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The sorrow and suffering of highly educated soldiers who were conscripted into the military

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  • Опубликовано: 2 май 2024
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    [Hintergrundmusik]
    OtoLogic „In dieser Stimmung“
    [Verweise]
    Bildungshintergrund, Rang und Militär Der melancholische Alltag hochgebildeter Soldaten: Rieko Takada, Chuko Shinsho, 1. Juli 2008
    Fragen im Zusammenhang mit der Besetzung Französisch-Indochinas durch die japanische Armee; Kyoichi Tachikawa, „Annual Report on Military History“ Nr. 21, März 2018
    Geschichte der Sozialpädagogik für Militäroffiziere (1) (2): Teruyuki Hirota, Chikuma Gakugei Bunko, 10. Juli 2021
    Japans modernes bürokratisches Erscheinungsbild: Sanko Mizutani, Chuokoronsha, 10. August 1999
    [Bild oben]
    CC BY-SA 4.0
    creativecommon...

Комментарии • 141

  • @Nis-vl6xg
    @Nis-vl6xg 3 месяца назад +74

    堺屋太一が「大卒や大学生を一兵卒として軍隊に引っ張ったのは日本だけだ。アメリカでは大卒や大学生だからこれぐらい教えたら士官として使い物になるだろう。と、短期の教育の後に士官として軍隊に編入させた。戦争指揮や戦闘指揮を軽く考えていたのは日本の方だった」みたいな事を書いていたな。

    • @aonegi3bon847
      @aonegi3bon847 3 месяца назад +9

      選択制なんだよね。徴兵期間が違ってくるから二等兵を選択する人がいた。
      幹候選んだら2期4年になる。
      二等兵を選択したら平時は2年で任期満了。検査で「丙」だったら二週間で除隊できる。
      18年でも「丙」2週間狙いで二等兵を選ぶ人がいた。

    • @Nis-vl6xg
      @Nis-vl6xg 3 месяца назад +5

      なる程 徴兵される方としてはその様な事情があるんだね。
      一方で軍上層部としてはそれまで考える等知的な訓練を数年間施された人材を活用しようと云う発想が皆無だった事は戦争を単純作業の様に捉えて高度な知的作業とは無縁と考えていた様にも思えますね

    • @henryglaywork
      @henryglaywork 3 месяца назад +24

      そもそもアメリカの大学では戦前の1920年代から現在に至るまで軍事学が必修科目になっている。
      大学によっては定められた単位を取得する事で士官候補生になれる制度がある。
      アメリカ軍には大卒から手っ取り早く士官候補生を採用する土壌が備わっており、これは沖縄戦で下級士官の戦死率が高く日替わりで小隊長クラスが取っ替え引っ替えになっても人員補充が追いついた理由の一つだったと言われている。
      日本では戦前から現在にかけて基本的に軍事学を必修科目は愚か学問として学ぶ機会は無かった。
      戦時中には学校教練があったが、それは士官候補生として相応しい人材育成には不十分だった。
      だから日本軍は消耗率の激しい小隊長クラスの下級士官補充に苦労した。
      戦前のアメリカをよく知る士官達は日本の大学もアメリカの大学と同じように軍事学を必修科目とし、大卒者を手っ取り早く士官候補生に仕立て上げる土壌が必要と嘆いていた。
      因みに、マサチューセッツ工科大学等のアメリカで有名な名門大学出身者が何故マネージメントスキルが高くビジネスに成功しやすいのかという理由として軍事学を学んでいるからという説もある。

    • @Supershark-lt5vv
      @Supershark-lt5vv 3 месяца назад

      理工学科の連中は学徒動員は免れてねぇか?👁️🇯🇵 身内に甘くなったのは明治以降の大将の東條英機からや👁️👁️
      ちなみに中国共産党は昔から身内に甘いわな🇨🇳🤣🤣🤣

    • @yumetami2
      @yumetami2 3 месяца назад +1

      ランチェスターの法則をビジネスシーンに応用というのを知って何だか納得した。

  • @user-vw2cg6kb7p
    @user-vw2cg6kb7p 3 месяца назад +34

    私が大学生の頃は、学徒兵として従軍した経験のある教授がまだ大学におりました。
    隣の研究室の教授は海軍予備学生で搭乗員だったそうです。「農学部だから徴兵免除されると思ってたけど専攻が農業経済だから免除されなかったなぁ。海軍の方が陸軍よりマシそうだから志願したけど、あまり恵まれた扱いはされませんでしたね。」とのことでした。
    私の指導教官は陸軍にいたようですが、敗戦の時は陸士に在籍し、戦後、大学に進学したそうです。「あの頃は兵役が避けられなかったなぁ。インテリなんて軍隊じゃイジメられるのは分かってましたからね。中学出たら素直に陸士へ進んだのですよ。」と語っておりました。
    両名ともすでに鬼籍に入っております。今度、お墓参りに伺いたいと思います。

