昭和の【日立電鉄】朝の4連:旧型車両全盛時代

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • '87.7撮影:2005年に廃止された日立電鉄では、1992年以降、元営団銀座線の車輛に置き換えられていましたが、本動画の撮影時点は種々雑多な吊り掛け車の全盛時代でした。平日朝7時台には、4連や3連の旧型車をはじめとして、いろいろな車輛たちに出会うことができ、まさに至福の時間でした。
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    参考文献:JTB、発行「ローカル私鉄車両の20年」寺田裕一著
    新潮旅ムック「鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線:関東1」
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Комментарии • 45

  • @user-cs3kr5ul6e
    @user-cs3kr5ul6e Год назад +5

    国鉄当時の1986年に日立駅から上り上野行き普通列車に乗って、大甕駅で降りて、日立電鉄線に乗って久慈浜駅でおりて、当時69歳だったじいちゃんと2人で、久慈浜のサイクリングコースを走りました。車窓から見た景色と、車両のモーター音、帰り際に見た眩しい夕日が思い出します。この動画を見て懐かしい思い出が涙をさそいました。素晴らしい動画をありがとうございます

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +2

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      久慈浜にサイクリングコースがある(あった?)のですね。この動画で涙を誘うほどに懐かしんでいただけたのであれば、投稿者としては大変光栄です。

    • @user-ph2ws5kd2w
      @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад +1

      昔の日立電鉄線の旧型🚃は夜間の走行にスリルがありました。上り勾配に差し掛かると車内が徐々に暗くなり下り勾配でパッと明るくなったりしました。

  • @user-ph2ws5kd2w
    @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад +2

    懐かしい動画をありがとうございます。昔お世話になった日立電鉄線の旧型車両達の貴重な動画ですね。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  11 месяцев назад +1

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      (元)地元の方でしょうか。ホントに一両一両、愛しい旧型車輛たちでしたよね。

    • @user-ph2ws5kd2w
      @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад +1

      合併前の水府村今の常陸太田市の祖父👴の家の行き帰りや塾の行き帰りで日立電鉄線をよく利用しました。昭和50年代の🚃の塗装は黄土色とクリームのツートーンカラーやオレンジとクリームのツートーンカラーと赤ワイン色とクリームのツートーンカラーの3パターンがありました。

    • @user-ph2ws5kd2w
      @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад +1

      朝夕のラッシュに2両~4両編成が輸送力を遺憾なく発揮しました。

    • @user-ph2ws5kd2w
      @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад +1

      昼間は1両単行がメインでした。1両単行も多客時は2両~3両で走りました。

  • @user-ph2ws5kd2w
    @user-ph2ws5kd2w 18 дней назад

    朝の4両編成は3つドアで統一前は2つドアのサハ2801が3つドアに混ざって組み込まれていました。4両編成中1両だけモハ13の流れを組む短い車体の車両が連結されていました。後にモハ1002に置き換わりサハ2801は廃車になりました。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  10 дней назад

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      4両編成の構成で車輛のチェンジがあったとは知りませんでした。

