プロトの常識破る設計 日産初の本格Cカー誕生の裏に隠されたストーリー【解説】【日産R89C】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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今回は日産がルマン制覇を目指し体制を見直して本格的にCカー開発に挑んだ最初のマシン、R89Cのエピソードについて解説します。
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高校生の頃、GT4をやってたけど当時はグループCの存在を知りませんでした。
それでもこういうレーシングカーのレースはテンションが上りました。
当時のNISMO関係者が、必ず取り上げる「某上層部」。
結果を出して黙らせるにも、「隠れてこっそり」やる必要があり、歯痒かったとか。
そしてニスモの努力虚しく手柄はその上層部に💦
社内の派閥闘争の結果、91年のル・マンにFIAが特例で出場しても良いよって譲歩案を出したのに、日産の上層部が大反対してル・マン出場は出来なかった。
ル・マン優勝で日産の名声を高めるよりも、自分達の派閥争いの方が大事という上層部のクソっぷりが伺い知れるエピソードですね。
私の亡き父(当時日産レンタカー管理職)が言ってた事、「久米社長になってから日産は東北大学工学部出身者ばかり採用して、本気でクルマが好きな奴を採用してないからこんな結果だ」と言ってました。
日本勢のこのルマンの話見てるとプロジェクトXみたい😊
R89Cはグランツーリスモ4で幻の車だったイメージが強い。誰だ、「ニュルのスタート地点で2分待たせよう(リアルタイム)」なんて考えたのは。
グランツーリスモ(大爆笑)
新旧ベンツ……(恐)
当時の日産上層部って東大学閥が幅を利かせてたっていう噂が…
桜井さんや難波さんといった功労者が役員になることができず、そんな上層部を見てやってられるか!てなことになってオーテックやニスモを創設した話を聞いたことがある
その上層部のいざこざの結果が、91年のル・マン不参加なんでしょうね。今でも、「出場してれば.....。」とは個人的には思います。
何かの記事で読みましたが、桜井さんが当時の久米社長直々に任せられたのが「大手を喰う」オーテックジャパンだったそうです。社内政治の中で桜井さんや難波さんという功労者の行き所を作ったのかもしれません。
オーテックジャパンとニスモは兄弟会社で、ニスモが現場と車両開発、オーテックが生産するという流れがあったらしいです。
現在両社は統合し、ニッサンモータースポーツ&カスタマイズ(NMC)となっています。
国内のJSPC仕様は
R90CPとして登場し
大暴れの活躍を見せました🎵
Pは追浜工場のOPPAMAのPの
頭文字を取りました🎵
日産と言えばこの赤白青のトリコロールカラー。
とても印象的で強力なパワーと速さは頼もしさを感じるほどでした。
ただルマンなど「ここで!」というレースで勝てず、無冠の帝王というイメージもあります。
その後、日産は更なる改良を加えた後継機の『R90CP』『R91CP』『R92CP』を開発し、それぞれ輝かしい功績を残している。
ニスモ監督兼チーフエンジニアの水野和敏さん、エンジン開発責任者及びのちのcカープロジェクトの責任者 林義正さん このお二人がトップに立つようになってから日産cカーは飛躍的に向上しましたね。
個人的には8:36のWSPCレギュラーシーズンハイウイング仕様が一番かっこいいと思ってます。
画像見れて嬉しい😊
見ましたよ、フジLDロングディスタンス500。89Cカッコ良かった~!その時のポスター、まだ貼ってあります。ただ、興奮しすぎて富士山を見るのを忘れて、群馬にかえってしまったのを、今でも悔やんでいます。
ジュリアンベイリーが気がついたらジャガーの背後まで迫っていた時は本当にゾクゾクした。最後は追突で呆気なく終わったにせよ、今年の日産はこれまでとは違うぞ!とジャガー&メルセデスに知らしめるには十分だった
夜間快走するアメリカチームの日産ピットにはメルセデスの偵察隊が初めてきたそうだ
VEJはレーシングスピードでは1.3km/lぐらいだったような。
日産(ニスモ)と言えば、やっぱりファンとしては
長谷見昌弘さん星野一義さん鈴木利男さんの日産ゴールデントリオですね
日産でのル・マン挑戦で言うと、松本恵二さんもいいですね
トリコロールがとにかく、カッコ良かったです。
最終進化系である『R92CP』は富士1000kmで優勝するといった輝かしい成績を残しており、現在でもイベントでその勇姿を見ることが出来る。
92だったか忘れましたがIMSAか何かのデイトナで優勝してなかったですっけ?
