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Ryuzo Sejima, a strong staff member of the Imperial General Headquarters, the beginning of the war
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- Опубликовано: 16 дек 2022
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OtoLogic “In That Mood”
[References]
Ryuzo Sejima's memoir Ikuyama River: Ryuzo Sejima, Fusosha, December 1, 1995
Noblesse Oblige Ryuzo Sejima's Deadly Sins: Shunji Sukegawa, Seiunsha, June 28, 2022
Imperial General Headquarters: Toshio Morimatsu, Yoshikawa Kobunkan, August 1, 2013
General Staff Headquarters and Army War College: Tai Kurono, Kodansha Gendai Shinsho, March 10, 2004
同胞を売った男。
著書が古本屋で百円で売っていた。
買って読んだが自慢話満載だった。
古本屋は、古書の価値を知ると云う。
胸糞悪かった。
まったく同感です。インパールの牟多口と何ら変わらない
ソ連に捕虜を売り渡した人ですね。
その後は伊藤忠の重役でしたかね。
副社長と会長、相談役ですが、創業者が「お前は何が有っても責任を取らないから、社長にはさせられ無い。その代わり会長にはさせてはやる」、だった。
噂が本当とすれば、国賊と呼ぶのが正にふさわしい。
国賊としては最高峰な方ですよ。
まさしく国賊です。
よくぞ言ってくれました。戦中戦後のですね。
昭和天皇が唯一許せなかった人物、鶴瓶の番組では昭和天皇のアッツ島の玉砕軍人を称えた御言葉の事を語っていましたね。東芝のココム違反事件は伊藤忠経由だったのでは?
昭和天皇が、唯一許セナカッタ人物❓️現代史特に昭和史は正しく認識してください。昭和54年9月12日、赤坂迎賓館での出来事。晩餐会が、終ってから、瀬島夫婦は、入江侍従長から、瀬島夫婦を陛下が御呼びです。特別部屋で、陛下のお言葉。瀬島は戦前、戦後、と大変ご苦労であった、これからも体に気をつけて国家、社会の為に尽くすように。と特別にお言葉を賜って折ります。
そうです、罰せられたのは東芝だけでした。報道も伊藤忠のイの字も出なかったし、まして瀬島隆三の名前は出なく、ただ東芝だけが悪者にされました。
絵を描いたのは彼ですよ
当時のソ連に対して"貴国の復興の労力に使って下さい"とか言ったんじゃなかった?
それがそのまま旧日本軍兵士のシベリア抑留に繋がったとか聞いているが。
一介の中佐にそんな権限はない
またソ連崩壊ごロシア側からいろんな情報が出てきたが そんな情報は今のところ確認されてません
@@asaichban9842 そうですよね。なんで、復興の労力に日本人が必要とわかっていたのか不思議ですよね。インフラ関係の被害は推測できても、人員の被害までは確認できませんしね。
@@asaichban9842 いやいや 当時の陸軍には多かったんだけど 彼もアッチ側の人だったからね
ロシアの工作員だろ。 カーチスルメイ(東京大空襲)の当人に小泉純也とともに勲章送った。日本兵のシベリヤ送りにも加担。行動監視対象だったてこと知れよな。
佐藤栄作、総理大臣の時代にルメイに勲一等旭日大授章を贈っています。後、佐藤栄作はノ-ベル平和賞を受賞します。昭和天皇は通例の親授を断りました。
瀬島はソ連とのビジネスで伊藤忠の土台を作ったが、このジジイ、小さな会合や講演会で『自分が最後まで残るから抑留者を日本に帰して欲しと常々当局に要請していた』って言ってたらしいが、後にスターリンの決定にそんな要請が可能なくらい高い扱いを受けていたのかを疑ったジャーナリストが調べ始めると、そんなことはまったくなく、瀬島本人に取材したら瀬島は『年寄りを苛めなさんな』って話を誤魔化したらしい。
