人の代名詞の小野小町伝説にも関するとか>福島県 小野町の歴史 『小野小町』参照>wiki 小野小町 参照この辺を勘案しても、時系列の前後はあります。>山寺と磐司磐三郎(円仁との対面)・・(山寺百話・山寺立石寺千手院考)>山寺千手院地区に伝わる磐司磐三郎の墓>日本伝説人物辞典(磐司磐三郎 ばんじばんざぶろう)参照日光山は延喜式には二荒山とあり、日光権現と言われるようになるのは鎌倉以降。さらにはマタギのような狩猟権の縄張り問題が起きるのは江戸以降との事。私の曽祖父の代は白石蔵王で山に籠もっていたようですが、東北では秋田マタギの歴史が一番古いのではないか?と言っていました。聖徳太子などが複数の英雄譚の総合であるように、磐次磐三郎伝説にもそれぞれの地域の英雄譚の総称的な発展をしてきた可能性が高いです。ちなみに白石蔵王の白石では白鳥神社があり、ヤマトタケルノミコト伝説でも有名です。神社の縁起をそのまま信じるとそっちの方が古くなってしまうという、、。伝説は後付も多いです。民俗学で言われるのは、伝聞で聞いたお話は、その話者の祖母・曾祖母程度までしか遡れない、つまりは100年200年程度が射程距離だということ。(フィールドワークなどで良く注意される事でもあります。)ソレ以前はまた違う伝説が口伝されていたものに後付されている可能性があるって事で。。その辺を確かめようとすると、文献資料に当たらねばならず、その文献も史料批判精神で読み解かねばならないので、より確かな事となると考古学とのすり合わせが必要になってくるかと。。(神武天皇歴や邪馬台国論争などもそうですが、縁起をより古く言って権威上げを行うってのは何処の寺社仏閣でも多く行われていることなので、真に受けてしまうのも問題は有るかもしれません。)
@@ATI_PC とても丁寧にありがとうございます!
アオシシのアオは内臓の色って昔近所のおっさんが言ってた希ガス解体の時見せてもらったけど確かに胃?とか青かったかなと
『ホニ』は、「ほんに」 「本当に」の意味かな『ハー』は、「もう」の意味かな
アオシシがカモシカってお話なんの根拠もないただの想像ですが、ニホンジカに比べて灰色っぽいカモシカが青く見えたとかですかね。
漢字の蒼(あお)は元来ブチ模様や灰色の形容に使ったそうです。モンゴルの始祖蒼き狼(ボルテ・チノ)とは文字通りの青色は誤訳で斑あるいは灰色の狼が正確だそうです。アオシシが蒼猪だとすれば灰色の獣と考えられますので色で名付けた可能性は高いかも。
goo辞書によれば。。> あお‐うま〔あを‐〕【青馬/▽白馬】 の解説 1 濃い青みを帯びた黒馬。青毛の馬。また、淡青色や淡灰色の馬。あおごま。 「水鳥の鴨の羽色の―を今日見る人は限りなしといふ」〈万・四四九四〉 2 年初の節会 (せちえ) の引き馬とする白馬、または葦毛 (あしげ) の馬。 「春霞まづ引き渡る―をあしげなりとは誰 (たれ) か見ざらむ」〈経信集〉 3 「白馬 (あおうま) の節会」の略。↑青の範囲が広いようですね。青=淡いが語源的には筋かと。個人的には天の斑駒のようなまだらな色の印象が強いかなぁとは思ったり。
@@ATI_PC 猪(しし)は食用獣全般をさし、シカおよびイノシシに当たります。カモシカは灰色っぽいので茶色いシカやイノシシより体色が薄い(淡い)というのは確かにしっくりきますね。アオジシの語源を改めて調べてみると「青い汗をかくから」という説があってビックリ。でも青が持つ意味が現代と違っているならあり得るかもと思った。
