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今、改めて思う。鳥谷伍長殿。生き残って下さり、辛い記憶を語って下さり、深く感謝申し上げます。
今の自民のガラクタ共と腰抜け岸田と腑抜け外務省の糞ども何を思うか❓ないか❓馬鹿の4乗だものな。
この人の言葉は、敗戦国となった日本の残存兵の言葉として後世に残されるべき言葉。100年も経ってない。自分らのおじいちゃんの時代の話。忘れてはいけない、日本の戦争を後世に語り継ぐことができる、貴重な存在
1人でも多くの日本人にこの動画を見て欲しい。日本人であることを誇りに思って生きて欲しい。粉骨砕身で日本を守ってくださった英霊たちに尊敬と感謝を🇯🇵
鳥谷さま、貴重な体験話や思いを私達にお話くださりありがとうございます。心身ともにご健康でいらして聡明な方と見受けます。本当に改めて深く深く感謝します。この大いなる感謝の思いが鳥谷さまに伝わりますように。。。
これが本来あるべきRUclipsの使い方なのかもね。受け継がれるべき記憶
確かに同感👍
ですね。
私も、同感です。🙇
本当に見てよかった。やはり当事者の方の話に勝るものはない。話し方も快活で聞きやすかった。
佐賀県在住の97歳の義母は、唐津高女から勤労動員で久留米のゴム工場で働いていました。大刀洗から特攻が出撃する際には、女工総出で基地まで赴き、滑走路脇で一斉に手を振って見送ったのだそうです。自分と同い年位の人が死地に向けて飛び立つ姿を見て、とても切なく感じた、とのことです。
国宝級の動画
鳥谷さんの証言は永久保存に値すると思います。 元特攻の方の生の声もう聞けないと思う。
涙が出る。本当の言葉。子供達ともう一度拝見致します。
すごい聡明なかただなあと感動。お話しも正確で最後まで聴き入ってしまった。
最後の2分くらいの言葉が胸に刺さります肉体はいつか亡くなってしまうものですがその想いは後世に紡がれていくべきだと思いました。貴重なお話が聞けて良かったです。
この方の経験は本当に貴重。特に特攻は志願ではなく命令、出撃すれば90%は撃墜される、後悔の念が大きい、遺書は検閲されるので白紙で出す、等はほとんど語られない事実であると思います。私はずっと拝見させてもらっていましたが、死ねと命令されたときにどうやって自分を納得させるのか最後まで答えが見つかりませんでした。
共産党の恐ろしさ平和を愚ろうする政権だ‼️深く深く思考する日本人でありたい です。負けるな日本人平和維持するには核を考える事が必要です‼️
しかもそれを20前後で受け止めなきゃいけないのよね。自らの命を誘導装置にしないといけない。いかに覚悟を決めた軍人とはいえ本当は物資があれば能力ある人ほど戦うにしても普通に戦いたかったろう。本当に貴重かつ特攻当事者の本音の話を聞かせて頂いた
この動画を政治家は必ず見るべき。国民を守る立場である国会議員は必ず見るべき。このインタビューをして動画を作ってくださり感謝いたします。また貴重な体験談を語って下さり鳥谷さんには感謝しかありません。日本の為に戦わされた方々のご冥福をお祈りいたします。鳥谷さんをはじめ、戦地に行かれた方々を日本の誇りに思います。
後世へのメッセージ有難うございました。
あなたの話を聞いた人に語り継がれていくんだから、孫どころじゃないですよ。ものすごい数の人に今拡散されつつあります。なんてかっこいい男性なんでしょうか。ありがとうございます。
日露戦争の先輩方に感謝大東亜戦争で散った方々に、本当に感謝しかありません。日本は素晴らしい人材の国です。こんな優秀な国は世界にありません。今は、いい時代ですが、真に人を大事に育ててほしいです。戦争は反対ですが、日本を守らないといけませんね。個人も、自己成長しないと、生きられないです。頑張りましょう!
夫と二人で真剣に烏谷様のお話聞きました。戦争を知らない世代ですが私の祖父は戦争で亡くなり本来継いでいくべき話を聞けなかったことを残念に思っておりました。貴重なお話ありがとうございました。日本が今日あるのも貴方様のような方々のお陰です。お話くださり本当にありがとうございました。あの時代は繰り返しません。絶対に忘れません。
素敵なご夫婦👏
私の祖父も元航空機整備兵で2年前99歳で亡くなりました。当時の写真や伍長の階級証、軍隊手帳や寄せ書きされた日本国旗は今でも保管してます。祖父からも戦争の話はよく聞いておりました。どうか長生きして、後世に語り継いで下さい。祖父とは異なる貴重なお話ありがとうございます。
本当に本当にありがとうございます。日本のためにお疲れ様でした。日本万歳🇯🇵
鳥谷さんも仲間を送るのは辛かったと思います貴重なお話ありがとうございます🙇特攻で散華された方々のご冥福を祈ります今の日本の平和をもたらした方々の為にも゙戦争はしてはならないです
鳥谷様本当にご貴重なお話ありがとうございます。改めて感謝申し上げます。それとこの動画をあげてくれた方々に感謝申し上げます。
ありがとうございます。この話をもっともっとたくさんの人が聞いてくれますように。
生き残れた運と強靭な精神 本当にすごいなって感じます。その時代を体験していないのに、なぜかとても悲しい気持ちにもなりました。
鳥谷様の表情から、戦争の悲惨さや虚しさや悲しみが伝わってきました。学校では教わることのない戦地でのお話はとても貴重です。子供にも伝えて語り継いでいきます。どうぞお元気で長生きされて下さい☘️🐢このような貴重な証言映像を作成して下さり、ありがとう御座います。
後世に永く残すべき肉声。若い人には時間を取って聞いて欲しい。感謝です。
遺書が下手なこと書くと没収され知覧に飾ってあるものも嘘とは言わないが本音とも言えないと体験者の方から言われるととても納得がいきました。。最近行きましたが、あまりにも立派な遺書ばかりで。あれだけ見ると昔の人は字も綺麗で立派で精神が今の私たちと違うのではなんて錯覚を起こしてしまいますが、、、嗚呼やはり本当の体験者の方があの知覧の会館を訪れたらそういう見方になるのかと。嘘でもないし、本音でもない。またその言葉を頭に入れてもう一度知覧を訪れたいと切に思いました。一つ言えることは、若くして遺書を書かされる、書いても本音は書けない、体と心が傷つけられる、涙を流さなきゃいけないこんなこと、もう2度と起こってほしくないです。
何という記憶力でしょう‼️頭脳明晰さが分かります。貴重なお話しをありがとうございます😊
最後の墓場まで持って行きます"どんでん返し"見たら傷つく人もいるんですよと語ったあの記録、、気になります、、何が書かれているのか想像もつきません、、、ご本人が言いたくないもの、壮絶な体験をされたんですもの、あるんでしょうね。。傷つく人がいるから全部は言わない、特攻を語る上で喧嘩されていた方が病気で亡くなるまでこのように話さなかったという所も、お人の優しさが滲み出ていますよね、、、
貴重なお話ありがとうございます。聡明な方です。本当のことを知ることがどれだけ後世にとって必要なことか…
本当にご苦労さまでした。その時代の流れとは言えこの国、ご家族の方の為に命をささげられた方、戦争に行かれた方皆様に、今この幸せな時代に生きていることに感謝いたします。
貴重なお話をありがとうございました。芸能ニュースがトップニュースとして報じられてしまう平和な日本ですが、このような価値のあるお話をメディアは大きく取り上げるべきです。
笑って話をされてますが優秀な方ですね。尊敬します。25歳ころから一緒に働いた人がやはり飛行機乗りだったようですが戦時中のことはほとんど話してくれませんでした。簡単になれるものではなかったんですね。本当にご苦労様でした。ありがとうございました。
