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⚔ ことラボの著作『言語学クエスト』発売中【Amazon・電子書籍あり】amzn.to/3Sgu2k8【VALUE BOOKS・特典あり】www.valuebooks.jp/bp/VS0058950779📕参考文献・清少納言が愚痴っていた話日本語はだれのものか (歴史文化ライブラリー)川口 良 (著), 角田 史幸 (著)amzn.to/3CLEzwg・規範文法をディスる言語学者言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)スティーブン ピンカー (著) 椋田 直子 (翻訳)amzn.to/3EyCo0i
高校時代に国語の先生が、「最近の若者のら抜き言葉はけしからんと言うけど、けしからんという言葉自体が古語の けしく あらん を略した言葉だから自己矛盾してる」という説明をしていて、その時から”言葉は変化していくもので正解は無い”ということをぼんやり意識させられました。文章を書くときは規範に合わせるしかないですが、効率厨としてはら抜き言葉の方が良いですね。
あらん?あらむ?あらむじ?あらむし?(あらぶし?)顕し?表し?言い表すという形容動詞が由来かな~と感じました。まさに表現の世界...
「効率厨」これも「○○厨」の1つだけど、この言葉も最近出てきたけど意味もわかるし使いやすいよねー
@@ctkvsfyvcyububxrr3806 ガキ臭い書き込みに対して中坊を厨房とあえて誤記する過ぎし日の掲示板独自文化が、中毒的に没頭している趣味のジャンルを指して◯◯厨と言うようになり用法が変化し、近年では単に何らかに執着している者の事を指すようになった...
@@TheSakuraEspresso 日本のネット言葉は2chの影響めちゃめちゃ受けてるよね
でもやっぱ「食べれる」「決めれる」「見れる」etc…と聞くと気になっちゃうなぁ
「言葉は常に変化していく」というのはよく言われることです。「言葉は生き物だから」とも言われてますね。
人間がいるから変わるんだよなぁ、結局は人間矯正しなきゃ変わらないように出来ないなぁ👍
これ乱れてるって思うのは人口比率が乱れてるだけで、正常な場合は変化として受け入れられる。昭和生まれ1億人現代人2000万ちょっとじゃあ仕方ない…
変化を許容するのは分かるけどさ、変化した結果として承認されるものとそうでないものを誰がどう決めてるんだ?例えば、明らかに間違えているのに「現代ではこれも正しいんだよ?」みたいなツラしている言葉が腹立つ。・反比例する → 負に比例 な…・関係性 → 関係な…・性癖 → 個人の性質であり性的嗜好を指すわけちゃうで…・いなさそう → いなそう 。「さ」 をつけるな、おそらく、口語でいう 「いなっそう」のっ の部分が 「さ」になったんやろうけど…。これらは伝わるから機能しているんだけどさ、それ絶対間違えてるのに…指摘したら指摘した方が空気読めない人扱い。繰り返すけど、「変化した結果として承認されるものとそうでないものを誰がどう決めるんですか!?」日本語なめんな( ' ‘ω‘ )
@@Tomohiko_JPN_1868 まあ言葉って誤った使い方をたくさんの人がしていったらその意味が定着してしまったって例たくさんありますからね。認められるか認められないかは誰かが決めるものではなくて、時の流れ?なんでしょうね
そう、生き物だと認める。だからこそ誰かがそれを管理・監督しないといけないし文部省や文化庁などが手入れしてるんだ。(常用漢字や音読みの呉音・漢音の違いなど)追記: 誤用が自由に認められるべきではないし、 それは 手入れされていない庭園 で見苦しい。
そもそも乱れがどうのこうのとか言うなら今でも古語が使われてなきゃおかしいからな……
僕もそう思います。そうでないと、学問として古文(古典)と現代文に分かれている理屈が説明つかないですよね。
明治に入ってから、言文一致運動によって、徐々に古語が使わなくなりましたので、割と最近まで文語では古語・古典文法でしたね。その後、教育勅語や玉音放送も古典文法混じりですから、政府でも完全に現代語のみを使用するようになったのは、日本国憲法以降ではないかと。ただ、古くからある法律は一部条文がまだ古い言い回しのままのようですので、政界や法曹界を目指すには古文の知識も必要なんじゃないですかね。
そもそも、古文も平安時代に京都あたりで話されてた言葉ってだけで、もっと遡ると、古文も乱れてるってことになる。これを続けていくと、1単語だけで会話する発生期の言語とかに遡っちゃって、もう喋れる言語なくなっちゃうねw
古語と現代語と近現代語とか出来そうで草
かかる文使はれたらねば、大和言の葉の“乱れ”はありえず。あららかに同意す。うつろひ続くる日本語をやがて、受け入れしこそをかし。
ら抜き言葉は"受け身・尊敬"と"可能"を一瞬で区別できるから有能だと思ってる
本当にこれw 有能よね。…まぁ、どっかの何かで、受身尊敬でもら抜き言葉使われてるとか取り上げられてて、あんまり意味無くねーみたいな話になってたけど。受身尊敬でら抜き言葉はさすがにアウトなのが私の意見。
@@Useful_Radio 人に見られる、が人に見れるになるってこと...?違和感がすごい
@@poppohato1345 そうなんよ( ´-ω-)σ"人を見れる"みたいに可能で使うのがら抜き言葉みたいな感じなんだけど。そこで取り上げられてたのは、「ら抜き言葉って見抜くのに便利とは言われるけど、"人に見られる"みたいな受身も"人に見れる"みたいなら抜き言葉になってしまっていて、見抜く云々であんまり意味なくなってきてるよー」みたいな。ビックリしたよね。それはさすがにおかしいだろwみたいな。すまん、一応軽くだけど動画探してみたんだが、見当たらん。昔話的なノリで聞いておいて。
実はら有り言葉にはもう1つ「自発」っていう使い方があるけどあまり使わないからいいか。
ですね!日本語がより便利で綺麗な形になったと思います
「いとわろし」を「めっちゃ笑える」の意味に本能が解釈してしまう
イトワロスwwww
「てらわろす」←違和感無くね?
@@aRe4838 10の12乗ワロタwwwwwwwwww*(10^12)
@@aRe4838寺子屋ワロスwww
日本語の柔軟さがすきぴょん
柔軟ゆえに難しいぴょん…
それで間違えてたら元も子もないぴょん…
日本語の比喩とか表現の自由さは大好きにゃん
それは他の言語と比べて柔軟といえるということ?
@@mentosukoala 空気読んでにゃ、柔軟ににゃりにゃされ
言葉は伝われば大体なんでもいいと思う一般的に使われているなら尚更ただお年寄りに「草」とか言って伝わらないみたいなのは良くないから、ちゃんと使い分けられるようにするのがいいと思う
リアルで草使ってるやつキモくね
@@okgoogle1609 多分あと数十年生きてたらその考えが老害って一括りに思われる日が来る
@@okgoogle1609 キモいとか使うの気持ち悪いって数十年前の人とか言ってそう
日本人には敬語があるから相手によって言葉を使い分けるのは得意そうだね
それを言い表す言葉がすでに存在しているのにわざわざ未消化の外来語を持ち込んで何かをごまかそうとする政治家や自称「学識経験者」。こういう人って少し前まで意味不明の「評論家」っていわれてなかったか?
日本語って新しい言葉どんどん作られてくるからキリがなくて好きやで
まるで日本語だけみたいな言い草だな
@@user-vd6uo4ro6x 自分がそう思ってるからそう思うんじゃない?
@@user-vd6uo4ro6x 必要十分条件じゃないで
@煙 しかしもし他の言語も同じだとすれば好きになる理由になるのはおかしいという問題も。その点で「あ」氏の読解は合理性がある。
@@mentosukoala どの言語も好きなんやろ
行けるとかも昔は行かれるが正しくて最近の若者は〜って言われてたから100年も経てば食べれるも正しいとされそう。ちなみに最近の若者は〜は古代ヒッタイトの時代から石版が残ってると言う超昔からある言葉なんだよなぁ
食べられるだと自分食えなくて誰かに食されてしまった感がね
可能表現としての「行かれる」はなんとなく聞き覚えありますが、そうかと言って…たとえば可能表現としての「歩かれる」とか「書かれる」とかは聞いた事ないです。少なくとも現代標準語のくくりでは、五段活用の可能表現に「〜aれる」は適用しずらい。「行かれる」は、まぁ…現代語としては例外的な何かでしょうね(「違くない」みたいに)
>ちなみに最近の若者は〜は古代ヒッタイトの時代から石版が残ってると言う超昔からある言葉なんだよなぁ三遊亭楽太郎(現6代目圓楽)がラジオCMで語った古代エジプトのエピソードが実しやかに伝わって、更に尾ひれが付いて古代ヒッタイトの石版に残ってるって話が出来上がったようですが、実際にはそんな文言は残されて居ないらしいです。楽太郎が引っ張って来た元ネタと思える文章もあるんですが、その記述は『○○から聞いた。埃及では・・・』って感じで『最近の若者は〜』と書いているんですが、その聞いた話自体が与太話だったようです。
食べうる、で誤解なく分かるけど。
@@HEADJOCKAA 「しずらい」ではなく、「しづらい」が正しい綴りですよ
下から出てくる演出好き
「ら抜き言葉」について。「行く」は五段活用なので、可能の助動詞を用いる時は「れる」を使うため、「行かれる(ikareru)」となる。また、「行く」を可能動詞にすると、「行ける(ikeru)」になる。つまり、「行かれる」から「ar」と取ることで、可能動詞の「行ける」になっている。その理屈から行くと、「食べる」に可能の助動詞を用いた「食べられる(taberareru)」から同様に「ar」を取った「食べれる(tabereru)」もおかしくないはず。だから、「ら抜き言葉」も日本語の変化の一例。というようなことを提唱した言語学者がいる、と聞いたことがある。
そして、ら抜き言葉使えば英語でいうところの、受動態と差別化できてよさそー
@@アノヨノワダイ それ思った
基本的にラ抜きできる動詞は可能でない否定語にしたとき母音にaがつく(例:いkaない→行ける、うtaない→打てる) ラ抜きできない言葉(たbeない→食べられる、いkiない→生きられる)
とbeる→飛べない の場合は可能の否定語となってしまうので法則に従うと「とbaない→飛べる」となる
私も聞いたことあるで。「ら抜き言葉」じゃなくて「ar抜き言葉」みたいなこと言ってた人でしょ?