@@user-uu3jb7sn8z シシ=四肢=獅子にも繋がる語ですからね。一般的に肉=シシでもありますが。。猪=一のシシ、二のシシが彼のシシで鹿と。毛(氈)の鹿でカモシカと。より身近な名付けだったのでしょう。色は緑と青が混同されやすいのと同様に、陰陽五行から来ているかと。明るい=赤、暗い=黒の対義だったので、白い=ハッキリしているの対義の青の幅は思いの外広い。。カマシシ・クラシシ・カモシシ・イワシシ・アオシシ・アオシカ・カベジシと名前は多様であるようですが、古語ではかましし=山羊と似ている、、とされているようで。やかましいが語源なら鳴き声のほうが印象強かったんでしょうかね。岩や壁ってのは山羊が絶壁を登る習性からインスパイアされているようでもあり。
知らぬ間に知識人による考察が…お二方共ありがとうございます
なんか、、、背景前の方が可愛くて良かったな
クマを上に追い立てるのは街に行かないためかな
山菜採りは、来年の分も考えて、根本から取っちゃいけない種もあったり。。外部から取りに来る人は根こそぎ取っていったり、山道に迷ったりして迷惑をかけてしまうことが多いのも玉に瑕。アオシシ、イワシシの寒立は神々しく、ソレを食べていたってのも考えると身震いするような思いもあります。神殺し、神を食べるといよりも、食べる恵みを与えてくれる神というのは洋の東西を問わず古代有った価値観で。(アメリカバイソンが多かった頃は、ネイティブインディアンはバイソンを神と崇めていたり。。)神と人とが今よりも近しい時代だったのでしょうね。コロナ禍で人通りが少なくなり、野生動物が山から降りてくる事が多くなったり、そもそも生息数が増えてしまったりも問題に成っていますね。北海道なんかではOSO18が家畜を襲っていたり。。狩猟会も高齢化していて、中々解決しづらく成っているような。。マタギのクマ狩りは、一番美味しい所は一部を山の神さまに捧げるらしいですね。まぁ解体して山を降りる頃には悪くなってしまうってのも有るらしいですが。
つまり「ぼく夏」は民俗学をベースにしていた・・・?
東北以南だと、軒先がほぼ無い家もあるけど、軒が無いか短いと落ちた雪と氷で窓が割れるよ。家も壁が傷むよ。アオシシは、多分、カモシカは白っぽい灰色っぽいんだけど、座り込んで草の汁ついたり、コケ着いたり生えたりすると思う。あと、緑がちょっと映り込むっての?白Tの隣に緑あったら緑っぽく見えるじゃん?なので、緑っぽい部分が出来たり見えたりするんで、緑っぽいシシでアオシシって言うのかと思う。売ってるのは、大量生産が悪いんじゃなく、使う人にとって、使い勝手が悪いというか、使いづらいなあってのは確かにありますね。自分も買ったのもを手直しして使うことあります。キーケースとか、中でガチャガチャしないようにゴムバンド付けたりして自分の使いやすい様に改造する。干し柿用ヒモって、専用ってわけじゃないよなあ。細かいよりじゃなくて、ふと目でよりが大きい緩めのがお薦め。ヘタについてる枝を縄目にねじ込んで干すのよ。ゼンマイは、干さなくても何度もアク抜きすれば食べれるけど、基本干しゼンマイ。保存性が高いからね。干したのは換金性が高いの。産直で売ってるの有りますが、高いよ。干すのも大変なんだ、あく抜きしたあと、ござに広げてもんで広げて干してって乾くまで数回やるから、手間すごい。ゼンマイはどんなに取りたくても、一株に1~2本は残さなくてはいけません!弱ってって取れなくなるよ!自然発生しかないから、種取って植えるって出来ないから増やしずらいんだから。ルールを守って山菜取り!
山だから「老若男」って女抜いて言ってるの流石だ。
ゼンマイあんまり美味くねえのに…
黒川くんが読む方言が、イントネーションが方言になってなくて違和感があるので、方言はネイティブの人に読んでほしい
全国の方言のネイティブ話者を連れてくるのは流石に無理でしょwコメ欄では地元だっていう方も結構いらっしゃるから、コメ欄で音声も載せられて補完出来たら楽しいのにね☺️
私は黒川さんの語り口は結構好きですけどね。研究者視点としての黒川さんの人となりが伝わってくるので良いと思いますよ?
