革新的すぎて悪ふざけと勘違い 元祖ハイノーズマシンの知られざるエピソード【解説】【ティレル019】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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◆動画について
F1で初めて本格的なハイノーズスタイルのデザインを採用し、F1に革命をもたらした名車、ティレル019。
ジャン・アレジ、中嶋悟がドライブしたことでもおなじみの019の驚きのエピソードなどを解説します。
◆その他の動画もぜひご覧ください!
ケンおじさんが中嶋さんの引退にあたり「90年にジャンがあれだけ活躍できたのは何故だと思う?それはサトルのセッティング能力の高さによるものなのさ、彼は確実に繊細なマシンの変化を捉えエンジニアに上手く伝える事ができる、サトルはマシンの開発に大きく貢献してくれた、ジャンはお膳立てされたマシンに乗ればよかったのさ」とコメントしてましたね。
リップサービスも含んでいるとは思いますが当時ファンとして嬉しかったものです。
そこまで中嶋選手のセッティング能力が高かったとは思いませんが、アレジ選手があまりセッティング能力や開発能力に長けていないのは、キャリア全般を通しても明らかだったと思います
中島悟が乗っていたことから、今でも忘れる事のないマシーンです。
しかしこの優れたマシンから結果的に「悲しき水中翼船」と言う迷曲が生まれてしまった
我々は学ばなければならない
決してスポーツ選手はあんまり歌が上手ではないと言う事を…
オマリーの六甲おろしの時に気づくべきだったのかも知れない…
「真ん中繋げた方が効率良くね?」といち早く気づいた天才ロリーバーン
最後には繋ぎましたけどね。チェザリスさんが乗っていたかな?右京はどうかだけど。繋いでもたいして変わらなかったようでした。
@@user-sj5fi4jz6o 様
92年の途中から繋ぎ、そのまま93年の020Cに移行していったと記憶しています
ケチで頑固で文句も言うけれど、6輪車にハイドロサスペンション、ハイノーズとなんやかんやエンジニアのやりたい放題を許しちゃうティレルおじさんの昭和親父感。
フェニックスでのアレジの暴れっぷりに、思わずニヤついたとこが映った顔が印象深い
ケンおじさんレース中に感激してウキウキなのがとてもみてて楽しそうで良かった
90年の日本GPで中嶋悟得意の1コーナーでの大外刈りが決まり観客に笑顔で応えるケンの嬉しそうな顔が忘れられない。
このマシンに因み「悲しき水中翼船」でCDデビューも果たした。
モーター天国の視聴者たちとは、ほんと旨い酒が飲めそう🥰
ホント暫くF1見てなかったけど当時のF1はホント好きだったわ日本人ドライバーも乗ってたし中堅チームの鎬削る闘いも楽しかったわ
ティレル、ブラバム、ミナルディ、フォンドメタル、アロウズ、スクーデリアイタリア、レイトンハウス、ロータスもか
こんなにいて鎬削る闘いしてたから面白くない訳ないわ、ライフのW12エンジンとか頭おかしいクルマもあったしスバルもボクサー12気筒でサプライヤーとして出てたしなYAMAHAのV12もう少し後だったかな?あ、鈴木亜久里が乗ってたザクスピード忘れてたわ
018、019のブルー・ホワイトはカラーリングが綺麗で好きなマシンでしたね。
何だかんだ言われはしても、画期的なアイデアをスマートにシンプルに作り上げたこの水中翼船、見映えも加味して斜めにしたというアイデアも私は大好きです。
ティレル019と020のかっこよさは異常
ホント好き
中嶋悟が乗ってたのもあって一番好きなF1マシンやわ
その通り!
このデザインを見て、F1の時代が変わるのか?とワクワクしたものです。
020もテストでのエプソンカラーが最高でしたね!
