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当時の竹下客車区の資料では、20系の故障が多いので予備車をよこせ!と本社に要求していました。その中には、途中の切り離しで留置していた車両が灼熱地獄なので電源をどうにかしろ!というのもありました。
1975年3月10日改正では、あかつきと明星の併結編成が24系25形で残ったためカニ22がカヤ25に改造され、付属編成のあかつきに鳥栖~長崎間で連結されていました。
この記事、秀逸‼️
電源車を集中式にする設計によって想定していなかった分割運転という事態に、余り気味の旧客を必要最小限の改造で持ってくるのが国鉄らしい客車に発電エンジンを搭載した14系が設計されたのも、この分割時の電源問題をどうにかしないといけなくなったせいとも言える
グリーンマックスのスハ32板キットとカニ21のアッシーボディと床下パーツを組み合わせて本形式を改造製作した事を思い出しました。
昔のGMカタログにこの簡易電源車の話がありましたね。旧客キット改造アイデアのコラムで、確か小林画伯が挿し絵を描いておられたように記憶します。それがまさか今やKATO製も出てしまったとは……。
@ さん、ワールド工芸から左右逆パターンの真鍮板キットもありましたね笑。
オハシ30時代、九州を走ったのは急行霧島としての数年間で、大半の期間を上野~東北間や北海道内の急行に入ってた。オハシ時代の最後、4は北海道、2005は仙台にいた。
子供の頃から私の幼少時に山口県内で寝台列車の衝突事故があり 親子で乗車中の列車が徳山付近で長時間動かなかった 父母も詳しいことはわからないと聞いていました、厚東駅での事故のことだと60年たった今 初めて知りました感謝です。
この魔改造のノウハウでお召新1号編成にディーゼル発電機を積むことができたらしい・・・
いや、逆だったと思う先に新1号編成の改造電源車が出て(1960年だったかな?)、そのノウハウを活かしてマヤ20が出来たんだったと思う
やっぱ関係性あるんですねwKATO(Nゲージ)で並べてソックリやんwって思ってました
中学生はすぐ魔改造と喜ぶ
鉄道模型趣味の別冊、NゲージBookで改造例が載ってて、やはりスハ32の窓にコルゲート貼って、屋根はどうしたかわからないが、自分はアオシマのカニ24辺りから持ってこようと思っていたが、しばらくしてワールド工芸から金属製完成品が発売されたので高い金出して購入したのであった。去年またその中古品が店頭に並んでいたので購入してしまい家には2両のマヤ20が配属されているのである。
マヤ20は久留米のMax模型店が発売したのが16番ゲージの製品である。それは完成品でなく完全なキットでプラモの経験がなければ素人には難しい。組み立てから塗装まで工作力を要するし、台車やカプラーなどは別売り。Maxモデルの店長が組み立てた完成品が展示してあるし、逝去した直方の九州汽車倶楽部の店長も作って完成品を展示している。今はそのキットは売り切れで在庫があるかどうか分からない状態
C11のバック運転の佐世保編成に連結されていたのが印象深い...
細かいツッコミですがwww。動画の彗星で写っていた電源車はカニ25。。。これもマヤ20のように24系の分割併結運転用にカニ22から改造した車両ですね。先輩・後輩の間柄です。
マヤ20は付属編成用として最低限の電源供給能力しかなかったけれど、カニ25は元々カニ22としてフル編成に電源供給できるSpecがあったので偶に本編成の電源車を務め関西~九州間全区間走破したことがあった(実際この目で見たことがある)(^^);
台車が平軸受だから保守が大変だったと思います!
旧国鉄時代の昭和30年代に華々しく誕生の20系客車の中でスヤ20形は旧型客車から急遽改造による異色の存在は😮専門出版物を読んでご存じであります、電源車の不足分を補う主眼で旧型客車から大掛かりの改造は究極の神対応で成功しても他の20系客車に比べて風格違いを目の当たりになるのはかつてない出来事になりますも、昭和50年代に早くも形式消滅に、残りの20系客車は昭和62年4月のJRグループ発足時にJR東日本、JR西日本に限り引き継いで臨時列車中心で運用を継続するものの、1993(平成5)年を最後に20系客車は残された全ての車両が惜しくも引退して30年以上になりました現在でも永遠に語り継がれています🤗
長々書いててなんでスヤ20なん?