とあるゆるいラジオで「ら抜き言葉」は日本語の体系化、美しくなっているんだと聞いてハッとしました
あのラジオはタイトルが面白そうですし、実際に内容も面白いですよね
「とある"ゆるい"ラジオ」って言い方は、もはや伏せないで言ってるのと同じなのよ。
言語学に触れて以来、特定の表現が「正しい」か「間違っている」かではなく、あくまで話者が「容認できる」か「容認できない」かに過ぎないんだなと思うようになりました。
自分が中学生の頃、具体的にどの様な言い回しで注意を受けたか覚えていないが、「正しい日本語を使え」というような注意を当時の国語の先生に言われた時、「正しい日本語とは何か?その正しい日本語は正しいというからには古来より使われ続けている筈なのに、古文を習い、現代文に訳さなければ昔の文章が理解出来ないのは、現代使われている日本語が間違っているのでは?」と反抗して言ったら、怒られた事を思い出しました。日本語に限らず言語は時代時代で変化しているのに正しい日本語という括りで教育するのはおかしいと子供心に思ったものです。
そもそも、標準規格を決めることはできても、正しい日本語なんてものは定義できないんだろうな古けりゃ良いみたいな、保守的な姿勢ならそれこそ古文あたりが正しい日本語になるけどそんなの使える人も使ってる人といないし正しい日本語というのは使用者によってコミュニケーションにおいて伝わりやすくて使いやすいものなのかも
でも今のところ正しい日本語は使うべきじゃない?時代時代で変わるのだとしたら教科書に新しく文法などが増えるだろうし、そのときにその文法を使うようにした方がいいんじゃない?まぁ確かにコメ主の言ってることはわかる
@@focacc 例えば?
これって教師さんは何に対して怒ってるんや?言い返された事か?
@@zzz4071 別に型破りでありたいわけじゃないし崩れた結果が今の正しい形なのでは…?って話でしょ
「新しい」という言葉は昔「あらたしい」と呼んでいたそうです。時代とともに正しい日本語は作り替えられていくのだと思います。
ヲタクの聖地秋葉原も、元々は『アキバハラ』だったらしい^^
まあ「新たな(あらたな)」とかも言うしね
実は「新しい(あらたしい)」と同時に「惜しい(あたらしい)」という言葉も存在していてこの二つがごっちゃになって「新しい(あたらしい)」になったらしい(それと同時に「惜しい(あたらしい)」は消滅)諸説のひとつであるが
@@岡林良明 まあ「可惜夜(あたらよ)」とかも言うしね
山茶花(さざんか)も、本来は「さんざか」。
ら抜き言葉は使いませんが、「便利」または「一理ある」と感じています。ただ、社会に出ると使い始める人の多い「さ入れ言葉」や「れ入れ」言葉は嫌いです…。
堅苦しい研究ばかりしてそうな言語学者が実は言葉を変化させがちな人間の味方なの熱い
たしかにこれが正しい!って言ってそうなイメージあるけど、よく考えたら研究対象に自ら手を加える研究者なんているわけないんだよね
古文、という単元がある時点でお察し。むしろ変わらない方が異常。
言葉は時代と共に変化していくので一素人の僕がとやかく言うことは出来ない。でも「まぢ」とか「私わ」だけ *わ* 許せねぇ。あと、この声落ち着くから好き
「ゆう(言う)」「すいません(すみません)」「〜どうり(〜どおり)」「どおりで(どうりで)」も変化してますね
最近てゃとか出てきて???なったわ
「私わ」はその昔に「は」と発音していたのが「わ」の音に変わったために合わなくなったという由来があるのでことによると行く行くは「私わ」が普及しないとは言えない。そして驚いたことに「まじ」は江戸時代の造語らしい。ただ、それを「まぢ」と書くとしたら理由がわからない。ところで、「あの店はおいしい菓子が売っていて」とかいう言い方を聞くことがあるが、「その店ってお菓子が経営しているのかよ」と思ってしまう。
@@coelacanth666 それなんて読むんや?
「ゆう」と「私わ」だけは気持ち悪くて仕方がない。
りょうさんの考えが全然偏ってなくてすごく見やすい
ら抜きは当然の宿命ですよね。子供の頃、尊敬語の『先生は来られますか?』可能の『あなたは来られますか』の違いが曖昧だった。
きっと、ら抜き言葉否定派は「尊敬語の『来られます』は本来間違いで『いらっしゃいます』が正しい。よって充分明確」と言うんでしょうね。
苦手なものが「食べられた」と、相手に自分の好きな物を「食べられた」が同じなのは普通に誤解が生じると思うんだよな。何々されたの意味で「食べられた」は違和感ないけど、何々できたの「食べられた」はおかしいとずっと思ってたんだよな。
合理的な変化ですよね
実用に適してないからカスタムされた究極最適解なのに正しくないとか言われて不憫な言葉がら抜き言葉よ(´・ω・`)「ら入り」の地平を越えてたどり着いた日本人の叡智とジャスティスの結晶が「ら抜き言葉」こっちのほうがどう考えても正しい。語弊を生む欠陥文法の問題を解消した最適解であってジャスティスであるら抜き言葉にそもそも間違いだった「ら入り言葉」派がケチを付けるのは嘆かわしい限りである。
@@AlienZanteCounter99model 言葉は時代と共に移り変わるものとはいえ、「完全に移り変わる前」は古い方が正解ですからね。多少ややこしかろうと「なじみのある今までの表現の方が使いやすい」と言う人が、無視できない規模で残っている間はそんなもんです。流石に「お役所と教科書以外皆ら抜き言葉」位になったら文科省も「正解」を変えるでしょう。もっと目立たない細かな変更は少しずつやってますからね。
コンピュータで自然言語処理をやるようになってからは特に、文法や文字や発音や単語の意味には出来るだけ変化してほしくない、変化が止められないにしても可能な限りゆっくり変化してほしい、という気持ちが強くなりました。
初音ミクに喋らせてた自然言語処理の教授もなんか言ってたわ〜
スミヤカニ 古語拾遺 ヲセネハナラムシ
@@30cm73 コンピュータのことを無視して言語を考えられる時代ももう来ませんよ。
さて、コンピュータを軸足に置くのと、ごく一部人間の都合を優先して言語を次々変えていくの、どちらが「遅い」のでしょうね。
ことラボさんの目から精気がまるで感じられない所がとても好きです。
ちょっと気だるけな感じで登場するの好きw
サキュバスに搾られた後定期
「〜ということ」を「〜とゆうこと」にしてる文章を見ると気になっちゃうんだけど、「〜といふこと」でない時点でどっちもどっちなのかな。後年の学者が見たら「いう」が話すうえでは「ゆう」だったことを示す良い資料になってるかもしれないし。
~発、~行きは「ゆき」って書くからね。
「父は一度も会わないが、母とは二度合う」というなぞなぞで「昔母は『ファファ』と発音してた」と分かったアレみたいにですね
言ふは漢字変換できるけどゆうは漢字変換出来ないから自分の中でアウト ですね
云(ゆ)う、それは違和感などとゆう言葉では形容し難いほどに私の心に引っ掛かる振り仮名であつた。
昔小学校とか中学校で見せられたNHKの動画に、すごくいそうな雰囲気
わかりみ深い
@@Fosfor_P うお、ふぉらすさんww
ら抜き言葉が間違いだと認識している人は多いけど、何故間違いなのか理由を説明できる人は少ないと思う
通時的な言語に共時的な正解を求めている時点で「間違い」だと思うことこそが間違いでしょう
ら抜き言葉が普通に使われてる方言で育った人にしたらら抜き言葉が正しいそのことを理解できない連中が政府に決められた「標準語」というまやかしに惑わされているだけ
ら抜き言葉がいつまで経っても許容されないのは、ら抜き言葉と関わり深く派生しやすい「れ足す言葉」や「れれる」をどこまで許容するか、どこで間違いの線引きをするか新たな問題が生じて困るからでしょうね。それならば全て間違いにしてしまった方が便宜的にもいいということでしょう。個人的には、もうカジュアルな場面では、ら抜き言葉も許容していいと思いますけどね。
少なくとも「使う場所によっては間違った言葉なんだ」という認識を持っていないと公的な場所で使ってしまいそうだから間違いだと思うようにしている
@@0w600 「これは正しくない(規範から外れている)と分かっているけど周りに合せて使うか」っていう態度、他人へも指摘しないっていうのが一番良いです。「居なそう → 居なさそう 」のように現代だと慣習的に通じるし発音しやすい物など。補足: これは「居なそう」を口語で発音するときに 「いなっそう」 となり、それを文字に起こすのに 「居なさそう」 として定着したと思われる。引用元は忘れた。
「古の時代から繰り返されてきた」ちょっとかっこ良くて草
自分の知っている例だと「独壇場(どくだんじょう)」ですね。本来は「独擅場(どくせんじょう)」が正しいそうですが、間違いの方が広まってしまい、今では「どくだんじょう」が普通に用いられる、ということらしいです。自分は調べるまで「どくせんじょう」は聞いたことがありませんでした。こうして言葉は変わっていくんでしょうね。
@saakoitoshi かんばつって読む人がいるの今逆に知ったわ…
的を射ると的を得る、敷居が高いのもうひとつの意味とかね。もうどっちでも通じるし、辞書にもそう載ってるのにいまだに訂正する人がいる。困ったもんだよ
@@blackbear6306 敷居が高いに関しては意味の誤用が多いですね。一般的に使われている意味は「ハードルが高い」でしょうか。「的を得る」に関しては本来の言い方ではないですが、中々的を射た表現だと思いますね(笑)言葉は誤用から一般化し、新たな意味や用法が付与されるものですし、今更執拗に指摘する必要はないですよね。
『確信犯』なんて、もはや誤用の方でないと通じなくなってる。
消耗も、本来は「しょうこう」。→法律用語である「心神耗弱」の読みは、「しんしんこうじゃく」。「耗」の右側部分の「毛」につられた誤読が定着した。
何をもって日本語とするのかが問題ですよね。現在の『お父さん、お母さん』すら明治に下町で使われてた言葉ですよね?それならすでにめちゃくちゃです。up主のおっしゃる通りだと思います。
あるセミナーで講師が「I.S.M.S、Information Security Management Systemの略です。日本語に訳すると情報セキュリティマネジメントシステムです。」と説明した。「ほとんど訳してねぇ」と少し笑ってしまった。
あえて訳すと情報安全性管理枠組とかかな?
