数えるほどしか利用者がいない浦佐駅はなぜ建設されたのか?【やはり政治駅だったのか?】

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  • Опубликовано: 13 окт 2023
  • 2022年度、上越新幹線で乗車人員ワースト2の浦佐駅の実像に迫ります。
    ■■■楽曲提供■■■
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    ■■■活動実績■■■
    2021年10月
    北海道余市町さんと並行在来線問題についてのオンライン会議、町長との対談を実施。
    この取組については、以下のメディアでご紹介いただきました。
    ・朝日新聞(21年12月8日掲載)
    ・北海道新聞(21年12月3日掲載)
    2022年9月22日
    河出書房新社より『鉄道会社 データが警告する未来図』を上梓
    第48回交通図書賞受賞(2023年3月24日)
    amzn.to/3Df2qEg
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    2022年10月15日
    出雲坂根スイッチバック、どうにかなるか?シンポジウムに登壇者として参加
    2023年5月、6月
    HBC北海道放送「今日ドキッ」にて、TVに初出演。以降合計3度出演
    • 「運賃収入だけで計るとJR札幌になってしまう... (北海道の鉄道特集)
    2023年7月6日
    テレビ東京「モーニングサテライト」出演
    宇都宮LRT特集についてコメント
    ■■■余談■■■
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Комментарии • 333

  • @user-qo7jy5ei8d
    @user-qo7jy5ei8d 9 месяцев назад +34

    上越新幹線の駅は16両編成対応し、すべて通過線があります
    ただ特急はくたかの接続もなくなり
    16両編成のE4も姿を消し通過線が使われるほどの本数もありません
    設備だけ見ると“昭和の勢い”に圧倒されるだけです

    • @wxyz4013
      @wxyz4013 9 месяцев назад

      整備新幹線もこう云う風に駅を作るべき😕

    • @SGPlo
      @SGPlo 9 месяцев назад

      現状の北陸新幹線でも速達3本各停3本の3-3ダイヤ組めるだけの設備はありますしねえ
      東京口の本数考えると現状でも割と過剰設備、新宿方面に延伸して時間6本でもいけるくらい
      あえてと言うことなら16両考慮は欲しかったかも

    • @user-wf8bo3kl1g
      @user-wf8bo3kl1g 9 месяцев назад +1

      国鉄が税金の無駄遣いと叩かれてたわけだ

    • @asakazefuji
      @asakazefuji 9 месяцев назад +3

      @@wxyz4013
      整備新幹線でも退避が必要なところはそういう設備を設けますよ
      上越妙高駅は2面4線で実際にはくたかが退避で使うことありますよね
      敦賀延伸では加賀温泉駅も待避線が設けられます

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +4

      @@wxyz4013
      そんな事をしていたら、税金がいくらあっても足りません。
      政治屋さんと土建屋さんが、儲けるだけです。

  • @user-lf7kg8ji4j
    @user-lf7kg8ji4j 9 месяцев назад +22

    閑散期は本当に誰もいなくて、繁忙期はすげえ多い極端な駅の印象。いつの間にか唯一のコンビニも閉まっていたな

  • @h_hiro_1982
    @h_hiro_1982 9 месяцев назад +86

    「スキー上手くなりたいのなら浦佐へ行け」と言われるようにかつての浦佐スキー場はスキーヤーにかなり支持されていました。全国的にも屈指のレベルの高いスキーヤーが集まるスキー場でも有名でした。
    (浦佐スキー場がクローズした理由は割愛します。本題から逸れるので。)
    全国から集まるスキー場であるが故に新幹線を利用する方も多かったらしいです。(私の先輩談)私もスキーするので全盛期に行きたかったものです。
    スキーブーム全盛期の時は規模に見合った活躍をしていたのかもしれませんね。

    • @YS-ff8rw
      @YS-ff8rw 9 месяцев назад +17

      私もスキーブームだった90年代に利用したことがありました。八海山スキー場に行くときにこの浦佐駅からバスが出ていましたので、利用しました。帰りなどは満員なるときも多かったですよ。懐かしいですね。

    • @is4515
      @is4515 9 месяцев назад +17

      その昔、私も浦佐駅を利用しました。実は浦佐スキー場とその浦佐スキー学校の卒業生です。当時は新幹線駅に近いのでスキー学校の受講者が多かったのは事実です。でもそれ以外の新幹線利用者も今よりはそこそこ居たはずですし、冬の間はそれなりに活気がありました。
      因みに当時の浦佐スキー学校は、二泊三日の合宿がメインで、初日にいきなりレベルの振り分け滑走テストを受けさせられたり、夜は食後に座学があったり、滑り方の基本を畳の上でレクチャーされたり、結構内容が濃いスクールで面白かったですよ。

    • @user-zb2qd9kl4y
      @user-zb2qd9kl4y 9 месяцев назад +3

      スキーブームの時代が懐かしいですね。年末年始の休日には3泊4日コースが12月28日から1月5日くらいまで掛けて設定されて
      おり、最盛期には最初の班分けに午前中いっぱい掛かったほどでした。また浦佐には浦佐スキー場の他にスポーツコム浦佐国際
      スキー場もあり、周辺は旅館以外にも民宿も多く、どこも賑わっていました。浦佐駅で降車して八海山スキー場や五日市スキー
      場に行かれる利用者も結構いましたよ。当時は新幹線の季節割引券も発行されていたほど利用者が多かった。

    • @joemax6916
      @joemax6916 6 месяцев назад +1

      「浦佐道場」がいつの間にか閉鎖されていてちょっとショックでしたね。そこで滑った経験はないけど有名でしたから。
      八海山の方に行くために駅を2度利用したことはあります。

  • @chacha6263
    @chacha6263 9 месяцев назад +80

    田中角栄は日本海側と太平洋側の間の様々な格差を是正しようというのが上越新幹線建設や日本列島改造論のモチベーションだったのかと感じます。
    当時は高度経済成長期でもあり、それを利用する形での地域格差の是正を図ろうという思想は、(良くも悪くも)日本海側出身の政治家ならではかと思いますし、東北新幹線等とも併せて東日本や北日本の発展にも寄与したことを考えると、田中氏の思想自体はそう責められるべきものとも思えません。

    • @user-rk5yj7sx6g
      @user-rk5yj7sx6g 9 месяцев назад +31

      首都圏ではなく地方のインフラ整備を提唱したのは、首相としては唯一
      それは角栄の生まれが地方の田舎で、都市との格差や将来的な衰退を目の当たりにしてきた過去があるからこそである

    • @ufj24
      @ufj24 9 месяцев назад +23

      全国に張り巡らせればそうだったのだが途中で停滞した為
      にすべて東京への培養線になってしまったのが残念 だから赤字でも羽越新幹線を完成させることは日本の背骨を形作る意味でとても重要 でも
      今や大きな構想力がある政治家はいないなあ···

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +13

      @@ufj24
      今の永田町には、お国の為に一身を擲って…等と考えておられる様な志の高い「政治家」はほぼ居らず、国政を単なる商売や家業としか考えていない世襲の「政治屋」さんばかりしか居ませんよ。
      お国の為にでは無く、あくまで私腹を肥やす為だけに、働いておられる方ばかりです。
      なので、税金がいくらあっても足りません。

    • @user-qp8qn9ju8j
      @user-qp8qn9ju8j 9 месяцев назад +7

      今の政治家なんか大きな発想がないですね。

    • @totu4039
      @totu4039 9 месяцев назад +3

      @@user-ih6ye7qw1u というよりも、田中角栄のやり方がよくなかったという反省から彼のやり方ができないように法整備がされてきたからではないでしょうか。
      特に上越新幹線は建設順序を間違ったとしか思えません。

  • @ukb0927
    @ukb0927 9 месяцев назад +58

    新幹線のいわゆる「政治駅」「不要駅」については、
    ①峠や海峡を挟む区間の出入り口にあたる場所での非常時対応用の停車場
    のパターンばかりかと思っていたけれども、
    ②駅間距離のバランスを取るため
    ③駅誘致で自治体間が対立している場合に敢えて「第三国」に設置する
    というパターンもあるということなんだな。