    • @Supershark-lt5vv
      @Supershark-lt5vv 3 месяца назад +1

      そんな時代ですよ。🇯🇵 幼年学校の出身者が予科士官候補生を見下していたエリート主義でしたから今の中国のエリート意識🇨🇳と変わらない。

  • @user-dn4sf9du2c
    @user-dn4sf9du2c 3 месяца назад +38

    足りない初級幹部を大卒ROTCでうまく活用したアメリカに負けるのは当たり前(苦笑)

  • @akirayosii8743
    @akirayosii8743 2 месяца назад +3

    学徒でない圧倒的多数の若者は強制的に兵士にされているのに学徒動員が特別扱いされて
    その悲劇を語りすぎている

  • @ymnewSeed
    @ymnewSeed 3 месяца назад +11

    祖父の軍隊体験も悲惨だった。内務班古参兵や下士官の中には、幼少時からの貧乏と虐待、さらに中支での戦場のトラウマによって人格崩壊した人がいて、その人たちが秋季大演習などで人を〇したり、放火して大火事になったりと様々な不祥事が起こったが、憲兵などの手で全て闇に葬られたという話を聞いて驚いた事がある。
    祖父が所属した部隊のある下士官は真夏に飲まず食わずの強行軍演習があった際、大勢が熱中症で倒れたのに腹を立て、鉄の棒で倒れた兵を次々と叩いて回り、およそ十五人を〇害して自〇する事件を起こしたが、外部には一切が伏せられていて、死因も軍医が個々バラバラに捏造した死亡診断書を書いて遺族へ渡したという話も聞いた。
    その下士官はなぜか勝ち誇ったような輝く笑顔で「軍の目的は死ぬことにある」と嬉しそう語り、銃剣を腹部に突き立てたそうだ。
    旧軍の玉砕の背景はこうした異常者の強要もあったのだろう。

    • @user-yc1eo3of3l
      @user-yc1eo3of3l 3 месяца назад

      あんたそらおかしいで。
      どう見ても不自然。
      演習で倒れた兵卒を下士官が殺害する?
      憲兵隊が抹殺する?
      真空地帯よりもヘン。
      戦後の入り知恵も大概にしいや。

  • @abbtk14
    @abbtk14 3 месяца назад +49

    対米戦争が始まっていても大学生は登山に興じ、地元民に対しエリート意識丸出し…なんて話もあるし、そんな浮世離れしている人達が庶民のルツボたる軍隊に放り込まれたらまあひどいことになるでしょうね。でも更なる上級国民達はあの手この手で徴兵逃れに成功していたし、いずれにせよ理不尽…。

    • @user-lm6lu8ob1t
      @user-lm6lu8ob1t 3 месяца назад +16

      第一師団の主計少尉が、青山学院大学卒業で山岳部を楽しみ、入営するまで女学生とハイキングしていた話が有名ですね。

    • @73moto
      @73moto 3 месяца назад

      キムタクが主演のドラマで南極大陸で主人公のキムタクは戦時中は東大の学生で山登りをしていたが、同世代の青年が戦地や軍需工場で働いて居るのに理不尽に思った。

    • @yskztkhs7986
      @yskztkhs7986 3 месяца назад

      日本はそんなもんだよ。米国は最高の頭脳が積極的に戦争にかかわるけど、日本は違うんだよ。米国の場合、超エリートのケネディみたいに志願するけど日本は学徒出陣まで参加しない。東大の数学科なんて、疎開先で特別配給もらいながら軍に協力するふりをして何もしなかった。嘘のようだけど本当の話。石破が雑誌で、米国と違い学徒出陣までエリートたちが戦争に行こうとしなかった日本が戦争に負けるのは当然みたいなことを言ってたなあ

    • @user-ds6lh1fz2y
      @user-ds6lh1fz2y 3 месяца назад +2

      明治志士の孫の西園寺公一なんてゾルゲで捕まってるのに戦後に政治家になってるし

    • @crowold3025
      @crowold3025 3 месяца назад

      私の伯父は一橋大学の山岳部のリーダーでしたが、初年兵の時は班長に目を付けられ、顔が変形するほど毎日殴らていたそうです。

  • @user-nv8gm3gc2z
    @user-nv8gm3gc2z 2 дня назад +2

    貴重な動画ありがとうございます。昔は男性は「軍隊に入って一人前」という考えがありました。頭が良いか悪いか関係なく、徴兵検査に合格できることが男性としての価値の一つだったのです。当時の大学生は一般社会とはかけ離れた世界に生きていた一部の人々です。従軍体験は世間知らずだった学生にとって良い体験だったのでは?戦後めざましい活躍する人がたくさんでましたが、戦時中の従軍体験が良い結果をもたらしたと思います。

