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北伐厨()とか揶揄される姜維だけど外様で別に大徳にさしたる恩を受けた訳でもないのに、重鎮らから疎まれようが左遷されようが勝てない相手だろうが蜀のアイデンティティなんだと北伐を繰り返し、国が滅んでもなおワンチャン狙うとか意地と執念だけなら三国志No.1だと思う
一番は心の底から諸葛亮を尊敬していたんだろうなと思う。あとは己1人がどこまで出来るのかを試してみたかったとか。もちろんこれだけではないとは思うけど
姜維自身が涼州出身なのも大きいでしょうね。
大徳呼びは大戦勢かな✨
まぁ北伐は仕方ない。そもそも後漢復興が大義名分で成り立ってる国なんだから。耳障りのいい政策吹き散らして結局なんもしない今のポンコツ政治家と違って、ちゃんと「やってる感」出さないと失脚してしまうからな。
陸遜は2代にわたって呉を支えてきたのにゴタゴタのしわ寄せにされあっけなく死ぬってのが最高に暗黒
孫権のストッパーにだけはなれなかったのが惜しい・・・孫登が亡くなった年(241年)に最後のストッパーになりえた諸葛瑾も没してしまったのも残念である。
晩年の孫権って耄碌して国を傾けたあたり、晩年の豊臣秀吉に通じるものありますね
「本来の世子に先立れた」ことについては長宗我部元親と同じような境遇でしょうか
呂布は演義読んでると、すんごいピュアで何でも言う事信じちゃうかわいいポジションに見えてくるのが不思議。
要するに馬鹿正直なんですね武勇に脳みそがついてこれなかった
@@どんこしいたけ 軍師ポジの陳宮がいう事より、そこらのモブの讒言も聞き入れちゃうし、一度聞いたら譲らない頑固なところも、馬鹿正直に輪をかけてるんですよね。それでいて曹操や劉備を悩ませるんだから凄い。
正史だと呂布は狡賢くて腹黒い。そこがまた面白いんですよね
@@コリドラス-r6q 演義の編集の妙ですね。
正史では文官で学識もあるんだが。イメージは怖い
いつも解説ありがとうございます。
献帝は確かに利用され続けこそしたものの、兄と違って殺される事もなく天寿を全うできたのはあの時代において幸運だったと言わざるをえない
献帝悲惨だけど、最後まで自分を愛してくれた曹節がいたからまだましかな
力のない皇帝なんてそんなものですよ。何なら、さっさと禅譲すれば苦労しなかったでしょう。
後の劉禅と違って、漢王朝を滅ぼしたくない責任感が強かったから密書を書いたりして余計苦しむんだろう。
陳宮の最期である「白楼門始末」はどの媒体で見ても名シーンだよなぁ
アニメ映画版三国志の陳宮の最期は特に必見ですね。映画第一作の終盤、曹操がやはり陳宮を死なせたくないと思って、処刑を中止させようとしたが間に合わず…ラストに一緒に捕らえられていた張遼だけでも助かったことで、後味の悪さを消してくれたと思います。
道教の老子は「器は空であるから有用である」と言ったとかなんとか。曹操はきっとそれをもじって三公の位を辞退した荀彧を「空の器」に例えて箱を送ったんだと思うことにしたんだ。
漢中攻防戦で捕らえられ人質となったが生き延び、北伐で命令違反で処罰された陳式は悲惨というよりポンコツというイメージを植え付けられてしまった人
陸遜の死後、その濡れ衣は息子の陸抗が晴らしましたね。
でも一応、陸抗は孫権、孫尚香の大甥に当たる。孫堅の曾孫になる。
悲惨な人達は結構多かったりもするものね時代の流れ行動によっても変わってくるだろうからね~
孫堅もだけど孫策が長生きする三國志が見たかったです蒼天航路は衝撃的すぎました
孫策が長生きしたら、呉は大乱になってたのでは?なんせ中央集権化を進めて、呉の実力者たる四姓と溝を作っていましたから。
曹丕より長生きした献帝横山三国志では陳留王表記の劉協
劉協(献帝)と諸葛亮は生没年一緒羅貫中はそのことを用いて諸葛亮を「超天才軍師にして超一流の政治家」としたようだ
まあ献帝は悲惨と言えば悲惨だけど、当人は後漢の皇帝のなかでは長生きしてるし、マシな方に思えてくる不思議(即位200日で病死、3歳で病死、8歳で毒殺と短命のオンパレードだし)。
確かに。三国志以前のほうがヤバいっていう…後漢では皇帝は飾り物でしかなかったのだな
光武帝より長生きした皇帝がおらず、即位時の年齢も少帝が上位に入るくらいですから
献帝を除いて、自分の行動の結果だから自己責任の面もある。対して献帝は父親の霊帝がメチャクチャにしていて、すでに手遅れの状態で帝位を渡されたから個人的にはこの人は一番同情する。
献帝も可哀想だけど、彼以上に可哀想なのが、兄の少帝(劉弁)だな。
劉協に関して言えば曹操に拾ってもらった事で文字通りに救われていると思いますよ。経歴から見て董卓の一族であろう董承(董皇后の甥という説もあるものの正真正銘の董皇后の甥・董重は驃騎大将軍なのに対し、同時期の董承は并州牧である董卓の娘婿の部将という非常に低い立場なのであり得ない)に権力を握られ翻弄されていたものの、董承が自身の邪魔となった曹操の暗殺に失敗し逆に処刑された事で皇帝として自由を得ています。
霊帝の前から政治は乱れていました。黄巾の乱が起きたのは寒冷化で農民が食べられなくなったから。つまり漢という国はとっくに終わっていた。献帝は曹操に擁立されてむしろラッキーだった。袁術ならそく禅譲させるし袁紹は董卓が選んだ献帝を認めていなかった。
生き延びて諡号まで付けられたあたりどうなのかな、と思うが苦労は本人じゃなきゃわからないからな
でも曹操暗殺とかはまずいよね。
悲惨という意味でパッと浮かんだのは華佗かな、曹操を治療しようとしたら逆に殺されるとかたまったもんじゃない(もっとも曹操から、治療を受けて助からなかったらどうする!?と詰め寄られたら、命運と思って諦めろ、という煽るような返答したのも原因とは言えるが…)
蔡瑁達のとばっちりで短い生涯を終えた演義の劉琮もなかなか
姜維は諸葛瞻をはじめ蜀の大臣連中からも疎んじられた挙げ句、費禕が魏からの降伏者に殺害された後は完全に孤立状態。軍内部でも張翼、廖化と意見が対立し、蜀で北伐を考えているものは姜維と劉禅しかいなかったというまさに孤軍奮闘状態という悲惨な状態。
費禕の殺害については、姜維が黒幕説があるのですが…軍内部でも、鄧芝あたりは陰ながら支えていますし、三国志演義では登場しませんが、陳祗が数少ない理解者で北伐について賛成して朝廷をまとめていたので孤軍奮闘かといわれると違うと思われます。
生姜に対しては自己責任論。魏でまずまずな将来より蜀で大出世したかった。
@@dignity9315 流石に姜維黒幕はないかと…(そんなことしたら困るのは姜維自身ですし)鄧芝も歯に衣着せぬ物言いをするので周りから好かれていなかったそうですし、陳祗も賛成していたというより内部崩壊しそうな蜀漢首脳陣を纏める存在なので、他者と同じく姜維に対しても一定の理解を示していたのでしょう。
@@wonder7397 さん個人的には、陳祗在命時まではまだ持ちこたえていたものの、陳祗死没後から顕著になったと考えています。そもそも、本来魏からの降将である姜維が総大将になっている時点で、その人材不足が深刻すぎますが…
劉禅みたいな腰抜けが北伐を考える訳が無いかと。親と違って満足な統治をしていた事もなく、結果として文官が腐れた。北伐失敗も、それを含め単に蜀が人手不足だったから。
姜維を見て思ったのは、人間一途過ぎるのも良くないね。主を見限る度量も必要。
19:01「にのみや」ってww
曹叡も父親の母親に対する仕打ちに思う所あったのに、結局は父と同じ事してますね(寵愛してた皇后に飽きて自○を命じる)三国志の主な人物で悔い無く生きれたのは、曹操と司馬懿位ではと、曹操は天下統一は出来ませんでしたが、やるべき事はやったので後は子孫に託す見たいな感じですし、司馬懿はもう司馬一族で魏の実権握ってますし二人共、65歳、72歳(満年齢)と当時としては長命ですし(笑)
これこそ曹叡が曹丕の血統という証拠
中国の三国志ドラマ「三国」は(日本では「三国志 Three Kingdoms」)曹操の董卓暗殺未遂(の前)から始まり、司馬懿の死去で終わっていますが、本場の方々も彼らが悔いなく活動できたと思っているのでしょうかね('ω')
蜀に悲惨な最期を遂げた人物が多いですね。関羽、張飛、龐統、馬謖、魏延、楊儀、費禕、姜維と天寿を全うできていない。彼らが長生きしていたら蜀の命運も変わっていたのではないか。
龐統は致命的だよね。荊州にいれば関羽が暴走するようなこともなかったかもしれない
