交直両用特急電車

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Комментарии • 23

  • @oyuwariumenashi
    @oyuwariumenashi 5 месяцев назад +19

    151系の無理やり九州直通編成が動画で見られて感激です。

    • @fmasa0331
      @fmasa0331 5 месяцев назад +8

      当時新製した421系モハを借りてきて車内に電動発電機積んで交直変換のサービス電源車にしてたんだよね?

  • @山口正-t1n
    @山口正-t1n Месяц назад +1

    IGBT VVVF化により、交流電車(もしくは交直流電車)が手頃に製造できたことにより、JR西日本では521系電車が多く作られて(あるいは第三セクターへの譲渡や第三セクター自体での製造)、北陸街道が交直流電車の楽園になり、JR北海道の札幌都市圏は交流近郊電車が多数運行されています。

  • @電光刑事-u4c
    @電光刑事-u4c 5 месяцев назад +9

    まあ、交流電化区間においては直流電化区間ほど走れなかった交直両用電車ですが、他の交流機関車にはない大きなメリットがありました
    それは抵抗制御であるため、交流電化区間でも問題なく発電ブレーキが使用でき、勾配抑速が行えた点です
    これは交流機関車牽引の客車列車と比較して大きなアドバンテージとなり、地方幹線での電車化を推進しました
    その一方で交流電車はそうした発電制動が使えないという大きなデメリットを背負うこととなり、結果として余剰の交直流電車を交流区間専用として用いることとなった

  • @y.hikino
    @y.hikino 5 месяцев назад +9

    485系も相当無理してたんですね。それなのに、客用設備でもっと重くなる583系がよく実用できたなあ。

  • @ef641027
    @ef641027 5 месяцев назад +10

    クハ481のヘッドマーク高さが高すぎて異様な外観になっているのが惜しい・・・

  • @中村浩章-k4r
    @中村浩章-k4r 5 месяцев назад +3

    以前運転士をされていた方が、485系よりも181系のほうが走行性能が高く扱いやすいということを言っておられました。
    そう考えると、振り子型電車の始祖ともいえる591系は国鉄技術者の夢と願望の塊だったのではと思ってしまう。

  • @常夏雪ダルマ
    @常夏雪ダルマ 5 месяцев назад +11

    489系以外両端ボンネットの編成なかなかなくて運用調べて金沢区のボンネット型狙ってたのもいい思い出w

  • @playinggames.
    @playinggames. 2 месяца назад

    赤色フィルターや、特急マークについては他の人に譲るとして、気になったのは方向幕が使用されていたこと。最初は準備工事でサボを方向幕の上に付けて使用してました。本格使用は43.10からだったと「ガイドブック最盛期の国鉄車輌」には記載していた記憶が

  • @keiishikura3161
    @keiishikura3161 5 месяцев назад +3

    九州も関門トンネルで九州に上陸した先に電源切り替えがありますけど、
    関東から北に行く場合、東北本線では栃木県の北にある黒磯、常磐線は茨城県に入ってすぐの取手と、
    東京から比較的近い位置に電源切り替えがあるので、交直車は必須ですね。
    国鉄型の485?に乗ってると黒磯駅に停車中と、取手-藤代間走行中に明かりが消えていたのが・・・

    • @broad-wis2654
      @broad-wis2654 5 месяцев назад +1

      実は651系もそういう仕様でしたので、ほんの10年前まで取手-藤代間走行中に明かりが消える定期列車が走っていました。

  • @鈴木隆-c5n
    @鈴木隆-c5n 5 месяцев назад

    関門トンネルに入っていく151系、これまたリアルで素晴らしいです。481系はちょっとヘッドマークの位置が高い感じがします。

  • @exp.m.k.2300
    @exp.m.k.2300 5 месяцев назад +1

    この頃はまだ電気釜が登場していなかったのですね...

