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ケンタッキーフライドチキン食いながら、あばら骨を取り出して「鶏肋、鶏肋。」と言った三国志好きの友達がいたがそういうエピソードと意味だったのか。
そういう友達が欲しいわ!
その人とは気が合いそうだ。
作り話しです。
司馬昭の故事は現代でも使われていましたね
三国志大戦で張遼が自分で『遼来来』って叫ぶのすごい嫌
遼来々と似たような言葉は世界中にあって フランスでは黒のエドワードが来る(黒太子) 韓国では鬼上官(加藤清正)が来るという話がある
鶏肋は、その後曹操が退却したときに楊修の顔が浮かんだまでがワンセット
確かにそこまでキッチリ思い浮かびますね。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」「泣いて馬謖を切る」ってのが、出てない中ではパッと出たかな?
呂蒙と一緒に学問を薦められた蒋欽も後に孫権からはその行いは人々の模範となり、国士であると讃えられてるくらい成長しているのに陰に埋もれがちなのが悲しい
疎きは親しきを間てず とはフェミニストとLGBTqとの争いにも使えるな。
曹植が官職を剥奪され追放されるのは子供の当時は「これは惨い」と思ったけど、その後の晋の時代には王子達が各地で反乱を起こすのだから、賈詡はそういうのも見越して「追放すべき」と助言してたんだろうなぁ…
白眉と泣いて馬謖をきる、兄弟で真逆な故事成語なってるのがなんたとも 三国志好きなので楽しみ
某,T中Y樹氏も、「三國志」好きだから,あちこちに引用してるが、孔明は(あまり)好きじゃ無いみたいだ。(40年近く前)銀英伝,最初に読んだ時,[関羽や張飛まで幕下にいる]曹操軍V,S[劉備亡き後の]蜀漢て感じがした。特に(2巻の)アムリッツァ後。w
危急存亡の秋、出師の表が横山三国志49巻のオマケとして載ってましたね。すごい熱意が伝わってくるんですよねえ…。
鶏肋鶏肋(´・ω・`)
「読書百遍義自ずから通ず」もそうですね。「魏志」王粛伝に記述があります。
待て あわてるな これは孔明の罠だ
料理人「殿、本日のメニューは鳥料理セットにございます。」曹操「ほう、鶏肋か。」オタ友「曹操さん、ジャンクPCを開けたら懐かしのCPUありましたよ。」曹操「ほう、K6か。」
「梅を望んで渇きを止む」は曹操の機転を評する言葉として使われますね。元ネタは戦争に行ったとき水かなくて困った兵士たちに曹操が「あの山を越えれば梅の林があるから好きなだけ食べろ」(「梅=酸っぱい」という条件反射で口の中に唾液が出て口の中が潤った)と鼓舞して渇きを忘れさせたこと。
11:04 あれ?「馬氏の五常、白眉最も好し」の馬良は長男じゃなかったっけ?四男の説もあるのか
字が季常なので四男ですね。
「季」は中国語で「四」を表す言葉なので四男ですね。ちなみに馬謖の字「幼常」は兄弟の末っ子という意味になります。
勉強になります!
関係ない話だが15:17俺の元同僚に「江夏」って書いて「こうか」って名字の奴がいた。
蒼天の関羽と張遼は強過ぎてもはや人ではない…鶏肋好き何かを泣く泣く諦める時に使って納得したい
自分としては、『老いて、益々盛ん』を挙げたいですね。もとネタとして、黄忠があげられますが、自分自身歳を重ねても全力を尽くして生きて行きたいものですね🤗
馬謖のフラグを回収しないとは
君子危うきに近寄らず中国の数ある故事の中で一番実用性のある言葉だな
「破竹の勢い」も三国時代、というか厳密には西晋成立以降の時代になりますが。荊州に駐屯していた晋の都督である杜預が孫皓の治める呉を、機は熟したと見て王濬と連携して侵攻した際、あまりの進軍ぶりに簡単に折れることのない竹が薙ぎ倒されていくかの如くと例えられたと聞いています。
破竹はずっと竹は縦に切れ目を入れるとパカッと割れるからだと思ってた💡
@@小覇王りつ 一般にはあなたの解釈が正しいかと。けど、スコッチエッグさんの聞いた解釈も面白いですね。仕事の現場に竹林があるとたいそう苦労する身としては特に…
|ω・`)…破竹の2連勝……
モテモテ王国の「泣いて馬謖をメッタ斬り」はくっそワロタ。あと「むむむ」とか。
タヒせる孔明大爆走もクソワロタ記憶
銀魂はもっと酷いかも(下方面に)「女子3日会わざればパンパンしてみよ」とかw
楊脩の優秀だけどなんか腹持ちらなん感じをよく絵にしてるわ。天才やな
ここで述べられなかった故事成語で、ぱっと思い付くのは「反骨」「死せる孔明、生ける仲達を走らす」あたりかな。それと「七歩の才」で読まれた、豆を煮るに豆殻を燃やし・・・という漢詩が好きだ。
兄弟喧嘩や内ゲバを、豆を煮るに豆殻を燃やすと言いますよね、西郷ドンも寺田屋事件の顛末を聴いて言ったんですよね、もう薩摩は勤皇の二文字は言えんと。
寺田屋事件だった
死せる諸葛、生ける仲達を走らす。演義の小題はこれだったはず。
先頃、最終回を迎えたアニメ「ダイの大冒険」にも、三国志が元ネタのセリフがあります。魔王ハドラーの命令で百獣魔団軍団長クロコダインが軍勢を率いて主人公ダイの討伐に乗りだしますが、逆に手傷を負わされて一時撤退。そして、二度目。格段に強さをましたダイに追い詰められたクロコダインが「『男子、三日会わざれば刮目して見よ。』と言うが、あの時より強くなっている。油断できない。」三国志のセリフがダイの大冒険で聞けるとは思わなかった。
クロコダインは魯粛だった…?