    • @reddevil0307
      @reddevil0307 9 месяцев назад +23

      2と3はリンクしていることが多く、浦佐や那須塩原がいい例ですね。
      あと、最初から新幹線駅だったわけではないですが、北陸本線の加賀温泉駅も大聖寺駅と動橋駅の中立駅です。

    • @user-dh5uj6du8l
      @user-dh5uj6du8l 9 месяцев назад +10

      1と2は、東北新幹線のいわて沼宮内駅があたります。いわて沼宮内駅は、盛岡駅と二戸駅の駅間が約60kmと長く、山地だったため、駅間距離の調整と万が一トンネルで何かあった時の避難場所としていわて沼宮内駅が設置されました。

    • @asakazefuji
      @asakazefuji 9 месяцев назад +5

      筑後船小屋駅も瀬高と羽犬塚が特急停車駅だったので
      その中間という印象もありますねえ
      新大牟田よりはまだ在来線接続があるだけマシな印象
      1は奥津軽いまべつと木古内が典型例とは思います
      (新幹線利用者数のワースト上位に両駅も入る)
      いわて沼宮内は既述として、安中榛名は群馬県自治体が新幹線建設費の負担をする見返りで県内一駅となった覚え…

    • @user-kd5qk1tm7x
      @user-kd5qk1tm7x 9 месяцев назад +3

      燕三条駅もそう。
      原発なんて大半が市町村の境界地点

  • @ishi_tk
    @ishi_tk 9 месяцев назад +36

    浦佐にも立派なスキー場があったし、全盛期にあれだけ賑わいがあったのに本当に寂しい限りですね。

  • @gto8731
    @gto8731 9 месяцев назад +67

    六日町だと近すぎるし、小出だと只見線の乗換駅ではあるけど、川が近いし遠回りになるから浦佐に作ったのは妥当じゃないのかな。浦佐が上越新幹線の中で一番地味だなって正直感じるけど。

    • @user-gj4ri4wz8c
      @user-gj4ri4wz8c 9 месяцев назад +14

      それを言い出したら浦佐駅乗り入れなしという選択肢が現れます。浦佐駅に新幹線が乗り入れなければ越後湯沢〜長岡間は62km。ドル箱路線の東海道新幹線の米原〜京都間が68kmに駅がないと考えれば、浦佐駅は贅沢にも程があります。

    • @kazuselen
      @kazuselen 9 месяцев назад +12

      @@user-gj4ri4wz8c駅間距離が長すぎるのは色々と問題が大きいんや
      米原〜京都間は在来線が強いからまだマシやけどな

    • @uruseiyo
      @uruseiyo 3 месяца назад +3

      名前が悪いよね
      新潟県民でも近隣住民じゃなければ浦佐なんて地名は駅でしか聞かないから
      南魚沼とか八海山とか入れればよかった

  • @user-fi4ws7db4g
    @user-fi4ws7db4g 9 месяцев назад +20

    鐵坊主さんが新潟を取り上げてくれることにうれしく思います。浦佐駅確かに閑古鳥鳴いてます。新幹線は通過する便もありますしたまにしか停まりません。臨時便も通過するのが多いです。
    でも在来線の上越線は意外と利用する人がいるみたいですね。特に通勤通学での需要が結構あるみたいですね

  • @sakura_sakusaku
    @sakura_sakusaku 9 месяцев назад +57

    政治が絡まない新幹線なんてないので、どこまでを政治駅とするかは難しいところですが、折角浦佐駅があるのだから、南魚沼市にはもっと積極的に浦佐駅を活用して重点施策を取って欲しいなぁと思う次第です。(マスタープランを見ても交通に関しては道路のことしかほとんど書かれてない…)

    • @user-kd5qk1tm7x
      @user-kd5qk1tm7x 9 месяцев назад +6

      只見線も浦佐発着にすればいいのに

  • @user-hj4tw4lo5j
    @user-hj4tw4lo5j 9 месяцев назад +24

    魚沼エリアの新幹線駅としては六日町、浦佐、小出の3つが候補だったが、まず六日町は越後湯沢から近すぎるという理由で候補からはずれ、浦佐か小出かの議論になりました
    国鉄内では只見線の分岐駅である小出を推す意見が多かったが、動画内でも触れられているように地形的に小出に新幹線駅を作るのは難しかったようです
    その結果、浦佐に駅が設置されました
    そもそも越後湯沢と長岡の間に駅がいるかという議論もありますが、このあたりは世界有数の豪雪エリアで、雪害対策上駅が必要だったといえます

    • @user-kd5qk1tm7x
      @user-kd5qk1tm7x 9 месяцев назад

      桜井新のお膝元だったのも大きい

  • @zushihokki
    @zushihokki 9 месяцев назад +34

    どでかいスキー客控室の痕跡が示すように、スキー客の利用がメインの駅だったんでしょうね。しかしスキー場は流行り廃りが激しいうえに、近場のライバルが強すぎる。ただし学校や病院が近くに建ったのはいい傾向です。大学移転で苦境に立たされそうな北海道医療大学駅とは逆パターンですね。

    • @is4515
      @is4515 9 месяцев назад +8

      大学や専門学校がもっと在来線の沿線に隣接して学園都市駅みたいにしてあるともっと便利なのにね。
      因みに、どでかいスキー客控室は当時としては有難い存在でした。スキーは荷物が多いので、スペース取るからね。今、こんな大荷物をゴロゴロ転がして新幹線に乗ると顰蹙買うかもw

  • @plum6184
    @plum6184 9 месяцев назад +11

    浦佐スキー場と言えばスキースクールが有名でした
    スキーのバッジテスト(1級、2級など)はスキー場ごとに受けるので「浦佐の1級」を目指して通ってる人がかつては沢山いましたね

  • @MachizohJP
    @MachizohJP 9 месяцев назад +21

    浦佐駅の在来線ホームに余裕があるのであれば只見線を浦佐駅発着にして欲しいです。昼間の一本だけでも浦佐駅発着にすれば只見線を通しで利用する観光客の利便性が上がります。

    • @SGPlo
      @SGPlo 9 месяцев назад +9

      昔はあったんですよ急行奥只見が浦佐発着でした

    • @user-xh2li6uo4x
      @user-xh2li6uo4x 9 месяцев назад +6

      小出駅、只見線と上越線の浦佐・越後湯沢方を繋ぐポイントが撤去されているはずなので
      直通運転は難しい

    • @user-kc5lu4hn8b
      @user-kc5lu4hn8b 8 месяцев назад

      それをやるなら只見線が観光に使えるような運転本数が無いと厳しいですね。
      昼の一本しか観光に使える列車は走ってないですもの。只見線を通しで乗るのは現状観光客というより鉄道ファンくらいのものでしょう

  • @user-vt7el3zv7v
    @user-vt7el3zv7v 9 месяцев назад +25

    みどりの窓口も閉鎖されましたね。地方都市の駅とはいえ新幹線駅からみどりの窓口が
    なくなる時代が来るとは思いませんでした

    • @user-xs5zx8cr2g
      @user-xs5zx8cr2g 9 месяцев назад +7

      越後湯沢も無くなったよね、しかも券売機が2台しかないから、スキーシーズンとかは何十分も待たされてホント地獄絵図

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +8

      「みどりの窓口」の廃止の施策は、「コストカッター」深澤祐二社長の「JR東日本の改悪」のひとつですね。

  • @naoyasano8695
    @naoyasano8695 9 месяцев назад +16

    線形上の問題から見て、浦佐しか設置する場所はなかった、というべきだろう。

    越後湯沢の次経由地を六日町とした場合、長岡に繋ぐのが非常に厳しくなる。
    小出は、川と山に囲まれた狭隘の駅なので、新幹線駅には不向き。

  • @user-yj6ei6eb7t
    @user-yj6ei6eb7t 9 месяцев назад +4

    10月14日鉄道の日に鐵坊主さんの動画が視聴出来ますのは、鉄道ファンとしては心から嬉しいですよ😆!!