ホンダエンジンを積んだ冬のテストマシンが最高にカッコよかった!ブルーにシェルのイエローが映えて、もう期待しかなかったなぁ〜
30年以上経った今現在でもカッコいい1台。
デザイン、カラーリングともに美しい✨
ほんと好き
ロスマンズカラーの名残りであのカラーなんだって知らんかったわ
カラー含めてドルフィンノーズなんて言われてたよな
020のブラウンのブラックツートンもかっこいいけどな
この頃は中堅チームの鎬削る闘い大好きやったわ
ティレル、スクーデリアイタリア、フォンドメタル、ブラバム、イトンハウス、アロウズ、ミナルディ翌年だったかジョーダンも入って来てて戦国時代さながらの様相はホント見てて楽しかったわ
90年アメリカGPのアレジには痺れたなぁ…
あの当時のセナを抜き返すなんて荒業かましてたし
白とブルーのカラーリングも相まって、ドルフィンノーズが美しい019
後年になっても019ベースで、020、020B、020Cとアップデートして(せざるを得なかった)戦い続けたのは、よく頑張ったなという印象です。
ホンダからイルモアV10にした020Bが中々に活躍したの見て総合バランス重要なんやなって思った
あの壊し屋なんて恐れられたチェザリスが活躍したのも驚き
資金難で出て来るのが前年の後半だった018
当時の車ではトップクラスのトータルバランスのマシーンだったので
中嶋さんが018で一年戦えたら、成績も違ってたんじゃないかと思う車です
小学生の当時、メカニズムなんて分からなくても開幕戦フェニックスでフロントの翼端から火花散らして走る姿に一目惚れしました!
019、めっちゃくちゃカッコ良かったな~
中嶋さんが乗っていたマシンということもあり、大好きなF1マシンの一台です👍
高速サ-キットのモンツァで非力なDFRで6位入賞✨シビレました。
この019のカッコ良さに惚れて当時田宮模型からリリースされたラジコン衝動買いしました(笑)
傷をつけるのが勿体無いので数回しか走らせてないです。今でも箱入り保管してたまに眺めて当時のF1人気を懐かしんでいます(笑)
♫悲しき水中翼船・・・懐かしい。。。
あの歌好きやったEPSONのCMの曲よなシングルCD買った思い出
@@user-un3nu4wu4n 私も持ってました!
当時シングルCD買って今も大事に持ってます。
J.アレジはフェラーリで頑張ったけど、別のトップチームだったらもっと優勝もしただろうし、チャンピオンシップも取れたかもしれない。ただアレジとティレルの組み合わせはすごくよかったのは事実だと思う。もちろん
中嶋悟も実力を出せたと思う。ただ本人のインタビューであったと思うけど、F1に参戦するには年齢が高かったのは惜しいかもしれない。
日本人初のフル参戦ドライバーだからどうしても実績積んでからになるから年齢がいってからしかF1に乗れなかったのはパイオニアとしての宿命だったのかも
惜しいとは思うけどしょうがない面もある
契約とおりにウィリアムズに行ってたら92年のチャンピオンはアレジだったかもしれないですね。
@@user-nv8uy8ms3d あのウィリアムズあそこまで強くなるとは思わんわな
アクティブサスとオーバーテイクボタンは痺れたわ
パワステを装備してくれたら、中嶋悟ももっと活躍できたのにね。
@@user-un3nu4wu4n その事で後年、あの生沢テツともひと悶着あった事をGPX編集長、山口さんからお聞きした事が有ります。
3:15 モノショックサスペンションといえば、ハーベイさんがタミヤのラジコンのリアサス、一本のダンパーで釣ったローリングサスペンションを見て「こんなサスペンションもあるのか」ってインスパイアされたとか。
ティレルは個人的に気に入っていたチームです。
ハーベイ博士の設計したマシンは印象でしたね。
018、019最高でした。
019はミリオタとしては印象に残る車なんですよね。逆ガル型のフロントウイング。二次大戦期の戦闘機で類似形状の主翼を持った機体になぞらえて「コルセアウイング」なんて言われましたよね。
答えが色々あった時代のF1
毎レースが楽しみでした。
ティレル019・022・023は個人的にベストデザイン賞
今でもミニカーもってる
最高峰に好きなマシン
本当にかっこいい
見栄えを気にしたハの字型ウイング
いいマシンはかっこよくあるべき、というハーベイ博士の考えに賛同します
018も人気あったけど個人的には019は史上TOP3に入る好きなマシンです
このマシンを日本人がドライブしたことに誇りを感じます
このマシンの最後の発展型である020Cをドライブしたのが、同じ日本人の片山右京というところに(エンジンはヤマハ製)何か不思議な縁を感じる。
かっこいい!きれい!今でも好きなマシンの一つです。