@@MyForestStudio さん龐統は微妙ですね…そもそも孫呉のスパイ説が濃厚で、劉璋を攻める際の策も孫呉を利する策を含んで献策しており、劉備もそれに不快感を隠さなかったといいます。一説には、陳寿が蜀には人物が少なすぎて体裁を整えることができないので、龐統を蜀の人物として伝を立てたと言われてますし…
吉川三国志読んでたときは龐統来てテンション上がったなぁ関羽がやられた時ガタッと下がるんだが
病での早逝ではあるが、蜀の興亡に影響が大きかったのは法正じゃないかな。蜀は法正と諸葛亮が2人で「蜀科」による法整備を行い基盤を整え、法正が劉備の参謀として漢中を攻略し、諸葛亮が後方を仕切っていたころが最盛期だった。法正の早逝後は、夷陵の大敗で東方領土を全て失い、繰り返しの北伐でもまともな成果を得ることはできなくなった。劉備の存命時、臣下に諡号を送られたのは法正のみだったというのが、蜀における法正の存在がいかに大きかったかを表してると思う。
甄氏の一件は中国内で曹丕が嫌われる理由の一つですね。時代が時代だけど、人として良くない行いだと思います。
古代において、相手を滅ぼしたとき、相手の妻を自分の妻にすることは基本的に善性ですよ。そもそもの話が、戦に敗れて滅んだ君主の一族等、放逐しても生きていけませんし、謀反を恐れて一族郎党皆殺しなんてザラです。
略奪したのは時代が時代だからまだしも甄姫は最期がね😢
@@仔猫の足跡 そこについては何も思ってません。甄氏については最期が良くなかったなという話です。
@@pino623 わざわざ死体蹴り見たいなことしたとまで伝わってると、やっぱり印象は良くないですね。。。
曹丕といえば曹植への扱いや曹洪排除(それも曹丕が曹洪に借金していたのをチャラにしようとしてクビ)など血も涙もない対応をしている割になぜか献帝を殺さなかったんだろう
腐っても鯛ですね。幾ら皇帝では無くなったとは言え元々後漢の皇帝。下手に手を出せば魏の正式な建国の為に譲ってもらった帝位を簒奪扱いされて呉や蜀に再度手を結ばれたり国内の反魏の勢力の蜂起を促して滅びるのは目に見えていたからでしょう。
一説には、献帝の妃の曹皇后が弑殺されないように、程昱から入れ知恵してもらって対応することで免れたという話がありますね。
皇帝を弑したら、劉備&孫権に「逆賊曹家斃すべし!」の大義名分を与えてしまいますからね
三国志に限らない話なんですが、怒りのあまり「憤死」する事ってホントにあるんですかね?
事実かわからないですが。感情の激しい動きを『ストレス』と呼ぶそうで。以前、宝くじが当たったと知った瞬間に亡くなったご老人がいらっしゃったそうで。喜びですら身体に毒だとすれば、怒りや憎しみが爆発した時の心身に対してのダメージは半端ないかな、と思います😰
興奮による脳出血がまあ一番可能性の高い憤死ですかねまぁガンだろうが心臓病だろうが昂っている際に死んだら憤死なんでしょうけど
心臓が凄い悪い人は怒るとめっちゃ低確率で死ぬかもしれないらしいです
少し意味合いが変わりますが、後世の人達にも侮蔑の対象とされている点を考慮すると、「劉禅」が悲惨な人物だったと思っています。「扶不起的阿斗」=「どうしようもない人物」自分の幼名が侮蔑語の一部として1800年以上も語り継がれるとか・・・酷過ぎると思うデス(;´・ω・)
劉禅は降伏後に領地の貧しい村を見かけて、蜀宮の花の栽培方法を伝授し救ったという逸話もあり、そのことを頌栄する石碑が現地に残っています。根は悪い人ではないが戦乱の世の君主には不向きだったように思います。
むしろ劉禅は歴史的評価を抜きにすれば一番良い人生だったとも言えるかもよ。天寿を全うできたし演技のラストが本心なら幸せな人生を送れたみたいだからね。個人的にはもっと評価されて良いと思うんだけどね。犠牲は少なく出来たし生き残ったし血もある程度の地位も残した。蜀の末期の状況なら最良の結果出してると思う。
現在は再評価が進んでいるが、むしろ糜芳が関帝廟で服役中です
献帝はそこまで悲惨かというとそうでもないかも。献帝に嫁いだ曹節(曹操の娘)は最後まで彼に従って添い遂げたというし。(横山三国志では捨てられちゃうけど)公の位を得て天寿を全うできただけまだましと言える。一族を皆殺しにされた武将達と違って。演義内でいえば諸葛亮によって吐血マシーンと化した周瑜や、さんざん嫌がらせされた魏延もまた悲惨だと思う。
曹真「…」
キミもいたね。ごめん。あのドSめ・・・。
魏延ファンとして限りなく同意です🙇
自分は吉川英治の三国志で何度も出てきてはその都度殺される張郃が悲惨過ぎると思うがw
張郃は三度死ぬ
呂布の最期は、横山光輝三国志や、吉川英治著書の三国志演義でも印象に残っていました。「我々はあなたに鞭はいただいても、恩をいただいたことはございませんな」「あなたは我々の案を全く聞き入れないのに、女に言われたことはすぐに実行する。あなたは部下より女の方が大事なのだ」等と、ここぞとばかりに部下にボロクソ言われたり、殺すのは惜しいと処刑を止めようとした曹操に、「おやめなされ、董卓の二の舞になりますぞ」と進言した劉備に対し「命を救ってやった恩を忘れたか!忘恩の大耳め!(「おんしらずのうさぎみみ」とルビが振ってありました)」と喚いたり、印象に残る台詞が多かった場面でもありました。すべては自分の横暴が招いた因果応報なので、同情の余地は全くありませんが。
正解の選択肢をとり続けないと、非業のしを迎えることになる厳しい時代だな。
横山陳宮、蒼天陳宮、スリキン陳宮、みんな好き
三国志~英雄たちの夜明け~長江燃ゆの陳宮もいいですよ
@@katu3200 何故か呂布に心酔する名軍師的に描かれる事が多いが、実際は曹操にも呂布にも信用されてなかった(陳宮も陳宮で神輿にしていたに過ぎなかった)上に、独立心だけは高いという野心の塊なんだけどね。陳宮さん
蜀が北伐にかけるしかなくなったのは関羽が負けて中原の突破口がなくなったからだと考えても良いと思う逆を言えば、曹操はそこまで見越して呉と同盟したのかとか思ったりもする
漢王朝を乗っ取った曹操も、曹操亡き後はかつての重臣の司馬一族に乗っ取られる運命とは。
19:00 にのみやのへんwwwww嵐で何が起きた?wwww
陳宮のでどのアニメかは忘れたけどで最期曹操に(もう遅い)ってか言いながら泣いてたのがすごく印象に残ってます
自分もそのアニメ、当時レンタルビデオで借りて来て見た事があります。確か、陳宮の処刑の後、次は張遼の処刑が行われようとした寸前で、関羽がスッと現れ、処刑人の手を押さえ命を救ったのに、感動した覚えがあります。
三国志 三部作と言われてる奴と思いますよ。あおい輝彦さんが劉備、渡哲也さんが曹操、、青野武さんが関羽、張飛が石田太郎さん、陳宮は家弓正家さんだっと思います第三部は何故か、オリジナルキャラの関羽の娘(養女?)鳳姫というのがキーキャラクターになってましたね。鶴ひろみさんが演じられたと思いますYou TubeにもUPされてるのもありますよ(笑)
いわゆる草加三国志ですね
パラ〇〇と同じ声優さんが演じてたやつですね。あれめっちゃ好き
孫権の晩年は本当に残念すぎる陸遜のおかげで孫呉は夷陵で勝てたのに
側からは孫和派の最大受益者の1人とみなされてるのにアクセルぶっぱで全琮や孫権に突っ込む陸遜さん…そりゃ死ぬ
孫権は長生きし過ぎた嫌いがありますね…陸遜の丞相就任前ぐらいに薨去していれば違った未来になったかもしれないですね。
孫権の末期豪族の粛清は皇帝と土着の名士のパワーバランスから生まれたもので完全には否定できない。周瑜魯粛呂蒙は孫権の為に死ねるが陸遜張温顧雍は呉の土地の為には死ねるが孫権の為には死ねない人々だから。
周瑜の孫権に対する遺言でいまはメシ食うのも後回しにして政務をしなければいけない時期、遊ぶのは曹操なんとかしてからですよといったことをさんざん言ってるので、もうその時点ですでにだいぶ遊びまくっていたのではないかと・・・
陳留王は本当に哀しい人生だった、董卓の保護下に居るのが一番まともに生きていられたのが皮肉だな。
絶対三国志を知らない。献帝が安心していられたのは曹操の籠を受けてからだよ。そう感じないの演義で劉備の正統性を描けないから。献帝が安心して寝られるのは曹操がいたから。二袁に見つかったらとんでもないことになっていた。
@@lemonsoup1920 オレが知ってる三国志は吉川英治と横山光輝の三国志だけだから、それで全て知ってるなんて言えないけど…曹操は豪華な暮らしをしているのに献帝は極貧生活させられてた描写を思うとね…。
スリーキングダムでの陳宮はかっこよかったですね!
