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懐かしいですね!最初に見た時は、2600系と、見間違えた!まさかの吊り掛け電車とは、😮ビックリしました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに4000形は2600形によく似ていましたが、いろいろな意味で大変ユニークな存在でしたね。
4000形釣り掛け音を久しぶりにそして懐かしく聴きました!そうです、この音でしたね。5両という独特の編成もありました。運転席後ろのルーバーからの風切り音も懐かしい音です!私が以前住んでいた祖師谷(といっても徒歩20分位)での想い出で、1:01成城学園前発最終上り経堂行き各停が4000形で、毎晩(特に冬の時期)この釣り掛け音が夜中に響いていました。耳をすましていると環八を渡っていくあたりまで聴こえましたね。寝る前にそれを聴くのが楽しみでした!35~40年前の想い出です。アップロード頂きありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。冬の深夜に遠くで響く吊り掛け音・・・風情が感じられたと思います。
返信頂きありがとうございます。中学~高校生の頃でしたので、最終電車なんて想像もつかず、ただ昼に自分が乗ったあの車両がこんな時間に走っているのかなぁと思っていました。そしてこれを聴いて「1時か‥寝るか」みたいな・・。懐かしい想い出です。@@昭和電車チャンネル
江ノ島線の映像かつ4000形というのはとても珍しく貴重なものだと思いますいい映像をありがとうございます!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画に出てくるように、江ノ島線は意外にも上り勾配区間が何回も現れるので、4000形の吊り掛け音を是非記録に残そうと、当時ビデオ撮影した次第です。
当時4000形もしくは4000系という形式が存在した私鉄は後にも先にも小田急だけだったと思う。しばらくして西武や名鉄などチラホラ他の私鉄にも現れ始めたけど。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。言われてみるとそうかもしれませんね。3000とか5000とかはよくありましたが。
旧4000形3+3両は最後まで特に江ノ島線の各駅停車(新宿発着含む)で使ったみたいですね。多摩線で使うのは唐木田開業後・冷房化されてからです。しかし今まで気づかなかったですが、湘南台から藤沢本町まで上りは急こう配だったのは知りませんでした。旧4000形が急こう配で全力を出しながらスピードを上げてましたが、目蒲線でも地下切り替え前の不動前から武蔵小山も急こう配で旧3000系も現役当時は全力を出しながらスピードを上げてました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そうなんです。動画内でも字幕入れてますが、藤沢本町→善行→六会→湘南台まで、それぞれ→の間に上り勾配があり、4000形の吊り掛け音を記録しておこう、と当時ビデオ撮影した次第です。目蒲線の不動前からの上り勾配については、動画「目黒駅が地上の頃」に出てきますので、もしまだでしたら御覧ください。
風切り音も含めとても懐かしいです❤
いつもご視聴、コメントありがとうございます。風切り音、そういえば今は気付きませんね。
先代4000形のつりかけサウンド、堪能いたしました!私もかろうじて知っている世代ですが、締めの「相鉄もブルーラインもまだないころの湘南台駅」とつりかけ4000形の取り合わせがぐっときます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。藤沢本町→善行、善行→六会、六会→湘南台、それぞれの区間に「上り勾配」があり、4000形の吊り掛けサウンドの唸りを記録したいと思った次第です。湘南台駅は、本当に様変わりしましたよね。
裾絞りの拡幅車体に押し込み型ベンチレーター等々、関東私鉄では進歩的な車輛であったと思います。非冷房時代の乗務員扉次位の戸袋窓がルーバーなのも懐かしい。この時点ではスカートが装着されていたのですね。時代と共に編成相手、輛数、冷房&カルダン化と波乱の形式だったと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私が子供の頃の4000形は、スカート無し3両編成で走っていました。この動画撮影時は、いつのまにかスカートが付いていますが、仰るようにまだ4000形の特徴のルーバー窓は残ってます。このあと5000形にどんどん近づいていき、特徴が失われましたね。