死せる孔明生きる仲達を走らす↓横山三国志「げえーっ孔明‼」
張飛の「おい水がいくぜ」はほんとエスプリ利いててすき
アニメでは関羽「おい、水が行くぜ」張飛「鼻水じゃねえの」ってなってて、張飛ひでえって思いましたねwあれは台本なのかそれとも声優の藤原さんのアドリブだったのか…w
曹軍が攻めてきた時の「大変な野火ですな、水を向けて消したらどうです」も好き
別のでは張飛「これは水どの、ご機嫌麗しゅう・・・」後に張飛「オレは孔明殿を信じるぜ‼️」関羽「お前、いつの間に水信者になったんだ❓」張飛「なんせともに戦場を駆け抜けた仲だもんな‼️」このやり取り好き
確か正しくは「遼来遼来」だったような。「遼来来」は吉川三国志の造語じゃなかったですかね。「遼来来」が言いやすかったもんだから広まったようで。阿蒙の阿の字は幼名に用いる言葉だったですかね。大人に言うのだから相当バカにしているのは間違いないですね。蒙ちゃん、蒙ちゃんってことですから。趙雲に助けられた時の赤ん坊の劉禅の幼名は「阿斗」でしたし、曹操は「阿瞞(あまん)」でしたっけ。
登山が何で山に登るのか?と問われて答える「そこに山があるから」って言葉は、実は歴史上初の登山家である馬謖が語源
曹植と根津っちはちょっと似てる……かな?
やっぱ、待て待てこれは孔明の罠だ。が一番だな。
あれ?待て!慌てるな!これは孔明の罠だ!じゃなかった?
「げぇ関羽」が好きだな(笑)
そんなものはない!
七歩の詩の(ある意味で)MVPでもあるお母ちゃんがおれへん
お払い箱とか破竹の勢いとかも三国志よね
動画で挙げられなかった中で三国志由来と知って驚いたのは「花も恥じらう」と「玉のお肌」ですね
曹操が劉備に向かって言った「君と余だ」が印象に残る。故事成語ではないが・・・
その直後に玄徳が、雷に恐がったフリをしている方が、どちらかと言えば印象に残っている。
まさに超クセ者同士の腹の探り合いで面白いよね
ごめん、仕事の報告書見てどうなけと?って感じになったな 出師の評
三国志関連で言えば「十で神童、二十歳過ぎればただの人」も入りますかね。孔子の子孫である孔融(10歳)が孟子の子孫を訪ねた際の、第三者からの評価ですが。そう言われた孔融(10歳)は「では貴方も子供の頃は賢かったのですね」と返したそうです。
ことわざじゃないかもだけど、張任の“忠臣二君に仕えず”も偶に使う人がいますね
それ、旦那からのプロポーズの際に言い合ったっけ。「互いに浮気しない」って意味で。おかげでずっとラブラブです♡
もともと史記だけどな
曹否は『七歩で』『兄弟という言葉を使わずに』兄弟の詩を作らないと斬るって言ったんだよな。まさに殺す気まんまん。そして、『豆がらを燃して豆を煮るに、豆は釜中にありて泣く。元は同じ根より生ぜしに、相煎ること何ぞ甚だ急なる。』は、名作だからおぼえてしまった。同じ根より生まれた(兄弟)豆がらが、豆を茹でるというのはいったいナニがあったというの?みたいな意味なんだけど、スゲーと思った。
饅頭も確か三国志が由来だったかな孔明が南蛮平定した時、川に捧げる人の頭を饅頭で作った人の頭を捧げて孟獲たちを信用させたやつ
ですなほかにも蕪かなんかを諸葛菜と呼ぶのも諸葛亮が育ててたからの所以もありますななお逆に馬謖の演技での「敵を打ち破るには高所に位置取り竹を割るがごとく」うんたらかんたらの破竹の勢いこれは彼より後の晋の将軍杜預が語源を持ちますねまぁ演技があとから作られたものだからしゃーないですが
演義で馬岱さんの兵が死んだり云々で南蛮の風習ではひとを生け贄にする、ってのをやめさせるために孔明先生が肉まん?をひとのかわりに捧げたとか🤔
孔明の饅頭は伝説で、猛獲を何度も逃がしたは創作です反乱自体が半年ほどで鎮圧されたことのみが記されてます
断琴の交わりはあるとおもったけどなかったか……
鶏肋って言葉まんま今のプーチンのロシアやん。ズルズル戦争を続けても勝ち目は薄く、かといって撤退してしまえば国際社会からの批判以上に国内から糾弾されてしまうから止めるに止めれない状態なんだよな。
そう考えると曹操の方がやりようによっては、勝ち目ありますね。
東京オリンピックと同じでもプーチンはもともと続けるつもりだろ
プーチンが鶏肉のボルシチ食べながら「鶏助、鶏助…」
呂蒙と孫権の話は好き。俺も勉強してるんだけど、お前は俺より忙しいの?と殿様から諭され、昔の事を少しだけ知って欲しいだけだよと勉強を勧められる。仕方なく家庭教師つけて勉強したら最後は魯粛を驚かせるほど成長し、関羽を討ち取る事に成功している。孫権が後に呂蒙は本当によく勉強したと述べてるね。
黄蓋のネタは、義経記の「勧進帳,関所越え」に、通じるな。
破竹の勢いが一番好き
飛檄檄を飛ばすっていうのもそうですよね。横山三国志で解説があったような記憶です。
曹操が董卓追討軍を結成する時の話でしたっけ?
鞭打ちの刑と棒叩きの刑は刑としての重さが違います。黄蓋が受けたのは棒叩きの方。
髀肉の嘆について補足すると三国志(後漢末期)の時代には鞍は有っても鐙が無く完全に太腿の締め付けで馬をコントロールしなければならなかったので馬に乗っていた武人の太腿に贅肉なんてつく筈もない鐙(アブミ)は馬に乗る際に足を引っかける紐と輪で出来たアレコレ無しで乗っていたんだから当時の人達の乗馬技術には恐れ入る
なので呂布や董卓は弓の名人なのです戟とか振り回しても歩兵に掴まれたら、引っ張り落とされてしまう
面白い、チャンネル登録した👍
泣く子も黙るって遼来来からきてたの知らんかった
故事成語とは違うが、謝罪や反省するときに頭を丸める(坊主にする)のは、石亭の戦いで周魴が魏に偽投降するときに頭を丸めたのが始まりだ、と聞いたことがある
これは渋いチョイス
単行本60巻の他に発行された『横山光輝の三国志面白ゼミナール』か『横山光輝の三国志辞典』に故事について紹介されていてなあ…
そういえば、全巻に加え、面白ゼミナールも持っていたの思い出した。どこいったかなぁ。多分全巻と共に実家の倉庫のどこかに埋もれているはずなんだがなぁ。
苦肉の策は残念ながら三國志が語源ではないですね・・・孫子に「苦肉計」としてすでにありますしその孫子を編纂したのは他でもない曹操ですし
馬謖は優秀な登山家
「三顧の礼」もそうだよね
もっと酷いのが三扼九叩の礼、か・・・
禅譲のときも2回は断るのが儀礼なので、名士の採用も三顧の礼が普通のようです張昭も何回か断ってる
儒教では身分差を徹底することで秩序とする宗教なので。ちなみに三跪九叩の礼は清朝からなのかな?後漢宮廷内では、家臣は裸足が義務だったり、小走りしないといけなかったり、もっと大変だったみたい
おバカの蒙ちゃんがおばけのQちゃんみたいに聞こえるw
「老いて、なお盛ん」な黄忠は今回出てこない?