  • @user-dj7dz9wp5q
    @user-dj7dz9wp5q 9 месяцев назад +5

    国際情報高校に通っていた友人が、毎日浦佐まで行ってたな。
    懐かしいな〜浦佐

  • @user-lp2sn7vx5j
    @user-lp2sn7vx5j 9 месяцев назад +21

    そもそも上越新幹線を作ったことが政治の力によるものであって,
    駅の設置場所は純粋に技術的な理由によって決まったと聞いたことがあります。
    六日町に駅を作ると越後湯沢との間が急勾配になるとか,
    小出に駅を作ると長岡との間が急カーブか長大トンネルになるということです。
    角栄さんがいなかったら,東北新幹線だけを作ったか,
    あるいは東京以北の新幹線が全くなかったかも知れません。
    当時の野党やマスコミは,東北も上越も採算がとれるはずが無いと言ってました。

    • @chacha6263
      @chacha6263 9 месяцев назад +17

      (方法論はともかくとして)地域格差(特に日本海側と太平洋側)の是正に心血を注ぐ思想が現れたのが上越新幹線建設や日本列島改造論などでしょうし、高度経済成長を背景にそれらを実現しようとした田中氏の思想はそう否定的に見られるべきものとも思えません。

    • @yaz4845
      @yaz4845 9 месяцев назад

      両方できてないですね。

    • @user-gv9bw3fg4k
      @user-gv9bw3fg4k 9 месяцев назад +2

      @@chacha6263 盛岡市なんか人口28万人しかいないど田舎なのに新幹線も高速道路が需要あるって言えるのか?岩手県の東北道なんか対面通行で十分なぐらいど田舎だし
      新潟市に人口81万人もいたんだから新潟県の方が需要あるのは当然だろ!

    • @chacha6263
      @chacha6263 9 месяцев назад

      @@user-gv9bw3fg4k
      岩手の場合は鈴木善幸の存在が大きかったのでは?

  • @haveletter
    @haveletter 9 месяцев назад +2

    従兄弟や親戚がまさに地元です。
    六日町、小出は新幹線を停めない代わりに関越自動車道のインターを造り、逆に関越が通過する浦佐に新幹線を停めたわけです。 角栄さんは地元が活気づくようインフラの分散を図っていたのでしょう。
    現在関越自動車道は大和パーキングをスマートインターに改修しましたが、当時はそういう経緯がありました。
    尾瀬も只見湖を渡り、標高の高い福島県側から尾瀬ヶ原を見下ろして群馬側入るルートは本当に素敵なルートです。

  • @user-uj7zd2xp3y
    @user-uj7zd2xp3y 8 месяцев назад

    中立で公平な解説ありがとうございます

  • @user-lm4dz8xi6x
    @user-lm4dz8xi6x 9 месяцев назад +6

    この駅は小出と六日町の中間に設けられています。長岡と越後湯沢から当距離にあるし、この付近としては平地もあり、駅前に国道が通っておりアクセスにも便利です。何を持って政治駅とするのか微妙ですが、あの付近では妥当な選択に思えます。幹線輸送である新幹線は、しばしばとんでもない場所に駅が作られることがあり、そういう駅が政治駅扱いされることは良くあると、鉄建公団の人も言っていました。

  • @user-em4hb8qv7t
    @user-em4hb8qv7t 9 месяцев назад +7

    浦佐は動画を見始めてすぐ「これは角栄さんの力で出来た駅ではないな」と確信しました。線形や地形を見ればすぐわかる話ですね。坊主さんの優れているところは、googlemapを上空写真で使う点ですね。普通は地図形式を使う場合が多いのですが、私自身脳内妄想で架空鉄道を考えるとき、googlenapの上空写真の様式に変えることがあります。地形がわからないと判断できないことがあるからです(もちろん、だからと言って「ここトンネル掘れる!」と判断できるわけではありません。そんなルートがあったらいいけど、実際はどれくらい実現可能なんだろうかと考える参考に使えるにすぎません)。その視点で言えば、上越新幹線はトンネル工事でかなりの資金を使っており、技術と資金の兼ね合いで浦佐に設置されたのだろうということは容易に想像できます。動画やコメントを見てやはり、となるわけです。坊主さんのこういう「裏取り」は、信者の皆さんがどこまで評価しているのだろうと、データを出す方を見ると常に思います。データは確かに大事なのですが、データではわからないことも世の中にはたくさんあります。坊主さんは仏教でいえば「菩薩」なのであり決して如来ではないですしね。私自身はそこは見誤りたくないなと思っています。その点で、今回も優れた考察動画、ありがとうございました。

  • @kodokunokurumadankiti
    @kodokunokurumadankiti 9 месяцев назад +22

    田中角栄氏銅像に雨よけがないのはけしからん!と真紀子氏が怒って雨よけが設置されたのは有名な話。笑

    • @gz9491
      @gz9491 8 месяцев назад +2

      じゃあ、政治駅で間違いないねw

  • @kt-qv3oc
    @kt-qv3oc 9 месяцев назад +6

    本来であれば浦佐のようなマイナー駅名は新幹線開通と同時に改名されることが多いのだが、浦佐駅の所属が大和町という知名度もなく紛らわしい自治体であるがゆえに駅名が変更されなかったのではないかと思う。
    合併後の開通であれば"南魚沼"を含んだ駅名に変更されてたのではないか

  • @user-tg9qt6gp6k
    @user-tg9qt6gp6k 9 месяцев назад +5

    浦佐スキー場って、検定で有名だったスキー場ですね。スキー場自体は小規模で、コースも少ないローカルスキー場だったので、スキーブーム終了とともに廃止されてしまいましたね。

    • @is4515
      @is4515 9 месяцев назад +1

      スキースクールもです。

  • @kazuyoshi999
    @kazuyoshi999 9 месяцев назад +3

    土地勘のない関東民の私は、浦佐というのは新潟県でも大きな町なんだろうなと思っていました。
    こう考えるとやはり新幹線駅ができることは地域にとって大きいのでしょうね。

  • @user-yl9zi3ul7r
    @user-yl9zi3ul7r 9 месяцев назад +5

    上越新幹線の経路について、最初期には越後湯沢から十日町を経て小千谷市あたりから長岡へという直線的なルートを考えていたと聞いた。
    ご承知の通り越後湯沢から十日町市へぬける場合のトンネル工事が、ほぼ絶望的に困難であることから、現在のルートとなり、設置駅が浦佐となったのは動画の通りであるようです。
    「もし」の話ですが、上越新幹線が十日町駅経由であったなら、ほくほく線は十日町〜六日町間が造られなかったかもしれませんが、現在の状況であれば糸魚川や妙高高田から上越新幹線への短絡線はかなり現実的になっていたかもしれませんね。

  • @oneandseak
    @oneandseak 9 месяцев назад +5

    今年の6月に只見線に乗りに行った時に浦佐駅でなく越後湯沢駅から上越線で小出駅に向かいました。
    動画の映像でも見る限り浦佐駅は小出駅まで2駅先であるもののKIOSKがあるだけなので土産物店の多い越後湯沢駅から向かう方が時間はかかりますが使い勝手がいいです。
    閉鎖されているスペースを有効利用できればわずかでも浦佐駅利用者増えると思いますが、どう利用するかが今後の課題になるのかなと思います。

  • @user-eo7oc1cc8c
    @user-eo7oc1cc8c 9 месяцев назад +13

    今回も緻密で理論的な解説をありがとうございます。浦佐駅で思い出すのは、本筋と脱線しますが、浦佐にはスポーツ関連書籍・雑誌出版の大手企業ベースボール・マガジン社の受注センターと物流拠点があり、その関係か野球殿堂博物館と創業者に因んだ池田記念美術館が建っています。東京ドーム併設の野球殿堂博物館と違い、土地柄来場者が少ないので、ゆったりと展示物を鑑賞できます。時間に余裕があれば、また訪れてみたいです。