@@__-ru5tb
92年のデイトナ24時間で、R91CPが総合優勝してます。
R92CPは国内レースのみですね。
@@まこちゃん-n9u
確か、その年の優勝者が持ってるはずのロレックスのディトナが某オークションサイトに出品されて、3人のうちの誰やろって話題になってたわ(笑)
@@aresama5942草
@@まこちゃん-n9u 91のほうでしたか失礼しました。
NISMO車以外にNPTI車やNME車が3台並んだ姿はカッコよかったですねぇ
というか今でもこの車はカッコイイ
我がデスクトップのモニターの上の1/43モデルを並べるスペースには
ロスマンズカラーの962CとR89Cが並んで飾って有ります(^^)
前年までのR88Cと比べて流麗でシャープなデザインになったR89Cは好きなマシンでした。
それでもマイナートラブルの多発でいいところはあんまりなかったのが残念なところ。
翌年のR90CPから戦闘力を大幅に向上させ、長谷見御大曰く「世界中どこに出しても恥ずかしくない」と言わしめたマシンたちによって日産の野望は達成されることになります。
その助走期間としてR89Cは評価されるべきと思いますね。
89年のルマンは悔しい気持ちで見てたなぁ…。すぐリタイヤしちゃったから…。
猛反対した理由を知りたい
日産本家はいつもレースはそこまで好きじゃないから。
あまりプロトタイプカークラスのようなレーシング技術や。
あまり勝てる技術に関心がない。
やる気すごいのは
いつもニスモ単体。
やはりプリンス&ダットサン時代から日産との確執差が。
1989年のWSPC日産の監督さん
今どうしているかなぁ?
1990年からは水野さんだったかな?
うわーー!これからええとこ!で、という連ドラみたいな終わり方ーーー😂これは次回、あるんですよね?(・∀・)ニヤニヤ
ニッサンファンにとって、凄く居心地が良いんですけどココ👍
何となくこんな上層部がいる様な会社は経営が傾きそうだし、その後のルノー傘下に繋がったんなったのだろうということは分かった😅
いや、それはレースファンやレースに携わる関係者からの目線ですから、一概にそうとは言い切れないと思いますよ。
日本人じゃないのが日本企業の社長じゃあ💧
しかもルノーと深い関わりのある。
@@user-td2nr4ni3 時代認識にズレがあると思いますよ。
Cカーの時代はゴーンもルノーも無関係なので。
@@user-xo1gw6ss2c 違う💦この動画と関係ない1997年頃の話し💧
ルノーの話しっていったらその辺が有名でしょう。
@@user-td2nr4ni3 Cカーの動画なのでCカーについての返信かと思いました。
ルノーについての話でしたら了解しました。
技術の日産だからなぁ。F-1見たかったなぁ。カルソブルーのカラーで日産のエンジンのF-1あの6機等作れるんだからルノーF1も横浜工場の技術が使われてると聞いたことがあります
上層部の馬鹿で、開発が遅れたり、
新車販売が期待されても、駄目にするからなぁ👍
901活動で成果を出していたにせよ、ただのサーキットに通うレース写真撮影マニアだった水野さんを抜擢した難波さん・林さんの眼力
10:51 ニュルブルクリンクで敢えてガス欠までトップをとった理由はテレビ中継で日産を映すなと指示が有ったと情報を聞いてそれを覆す為だったそうです
日産は伝統的に発言力や政治力の強いチームだと思います
いつも足の引っ張り合いやってるな日産
元々はニスモもプリンスやダットサンの優秀な技術者を集めて作られたから。
完全吸収されたといっても親会社との確執の差が今に至るまでも
あるのかも。
89年のルマンの敗因は日本、ヨーロッパ、アメリカチームがデータの共有をしなかった事が原因だったと聞いた事があります。チームワークが悪かったみたいです。
89年のJSPC夏の富士500マイルが日本でのデビューでしたね見に行きました
23、24号車の2台がストレート異常に速くて他のC1カーを置き去りにしこれが全身エアロマシンの能力かと驚きました
23は燃料ポンプ回路ショート、24はリヤタイヤバーストで戦列を去ったのが残念
車高を目一杯下げサスはガチガチっぽく乗りやすいマシンではなかったような気がしますがカタチは好きでした😘
当時のFIAは日本のメーカーが年間チャンピオンになるのを認めたくないみたいで、ルールを変更してましたね!