泣いていたのは馬謖の方で正確には泣いて嫌がる馬謖を切るとの噂も…
孔明を軍師と言うより、政治家と見れば?。
泣いてる馬謖を斬
孔明の悔し涙なんだよなぁ
処刑される方が泣いて詫びるのは普通ですからね。斬る方が泣いているから故事成語として残る。
「銀英伝、六巻」でも、皮肉たっぷりに流用されてたな。w
是温州蜜柑成(うんしゅうみかんでございます)温州の蜜柑は美味しいね、と言われているが実は温州は特に蜜柑の名産地というわけではなく、曹操が温州の蜜柑を美味しいという間違ったイメージを持ったことから発言、温州の蜜柑は美味いという誤解が広まったことから、イメージだけで軽はずみなこと言っちゃだめだよ、という戒めの故事である民明書房刊「光輝くは横にある山である」より
温州みかんは演義の話で、産地は日本説もあります
史記のが勉強になる。
皮肉のタンすき。
「老いて益々盛ん。」は入ると思ったんだが。
これは元ネタを知らぬものに誤解されてしまうんですよね…。
@@なんでも食う犬 さんへ黄忠、だよな?
@@Kマサヒロ-w6l元は「老いては益々壮なるべし」だと思われて この語句は馬超の先祖である馬援さんが由来なので時代が三国志より大分前劉備が後漢の末裔でこの馬援さんはその後漢の建国に関わった人後この語句は「老いても精力的に行動するべき」という心構えであって「老いているけど元気な人」は矍鑠(カクシャク)の方に分類されるかとなおこっちも馬援
中国では「阿」という文字そのものに「~ちゃん」って意味があるんだよね曹操も子供の頃は「阿瞞(あまん)」と呼ばれてたし、劉備も母上には「阿備」と呼ばれてたその息子である劉禅も幼名は「阿斗」だし、要は子供扱いするときの表現らしいけど孔明の嫁も黄承彦の娘ってことで「阿承」と呼ばれてたとか
呉の軍勢は基本船で移動してるから、忙しくしていても太ももには肉が付くな。
三國志から由来する故事成語って面白いものばかりですよね。たまたま「望蜀」という言葉を知っていて、それが曹操が関連していたなぁと記憶していたので少し調べてみました。曹操から初出と思っていましたが、ちょっと勘違いしていたようです。元々は後漢の光武帝の「蜀取ったるでーヒャッハー」(隴を得て蜀を望む。後漢書・岑彭伝)が初出で、積極性を意味するのに対し、曹操は司馬懿の「蜀取っちゃいなyo!」という進言に得隴望蜀を挙げて「人間の欲望とは際限ないものじゃ」と戒め、結局進言を採用しなかった(”望蜀の嘆”)とか。現代で使われる意味としては曹操の言だけど、意味が真逆なのは面白いです。
現代三国志では、「登山家」が新たに加わりましたね(笑)
その登山家、優秀な人なんやろなぁきっと、兄弟も優秀な人たちなんやろなぁ
ちゃんと登山計画立てないから遭難改め「曹難」しましたね。
ダイナミックおうコラたこコラ!
郭嘉が曹操に説いた「兵は神速を貴ぶ」も現代に通じる言葉と思う。大事なことほどダラダラやってしまうことも多いので、サッと取り掛かって、サッと終わらすということを心がけているが、できないんだなこれが。
孫氏の兵法の「兵は拙速を聞くが、未だ巧久を睹ず」を思い出します
わ か っ て て も 出 来 な い
なかなかできないんだよねぇ。失敗したら、単に拙速と言われてしまいますしねぇ。
曹操(『魏武注孫子』の編者)「郭嘉、お前誰に孫子の講釈してんの」
反対に迂直の計もあるので兵法は臨機応変が大事
『月旦評』の回にて曹操が、「治世之能臣 乱世之奸雄」と評された時に、「それもよい」の台詞は痺れました。
曹操のことを言うと、曹操が来る。(噂👂️をすれば影)この言葉を聞くと、妙に怖く感じる。
「彼奴は毒にも、薬💊にもならない。」と言うが、曹操は英雄にも、悪雄に馴れる、稀有な人材かも?。大陸の、3分の2を治める。歴史が必要とする時に登場する。
自分が見た「マンガ中国の歴史」では「平和な世なら大悪党、乱世なら英雄」の方を採用して許劭「これからの時代は乱世、お前の時代が来る…!(背中向けてキメ顔)」曹操「ありがとうございます、きっと大きな人物になって見せます!」ってシーンになってたけど、若い頃の曹操ならこっちの方が自分の中のイメージに近い
勝海舟の親父が、そう評されてたらしいね。w 信長等戦国武将の大半も、江戸中期の旗本or御家人の息子だったら、そんな感じだったのかもな?
