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セナが求めていたのは『勝てるマシン』、逆に94年ウィリアムズへ乗っていなきゃおかしな話になっていた。
セナは今強いチームしか興味なかった。
ホンダは92年も継続すると言ってセナを引き止めたが、実は91年の年末にロン・デニスには92年限りで撤退すると伝えていた。ホンダが撤退を正式発表したのはその半年後で、おそらくセナは発表の少し前あたりに知ったはず。このことはセナを大きく傷つけ、なんとしてでもウィリアムズに移籍しようとした理由の1つでもあったでしょう。
パワーにモノを言わせたホンダエンジンを積んだマクラーレンを駆るセナよりも明らかにパワーの劣る93年のマクラーレンフォードを駆るセナは本当にカッコ良かったです。タイトルは逃したけど92年に3勝しか出来なかったのにパワーの劣るフォードエンジンで5勝を果たした。特にドニントンGP😊でのオープニングラップの時は本当に信じられないくらい凄かった!
セナが生きていてくれたら、移籍がうまくいってくれていたら、あの事故が無かったらと。。。30年経った今もやはりセナが好きで色々動画を見てしまう。
俺も、今でもセナの動画みてしまう。ミハエルでもなく、ハミルトンでもなく、いつも、セナの動画見てしまう。あの事故なかったら、タイトル何度取ったかな?
何はともあれセナが乗ったマシンはロータス以降タバコスポンサーという事もありカラーがとてもカッコイイんだよね!
93年にベルガーがフェラーリに戻る際、セナに「君の力でフェラーリを勝てるチームにしてくれ。そしたら私もフェラーリに行くから」と言われ、一言「ふざけんなw」と返したエピソードが好き。
93年シーズンも、「オレは勝てるレースしか乗らんのや」というセナに対し、「ほなおまえ勝たれへんレースにミカ乗せる言うとんのか」とつっこまれた。という話もありましたね。
キャリアを重ね、いい加減ゼロからの開発はイヤになったのでしょうね。ただアクティブサスはセナ向きではなかったですね!
@@syu1958何を見当違いな事を言っているの?
結果論だけどプロストはウィリアムズでそれをやってくれました(笑)しかしレギュレーション改正などで優位性の大部分は阻まれてしまいましたが…プロスト仕様のマシンにそのまま乗れてたらヒルと競い合い88年マクラーレンみたくウィリアムズ一人勝ちになっていたかも。
ハイテク禁止でセナは苦戦したが、ヒルやヴィルヌーブはチャンピオンになってるんだよなあ、しかもシューを倒して
94年にマクラーレンに残留してたら、プジョーにブチ切れし、途中で引退したかもしれませんよ。
ホンダV10は、レーシングエンジンとしては異例とも思えるバランスシャフトを装備していた。当時のルノーV10と比べても10kg以上重いとも言われていたが、振動の少なさによる信頼性の向上、それによるドライバーの疲労軽減という副産物ももたらしていた。ホンダV12のバンク角60度のエンジンは、確かにバランスシャフトを不要とする滑らかさを実現していた。しかし、空力を重視してバンク角75度に再設計した新型は、今まで無視できた問題も引き起こしたという。マクラーレンが「パワーとエンジン屋の夢であるV型12気筒」を夢見るホンダを抑え、そして他チームの「全体的なパッケージ」に目覚めていれば、歯車の周り方はまた違ったかもしれない。
MP4/7自体もコーナ飛び込み侵入がアンダーでどうしょうもないて聞いてたからこの時点でウィリアムズFW14Bとはアクティブサスのようなハイテクというよりマシンパッケージ自体にも差がでたのかも。
セナとフェラーリ…これも凄い組み合わせだけどやっぱマクラーレンだよ。
ホンダの優柔不断さはいまも変わらないですね。情に厚いセナと違いレッドブルはサクッと見切りをつけたのが対蹠的です。
どっち付かずって話ならマクラーレンもじゃね!?ジョン・バーナード、エイドリアン・ニューウェイ、アラン・プロスト、ゲルハルト・ベルガー、アイルトン・セナ、ポルシェ、ホンダ、ランボルギーニ、プジョーメルセデス、ルノー…多くのパートナーにムチャ振りし、優位性を持てなきゃ責任押し付け…みんなにそっぽむかれてテールエンドまで堕ちたし。
もしもセナがフェラーリ移籍した場合、代わりに放出されたのはアレジだろうか?
セナだからベルガーと思いました。
セナってあんな事故が無くて現役を真っ当してたらどんな引退の仕方してたんだろうって未だに考えてしまう。
セナは1960年産まれなので3年ほど前に「セナが生きていたら還暦かぁ~ 想像できないよ。」と呟いたのを思い出しました。セナの2世が新たな伝説を作っていた世の中だったかも知れませんね。
いやいや、普通に考えて当時無敵のウイリアムズのシートが空いたんならそこ行くでしょ
{乗らなきゃオレが乗る」K
1994年のシートにおいて、どう考えてもセナにとっての本命はウィリアムズだし、仮にそれが破談になってもワークスエンジンを獲得した勝手のわかるマクラーレンに残留の方があり得たと思う。フェラーリは両チームとの契約金交渉の当て馬にされただけでは...
マクラーレンプジョーにセナは絶対耐えられない😂
@@avr2vfr 確かにプジョーエンジンにぶちギレるセナは容易に想像できてしまいますね。でもフェラーリの俺たちもどっこいどっこいだし、やっぱりウィリアムズが一番かな。
あのプロストもマクラーレン・プジョーは無いわって見切り付けてったのに、セナがそのまま残留するとは思えない。強いて残留する条件を上げるなら、テストで積んだランボルギーニを本採用した時のみだと思う。まぁ金額面の折り合いで結局は出て行ったと思うけど。
カメラ前のサービスだと思うが「アラン、君が居ないチャンピオンシップは寂しいよ」的な事をセナが言ってたらしいが、リップサービスではなく本心だったのかもね...薄い本なら2人は付き合うぐらい仲悪かったし?
