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若かりし頃のベルガーさんがB186を駆ってメキシコGPをタイヤ無交換で初優勝したのは素晴らしい記録だと思います。
86年のベネトンのBMWエンジンなんだかんだ 言ってすげぇ💦👍83年のブラバムのでも凄まじいのに直4ターボに果てしない可能性を見出した💦👏13:42ハースからさらにベネトンにも改良型が搭載されてたこのV6のヘッドカバー開発者が同じなのかインディーでのDFSのV8エンジンのヘッドによく似てますね👍187のベネトンの背中のカウル形状は後にNA時代には他のチームにどんどん受け入れられていきましたね。ウィリアムズやロータスあたりも。自分は結構好きです👍メカクローム自身の名義ではイマチイでしたが、時は流れて 再びルノー名義のエンジンとマシンでさらにスペインの英雄ドライバーを招き入れ また栄光へと慢心する時代へと🏆
市販車ブロックというのも凄い話だし最廉価モデルというのも凄い後年は長距離乗ってやれたシリンダーブロックのほうがパワー上げられるとかウケるその市販車はカローラ、サニーレベルの性能というロマンの塊
@@負けた代 Fordも直4を純レーシングとの互換性を目指してた時期はありましたが結局はハートがF2に参加する頃には妥協も見られましたね💦そういう意味ではBMWは摩訶不思議な技術なメーカーでしたね👍
90年鈴鹿でのモレノの涙の2位フィニッシュはずっと忘れない
1:07:15 懐かしの8bitコンピュータ、TRS-80 Model 100が繋がれてますね。1994年だと既にWindowsが動くノートPCがあった時代ですが、電源がないところでデータを吸い上げるのには単三電池で動くPCのほうがまだ実用性があったんでしょうね。
秋葉原で、まだ当時高級パソコンだったマックのパワーブック100が14万で特売されました。私は98ノートNSRを愛用していました。ダイナブックは亜久里のCM、中嶋さんはセイコーエプソンとF1とパソコンは仲良し。
ベネトンに初勝利をもたらしたベルガーが、97年にベネトン最後の勝利を挙げたことにも触れて上げてください。
ベルガーにとってもキャリア最初と最後の優勝なんですよね
これ面白い事実ですね。まさに宿縁といった所か…
似たような事例で言うとセナがデビューしたトールマンをスポンサードしていた『セガフレード』がセナ最後のチーム、ウイリアムズ・ルノーもスポンサードしていた事。オマケに何だか『セガフレード』ってセナって言葉にも通じているような…
B186のカラーリングが秀逸、記憶に残るマシン
面白いですこのチャンネル
ミハエルシューマッハが連覇して以降はマクラーレン、フェラーリの復活やジョーダンの台頭と引き換えに信じられないほどにベネトンは不振でした…アレジ、ベルガーコンビは辛うじて意地を見せフィジケラも奮闘するがルノー撤退とミハエルシューマッハがフェラーリ行き、ゴタゴタの体制が語ってるかも
92年限りでホンダがF1から撤退して92・93・94年のベネトンフォードはホンダ・ルノーを上回るパワーはあった。
マクラーレン最強時代のピケ&モレノの1.2と翌年カナダのピケのタナボタ優勝(マンセルキルスイッチ事件)はベネトンの歴史を語る上では忘れられない
福岡市に天神イムズがあった頃トヨタのショールームがあってグッズ売り場には結構たくさんのモデルカーかあった。186が売られていたが少し高額で眺めているだけだったがしばらくして安くなって4000円位で買った。エンジンが精密に再現されていて、直4シングルにとってターボは一張羅。186は調子に乗ったイタリアンの強さをクルマで表現している作品だと思ったな。元メカニックの津川さんの本を読んだらどれだけすごいかがよくわかる。1992年スパ。シューマッハの初優勝はいよいよこいつの時代が到来したなと思う反面、セナにやっつけてほしいという気持ちもあった。あと、このレースでのちにシューが世話になるフェラーリが、モンテゼモーロ体制になってからの最初の市販車456を発表。