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昭和52年頃、当時通っていた幼稚園バスで東海道本線の沼津付近の踏切で、EH10が牽引する貨物列車が迫力あったことを覚えています。それから小学校に上がり、昭和55年頃のブルートレインブームで写真撮影に出掛けた時に、EH10の姿を見なくなりました。
私は子供の頃、戸塚駅でEH10が牽く貨物列車が通過するのを見ました。
@@user-pu8sq5ei7sさん 今の戸塚駅を見ますと、再開発と言うのは途方もない時間が掛るのを実感しますね。
東海道・山陽本線沿線で育った人間にとっては懐かしいEH10 そのEH形機関車がJRになってから復活するとは夢にも思わなかった
EH10かっこいいな!EF58同様、怒ってるようなフェイス、威厳があるのが当時受けたんでしょうね!それ以降の新しい機関車は優しいフェイスになりましたね。
先台車がなくなって台車はC-CからB-Bに。旧型電機から新性能電機へ移り変わる過渡期のスタイル。始祖鳥みたいですね。
黒い塗装に黄色の細い帯び。グオーと言う走行音。長い貨物を引っ張り東海道本線を疾駆する姿はまさに「東海道本線のマンモス」の名前に相応しい貫禄でした。
EH50は計画のみで終了してしまったが、そのコンセプト自体は電動車を2両1ユニットで使用する新性能電車に受け継がれていることは、意外と知られていない
なるほど!その連想はできなかった……
子供の頃は保存機の運転台とかに入れたんですが、今はイタズラが酷く柵、というより籠に入れられた状態になっています...
昔、保存機観に行った時、子供達が機関車の上に登って走り回っていて、ビックリした、思い出が有ります😮
む?EH10で120km/hを出せたのは 動画でも触れられていた 試験用にハイギヤード化された15号機のみだったように記憶していますが(記憶違いだったらすみません🙇)とはいえ こいつの牽くブルートレインなんかも見てみたかった気がします。案外 青地に白線も似合いそう。
ご視聴ありがとうございます!実際に出したのは15号機だけですが基本的に設計最高速度は120キロと表記されております!
確かに仰る通りで形式名が「EH10」である以上、牽引力を優先して低速運転とし、最高速度はD51やD52に合わせた85km/hとされていました。(当時の貨物用電気機関車は形式10~、旅客用は50~で、それぞれ設定最高速度が異なる)この機関車で急行旅客の牽引ができないかということで、1両のみですが、歯車比を変更のうえ120km/h走行試験対応とされたわけです。走行試験の後は、通常の運用への復帰を目的にギヤ比が戻された、と伺っています
15です。元々貨物機だったのを歯車比を換えて、旅客機にした物です。
@@watagasi583 関係ないけどEF65は設計最高速度115キロ、EF66は160キロですね。
ハカイダー その姿は壮観
小学生だった1970年代、戸塚駅近くでゆっくりと貨車を引いているのを見た記憶があります。当時は二軸貨車も見られました。
同じころ、たぶん近くで同じものを見ていました。重連で貨物列車を引いていたこともありましたね。
大阪市内に保存されてるのを、京都鉄道博物館に持ってて欲しいな。
どうして柴島(くにじま)という場所なんでしょうね。国鉄ではなく阪急千里線の沿線だし、鉄道とは縁の薄そうな公園の一角なんですよね。せめて古巣の吹田でニーナのそばに置いてやれないものでしょうか
EH級電機の始祖ですね。使用機器が旧型由来なので旧型電機扱いですが新型電機の先駆けと言えるかと。瀬野八越えの補機はEF59だったと思うので特性が合わなくて使いにくかったのでしょうね。同じEH10を補機にしたら良かったのかも。
マンモス懐かしいですね。貨物はEF60、EF65、EF66、EH10、郵便荷物列車はEF58、EF61等が活躍してましたね。黒色で異彩を放っていましたね。小さな頃の思い出ですね。
昭和32年生まれです。EH10大好きです。名古屋駅てよく見ました。
いわゆるマンモス電機ですね♪D52も超重量貨物を引きましたが、EH10は高速で走れましたからね😂
昭和53~54年に横浜駅で1~2度だけ見ました当初は今の横須賀線ホームに貨物列車が通ってました
私も何度か見た事がある。因みに横須賀線では今でも横浜駅で時々貨物列車が通過するのが見られる。私も初めて見た時、目を疑った位だ。尚ブルートレインが健在だった頃、戸塚駅で東海道貨物線を走るブルートレインを見た事がある。
黒と黄「クマンバチ」って、呼ぶ人もいたね。😢
黒に黄色帯って、最高速度75キロの「急行貨物」の色ですね。
「道外禁止」では?