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +3

      「ベースボール・マガジン社」の創立者である池田恒雄氏(故人)が、新潟県北魚沼郡小出町(現・魚沼市)出身だからです。

  • @MasaoHonma
    @MasaoHonma 9 месяцев назад +4

    1970~80年代にスキーの人気は非常に高く、開業した80年代にはリゾートが政府の中心施策となっていました。越後湯沢にはリゾートマンションの開発が相次いだほどです。費用を節約した東海道新幹線の反省もあって国鉄時代に作られた東北・上越新幹線は施設に大幅な余裕を持たせましたが、90年代のバブル崩壊後は日本全体が低迷の時代に入りました。元々工業が発達していた東海道筋ならともかく、上越新幹線沿線で製造業が伸びたのは平野部の燕・三条地域ぐらいです。
    時代が全く変わり、大規模産業の定着が見込めない中で文教・医療に注目したのは地元のせめてもの努力と思います。

  • @user-xo2xf6eh6g
    @user-xo2xf6eh6g 9 месяцев назад +4

    1972年~1973年にかけて上越線に最も多くのスキー列車が運行された時には、浦佐駅には特急新雪・急行小出銀嶺・小出スキー・上越銀嶺・小千谷スキー・石打スキーなどの多くのスキー列車が止まっていました。※これ以外にも急行石打銀嶺・五日町スキー・奥只見スキー・津南スキーや常磐上越銀嶺・両毛石打スキー・両毛五日町スキーなど多くのスキー列車が運転されていました。

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +2

      スキーブームが去って久しい現在では、上越新幹線の浦佐駅は余剰施設となってしまいましたね。

  • @theisekanata
    @theisekanata 9 месяцев назад +7

    只見線をに観光列車を走らせるならば、浦佐駅への乗り入れ、新幹線との接続は必須だと思います。…ていうか、そうなって欲しい。

  • @thanderbird683
    @thanderbird683 9 месяцев назад +4

    浦佐駅のおかげで大宮まで200km以内特急料金で行けるからありがたやー😂

  • @user-qc3rn7ru5x
    @user-qc3rn7ru5x 9 месяцев назад +3

    東京への高速・短時間アクセスを手に入れた浦佐はラッキーだと思う。

  • @user-ru6pq4tx7e
    @user-ru6pq4tx7e 9 месяцев назад +5

    只見線を乗り通して小出駅から浦佐駅に新幹線に乗って帰るという旅プランを計画した矢先にこの動画を見ることになるとは

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw 9 месяцев назад

      JR東日本びゅうツーリズム & セールスでは、SLばんえつ物語号で会津若松まで行き 1泊、翌日は只見線乗り通して新幹線で帰る、またはその逆回り(只見線は臨時列車運行)と言う旅行商品を販売していました。

  • @user-cc4og4ci9f
    @user-cc4og4ci9f 9 месяцев назад +11

    これに関しましては上越新幹線計画をブチ上げた昭和の今太閤こと田中角栄大先生(故人)と角栄鞄持ちだったハマコーこと浜田幸一先生、そして南魚沼(旧大和町)が郷里の義母方にあたる義祖母の姉(両社とも故人)の話を総合したりご本人のお話を伺った所「政治駅ではある物の実情が伝わっていない」と言う所が正解である事が判明しております。
    浦佐に新幹線の駅を置いたと言うのは新幹線誘致の六日町と小出町が納得せず中間点の浦佐に置かれたと言う事に集約されておりますが、鐡坊主さんが仰られた土地の問題も当然絡んで来ておりました。
    まず新幹線・小出駅の挫折は魚野川と山並みの中に駅が存在し、只見線が乗り入れるだけでなく只見線の機関区も存在して居た事から新幹線の駅の設置が不可能で、六日町の場合は市街地だけでなく国鉄北越北線(現・北越急行線)の設備が想定されて居た事から構内拡張をして駅の設置と言う物が難しいと言う問題があり答申に於いて『金銭面の不安定要素と工期面で不安定要素が高い。』と言う見通しから大量の土地の取得可能であり貨物新幹線構想の貨物駅や操車場を設置できる浦佐駅が選ばれて旅客を優先開業させたと言う物があるそうです。
    浦佐に駅を置く事でまず北側から新幹線貨物(羽越新幹線)・上越線(長岡・直江津)の貨物を引き受けて現在の上越貨物新幹線車庫が今の形になり、浦佐以南は貨物新幹線(上越新幹線)・上越線の貨物列車が乗り入れて貨物が往来する形を採り、六日町駅では北越北線の貨物を浦佐駅に送り込む機関車待機場所として活用し、機関車は上越新幹線開業以前に存在していた石打駅構内の石打機関区を入出庫する形を採用する形であった事が語られています。
    そしてこのお話にはまだ続きがありまして、小出駅に出入りする只見線の優等列車を浦佐にまで乗り入れて新幹線と接続と言う形を想定していた事から実現をしていればかなり大きな駅になっており、その上で新幹線駅誘致合戦を繰り広げた六日町・小出両町にも花を添える形だった物が上越新幹線「だけ」が出来てしまった事で現在の姿になって居るそうです。

  • @user-je5wz2yc1s
    @user-je5wz2yc1s 9 месяцев назад +2

    田中角栄氏の銅像が、娘さんの眞紀子さんの「お父ちゃんが雨☔に濡れる!」との心配から屋根付きになっていましたね。😊

  • @onmyooji
    @onmyooji 6 месяцев назад +2

    元新潟県民ですが、確かに浦佐は影が薄くて、県民なのに当時は地名も知らなかったです。
    十日町の方が良かったというコメントもあり、その通りだと思いますが当時の建設技術やスキー需要を考えると妥当だったのでしょうね。
    批判もあって然るべきですが、やはり角栄先生の推進力は凄いですね。エリアとして孤立していた新潟に新幹線がなければ、高知や宮崎のような現状になっていたと思います。

  • @user-ek7um8zz1m
    @user-ek7um8zz1m 9 месяцев назад +3

    浦佐駅を活性化するピースの一つとして「八色スイカ」「水無川」「八海山」が使えると思いますし越後三山への玄関口としての役割も担えるでしょう。七十里越え(只見線)の拠点にもなり得る駅です。かつては只見線列車の一部が浦佐駅まで乗り入れしていたんですけどね…

  • @user-hp1kn2pd6o
    @user-hp1kn2pd6o 9 месяцев назад

    駅近くの土産物屋で、角栄先生が手を上げた銅像のポーズのキーホルダーを買ってきたことがあります。それもお土産用を含め2個。今でも売っているのかしら。
    ところで駅の中、今では資材置き場なのに照明を点けているんですね。

  • @user-be3hg2kl3j
    @user-be3hg2kl3j 9 месяцев назад +2

    私の父が浦佐駅の建設に携わっていました。
    越後湯沢と長岡の中間であること、土地が余っている?みたいなことを言っていた記憶があります。

    • @sminof100
      @sminof100 9 месяцев назад +1

      これが正解だと思います
      単純明快で一番納得行く理由ですね

  • @user-yz3mb7tm4d
    @user-yz3mb7tm4d 9 месяцев назад +4

    那須塩原や新白河同様在来特急が通過していた駅に作られた駅だ。

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +1

      東那須野駅→那須塩原駅
      磐城西郷(いわきにしごう)駅→新白河駅

  • @skeakb4351
    @skeakb4351 9 месяцев назад

    只見線に臨時でキハ52や58が走る時、何度か使いましたがその時にはもう閑散としていたような記憶…。

  • @koh9581
    @koh9581 7 месяцев назад +1

    浦佐駅周辺は観光施設は乏しいですが、南魚沼市の中心の六日町、魚沼市の中心の小出の双方のアクセスできます。
    魚沼市は湯之谷温泉郷の温泉(銀山平、栃尾又、大湯など)と奥只見シルバーライン、奥只見湖の絶景、
    南魚沼市は六日町温泉郷の温泉、越後三山只見国定公園の八海山、石打・舞子のスキー・マウンテンリゾートと、観光要素はいっぱいあります。
    そして何より、コメが美味しいです。二次交通が弱かったのですが、最近カーシェアも導入されたので、鉄道ファンの方にはぜひこの冬に訪れてほしいですね。

