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夏侯惇は総督なのよね。曹操が前線ばかり行くから内政やってる、後方全部担当してるイメージ。反乱鎮圧も上手い。
編集も分かりやすいし見応えのある動画だった。正史では屈指の実力なのに正反対に描かれてる偉人は可哀想。
呉が自力で取ったのは荊州で言えば甘寧が取った夷陵城だけ、その部分だけは劉備の関与が記録上はまったく見られない曹仁を江陵で囲んだのは魏志では劉備と周瑜が共同で行ってる、呉録にも劉備が周瑜、曹仁との戦いについて策略を語って周瑜がそれに従った記録があり、魏志には劉備、周瑜が曹仁を包囲し関羽がさらに北道を封鎖したことが書かれていますだから江陵周辺には劉備の将と呉の将が共に駐屯してる。それに対して南方四郡は呉が関与した記録が一切なく、魯粛伝によると呉が『返還』として求めた土地はその四郡のうち三郡、これらは劉備が切り取ったものだから揉めた。関羽との魯粛伝のやりとりでも呉書では魯粛が論理的にやり込めたことになっていますが、実際は雑居状態の南郡江陵を正式に手放し、一度奪った零陵も返還するというもので呉が有利に交渉を進めてもおらず、劉備の行動の前後を改変してることが指摘されています。借荊州の史料矛盾は千年以上前からずっと指摘され続けてるからいまさらな話ですが中国版のwikiで借荊州読んだらわかります、簡体字で書かれてないから日本人でも読めます
正史の方の劉備もなんか劉邦とキャラが被りすぎてるから、正史は正史で大分盛ってんじゃねーかな、とは思ってる
むしろ正史のほうがかっこいいんじゃないかとさえ思う
やっぱ曹真が一番可哀想w軍師連盟でも引き立て役だったからなぁ・・・
魯粛は有能ですね!光栄の三国志でも能力高いですしw夏侯惇は以外でした…
夏侯惇は正史でも割と陣を破られた記述が多い人物。ただ行軍中曹操の馬車に同乗していたという記述があるので、曹操本陣が攻め込まれて退却した時のスケープゴートにされてるんじゃないかって気がする
東大医学部を優秀な成績で卒業し、医師国家試験に合格した人でもいきなり難しい手術は執刀できないでしょう。それと同じで、一兵も指揮した経験のない諸葛亮は、劉備の側にいて用兵を学ばせてもらい、その要諦を体得したのでしょう。劉備もそのことは承知の上で孔明をスカウトしたのだと思います。劉備は演義等では戦下手として描かれていますが、関羽、張飛、趙雲と強い部下に恵まれ、場数も踏んでおり、「ケンカ」上手な武将ではなかったかと思います。曹操が劉備を評価しつつも警戒していたのは、その点もあったのでしょう。私の抱く劉備のイメージは清水次郎長さんです。夏侯惇は、前線司令官というよりも軍政畑の人ですね。プロ野球に喩えると監督よりもGM向きの人。演義の豪胆で荒々しいイメージとは違い、上司だけでなく、部下にも慕われる謙虚な武将だったのは良い意味で意外でした。
劉備は何気にたたき上げなので個人の武勇や極地戦はめっちゃ強そう
史実ではあの時代を代表する戦争屋ですね。肝心な時に呂布や曹操、曹仁、陸遜に負けたから戦下手のイメージもありますが、劉備より軍人として上の人はそうそういません。なんせ負けても死にませんでしたしね。
公孫瓚、曹操、袁紹、劉表が手元に置いておこうとしたのは劉備軍の戦さの強さが起因してるからだろうな。
曹操部下が相手のときは勝率高いから曹操が「自分が出ていかないと勝つのは難しい」ってだけで優秀な武将なんだよな
史実のほうの劉備も人間味があって魅力的な人物ですね
黄巾党は悪役なイメージが強いですけど、漢が堕落してきた頃に立ち上がるとかいったくだりはもうちょっと綺麗な描かれ方をしてもいいんじゃないかなぁって思ってます。
華歆かなあ?彼は正史では慎み深い人物で、皆に評価された人物。逆に演技では悪逆非道を尽くした人物として描かれている。あとは王朗。孔明に舌戦で負けて血を吐いて憤死する役割だったけど、史実では清廉潔白で皆に慕われたらしい。結局は羅漢中のさじ加減一つで、善悪がひっくりかえる。だから難しいけど正史は読んでほしい。
演義のちょっとなよとした感じの劉備も好きだけど、正史のアウトロー寄りの劉備も好きなんだよなぁ。リアル世紀末なあの時代、きれいごとだけじゃ生き残れないし、あの曹操から自分ほどじゃないけど頭のいいやべーやつ扱いされてるし(ただ計略を考えるのは遅いよねって言われてる)
面白かったです!
劉備に関しては正史のが好きだわ蒼天航路の劉備のがもっと良いけど
魏延は本来五虎大将に居てもおかしくないくらい活躍してる。何なら馬超は蜀じゃほとんど活躍してないしね
魏延は北伐の戦功で征西大将軍になってるけどこれは関羽の前将軍より上の官位、ちゃんと評価されてますよ。馬超の官位が高いのは北伐を成功させるには涼州人の協力が重要で馬氏の威名を重視した戦略的判断ではないでしょうか。実際、一次北伐では調略に成功し涼州で反乱が起きてます。
五虎自体が演義の創作なんでしゃーなしw
法正も過小評価されてるよな
天下三分の計(または二分の計)は諸葛亮のオリジナルではなく、それ以前に他の人物、魯粛なども提唱していますね。
まぁそもそも漢による天下統一を目指す諸葛亮の天下三分と、呉の独立を保つための魯粛の天下三分は全く別物だからね。
提唱?魯粛は天下三分を実現させてますよ。そして彼が支えた地域はその後飛躍的に発展し、洛陽長安を圧倒し現在に続いてています。
手段の三分と目的の三分
まあ、そうは言っても激弱の劉備陣営が、三分の一の勢力となれたのは孔明の外交能力と化け物じみた内政力があってのこと。
魯粛の死後、劉備は孫夫人を追い出して、呉から独立対立しています。劉備と諸葛亮の頭に天下三分があったとは思えない。劉備を保護して、孫権の義弟に祭って、使った魯粛の頭にあった事だと思います。
諸葛亮は司馬懿を一番苦しめた武将なので、三国志編纂時期には軍事面での評価の方が高かったと思います。しかし陳寿は三国志で諸葛亮の本領はむしろ内政、政治面にあると論じてます。
夏侯惇は曹操挙兵の時からの滅茶苦茶不利な戦を何度も経験しているから普通に名将だよ。凡将なら速攻で4んでる。この時は後方支援なんてやってなくてひたすら前線だよ。戦の活躍が少ないから文官だと勘違いする人も多いけど、文官が曹操軍の猛将全部束ねられる訳ないだろと。