フジF1中継の車載カメラで、セナのMP4/7がブレブレだったのに対し、マンセルのFW14Bの画像が全然ブレてなくて、こんなに差があったら勝負になるわけないと思ったものでした。当時フェラーリはボロボロだったけど、ホンダの煮え切らない態度に右往左往させられたセナのフェラーリ移籍も、自然な思いだったのではないかと思います。
そうでしたね?たしかブラジル辺りでセナの画像は見れないくらいなのに、マンセルは振動もなくて
FW14Bはアクティブサスペンションが生き物の様に動いていた。車体がブレるとすれば、路面が悪すぎたメキシコGP位かな。
@@seijirofto.de2a838 そのメキシコでもマンセルは振動も少なくて…マクラーレンは…
跳ね馬✕セナ見てみたかったですねえ。
セナがインディに出場していたらマンセル、彼の先輩でもあるエマーソンと勝負したりナイーブな性格もアメリカの大らかな雰囲気で変わってたかもしれないよなぁ…
「私を忘れるな〜」「イタタタイ〜💦」ピケ。
@@user-td2nr4ni3 Nelson Piquetは、最近もヤラかしてますからねぇ、罰金一億二千万円だそうですwww
@@user-fk7pr2yy5l ジュニア大丈夫かな💦いや💦一人前だから大丈夫か👍
MP-4/8で勝つセナは衝撃的だった。ルノーと比べ動力性能が明らかに劣るカスタマースペックのFORD HBでも勝てたのはセナの技術は勿論、マクラーレンもMP-4/8にはMP-4/7と比べ相当の工夫を凝らしているとも考えられる。ぱっと見コンサバなMP-4/8に内包されていたその”工夫”にとっても興味がある。
セナがロータス99Tで初めてホンダエンジン(V6ツインターボ)を使って優勝した1987年F1シーズンのモナコとデトロイトですが公式発表ではウィリアムズに供給されたのと同じRA167Eと言う事になっていましたが、実際は前年1986年ウィリアムズが使っていたRA166E(つまり1年型落ち)だったと言われていました。ホンダエンジンを使うNo.1チームがウィリアムズで、ロータスがNo.2チームだったので同一スペックでは無かった。ウィリアムズのコンストラクタータイトル獲得に見通しが立ったのでシーズン途中からロータスにも同じ最新スペックRA167Eが供給されるようになったのは、1993年マクラーレンMP4/8フォードコスワースHBの最新スペック(ベネトンに供給されているのと同じニューマチックバルブ仕様のワークスエンジン)が供給されるようになったのと状況が似ていますね。笑1988年F1シーズンでマクラーレンMP4/4(セナ&プロスト)とロータス100T(ピケ&中嶋)に供給されたのは同じRA168Eでした。
技術的な工夫はあったにせよ、シャシー空力の悪さが足を引っ張ったのが残念。特に夏場の高速コースでそれが露見しちゃいましたからね。。。
正直あの年93年 ウィリアムズ圧勝かと思い 雨のドニントン ブラジル 見事な勝利でした。そしてモナコ 中盤戦やはり ウィリアムズルノー圧勝しましたが、エンジンもベネトン同様なり 後半 日本 オーストラリア勝利 MP4/8は、コンパクトなフォードエンジン 空力良かったかと思います。あの年 アラン・プロスト2年ぶり復帰して 二人の戦い見事でした。最終戦和解 そして翌年 死去
@@user-tk1ii4mi3h 様プロストも1年振りのF1復帰で開幕戦こそポールtoフィニッシュで上手くスタートを切りましたが、F1キャリアで初めてアクティブサスペンションを経験して不慣れだったのと雨のレースが意外に多いシーズンで手こずっていましたね。特に決勝においてスタートのミス(クラッチミートのタイミング)が目立っていました(プロストのマシンを丁寧に労って扱うスタイルが逆に仇となった?)プロストがウィリアムズFW15Cの問題点(文句)を指摘するとセナが皮肉を込めて「それなら、お互いのマシンを交換しようじゃないか?」と強烈な一言コメントを発したのがユニークで面白いでした。笑このシーズンのプロストは、4度目の世界タイトル獲得が絶対目的でウィリアムズFW15Cを走行ラインを綺麗にトレースするだけで、以前ほどセナとの追い抜きバトルする場面シーンが少ない印象でした。すでに引退を決意していたから更に安全重視を心掛けていたのでしょうね?
@@user-hi4ls5my2x 様 なるほどと思う部分有ります。
マクラーレン・ランボルギーニ実戦を走ってたならどんな感じだっただろう。V8搭載の仕様に合わせた車体ならハズレは間違いないですが💦92年のマクラーレンMP4/7もミニカー持つぐらいかっこいいからマクラーレンの中でも気に入ってますが慢性アンダーに悩まされているのでウィリアムズどころかベネトンにも危うかった感じでした💦
94年95年のどちらかで4度目のワールドチャンピオンに輝き、96年にフェラーリに移籍してたと思う。そこでミハエルと同じチームになってたとは思わないなぁ。
そうなりゃミハエルはマクラーレン行きですよw元々はメルセデスのお人ですし。
あの時ハイテク禁止が95年に延長してたなら、セナは王者獲得して引退していたと今でも思ってます。
あとはハイテク禁止をせずに、コスト削減は共通システム使用とかでやってれば・・・アクティブサスは無理にしろ、ABSやトラコンがあったらもっと扱いやすかっただろう
サムネから興味を引く動画でした!セナの話はいくら聞いても飽きませんね
92年シーズン終盤のプロスト、セナ、マンセルのウィリアムズのシート争いの話は、説明通りだったように記憶しています。まあ、セナの「タダでもウィリアムズに乗る」は契約金のことでゴネていたマンセルに対する牽制だったと思いますけど。それと、プロストは表向きはセナを受け入れることを拒否はしてなかったとのこと。但し、契約条件として、「チームの全ての優先権は自分」としていたため、実質セナのウィリアムズ入りは困難でした。セナはフェラーリ入りについて生前、「キャリアの何処かでは加入したい。但し、現在、入るべきでは無い。」と語っていました。*92年か93年シーズン中だったと思います。おそらく、勝てる状態(チーム体制含めて)が揃わない限りは加入しない、と言うことなんだろうと解釈しました。
セナは今強いチームしか行かない
「ナイジェル・マンセルの光と影」という本にこのシート争いについて詳しく書かれていました。その他の点でも読み応え十分な一冊でした。久しぶりに読み返したいけど入手できるかなあ
動画ありがとうございます。テレビ向こうですが、この前後のハナシはリアルタイムで見てましたね あっ、マクラーレン・ランボルギーニ、ミニカー持ってます🤣
セナが事故する前年の日本グランプリを見に行って、セナの写真を沢山取れたのが思い出します。予選〜決勝の観戦チケットで行きましたが、高校生の自分にとって(社会人もか😂)、チケット代金が超高額だったので、必死にバイトして貯めました!セナに会いたい!』とか言うCM?ありましたよね〜フジテレビが超プッシュしてました。私は中嶋と髙橋徹(国内レーサー)が好きで、それからF-1好きになりましたが、あの時代はF−1バブルでしたねー