  • @kitasan_black178
    @kitasan_black178 9 месяцев назад +3

    いつか安中榛名とかいう秘境駅も特集してほしい

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +1

      北陸新幹線の安中榛名駅(群馬県安中市)も、いわゆる「政治駅」ですね。
      元々、駅周辺には「秋間梅林」くらいしか無く、当初は建設される予定が無かった駅ですから。
      それを、整備新幹線建設の為の財源枠組み計画による地方負担分の拠出に際し、群馬県等の沿線自治体が、県内に新駅が設置されないのであれば、県としては負担分の拠出は出来ないとした事から、安中榛名駅が設置される事になった、と言う経緯です。
      首都圏への新幹線通勤を促進する為に、JR東日本が中心となって、安中榛名駅周辺に、住宅地の「びゅうヴェルジェ安中榛名」の開発を行い、2003年より分譲を開始しました。しかし、駅の利用者数増加には繋がっていません。

    • @user-zb2qd9kl4y
      @user-zb2qd9kl4y 9 месяцев назад

      @@user-ih6ye7qw1u  安中榛名駅周辺で利用するとしたら安中の東邦亜鉛か松井田の信越化学の工場関係者くらいでしょ。
      それも停車本数が少ないから高崎から利用した方が便利かも知れませんね。

  • @panyasonic2370
    @panyasonic2370 9 месяцев назад +7

    上越新幹線は越後湯沢から十日町周りで長岡に向かったほうがトンネルは増えるけど町の規模も大きく利用客も望めたと思うんだよね

  • @naripon226
    @naripon226 9 месяцев назад +5

    田中角栄元首相は小出と六日町に浦佐駅を新幹線駅とすることを理由を説明して理解させたと聞いています。
    一瞬政治駅と思いますが首都圏から新潟市の鉄道速達を優先してこうなりました。
    関越自動車道のインタチェンジは六日町や小出に設置になっています。
    柏崎刈羽原子力発電所も田中角栄元首相の提案でした。
    これの受け入れが越後線の柏崎から吉田の電化ができたとの話もあります。

    • @plum6184
      @plum6184 9 месяцев назад +5

      原発はそもそも柏崎が石油の街だったことと関係があります
      日本石油の発祥地ですが本社は大正時代に移転、その後も主力の製油所が残りましたが国内油田の枯渇などで昭和30年代に大幅に縮小が始まります
      柏崎はこうした中で危機感を感じていて、そこに登場したのが原発の誘致計画です(もちろん田中氏は関わっています)
      元々エネルギーの街というところから新エネルギーである原子力発電所を呼び込もうとしたんですね

    • @user-qp8qn9ju8j
      @user-qp8qn9ju8j 9 месяцев назад

      岐阜羽島駅も同じ。

    • @naripon226
      @naripon226 9 месяцев назад +1

      @@plum6184 さん、細かなことは知らなかったですが新潟県で石油が採掘していたのは今のENEOSの前身の日本石油のCMがみた記憶があります。
      その時代は枯渇がちかい頃でした。私が年少期のときです。田中元首相が関与は知っていました。

    • @naripon226
      @naripon226 9 месяцев назад

      @@user-qp8qn9ju8j さん、岐阜羽島駅は完全な政治駅。しかし関ヶ原の雪をうまくネタにしてできました。

    • @SGPlo
      @SGPlo 9 месяцев назад +2

      当時ならともかく今なら越後湯沢と長岡の間に2駅くらいは設置しただろうから
      六日町と小出に作ってたかもですねえ

  • @kakakakassun
    @kakakakassun 9 месяцев назад +2

    鐡side制作お疲れ様でござい〼🫡
    ほくほく線のミニ新幹線化の分岐駅というのが実現可能性として高そうですね😊
    周辺に文教施設が多いのは驚きですし、再編後の基幹病院が設置されたのも、新幹線駅から遠くない位置にそれだけの広い土地を確保し易く、開発の余地があるんでしょうね🧐

  • @y--sizuki
    @y--sizuki 9 месяцев назад +5

    浦佐駅、
    駅前の雰囲気は、なかなか
    なんとも言えない田舎な感じ(ポジテブな意味ですw) で自分は好きですよ!
    でも、遅いとき号が速達型とき号に追いこされる目的だけでも、駅を設置した意味はあると思います……てか北陸新幹線が増発が実体的に難しいのは退避可能駅が、少なすぎるのも問題だと思います。

  • @freespringo219
    @freespringo219 9 месяцев назад +3

    新潟→企業誘致が進んでいる県都
    燕三条→ものづくり
    長岡→中越地方中心都市
    越後湯沢→リゾート地
    新潟県内の他の上越新幹線駅と比べると、これといった強みがない浦佐駅ですが、もの静かな環境は創作活動に向いていると思います。ワーケーションやリモートワークで多くの人々が訪れるような仕掛けがほしいですね。半導体企業を誘致できるような広い平野でないのがなあ。

  • @nekonosukenora9158
    @nekonosukenora9158 7 месяцев назад

    いつも見識あるRUclips鐵坊主様には大変感謝申し上げます。鉄道関連のみに留まらずもう一歩踏み出して頂き、寺坊主として仏門の世界にも踏み出して頂ければ幸甚に存じます。鐵坊主様のお年頃ですと大変懐かしく思われると思いますが、奈良県には大仏鉄道なるものが存在して仏門には大変関わり合いが深いものと思います。ぜひ寺坊主として仏門と関わり合いの深い鉄道もご紹介賜ればと思います。末筆ではございますが、鐵坊主様の益々の御活躍、御長寿をお祈り申し上げます。また今後、寺坊主様として更なる御活躍を期待いたしております。合掌❤

  • @hs9370
    @hs9370 9 месяцев назад

    駅間距離があるところには非常時対応に必要というのがなぜこんなところに駅がの答えのパターンになりますね
    大体結論が読めるようになりました

  • @user-gv9bw3fg4k
    @user-gv9bw3fg4k 9 месяцев назад +2

    盛岡市より新潟県長岡市の方が人口多いんだから上越新幹線の需要があるのは当然です!

  • @Nozy1978
    @Nozy1978 9 месяцев назад +4

    政治駅も何も、長岡も越後湯沢も角栄先生の選挙区なんですけどね~(旧新潟3区)。
    両隣との距離や線形を考えたら浦佐一択であったに過ぎないのです。どこに駅を作ろうが南越後観光にとっては関係ないし(南越後観光はいまでも田中家の所有ですね)
    個人的な観点で言えば、
    ①東京ー越後湯沢と東京ー浦佐の特急料金が違う(東京から越後湯沢が199kmなので)
    ②上越線との接続が上下線とも悪すぎる。乗換接続時間が越後湯沢基準になっているため、浦佐駅で待っている時間が長くなるだけで乗る電車は越後湯沢で乗り換えるのと変わらないし、季節や時間によっては越後湯沢まで行って始発のたにがわで座っていけるし。
    と、浦佐駅を使う理由がまるで見当たらないです。

  • @455jj3
    @455jj3 9 месяцев назад +1

    ちなみに政治的に作ったのは上越道の方よ
    交差点三つで東京の家と新潟の家を結ばせたのは
    (田中角栄)