【参考文献のリンク】
◯『新編 越後三面山人記』(山と渓谷社)
amzn.to/3OIwAG6
◯『越後三面山人記』(農山漁村文化協会)
amzn.to/3OqGKtX
【ゆる民俗学ラジオグッズはこちら】
狐のアクリルキーホルダー
⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063362534
狐の折りたたみ傘
⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063376643
狐の手ぬぐい
⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063341869
「この村もう無いんですよ」じゃなくて「航空写真を見てみましょう」なのもはやエモの匠という感じ
私の実家では昔養蚕をやっていた影響か絹織物が残っています。自分の家で作った糸で織られた着物は、今のお店で売られているものよりなんともしっとりとしています。母曰く、品種改良によってお蚕さんが吐く糸は長くなったけど質がなくなった、とのことです。技術革新によって失われたものというお話で思い出しました。
どうしよう、最後泣いてしまった。
そんなに遠くない過去、でももう二度と感じることは叶わないそこに確かにあったもの。
黒川さんが愛する民俗学の意義を、ほんの少しだけど、とてつもなく鋭く突き付けられた感じがしました。
個人的に今回は神回であったと思います。
やはり、このスタジオなら白シャツだと映えます。
1982年2月に調査に入って、1985年に…ってことは、調査に入った時点できっと村の人々にはダムの建設計画は伝えられていたんだろうなぁ。故郷が数年後に消えてしまうことが決まっているなんて、どんな気持ちで暮らしてたのかなと想像するだけで涙が…
じぶん的には神回でした。ゆる民俗学ラジオ見ていて良かったです。
「くま」のくだり、本当に泣いてしまった
自分は新潟県民で村上からは離れてますが、もしかしたら?という範囲で気になったのが、「ハー!」と言う部分。これ、音の調子的な言い方や癖じゃなく、「はぁ」という方言だと思います。
「はぁ」は、一番分かりやすく言うと「もう」に近いと思います。
「スカイツリーって、そんな高いの?」「もう凄い高いんだから!」的な、強調したい時に使うというか。なので、ゼンマイ戦争の件も「もう、ゼンマイの時期なんて戦争なんだから!」になるんじゃないかなと。ただ、「はぁ、もういい」と使う場合もあり、「もう、もういい」と訳すとオカシイので、我々はニュアンスと使い所で分けますが、本当にいろんな意味で使います。
それ、静岡方言もですよ!>「はぁ」=「もう」
群馬県でも言います。合いの手というか、会話の中にひと呼吸入れる感じ。
はぁ、けえるんきゃ=もう帰るんですか?
くま と クマ のやり取りで朝からベロベロに泣きました。田口先生は三面の人に受け入れられ、一員として受け入れられていたんだな。熊狩に犬を使うのかが気になるので、本読んでみます。
大急ぎで本を注文しちゃった!!
三面村の行く末は早い段階で想像できたけど、著者先生がフィールドワークに行かれたたった2年後とは…。
1980年~86年、特に83~85年って全国的にいろんなものが激変して、昭和体制から次なる平成時代へ変わって行くちょうどその境界の3年間だったと、今振り返って思います(年号自体は天皇交代によるものなのですけど「昭和」「平成」が象徴する文化や価値観や世相という意味で)。
地域の方の「はあー!」は、今のくだけた話し言葉の「マジ(で)~~~だ!」のマジの部分に限りなく近い用法だと感じました。強調のニュアンスを含んだ感嘆詞とでもいいますか。
ところで私は大阪の都市部に住んでいた時、公立の中学で、秋になると毎年休む臨採でもない正規の担任持ちの先生がいました。土日や祝日と繋げて一週間ほど、家業の田の収穫に動員されるためと聞いて「えええ!?」って思ったことあります。公立の正規の先生なのに休むんだ…と、都会っ子過ぎた当時の自分はかなり驚きました。
そういえば岸和田市のだんじりの際、確か岸和田の公立の学校は休みで、伴って親である同僚たちも有給申請をこぞって出すのだけど、大阪北部の同僚は理解できない感じでしたね。
ゼンマイとりは祭りとは違うけど、それが生活の中心にあってとてもとても日常生活を送るどころではない!という行事の場合、学校が休みになるのはわかる。どうせ学校やってたって誰も来ない(笑)。
昭和から平成に変わっていく時代。
そうなんですね。その辺りに産まれていますが、三面村が自分の産まれた時には存在していて、このような生活をされていた事にかなりの驚きがあったんですが、何だか腑に落ちました。