私の祖父も16歳ほどでロシアへ抑留され、過酷な中 生き延びて帰ってきたと聞いておりました。祖父が亡くなった後に母から戦時の祖父の話を聞き、色々質問したところ 祖父は母にもその事についてあまり多くは語らなかったようです。今回、実際にシベリアへ行かれた方のお話を聞くことができて 祖父もきっとこのような大変な思いをしてきたんだと思いを馳せることができました。大変貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。どうかこれからもお身体をお大事になさってください。
あの極寒のシベリアりょくりゅう迄経験され、良く生き残って来て下さいました、お疲れ様でした。
永遠に残さないといけない。とても貴重RUclipsより教材にして欲しい
物凄い貴重な話です。
祖父に戦争の話を聞いたことがあるけど、弾丸が頭上を飛び交う中飯を食べていたとか、船に爆弾を落とされて部隊ごと全滅とか、空襲の時逃げた方向で生死が決まったとか等々凄まじ過ぎるのと悲惨過ぎて最後まで聞けませんでした。祖父の妹さんが癌でなくなった時に「病気なんかで死ぬなんて軟弱もんだなぁ」と、お涙頂戴じゃなくて本当にどうしようもねぇなぁみたいな感じで行ってたのを聞いて、どんな地獄を見たらそんな考えになるのか、当時の軍人さんの凄まじさを垣間見ました。てのをこの動画を見て思い出しました。当時軍隊帰りの人たちが第一線で働いてた頃、父が月曜日を思い出すのか、日曜日の夕方に放送される笑点とサザエさん禁止令が出てて、見ようとすると、「サザエさんはみるな!!」と即座にチャンネルを変えられました。今の俺たちは軟弱者だよなぁ。
胸を打つ体験談。当時の深い心情が伝わります。お話に聴き入っているところで余計な音楽が入り、本当に残念でなりません。貴重なお話ですので。
特攻隊でシベリア抑留とは、余りにも過酷で壮絶な戦いをよく生き延びて来られました。体験した人しかわからない真実を淡々と語ってくださその一言の重味に、感銘し、共感して視聴させて頂きました。真実を教えてくださりありがとうございました。
鳥谷さんの貴重なお話を聞けて、自分の生き方を考え直すきっかけになりました。
頑張りましょう‼️
ウチの祖父はシベリア抑留から帰り長い年月がたったある日…戦争は大変だったんだよね?って聞いたら、特攻の命令は断じて無かったと話してくれた…それどころか、「どんな形であれ生きて帰って来い!! 祖国を守るのに命を粗末にする事なかれ!!」と教えられたそうです。部隊や上官によって命令されたり、そうでなかったりしたのでしょうか?祖父の最期に「ワシは祖国の為、戦死した仲間のためにも立派に生きた… 靖国でまた上官や仲間に逢ったら自慢するんだ」と言い残しました。そんな祖父を今でも誇りに思います。
「散る桜、残る桜も散る桜。」日本人としての誇りと先人たちに敬意を持って生きていこうと思いました
満州で特攻隊の学校に通う→終戦をむかえる→ロシアに4年抑留される。2度も大変な目に会われた方なのですね。思い出したくない事も有るでしょうに、戦争体験を話してくださって有難うございます。私の父は話してくれませんでしたが、0815前後にはいつも戦争の映像をTVで見せられて、何があったのか伝えたい様でした。50年を過ぎた辺りから、TVからは流れなくなりました。
貴重なお話ありがとうございました。鳥谷さんは元より亡くなられた方々にお礼を申し上げます。今後もご健康と長生きされる事をお祈りいたします。
とても貴重なお話、どうもありがとうございます。永久保存すべき内容ですね。ずっと残してほしいです。
感動致しました。貴重な体験談をありがとうございます。我々一人ひとりが語り継いでゆかねばなりませんね!
私の祖父もそうでしたが「卑怯」を背負っておそらく帰国しました。だから戦争の話しはほとんどしてくれなかったです。その後の日本の復興に大変寄与され我が親族もこのように平和に暮らしています。それは「忍耐」という気持ちと「誰かのために存在する」という生の使命感がエネルギーを与え続けてくれたなのだろうと思います。当時の先人たちの辛苦に感謝いたします。
この動画は戦争(特攻隊)としての凄く大事な記録だと思います、この動画を多くの国民に観て欲しい、特に子供達に真実を教えられますね。
亡くなった母は満州で看護師になりました。学生期間は2年だったはずが戦況が悪化して病院勤務になって段々と負傷兵が送られてきて「看護婦さん金がいるから血を採ってくれ」と言われる様になり、虚な目の兵隊に「これ以上採ったら死んでしまう」と断り続けたそうです。そして医者達は本土で必要と判断され船で先に帰還していった。母が白衣と看護資格証を持ち港にたどり着くまでに一年かかったそうです。故郷には自分の墓が建っていたのよと教えてくれました。逃げている間にも白衣だけは洗い続けていたそうです。引き揚げ船で見た看護師は母だったかもしれませんね
全ての元特攻隊の方に幸せで暮らしていただきたいものだ
ありがとうございます。日本人の根性を語る帝国海軍を目覚めさせる力があります‼️深く深く思考させる日本人でありたいです。負けるな日本人
凄い方の訓練、実戦記、軍隊のこと聞けて、佐賀県とか、同じ九州、自衛隊も厳しいけど、自衛隊の比じゃ無いなぁと感じました、特攻隊は志願だったも聞きますが、ほとんどが命令、命令無きも、隊のムードが志願しなければならないムードはこれも間接てき命令かと、はっきり言われましたし、特攻は命令だったと、実際訓練、実戦参加された言葉には重み、今の平和に感謝します。
大変貴重な歴史の語りでした。このような体験をされた方がいなくなるとさみしい。事の良し悪しでなく、歴史の事実を大切にしたい。
明治44年生まれ享年95歳で亡くなった祖父もシベリアに抑留されました。が、存命中はシベリア抑留のことは殆ど口にしませんでした。祖父がシベリアから帰還した話は父からのみ。ただ一度だけ、祖父の口から「シベリアではロシアの子供が持っていた鉛筆を盗んで食べた」とだけ聞きました。この方が仰っているように、家庭を持つ人は生き延びたんでしょう。また、祖父も亡くなるまで殆ど病気もせず、老衰で亡くなるほど強い人でした。
私の大叔父もまさにシベリア抑留からギリギリ生きて帰ってきましたが、日本の地を踏んだ時持っていたものは着の身着のままとスプーン一本だったと言っておりました。想像を絶する世界です。そこからどうやって生活を立て直したのか……並々ならぬ苦労があったはず。絶句しました。
生々しいご自分の 戦争体験を 聴かせていただきありがとうございました。自分は 戦後に生まれていて この様な経験は有りませんが この様なお話しからこそ平和がどんなに大切だと思う事ができます。生き証人としての お話しが 聞けて幸いでした。
4年前に他界した祖父も役所勤めをしていた満州で徴兵され、約2年のシベリア抑留を経験しています。祖父のいた収容所では、溝を掘ってそこにご遺体を運ぶように言われていたそうです。労働者としての役割を全うできないと判断された方は、まだ息のある方でもそこに連れていかれる。そこに野犬が現れて、仲間を食い漁っていったと。過酷な状況と寒さ、大声を上げて服を脱ぎ捨て裸で小屋の外へ飛び出して行く人もいたそうです。チフスで亡くなる方も多く、例に漏れず祖父も帰国目前でチフスを発症し、あと2.3日の命だと言うところまでいきました。途中で死んだら捨ててくれても構わないから汽車に乗せてほしいと懇願し、数日後に回復、途中で停車したバイカル湖で顔を洗ったことはよく覚えている。と、シベリア抑留の間の出来事を小さい時からよく聞かせてくれました。が、士官学校へ進むよう通達があったこと・上官に革靴で顔を殴られたこと以外は徴兵され兵隊として過ごした日々については聞かされたことはありません。伝えられること、伝えられないこと、伝えたくないこと、計り知れない思いがあったのだと思います。