ソ連への捕虜の引き渡し、密約については生涯語らなかった様ですね
ソ連への捕虜引き渡しの密約については、ソ連が崩壊しソ連時代の秘密文書が公開されて、それが全くの嘘であることが明らかになりました。いきさつ等については、「平成日本のよふけ」というテレビ番組の中で語られています。「平成日本のよふけ」というテレビ番組は、もうありませんが、youtubeで一部観ることができます。
でも ソ連からロシアになってある程度情報が公開されたが そんな密約に関する資料は見つからなかった
作家の保坂あたりは疑っていたけどね 警察の佐々は 戦後、ソ連大使館員と接触したと書いているけど
@@asaichban9842 密約を証明できる証拠はペレストロイカの情報開示後も全く発見されてはいない。2002年、政治学者である田久保忠衛が、モスクワのロシア国立社会政治史文書館で「国家防衛委員会決議No.9898CC「日本人捕虜五十万人の受入、収容、労働利用に関する決議」(1945年8月23日付)を確認した。このスターリンが自ら署名した文書には、「労働のためにやって来る捕虜の受入、収容、労働利用の実施を行うよう次の人民委員に命ずる」と強制労働命令について明記されており、この文書によって極東ソ連軍の権限でなく、ソ連中央政府からの命令であったことが判明しており、密約説は否定された。
@@asaichban9842
元からコミンテルンだろ。
偉大だね~ 事の内容が巨大
日本を敗戦に導くような裏切りをいくつもやった男として有名だったと思いますが。
スウェーデン駐在武官
小野寺信の情報をことごとく握り潰しましたよ。
@@user-eh4to5sx6h
すべての小野寺情報が当たってたわけではない 外れていた情報のほうが多かった
英国上陸作戦失敗、ヤルタ会談の内容、ソ連参戦・・・など当てたが
須磨情報も同じ 外れてた情報が多かった まあ情報を分析する能力がないから 当たっていても見抜けないのだが・・・・
@@asaichban9842此れだけ当たっていればいいではないか。全部外れていたら糾弾しても良いけど。
堀栄三 少佐の談では、情報を握り潰したとか?
台湾で勝った勝ったと軍部中枢を惑わせたとされる、、、しかし、大本営の連中はそろいもそろって保身の塊だし、現実逃避の秀才集団。タマが飛んでくるところに出ないで出世だけを見ているヒラメ集団。今の官庁と同じダヨ!瀬島の真実隠蔽の真意やなぜ?仲間を平気で売るのかについては、僕の理解を超えている。大東亜戦争では、信じられないような馬鹿な指揮官の下で無辜の兵隊が命を落としていくが、みんな戦後はヌクヌク生きて、聞き苦しい弁明を披瀝して鬼籍に入っていったようです
小野寺のソ連の対日参戦の情報も彼が握りつぶしたよね。当時からソ連スパイだったんだと思うよ
瀬島本人が堀氏に戦後、告白しているのだから事実でしょう?
@@nkvd2967 南方への作戦指導を命令され、仮病で逃亡した卑怯者ですね。この時に左遷しておけば、と思う。小野寺大佐からのヤルタ会談情報
を握りつぶしたのも彼なのか?
石原莞爾は開戦直前田中新一参謀本部第1部長に
「陸軍はアジアの開放を叫んで、その実、石油が欲しいのだろう。石油は米英と妥協すれば幾らでも輸入出来る。石油のために一国の運命を賭して戦争をする馬鹿がどこにいる。」
と言ってた。
不毛地帯のモデルと言われているが山崎豊子によればモデルはあくまで複数人のインタビューから作られた人物で確かに経歴が一番似てる瀬島が逆にそのイメージを利用していたと聞いたよ
なべて優秀な人はその才におぼれ、目が曇りがちである。自己を捨て国を思う人は栄達は望まない。 彼の経歴を見ると、恐れながら前者に該当すると感じる。 戦後も上手に立ち回っている。
陸軍大学校首席でも、石原莞爾のような野性味や永田鉄山に見られる政治的センスも無さそうで、与えられたものだけを優等生的に処理していくタイプの軍官僚にしか見れない。
その通りですね 副官としては優秀 しかし思想はない
陸軍時代の最大の問題は 台湾沖航空戦における堀参謀の電報握りつぶしですね
石原莞爾はより良い国家や世界を作るための世界観を打ち立てられる思想家であり、作戦や謀略を実行する参謀、指揮官として申し分の無い実務家でもあったが、陸軍という組織の中で生き残る政治家的強かさは無かった。正直すぎるというか。瀬島は参謀としての能力に全振りの実務家。石原は天才、瀬島は秀才。全部揃ってる人って居ない‥‥‥
@田中一郎
ソヴィエト共産党員。間違いない!