実質最終レースとなったのが急遽決まり慌ただしく準備開催された日本の英田になったのも因縁奇縁を感じます。セナは日本の申し子だったなぁと。
マクラーレンもプジョーV10載せるよりもベネトンと同じワークスフォードエンジンで2年目シーズンだったらチャンピオンになれたと思ってます。セナも残留していたらチャンピオンになれたと思います。94年のウィリアムズのマシンはアクティブサスが無いマシンになると安定しない走りで結果的にセナの事故に繋がってしまったと思います。
ウィリアムズのスーツは似合わなかったかな…フランクに直談判してたとこも無理矢理っぽく焦ってた印象ある…マシンもちぐはぐ…当時見ていた人の殆どがなんか全ての歯車があってない印象を受けただろう。
セナがフェラーリの場合、ベルガーとセナなんだろうなぁ。
シューマッハ王朝もフェラーリ以外で為された可能性
@@phoenix-2827 シューマッハはフェラーリ入りが無い。
F1のレバタラはホント興味深く、面白いですネ。最強マシンを巡る様々な人間模様は、歴史すら変えてしまうのです…。
フェラーリのセナも見てみたかったですね!実現していたらまた違ったF1が見れたかもしれません...。
フィアットの上層部が拒否していなければ生前移籍指定たかも
そもそもドライバビリィを犠牲にしても速さを作り出す事を厭わないウィリアムズのマシンはマシンの居住性に神経質だったり視界の確保にうるさくてマクラーレンのハイノーズ導入を頓挫させたりシーズン中に自分のマシンのコクピット前方の風防を何度も改良させるようなセナとマッチするはずがなかった
もしあの事故がなかったら、シューマッハとのポイント差を逆転して94年タイトルを取れたのか知りたかったです。後半はFW16も良くなっていたので。
ウィリアムズに行かんければ…て言っても、あの年はテストでもレースでもクラッシュ多発で正直どのメーカーでも難しかったやろう。その中で、熟成させたFW16Bに乗れば後半戦巻き返したはず。フェラーリの方は引退直前にベルガーと走らせられれば満足といったとこかな。
やっぱりウィリアムズとは縁がなかった。彼の開発能力なら駄馬を跳ね馬に甦らせられたかも…そして今もノンビリ解説でもしてF-1の世界も変わっていたのかも…
アイルトン・セナが生きていた場合、ウィリアムズでチャンピオンを勝ち取った、1996年か1997年にフェラーリへと移籍した可能性はあるだろうなぁ…。もしフェラーリでセナとシューマッハが一緒になった場合は…「船頭多くして船山に登る」という状態が発生したりするのは目に見えている…。アイルトン・セナとミハエル・シューマッハが同じフェラーリに居たら…ジャン・トッド&ルカ・ディ・モンテゼーモロはセナとミハエルの意見を両方聞かなければならないという状況へと陥ってしまう…。
その場合はゴタゴタでどっちもF1キャリア長続きしなかったし、フェラーリもチャンピオン獲得できないで相変わらずお家騒動だったでしょうね。
どこで、選択を間違えたでしょうね?ウイルアムズは当時は速かったですか、フェラーリも、それなり、速さがあったですか…
私的に…93年はセナにとっては運命の別れ目…的な…状況だったな…と感じますね…93年のマクラーレンはメス型成型のモノコックになった…?筈…?しかもフォードV8で軽量コンパクトなマシンでマシンの運動性能が改善されていた…セナも意外な良さを感じて微かな光明を見出していた……。ただパワー以外は。93年序盤で翌年のハイテク禁止が決まった時……セナにハイテク禁止のウイリアムズってどうなんだ……??と思えてたら……と考えてしまいますね。そして私見ですがウイリアムズはセナには合わなかったんじゃないかな…?偏見になりますが、ウイリアムズはドライバーに冷たい気がするんですよね…。たとえセナでもそのスタンスは変わらなかったんじゃないか……??と……。なのでウイリアムズ移籍は違和感だけでしたね。ハイテクデバイスを取っ払ったらマクラーレンでも十分走れたかな…。素性のいいシャシーがあれば93年途中からHBになったフォードでも勝負出来たかなと思いますね。ランボルギーニもテストしてましたが実績と信頼性を考えたらフォードHB。セナが94年も乗るならベネトンと同スペックのHBを穫りに行ったんじゃないか……。もう、かなりタラレバですが、もう一時代を築こうとチーム選択を誤ったかな……と。今の最強マシンが来年の最強とは限らない……ある意味裸の王様的なマシンになってしまった…ウイリアムズより自在に操れたであろうマクラーレンの方が良かったんじゃないかな…って感じです。フェラーリは……行ったかもしれませんが短期で終わったかもしれませんね…。ただ94年のサンマリノで止まってしまったので……。私の、タラレバ話でした。
簡単にいうとジャン=トッドか「契約は絶対」ってスタンスを崩さなかったから
セナが去ってHONDAも去ったマクラーレンにマンセルとPEUGEOTエンジン来たらマクラーレンは悪循環に陥ってメルセデスと組むまでは低迷したなあ
フェラーリに移籍してたらシューマッハにっこりやね
セナは、フェラーリがあまり好きでは無いように見えました。ウィリアムズなら自分の意見が通り易く、フェラーリは意見が通り難い…そういう所でチームを選んでいたフシが見えました。
何度かウィリアムズ移籍話し もしも実現すれば、タイトル獲得あったかも知れませんね そして伝統のチームフェラーリ行ったら変わったかも知れません アイルトン・セナは、常に最大のライバル アラン・プロスト必要でありました。やはり チームは、常に開発必要ですね 毎年変わります。セナの先見性違いますね
もしセナがフェラーリに移籍してた場合名車F355は生まれてなかったかも
1992年、93年の英国のAutosport誌では、マクラーレンが遅いのはすべてホンダエンジンがパワーがないせいだとホンダエンジンのせいにされていました。当時は英国で毎週タバコ屋で買って購読していました。
本当に悲しかったです。若くして鬼籍入りするのはね。もっと活躍するのを見たかった。アクティブサスペンションを禁止しなければ最後のワールドチャンピオンになっていたのに。余談ですが私は本当に故アイルトン・セナと同じ利き腕なんです。左利きです。マジです。信じて下さい。
当時、アンチセナでしたが、あの事故で亡くなった事は本当に悲しかった。今もご存命なら、素晴らしいチームオーナーになっていた事でしょう。プロストファンでしたが、シンジへの待遇には憎しみを感じました。
私も同じく当時はアンチセナ&プロストファンでした。プロストはチーム監督として失敗しましたが、もしかしたらセナが作ったチームとやり合っていて、「チーム監督となったセナ・プロ対決第2章」と古館氏が激しく解説していた時代があったかも知れませんね。