貴重なお話ありがとうございました私の祖父もシベリアに抑留されていました。 祖父が亡くなってからキチンと話を聞いておけばと後悔ばかりしています。これからもお話を聞かせて頂きたいです
私も聞いたことがあるんですが、話したがらなかったです。よっぽど辛い経験だったんだろうなと思いました。
特攻に携わった方に敬意と感謝をはらいます。ありがとうございました。
鳥谷さん、話してくださってほんとにありがとうございます。特攻隊、シベリア抑留、しかも原爆が落ちた広島も見たりを経験されてる方がいらっしゃるなんて。生きて帰ってきてくれて本当にによかった😢動画で、お話が聞けてよかったです。鳥谷さんがこうやって生きていたことはきっと戦争を経験してない私たちの為だったのではないかとすら感じます。仲間たちの名前、出身地、みんな忘れずに覚えてらっしゃって、その時代に私たちと同じように生きていた人、普通の人たちのことを身近に感じました。特攻隊は志願の人もいたし、命令の人もいた。国のためという気持ちもあるし、死という恐怖もある。伝えたいこと、これだはということは無いんです。教科書や映画はやはり作り物。本当に経験した人からの言葉は重みが違う。鳥谷さんの話してくださったこと、また聡明で思いやりある鳥谷さんを忘れません。取材され動画にしてくださった方にも本当に感謝です。ありがとうございます。
叔父がシベリア抑留経験者でした。陸軍通信兵でしたが、通信兵は暗号を扱うので厳しい尋問があるそうで、そのことは一切言わなかったそうです。ある日、木を切り出す作業中に材木が頭に当たり気絶し、使い物にならないということで日本への帰還船に乗せられ気がついたら船の上だったそうです。運が作用したのかもしれません。亡くなるまで、政府は抑留者を補償する気はないだろうなと言っていました。抑留で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
祖父がシベリア抑留帰国者です。ロスケ、黒パン、毒草、泡吹く、ネズミ、ヘビ、番犬、腕時計、隙間、マイナス63度、殴られた、立ち小便の氷柱断片的に小学生だった私に話してくれました忘れないようにずっと覚えていて曾孫にあたる私の息子に去年やっと教えはじめました 小さいながらに目に涙をいっぱい溜めて話を聞いていました ちゃんと理解していたように見えました墓参りは今月、来月は靖国にも連れて行きます思想教育ではなくて命を繋いでくれたイケメンだった爺ちゃんの話を真剣に伝えていきたいのです沢山教えて頂き心から感謝致します。ありがとうございました。
貴重なお話有難うございました。
ありがとうございます!
このチャンネルの応援を有り難うございます。頂いたお金は取材費用とし大切に使わさせて頂きます。これからも応援をよろしくお願い致します。
14年前病に倒れた父も、シベリアに抑留されていました。丑年でしたから島谷さんの一年上でした。過酷な抑留生活で亡くなられた方々のご冥福を祈ります。Namushinnyo🙏
皆様救われますようにnamushinnyo🙏
永久保存。明治維新以降日本は多国間武力戦争を続けできました。私の曽祖父は20代に日清、日露戦争に出兵。その息子はインパール作戦で遺骨無し。縁あってシベリア抑留12年の水城正夫さんと上京の寝台列車で同席、徹夜で抑留生活を話して頂きました。共産主義の恐ろしさを知りました。 その話は山崎豊子さんの小説として世に知らされました。また、縁あって小野田寛郎さんとも出会い、ブラジル マトグロッソに出向きました。日本は西欧列国に騙されて、あるいは誤解して、武力戦争をしました。 憂国、愛国の情は偏差値教育の学校ではなく、家庭での家族の絆があって自然に育まれるものでしょう。 貴重な体験談は生きた歴史史料として保存されることを望みます。編集、切り取りされないことを望みます。
話を聞けて感謝しか出て来ません。私の曾祖母さんも生きてれば120歳ほどになりますが戦争の話だけは昔話をしなかった。亡くなってから自分が歳を取るたび、聞いて置きたかったなと思うんです。その人の思う真実が知りたい。
お辛い経験のお話くださいましてありがとうございます。心にとどめておこうと思います。
この動画は、戦争を知らない世代に伝えなくてはならない、貴重な「生きた戦争実話」かと良く頑張って生き残って下さリ、語って下さりありがとうございます!二度とこんな悲惨な戦争がおこらない事を祈ります
ありがとうございます。私達は、貴方達のお陰で今を生きております。本当にありがとうございます。
凄い体験を話して頂きありがとうございます。勇者でしたね。父も特攻隊に組み込まれましたが、終戦で命拾いしました。どうか長生きされますように。
全ての一言一言が非常に重く心に染み入りました、貴重なお話ありがとうございました
日本の為にありがとうございました。そして生きていてくれてありがとうございます。
貴重な体験談をありがとうございました。また、16歳からの訓練と任務お疲れ様でした。過酷なシベリアから、無事ご帰国出来て良かったです。お話しを聞いて、自分の悩みが豆粒の様に感じました。この動画何度も見そうです。。鳥谷さまのご健康とご多幸をお祈りいたします。
僕たち日本人のおじいちゃん有難うございます
お話しされてると16歳のピュアな少年を洗脳して戦争にかりたてたことが😢分かります。この方は本当に素晴らしい方だと思います。貴重な体験をありがとうございます。
鳥谷さん 生きていてくれてありがとうございます それ以上何もありません😢
お話くださりありがとうございます。
大変貴重なお話ありがとうございました。
私の祖父はシベリアに何年もいました。日本に帰ってきましたけど戦争の話を亡くなるまで一切話しませんでした。
総集編ありがとうございます。大変貴重なお話です。
体験談、ありがとうございます。飛行訓練の厳しい話、飛行機の計器を見ないでも体が分かるようにならないと操縦できないという話など、初めて聞き知ることができました。
本当にご苦労様でした。そして、ありがとうございます。
鳥谷さんのお話しされてる動画を拝見できた事に、深い感動と共に、凄く虚しい気持ちになりました。 本人の意思ではなく、強制される人生を受け入れるしかない辛さと過酷さ。 国のため、天皇陛下のためと受け入れるしかない、、。 終戦直後のシベリア抑留、本当にお疲れ様でした。 今も、お元気でご存命な事にも感動しました。 明瞭な記憶力や、語彙力が豊富なので、話しに臨場感を与えてくださいます。 特攻の事も、美談ではなくて本当の気持ちが見えて、何だか、腑に落ちました。 美談で伝えるのではなく、影の真実も伝える事によって、皆が、戦争について考える事が大事なのだと思います。 当時の兵隊様、本当にありがとうございます。 残されたご家族の方々も、本当に いろいろご苦労がおありだったと思います。心が穏やかでありますように、、。 テレビで、有名な元新聞記者の方(年配の男性)の言葉が忘れられません。16才位から〜の若い少年が、生まれて、一度も女性の肌や温もりを知らずして、特攻に行かれたなんて、本当に可愛そう過ぎる。その方々の事を思うと、本当に祈りを捧げたい・・と、言うような話しをされていました。沖縄の知覧や、靖国神社への深い想いも話されていました。還暦過ぎた女性の私にも、心に刺さりました。