@@Kマサヒロ-w6l 夢酔独言読んで、坂口安吾が堕落論を書いたと聴いたコトありますが。
「饅頭」「まんじゅう、まんとう」孔明と孟獲の南蛮成敗後、激しい川を沈めるために生首ではなく、肉詰めして生地で作った塊を投げて激流が止まったのが「饅頭」の語源です。
私が真似たいのは士別れて三日刮目して相待す・・・現実は三日坊主。英雄の志を真似るのは並大抵のことではありませんね。
泣いて馬謖を斬るは日常のヒヤシンス回でしか使い道がない様に思える、、、
「呉下の阿蒙」そのものも「いつまでも進歩しない人」の意味で故事成語になってますわなそもそも「男子別れて三日~」の話をさらに砕いて「見直す」という言葉の語源になったという説もあるそうで
歴史より国語の教科書に派手に載る変態www曹操一族
漢文の参考書に確かに曹操と曹植の名がありました。
曹操時代の改革は三公を廃止して自分が独裁したとかで政治的改革は曹ヒ時代の九品官人法になるでしょう
こうしてみると、むしろ史記の方が凄いような。時代も遥か前だし。完璧、四面楚歌、一攫千金とか普通に使うしなあ。国士無双なんて麻雀の役にもなってる。たまに引用される程度なら刎頸の友、呉越同舟、奇貨、臥薪嘗胆等数多すぎる。
そうですね 自分的にも故事成語≒春秋戦国(史記/戦国策)ですが、それでは再生数がががキングダム以降多少は変わったのでしょうか正直、三国志演義は羅漢中先生のロマン盛り盛りで「実用性」はあまり無い様な気がします
漢検1級勉強中に完璧は後ろに帰趙とセットで覚えました。稀に四字熟語で完璧帰趙が出てきました。確か由来は藺相如でした。
むむむ… 何がむむむだがない😂
一つくらいは、民明書房に由来が載っていたりして。
古事記かも…
載っていてほしいです。byちな男塾
ムムム→なにがムムムだ!
【孔明の罠】
苦肉の計は苦し紛れの策と誤用してる人もいるね
その意味で使っている人しか見かけたことがないです
劉備の息子、阿斗(後の劉禅)。この人を一生懸命守った(保った)ことが「阿保」の語源だったような気がしますが・・・皆さん、聞いたことあります?
アホの坂田をどう説明すればいいんだ
演義では趙雲が頑張ってるけど、史書では普通に保護されたとしかないのと劉禅も故郷(益州は超ド田舎です)に戻りたいか訪ねられたときに、ここ(都)の暮らしも良いと応えただけでもしも故郷のがよいと応えたら(ここの暮らしに不満があるとして)、処分か処刑されてます
温州蜜柑はないの?w
泣いて馬謖を切る
劉琦は三国志(横山版)で孔明を焦らせた数少ない人間の一人
はしごを外すってやつですねw
@@なんでも食う犬 そういや日本語で「はしごを外す」ってあるけど、こっちのはまた意味が違いますよね?w
他に有名なのは白眼と破竹の勢いですね
「曹操のうわさをすると曹操がやってくる」なんてのなかったっけ?
噂をすれば影、じゃなかったかな
「青島だぁ!」クレージーの谷啓さんが番組作家の青島幸男氏の口真似で「谷啓だぁ!」と言ってみたら噂の本人が出てきたという故事による。民明書房「狂猫記」より
说到曹操就到了
待て、あわてるな!これは○○の…
多くの故事成語は乱世の中で産まれていったんだよね。孫子の兵法なんかは特に日常生活や仕事、人間関係での心構えにも通ずる所が多い孫子でもなければ三国志でもないけど、個人的に好きなのは「刎頚の交わり」と「完璧」かな。どちらも同じ人が語源になってる。三国志の中で好きな故事成語は動画にもあった「男子、三日会わざれば〜」と「三顧の礼」と「げえ!関羽!」だな
孫子は曹操が詳しい注釈つけて広まったし、ある意味三国志が元ネタと言って良い😉
孔明の罠だ、何がむむむだ、温州蜜柑でございます、げえっ関羽、甘寧一番乗り、ジャーンジャーンジャーン、いやでございます、とてもつらい、なども有名
曹操の詩文の『老驥櫪に伏すとも、志千里に在り』(略して志在千里、驥は千里を走る馬、櫪は厩の事)。故中曽根総理大臣や渡邉先生(三国志の研究で有名な大学の研究者)がサインを求められた時に書いている言葉です。ゲームさんぽの『三国志14#2』を見ると意味がわかって感動しますよ。
志在千里は三國志14で取り上げられるまで全く知らなかったけど、ホントいい言葉。
でも平成初期に流行った「反,三國志」では、disられまくりの、曹操(猛徳)
烈士暮年壮心已まず
脾肉の嘆に関しては日々痛感してます・・・週末の楽しみで暴飲暴食したら月曜日には身体が重く意味不明な汗ダラダラ・・・
自分は、曹操と楊脩のエピソードから生まれたという、有知無知三十里とかが好きですね
高校の国語の教科書の漢詩のところで、三国志関連がでてきた覚えがあります。出師表や水鏡先生の臥竜鳳雛の下りが書かれていたんですが、中でも七歩の詩はかなり衝撃を受けましたね。曹丕の無茶振りとも言える「兄弟という言葉を用いずに兄弟をテーマにした詩を七歩以内で作れ」をあっさりとクリアしてしまった。おそらく詩が出来なければ命を失ったであろう状況でそんなことを平然とやってのける。しかもその内容は、当時三国志を全然知らなかった私でさえ感動して今でも内容を覚えているくらいです。曹丕自身も詩人であったため、弟の天才ぶりには嫉妬しつつも認めざるを得なかったのでしょうね。
七歩の詩は創作なんですけどね
煮豆燃豆萁豆在釜中泣本是同根生相煎何太急
ほうコーンフレークが入っているケロッグケロッグ
張遼って上司がしっかりしてればどんどん成長して、出世していく人。本人のセンスや才能を生かすも〇すも上司次第というのが張遼に出ている。最初の丁原はともかく、董卓、呂布は脳筋で自分のことしか考えてない典型的なダメ上司。董卓はジャイアンとスネ夫のような運営で、李儒のようないつも小狡いことしか考えず、媚びを売ってばかりのスネ夫的な部下ばかり重用して、張遼は能力はあるが媚びないので気にかけてないし、呂布なんてワンマン運営で側近の陳宮の才能さえ生かせない典型的なダメ上司でいつまでも冴えない武将だったけど、曹操は能力あるのに上司に恵まれない、きっと媚びないし、裏切らないであろうと見抜いて育てることにしたんだろうね。バカな上司と共に運命を共にしなくてよかった。
語呂合わせ?でよく使われる?(自分がよく頭に浮かんじゃうw)人中の呂布馬中の赤兎…例(○ンチョーの夏、日…)
故事成語は三国志もだけど史記からも多くありますね。秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた、「鹿をさして馬となす」が有名ですな。
落語の鹿政談みたい(笑)
苦肉の計って兵法三十六計になかった…?
ケンタッキーフライドチキン食いながら、あばら骨を取り出して「鶏肋、鶏肋。」と言った三国志好きの友達がいたがそういうエピソードと意味だったのか。
そういう友達が欲しいわ!