岸和田のだんじりは大阪南部から見ても特殊ですよw
友人が仕事で岸和田の職人さん?にだんじりの少し前に電話したら「こんな時期にかけてくるな!」と怒られたそうです😅
岸和田の人はだんじりの為に一年生きてますからね。隣の高石市に友人がいて、高石のだんじりに呼んでもらった事がありますが、男性陣だけでなく女性陣も忙しそうでした。確かに、学校には誰も来ないと思います😂
@@user-oj5fu9ds5h 後から思うと、ですけどね。
自分が幼児や小学低学年のとき、NHK教育テレビの子供向け社会科番組では地方の暮らしの事を紹介してたりして、大阪の自分はすでにして異世界だな感あったんですが、それでもそれは過去の紹介ではなく同時代の同世代の子どもとその家族たちの営みで、「ほえ~~~」って感じで…三面村みたいな暮らしや語り口のご老人を結構見ました。
で、その後3,4,5年はがらっと違う中部地方に転校したんですが、これまた「えええ」って感じで…異文化でした。で、小6のとき大阪に戻ったんですけど、町も学校も何もかも様変わりしていて(わりと都会なのにです)、たった3年ほど中抜けしただけでマジ浦島太郎やん、って。
そして5歳下・7歳下の弟妹が見ているNHK教育テレビの社会科番組でやっている内容にも浦島。
勿論その時も弟妹の同時代同世代の地方の紹介をしていたんですよ、でも全然そこに出てくる地方の方々の生活が変わってて…どこそこがダムに沈んだとか、過疎が進んで(過疎時代は自分の時も問題になっていました)ついに無人になった廃集落とか…たびたび崩壊していた山道に綺麗に舗装された短絡ルートができて安全に登校できるようになったとか、あの、雪ん子スタイルにスキー履いて小さな分校に通学していた子たちの弟妹は、山一つ下りた校区にカラフルなニット帽かぶって融雪されたアスファルトを歩いて通学している…親子でもなく、たった数年の年齢差しかない兄弟で、こんなにも違う…。
10年ひとむかしという言葉がありますが、80年代を含めて前後3年ぐらい(合わせて15年ほど)はたった5年で激変しました。
その後この勢いで世の中が変わるのかと言えばそうではなく、「失われた30年」の変化は緩やかでしたから、やはりあの十数年間は相当な速さで変わって行ったのだと感じます。
だんじりの「こんなときに掛けてくるな!」はすごくよくわかります。それどころじゃない…地区の方にとっては「非常時」ですよね。
男衆も大変だろうけど、裏方を一手に引き受ける女衆もめっちゃくちゃ大変です。友人や知人がたくさんいるだけに「…ないわあ…~」(敬意はありますが、自分は出来ないw)と思います。
黒川さんの構成力すごいな
新しい動画が来てる!と思ってみたら地元の話でうれしいやら面はゆいやら。
現代でも山菜採りは戦争です。腰の曲がった婆さんも朝早くで山に入って行ってニコニコで帰ってきますよ。
東北の奥深いって黒川くんが喋った時、ん!?と一瞬違和感があったものの三面(村上)はほとんど山形だしまぁ東北か、と思い直しました(新潟県民)
新潟は南北に長いので同じ県でもちょっと方言か違って懐かしい部分もありながら新鮮で面白かったです!
熊の掌といえば、冬眠中熊はおしりをかいているから片方の手がとてもくさいという話を聞いたのを思い出しました
まぁ言い間違いだと思われますが、山形にも朝日村はありますからね。
その辺の混同は有るし、地元民からしても同文化圏って意識は有ったのかもしれません。
新潟の方からはそうした指摘でてもおかしくないかなぁと気になってはいました。
瞳孔の形といえば「横たわる三日月」…
いやぁ今回も黒川さんの構成力が光りましたね。エモエモのエモ。語る言葉ば結局「くま」の一言だけで良かったとか。
方言がそのまま掲載されているのも、朗読されるのも大変良きですね。これをご覧になってるその地域のどなたかに「リアル朗読」とかして頂けたら「ハァー」の魅力がもっと際立つでしょうね😊
ゼンマイ戦争の話で地元栃木のチタケの話を思い出しました。
栃木県民しか食べない乳茸とかいてチタケというキノコがありますが、県内では地権者の許可なく山に入りトラブルになるケースが後をたたないそうです。
採取する人も自家用ではなく道の駅などで売って小遣い稼ぎをしたい人がほとんどで、あえて隣の市の山など顔見知りのいない土地で根こそぎとっていってしまうのだとか。
そういう不心得者は最近では食べる習慣のない福島県まで遠征することもあるらしいです。
大学でマタギの先生がいてそこのゼミは冬に狩りに行くという噂の先生がやっぱりめっちゃ有名な先生だったんだなぁと……。別コースだったのですが、選択できたので授業取ったことあります。イオマンテの映像とか見られてよかったですよ!