@@asaichban9842 副官と言うのは、師団長(中将)のお世話をする少尉の役目であり、普通は20~21歳の若者が付きます。
軍部の中枢にいた元軍人たちは、戦後はおおむね責任を感じていたのか社会の表舞台からは引いていた感じだが、瀬島さんはそういうのとはかけ離れる感じである。どうも立ち回りのうまい秀才官僚という感じがどうしてもつきまとう。ソ連との関係をいろいろ言われるのも、本当かどうかわからないが、これだけ言われるのであれば何かあったと思われるのも仕方ないし、多分に潔くない立ち回りも原因にあるのだろう
責任を感じてじゃなくて責任を追及される戦犯扱いされるの怖くて隠れて逃げ回ってただけでしょうが
@@kid7544 シベリアに抑留されてたので逃げ回ってないでしょう。それに裁判の証人で呼ばれている写真がでてるじゃないですか。
@@TN-qz6hj ソ連のスパイとしてです。
聞かれもしない自慢話は滔々としゃべり続けるくせに都合の悪い質問をされると核心には触れようとせずはぐらかすようにして一切答えない、保身や周囲、特に上長に取り入る(そしてそれはかつての敵軍だろうと厭わない)小賢しさにかけては紛れもない超一級の茶坊主振りは特筆に値する
95歳 96歳も出生きたとは 実にしぶとい。
こういう大悪党に限って長生きするんだよね。
ソ連に、日本兵を、ロシアに、渡して、自分だけ、かえってきていた。?。
平成日本の夜ふけ、というフジテレビ番組に出てましたね。香取慎吾? 南原? とりあえず鶴瓶。学生の時に興奮しながら見た記憶。ソ連のスパイ。
晩年バラエティ出てたの覚えてる。抑留されたらしいけど生き残った。
抑留時代に踏み絵(御真影)を踏んだらしいよ、トリエンナーレの様な(シベリア抑留者談)。まあ伝聞です。
魔理沙の質問が尋問みたいな圧があって面白い
この男はなぜこの世に生まれて来てしまったのだろうか⁉️辻、服部、牟多口、神、他同様なぜ日本を堕落させたのだろうか⁉️
この人のインタビューを画面で見たことがあるが、話しの本質をはぐらかしている印象を受けた。だれもが生まれた時代の運不運があるのは仕方ないが周りへの影響結果を考えると複雑な思いがする。
まず、当時(戦中)の海兵・各幼年学校・陸士豫科(旧制中学から)に進学する人は、地方農家・商家であれ、自作農家・中級商家の子弟が進学されておられます。旧武家の方は官費で学べる事が出来て、社会的ステイタスも高い軍幹部学校へ進まれていますね。若い頃、古い上司に海兵・幼年・陸士豫科に在籍されておられた方がおられ、色んな状況を聞きましたが優秀(体力・学力・適正・その他背景)な方だったと思っていました。業務に当たっても所謂、キレ(知識力・判断力)が優れておられました。ただ、プライドが海兵・陸士と共に高く~~~。〖現在の旧 帝大・国立第一期・有名私大と違い、学力に加え総合力と言う矜持〗。瀬島さんも戦後、各人・分野によって評価はマチマチですね。優秀な方には間違いないと私は、思っています。
学力は高かったが、体力、取り分け格闘技は弱かったと言われています。ま、見た訳では有りません。
この男を評価出来ない。戦犯を逃れたのが不思議だ。
いや、ソ連で戦犯として11年抑留されていたぞ
@@user-em2xy6kd7k 彼のしてきたことを思うと、11年では軽すぎる。
現実には、昭和24年に資本主義幇助罪(刑法第58条第4項)で強制労働25年、スパイ罪(同条第6項)で強制労働25年の計50年の刑期を言い渡されたが、ソ連側の「人道的配慮」により25年に減刑されて1956年に釈放、帰国されるまで受刑した。
@@user-em2xy6kd7kソ連に匿って貰っていただけだろう。
@@user-fo2fr2lr7z 匿ってもらうぐらいの重要人物なら共産主義者が批判の声を握り潰していて書籍とかに残ることはないと思うんですよね。
闇
▪私達は…大東亜戦争について全てを見直ししなければ成らない、解くに開戦から敗戦処理のシナリオを描いた点が…日本國を不幸を招いたか
裏切り者の瀬島龍三
佐々淳行は知っていた😇
瀬島さんの部下の子弟などを部下に割り当てられることが多くありました。何かの御縁なのかなと思います。辻さんの息子さんも御一緒させていただくことも多かったです。