夏侯惇は長年、許昌を含む魏の東部支配地域の実務責任者で対呉の方面司令官でした。有能でなければ曹操がそこまでの責任と権限を与えるとは思えません。因みに曹操は関羽が斬られた2ヶ月後、夏侯惇は更にその3ヶ月後に病没しています。関羽の北進時には2人とも既に病床で、トップが病にふせっているの間隙を狙ったのかもしれないと思います。個人的には張魯との戦で許褚と一緒に行動していて夜間に退却路を間違えたというエピソードは間違いだと思います。夏侯惇の担当方面と全く関係ない山中に居るはずがない。
公孫瓚の最後の方って猜疑心であたおかになる様子が独裁者の晩年みたい
今の時代を見るとロシアのプーチンに通ずるものがありますね。彼もロシアの平均寿命を考えるとだいぶ年だし、病で余命幾ばくもないとされてますから。
諸葛亮は軍事も後世からは高評価ですね・司馬昭は、諸葛亮の軍事制度を部下に研究させた(晋書)・諸葛亮の考案した八陣は軍の要点をすべて備えていた(三国志)、この陣を兵書李衛公問対で李靖が称える・東晋の桓温は蜀に遠征した際に諸葛亮の八陣を記した石碑を見てこれを高く評価した(晋書)・亮は勇にして能く闘う。亮の法令は明快で賞罰に巧みで兵士は命を賭して危険を顧みず能く戦う。亮が率いた数万の兵で、その功は数十万分の功をなした(魏の袁準)・出師命將,發日引辭於廟。仍以古『名將』十人為十哲配享。(新唐書)・諸葛亮に比されたのは羊祜や北魏の劉亮(我が孔明と呼ばれ亮の名を賜った)初め多くのすぐれた名将戦術家
内政家とかいう人多いですが所属からみても彼はずっと軍人ですしね。魏に勝てるとは思ってないけど、蜀存続の為の国是としての魏討伐の旗を下げる訳にも行かず、最も被害が少なく継続して北伐する事で国防する戦略を取っていたと思います。魏延の戦略を用いなかったのも生きるか死ぬかみたいな戦いは大局的にみて選択出来なかったのでしょうね。
後世から見ると、北伐を繰り返す戦略眼の無さによって蜀の滅亡を早めた人なんだよな。行政官としては優秀だったけど、それで稼いだ分以上に北伐で使っちゃうから蜀はドンドン貧しく弱くなる。
@@竹田信夫-b1h 袁子曰く亮之治蜀、田疇辟、倉廩實、器械利、蓄積饒、朝會不華、路無醉人。諸葛亮の統治で田はひらかれ、倉は満たされとあります221年劉備即位時、蜀戸籍数20万が263年劉禅降伏時提出戸籍、蜀戸籍数28万と夷陵、段谷があってもなお人は増えてます北伐で奪った武都は交通の要衝で陰平は金銀産出の地、第一次では千家の人々を移住させ、四次では首級を三千・鎧を五千・三千百の弩を獲得褒斜道の一帯を支配下に置き、十一年,魏青龍元年也。丞相亮治斜谷閣,運糧谷口と桟道の修理も行い漢嘉の金と朱提の銀も開発姜維時代には涼州に一年近く駐屯できるようになり、洮西で数万を打ち破った際には鄧艾も存亡の危機と言ってます諸葛亮やその後継の北伐体制は間違ってはいなかったと思いますよ。少なくとも段谷までは
『演義』と『正史』の対比、とても面白かったです。『正史』の研究というのは現代においてはどのようなものであるか、と気になります。
呉の朱然さん。正史ー孫権の幼馴染で、陸遜に先を越されながらも最前線で国を護り続けた忠臣。248年没。演義ー趙雲に槍で1突き。222年没。どうしてこうなったw
演義では華雄は関羽に打ち取られたけど正史では孫堅に打ち取られたってなってたはず。関羽の強さを際立たせる為の演出だろうけど、そもそも蜀びいきなのが演義だからね。
正史と演技で印象が違うというか正史の活躍が凄すぎて演技の印象がかすんだのが張遼です。正史でこの活躍はバケモンすぎると思いました。
魯粛って三国志のゲームで文官に見えるのに武力それなりにあるんは史実からなんやろうなぁ
@daisuke5755蒼天航路の呂布とか張飛みたいな個人の武力がバカ強いのはファンタジー寄りの描写なんだろうね同じ作品内で孫堅・孫策親子が矢を受けて斃れたことや個々の装備の材質にそこまで大きな差がないことを考えてもステゴロ最強=戦場での武勇でないことは明らかまあ大袈裟な方が見栄えも良いけど真に受けるのは良くないですな
@daisuke5755コーエーの三国志のゲームは、軍を率いる能力は「統率」、個人の腕っぷしの強さは「武力」というパラメータで表現される。コメ主はたぶんこの武力のことを言ってるんだと思う。
NAMCOの三国志では武力1桁だったと思うのになぁ。
劉備は普段は感情を表に出さなかった…「普段は」がポイントなのかもしれませんね。ひとたび感情を露わにすると…陳寿流「実は先主様やべーんだぜ」の表現だったりしてw
ファンタジー劉備の民がどうの仁の世がどうの言ってるのって、当時そんな価値観があったかどうかでさえ疑わしいもんねあと張郃はぜったいに外せない180度×3回ほど評価がかわるw
魯粛が空気読まなかった天才というのは最近知ったのですが、大商家の天才なら陣営における自分の価値を分かっていると思うので、大丈夫と思って発言してたんだろうな〜とも思いました。
発言力がないからって、孫権が厠に立ったのを待ち伏せて直談判とかする人ですからね……w自分の価値や立場はちゃんと理解していたと思いますw
劉備と劉邦はそっくりなんですよね。
確かにこのサムネの4人はスゲー違うなw
徐州牧の陶謙も劉備側の人物としてブースト掛かってるように思います。
横山三国志しか見ていない人には「蒼天航路」をぜひ見て欲しい。孫権もそうだが劉備の描き方が、劉備贔屓の方には嫌悪感を表すかもしれないが、本当に人間臭さを表していてこれぞ本質と思える。諸葛孔明に関してはちょっとアレだけどねw
蒼天劉備は初期はいかにも魅力に溢れた好漢という描かれ方で好感が持てたけど荊州を取った辺りからはどんどん嫌な人になっていった荊州問題での呉に対する態度はいじめっ子としか思えない演義劉備で三国志を嫌いになって蒼天でまた再び三国志好きになったもののその蒼天のせいで再び三国志から離れるようになってしまった
そもそも蒼天航路は劉備云々もさることながら曹操があまりに完璧超人に描かれすぎていて嫌悪感(その配下たちも大概だが)というより完璧超人を通り越してもはや神状態かな物語の最初から最後まで普通に好感を保てていたのは孫権くらい特に最後に美味しい所を持っていたおかげでそこだけ読むと主人公かとそれまで散々傍若無人にふるまってきた関羽を躊躇なく斬ったのは溜飲が下がる思いで爽快だった
@@kofuta9589 いろいろとおっしゃる通りw賛否両論、私も細部では「ん?」と思いますが、正史を基にした漫画はあまり見ないので、演義しか見ていない人には見て欲しーですねー諸葛瑾とかリアル馬面だし、劉備も腕長いし耳たぶデカいし、特徴がしっかり描かれている(武将による)のも好きです。そもそも、他の三国志漫画に比べて画力が抜きん出ているから見応えあるので、1番はそこですかねー