恋人を残した人、新婚の人、子供が生まれたばかりの人、奥さまのお腹に赤ちゃんが宿った人、親、兄弟・・・いろいろな方々との大切な時間が完全に止まりました。なんて、悲惨な事でしょう。私は、心身が疲れて、この世から消えたいと思った事が有ります。特攻の方々や、兵隊樣の事を想う時、自分が恥ずかしくも有ります。今も、心身には、いろいろ有り健康では有りませんが、命を賭けてくださった方々の事を想う事で、いろいろな事を我慢せず、自分の気持ちに正直に強く生きてみたいと思った次第です。特攻の方々は、強制でしたが、私の人生は自分で選択できますから・・。有り難い事ですよね。特攻隊の遺書のyoutubeを拝見してたら、関連動画として、この動画が、、。 特攻隊の遺書の動画を拝見する度に涙が溢れます。 鳥谷さんがお話しくださった、特攻隊の方の本当の気持ちを知り、少し救われました。 時々ですが、特攻隊の最後の遺書に、天皇陛下万歳と書かれています。 昭和時代は、天皇様も終戦後に、ご自分で人間天皇だと、ご宣言されましたよね。(間違いだったら失礼いたします。) そして、マッカーサーに、ご自身はどんな事も受け入れるから、国民の衣食は守って欲しい、、、、とお話しされたと、、。(何かの情報で見ました。間違っていたら失礼いたします。) 昭和天皇様も、お心を痛められたと思います。 昭和天皇様や、特攻隊の方や、参戦された方は、昭和後の皇室をどうご覧になっておられるのでしょうか。 神様と崇められていた時代、国民の安寧の為にお祈りくださる皇室、、。 時代は移り変わるもの、でも大切に残さないといけない行事や精神、これからの皇室はどのように、、。 至らぬ私ですが、この動画を拝見して、何だか、いろいろ考えてしまいました。 伊勢神宮に参拝したくなりました。 最近、地震も増えて心配ですし、皆様の安心安全が守られますように。。。 皇室の安定と繁栄も...。 今の皇室の話題というと、女性のファッション問題、宮家の豪邸問題、皇位継承問題、皇室の裏事情等々、週刊誌やネットで色々な偏重情報、忖度報道、誘導情報等が目につきます。 底辺庶民の私には、何が真実かは解りませんが、ネット情報を観る度に、、、、これからも、皇室への畏敬の念や、希望を失いたくないと思う今日この頃です。 終戦記念日前に、一人で、先人達に感謝したいと思います。 ありがとうございました。 感謝致します。 最後に、鳥谷さんの勇気有るお言葉に、ありがとうございます。
日本だけでなく、世界中の人が見て欲しい動画ですね。
ヤバ…優しい話し方やのに一つ一つの言葉の重みが強烈過ぎる…
ご無事で良かったです。
生きてくださってありがとうございます。生きて戻って来てくださったからこそ、このような貴重なお話しを聞く事が出来ます。
貴重な体験のお話ありがとうございました。
日本のためにありがとうございました。
この様に貴重なRUclipsを、どうすれば今の若い人達に視聴してもらえるのか、真剣に考えないといけない。80年間、真実から忌避してきた結果、若者を守れない国を作ってしまったと思います。
現にロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ガザ紛争がある今、偏見なくフラットな目でこういう生の戦争体験談、色んな資料などを見て勉強するのが大切ですね。
どれだけ時が経とうと、色褪せようと、決して消してはいけない。この方々が生きた証を、私たちが精一杯生きることで証明したい。まだ20代ですが、実体験はないですが、下の世代に継なげます。
動画の最後 鳥谷さんの写真を見ながらの笑顔がとてもいい笑顔ですね。特攻兵なんて聞くと「気の狂った人」と思われていた様ですが、実際そこに居たのは「今と変わらない若者たち」だったのだと思っています。憧れるものが兵士だっただけなのだと。時代が違うからと言うかもしれないけれど 古の時代からエジプトではピラミッド作ったりしているのだし 欲もつ人間という生き物はそんなに変わらないと思う。私は父方の祖父から戦時中の話はほとんど聞けませんでした(祖父は身体検査で落とされたので兵役に就いていません) 父方の祖母からは家の屋根に登って竹槍で「えいっ えいっ」とやっていたという話は聞きました。それくらいです。とても貴重なお話ありがとうございます。
めちゃくちゃ近所の方だったのでビックリしました。
何十年も経った今、ここまでしっかり記憶として残っているのが凄いと思います。仲間のこと、当時話した内容、行動、全部覚えていらっしゃる。私は一年前のことすら覚えていない…
陸軍で満州。私の母方の祖父さんと会ってたかもですね。祖父もシベリアに送られ生きて還ってきました。30年ほど前に他界しましたが、私が幼少の頃少しだけ戦争の話を聞けました。ほんと、国防を真剣に考えさせられます。戦争を防ぎゃなならん。
RUclipsの有効活用を初めてみた!すごく勉強になるし、素晴らしい取り組みです。後世に伝えていく事、天皇陛下の靖国参拝ができる様になる日本になります様に!日本人の忍耐強さに驚かされます。他国なら賠償、賠償とうるさいでしょうね。本来そうあって然るべき辛い経験だと思います。
8:44 現実をちゃんと教えるのが、本物の先生だなー。。
戦後世代です。50代です。残念ながら、まだ日本は大して変わっていないように思います。ある意味、おっしゃていることが、よくわかってしまいます。日本は同調圧力が滅茶苦茶強い国です。また、しばしば指導者が優秀でないことも変わっていないです。コロナの時の訳わからん同調圧力が、戦時中と同じと感じました。根本は変わっていないですよ、きっと。本人の意思が尊重されないです。憲法でも保障されているのに。基本的人権とか、理解されているのでしょうかと思います。証言ありがとうございます。貴重です。どうしてそんなに特攻隊志願者がいたのか、不思議でしたが、やっぱり、命令だったのですね。納得できました。あるいは他の人も抗議できないような強い強い同調圧力だったのでしょう。若い人の犠牲の精神を弄ぶ卑劣な行為であったと言えるのではないでしょうか。特攻隊指揮官が堂々と生き残り、納得できませんね。インパール作戦など、長官が堂々と生還しています。長文失礼しました。これからも貴重な証言をお願いします。
これはきちんと様々な方の戦争回想録等に書かれていることなのですが、特攻の志願兵を募る用紙の選択欄はなんと、特攻を希望すると熱烈に希望するの2択だったそうです。否が無い。空欄はありますが余計なことなどとても書けるような雰囲気ではなかったと言うことです。私は平和のためにも日本は抑止力を持つべきという考えですが、戦時中のような自由のない半ば全体主義のような国家には戻ってはいけないと思います。まさに大いなる犠牲を払ってようやく成立した憲法の精神を大事にしていかなければ。また言論についてもやはり多様な意見が許されないと危険だと思います。どうしても島国かつ封建時代が長すぎたゆえの限界があるかもですが我々が勉強していくしかありません。
自らの生命を終わらせる訓練をさせられる、やらなければならない日々、私なら心が折れておかしくなってしまいます。それに実際向かい合われた日々はさぞかし苦痛であったでしょう。特攻で逝かれた方々、それを見送られた方々、皆さんのお気持ちを考えると…申し上げる言葉がございません。
1分半のところで辛くなって挫折しそうです。優秀で善良な人たちに死刑宣告と同じ境遇を・・時代とは言え辛すぎます。
現職の自分らに出来ることは多くは無いですが、少しでも抑止力になる様頑張ります。
今、改めて思う。
鳥谷伍長殿。
生き残って下さり、辛い記憶を語って下さり、深く感謝申し上げます。