国賊です
はい。民営化してから暫く、このような人が来ていました。
@田中一郎 江川投手の弟さんとか、いろんな人の紹介で来ている人が多い時代でした。こっちは、自分の部下には来ませんでした。。
お気の毒に
「ノモンハン事件で失敗した参謀をなぜ再び中枢に呼び戻したのか?」
軍隊・軍人というものは、元来勇ましいことを好む。
消極・慎重・理詰めの孫子的意見より、積極・大胆・愛国による犠牲精神を語る者を引き上げたがるし、陸軍が戦争拡大の道をひた走り出した時節では、特にね。
壱岐正か。
風貌がサッカーの三苫にパっと見で似ているな。ただ、こいつは、自分が実質敗戦や満州での悲劇に大きな責任があるにも関わらず、それを糊塗してノウノウと戦後も名士気取りだった。反論できる関係者の物故を見澄まして失態の責任をそうした故人に押し付け悲劇の主人公を気取る様子は見ていて見苦しかったなぁ…
富山かあ…
偏見ではあるのだけど、富山というのは出身者に独特の癖者感があるなあ。
角川家とか、藤子不二雄とか…
人に言わせると、『北陸の岡山』とか言う人もいたな。横溝正史っぽいとか…。
まあ、北陸はみんなそうだけど(偏見)。
辻ーんも金沢なんだよな。
ばいこくど
あきた号、大好き。
話し方、かけ合いが装飾や無駄話しないからすんなり耳に入る。
シベリア抑留からよく帰還できたよな
11年でしたっけ?
ソ連とつながっていましたから帰れるでしょうね。
なんだかんだでソ連抑留者の9割近くは帰還してますし…親族もソ連抑留されましたが、中央アジアだったので、軍務や日本に帰った直後に比べたらそんなに辛くなかったとは聞いてる
@@hidemitutakechi735 つながったのは戦後の話しでしょうね。それに手先になっていたら、帰りの船内でリンチにあってますよ
@@TN-qz6hj 一人で帰った筈で幸いでして。
山崎豊子の「不毛地帯」にハマって、瀬島龍三さんのことを知りました。いろいろ賛否両論ある方ですが、この方は本当に激動の時代を生きた方ですね。
裏切る瀬島龍三 !!!
爽やかなまでの「毀誉褒貶」だ。
幾山河という著作物を読みましたが、欺瞞のかたまりでした。
彼の陸大卒論?は砂漠での補給についてとねはこと。
結局は立身出世の権化。
山崎豊子もそう感じたからか
不毛地帯の巻末の取材協力の一覧から、この人の名前を削除してます。
*最初のほうの版には掲載されてる
@@user-cn7tm4eh5 堀栄三氏の著書に意味深な著述もありますし。
辻正信以上の大悪人。
こいつの脳内にあるのは、おのれの保身だけ。そのためには、歴史資料を平気で改ざんするし。
戦後いくら足跡を残しても、こいつのために何十万人が死んだことを考えると、腹が立って仕方ない。
実際は どうなんでしょう。瀬島龍三は ソ連にいる時に 快適な生活をしていたのでしょうか。
別名「将校クラブ」ですよね
要するに会議の論議で勝つだけの理論屋
だから終戦前には参謀本部からも相手にされずに追いやられた
そうすると、他の投稿者が言っているような密約を突然左遷された満州で、どうやってできたのか不思議ですね。
@@TN-qz6hj ソ連側との会談に立ち会っていた他の参謀の証言では、日本側に発言権だの交渉の余地は与えられてなく瀬島も沈黙していたと。批判者による瀬島は日本を裏切ったとか、あるいは瀬島本人のいう言い訳はどちらもウソのようですね
@@TN-qz6hj 自分から満州に行き、ソ連に収容され、白馬に跨がって居た。
瀬島さんはソビエトと日本兵のシベリア抑留を決めた張本人として歴史に残る有名な方ですが(シベリア抑留で575000が抑留され55000人が死亡した)
とても幕僚でしかない一参謀が決められる事ではない。はたして、本当の責任者は誰なのであろうか?天皇陛下から預かった(徴兵)国民を酷寒の地の矯正収容所で
厳しい労働によって死に追いやった責任者は?いつの日かこの闇はあばかれるだろう‼️
PS:瀬島さんはなぜ責任をとって腹を切る事なく、おめおめと帰ってこれたのだろうか?彼は軍人というよりもテクノクラートであったのか?