ん?こうとう駅?厚東駅は[ことう]駅だよ。20系に限らず24系やE26系もそうだけど集中電源方式は分割併合には不利だ。そこで12系をベースに14系が登場したが今度は火災事故の懸念が生じ再び分割併合の際の不便さを覚悟して24系及び25型に移行。ただ、自動消火装置が実用化され最終的に15型に。当初[みずほ]の大分編成用に登場したマヤ20はその後[はやぶさ][あかつき]用として長崎へ。しかし分割併合を行う列車が14系化され出番が無くなり50-3で引退。そう言えばガキの頃読んだ本の巻頭カラーグラビアでDD51牽引のブルトレのカマ次位になんだか見慣れない怪しげな客車=20系と色こそ同じだけど姿形は戦前型丸妻車=が繋がっていたのを子供心に不思議に思っていたがそれがマヤ20と知ったのは50-3頃のRF誌の記事だった(写真は無かったが同改正でナロネ20とマヤ20が引退するとの記述で理解した)
ミツバチマーヤの冒険
katoさん、モデル化しませんかね。
さくらの佐世保編成に入ってるってわからないのかな
20系の寝台は、ゆったりとはしてないと思うけど。寸法10系と変わってないもん。
防音性は明らかに20系が上。「山陰」で乗ったオハネフ12は床下から軋む音が一晩中聞こえてたが、「新星」「玄海」での20系はより高速で運行されてたが、軋みはなかった。少なくとも、普通のB寝台車の防音性なら14系や24系よりも20系の方が良かったと記憶している
それはB寝台だけですけどね。しかも当時の人からすればエアコン完備の新車ですよ?さぞ豪華だったと思いますけどね。
@ ゆったりした「三段寝台」と言ってるからそもそもがB寝台の話だし、冷房がどうだということではなく寝台の寸法の話をしている。
@魔改造人間 動画制作者はあのカイコ棚に寝たことがなかったと推測。真にゆったり快適に乗って欲しいのはナロネ20~22に乗る客だったろうし。
まあうぷ主も実際乗った事無いでしょうし・・・寝台寸法は10系と変わりませんね。寝床に関しては変わらずですが天井が高くなった分ゆとりは感じられるかな。それと洗面所付近も天井が高く開放感がありました。防音性は14系以降より良かったですね。内部はがっつりアスベスト吹き付けてましたから。
連結器の画像、密着自動連結器じゃなくて並型自動連結器じゃん
さくらまや?
当時の竹下客車区の資料では、20系の故障が多いので予備車をよこせ!と本社に要求していました。その中には、途中の切り離しで留置していた車両が灼熱地獄なので電源をどうにかしろ!というのもありました。
1975年3月10日改正では、あかつきと明星の併結編成が24系25形で残ったためカニ22がカヤ25に改造され、付属編成のあかつきに鳥栖~長崎間で連結されていました。
この記事、秀逸‼️
電源車を集中式にする設計によって想定していなかった分割運転という事態に、余り気味の旧客を必要最小限の改造で持ってくるのが国鉄らしい
客車に発電エンジンを搭載した14系が設計されたのも、この分割時の電源問題をどうにかしないといけなくなったせいとも言える
グリーンマックスのスハ32板キットとカニ21のアッシーボディと床下パーツを組み合わせて本形式を改造製作した事を思い出しました。
昔のGMカタログにこの簡易電源車の話がありましたね。旧客キット改造アイデアのコラムで、確か小林画伯が挿し絵を描いておられたように記憶します。
それがまさか今やKATO製も出てしまったとは……。
@ さん、ワールド工芸から左右逆パターンの真鍮板キットもありましたね笑。
オハシ30時代、九州を走ったのは急行霧島としての数年間で、大半の期間を上野~東北間や北海道内の急行に入ってた。オハシ時代の最後、4は北海道、2005は仙台にいた。
子供の頃から私の幼少時に山口県内で寝台列車の衝突事故があり 親子で乗車中の列車が徳山付近で長時間動かなかった
父母も詳しいことはわからないと聞いていました、厚東駅での事故のことだと60年たった今 初めて知りました感謝です。
この魔改造のノウハウでお召新1号編成にディーゼル発電機を積むことができたらしい・・・
いや、逆だったと思う
先に新1号編成の改造電源車が出て(1960年だったかな?)、そのノウハウを活かして
マヤ20が出来たんだったと思う
やっぱ関係性あるんですねw
KATO(Nゲージ)で並べてソックリやんwって思ってました
中学生はすぐ魔改造と喜ぶ
鉄道模型趣味の別冊、NゲージBookで改造例が載ってて、やはりスハ32の窓にコルゲート貼って、屋根はどうしたかわからないが、自分はアオシマのカニ24辺りから持ってこようと思っていたが、しばらくしてワールド工芸から金属製完成品が発売されたので高い金出して購入したのであった。
去年またその中古品が店頭に並んでいたので購入してしまい家には2両のマヤ20が配属されているのである。
マヤ20は久留米のMax模型店が発売したのが16番ゲージの製品である。
それは完成品でなく完全なキットでプラモの経験がなければ素人には難しい。組み立てから塗装まで工作力を要するし、台車やカプラーなどは別売り。
Maxモデルの店長が組み立てた完成品が展示してあるし、逝去した直方の九州汽車倶楽部の店長も作って完成品を展示している。
今はそのキットは売り切れで在庫があるかどうか分からない状態
C11のバック運転の佐世保編成に連結されていたのが印象深い...