@@user-re5id7rl8z クマンバチと言ったら、近鉄特急を連想します。
EH10は保存の状態が悪いので手を加えてあげたいですね……
ブラックマンモスのニックネームが似合う
EH10、子供のころ東海道本線をまだコンテナではない貨物列車を引いて、独特の電気音を響かせて走行していたのが思い出されます。お世辞にもスマートとは言えませんでしたが、貨物特化型の機関車として強く印象に残っています。
子供の頃に買ってもらったHOサイズのEH10の走るプラモ。2両で一組という珍しい電気機関車だったので、それからEH10のファンになりました。
私も子供の頃にHOスケールのアリイ製?の走るプラモのEF65を組み立てた事があります。子供ながらに難しいと思いました、組み立てれたときの嬉しさは計り知れませんでしたね。もう35年以上前の話ですね。
うっすらとした記憶を探って行くと、EH10のプラモはヨーデル模型という、現在ではもう存在しないメーカーだったと思います。
ヤフオクで定価よりは安くKATO旧仕様を入手。当時のヲタからはイマイチ評価だったPS22に載せ換えた出品も追加。したら車体間の中間シャフト無し。部品取りを調達しようと保険掛けて2両入札……したら両方いけてしまい。んでこれら4両を組み換えたら完品3両。残り1両は中間シャフトの受けが割れてて駆動が伝わらず。シリコンチューブで代用可能と先達殿より指南され内径1ミリ/外径2ミリのを追加落札。26ミリに切って代用。つつがなく走る。
何故だろう、凄く愛着が湧いてきたよ
eh500とeh200のご先祖様で二台の小型機関車が繋がったスタイルの巨大機関車だ。従兄弟のeh50は計画のみとなった。大阪に唯一の生き残りがおり厳重に保存されている。
開発するきっかけが、重連だと2両分支払うという大人の事情とは想像してなかった。
昭和52年頃、山陽本線の曽根駅で通過貨物を引いてたのを一度だけ目撃しました。懐かしい思い出です。
ガキの頃にコイツが東海道本線で長大貨物を牽引する姿は印象深かった、とは言え当時の自分は電車(80系)が見たかったんで「早く行けよ!長いよ!」とか思ってたw
1970年大阪万博の時に東海道線で見かけて、あ~都会だなって思ったもんです。交流の北陸線では見られないレアな電気機関車でした。ペアの電気機関車なんて素敵だった。
昭和40年代前半、長大な貨物を牽引してゆっくり走る姿が記憶に残っています。国道並走区間で65キロくらいで走行しており、自動車でも簡単に追い越せました。当時は、電車のスピードも遅く、本数も少なかったのでダイヤが組めたのでしょうね。
鉄道に興味を持った昭和50年代初頭、ケイブンシャの大百科、コロタン文庫、小学館の入門シリーズなどで存在は知ってたが結局すれ違いで見ることはできなかった。
EH10はELの中で一番好きな車両です❤❤吹田機関区に自転車🚵♀️に乗ってよく見に行ってました🎉 ありがとうございました🙌