フェラーリはこの車から明らかに市販車の品質が向上していきやがてF1にも。翌年後藤治さんが招かれホンダ技術を学ぶ。偶然だろうが何かの縁を感じる。1994年。セナがいなくなってもなかなかうまくいかなかった。セナの訃報を生中継で知った時に、私はつい「面白くねぇ!」とテレビに怒鳴っていたが、シューマッハの無双が思い浮かんでしまった。ただ、セナの亡霊のせいかベネトンに様々な災難がふりかかった。あと、案外ヒルも粘っている。最終戦のクラッシュはこの年のF1を締めくくるに充分な場面だった。テレビ中継のドイツは馬場さんの解説だったかと思うが、ガーちゃんが久しぶりフェラーリ優勝。2位3位がリジェだったような。フラビオがリジェ買収後のレース。「恐るべしフラビオの経済力!」。馬場さんの解説は偶然だろうけど、経済力以上に魔力を持つフラビオ。1995年。195をグラトクの表紙で最初に見た印象は「走る凶器」だった。カラーリングも緑が消え、10気筒になったとは思えない位締まって小さく見えた。予想通り序盤戦はスピンやクラッシュが多く、前年度のFW16を思い出してしまった。それでも危機を脱し凶器から武器になってジョニーが優勝できるマシンに。シューマッハもタイトルを獲たが最後までシューマッハスペシャルのままだった。個人的にはこのようなマシンを乗りこなす部分にロマンを感じる。1996年。お披露目がアレジの故郷のシチリア島の遺跡だったかと思う。移籍に関してシューマッハとアレジは仲良しだからいろいろ会話もあっただろう。アレジだとカミソリマシンも楽しく乗れるだろうし、ガーちゃんもレギュレーション変更で多少タイトなコックピットも少しは楽に走らせられるのではと考えたがそうはうまくいかなかった。モナコは本当に惜しいことをしたな。パニスの初優勝でF1くじで勝った人はいくらもうかったのだろう? ちなみに91年イギリスの亜久里のオッズは1000倍だったとか。フラビオはこの後も魔王のままで居続けるが、2006年のあるレースでアロンソの猛追を受けるシューマッハをモニターで眺めながら笑っている場面が面白かった。「昔のお前が後ろにいるぞ」だった。同じマイルドセブンカラーだったし監督もフラビオ。アロンソの振る舞いは当時のシューマッハに似ていた。復活の皇帝「瞬馬赤」(もっと正確に書くと赤を細く縦長にし2つ横並び)の白熱の攻防戦だったがしんみりしてしまった。
トールマン → ベネトンの変遷時に津川さんが居たのがすごい。
帰って来たブリアトーレさんには、また物凄いものを期待してしまいます。「他社製PUにルノーバッジをつければ最強のルノーPU完成!」とか、普通にやりそう。
レッドブルタグ・ホイヤーの逆バージョン(中身はルノー)
実際ブルーが商品カラーのマイルドセブンをルノーの企業カラーのイエローに変えろ!って言ってましたしね。
現代社会には最早通用しないだろう😅
自分の中ではマーチ881,フェラーリ641/2,FW14B,ティレル019と並んで歴代美しいマシンがベネトンB189。
86~89年は毎年エンジン仕様が変わっても一定の速さがあったし、ずっとランキング3~4位をウロウロ出来たのもバーンとシモンズのコンビネーションが良かったのかな、違う意味でそれがチーム力の限界だったかも。 でもやっぱり亜久里さん達が乗れれば、、、、、未だに悔やむ。
90年の鈴鹿で、直前にナニーニ選手が大怪我をして、その代役に出場したモレノ選手が2位入賞、優勝したピケ選手と大号泣で抱きあっていたのが印象的です😭😭😭
1994年のマシンがカラーリングも含めて一番かっこ良かったです(レギュレーション変更前)。
ナニーニ大好き
このシリーズめっちゃ好き!保存版決定です🎉
イタリアンマフィアフラビオブリアトーレこの人無くしてベネトンは語れない
自分のフォードのリアウィンドウにベネトンステッカー貼ってた懐かしい
「MILDSEVEN」のロゴが入ったシャツ持ってたなあ、、
これを見るだけでも分かる -悪の親玉- ブリアトーレおじさんの凄さw シュタイナー親分や冷徹クリスチャンが可愛く見える。
B196の リアウイングから伸びてるものは何?