陳宮の死の回は、ほぼ後半の15分ぐらい曹操と陳宮の2人だけの会話で進むいいストーリーでしたね。曹操が命を助けたいという描写は他のキャラではあそこまで描写されてなかったね
献帝は本当に可哀想なんてレベルじゃないくらい悲惨な人生を送ったな。せめてもの救いは殺されることなく、天寿を全うしたことである。献帝は曹丕に禅譲してからの14年間が一番幸せだったんじゃないかって思う。もう献帝は傀儡の皇帝として、利用され続ける人生から早く解放されたかったのかもしれない。
偶然にも、献帝と諸葛亮の生没年は一緒で180年に生まれて234年に没しているんですよね…三国志の物語が五丈原で終わらせているのは一理あると考えています。
あれだけの乱世の中、殺されなかっただけでも幸運だったと思うんだが
それでも後漢の歴代ではマシな部類とうから恐ろしい三以前の後漢皇帝、ヤバすぎますよ
曹丕が献帝を殺さず生かしたのは長い中華史の中でも非常に珍しい話らしいね。ほとんどの場合禅譲等によって前王朝が滅ぶと、その君主は妻子も含め皆殺しが基本だったようだし、それはたとえ血族であろうと例外はなかった。三国時代が終わった後も新しい国が出来て滅ぶ度に王たちが悲惨な最期を遂げてるのを見ると、献帝は全然マシに思えてくる。
@@本格イタリアンティラミス 魏→西晋も生かされてる殺されるようになったのは南北朝あたりから
所々にある横山三国志以外の漫画の名前が知りたいのですが見つけられず・・・詳しい方教えてください。特に荀彧と陳宮の5:00の目が逝っちゃってる漫画が読んでみたいです
個人的には沮授于禁魏延辺りを推したい
呂布陳宮コンビってハマれば最強だろうになぁ
献帝劉協は秦の胡亥のように帝位も王位も万戸侯、庶民にもなれず消されたのと違い命を全うできただけでも良かった。逆に息苦しい帝位を離れて自由気まま(監視はあったかも)な余生を送ることができ幸せだったかも。因果は応報する、半世紀も経たずに魏帝曹髦は司馬炎に帝位を簒奪され劉協と同じ屈辱を味わうも今度は匈奴に司馬氏は帝位を簒奪され挙げ句に処刑された。三国志を終わらせ束の間の平和をもたらした司馬氏の最後が一番悲惨かも。
蒼天航路の陳宮好き
献帝は悲惨、とは言えないでしょう。彼の皇后だった曹節は兄である曹丕が献帝に禅譲を迫った時に体を張って献帝の為に戦った女性。万策尽きて禅譲止む無しとなった時には「天は味方しないのか」と嘆き、禅譲後に山陽公となった献帝に終生付き従っています。献帝は恐らくかなりの能力を持った人物だったのでしょう。傀儡であり続ける事にも相応の能力は必要。しかも自らの身命を守り抜き、血筋を残す事も出来ましたから。
それは比較対象の問題。悲惨だったことには間違いにないと思う。
名を残せたから悲惨じゃない、とか思ってそう
陳宮は決して呂布に対して忠実でも無かったしあの最期もやむなしなんだよなぁ…二宮の変は、陸遜がどう見られてたかってことを考えると陸遜が迂闊感ある
張飛ももう少し酒を控えれば、部下に裏切れる事無く関羽亡き後の蜀の興廃も違った気がします。
鉄砲水で亡くなった董襲何故か横山三国志に最期のシーンが描かれているのかと思ったら呉の武将や民衆に慕われていたかららしい、ただコーエーの三國志では軒並み魅力(パラメーターのあるシリーズでは)が低いという…
人妻が好きっていうのは理解出来無い。
家康も人妻を側室してたのは人妻=安定した妊娠ができるし子育ても安定するかららしいし曹操もそういう考えもあったのかな?