中嶋さんをジャッキー・スチュワートと同等かそれ以上に信頼したケン・ティレル
名伯楽と言われたケンティレルに評価されてたのは嬉しいわ
91年開幕を前に「去年アレジがあれだけ活躍できたのはサトルがセットアップしたマシンに乗ったからなんだ。今年はモデナがその恩恵を受けるはずだ。」と御大がコメントしてましたね。
@@user-ez1gr1wl5f
確かに中嶋さんのセットアップ能力は高かったらしいな
チームだからそういう相互のメリットは当然考えるよな
ウィリアムズのリカルドパトレーゼなんて300戦練磨なんて古舘言ってたけど相当なものだったんだろうな
@@user-un3nu4wu4n 何せ中嶋さんは腰にセンサーが有ると言われミリ単位でのセッティングができる方でしたしとにかく献身的にチームに尽くしてくれた中嶋さんにティレルが感謝の意を込めティレル020を中嶋さんにプレゼントしてくださったりと本当に身内同然にしてくださったケンティレル
@@user-ez1gr1wl5f アレジはテストが嫌いでしたから中嶋さんが献身的にテストしてくれてケンティレルはその姿勢に本当に中嶋さんを身内同然に信頼してくださりティレル020を感謝の意を込めて中嶋さんにプレゼントしてくれました
タミヤがこの車のラジコンを発売したときメチャクチャ欲しかったけど、中学に進学したら勉強や部活で忙しくなってラジコンどころじゃなくなるとわかって買うのをやめた思い出がある。
青と白のカラーリングは好きな組み合わせだけど余白が多くて当時は「スポンサー集めに苦労してるんだなあ」と思ってたけど、別のチャンネルでロスマンズと契約寸前だったと聞いて納得した。もしロスマンズティレルが実現していたらトップ4に匹敵する財政規模になってチーム強化も図れていたんだろうなあ。
関係ないですが,マーチ881のかっこよさは異常ですね😂
ロスマンズがスポンサーになる予定だったのは初耳でした
でも、ロスマンズはやっぱりポルシェのイメージなんですよね
タイヤさえグッドイヤーならもっと速かったマシン
予選では1周持たず、決勝では熱ダレ
とにかくタイヤに足を引っ張られていた
市街地コースでは強さ見せてたけどそんなに市街地サーキットなかったしなあ
安いピレリータイヤ選んだのが後々わるくでた。DFRならまだしも、ホンダエンジンのパワーにはタイヤがもたなかった。その点はベネトン用に開発されたピレリータイヤは不利になった。
@@user-sj5fi4jz6o
安いも何も無償提供だから関係無い
サプライヤー契約出来るかどうかの話だけだな
現場では頑固なティレル親父が監督、そしてハーベイとミジョーも優秀なスタッフ。ドライバーも申し分ない。ただこのチームに足りなかったのはチーム全体をマネジメントできる人材がいなかったこと。時代も変わってそういうスタッフが必要な時代になりつつあった。
もったいなかったなあ。
マーケティング活動を息子に任せて失敗しているのを見なかったことにしたのも問題ですからね
老舗名門だが慢性的に金欠で貧乏チームのままだったね。スタッフは優秀なのが結構居たんだけど。
019のような良いマシンを作ってもそれが翌年以降までいい流れが続かないのはやはりBクラスチームの戦力という事だしその後10年足らずで弱体化しチーム売却で消滅…
ケン・ティレルさんが見込んだ(惚れた)ドライバーって才能豊かだって言われていましたよね---🤗🤗🤗💖👍
伊達に名伯楽なんて呼ばれてないよなジャッキースチュワート含め偉大なドライバーをかず多く見出してるからな
アルボレート、ブランドル、アレジ、皆ティレルに乗ってアメリカの市街地で表彰台にあがってる。
中嶋さんが、「みんなフロントばかり見るけど、リヤウイングがあんなに小さいのもみてよ。」って言ってたのが印象に残ってる。
ハイノーズでは一番カッコいいと思ってるけど、やっぱり性能より見た目を選んだ結果だったのね(^_^;。
どうもこんばんわ。F1界初のハイノーズマシン…ティレル・019…。あのカラーリング、ロスマンズが入る予定だったんですなぁ…。もしロスマンズとの交渉が上手く行っていたらロスマンズ・ティレルが実現していたかもしれませんね…。 このハイノーズ…後にベネトンで大きく大躍進する事になるのは別の話となりますね…。
翌、1991年には進化した020が登場
エンジンは無限ホンダとなりかなり期待されるも、エンジンの重量増とタイヤをピレリにケチったままだったので結局空振りに
しかし、この年新規参戦したジョーダン191もティレルと同じアンヘドラルウィングを採用して台風の目になった他、ベネトンは吊り下げ式ウィング(後にこちらが主にハイノーズと呼ばれることに)を採用したB191も好走したことからティレル019、020の思想は間違っていなかった事が他チームの躍進という皮肉で証明された。
