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「張飛」の小説書いたので是非!kakuyomu.jp/works/16817330666676228714/episodes/16817330668146147089
張飛の酒癖については正史では言及がないんだよな
「人形劇三国志」の最終回、半世紀を生き延びた張飛の奥さんと紳々竜々が、夜空見上げているラストがいいんですよ。
張飛を上に媚びる人みたに言われることも多いですが史書には飛愛敬君子而不恤小人とあり、君子(立派な人物)は敬愛し、小人(つまらない人物)には冷酷であり判断基準は身分ではなく人格で、演義の人物像からそれほど外れていないと思ってます厳顔との逸話からもそれが表れていますね
上に媚びるというか、関羽が名士に対してもズケズケ文句言ってちっとも礼儀を重んじないのに対し張飛は劉巴のエピソード見ても分かるように頑張って甲斐甲斐しく接することができる、それが貴意の高い名士からすると媚びるように見えたって表現だと思うね
演義だと関羽は武勇にも統率にも優れたバランス型で張飛は武勇が突出した豪傑型のイメージを抱くけど、正史の事績を見ると逆に思える。
何か変えられたとしたら法正が生きてることが必須でしょうね
今後も演義より正史をとにかく深掘りしてほしい。
頑張るぞい!
龐統と法正の早すぎる死が痛かったです😅荊州に孔明がいれば、、
程昱とか郭嘉とか周瑜ってどの戦役の戦果を見て、張飛と関羽を評価してたのか、疑問なんですよね。
程昱らの言った「万人の敵」って、項羽の若い頃の発言「剣術は一人を相手にするもので学ぶ価値はない。万人を敵にする兵法をこそ学びたい」が出典元で、元々指揮官としての評価なんですよね。
指揮官として様々なものが必要だけど1番大きいのは強さや個人的武勇。
以前は、強いけど酒好きで礼儀知らずの乱暴者…って思ってた。実は目上の人に礼儀正しいのが張飛で、関羽と真逆なのが面白いよねぇ。
羅漢中版で、張飛が劉備の旗揚げのスポンサーで、桃園も張飛の土地という話になっているのは、何か意味がある改変なのでしょうか?
確かに夷陵の戦いに張飛がいて、彼が前線に立って劉備が後ろに下がっていれば少なくとも史実のような大敗はしなかったと思います。ただ夷陵の戦いで不足していたのは将軍だけではなく参謀も・・。一応従軍した黄権と馬良は別方面に派遣してますし、他に参謀を勤められそうな人も見当たらない。つまり情報の収集や分析が困難な状態で皇帝が前線に立っていた。正直曹丕が指摘するまでもなくかなり劉備は危険な状態だったと思います。
私も張飛が生きてた世界線の夷陵の戦い見てみたかったですね。大局はおっしゃる通り劉備が冷静さを欠いてたり侮られた陸遜が上手く対処したりで変わらないでしょうが、歴戦の名将なんで蜀軍の士気を上げつつ呉軍の士気を挫く勇名は局地的には影響は少なくないのかも。
アル中・パワハラ・ロリコンの三重苦だが、実は将軍としては張郃を破るほど有能という演義とのギャップよ…創作で横山三国志の張飛より魅力的で可愛げの有る張飛は今だにお目にかかれない蒼天航路では序盤は関羽と劉備に食われて存在感が希薄だったけど呂布から逃走して劉備に髭抜かれてからやっとキャラが立ち始めて長坂の戦いで鬼神として覚醒した感じ
正史の張飛は、酒飲みじゃないってのが面白いなあ☺️その他の話しは以前聞いて頭の中でアップデートされてます。それにしても、やっぱり関羽と張飛がもっと長生きしていればなあ、て思いますよねえ~😭