淡々と解説する姿カッコいい
大学の講義で「言葉は利便性に応じて変化する様が美しい」と聞いたので、乱れも美しいと思うようにしています
君からは生物学の波動を感じる
確かに乱れ髪は美しい
そういう貴方が美しい
在米33年、日本に帰る度に自分の日本語は旧いと感じますし、この間に英語も変化しました。僕自身はら抜きはしませんし、"やっぱ" や"めっちゃ" "マジ" も言いません。(もっとも"めっちゃ"は関西からだと思いますが) 自分としては、標準語の中では綺麗だとは思えないからです。英語も、僕の英語は30年前の英語です。しかし言葉は生物。変化は必然ですから、周りの日本人の言葉を正す、等と言う野暮な事は勿論しません。
私は在米48年で全く同感の思いです。個人的に友人たちとの話では川崎生まれで26歳で東京を出るまでずっと関東でしたから時おり神奈川弁(じゃんか言葉)使ったりしますが基本標準語です。英語も通訳なども日本に居た時分からしていましたので割と正統派米国英語を使っていますから両国語とも私は置き去りにされて行っているかと思わされる時も有ります。基本間違っていないのは私だと言い聞かせてる半分冗談のような状況ですね。
失礼ですが、「まじ」は江戸時代に出来た言葉なので旧いかどうかではなく、自分の価値観で美しいと思える言葉を選択されているのだと思います。
@@shibatana1723 ああ、そうでしたね。マジは江戸言葉でしたっけ? そう言う事を言い始めたら"新しい"も今の楽隊用語(僕はミュージシャンです)の様な江戸市民の言葉遊びから、"あらたしい"をひっくり返した物ですからね。"です•ます" も花魁言葉だったと聞いた事が有ります。僕は神奈川県出身ですが、殆ど"じゃん"は使いませんしね。
こういうのって方言の要素もかなり大きいですよね
@@mitchoboe_old 自分は、新しいをあたらしいと読むのは、惜しと新しが混同されたためと思っていました。音の変化が先なんですかね?
知的好奇心を刺激する優良チャンネルを見つけてしまった…
ら抜き言葉に関しては、故金田一晴彦先生が同じことをおっしゃっていました。また、その他にも若者の語尾上げ言葉についてもなぜそうなるのかの解説をされていて非常に感心した記憶があります。ざっくりと言うと「心理的距離」が近いと語尾上げになるということのようです。規範にこだわり過ぎて入れなくても良い「ら」を入れるような人とはあまりしゃべりたくないなと個人的には思います。
本のしおりとして挟まれてた広辞苑の広告に、「言葉は、自由だ」って書かれてて感動した記憶がある
乱れっぱなしの何千年(笑)『今どきの若いモンは』的な言葉は古今東西どこからも出てくるのと似たようなモンだなただじいさんばあさんと孫の話が通じないの少しばかり引っ掛かる
清少納言が日本語の乱れについて語ってるのは驚きました。清少納言は「をかし」を多用してますが、をかしは感動を表す言葉として、なんでも使えるという意味で現代語の「ヤバい」と同じニュアンスですね。「いとをかし」は「マジ、ヤバい」と直訳できますね。
戦前と戦後で「全然」の意味が1部違くなった。戦後には「全然」の意味は「全然〜じゃない」という否定の意味だけで使われてそれが正しいとされてたけど、戦前と現在にはその他に「全然大丈夫」と使われてたし使われる様になったと聞いた事ある。この1次的な変化は1943年のその本と関係あるのかな?
戦前のことは分からないけど、現代でも「全然」は否定のニュアンスを伴っていると思う。「(転んだけど)全然平気」「(見た目悪いけど)全然いける」など、「全然」に肯定文が続く場合は、直前にネガティブなできごとが起こっているイメージ。
@@T_A_K_O_ それと同じ言い回しが戦前でも使われてたって言ってるんじゃないの?コメ主は
これと全く同じで、「とても」はもともとは語尾に「ない」が伴う言葉だった。そしてここでも使った「全く」も同様に、「ない」で終わる必要があった。それに従うと何と言えばいいのか困ってしまうがどうしよう。
「とてもじゃないけど出来ない」とか言うよ。
@@ともともピアノ さん この言い方だと「到底」から出たらしい「とても」と合致しているけど、「じゃないけど」の部分はまた難解な存在で、文法的には他とのつながりをどう解釈したらいいのだろう。
「いとわろし」 の語感好き 今日から使おうかな
頭いい人のしゃべりって、すっ(語彙)て頭に入るから聞いてて気持ちいい
言葉の乱れって呼ばれてるものって裏を返せばより効率的に伝えたいことを伝えるための進化ともとれるよねって思ってる
歳寄りがよく「日本語がちゃんとしてない」とかいう人いるけど、「そもそもいま使われている標準語も実は乱れている」らしいからのぅ^^:(戦国時代や江戸時代の人からしたら、いまの日本人の言語は全て乱れてるって思われるらしいし、戦国、江戸時代の人たちも「鎌倉時代の人からしたら乱れてるらしいからね^^:)
ら抜き言葉の指摘がよくあるけど、できたこともされたことも全部「~られた」じゃ上手く伝わらないんだよ。例として、自分が苦手なものを「食べられた」。(できるようになった。)自分が好きなものを誰かに「食べられた」。(盗まれた)同じ言葉なのに意味が全く違う単語。これを文章を省略する人に使われるとものすごく受け手が面倒臭いんだよ。あと誤解も生みやすい。意味の差別化を図るために「できる」という意味の方だけ俺はら抜き言葉を使ってるんだよ。
このチャンネル今日見つけたけどまじ好きすぎ
他の言語学系のチャンネルでも『ら抜き言葉』は言葉の進化と言ってました。『ら抜き言葉』だけでなく、本来は間違った用法でも一般化すれば、それが正しい使われ方になる事も多いですね。
見られる→解釈が別れる見れる→正式な場や文章では使いにくい見える→分かりやすい
専門的なところはわからないけど見えるは可能より自発的なニュアンス強いわね
見れる→望めば見ることができる見える→見ることが不可能ではないちょっとニュアンスが違う気がする「新作の映画が見れる」であって「見える」とは言わない。見えない映画があるみたいになるし。「遠くの山が見える」と「見える」でもやっぱり意味は変わってくる
見らるとは言いませんね
わかりみが深い、言語の変化を楽しむスタンスが大切だよね
見れるも、見らる→見られる→見れると変化してきたのだから、もしかしたら、"れ入れ言葉"を毛嫌いした昔人もいたのかもしれない。
本当に声が綺麗で聞き取りやすい。
具体的に例示しながらの解説で説得力がありました。偏りのない説明でとても見やすかったです。なんか、こういう専門的なジャンルのチャンネルって居心地いいコミュニティが生まれますよね。コメント欄も含めて楽しめます。それで、もっと深堀りしてみてほしいと思うとこがでてきたので書いてみます。 自分は、ら抜き言葉ではなくそもそも可能動詞になっているものに更にれるを加えるなどの使い方を肚に据えかねてしまいます(「頼める」→「頼めれる」など。たまに見る。)。今回の動画で「言葉の乱れ」の例として示されたものは何れもそれなりに支持を得て定着していたり利点が見いだせるものでしたが、単にコミュニケーションにおいて混乱を生むだけで特に文学的効果も合理的意義もないものについても取り上げてみてほしいです。 それから、統一的な国語の規範を定める意義について。方言の話がありましたが、ローカルな言語しかなかった時代にそれで問題が起きなかったのは国が国語を統一するようになるまで殆どの人間が自分の生まれた土地で生活し、骨をうずめるのが当たり前だったからというのがありそう(更に遡って狩猟採集の時代では同じ群れで一生を過ごしていた)。現代では北から南まで時間と金があればどこにでも気軽に移動でき、生まれた地域から一歩出ずに一生を終える人はかなり稀で、何より通信手段も豊富にあります。国規模の円滑な情報の交換には、全国民で共有する言語規範が必要になるのも当然です。個人的には、こういった規範そのものは必要だと思っており、批判されるべきは規範に規範以上の意味を見出すこと(それを逸脱した言葉の運用をいかなる場合にも許すべきではないと考えるなど)だと思っています。そもそもこの手の議論は何の基準に照らし合わせているかも明確にせず、正しい、正しくない、いやみんな正しい、正しいものなんてない、などという片づけ方をされることが多いので、判断基準を明確にしてお話してくださりそうなことラボさんの意見を聴いてみたいと思いました。 youtubeなどで専門的な知見を持っていらっしゃる方は貴重なので、今後の更新も楽しみにしています!
ことラボさんの動画、どれも英語の字幕があればかなり海外の人にもウケがよさそう。大変でしょうけど
「ra」抜きだとおもってたら、実は「ar」抜きだと知った時の衝撃。
喋り方とBGMが聴いてて気持ちいい
ちゃんと聞こうと思うのに声が穏やかで眠くなっちゃう…😴
わざわざ使いやすい言葉を消していって、日本語を不便にしていくほうがナンセンス...
新たな言葉遣いが出てくるのも避けられないし,それに対するその時代を生きる人々の反感も避けられない。この動画を見た賢い我々が行うべきはその争いにおいて達観し,場面によってどちらも使い分ける世渡り上手になることだ。
言いやすさという観点でら抜き言葉が生まれたのなら「ら抜き」ではなく「れ抜き」になる可能性もあったのでしょうか?見らる、来らる、食べらる。こう入力してみると何か受け身の感じが強くなった気がします。この先何百年後かに「れ抜き」言葉が生まれたら面白いですね!
何ならソレって古語の言い切りの形(見らる→見らるる→見られる)だから原点回帰な訳ですね。
ら抜き言葉の発生は「見える」「聞こえる」とか「行ける」「直せる」などの可能を表す動詞が -eru で終わることからの類推が原因な気がするので、恐らく れ抜き(-raru) よりも ら抜き(-reru) のほうができやすかったんだと思います!勝手な推測ですが笑
現代文の「れる・られる」は古典文法だと「る・らる」に当たるから、現代語のられるがれるに変化して行くようにらるがるに変化するのかも…最終進化系はらもれも抜かれてるしか残らないのか(?)