当時どころか、毎回でしょう。
モータースポーツは言うに及ばず、プリウス潰しに拍車をかける為にEV規制を発令するも失敗してます。
オリンピックでは、荻原健司の強さにルールを変え、鈴木大地のバサラの速さに驚いてルールを変えました。
欧州人は、日本人が勝ち続けるのは許せないんですよ。
バレストリ氏の圧がこちらにも… 💧
当時のニッサンCカーはローラ、マーチのシャーシをそのまま使うのは限界が見えてましたね。
林義正氏設計の新エンジンVRH35も結局は改良されR390まで息の長いエンジンになりましたね。
当時の日産には航空宇宙事業部(現IHIエアロスペース)があり、自社でカーボンモノコックの制作が可能だったのも、自社開発への後押しになったのだと思います。
@@まこちゃん-n9uさん
ニッサンに航空宇宙事業部なんてあったのですね😮
てっきり風洞実験設備程度かと思ってました。
@@usamaru.
旧プリンス、遡れば旧中島飛行機時代から、国産固体燃料ロケットのほぼ全ての研究開発に携わってます。カーボン部品の成型も、その過程で自社開発生産可能になりました。
日産の経営再建の折に経営効率化等の理由でIHIへ事業譲渡され、今の社名になりましたが、現在でもイプシロンロケットを筆頭にH-ⅡA/B、H3各ロケットの固体燃料ブースターも手掛けてますよ。
@@usamaru.
ちなみにR390にVRH35を搭載したのは、開発期間の不足と予算不足という当時の日産の懐事情もあったようで、その予算のほとんどがシャシの改良に回ったせいで、エンジンの改良は殆どできなかったそうです。
それでも98年に3位入賞できたのは、やっぱりR390の完成度が良かったから何でしょうね。
実はマクラーレンのロードカーにデチューンエンジンが搭載されてたりします。
ルマンになると何故か駄目でしたね
高斎正さんの小説「日産がルマンを制覇する時」を彷彿させるマシンに期待してました。
実際にはマツダがルマンを制覇しましたが、日産ファンとしては、
もう一度チャレンジしてもらいたいです。
あのFFは黒歴史だから………
高齋さんはその後、日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員を除名された直後に日産の広報に雑な扱いを受けたのに腹を立て、報復としてお気に入りがルマンに優勝する時で日産を出しながらも、マルチエンディングで日産だけ優勝シーンを書かなかったというエピソードがありますね。
この時もローラからの車両完成が遅れて3台目の日本チーム車はほぼぶっつけ本番なのに熟成が進む来年はきっと、と思わせる内容
2015年の嘘つきボウルビーの時は同じ気持ちにはなれなかった
VRH35Zは名機。GT7での低いパフォーマンススペックは不満。
マツダ787Bが91年ルマンで優勝した時、「この勝利を最も悔しい思いで見てるのが日産です」と言う記事を読んだ。まあ、そうだろうな、とは思った。「日本車のルマン初制覇」は永遠にマツダのものだ。
90年に強力な体制で臨んでも勝てなかった後だけに、まあ、悔しいだろうな。
日産も2015年のルマンでFFのGTRもどきじゃなくてR89のようなMRの正統派なマシンを作れば、苦戦はしないし、LMP2より遅くはならなかったから勿体無い……
あれはボウルビーにしてやられたというか、そもそもFFっていうカテゴリーきついわな
予備予選ではFFなのにトップクラスの最高速でしたしね
トラクションの良いMRに最強クラスのNISMOエンジンなら上位争いできたのに
アメリカ日産のアホ営業のせいでこのザマ
ベンボウルビーと米日産の食い物にされて、NISMOエンジンとGT-Rの名を冒涜されたし………
ニスモはこの時もFF化は反対だったのかな。
タミヤからFFのGTRのラジコンが販売されていましたよ。
続きが気になります😢
グループCの終盤年にデイトナで優勝した所まで(しかも日本人トリオで)の続きをして欲しいですね。
本社も含めて本気になるのが遅過ぎた。
結局完成したと言えるのが新規格に移行していた91〜92年。
TWRが手がけたXJR-9がポルシェを玉座から引き摺り降ろした時期にはある程度完成していないとワークス体制に移行するザウバーに対応出来ない。
ついでにル・マンの名物ストレートにも手が入る。
尤も規格改定によって国家プロジェクトと化したプジョーの天下にはなるが。
シャシーやエンジンマウント方法はいかにもレーシングテクノロジー大国イギリスらしい手法。
一方でカウルやギア比は6Kmストレート時代に引き摺られていて、
後の世に出てくるコーナーリングでタイムを稼ぐ設計には対応出来ていたとは言えない。
特にR89/R90CK系統はフロントダウンフォースが不足しているのかオンボードカメラ映像を見るとピッチングしている。
NOVAが大規模なカウル改設計を行ったが根本的解決には至らなかったという。
ストレスマウントはTWRが手がけたXJRシリーズも導入してなかったっけ?