まあフェラーリは92.93年のダメ具合で、第三の選択肢程度だったのでは?第一希望はあくまでウイリアムズ(withハイテク)、ただし94年にハイテク禁止になって完全に目論見が外れたということだろう
生前フィオリオと合意していたがフィアット上層部が反対し、お流れにされてフィオリオが追放された
あの年にセナがフェラーリに行ってたら、プロストの引退が数年先になってたかも知れないし、後年シューマッハがフェラーリに来ることは無かったかも知れない。
フェラーリから冷遇されて他のチ-ムに移ったドライバー、多いことか😢
ウィリアムズの方がもっと冷遇酷いけどな。
もしも…セナが92シーズンをウィリアムズで過ごしてたら…マンちゃんは跳ね馬or枕?93シーズンのプロストの復帰はなし?ヒルのレギュラードライバーはなし?色々考えてしまいました😊
セナはウイリアムズに執着せずにフェラーリ入りしてたら今でも存命しフェラーリ黄金時代はセナが主導してたかも・・・・・・しれなか・・・・・たしシューマッハもあんなことになってなかった・・・・・・・
マシン開発しないセナがフェラーリてシューのようには出来ないと思うわ
似合ってなかったロスマンズカラーのスーツより、カヴァリーノランパンテバッチが付いた赤いスーツ姿を見たかった!でもシンプルなフェラーリのスーツにナシオナル銀行のロゴは似合いそうにないですが。
93年の中盤にセナとブリアトーレがふたりで話す写真がサンスポだかトーチュウだかに載って、プロ野球ニュースの月曜のF1コーナーで「セナ、ベネトン移籍か!?」などと騒いだこともあったなあ。セナとミハエルの関係を考えたら絶対無いわと思ったけど。
この時代のトーチュウのF1記事は充実していましたね。
キャリアの最後にはフェラーリ入り。現在も続くF1のスタンダードからすればセナがそう考えていたとしてもおかしくはないですね。
93年にウィリアムズに乗れればよかったのに…プロスト教授のコネに負けた感じでした。
アレジとベルガーがいるのでという事で'94フェラーリ入りはジャントッドに反対されいけなかった。起死回生でサンマリノグランプリに挑んだけどよもやあんな事になるとは思わなかった。存命だったら'95にフェラーリ・セナ誕生がする予定だったとのことでした。ウィリアムズでチャンピオンになっていないのアイルトン・セナだけなんだ。
当時のフェラーリに天上天下唯我独尊のセナが行くはずない。僕はセナ好きではなかったので、94シーズンを無事に全うしたがウィリアムズでシューマッハに勝てず、評価落とすとこ見たかったな。
これは先にベルガーがフェラーリに移籍して、不振だったフェラーリのチェザーレ・フィオレノ監督を更迭させ、フェラーリチーム内改革をベルガーに託していたんだよね。
F1に、ifはありません
セナはテストもしないし車を作り上げる気もないんで当時最速のウィリアムズに行くのは自明の理でしょうフェラーリが復活していたならフェラーリに行ってたでしょうがともあれガチガチデジタルの空力マシーンに常に感性のアナログセナが合う訳ないのも分かり切ってたよ
落合が巨人へ移籍したみたいに、セナも最晩年であったとしても1年だけでもフェラーリにという想いはあったでしょうね
確かにウイリアムズへ移籍しなければ、事故による他界はなかったかも・・と考えたくもなるけど、それでもおそらく運命は変えられなかったと思う。94年はセナの時代からシューマッハへと急速に時代が変わっていくのを誰もが実感していた。それをセナはどうしても認めることができなかった。だから94年にウイリアムズではなく、フェラーリやマクラーレンに乗っていたとしても、やっぱりイモラで同じ事故は起きたと思う。たぶんセナは自分の運命が分かっていた。それでもトップを走ったまま伝説になることを選択した
確かに追いかけてた人達は引退し新しい世代に追われる人になってた
セナが色々悩み苦しんだ時だったね インディカーで走行する画像が出た?のもこの時だったよね 画像出ても F1に残る””はわかっていたけど パフォとしては有り得る?を見せたかったのだろう 94年ね TIサーキットでの惨め?なリタイアが一番記憶に残る その直後?のイモラか TVの生中継で死亡情報を見たね友人にTELすれば 友人もTVを観ていた「セナ死んじゃったぜ」って話をしたなあっ
アイルトン・セナがウイリアムズではなくフェラーリに移籍していればイモラサーキットで悲劇はなかったと思いますアイルトン・セナがフェラーリに移籍する事が出きなかったのでバリチェロマッサのブラジル人ドライバーがフェラーリに移籍する事になりました
当時、最多のドライバーズチャンピオン回数は、ファン・マヌエル・ファンジオの5回。セナは3回でした。そこから、あと2回でタイ記録、あと3回で新記録を達成するには、セナの年齢を考えると、1年たりとも無冠年を作りたくないはずです。普通に考えて、暗黒時代のフェラーリに行きたいと思います?行くとしたら、タイトル新記録を達成した後の現役最後の思い出作りでしょう。「ウィリアムズなんかに行かなきゃタヒぬ事なんてなかったのに~(泣)!!」という気持ちは分からないではありませんが。
休養すればよかった94年。
セナはやはり策士ではなかったんですね。ホンダかフェラーリでキャリアを終わる事ができたらと思います。ホンダ撤退の時のセナの涙は忘れられません。
セナが生きていたらなんて考えられない。シューマッハやハミルトンの人生が変わっていた事は確か。
確かにブレーキングとアクセル操作は天才的だったと思いますが・・・どうしても好きになれない。
まあプロストに突っ込んでタイトル決めてますからねぇシューとかプロストとかはボロクソに言われるのにセナは神格化されてるのはちょっとよく分からん
オイラはどちらかというとアンチセナです。速いと言われてるけど皆んな誤解している。予選では自分より速いと思われるライバル車がミラーに見えると、故意にレコードラインを閉めたりしてましたからね。マクラーレン時代に、セナとチームメイトのハッキネンの方が予選で速かった事が数回あったはず。
@@numachan2348 一回だよセナとハッキネンがMcLで一緒に走ったのは3戦、最初のポルトガルでハッキネンが上回った次の2戦はセナの勝ち
@@user-ix4hb6ft4nさん 同意見です。1991年の鈴鹿でベルガーに優勝譲っても美談にされて、今宮氏が「感動します!」と号泣した時には引いた。
やはりフジやメディアのせいですね今ならそうはならないと思うけど
行きたくないでしょう当時暗黒だよフェラーリ
資金提供に目が眩でプジョーを選んだからな〜ランボルギーニ選んでもブローばかりで走れないと思う。
こういうとホンダファンには怒られるかもしれないが、セナの死はホンダが大きく関わっていたのは事実だと思う。結果論であることはもちろんわかっている。
ウィリアムズルノーの時期になくなったのになぜ?!
@@user-td2nr4ni3ホンダの存在がセナの移籍時期に影響を与えた、ってことでは?
@@neokaazu ホンダが、F1出るなってこと?