  • @user-zr8ic8gu7b
    @user-zr8ic8gu7b 3 месяца назад +26

    会田雄次先生も京都大学の講師時代に徴兵されて戦線崩壊状態のビルマに送られ、戦後は英軍の収容所で苦労された事を『アーロン収容所』で語られてますが、初年兵時に職人や丁稚上りの古参兵から散々殴られたり嫌味を言われた事も書かれてます。
    また、松本清張は小学校卒でしたが、軍隊はある意味平等な社会だったと書いていますね。
    昭和6年生まれでバリバリの元軍国少年だった私の父は、「大東亜戦争」派でした。大東亜共栄圏の歌もよく聞かされました🥹。

    • @user-ww9qf8je2e
      @user-ww9qf8je2e 3 месяца назад +6

      私の父は大正6年生で終戦時は大尉だったのですが進級して少佐でポツダム少佐と良く自傷気味に言っていましたね。
      父は酔うと士官学校校歌をよく聞かされました。今でもカラオケにあると歌えます。

    • @user-er9fu4ej5e
      @user-er9fu4ej5e 3 месяца назад +2

      ​@@user-ww9qf8je2e終戦時に大尉だったのになぜ特進しているのでしょうか?戦後に少佐?大本営、人事課がおかしいですね

    • @user-ww9qf8je2e
      @user-ww9qf8je2e 3 месяца назад +9

      ​@@user-er9fu4ej5eさん、陸軍省は戦後も暫く存在をしていましたから将兵を進級させることは可能です。ホツダム進級というやつです。1階級でも進級をしていると戦後に年金や軍人恩給の支給額に差が出ますからその様に陸軍省がしたんじゃないでしょうか?海軍省も同様な処置をしたと思います。父は復員船で内地に帰ってきて自分が少佐に進級しているのを知って驚いたとも言っていましたね。

    • @user-er9fu4ej5e
      @user-er9fu4ej5e 3 месяца назад +2

      @@user-ww9qf8je2e へーワシの大学の教授は戦後末期の研究家で、当時8月下旬に兵隊の間で大騒ぎになったのは階級が上だと全員無期か4刑(後の巣鴨プリズンなど)行きと噂になり無理やり軍法会議に引っかかる小さな悪さを9月2日までにして階級下げた人しか知らないと。戦後直後処刑対象の少佐より上に行って喜ぶ人がいたんすか。結果論的には恩給が上がって良かったでしょうけど、ソ連が下士官↑日本兵軍人37564するって憶測の中でよく受けましたね

    • @user-ww9qf8je2e
      @user-ww9qf8je2e 3 месяца назад +3

      @@user-er9fu4ej5e 捕虜になっていた多くの将校は知らんかったでしょうね。父も昭和22年に内地に復員して初めて知って驚いたと言っていましたからね。戦争犯罪裁判なら身柄拘束中の捕虜の時に収容所内でするはずですからね。結果的に私が生まれているから何もなかったのじゃないでしょうかね。

  • @tryo2115
    @tryo2115 2 месяца назад +2

    私の祖父は今で言う工業高校卒だったらしく、整備兵として徴兵され北朝鮮と中国の国境あたりに配属されたから、戦闘しないでいる間に病気になって帰国したらしい。

  • @teruakishimada6660
    @teruakishimada6660 3 месяца назад +10

    うちのじいちゃん(京大卒)は、「陛下の赤子をなぜ殴るのか」と言って中隊長に食ってかかったと。兵隊元帥の人事係准尉がウチの作男の家だったので
    早速ひいばあちゃんが部隊に行って来年からウチの田に入るなと言ったら、人事係准尉が毎朝内務班に迎えに来て事務室で文書作成?だったとか

    • @user-xs5lk1ri5x
      @user-xs5lk1ri5x 3 месяца назад +2

      なんともはや

    • @user-wb3qi2ew6l
      @user-wb3qi2ew6l 3 месяца назад +4

      地方での格差がメンコの数より勝っていて草不可避www

  • @TS-lr6ht
    @TS-lr6ht 3 месяца назад +6

    現代の職場でも新入社員は一旦現場に配属する所もあって、仮に短い期間でも実状を知り得る事に意味はあるのかもしれません
    むしろ問題はそれを指示している方が全くわかっていなかったりするところでしょう