@@平悠太 後で分かりましたが、そうみたいですね。
横山漫画だけど、龐統が孔明に嫉妬して功を焦なければ長生きしてたかもね。
みんな頭脳と策略と人脈で権力成り上がり闘争繰り広げる中、武と腕力で黙らせる呂布カッコよすぎる
「武」のみね…仕える主君をその時の都合でコロコロ変えて節度も信義もなく最後は孟徳に見苦しいほどの命乞い、飛将軍と呼ばれた片鱗さえない。孟徳に俺とお前が組めば最強だ!どうだやろうぜ、と軽い。挙げ句に今わの際に劉備を指差し、こいつのほうが信用ならないぞと最後の悪あがき、どの口が言う(笑)正史の呂布評価にも武力は絶倫だが信義もなく軽はずみな性格狡猾だと酷評されてます。
それ演義
献帝はスリーキングダムで、カミさんと一緒に無念の池ブクブクだったからな。まあ、可哀そうレベル高いな
史記もやりましょうよ 悲惨な人生の人ばっかりです
歴史上禅譲した途端、暗殺されたり死ぬまで幽閉される皇帝がいる中、天寿を全うすることができた分まだ幸せ? 袁紹って結構見限られたり仕えるに足らないと思われたりしてるな。 荀彧の他に荀攸も可哀想。 甄氏は曹丕でなく曹植と先に出会っていたらどうなっていたのだろう? 孟達も最後はパッとしなかったような?演技では徐晃倒したけど。 孫権は長生きしすぎたせいか老害?みたいな。
袁崇煥 “ ふん、拙者に比べれば、先輩諸氏などはまだまだ幸運でいらっしゃる!💢💢💢“アレクサンドリアのヒュパティア “ まったくですわ!💢 本当に将軍の仰る通りですわ!💢💢 ぷんすかぷんぷんデスワデスワッ!!💢💢💢💢💢💢 “
呂布は漢王朝の忠臣だったとすると必ずしも裏切りとは言い切れないんだよなぁ。呂布が裏切り行動する時って漢王朝が維持できなくなる可能性がある場面が多い印象。
というより、「漢王朝に対する逆賊の~が許せないですよねぇ!(ネットリ)」 っていう耳ざわりのいい讒言に乗っちゃうんだと。でないと、一応漢王朝復興を掲げる劉備を追い出すエピソードが矛盾しちゃうんですよね。
二宮の変は本当に全てが無駄だったってのが酷い
19:03「にのみやの変」言うな(笑)。
操り人形にされただけの人生を送った献帝だな力がすべての時代だったということだね
まあ三国志とは話題が完全に逸れるが、項羽と劉邦にでてきた 范増 韓信 英布 彭越 章邯 その他諸々もかなり悲惨というか悲運過ぎると思う🤔
逆に秦末から陳勝・呉広の乱、楚漢戦争、劉邦の粛清、呂氏の専横を切り抜けて天寿を全うした陳平、周勃、季布ってものすごいな・・・。
賢臣を殺して自滅するケースは項羽以下の失敗だと酷評された人物もよくいるとか
もはや献帝は所持していることが重要なアイテム扱いだった気がする。
曹操を一番コケにしたのは禰衡じゃ無いの?。
呂布配下の宋憲、魏続は袁紹配下の顔良にやられてしまうんだよね。その顔良を関羽があっさり倒すんだが。演義では顔良、文醜を関羽が倒したことになってるけど正史では顔良のみ。
呂布はなあ…戦闘民族サイヤ人みたいなもんだし、脳筋だし………
つか、陸遜は、一族を孫策からこっち孫家に殺されすぎ。なんぼ豪族の集合体とはいえ、正直なんでそこまで孫家に寄り添ったか謎。
献帝は庇護されないと存在できなかった時点で詰んでると思うむしろ曹操がいなかったら滅んでたしね…
優秀な人物ほど死に様が対照的
少帝や劉琮が出てこない不具合 特に少帝
黄巾の乱で漢はすでに終わった感あるな。
むしろ黄巾の乱は早期の鎮圧が出来てるので感ある
@@matukawatositane そういう事言いたいのではなく、政治の乱れによる腐敗で起きた乱で本当の意味での鎮圧は出来てなかった。なにせ元凶が鎮圧する側なのだから。
@@wbiwki 後漢はずっと外戚と宦官がゴチャゴチャやってる国家だから霊帝が生きてるうちは…という気持ちはあってね
@@matukawatositane 一応霊帝は軍を整備した。官僚には袁紹や曹操ら有能の人物もいましたからね。
黄巾の乱が起きてる時点で、地方に群雄がいて官軍としての統制が全然できてないっていう、中国歴代王朝の末期状態ですからねー。現代でもそう変わらない…大国ならではの病でしょうね。
そして明帝は曹氏の種じゃない伝説が・・・・・・りくそんが丞相になったのは244年
劉備に食べさせるために、夫に殺された女の人が誰よりも悲惨だと思うんだが。
というか、劉備って、子に恵まれなさすぎるぞ・・・・。😢
蜀建国がクライマックスで、それ以前は流浪生活で奥さんを無くすし、建国からあっという間に坂を転げ落ちるので、妾をつくって子供をふやす時間が無かったんですよね…。
最後の人は悲惨でもない(笑)
よく知らないけど、献帝は曹操に政治委任できたと思えば、後半はある程度楽な人生だったのでは。禅譲は曹丕だし、もはや戦国の世ならばやむ無しでしょう。
人選的にどうしても演義視点の先入観があると思うのですが、せっかく曹操に取り入っていたのに配下に裏切られ劉備という凶賊を招き入れる結果になった劉璋なども負けないぐらい悲惨だと思います。
黄権ら反対意見もあったのに聞き入れず劉備を招きいれたから、自業自得の側面もあるしなぁ。そもそも、曹操の脅威が益州にも実感出来るレベルで近づいてきて、だけども自分達は戦に自信がない。だから劉備に守ってもらおうって献策が出る時点で、どちらにしても似たような結末になったんじゃないかとは思う。まぁ息子は劉備のもとで仕え、自身もまぁ処○されるようなこともなく、最後も呉に拾って貰えてるわけだし、みじめではあったかもしれないけど、まだましに思えちゃうかもしれない。
劉璋は命を長らえ、天寿を全うできているので、悲惨とは言えないと思います。
曹操をもっともコケにしたのは張松ではなく禰衡なのでは?
雌鳥鳴けば国滅ぶように宦官鳴けば国滅ぶ。
張飛はパワハラ上司ってことかw
甄氏入るなら蔡文姫や王異も中々なレベル、呂布何が何やらホント浅慮の行き当たりバッタリ感が…w、陳宮が呂布を上手く扱えたら(誘導)な〜献策だけ出来ても駄目と、この二人噛み合えば…惜しかった
陳宮は曹操の謀臣に「知謀があっても決断が遅い」って看破されてるように、献策されても既に期を逸してたんだと思います。でなければこんな評価されないんで、呂布にだけ問題があったとは言えないでしょう
王異はどちらかというと女傑なので、悲惨かというとちょっと違うと思います。
@@dignity9315 人生の悲惨さで鑑みるに書きました
@@マメミム さんそれを言うなら、孫魯育とか姉の孫魯班の策謀で死に追いやられてますし、孫休の奥さんの朱皇后のほうがもっと悲惨な末路を辿っているのですが、そこのところどう思われますか?
@@dignity9315 書き込み(長文りそうで)知ってる人物で知名度的に知られてるので書きました、知ってる方から見ればそちらの方が…となるのでしょうが…、皆さんの冥福祈りますです
姜維も内政に関わっていればこんなことにはならなかったのに・・・孔明め、肝心なことを教えてなかったな。
うpぬしも法正のコメントで言ってるけど、蜀は軍師や文官人材がダメダメだったのがよくわかりますよね。劉禅も悪徳政治家に誑し込まれちゃうし。
関羽は年々慢心していったように感じる
個人的には董卓に牛裂きの刑にされた村娘かと
結局、献帝は殺されたのかよくわからないです!
曹操を貶した張松はスゴイ!
劉協は悲惨なのかな?曹操の傀儡だったとしても、不自由なく暮らすことができてたわけだし、李傕と郭汜に囚われてる時より良かったと思うんだけど
二宮の変のお家騒動で長男が亡くなり三男と四男が争ったみたいですが、次男はどうしていたんでしょう?動画を見て一番かわいそうなのは陸遜だと思いました。
次男孫慮は優秀だったみたいですが長男孫登の死の9年前に20歳の若さで亡くなってます
陳宮は、同姓同名の別人だとずっと思っていました見た目も性格も変わり過ぎです(アニメ)
陳宮、曹操を見限って呂布に付くとは見る目が無さすぎだろう。後、横山三国志は61巻作って本当のエンディングを今も書いてほしい。
呂布と項羽の一騎打ちならどっち? 劉備関羽張飛を相手に引けを取らなかった呂布か?
リアル無双してる記述のある項羽でしょう
パパス……
演義だと陳宮こそ曹操の命の恩人だからね。
張松がパッとしなかったって?劉備軍益州攻略編のほぼメインやないかい法正、孟達に比べてスポットライト当たりまくりやぞ😂
陳宮よりも高順のがかわいそうだった。
歴史の授業で世界3代キング(大王)は習ったが、最後はトホホ…歴史に残る人物は最後は…凡人万歳🙌w
オレは何皇后と小皇子を推すな。政争の渦中にいながら李儒に短剣か毒杯か選ばされけど、最期は塔から突き落とされるって扱いが惨い。
チョロ松は横山ではこれ以上ないくらいブサイクに書かれてるが実際はどうなのかな?