将来の他線区転用を見越して、ED型重連も検討されていた由。然し東海道で常に重連運転となると中間運転台がデッドスペースになること、列車単位の大きな東海道筋では単機のEDでは力不足になること、また輸送需要の多い東海道だけで使いつぶしても元が取れる(山陽本線も電化が延伸していた)からEH形で登場した。ただ、瀬野八で補機を付けての登坂に難があり結局本線岡山まで&宇野線のみのカマとなった。晩年は予備車無しの運用だったがこれは予備車をEF65と共通にしていた為。EH10に故障が生じたり踏切事故等で被災したり、或いは定期検査で運用を外れた際、EF65ならEH10の運用をこなせるが、EF65の運用をEH10ではこなせないものがある為の処置だった。ウチの地元迄は来なかったので東海道本線を象徴するような、東海道の主の様な印象だった。幻に終わったEH50、若し実現していたらどんなスタイルになっていたのだろう?(^^);
EH10マンモス……絵本じゃあ立派な悪役張ってるけどこのデザイン、このスタイル、嫌いになれないのよね
今までの電気機関車と違って台車に連結器がなく車体に牽引力を伝えて、車体についた連結器で他車を引っ張るという構造革命をやっているので、機器類は従来の物そのままとは言え新型機関車の枠に入れても良いのではと思っています。(この機関車以前は牽引力伝達は台車で完結していて車体はただ乗っているだけだった)
4:31 この解体写真は珍しい。しかも15号機だから、高速化改造車だったのでは。
晩年は地元の旧岡多線を走ってたそうだけど、産まれる前だからあの単線高架をこんなにデカいのが走ってたという想像がつかない😅
何も東海道本線だけではなく山陽本線でも使えたのにね💧EH50型電気機関車。
EH形の構想は昭和21年からあり、22年には福米線での運用と東海道本線でも使えないか構想が練られていました。実現しなかったものの骨組みとしてEH10に繋がりましたEH10は性能だけでなく外見にも力を入れたようで、同じ重連のDD50が悪口を言われたのを気にして審議に審議を重ねたエピソードもあります
DD50形の後期形は格好良いと思います。
@@user-tk5tv8hs9l 初期型は愛嬌があって、後期型は格好いいですよね
否、戦時中にあった。弾丸列車用に造られる予定だったが、残念ながら設計図の段階に止まった。
これらの研究が、後にEH200やEH500の製作に活かされるのは、この機関車が廃車になった頃は、まだ世の中の鉄道ファン達は、気づいていなかった…。
きっかけが重連だと2両分支払うという大人の事情がそうさせられた。
EH10・・・世間的には「マンモス」、あるいは「クマンバチ」って形容されますけど、私は「ブラックエンペラー」と呼んでいました。某暴走族で有名ですが、「黒い皇帝」はEH10に相応しい愛称のような気がします。
1:01無茶苦茶ww1:36ちょっと特殊4:53架空鉄道で出したい
宇高連絡船から宇野線快速に乗り換えると、真っ黒なEH10の長大貨物レと離合するのが秘かな楽しみでした(^^)/ …蛇足ながら 定格2600kWと120km/hのネタはどこで拾ってこられたのでしょう?高速試験車は専用チューニングされていたはずです
淡路の保存車京都入りしない不思議。
瀬野八越え出来ていたならもう少し長生き出来たかも。
EH10のパワーでも単機で越えられなかったんですかね?
ヒューズが飛んでしまう。
保存してあるEH10を動態保存で復活させてほしい。
鉄道雑誌にありますけど、事故廃車はなかった。目論見はこれだけで東海道本線や山陽本線走るつもりだったけどね。まさかのEH形が大人の事情とはいえ2形式が誕生するとは想像してなかった。
EH10ってやえもんに意地悪した電気機関車!?