横山光輝三国志からいきなり蒼天航路では、劇薬でわ?(笑)
@@高家カツト 確かに一理ありますね🤨じゃあ蒼天航路のアニメなら!笑
真っ先に思い出したのは華歆と潘濬。
演義と正史で評価が異なる人物というと孫権ですね。演義だと頼りない優柔不断な人物として描かれますが、実際の彼は決断力も手腕もある名君だったようですし。演義だと呉の扱いがどうにも悪いんですよね。
孫権は評価が異なりますね!決断力があるのももちろん、酒乱でハラスメント気味だったのも面白いです。その辺の動画を来週あたりに公開するのでぜひご覧ください。
個人的に一番は馬超だと思う。演義で美化され過ぎてるが正史ではくそみたいな人間だから💦父の馬騰や弟達が曹操に殺されたのも馬超のせいみたいなもんだし
曹仁と于禁が気の毒すぎた
演技では劉備のヤバい行動は全部張飛がしたことになってる
賈詡は演義でも正史でもキャラがほとんど変わらなかった。
私も演技は脚色し過ぎで、史実とかけ離れているので、正史の方が人間味があって好みです。
演義の劉備だと自称末裔にしか見えないので、劉邦みたいなムーブしてる正史の方がああ劉邦の末裔だなって感じする
史実と演技では理想と現実の様な大差があると思います。呂布を1番にする人は何を見て言ったのかを知りたいです。最後に勝ったのは誰でも無く猛将もいません。戦の頻度は減っていても動乱の世です。演技で、のと区切りを付けて欲しいです。
ずっとかこうとんかかこうじゅんかと思ってたけど一応ふりがなはかこうじゅんで記憶通りで良かった
夏侯惇の関しては曹操の親戚で優秀な側近とのイメージでしたがちょっと凄いですね。少し勉強したいと思います。
主人公である劉備や蜀は、当時の中国の民衆に受け入れられ尊敬されるようにする必要があったのでしょう^^戦乱における政治家のお話なので単純な善悪では語れない深さがありますよね。演義は時代劇として大きな貢献をしたと思います。史書だけではこれほどの人気はなかったでしょう。
おっしゃる通り演義の書かれた時代は民も道徳を学びはじめた時代でしたから蜀の人物はこういう人物像になったのでしょうね。
@@sangokushi_kaisetu 👍
14:44・魯粛の説明での『誰かに騙されがちな人』は『主に諸葛亮に騙されがち』だと思う。演技の魯粛の扱いときたら。(泣)
劉備と言えばやっぱ200回ぶん殴る話が好き。演義だと賄賂を要求した役人を張飛がボコったことになってるけど、正史だと劉備が200回殴ったらしいw
馬超、趙雲、劉曄あたりも相当に違いますね。曹真、曹仁あたりの演義は本当に気の毒。個人的には正史推しです。
ゲームの三国志では、会社やシリーズによって能力が全然違うキャラがたくさんいる。昔は演義寄りだったけど、最近は正史の方が近いような能力。夏侯惇は文官並みの政治70台になっなぁ。
勘違いしてはいけないのは、史実=事実ではないということ!
そうだよ。あとはその史料をそれ以外の史料と比較・検証しどこまで事実に近いかを確かめる。
その通り
貴方の父母は本当の父母?
歴史は誰が記録する事によって変わるし、時の勝者が歴史を作るのがとうぜんの時代でもあり、記録は見た人がどう感じとったかでどうにでも変わり、記録に残す様々な歴史の記録にも様々な矛盾がや不明点が存在するため、現代の価値観や推測で矛盾してる箇所や不明な部分は可能性として最も妥当か可能性として最も有力なのが採用される記録であって、絶対的な事実とは限らないため、完全な歴史の痕跡では無いちょこちょこ現代でも覆される事もあったり、また元に戻ったりする事もある歴史の真実とはなんなのか…それくらい歴史とは、ロマン深まる出来事であったり、興味深いものである
史実は事実でしょ?「正史=事実(史実)ではない」と言いたかった気がするけどちなみに、辞書で史実を調べると「歴史上の事実」とある
「聖人君主」は間違い、正しくは「聖人君子」
正史に描かれてないことは想像して良いというスタンスだから関興、張苞に関しては活躍していないと証明するのは難しい。これは諸葛亮にも言えて参謀なので赤壁の追撃に、劉備が夏候惇を破る時に居てもおかしくないです。そこに張飛や趙雲の活躍が無かったとはいいがたいのです。たぶん居たでしょうし。諸葛亮に関して、張良のように帷幕において戦略を考え弁舌にて同盟を結んでいます。軍事面も勝利していないとい言いますが、入蜀の別動隊(ほぼ正規軍本隊)を張飛、趙雲を率いて、蜀を平定しています。北伐も領土の拡張に成功していますし、魏延が正攻法なら諸葛亮は奇策としての迂回策を採用しています。司馬懿は得意の速攻戦をしかけて失敗して以来、慎重になっています。その慎重な司馬懿を郭淮の伝をみれば奇策で翻弄しているのが良く分かります。是非諸葛亮に軍事力がなかった勢は郭淮の伝をお読みいただければ。かなりギリギリの攻防をしているのがわかります。諸葛亮は立派に張良、蕭何、韓信の役割を一人で抱えてやっていたと思います。いかに韓信だって国が固まっている魏の曹真、司馬懿には勝てなかったと思うなぁ。
惇兄は史実も演義もカッコいいな‼️
ドラマの三国志の方が史実の劉備が近いかも? 上っ面だけでほんとは奪いたい!って感じだし。
華雄も正史だと胡軫の部下なのに演義だと逆なんですよね。しかも都督になってたり。明らかに名前のかっこよさで引き立てられてますね。
正史の劉備は普段感情を表に出さなかったって言ってるのに、短気な人物のように見えるっていう謎理論短気なら普段から感情を表に出してるってことになるだろ
いい変えれば、何考えてるか分からないけど、思いもよらないポイントで突然キレる人。そんな人っていますよ。周辺で起こった出来事に感じやすいけど、それを内面に溜め込む。コレもある事です。感情を表に出すタイミングが多くの人とは違う為、分かりづらいですが、良く観察するとつながってきます。劉備は付き合うと惹きつける魅力があったのでしょうが、リーダー気質の人ってやはり魅力あるのと同時に、何考えてるか分からないところがあり、そこを周りが忖度したりしてリーダーが出来上がることもありますから、友達ではなく、リーダーの人物像のひとつとして、私は頷けます。
@@座頭市-b4k まあ、実際監査官を蛸殴りにして役職捨てて逃げたりしてるからねぇ……。「爆発すると何するかわからんぞあいつ」とは思われてたと思います。本人にとっては若気の至りでしょうけどw