我が死亡
呂布は完全に自業自得
三國志に限らず中国史は多いよね
孔明が同僚に劉備への士官を勧められて嫌がったのも大人になった今よく分かる気がする。国に仕えて名が売れても自分にはあんまし良いことないし。それよりもド田舎での平穏な毎日が一番。
北伐厨()とか揶揄される姜維だけど外様で別に大徳にさしたる恩を受けた訳でもないのに、重鎮らから疎まれようが左遷されようが勝てない相手だろうが蜀のアイデンティティなんだと北伐を繰り返し、国が滅んでもなおワンチャン狙うとか意地と執念だけなら三国志No.1だと思う
一番は心の底から諸葛亮を尊敬していたんだろうなと思う。あとは己1人がどこまで出来るのかを試してみたかったとか。もちろんこれだけではないとは思うけど
姜維自身が涼州出身なのも大きいでしょうね。
大徳呼びは大戦勢かな✨
まぁ北伐は仕方ない。そもそも後漢復興が大義名分で成り立ってる国なんだから。
耳障りのいい政策吹き散らして結局なんもしない今のポンコツ政治家と違って、
ちゃんと「やってる感」出さないと失脚してしまうからな。
陸遜は2代にわたって呉を支えてきたのにゴタゴタのしわ寄せにされあっけなく死ぬってのが最高に暗黒
孫権のストッパーにだけはなれなかったのが惜しい・・・
孫登が亡くなった年(241年)に最後のストッパーになりえた諸葛瑾も
没してしまったのも残念である。
晩年の孫権って耄碌して国を傾けたあたり、晩年の豊臣秀吉に通じるものありますね
「本来の世子に先立れた」ことについては
長宗我部元親と同じような境遇でしょうか
呂布は演義読んでると、すんごいピュアで何でも言う事信じちゃうかわいいポジションに見えてくるのが不思議。
要するに馬鹿正直なんですね
武勇に脳みそがついてこれなかった
@@どんこしいたけ 軍師ポジの陳宮がいう事より、そこらのモブの讒言も聞き入れちゃうし、一度聞いたら譲らない頑固なところも、馬鹿正直に輪をかけてるんですよね。それでいて曹操や劉備を悩ませるんだから凄い。
正史だと呂布は狡賢くて腹黒い。そこがまた面白いんですよね
@@コリドラス-r6q 演義の編集の妙ですね。
正史では文官で学識もあるんだが。イメージは怖い
いつも解説ありがとうございます。
献帝は確かに利用され続けこそしたものの、兄と違って殺される事もなく天寿を全うできたのはあの時代において幸運だったと言わざるをえない
献帝悲惨だけど、最後まで自分を愛してくれた曹節がいたからまだましかな
力のない皇帝なんてそんなものですよ。
何なら、さっさと禅譲すれば苦労しなかったでしょう。
後の劉禅と違って、漢王朝を滅ぼしたくない責任感が強かったから密書を書いたりして余計苦しむんだろう。
陳宮の最期である「白楼門始末」はどの媒体で見ても名シーンだよなぁ
アニメ映画版三国志の陳宮の最期は特に必見ですね。映画第一作の終盤、曹操がやはり陳宮を死なせたくないと思って、処刑を中止させようとしたが間に合わず…ラストに一緒に捕らえられていた張遼だけでも助かったことで、後味の悪さを消してくれたと思います。
道教の老子は「器は空であるから有用である」と言ったとかなんとか。
曹操はきっとそれをもじって三公の位を辞退した荀彧を「空の器」に例えて箱を送ったんだと思うことにしたんだ。
漢中攻防戦で捕らえられ人質となったが生き延び、北伐で命令違反で処罰された陳式は悲惨というよりポンコツというイメージを植え付けられてしまった人
陸遜の死後、その濡れ衣は息子の陸抗が晴らしましたね。
でも一応、陸抗は孫権、孫尚香の大甥に当たる。孫堅の曾孫になる。
悲惨な人達は結構多かったりもするものね時代の流れ行動によっても変わってくるだろうからね~
孫堅もだけど孫策が長生きする三國志が見たかったです
蒼天航路は衝撃的すぎました
孫策が長生きしたら、呉は大乱になってたのでは?
なんせ中央集権化を進めて、呉の実力者たる四姓と溝を作っていましたから。
曹丕より長生きした献帝
横山三国志では陳留王表記の劉協
劉協(献帝)と諸葛亮は生没年一緒
羅貫中はそのことを用いて
諸葛亮を「超天才軍師にして超一流の政治家」としたようだ
まあ献帝は悲惨と言えば悲惨だけど、当人は後漢の皇帝のなかでは長生きしてるし、マシな方に思えてくる不思議(即位200日で病死、3歳で病死、8歳で毒殺と短命のオンパレードだし)。
確かに。三国志以前のほうがヤバいっていう…
後漢では皇帝は飾り物でしかなかったのだな
光武帝より長生きした皇帝がおらず、即位時の年齢も少帝が上位に入るくらいですから
献帝を除いて、自分の行動の結果だから自己責任の面もある。
対して献帝は父親の霊帝がメチャクチャにしていて、すでに手遅れの状態で帝位を渡されたから個人的にはこの人は一番同情する。
献帝も可哀想だけど、彼以上に可哀想なのが、兄の少帝(劉弁)だな。
劉協に関して言えば曹操に拾ってもらった事で文字通りに救われていると思いますよ。
経歴から見て董卓の一族であろう董承(董皇后の甥という説もあるものの正真正銘の董皇后の甥・董重は驃騎大将軍なのに対し、同時期の董承は并州牧である董卓の娘婿の部将という非常に低い立場なのであり得ない)に権力を握られ翻弄されていたものの、董承が自身の邪魔となった曹操の暗殺に失敗し逆に処刑された事で皇帝として自由を得ています。
霊帝の前から政治は乱れていました。黄巾の乱が起きたのは寒冷化で農民が食べられなくなったから。つまり漢という国はとっくに終わっていた。献帝は曹操に擁立されてむしろラッキーだった。袁術ならそく禅譲させるし袁紹は董卓が選んだ献帝を認めていなかった。
生き延びて諡号まで付けられたあたりどうなのかな、と思うが苦労は本人じゃなきゃわからないからな
でも曹操暗殺とかはまずいよね。
悲惨という意味でパッと浮かんだのは華佗かな、曹操を治療しようとしたら逆に殺されるとかたまったもんじゃない
(もっとも曹操から、治療を受けて助からなかったらどうする!?と詰め寄られたら、命運と思って諦めろ、という煽るような返答したのも原因とは言えるが…)
蔡瑁達のとばっちりで短い生涯を終えた演義の劉琮もなかなか
姜維は諸葛瞻をはじめ蜀の大臣連中からも疎んじられた挙げ句、費禕が魏からの降伏者に殺害された後は完全に孤立状態。
軍内部でも張翼、廖化と意見が対立し、蜀で北伐を考えているものは姜維と劉禅しかいなかったというまさに孤軍奮闘状態という悲惨な状態。
費禕の殺害については、姜維が黒幕説があるのですが…
軍内部でも、鄧芝あたりは陰ながら支えていますし、三国志演義では登場しませんが、陳祗が数少ない理解者で北伐について賛成して朝廷をまとめていたので孤軍奮闘かといわれると違うと思われます。
生姜に対しては自己責任論。魏でまずまずな将来より蜀で大出世したかった。
@@dignity9315 流石に姜維黒幕はないかと…(そんなことしたら困るのは姜維自身ですし)
鄧芝も歯に衣着せぬ物言いをするので周りから好かれていなかったそうですし、
陳祗も賛成していたというより内部崩壊しそうな蜀漢首脳陣を纏める存在なので、他者と同じく姜維に対しても一定の理解を示していたのでしょう。
@@wonder7397 さん
個人的には、陳祗在命時まではまだ持ちこたえていたものの、陳祗死没後から顕著になったと考えています。
そもそも、本来魏からの降将である姜維が総大将になっている時点で、その人材不足が深刻すぎますが…
劉禅みたいな腰抜けが北伐を考える訳が無いかと。
親と違って満足な統治をしていた事もなく、
結果として文官が腐れた。
北伐失敗も、
それを含め単に蜀が人手不足だったから。
姜維を見て思ったのは、人間一途過ぎるのも良くないね。主を見限る度量も必要。
19:01
「にのみや」ってww
曹叡も父親の母親に対する仕打ちに思う所あったのに、結局は父と同じ事してますね(寵愛してた皇后に飽きて自○を命じる)
三国志の主な人物で悔い無く生きれたのは、曹操と司馬懿位ではと、
曹操は天下統一は出来ませんでしたが、やるべき事はやったので後は子孫に託す見たいな感じですし、司馬懿はもう司馬一族で魏の実権握ってますし二人共、65歳、72歳(満年齢)と当時としては長命ですし(笑)
これこそ曹叡が曹丕の血統という証拠
中国の三国志ドラマ「三国」は(日本では「三国志 Three Kingdoms」)
曹操の董卓暗殺未遂(の前)から始まり、司馬懿の死去で終わっていますが、
本場の方々も彼らが悔いなく活動できたと思っているのでしょうかね('ω')
蜀に悲惨な最期を遂げた人物が多いですね。
関羽、張飛、龐統、馬謖、魏延、楊儀、費禕、姜維と天寿を全うできていない。
彼らが長生きしていたら蜀の命運も変わっていたのではないか。
龐統は致命的だよね。荊州にいれば関羽が暴走するようなこともなかったかもしれない