大阪市内の阪急京都線淡路駅の近くにある公園に61号機が保存されていますよ。
昭和55年1月に父とブルートレインを撮影に出掛けた時この“クマンバチ”が早朝の湘南地区を下ってきた。初心者の私はピンぼけ、父は8ミリフィルムで撮影してたけど、このEH10は撮影してなかった😵残念🤣✌️
かっこいい😮
旧性能電気機関車と言っても、新性能電気機関車も異常振動の発生で、クイル式から吊り掛け式に戻ったしな。
1両でいいからEH500をEH10と同じ塗装にしてくれないかなぁ・・・
雨晒しで、保存と言えるのでしょうか? 屋根を付けて修復上、京都鉄道博物館に移送されないものでしょうか? CFを募れば、修理保全費用くらい賄えると思う。 尚、私奴とEH10の出会いは、Nゲージ鉄道模型のKATOの製品を購入したことからです。 交通博物館の映写室で、「EH10の活躍」映画でも観たのであろう。
ビーストカイザーEH10漆黒の豪嵐EH10
で、どこで保存されてるの?見てみたいね
計画デハ客用モあったらしいデモ実際ハ貨物用
エコPOWER金太郎の、ご先祖さま\( *´꒳`*)/
EH10は、瀬八で、補機に、使用したら、良かったのにね。
残念ながらできないですね。本務機をED級にするならともかく、直並列にした時に、本務機とモータ電圧が異なってしまう。EF級とEH級の抵抗制御では、重連運転できないですね(フランスの機械式VVVFとかは話が別です)。
軸重は、軽いんだよね。
EH10の高速性を持ってしても、時速85キロ未満を示す10番代形式ってなんなの?
実際、高速貨物とは言え、85キロで走っていましたから。ヨ3500も付いていましたし。
120キロなのは高速試験の改造車だけで、基本は85キロでしょう。
制御系引き通した10系を間に挟んで「はい電車特急」とは行かんかったのね
TGVや初期のICEみたいなもんよねあのタイプって踏切事故起きた時に後ろの重たい電動車で前の客車何両か潰しそうな気がするんだが
「プッシュプル式」なら、名古屋鉄道で見られた。
昭和40年代~50年代前半頃は、EH10牽引の貨物が普通に横浜近辺の東海道貨物線を走ってるのを見ましたが。
幼少のころ、当時住んでいた家が東海道線の近くにありました。そしてEH10が牽引する貨物列車を見た記憶があります。現存しているのが、たった1機だけとは……。
昭和52年頃、当時通っていた幼稚園バスで東海道本線の沼津付近の踏切で、EH10が牽引する貨物列車が迫力あったことを覚えています。それから小学校に上がり、昭和55年頃のブルートレインブームで写真撮影に出掛けた時に、EH10の姿を見なくなりました。
私は子供の頃、戸塚駅でEH10が牽く貨物列車が通過するのを見ました。
@@user-pu8sq5ei7sさん 今の戸塚駅を見ますと、再開発と言うのは途方もない時間が掛るのを実感しますね。
東海道・山陽本線沿線で育った人間にとっては懐かしいEH10 そのEH形機関車がJRになってから復活するとは夢にも思わなかった
EH10かっこいいな!EF58同様、怒ってるようなフェイス、威厳があるのが当時受けたんでしょうね!
それ以降の新しい機関車は優しいフェイスになりましたね。
先台車がなくなって台車はC-CからB-Bに。旧型電機から新性能電機へ移り変わる過渡期のスタイル。始祖鳥みたいですね。
黒い塗装に黄色の細い帯び。グオーと言う走行音。長い貨物を引っ張り東海道本線を疾駆する姿はまさに「東海道本線のマンモス」の名前に相応しい貫禄でした。
EH50は計画のみで終了してしまったが、そのコンセプト自体は電動車を2両1ユニットで使用する新性能電車に受け継がれていることは、意外と知られていない
なるほど!その連想はできなかった……
子供の頃は保存機の運転台とかに入れたんですが、今はイタズラが酷く柵、というより籠に入れられた状態になっています...
昔、保存機観に行った時、
子供達が機関車の上に登って走り回っていて、ビックリした、思い出が有ります😮
む?EH10で120km/hを出せたのは 動画でも触れられていた 試験用にハイギヤード化された15号機のみだったように記憶していますが(記憶違いだったらすみません🙇)
とはいえ こいつの牽くブルートレインなんかも見てみたかった気がします。案外 青地に白線も似合いそう。
ご視聴ありがとうございます!実際に出したのは15号機だけですが基本的に設計最高速度は120キロと表記されております!
