社内事情で計画大幅変更?最初は全く違ったR390のプロジェクト【解説】【日産 R390 GT1】【ルマン24時間レース】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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今回は日産が90年代後半のルマン24時間レースに投入した、R390のエピソードを解説してきます。
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ルマンで3位表彰台を獲得した年に、星野さんへインタビューした関谷が、星野さんが表彰台に立つ姿を見られて嬉しいと泣いたのが印象的でした。
ご本人自体ルマンウィナーなのに そういう関谷さんに好感が沸く
メーカーは違えど壮絶なCカー時代を共に追いかけた戦友のような感覚があったんだろうね。
R390はデビューイヤーは速さはあるけど信頼性がなくて信頼性を得た頃にはTS020を筆頭としたマシンに速さで劣るという…
結果的に信頼性を武器に表彰台を獲得したのは凄いなと思いますが
グループC終了後最速のオープンプロトがあまり好きではなかったのでGT1が主流になってきたのは嬉しかったですね
それだけに日産がオープンプロトに移行したのは残念でした
日産って大体いつも変なこだわりのせいで世界的なレースの成功できないよね
GTR LM... デルタウイング… うっ頭が…
最終目標が何かを忘れてますね。
ベン・ボウルビーと米日産の食い物にされて……
屋根付きのマシン←こういう考えで結果を出せていないのが、いかにも日産て感じ
GT7で再録してほしい車のひとつ…成績はイマイチだったけど、スタイルはほんとすこ…
くっそわかる
1位にはなれずとも全車10位以内に走破したと言う安定感は評価されるべき
懐かしいですね。特にトランクの件は大変印象に残ってます。此処の詰めの甘さが・・・それが日産。ラリーのパルサーグループAでもやらかしてます!。
山内くんTS020とR390実装はよ
日本勢が強いと急遽規定変更しがち
「いぶし銀の日産」って感じのマシン
飛び抜けた強さはなかったけど堅実な速さがあった
今のスーパーGTで見られる日産応援団はこのマシンでの参戦の際の応援ツアーに行った皆さんが始まりなんです。
個人的には、R390のデザインからはどこかMID4-Ⅱの面影を感じます。もしもMID4が市販化されていたら、似たデザインの日産車がJGTCでも走っていたかも。
とあるゲームで突然ロードカーバージョンが実装されて一目惚れしてしまった車
R390ちゃんほんと好き
同時期のTS020なんか特にだけど、ポルシェとかメルセデスと比べても、なんというかプロトタイプというよりスーパーカー感
格好いいよな、うん
スーパーカーフェスに混ざってても違和感の無いデザイン
R390でル・マン24時間レースを戦ったエリックコマスが30号車を白と赤の日の丸カラーにしてストリート仕様にデチューンして乗っていますよ。
実質スーパーカーじゃん!