  • @user-lm6lu8ob1t
    @user-lm6lu8ob1t 3 месяца назад +8

    大東亜戦争下、徴兵を受けた兵士は、①結核等の症状が悪化するか、戦地でかなりの負傷で除隊出来るかしかなく、満期除隊即再召集と呼ばれる様に6年以上の延々と軍務を継続しなければならない。
    ②階級的にも、満期までに上等兵になれれば、まだ先があるけど、万年一等兵が多数出現して、うんだ日々を強要された。
    比して、旧制中学卒業以上なら、召集時に幹部候補生の志願の意思確認がされ、甲種なら将校へ、乙種なら下士官への道が拓かれ、内務班の基礎教育は概ね三ヶ月でした。
    つまり、軍隊を何も知らない新兵が、三ヶ月で上等兵になり上官になるのに不満が湧いたのも理解が出来ます。
    但し、学徒出陣の東京帝大生にも、内務班でノイローゼになり、兵舎に放火した者もいて、栗林中将が放火事件の責めで109師団の師団長に転出して、硫黄島に派遣されています。

    • @Supershark-lt5vv
      @Supershark-lt5vv 3 месяца назад

      根こそぎ動員は今のロシア🇷🇺と同じです。日中戦争初期の大正生まれの将校の方々がかなりの確率で戦死されて質が下がったのは本当です👋👋 不足により根こそぎ動員👁️

  • @user-hm1mj6mw3y
    @user-hm1mj6mw3y 3 месяца назад +19

    後の住友銀行の頭取となった伊部恭之助氏が30代半ばの支店長時代に陸軍に招集されて辛酸を舐めたことを日経の私の履歴書で読んだことがあります。戦地ではないものの軍隊時代に10代の小僧っ子に顎で使われる様はさぞ辛かっただろうなと思わされました。父親が陸軍将校であっても待遇は一兵卒で招集させられたのはある意味平等だったのかもしれませんね。

    • @TN-qz6hj
      @TN-qz6hj 3 месяца назад +1

      そういえば、貴族院議員の徳川さんも徴兵された見たいですね。

    • @user-er9fu4ej5e
      @user-er9fu4ej5e 3 месяца назад +7

      何が平等だよ😅国内の緩い場所に置いてあげた時点で親父の力が働いている。捨て駒は南の島行

    • @teruakishimada6660
      @teruakishimada6660 3 месяца назад

      GHQにいる銀行家の徴兵だれた一等兵息子の靴は支給品を履いていなくて自分でオーダーメイドしたものだったと
      英語ができたひい爺ちゃんが言っていた。洋の東西を問わずに貧乏人が死ぬのが戦争

    • @Supershark-lt5vv
      @Supershark-lt5vv 3 месяца назад

      @@user-er9fu4ej5e
      よくご存知ですね。笑
      今のロシア🇷🇺や中国🇨🇳と変わらないですよ😜🤣

    • @user-tp8zm4zn9n
      @user-tp8zm4zn9n 3 месяца назад +2

      「招集」じゃなくて、「召集」

  • @mieumieu8417
    @mieumieu8417 3 месяца назад +7

    第二次大戦のドラマ「Band of Brothers」のウェブスター二等兵もハーバード大学だったと思う。

  • @user-wd8pf4dn4g
    @user-wd8pf4dn4g 3 месяца назад +6

    「兵隊やくざ」の有田上等兵は上手く立ち回ってたな

  • @user-bx9jp9qw1s
    @user-bx9jp9qw1s 3 месяца назад +7

    高学歴だろうと小学卒であろうと、誰を召集対象にするかを決めるのは市町村役場の兵務係。
    一応平等の名の元になってはいるが、所詮兵務係の匙加減ひとつだから、兵務係に印象が良く
    ないと2回召集・3回召集の不運者も出てくるさ。

    • @asaichban9842
      @asaichban9842 2 месяца назад

      松本清張の小説にありますね(ドラマ化もされている)
      反動を回す、軍事教練などの参加率が悪いと 徴兵 小説では その兵事係とイジメた上官を殺すんですけどね
      松本清張本人は 衛生兵として朝鮮にいただけ しかも朝日新聞の正社員なので 家族にはそれなりの給与が渡されていた
      当時、大企業などは 社員が兵役にいる間は 何割かが家族に支給(企業によって違う、朝日は支給率は高かった、自営業・農業従事者・零細中小企業は蚊帳の外)

  • @ch-mu2de
    @ch-mu2de 3 месяца назад +14

    うちの爺ちゃんも戦前には珍しい大卒の技術者で徴兵された。
    東北の師団。仙台第二師団だったかな?
    高学歴は低学歴よりも嫉妬されて徹底的に扱かれる。
    小卒の軍曹から
    これからは俺らの時代だからな?
    と言われながらボコボコに殴られたそう。
    何十キロも歩かされ足がマメだらけ
    結局、電力事情から技師だった祖父は発電所に戻され
    師団はその後、ガダルカナルの激戦に行くことになり
    ほとんどの同期は死んだ。
    もし祖父が大卒じゃなかったら確実にガダルカナルで死んでいたので
    戦後に父も生まれることはなく
    俺が生まれる事もなかった😢