随分昔の光栄が出した三国志武将ファイルに書いてあった文章だと中国本土での張飛の人気は絶大で、劉備や孔明はオマケみたいな感じで書いてあったのが印象的だね張飛は
成都侵攻時に劉備は張飛を選んだからな劉備は張飛をかなり信用してたんだろうな
張飛は史実で名将であるのは証明されてて嫁も劉備が曹操陣営にいた頃に曹操が張飛引き抜く為って話もあるくらい武勇は証明されてるくらい三國志当時からのスターとかなんとか……長坂の戦いも張飛が完璧な伏兵潜ませてたから曹操軍も追撃あきらめた説が高いらしい。
部下に一切の温情をかけなかったとよく聞きますが、そんな人間だったらもっと早くに裏切られたり見放されたりしていたと思うので、実際は乱暴で厳しくとも今日言われてる程ではなかったのでは?と思います。関羽の死がトリガーになってしまって、劉備のように余裕を無くし今まで以上に部下に冷酷に当たるようになったのではないかなと。嵐のような戦場の暴れっぷりと演義でのコメディ担当など、悲しい惨い最期も全部含めて好きな人物の一人です。
格上の張郃に勝ったのは本当に凄いと思う。
初めの内から長く劉備と過ごしてる陣営取っては欠かせない存在やわな酒に纏わる欠点が多く部下に無理難題を押し付けたのが討たれる原因に成ってもうたんやもんな・・良い面も有るやけどねまぁ武人とかは血の気が多い事も有る割りと多いんかもな・・
格闘技のメダリストを「一万人に匹敵する力」なんて評しないように、一人で一万人に匹敵はやっぱり個人の武力に対して言ってるわけではないでしょうね。周喩や郭嘉などなども、もし生きていたらと考えちゃいますが、彼らは病死なので仕方がない感が強いですが張飛は普通に回避できたであろう死ですから惜しすぎる感が半端ないです。人一人の生き死には歴史的にはそんなに影響ないみたいな意見はまあ基本的にはその通りだと思いますが、張飛ほどの人物の死はかなり夷陵の戦いに影響しただろうと思います。
古の項羽に準えた、指揮官として高く評価する言葉みたいですね。長坂のイメージで個人的な武勇の象徴みたいに聞こえもしますが(笑)
正史を漁ると張飛は武勇は勿論、戦術にも優れた将軍だと考えるようになりました。パワハラは・・・まぁあったのかも
演義では肉屋を営んでおり、桃園の誓いの場所や道具などの提供もしたともいわれています正史には記述がないですが、演義に書かれているには何かの言い伝えがあるからなのでしょうか因みに現地には張飛が使ったとされた井戸があるので言い伝えは本当なのですかね
ある意味演義の被害者になるのかな?史実見るとこの時代の指折りの名将と言ってもいい位すごい人物だけどホント最後がなぁ…。
マジでトラウマすぎる😭
勇猛で情に厚く白兵戦はめっぽう強いが性格が粗暴でキレやすく大酒飲みでノータリンが張飛のイメージ。特に欠点がないというのは意外だった。
当時はまだ蒸留酒がなく醸造酒のみでアルコール度数がかなり低く酔うほうが大変なくらいなので、張飛に限らず酔って大暴れは誰もしていないはず。演義では「桃園の誓い」など張飛の家の桃だったり扱いもよく、当時は存在しない武器の蛇矛(だぼう)を振り回し一騎打ちを仕掛ける武勇一辺倒として描かれている。端々で見せる頭脳プレーもあるのでそこまで武勇一辺倒だったようには思えない、人気もとても高いので【改訂版】もありがたいです。