良い意味で親分肌な劉備ってわりと大好きだな。戦の指揮は下手かもしれないが、曹操や孫権よりは武力は高そう。諸葛亮は、龐統が蜀との戦で亡くならなかったら、自国経営にシフトさせ軍事は彼に任せれば良かったんだが。あと関興と張包と若い人材が早くに亡くなったのは痛恨かもしれん。
正史の劉備については当然といえば当然だよねそもそも論、主がナメられるということは、付き従う部下もナメられているということ面子を保てないヤツが上に行くことは古今東西ありえない
よく正史をちょっと齧ったやつが諸葛亮は軍略としては微妙で内政としては優れていたとか言うやついるけど軍略的にも諸葛亮はあの時代トップクラスやと思うわ
諸葛亮は残っている記録上では初めて軍を率いた益州攻略戦で別働隊司令官として、城をごぼう抜きして劉備本体と合流していますよね。それに馬謖が敗れて崩壊した北伐も凄まじい戦略でした。敗因は、諸葛亮達が漢中からの出陣した僅か一月後に、呉と泥沼の戦いの真っ最中だった筈の張郃が数万の大軍を率いて凱亭に現れたこと。実際魏は主力を引き抜いたことで呉との戦いはボコボコにされています。情報伝達の時間などを考えると対応が早過ぎる上に異様なほどリスキーな決断です。個人的には正史のミステリーの一つですね。
@@山田文汰 それに第三次北伐せは武都陰平を攻略し郭淮を撃退して張郃を打ち取ってるし祁山でも司馬懿を先によって撃破しているあれだけ戦力差があって第一次第三次と領土を取ってるが逆に魏は蜀の領土を取れなかった諸葛亮が軍略家として乏しいなら魏の将軍は全員それ以下と言ってもええと思う
その通りなんですよ。蜀漢は建国からの国是として魏を討ち、漢を復興させる必要がありました。その上、戦略的にもそうしないとジリ貧で滅亡確定でした。当時の文化経済の中心は中原であり、魏の領土です。戦乱で荒れていたのも中原。ソレでも魏は蜀の何倍もの国力がありました。お互いじっとしていたら、魏は復興していきその差は絶望的になります。だから、北伐は生き残りのためには必須だったのですが、諸葛亮はギャンブルも出来なかった。だから信じられないことに諸葛亮はほぼ正攻法で北伐を行ったのです。軍事面で言えば、おそらく蜀軍の調練です。軍の強さはほぼ練度で決まる時代だと思いますが、諸葛亮が組織した蜀軍の練度はおそらくずば抜けていました。だから司馬懿は挑発されても仕掛けなかったし、陣跡を見て感嘆したのです。
このコメント主さんは良くわかってらっしゃる軍略家としての諸葛亮を否定してる人は三国志を理解してない
@@マイケル-h7 正史をみて陳寿評とかをみてそれを鵜呑みにしたやつねwさらに詳しく起きた戦争とか調べると諸葛亮が軍略家として悪いわけがないw
×聖人君主 〇聖人君子
正史のほうが好き
演義は小説wみたいなのを見て正史読む→羅漢中スゲー!
司馬遼太郎小説と同じな。日露戦争の乃木司令官と参謀の扱いが酷すぎます。大体、あの当時はロシアに勝てるなんて思ってた日本人いたのかよ。
器量→度量
蜀を奪っておいてスジは通すが・・・ん?
ピカンチュウ~~~~
三國無双やっててどうも劉備が好きになれない理由がわかった
確か、劉備のもとを去った田豫も公孫瓚に仕えたが重要視されなかったんだよな。彼が頭角を現すのは、曹操に仕えてからになるな。
正史は正史であって、史実ではないよね。
その通りです。正式な歴史書という意味で、正確な歴史書という意味ではありません。
曹仁や于禁も名将って聞いた
夏侯惇が曹操からの官位を受けていないのは、「曹操と同じく後漢の直臣」だったからと聞いたような。
劉備の蜀平定が214年くらい、223年没なので9年間、その後は孔明が後を継ぐも、234年没なので11年間、無能と言われる劉禅が263年の降伏まで約30年。劉禅って意図的に貶められてる気がするんだけどねぇ
夏候家は曹操の父の本家筋なので、律儀な曹操は臣下という立場に置かなかったということかと。
夏侯惇は曹操の従兄弟じゃなかったっけ?
魯粛だけは演技が間違っていると言い切れる人柄なんだよな。三国志を学び始めた時からずっとインテリヤクザの印象を持っていた。
周瑜、魯粛、曹真あたりかなと思ったら案の定だったw
そりゃ普通は一騎打ちしたり、死ぬと分かってながら接近戦で突撃して行く馬鹿はいないわな。離れた所から弓矢でハリネズミにするとか遠距離攻撃するよなその方が損害少なくて済むわけだし
劉備は秀吉タイプだなやっぱり史実と演義両方合わせて、天下を統べる大人物なのは、曹操だわ。
劉備に関しては関羽・張飛といった今で言うチンピラ、ヤンキーの2人と義兄弟になるんだから同じ穴の狢ってのは頷けるよね笑その短期で蜀は滅んだし、息子もなぁ…
中国では劉備は人気があまりないそうです。
たしか…一度しか戦功をあげてない武将のてがらは、殆ど有名武将のてがらにすり替えられてたような
演義派の中には史実を否定してくる奴がいるからタチが悪い
180度ほどはないけど周瑜もなかなかひどい
一騎打ちで魯粛が曹仁クラスに結構勝ててたIIIが懐かしい。
事実をしりたければいつも思うけどタイムマシンをつくるしかない
タイムマシンで行った世界の歴史は、タイムマシンで行く前の世界と一本道で繋がっている保証はない。
正史も信用できないねあんな昔の資料が残ってる時点ですごいんだけど
正史を信用できんかったら何も信用できないってことやでw歴史は大まかにわかっとったらええ。
俺が認めないことはないことにするってか?
孔明は戦をする軍師ってよりはほんと内政官よな。 知力100じゃなく政治100の方が本来に近い。
曹真はコーエーだとステ低いのでなんとかしてください
劉備にしても孔明にしても一周回れば英雄には間違いない
昔の鏡でも叩き割れるもんなんですね
蜀の問題は、荊州を無くしたことに尽きる。
正史だと関羽と張飛のキャラが逆だった気がする
美化されているんだろうし、後代まで伝えていくのであれば美化されるべきモノだと思います。今の中国を見ると、なかなか悲しい状況なので…。多少真実とは違いがあっても、こういう有名な話は綺麗なモノ、ロマンある方を聞ければいいと思います。
劉備は田中角栄タイプだな。
わい…………
劉備、普通に人食べてるからな
魯粛かっこいー
ダッメだこりゃ
演技はファンタジー物語でも史実だと思ってる日本人ばかり
子どもの頃、なぜ無敵の劉備軍が、曹操に追いやられているのか、不思議でならなかった事実を知って、急速に白けていったもんだ
いまだにこの時代で「劉備玄徳」呼びとか。姓名字の並列読みをやめなよ。今時恥ずかしい。
じゃあ正史本文中で姓名字並列表記してる陳寿も恥ずかしいんですかね?