簡単にいうと。「~られる」っていう言葉は「できる」と「される」の意味がいっしょくたになった言葉なんだよ。・見られるは、「見ることができる」と「覗かれる」って意味の両方で使えるし。・食べられるは、「食べることができる」と「食べ物を盗まれた!」って意味の両方を持ってるし。それを会話で言われるとどっち?ってなる。
@@blackbear6306 そうですよね!日本語って難しいですね🙄🙄
大抵の言葉の乱れは気にしないけど「~だわ」を「~だは」って表記する人にだけは拒否反応出る。お前は宇多田ヒカルかよ
おすすめに出て来たので見たんだけど、耳に心地良すぎる
「乱れ」はたまに感じることはあるけど、そんなに訂正しようとは思わない(実際、自分もよくら抜き言葉を使うし)それとは別に「○○せざるを得ない」を「○○せざる負えない」「○○せざる追えない」みたいに書いてるのは結構訂正したくなることはあるただ、誤用云々に厳しくしたら、性的嗜好の意味でつかう性癖は誤りだから改善されるべきだみたいになるし、その時々における「誤用」には寛容であるべきだとは思う
「草」とか「まじ?」とか「すごい」とか、自分でも語彙力が無くなっていくのは何となく感じますね…そこにスマホで何でも調べれば分かる時代も相まって更に使う語彙が減った気がします。
声とテンポ 完璧 聞きやすい
逆にこんな適当に使って理解出来る言語ってすごくね?
常識と言葉は常に変化する
この人字幕の自動生成精度良すぎやん。
ら抜き言葉は「発音したときの響きが頭悪そうに聞こえてあんまり好きじゃないけどもう色んな世代に浸透してしまってるし仕方ないよね」って感じで流し見してるんですけど、時々その変化球で「行けれる」とか「刺せれる」みたいな"れ入り言葉"を使ってくる人がいて、それだけは受け付けることができませんでした⚰️それとは別に「とゆー」「私わ」「気おつける」「いちよう」「とうり(とおり)」「永遠と」「うる覚え」系を使ってくるタイプも苦手です
『読めれる』とか『見れれる』とかのら抜きの派生バージョンの表現(?)も出てきてる。そんなアホいないでしょって思う人もいるだろうけど、Twitter検索かけたらいくらでも出てくるよー。
ことラボさんの動画はシンプルかつとても見やすい編集と落ち着いた雰囲気など全体的にすごいNHKっぽさを感じます。
いつも興味深い配信ありがとうございます普段使う言葉を意識はしている中で、『日本語の乱れ』を感じるのは、端折った言葉や、外国語を挟んだ会話に感じることがあります。多分、意味が解らない時に感じてるのだと思います。『正しさ』は『意味』が間違えて無ければいいと感じます。単純に通じれば良いかと思っております。それと相手に対する思いやりのある会話ですかねチャンネル登録して応援しますので、これからも興味深い配信をお願い致します
正しい日本語といっても、どの時代の日本語を正しいとするのかハッキリしていないので、「言葉使いが悪い」という考えはあっても、「日本語の乱れ」というのはバカバカしい考えだなと思っています
何十年も「ら」入りで慣れてしまっているので、今さら「ら」を抜いてくれと言われるとすごく戸惑います。ただ、日常会話で「それは間違ってる」と目くじら立てる程でもないかと。あと、会話で使う方が文章で使うより違和感が少ない気がします。
言葉は相手に自分の考えていることを伝えるのが目的ですから、伝わりやすく「変化」していくのは当然だと僕は思います。
「言葉は変化していく」「言葉は生き物」というのはよく聞かれます。正しい言葉を知った上で、合理性から判断し変化を認めることも大事でしょう。ただ、コロコロと変わりすぎてしまっては困ることも多いです。たとえば「おじいさん世代と孫世代で会話がまるで通じない」となるとほんの30年前の文献を読むだけなのに辞書を引きながら・・・となってしまいます。合理性に則って変化を認めながら、頻繁な変化はある程度抑えるというようなバランスが大事なのかなと思います。「正しい言葉」を認定する機関にもバランスを大事にしてほしいですね。
文章を書いて困るのは読み方が複数発生してしまう言葉があることです。たとえば「認める」「開く」「誘う」「労った」「表して」「退く」ほか多数。小説などの場合にはこの読み方で雰囲気が変わってしまうので困ります。やむなく「誘なう」のようにあえて不正な書き方をすることもありますがそれができない言葉も少なくありません。
内容は興味深いし、いい声だしチャンネル登録しておきますね
最初の ニョキって登場するの好き
素晴らしいです。これからも応援しています。Well done!
時代は変化するものだと分かってはいるけれども、気になるものはきになる。「こうゆう」、「てゆーか」、「ゆってた」はよく見かけるし、1番気になる。正しくは「こういう」、「というか」、「言ってた」あとは「せざるを得ない」を「せざる負えない(漢字は違う場合もある)」って書いたり、「雰囲気(ふんいき)」を「ふいんき」って言ったり。ら抜き言葉は気になるといえば気になるけど、前述した3つほどではない。ただ、言われたり見たりすると少しだけ不快感がある。
同じく変化するものと理解は出来ていますが、気になる者です。私の場合「こうゆう」「てゆーか」「ゆってた」「雰囲気」+「体育(たいく)」等は会話していて音としては勝手に脳内変換してくれるのですが、これらを文字としてチャットやメールで押し通そうとされると不快感がありますね。「私は」とか「こんにちは」を「私わ」や「こんにちわ」にしてるのは見ると更に不快感が増しますね。
両者ともにめっちゃわかるwwそれに「正しい形に変えた方がいいんじゃない?」ってコメントしたら、関係ない奴が 「別に意味が分かればいいじゃん」とか返信してくるのも不快感がすごい。
これまでと違って、インターネットを通じて言葉のウネリは加速してると思うだから一概に日本語の変化が良いとは言えないと思う
滑舌悪かったり吃ったりして会話にならない時があるので「らりるれろ」全て抜いてる時もあります。
この人初めて見たけど懐かしい感じがするあとめっちゃわかりやすい
受動と可能が同じ表現なのは流石に嫌だなぁ。ある意味必然の変化。
ことラボを見つけて以来、りょうさんの取り上げた話題についてもっと知りたくなったり、友人と話したりとても刺激になっています。素晴らしい動画いつもありがとうございます。ら抜きは母からよく注意されました
動画の作りとか話し方がNHKっぽくて好き
日本語ってものすごく自由で、自由すぎて制御できないくらい難しい言語だと思ってる。だからよっぽどおかしな文法とかでない限り伝わればそれでいいんじゃないかなって
下から生えてくるの大好き
新しい言葉は外に出るだけで触れられる。古い言葉は態々学ばないと触れられない。今は今として、古い物に敬意を払い学ぼうとする心意気が品の良さとして個人の振る舞いに出るのではないでしょうか。「乱れ」というのは自分が良ければ他はどうでもいいという「調和の乱れ」から来てると思います。
声いいなおいわかりやすかったです
今が良くないとは思わないけど年配の方の敬語は理屈抜きに美しいと感じるよ
とはいえ、規範意識の無い人ばかりだとそれはそれで問題ある。文法にうるさい人も捨てたもんじゃない。
結局今までの言語の歴史の中には、常に「変化にのる人」と「変化にうるさい人」がいた訳ですからね。変化にうるさい人による抑制も全て含めて言語の流動なのでしょう。
@@maritsu729 その抑制が無いと変化が激しすぎて、祖父母と孫で会話か成り立たなくなってしまうかもしれませんね。
変化を肯定する集団と好ましくないとみる集団とでは乱れの定義にも従来の言葉への理解にも共通の基盤が無いので議論が成立しない。一語一語が変化しても文法が守られている限りは乱れとは言えないのかもしれないが近年は主語の一貫性が無かったり格助詞の使い方が間違っていたりしてそろそろ文法もこれまでかと思わなくもない。
「ら抜き」の方が有能なの草
「ら抜き言葉は間違いなんだ」という根拠もないなんとなくの規範意識だけで「日本語として合理的に進化」しているら抜き言葉を批判し馬鹿にしてる現状日本らしいといえば日本らしい
ことラボが筋トレの動画とか出し始めたらめちゃくちゃ面白い
ら抜き言葉をあまり使いたくない気持ちもあるけど、受け身や尊敬と間違えられるのも避けたい気持ちもあるから「~することができる」を多用してしまう
分かりますwただ、皆が使う事で国語の正書法は変わりますからね。自信を持って、ら抜き言葉を使って行きましょう!
作文だとこれが文字稼ぎになって重宝したものです
日本語は外国語が入って来ても、寛容に取り込んで日本語にする。男言葉に女言葉があり、書き言葉と話し言葉があり、寛容な反面多彩です。
正式な文法=正しい文法とは限らないので、逆に、正式でない文法=間違った文法とも限らない。正式な文法を否定すると日本語の体系が崩れるのが恐いので、今流行ってる派生形の文法、って認識が一番良いと個人的に思う。
私も口語では「ら抜き」をよくしますし、「言う」を「ゆう」と言ってしまいます。ネット上でも文法はめちゃくちゃですし。ですが、作文や論文、契約書などでは、正しい文法を使うべきだと思います。これらはどの世代、地域にも共通で理解できなくてはならないし、その為に学校で「共通語」を学んでいるのでは、と。あくまで個人の見解ではありますが、最低限その様な記録で残されていれば後世にも物事が伝わりやすくなりますし、解釈違いも減りますよね。「口語は変化しても、共通語はそのまま」がいちばんいいのでは?
今はしないけど、「いや、別に…」の「に」を抜いて「いや、別…」って言っててよく指摘されたな。
私の家族は方言としてら抜き言葉でした。家族、親戚 近所もそうでしたら引っ越しさきの学校で指摘されて、びっくりしました。
言葉が乱れているとかいないとかは常にその使い方に関してのみ語られて「言葉が時につれて変化するのはやむを得ない」という結論に至る。ところが今の世には存在そのものが間違っている単語があるがなぜかこれが指摘されることはない。「易しい」は「難しい」の程度が少ないだけで難しさという尺度の途中にあるがこの二つを反対の言葉と誤認して「難易度」と言う人がいる。「高度」を「高低度」、「速度」を「速遅度」とは言わないのを見ても難しさの程度を表す言葉は「難度」であって「難易度」が誤りなのは明らかである。
⚔ ことラボの著作『言語学クエスト』発売中
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📕参考文献
・清少納言が愚痴っていた話
日本語はだれのものか (歴史文化ライブラリー)
川口 良 (著), 角田 史幸 (著)
amzn.to/3CLEzwg
・規範文法をディスる言語学者
言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)
スティーブン ピンカー (著) 椋田 直子 (翻訳)
amzn.to/3EyCo0i
高校時代に国語の先生が、「最近の若者のら抜き言葉はけしからんと言うけど、けしからんという言葉自体が古語の けしく あらん を略した言葉だから自己矛盾してる」という説明をしていて、その時から”言葉は変化していくもので正解は無い”ということをぼんやり意識させられました。
文章を書くときは規範に合わせるしかないですが、効率厨としてはら抜き言葉の方が良いですね。
あらん?