その人とは気が合いそうだ。
作り話しです。
司馬昭の故事は現代でも使われていましたね
三国志大戦で張遼が自分で『遼来来』って叫ぶのすごい嫌
遼来々と似たような言葉は世界中にあって フランスでは黒のエドワードが来る(黒太子) 韓国では鬼上官(加藤清正)が来るという話がある
鶏肋は、その後曹操が退却したときに楊修の顔が浮かんだ
までがワンセット
確かにそこまでキッチリ思い浮かびますね。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
「泣いて馬謖を切る」ってのが、出てない中ではパッと出たかな?
呂蒙と一緒に学問を薦められた蒋欽も後に孫権からはその行いは人々の模範となり、国士であると讃えられてるくらい成長しているのに陰に埋もれがちなのが悲しい
疎きは親しきを間てず とはフェミニストとLGBTqとの争いにも使えるな。
曹植が官職を剥奪され追放されるのは子供の当時は「これは惨い」と思ったけど、その後の晋の時代には王子達が各地で反乱を起こすのだから、賈詡はそういうのも見越して「追放すべき」と助言してたんだろうなぁ…
白眉と泣いて馬謖をきる、兄弟で真逆な故事成語なってるのがなんたとも
三国志好きなので楽しみ
某,T中Y樹氏も、「三國志」好きだから,あちこちに引用してるが、孔明は(あまり)好きじゃ無いみたいだ。(40年近く前)銀英伝,最初に読んだ時,[関羽や張飛まで幕下にいる]曹操軍V,S[劉備亡き後の]蜀漢て感じがした。特に(2巻の)アムリッツァ後。w
危急存亡の秋、出師の表が横山三国志49巻のオマケとして載ってましたね。すごい熱意が伝わってくるんですよねえ…。
鶏肋鶏肋(´・ω・`)
「読書百遍義自ずから通ず」もそうですね。「魏志」王粛伝に記述があります。
待て あわてるな これは孔明の罠だ
料理人「殿、本日のメニューは鳥料理セットにございます。」
曹操「ほう、鶏肋か。」
オタ友「曹操さん、ジャンクPCを開けたら懐かしのCPUありましたよ。」
曹操「ほう、K6か。」
「梅を望んで渇きを止む」は曹操の機転を評する言葉として使われますね。
元ネタは戦争に行ったとき水かなくて困った兵士たちに曹操が
「あの山を越えれば梅の林があるから好きなだけ食べろ」
(「梅=酸っぱい」という条件反射で口の中に唾液が出て口の中が潤った)と
鼓舞して渇きを忘れさせたこと。
11:04 あれ?「馬氏の五常、白眉最も好し」の馬良は長男じゃなかったっけ?四男の説もあるのか
字が季常なので四男ですね。
「季」は中国語で「四」を表す言葉なので四男ですね。ちなみに馬謖の字「幼常」は兄弟の末っ子という意味になります。
勉強になります!
関係ない話だが
15:17
俺の元同僚に「江夏」って書いて「こうか」って名字の奴がいた。
蒼天の関羽と張遼は強過ぎてもはや人ではない…
鶏肋好き
何かを泣く泣く諦める時に使って納得したい
自分としては、『老いて、益々盛ん』を挙げたいですね。
もとネタとして、黄忠があげられますが、自分自身歳を重ねても全力を尽くして生きて行きたいものですね🤗
馬謖のフラグを回収しないとは
君子危うきに近寄らず
中国の数ある故事の中で一番実用性のある言葉だな
「破竹の勢い」も三国時代、というか厳密には西晋成立以降の時代になりますが。
荊州に駐屯していた晋の都督である杜預が孫皓の治める呉を、機は熟したと見て王濬と連携して侵攻した際、
あまりの進軍ぶりに簡単に折れることのない竹が薙ぎ倒されていくかの如くと例えられたと聞いています。
破竹はずっと竹は縦に切れ目を入れるとパカッと割れるからだと思ってた💡
@@小覇王りつ 一般にはあなたの解釈が正しいかと。けど、スコッチエッグさんの聞いた解釈も面白いですね。
仕事の現場に竹林があるとたいそう苦労する身としては特に…
|ω・`)…破竹の2連勝……
モテモテ王国の「泣いて馬謖をメッタ斬り」はくっそワロタ。
あと「むむむ」とか。
タヒせる孔明大爆走もクソワロタ記憶
銀魂はもっと酷いかも(下方面に)「女子3日会わざればパンパンしてみよ」とかw
楊脩の優秀だけどなんか腹持ちらなん感じをよく絵にしてるわ。天才やな
ここで述べられなかった故事成語で、ぱっと思い付くのは「反骨」「死せる孔明、生ける仲達を走らす」あたりかな。
それと「七歩の才」で読まれた、豆を煮るに豆殻を燃やし・・・という漢詩が好きだ。
兄弟喧嘩や内ゲバを、豆を煮るに豆殻を燃やすと言いますよね、西郷ドンも寺田屋事件の顛末を聴いて言ったんですよね、もう薩摩は勤皇の二文字は言えんと。
寺田屋事件だった
死せる諸葛、生ける仲達を走らす。
演義の小題はこれだったはず。
先頃、最終回を迎えたアニメ「ダイの大冒険」にも、三国志が元ネタのセリフがあります。
魔王ハドラーの命令で百獣魔団軍団長クロコダインが軍勢を率いて主人公ダイの討伐に乗りだしますが、逆に手傷を負わされて一時撤退。
そして、二度目。
格段に強さをましたダイに追い詰められたクロコダインが
「『男子、三日会わざれば刮目して見よ。』と言うが、あの時より強くなっている。油断できない。」
三国志のセリフがダイの大冒険で聞けるとは思わなかった。
クロコダインは魯粛だった…?