どの時点で抑留を決めたんでしょう。8月16日停戦で17日に降伏、18日にはもう列車に乗せられてシベリアに送られていますから、1から2日で列車を手配し行き先まで決めてるとか、食料や運行ダイヤの調整がすぐできるくらいソ連の参謀は優秀ってことですか。よほどのスパイでもないかぎり前もってソ連と調整なんて無理でしょうね。おおかた、ソ連の責任をうやむやにしたいのと、戦後に上手くいってた人を妬んでの噂ではないですかね。
裏切り者。
此の数字は軍人だけです。一般人300万人位も拉致され、広島長崎の原爆被害者と同じ位命を落とされています。私は抑留とは言いません。無事帰国された方の中には、凍傷で両足を失ったり、指を失ったり、精神に異常をきたし、戦後ずっと精神病院に入退院を繰り返した方も居ました。瀬島隆三は此の様な方々に対し、どの様に思ったのでしょうか。本人の口から何と言ったか聞きたかったです。
7:54 この将校団の思考的視野の点がドイツ将校団との違いですね。
日本陸軍の士官の育成教育はドイツ(プロイセン)を参考にしてました。
良し悪しは別にしてWWⅡ前ドイツ統帥部幕僚になる将校は、ユンカー以上の階級がほぼ独占してました。彼らは軍事貴族としてエスタブリッシュメントとたる教養を求められました。ドイツでは、広い教養や思考的視野は、軍人以前の貴族の当然の素養として認識されており、士官の教育課程には特に入ってませんでした。
一方で日本は軍の近代化を急ぐため制度のみ受容したためドイツ将校団の士官教育の前提条件が見過ごされてしまったのではないでしょうか?
そうした視野の狭い士官育成課程が視野の狭い軍人を生み出し、2・26事件にみられるようなピュアではあるが視野の狭い思考で行動したり、米軍との戦いで不利になると統帥部は事実上思考停止状態になったり、上級指揮官が戦死すると下部部隊が行動が停止してしまう等日本軍は、ドイツ軍の臨機応変さとは真逆の硬直的な組織と米軍から分析される原因なったのではないでしょうか。
日露戦の頃までは、士族階級出身の士官が多かったんで、幼少期から「幅広い教養」を得る習慣はありました。
またこの頃は学制が固まってなかったので、若手将校は士官学校へ入る前に「経歴の寄り道」をしてきた者が多く、多士済々でした。
漢詩をひねくるぐらいは当たり前でした。
映画「203高地」で、主人公が親ロ派傾向があるのを中央が怪しんでいると本人へ告げた後でそれを鼻で笑った上官が「俺だってトルストイぐらい読んでる」と言っているのも、当時の陸軍将校が意外と博学であることを示す一コマです。
日露戦後は学制が固まったことと幼年学校からの純粋培養が進んだことで、「知識のたこつぼ化」が進みました。
博覧強記となるには、渡辺錠太郎や永田鉄山のようにヒマを見つけて独学するほか無いのです。
ただ、頭の柔らかい時期は陸大受験勉強に智能を費やすので、天保銭組は永田鉄山や石原莞爾のような天才型以外は「余計な知識」を身につける余裕が無いんですね。
@@user-kz8nw7gi7d そうなんですよね。日清・日露は江戸時代の侍の素養を持った人が政官軍のトップで臨機応変に戦ったのと天保銭組エリート将校が牛耳ったが昭和の戦争のジリ貧やけっぱちな戦いとははえらい違いですよね。
ドイツ軍だってそんなに褒められもんじゃないだろー
戊辰戦争を戦った人達と、立身出世のご時世とは違うのと、トップが元士族出身の東北出身者が多かったのも一因かと思います。
評価が別れる人ですね
評価としては「ソ連スパイ」で一致していると思いますが。ただ陸軍にも海軍にもソ連スパイはたくさんいましたよ。
虫唾が…ソ連の犬
忖度とおもねりの人だな(苦笑)
日露戦争の勝利が仇となって功名心が先走り同調圧力が高まった結果悲惨な戦争突入になったの のかもしれないね? 参謀も自戒しているように国際的な軍事力と日本のスキルを冷静に判断できず見誤ったことが負因だろう、あの当時否定的な言い方をする者は皆非国民だったに違いない。
今は無くなったけどコンバットマガジンにこの人の紹介があった。
ノモンハンが失策?