あらむ?
あらむじ?
あらむし?
(あらぶし?)
顕し?表し?
言い表すという形容動詞が由来かな~と感じました。
まさに表現の世界...
「効率厨」
これも「○○厨」の1つだけど、この言葉も最近出てきたけど意味もわかるし使いやすいよねー
@@ctkvsfyvcyububxrr3806
ガキ臭い書き込みに対して中坊を厨房とあえて誤記する過ぎし日の掲示板独自文化が、中毒的に没頭している趣味のジャンルを指して◯◯厨と言うようになり用法が変化し、近年では単に何らかに執着している者の事を指すようになった...
@@TheSakuraEspresso 日本のネット言葉は2chの影響めちゃめちゃ受けてるよね
でもやっぱ「食べれる」「決めれる」「見れる」etc…と聞くと気になっちゃうなぁ
「言葉は常に変化していく」というのはよく言われることです。「言葉は生き物だから」とも言われてますね。
人間がいるから変わるんだよなぁ、結局は人間矯正しなきゃ変わらないように出来ないなぁ👍
これ乱れてるって思うのは人口比率が乱れてるだけで、正常な場合は変化として受け入れられる。
昭和生まれ1億人
現代人2000万ちょっとじゃあ仕方ない…
変化を許容するのは分かるけどさ、
変化した結果として承認されるものとそうでないものを誰がどう決めてるんだ?
例えば、明らかに間違えているのに「現代ではこれも正しいんだよ?」
みたいなツラしている言葉が腹立つ。
・反比例する → 負に比例 な…
・関係性 → 関係な…
・性癖 → 個人の性質であり性的嗜好を指すわけちゃうで…
・いなさそう → いなそう 。「さ」 をつけるな、おそらく、口語でいう
「いなっそう」のっ の部分が 「さ」になったんやろうけど…。
これらは伝わるから機能しているんだけどさ、
それ絶対間違えてるのに…指摘したら指摘した方が空気読めない人扱い。
繰り返すけど、「変化した結果として承認されるものとそうでないものを誰がどう決めるんですか!?」
日本語なめんな( ' ‘ω‘ )
@@Tomohiko_JPN_1868 まあ言葉って誤った使い方をたくさんの人がしていったらその意味が定着してしまったって例たくさんありますからね。認められるか認められないかは誰かが決めるものではなくて、時の流れ?なんでしょうね
そう、生き物だと認める。
だからこそ誰かがそれを管理・監督しないといけないし
文部省や文化庁などが手入れしてるんだ。
(常用漢字や音読みの呉音・漢音の違いなど)
追記: 誤用が自由に認められるべきではないし、
それは 手入れされていない庭園 で見苦しい。
そもそも乱れがどうのこうのとか言うなら今でも古語が使われてなきゃおかしいからな……
僕もそう思います。
そうでないと、学問として古文(古典)と現代文に分かれている理屈が説明つかないですよね。
明治に入ってから、言文一致運動によって、徐々に古語が使わなくなりましたので、割と最近まで文語では古語・古典文法でしたね。
その後、教育勅語や玉音放送も古典文法混じりですから、政府でも完全に現代語のみを使用するようになったのは、日本国憲法以降ではないかと。ただ、古くからある法律は一部条文がまだ古い言い回しのままのようですので、政界や法曹界を目指すには古文の知識も必要なんじゃないですかね。
そもそも、古文も平安時代に京都あたりで話されてた言葉ってだけで、もっと遡ると、古文も乱れてるってことになる。これを続けていくと、1単語だけで会話する発生期の言語とかに遡っちゃって、もう喋れる言語なくなっちゃうねw
古語と現代語と近現代語とか出来そうで草
かかる文使はれたらねば、大和言の葉の“乱れ”はありえず。
あららかに同意す。うつろひ続くる日本語をやがて、受け入れしこそをかし。
ら抜き言葉は"受け身・尊敬"と"可能"を
一瞬で区別できるから有能だと思ってる
本当にこれw 有能よね。
…まぁ、どっかの何かで、受身尊敬でもら抜き言葉使われてるとか取り上げられてて、あんまり意味無くねーみたいな話になってたけど。
受身尊敬でら抜き言葉はさすがにアウトなのが私の意見。
@@Useful_Radio 人に見られる、が人に見れるになるってこと...?違和感がすごい
@@poppohato1345
そうなんよ( ´-ω-)σ
"人を見れる"みたいに可能で使うのがら抜き言葉みたいな感じなんだけど。
そこで取り上げられてたのは、「ら抜き言葉って見抜くのに便利とは言われるけど、"人に見られる"みたいな受身も"人に見れる"みたいなら抜き言葉になってしまっていて、見抜く云々であんまり意味なくなってきてるよー」みたいな。
ビックリしたよね。それはさすがにおかしいだろwみたいな。
すまん、一応軽くだけど動画探してみたんだが、見当たらん。昔話的なノリで聞いておいて。
実はら有り言葉にはもう1つ「自発」っていう使い方があるけどあまり使わないからいいか。
ですね!
日本語がより便利で綺麗な形になったと思います
「いとわろし」を「めっちゃ笑える」の意味に本能が解釈してしまう
イトワロスwwww
「てらわろす」←違和感無くね?
@@aRe4838 10の12乗ワロタwwwwwwwwww*(10^12)
@@aRe4838寺子屋ワロスwww
日本語の柔軟さがすきぴょん
柔軟ゆえに難しいぴょん…
それで間違えてたら元も子もないぴょん…
日本語の比喩とか表現の自由さは大好きにゃん
それは他の言語と比べて柔軟といえるということ?
@@mentosukoala 空気読んでにゃ、柔軟ににゃりにゃされ
言葉は伝われば大体なんでもいいと思う
一般的に使われているなら尚更
ただお年寄りに「草」とか言って伝わらないみたいなのは良くないから、ちゃんと使い分けられるようにするのがいいと思う
リアルで草使ってるやつキモくね
@@okgoogle1609 多分あと数十年生きてたらその考えが老害って一括りに思われる日が来る
@@okgoogle1609
キモいとか使うの気持ち悪いって数十年前の人とか言ってそう
日本人には敬語があるから相手によって言葉を使い分けるのは得意そうだね
それを言い表す言葉がすでに存在しているのにわざわざ未消化の外来語を持ち込んで何かをごまかそうとする政治家や自称「学識経験者」。こういう人って少し前まで意味不明の「評論家」っていわれてなかったか?
日本語って新しい言葉どんどん作られてくるからキリがなくて好きやで
まるで日本語だけみたいな言い草だな
@@user-vd6uo4ro6x 自分がそう思ってるからそう思うんじゃない?
@@user-vd6uo4ro6x 必要十分条件じゃないで
@煙 しかしもし他の言語も同じだとすれば好きになる理由になるのはおかしいという問題も。その点で「あ」氏の読解は合理性がある。
@@mentosukoala どの言語も好きなんやろ
行けるとかも昔は行かれるが正しくて最近の若者は〜って言われてたから100年も経てば食べれるも正しいとされそう。
ちなみに最近の若者は〜は古代ヒッタイトの時代から石版が残ってると言う超昔からある言葉なんだよなぁ
食べられるだと自分食えなくて誰かに食されてしまった感がね
可能表現としての「行かれる」はなんとなく聞き覚えありますが、そうかと言って…たとえば可能表現としての「歩かれる」とか「書かれる」とかは聞いた事ないです。
少なくとも現代標準語のくくりでは、五段活用の可能表現に「〜aれる」は適用しずらい。
「行かれる」は、まぁ…現代語としては例外的な何かでしょうね(「違くない」みたいに)
>ちなみに最近の若者は〜は古代ヒッタイトの時代から石版が残ってると言う超昔からある言葉なんだよなぁ
三遊亭楽太郎(現6代目圓楽)がラジオCMで語った古代エジプトのエピソードが実しやかに伝わって、
更に尾ひれが付いて古代ヒッタイトの石版に残ってるって話が出来上がったようですが、実際にはそんな
文言は残されて居ないらしいです。
楽太郎が引っ張って来た元ネタと思える文章もあるんですが、その記述は『○○から聞いた。埃及では・・・』
って感じで『最近の若者は〜』と書いているんですが、その聞いた話自体が与太話だったようです。
食べうる、で誤解なく分かるけど。
@@HEADJOCKAA 「しずらい」ではなく、「しづらい」が正しい綴りですよ
下から出てくる演出好き
「ら抜き言葉」について。
「行く」は五段活用なので、可能の助動詞を用いる時は「れる」を使うため、「行かれる(ikareru)」となる。また、「行く」を可能動詞にすると、「行ける(ikeru)」になる。
つまり、「行かれる」から「ar」と取ることで、可能動詞の「行ける」になっている。
その理屈から行くと、「食べる」に可能の助動詞を用いた「食べられる(taberareru)」から同様に「ar」を取った「食べれる(tabereru)」もおかしくないはず。だから、「ら抜き言葉」も日本語の変化の一例。
というようなことを提唱した言語学者がいる、と聞いたことがある。
そして、ら抜き言葉使えば英語でいうところの、受動態と差別化できてよさそー
@@アノヨノワダイ それ思った
基本的にラ抜きできる動詞は可能でない否定語にしたとき母音にaがつく(例:いkaない→行ける、うtaない→打てる) ラ抜きできない言葉(たbeない→食べられる、いkiない→生きられる)
とbeる→飛べない の場合は可能の否定語となってしまうので
法則に従うと「とbaない→飛べる」となる
私も聞いたことあるで。
「ら抜き言葉」じゃなくて「ar抜き言葉」みたいなこと言ってた人でしょ?