バタフライエフェクト的な事言い始めたらきりないぞ
ロスマンズカラー+セナヘルほど似合わないマシンはないよなぁ😢
陰険プロスト、愚直マンセル、理想家セナ。人間臭いドラマが展開された時代でしたね。
92年にウィリアムズへの移籍が実現していたら?アイルトン・セナ+エイドリアン・ニューウェイ+パトリック・ヘッドというトンデモ図式が実現しシーズン全勝を果たしていたかもしれませんね。
プロフェッサー、大っ嫌い。でも好き。ウイリアムズのセナプロ見たかったです。
金持ち込んでもシートが欲しいと駄々こねたから❗️
バカラ F 1 変わりすぎ
セナが求めていたのは『勝てるマシン』、逆に94年ウィリアムズへ乗っていなきゃおかしな話になっていた。
セナは今強いチームしか興味なかった。
ホンダは92年も継続すると言ってセナを引き止めたが、実は91年の年末にロン・デニスには92年限りで撤退すると伝えていた。
ホンダが撤退を正式発表したのはその半年後で、おそらくセナは発表の少し前あたりに知ったはず。
このことはセナを大きく傷つけ、なんとしてでもウィリアムズに移籍しようとした理由の1つでもあったでしょう。
パワーにモノを言わせたホンダエンジンを積んだマクラーレンを駆るセナよりも
明らかにパワーの劣る93年のマクラーレンフォードを駆るセナは本当にカッコ良かったです。
タイトルは逃したけど92年に3勝しか出来なかったのに
パワーの劣るフォードエンジンで5勝を果たした。
特にドニントンGP😊でのオープニングラップの時は本当に信じられないくらい凄かった!
セナが生きていてくれたら、移籍がうまくいってくれていたら、あの事故が無かったらと。。。
30年経った今もやはりセナが好きで色々動画を見てしまう。
俺も、今でもセナの動画みてしまう。ミハエルでもなく、ハミルトンでもなく、いつも、セナの動画見てしまう。あの事故なかったら、タイトル何度取ったかな?
何はともあれセナが乗ったマシンはロータス以降タバコスポンサーという事もありカラーがとてもカッコイイんだよね!
93年にベルガーがフェラーリに戻る際、セナに「君の力でフェラーリを勝てるチームにしてくれ。そしたら私もフェラーリに行くから」と言われ、一言「ふざけんなw」と返したエピソードが好き。
93年シーズンも、「オレは勝てるレースしか乗らんのや」というセナに対し、「ほなおまえ勝たれへんレースにミカ乗せる言うとんのか」とつっこまれた。という話もありましたね。
キャリアを重ね、いい加減ゼロからの開発はイヤになったのでしょうね。ただアクティブサスはセナ向きではなかったですね!
@@syu1958何を見当違いな事を言っているの?
結果論だけどプロストはウィリアムズでそれをやってくれました(笑)しかしレギュレーション改正などで優位性の大部分は阻まれてしまいましたが…
プロスト仕様のマシンにそのまま乗れてたらヒルと競い合い88年マクラーレンみたくウィリアムズ一人勝ちになっていたかも。
ハイテク禁止でセナは苦戦したが、ヒルやヴィルヌーブはチャンピオンになってるんだよなあ、しかもシューを倒して
94年にマクラーレンに残留してたら、プジョーにブチ切れし、途中で引退したかもしれませんよ。
ホンダV10は、レーシングエンジンとしては異例とも思えるバランスシャフトを装備していた。
当時のルノーV10と比べても10kg以上重いとも言われていたが、振動の少なさによる信頼性の向上、
それによるドライバーの疲労軽減という副産物ももたらしていた。
ホンダV12のバンク角60度のエンジンは、確かにバランスシャフトを不要とする滑らかさを実現していた。
しかし、空力を重視してバンク角75度に再設計した新型は、今まで無視できた問題も引き起こしたという。
マクラーレンが「パワーとエンジン屋の夢であるV型12気筒」を夢見るホンダを抑え、
そして他チームの「全体的なパッケージ」に目覚めていれば、歯車の周り方はまた違ったかもしれない。
MP4/7自体もコーナ飛び込み侵入がアンダーでどうしょうもないて聞いてたから
この時点でウィリアムズFW14Bとはアクティブサスのようなハイテクというよりマシンパッケージ自体にも差がでたのかも。
セナとフェラーリ…これも凄い組み合わせだけどやっぱマクラーレンだよ。
ホンダの優柔不断さはいまも変わらないですね。情に厚いセナと違いレッドブルはサクッと見切りをつけたのが対蹠的です。
どっち付かずって話ならマクラーレンもじゃね!?ジョン・バーナード、エイドリアン・ニューウェイ、アラン・プロスト、ゲルハルト・ベルガー、アイルトン・セナ、ポルシェ、ホンダ、ランボルギーニ、プジョーメルセデス、ルノー…多くのパートナーにムチャ振りし、優位性を持てなきゃ責任押し付け…みんなにそっぽむかれてテールエンドまで堕ちたし。
もしもセナがフェラーリ移籍した場合、代わりに放出されたのはアレジだろうか?
セナだからベルガーと思いました。
セナってあんな事故が無くて現役を真っ当してたらどんな引退の仕方してたんだろうって未だに考えてしまう。
セナは1960年産まれなので3年ほど前に「セナが生きていたら還暦かぁ~ 想像できないよ。」と呟いたのを思い出しました。セナの2世が新たな伝説を作っていた世の中だったかも知れませんね。
いやいや、普通に考えて当時無敵のウイリアムズのシートが空いたんならそこ行くでしょ
{乗らなきゃオレが乗る」K
1994年のシートにおいて、どう考えてもセナにとっての本命はウィリアムズだし、仮にそれが破談になってもワークスエンジンを獲得した勝手のわかるマクラーレンに残留の方があり得たと思う。フェラーリは両チームとの契約金交渉の当て馬にされただけでは...
マクラーレンプジョーにセナは絶対耐えられない😂
@@avr2vfr 確かにプジョーエンジンにぶちギレるセナは容易に想像できてしまいますね。でもフェラーリの俺たちもどっこいどっこいだし、やっぱりウィリアムズが一番かな。
あのプロストもマクラーレン・プジョーは無いわって見切り付けてったのに、セナがそのまま残留するとは思えない。
強いて残留する条件を上げるなら、テストで積んだランボルギーニを本採用した時のみだと思う。
まぁ金額面の折り合いで結局は出て行ったと思うけど。
カメラ前のサービスだと思うが「アラン、君が居ないチャンピオンシップは寂しいよ」的な事をセナが言ってたらしいが、リップサービスではなく本心だったのかもね...薄い本なら2人は付き合うぐらい仲悪かったし?