田口先生とたまたま先週お話ししたばかりなので嬉しくそして楽しく拝見しました!
文章もお上手ですがお話もお上手な方でいらっしゃいます、本当。
村が今存在しないことを説明する方法が上手い
エモエモのエモで最高!!
動画内の方言と私の父親の口調がそっくりで驚いた。
群馬育ちだから上州弁がきついのだと思っていたけど、新潟へ山遊びに行く人だからそっちの方言がうつっているっぽい。
動画内の台詞のイントネーションが脳内再生できる。
エモエモでした…!電子書籍であったので買ってしまった…これから読みます!
父の実家が村上なので,方言に覚えがありすぎる……そういえば祖母がよく「はー」言ってました
雪が積もったときに普段の道と違う場所を通れるようになる非日常感…宮沢賢治の「雪渡り」で見たやつだ…
ラストの黒川さんのまとめ方が非常に巧みなのに加えて、(チャプターにはなっていませんが)右上の見出し(?)の言葉選びも印象的で素敵でした。
人間味ある筆者の心情と共に三面の山人の文化や生活が知れて、しかも筆者と高橋さんのエモの煮凝りみたいな話がまだ序章だなんて、もう買って読むっきゃないじゃないか
わ!つい最近博物館で立ち読みした本だ!!
私は秋田出身ではありませんが、ケモノ肉が美味しいのは冬あるあるですね…
たまに猪をもらったりしますが、冬しか食べないです。
あと、うちの地元は地域のお祭りのために授業を休むことが容認されてました。
(※平成のお話です)
とても素晴らしい回でした
知らん人が実家の山に入って山菜採りをしていたことがありましたね(田舎の山あるある)
カモシカ、もののけ姫の祟り神みたいな不気味さある。
美味しいのか…烏帽子様も食いたくなるワケだ(違)
「素直な気持ちで行けばいい」
これは泣くやろ😭
本の内容もさることながら黒川さんの語りがまたエモい…素晴らしかったです
自分が住んでいる世界とは違う世界に踏み入れた時の恐怖とカルチャーショックを受ける機会は自分から行動しないと絶対得られないものだし、その経験と向き合う中で関わる人や新しい価値観、感じた事の無い自分自身に出会えるのって人生と同じだなと思いました。
僕自身この動画はモチベ回でもあるなと感化されました。
黒川さんの構成、素晴らしいです。
次回も楽しみにしています。
カモシカは鹿ではなく牛の仲間です。味が良いというのはそのあたりも関係しそうですね。
イワシシ、カベシシと言った異名もありますので寒立の習性からの山羊に近いといった旧来の分類でしょうね。(収斂進化で似た結果)
最近のDNAでの分類ですと鯨偶蹄目。
ゴールデンカムイなんかでも触れられていますが、クマの内蔵も漢方薬として重宝したとか。。
あまりに面白くてエモいお話だったのでバリューブックスさんで越後三面山人記を注文しました!読むの楽しみだしイケメンを見れるのも楽しみです〜
ゼンマイだけに銭が舞ってたんですね
ありがとうございます。
さっそく、本を発注いたしました。
筑波大出身とのことで、間接的に拙の後輩ということになるのでしょうか。
拙は廃校間際のどさくさに紛れ、教育大で宮田登教授に民俗学を習いましたが、以降ブランクが長く、
拝聴して久々に学徒に戻った気分で楽しませて頂きました。
楽しみに待ってました!