江ノ島線に幼少時代から現在まで大変お世話になっております。初代4000形は小田急車両の中で一番好きな車両です!ディスクブレーキなのに吊り掛け駆動なのがたまらんです(笑)善行から六会日大前(当時は六会)の勾配は結構角度がありますよね!4000形の5×5の急行1回見たような気がするなあ😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。初代4000形のアンバランスな魅力、解ります! 仰るように善行から六会までの勾配が最もきつかったと思いますが、この動画にあるように、本町→善行、六会→湘南台の勾配もそこそこきつくて、吊り掛けが音がよく唸ってくれました(笑)。
僕本人だって1985の時から江ノ島での海水浴にて世話になっています。
祖母の家が湘南台と六会のちょうど中間あたりにあり、祖母の家に行ったときは六会~湘南台の間にある踏切の所で毎日通り過ぎる列車を見ていました。その踏切が動画に映っていたので懐かしい気持ちになりました。当時は吊りかけモーターについての知識がなく、なぜ4000形だけこんなにうるさいのだろと疑問に感じていました。江ノ島線の各停に乗るとき5000形や9000形の4連がくると嬉しかった半面、2400形や4000形がくるとがっかりしていたのを思い出します。素晴らしい動画ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私も小学生の頃、5000形や特に9000形をカッコよく感じ好きでしたね。4000形は好きでも嫌いでもありませんでしたが、正直2400形は好きではありませんでした(笑)。ただ、冷房搭載試験車の2478と、スカート試験車に2551(何十年も経っているのに、いまだに番号を憶えてますw)が来たときは、ラッキーな気分になりました。
昭和61年でも急行運用有りました。5連充当が多く、3連2本は各駅停車が主でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。5連と3+3連は種別で使い分けられていたのですね。
0:31長後の長老さん達が横浜市営地下鉄建設大反対した為、相鉄、横浜市営地下鉄が隣の湘南台になり長後が衰退してしまった悲しい😢歴史を思い出しました😢
いつもご視聴、コメントありがとうございます。地下鉄路線の線形的には、立場からそのまま長後街道を西進する方が自然なので、やはり当初計画では長後だったのですね。
4000形のディスクブレーキ仕様覚えています、円盤が目立ってました。(60代)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。子供のころ初めて4000形を見たとき、ディスクブレーキの知識が無かったので、あの光る円板は何だろうと気になったのを憶えています。
この頃に六会の日大の学生で相模大野に下宿してたから通った小田急懐かしい😆
いつもご視聴、コメントありがとうございます。駅名も日大が付きましたよね。
小田急沿線に住んでいる親戚のうちへ行く時、お世話になりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時、吊り掛け4000形は最後の活躍でした。
小田急の4000系乗車したことありますが、釣り掛けモーター音が懐かしい感じですね。3両と5両固定があり、後に冷房化、高性能化されましたね。🚃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。登場からしばらくの間は3両固定編成のみで、冷房はおろかスカートも無く、台車のディスクブレーキが異様に目立つ車輛でした。2600形以来の近代的な大型車でしたが、それが吊り掛け音とアンマッチで、面白かったものです。
また、懐かしい動画ありがとうございます。4000系は最高95キロだったと思います。脚力がなくて4M1Tが一寸ましでしたか。2M1T では加速度1. 7でした。(笑)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この動画は2M1T+2M1Tですが、別の動画の4M1Tの方が、ちょっと力強い気もしますね。
映像では分かりにくいですが、スピードが出ると通常の吊り掛けには無いパイオニア台車独特の音が響きます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。パイオニア台車特有の音というのは気付きませんでした。別の動画もあるので注意して聴いてみます。
この吊り掛け音、堪らなくいい味出してますよね。貴重な映像ありがとうございます。VHSでお撮りになったんでしょうね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。登り勾配が繰り返し出てくる路線なので、その度に吊り掛けの唸りが堪能できました。巨大なカメラとデッキが別体でこれまた大きいβやVHSテープを使用する時代もあったようですが、その後ソニーから「8ミリビデオ」と呼ばれたデッキ一体型ビデオカメラ(従来より小型テープ使用)が発売されて、私が1985年から撮影を開始したのは、それがきっかけでした。まあ、従来より小型化されたとはいえ、肩に担ぐ感じで重量も3kg近くありましたので、「板っぺら」で動画撮影できる今からは想像できない世界だと思いますw