でも劉表は客人が酔いつぶれるまで酒を飲ませて、本当に酔ってるかどうか針を刺して確かめたみたいな話もあるし、孫権も酒に飲まれてめちゃくちゃアルハラしてるみたいな話もあるし…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 本当は下戸なのかもしれませんね。
三兄弟の中で一番のインテリ 張飛
三国志演義や、ゲーム真三國無双の影響で、武一辺倒で粗暴な印象を、張飛に抱いていました。今回の動画を見て、実は男気が厚く、戦いにおいても、優れた戦術眼を持っていた事には、本当に驚きました😮だからこそ、兵や部下に厳しく当たった事が原因で、夷陵の戦いを前に、恨みを持った部下の手にかかって亡くなってしまったのが、尚更残念でなりません🤢
ホントに張飛の最後の場面は、横山三国志最大のトラウマシーンでした😭
武力全フリの短気なタイプが、人間的にも戦術的にも成長していく様の方が心情に響きますもんね。小説。牛金懐かしい。誰かコンパスを張飛の部下にあげてw
小説まで読んでくれて感謝感激にございます!(笑)
中国産の三国志戦略ゲームをプレイしてて張飛の列伝を読んでたら、実物が現存していないので学説としては認められていないが、と前置き付きだが……張飛は書道と美人画の大家でもあったらしいと書かれていて、意外過ぎて面白かった本場ではやはり日本では想像もつかない変な逸話もあるんだな演義イメージの虎鬚の豪傑が酔いながら達筆で書を嗜み、美少女絵を描いてたと想像すると益々好きになるw
ある人が汚れた墓を掃除したら、夜枕元に楊貴妃が現れてお礼(意味深)をしてくれたという話を聞き、別の人も墓の掃除をしたところ枕元に張飛が現れてお礼(意味深)をされた、とかいう民間伝承好き。
概要欄の通り猪武者のイメージ先行してるけれど実態は戦上手よねでもやっぱ粗暴な性格が災いして漢中太守にはしてもらえなかった説は無いですか?
江陵太守や巴西郡太守としての実績もあるから、別にあんまり支障はなかったと個人的には思ってます(*'ω'*)
個人的には漢中太守は本来的には黄忠に任せたかったがすでにこの時その任に堪えられる状態ではなかった(翌年に死亡している)ので魏延に黄忠の軍を引き継がせ代替的に漢中太守に任命したものと考えています(この考えは黄忠と魏延がそれなりに近しい間柄、もっと言うと同郷の親分子分の関係がずっと続いていたという前提ですが)
張飛ファンは李逵も好きなはず・・・
張飛の最期ですが、個人的には北方三国志のような孫呉による暗殺の可能性もあると考えてます。あまりにもタイミング良すぎなので。ただ、後に蜀と呉は再同盟しているので、張飛に個人的資質の問題ということにされたのかなと。如何でしょうか?
劉備存命時は決して孫呉と国交回復はしなかったでしょうから、孫呉の暗殺の線も大いに有り得る話かなと私も思ってます。
夏侯氏と曹氏の血縁はないと近年のDNA検査かで言われてます
張飛→近藤勇 曹操→大久保利通 関羽→上杉謙信→
いつも楽しく拝見しています^ ^初めて観た動画が3年前の張飛の動画だったため、懐かしい気持ちになりながら拝見させて頂きました(*´꒳`*)
やっぱり関羽と張飛の末路を見ていると徐晃や張遼達はやっぱり凄いんすよね~。
徐晃はともかく、張遼は楽進や于禁と互いにいがみあって趙儼に統括されたり、武周とも仲違いして胡質に諭されたりしてるので、本人の性格も重要ではあるけどそれ以上に周りの環境も大事なんだなってつくづく思います。
@@user-Ohagimoti888自分が言いたいのは魏は人格者がいると言う事。
張飛には「玉追」という馬がいるけど曹休から奪った馬が玉追だったとか思ってもいいですかね?