今の自民のガラクタ共と腰抜け岸田と腑抜け外務省の糞ども何を思うか❓ないか❓馬鹿の4乗だものな。
この人の言葉は、敗戦国となった日本の残存兵の言葉として後世に残されるべき言葉。100年も経ってない。自分らのおじいちゃんの時代の話。忘れてはいけない、日本の戦争を後世に語り継ぐことができる、貴重な存在
1人でも多くの日本人にこの動画を見て欲しい。
日本人であることを誇りに思って生きて欲しい。
粉骨砕身で日本を守ってくださった英霊たちに尊敬と感謝を🇯🇵
鳥谷さま、貴重な体験話や思いを私達にお話くださりありがとうございます。心身ともにご健康でいらして聡明な方と見受けます。本当に改めて深く深く感謝します。この大いなる感謝の思いが鳥谷さまに伝わりますように。。。
これが本来あるべきRUclipsの使い方なのかもね。
受け継がれるべき記憶
確かに同感👍
ですね。
私も、同感です。🙇
本当に見てよかった。やはり当事者の方の話に勝るものはない。話し方も快活で聞きやすかった。
佐賀県在住の97歳の義母は、唐津高女から勤労動員で久留米のゴム工場で働いていました。大刀洗から特攻が出撃する際には、女工総出で基地まで赴き、滑走路脇で一斉に手を振って見送ったのだそうです。自分と同い年位の人が死地に向けて飛び立つ姿を見て、とても切なく感じた、とのことです。
国宝級の動画
鳥谷さんの証言は永久保存に値すると思います。 元特攻の方の生の声もう聞けないと思う。
涙が出る。
本当の言葉。
子供達ともう一度拝見致します。
すごい聡明なかただなあと感動。お話しも正確で最後まで聴き入ってしまった。
最後の2分くらいの言葉が胸に刺さります
肉体はいつか亡くなってしまうものですがその想いは後世に紡がれていくべきだと思いました。
貴重なお話が聞けて良かったです。
この方の経験は本当に貴重。特に特攻は志願ではなく命令、出撃すれば90%は撃墜される、後悔の念が大きい、遺書は検閲されるので白紙で出す、等はほとんど語られない事実であると思います。私はずっと拝見させてもらっていましたが、死ねと命令されたときにどうやって自分を納得させるのか最後まで答えが見つかりませんでした。
共産党の恐ろしさ平和を愚ろうする政権だ‼️深く深く思考する日本人でありたい です。負けるな日本人平和維持するには核を考える事が必要です‼️
しかもそれを20前後で受け止めなきゃいけないのよね。自らの命を誘導装置にしないといけない。いかに覚悟を決めた軍人とはいえ本当は物資があれば能力ある人ほど戦うにしても普通に戦いたかったろう。本当に貴重かつ特攻当事者の本音の話を聞かせて頂いた
この動画を政治家は必ず見るべき。
国民を守る立場である国会議員は必ず見るべき。このインタビューをして動画を作ってくださり感謝いたします。また貴重な体験談を語って下さり鳥谷さんには感謝しかありません。日本の為に戦わされた方々のご冥福をお祈りいたします。鳥谷さんをはじめ、戦地に行かれた方々を日本の誇りに思います。
後世へのメッセージ有難うございました。
あなたの話を聞いた人に語り継がれていくんだから、孫どころじゃないですよ。ものすごい数の人に今拡散されつつあります。なんてかっこいい男性なんでしょうか。ありがとうございます。
日露戦争の先輩方に感謝
大東亜戦争で散った方々に、本当に感謝しかありません。
日本は素晴らしい人材の国です。こんな優秀な国は世界にありません。
今は、いい時代ですが、
真に人を大事に育ててほしいです。
戦争は反対ですが、日本を守らないといけませんね。
個人も、自己成長しないと、生きられないです。
頑張りましょう!
夫と二人で真剣に烏谷様のお話聞きました。戦争を知らない世代ですが私の祖父は戦争で亡くなり本来継いでいくべき話を聞けなかったことを残念に思っておりました。貴重なお話ありがとうございました。日本が今日あるのも貴方様のような方々のお陰です。お話くださり本当にありがとうございました。あの時代は繰り返しません。絶対に忘れません。
素敵なご夫婦👏
私の祖父も元航空機整備兵で2年前99歳で亡くなりました。
当時の写真や伍長の階級証、軍隊手帳や寄せ書きされた日本国旗は今でも保管してます。
祖父からも戦争の話はよく聞いておりました。
どうか長生きして、後世に語り継いで下さい。
祖父とは異なる貴重なお話ありがとうございます。
本当に本当にありがとうございます。
日本のためにお疲れ様でした。日本万歳🇯🇵
鳥谷さんも仲間を送るのは辛かったと思います
貴重なお話ありがとうございます🙇
特攻で散華された方々のご冥福を祈ります
今の日本の平和をもたらした方々の為にも゙戦争はしてはならないです
鳥谷様本当にご貴重なお話ありがとうございます。改めて感謝申し上げます。それとこの動画をあげてくれた方々に感謝申し上げます。
ありがとうございます。この話をもっともっとたくさんの人が聞いてくれますように。
生き残れた運と強靭な精神 本当にすごいなって感じます。その時代を体験していないのに、なぜかとても悲しい気持ちにもなりました。
鳥谷様の表情から、戦争の悲惨さや虚しさや悲しみが伝わってきました。学校では教わることのない戦地でのお話はとても貴重です。子供にも伝えて語り継いでいきます。
どうぞお元気で長生きされて下さい☘️🐢
このような貴重な証言映像を作成して下さり、ありがとう御座います。
後世に永く残すべき肉声。若い人には時間を取って聞いて欲しい。感謝です。
遺書が下手なこと書くと没収され
知覧に飾ってあるものも嘘とは言わないが本音とも言えないと体験者の方から言われるととても納得がいきました。。
最近行きましたが、あまりにも立派な遺書ばかりで。
あれだけ見ると昔の人は字も綺麗で立派で精神が今の私たちと違うのではなんて錯覚を起こしてしまいますが、、、
嗚呼やはり本当の体験者の方があの知覧の会館を訪れたらそういう見方になるのかと。
嘘でもないし、本音でもない。
またその言葉を頭に入れてもう一度知覧を訪れたいと切に思いました。
一つ言えることは、若くして遺書を書かされる、書いても本音は書けない、体と心が傷つけられる、涙を流さなきゃいけないこんなこと、もう2度と起こってほしくないです。
何という記憶力でしょう‼️頭脳明晰さが分かります。貴重なお話しをありがとうございます😊
最後の墓場まで持って行きます
"どんでん返し"
見たら傷つく人もいるんですよと語ったあの記録、、
気になります、、
何が書かれているのか想像もつきません、、、
ご本人が言いたくないもの、壮絶な体験をされたんですもの、あるんでしょうね。。
傷つく人がいるから全部は言わない、特攻を語る上で喧嘩されていた方が病気で亡くなるまでこのように話さなかったという所も、お人の優しさが滲み出ていますよね、、、
貴重なお話ありがとうございます。
聡明な方です。本当のことを知ることがどれだけ後世にとって必要なことか…
本当にご苦労さまでした。その時代の流れとは言えこの国、ご家族の方の為に命をささげられた方、戦争に行かれた方皆様に、今この幸せな時代に生きていることに感謝いたします。
貴重なお話をありがとうございました。芸能ニュースがトップニュースとして報じられてしまう平和な日本ですが、このような価値のあるお話をメディアは大きく取り上げるべきです。
笑って話をされてますが優秀な方ですね。尊敬します。
25歳ころから一緒に働いた人がやはり飛行機乗りだったようですが戦時中のことはほとんど話してくれませんでした。
簡単になれるものではなかったんですね。
本当にご苦労様でした。
ありがとうございました。
私の祖父も16歳ほどでロシアへ抑留され、過酷な中 生き延びて帰ってきたと聞いておりました。