さらに1992年、中嶋悟の引退によりブラウンや日本企業のスポンサーが一気に去ってしまい、またもや慢性的な資金不足に陥ったティレルは新車を投入できず020の改良版で挑むことを余儀なくされる。
エンジンもイルモアに変更。タイヤは前年限りでピレリが撤退したことでグッドイヤーに変更。
しかし、この型落ちのマシンが予想外の健闘をすることとなり、前年にエディー・ジョーダンによる更生を受けたチェザリスは4度の入賞を果たす。
資金不足によるハイテク化の波に乗り遅れていたティレルは、このマシンで1993年も戦うことになり、さすがに2年落ちのマシンでは他チームとの戦力差は如何ともしがたいものとなったが、それでもまだ予選26台中20番手前後に入る力はあった。
このアンへドラルウィングというエポックメイキングな存在であったが、1992年にリジェJS37、フットワークFA13も採用。また、ロータス107も僅かに中央を持ち上げたような緩やかなアンへドラル形状のフロントウィングを採用した。
そして、これらのチームは1991年シーズンと比較して飛躍的に戦績が良くなったのである。
フロントウィング中央から空気を取り入れるというアイディアは決して間違っていなかった事が証明されたのであった。
このころの中島悟はワクワクした
開幕戦のアレジトップ快走、そしてセナとの名バトル。
スポンサーを降りたロスマンズにしてみれば「しまった~!やってもうた~!」の心境だったろうな。
しかも未だにRUclipsで世界中の人々に視聴され続けているっていうのに。
軽くてコンパクトだったFord V8だからこそ好成績を残せた
この形状、コルセアウィングとか呼ばれてましたね。このマシンにチャンピオンエンジンであるホンダV10が積まれたらどんなマシンになるだろう?と当時ワクワクしましたね。
ピレリタイヤが熱ダレしまくってブリスターによるリタイアが多かったのが残念グッドイヤーならって何度思ったことか
中嶋悟も表彰台に上がれてかもしれないと今でも思うわ
@@user-un3nu4wu4n いつも評判がいまいちですねピレリ。硬いのかなぁ???何がじゃなくて全体的に。考え方?ミシュランはリアが柔らかいが。でもレースは持つよねwwww。
元々はフェラーリ用にデザインしていたハイノーズ。
フェラーリで走っていたと思うと夢が膨らむ。
019の時からフロントが軽かったって言われてたのに…
次型020ではDFRから重いホンダV10でリアヘビーになり、更に規定変更でフロントウイング幅が縮小したのが追い打ちを…
020はデカくて重いホンダエンジンへの変わったからなのか全体にぼってりとした感じになって019のようなシュッとシャープな感じがなくなった。
カラーリングも青白のシンプルなのからブラウンスポンサーの黒基調に変わったのも見た目的にマイナスだったな。
安定した長期計画が立て難かった中堅貧乏チームの弊害がもろに出てしまった印象。当時F-1の最下層エンジンDFRに低ドラッグの軽量シャーシ、コースによってはメーカー系エンジン使用の上位チームに一泡吹かせてやろうという開発コンセプトで選んだピレリ。仕様そのままでホンダV10乗っけてしまう愚策。
@@kojiroamagi1 ですね〜
増してや、その『期待』のホンダRA101Eもティレルが当初想定したより(予算の関係でリビルド前提の作りとなった)重量が重くなり過ぎてしまうという…
019は「何じゃこりゃ?」が初見の印象でしたが、アレジの感覚的なドライビングスタイルにぴったりでしたね。ただ思ったより旋回性能は高くはなかったのか、中嶋には取り回ししにくいマシンだったように見えました。翌年のホンダ搭載020はエンジンが重くなったことでマシンの特長を完全に相殺してしまったと悪評でしたが、翌々年軽量コンパクトなイルモアを搭載してもマシンバランスが整わず、フロントウイングに部品を追加して左右に分かれたヒゲを繋いでいたことからも、左右に独立したウイングでは充分なダウンフォースは得られていなかったんだろうなと思いました。結局、019はアレジのドライビングスキルがあって始めて輝けたマシンであり、先鋭的なドライバーを選ぶタイプのマシンだったんだろうと考えています
タイヤがピレリで無ければもっと活躍してましたよね。
カラーリングは素敵でしたね。
中嶋悟さんが5年間のF-1活動の中でもっとも乗りやすかったマシンがティレル019だったと語ってましたね。
018では❓
019は018よりタイムが出るけど、なんか乗りにくい
と言われてたような
89シーズン後半のロータス101が5年間で最上級とか
全て、ウィキペディア情報ですが
結局ケンおじさんが020を中嶋悟に進呈して今もセレモニーで乗ってるのかな?