細かいツッコミですがwww。
動画の彗星で写っていた電源車はカニ25。。。これもマヤ20のように24系の分割併結運転用にカニ22から改造した車両ですね。
先輩・後輩の間柄です。
マヤ20は付属編成用として最低限の電源供給能力しかなかったけれど、カニ25は元々カニ22としてフル編成に電源供給できるSpecがあったので偶に本編成の電源車を務め関西~九州間全区間走破したことがあった(実際この目で見たことがある)(^^);
台車が平軸受だから保守が
大変だったと思います!
旧国鉄時代の昭和30年代に華々しく誕生の20系客車の中でスヤ20形は旧型客車から急遽改造による異色の存在は😮専門出版物を読んでご存じであります、電源車の不足分を補う主眼で旧型客車から大掛かりの改造は究極の神対応で成功しても他の20系客車に比べて風格違いを目の当たりになるのはかつてない出来事になりますも、昭和50年代に早くも形式消滅に、残りの20系客車は昭和62年4月のJRグループ発足時にJR東日本、JR西日本に限り引き継いで臨時列車中心で運用を継続するものの、1993(平成5)年を最後に20系客車は残された全ての車両が惜しくも引退して30年以上になりました現在でも永遠に語り継がれています🤗
長々書いててなんでスヤ20なん?
ん?こうとう駅?厚東駅は[ことう]駅だよ。20系に限らず24系やE26系もそうだけど集中電源方式は分割併合には不利だ。そこで12系をベースに14系が登場したが今度は火災事故の懸念が生じ再び分割併合の際の不便さを覚悟して24系及び25型に移行。ただ、自動消火装置が実用化され最終的に15型に。
当初[みずほ]の大分編成用に登場したマヤ20はその後[はやぶさ][あかつき]用として長崎へ。しかし分割併合を行う列車が14系化され出番が無くなり50-3で引退。
そう言えばガキの頃読んだ本の巻頭カラーグラビアでDD51牽引のブルトレのカマ次位になんだか見慣れない怪しげな客車=20系と色こそ同じだけど姿形は戦前型丸妻車=が繋がっていたのを子供心に不思議に思っていたがそれがマヤ20と知ったのは50-3頃のRF誌の記事だった(写真は無かったが同改正でナロネ20とマヤ20が引退するとの記述で理解した)
ミツバチマーヤの冒険
katoさん、モデル化しませんかね。
さくらの佐世保編成に入ってるってわからないのかな
20系の寝台は、ゆったりとはしてないと思うけど。寸法10系と変わってないもん。
防音性は明らかに20系が上。「山陰」で乗ったオハネフ12は床下から軋む音が一晩中聞こえてたが、「新星」「玄海」での20系はより高速で運行されてたが、軋みはなかった。
少なくとも、普通のB寝台車の防音性なら14系や24系よりも20系の方が良かったと記憶している
それはB寝台だけですけどね。しかも当時の人からすればエアコン完備の新車ですよ?さぞ豪華だったと思いますけどね。
@
ゆったりした「三段寝台」と言ってるからそもそもがB寝台の話だし、冷房がどうだということではなく寝台の寸法の話をしている。
@魔改造人間 動画制作者はあのカイコ棚に寝たことがなかったと推測。
真にゆったり快適に乗って欲しいのはナロネ20~22に乗る客だったろうし。
まあうぷ主も実際乗った事無いでしょうし・・・
寝台寸法は10系と変わりませんね。寝床に関しては変わらずですが天井が高くなった分ゆとりは感じられるかな。それと洗面所付近も天井が高く開放感がありました。
防音性は14系以降より良かったですね。内部はがっつりアスベスト吹き付けてましたから。
連結器の画像、密着自動連結器じゃなくて並型自動連結器じゃん
さくらまや?