小説のあれは、定軍山の戦いを見据えての因縁付けで曹休を採用しました(笑)それ以外の事はあんまり考えてないので、まぁ、ご想像にお任せします🐎
張飛はどうしても脳筋のイメージが付きまとってしまうがコーエーのゲームでの能力、横山三国志のキャラ像で植え付けられた感が強い。しかし逆を言えば人間の素直な部分を体現しているとも言えそれが魅力‼️にも映るのだろう。実際横山三国志内で董卓が洛陽を焼いて撤退した後玉璽を巡る争いが起こった際「玉璽だがなんだが知らんがオレは自分のチカラだけを信じたいぜ!!」って言ってたのは至極真っ当な意見だと思う。
翼徳は、関羽雲長が羽を閉じて(関)雲の上に留まってるイメージに対し翼を広げて(張)空を雄大に飛ぶ対のイメージを持たせる為に後世に脚色されたって聞いたことあります
龍が羽を得て飛ぶ龍が翼を得て雲まで昇るこう考えると翼徳のセンスの良さよ
正史の字は益徳、中国語だと益も翼もyiの四声だからできる改変
張飛の武器は蛇矛、関羽の武器は青龍偃月刀ってなってるけど、これって史実?
違います
二つとも確か後世で作成された武器だったはずです('ω')
@@KOUMEI_NO_WANADA ふむ~、、それではどういう武器で戦っていたんだろうかね。槍とか弓とかは普通に有ったとは思うんだけど。
長阪橋では単に「矛」と書かれてます。唐代に書かれた『晋書』に陳安が左手に七尺の大刀、右手に丈八蛇矛を持って出撃したという記載があり「蛇矛」の初出と言われてますね。
蛇矛みたいな武器は紀元前から見つかってるので、張飛が蛇矛でもいいんじゃないかな?([三国志展 蛇矛]←検索、もちろん暴論ですよ念の為)ちなみに『三国志』内を武器の名前で検索した結果は以下のとおり(あくまで"文字"として引っかかった数です) 剣(98) 刀(95) 弓(78) 戈(54) 弩(52) 戟(40) 矛(29) 槍(0)
リアル万夫不当か。
張飛が生きていたら呉の侵攻はどうなったかな(  ̄▽ ̄)
涼宮張飛の憂鬱
張飛も関羽も引き際というのを知らないので、戦績を持つ強力な参謀が抑えとして必要だったそれを蜀が得られなかった時点で残念な末路は逃れられなかったんだろうな
強さは申し分ないがやはり人格に性格がね~ 長生き出来ない訳だ寝首を掻かれるとは豪傑にしては呆気ない
ミスターパワハラ上司…………
鬼教官みたいなイメージはある('ω')
張飛は極道者のイメージ義理と暴力にステ全振りだと思ってたけど色々調べるとインテリヤクザな一面もあって面白いですねどのみち半端者は冷遇して恨みは買いそう
知力を諸葛亮を100、関羽を80〜90としたら張飛は70〜75くらいはありそうな印象ありますね。そもそもただの脳筋ならあの曹操の軍師達が警戒する必要ないし…(脳筋には搦手が有効&行動の予測や対処がしやすい)
ー??
劉備には関羽と張飛がいたけど、韓信がいなかったのが残念。
一番乗り。張飛が戦巧者であることに異存はない。しかし、それと同時に上に下手、後輩や部下に態度が大きい様にパワハラ中間管理職のイメージが拭えない。そしてあの末路だ。敢えて言おう、管理職失格と。
小さな小さな田舎の会社から、1代で天下の大企業へと成長。その最古参の営業部長が本部の管理職となったが、若い頃から厳しい現場で生き抜いてきた叩き上げの人物なだけに、簡単にその生き方は変えられないわけで。うぅむ、人間と組織の難しさたるや🐎
個人的にはスリキンの張飛の目下の兵や者には厳しく目上の者にはへこへこしてるイメージが強いっすね…目下に優しくしておけばもっと良い結果を招いたかもしれない…それこそ蜀漢王朝の名称として名を残してたかもしれませんね…袁術討伐時の徐州堅守(曹豹)とか…最期の范疆・張達とか…目下にもっと優しければ…
は?張飛て史実ではアホとちゃうん?