  • @user-mi4oh9fp7k
    @user-mi4oh9fp7k 14 дней назад

    懐かしい動画をありがとうございます。
    元相鉄荷電のモハ1009と1008があやふやなようですが、クハ2504と編成組んでいるのがモハ1009、動画中大甕構内に留置されているのがモハ1008(前パン)です。
    余談ですが、この当時からすでにモハ1008は営業運転から外されていて、廃車になるまで営業運転に就くことはありませんでした。(このあと1回、全般検査は通しています)
    元々、太田側からモハ1008+クハ2504+モハ1009の編成でしたが、撮影された少し前に1008が外され、2連になっています。
    大橋で交換している編成は、他の方が言われている通りで、太田側からクハ2501+モハ1006+モハ1001の3連です。
    こちらもほどなく、モハ1006が抜かれ、2連になり、以降旧型車での3連はなくなりました。
    モハ1006は、1000形一党で唯一ワンマン改造されていましたが、他のワンマン車と1000形一党とで制御器が異なるために混結できず、なかなか営業運転には入りませんでしたが、営団車入線直前に太田側からモハ1003+モハ1006の2連で使われたのち、最終的には92年のGW明け以降、4連にモハ1002の代わり(モハ1002の雨漏れとモハ1005のモーター不調。組成変更後、1005はクハ代用)に組み込まれ、太田側からモハ1004+サハ1501+モハ1006+モハ1005の編成で4連の終焉を迎えています。
    なお、1000形一党はモハ1001から1006、サハ1501、クハ2501と相鉄荷電崩れのモハ1007以降とクハ2503、2504でモハとサハ1501はご承知の通り小田急モハ1形がルーツではあるものの、相鉄荷電の3両は相鉄荷電時代にモーター出力強化に伴う台車交換(住友KS-30L→汽車K-16、モーターは三菱MB-64Cから省型MT-4へ)をしていて、さらには双方でジャンパ線が異なる(1006までのグループは多芯化されていました)ため、混結することが出来ませんでした。
    長々とお目汚し、大変失礼いたしました。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  9 дней назад +1

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      車輛の変遷について大変詳細な情報をお寄せいただき恐縮です。私が使用している参考文献には記されていない情報がいろいろあって勉強になりました。また運用についても、旅客輸送量の減少に伴い3連から2連へ、また4連廃止という流れがやはりあったのですね。

    • @user-mi4oh9fp7k
      @user-mi4oh9fp7k 3 дня назад

      @@昭和電車チャンネル 様
      元営団車である、2000/3000形が登場後、3連は復活したのですが、実は営団車のサイズだと電鉄線内において、大橋等構内が狭隘の駅があったため、4連が組めない…という事情もあったかと思います。
      旧型の4連にしても、80年代初頭までは大橋駅のホーム長さが足らず、大橋駅では1両ドアカットの措置が行われていて、各駅にその旨案内する看板がありました。
      元相鉄のサハ2801(ルーツはモハ13形と同系のサハ)が廃車になったのち、代わりにモハ1001の編成からモハ1002を引き抜いて4連を組成(ゆえに1001の編成にモハ1006が組み込まれていた)していましたが、編成長が伸びたこともあり、朝の上り鮎川行きは大橋での交換が無かったので問題はなかったのですが、夕方の下り常北太田行きは、必ず交換相手の上り列車が先に大橋駅に入るようになっていました。
      というのも、4連の太田行きを先に大橋に入れてしまうと、停車位置が出発信号機の軌道回路を踏んでしまう位置にあったので、上り列車が大橋構内に進入できなくということになってしまうため、上り列車が大橋に先着して交換待ちするというダイヤになっていました。
      もっとも、4連のスジは朝の上りは割と余裕があったのですが、夕方の下りはかなりタイトにスジが引かれていたため、どんなに早く運転する乗務員のコンビが運転しても、遅延するのが常でした。
      2000形の3連に置き換えられてからは、それらは解消されましたが、今度は朝ラッシュのピーク時、6個列車在線時に変電所が飛ぶ…ということが度々ありまして、3連との交換に関しては「3連優先発車」の達示があったのですが、場合によってはそれを無視しないとダイヤが維持出来ないという、悩ましい面もありました。
      そういった事情もあってか、営団払い下げ車の2000/3000形には冷房装置は廃線までとうとう設置されず、皮肉にも置き換え直後から急激な輸送量の減少もあって、電力事情は改善されたものの、コスト面の門題もあり、必要以上の経費削減が迫られた状況下では実現できずに終わってしまった…という一面もあったかと思います。
      他方では、直流600V直接駆動式のクーラーを生産・供給していたメーカーが、生産を取りやめた…という要素もあったのかもしれません。
      またまた長文にて失礼いたしました。

  • @user-ph2ws5kd2w
    @user-ph2ws5kd2w 24 дня назад

    形式不詳の電車はモハ1006だと思います。両運転台で前後2方向に貫通路がありました。日立電鉄線で唯一の貫通型でした。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  19 дней назад