  • @user-gb6dk8el5t
    @user-gb6dk8el5t 3 месяца назад +20

    ①平等主義すぎてエリート層を上手く使えてない
    ②生活格差や学歴が違いすぎて一般庶民との認識の乖離が激しく傲慢と思われた
    こういうことか

  • @user-qo1lw2fx9l
    @user-qo1lw2fx9l 3 месяца назад +6

    久々の投稿

  • @LaLaJun
    @LaLaJun 3 месяца назад +7

    大卒の扱いがアメリカ軍と違いすぎるな。先進的な兵器を設計、製造、操作するに大卒出の高度人材が必要だったアメリカ軍に対し、前時代的な兵器を持つ日本軍ではインテリ大卒の必要性を感じなかったのだろう。

  • @kazubigf1792
    @kazubigf1792 3 месяца назад +3

    上に楯突いたら、
    生きて帰ってこれない前線送り
    これ戦争に行った爺さんの結論。

  • @chakichaki6135
    @chakichaki6135 2 месяца назад +1

    岡本太郎のエピソード。
    パリへの留学から帰国したあと、徴兵されて中国戦線へ。
    ちょっと前まで、パリの社交界で一流知識人とワインやコーヒーを飲んでいた30超えの自分が、一兵卒として10代や20歳くらいの上官に叱られながら、捨てられて飢え死にしないように、必死で行軍について行った。
    みたいな話を思い出した。

  • @user-jc8yl1zc6e
    @user-jc8yl1zc6e 3 месяца назад +2

    戦後亡くなった叔父は旧帝大在学中に招集されて駆逐艦の水兵でしたが一度も外洋にはでなかった。

  • @user-bm9uv3ed1z
    @user-bm9uv3ed1z 3 месяца назад +2

    大卒であれば、私大卒でも、部隊の人事部から幹部候補生への志願を要請され、それを受諾して幹部候補生の訓練を受けると少尉として将校になれる。丸山真男は、幹部候補生の志願をしなかっただけ。ただ、今度は、尉官クラスの将校の中で、陸軍なら士官学校卒の将校と幹部候補生上がりの将校の間に微妙な関係があった。

  • @yaizudamashii
    @yaizudamashii 3 месяца назад +2

    色々面白かった。軍隊生活が戦争がないと牧歌的というのは興味深い。今はどの国でも兵営は最悪だと言われてるので。理科系の徴兵猶予は理性的。

  • @user-ny1un2ue3k
    @user-ny1un2ue3k 3 месяца назад +21

    学徒出陣が悲劇の象徴とされる事に危惧を覚えます。
    当時の高学歴者のほとんどは日本帝国における既得権益者の子息たちであり国家危急の際には真っ先に戦わなければならない者達でした。
    当時すでに日本国民の労働者階級子息のほとんどは兵役に服しており学生が引っ張られたのは最後の最後。
    大英帝国の貴族、有産階級の子息たちが国の危機に対して真っ先に志願し戦ったのと比較して志願することも無く最後の最後まで逃げようと
    していた連中には吐き気を覚えます。

    • @user-et8zq2pk6n
      @user-et8zq2pk6n 3 месяца назад +10

      騎士道的戦争を夢想した者と近代戦争を忌避した者とでは一概に比較できないやろ

    • @user-xs5lk1ri5x
      @user-xs5lk1ri5x 3 месяца назад +8

      戦後、大英帝国が没落した理由の大きな要素として、国のエンジンとなるべき人材を指揮官先頭で失いすぎたためというのを聞き、さもありなん と。

    • @user-et8zq2pk6n
      @user-et8zq2pk6n 3 месяца назад +6

      勇んで戦場に行くことを美徳と考える方には疑問を覚えます。

    • @user-io8ys2jr1t
      @user-io8ys2jr1t 3 месяца назад +7

      吐き気を覚える?それは死にたくないのに死ね、と命令され特攻で散った大学出の予備士官等に対する冒涜ですよ。時期がいつであろうと学生が戦場に引っ張られたのは事実であり、学徒出陣でも理系学生は兵器開発等で重要視され除外されたのも事実。そもそも学徒出陣を悲劇の象徴と誰が論じていますか?陸士や海兵出でない彼らこそあの戦の被害者です。

