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Japanese Army Officers Grieving Over Sluggish Salaries
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- Опубликовано: 6 апр 2023
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• 軍事解説 日本陸軍の縁の下の力持ち「下士官」...
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OtoLogic “In That Mood”
[References]
Social Education History of Army Officers (1) (2): Teruyuki Hirota, Chikuma Gakugei Bunko, July 10, 2021
Modern Japan 9 Paradoxical Army: Ryoichi Tobe, Chuokoronsha, December 1, 1998
昔読んだ本に書いてあったけど、四十代で予備役になった軍人にとって再就職は非常に難しかったらしい。
特に大正の反軍的な風潮や昭和初期の不況の中では、幼年学校から軍隊一筋でやってきた予備役大尉には、民間で仕事がなかった。
そこで彼らは保険会社の外交員になって、かつての部下や後輩の家を訪ねて加入をお願いして回る。
部下や後輩の情けに縋ってトボトボと歩くかつての先輩上司の姿は悲惨で、その姿を見る青年将校にとっても自身の将来を悲観させる物だった。
これも国家や軍全体のことより自身の出世を優先する風潮や、非合法な手段を使っても世の中を変えようとする考えの一因になったのではないかと、その本には書いてあった。
その保険会社は富国徴兵保険(フコク生命)で発売していた徴兵保険ですね
最近でも自衛隊を辞めた後 協栄生命(ジブラルタル生命)の外交員と言う人も多かった
協栄生命は自衛隊員の生命保険を大きく伸ばした会社でしたから 協栄生命が破綻したときは自衛隊も青ざめた
私の部隊での先輩にもジブラルタ生命に再就職した人がいて、時々駐屯地で鉢合わせたりしましたね。
現代の保険勧誘は先に書いたような感じではなく、ごく普通の営業という感じですが。
ジブラルタ生命に限らず保険会社の人は部隊に出入りしてして、新隊員が部隊に配属される時期は各社の勧誘が凄まじいです。
新隊員を待ち伏せしたり、後輩の情報を聞き出そうとしたり。
いきなりタオルや洗剤と資料をセットで押し付けてくる人もいました。
先輩の1尉(大尉)は弁当工場の作業員。定年退職自衛官もシャバに出たらただのオッサン。東南アジアで日本人から見たら高額年金で老後生活してる元米軍将校が羨ましいです。米国は定年後すぐからカネが出るそうな
20代30代で戦力外になったプロスポーツ選手と同じようですね
当時は民間の警備会社がないからな。
自衛隊でも定年退職して将官クラスは防衛産業の顧問の役職で再就職先が有るが、基本的に元自衛官の再就職先は厳しい状況で、例えば自衛官の時に航空機整備をしていた人は自衛隊退職後に職を生かしての航空会社に再就職は不可能で自衛隊で習得した資格は防衛省が発行した物で国交省と管轄違いなので最初から国家試験を合格しないと行けない。米軍の場合は軍隊で取った資格は退役しても民家企業でも有効で軍隊で整備員をして除隊後に民間企業でも整備員として就職が可能
元戦闘機パイロットの民間機のパイロットって海外とかにはいるけど日本にいないのはそういうことね
技術も経験もあるのに縦割り行政とお役所の縄張り意識で少子高齢化なのに活かしきれないこの国の絶賛自爆状況
@@japan9672 戦闘機パイロットかはわからないですが、自衛隊出身の民間パイロットはいるみたいですね
今も昔も変わりませんね!
今のお話しです。予備役の将校過剰増産は士気、営内生活、訓練等に影響します。
士官養成は過剰にならないように戦時には兵卒から士官登用で調整ができなかったのは陸軍に純粋培養意識があったからではないのか。今の自衛隊も将官のポストが限定されているのだから防衛大学校の定員を減らして将来のポスト不足に対処すべきではないか。今のままでは自衛隊の組織を肥大させないと戦前の陸軍のようになってしまうのではないかとの懸念している。
昭和恐慌とか不景気だからじゃないのか 戦争がなければ維持すんの大変だから人件費削るしかないか
桃栗三年柿八年、何某大尉は十三年、の何某大尉は大山巌元帥のご子息の大山柏大尉ですね、確か。オヤジさんが陸軍の大御所だから大変だったろうに。
ご本人は学究肌の方だったようで、退役後は好きな研究に没頭されて悠々自適な生活だったそうです。
普段はバカにされていても、再就職は技術畑の士官の方が遥かに楽だな。
南部麒次郎中将も技術将校でしたね。
偕行社は今の九段会館が本部だったのですよね。
将校となり私物軍装品を揃える際には吊るしの軍服、軍刀に拳銃や双眼鏡等、一切合切をここで購入出来、支払いも割賦制度があり大いに重宝されたようですね。
士官学校卒業の時期になると偕行社の職員が軍服の採寸に来校しそこで注文も出来たと聞きました。
日本陸軍将校の軍服は官給品ではなく自費調達だったらしいです。
裕福な将校(華族出身とか)は銀座の一流テーラーで仕立てていた。でもそれは例外で大半は既製服みたいなものを調達したらしいですね。
拳銃にしても官給品ではなく自費調達。裕福な将校は国産では無く性能の良い外国製(ブローニング)を購入。
多くは偕行社で一式を揃えたとか 当時で100円以上はかかたっとか(少尉の年俸が850円だから 月給の1.4倍以上)
拳銃は国産に安くてテキトーなものが無かったから しょうがなくブローニングとかコルトの32口径だった
軍人って聞くと特別感があるけど、会社員と同じ何ですね。上が詰まって昇進できなかったり、飛ばされたりw
いつも分かりやすく詳細が知る事ができて楽しいです。
組織は上下関係があり、軍隊、ヤクザ、何処も同じような物です!