  • @tomohikoo8949
    @tomohikoo8949 9 месяцев назад +7

    銅像に風雨が凌げるようにと屋根を設置する発想がヤバい。

    • @user-xv3xj4nn5v
      @user-xv3xj4nn5v 9 месяцев назад +2

      人物像とはいえ、物を擬人化する日本人らしいといえばらしいですね。

    • @sakurapopeye6413
      @sakurapopeye6413 9 месяцев назад +1

      酸性雨から守るためでもあるでしょう

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +3

      貴重な鉄道車両が、雨曝しで展示され、腐食が進行しているのに…

  • @kitasan_black178
    @kitasan_black178 9 месяцев назад +38

    浦佐より十日町に駅作ってほしかった

    • @user-mz8dk8yt1w
      @user-mz8dk8yt1w 9 месяцев назад +6

      開業当時はスキー需要もあったのですが、この惨状がわかっているなら、十日町(実際は十日町北部かな)の方が良かったですよね。
      トンネルは天然ガスが出る難工事の可能性ありましたけど。

    • @user-ogata-okada
      @user-ogata-okada 9 месяцев назад +10

      鍋立山トンネル並みの難工事トンネル出てきそう

    • @timesnew2005
      @timesnew2005 9 месяцев назад +7

      十日町だと線形も良好だし、速達性は今より上がってたかも

    • @chi-ki0
      @chi-ki0 9 месяцев назад +3

      もし十日町に上越新幹線の駅が出来たら、こうなっていた可能性がありますね。
      ①北越急行と、特急はくたかの始終着駅になっていた。
      ②羽越新幹線の上越妙高〜長岡のルートが上越妙高〜十日町(ー長岡)になっていた

    • @user-mz8dk8yt1w
      @user-mz8dk8yt1w 9 месяцев назад +2

      @@user-ogata-okada
      魚沼丘陵には破砕帯はないと思われます。
      当時の鉄建公団(1980)の資料や地質を考えるに安山岩や凝灰岩の中を掘り進めることになります。褶曲しているところではメタンガスの発生が考えられます。八箇峠トンネル工事事故や上越新幹線でも塩沢トンネル170km付近(大宮起点)でメタンガス発生が記録されています。

  • @user-lx3ft2pd8b
    @user-lx3ft2pd8b 9 месяцев назад +2

    かつてのスキーブームを考えるとこの規模は別に不思議なものではないですし、当時はそれでも足りなかった可能性はあります。むしろ浦佐とかのスキー場の成功を見て後からスキー場併設の駅として建設したのがガーラ湯沢ですね。
    今は金銭的な問題とか色々でスキー場の閉鎖が相次いでいるわけですが、バブル崩壊から始まった経済の低迷が今の浦佐にとっては有り余った施設になってしまった、と見ています。

  • @user-nr1wq1xb2j
    @user-nr1wq1xb2j 9 месяцев назад +5

    在来の上越線に新幹線駅を設置するとなれば本命は小出だったでしょうが、北陸方面への利便性と新潟県でも上位の人口を抱える長岡駅があり、そこへの速達性を考慮すると小出駅は一旦東へカーブし迂回してしまう事、小出駅前が手狭で新幹線を通すのが困難という理由で条件的に浦佐駅に決定と言われています。ただ大宮暫定開業前の小出町の選挙で越山会の候補が敗れたという結果について、当時の町は納得していなかったのでは?という噂もあった様です。あくまで噂の域で他所者が詮索する道理はありませんが。すみません。

    • @user-gj4ri4wz8c
      @user-gj4ri4wz8c 9 месяцев назад +1

      小出駅を迂回した結果9kmの短縮が実現しましたが、更なる速達性を考慮すれば越後湯沢〜長岡間は駅なしという選択肢があったはずですよ?

  • @user-qg8ig7gg5i
    @user-qg8ig7gg5i 9 месяцев назад

    平成初期には浦佐まで直通する只見線も何本かありましたね~
    利用状況気になる…

  • @user-fy5nt4br6v
    @user-fy5nt4br6v 9 месяцев назад +2

    駅名がカッコいい

  • @usura476
    @usura476 9 месяцев назад +5

    毘沙門堂も八海山もいい観光資源なんだけどなぁ

    • @user-zb2qd9kl4y
      @user-zb2qd9kl4y 9 месяцев назад

      毘沙門堂は日本三大奇祭の裸押合い大祭で有名ですよね。

  • @user-gv9bw3fg4k
    @user-gv9bw3fg4k 9 месяцев назад +2

    ビックスワンで日本代表戦あったから新潟市から東京間は満席だったね

  • @Ryohei_violin
    @Ryohei_violin 9 месяцев назад +4

    北里大の専門学校は来年度から4年制の学部化されるみたいですね。

  • @ai_love_fox
    @ai_love_fox 9 месяцев назад +3

    1番の最適解は十日町に駅を作って、長岡〜越後湯沢まで快速を運転することだったんだろうな。
    そうすればほくほく線の十日町〜六日町は要らなかっただろうし。

  • @na3_wrrrbdlb
    @na3_wrrrbdlb 9 месяцев назад +4

    用地だけ確保して駅は需要に応じて作れば良かったんでは?
    なんて40年経ってから結果論言うのは簡単だけど
    少なくとも30年前は猫も杓子も冬はスキーに行ってたからねぇ

  • @user-rv7zz1cu2n
    @user-rv7zz1cu2n 9 месяцев назад +4

    この駅長岡まで行く時に料金をケチるのによく使ってます!(笑)🤣(大宮駅からギリ200キロ切る)

  • @yokkamati
    @yokkamati 9 месяцев назад +1

    小出駅に新幹線駅を設けるのは地形的に難しいので、必然だったのかもしれませんが、閑古鳥が鳴いて寂しいものです。

  • @user-ru8yk5of4g
    @user-ru8yk5of4g 9 месяцев назад +2

    只見線連絡と駅間距離でしょ 何年か前見たテレビで、只見線建設に角栄さんがかかわってると見た
    ほんとは西に寄って、十日町に駅がよかっただろうにと たまに考える

  • @user-qy2rw3co2o
    @user-qy2rw3co2o 8 месяцев назад +1

    当時は20〜30kmが新幹線駅として妥当な距離だったのでしょうが、個人的には人口も多く、上越新幹線建設当時からほくほく線の建設計画もあったことから六日町駅が良かったのでは、と思います。
    もちろん用地買収は難しいかと思いますが。
    そうすれば上越地方へのアクセスは六日町を降りて乗り換えれば良い。
    線形も長岡へ直線的にいけたのではないでしょうか。
    元々田中角栄の書いた地図にも六日町が書いてあったわけですし。

  • @user-ev9uz4qx4f
    @user-ev9uz4qx4f 9 месяцев назад +7

    個人的には両親の実家が新潟にあるため上越新幹線はありがたいのですが、冷静に考えますと浦佐駅は政治駅かどうか、よりも上越新幹線そのものが現在建設中の北陸新幹線よりも先に開業している現実が田中角栄先生の力によるものと思われます。

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +3

      東京の練馬と新潟県長岡市とを結ぶ高速道路の関越自動車道も、同様ですね。
      上越新幹線と関越自動車道が今日有るのは、田中角栄氏の功績です。

    • @eureka-7e
      @eureka-7e 9 месяцев назад

      その意味では新潟駅も長岡駅も政治駅です

    • @user-gv9bw3fg4k
      @user-gv9bw3fg4k 9 месяцев назад +2

      @@eureka-7e 人口80万人もいた政令指定都市だから普通に新潟駅は需要あるだろ

  • @pannrumin7084
    @pannrumin7084 8 месяцев назад

    上越新幹線は浦佐(旧 大和町)に駅を併設したが,並行する関越自動車道(関越自動車道の下り線を走っていると左側に浦佐駅が見える)は,六日町と小出にインターチェンジを設置し,ETCが普及してから大和パーキングエリアにスマートインターを併設している。北陸道の三条燕インターチェンジと新幹線の燕三条駅のように,上越新幹線と関越(北陸)自動車道は,地元の利害調整に苦慮しているような形跡があるのは興味深いですね