@@昭和電車チャンネル そうですか。確かに今のように、気軽に録画出来るような道具がなかった時代だったと思います。8ミリビデオか。懐かしいですね。浅野温子さんがでていたソニーのCMを思い出しました。
善行にある高校に通っていました。善行の六会への登坂は釣りかけ車にとって辛そうでしたね。夏になると教室の窓からこの釣りかけサウンドが響いてきたものです。また六会駅に近づくと日大農獣学部の畑から牛糞のニオイが漂ってきてキツったです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。江ノ島線では海沿いから内陸部へと徐々に海抜が上がるため、この動画にあるように、3か所で顕著な勾配区間(特に善行→六会間)があります。4000形の吊り掛け車がなくなる前に、上り勾配で唸る音を記録しようとビデオ撮影しました。仰るように、吊り掛け音は、線路から結構離れたところまで聞こえますよね。
忘れかけていた幼少期の思い出が甦りました。リクエストなんですが、小田原付近の4000系の前面展望や、京王5100系の吊り掛け前面展望もあったらアップロードしてください。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。残念ながら、ご要望の映像はどちらも持ち合わせておりません。江ノ島線の勾配区間で吊り掛けの唸りを記録したかったので、当時、本映像を撮影しましたが、小田原線の勾配区間でも撮ればよかったと、今では後悔しています。
これこれ!この音最高です!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。江ノ島線のこの区間は、長い上り勾配が繰り返し現れて、吊り掛けの唸りを堪能するには打ってつけでした。
小田急4000のつりかけモーター音に慣れていたら、東急グリーン車や東武5000のつりかけ音がおとなしく感じた思い出があります。特に減速時もいい音がするのは小田急4000しか記憶にありません・・動画ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに4000形の吊り掛け音は、異彩を放っていたかもしれませんね。
小田急線、9000系、4000系は一番かっこいいですね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私も4000形、というかその前の2600形が小田急らしい大型車の嚆矢として好きです。あと9000形ですが、小学生のとき初めて見た際、なんてカッコイイのだろうと思ったものです。その後、他の事業者から似たような顔の電車が続々出てきましたが・・
8:25 =昔の湘南台駅こんなふうになったんだ。乗り降りした記憶はありません。
江ノ島線の駅の中では、湘南台が最も変化が激しかったと思います。
湘南台はもちろん六会日大前(この当時の六会)も改良前の駅舎ですね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。六会も改良前ですね。あと善行は当初(この動画の時期も)から橋上駅だったと記憶していますが、何十年も経っていますのでやはり改築されているのではないでしょうか。(確かめてませんが)
高校生の頃、通学で利用していました。あの頃は、急行でもHE車ばかりで、8000形は当たりでした。ただ雨が降ると、空転しまくり。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。2400形HE車の「うしろ4両急行江ノ島行き」は、とにかく車内狭くて混んでいたことが強く印象に残っています。
4000形は、2400形のモーターに交換され、冷房も搭載されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。4000形は、最後は5000形とほとんど同じようになりましたね。
カルダン駆動の旧4000ガタガタなら乗ったことある!釣り掛け時代の時はないなあ😅
やっぱり4000形といえばこの音と運転席後ろのルーバー、派手なPⅢですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仰る通りの個性派車輛でしたね。新性能化で5000形同様になる前は。
当初は1800形2両と連結して、8両の朝ラッシュの急行に運用されましたが、2度の脱線事故(どんな事故か説明すると長くなるのでやめますが、負傷者死者は0でした)があり、取り止めました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私は当時は知らず、後から知ったのですが、台車の追従性のアンバランスが脱線の原因だったようですね。
@@昭和電車チャンネル 冬は、4000形より1800形の方が、暖かったです。
4000系懐かしい吊り掛け音結構好きでした!運転士によっては伊勢原から鶴巻温泉の間で95キロと惰性で100キロ近い速度で走行した体感もいまだに頭に残っています!結構性能良かったですよね!上り勾配ではあまり速度は伸びなかったです!