R89/R90CK系統のピッチングは昨今のF1で問題となったポーパシング現象ですね
90年のWSPC開幕戦の鈴鹿見に行きましたが、1コーナー手前ブレーキングでマシンがガクガク震えていた記憶があります
R89Cと言えばGT4ではミッションレースの1ラップマジックの後半クリアで入手できるのだが最後のミッション34がクリアが困難すぎるせいで入手出来てない車…
余談だが林義正は後に東海大のル・マンプロジェクト(知ってる?)に関わる人物
91年にル・マンに出ていたら…
マツダと優勝争いしたと思います。
それはどうかな
旧規格車は引き上げられた最低重量に泣かされていた
優遇された新規格車は信頼性に乏しく玉砕前提
結局はロビー活動という袖の下が効いたあのチームが掻っ攫ったのでは
@@user-ii3xb1lc1lどうせ成金参加の90年みたいに味方同士で足の引っ張り合いして自滅してたハズ
ルマンじゃ結局マツダやトヨタに比べて結果を残せてないのは社風かな?
動画UPお疲れ様です。
R89Cを最初に見た時、カラーリングも含めてIMSA-GTPクラスに参戦していたGTP-ZXに似てると思いました。
考えてみればあのシャーシのルーツはローラでしたね。
91CP、92CPとますますGTP-ZXに似てきましたよね。
R90CP以降、GTP-ZXの空力デザインを担当した鈴鹿美隆氏が、NPTIからNISMOに移籍してデザインしてますから、おのずと似てきちゃいますよね。
エンジンが VRH35Zになるまでは
セミワークスでヤル気が空回り
本気になるのは 90年から ただチームワークは 相変わらず
技術の日産ですから。強いですねF1で見たかった日産の姿をルノーの成功の影には日産の横浜工場の技術があると思ってます。
ラウンチコントロールはニスモのエンジンが開発研究してたやつ使ってた
GTR開発責任者の水野さんが総監督でデイトナに乗り込んで連続優勝して、あまりにもNIssanが強すぎるのでレースが無くなったという話は有名ですね‼️‼️😊😊
92が好き89より
車重の問題でストレスマウントでもそうでなくても剛性を確保する事は必須。(方式の問題ではない)
結局はローラのシャシーに日産のエンジン搭載と云う形。
ローラも褒めたシャシーではないが、一般的な自動車メーカーでもレーシングシャシーは制作困難なのが当時の状況。
エンジンだけ開発して適当シャシーでは当然世界では戦えないし、シャシーが先行して後からエンジンが理想の形。
この頃はバブルでハイパワーが主流となっていた時代ですが、プロの仕事とは思えないずさんな発想だと思う。
90年代初頭に日産が倒産しなかったのは奇跡的。
1
日産が作ったわけじゃないのだが(草
所詮、日産。
どちらかというニスモの方がすごい💦👍
かつても日産いえど
プリンスや
ダットサンがいなかったら
トヨタ信者?
@@user-yp8pt4lq4w マツダ信者でしょう
ル・マン先越されたのが悔しいんだよ