へいへい。マウント取り乙でーす。
捨て台詞の無能感すこ
会話やモノローグとかで「劉備玄徳」と言ってたら違和感覚えるけど、地の文とか解説では姓名字の並列読みでええやん…
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編集も分かりやすいし見応えのある動画だった。正史では屈指の実力なのに正反対に描かれてる偉人は可哀想。
呉が自力で取ったのは荊州で言えば甘寧が取った夷陵城だけ、その部分だけは劉備の関与が記録上はまったく見られない
曹仁を江陵で囲んだのは魏志では劉備と周瑜が共同で行ってる、呉録にも劉備が周瑜、曹仁との戦いについて策略を語って周瑜がそれに従った記録があり、魏志には劉備、周瑜が曹仁を包囲し関羽がさらに北道を封鎖したことが書かれています
だから江陵周辺には劉備の将と呉の将が共に駐屯してる。それに対して南方四郡は呉が関与した記録が一切なく、魯粛伝によると呉が『返還』として求めた土地はその四郡のうち三郡、これらは劉備が切り取ったもの
だから揉めた。関羽との魯粛伝のやりとりでも呉書では魯粛が論理的にやり込めたことになっていますが、実際は雑居状態の南郡江陵を正式に手放し、一度奪った零陵も返還するというもので呉が有利に交渉を進めてもおらず、劉備の行動の前後を改変してることが指摘されています。
借荊州の史料矛盾は千年以上前からずっと指摘され続けてるからいまさらな話ですが中国版のwikiで借荊州読んだらわかります、簡体字で書かれてないから日本人でも読めます
正史の方の劉備もなんか劉邦とキャラが被りすぎてるから、正史は正史で大分盛ってんじゃねーかな、とは思ってる
むしろ正史のほうがかっこいいんじゃないかとさえ思う
やっぱ曹真が一番可哀想w
軍師連盟でも引き立て役だったからなぁ・・・
魯粛は有能ですね!光栄の三国志でも能力高いですしw夏侯惇は以外でした…
夏侯惇は正史でも割と陣を破られた記述が多い人物。ただ行軍中曹操の馬車に同乗していたという記述があるので、曹操本陣が攻め込まれて退却した時のスケープゴートにされてるんじゃないかって気がする
東大医学部を優秀な成績で卒業し、医師国家試験に合格した人でもいきなり難しい手術は執刀できないでしょう。それと同じで、一兵も指揮した経験のない諸葛亮は、劉備の側にいて用兵を学ばせてもらい、その要諦を体得したのでしょう。劉備もそのことは承知の上で孔明をスカウトしたのだと思います。劉備は演義等では戦下手として描かれていますが、関羽、張飛、趙雲と強い部下に恵まれ、場数も踏んでおり、「ケンカ」上手な武将ではなかったかと思います。曹操が劉備を評価しつつも警戒していたのは、その点もあったのでしょう。私の抱く劉備のイメージは清水次郎長さんです。
夏侯惇は、前線司令官というよりも軍政畑の人ですね。プロ野球に喩えると監督よりもGM向きの人。演義の豪胆で荒々しいイメージとは違い、上司だけでなく、部下にも慕われる謙虚な武将だったのは良い意味で意外でした。
劉備は何気にたたき上げなので個人の武勇や極地戦はめっちゃ強そう
史実ではあの時代を代表する戦争屋ですね。
肝心な時に呂布や曹操、曹仁、陸遜に負けたから戦下手のイメージもありますが、劉備より軍人として上の人はそうそういません。なんせ負けても死にませんでしたしね。
公孫瓚、曹操、袁紹、劉表が手元に置いておこうとしたのは劉備軍の戦さの強さが起因してるからだろうな。
曹操部下が相手のときは勝率高いから
曹操が「自分が出ていかないと勝つのは難しい」ってだけで優秀な武将なんだよな
史実のほうの劉備も人間味があって魅力的な人物ですね
黄巾党は悪役なイメージが強いですけど、漢が堕落してきた頃に立ち上がるとかいったくだりはもうちょっと綺麗な描かれ方をしてもいいんじゃないかなぁって思ってます。
華歆かなあ?彼は正史では慎み深い人物で、皆に評価された人物。逆に演技では悪逆非道を尽くした人物として描かれている。あとは王朗。孔明に舌戦で負けて血を吐いて憤死する役割だったけど、史実では清廉潔白で皆に慕われたらしい。結局は羅漢中のさじ加減一つで、善悪がひっくりかえる。だから難しいけど正史は読んでほしい。
演義のちょっとなよとした感じの劉備も好きだけど、正史のアウトロー寄りの劉備も好きなんだよなぁ。
リアル世紀末なあの時代、きれいごとだけじゃ生き残れないし、あの曹操から自分ほどじゃないけど頭のいいやべーやつ扱いされてるし(ただ計略を考えるのは遅いよねって言われてる)
面白かったです!
劉備に関しては正史のが好きだわ
蒼天航路の劉備のがもっと良いけど
魏延は本来五虎大将に居てもおかしくないくらい活躍してる。何なら馬超は蜀じゃほとんど活躍してないしね
魏延は北伐の戦功で征西大将軍になってるけどこれは関羽の前将軍より上の官位、ちゃんと評価されてますよ。馬超の官位が高いのは北伐を成功させるには涼州人の協力が重要で馬氏の威名を重視した戦略的判断ではないでしょうか。実際、一次北伐では調略に成功し涼州で反乱が起きてます。
五虎自体が演義の創作なんでしゃーなしw
法正も過小評価されてるよな
天下三分の計(または二分の計)は諸葛亮のオリジナルではなく、それ以前に他の人物、魯粛なども提唱していますね。
まぁそもそも漢による天下統一を目指す諸葛亮の天下三分と、呉の独立を保つための魯粛の天下三分は全く別物だからね。
提唱?魯粛は天下三分を実現させてますよ。そして彼が支えた地域はその後飛躍的に発展し、洛陽長安を圧倒し現在に続いてています。
手段の三分と目的の三分
まあ、そうは言っても激弱の劉備陣営が、三分の一の勢力となれたのは孔明の外交能力と化け物じみた内政力があってのこと。
魯粛の死後、劉備は孫夫人を追い出して、呉から独立対立しています。
劉備と諸葛亮の頭に天下三分があったとは思えない。
劉備を保護して、孫権の義弟に祭って、使った魯粛の頭にあった事だと思います。
諸葛亮は司馬懿を一番苦しめた武将なので、三国志編纂時期には軍事面での評価の方が高かったと思います。しかし陳寿は三国志で諸葛亮の本領はむしろ内政、政治面にあると論じてます。
夏侯惇は曹操挙兵の時からの滅茶苦茶不利な戦を何度も経験しているから普通に名将だよ。凡将なら速攻で4んでる。この時は後方支援なんてやってなくてひたすら前線だよ。戦の活躍が少ないから文官だと勘違いする人も多いけど、文官が曹操軍の猛将全部束ねられる訳ないだろと。
夏侯惇は長年、許昌を含む魏の東部支配地域の実務責任者で対呉の方面司令官でした。
有能でなければ曹操がそこまでの責任と権限を与えるとは思えません。
因みに曹操は関羽が斬られた2ヶ月後、夏侯惇は更にその3ヶ月後に病没しています。
関羽の北進時には2人とも既に病床で、トップが病にふせっているの間隙を狙ったのかもしれないと思います。