    • @user-lm4dz8xi6x
      @user-lm4dz8xi6x 3 месяца назад +2

      アメリカは学生真っ先に引っ張った。ある意味平等だった。

  • @aamm11111
    @aamm11111 3 месяца назад +4

    見るのに勇気のいる動画でした、ウクライナを見ていても思うのは、兵隊さんの私生活はポケットの中だけなのだろうなと。
    にしても、平等と言う名の年功序列ですね。
    上まで徹底した競争社会のあちらさんと戦争して勝てるわけがない
    まあ、どの程度の競争社会が幸せかはまた別の話、ただ戦争となると残酷な結果になる

  • @user-jj5xk1db1g
    @user-jj5xk1db1g 3 месяца назад +1

    大正中頃生まれの亡父は商業学校卒業後に大阪の繊維商社で働いていたが、徴兵されて予備士官候補生を受験させられた、本音は将校になると除隊が遅れるので受験したくなかったが連隊の方針でほぼ強制受験させられた。ならばと試験では手を抜きまくったが数十倍の倍率を突破してしまった、合格者50人中25人が士官候補生、25人は下士官候補生となった。
    なぜ手を抜いたのに合格したかというと、亡父の予想では、商業学校時代に鉄砲撃ち放題という嘘に騙されて教練部という部活に入ってしまった、実際には2年の途中まで分裂行進、完全軍装で20キロ行軍、銃の分解組み立てばかりやらされたらしい、その甲斐もあって恐らくは教練の成績(軍に通知される)が「将校適」となっていたからだろうとのこと、何の事は無い予備士官の採用基準は試験の学力より軍事教練における配属将校の意見が大きかったということ

  • @yskztkhs7986
    @yskztkhs7986 3 месяца назад +2

    学歴が違うということはそもそも生まれも育ちも違っているという時代だからね。

  • @n506higo
    @n506higo 3 месяца назад +9

    文系学生でも少なくとも語学は軍務でも役に立つだろうから、通信・情報関係の仕事でもさせれば良かったのにと思う僕はあまりにも能天気すぎるかな。

    • @user-yk7pt7xx2h
      @user-yk7pt7xx2h 3 месяца назад +6

      実際アメリカでは心理学専攻者が対零戦研究に動員されてます。

  • @user-ll2uy3rd4y
    @user-ll2uy3rd4y 3 месяца назад +5

    投稿ありがとうございます。
     待っていました。

  • @user-xc7sm9nk5g
    @user-xc7sm9nk5g 2 месяца назад +1

    俺の母親
    昔々の話だけど、
    医者なら最前線行かなくてすむよって俺に言ってたなあ

  • @user-yc1eo3of3l
    @user-yc1eo3of3l 3 месяца назад +1

    そういえば後の昭和十四年頃、外交官として樋口季一郎、東條英機将軍とともにユダヤ難民に命のビザを発給し満州国に入国を果たした外交官の杉原千畝氏の話を思い出した。
    大正時代に大学在校中に外交官試験をパスした後、朝鮮にあった79連隊に入営、2年間軍務につかれたあと少尉で予備となられた人ですね。
    半島でシベリアに近くシベリア出兵時、チェコ軍やポーランド難民の救助がこのとき役に立ったんやと思ったものでした。

  • @RyoAizaki
    @RyoAizaki 3 месяца назад +2

    今の会社でも見られる嫌味、悪口が陸軍でもあったんやなぁw

    • @user-hx1oh6zz8v
      @user-hx1oh6zz8v 3 месяца назад +2

      しかも学んだ学問が軍隊という職場で活かされてないあたりも今の就活とほぼ同じで草

  • @user-xs5lk1ri5x
    @user-xs5lk1ri5x 3 месяца назад +11

    俺のじいさんは普通の大学出で、士官学校出たわけでもないのに
    尉官で乗馬している写真が残ってて、ちょっとひっかかっていたので調べてみた。
    たぶん幹部候補生制度を利用したんじゃないかという結論。

    • @aonegi3bon847
      @aonegi3bon847 3 месяца назад +1

      選択制なんだよね。この動画の二等兵は士官候補を蹴った人達。
      幹候選ぶと2期4年と徴兵期間が長くなるから敬遠された。

    • @whitepandajp
      @whitepandajp 3 месяца назад +1

      入営の際に、甲幹(甲種幹部候補生)に志願して、合格したんじゃないかな。課程を修了すると、予備士官になれる。学徒でも自動的に幹候にはされず、志願して合格しないといけない。
      もっとも、幹侯に採用されてしまうと兵役が伸びるから辞めろ、とうのも、よく言われたことではある。