相変わらずサムネが素敵ですね
黒川さんの語り口の中にある「安定したもの」に、今回は惹かれました。それは、大学での研究生活を中心に時間をかけて培ってきた裏付けがあってこそなのだな、と感じました。
おいおい激エモやないか
萩尾望都『とつくにの娘』を思い出してしまった…
1972年の作品でした。
只見湖に沈んだ村の資料館で近い説明を受けましたが、もう一度行けば少しだけ解像度高く理解することができそうです
最近でもないけど、東中野で「越後奥三面」というドキュメンタリー映画やってたな。貴重かつ大変面白かったのでぜひ、見てもらって語ってほしい
サムネめちゃくちゃ可愛い😍
農文協、今一番行きたい本屋さん
ゼンマイ戦争とサムネがちょっとゆる生態学ラジオみある
めちゃ面白い!ノンフィクションのファンタジーみたいですね
さすがの構成でした…😊
四国 山間部在住です。深夜早朝運転する時ロードキルの獣を拾って捌いて食べてますが、冬の獣と夏では匂い脂が違いますね。
狸は癖があると言われていますが、冬の狸は脂ものって旨いです。
若干羊のような匂いがあるのですが、羊頭狗肉の語源はこういうことかと食べて納得しました。
アナグマ、ハクビシン、キテンは非常に旨いです。
ゼンマイは、四国ではゼンマイ畑があります。最近は放置されているところが多いです。
祖父は若い頃川で渡し船の船頭をしていたそうですが、渡しをしていたあたりもダム湖に沈んでいます。
サムネの吸引力よ
黒川さん大好き過ぎます!
kindle版買いました。
数日前、仙台駅前にカモシカが出現したというニュースもあり、タイムリーでは有りました。
1982年かぁ~。北の国からが81年だっけかな?なんか重ねちゃうなぁ・・・
ヲのフォントが独特
おもしろい
読みたくなりました😳
カモシカが青いってことにピンときてない浦下さんはカモシカを知らないのでは?
自分はもののけ姫のヤックルのようなイメージを持っていましたが(みんなそうじゃない?)実物は青いはシシガミのようです。
遠野の神社で初めてみたとき遠野物語に出てくる妖怪だと半ば本気で信じてしまうほどの衝撃でした。
よしのぶさんの右の掌はハチミツで甘いのかなぁ
えもえも侍やん…
越後 ルマンド かしわざき
(BOURBONは本社が新潟県柏崎市)
調べたら『越後奥三面ー山に生かされた日々』という映画がありました。RUclipsに予告編があるようです。
水野堀元ぬいはあれからお留守番かぁ………
連れてくれば良いのに
群馬県に住んでいますが、地域に赤城山と日光男体山の神が昔たたかったという伝説があります。その日光の神が万事万三郎というマタギの祖であり、秋田の阿仁マタギも日光マタギを祖先にもっているという話を何かで読みました。
ちなみにそのときにたたかった現場が戦場ヶ原だと言われています。
結構その辺は混同があるようで、秋田マタギは桓武天皇代なので、時系列的に先ではないか?との指摘も有ったり。万事万三郎自身は日光権現以後なので、江戸期の話かなぁとも思ったり。
まぁ緩く山の民同士で繋がり、交易があったようですし、江戸期の赤城山のマタギは一大勢力として頂点でも有ったようなので、そういった事から繋がりを大事にしていた事の現れなのかもしれません。(山の民、修験者は一説には忍者やスパイ活動を命じられたモノとされる事も。)
ちなみに、磐司磐三郎は白犬に助けられた伝説が有りますが、それはゆる民俗学ラジオ#17の猿神退治の談でも取り上げられていますね。
@@ATI_PC ありがとうございます。 私が聞いたのは、万事万三郎と歌人の猿丸大夫が同一人物だという話です。古今和歌集の編纂が九世紀ごろなので、そうすると伝説の時期もそれと同じ頃だと類推できます。
アイヌ語学者の知里真志保は、樺太アイヌ語とマタギことばが似ていると言ってます。
アイヌ語由来の地名については、かなり広く分布するという意見もあるし、はっきりアイヌ語由来だといえるのは北東北までだという人もいます。
@@user-jx7pq1vp1t ありがとうございます。猿丸のお話は面白く聞かせていただきました。
(リンクを貼ると、投稿無効になってしまうようなので、参照でスイマセン。)