個人的には張魯との戦で許褚と一緒に行動していて夜間に退却路を間違えたというエピソードは間違いだと思います。夏侯惇の担当方面と全く関係ない山中に居るはずがない。
公孫瓚の最後の方って猜疑心であたおかになる様子が独裁者の晩年みたい
今の時代を見るとロシアのプーチンに通ずるものがありますね。
彼もロシアの平均寿命を考えるとだいぶ年だし、病で余命幾ばくもないとされてますから。
諸葛亮は軍事も後世からは高評価ですね
・司馬昭は、諸葛亮の軍事制度を部下に研究させた(晋書)
・諸葛亮の考案した八陣は軍の要点をすべて備えていた(三国志)、この陣を兵書李衛公問対で李靖が称える
・東晋の桓温は蜀に遠征した際に諸葛亮の八陣を記した石碑を見てこれを高く評価した(晋書)
・亮は勇にして能く闘う。亮の法令は明快で賞罰に巧みで兵士は命を賭して危険を顧みず能く戦う。亮が率いた数万の兵で、その功は数十万分の功をなした(魏の袁準)
・出師命將,發日引辭於廟。仍以古『名將』十人為十哲配享。(新唐書)
・諸葛亮に比されたのは羊祜や北魏の劉亮(我が孔明と呼ばれ亮の名を賜った)初め多くのすぐれた名将戦術家
内政家とかいう人多いですが所属からみても彼はずっと軍人ですしね。魏に勝てるとは思ってないけど、蜀存続の為の国是としての魏討伐の旗を下げる訳にも行かず、最も被害が少なく継続して北伐する事で国防する戦略を取っていたと思います。魏延の戦略を用いなかったのも生きるか死ぬかみたいな戦いは大局的にみて選択出来なかったのでしょうね。
後世から見ると、北伐を繰り返す戦略眼の無さによって蜀の滅亡を早めた人なんだよな。行政官としては優秀だったけど、それで稼いだ分以上に北伐で使っちゃうから蜀はドンドン貧しく弱くなる。
@@竹田信夫-b1h
袁子曰く亮之治蜀、田疇辟、倉廩實、器械利、蓄積饒、朝會不華、路無醉人。
諸葛亮の統治で田はひらかれ、倉は満たされとあります
221年劉備即位時、蜀戸籍数20万が263年劉禅降伏時提出戸籍、蜀戸籍数28万と夷陵、段谷があってもなお人は増えてます
北伐で奪った武都は交通の要衝で陰平は金銀産出の地、第一次では千家の人々を移住させ、四次では首級を三千・鎧を五千・三千百の弩を獲得
褒斜道の一帯を支配下に置き、十一年,魏青龍元年也。丞相亮治斜谷閣,運糧谷口と桟道の修理も行い漢嘉の金と朱提の銀も開発
姜維時代には涼州に一年近く駐屯できるようになり、洮西で数万を打ち破った際には鄧艾も存亡の危機と言ってます
諸葛亮やその後継の北伐体制は間違ってはいなかったと思いますよ。少なくとも段谷までは
『演義』と『正史』の対比、とても面白かったです。『正史』の研究というのは現代においてはどのようなものであるか、と気になります。
呉の朱然さん。
正史ー孫権の幼馴染で、陸遜に先を越されながらも最前線で国を護り続けた忠臣。248年没。
演義ー趙雲に槍で1突き。222年没。どうしてこうなったw
演義では華雄は関羽に打ち取られたけど正史では孫堅に打ち取られたってなってたはず。
関羽の強さを際立たせる為の演出だろうけど、そもそも蜀びいきなのが演義だからね。
正史と演技で印象が違うというか正史の活躍が凄すぎて演技の印象がかすんだのが張遼です。正史でこの活躍はバケモンすぎると思いました。
魯粛って三国志のゲームで文官に見えるのに武力それなりにあるんは史実からなんやろうなぁ
@daisuke5755蒼天航路の呂布とか張飛みたいな個人の武力がバカ強いのはファンタジー寄りの描写なんだろうね
同じ作品内で孫堅・孫策親子が矢を受けて斃れたことや個々の装備の材質にそこまで大きな差がないことを考えてもステゴロ最強=戦場での武勇でないことは明らか
まあ大袈裟な方が見栄えも良いけど真に受けるのは良くないですな
@daisuke5755コーエーの三国志のゲームは、軍を率いる能力は「統率」、個人の腕っぷしの強さは「武力」というパラメータで表現される。
コメ主はたぶんこの武力のことを言ってるんだと思う。
NAMCOの三国志では武力1桁だったと思うのになぁ。
劉備は普段は感情を表に出さなかった…「普段は」がポイントなのかもしれませんね。ひとたび感情を露わにすると…
陳寿流「実は先主様やべーんだぜ」の表現だったりしてw
ファンタジー劉備の民がどうの仁の世がどうの言ってるのって、当時そんな価値観があったかどうかでさえ疑わしいもんね
あと張郃はぜったいに外せない
180度×3回ほど評価がかわるw
魯粛が空気読まなかった天才というのは最近知ったのですが、
大商家の天才なら陣営における自分の価値を分かっていると思うので、大丈夫と思って発言してたんだろうな〜とも思いました。
発言力がないからって、孫権が厠に立ったのを待ち伏せて直談判とかする人ですからね……w自分の価値や立場はちゃんと理解していたと思いますw
劉備と劉邦はそっくりなんですよね。
確かにこのサムネの4人はスゲー違うなw
徐州牧の陶謙も劉備側の人物としてブースト掛かってるように思います。
横山三国志しか見ていない人には「蒼天航路」をぜひ見て欲しい。孫権もそうだが劉備の描き方が、劉備贔屓の方には嫌悪感を表すかもしれないが、本当に人間臭さを表していてこれぞ本質と思える。
諸葛孔明に関してはちょっとアレだけどねw
蒼天劉備は初期はいかにも魅力に溢れた好漢という描かれ方で好感が持てたけど
荊州を取った辺りからはどんどん嫌な人になっていった
荊州問題での呉に対する態度はいじめっ子としか思えない
演義劉備で三国志を嫌いになって蒼天でまた再び三国志好きになったもののその蒼天のせいで再び三国志から離れるようになってしまった
そもそも蒼天航路は劉備云々もさることながら曹操があまりに完璧超人に描かれすぎていて嫌悪感(その配下たちも大概だが)
というより完璧超人を通り越してもはや神状態かな
物語の最初から最後まで普通に好感を保てていたのは孫権くらい
特に最後に美味しい所を持っていたおかげでそこだけ読むと主人公かと
それまで散々傍若無人にふるまってきた関羽を躊躇なく斬ったのは溜飲が下がる思いで爽快だった
@@kofuta9589
いろいろとおっしゃる通りw
賛否両論、私も細部では「ん?」と思いますが、正史を基にした漫画はあまり見ないので、演義しか見ていない人には見て欲しーですねー
諸葛瑾とかリアル馬面だし、劉備も腕長いし耳たぶデカいし、特徴がしっかり描かれている(武将による)のも好きです。そもそも、他の三国志漫画に比べて画力が抜きん出ているから見応えあるので、1番はそこですかねー
横山光輝三国志からいきなり蒼天航路では、劇薬でわ?(笑)
@@高家カツト
確かに一理ありますね🤨
じゃあ蒼天航路のアニメなら!笑
真っ先に思い出したのは華歆と潘濬。
演義と正史で評価が異なる人物というと孫権ですね。
演義だと頼りない優柔不断な人物として描かれますが、実際の彼は決断力も手腕もある名君だったようですし。
演義だと呉の扱いがどうにも悪いんですよね。
孫権は評価が異なりますね!