死せる孔明生きる仲達を走らす
↓
横山三国志「げえーっ孔明‼」
張飛の「おい水がいくぜ」はほんとエスプリ利いててすき
アニメでは
関羽「おい、水が行くぜ」
張飛「鼻水じゃねえの」
ってなってて、張飛ひでえって思いましたねw
あれは台本なのかそれとも声優の藤原さんのアドリブだったのか…w
曹軍が攻めてきた時の「大変な野火ですな、水を向けて消したらどうです」も好き
別のでは
張飛「これは水どの、ご機嫌麗しゅう・・・」
後に
張飛「オレは孔明殿を信じるぜ‼️」
関羽「お前、いつの間に水信者になったんだ❓」
張飛「なんせともに戦場を駆け抜けた仲だもんな‼️」
このやり取り好き
確か正しくは「遼来遼来」だったような。「遼来来」は吉川三国志の造語じゃなかったですかね。「遼来来」が言いやすかったもんだから広まったようで。
阿蒙の阿の字は幼名に用いる言葉だったですかね。大人に言うのだから相当バカにしているのは間違いないですね。蒙ちゃん、蒙ちゃんってことですから。
趙雲に助けられた時の赤ん坊の劉禅の幼名は「阿斗」でしたし、曹操は「阿瞞(あまん)」でしたっけ。
登山が何で山に登るのか?と問われて答える「そこに山があるから」って言葉は、実は歴史上初の登山家である馬謖が語源
曹植と根津っちはちょっと似てる……かな?
やっぱ、待て待てこれは孔明の罠だ。が一番だな。
あれ?待て!慌てるな!これは孔明の罠だ!じゃなかった?
「げぇ関羽」が好きだな(笑)
そんなものはない!
七歩の詩の(ある意味で)MVPでもあるお母ちゃんがおれへん
お払い箱とか破竹の勢いとかも三国志よね
動画で挙げられなかった中で三国志由来と知って驚いたのは「花も恥じらう」と「玉のお肌」ですね
曹操が劉備に向かって言った
「君と余だ」
が印象に残る。
故事成語ではないが・・・
その直後に玄徳が、雷に恐がったフリをしている方が、どちらかと言えば印象に残っている。
まさに超クセ者同士の腹の探り合いで面白いよね
ごめん、仕事の報告書見てどうなけと?って感じになったな 出師の評
三国志関連で言えば「十で神童、二十歳過ぎればただの人」も入りますかね。
孔子の子孫である孔融(10歳)が孟子の子孫を訪ねた際の、第三者からの評価ですが。
そう言われた孔融(10歳)は「では貴方も子供の頃は賢かったのですね」と返したそうです。
ことわざじゃないかもだけど、張任の“忠臣二君に仕えず”も偶に使う人がいますね
それ、旦那からのプロポーズの際に言い合ったっけ。「互いに浮気しない」って意味で。おかげでずっとラブラブです♡
もともと史記だけどな
曹否は『七歩で』『兄弟という言葉を使わずに』兄弟の詩を作らないと斬るって言ったんだよな。まさに殺す気まんまん。そして、『豆がらを燃して豆を煮るに、豆は釜中にありて泣く。元は同じ根より生ぜしに、相煎ること何ぞ甚だ急なる。』は、名作だからおぼえてしまった。同じ根より生まれた(兄弟)豆がらが、豆を茹でるというのはいったいナニがあったというの?みたいな意味なんだけど、スゲーと思った。
饅頭も確か三国志が由来だったかな
孔明が南蛮平定した時、川に捧げる人の頭を饅頭で作った人の頭を捧げて孟獲たちを信用させたやつ
ですな
ほかにも蕪かなんかを諸葛菜と呼ぶのも諸葛亮が育ててたからの所以もありますな
なお逆に馬謖の演技での「敵を打ち破るには高所に位置取り竹を割るがごとく」うんたらかんたらの破竹の勢い
これは彼より後の晋の将軍杜預が語源を持ちますね
まぁ演技があとから作られたものだからしゃーないですが
演義で馬岱さんの兵が死んだり云々で南蛮の風習ではひとを生け贄にする、ってのをやめさせるために孔明先生が肉まん?をひとのかわりに捧げたとか🤔
孔明の饅頭は伝説で、猛獲を何度も逃がしたは創作です
反乱自体が半年ほどで鎮圧されたことのみが記されてます
断琴の交わりはあるとおもったけどなかったか……
鶏肋って言葉まんま今のプーチンのロシアやん。ズルズル戦争を続けても勝ち目は薄く、かといって撤退してしまえば国際社会からの批判以上に国内から糾弾されてしまうから止めるに止めれない状態なんだよな。
そう考えると曹操の方がやりようによっては、勝ち目ありますね。
東京オリンピックと同じ
でもプーチンはもともと続けるつもりだろ
プーチンが鶏肉のボルシチ食べながら「鶏助、鶏助…」
呂蒙と孫権の話は好き。
俺も勉強してるんだけど、お前は俺より忙しいの?と殿様から諭され、昔の事を少しだけ知って欲しいだけだよと勉強を勧められる。仕方なく家庭教師つけて勉強したら最後は魯粛を驚かせるほど成長し、関羽を討ち取る事に成功している。
孫権が後に呂蒙は本当によく勉強したと述べてるね。
黄蓋のネタは、義経記の「勧進帳,関所越え」に、通じるな。
破竹の勢いが一番好き
飛檄
檄を飛ばす
っていうのもそうですよね。
横山三国志で解説があったような記憶です。
曹操が董卓追討軍を結成する時の話でしたっけ?
鞭打ちの刑と棒叩きの刑は刑としての重さが違います。黄蓋が受けたのは棒叩きの方。
髀肉の嘆について補足すると三国志(後漢末期)の時代には鞍は有っても鐙が無く完全に太腿の締め付けで馬をコントロールしなければならなかったので馬に乗っていた武人の太腿に贅肉なんてつく筈もない
鐙(アブミ)は馬に乗る際に足を引っかける紐と輪で出来たアレ
コレ無しで乗っていたんだから当時の人達の乗馬技術には恐れ入る
なので呂布や董卓は弓の名人なのです
戟とか振り回しても歩兵に掴まれたら、引っ張り落とされてしまう
面白い、チャンネル登録した👍
泣く子も黙るって遼来来からきてたの知らんかった
故事成語とは違うが、謝罪や反省するときに頭を丸める(坊主にする)のは、石亭の戦いで周魴が魏に偽投降するときに頭を丸めたのが始まりだ、と聞いたことがある
これは渋いチョイス
単行本60巻の他に発行された『横山光輝の三国志面白ゼミナール』か『横山光輝の三国志辞典』に故事について紹介されていてなあ…
そういえば、全巻に加え、面白ゼミナールも持っていたの思い出した。
どこいったかなぁ。
多分全巻と共に実家の倉庫のどこかに埋もれているはずなんだがなぁ。
苦肉の策は残念ながら三國志が語源ではないですね・・・
孫子に「苦肉計」としてすでにありますし
その孫子を編纂したのは他でもない曹操ですし
馬謖は優秀な登山家
「三顧の礼」もそうだよね
もっと酷いのが三扼九叩の礼、か・・・
禅譲のときも2回は断るのが儀礼なので、名士の採用も三顧の礼が普通のようです
張昭も何回か断ってる
儒教では身分差を徹底することで秩序とする宗教なので。ちなみに三跪九叩の礼は清朝からなのかな?