祖父が亡くなった後に母から戦時の祖父の話を聞き、色々質問したところ 祖父は母にもその事についてあまり多くは語らなかったようです。
今回、実際にシベリアへ行かれた方のお話を聞くことができて 祖父もきっとこのような大変な思いをしてきたんだと思いを馳せることができました。
大変貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。どうかこれからもお身体をお大事になさってください。
あの極寒のシベリアりょくりゅう迄経験され、良く生き残って来て下さいました、お疲れ様でした。
永遠に残さないといけない。とても貴重RUclipsより教材にして欲しい
物凄い貴重な話です。
祖父に戦争の話を聞いたことがあるけど、弾丸が頭上を飛び交う中飯を食べていたとか、船に爆弾を落とされて部隊ごと全滅とか、空襲の時逃げた方向で生死が決まったとか等々凄まじ過ぎるのと悲惨過ぎて最後まで聞けませんでした。
祖父の妹さんが癌でなくなった時に「病気なんかで死ぬなんて軟弱もんだなぁ」と、お涙頂戴じゃなくて本当にどうしようもねぇなぁみたいな感じで行ってたのを聞いて、どんな地獄を見たらそんな考えになるのか、当時の軍人さんの凄まじさを垣間見ました。
てのをこの動画を見て思い出しました。
当時軍隊帰りの人たちが第一線で働いてた頃、父が月曜日を思い出すのか、日曜日の夕方に放送される笑点とサザエさん禁止令が出てて、見ようとすると、「サザエさんはみるな!!」と即座にチャンネルを変えられました。
今の俺たちは軟弱者だよなぁ。
胸を打つ体験談。当時の深い心情が伝わります。お話に聴き入っているところで余計な音楽が入り、本当に残念でなりません。貴重なお話ですので。
特攻隊でシベリア抑留とは、余りにも過酷
で壮絶な戦いをよく生き延びて来られました。体験した人しかわからない真実を淡々と語ってくださその一言の重味に、感銘し、共感して視聴させて頂きました。
真実を教えてくださりありがとうございました。
鳥谷さんの貴重なお話を聞けて、自分の生き方を考え直すきっかけになりました。
頑張りましょう‼️
ウチの祖父はシベリア抑留から帰り長い年月がたったある日…
戦争は大変だったんだよね?って聞いたら、特攻の命令は断じて無かったと話してくれた…
それどころか、「どんな形であれ生きて帰って来い!! 祖国を守るのに命を粗末にする事なかれ!!」と教えられたそうです。
部隊や上官によって命令されたり、そうでなかったりしたのでしょうか?
祖父の最期に「ワシは祖国の為、戦死した仲間のためにも立派に生きた… 靖国でまた上官や仲間に逢ったら自慢するんだ」と言い残しました。
そんな祖父を今でも誇りに思います。
「散る桜、残る桜も散る桜。」
日本人としての誇りと先人たちに敬意を持って生きていこうと思いました
満州で特攻隊の学校に通う→終戦をむかえる→ロシアに4年抑留される。2度も大変な目に会われた方なのですね。
思い出したくない事も有るでしょうに、戦争体験を話してくださって有難うございます。私の父は話してくれませんでしたが、0815前後にはいつも戦争の映像をTVで見せられて、何があったのか伝えたい様でした。50年を過ぎた辺りから、TVからは流れなくなりました。
貴重なお話ありがとうございました。鳥谷さんは元より亡くなられた方々にお礼を申し上げます。今後もご健康と長生きされる事をお祈りいたします。
とても貴重なお話、どうもありがとうございます。永久保存すべき内容ですね。ずっと残してほしいです。
感動致しました。貴重な体験談をありがとうございます。我々一人ひとりが語り継いでゆかねばなりませんね!
私の祖父もそうでしたが「卑怯」を背負っておそらく帰国しました。だから戦争の話しはほとんどしてくれなかったです。
その後の日本の復興に大変寄与され我が親族もこのように平和に暮らしています。それは「忍耐」という気持ちと「誰かのために存在する」という生の使命感がエネルギーを与え続けてくれたなのだろうと思います。当時の先人たちの辛苦に感謝いたします。
この動画は戦争(特攻隊)としての凄く大事な記録だと思います、この動画を多くの国民に観て欲しい、特に子供達に真実を教えられますね。
亡くなった母は満州で看護師になりました。学生期間は2年だったはずが戦況が悪化して病院勤務になって段々と負傷兵が送られてきて「看護婦さん金がいるから血を採ってくれ」と言われる様
になり、虚な目の兵隊に「これ以上採ったら死んでしまう」と断り続けたそうです。そして医者達は本土で必要と判断され船で先に帰還していった。母が白衣と看護資格証を持ち港にたどり着くまでに一年かかったそうです。故郷には自分の墓が建っていたのよと教えてくれました。逃げている間にも白衣だけは洗い続け
ていたそうです。引き揚げ船で見た看護師は母だったかもしれませんね
全ての元特攻隊の方に幸せで暮らしていただきたいものだ
ありがとうございます。日本人の根性を語る帝国海軍を目覚めさせる力があります‼️深く深く思考させる日本人でありたいです。負けるな日本人
凄い方の訓練、実戦記、軍隊のこと聞けて、佐賀県とか、同じ九州、自衛隊も厳しいけど、自衛隊の比じゃ無いなぁと感じました、特攻隊は志願だったも聞きますが、ほとんどが命令、命令無きも、隊のムードが志願しなければならないムードはこれも間接てき命令かと、はっきり言われましたし、特攻は命令だったと、実際訓練、実戦参加された言葉には重み、今の平和に感謝します。
大変貴重な歴史の語りでした。
このような体験をされた方がいなくなるとさみしい。
事の良し悪しでなく、歴史の事実を大切にしたい。
明治44年生まれ享年95歳で亡くなった祖父もシベリアに抑留されました。
が、存命中はシベリア抑留のことは殆ど口にしませんでした。
祖父がシベリアから帰還した話は父からのみ。
ただ一度だけ、祖父の口から「シベリアではロシアの子供が持っていた鉛筆を盗んで食べた」とだけ聞きました。
この方が仰っているように、家庭を持つ人は生き延びたんでしょう。
また、祖父も亡くなるまで殆ど病気もせず、老衰で亡くなるほど強い人でした。
私の大叔父もまさにシベリア抑留からギリギリ生きて帰ってきましたが、日本の地を踏んだ時持っていたものは着の身着のままとスプーン一本だったと言っておりました。想像を絶する世界です。そこからどうやって生活を立て直したのか……並々ならぬ苦労があったはず。絶句しました。
生々しいご自分の 戦争体験を 聴かせていただきありがとうございました。自分は 戦後に生まれていて この様な経験は有りませんが この様なお話しからこそ平和がどんなに大切だと思う事ができます。生き証人としての お話しが 聞けて幸いでした。
4年前に他界した祖父も役所勤めをしていた満州で徴兵され、約2年のシベリア抑留を経験しています。
祖父のいた収容所では、溝を掘ってそこにご遺体を運ぶように言われていたそうです。
労働者としての役割を全うできないと判断された方は、まだ息のある方でもそこに連れていかれる。
そこに野犬が現れて、仲間を食い漁っていったと。
過酷な状況と寒さ、大声を上げて服を脱ぎ捨て裸で小屋の外へ飛び出して行く人もいたそうです。
チフスで亡くなる方も多く、例に漏れず祖父も帰国目前でチフスを発症し、あと2.3日の命だと言うところまでいきました。
途中で死んだら捨ててくれても構わないから汽車に乗せてほしいと懇願し、数日後に回復、途中で停車したバイカル湖で顔を洗ったことはよく覚えている。
と、シベリア抑留の間の出来事を小さい時からよく聞かせてくれました。