決断力があるのももちろん、酒乱でハラスメント気味だったのも面白いです。
その辺の動画を来週あたりに公開するのでぜひご覧ください。
個人的に一番は馬超だと思う。
演義で美化され過ぎてるが正史ではくそみたいな人間だから💦
父の馬騰や弟達が曹操に殺されたのも馬超のせいみたいなもんだし
曹仁と于禁が気の毒すぎた
演技では劉備のヤバい行動は全部張飛がしたことになってる
賈詡は演義でも正史でもキャラがほとんど変わらなかった。
私も演技は脚色し過ぎで、史実とかけ離れているので、正史の方が人間味があって好みです。
演義の劉備だと自称末裔にしか見えないので、劉邦みたいなムーブしてる正史の方がああ劉邦の末裔だなって感じする
史実と演技では理想と現実の様な大差があると思います。呂布を1番にする人は何を見て言ったのかを知りたいです。
最後に勝ったのは誰でも無く猛将もいません。戦の頻度は減っていても動乱の世です。
演技で、のと区切りを付けて欲しいです。
ずっとかこうとんかかこうじゅんかと思ってたけど一応ふりがなはかこうじゅんで記憶通りで良かった
夏侯惇の関しては曹操の親戚で優秀な側近とのイメージでしたが
ちょっと凄いですね。
少し勉強したいと思います。
主人公である劉備や蜀は、当時の中国の民衆に受け入れられ尊敬されるようにする必要があったのでしょう^^
戦乱における政治家のお話なので単純な善悪では語れない深さがありますよね。
演義は時代劇として大きな貢献をしたと思います。史書だけではこれほどの人気はなかったでしょう。
おっしゃる通り演義の書かれた時代は民も道徳を学びはじめた時代でしたから蜀の人物はこういう人物像になったのでしょうね。
@@sangokushi_kaisetu 👍
14:44・魯粛の説明での『誰かに騙されがちな人』は『主に諸葛亮に騙されがち』だと思う。
演技の魯粛の扱いときたら。(泣)
劉備と言えばやっぱ200回ぶん殴る話が好き。演義だと賄賂を要求した役人を張飛がボコったことになってるけど、正史だと劉備が200回殴ったらしいw
馬超、趙雲、劉曄あたりも相当に違いますね。
曹真、曹仁あたりの演義は本当に気の毒。
個人的には正史推しです。
ゲームの三国志では、会社やシリーズによって能力が全然違うキャラがたくさんいる。昔は演義寄りだったけど、最近は正史の方が近いような能力。
夏侯惇は文官並みの政治70台になっなぁ。
勘違いしてはいけないのは、史実=事実ではないということ!
そうだよ。あとはその史料をそれ以外の史料と比較・検証しどこまで事実に近いかを確かめる。
その通り
貴方の父母は本当の父母?
歴史は誰が記録する事によって変わるし、時の勝者が歴史を作るのがとうぜんの時代でもあり、
記録は見た人がどう感じとったかでどうにでも変わり、記録に残す
様々な歴史の記録にも様々な矛盾がや不明点が存在するため、現代の価値観や推測で矛盾してる箇所や不明な部分は可能性として最も妥当か可能性として最も有力なのが採用される記録であって、絶対的な事実とは限らないため、完全な歴史の痕跡では無い
ちょこちょこ現代でも覆される事もあったり、また元に戻ったりする事もある
歴史の真実とはなんなのか…
それくらい歴史とは、ロマン深まる出来事であったり、興味深いものである
史実は事実でしょ?
「正史=事実(史実)ではない」と言いたかった気がするけど
ちなみに、辞書で史実を調べると「歴史上の事実」とある
「聖人君主」は間違い、正しくは「聖人君子」
正史に描かれてないことは想像して良いというスタンスだから関興、張苞に関しては活躍していないと証明するのは難しい。これは諸葛亮にも言えて参謀なので赤壁の追撃に、劉備が夏候惇を破る時に居てもおかしくないです。そこに張飛や趙雲の活躍が無かったとはいいがたいのです。たぶん居たでしょうし。
諸葛亮に関して、張良のように帷幕において戦略を考え弁舌にて同盟を結んでいます。軍事面も勝利していないとい言いますが、入蜀の別動隊(ほぼ正規軍本隊)を張飛、趙雲を率いて、蜀を平定しています。北伐も領土の拡張に成功していますし、魏延が正攻法なら諸葛亮は奇策としての迂回策を採用しています。司馬懿は得意の速攻戦をしかけて失敗して以来、慎重になっています。その慎重な司馬懿を郭淮の伝をみれば奇策で翻弄しているのが良く分かります。是非諸葛亮に軍事力がなかった勢は郭淮の伝をお読みいただければ。かなりギリギリの攻防をしているのがわかります。諸葛亮は立派に張良、蕭何、韓信の役割を一人で抱えてやっていたと思います。
いかに韓信だって国が固まっている魏の曹真、司馬懿には勝てなかったと思うなぁ。
惇兄は史実も演義もカッコいいな‼️
ドラマの三国志の方が史実の劉備が近いかも? 上っ面だけでほんとは奪いたい!って感じだし。
華雄も正史だと胡軫の部下なのに演義だと逆なんですよね。
しかも都督になってたり。明らかに名前のかっこよさで引き立てられてますね。
正史の劉備は普段感情を表に出さなかったって言ってるのに、短気な人物のように見えるっていう謎理論
短気なら普段から感情を表に出してるってことになるだろ
いい変えれば、何考えてるか分からないけど、思いもよらないポイントで突然キレる人。そんな人っていますよ。
周辺で起こった出来事に感じやすいけど、それを内面に溜め込む。
コレもある事です。感情を表に出すタイミングが多くの人とは違う為、分かりづらいですが、良く観察するとつながってきます。
劉備は付き合うと惹きつける魅力があったのでしょうが、リーダー気質の人ってやはり魅力あるのと同時に、何考えてるか分からないところがあり、そこを周りが忖度したりしてリーダーが出来上がることもありますから、友達ではなく、リーダーの人物像のひとつとして、私は頷けます。
@@座頭市-b4k まあ、実際監査官を蛸殴りにして役職捨てて逃げたりしてるからねぇ……。「爆発すると何するかわからんぞあいつ」とは思われてたと思います。本人にとっては若気の至りでしょうけどw
良い意味で親分肌な劉備ってわりと大好きだな。戦の指揮は
下手かもしれないが、曹操や孫権よりは武力は高そう。諸葛亮は、龐統が蜀との戦で亡くならなかったら、自国経営にシフトさせ軍事は彼に任せれば良かったんだが。
あと関興と張包と若い人材が早くに亡くなったのは痛恨かもしれん。
正史の劉備については当然といえば当然だよね
そもそも論、主がナメられるということは、付き従う部下もナメられているということ