@@MyForestStudio さん
龐統は微妙ですね…
そもそも孫呉のスパイ説が濃厚で、劉璋を攻める際の策も孫呉を利する策を含んで献策しており、劉備もそれに不快感を隠さなかったといいます。
一説には、陳寿が蜀には人物が少なすぎて体裁を整えることができないので、龐統を蜀の人物として伝を立てたと言われてますし…
吉川三国志読んでたときは龐統来てテンション上がったなぁ
関羽がやられた時ガタッと下がるんだが
病での早逝ではあるが、蜀の興亡に影響が大きかったのは法正じゃないかな。蜀は法正と諸葛亮が2人で「蜀科」による法整備を行い基盤を整え、法正が劉備の参謀として漢中を攻略し、諸葛亮が後方を仕切っていたころが最盛期だった。法正の早逝後は、夷陵の大敗で東方領土を全て失い、繰り返しの北伐でもまともな成果を得ることはできなくなった。劉備の存命時、臣下に諡号を送られたのは法正のみだったというのが、蜀における法正の存在がいかに大きかったかを表してると思う。
甄氏の一件は中国内で曹丕が嫌われる理由の一つですね。
時代が時代だけど、人として良くない行いだと思います。
古代において、相手を滅ぼしたとき、相手の妻を自分の妻にすることは基本的に善性ですよ。
そもそもの話が、戦に敗れて滅んだ君主の一族等、放逐しても生きていけませんし、謀反を恐れて一族郎党皆殺しなんてザラです。
略奪したのは時代が時代だからまだしも
甄姫は最期がね😢
@@仔猫の足跡 そこについては何も思ってません。甄氏については最期が良くなかったなという話です。
@@pino623 わざわざ死体蹴り見たいなことしたとまで伝わってると、やっぱり印象は良くないですね。。。
曹丕といえば曹植への扱いや曹洪排除(それも曹丕が曹洪に借金していたのをチャラにしようとしてクビ)など血も涙もない対応をしている割になぜか献帝を殺さなかったんだろう
腐っても鯛ですね。
幾ら皇帝では無くなったとは言え元々後漢の皇帝。下手に手を出せば魏の正式な建国の為に譲ってもらった帝位を簒奪扱いされて呉や蜀に再度手を結ばれたり国内の反魏の勢力の蜂起を促して滅びるのは目に見えていたからでしょう。
一説には、献帝の妃の曹皇后が弑殺されないように、程昱から入れ知恵してもらって対応することで免れたという話がありますね。
皇帝を弑したら、劉備&孫権に
「逆賊曹家斃すべし!」の大義名分を
与えてしまいますからね
三国志に限らない話なんですが、怒りのあまり「憤死」する事ってホントにあるんですかね?
事実かわからないですが。
感情の激しい動きを『ストレス』と呼ぶそうで。以前、宝くじが当たったと知った瞬間に亡くなったご老人がいらっしゃったそうで。
喜びですら身体に毒だとすれば、怒りや憎しみが爆発した時の心身に対してのダメージは半端ないかな、と思います😰
興奮による脳出血がまあ一番可能性の高い憤死ですかね
まぁガンだろうが心臓病だろうが昂っている際に死んだら憤死なんでしょうけど
心臓が凄い悪い人は怒るとめっちゃ低確率で死ぬかもしれないらしいです
少し意味合いが変わりますが、後世の人達にも侮蔑の対象とされている点を考慮すると、
「劉禅」が悲惨な人物だったと思っています。
「扶不起的阿斗」=「どうしようもない人物」
自分の幼名が侮蔑語の一部として1800年以上も語り継がれるとか・・・酷過ぎると思うデス(;´・ω・)
劉禅は降伏後に領地の貧しい村を見かけて、蜀宮の花の栽培方法を伝授し救ったという逸話もあり、そのことを頌栄する石碑が現地に残っています。
根は悪い人ではないが戦乱の世の君主には不向きだったように思います。
むしろ劉禅は歴史的評価を抜きにすれば一番良い人生だったとも言えるかもよ。天寿を全うできたし演技のラストが本心なら幸せな人生を送れたみたいだからね。
個人的にはもっと評価されて良いと思うんだけどね。犠牲は少なく出来たし生き残ったし血もある程度の地位も残した。蜀の末期の状況なら最良の結果出してると思う。
現在は再評価が進んでいるが、むしろ糜芳が関帝廟で服役中です
献帝はそこまで悲惨かというとそうでもないかも。
献帝に嫁いだ曹節(曹操の娘)は最後まで彼に従って添い遂げたというし。(横山三国志では捨てられちゃうけど)
公の位を得て天寿を全うできただけまだましと言える。一族を皆殺しにされた武将達と違って。
演義内でいえば諸葛亮によって吐血マシーンと化した周瑜や、さんざん嫌がらせされた魏延もまた悲惨だと思う。
曹真「…」
キミもいたね。ごめん。あのドSめ・・・。
魏延ファンとして限りなく同意です🙇
自分は吉川英治の三国志で何度も出てきてはその都度殺される張郃が悲惨過ぎると思うがw
張郃は三度死ぬ
呂布の最期は、横山光輝三国志や、吉川英治著書の三国志演義でも印象に残っていました。
「我々はあなたに鞭はいただいても、恩をいただいたことはございませんな」
「あなたは我々の案を全く聞き入れないのに、女に言われたことはすぐに実行する。あなたは部下より女の方が大事なのだ」
等と、ここぞとばかりに部下にボロクソ言われたり、
殺すのは惜しいと処刑を止めようとした曹操に、「おやめなされ、董卓の二の舞になりますぞ」と進言した劉備に対し
「命を救ってやった恩を忘れたか!忘恩の大耳め!(「おんしらずのうさぎみみ」とルビが振ってありました)」と喚いたり、
印象に残る台詞が多かった場面でもありました。すべては自分の横暴が招いた因果応報なので、同情の余地は全くありませんが。
正解の選択肢をとり続けないと、非業のしを迎えることになる厳しい時代だな。
横山陳宮、蒼天陳宮、スリキン陳宮、みんな好き
三国志~英雄たちの夜明け~長江燃ゆ
の陳宮もいいですよ
@@katu3200 何故か呂布に心酔する名軍師的に描かれる事が多いが、実際は曹操にも呂布にも信用されてなかった(陳宮も陳宮で神輿にしていたに過ぎなかった)上に、独立心だけは高いという野心の塊なんだけどね。陳宮さん
蜀が北伐にかけるしかなくなったのは関羽が負けて中原の突破口がなくなったからだと考えても良いと思う
逆を言えば、曹操はそこまで見越して呉と同盟したのかとか思ったりもする
漢王朝を乗っ取った曹操も、曹操亡き後はかつての重臣の司馬一族に乗っ取られる運命とは。
19:00 にのみやのへんwwwww嵐で何が起きた?wwww
陳宮のでどのアニメかは忘れたけどで最期曹操に(もう遅い)ってか言いながら泣いてたのがすごく印象に残ってます
自分もそのアニメ、当時レンタルビデオで借りて来て見た事があります。確か、陳宮の処刑の後、次は張遼の処刑が行われようとした寸前で、関羽がスッと現れ、処刑人の手を押さえ命を救ったのに、感動した覚えがあります。
三国志 三部作と言われてる奴と思いますよ。
あおい輝彦さんが劉備、渡哲也さんが曹操、、青野武さんが関羽、張飛が石田太郎さん、
陳宮は家弓正家さんだっと思います
第三部は何故か、オリジナルキャラの関羽の娘(養女?)鳳姫というのがキーキャラクターになってましたね。鶴ひろみさんが演じられたと思います
You TubeにもUPされてるのもありますよ(笑)
いわゆる草加三国志ですね
パラ〇〇と同じ声優さんが演じてたやつですね。あれめっちゃ好き
孫権の晩年は本当に残念すぎる
陸遜のおかげで孫呉は夷陵で勝てたのに
側からは孫和派の最大受益者の1人とみなされてるのにアクセルぶっぱで全琮や孫権に突っ込む陸遜さん…そりゃ死ぬ
孫権は長生きし過ぎた嫌いがありますね…
陸遜の丞相就任前ぐらいに薨去していれば違った未来になったかもしれないですね。
孫権の末期豪族の粛清は皇帝と土着の名士のパワーバランスから生まれたもので完全には否定できない。周瑜魯粛呂蒙は孫権の為に死ねるが陸遜張温顧雍は呉の土地の為には死ねるが孫権の為には死ねない人々だから。
周瑜の孫権に対する遺言で
いまはメシ食うのも後回しにして政務をしなければいけない時期、遊ぶのは曹操なんとかしてからですよ
といったことをさんざん言ってるので、もうその時点ですでにだいぶ遊びまくっていたのではないかと・・・
陳留王は本当に哀しい人生だった、董卓の保護下に居るのが一番まともに生きていられたのが皮肉だな。
絶対三国志を知らない。献帝が安心していられたのは曹操の籠を受けてからだよ。そう感じないの演義で劉備の正統性を描けないから。献帝が安心して寝られるのは曹操がいたから。二袁に見つかったらとんでもないことになっていた。
@@lemonsoup1920
オレが知ってる三国志は吉川英治と横山光輝の三国志だけだから、それで全て知ってるなんて言えないけど…曹操は豪華な暮らしをしているのに献帝は極貧生活させられてた描写を思うとね…。
スリーキングダムでの陳宮はかっこよかったですね!