が、士官学校へ進むよう通達があったこと・上官に革靴で顔を殴られたこと以外は徴兵され兵隊として過ごした日々については聞かされたことはありません。
伝えられること、伝えられないこと、伝えたくないこと、計り知れない思いがあったのだと思います。
貴重なお話ありがとうございました
私の祖父もシベリアに抑留されていました。
祖父が亡くなってからキチンと話を聞いておけばと後悔ばかりしています。
これからもお話を聞かせて頂きたいです
私も聞いたことがあるんですが、話したがらなかったです。よっぽど辛い経験だったんだろうなと思いました。
特攻に携わった方に敬意と感謝をはらいます。ありがとうございました。
鳥谷さん、話してくださってほんとにありがとうございます。
特攻隊、シベリア抑留、しかも原爆が落ちた広島も見たりを経験されてる方がいらっしゃるなんて。
生きて帰ってきてくれて本当にによかった😢
動画で、お話が聞けてよかったです。
鳥谷さんがこうやって生きていたことはきっと戦争を経験してない私たちの為だったのではないかとすら感じます。
仲間たちの名前、出身地、みんな忘れずに覚えてらっしゃって、その時代に私たちと同じように生きていた人、普通の人たちのことを身近に感じました。
特攻隊は志願の人もいたし、命令の人もいた。
国のためという気持ちもあるし、死という恐怖もある。
伝えたいこと、これだはということは無いんです。
教科書や映画はやはり作り物。
本当に経験した人からの言葉は重みが違う。
鳥谷さんの話してくださったこと、また聡明で思いやりある鳥谷さんを忘れません。
取材され動画にしてくださった方にも本当に感謝です。
ありがとうございます。
叔父がシベリア抑留経験者でした。陸軍通信兵でしたが、通信兵は暗号を扱うので厳しい尋問があるそうで、そのことは一切言わなかったそうです。ある日、木を切り出す作業中に材木が頭に当たり気絶し、使い物にならないということで日本への帰還船に乗せられ気がついたら船の上だったそうです。運が作用したのかもしれません。亡くなるまで、政府は抑留者を補償する気はないだろうなと言っていました。抑留で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
祖父がシベリア抑留帰国者です。
ロスケ、黒パン、毒草、泡吹く、ネズミ、ヘビ、番犬、腕時計、隙間、マイナス63度、殴られた、立ち小便の氷柱
断片的に小学生だった私に話してくれました
忘れないようにずっと覚えていて曾孫にあたる私の息子に去年やっと教えはじめました
小さいながらに目に涙をいっぱい溜めて話を聞いていました ちゃんと理解していたように見えました
墓参りは今月、来月は靖国にも連れて行きます
思想教育ではなくて命を繋いでくれたイケメンだった爺ちゃんの話を真剣に伝えていきたいのです
沢山教えて頂き心から感謝致します。
ありがとうございました。
貴重なお話有難うございました。
ありがとうございます!
このチャンネルの応援を有り難うございます。頂いたお金は取材費用とし大切に使わさせて頂きます。これからも応援をよろしくお願い致します。
14年前病に倒れた父も、シベリアに抑留されていました。丑年でしたから島谷さんの一年上でした。過酷な抑留生活で亡くなられた方々のご冥福を祈ります。Namushinnyo🙏
皆様救われますように
namushinnyo🙏
永久保存。明治維新以降日本は多国間武力戦争を続けできました。
私の曽祖父は20代に日清、日露戦争に出兵。その息子はインパール作戦で遺骨無し。
縁あってシベリア抑留12年の水城正夫さんと上京の寝台列車で同席、徹夜で抑留生活を話して頂きました。共産主義の恐ろしさを知りました。 その話は山崎豊子さんの小説として世に知らされました。
また、縁あって小野田寛郎さんとも出会い、ブラジル マトグロッソに出向きました。
日本は西欧列国に騙されて、あるいは誤解して、武力戦争をしました。 憂国、愛国の情は偏差値教育の学校ではなく、家庭での家族の絆があって自然に育まれるものでしょう。 貴重な体験談は生きた歴史史料として保存されることを望みます。
編集、切り取りされないことを望みます。
話を聞けて感謝しか出て来ません。
私の曾祖母さんも生きてれば120歳ほどになりますが戦争の話だけは昔話をしなかった。
亡くなってから自分が歳を取るたび、聞いて置きたかったなと思うんです。
その人の思う真実が知りたい。
お辛い経験のお話くださいましてありがとうございます。
心にとどめておこうと思います。
この動画は、戦争を知らない世代に
伝えなくてはならない、貴重な「生きた戦争実話」かと
良く頑張って生き残って下さリ、語って下さりありがとうございます!
二度とこんな悲惨な戦争がおこらない事を祈ります
ありがとうございます。
私達は、貴方達のお陰で今を生きております。
本当にありがとうございます。
凄い体験を話して頂きありがとうございます。勇者でしたね。父も特攻隊に組み込まれましたが、終戦で命拾いしました。どうか長生きされますように。
全ての一言一言が非常に重く心に染み入りました、貴重なお話ありがとうございました
日本の為にありがとうございました。
そして生きていてくれてありがとうございます。
貴重な体験談をありがとうございました。また、16歳からの訓練と任務お疲れ様でした。過酷なシベリアから、無事ご帰国出来て良かったです。お話しを聞いて、自分の悩みが豆粒の様に感じました。この動画何度も見そうです。。鳥谷さまのご健康とご多幸をお祈りいたします。
僕たち日本人のおじいちゃん
有難うございます
お話しされてると16歳のピュアな少年を洗脳して戦争にかりたてたことが😢分かります。
この方は本当に素晴らしい方だと思います。貴重な体験をありがとうございます。
鳥谷さん 生きていてくれてありがとうございます それ以上何もありません😢
お話くださりありがとうございます。
大変貴重なお話ありがとうございました。
私の祖父はシベリアに何年もいました。
日本に帰ってきましたけど戦争の話を亡くなるまで一切話しませんでした。
総集編ありがとうございます。大変貴重なお話です。
体験談、ありがとうございます。
飛行訓練の厳しい話、飛行機の計器を見ないでも体が分かるようにならないと操縦できないという話など、初めて聞き知ることができました。
本当にご苦労様でした。
そして、ありがとうございます。
鳥谷さんのお話しされてる動画を拝見できた事に、深い感動と共に、凄く虚しい気持ちになりました。 本人の意思ではなく、強制される人生を受け入れるしかない辛さと過酷さ。 国のため、天皇陛下のためと受け入れるしかない、、。 終戦直後のシベリア抑留、本当にお疲れ様でした。 今も、お元気でご存命な事にも感動しました。 明瞭な記憶力や、語彙力が豊富なので、話しに臨場感を与えてくださいます。 特攻の事も、美談ではなくて本当の気持ちが見えて、何だか、腑に落ちました。 美談で伝えるのではなく、影の真実も伝える事によって、皆が、戦争について考える事が大事なのだと思います。 当時の兵隊様、本当にありがとうございます。 残されたご家族の方々も、本当に いろいろご苦労がおありだったと思います。心が穏やかでありますように、、。
テレビで、有名な元新聞記者の方(年配の男性)の言葉が忘れられません。
16才位から〜の若い少年が、生まれて、一度も女性の肌や温もりを知らずして、特攻に行かれたなんて、本当に可愛そう過ぎる。
その方々の事を思うと、本当に祈りを捧げたい・・と、言うような話しをされていました。
沖縄の知覧や、靖国神社への深い想いも話されていました。