むしろ戦上手な前線司令官って感じですね。名将です。
それは演義やで
張飛と関羽は劉備の側にずっと置いておくべきだった。
まさしく、劉備の両翼ですよね。
「張飛」の小説書いたので是非!
kakuyomu.jp/works/16817330666676228714/episodes/16817330668146147089
張飛の酒癖については正史では言及がないんだよな
「人形劇三国志」の最終回、半世紀を生き延びた張飛の奥さんと紳々竜々が、夜空見上げているラストがいいんですよ。
張飛を上に媚びる人みたに言われることも多いですが
史書には飛愛敬君子而不恤小人とあり、君子(立派な人物)は敬愛し、小人(つまらない人物)には冷酷であり判断基準は身分ではなく人格で、演義の人物像からそれほど外れていないと思ってます
厳顔との逸話からもそれが表れていますね
上に媚びるというか、関羽が名士に対してもズケズケ文句言ってちっとも礼儀を重んじないのに対し張飛は劉巴のエピソード見ても分かるように頑張って甲斐甲斐しく接することができる、それが貴意の高い名士からすると媚びるように見えたって表現だと思うね
演義だと関羽は武勇にも統率にも優れたバランス型で張飛は武勇が突出した豪傑型のイメージを抱くけど、正史の事績を見ると逆に思える。
何か変えられたとしたら法正が生きてることが必須でしょうね
今後も演義より正史をとにかく深掘りしてほしい。
頑張るぞい!
龐統と法正の早すぎる死が痛かったです😅
荊州に孔明がいれば、、
程昱とか郭嘉とか周瑜ってどの戦役の戦果を見て、張飛と関羽を評価してたのか、疑問なんですよね。
程昱らの言った「万人の敵」って、項羽の若い頃の発言
「剣術は一人を相手にするもので学ぶ価値はない。万人を敵にする兵法をこそ学びたい」
が出典元で、元々指揮官としての評価なんですよね。
指揮官として様々なものが必要だけど1番大きいのは強さや個人的武勇。
以前は、強いけど酒好きで礼儀知らずの乱暴者…って思ってた。
実は目上の人に礼儀正しいのが張飛で、関羽と真逆なのが面白いよねぇ。
羅漢中版で、張飛が劉備の旗揚げのスポンサーで、桃園も張飛の土地という話になっているのは、何か意味がある改変なのでしょうか?
確かに夷陵の戦いに張飛がいて、彼が前線に立って劉備が後ろに下がっていれば少なくとも史実のような大敗はしなかったと思います。ただ夷陵の戦いで不足していたのは将軍だけではなく参謀も・・。一応従軍した黄権と馬良は別方面に派遣してますし、他に参謀を勤められそうな人も見当たらない。つまり情報の収集や分析が困難な状態で皇帝が前線に立っていた。正直曹丕が指摘するまでもなくかなり劉備は危険な状態だったと思います。
私も張飛が生きてた世界線の夷陵の戦い見てみたかったですね。大局はおっしゃる通り劉備が冷静さを欠いてたり侮られた陸遜が上手く対処したりで変わらないでしょうが、歴戦の名将なんで蜀軍の士気を上げつつ呉軍の士気を挫く勇名は局地的には影響は少なくないのかも。
アル中・パワハラ・ロリコンの三重苦だが、実は将軍としては張郃を破るほど有能という演義とのギャップよ…
創作で横山三国志の張飛より魅力的で可愛げの有る張飛は今だにお目にかかれない
蒼天航路では序盤は関羽と劉備に食われて存在感が希薄だったけど呂布から逃走して劉備に髭抜かれてからやっとキャラが立ち始めて長坂の戦いで鬼神として覚醒した感じ
正史の張飛は、酒飲みじゃないってのが面白いなあ☺️その他の話しは以前聞いて頭の中でアップデートされてます。それにしても、やっぱり関羽と張飛がもっと長生きしていればなあ、て思いますよねえ~😭