陳宮の死の回は、ほぼ後半の15分ぐらい曹操と陳宮の2人だけの会話で進むいいストーリーでしたね。曹操が命を助けたいという描写は他のキャラではあそこまで描写されてなかったね
献帝は本当に可哀想なんてレベルじゃないくらい悲惨な人生を送ったな。せめてもの救いは殺されることなく、天寿を全うしたことである。献帝は曹丕に禅譲してからの14年間が一番幸せだったんじゃないかって思う。もう献帝は傀儡の皇帝として、利用され続ける人生から早く解放されたかったのかもしれない。
偶然にも、献帝と諸葛亮の生没年は一緒で180年に生まれて234年に没しているんですよね…
三国志の物語が五丈原で終わらせているのは一理あると考えています。
あれだけの乱世の中、殺されなかっただけでも幸運だったと思うんだが
それでも後漢の歴代ではマシな部類とうから恐ろしい
三以前の後漢皇帝、ヤバすぎますよ
曹丕が献帝を殺さず生かしたのは長い中華史の中でも非常に珍しい話らしいね。
ほとんどの場合禅譲等によって前王朝が滅ぶと、その君主は妻子も含め皆殺しが基本だったようだし、それはたとえ血族であろうと例外はなかった。
三国時代が終わった後も新しい国が出来て滅ぶ度に王たちが悲惨な最期を遂げてるのを見ると、献帝は全然マシに思えてくる。
@@本格イタリアンティラミス
魏→西晋も生かされてる
殺されるようになったのは南北朝あたりから
所々にある横山三国志以外の漫画の名前が知りたいのですが見つけられず・・・
詳しい方教えてください。特に荀彧と陳宮の5:00の目が逝っちゃってる漫画が読んでみたいです
個人的には沮授于禁魏延辺りを推したい
呂布陳宮コンビってハマれば最強だろうになぁ
献帝劉協は秦の胡亥のように帝位も王位も万戸侯、庶民にもなれず消されたのと違い命を全うできただけでも良かった。逆に息苦しい帝位を離れて自由気まま(監視はあったかも)な余生を送ることができ幸せだったかも。因果は応報する、半世紀も経たずに魏帝曹髦は司馬炎に帝位を簒奪され劉協と同じ屈辱を味わうも今度は匈奴に司馬氏は帝位を簒奪され挙げ句に処刑された。三国志を終わらせ束の間の平和をもたらした司馬氏の最後が一番悲惨かも。
蒼天航路の陳宮好き
献帝は悲惨、とは言えないでしょう。彼の皇后だった曹節は兄である曹丕が献帝に禅譲を迫った時に体を張って献帝の為に戦った女性。万策尽きて禅譲止む無しとなった時には「天は味方しないのか」と嘆き、禅譲後に山陽公となった献帝に終生付き従っています。献帝は恐らくかなりの能力を持った人物だったのでしょう。傀儡であり続ける事にも相応の能力は必要。しかも自らの身命を守り抜き、血筋を残す事も出来ましたから。
それは比較対象の問題。
悲惨だったことには間違いにないと思う。
名を残せたから悲惨じゃない、とか思ってそう
陳宮は決して呂布に対して忠実でも無かったしあの最期もやむなしなんだよなぁ…
二宮の変は、陸遜がどう見られてたかってことを考えると陸遜が迂闊感ある
張飛ももう少し酒を控えれば、部下に裏切れる事無く関羽亡き後の蜀の興廃も違った気がします。
鉄砲水で亡くなった董襲
何故か横山三国志に最期のシーンが描かれているのかと思ったら呉の武将や民衆に慕われていたかららしい、ただコーエーの三國志では軒並み魅力(パラメーターのあるシリーズでは)が低いという…
人妻が好きっていうのは理解出来無い。
家康も人妻を側室してたのは人妻=安定した妊娠ができるし子育ても安定するかららしいし曹操もそういう考えもあったのかな?