ダウンフォース確保とタイヤ周り整流の為に採用されたウィングレットです。これはベネトン以外のチームでもいくつかのチームが採用しています。
@@350A なるほどありがとうございます てっきりただの板なのかなと思ってました
ありがとう❤ベネトン💚
苦労人のモレノが報われたと思ったのも束の間シューマッハ獲得のためシートを奪われるとかかわいそう
まずはアルピーヌのグリッドだけ、レースクィーンの復活とか
ベネトンで優勝したドライバーはゲルハルト・ベルガー、アレッサンドロ・ナニーニ、ネルソン・ピケ、ミハエル・シューマッハ、ジョニー・ハーバートの5人
フエルナンド・アロンソもいるよ。2年連続でチャンピオン獲得。
勝つ為には何でもしちゃうブリアトーレの凄みを感じる。ここ最近突然腸が良くなったアルピーヌも復帰したブリアトーレが暗躍してるのかも?(褒め言葉)
ロリーバーンこそ空力の天才
ただひたすらシューマッハと鰤の肝の小さな奴だったという話
当初、ティレルにスポンサーとして付いた時から『服飾メーカーがモータースポーツにスポンサードするとか…意味わかんね〜わ』って思ってましたが、トールマンを買収した辺りから『このチームはもしかして凄いのか?』と思い始め…B186のファビとベルガーのコンビでシーズンを引っ掻き回しましたね(*^^*)まぁ…ブリアトーレが加入してから、めっきり怪しくなったチームでしたが…
ピーター・コリンズとはつまり便利屋、でしょうか?他に良い形容は、ありますか?
ナニーニが大好きだった。ヘリコプター事故の無い世界線を見てみたかった。
日焼けしたフラビオ兄貴を思い出すw
M12/13はシングルターボやで😊
その通り!!
んじゃあなんで98年のミナルディは中野選手を乗せてたのにエンジンが無限じゃないんだ?
94年のベネトンフォードには不信感しかない。ルノーV10と比較して非力なフォードV8ゼテックRエンジンで当時のウィリアムズルノーと互角にやり合っているのは明らかおかしいかと。さすがにホッケンハイムでは差が付いていたけど。
ブリアトーレさんは…シムテックを撤退に追い込んだ方じゃなかった?
90年のB190はロリーバーン制作で、バーナードは91年のB191に開発に集中していたはずと記憶していますが?(寺本さんや津川さんの証言があります。)
1990年のB190は基本設計をロリー・バーンが行いジョン・バーナードが改良を加えたという見方が正しいと思います。①翼端板の形状がロリー・バーンオリジナルのデルタ形状ではなくオーソドックスな形状を採用している②フロントサスがプルロッドからプッシュロッドに変更されている。③ディフューザーがオーソドックスな形状。①と③はバーン復帰後の新設計B192でバーンオリジナルに戻されています。余談ですがB192はノーズ位置をもっと高くしたかったそうですが衝突時にドライバーが危ないという理由で高さがある程度抑えられたとか。
@@350A B190のフロントウイングは前年のウイング形状が失敗したから、(グランドエフェクトの効率を上げたが、シビアになりすぎこの形状になったと言っていたと思いました)開幕戦にB189Bでフロントウイング形状を確認してB190で投入している。
ブリアトーレが三度の伝説を作り上げるのか?プロストみたいにブチキレ離脱するのか?
ベルガーって若い頃はタイヤマネジメントが上手だったのにベテランになってから誰より先にタイヤをダメにしてたイメージ。なんでだろー?