後漢宮廷内では、家臣は裸足が義務だったり、小走りしないといけなかったり、もっと大変だったみたい
おバカの蒙ちゃんがおばけのQちゃんみたいに聞こえるw
「老いて、なお盛ん」な黄忠は今回出てこない?
泣いていたのは馬謖の方で正確には泣いて嫌がる馬謖を切るとの噂も…
孔明を軍師と言うより、政治家と見れば?。
泣いてる馬謖を斬
孔明の悔し涙なんだよなぁ
処刑される方が泣いて詫びるのは普通ですからね。斬る方が泣いているから故事成語として残る。
「銀英伝、六巻」でも、皮肉たっぷりに流用されてたな。w
是温州蜜柑成(うんしゅうみかんでございます)
温州の蜜柑は美味しいね、と言われているが実は温州は特に蜜柑の名産地というわけではなく、曹操が温州の蜜柑を美味しいという間違ったイメージを持ったことから発言、温州の蜜柑は美味いという誤解が広まったことから、イメージだけで軽はずみなこと言っちゃだめだよ、という戒めの故事である
民明書房刊「光輝くは横にある山である」より
温州みかんは演義の話で、産地は日本説もあります
史記のが勉強になる。
皮肉のタンすき。
「老いて益々盛ん。」は入ると思ったんだが。
これは元ネタを知らぬものに誤解されてしまうんですよね…。
@@なんでも食う犬 さんへ
黄忠、だよな?
@@Kマサヒロ-w6l元は「老いては益々壮なるべし」だと思われて
この語句は馬超の先祖である馬援さんが由来なので時代が三国志より大分前
劉備が後漢の末裔でこの馬援さんはその後漢の建国に関わった人
後この語句は「老いても精力的に行動するべき」という心構えであって
「老いているけど元気な人」は矍鑠(カクシャク)の方に分類されるかとなおこっちも馬援
中国では「阿」という文字そのものに「~ちゃん」って意味があるんだよね
曹操も子供の頃は「阿瞞(あまん)」と呼ばれてたし、劉備も母上には「阿備」と呼ばれてた
その息子である劉禅も幼名は「阿斗」だし、要は子供扱いするときの表現らしいけど
孔明の嫁も黄承彦の娘ってことで「阿承」と呼ばれてたとか
呉の軍勢は基本船で移動してるから、忙しくしていても太ももには肉が付くな。
三國志から由来する故事成語って面白いものばかりですよね。
たまたま「望蜀」という言葉を知っていて、それが曹操が関連していたなぁと記憶していたので少し調べて
みました。曹操から初出と思っていましたが、ちょっと勘違いしていたようです。
元々は後漢の光武帝の「蜀取ったるでーヒャッハー」(隴を得て蜀を望む。後漢書・岑彭伝)が初出で、積極性を意味するのに対し、
曹操は司馬懿の「蜀取っちゃいなyo!」という進言に得隴望蜀を挙げて「人間の欲望とは際限ないものじゃ」と戒め、結局
進言を採用しなかった(”望蜀の嘆”)とか。
現代で使われる意味としては曹操の言だけど、意味が真逆なのは面白いです。
現代三国志では、「登山家」が新たに加わりましたね(笑)
その登山家、優秀な人なんやろなぁ
きっと、兄弟も優秀な人たちなんやろなぁ
ちゃんと登山計画立てないから遭難改め「曹難」しましたね。
ダイナミックおうコラたこコラ!
郭嘉が曹操に説いた「兵は神速を貴ぶ」も現代に通じる言葉と思う。大事なことほどダラダラやってしまうことも多いので、サッと取り掛かって、サッと終わらすということを心がけているが、できないんだなこれが。
孫氏の兵法の「兵は拙速を聞くが、未だ巧久を睹ず」を思い出します
わ か っ て て も 出 来 な い
なかなかできないんだよねぇ。
失敗したら、単に拙速と言われてしまいますしねぇ。
曹操(『魏武注孫子』の編者)「郭嘉、お前誰に孫子の講釈してんの」
反対に迂直の計もあるので兵法は臨機応変が大事
『月旦評』の回にて曹操が、「治世之能臣 乱世之奸雄」と評された時に、「それもよい」の台詞は痺れました。
曹操のことを言うと、曹操が来る。(噂👂️をすれば影)この言葉を聞くと、妙に怖く感じる。
「彼奴は毒にも、薬💊にもならない。」と言うが、曹操は英雄にも、悪雄に馴れる、稀有な人材かも?。大陸の、3分の2を治める。歴史が必要とする時に登場する。
自分が見た「マンガ中国の歴史」では「平和な世なら大悪党、乱世なら英雄」の方を採用して
許劭「これからの時代は乱世、お前の時代が来る…!(背中向けてキメ顔)」
曹操「ありがとうございます、きっと大きな人物になって見せます!」
ってシーンになってたけど、若い頃の曹操ならこっちの方が自分の中のイメージに近い
勝海舟の親父が、そう評されてたらしいね。w 信長等戦国武将の大半も、江戸中期の旗本or御家人の息子だったら、そんな感じだったのかもな?