とあるゆるいラジオで「ら抜き言葉」は日本語の体系化、美しくなっているんだと聞いてハッとしました
あのラジオはタイトルが面白そうですし、実際に内容も面白いですよね
「とある"ゆるい"ラジオ」って言い方は、もはや伏せないで言ってるのと同じなのよ。
言語学に触れて以来、特定の表現が「正しい」か「間違っている」かではなく、あくまで話者が「容認できる」か「容認できない」かに過ぎないんだなと思うようになりました。
自分が中学生の頃、具体的にどの様な言い回しで注意を受けたか覚えていないが、「正しい日本語を使え」というような注意を当時の国語の先生に言われた時、「正しい日本語とは何か?その正しい日本語は正しいというからには古来より使われ続けている筈なのに、古文を習い、現代文に訳さなければ昔の文章が理解出来ないのは、現代使われている日本語が間違っているのでは?」と反抗して言ったら、怒られた事を思い出しました。
日本語に限らず言語は時代時代で変化しているのに正しい日本語という括りで教育するのはおかしいと子供心に思ったものです。
そもそも、標準規格を決めることはできても、正しい日本語なんてものは定義できないんだろうな
古けりゃ良いみたいな、保守的な姿勢ならそれこそ古文あたりが正しい日本語になるけどそんなの使える人も使ってる人といないし
正しい日本語というのは
使用者によってコミュニケーションにおいて伝わりやすくて使いやすいものなのかも
でも今のところ正しい日本語は使うべきじゃない?
時代時代で変わるのだとしたら教科書に新しく文法などが増えるだろうし、そのときにその文法を使うようにした方がいいんじゃない?
まぁ確かにコメ主の言ってることはわかる
@@focacc 例えば?
これって教師さんは何に対して怒ってるんや?言い返された事か?
@@zzz4071 別に型破りでありたいわけじゃないし崩れた結果が今の正しい形なのでは…?って話でしょ
「新しい」という言葉は昔「あらたしい」と呼んでいたそうです。時代とともに正しい日本語は作り替えられていくのだと思います。
ヲタクの聖地秋葉原も、元々は『アキバハラ』だったらしい^^
まあ「新たな(あらたな)」とかも言うしね
実は「新しい(あらたしい)」と同時に「惜しい(あたらしい)」という言葉も存在していて
この二つがごっちゃになって「新しい(あたらしい)」になったらしい(それと同時に「惜しい(あたらしい)」は消滅)
諸説のひとつであるが
@@岡林良明 まあ「可惜夜(あたらよ)」とかも言うしね
山茶花(さざんか)も、本来は「さんざか」。
ら抜き言葉は使いませんが、「便利」または「一理ある」と感じています。
ただ、社会に出ると使い始める人の多い「さ入れ言葉」や「れ入れ」言葉は嫌いです…。
堅苦しい研究ばかりしてそうな言語学者が実は言葉を変化させがちな人間の味方なの熱い
たしかにこれが正しい!って言ってそうなイメージあるけど、よく考えたら研究対象に自ら手を加える研究者なんているわけないんだよね
古文、という単元がある時点でお察し。
むしろ変わらない方が異常。
言葉は時代と共に変化していくので一素人の僕がとやかく言うことは出来ない。
でも「まぢ」とか「私わ」だけ *わ* 許せねぇ。
あと、この声落ち着くから好き
「ゆう(言う)」
「すいません(すみません)」
「〜どうり(〜どおり)」
「どおりで(どうりで)」
も変化してますね
最近てゃとか出てきて???なったわ
「私わ」はその昔に「は」と発音していたのが「わ」の音に変わったために合わなくなったという由来があるのでことによると行く行くは「私わ」が普及しないとは言えない。そして驚いたことに「まじ」は江戸時代の造語らしい。ただ、それを「まぢ」と書くとしたら理由がわからない。ところで、「あの店はおいしい菓子が売っていて」とかいう言い方を聞くことがあるが、「その店ってお菓子が経営しているのかよ」と思ってしまう。
@@coelacanth666 それなんて読むんや?
「ゆう」と「私わ」だけは気持ち悪くて仕方がない。
りょうさんの考えが全然偏ってなくてすごく見やすい
ら抜きは当然の宿命ですよね。子供の頃、尊敬語の『先生は来られますか?』可能の『あなたは来られますか』の違いが曖昧だった。
きっと、ら抜き言葉否定派は「尊敬語の『来られます』は本来間違いで『いらっしゃいます』が正しい。よって充分明確」と言うんでしょうね。
苦手なものが「食べられた」と、相手に自分の好きな物を「食べられた」が同じなのは普通に誤解が生じると思うんだよな。
何々されたの意味で「食べられた」は違和感ないけど、何々できたの「食べられた」はおかしいとずっと思ってたんだよな。
合理的な変化ですよね
実用に適してないからカスタムされた究極最適解なのに正しくないとか言われて不憫な言葉がら抜き言葉よ(´・ω・`)
「ら入り」の地平を越えてたどり着いた日本人の叡智とジャスティスの結晶が「ら抜き言葉」こっちのほうがどう考えても正しい。語弊を生む欠陥文法の問題を解消した最適解であってジャスティスであるら抜き言葉にそもそも間違いだった「ら入り言葉」派がケチを付けるのは嘆かわしい限りである。
@@AlienZanteCounter99model 言葉は時代と共に移り変わるものとはいえ、「完全に移り変わる前」は古い方が正解ですからね。多少ややこしかろうと「なじみのある今までの表現の方が使いやすい」と言う人が、無視できない規模で残っている間はそんなもんです。
流石に「お役所と教科書以外皆ら抜き言葉」位になったら文科省も「正解」を変えるでしょう。もっと目立たない細かな変更は少しずつやってますからね。
コンピュータで自然言語処理をやるようになってからは特に、文法や文字や発音や単語の意味には出来るだけ変化してほしくない、変化が止められないにしても可能な限りゆっくり変化してほしい、という気持ちが強くなりました。
初音ミクに喋らせてた自然言語処理の教授もなんか言ってたわ〜
スミヤカニ 古語拾遺 ヲセネハナラムシ
スミヤカニ 古語拾遺 ヲセネハナラムシ
@@30cm73 コンピュータのことを無視して言語を考えられる時代ももう来ませんよ。
さて、コンピュータを軸足に置くのと、ごく一部人間の都合を優先して言語を次々変えていくの、どちらが「遅い」のでしょうね。
ことラボさんの目から精気がまるで感じられない所がとても好きです。
ちょっと気だるけな感じで登場するの好きw
サキュバスに搾られた後定期
「〜ということ」を「〜とゆうこと」にしてる文章を見ると気になっちゃうんだけど、「〜といふこと」でない時点でどっちもどっちなのかな。後年の学者が見たら「いう」が話すうえでは「ゆう」だったことを示す良い資料になってるかもしれないし。
~発、~行きは「ゆき」って書くからね。
「父は一度も会わないが、母とは二度合う」というなぞなぞで「昔母は『ファファ』と発音してた」と分かったアレみたいにですね
言ふは漢字変換できるけどゆうは漢字変換出来ないから自分の中でアウト ですね
云(ゆ)う、それは違和感などとゆう言葉では
形容し難いほどに私の心に引っ掛かる振り仮名であつた。
昔小学校とか中学校で見せられたNHKの動画に、すごくいそうな雰囲気
わかりみ深い
@@Fosfor_P うお、ふぉらすさんww
ら抜き言葉が間違いだと認識している人は多いけど、何故間違いなのか理由を説明できる人は少ないと思う
通時的な言語に共時的な正解を求めている時点で「間違い」だと思うことこそが間違いでしょう
ら抜き言葉が普通に使われてる方言で育った人にしたらら抜き言葉が正しい
そのことを理解できない連中が政府に決められた「標準語」というまやかしに惑わされているだけ
ら抜き言葉がいつまで経っても許容されないのは、ら抜き言葉と関わり深く派生しやすい「れ足す言葉」や「れれる」をどこまで許容するか、どこで間違いの線引きをするか新たな問題が生じて困るからでしょうね。それならば全て間違いにしてしまった方が便宜的にもいいということでしょう。
個人的には、もうカジュアルな場面では、ら抜き言葉も許容していいと思いますけどね。
少なくとも「使う場所によっては間違った言葉なんだ」という認識を持っていないと公的な場所で使ってしまいそうだから間違いだと思うようにしている
@@0w600
「これは正しくない(規範から外れている)と分かっているけど周りに合せて使うか」
っていう態度、他人へも指摘しないっていうのが一番良いです。
「居なそう → 居なさそう 」
のように現代だと慣習的に通じるし発音しやすい物など。
補足:
これは「居なそう」を口語で発音するときに 「いなっそう」 となり、
それを文字に起こすのに 「居なさそう」 として定着したと思われる。引用元は忘れた。
「古の時代から繰り返されてきた」ちょっとかっこ良くて草
自分の知っている例だと「独壇場(どくだんじょう)」ですね。本来は「独擅場(どくせんじょう)」が正しいそうですが、間違いの方が広まってしまい、今では「どくだんじょう」が普通に用いられる、ということらしいです。自分は調べるまで「どくせんじょう」は聞いたことがありませんでした。こうして言葉は変わっていくんでしょうね。
@saakoitoshi かんばつって読む人がいるの今逆に知ったわ…
的を射ると的を得る、敷居が高いのもうひとつの意味とかね。
もうどっちでも通じるし、辞書にもそう載ってるのにいまだに訂正する人がいる。困ったもんだよ
@@blackbear6306 敷居が高いに関しては意味の誤用が多いですね。一般的に使われている意味は「ハードルが高い」でしょうか。
「的を得る」に関しては本来の言い方ではないですが、中々的を射た表現だと思いますね(笑)
言葉は誤用から一般化し、新たな意味や用法が付与されるものですし、今更執拗に指摘する必要はないですよね。
『確信犯』なんて、もはや誤用の方でないと通じなくなってる。
消耗も、本来は「しょうこう」。
→法律用語である「心神耗弱」の読みは、「しんしんこうじゃく」。
「耗」の右側部分の「毛」につられた誤読が定着した。
何をもって日本語とするのかが問題ですよね。
現在の『お父さん、お母さん』すら明治に下町で使われてた言葉ですよね?
それならすでにめちゃくちゃです。
up主のおっしゃる通りだと思います。
あるセミナーで講師が「I.S.M.S、Information Security Management Systemの略です。日本語に訳すると情報セキュリティマネジメントシステムです。」と説明した。
「ほとんど訳してねぇ」と少し笑ってしまった。
あえて訳すと情報安全性管理枠組とかかな?