追加で顔が2600系と同じ顔も覚えています!2600系は雨になるとよく加速時に空転しながら加速していましたね!😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。吊り掛け4000形は急加速が苦手なので、小田原線ではその機会が少なくて済む急行運用が多かったようですね。吊り掛け音を響かせながらの爆走はさぞや気持ちよかったことでしょう。
久しぶりに拝見しました。4000形の唸りを聞いて、地元西武の吊り掛け車が正丸トンネルを走行した時を思い出しました。4000形は4M1Tまたは4M2Tですが西武はMT比1:1で、MT30付を除けば弱め界磁もないので、上り勾配では80kmから上は力行してもほとんど速度が上がりませんでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私は西武の吊り掛け車はほとんど乗ったことが無いのですが、秩父へ向かう連続上り勾配では、さぞ良い音を唸らせていたのでしょうね。
@@昭和電車チャンネル 様、さいだいちつのすけです。今後私も貴殿と同じ頃(1980~90年代)にホームビデオで撮影した動画をRUclipsに上げたいのですが、当時の動画に映っている人は編集で顔がわからないようにする必要はないのでしょうか。顔が出ていても肖像権等の問題はありませんか。
返信ありがとうございます。法的に厳密な話は知らないのですが、写っている人から肖像権を侵害されたと訴えられない為の予防策として、皆さんぼかしを入れているようです。30年以上昔の映像で訴えてくる人はまずいないと思いますが、念の為に私のやっていることとしては、顔が大きく写っている場合はぼかしではなく、そのシーンをカットしています(電車の映像が途切れても止む無し)。また、顔が小さい場合は、昔の映像の解像度が低く元々ぼかしが入っているようなもの(笑)なので、そのままにしています。
@@昭和電車チャンネル 様、ご返信ありがとうございます。参考になりました。
懐かしい🎵
いつもご視聴、コメントありがとうございます。懐かしんでいただけななら光栄です。
還暦過ぎのオジイです。当時大学まで小田急を使って毎日「大根・現・東海大学前」~「梅が丘」まで通っていました。本当に懐かしい映像を見て( ;∀;)が出てきました。この音、正しくこの音なんですよね・・・。「相模大野」~「江の島」間の利用は殆どありませんでしたけど。沿線の映像が当時感をを醸し出して本当にノスタルジック。急行箱根湯本行きは短い編成でいつも大変に混雑しており難儀したのも懐かしい思い出です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。懐かしんでいただけたなら、こちらとしても嬉しいです。相模大野で分割していた頃の急行は、仰るようにいつもギュウギュウでしたよね。
製造年号の入った東急車両の古いプレートも印象的だったかな、雨の日だったけどモーターが焼けた匂いで乗ると空転空転又空転、小田急相模原付近で激しい空転の後停車、無線連絡の後運転席窓上にあるヒュースらしき物を交換、運転再開、当時の通勤が超満員の中釣りかけ各駅停車運用というのは中々厳しかったのではないかと。パイオニア台車ですが、柔らかくはなくとも乗り心地は種車(63形1800形)よりかは良かったとは思いますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。小田急相模原付近で、珍しい体験をなさったのですね。各停運用では加減速を繰り返し、超満員では負荷が掛かるので、不具合の原因になったのかな?
昭和50年代前半に経堂で3両編成の各停を目撃したことあります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。その時期なら、まだ3両の各停が居たのですね。私にとっての4000形のイメージは、やはり登場時の3両編成(非冷房、スカート無し)です。
その当時は中間車に先頭車を連結した変形5両と登場時のままの3両編成が並立してましたが、昭和50年ごろに中間車2両(冷房準備工事してたか不明)を新造して全て5両になり昭和50年代後半に廃車された2400系等の機器を使用して高性能化されたと記憶してます。小田急沿線住民で鉄男だったのでほぼ正しい情報です。
釣りかけの音がたまらんですねあとや勾配にはこんなに弱かったんですね 今のスジなら乗せるの難しそう
いつもご視聴、コメントありがとうございます。江ノ島線の登り勾配区間(~善行、~六会、~湘南台)では吊り掛けの唸りは最高でしたが、仰るように今に比べて加速は厳しかったですね。
同じ吊り掛け式の1800形、国鉄72系と比べると重厚さがなく、軽快なサウンドでしたね😃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。4000形の足回りの流用元は複数に亘っていたので、吊り掛けサウンドにも違いがあったようですね。