    • @user-xs5lk1ri5x
      @user-xs5lk1ri5x 3 месяца назад +1

      返信くれたかたありがとうございます!
      じいさんは若死にしてしまったので
      よく知らなかったのですけど
      きっといろいろ考えたり、挑戦したりしたんだろうなあ、と思うとちょっと身近になった気がします。
      そういえば子どものころは、じいさんのだという双眼鏡とかサーベルとかあったな
      今でも家のどこかにあるのだろうか

    • @Supershark-lt5vv
      @Supershark-lt5vv 3 месяца назад

      @@user-xs5lk1ri5x
      甲種幹部候補生は有産階層ですから裕福な家柄ですわな。👁️ 貧しい家なら無理👋 兵役の食事代から何から何まで自費です。笑⌒
      一般の者とは比べものにならない厚待遇♡👋
      例えるなら中国共産党の毛沢東の孫のような世界👋

    • @user-yc1eo3of3l
      @user-yc1eo3of3l 3 месяца назад

      入営してから中隊長殿から幹部候補生の試験を受けるように言われたんでしょう。
      これも中々受かるものではなかったそう。
      まず第イチに軍務をサボったなら候補生の資格が取り消されますから。

  • @chigasaka
    @chigasaka 3 месяца назад +1

    高校のときの先生で学徒兵が2人おり一人は機関銃隊の隊長かなんかで機関銃をバリバリ撃ちまくっていたと楽しそうに話ていました。もう一人は内務班でいじめられてたらしく良いところじゃなかったと話していました。本人の体験や勝ち戦か負け戦かでぜんぜん印象が違ってしまうのでしょうね。

  • @user-lm4dz8xi6x
    @user-lm4dz8xi6x 3 месяца назад +4

    アメリカは大学生は真っ先に引っぱられたんだよな。普段勉強させてるんだから、義務を果たせと。これじゃ戦争に負けるわ。

    • @ryou9106
      @ryou9106 3 месяца назад +7

      大学生を引っ張ったけど、扱いは天地の差。アメリカでは即席の士官として。能力主義、適材適所を地で行く国柄の差が出てますね。

    • @TN-qz6hj
      @TN-qz6hj 3 месяца назад +2

      アメリカの場合は大学の校内が空になるぐらい志願が多かったと、歴史映像でも必ず出て来ますよ。引っ張られた訳じゃないですよ。

  • @user-wl8vh9rf7g
    @user-wl8vh9rf7g 3 месяца назад +3

    旧帝大や旧制高校などにいた連中は、当時としては特権階級だった。徴兵猶予など優遇されていた。当時の殆どの国民は、小卒で年齢になると徴兵されていった。高学歴兵士を特別扱いするのには、納得いかないものがある。

  • @cozyA
    @cozyA 3 месяца назад +6

    「大東亜戦争」は閣議決定されてますね。

    • @TN-qz6hj
      @TN-qz6hj 3 месяца назад

      太平洋以外でも叩かないはありましたからね。米軍から見れば太平洋戦線なので問題はないでしょうが。

    • @teruakishimada6660
      @teruakishimada6660 3 месяца назад +1

      今回、陸上自衛隊第32普通科連隊が行った「大東亜戦争」投稿について、木原稔防衛大臣は「硫黄島が激戦の地であった状況を表現するため、当時の呼称を用いたもの。その他の意図は何らなかったとの報告」「大東亜戦争という用語は、現在一般に政府として公文書において使用していないことを踏まえ修正」との見方を示している。

  • @user-tf5mm1rf5t
    @user-tf5mm1rf5t 2 месяца назад +1

    今の日本のブラック企業まんまやん笑

  • @user-yc1eo3of3l
    @user-yc1eo3of3l 3 месяца назад +2

    昔は等しく兵役法が適用されていたこと。
    陸軍士官学校に在校した人は予科を卒業したなら士官候補生として
    上等兵勤務が六ヶ月後に学校本科入校。
    経理学校生徒入校予定者でも9ヶ月兵隊勤務で入校時伍長。
    兵隊勤務は早かれ遅かれ必須だったことがわかる。
    実は日本の統治のあった朝鮮や台湾でも兵隊勤務から
    幹部候補生となり予備士官学校や下士官候補者隊に行っていました。
    大学を出ていた、在校していた者も等しく兵役法の適用を受けていたことから丸山眞男のそれは上級国民意識ジョウセイをしたものであり逆に古参兵や下士官を侮蔑したもの他ならない。
    自称進歩的文化人は心の祖国は中共かソ連であるから日本の帝國陸海軍をとことん嫌悪することしか言いませんからこれらが軍隊の全てと言うには無理があります。
    なら戦後に陸海軍の関係戦友会や顕彰会が活発に活動していた時期をどう見ますか。