淡々と解説する姿カッコいい
大学の講義で「言葉は利便性に応じて変化する様が美しい」と聞いたので、乱れも美しいと思うようにしています
君からは生物学の波動を感じる
確かに乱れ髪は美しい
そういう貴方が美しい
在米33年、日本に帰る度に自分の日本語は旧いと感じますし、この間に英語も変化しました。僕自身はら抜きはしませんし、"やっぱ" や"めっちゃ" "マジ" も言いません。(もっとも"めっちゃ"は関西からだと思いますが) 自分としては、標準語の中では綺麗だとは思えないからです。英語も、僕の英語は30年前の英語です。
しかし言葉は生物。変化は必然ですから、周りの日本人の言葉を正す、等と言う野暮な事は勿論しません。
私は在米48年で全く同感の思いです。個人的に友人たちとの話では川崎生まれ
で26歳で東京を出るまでずっと関東でしたから時おり神奈川弁(じゃんか言葉)
使ったりしますが基本標準語です。英語も通訳なども日本に居た時分からしていましたので割と正統派米国英語を使っていますから両国語とも私は置き去りに
されて行っているかと思わされる時も有ります。基本間違っていないのは
私だと言い聞かせてる半分冗談のような状況ですね。
失礼ですが、「まじ」は江戸時代に出来た言葉なので旧いかどうかではなく、自分の価値観で美しいと思える言葉を選択されているのだと思います。
@@shibatana1723 ああ、そうでしたね。マジは江戸言葉でしたっけ?
そう言う事を言い始めたら"新しい"も今の楽隊用語(僕はミュージシャンです)の様な江戸市民の言葉遊びから、"あらたしい"をひっくり返した物ですからね。"です•ます" も花魁言葉だったと聞いた事が有ります。僕は神奈川県出身ですが、殆ど"じゃん"は使いませんしね。
こういうのって方言の要素もかなり大きいですよね
@@mitchoboe_old 自分は、新しいをあたらしいと読むのは、惜しと新しが混同されたためと思っていました。
音の変化が先なんですかね?
知的好奇心を刺激する優良チャンネルを見つけてしまった…
ら抜き言葉に関しては、故金田一晴彦先生が同じことをおっしゃっていました。
また、その他にも若者の語尾上げ言葉についてもなぜそうなるのかの解説をされていて
非常に感心した記憶があります。ざっくりと言うと「心理的距離」が近いと語尾上げになる
ということのようです。規範にこだわり過ぎて入れなくても良い「ら」を入れるような人とは
あまりしゃべりたくないなと個人的には思います。
本のしおりとして挟まれてた広辞苑の広告に、
「言葉は、自由だ」って書かれてて感動した記憶がある
乱れっぱなしの何千年(笑)
『今どきの若いモンは』的な言葉は古今東西どこからも出てくるのと似たようなモンだな
ただ
じいさんばあさんと孫の話が通じないの少しばかり引っ掛かる
清少納言が日本語の乱れについて語ってるのは驚きました。
清少納言は「をかし」を多用してますが、をかしは感動を表す言葉として、なんでも使えるという意味で現代語の「ヤバい」と同じニュアンスですね。「いとをかし」は「マジ、ヤバい」と直訳できますね。
戦前と戦後で「全然」の意味が1部違くなった。戦後には「全然」の意味は「全然〜じゃない」という否定の意味だけで使われてそれが正しいとされてたけど、戦前と現在にはその他に「全然大丈夫」と使われてたし使われる様になったと聞いた事ある。この1次的な変化は1943年のその本と関係あるのかな?
戦前のことは分からないけど、現代でも「全然」は否定のニュアンスを伴っていると思う。
「(転んだけど)全然平気」「(見た目悪いけど)全然いける」など、「全然」に肯定文が続く場合は、直前にネガティブなできごとが起こっているイメージ。
@@T_A_K_O_ それと同じ言い回しが戦前でも使われてたって言ってるんじゃないの?コメ主は
これと全く同じで、「とても」はもともとは語尾に「ない」が伴う言葉だった。そしてここでも使った「全く」も同様に、「ない」で終わる必要があった。それに従うと何と言えばいいのか困ってしまうがどうしよう。
「とてもじゃないけど出来ない」とか言うよ。
@@ともともピアノ さん この言い方だと「到底」から出たらしい「とても」と合致しているけど、「じゃないけど」の部分はまた難解な存在で、文法的には他とのつながりをどう解釈したらいいのだろう。
「いとわろし」 の語感好き 今日から使おうかな
頭いい人のしゃべりって、すっ(語彙)て頭に入るから聞いてて気持ちいい
言葉の乱れって呼ばれてるものって裏を返せばより効率的に伝えたいことを伝えるための進化ともとれるよねって思ってる
歳寄りがよく「日本語がちゃんとしてない」とかいう人いるけど、「そもそもいま使われている標準語も実は乱れている」らしいからのぅ^^:(戦国時代や江戸時代の人からしたら、いまの日本人の言語は全て乱れてるって思われるらしいし、戦国、江戸時代の人たちも「鎌倉時代の人からしたら乱れてるらしいからね^^:)
ら抜き言葉の指摘がよくあるけど、できたこともされたことも全部「~られた」じゃ上手く伝わらないんだよ。
例として、自分が苦手なものを「食べられた」。(できるようになった。)
自分が好きなものを誰かに「食べられた」。(盗まれた)
同じ言葉なのに意味が全く違う単語。
これを文章を省略する人に使われるとものすごく受け手が面倒臭いんだよ。あと誤解も生みやすい。
意味の差別化を図るために「できる」という意味の方だけ俺はら抜き言葉を使ってるんだよ。
このチャンネル今日見つけたけどまじ好きすぎ
他の言語学系のチャンネルでも『ら抜き言葉』は言葉の進化と言ってました。
『ら抜き言葉』だけでなく、本来は間違った用法でも一般化すれば、それが正しい使われ方になる事も多いですね。
見られる→解釈が別れる
見れる→正式な場や文章では使いにくい
見える→分かりやすい
専門的なところはわからないけど
見えるは可能より自発的なニュアンス強いわね
見れる→望めば見ることができる
見える→見ることが不可能ではない
ちょっとニュアンスが違う気がする
「新作の映画が見れる」であって「見える」とは言わない。見えない映画があるみたいになるし。
「遠くの山が見える」と「見える」でもやっぱり意味は変わってくる
見らるとは言いませんね
わかりみが深い、言語の変化を楽しむスタンスが大切だよね
見れるも、見らる→見られる→見れると
変化してきたのだから、もしかしたら、
"れ入れ言葉"を毛嫌いした昔人もいたのかもしれない。
本当に声が綺麗で聞き取りやすい。
具体的に例示しながらの解説で説得力がありました。偏りのない説明でとても見やすかったです。なんか、こういう専門的なジャンルのチャンネルって居心地いいコミュニティが生まれますよね。コメント欄も含めて楽しめます。それで、もっと深堀りしてみてほしいと思うとこがでてきたので書いてみます。
自分は、ら抜き言葉ではなくそもそも可能動詞になっているものに更にれるを加えるなどの使い方を肚に据えかねてしまいます(「頼める」→「頼めれる」など。たまに見る。)。今回の動画で「言葉の乱れ」の例として示されたものは何れもそれなりに支持を得て定着していたり利点が見いだせるものでしたが、単にコミュニケーションにおいて混乱を生むだけで特に文学的効果も合理的意義もないものについても取り上げてみてほしいです。
それから、統一的な国語の規範を定める意義について。方言の話がありましたが、ローカルな言語しかなかった時代にそれで問題が起きなかったのは国が国語を統一するようになるまで殆どの人間が自分の生まれた土地で生活し、骨をうずめるのが当たり前だったからというのがありそう(更に遡って狩猟採集の時代では同じ群れで一生を過ごしていた)。現代では北から南まで時間と金があればどこにでも気軽に移動でき、生まれた地域から一歩出ずに一生を終える人はかなり稀で、何より通信手段も豊富にあります。国規模の円滑な情報の交換には、全国民で共有する言語規範が必要になるのも当然です。個人的には、こういった規範そのものは必要だと思っており、批判されるべきは規範に規範以上の意味を見出すこと(それを逸脱した言葉の運用をいかなる場合にも許すべきではないと考えるなど)だと思っています。そもそもこの手の議論は何の基準に照らし合わせているかも明確にせず、正しい、正しくない、いやみんな正しい、正しいものなんてない、などという片づけ方をされることが多いので、判断基準を明確にしてお話してくださりそうなことラボさんの意見を聴いてみたいと思いました。
youtubeなどで専門的な知見を持っていらっしゃる方は貴重なので、今後の更新も楽しみにしています!
ことラボさんの動画、どれも英語の字幕があればかなり海外の人にもウケがよさそう。大変でしょうけど
「ra」抜きだとおもってたら、実は「ar」抜きだと知った時の衝撃。
喋り方とBGMが聴いてて気持ちいい
ちゃんと聞こうと思うのに声が穏やかで眠くなっちゃう…😴
わざわざ使いやすい言葉を消していって、日本語を不便にしていくほうがナンセンス...
新たな言葉遣いが出てくるのも避けられないし,それに対するその時代を生きる人々の反感も避けられない。
この動画を見た賢い我々が行うべきはその争いにおいて達観し,場面によってどちらも使い分ける世渡り上手になることだ。
言いやすさという観点でら抜き言葉が生まれたのなら「ら抜き」ではなく「れ抜き」になる可能性もあったのでしょうか?
見らる、来らる、食べらる。
こう入力してみると何か受け身の感じが強くなった気がします。
この先何百年後かに「れ抜き」言葉が生まれたら面白いですね!
何ならソレって古語の言い切りの形(見らる→見らるる→見られる)だから原点回帰な訳ですね。
ら抜き言葉の発生は「見える」「聞こえる」とか「行ける」「直せる」などの可能を表す動詞が -eru で終わることからの類推が原因な気がするので、恐らく れ抜き(-raru) よりも ら抜き(-reru) のほうができやすかったんだと思います!勝手な推測ですが笑
現代文の「れる・られる」は古典文法だと「る・らる」に当たるから、現代語のられるがれるに変化して行くようにらるがるに変化するのかも…
最終進化系はらもれも抜かれてるしか残らないのか(?)