ジューコフも語ってましたが、
経験した戦闘で、ノモンハンが
最もしんどかった‼️
って語る程、甚大な被害を
与えた筈ですが・・・
ノモンハンで日本はボロクソに負けたとなって居ますが、ソ連も日本以上の損害を被ったそうです。
現場は奮闘してますが、ソ連が増援の部隊を送っている情報があったのに何もしなかったので失策と言われても仕方ないですね。
割と最近亡くなったんだよな。
大往生だよ。
こういう人がおられたのか。
5年も参謀本部にいたというのは上司に気に入られやすい性格なのかな?戦後の彼の存在は一種のお化けみたいな存在ですね。
この人の話は戦後の方がよっぽど面白いだろうに
終戦時の参謀本部次長、河辺虎四郎も富山県。終戦前後の陸軍はこの富山コンビが軍を動かしていた。正力松太郎も富山だし、地味な県だけど偉い人多いよ。全日空の若狭徳治も富山だったかな。富山県には転勤で4年ばかり住んだだけだけど勉学に熱心な県だったな。私がいたころは確か中沖豊とかいう人が知事をやっていた。同知事は各高校が東大に何人合格したかをチェックしているといううわさ話があった。
それは買いかぶりですね 河辺なんて陸軍を動かすほどの力はないよ どちらかというと戦後の河辺機関なるものがあったが 大したことはない
瀬島なんて作文が上手くかけるから(負けているにも関わらずそう感じさせないような奏上作文が書けたから重宝されただけの茶坊主)
富山、辻の石川、服部の山形と、現代でも日本海側出身者は抑圧されたような、コンプレックスが非常に強い人間が多い印象がある。
日本って国は、
不思議な事に散々国民をぶっ殺した軍部に対して、
ドイツのナチ狩り的な事が起こらなかったのは何故なのだろうか?
ナチスとはやったことが全然違うからですよ。日本軍部=ナチスの考え方は中国や韓国が推し進めてますね。
まだ遅くはない
親米政権の中枢にソビエトのスパイがいたってのがさらに面白い
せじま!亡霊が出た
彼は(瀬島龍三氏)は陸軍将校に似合わず文学青年のようなところがあって、新宿の軽演劇場「ムーランルージュ」の人気女優明日待子が好きという珍しい
タイプだった。
そのうちどちらかが言い出したか「これからの戦争はどうなるだろうか、本音で話し合おう」という事になった。彼は陸軍参謀本部の真打ち中の真打ちだか
ら、何もかも分かっている。私も聯合艦隊参謀になってまだ間もなかったが、実情がだいぶ分かったので日本海軍の実態を説明した。
「決号作戦(本土決戦)には5千機を動員する計画だが、その過半数は練習機で、実用機は二千機以下である。第5航空艦隊に集中しているが、敵機の前に
歯が立たなくなっている。南九州に上陸する敵の反攻に、どれだけの実績を挙げられるか極めて疑問である。沖縄戦の目算がつけば、敵の南九州に対する
空襲は激化するだろう。聯合艦隊は約30隻残っているが、それも寄せ集めであって、統合された戦力の発揮は望めない、潜水艦のうち作戦可能なものは10
隻くらいで、その燃料の補給すら厳しくなっている。第2の誤算はB29 によって、瀬戸内海や伏木、新潟まで新型機雷が投下された事である。海軍として
は、その掃海作業は不可能である。また、南方からの輸送は完全にできなくなって、これで日本は完全に封鎖されて、押さえ込まれてしまった事になる」
そると、瀬島君は次のように答えた
「陸軍は決号作戦に備えて、関東軍戦闘部隊を内地へ移したが、その大部分を西部軍(第16方面軍)の指揮下に入れた。それでも西部軍の兵力は予想される