F1のレギュレーションと言う名のルール、抜け道や裏技を欧州の仲間がやれば合法で見逃され栄光を手にする所詮は欧州の金持ちの遊び日本やアメリカが活躍する事は求められてない
若かりし頃のベルガーさんがB186を駆ってメキシコGPをタイヤ無交換で初優勝したのは素晴らしい記録だと思います。
86年のベネトンのBMWエンジンなんだかんだ 言ってすげぇ💦👍
83年のブラバムのでも
凄まじいのに直4ターボに果てしない可能性を
見出した💦👏
13:42
ハースからさらに
ベネトンにも改良型が搭載されてた
このV6のヘッドカバー
開発者が同じなのか
インディーでのDFS
のV8エンジンのヘッドによく似てますね👍
187のベネトンの
背中のカウル形状は
後にNA時代には他の
チームにどんどん
受け入れられていきましたね。
ウィリアムズやロータスあたりも。
自分は結構好きです👍
メカクローム自身の
名義ではイマチイでしたが、時は流れて
再びルノー名義の
エンジンとマシンで
さらにスペインの英雄ドライバーを招き入れ また栄光へと慢心する
時代へと🏆
市販車ブロックというのも凄い話だし最廉価モデルというのも凄い
後年は長距離乗ってやれたシリンダーブロックのほうがパワー上げられるとかウケる
その市販車はカローラ、サニーレベルの性能というロマンの塊
@@負けた代 Fordも
直4を純レーシングとの
互換性を目指してた
時期はありましたが
結局はハートがF2に
参加する頃には
妥協も見られましたね💦
そういう意味では
BMWは摩訶不思議な
技術なメーカーでしたね👍
90年鈴鹿でのモレノの涙の2位フィニッシュはずっと忘れない
1:07:15 懐かしの8bitコンピュータ、TRS-80 Model 100が繋がれてますね。1994年だと既にWindowsが動くノートPCがあった時代ですが、電源がないところでデータを吸い上げるのには単三電池で動くPCのほうがまだ実用性があったんでしょうね。
秋葉原で、まだ当時高級パソコンだったマックのパワーブック100が14万で特売されました。
私は98ノートNSRを愛用していました。ダイナブックは亜久里のCM、中嶋さんはセイコーエプソンとF1とパソコンは仲良し。
ベネトンに初勝利をもたらしたベルガーが、97年にベネトン最後の勝利を挙げたことにも触れて上げてください。
ベルガーにとってもキャリア最初と最後の優勝なんですよね
これ面白い事実ですね。
まさに宿縁といった所か…
似たような事例で言うとセナがデビューしたトールマンをスポンサードしていた『セガフレード』がセナ最後のチーム、ウイリアムズ・ルノーもスポンサードしていた事。オマケに何だか『セガフレード』ってセナって言葉にも通じているような…
B186のカラーリングが秀逸、記憶に残るマシン
面白いですこのチャンネル
ミハエルシューマッハが連覇して以降はマクラーレン、フェラーリの復活やジョーダンの台頭と引き換えに信じられないほどにベネトンは不振でした…
アレジ、ベルガーコンビは辛うじて意地を見せフィジケラも奮闘するがルノー撤退とミハエルシューマッハがフェラーリ行き、ゴタゴタの体制が語ってるかも
92年限りでホンダがF1から撤退して92・93・94年のベネトンフォードはホンダ・ルノーを上回るパワーはあった。
マクラーレン最強時代のピケ&モレノの1.2と翌年カナダのピケのタナボタ優勝(マンセルキルスイッチ事件)はベネトンの歴史を語る上では忘れられない
福岡市に天神イムズがあった頃トヨタのショールームがあってグッズ売り場には結構たくさんのモデルカーかあった。186が売られていたが少し高額で眺めているだけだったがしばらくして安くなって4000円位で買った。エンジンが精密に再現されていて、直4シングルにとってターボは一張羅。186は調子に乗ったイタリアンの強さをクルマで表現している作品だと思ったな。元メカニックの津川さんの本を読んだらどれだけすごいかがよくわかる。
1992年スパ。シューマッハの初優勝はいよいよこいつの時代が到来したなと思う反面、セナにやっつけてほしいという気持ちもあった。あと、このレースでのちにシューが世話になるフェラーリが、モンテゼモーロ体制になってからの最初の市販車456を発表。フェラーリはこの車から明らかに市販車の品質が向上していきやがてF1にも。翌年後藤治さんが招かれホンダ技術を学ぶ。偶然だろうが何かの縁を感じる。