  • @hiko2hiko
    @hiko2hiko 5 месяцев назад +6

    ヘッドマーク位置が高いかも、あと赤スカート髭無し雷鳥だと後方赤色フィルター付きです

  • @qzp01467
    @qzp01467 5 месяцев назад +6

    181系と違ってモハ484は博多より固定だから、何となく門司駅を思わせる動画での向きが逆のような無いような。
    あと、交流区間で片パンタ上げる場合には上げるのは、切り替え機器がついている方のユニット内側のパンタグラフで、
    逆を上げているような無いような。

  • @minakatamanabu7413
    @minakatamanabu7413 5 месяцев назад

    実は東北線仙台電化の際に「401系の電気部品を組み込んだ151系」を作って特急ひばりに投入する予定でしたが、東海道新幹線開業後に151系を交直両用車へ改造予定があったので没になったという話があります。

  • @磯神戸iso感度
    @磯神戸iso感度 5 месяцев назад +3

    2:06 新幹線が開通した時に熱狂って、こと敦賀新幹線開業はすぐに一般旅客にも不便になったと評価を受けることになる愚策中の愚策ですね…。関西住まいでテツで富山や石川への旅行も好きだと金沢開業時点で悪夢だと思ってたのが現実に。北陸特急がただの敦賀特急になってしまうのは目に見えてましたがやはりそうなりました。
    整備新幹線もう要らないよ。
    札幌新幹線だって結局2030年は無理ってなりましたけど、札幌開業で北斗からの押し出しで261が余るのを見越して(というか期待して)石北に使い古しの283を振り子固定して無理やり押し付けたのに、カッコいいし好きだけど大概あんなボロ、いつまで使うつもりなんだろう…。
    わたしが気づいた時にはそれこそ大概ボロだったけど、それでもやはり485系が日本全国津々浦々を巡ってた頃が日本の鉄道の華の時期だったと思います。きのうの朝は青森にいたのにいまは今晩もうすぐ鹿児島。485系みたいな運用が組めた車両があったとしたらなんでしょうね。寝台客車?

  • @川上誠-v2r
    @川上誠-v2r 2 месяца назад

    あの山陽本線も直流と交流との変換点(デッドセクション)を姫路以西か、岡山以西か、或いは広島以西か、それとも岩国以西かと検討されていた。しかし、最終的に決まった変換点は関門鉄道トンネルを潜り抜けて門司駅構内に入ろうとするトコロで決まった。
    そのためか、国鉄末期からJR九州時代にかけて、関門鉄道トンネルを極力使わない九州で活躍するだけの(交流専用)電車ばかりが次第に増えて来た。
    まあ、福岡市交通局(地下鉄)と筑肥線は直流電化だけど、長者原で相互乗り入れの際にはJR九州と福岡市交通局との共同開発で交直両用電車が誕生したりして。
    誕生の暁にはJR九州では511系、福岡市交通局ではF5000系とそれぞれ名乗っているかも🎉

    • @山坂沙武朗
      @山坂沙武朗 2 месяца назад

      関門トンネルを交流電化に変更しなかったのは、交流だと絶縁距離が足りないからなので
      それが無問題なら岡山以西を交流電化しただろう。
      で、伯備線を電化するときは岡山〜倉敷を直流化した上で出雲市、知井宮の車両基地まで直流にしたのではないかと思う。

  • @corporal-aria
    @corporal-aria 5 месяцев назад +1

    美しい車輌が甦ったのはステキなのですが…
    車体を右から見た時の先頭車の国鉄マークが逆なのが気になりました。(難しいのは分かりますが…)

  • @miwasaka
    @miwasaka 5 месяцев назад

    JR九州車や青函乗入れ車が交流専用だったのはこのあたりの制約もあったのかな

    • @broad-wis2654
      @broad-wis2654 5 месяцев назад

      VVVFの時代になってからの交流車は単相交流⇒直流⇒三相交流と言う変換をするので、交流車と交直車の違いは回路の切り替えの有無くらいになりましたので単純にどうせ使わない交直切替機能を省いた(あるいは直流電圧を1500V以外に設定できるようにした)だけですね。

    • @miwasaka
      @miwasaka 5 месяцев назад

      ​@@broad-wis2654いや、485系の話。交流で高速運転させるために、ネックとなっていた直流との互換性切ったのかな?と。。