確かに仰る通りで
形式名が「EH10」である以上、牽引力を優先して低速運転とし、最高速度はD51やD52に合わせた85km/hとされていました。
(当時の貨物用電気機関車は形式10~、旅客用は50~で、それぞれ設定最高速度が異なる)
この機関車で急行旅客の牽引ができないかということで、1両のみですが、歯車比を変更のうえ120km/h走行試験対応とされたわけです。
走行試験の後は、通常の運用への復帰を目的にギヤ比が戻された、と伺っています
15です。
元々貨物機だったのを歯車比を換えて、旅客機にした物です。
@@watagasi583
関係ないけどEF65は設計最高速度115キロ、EF66は160キロですね。
ハカイダー その姿は壮観
小学生だった1970年代、戸塚駅近くでゆっくりと貨車を引いているのを見た記憶があります。当時は二軸貨車も見られました。
同じころ、たぶん近くで同じものを見ていました。重連で貨物列車を引いていたこともありましたね。
大阪市内に保存されてるのを、京都鉄道博物館に持ってて欲しいな。
どうして柴島(くにじま)という場所なんでしょうね。国鉄ではなく阪急千里線の沿線だし、鉄道とは縁の薄そうな公園の一角なんですよね。せめて古巣の吹田でニーナのそばに置いてやれないものでしょうか
EH級電機の始祖ですね。
使用機器が旧型由来なので旧型電機扱いですが新型電機の先駆けと言えるかと。
瀬野八越えの補機はEF59だったと思うので特性が合わなくて使いにくかったのでしょうね。
同じEH10を補機にしたら良かったのかも。
マンモス懐かしいですね。
貨物はEF60、EF65、EF66、EH10、郵便荷物列車はEF58、EF61等が活躍してましたね。黒色で異彩を放っていましたね。小さな頃の思い出ですね。
昭和32年生まれです。
EH10大好きです。
名古屋駅てよく見ました。
いわゆるマンモス電機ですね♪D52も超重量貨物を引きましたが、EH10は高速で走れましたからね😂
昭和53~54年に横浜駅で1~2度だけ見ました
当初は今の横須賀線ホームに貨物列車が通ってました
私も何度か見た事がある。
因みに横須賀線では今でも横浜駅で時々貨物列車が通過するのが見られる。
私も初めて見た時、目を疑った位だ。
尚ブルートレインが健在だった頃、戸塚駅で東海道貨物線を走るブルートレインを見た事がある。
黒と黄
「クマンバチ」って、呼ぶ人もいたね。😢
黒に黄色帯って、最高速度75キロの「急行貨物」の色ですね。
「道外禁止」では?
@@user-re5id7rl8z
クマンバチと言ったら、近鉄特急を連想します。
EH10は保存の状態が悪いので手を加えてあげたいですね……
ブラックマンモスのニックネームが似合う
EH10、子供のころ東海道本線をまだコンテナではない貨物列車を引いて、独特の電気音を響かせて走行していたのが思い出されます。
お世辞にもスマートとは言えませんでしたが、貨物特化型の機関車として強く印象に残っています。
子供の頃に買ってもらったHOサイズのEH10の走るプラモ。
2両で一組という珍しい電気機関車だったので、それからEH10のファンになりました。
私も子供の頃にHOスケールのアリイ製?の走るプラモのEF65を組み立てた事があります。
子供ながらに難しいと思いました、組み立てれたときの嬉しさは計り知れませんでしたね。
もう35年以上前の話ですね。
うっすらとした記憶を探って行くと、EH10のプラモはヨーデル模型という、現在ではもう存在しないメーカーだったと思います。
ヤフオクで定価よりは安くKATO旧仕様を入手。当時のヲタからはイマイチ評価だったPS22に載せ換えた出品も追加。したら車体間の中間シャフト無し。部品取りを調達しようと保険掛けて2両入札……したら両方いけてしまい。
んでこれら4両を組み換えたら完品3両。残り1両は中間シャフトの受けが割れてて駆動が伝わらず。シリコンチューブで代用可能と先達殿より指南され内径1ミリ/外径2ミリのを追加落札。26ミリに切って代用。つつがなく走る。
何故だろう、凄く愛着が湧いてきたよ
eh500とeh200のご先祖様で二台の小型機関車が繋がったスタイルの巨大機関車だ。
従兄弟のeh50は計画のみとなった。
大阪に唯一の生き残りがおり厳重に保存されている。
開発するきっかけが、重連だと2両分支払うという大人の事情とは想像してなかった。
昭和52年頃、山陽本線の曽根駅で通過貨物を引いてたのを一度だけ目撃しました。懐かしい思い出です。