プリンス自動車の生まれな『スカイライン(GT-R)』や、ジャガーベースの『R390』だったのは、
日産本流の『フェアレディZ』の名前で参戦して傷つくのを恐れた為とも。
ホモロゲ用のロードカーを札幌日産で見たけど、国産カーには異質な危険な雰囲気が有ってエロチックでカッコ良かった。
R390‥‥ 参戦当時は優勝を目指す!とキャンペーンの様な事をしていた記憶が😅
ギヤボックスのトラブルが続いて大変だった→急遽トランクスペース確保での冷却問題から‥と言われていますが、使われたギヤボックスはXtrac製→実はCカー時代にプジョー905用に開発されながら、(色々と問題あり?!)不採用になった物を使った様ですが😰
日産は本気でもTWRとしては外注ビジネスの1つ位の気持ちだったかも‥と思うこのR390です😰
R390は98年の7大ワークス大激突の大激戦で後方を走ろうとも最終的にNo.32が3位に入り日本人トリオの表彰台を達成し全車完走も果たした98年仕様が好き
翌99年日産はR391というオープンプロトマシンで参戦するが1台は予選でクラッシュしリタイア,もう1台は電気系トラブルでリタイアし完走ならず。翌年以降も当初は参戦予定だったが社内事情が絡み参戦は実現せず15年まで日産はル・マンから姿を消すことに(なお計画通りに参戦してもアウディにボロボロにされるだけだったと思う)
実車のタッチペン等使うと、縮小されたプラモデルでは、仕上がってみると、イメージより色が薄かったり濃くなるので調色を行うとよりリアルになります。
TWRに色々任せた結果、部品が日産じゃない普通の市販車の部品使ってて、手作り感あるのすき。テールランプがフィアット クーペだったり
これでもGT-R LM NISMOよりマシなのはなぁ
まああれもせめて2、3年やってみて欲しかったが無理か
R390と言うとプラモデルやラジコン(タミヤや京商みたいなホビーラジコン)では97年モデルしか無いんですよね。
98年モデルが欲しいですが。
Zのライトにウインググリルと日産だと解るグッドデザイン
ポルシェもメルセデスも自社と解るデザインでGT1盛り上げてたのに
TS020の空気の読めなさは逆に凄いなと…
トヨタのアイデンティティは何?と言われたら難しいけど
ライバルのポテンシャルアップ著しく、思ったより予選タイムが上がらないので、鈴木亜久里選手が【もう一回やろうよ、もう一回やろう】と焦燥しきった顔で、言っていたのを思い出した。
日産R390は、F1チームのウィリアムズから技術供与を受けていたんですね。でも、フェアレディzで参戦しないのは何故なんですかね?
日産って役所みたいなトコロがあって、役員の気まぐれみたいな方針変換でうまく行くものもダメになるよな。現場の人たちが可哀想すぎる。
97年のカラーリングが好きだったけど、リアのデザインがちょっと😅
98年はカラーリングがちょっとだけど、リアのデザインは好きだった😊
XJR-9のシャシをベースに作ったXJR-15
それをベースに作ったR390
これならR92CPのシャシでも良かったのかなと思うところもある
あとVRH35Lは予算がなくてリストリクターをつけて調整した程度で改良までできなかった。
結局中途半端になってしまったのは、R89Cの前の時にもあった社内干渉
日産の体質ゆえか
フロントグリルは、
その当時の日産車に多く見られた
(プリメーラ等)のデザイン、
ヘッドライトはZ32、
テールランプは、スカイラインと、
その当時の日産車のデザインを
持ち合わせているそうです。
と、解説の方が言っていたような…
テールランプはフィアット クーペのテールランプですよ。
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一般的には「クーペ・フィアット」と呼称されてます
変な横やりが入らなければ最初からR391のようなオープンプロトを制作して、もっと好成績挙げられたかも。オープンに変えたタイミングも悪かったという悪循環はまさにゴーン体制以前のドタバタ。
VRH35Zは後に出るマクラーレン MP4-12Cのエンジンに大きな影響を与えてるとか?
MP4-12Cのエンジンのルーツになったのは、インディカー向けに開発されたVRH35Aというエンジンで、開発ベースははR391用のVRH50A、更に遡ると、シーマやプレジデント等に搭載されたVH型エンジンをベースにエンジンになります。
VRH35Zは日産のエンジン命名規則の関係で型式こそ似てますが、全くの別系統なんです。
98のグラデーション市松模様は塗装じゃなくてラッピングだけど、塗装した場合とどちらが軽くできたんだろう?
まあ、塗装だと2台+スペアカウル含め用意するの大変だろうけど
カーメーカーなら屋根付きでとGT1に参戦、レギュレーションの変更もあったろうけど3年の予定を2年で切り上げて結局オープンに変更するとかなんかね
ラッピングの方が遥かに軽いのです。
塗り分けなんかしちゃったらボディに流れる空気が変わったり大変です。
スポンサーのステッカーは全てラッピングに印字されているのです。
最近のレースゲーってなぞにGT1ロードカー収録されてるの多いよね
屋根付きに拘るのなら車体を自社開発するくらいの気概を見せようよ…
ほんと日産の耐久レース挑戦で良い体制を取れた時期が短いですね
Z32のヘッドライトを流用したやつだな。
やっぱりオープントップのマシン出ていれば!