フジF1中継の車載カメラで、セナのMP4/7がブレブレだったのに対し、マンセルのFW14Bの画像が全然ブレてなくて、こんなに差があったら勝負になるわけないと思ったものでした。当時フェラーリはボロボロだったけど、ホンダの煮え切らない態度に右往左往させられたセナのフェラーリ移籍も、自然な思いだったのではないかと思います。
そうでしたね?たしかブラジル辺りでセナの画像は見れないくらいなのに、マンセルは振動もなくて
FW14Bはアクティブサスペンションが生き物の様に動いていた。車体がブレるとすれば、路面が悪すぎたメキシコGP位かな。
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そのメキシコでもマンセルは振動も少なくて…マクラーレンは…
跳ね馬✕セナ
見てみたかったですねえ。
セナがインディに出場していたらマンセル、彼の先輩でもあるエマーソンと勝負したりナイーブな性格もアメリカの大らかな雰囲気で変わってたかもしれないよなぁ…
「私を忘れるな〜」「イタタタイ〜💦」ピケ。
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Nelson Piquetは、最近もヤラかしてますからねぇ、罰金一億二千万円だそうですwww
@@user-fk7pr2yy5l ジュニア大丈夫かな💦
いや💦一人前だから大丈夫か👍
MP-4/8で勝つセナは衝撃的だった。ルノーと比べ動力性能が明らかに劣るカスタマースペックのFORD HBでも勝てたのはセナの技術は勿論、マクラーレンもMP-4/8にはMP-4/7と比べ相当の工夫を凝らしているとも考えられる。ぱっと見コンサバなMP-4/8に内包されていたその”工夫”にとっても興味がある。
セナがロータス99Tで初めてホンダエンジン(V6ツインターボ)を使って優勝した1987年F1シーズンのモナコとデトロイトですが
公式発表ではウィリアムズに供給されたのと同じRA167Eと言う事になっていましたが、実際は前年1986年ウィリアムズが使っていたRA166E(つまり1年型落ち)だったと言われていました。
ホンダエンジンを使うNo.1チームがウィリアムズで、ロータスがNo.2チームだったので同一スペックでは無かった。
ウィリアムズのコンストラクタータイトル獲得に見通しが立ったのでシーズン途中からロータスにも同じ最新スペックRA167Eが供給されるようになったのは、1993年マクラーレンMP4/8フォードコスワースHBの最新スペック(ベネトンに供給されているのと同じニューマチックバルブ仕様のワークスエンジン)が供給されるようになったのと状況が似ていますね。笑
1988年F1シーズンでマクラーレンMP4/4(セナ&プロスト)とロータス100T(ピケ&中嶋)に供給されたのは同じRA168Eでした。
技術的な工夫はあったにせよ、シャシー空力の悪さが足を引っ張ったのが残念。
特に夏場の高速コースでそれが露見しちゃいましたからね。。。
正直あの年93年 ウィリアムズ圧勝かと思い 雨のドニントン ブラジル 見事な勝利でした。そしてモナコ 中盤戦やはり ウィリアムズルノー圧勝しましたが、エンジンもベネトン同様なり 後半 日本 オーストラリア勝利 MP4/8は、コンパクトなフォードエンジン 空力良かったかと思います。あの年 アラン・プロスト2年ぶり復帰して 二人の戦い見事でした。最終戦和解 そして翌年 死去
@@user-tk1ii4mi3h 様
プロストも1年振りのF1復帰で開幕戦こそポールtoフィニッシュで上手くスタートを切りましたが、F1キャリアで初めてアクティブサスペンションを経験して不慣れだったのと雨のレースが意外に多いシーズンで手こずっていましたね。
特に決勝においてスタートのミス(クラッチミートのタイミング)が目立っていました(プロストのマシンを丁寧に労って扱うスタイルが逆に仇となった?)
プロストがウィリアムズFW15Cの問題点(文句)を指摘するとセナが皮肉を込めて「それなら、お互いのマシンを交換しようじゃないか?」と強烈な一言コメントを発したのがユニークで面白いでした。笑
このシーズンのプロストは、4度目の世界タイトル獲得が絶対目的でウィリアムズFW15Cを走行ラインを綺麗にトレースするだけで、以前ほどセナとの追い抜きバトルする場面シーンが少ない印象でした。
すでに引退を決意していたから更に安全重視を心掛けていたのでしょうね?
@@user-hi4ls5my2x 様 なるほどと思う部分有ります。
マクラーレン・ランボルギーニ
実戦を走ってたならどんな感じだっただろう。
V8搭載の仕様に合わせた車体ならハズレは間違いないですが💦
92年のマクラーレンMP4/7もミニカー持つぐらい
かっこいいからマクラーレンの中でも気に入ってますが
慢性アンダーに悩まされているのでウィリアムズどころかベネトンにも危うかった感じでした💦
94年95年のどちらかで4度目のワールドチャンピオンに輝き、96年にフェラーリに移籍してたと思う。そこでミハエルと同じチームになってたとは思わないなぁ。
そうなりゃミハエルはマクラーレン行きですよw
元々はメルセデスのお人ですし。
あの時ハイテク禁止が95年に延長してたなら、セナは王者獲得して引退していたと今でも思ってます。
あとはハイテク禁止をせずに、コスト削減は共通システム使用とかでやってれば・・・
アクティブサスは無理にしろ、ABSやトラコンがあったらもっと扱いやすかっただろう
サムネから興味を引く動画でした!
セナの話はいくら聞いても飽きませんね
92年シーズン終盤のプロスト、セナ、マンセルのウィリアムズのシート争いの話は、説明通りだったように記憶しています。
まあ、セナの「タダでもウィリアムズに乗る」は契約金のことでゴネていたマンセルに対する牽制だったと思いますけど。
それと、プロストは表向きはセナを受け入れることを拒否はしてなかったとのこと。但し、契約条件として、「チームの全ての優先権は自分」としていたため、実質セナのウィリアムズ入りは困難でした。
セナはフェラーリ入りについて生前、「キャリアの何処かでは加入したい。但し、現在、入るべきでは無い。」と語っていました。
*92年か93年シーズン中だったと思います。おそらく、勝てる状態(チーム体制含めて)が揃わない限りは加入しない、と言うことなんだろうと解釈しました。
セナは今強いチームしか行かない
「ナイジェル・マンセルの光と影」という本にこのシート争いについて詳しく書かれていました。その他の点でも読み応え十分な一冊でした。久しぶりに読み返したいけど入手できるかなあ
動画ありがとうございます。テレビ向こうですが、この前後のハナシはリアルタイムで見てましたね あっ、マクラーレン・ランボルギーニ、ミニカー持ってます🤣
セナが事故する前年の日本グランプリを見に行って、セナの写真を沢山取れたのが思い出します。
予選〜決勝の観戦チケットで行きましたが、高校生の自分にとって(社会人もか😂)、チケット代金が超高額だったので、必死にバイトして貯めました!
セナに会いたい!』とか言うCM?ありましたよね〜
フジテレビが超プッシュしてました。
私は中嶋と髙橋徹(国内レーサー)が好きで、それからF-1好きになりましたが、あの時代はF−1バブルでしたねー
実質最終レースとなったのが急遽決まり慌ただしく準備開催された日本の英田になったのも因縁奇縁を感じます。セナは日本の申し子だったなぁと。
マクラーレンもプジョーV10載せるよりもベネトンと同じワークスフォードエンジンで2年目シーズンだったらチャンピオンになれたと思ってます。セナも残留していたらチャンピオンになれたと思います。94年のウィリアムズのマシンはアクティブサスが無いマシンになると安定しない走りで結果的にセナの事故に繋がってしまったと思います。
ウィリアムズのスーツは似合わなかったかな…フランクに直談判してたとこも無理矢理っぽく焦ってた印象ある…マシンもちぐはぐ…当時見ていた人の殆どがなんか全ての
歯車があってない印象を受けただろう。
セナがフェラーリの場合、ベルガーとセナなんだろうなぁ。
シューマッハ王朝もフェラーリ以外で為された可能性
@@phoenix-2827 シューマッハはフェラーリ入りが無い。
F1のレバタラはホント興味深く、面白いですネ。最強マシンを巡る様々な人間模様は、歴史すら変えてしまうのです…。
フェラーリのセナも見てみたかったですね!