@@平悠太
後で分かりましたが、そうみたいですね。
横山漫画だけど、龐統が孔明に嫉妬して功を焦なければ長生きしてたかもね。
みんな頭脳と策略と人脈で権力成り上がり闘争繰り広げる中、武と腕力で黙らせる呂布カッコよすぎる
「武」のみね…仕える主君をその時の都合でコロコロ変えて節度も信義もなく最後は孟徳に見苦しいほどの命乞い、飛将軍と呼ばれた片鱗さえない。孟徳に俺とお前が組めば最強だ!どうだやろうぜ、と軽い。挙げ句に今わの際に劉備を指差し、こいつのほうが信用ならないぞと最後の悪あがき、どの口が言う(笑)正史の呂布評価にも武力は絶倫だが信義もなく軽はずみな性格狡猾だと酷評されてます。
それ演義
献帝はスリーキングダムで、カミさんと一緒に無念の池ブクブクだったからな。まあ、可哀そうレベル高いな
史記もやりましょうよ 悲惨な人生の人ばっかりです
歴史上禅譲した途端、暗殺されたり死ぬまで幽閉される皇帝がいる中、天寿を全うすることができた分まだ幸せ? 袁紹って結構見限られたり仕えるに足らないと思われたりしてるな。 荀彧の他に荀攸も可哀想。 甄氏は曹丕でなく曹植と先に出会っていたらどうなっていたのだろう? 孟達も最後はパッとしなかったような?演技では徐晃倒したけど。 孫権は長生きしすぎたせいか老害?みたいな。
袁崇煥 “ ふん、拙者に比べれば、先輩諸氏などはまだまだ幸運でいらっしゃる!💢💢💢“
アレクサンドリアのヒュパティア “ まったくですわ!💢 本当に将軍の仰る通りですわ!💢💢 ぷんすかぷんぷんデスワデスワッ!!💢💢💢💢💢💢 “
呂布は漢王朝の忠臣だったとすると必ずしも裏切りとは言い切れないんだよなぁ。呂布が裏切り行動する時って漢王朝が維持できなくなる可能性がある場面が多い印象。
というより、「漢王朝に対する逆賊の~が許せないですよねぇ!(ネットリ)」 っていう耳ざわりのいい讒言に乗っちゃうんだと。でないと、一応漢王朝復興を掲げる劉備を追い出すエピソードが矛盾しちゃうんですよね。
二宮の変は本当に全てが無駄だったってのが酷い
19:03
「にのみやの変」言うな(笑)。
操り人形にされただけの人生を送った献帝だな
力がすべての時代だったということだね
まあ三国志とは話題が完全に逸れるが、項羽と劉邦にでてきた 范増 韓信 英布 彭越 章邯 その他諸々もかなり悲惨というか悲運過ぎると思う🤔
逆に秦末から陳勝・呉広の乱、楚漢戦争、劉邦の粛清、呂氏の専横を切り抜けて天寿を全うした陳平、周勃、季布ってものすごいな・・・。
賢臣を殺して自滅するケースは項羽以下の失敗だと酷評された人物もよくいるとか
もはや献帝は所持していることが重要なアイテム扱いだった気がする。
曹操を一番コケにしたのは禰衡じゃ無いの?。
呂布配下の宋憲、魏続は袁紹配下の顔良にやられてしまうんだよね。その顔良を関羽があっさり倒すんだが。演義では顔良、文醜を関羽が倒したことになってるけど正史では顔良のみ。
呂布はなあ…戦闘民族サイヤ人みたいなもんだし、脳筋だし………
つか、陸遜は、一族を孫策からこっち孫家に殺されすぎ。なんぼ豪族の集合体とはいえ、正直なんでそこまで孫家に寄り添ったか謎。
献帝は庇護されないと存在できなかった時点で詰んでると思う
むしろ曹操がいなかったら滅んでたしね…
優秀な人物ほど死に様が対照的
少帝や劉琮が出てこない不具合 特に少帝
黄巾の乱で漢はすでに終わった感あるな。
むしろ黄巾の乱は早期の鎮圧が出来てるので感ある
@@matukawatositane そういう事言いたいのではなく、政治の乱れによる腐敗で起きた乱で本当の意味での鎮圧は出来てなかった。なにせ元凶が鎮圧する側なのだから。
@@wbiwki 後漢はずっと外戚と宦官がゴチャゴチャやってる国家だから霊帝が生きてるうちは…という気持ちはあってね
@@matukawatositane 一応霊帝は軍を整備した。官僚には袁紹や曹操ら有能の人物もいましたからね。
黄巾の乱が起きてる時点で、地方に群雄がいて官軍としての統制が全然できてないっていう、中国歴代王朝の末期状態ですからねー。現代でもそう変わらない…大国ならではの病でしょうね。
そして明帝は曹氏の種じゃない伝説が・・・・・・
りくそんが丞相になったのは244年
劉備に食べさせるために、夫に殺された女の人が誰よりも悲惨だと思うんだが。
というか、劉備って、子に恵まれなさすぎるぞ・・・・。😢
蜀建国がクライマックスで、それ以前は流浪生活で奥さんを無くすし、建国からあっという間に坂を転げ落ちるので、妾をつくって子供をふやす時間が無かったんですよね…。
最後の人は悲惨でもない(笑)
よく知らないけど、献帝は曹操に政治委任できたと思えば、後半はある程度楽な人生だったのでは。
禅譲は曹丕だし、もはや戦国の世ならばやむ無しでしょう。
人選的にどうしても演義視点の先入観があると思うのですが、せっかく曹操に取り入っていたのに配下に裏切られ劉備という凶賊を招き入れる結果になった劉璋なども負けないぐらい悲惨だと思います。
黄権ら反対意見もあったのに聞き入れず劉備を招きいれたから、自業自得の側面もあるしなぁ。
そもそも、曹操の脅威が益州にも実感出来るレベルで近づいてきて、だけども自分達は戦に自信がない。だから劉備に守ってもらおうって献策が出る時点で、どちらにしても似たような結末になったんじゃないかとは思う。
まぁ息子は劉備のもとで仕え、自身もまぁ処○されるようなこともなく、最後も呉に拾って貰えてるわけだし、みじめではあったかもしれないけど、まだましに思えちゃうかもしれない。
劉璋は命を長らえ、天寿を全うできているので、悲惨とは言えないと思います。
曹操をもっともコケにしたのは張松ではなく禰衡なのでは?
雌鳥鳴けば国滅ぶように宦官鳴けば国滅ぶ。
張飛はパワハラ上司ってことかw
甄氏入るなら蔡文姫や王異も中々なレベル、呂布何が何やらホント浅慮の行き当たりバッタリ感が…w、陳宮が呂布を上手く扱えたら(誘導)な〜献策だけ出来ても駄目と、この二人噛み合えば…惜しかった
陳宮は曹操の謀臣に「知謀があっても決断が遅い」って看破されてるように、献策されても既に期を逸してたんだと思います。でなければこんな評価されないんで、呂布にだけ問題があったとは言えないでしょう
王異はどちらかというと女傑なので、悲惨かというとちょっと違うと思います。
@@dignity9315 人生の悲惨さで鑑みるに書きました
@@マメミム さん
それを言うなら、孫魯育とか姉の孫魯班の策謀で死に追いやられてますし、孫休の奥さんの朱皇后のほうがもっと悲惨な末路を辿っているのですが、そこのところどう思われますか?
@@dignity9315 書き込み(長文りそうで)知ってる人物で知名度的に知られてるので書きました、知ってる方から見ればそちらの方が…となるのでしょうが…、皆さんの冥福祈りますです
姜維も内政に関わっていればこんなことにはならなかったのに・・・孔明め、肝心なことを教えてなかったな。
うpぬしも法正のコメントで言ってるけど、蜀は軍師や文官人材がダメダメだったのがよくわかりますよね。劉禅も悪徳政治家に誑し込まれちゃうし。
関羽は年々慢心していったように感じる
個人的には董卓に牛裂きの刑にされた村娘かと
結局、献帝は殺されたのかよくわからないです!
曹操を貶した張松はスゴイ!
劉協は悲惨なのかな?
曹操の傀儡だったとしても、不自由なく暮らすことができてたわけだし、李傕と郭汜に囚われてる時より良かったと思うんだけど
二宮の変のお家騒動で長男が亡くなり三男と四男が争ったみたいですが、次男はどうしていたんでしょう?動画を見て一番かわいそうなのは陸遜だと思いました。
次男孫慮は優秀だったみたいですが長男孫登の死の9年前に20歳の若さで亡くなってます
陳宮は、同姓同名の別人だとずっと思っていました
見た目も性格も変わり過ぎです(アニメ)
陳宮、曹操を見限って呂布に付くとは見る目が無さすぎだろう。
後、横山三国志は61巻作って本当のエンディングを今も書いてほしい。
呂布と項羽の一騎打ちならどっち? 劉備関羽張飛を相手に引けを取らなかった呂布か?
リアル無双してる記述のある項羽でしょう
パパス……
演義だと陳宮こそ曹操の命の恩人だからね。
張松がパッとしなかったって?
劉備軍益州攻略編のほぼメインやないかい
法正、孟達に比べてスポットライト当たりまくりやぞ😂
陳宮よりも高順のがかわいそうだった。
歴史の授業で世界3代キング(大王)は習ったが、最後はトホホ…歴史に残る人物は最後は…凡人万歳🙌w
オレは何皇后と小皇子を推すな。政争の渦中にいながら李儒に短剣か毒杯か選ばされけど、最期は塔から突き落とされるって扱いが惨い。
チョロ松は横山ではこれ以上ないくらいブサイクに書かれてるが実際はどうなのかな?
我が死亡
呂布は完全に自業自得
三國志に限らず中国史は多いよね
孔明が同僚に劉備への士官を勧められて嫌がったのも大人になった今よく分かる気がする。
国に仕えて名が売れても自分にはあんまし良いことないし。
それよりもド田舎での平穏な毎日が一番。