アメリカの州兵、スイスとかスウェーデンの民兵制度ってのが最適なのよ。
終戦時、青年将校の一部が暴走して起きたのが「宮城事件」でしたね
待命になると、本当の現役時代の給料の半額支給になったと言われている。
下士官兵は三食、衣服等はオール官費で賄われていましたが、士官様は全て自分持ちであったため、そのフトコロ具合は厳しい物だったと言われてます!下士官の細君は、内職などをして乏しい家計のやり繰りをしたそうですが、将校婦人は、その体面上、内職もままならず、ある意味では生活は厳しかったでしょうね。
体面も何も関係ない。
聯隊一羽振りのいい副官の家をようやく探し当てたら奥さんが封筒ハリをしていたなんて話はナンボでもある。
「残飯司令」なんてものまであった。
週番司令は聯隊長帰宅後の留守番だが、夜になると家族を呼び寄せ「残飯処理」名目で飯を出すというもの。
何千人もいる聯隊で、家族数人分の飯を作る位はなんでもないが、公私混同には違いない。
あからさまに体面もよくない。
「ボロカツギ」は、聯隊の馬糞を近隣農家に売って小遣い稼ぐもの。
これも確かにみっともなかったろう。
下士官の生活は、更に厳しかった。
3食官費ったって、家庭でも持てば3食は自腹なのだ。
軍人か勝手に起こした満洲事変と、その後の戦争インフレーションは皮肉にも、好景気の恩恵を受けぬ軍人の生活を直撃したのだ。
俸給体制って点では戦後の自衛隊の方がマトモ。入ってから20年近くは確実に給与上昇あったし、人事院勧告で上がった分が年末に差額支給って感じで12月はボーナスが2回ある感じ。曹長からなんちゃってSLC幹部になったけど、給料はあんまり増えない感じでも700超えなので、令和なりたての御代ではいい方。定年で放り出されて、尉官じゃ陸曹と変わらん、低賃金再就職しかない。定年後すぐ年金もらえる米軍が羨ましい
佐官に昇進できなかった人は何%位だったのでしょうか?
第一次大戦後の軍縮では、要員削減と武器更新が予定されていたが、シベリア出兵で
金が無くなったと言われている。また、制服を着て外にでると一般人に馬鹿にされて
いたと言う。また、昭和初期に学生時代をすごした人は軍事教練が大嫌いだったらしい。
相沢事件の相沢中佐は、事件を起こさなければ大佐にはまれたと思うので
無天組としては、最高位クラスの人材だったのか
ただ、士官学校や、各兵科学校の教官を経て、教育総監部付とかになれば、無天組でも、中将か少将位まで昇進することはあったと思います。少数ですけど。
今も、居眠りしてる国会議員がいるが、陸軍が最初だったのか。
貧乏な大名や旗本のようだな。
幼年学校時から皇軍魂を叩き込まれ、高度な教育と訓練を経て将校になったものの、軍内ニートですか…
こうした事情は知りませんでした
ので、大変勉強になりました
ありがとうございます
今も同じですね!🤔
高級将校と軍属や企業家が癒着してしまっていたと文献でかなり見る。反対に佐官、尉官、下士官の階級が流動的でなかったのが悪かったと思う。現場は出世できず高級将校は前線を知らずでは勝てない。下士官から将軍まで昇れる制度が必要だった。
ご視聴ありがとうございます!日本の将校はノモンハン事件で戦ったソ連のジューコフ将軍からも酷評を受けており、ご指摘の通り流動的な人事を運用していればまた違ったのではないかと思います。引き続きよろしくお願い申し上げます!