鈴鹿のセレモニーだったか?何か時に020乗ってたよな
一応機密の塊のF1マシンなのに確かその頃はまだティレルF1やってたはずなのに気前良いなと思った記憶
ケンおじさんケチらしいけどそう言う人情味溢れてるところ好き
マクラーレンに比べて予算少ないみたいな比較されてたしファクトリーにヌードのカレンダー飾ってあったみたいなこと書かれてて草生えた記憶
ケンおじさんの人柄がわかる感じがええよな
傑作マシン「ティレル019」の次シーズンマシンに、ホンダV10エンジンが載る事が決まった時は中嶋悟さんの表彰台を期待したんですけどね…😞💨
あの斬新なフロントウィングの登場にはビックリしました❗️
記憶ではニューウェイがデザインしたものだと、この動画を見るまで思ってました!
自分ティレル推しでしたが、やっぱりティレルのカラーリングは白青だ!
このカラーってそんな事があったんだと知らなかった😅勉強になりました😅レインさん😊
鈴鹿ファン感謝祭で中嶋さんの019を間近で見る事が出来たけどやっぱり凄い格好良い綺麗な車でした。当時はハンドリングマシンというイメージがあったんですけど、中嶋さん曰くステアリングが重くて大変だったという話でびっくりしましたね
ダウンフォースが大きかったんでしょうね。
初めて見たときは ナンジャコリャ だったけど その後のトレンドになったのは 凄いよね
中島は1990年の参戦当時、「018の方が乗りやすいけど019の方が速いんだよね」と言ってましたね。あの独特のノーズ形状で神経質な挙動とかあったんですかね。
しかし、ティレルってハイノーズのパイオニアなのに、吊り下げ型のハイノーズを最後に導入した(1996年の024)チームだったんですよねw
多分ポストレスウエイト博士のこだわりがやめられなかったんじゃないかな?実際にカッコよかったし今でもベストデザインって思ってるぐらい好きやわ青白の019と黒白の020どちらもツートンでかっこいいわ
90年シーズンは、面白かったね。
ティレル018はミジョーとポスルスウエイトがフェラーリ時代バーナードの639に対抗して開発して二人がアルボレートと共にティレル移籍した時の手土産にした…という漫画を昔、某模型雑誌で読んだ。
このマシンをベースにした翌年のホンダV10エンジン積んだ020は更にバランス悪いマシンになってたなあ… この019がデビューした時の中嶋悟が歌ったCDあったよなあ
涙の水中翼船(笑)
ジョーダン191も同じ。翌年の192は12気筒エンジン。1ポイント(モデナの鈴鹿6位のみ)。バランスの悪さが現れた悪い事例。
エポックメイキングが好きな…ティレル…もといタイレルの真骨頂を見たマシンですね。私的には前年の018がすごく良いシャシーだな…と感じてました。モノショックってのも斬新でしたし。ペンシルノーズが流行り出した中でもレイトンハウスみたいに尖り過ぎず…マクラーレンみたいに細いけど先っちょが尖ってない…みたいな半端な感じでもなく…いいなと思ったものです。019を見た時は異質な感は有りましたが、ティレルが良いと思って出して来たんだから良いんだろうと思ってました。80年代は確かに苦労の連続でターボ積んだのも確か85、6年だけだったと記憶してます。しかしながら何気に良いスタッフが居たのが良かったんじゃないかな…?と感じますね。伊達に60年代からエフワンやってないな…っていう…私にとっては永遠に名門チームのひとつですね。
今見てもカッコいいですね
この時代は色んなデザインがあって楽しかった
当時のアレジのキレッキレの走りに痺れましたね。
中島選手は昭和50年代のメカニック白つなぎ時代の頃の印象でしたがまさかのF1、調整能力が買われたとの事でティレルの頂点時代だったとも。