実現していたらまた違ったF1が見れたかもしれません...。
フィアットの上層部が拒否していなければ生前移籍指定たかも
そもそもドライバビリィを犠牲にしても速さを作り出す事を厭わないウィリアムズのマシンは
マシンの居住性に神経質だったり視界の確保にうるさくてマクラーレンのハイノーズ導入を頓挫させたりシーズン中に自分のマシンのコクピット前方の風防を何度も改良させるようなセナとマッチするはずがなかった
もしあの事故がなかったら、シューマッハとのポイント差を逆転して94年タイトルを取れたのか知りたかったです。後半はFW16も良くなっていたので。
ウィリアムズに行かんければ…て言っても、あの年はテストでもレースでもクラッシュ多発で正直どのメーカーでも難しかったやろう。
その中で、熟成させたFW16Bに乗れば後半戦巻き返したはず。
フェラーリの方は引退直前にベルガーと走らせられれば満足といったとこかな。
やっぱりウィリアムズとは縁がなかった。彼の開発能力なら駄馬を跳ね馬に甦らせられたかも…そして今もノンビリ解説でもしてF-1の世界も変わっていたのかも…
アイルトン・セナが生きていた場合、ウィリアムズでチャンピオンを勝ち取った、1996年か1997年にフェラーリへと移籍した可能性はあるだろうなぁ…。もしフェラーリでセナとシューマッハが一緒になった場合は…「船頭多くして船山に登る」という状態が発生したりするのは目に見えている…。
アイルトン・セナとミハエル・シューマッハが同じフェラーリに居たら…ジャン・トッド&ルカ・ディ・モンテゼーモロはセナとミハエルの意見を両方聞かなければならないという状況へと陥ってしまう…。
その場合はゴタゴタでどっちもF1キャリア長続きしなかったし、フェラーリもチャンピオン獲得できないで相変わらずお家騒動だったでしょうね。
どこで、選択を間違えたでしょうね?ウイルアムズは当時は速かったですか、フェラーリも、それなり、速さがあったですか…
私的に…93年はセナにとっては運命の別れ目…的な…状況だったな…と感じますね…
93年のマクラーレンはメス型成型のモノコックになった…?筈…?しかもフォードV8で軽量コンパクトなマシンでマシンの運動性能が改善されていた…セナも意外な良さを感じて微かな光明を見出していた……。ただパワー以外は。93年序盤で翌年のハイテク禁止が決まった時……セナにハイテク禁止のウイリアムズってどうなんだ……??
と思えてたら……と考えてしまいますね。そして私見ですがウイリアムズはセナには合わなかったんじゃないかな…?
偏見になりますが、ウイリアムズはドライバーに冷たい気がするんですよね…。たとえセナでもそのスタンスは変わらなかったんじゃないか……??と……。なのでウイリアムズ移籍は違和感だけでしたね。ハイテクデバイスを取っ払ったらマクラーレンでも十分走れたかな…。素性のいいシャシーがあれば93年途中からHBになったフォードでも勝負出来たかなと思いますね。ランボルギーニもテストしてましたが実績と信頼性を考えたらフォードHB。セナが94年も乗るならベネトンと同スペックのHBを穫りに行ったんじゃないか……。もう、かなりタラレバですが、もう一時代を築こうとチーム選択を誤ったかな……と。今の最強マシンが来年の最強とは限らない……ある意味裸の王様的なマシンになってしまった…ウイリアムズより自在に操れたであろうマクラーレンの方が良かったんじゃないかな…って感じです。
フェラーリは……行ったかもしれませんが
短期で終わったかもしれませんね…。
ただ94年のサンマリノで止まってしまったので……。私の、タラレバ話でした。
簡単にいうとジャン=トッドか「契約は絶対」ってスタンスを崩さなかったから
セナが去ってHONDAも去ったマクラーレンにマンセルとPEUGEOTエンジン来たらマクラーレンは悪循環に陥ってメルセデスと組むまでは低迷したなあ
フェラーリに移籍してたらシューマッハにっこりやね
セナは、フェラーリがあまり好きでは無いように見えました。
ウィリアムズなら自分の意見が通り易く、フェラーリは意見が通り難い…
そういう所でチームを選んでいたフシが見えました。
何度かウィリアムズ移籍話し もしも実現すれば、タイトル獲得あったかも知れませんね そして伝統のチームフェラーリ行ったら変わったかも知れません アイルトン・セナは、常に最大のライバル アラン・プロスト必要でありました。やはり チームは、常に開発必要ですね 毎年変わります。セナの先見性違いますね
もしセナがフェラーリに移籍してた場合
名車F355は生まれてなかった
かも
1992年、93年の英国のAutosport誌では、マクラーレンが遅いのはすべてホンダエンジンがパワーがないせいだとホンダエンジンのせいにされていました。当時は英国で毎週タバコ屋で買って購読していました。
本当に悲しかったです。
若くして鬼籍入りするのはね。
もっと活躍するのを見たかった。
アクティブサスペンションを
禁止しなければ
最後のワールドチャンピオンになっていたのに。
余談ですが
私は本当に
故アイルトン・セナと同じ利き腕なんです。
左利きです。
マジです。
信じて下さい。
当時、アンチセナでしたが、あの事故で亡くなった事は本当に悲しかった。
今もご存命なら、素晴らしいチームオーナーになっていた事でしょう。
プロストファンでしたが、シンジへの待遇には憎しみを感じました。
私も同じく当時はアンチセナ&プロストファンでした。プロストはチーム監督として失敗しましたが、もしかしたらセナが作ったチームとやり合っていて、「チーム監督となったセナ・プロ対決第2章」と古館氏が激しく解説していた時代があったかも知れませんね。
まあフェラーリは92.93年のダメ具合で、第三の選択肢程度だったのでは?