@@Kマサヒロ-w6l 夢酔独言読んで、坂口安吾が堕落論を書いたと聴いたコトありますが。
「饅頭」「まんじゅう、まんとう」
孔明と孟獲の南蛮成敗後、激しい川を沈めるために生首ではなく、肉詰めして生地で作った塊を投げて激流が止まったのが「饅頭」の語源です。
私が真似たいのは士別れて三日刮目して相待す・・・現実は三日坊主。
英雄の志を真似るのは並大抵のことではありませんね。
泣いて馬謖を斬るは日常のヒヤシンス回でしか使い道がない様に思える、、、
「呉下の阿蒙」そのものも「いつまでも進歩しない人」の意味で故事成語になってますわな
そもそも「男子別れて三日~」の話をさらに砕いて「見直す」という言葉の語源になったという説もあるそうで
歴史より国語の教科書に派手に載る変態www曹操一族
漢文の参考書に確かに曹操と曹植の名がありました。
曹操時代の改革は三公を廃止して自分が独裁したとかで
政治的改革は曹ヒ時代の九品官人法になるでしょう
こうしてみると、むしろ史記の方が凄いような。時代も遥か前だし。
完璧、四面楚歌、一攫千金とか普通に使うしなあ。
国士無双なんて麻雀の役にもなってる。
たまに引用される程度なら刎頸の友、呉越同舟、奇貨、臥薪嘗胆等数多すぎる。
そうですね 自分的にも故事成語≒春秋戦国(史記/戦国策)ですが、それでは再生数ががが
キングダム以降多少は変わったのでしょうか
正直、三国志演義は羅漢中先生のロマン盛り盛りで「実用性」はあまり無い様な気がします
漢検1級勉強中に完璧は後ろに帰趙とセットで覚えました。
稀に四字熟語で完璧帰趙が出てきました。確か由来は藺相如でした。
むむむ… 何がむむむだ
がない😂
一つくらいは、民明書房に由来が載っていたりして。
古事記かも…
載っていてほしいです。
byちな男塾
ムムム→なにがムムムだ!
【孔明の罠】
苦肉の計は苦し紛れの策と誤用してる人もいるね
その意味で使っている人しか見かけたことがないです
劉備の息子、阿斗(後の劉禅)。この人を一生懸命守った(保った)ことが「阿保」の語源だったような気がしますが・・・皆さん、聞いたことあります?
アホの坂田をどう説明すればいいんだ
演義では趙雲が頑張ってるけど、史書では普通に保護されたとしかないのと
劉禅も故郷(益州は超ド田舎です)に戻りたいか訪ねられたときに、ここ(都)の暮らしも良いと応えただけで
もしも故郷のがよいと応えたら(ここの暮らしに不満があるとして)、処分か処刑されてます
温州蜜柑はないの?w
泣いて馬謖を切る
劉琦は三国志(横山版)で孔明を焦らせた数少ない人間の一人
はしごを外すってやつですねw
@@なんでも食う犬 そういや日本語で「はしごを外す」ってあるけど、こっちのはまた意味が違いますよね?w
他に有名なのは白眼と破竹の勢いですね
「曹操のうわさをすると曹操がやってくる」なんてのなかったっけ?
噂をすれば影、じゃなかったかな
「青島だぁ!」
クレージーの谷啓さんが番組作家の青島幸男氏の口真似で「谷啓だぁ!」と言ってみたら噂の本人が出てきたという故事による。
民明書房「狂猫記」より
说到曹操就到了
待て、あわてるな!これは○○の…
多くの故事成語は乱世の中で産まれていったんだよね。孫子の兵法なんかは特に日常生活や仕事、人間関係での心構えにも通ずる所が多い
孫子でもなければ三国志でもないけど、個人的に好きなのは「刎頚の交わり」と「完璧」かな。どちらも同じ人が語源になってる。
三国志の中で好きな故事成語は動画にもあった「男子、三日会わざれば〜」と「三顧の礼」と「げえ!関羽!」だな
孫子は曹操が詳しい注釈つけて広まったし、ある意味三国志が元ネタと言って良い😉
孔明の罠だ、何がむむむだ、温州蜜柑でございます、げえっ関羽、甘寧一番乗り、ジャーンジャーンジャーン、いやでございます、とてもつらい、なども有名
曹操の詩文の『老驥櫪に伏すとも、志千里に在り』(略して志在千里、驥は千里を走る馬、櫪は厩の事)。故中曽根総理大臣や渡邉先生(三国志の研究で有名な大学の研究者)がサインを求められた時に書いている言葉です。ゲームさんぽの『三国志14#2』を見ると意味がわかって感動しますよ。
志在千里は三國志14で取り上げられるまで全く知らなかったけど、ホントいい言葉。
でも平成初期に流行った「反,三國志」では、disられまくりの、曹操(猛徳)
烈士暮年壮心已まず
脾肉の嘆に関しては日々痛感してます・・・
週末の楽しみで暴飲暴食したら月曜日には身体が重く意味不明な汗ダラダラ・・・
自分は、曹操と楊脩のエピソードから生まれたという、有知無知三十里とかが好きですね
高校の国語の教科書の漢詩のところで、三国志関連がでてきた覚えがあります。出師表や水鏡先生の臥竜鳳雛の下りが書かれていたんですが、中でも七歩の詩はかなり衝撃を受けましたね。
曹丕の無茶振りとも言える「兄弟という言葉を用いずに兄弟をテーマにした詩を七歩以内で作れ」をあっさりとクリアしてしまった。おそらく詩が出来なければ命を失ったであろう状況でそんなことを平然とやってのける。しかもその内容は、当時三国志を全然知らなかった私でさえ感動して今でも内容を覚えているくらいです。
曹丕自身も詩人であったため、弟の天才ぶりには嫉妬しつつも認めざるを得なかったのでしょうね。
七歩の詩は創作なんですけどね
七歩の詩は創作なんですけどね
煮豆燃豆萁
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急
ほうコーンフレークが入っている
ケロッグケロッグ
張遼って上司がしっかりしてればどんどん成長して、出世していく人。
本人のセンスや才能を生かすも〇すも上司次第というのが張遼に出ている。
最初の丁原はともかく、董卓、呂布は脳筋で自分のことしか考えてない典型的なダメ上司。董卓はジャイアンとスネ夫のような運営で、李儒のようないつも小狡いことしか考えず、媚びを売ってばかりのスネ夫的な部下ばかり重用して、張遼は能力はあるが媚びないので気にかけてないし、呂布なんてワンマン運営で側近の陳宮の才能さえ生かせない典型的なダメ上司でいつまでも冴えない武将だったけど、曹操は能力あるのに上司に恵まれない、きっと媚びないし、裏切らないであろうと見抜いて育てることにしたんだろうね。
バカな上司と共に運命を共にしなくてよかった。
語呂合わせ?でよく使われる?(自分がよく頭に浮かんじゃうw)人中の呂布馬中の赤兎…例(○ンチョーの夏、日…)
故事成語は三国志もだけど史記からも多くありますね。
秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた、「鹿をさして馬となす」が有名ですな。
落語の鹿政談みたい(笑)
苦肉の計って兵法三十六計になかった…?