山形の磐次磐三郎伝説では、芭蕉の奥の細道で有名な立石寺の創建後、帰依したともありまして、ソレが貞観二年(860年)。
コトバンク 磐次磐三郎 参照
宮城の磐司磐三郎伝説では白川犬卒都婆といいう地名が今も残り、
地獄の閻魔大王の手伝いをしていたで有名な小野篁と共闘して戦ったと有ります。
>白石市の珍しい住所・ 白川犬卒都婆とは? 参照
小野篁の陸奥国赴任同行が815年
猿丸伝説と符合してくるのがこの辺で、猿丸も陸奥国小野郷出身で姓が小野。
秋田美人の代名詞の小野小町伝説にも関するとか
>福島県 小野町の歴史 『小野小町』参照
>wiki 小野小町 参照
この辺を勘案しても、時系列の前後はあります。
>山寺と磐司磐三郎(円仁との対面)・・(山寺百話・山寺立石寺千手院考)
>山寺千手院地区に伝わる磐司磐三郎の墓
>日本伝説人物辞典(磐司磐三郎 ばんじばんざぶろう)
参照
日光山は延喜式には二荒山とあり、日光権現と言われるようになるのは鎌倉以降。
さらにはマタギのような狩猟権の縄張り問題が起きるのは江戸以降との事。
私の曽祖父の代は白石蔵王で山に籠もっていたようですが、東北では秋田マタギの歴史が一番古いのではないか?と言っていました。聖徳太子などが複数の英雄譚の総合であるように、磐次磐三郎伝説にもそれぞれの地域の英雄譚の総称的な発展をしてきた可能性が高いです。
ちなみに白石蔵王の白石では白鳥神社があり、ヤマトタケルノミコト伝説でも有名です。
神社の縁起をそのまま信じるとそっちの方が古くなってしまうという、、。
伝説は後付も多いです。
民俗学で言われるのは、伝聞で聞いたお話は、その話者の祖母・曾祖母程度までしか遡れない、つまりは100年200年程度が射程距離だということ。(フィールドワークなどで良く注意される事でもあります。)
ソレ以前はまた違う伝説が口伝されていたものに後付されている可能性があるって事で。。
その辺を確かめようとすると、文献資料に当たらねばならず、その文献も史料批判精神で読み解かねばならないので、より確かな事となると考古学とのすり合わせが必要になってくるかと。。
(神武天皇歴や邪馬台国論争などもそうですが、縁起をより古く言って権威上げを行うってのは何処の寺社仏閣でも多く行われていることなので、真に受けてしまうのも問題は有るかもしれません。)
@@ATI_PC とても丁寧にありがとうございます!
アオシシのアオは内臓の色って昔近所のおっさんが言ってた希ガス
解体の時見せてもらったけど確かに胃?とか青かったかなと
『ホニ』は、「ほんに」 「本当に」の意味かな
『ハー』は、「もう」の意味かな
アオシシがカモシカってお話
なんの根拠もないただの想像ですが、ニホンジカに比べて灰色っぽいカモシカが青く見えたとかですかね。
漢字の蒼(あお)は元来ブチ模様や灰色の形容に使ったそうです。モンゴルの始祖蒼き狼(ボルテ・チノ)とは文字通りの青色は誤訳で斑あるいは灰色の狼が正確だそうです。アオシシが蒼猪だとすれば灰色の獣と考えられますので色で名付けた可能性は高いかも。
goo辞書によれば。。
> あお‐うま〔あを‐〕【青馬/▽白馬】 の解説
1 濃い青みを帯びた黒馬。青毛の馬。また、淡青色や淡灰色の馬。あおごま。
「水鳥の鴨の羽色の―を今日見る人は限りなしといふ」〈万・四四九四〉
2 年初の節会 (せちえ) の引き馬とする白馬、または葦毛 (あしげ) の馬。
「春霞まづ引き渡る―をあしげなりとは誰 (たれ) か見ざらむ」〈経信集〉
3 「白馬 (あおうま) の節会」の略。
↑
青の範囲が広いようですね。青=淡いが語源的には筋かと。
個人的には天の斑駒のようなまだらな色の印象が強いかなぁとは思ったり。
@@ATI_PC 猪(しし)は食用獣全般をさし、シカおよびイノシシに当たります。カモシカは灰色っぽいので茶色いシカやイノシシより体色が薄い(淡い)というのは確かにしっくりきますね。アオジシの語源を改めて調べてみると「青い汗をかくから」という説があってビックリ。でも青が持つ意味が現代と違っているならあり得るかもと思った。