還暦過ぎた女性の私にも、心に刺さりました。
恋人を残した人、新婚の人、子供が生まれたばかりの人、奥さまのお腹に赤ちゃんが宿った人、親、兄弟・・・いろいろな方々との大切な時間が完全に止まりました。
なんて、悲惨な事でしょう。
私は、心身が疲れて、この世から消えたいと思った事が有ります。
特攻の方々や、兵隊樣の事を想う時、自分が恥ずかしくも有ります。
今も、心身には、いろいろ有り健康では有りませんが、命を賭けてくださった方々の事を想う事で、いろいろな事を我慢せず、自分の気持ちに正直に強く生きてみたいと思った次第です。
特攻の方々は、強制でしたが、私の人生は自分で選択できますから・・。
有り難い事ですよね。
特攻隊の遺書のyoutubeを拝見してたら、関連動画として、この動画が、、。 特攻隊の遺書の動画を拝見する度に涙が溢れます。 鳥谷さんがお話しくださった、特攻隊の方の本当の気持ちを知り、少し救われました。 時々ですが、特攻隊の最後の遺書に、天皇陛下万歳と書かれています。 昭和時代は、天皇様も終戦後に、ご自分で人間天皇だと、ご宣言されましたよね。(間違いだったら失礼いたします。) そして、マッカーサーに、ご自身はどんな事も受け入れるから、国民の衣食は守って欲しい、、、、とお話しされたと、、。(何かの情報で見ました。間違っていたら失礼いたします。) 昭和天皇様も、お心を痛められたと思います。 昭和天皇様や、特攻隊の方や、参戦された方は、昭和後の皇室をどうご覧になっておられるのでしょうか。 神様と崇められていた時代、国民の安寧の為にお祈りくださる皇室、、。 時代は移り変わるもの、でも大切に残さないといけない行事や精神、これからの皇室はどのように、、。
至らぬ私ですが、この動画を拝見して、何だか、いろいろ考えてしまいました。 伊勢神宮に参拝したくなりました。 最近、地震も増えて心配ですし、皆様の安心安全が守られますように。。。 皇室の安定と繁栄も...。
今の皇室の話題というと、女性のファッション問題、宮家の豪邸問題、皇位継承問題、皇室の裏事情等々、週刊誌やネットで色々な偏重情報、忖度報道、誘導情報等が目につきます。 底辺庶民の私には、何が真実かは解りませんが、ネット情報を観る度に、、、、これからも、皇室への畏敬の念や、希望を失いたくないと思う今日この頃です。 終戦記念日前に、一人で、先人達に感謝したいと思います。 ありがとうございました。 感謝致します。
最後に、鳥谷さんの勇気有るお言葉に、ありがとうございます。
日本だけでなく、世界中の人が見て欲しい動画ですね。
ヤバ…
優しい話し方やのに一つ一つの言葉の重みが強烈過ぎる…
ご無事で良かったです。
生きてくださってありがとうございます。
生きて戻って来てくださったからこそ、このような貴重なお話しを聞く事が出来ます。
貴重な体験のお話ありがとうございました。
日本のためにありがとうございました。
この様に貴重なRUclipsを、どうすれば今の若い人達に視聴してもらえるのか、真剣に考えないといけない。
80年間、真実から忌避してきた結果、若者を守れない国を作ってしまったと思います。
現にロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ガザ紛争がある今、偏見なくフラットな目でこういう生の戦争体験談、色んな資料などを見て勉強するのが大切ですね。
どれだけ時が経とうと、色褪せようと、決して消してはいけない。
この方々が生きた証を、私たちが精一杯生きることで証明したい。
まだ20代ですが、実体験はないですが、下の世代に継なげます。
動画の最後 鳥谷さんの写真を見ながらの笑顔がとてもいい笑顔ですね。特攻兵なんて聞くと「気の狂った人」と思われていた様ですが、実際そこに居たのは「今と変わらない若者たち」だったのだと思っています。憧れるものが兵士だっただけなのだと。時代が違うからと言うかもしれないけれど 古の時代からエジプトではピラミッド作ったりしているのだし 欲もつ人間という生き物はそんなに変わらないと思う。
私は父方の祖父から戦時中の話はほとんど聞けませんでした(祖父は身体検査で落とされたので兵役に就いていません) 父方の祖母からは家の屋根に登って竹槍で「えいっ えいっ」とやっていたという話は聞きました。それくらいです。
とても貴重なお話ありがとうございます。
めちゃくちゃ近所の方だったのでビックリしました。
何十年も経った今、ここまでしっかり記憶として残っているのが凄いと思います。仲間のこと、当時話した内容、行動、全部覚えていらっしゃる。
私は一年前のことすら覚えていない…
陸軍で満州。私の母方の祖父さんと会ってたかもですね。
祖父もシベリアに送られ生きて還ってきました。30年ほど前に他界しましたが、私が幼少の頃少しだけ戦争の話を聞けました。
ほんと、国防を真剣に考えさせられます。戦争を防ぎゃなならん。
RUclipsの有効活用を初めてみた!
すごく勉強になるし、素晴らしい取り組みです。
後世に伝えていく事、天皇陛下の靖国参拝ができる様になる日本になります様に!
日本人の忍耐強さに驚かされます。
他国なら賠償、賠償とうるさいでしょうね。
本来そうあって然るべき辛い経験だと思います。
8:44
現実をちゃんと教えるのが、本物の先生だなー。。
戦後世代です。50代です。残念ながら、まだ日本は大して変わっていないように思います。ある意味、おっしゃていることが、よくわかってしまいます。日本は同調圧力が滅茶苦茶強い国です。また、しばしば指導者が優秀でないことも変わっていないです。コロナの時の訳わからん同調圧力が、戦時中と同じと感じました。根本は変わっていないですよ、きっと。本人の意思が尊重されないです。憲法でも保障されているのに。基本的人権とか、理解されているのでしょうかと思います。証言ありがとうございます。貴重です。どうしてそんなに特攻隊志願者がいたのか、不思議でしたが、やっぱり、命令だったのですね。納得できました。あるいは他の人も抗議できないような強い強い同調圧力だったのでしょう。若い人の犠牲の精神を弄ぶ卑劣な行為であったと言えるのではないでしょうか。特攻隊指揮官が堂々と生き残り、納得できませんね。インパール作戦など、長官が堂々と生還しています。長文失礼しました。これからも貴重な証言をお願いします。
これはきちんと様々な方の戦争回想録等に書かれていることなのですが、特攻の志願兵を募る用紙の選択欄はなんと、特攻を希望すると熱烈に希望するの2択だったそうです。否が無い。空欄はありますが余計なことなどとても書けるような雰囲気ではなかったと言うことです。
私は平和のためにも日本は抑止力を持つべきという考えですが、戦時中のような自由のない半ば全体主義のような国家には戻ってはいけないと思います。まさに大いなる犠牲を払ってようやく成立した憲法の精神を大事にしていかなければ。また言論についてもやはり多様な意見が許されないと危険だと思います。どうしても島国かつ封建時代が長すぎたゆえの限界があるかもですが我々が勉強していくしかありません。
自らの生命を終わらせる訓練をさせられる、やらなければならない日々、私なら心が折れておかしくなってしまいます。
それに実際向かい合われた日々はさぞかし苦痛であったでしょう。
特攻で逝かれた方々、それを見送られた方々、皆さんのお気持ちを考えると…申し上げる言葉がございません。
1分半のところで辛くなって挫折しそうです。優秀で善良な人たちに死刑宣告と同じ境遇を・・時代とは言え辛すぎます。
現職の自分らに出来ることは多くは無いですが、少しでも抑止力になる様頑張ります。