ガキの頃にコイツが東海道本線で長大貨物を牽引する姿は印象深かった、とは言え当時の自分は電車(80系)が見たかったんで「早く行けよ!長いよ!」とか思ってたw
1970年大阪万博の時に東海道線で見かけて、あ~都会だなって思ったもんです。交流の北陸線では見られないレアな電気機関車でした。ペアの電気機関車なんて素敵だった。
昭和40年代前半、長大な貨物を牽引してゆっくり走る姿が記憶に残っています。国道並走区間で65キロくらいで走行しており、自動車でも簡単に追い越せました。当時は、電車のスピードも遅く、本数も少なかったのでダイヤが組めたのでしょうね。
鉄道に興味を持った昭和50年代初頭、ケイブンシャの大百科、コロタン文庫、小学館の入門シリーズなどで存在は知ってたが結局すれ違いで見ることはできなかった。
EH10はELの中で一番好きな車両です❤❤吹田機関区に自転車🚵♀️に乗ってよく見に行ってました🎉 ありがとうございました🙌
将来の他線区転用を見越して、ED型重連も検討されていた由。然し東海道で常に重連運転となると中間運転台がデッドスペースになること、列車単位の大きな東海道筋では単機のEDでは力不足になること、また輸送需要の多い東海道だけで使いつぶしても元が取れる(山陽本線も電化が延伸していた)からEH形で登場した。ただ、瀬野八で補機を付けての登坂に難があり結局本線岡山まで&宇野線のみのカマとなった。晩年は予備車無しの運用だったがこれは予備車をEF65と共通にしていた為。EH10に故障が生じたり踏切事故等で被災したり、或いは定期検査で運用を外れた際、EF65ならEH10の運用をこなせるが、EF65の運用をEH10ではこなせないものがある為の処置だった。
ウチの地元迄は来なかったので東海道本線を象徴するような、東海道の主の様な印象だった。
幻に終わったEH50、若し実現していたらどんなスタイルになっていたのだろう?(^^);
EH10マンモス……絵本じゃあ立派な悪役張ってるけどこのデザイン、このスタイル、嫌いになれないのよね
今までの電気機関車と違って台車に連結器がなく車体に牽引力を伝えて、車体についた連結器で他車を引っ張るという構造革命をやっているので、機器類は従来の物そのままとは言え新型機関車の枠に入れても良いのではと思っています。(この機関車以前は牽引力伝達は台車で完結していて車体はただ乗っているだけだった)
4:31 この解体写真は珍しい。しかも15号機だから、高速化改造車だったのでは。
晩年は地元の旧岡多線を走ってたそうだけど、産まれる前だからあの単線高架をこんなにデカいのが走ってたという想像がつかない😅
何も東海道本線だけではなく山陽本線でも使えたのにね💧EH50型電気機関車。
EH形の構想は昭和21年からあり、22年には福米線での運用と東海道本線でも使えないか構想が練られていました。実現しなかったものの骨組みとしてEH10に繋がりました
EH10は性能だけでなく外見にも力を入れたようで、同じ重連のDD50が悪口を言われたのを気にして審議に審議を重ねたエピソードもあります
DD50形の後期形は格好良いと思います。
@@user-tk5tv8hs9l 初期型は愛嬌があって、後期型は格好いいですよね
否、戦時中にあった。
弾丸列車用に造られる予定だったが、残念ながら設計図の段階に止まった。
これらの研究が、後にEH200やEH500の製作に活かされるのは、この機関車が廃車になった頃は、まだ世の中の鉄道ファン達は、気づいていなかった…。
きっかけが重連だと2両分支払うという大人の事情がそうさせられた。
EH10・・・
世間的には「マンモス」、あるいは「クマンバチ」って形容されますけど、
私は「ブラックエンペラー」と呼んでいました。
某暴走族で有名ですが、「黒い皇帝」はEH10に相応しい愛称のような
気がします。
1:01
無茶苦茶ww
1:36
ちょっと特殊
4:53
架空鉄道で出したい
宇高連絡船から宇野線快速に乗り換えると、真っ黒なEH10の長大貨物レと離合するのが秘かな楽しみでした(^^)/ …蛇足ながら 定格2600kWと120km/hのネタはどこで拾ってこられたのでしょう?高速試験車は専用チューニングされていたはずです
淡路の保存車京都入りしない不思議。
瀬野八越え出来ていたならもう少し長生き出来たかも。
EH10のパワーでも単機で越えられなかったんですかね?