1994年。セナがいなくなってもなかなかうまくいかなかった。セナの訃報を生中継で知った時に、私はつい「面白くねぇ!」とテレビに怒鳴っていたが、シューマッハの無双が思い浮かんでしまった。ただ、セナの亡霊のせいかベネトンに様々な災難がふりかかった。あと、案外ヒルも粘っている。最終戦のクラッシュはこの年のF1を締めくくるに充分な場面だった。
テレビ中継のドイツは馬場さんの解説だったかと思うが、ガーちゃんが久しぶりフェラーリ優勝。
2位3位がリジェだったような。フラビオがリジェ買収後のレース。「恐るべしフラビオの経済力!」。馬場さんの解説は偶然だろうけど、経済力以上に魔力を持つフラビオ。
1995年。195をグラトクの表紙で最初に見た印象は「走る凶器」だった。カラーリングも緑が消え、10気筒になったとは思えない位締まって小さく見えた。予想通り序盤戦はスピンやクラッシュが多く、前年度のFW16を思い出してしまった。それでも危機を脱し凶器から武器になってジョニーが優勝できるマシンに。シューマッハもタイトルを獲たが最後までシューマッハスペシャルのままだった。個人的にはこのようなマシンを乗りこなす部分にロマンを感じる。
1996年。お披露目がアレジの故郷のシチリア島の遺跡だったかと思う。移籍に関してシューマッハとアレジは仲良しだからいろいろ会話もあっただろう。アレジだとカミソリマシンも楽しく乗れるだろうし、ガーちゃんもレギュレーション変更で多少タイトなコックピットも少しは楽に走らせられるのではと考えたがそうはうまくいかなかった。モナコは本当に惜しいことをしたな。パニスの初優勝でF1くじで勝った人はいくらもうかったのだろう?
ちなみに91年イギリスの亜久里のオッズは1000倍だったとか。
フラビオはこの後も魔王のままで居続けるが、2006年のあるレースでアロンソの猛追を受けるシューマッハをモニターで眺めながら笑っている場面が面白かった。「昔のお前が後ろにいるぞ」だった。同じマイルドセブンカラーだったし監督もフラビオ。アロンソの振る舞いは当時のシューマッハに似ていた。復活の皇帝「瞬馬赤」(もっと正確に書くと赤を細く縦長にし2つ横並び)の白熱の攻防戦だったがしんみりしてしまった。
トールマン → ベネトンの変遷時に津川さんが居たのがすごい。
帰って来たブリアトーレさんには、また物凄いものを期待してしまいます。「他社製PUにルノーバッジをつければ最強のルノーPU完成!」とか、普通にやりそう。
レッドブルタグ・ホイヤーの逆バージョン(中身はルノー)
実際ブルーが商品カラーのマイルドセブンをルノーの企業カラーのイエローに変えろ!って言ってましたしね。
現代社会には最早通用しないだろう😅
自分の中ではマーチ881,フェラーリ641/2,FW14B,ティレル019と並んで歴代美しいマシンがベネトンB189。
86~89年は毎年エンジン仕様が変わっても一定の速さがあったし、ずっとランキング3~4位をウロウロ出来たのもバーンとシモンズのコンビネーションが良かったのかな、違う意味でそれがチーム力の限界だったかも。 でもやっぱり亜久里さん達が乗れれば、、、、、未だに悔やむ。
90年の鈴鹿で、直前にナニーニ選手が大怪我をして、その代役に出場したモレノ選手が2位入賞、優勝したピケ選手と大号泣で抱きあっていたのが印象的です😭😭😭
1994年のマシンがカラーリングも含めて一番かっこ良かったです(レギュレーション変更前)。
ナニーニ大好き
このシリーズめっちゃ好き!保存版決定です🎉
イタリアンマフィア
フラビオブリアトーレ
この人無くしてベネトンは語れない
自分のフォードのリアウィンドウにベネトンステッカー貼ってた懐かしい
「MILDSEVEN」のロゴが入ったシャツ持ってたなあ、、
これを見るだけでも分かる -悪の親玉- ブリアトーレおじさんの凄さw シュタイナー親分や冷徹クリスチャンが可愛く見える。
B196の リアウイングから伸びてるものは何?