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      形式をご教示いただき恐縮です。モハ1006は両運転台&貫通路が特徴だったのですね。

  • @user-ph2ws5kd2w
    @user-ph2ws5kd2w 18 дней назад

    動画に多く出ていた車両は昭和54年の転入車です。モハ1007と1008と1009とクハ2503と2504の5両です。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  10 дней назад

      一時期に多くの車輛が転入したということは、引退車輛も同じくらい出たのでしょうね。

  • @user-lw5yx5ey4n
    @user-lw5yx5ey4n Год назад +4

    こんばんは🙇
    今なき、懐かしい日立電鉄の動画ありがとうございました。
    自分はこの旧型車輌のあとの営団地下鉄の車輌に横浜の自宅から乗りに行きました。
    今回の動画に出ていた車輌には残念ながら乗る事は出来ませんでしたので、逆に楽しかったです。
    車輌の中には相模鉄道から譲渡されたモハ2000型、荷物電車だったモニ1000型も見れて懐かしかったです。
    貴重な動画ありがとうございました🙇
    これからもお身体に気をつけて 頑張って下さい。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +1

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      元荷物電車の両開きドアの片方だけが開く様子を見てみたいですが、当時撮影していなかったのが大変悔やまれます。当時はそのような知識が無かったので中央ドアに着目していなかったのです。
      日立電鉄はまた乗りに行こうと思っていたのですが、まさかの廃止になってしまい、私は逆に元営団銀座線の車体には乗らず終いです。

  • @利晴井坂
    @利晴井坂 10 месяцев назад

    素晴らしい映像を堪能しました。感謝です。
    このころまでは、魅力いっぱいでしたね。地元なので、もっと乗っとけば良かった。当時は、色々似た車輛があるなぁ…と思っていましたが、教えてもらった感じで、良かったです。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  10 месяцев назад

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      ざっくり言って似たような車輛だったというのは、その通りだと思いますよ。日立電鉄には超個性派は居ませんでしたし。もっと乗っておけばよかった・・・という路線や車輛、私には物凄く沢山あります(笑)。

  • @uchibakatsunori
    @uchibakatsunori Год назад +3

    小田急モハ1形以外にも静鉄の旧型車もいましたね。100形は同時期熊本電鉄にもいましたが、日立電鉄じゃ行先表示は不使用だった気がします。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +2

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      静鉄の車輛は久慈浜駅の構内で目撃はしましたが、残念ながら乗らず終いです。当時は残念ながら、熊本電鉄までは足を延ばせませんでした。

  • @ねずみ色の猫
    @ねずみ色の猫 Год назад +2

    寄せ集めの旧型電車ですけど変幻自在の運用ができる利点があるんですね。現代のシステム化された車両とどっちの方が良いのか考えさせられます。
    前照灯が何気にシールドビーム2灯化されてる!

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +3

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      種々雑多な車輛群は、鉄道趣味人にとっては嬉しい限りでしたが、鉄道事業者にとっては「好きでやってるんじゃねぇ」(笑)状態だったはずです。現代の車両が統一されシステム化された鉄道は・・上記の逆ですね。

  • @konnitiha_a
    @konnitiha_a 5 месяцев назад

    この時代生まれてなかった……

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  5 месяцев назад

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      日立電鉄が廃止されてから随分経ちました・・。4連が走る朝の運用に間に合うように、神奈川の自宅から早朝クルマを飛ばして駆け付けたのも遠い記憶となっています。

  • @にわりょうじ
    @にわりょうじ Год назад +1

    日立電鉄は、本当に乗れなかった、関西たとえたら野上電鉄吊り掛け個性的車両多かったので、のりに行きたかった。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +1

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      私は'80年代終わり頃にビデオ撮影しておりましたが、当時残っていた地方私鉄で乗りに行けたのは半分にも満たないと思います。無理をしてでも行っておけば良かったなぁ。

  • @user-oq1wd5ix5u
    @user-oq1wd5ix5u Год назад

    ちんどん屋踏み切りの音、心地良いですね。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +1

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      チンチンという電鈴式踏切は当時は結構残っておりました。仰るように心地よい音で、癒されますね。