兵卒経験者で唯一陸軍大将に成ったのが226事件で殺害された教育総監の渡辺錠太郎で家庭が貧しく衛生兵として志願して陸軍に入り勤務成績が優秀だったので上官から陸軍士官学校受験を勧められて士官学校合格し陸軍大学校に入り大将まで昇進した。
@@73moto そうでもないですよ。少数ですけど、いますよ。武藤信義元帥なんて、兵卒から下士官、で士官学校を卒業して、陸大を首席卒業した優秀な人です。
二等兵からたたき上げたのらくろも、大尉止まりだったし、上官のモール中隊長も少佐になるまで長かった。ブル連隊長に至っては万年大佐だからなぁ。
のらくろも退役後は喫茶店のマスターになって。勲章三つ持ってるのにね。
職工の奥さん、大尉のオカミさんって喩えがあったくらいだからなあ。軍装を給料から自弁で賄わければならないんだから下級士官はカツカツだわなあ。
「軍人さんは貧乏」という言葉を聞いたことがありますが、生々しいですね…
時代背景があったとはいえ、まっすぐに努力してきた方々が報われないのは悲しい…
具体的な金額を言ってほしかった
2/26の香田清貞大尉(陸士37期、銃殺)はお坊ちゃんのボンボン育ちで、結婚後もしょっちゅう実家に来ては小遣いをせびり取っていたそうな(笑)。
ハイカラさんの少尉も?😅
あいつは実家が華族様だから最悪やめても問題ない。
華族は貴族院の議員になれたが戦後に華族が無くなり貴族院も廃止になったので元華族は家宝を売って生活を凌いだ。
@@user-it9tb4um2p ただし、伊集院伯爵家が火の車だったという設定だったからなあ。予備役になったら、奥さんは生活力あるけど、結構大変だな。あそこのやりくりは難しいですよ。ただし、昇進してはいるので、恩給位は高くなるでしょうね。
いつも、面白い動画をありがとうございます。
登録者数、伸びてきましたね!
ありがとうございます!!
@@user-yu3xj6mg9o
あきた号の由来は、どういったことでしょうか?
秋田県出身なのですか?
「戦争起こすしか無いってコト⁈」
少尉で生活が苦しかったら、下士官以下はどうなっちゃうの?
俺も元万年1尉、演習で共に酒を飲んだアメリカ海兵隊の万年大尉、防大で部屋対番だった韓国軍の知り合いも万年大尉
平凡以下はどの国どの時代の軍隊でも万年大尉の貧乏暮らし
戦時に戦地に出征すると「特別手当」が支給されたそうです。なので、「戦争を止めると手当でらんから、軍部も将校の手前、戦争をやめれんわな」と言われたそうです。余談ながら、ソビエトの士官の給与は国内的に相当良かった。が、アフガン戦争で婦人会の工作と、前線の消耗に対する批判を弾圧しなかったので、国ごと消えてしまった。戦争にとって民主主義は敵。とか至言か。
そうなんですかね?
ベレンコ中尉が日本に強行着陸して 米国に亡命する途中 日本の警察がかくまったのだが そのとき食事を差し入れたのだが
そのときに差し入れした食事は 警察近くのどこにでもある街の洋食屋から ベレンコ中尉はなんとうまい飯なんだと感嘆したとか
パイロットはどこの軍でも優遇されているはずなんですけど それだけソ連極東の空軍基地は 貧しかったのかな?
将校ねぇ、過剰で有り余ってたのね。軍備近代化もさることながら、その他、民間企業に移る機会も少なかったかも知れない?し、
今でいう窓際社員的なポストやったんやなぁ…w
陸軍士官学校を出ただけなら大尉までにしかなれない。少佐以上になるには陸軍大学を出る必要があった。
敗戦間際の土壇場以前は陸大卒か砲工学校優等卒でないと将官は殆ど絶望的。少中佐止まりがいいとこで、そこで待命。
陸士卒だけの者(90%)は40台半ばで人生摘んでる。保険外交員かうまくいって軍式体操の教官、あるいは遠い僻地樺太や内南洋の小学校の仮教師の口しかない。軍人は社会に通用せず軍人にだけは嫁にやるな、が常識だった。2.26事件は陸大進学が出来なかった、つまり前途絶望組のやけっぱち蜂起だ。彼ら青年将校はが社会に出ても使いづらい中途半端な人材だったろうね。昔上司に陸士出の方がいたが何か生真面目すぎっていうか周囲と違ってあんまり相手にされてなかったな。
大谷光瑞御門主はものすごく学校の軍事教練が嫌いだったとか
反省せよ謝罪せよ過去を美化すると
日本に犯罪が消えない
南無妙法蓮ですね
学会員になりましょう
「戦争起こすしか無いってコト⁈」