R390は思い出深いマシンではあるのだけれども、この頃のニッサン陣営のドタバタぶりを思い返すと惜しいことのてんこ盛りでしたね。
R33GT-Rをベースにしたマシンで2年もの時間を費やしたのも惜しかったし、LMPクラスに行けば有利になったのに社内の反対もあって
GT1クラスで出るというイバラの道を選択したのも結局は時間の無駄遣いになってしまった・・・
プリンス自動車の時代からあるバカ正直さと日産特有の社内抗争の影響で現場が苦しめられてしまったのがなんとも残念です。
99年のR391はカラーリングも相まって超カッコよかったし、富士でトヨタのGT-Oneを凌駕してみせたのを考えるとホントに惜しい5年間だったと思います。
スカイラインGT-Rとともに日産といえばこのマシンだよなあ。次はカリブラとフォーカスWRCを挙げてほしい。でも一番の表記が違う。😂
R391だって腰を据えて三年がかりで取り組めば結果を出せたろうに
本選中にピットレーンでオイルクーラー追加してたのよコレ
メカニックの「アッチアッチ~」ってのが聞こえてきそうだった
当時の実況だとエンジンブローって言ってたけど、ミッションだったのね(メモメモ
亜久里さんが仲介した
変な横やりって言う人居るけど、やっぱ形だけでも市販されてる公道マシンで参戦するって事が市販車メーカーにとって大きいって意見も一理あるし、当時はGT1カテゴリの人気凄かったからそこに参戦するって経営判断自体は間違ってなかったと思うなあ
個人的にはスタイルはカッコいいと思いましたが、一発の速さというよりも安定のマシンだったのかな。
がっ、R390、R391も台無しにするFFのGT-R LM nismoとは何だったのだろうか…
12:18 その後の1999年では後継マシンの『R391』でルマンに参戦したが、クラッシュによるリタイアに終わってしまい、結果を残せなかった。
富士1000kmではトヨタを破り、見事に優勝を遂げている。
99年に経営破綻の危機を迎える状況なのに、90年代も相変わらずこんなレース道楽をやってた、やっちゃた日産。
タミヤのプラモデル作って911GT1とTS020とCLK-GTRと並べたら各社の市販車ベースの解釈の違いが出て面白い、トヨタはおいといて一番市販車ベースに忠実なのはポルシェだね。
日産て本当にルノーに似てるよね。類は友を呼ぶと良く言うけど、F1でのアルピーヌ(ルノー)のお家騒動しかり
日産ことごとくダメだな
特に391デルタウイングニスモGT-R全然ダメ
ACOの日本車嫌いは有名だけど、その影響をモロに受けたのは日産でしたね。
嫌われても尚ル・マンを連覇したトヨタは凄いとしか言えません。
でも日本のJTCとかJTCCの外車締め出しも酷かったので、村社会ではあることなのでしょうね。
ファンは只々素晴らしい性能のマシンが速く走る姿を見たいだけなのですが。
時代によって違うのかもしれませんが、寺田陽次郎氏を理事に迎えてますし、日本メーカーをルマンに呼び戻したいという意思が見えたように思えます。
クローズドボディに拘った当時の日産役員97年98年の優勝を棒に振った責任はどう取ったのだろうか?
これで駅人とらなかったならゴーン以上に会社に損失を与えたとしか言いようがない。
自社開発とはいうけどさ、実際は社外の技術買い漁りだ
特許というものかあってね、思いついただけで技術を独占できてしまう
実際にエンジンを開発するメーカーはプロデュースでエンジンを作ってる
プロデュースはそれはそれでスゴイ能力、技術の価値を見極める眼力たるや
ホンダもトヨタも同じね
全てを内製できるなんて事はありえない、そういう社会制度
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