ダウンフォース確保とタイヤ周り整流の為に採用されたウィングレットです。これはベネトン以外のチームでもいくつかのチームが採用しています。
@@350A なるほどありがとうございます てっきりただの板なのかなと思ってました
ありがとう❤ベネトン💚
苦労人のモレノが報われたと思ったのも束の間シューマッハ獲得のためシートを奪われるとかかわいそう
まずはアルピーヌのグリッドだけ、レースクィーンの復活とか
ベネトンで優勝したドライバーはゲルハルト・ベルガー、アレッサンドロ・ナニーニ、ネルソン・ピケ、ミハエル・シューマッハ、ジョニー・ハーバートの5人
フエルナンド・アロンソもいるよ。2年連続でチャンピオン獲得。
勝つ為には何でもしちゃうブリアトーレの凄みを感じる。
ここ最近突然腸が良くなったアルピーヌも復帰したブリアトーレが暗躍してるのかも?
(褒め言葉)
ロリーバーンこそ空力の天才
ただひたすらシューマッハと鰤の肝の小さな奴だったという話
当初、ティレルにスポンサーとして付いた時から『服飾メーカーがモータースポーツにスポンサードするとか…意味わかんね〜わ』って思ってましたが、トールマンを買収した辺りから『このチームはもしかして凄いのか?』と思い始め…B186のファビとベルガーのコンビでシーズンを引っ掻き回しましたね(*^^*)
まぁ…ブリアトーレが加入してから、めっきり怪しくなったチームでしたが…
ピーター・コリンズとはつまり便利屋、でしょうか?
他に良い形容は、ありますか?
ナニーニが大好きだった。ヘリコプター事故の無い世界線を見てみたかった。
日焼けしたフラビオ兄貴を思い出すw
M12/13はシングルターボやで😊
その通り!!
んじゃあなんで98年のミナルディは中野選手を乗せてたのにエンジンが無限じゃないんだ?
94年のベネトンフォードには不信感しかない。ルノーV10と比較して非力なフォードV8ゼテックRエンジンで当時のウィリアムズルノーと互角にやり合っているのは明らかおかしいかと。さすがにホッケンハイムでは差が付いていたけど。
ブリアトーレさんは…シムテックを撤退に追い込んだ方じゃなかった?
90年のB190はロリーバーン制作で、バーナードは91年のB191に開発に集中していたはずと記憶していますが?(寺本さんや津川さんの証言があります。)
1990年のB190は基本設計をロリー・バーンが行いジョン・バーナードが改良を加えたという見方が正しいと思います。
①翼端板の形状がロリー・バーンオリジナルのデルタ形状ではなくオーソドックスな形状を採用している②フロントサスがプルロッドからプッシュロッドに変更されている。③ディフューザーがオーソドックスな形状。①と③はバーン復帰後の新設計B192でバーンオリジナルに戻されています。余談ですがB192はノーズ位置をもっと高くしたかったそうですが衝突時にドライバーが危ないという理由で高さがある程度抑えられたとか。
@@350A B190のフロントウイングは前年のウイング形状が失敗したから、(グランドエフェクトの効率を上げたが、シビアになりすぎこの形状になったと言っていたと思いました)開幕戦にB189Bでフロントウイング形状を確認してB190で投入している。
ブリアトーレが三度の伝説を作り上げるのか?プロストみたいにブチキレ離脱するのか?
ベルガーって若い頃はタイヤマネジメントが上手だったのにベテランになってから誰より先にタイヤをダメにしてたイメージ。なんでだろー?
F1のレギュレーションと言う名の
ルール、抜け道や裏技を欧州の仲間がやれば合法で見逃され栄光を手にする
所詮は欧州の金持ちの遊び
日本やアメリカが活躍する事は求められてない