@@user-uu3jb7sn8z シシ=四肢=獅子にも繋がる語ですからね。一般的に肉=シシでもありますが。。
猪=一のシシ、二のシシが彼のシシで鹿と。毛(氈)の鹿でカモシカと。より身近な名付けだったのでしょう。
色は緑と青が混同されやすいのと同様に、陰陽五行から来ているかと。
明るい=赤、暗い=黒の対義だったので、
白い=ハッキリしているの対義の青の幅は思いの外広い。。
カマシシ・クラシシ・カモシシ・イワシシ・アオシシ・アオシカ・カベジシと名前は多様であるようですが、古語ではかましし=山羊と似ている、、とされているようで。やかましいが語源なら鳴き声のほうが印象強かったんでしょうかね。
岩や壁ってのは山羊が絶壁を登る習性からインスパイアされているようでもあり。
知らぬ間に知識人による考察が…
お二方共ありがとうございます
なんか、、、背景前の方が可愛くて良かったな
クマを上に追い立てるのは街に行かないためかな
山菜採りは、来年の分も考えて、根本から取っちゃいけない種もあったり。。外部から取りに来る人は根こそぎ取っていったり、山道に迷ったりして迷惑をかけてしまうことが多いのも玉に瑕。
アオシシ、イワシシの寒立は神々しく、ソレを食べていたってのも考えると身震いするような思いもあります。
神殺し、神を食べるといよりも、食べる恵みを与えてくれる神というのは洋の東西を問わず古代有った価値観で。
(アメリカバイソンが多かった頃は、ネイティブインディアンはバイソンを神と崇めていたり。。)
神と人とが今よりも近しい時代だったのでしょうね。
コロナ禍で人通りが少なくなり、野生動物が山から降りてくる事が多くなったり、そもそも生息数が増えてしまったりも問題に成っていますね。
北海道なんかではOSO18が家畜を襲っていたり。。
狩猟会も高齢化していて、中々解決しづらく成っているような。。
マタギのクマ狩りは、一番美味しい所は一部を山の神さまに捧げるらしいですね。
まぁ解体して山を降りる頃には悪くなってしまうってのも有るらしいですが。
つまり「ぼく夏」は民俗学をベースにしていた・・・?
東北以南だと、軒先がほぼ無い家もあるけど、軒が無いか短いと落ちた雪と氷で窓が割れるよ。家も壁が傷むよ。
アオシシは、多分、カモシカは白っぽい灰色っぽいんだけど、座り込んで草の汁ついたり、コケ着いたり生えたりすると思う。あと、緑がちょっと映り込むっての?白Tの隣に緑あったら緑っぽく見えるじゃん?なので、緑っぽい部分が出来たり見えたりするんで、緑っぽいシシでアオシシって言うのかと思う。
売ってるのは、大量生産が悪いんじゃなく、使う人にとって、使い勝手が悪いというか、使いづらいなあってのは確かにありますね。
自分も買ったのもを手直しして使うことあります。キーケースとか、中でガチャガチャしないようにゴムバンド付けたりして自分の使いやすい様に改造する。
干し柿用ヒモって、専用ってわけじゃないよなあ。細かいよりじゃなくて、ふと目でよりが大きい緩めのがお薦め。ヘタについてる枝を縄目にねじ込んで干すのよ。
ゼンマイは、干さなくても何度もアク抜きすれば食べれるけど、基本干しゼンマイ。保存性が高いからね。干したのは換金性が高いの。産直で売ってるの有りますが、高いよ。干すのも大変なんだ、あく抜きしたあと、ござに広げてもんで広げて干してって乾くまで数回やるから、手間すごい。
ゼンマイはどんなに取りたくても、一株に1~2本は残さなくてはいけません!弱ってって取れなくなるよ!自然発生しかないから、種取って植えるって出来ないから増やしずらいんだから。
ルールを守って山菜取り!
山だから「老若男」って女抜いて言ってるの流石だ。
ゼンマイあんまり美味くねえのに…
黒川くんが読む方言が、イントネーションが方言になってなくて違和感があるので、方言はネイティブの人に読んでほしい
全国の方言のネイティブ話者を連れてくるのは流石に無理でしょw
コメ欄では地元だっていう方も結構いらっしゃるから、コメ欄で音声も載せられて補完出来たら楽しいのにね☺️
私は黒川さんの語り口は結構好きですけどね。研究者視点としての黒川さんの人となりが伝わってくるので良いと思いますよ?