面子を保てないヤツが上に行くことは古今東西ありえない
よく正史をちょっと齧ったやつが
諸葛亮は軍略としては微妙で内政としては優れていたとか言うやついるけど
軍略的にも諸葛亮はあの時代トップクラスやと思うわ
諸葛亮は残っている記録上では初めて軍を率いた益州攻略戦で別働隊司令官として、城をごぼう抜きして劉備本体と合流していますよね。
それに馬謖が敗れて崩壊した北伐も凄まじい戦略でした。
敗因は、諸葛亮達が漢中からの出陣した僅か一月後に、呉と泥沼の戦いの真っ最中だった筈の張郃が数万の大軍を率いて凱亭に現れたこと。
実際魏は主力を引き抜いたことで呉との戦いはボコボコにされています。
情報伝達の時間などを考えると対応が早過ぎる上に異様なほどリスキーな決断です。
個人的には正史のミステリーの一つですね。
@@山田文汰 それに第三次北伐せは武都陰平を攻略し郭淮を撃退して張郃を打ち取ってるし
祁山でも司馬懿を先によって撃破している
あれだけ戦力差があって第一次第三次と領土を取ってるが逆に魏は蜀の領土を取れなかった
諸葛亮が軍略家として乏しいなら魏の将軍は全員それ以下と言ってもええと思う
その通りなんですよ。
蜀漢は建国からの国是として魏を討ち、漢を復興させる必要がありました。その上、戦略的にもそうしないとジリ貧で滅亡確定でした。当時の文化経済の中心は中原であり、魏の領土です。戦乱で荒れていたのも中原。ソレでも魏は蜀の何倍もの国力がありました。お互いじっとしていたら、魏は復興していきその差は絶望的になります。だから、北伐は生き残りのためには必須だったのですが、諸葛亮はギャンブルも出来なかった。だから信じられないことに諸葛亮はほぼ正攻法で北伐を行ったのです。
軍事面で言えば、おそらく蜀軍の調練です。軍の強さはほぼ練度で決まる時代だと思いますが、諸葛亮が組織した蜀軍の練度はおそらくずば抜けていました。だから司馬懿は挑発されても仕掛けなかったし、陣跡を見て感嘆したのです。
このコメント主さんは良くわかってらっしゃる
軍略家としての諸葛亮を否定してる人は三国志を理解してない
@@マイケル-h7 正史をみて陳寿評とかをみてそれを鵜呑みにしたやつねw
さらに詳しく起きた戦争とか調べると諸葛亮が軍略家として悪いわけがないw
×聖人君主 〇聖人君子
正史のほうが好き
演義は小説wみたいなのを見て正史読む→羅漢中スゲー!
司馬遼太郎小説と同じな。日露戦争の乃木司令官と参謀の扱いが酷すぎます。
大体、あの当時はロシアに勝てるなんて思ってた日本人いたのかよ。
器量→度量
蜀を奪っておいてスジは通すが・・・ん?
ピカンチュウ~~~~
三國無双やっててどうも劉備が好きになれない理由がわかった
確か、劉備のもとを去った田豫も公孫瓚に仕えたが重要視されなかったんだよな。彼が頭角を現すのは、曹操に仕えてからになるな。
正史は正史であって、史実ではないよね。
その通りです。
正式な歴史書という意味で、正確な歴史書という意味ではありません。
曹仁や于禁も名将って聞いた
夏侯惇が曹操からの官位を受けていないのは、「曹操と同じく後漢の直臣」だったからと聞いたような。
劉備の蜀平定が214年くらい、223年没なので9年間、
その後は孔明が後を継ぐも、234年没なので11年間、
無能と言われる劉禅が263年の降伏まで約30年。
劉禅って意図的に貶められてる気がするんだけどねぇ
夏候家は曹操の父の本家筋なので、律儀な曹操は臣下という立場に置かなかったということかと。
夏侯惇は曹操の従兄弟じゃなかったっけ?
魯粛だけは演技が間違っていると言い切れる人柄なんだよな。三国志を学び始めた時からずっとインテリヤクザの印象を持っていた。
周瑜、魯粛、曹真あたりかなと思ったら案の定だったw
そりゃ普通は一騎打ちしたり、死ぬと分かってながら接近戦で突撃して行く馬鹿はいないわな。
離れた所から弓矢でハリネズミにするとか遠距離攻撃するよなその方が損害少なくて済むわけだし
劉備は秀吉タイプだな
やっぱり史実と演義両方合わせて、天下を統べる大人物なのは、曹操だわ。
劉備に関しては関羽・張飛といった今で言うチンピラ、ヤンキーの2人と義兄弟になるんだから同じ穴の狢ってのは頷けるよね笑
その短期で蜀は滅んだし、息子もなぁ…
中国では劉備は人気があまりないそうです。
たしか…一度しか戦功をあげてない武将のてがらは、殆ど有名武将のてがらにすり替えられてたような
演義派の中には史実を否定してくる奴がいるからタチが悪い
180度ほどはないけど周瑜もなかなかひどい
一騎打ちで魯粛が曹仁クラスに結構勝ててたIIIが懐かしい。
事実をしりたければいつも思うけどタイムマシンをつくるしかない
タイムマシンで行った世界の歴史は、タイムマシンで行く前の世界と一本道で繋がっている保証はない。
正史も信用できないね
あんな昔の資料が残ってる時点で
すごいんだけど
正史を信用できんかったら何も信用できないってことやでw
歴史は大まかにわかっとったらええ。
俺が認めないことはないことにするってか?
孔明は戦をする軍師ってよりはほんと内政官よな。 知力100じゃなく政治100の方が本来に近い。
曹真はコーエーだとステ低いのでなんとかしてください
劉備にしても孔明にしても一周回れば英雄には間違いない
昔の鏡でも叩き割れるもんなんですね
蜀の問題は、荊州を無くしたことに尽きる。
正史だと関羽と張飛のキャラが逆だった気がする
美化されているんだろうし、後代まで伝えていくのであれば美化されるべきモノだと思います。
今の中国を見ると、なかなか悲しい状況なので…。
多少真実とは違いがあっても、
こういう有名な話は綺麗なモノ、ロマンある方を聞ければいいと思います。
劉備は田中角栄タイプだな。
わい…………
劉備、普通に人食べてるからな
魯粛かっこいー
ダッメだこりゃ
演技はファンタジー物語
でも史実だと思ってる日本人ばかり
子どもの頃、なぜ無敵の劉備軍が、曹操に追いやられているのか、不思議でならなかった
事実を知って、急速に白けていったもんだ
いまだにこの時代で「劉備玄徳」呼びとか。姓名字の並列読みをやめなよ。今時恥ずかしい。
じゃあ正史本文中で姓名字並列表記してる陳寿も恥ずかしいんですかね?
へいへい。マウント取り乙でーす。
捨て台詞の無能感すこ
会話やモノローグとかで「劉備玄徳」と言ってたら違和感覚えるけど、
地の文とか解説では姓名字の並列読みでええやん…