  • @sunami808
    @sunami808 3 месяца назад +5

    京大から学徒で海軍行った叔父は主計で内地に敗戦までいて、敗戦後復学して運輸官僚やってました。僕はバカなので高卒自衛官で一応幹部で定年しました。いわゆる氷河期世代は二士入隊でも信じられない様な高学歴者が多かった。先に3曹なってて良かったと思いました。そのあおりで、昇進難易度が増し飯の数だけ多い3曹より偉そうしてるバカな古株士長の多くが辞めざるを得なくなってました。平成中期以後飯の数云々の悪弊が緩和された感じ。今はなんちゃらハラスメント云々で甘々ですよ。まぁ平成初期までは鉄拳制裁の残渣がありました。自分もやられてました

    • @teruakishimada6660
      @teruakishimada6660 3 месяца назад

      昭和46年入隊で23Iだがそんな鉄拳制裁とか無かったぞ!

    • @73moto
      @73moto 3 месяца назад +1

      自分も平成初期に陸上自衛隊に入りましたが、鉄拳制裁やビンタは無く、ミスした罰直は体力錬成の名目として腕立て伏せやスクワットに成って居る。

  • @user-yv7hv5zx4r
    @user-yv7hv5zx4r 3 месяца назад +1

    白黒版映画「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」(1950年)なんて、主人公は大学講師の再徴収兵の一兵士だったしな~…
    なお、カラー版「きけ、わだつみの声 Last Friends」(1995年)は、白黒版をコケにするような青春映画と化しており、唾棄すべきクソ映画となってますので、見る価値無し!!!
    「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」(1950年)を見た後は考えさせられるけど、「きけ、わだつみの声 Last Friends」(1995年)見た後は「スタッフ一同〇ね」としか言いようがない!

  • @kai1696
    @kai1696 3 месяца назад +1

    うーん、個人的にきいた話とはちょっと違うな。帝大から学徒で陸軍へ。学士なので少尉に任官するのが通例だけれども、現場をしらないのに士官はできないと批判して兵卒から始めたた結果、ひどいイジメを受けたという方の話ならきいたことがある。
    戦後、某鉄鋼会社を率い戦後復興に貢献されたが、造船不況の際には草むしりからパン屋まで、やれることは全部やったと言われていた。そこまで出来たのは兵卒の経験があったからだと思っている。

  • @user-jy4fc2pm3m
    @user-jy4fc2pm3m 3 месяца назад +2

    あれ、丸山眞雄なんて、帝大助教授なんだから、ちゃんとした、帝国官吏ですが、二等兵入営ですか?普通は何らかの形で将校になっているんじゃあありませんかね?それから、帝大と陸軍士官学校や海軍兵学校なんて言うのは、優秀な学生を引っ張り合うライバルのような関係ではなかったかしら?これじゃあ、水と油と言ってもおかしくないですね。戦死するのは少尉、中尉、大尉くらいが多いから、この辺の階級の人をたくさん養成するのは大変でしたろうね。

    • @user-xs5lk1ri5x
      @user-xs5lk1ri5x 3 месяца назад +2

      召集後でも志願すれば当然士官になれたわけですが、自分の意思で戦争に参加したわけじゃない、と二等兵を選んだようですよ

  • @user-hg3fu1bx6o
    @user-hg3fu1bx6o 3 месяца назад

    皆がマスクをするのだかお前もしろ、皆がワクチン打つのだからお前も打て。今の日本も昔とあまり変わってない気もしますね。

  • @tadano1zinnminn
    @tadano1zinnminn 3 месяца назад +4

    ワイの父方の曽祖父が慶應義塾大卒だったから中国戦線で大尉の階級で従軍し、部下に徳川家御曹司の人間が一兵卒として従軍していて、父が明治以降の日本は階級によらない実力主義だと自慢してた❗😁🫡👍

  • @samansaaoki5283
    @samansaaoki5283 3 месяца назад +8

    「天皇カルト」と「神社カルト」にだまされた戦前のボンクラ日本人。
    その末路はみじめでしたね🤭

    • @beanpatnam1033
      @beanpatnam1033 3 месяца назад

      実は文章をまともに読める人が少なかった。

    • @TN-qz6hj
      @TN-qz6hj 3 месяца назад +9

      結果がわかっている事の批判って簡単ですよね。売国じゃなかったところが救いです。ただ、あれだけ失敗している共催主義を信奉している人がまだいますし、9条教徒も存在しますが現実を見ようとしないんです。

    • @user-ds6lh1fz2y
      @user-ds6lh1fz2y 3 месяца назад

      @@TN-qz6hj
      9条は天皇家存続とセットなんですが……。(神通力で鬼畜米英潰せてたらそもそも9条制定も必要無かった話)