随分昔の光栄が出した三国志武将ファイルに書いてあった文章だと
中国本土での張飛の人気は絶大で、劉備や孔明はオマケ
みたいな感じで書いてあったのが印象的だね張飛は
成都侵攻時に劉備は張飛を選んだからな
劉備は張飛をかなり信用してたんだろうな
張飛は史実で名将であるのは証明されてて嫁も劉備が曹操陣営にいた頃に曹操が張飛引き抜く為って話もあるくらい武勇は証明されてるくらい三國志当時からのスターとかなんとか……長坂の戦いも張飛が完璧な伏兵潜ませてたから曹操軍も追撃あきらめた説が高いらしい。
部下に一切の温情をかけなかったとよく聞きますが、そんな人間だったらもっと早くに裏切られたり見放されたりしていたと思うので、実際は乱暴で厳しくとも今日言われてる程ではなかったのでは?と思います。
関羽の死がトリガーになってしまって、劉備のように余裕を無くし今まで以上に部下に冷酷に当たるようになったのではないかなと。
嵐のような戦場の暴れっぷりと演義でのコメディ担当など、悲しい惨い最期も全部含めて好きな人物の一人です。
格上の張郃に勝ったのは本当に凄いと思う。
初めの内から長く劉備と過ごしてる陣営取っては欠かせない存在やわな酒に纏わる欠点が多く部下に無理難題を押し付けたのが討たれる原因に成ってもうたんやもんな・・良い面も有るやけどねまぁ武人とかは血の気が多い事も有る割りと多いんかもな・・
格闘技のメダリストを「一万人に匹敵する力」なんて評しないように、一人で一万人に匹敵はやっぱり
個人の武力に対して言ってるわけではないでしょうね。
周喩や郭嘉などなども、もし生きていたらと考えちゃいますが、彼らは病死なので仕方がない感が強いですが
張飛は普通に回避できたであろう死ですから惜しすぎる感が半端ないです。
人一人の生き死には歴史的にはそんなに影響ないみたいな意見はまあ基本的にはその通りだと思いますが、
張飛ほどの人物の死はかなり夷陵の戦いに影響しただろうと思います。
古の項羽に準えた、指揮官として高く評価する言葉みたいですね。長坂のイメージで個人的な武勇の象徴みたいに聞こえもしますが(笑)
正史を漁ると張飛は武勇は勿論、戦術にも優れた将軍だと考えるようになりました。
パワハラは・・・まぁあったのかも
演義では肉屋を営んでおり、桃園の誓いの場所や道具などの提供もしたともいわれています
正史には記述がないですが、演義に書かれているには何かの言い伝えがあるからなのでしょうか
因みに現地には張飛が使ったとされた井戸があるので言い伝えは本当なのですかね
ある意味演義の被害者になるのかな?史実見るとこの時代の指折りの名将と言ってもいい位すごい人物だけどホント最後がなぁ…。
マジでトラウマすぎる😭
勇猛で情に厚く白兵戦はめっぽう強いが性格が粗暴で
キレやすく大酒飲みでノータリンが張飛のイメージ。
特に欠点がないというのは意外だった。
当時はまだ蒸留酒がなく醸造酒のみでアルコール度数がかなり低く酔うほうが大変なくらいなので、張飛に限らず酔って大暴れは誰もしていないはず。
演義では「桃園の誓い」など張飛の家の桃だったり扱いもよく、当時は存在しない武器の蛇矛(だぼう)を振り回し一騎打ちを仕掛ける武勇一辺倒として描かれている。
端々で見せる頭脳プレーもあるのでそこまで武勇一辺倒だったようには思えない、人気もとても高いので【改訂版】もありがたいです。