  • @asakazefuji
    @asakazefuji 9 месяцев назад +5

    東北新幹線の整備新幹線区間以外でも後付の駅では水沢江刺、新花巻、くりこま高原のように待避線がない駅も目立つので
    上越新幹線はホントコストを掛けたなって印象はするところですねえ
    本庄早稲田は立地的に待避線が必要だったとは思いますけども(高崎までは需要も本数も多い)

  • @a61shun0a123
    @a61shun0a123 8 месяцев назад +1

    駅を作ることが目的になっちゃったんだなぁ

  • @100GYUNYU
    @100GYUNYU 9 месяцев назад +5

    12:23 これらの施設が在来線沿線に纏まっていれば、将来的に新駅を設置し利便性も大いに向上しただろうにと思えて仕方がない。病院や学校が駅から微妙に遠い、点在しているってのが地方あるあるだけど。そうなってしまう理由は分からなくも無いし、今更言ってもって話ですが。

  • @user-gx1lg3cr6j
    @user-gx1lg3cr6j 9 месяцев назад

    八色スイカの食べ放題期間に駅から会場までのシャトルバスがあれば便利なのですが。

  • @reddevil0307
    @reddevil0307 9 месяцев назад +16

    上越新幹線の建設当時、土木技術がもっと発達していれば、魚沼丘陵に長大トンネルを掘削して、越後湯沢-十日町-長岡のルートを採用していた方が良かったかもしれませんね。
    そうすれば十日町でほくほく線と上越新幹線を無理なく接続できていたわけで、新潟市と上越地方や北陸を高速で結ぶ計画にほくほく線を再活用しやすかったと思います。

    • @gto8731
      @gto8731 9 месяцев назад

      まあ確かに。

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw 9 месяцев назад +4

      土木技術が向上したから、新清水トンネル, 大清水トンネル, 関越トンネルが出来た訳で、浦佐 ~ 長岡でトンネルを掘る方が簡単なのに、敢えて困難でコストのかかるルートを選ぶアドバンテージはない、と思いますが。

    • @user-gj4ri4wz8c
      @user-gj4ri4wz8c 9 месяцев назад

      しかも上越新幹線の建設開始以前から青函トンネルの建設は始まっていましたのでそれなりの土木技術があったはずです。浦佐駅は政治的意図が強いです。個人的には越後湯沢〜長岡間に新幹線駅は不要だったと考えます。

    • @user-tu9yf5xo8t
      @user-tu9yf5xo8t 12 дней назад

      魚沼丘陵では2012年に建設中の道路トンネルで爆発事故が起きている。天然ガスが原因らしく計画段階で経路が変更されたとも聞く。直線必須の新幹線で果たしてそれが可能なのだろうか。

  • @user-nj7cj1zz8j
    @user-nj7cj1zz8j 9 месяцев назад

    2008年乗降数(在来線込み)でも1312人なので、よくも悪くもここ15年ぐらいは変わっていませんね。在来線のない上毛高原駅よりはまだいいのかもしれません。

  • @tvm-tv3483
    @tvm-tv3483 9 месяцев назад +8

    よそ者の
    コメント
    お許しあれ!!
    新幹線の
    イメージが強すぎて
    在来線が走っているのを
    忘れてた。
    冒頭
    2面4線駅と
    紹介されていたのに...

  • @user-pe1xg1ed4v
    @user-pe1xg1ed4v 9 месяцев назад

    開業当初に200系で使われていた方向幕に「とき 浦佐行」というのが入っていました。ガーラ湯沢の幕を入れた時になくなっちゃったけど。もしかしたら、南側の保線基地を活用してガーラ湯沢的なことをやりたかったのかも知れません。下りホームがその気になればホームもう一線作れそうな構造に見えなくもないし。

  • @TheBikkuri
    @TheBikkuri 9 месяцев назад

    浦佐駅の傍に「味処 えづみや」が有り、出川がそこへ赴いたところ学芸修行時のバイト仲間に出会うということがあった。彼は温故知新を実行しているらしく、行いに答える奇跡がよく発生するようである。

  • @SuperAKYURA
    @SuperAKYURA 9 месяцев назад +5

    たまたま乗った「とき」が、浦佐のみの通過だった。

  • @xoxo-dg2dq
    @xoxo-dg2dq 9 месяцев назад +5

    田中角栄先生万歳、万歳、万歳

  • @Geppeijp
    @Geppeijp 9 месяцев назад +2

    只見線の会津若松便だけでも浦佐まで延長運転したら良いのに。

  • @user-ub4mz2oj3s
    @user-ub4mz2oj3s 9 месяцев назад +1

    昔はスキー客も多かったはずです。
    越後湯沢駅も昔はスキー客が多かったようです。
    今は分かりませんが。

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +2

      今も賑わっているのは、ガーラ湯沢駅くらいでしょうね。

  • @kykykyblues60
    @kykykyblues60 9 месяцев назад +1

    ガチの政治駅は、古賀ま…筑後船小屋駅だけだと思う。
    (他は隣駅との間隔や運用上必要)

  • @kimosabeponta
    @kimosabeponta 2 дня назад

    仕事で2回利用したことがある(周りにそれなりに会社がある)

  • @user-rp7kq8em2k
    @user-rp7kq8em2k 9 месяцев назад +2

    新幹線開業前の昭和40年代から50年代には、特急はおろか、急行も止まらなかったんですけどね。
    まあ、駅前の状況を問えば、筑肥線の東唐津駅も、移転開業後40年ですが、全然栄えてないですよね。

  • @sinnya616
    @sinnya616 9 месяцев назад +4

    まぁ国鉄末期の段階で東海道・山陽新幹線が黒字で東北・上越新幹線が赤字でしたからね(それ故新幹線鉄道保有機構を起ち上げた)ʕ⁠´⁠•⁠ᴥ⁠•⁠`⁠ʔ

  • @chi-ki0
    @chi-ki0 9 месяцев назад +10

    浦佐駅周辺の例を考えると、
    新幹線駅周辺に高等教育機関の立地を促して学術交流の促進・定期利用を確保する方法も良いのかなと考えます。
    高等教育機関が近くにあれば経済にも+だと思いますし。

    • @user-coco_tatara
      @user-coco_tatara 9 месяцев назад +7

      日本の経済界が結集して作った国際大学や北里大学が開業当初から立地し、県内の優秀な生徒が集まる高校も平成初期にできてて、高等教育機関が早いうちから集まってるんですよ。一応。
      それで、アレなんです…

    • @chacha6263
      @chacha6263 9 месяцев назад +4

      新幹線が建設される以前からの人口集積地とは別のところに駅を作っても(様々な事情があるとしても)、それ以降に閑散駅から脱却するのは(一部の例外を除いて)容易ではないということのように思われます。最近取り上げられた米原とか水沢江刺とかもその手の例かと感じます。

    • @chi-ki0
      @chi-ki0 9 месяцев назад

      @@user-coco_tatara さん
      上越新幹線の浦佐駅開業当初〜開業から早い内に優れた高等教育機関が複数立地していても閑散状態なのですね…
      浦佐駅から微妙に離れているのが影響しているんでしょうか。
      (高等教育機関が立地していないよりはマシだと思いますが…)

    • @user-coco_tatara
      @user-coco_tatara 9 месяцев назад +1

      @@chi-ki0
      国際情報高校は開校15年目くらいまでは県立予備校とも言われてまして、普通科が在住地による受験制限があった中で全県から生徒を集めていたので、新潟や長岡から新幹線通学する学生で賑わっていました。
      国際大学は缶詰で時間を惜しんで学業に取り組まなきゃいけない学校なので、ほぼ全員寮生活で交流があまりない学校だったりします。
      北里大学は、ほぼ専門学校です。
      平成10年代に浦佐に大型スーパーができる計画があったのですが、地元商店街の反対で頓挫しました。
      そのため国際大学の学生を含めて、浦佐付近の住民は六日町か小出に車で買い物に行っており、商店街も消失した浦佐はあんな惨状になってしまったわけです。