ティレル020とホンダV10はすごく期待したけど、エンジンが重すぎた。
フロントウィングのステーをハの字じゃなく、ベネトンみたいな形状だったらよかったかも。
当初ベネトンタイプの案もあったようだけど、どうせやるなら派手にいこうとハの字にしたらしいです。
ロスマンズと契約出来なかったのは何故だろう?ここで複数年でタイトルスポンサーを獲得出来ていたら、中島氏が離脱後もチームは安定していたかも。
そしてアレジもアルボレート、ヨハンソンみたいにティレル→フェラーリ移籍ルートへ。
そして間にマーチ挟んだけどカペリもフェラーリへ。
だけど二人共悲劇が…。
当時書店で「AUTO SPORTS 」誌の表紙で 019 を見た時の衝撃は今でも忘れません
翌年 020 でHONDAエンジン搭載と聞いてめちゃくちゃ期待したけど・・・
ステファノ・モデナいいドライバーやったけど・・・(暗いイタリアン(笑))
シャシーとエンジンのマッチング悪かったんかなぁ〜(T ^ T)
このひとつまえ、018の1990バージョンが、全てのF1マシンの中で一番好きですね。
タイヤがグッドイヤーからピレリに変わってショックを受けたことを覚えています。
予選では速く雨でも速い。だがそそれ以外はダメって感じでしたっけ?
中嶋悟の大ファンだったのでもっといけたのに~って思ってました。
ピレリは熱ダレでブリスターがよく起きた
あと市街地サーキットでは強かったけどそんなに市街地コース無いしな
普通のサーキットだとすぐに熱ダレしてブリスター起きてタイヤ交換しないと駄目だったからそら勝てんわ軽かったコスワースのDFRのV8ならまだしもハイパワーのホンダV10はそこがモロに弱点として出たんだろう
グッドイヤーなら中嶋悟も表彰台に上がれてたってのは今でも思うわ
今更言ってもしゃーないけど
1990年のアメリカ・フェニックスは、ジャン・アレジの為のレースだった。前年のチャンピオンを鈴鹿の接触事故&オーストラリア雨中の事故で失ったアイルトン・セナが、闘争心を取り返す原動力となったのが、若武者アレジの猪突猛進だった。
もう33年も前だけど、あの当時にF-1を何度か見る機会に恵まれたのは、私の人生の財産だ。
このマシンのせいで、中嶋悟の黒歴史ともいえる、あの歌が生まれたんだよなあ。
『悲しき水中翼船』
F1バブル絶頂期だったが故に。
黒歴史言うなよワイ好きでシングルCDも買ったのに
本人的には詩歌うことに抵抗あったのかもしれないけど
@@user-un3nu4wu4n 僕ももちろん買いましたよ。事前予約してまで。
@@user-nc6ny1bt6g いい曲だよな
哀愁感溢れて好きや
あのカラーリングはロスマンズが入る予定だったのか~!!
でも知らなかった者としては全然空しいカラーとは思わなかったけどな~。
車体の上部でダウンフォース稼ぐ時と下面で稼ぐ時にドラッグ抵抗や車体後ろの気流の乱れってどうなんですかね?
019のデザインは革新的だった。マクラーレンとは違う美しさがあった。
フロントウイングはカッコいいからこの形でいい!
上位チームと100馬力も違ったなら、かっこ悪くして少しダウンフォースを稼いでも、結果が覆るほどにはならなかったのでは
ロスマンズ、契約成立して資金力があったら話題性だけでなくもっと楽しませてくれたかも。
でも件のフロントウイングもデザイン的には美しく、車体カラーとも相まってドルフィンの美しさだった。
ティレルかっこよかったなぁ無限ホンダが載った時は嬉しかった。
ハイノーズの先駆け!デザインはピカイチ!八の字にしたのはやはり見栄えか!わかってる!!!