兵力よりも少ない、一番の問題は上陸軍と交戦している時に、敵を痛打する打撃兵力が必要となるが、その打撃兵力は1個師団しかない事だ。これでは勝
味はない。関東地方の防御を担当する第1総軍や東部軍(第12方面軍)は『自身はある』と称しているが、私はそうは思わない」と。
この時二人の結論は
「この戦争は日本が負ける、負けるとすれば早いほうがいい」ということになった。その時、瀬島中佐は
「私の家内の父は226事件で岡田啓介首相の身代わりとなった松尾伝蔵陸軍大佐(岡田首相の義弟で、首相と間違がわれて殺害された)である。鈴木貫太
郎首相の迫水久常内閣書記官長は岡田首相の女婿になるから、遠縁に当たる。そのような関係だから、今ここで二人が研究した陸海軍の実情を、正規の参
謀本部や軍令部では通らないから、迫水記官長を通して鈴木首相に伝える運動をしたいと思うが、どんなもんだろう」
と、言い出した。私は
「そのようなルートがあるなら、次は手段である。国のためだ、やり給え。私は絶対に応援しよう」と答えた。
それから彼は、上司には参謀本部へ打合せに行くとの口実で、その動きを始めた。私との約束で、彼がどんな動きをしているか、どんな話をしているか、そ
の内容は聞かなかった。彼は緊急の電話連絡先を私に渡した。
私は彼との約束を守って、戦後になってもこの事を上司に報告しなかったから、「なぜ、その話をしなかったのか」と恨まれた事がある。
元・聯合艦隊参謀海軍中佐 千早正隆氏著「終戦時の聯合艦隊司令部・瀬島中佐と私の戦局論議」より(一部省略)
昭和天皇が一番許せない男と云われた人物です
「いしわら」莞爾ね
瀬島龍三、統制派、ソ連の対日参戦ruclips.net/video/G4aRZQTyoDs/видео.html
瀬島隆三と佐々淳行は立場が違うだけで、基本的には同類に見える。二人共組織に忠実な根っからの官僚主義であり、保身には天才的閃きを持つ。自慢話と責任回避。相手に非があるが如くに話を持っていく。結果、晩年を自ら汚して旅立った。
昭和天皇はお怒りだったのでは?
似た者同士
瀬島はシベリア抑留時代は黒歴史。
でも、戦後高度経済成長時代は凄かったと思う。
ロシアに飛んだ男😇
もっと知りたい知らせたいが 音声が非常聴きづらい 今のAI音声で次世代に伝えるべき
この人の生前の証言が忘れられない。非常にいいことをいった。
ううん、教えて欲しいのですが、どんな素晴らしい嘘を口から放ったのでしょうか?
のちの、『東急グループ』の親分だょな。
伊藤忠では
戦後の日米経済での活躍は日本人の誇りです。
同感です。
そして、戦前・戦中も、彼は命がけで日本のために働きました。
今はもう終了してしまった「平成日本のよふけ」というテレビ番組に出演した瀬島龍三を観れば、わかります。「平成日本のよふけ」はyoutubeで一部観ることができます。
@@user-jt4js5rs3r
そんなこと信じているバカがいるんだ すべて欺瞞であり 保身ですよ
だいたい不毛地帯と言う小説が悪い 小説が発表されたとたんにこの御仁はそれを匂わせる行動に出ている
ただ 人の面倒見(就職のあっせんなど、これも保身なのだが、だから信者的な人がいる)は良かったそうだ
@@asaichban9842 例えば、第二臨調での国鉄民営化に関する仕事は、欺瞞や保身で、できるものではない。何度も脅迫されただろうし、SPも付いていた。命がけでなければ、できる仕事ではない。
当時の政治家が2.26以降も命をかけて頑張っていれば戦争を日本から仕掛ける事はなかったと思う。
歴史を振り返ると人間の弱さをまざまざと感じてしまう!