第一希望はあくまでウイリアムズ(withハイテク)、ただし94年にハイテク禁止になって完全に目論見が外れたということだろう
生前フィオリオと合意していたがフィアット上層部が反対し、お流れにされてフィオリオが追放された
あの年にセナがフェラーリに行ってたら、プロストの引退が数年先になってたかも知れないし、後年シューマッハがフェラーリに来ることは無かったかも知れない。
フェラーリから冷遇されて他のチ-ムに移ったドライバー、多いことか😢
ウィリアムズの方がもっと冷遇酷いけどな。
もしも…
セナが92シーズンをウィリアムズで過ごしてたら…
マンちゃんは跳ね馬or枕?93シーズンのプロストの復帰はなし?ヒルのレギュラードライバーはなし?色々考えてしまいました😊
セナはウイリアムズに執着せずにフェラーリ入りしてたら今でも存命しフェラーリ黄金時代は
セナが主導してたかも・・・・・・しれなか・・・・・たしシューマッハもあんなことになってなかった・・・・・・・
マシン開発しないセナがフェラーリてシューのようには出来ないと思うわ
似合ってなかったロスマンズカラーのスーツより、カヴァリーノランパンテバッチが付いた赤いスーツ姿を見たかった!でもシンプルなフェラーリのスーツにナシオナル銀行のロゴは似合いそうにないですが。
93年の中盤にセナとブリアトーレがふたりで話す写真がサンスポだかトーチュウだかに載って、プロ野球ニュースの月曜のF1コーナーで「セナ、ベネトン移籍か!?」などと騒いだこともあったなあ。セナとミハエルの関係を考えたら絶対無いわと思ったけど。
この時代のトーチュウのF1記事は充実していましたね。
キャリアの最後にはフェラーリ入り。
現在も続くF1のスタンダードからすればセナがそう考えていたとしてもおかしくはないですね。
93年にウィリアムズに乗れればよかったのに…プロスト教授のコネに負けた感じでした。
アレジとベルガーがいるのでという事で
'94フェラーリ入りはジャントッドに反対されいけなかった。
起死回生でサンマリノグランプリに挑んだけど
よもやあんな事になるとは思わなかった。
存命だったら
'95にフェラーリ・セナ誕生がする予定だったとのことでした。
ウィリアムズでチャンピオンになっていないの
アイルトン・セナだけなんだ。
当時のフェラーリに天上天下唯我独尊のセナが行くはずない。僕はセナ好きではなかったので、94シーズンを無事に全うしたがウィリアムズでシューマッハに勝てず、評価落とすとこ見たかったな。
これは先にベルガーがフェラーリに移籍して、不振だったフェラーリのチェザーレ・フィオレノ監督を更迭させ、フェラーリチーム内改革をベルガーに託していたんだよね。
F1に、ifはありません
セナはテストもしないし車を作り上げる気もないんで
当時最速のウィリアムズに行くのは自明の理でしょう
フェラーリが復活していたならフェラーリに行ってたでしょうが
ともあれガチガチデジタルの空力マシーンに
常に感性のアナログセナが合う訳ないのも分かり切ってたよ
落合が巨人へ移籍したみたいに、セナも最晩年であったとしても1年だけでもフェラーリにという想いはあったでしょうね
確かにウイリアムズへ移籍しなければ、事故による他界はなかったかも・・と考えたくもなるけど、それでもおそらく運命は変えられなかったと思う。94年はセナの時代からシューマッハへと急速に時代が変わっていくのを誰もが実感していた。それをセナはどうしても認めることができなかった。だから94年にウイリアムズではなく、フェラーリやマクラーレンに乗っていたとしても、やっぱりイモラで同じ事故は起きたと思う。たぶんセナは自分の運命が分かっていた。それでもトップを走ったまま伝説になることを選択した
確かに追いかけてた人達は引退し新しい世代に追われる人になってた
セナが色々悩み苦しんだ時だったね インディカーで走行する画像が出た?のも
この時だったよね 画像出ても F1に残る””はわかっていたけど パフォとしては
有り得る?を見せたかったのだろう 94年ね TIサーキットでの惨め?なリタイアが
一番記憶に残る その直後?のイモラか TVの生中継で死亡情報を見たね
友人にTELすれば 友人もTVを観ていた「セナ死んじゃったぜ」って話をしたなあっ
アイルトン・セナがウイリアムズではなくフェラーリに移籍していればイモラサーキットで悲劇はなかったと思いますアイルトン・セナがフェラーリに移籍する事が出きなかったのでバリチェロマッサのブラジル人ドライバーがフェラーリに移籍する事になりました
当時、最多のドライバーズチャンピオン回数は、ファン・マヌエル・ファンジオの5回。
セナは3回でした。
そこから、あと2回でタイ記録、あと3回で新記録を達成するには、セナの年齢を考えると、1年たりとも無冠年を作りたくないはずです。
普通に考えて、暗黒時代のフェラーリに行きたいと思います?
行くとしたら、タイトル新記録を達成した後の現役最後の思い出作りでしょう。
「ウィリアムズなんかに行かなきゃタヒぬ事なんてなかったのに~(泣)!!」という気持ちは分からないではありませんが。
休養すればよかった94年。
セナはやはり策士ではなかったんですね。ホンダかフェラーリでキャリアを終わる事ができたらと思います。ホンダ撤退の時のセナの涙は忘れられません。
セナが生きていたらなんて考えられない。シューマッハやハミルトンの人生が変わっていた事は確か。
確かにブレーキングとアクセル操作は天才的だったと思いますが・・・
どうしても好きになれない。
まあプロストに突っ込んでタイトル決めてますからねぇ
シューとかプロストとかはボロクソに言われるのにセナは神格化されてるのはちょっとよく分からん
オイラはどちらかというとアンチセナです。
速いと言われてるけど皆んな誤解している。予選では自分より速いと思われるライバル車がミラーに見えると、故意にレコードラインを閉めたりしてましたからね。
マクラーレン時代に、セナとチームメイトのハッキネンの方が予選で速かった事が数回あったはず。
@@numachan2348
一回だよ
セナとハッキネンがMcLで一緒に走ったのは3戦、最初のポルトガルでハッキネンが上回った
次の2戦はセナの勝ち
@@user-ix4hb6ft4nさん 同意見です。1991年の鈴鹿でベルガーに優勝譲っても美談にされて、今宮氏が「感動します!」と号泣した時には引いた。
やはりフジやメディアのせいですね
今ならそうはならないと思うけど
行きたくないでしょう当時暗黒だよフェラーリ
資金提供に目が眩でプジョーを選んだからな〜ランボルギーニ選んでもブローばかりで走れないと思う。
こういうとホンダファンには怒られるかもしれないが、セナの死はホンダが大きく関わっていたのは事実だと思う。結果論であることはもちろんわかっている。
ウィリアムズルノーの時期になくなったのになぜ?!
@@user-td2nr4ni3
ホンダの存在がセナの移籍時期に影響を与えた、ってことでは?
@@neokaazu ホンダが、F1出るなってこと?
バタフライエフェクト的な事言い始めたらきりないぞ
ロスマンズカラー+セナヘルほど似合わないマシンはないよなぁ😢
陰険プロスト、愚直マンセル、理想家セナ。人間臭いドラマが展開された時代でしたね。
92年にウィリアムズへの移籍が実現していたら?
アイルトン・セナ+エイドリアン・ニューウェイ+パトリック・ヘッドというトンデモ図式が実現し
シーズン全勝を果たしていたかもしれませんね。
プロフェッサー、大っ嫌い。でも好き。ウイリアムズのセナプロ見たかったです。
金持ち込んでもシートが欲しいと駄々こねたから❗️
バカラ F 1 変わりすぎ