中嶋さんはインタビューで018の方がドライブしやすかったと言っていたな、019でダウンフォースをウイングに頼らなくて良かった分、他のV8カスタマーチームよりリヤウイングは小さめになったメリットはあったのかな、ハイノーズを見たティレルオーナーは激怒しようがハーベイとミジョーが加入条件で「開発予算の確保」を出していたが89年のカラーリングが物語るように資金不足の不満がその頃から燻っていただろうし。
ティレル019=中嶋悟
1990年のマシンが中嶋が乗った車で一番良かったのではと思う
カラーリングもかっこよかったしアレジが早すぎ
1991年はホンダエンジンが重くてマッチングが悪くコスワースのほうが良かったと聞きました
このマシーンでフォードHBでグットイヤーだったら・・・
今見ても美しいですよね。
ただ、「見栄えを気にして」がデメリットになったのは残念ですねぇ(笑)。
後に他のチームがこぞって取り入れたのを見て素人考えで
「もっとティレルに資金があればなぁ」
とか思ってました。
実際は関係ないんでしょうけどね。
マゼラン海峡で
シンドバッドになって~
………………
聞こえるだろlove song
ブリキで出来た水中翼船みたいだね~
ティレル019はハイノーズの元祖ではない。ウイングの形状が革新的であったのである。
ハイノーズそのものは、89年のフェラーリ640も実現していたが、ウイングは直線形状だった為、分かりにくいのである。
最後はチームをBARに売却してお金を得たケン・ティレルだが残されたチームメンバーは最悪の憂き目にあった事を忘れてはならない
パッケージで可能性を感じた初めての車両でした。
なるほど、ティレルはF1界のセガってことか
資金難助けてくれる大川会長の様な人はおらんかったけどな
愛されっぷりとかは似てるかもしれん
ティレル019は今見てもカッコいいマシンですね!でもハイノーズによって足を持ち上げて運転する形になるため、ローノーズに慣れたベテランのドライバーにはあまり評判が良くなかったと聞きました。ハイノーズの方が速いからドライバーも適応ぜざるを得なくなっていったのでしょう
いつも良い所まで行ってもタイヤがヘタレて後退してました、タイヤが良ければ、と観てて悔しかったね。
いやいや、翌91年にはマクラーレンとコローニ以外のチームが019を真似て多かれ少なかれノーズ(モノコック)下をえぐって来た。ハイノーズは瞬く間にF1に広まったよ。
018もノーズを少し持ち上げていて、019のテストベット的な車だったのでしょうか。
アレジ早かったな🤔誰だ?って驚いた記憶がある😅
ロータス最後の革命マシン?
1987年のロータスと99Tを解説
これは別動画ですね(笑)
幻の
ROTHMANS tyrrel HONDA
見たかったは。
見栄え等気にせず
真っ直ぐでやってたら……
もっと上位に行き (゜-゜モッタイナイ
後年の資金不足も クリア出来てたかも。
個人的にはピレリじゃなきゃ中嶋悟も表彰台上がれてたかなぁって思わんでもない
今更言ってもしゃーないけど
こうやって何十年後に『たられば』を語るのも楽しいですよね。
@@wanikenospe あのころのF1はホント面白かったわ
ぶっちゃけ燃料補給が始まって白けてそれ以降見てなかったわ
たらればですが
ハイノーズコンセプトを続けていたら
ベネトン並みの速さを得て片山右京の成績も変わっていたかもですね
ベネトンで走るのを見たかったですね。
はじめはなまずなんて言われてましたね。
本当はおベネトン型の吊り下げ一枚タイプだったようですね。
92年に途中から左右のウイングを繋ぐ平坦な部品を追加していましたからね
フロントウィングの見栄え気にしてちゃ勝てん。
カッコ気にした分補強も必要でその分重量増加
エンジンも他チームより100馬力近く劣る
何とか市街地サーキットでは活躍したけどエンジンパワーが物を言う高速サーキットではムリ有るよな。
ハの字形状は、見栄えだったんだ...。
確かに格好は良かったけれど、
プラモデルで作る際も塗装や接着が面倒だった。
美しいマシン!
たらればだけど、020でホンダエンジンとドッキングさせたらシャーシとエンジンのバランスが悪くなってしまった。フォード、イルモア、ヤマハなどの軽量コンパクトなエンジンと組んだ方が速いマシンに仕上がったので、019で一時期噂されていたロスマンズのようなスポンサーがしっかりついて開発がきっちり進んでいたら、ウイリアムズ・ルノーFW14シリーズと並んで「空力とシャーシとエンジンのトータルバランスで速いマシン」として語り継がれたのかも。