本当に日本から戦争を仕掛けましたか?アメリカが対戦国として決めて、戦争回避出来た国が有りますか?私はそんな国、知りません。
ロシアの客人😇
黒い噂が絶えない人ですね
でも、戦後の活躍は評価されてしかるべきと思いますけど
ところ、ところ、ってあんた内局役人みたいな文章書くな。
「大本営」= 嘘っぱち本家 ⁼ SNS
瀬島の作戦はことごとく負戦。
ソ連との関係はいっさい発言なし。
伊藤忠で共産党との人脈で大儲け。
この人どうなんでしょうか。
サムライとは、どんな人なのか、どんな風貌なのか、人それぞれに思いは違うだろう。
この動画の東京裁判での瀬島龍三の写真は、私には、明らかにサムライに見える。
彼の後方に写っている白人の中に、私が思うサムライは、誰一人いない。この場で、このように立つ、日本人以外のアジア人は、他に誰もいなかったであろう。日本人でも、ごく一部だけだったであろう。
昭和45年(1970年)11月25日、東京市ヶ谷で、三島由紀夫は最後の演説をした。見渡す限り武士など一人も居ないことを、既に一目でわかっていたが、「諸君はそれでも武士か?」と彼等に向かって叫んだ。そして、その後、切腹した。昭和45年(1970年)には、サムライは、三島由紀夫以外に、殆ど誰もいなかったであろう。
「平成日本のよふけ」という、笑福亭鶴瓶と南原清隆のテレビ番組があって、瀬島龍三が出演したことがあった。その時の瀬島龍三は、もうサムライではなく、むかしサムライだったかもしれない人だった。戦争に負けて、だけど滅びなかった日本人に、「サムライでなくても良い」と、励ましているかのようだった。
瀬島龍三は、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」が好きで、よく歌っていたらしい。「平成日本のよふけ」の中で本人が言っていた。「歌い出し」も「リズム」も「音程」もダメなので、彼が人前で歌うことを、奥さんはとても嫌がっていたとのことだった。
瀬島龍三は、東京に居た時に、母危篤の電報を受けた。それで、上野発の夜行列車に乗った。当時、東京から富山へ行く夜行列車は、すべて上野発だったらしい。電報を受けた日の「上野発の夜行列車」を、彼は衝撃的に強い思いで記憶していたであろう。歌いながら、様々なことを思い出し、もしかしたら、サムライになろうとしていた当時の自分を振り返ることもあったかもしれない。
もう日本にサムライは居ないかもしれないが、瀬島龍三は、かつて、その一人だったと、私は思う。
ソ連が崩壊し、ソ連時代の秘密文書が公開されて、瀬島龍三にまつわる嘘が暴かれたように、これからも、彼に関する根拠のない誹謗中傷は、否定されていくに違いない。
ちなみに、「瀬島中佐」と肩書付きで呼ぶことは、人間・瀬島龍三への、そしてサムライ・瀬島龍三への侮辱です。
私ゃー武士の末裔だが、武士に会ったこたぁ無いですよ。そんなに偉い者んですかねぇ?もし誹謗中傷だったら、著者は文筆家としての命を断たれますよ。書くからには全生命を掛けて、あらゆる面から考察して、一冊の著書を書き上げています。どうとろうと主観の問題ですから結構ですが、読書力が必要かと思います。だいたいサムライは何をしたのでしょうかねぇ。
高身長でキリッとしててイケメンやなぁ
工作員のクズらしいで?
クズにも衣装か?
学会を正々堂々と批判してくれていたのでその面では石原慎太郎氏並みに大いに評価出来る人
彼らの言うこと聞いてりゃ自公連立なんか成立しなかったかも知れないのに
裏切り者の瀬島龍三。
身近な仲間が蛇蝎のように嫌い恨んだ男ですね。頭良かったから1人でも日本人救ってもらいたかった、己の保身と栄達だけに頭使った、あの世に逝って数百万人の英霊に囲まれ反省させられているだろう。自業自得そうで無ければ世の中の闇。