    • @tmotchy93
      @tmotchy93 Год назад

      まだ、小湊鐵道にありますね。

  • @tomkarasawa6285
    @tomkarasawa6285 Год назад +3

    これらの車両も、営団車統一後は、茨城県内外で倉庫などに転用され、令和になった今でも一部の車両は朽ち果てながらも存在します。こうやって見ると、大手電機メーカーの子会社なのに、自社系列製造の車両は無く、雑多かつ古臭い車両が多かったです。しかも自社発注がモハ9形の2両(モハ9、10)だけで、勝田工場などの専用線同様、日立グループは鉄道経営には消極的だった感が否めませんね。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +2

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      鉄道の存続に対する廃止前の姿勢では、存続希望の強かった常陸太田市と、日立電鉄(日立製作所)や日立市とでは、かなりの温度差があったようですね。それにしても、かつての車輛が今でもどこかで一応生き残っているのは知りませんでした。

    • @kumoni13025gwoon
      @kumoni13025gwoon Год назад +2

      日立グループと言っても、系列バス会社の傘下となっただけで、本体の息が掛かっていた訳では有りませんからねぇ。
      利益の出ない部分は切り捨てられる。世の常です。

  • @user-ph2ws5kd2w
    @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад +1

    大甕駅の動画では冷房無しの403系が映っていました。今も非冷房車が走っていたら熱中症のお客さんが続出して鉄道会社にクレームの嵐ですね。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  11 месяцев назад

      当時は常磐線がJRになったばかりの頃で、ボンネット特急もまだ走っていましたね。

    • @user-ph2ws5kd2w
      @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад

      今は茨城ディスティネーションキャンペーンの一環で常磐線はフレッシュひたちの復刻塗装でカラフルなE657系が走っていたり、赤電ラッピングを施した懐かしい普通🚃が走っています。

    • @user-ph2ws5kd2w
      @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад

      大甕駅はターミナル駅で1両単行で鮎川から来た電車が到着してツーマンからワンマンに切り換えるため車掌室を閉鎖する作業をしたり、逆に鮎川行きの電車が到着して車掌室を解錠して車掌がドアを開けていました。

    • @user-ph2ws5kd2w
      @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад

      運賃箱の積み下ろしもありました。

    • @user-ph2ws5kd2w
      @user-ph2ws5kd2w 11 месяцев назад

      大甕駅では運転指令室から構内放送をしていました。3番線は久慈浜太田行き4番線は河原子鮎川行きです。と名調子がホームに響き渡りました。

  • @user-io4lb6eo9k
    @user-io4lb6eo9k Год назад

    鮎川手前の病院まで常陸多賀からバスで行きましたが、列車の本数も少なく、帰りもバスに。とうとう乗車機会がありませんでした。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +1

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      鉄道ファンは、本数が少なくてもわざわざ乗りに行きますが、ローカル私鉄を移動手段として考えた場合は、せっかく利用する意思があっても、本数が少ないゆえになかなか利用できず、ということですね。乗客が減って、ますます列車本数も減る、という悪循環が、各地のローカル私鉄で起きていたのでしょう。

  • @user-jz8lp4kc9r
    @user-jz8lp4kc9r Год назад

    モハ10の単車が、日がな一日ゴロゴロゴロゴロ、そんなイメージでしたが………ちゃんと長大編成大量輸送も存在していたのですね。モニ改造の旅客車なんて、中小地方私鉄には、魑魅魍魎、百鬼夜行的な摩訶不思議さがあるのですね!

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      当時はネットなど想像もつかない時代でしたので、どこで情報を得たのか皆目憶えていないのですが、平日の早朝には4連が走行する!という情報を知り、神奈川の自宅を未明に出て駆けつけて撮影した次第です。仰るように、地方私鉄の近代化前の車輛群は、種々雑多,カオスな魅力があり、私の大好物です。 本チャンネルでは、琴電や弘南大鰐線についても、このような魅力に触れた動画をアップしております。