ヒューズが飛んでしまう。
保存してあるEH10を動態保存で復活させてほしい。
鉄道雑誌にありますけど、事故廃車はなかった。目論見はこれだけで東海道本線や山陽本線走るつもりだったけどね。まさかのEH形が大人の事情とはいえ2形式が誕生するとは想像してなかった。
EH10ってやえもんに意地悪した電気機関車!?
大阪市内の阪急京都線淡路駅の近くにある公園に61号機が保存されていますよ。
昭和55年1月に父とブルートレインを撮影に出掛けた時この“クマンバチ”が早朝の湘南地区を下ってきた。初心者の私はピンぼけ、父は8ミリフィルムで撮影してたけど、このEH10は撮影してなかった😵残念🤣✌️
かっこいい😮
旧性能電気機関車と言っても、新性能電気機関車も異常振動の発生で、クイル式から吊り掛け式に戻ったしな。
1両でいいからEH500をEH10と同じ塗装にしてくれないかなぁ・・・
雨晒しで、保存と言えるのでしょうか? 屋根を付けて修復上、京都鉄道博物館に移送されないものでしょうか?
CFを募れば、修理保全費用くらい賄えると思う。
尚、私奴とEH10の出会いは、Nゲージ鉄道模型のKATOの製品を購入したことからです。 交通博物館の映写室で、「EH10の活躍」映画でも観たのであろう。
ビーストカイザーEH10
漆黒の豪嵐EH10
で、どこで保存されてるの?見てみたいね
計画デハ客用モあったらしい
デモ実際ハ貨物用
エコPOWER金太郎の、ご先祖さま\( *´꒳`*)/
EH10は、瀬八で、補機に、使用したら、良かったのにね。
残念ながらできないですね。本務機をED級にするならともかく、直並列にした時に、本務機とモータ電圧が異なってしまう。EF級とEH級の抵抗制御では、重連運転できないですね(フランスの機械式VVVFとかは話が別です)。
軸重は、軽いんだよね。
EH10の高速性を持ってしても、時速85キロ未満を示す10番代形式ってなんなの?
実際、高速貨物とは言え、85キロで走っていましたから。ヨ3500も付いていましたし。
120キロなのは高速試験の改造車だけで、基本は85キロでしょう。
制御系引き通した10系を間に挟んで「はい電車特急」とは行かんかったのね
TGVや初期のICEみたいなもんよね
あのタイプって踏切事故起きた時に後ろの重たい電動車で前の客車何両か潰しそうな気がするんだが
「プッシュプル式」なら、名古屋鉄道で見られた。
昭和40年代~50年代前半頃は、EH10牽引の貨物が普通に横浜近辺の東海道貨物線を走ってるのを見ましたが。
幼少のころ、当時住んでいた家が東海道線の近くにありました。
そしてEH10が牽引する貨物列車を見た記憶があります。
現存しているのが、たった1機だけとは……。