でも劉表は客人が酔いつぶれるまで酒を飲ませて、本当に酔ってるかどうか針を刺して確かめたみたいな話もあるし、孫権も酒に飲まれてめちゃくちゃアルハラしてるみたいな話もあるし…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 本当は下戸なのかもしれませんね。
三兄弟の中で一番のインテリ 張飛
三国志演義や、ゲーム真三國無双の影響で、武一辺倒で粗暴な印象を、張飛に抱いていました。今回の動画を見て、実は男気が厚く、戦いにおいても、優れた戦術眼を持っていた事には、本当に驚きました😮だからこそ、兵や部下に厳しく当たった事が原因で、夷陵の戦いを前に、恨みを持った部下の手にかかって亡くなってしまったのが、尚更残念でなりません🤢
ホントに張飛の最後の場面は、横山三国志最大のトラウマシーンでした😭
武力全フリの短気なタイプが、人間的にも戦術的にも成長していく様の方が心情に響きますもんね。
小説。牛金懐かしい。
誰かコンパスを張飛の部下にあげてw
小説まで読んでくれて感謝感激にございます!(笑)
中国産の三国志戦略ゲームをプレイしてて張飛の列伝を読んでたら、実物が現存していないので学説としては認められていないが、と前置き付きだが……
張飛は書道と美人画の大家でもあったらしいと書かれていて、意外過ぎて面白かった
本場ではやはり日本では想像もつかない変な逸話もあるんだな
演義イメージの虎鬚の豪傑が酔いながら達筆で書を嗜み、美少女絵を描いてたと想像すると益々好きになるw
ある人が汚れた墓を掃除したら、夜枕元に楊貴妃が現れてお礼(意味深)をしてくれたという話を聞き、別の人も墓の掃除をしたところ枕元に張飛が現れてお礼(意味深)をされた、とかいう民間伝承好き。
概要欄の通り猪武者のイメージ先行してるけれど実態は戦上手よね
でもやっぱ粗暴な性格が災いして漢中太守にはしてもらえなかった説は無いですか?
江陵太守や巴西郡太守としての実績もあるから、別にあんまり支障はなかったと個人的には思ってます(*'ω'*)
個人的には漢中太守は本来的には黄忠に任せたかったがすでにこの時その任に堪えられる状態ではなかった(翌年に死亡している)ので魏延に黄忠の軍を引き継がせ代替的に漢中太守に任命したものと考えています(この考えは黄忠と魏延がそれなりに近しい間柄、もっと言うと同郷の親分子分の関係がずっと続いていたという前提ですが)
張飛ファンは李逵も好きなはず・・・
張飛の最期ですが、個人的には北方三国志のような孫呉による暗殺の可能性もあると考えてます。あまりにもタイミング良すぎなので。
ただ、後に蜀と呉は再同盟しているので、張飛に個人的資質の問題ということにされたのかなと。
如何でしょうか?
劉備存命時は決して孫呉と国交回復はしなかったでしょうから、孫呉の暗殺の線も大いに有り得る話かなと私も思ってます。
夏侯氏と曹氏の血縁はないと近年のDNA検査かで言われてます
張飛→近藤勇 曹操→大久保利通 関羽→上杉謙信→
いつも楽しく拝見しています^ ^
初めて観た動画が3年前の張飛の動画だったため、懐かしい気持ちになりながら拝見させて頂きました(*´꒳`*)
やっぱり関羽と張飛の末路を見ていると徐晃や張遼達はやっぱり凄いんすよね~。
徐晃はともかく、張遼は楽進や于禁と互いにいがみあって趙儼に統括されたり、武周とも仲違いして胡質に諭されたりしてるので、本人の性格も重要ではあるけどそれ以上に周りの環境も大事なんだなってつくづく思います。
@@user-Ohagimoti888自分が言いたいのは魏は人格者がいると言う事。
張飛には「玉追」という馬がいるけど曹休から奪った馬が玉追だったとか思ってもいいですかね?