    • @chi-ki0
      @chi-ki0 9 месяцев назад +1

      @@chacha6263 さん
      地理的条件は新幹線効果を上回るほど重要という事でしょうか。
      一部の例外に該当しそうな郊外の新幹線駅は佐久平駅・新高岡駅・岐阜羽島駅(新大村駅)などが挙げられると思います。
      ※(新大村駅)は開業から1年少ししか経っていませんが、大村市の人口が増えている事と長崎空港・大村ICに近い優れた立地条件を備えている点から一部の例外として挙げています。

  • @tetsuo7
    @tetsuo7 9 месяцев назад +5

    飯山線、只見線の全線が浦佐まで乗り入れてくれると良いんだけどね。

    • @chacha6263
      @chacha6263 9 месяцев назад +3

      只見線はともかく飯山線は長岡に乗り入れる方が便利かと。

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw 9 месяцев назад +5

      今はどうか知らんけど、国鉄時代は朝夕、飯山線の列車は長岡発着でした。

    • @user-ih6ye7qw1u
      @user-ih6ye7qw1u 9 месяцев назад +2

      @@chacha6263
      かつて飯山線を走っていた急行「野沢」号の運転区間も、長野〜長岡間でしたね。

  • @hotspace1982
    @hotspace1982 4 месяца назад

    浦佐駅が上越新幹線の最寄り駅である魚沼市民です。浦佐駅に新幹線駅が設置されたのは、動画内で解説されている通り、越後湯沢駅と長岡駅の中間地点に設置するのには最適な上越線の既設駅だったからでしょう。尚、過剰設備は開業時から問題視されていました。巨大な待合室が使用される機会は当初から殆どなかったようです。浦佐スキー場にしても、スキー学校の評判は非常に高かったものの、一般客からの評価はそれほど高くは無かったと記憶しています。因みに、私が東京方面に上越新幹線で出かける場合は越後湯沢駅から乗車する場合が殆どです。車で駅の近くにある湯沢町営駐車場まで行っています。

  • @しきにゃん
    @しきにゃん 9 месяцев назад +5

    浦佐は閑散としてて個人的に好き

  • @Pegasus1046
    @Pegasus1046 9 месяцев назад

    角栄氏の都市から地方への分散に倣い、都市(六日町)ではなく地方(浦佐)へ建設されたのかなと。六日町や小出、その周辺から新幹線に乗る為に浦佐への流動が発生し、浦佐駅周辺の活性化に一役買う、という理想だったのなら個人的には腑に落ちます。地方の中でも栄えてる場所とそうでない場所はありますから。
    でもまぁおそらく動画内にもありますが、前後の区間の駅間を考えたら浦佐が妥当ですよね。
    余談ですが、五日町でJR貨物の新入社員の研修を行ってるんですよね。東京から浦佐まで新幹線を使ってアクセスしたそうです。

  • @Oh-iy5bw
    @Oh-iy5bw 9 месяцев назад +3

    尾瀬は、小出方(新潟県)からと沼田方(群馬県)からでは、全く違う顔で、歩く際の難易度が段違いです。
    同列に論じることは出来ません。
    東武鉄道の尾瀬夜行から攻める口(福島県)も然り。
    どこから行っても水芭蕉が咲いてる湿地帯が目の前にある、と言うわけではありません。

  • @user-xv3xj4nn5v
    @user-xv3xj4nn5v 9 месяцев назад +7

    争いが起こるとそれぞれの意見を聞いて中間を取って解決というのが日本人らしいといえばらしいですね。特に年配の人はこういう考え方が強いですね。最近は論理も合理性も無視して声が大きい方をゴリ押しするという傾向が強いので…

    • @user-nr1wq1xb2j
      @user-nr1wq1xb2j 9 месяцев назад +1

      仰る様に東京方面の2つ手前の駅も、沼田、渋川等ご当地県選出の後の総理大臣になる先生方の思惑だらけの誘致合戦の末、活動していなかった町(当時は月夜野)に設置と言われている様です。政治絡みはともかく、「漁夫の利」という見方は当時の鉄道雑誌のルポからですが。

  • @totu4039
    @totu4039 9 месяцев назад

    三セクのミニ新幹線化は(部外者ですが)夢がありますね。
    JRローカル線への(都市部収益を投入する)投資は公共交通としての費用分配として間違っていると思うので反対ですが、
    自治体主体のテコ入れはその路線が地域住民に使われている証拠でもあるので頑張って欲しいです。

  • @TheBikkuri
    @TheBikkuri 9 месяцев назад

    トンネルで十日町へ延ばしておいてくれたら良かったと前々から思っている。
    昔の週刊誌で裏山を田中の知人が買い抑えているとの記事を拝見した。
    そこで思いついた話が「田中の知人はどこの山買ってたの?」「この浦佐」チャンチャン

  • @tanbaroad
    @tanbaroad 9 месяцев назад +7

    上越新幹線のルートと駅が発表されたとき、地図帳を見た当時小学生だった私は、なぜ十日町市ではなく当時「市」ではなかった浦佐に駅ができるんだろうと単純に思いました。
    その後高度成長時代が続いて、21世紀の初めには田中角栄氏が思い描いたように上越新幹線に続いて、北陸新幹線、羽越新幹線が完成していれば何の問題もなかったのですが、日本は低成長の時代となって北陸新幹線がようやく金沢まで開通したものの、羽越新幹線など夢のまた夢という時代となり、新潟県の東西の行き来は大変不便なままとなっています。
    何度も同じことを書くのですが、もしこんな事態が予見できていれば、上越新幹線は十日町経由で建設し、北陸新幹線は十日町分岐としていれば、今頃は金沢ー新潟間もフル規格新幹線が走り、東京ー金沢間の所要時間も今より短く、北越急行は建設せずに済んでいたと思います。
    まあ当時はこんな未来が来るとは、お釈迦様でも田中角栄氏でも予想できなかったと思いますが。

    • @chacha6263
      @chacha6263 9 месяцев назад +6

      上越新幹線建設当時の技術力を考えると、十日町を通るルートは鍋立山トンネルレベルの難工事を避ける為に却下されたのかという感じがします。

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw 9 месяцев назад +3

      現在の北越急行のルートは、上越新幹線が出来る遥か以前から、国鉄の予定線として計画されていました。

    • @tanbaroad
      @tanbaroad 9 месяцев назад +3

      @@chacha6263 そうですね、中越地方は地滑り地形が多いし、10年ほど前には八箇峠のトンネル工事現場でガス爆発事故なんかもありましたから、できるだけ無難なルートが選択されたんでしょうね。

    • @tanbaroad
      @tanbaroad 9 месяцев назад

      @@Oh-iy5bw だからと言って新幹線のルート選択から外すということはなかったと思います。新潟県が北越北線の計画があるので新幹線はいらないと言っていれば別ですが。

  • @montoku77
    @montoku77 9 месяцев назад +3

    浦佐駅とほくほく線の設備を活かさないのは確かに勿体ないと感じます。
    只見線を残したいならば、先ずは浦佐駅発着にして新幹線との連携を活かすべきと感じる。また尾瀬沼観光客誘致を考えるならば、そのバスの発着拠点も浦佐駅にした方が良いと思う。
    ほくほく線は、ミニ新幹線化の前に浦佐駅への在来線の直通運転による利用(者)増を模索するのが良いと感じます。貨物路線化も一案と思うが、路盤強度の問題もあるようなので、五日町駅へのアプローチ線(フル規格基準)新設以外の改造・補強費用がポイントかもしれない。

    • @user-fe6uj9go4d
      @user-fe6uj9go4d 9 месяцев назад +2

      ほくほく線の橋脚の橋桁が、機関車の重量に耐える様な設計になっていません。