簡単にいうと。「~られる」っていう言葉は「できる」と「される」の意味がいっしょくたになった言葉なんだよ。
・見られるは、「見ることができる」と「覗かれる」って意味の両方で使えるし。
・食べられるは、「食べることができる」と「食べ物を盗まれた!」って意味の両方を持ってるし。
それを会話で言われるとどっち?ってなる。
@@blackbear6306
そうですよね!日本語って難しいですね🙄🙄
大抵の言葉の乱れは気にしないけど「~だわ」を「~だは」って表記する人にだけは拒否反応出る。お前は宇多田ヒカルかよ
おすすめに出て来たので見たんだけど、耳に心地良すぎる
「乱れ」はたまに感じることはあるけど、そんなに訂正しようとは思わない(実際、自分もよくら抜き言葉を使うし)
それとは別に「○○せざるを得ない」を「○○せざる負えない」「○○せざる追えない」みたいに書いてるのは結構訂正したくなることはある
ただ、誤用云々に厳しくしたら、性的嗜好の意味でつかう性癖は誤りだから改善されるべきだみたいになるし、その時々における「誤用」には寛容であるべきだとは思う
「草」とか「まじ?」とか「すごい」とか、自分でも語彙力が無くなっていくのは何となく感じますね…
そこにスマホで何でも調べれば分かる時代も相まって更に使う語彙が減った気がします。
声とテンポ 完璧 聞きやすい
逆にこんな適当に使って理解出来る言語ってすごくね?
常識と言葉は常に変化する
この人字幕の自動生成精度良すぎやん。
ら抜き言葉は「発音したときの響きが頭悪そうに聞こえてあんまり好きじゃないけどもう色んな世代に浸透してしまってるし仕方ないよね」って感じで流し見してるんですけど、時々その変化球で「行けれる」とか「刺せれる」みたいな"れ入り言葉"を使ってくる人がいて、それだけは受け付けることができませんでした⚰️
それとは別に「とゆー」「私わ」「気おつける」「いちよう」「とうり(とおり)」「永遠と」「うる覚え」系を使ってくるタイプも苦手です
『読めれる』とか『見れれる』とかのら抜きの派生バージョンの表現(?)も出てきてる。そんなアホいないでしょって思う人もいるだろうけど、Twitter検索かけたらいくらでも出てくるよー。
ことラボさんの動画はシンプルかつとても見やすい編集と落ち着いた雰囲気など全体的にすごいNHKっぽさを感じます。
いつも興味深い配信ありがとうございます
普段使う言葉を意識はしている中で、
『日本語の乱れ』を感じるのは、
端折った言葉や、外国語を挟んだ会話に感じることがあります。
多分、意味が解らない時に感じてるのだと思います。
『正しさ』は『意味』が間違えて無ければいいと感じます。
単純に通じれば良いかと思っております。
それと相手に対する思いやりのある会話ですかね
チャンネル登録して応援しますので、
これからも興味深い配信をお願い致します
正しい日本語といっても、どの時代の日本語を正しいとするのかハッキリしていないので、
「言葉使いが悪い」という考えはあっても、「日本語の乱れ」というのはバカバカしい考えだなと思っています
何十年も「ら」入りで慣れてしまっているので、今さら「ら」を抜いてくれと言われるとすごく戸惑います。
ただ、日常会話で「それは間違ってる」と目くじら立てる程でもないかと。
あと、会話で使う方が文章で使うより違和感が少ない気がします。
言葉は相手に自分の考えていることを伝えるのが目的ですから、
伝わりやすく「変化」していくのは当然だと僕は思います。
「言葉は変化していく」「言葉は生き物」というのはよく聞かれます。
正しい言葉を知った上で、合理性から判断し変化を認めることも大事でしょう。
ただ、コロコロと変わりすぎてしまっては困ることも多いです。
たとえば「おじいさん世代と孫世代で会話がまるで通じない」となると
ほんの30年前の文献を読むだけなのに辞書を引きながら・・・となってしまいます。
合理性に則って変化を認めながら、頻繁な変化はある程度抑えるというようなバランスが大事なのかなと思います。
「正しい言葉」を認定する機関にもバランスを大事にしてほしいですね。
文章を書いて困るのは読み方が複数発生してしまう言葉があることです。たとえば「認める」「開く」「誘う」「労った」「表して」「退く」ほか多数。小説などの場合にはこの読み方で雰囲気が変わってしまうので困ります。やむなく「誘なう」のようにあえて不正な書き方をすることもありますがそれができない言葉も少なくありません。
内容は興味深いし、いい声だしチャンネル登録しておきますね
最初の ニョキって登場するの好き
素晴らしいです。これからも応援しています。Well done!
時代は変化するものだと分かってはいるけれども、気になるものはきになる。
「こうゆう」、「てゆーか」、「ゆってた」はよく見かけるし、1番気になる。正しくは「こういう」、「というか」、「言ってた」
あとは「せざるを得ない」を「せざる負えない(漢字は違う場合もある)」って書いたり、「雰囲気(ふんいき)」を「ふいんき」って言ったり。
ら抜き言葉は気になるといえば気になるけど、前述した3つほどではない。ただ、言われたり見たりすると少しだけ不快感がある。
同じく変化するものと理解は出来ていますが、気になる者です。
私の場合「こうゆう」「てゆーか」「ゆってた」「雰囲気」+「体育(たいく)」等は会話していて音としては
勝手に脳内変換してくれるのですが、これらを文字としてチャットやメールで押し通そうとされると不快感がありますね。
「私は」とか「こんにちは」を「私わ」や「こんにちわ」にしてるのは見ると更に不快感が増しますね。
両者ともにめっちゃわかるww
それに「正しい形に変えた方がいいんじゃない?」ってコメントしたら、関係ない奴が
「別に意味が分かればいいじゃん」とか返信してくるのも不快感がすごい。
これまでと違って、インターネットを通じて言葉のウネリは加速してると思う
だから一概に日本語の変化が良いとは言えないと思う
滑舌悪かったり吃ったりして会話にならない時があるので「らりるれろ」全て抜いてる時もあります。
この人初めて見たけど懐かしい感じがする
あとめっちゃわかりやすい
受動と可能が同じ表現なのは流石に嫌だなぁ。ある意味必然の変化。
ことラボを見つけて以来、りょうさんの取り上げた話題についてもっと知りたくなったり、友人と話したりとても刺激になっています。素晴らしい動画いつもありがとうございます。ら抜きは母からよく注意されました
動画の作りとか話し方がNHKっぽくて好き
日本語ってものすごく自由で、自由すぎて制御できないくらい難しい言語だと思ってる。だからよっぽどおかしな文法とかでない限り伝わればそれでいいんじゃないかなって
下から生えてくるの大好き
新しい言葉は外に出るだけで触れられる。
古い言葉は態々学ばないと触れられない。
今は今として、古い物に敬意を払い学ぼうとする心意気が品の良さとして個人の振る舞いに出るのではないでしょうか。
「乱れ」というのは自分が良ければ他はどうでもいいという「調和の乱れ」から来てると思います。
声いいなおい
わかりやすかったです
今が良くないとは思わないけど年配の方の敬語は理屈抜きに美しいと感じるよ
とはいえ、規範意識の無い人ばかりだとそれはそれで問題ある。文法にうるさい人も捨てたもんじゃない。
結局今までの言語の歴史の中には、常に「変化にのる人」と「変化にうるさい人」がいた訳ですからね。
変化にうるさい人による抑制も全て含めて言語の流動なのでしょう。
@@maritsu729
その抑制が無いと変化が激しすぎて、祖父母と孫で会話か成り立たなくなってしまうかもしれませんね。
変化を肯定する集団と好ましくないとみる集団とでは乱れの定義にも従来の言葉への理解にも共通の基盤が無いので議論が成立しない。一語一語が変化しても文法が守られている限りは乱れとは言えないのかもしれないが近年は主語の一貫性が無かったり格助詞の使い方が間違っていたりしてそろそろ文法もこれまでかと思わなくもない。
「ら抜き」の方が有能なの草
「ら抜き言葉は間違いなんだ」という根拠もないなんとなくの規範意識だけで「日本語として合理的に進化」しているら抜き言葉を批判し馬鹿にしてる現状
日本らしいといえば日本らしい
ことラボが筋トレの動画とか出し始めたらめちゃくちゃ面白い
ら抜き言葉をあまり使いたくない気持ちもあるけど、受け身や尊敬と間違えられるのも避けたい気持ちもあるから「~することができる」を多用してしまう
分かりますw
ただ、皆が使う事で国語の正書法は変わりますからね。
自信を持って、ら抜き言葉を使って行きましょう!
作文だとこれが文字稼ぎになって重宝したものです
日本語は外国語が入って来ても、寛容に取り込んで日本語にする。
男言葉に女言葉があり、書き言葉と話し言葉があり、寛容な反面多彩です。
正式な文法=正しい文法とは限らないので、
逆に、正式でない文法=間違った文法とも限らない。
正式な文法を否定すると日本語の体系が崩れるのが恐いので、
今流行ってる派生形の文法、って認識が一番良いと個人的に思う。
私も口語では「ら抜き」をよくしますし、「言う」を「ゆう」と言ってしまいます。ネット上でも文法はめちゃくちゃですし。ですが、作文や論文、契約書などでは、正しい文法を使うべきだと思います。これらはどの世代、地域にも共通で理解できなくてはならないし、その為に学校で「共通語」を学んでいるのでは、と。
あくまで個人の見解ではありますが、最低限その様な記録で残されていれば後世にも物事が伝わりやすくなりますし、解釈違いも減りますよね。「口語は変化しても、共通語はそのまま」がいちばんいいのでは?
今はしないけど、「いや、別に…」の「に」を抜いて「いや、別…」って言っててよく指摘されたな。
私の家族は方言としてら抜き言葉でした。
家族、親戚 近所もそうでしたら引っ越しさきの学校で指摘されて、びっくりしました。
言葉が乱れているとかいないとかは常にその使い方に関してのみ語られて「言葉が時につれて変化するのはやむを得ない」という結論に至る。ところが今の世には存在そのものが間違っている単語があるがなぜかこれが指摘されることはない。
「易しい」は「難しい」の程度が少ないだけで難しさという尺度の途中にあるがこの二つを反対の言葉と誤認して「難易度」と言う人がいる。「高度」を「高低度」、「速度」を「速遅度」とは言わないのを見ても難しさの程度を表す言葉は「難度」であって「難易度」が誤りなのは明らかである。