小説のあれは、定軍山の戦いを見据えての因縁付けで曹休を採用しました(笑)
それ以外の事はあんまり考えてないので、まぁ、ご想像にお任せします🐎
張飛はどうしても脳筋のイメージが付きまとってしまうがコーエーのゲームでの能力、横山三国志のキャラ像で植え付けられた感が強い。しかし逆を言えば人間の素直な部分を体現しているとも言えそれが魅力‼️にも映るのだろう。実際横山三国志内で董卓が洛陽を焼いて撤退した後玉璽を巡る争いが起こった際「玉璽だがなんだが知らんがオレは自分のチカラだけを信じたいぜ!!」って言ってたのは至極真っ当な意見だと思う。
翼徳は、関羽雲長が羽を閉じて(関)雲の上に留まってるイメージに対し
翼を広げて(張)空を雄大に飛ぶ対のイメージを持たせる為に後世に脚色されたって聞いたことあります
龍が羽を得て飛ぶ
龍が翼を得て雲まで昇る
こう考えると翼徳のセンスの良さよ
正史の字は益徳、中国語だと益も翼もyiの四声だからできる改変
張飛の武器は蛇矛、関羽の武器は青龍偃月刀ってなってるけど、これって史実?
違います
二つとも確か後世で作成された武器だったはずです('ω')
@@KOUMEI_NO_WANADA
ふむ~、、それではどういう武器で戦っていたんだろうかね。槍とか弓とかは普通に有ったとは思うんだけど。
長阪橋では単に「矛」と書かれてます。
唐代に書かれた『晋書』に陳安が左手に七尺の大刀、右手に丈八蛇矛を持って出撃したという記載があり「蛇矛」の初出と言われてますね。
蛇矛みたいな武器は紀元前から見つかってるので、張飛が蛇矛でもいいんじゃないかな?([三国志展 蛇矛]←検索、もちろん暴論ですよ念の為)
ちなみに『三国志』内を武器の名前で検索した結果は以下のとおり(あくまで"文字"として引っかかった数です)
剣(98) 刀(95) 弓(78) 戈(54) 弩(52) 戟(40) 矛(29) 槍(0)
リアル万夫不当か。
張飛が生きていたら呉の侵攻はどうなったかな(  ̄▽ ̄)
涼宮張飛の憂鬱
張飛も関羽も引き際というのを知らないので、戦績を持つ強力な参謀が抑えとして必要だった
それを蜀が得られなかった時点で残念な末路は逃れられなかったんだろうな
強さは申し分ないがやはり人格に性格がね~ 長生き出来ない訳だ
寝首を掻かれるとは豪傑にしては呆気ない
ミスターパワハラ上司…………
鬼教官みたいなイメージはある('ω')
張飛は極道者のイメージ
義理と暴力にステ全振りだと思ってたけど
色々調べるとインテリヤクザな一面もあって面白いですね
どのみち半端者は冷遇して恨みは買いそう
知力を諸葛亮を100、関羽を80〜90としたら張飛は70〜75くらいはありそうな印象ありますね。
そもそもただの脳筋ならあの曹操の軍師達が警戒する必要ないし…(脳筋には搦手が有効&行動の予測や対処がしやすい)
ー??
劉備には関羽と張飛がいたけど、韓信がいなかったのが残念。
一番乗り。張飛が戦巧者であることに異存はない。しかし、それと同時に上に下手、後輩や部下に態度が大きい様にパワハラ中間管理職のイメージが拭えない。そしてあの末路だ。敢えて言おう、管理職失格と。
小さな小さな田舎の会社から、1代で天下の大企業へと成長。その最古参の営業部長が本部の管理職となったが、若い頃から厳しい現場で生き抜いてきた叩き上げの人物なだけに、簡単にその生き方は変えられないわけで。うぅむ、人間と組織の難しさたるや🐎
個人的にはスリキンの張飛の目下の兵や者には厳しく目上の者にはへこへこしてるイメージが強いっすね…
目下に優しくしておけばもっと良い結果を招いたかもしれない…
それこそ蜀漢王朝の名称として名を残してたかもしれませんね…
袁術討伐時の徐州堅守(曹豹)とか…
最期の范疆・張達とか…
目下にもっと優しければ…
は?張飛て史実ではアホとちゃうん?
むしろ戦上手な前線司令官って感じですね。名将です。
それは演義やで
張飛と関羽は劉備の側にずっと置いておくべきだった。
まさしく、劉備の両翼ですよね。