懐かしい!その昔藤沢本町〜六会まで、通学してまいた!因みに2学年上の先輩に、元プロ野球選手の山本昌さんを輩出した学校です!真夏の熱い時、全面が黒色だったら、冷房車、小田急顔だったらどっちかなぁ〜という思い出が有ります!あと、5000系4両は、ほぼほぼ"成り急"(相模大野で本線急行6両とガッチンコ)その他の各停は、6両で町田行が多かったかな!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。後年、駅名が変わったところの高校ですね! 江ノ島線は、通しの急行もありましたが、たしかに「成り急」が多かったですよね。
外側ブレーキディスクのPⅢ台車に釣り掛け駆動でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そうですね。4000形が3両で活躍していた頃、このディスクブレーキは子供の目から見て珍しく感じたものです。
まずこの方向幕の操作盤が懐かしいのと、冷房改造前の4000形だけは運転台を含めて内装がエメラルドグリーンではなく薄い茶色というか小豆色だったのを今でも覚えています。懐かしい貴重な映像を公開してくださって有難うございます♪
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画に何気なく写ってますが、方向幕の操作盤なんてものが以前はありましたよね。あと内装が薄ピンクのような色なのも、たしかに珍しかったと思います。
現車(4000系)がカルダン車ではなく、吊り掛け旧車からの更新車である旨の乗務員室の薄ピンク?塗装だったのではないでしょうか。あくまで推論ですが。性能を色分けすれば明確ですし。
@@昭和電車チャンネル さん返信有難うございます。僕は子ども心に茶色と思ってました🤣言われてみると薄ピンクとも表現出来るような。。。🤔多分当時の丸の内線の車両がどピンクだったのに比べて茶色が混ざってるように思ったんでしょうね。ミルクチョコレートのソフトクリーム🍦にピンクを混ぜたような色と言う表現が一番正しいかもしれません💡
小田急吊り掛け車乗った事ありませんでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。小田急では、東急や東武などに比べて早くに吊り掛け車がなくなってしまいましたからね。
4000型はカルダン化されて冷房も付き快適になったのに、すぐに廃車になり残念でした。善行駅は山の中腹で、駅から出てどちらへ買い物に向かうにも急坂を登り降りする羽目になるので結局駅前の相鉄ローゼンで済ましちゃうんですよ(笑)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私は善行駅は小学生のとき以降、降りたことが無いのですが、たしかに駅の周りがやたら坂が多かったように記憶しています。
カルダン化されて冷房後15年は使ったから結構使ったほうだと思う。機器流用車の中ではむしろ長寿だった。
この上り善行、モータの唸りで車掌からの停車予告ブザーが聞こえないんです。ブザー箱が上にあって、立ち上がって耳を澄ますと蚊の鳴くような音が聞こえたり。
この時代知らないので、私は、昔阪急沿線は、今津線吊り掛け非冷房扇風機回ってました。本線も2000系非冷房扇風機回って暑かったです。けど吊り掛け最高すきです。今の4000系しか、知らないので。新鮮です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私は逆に、阪急の吊り掛け車両時代は残念ながら知りません。吊り掛けの加速音は、いかにも電車が頑張っている感じで、私も最高に好きです。
やっぱり小田急の代表的な吊り掛け車。南海秩父鉄道神鉄旧型車と同じモーター。あと西武351も
いつもご視聴、コメントありがとうございます。電動機を往年の旧型車から流用された4000形は、小田急最後の吊り掛け車でしたね。
当時京王5100系と並ぶ最強の吊り掛け電車❤
いつもご視聴、コメントありがとうございます。京王5000系列では、吊り掛けとカルダンの混結列車もあったようですね!
ロングレールじゃない江ノ島線が好きでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。小田急では80年代にロングレール化が伸展しましたが、江ノ島線は後回しだったようですね。
見た目は高性能、中身は旧性能で違和感半端なかったです
いつもご視聴、コメントありがとうございます。前半生はそうでしたが、後半生では5000形もどきの一応新性能車になりましたね。
ロングレール化されていない江ノ島線。30年位前でしたか、ロングレール化したのは。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに、ジョイント音がしっかり聞こえますね。
4000系の6両より、1800系の6両の加速の方が伸びましたよね。やはり、モーターの出力差なんでしょうけど。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。1800形の2+2+2編成は、私はあまり乗った記憶がないのですが、加速が違ったのですね。
西武による赤電と同じ音。側面には急行灯がない。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。西武の赤電は現役時代もそうですが、伊豆箱根鉄道(だったと思いますが)に移ってからも私は乗る機会がないままで、残念です。
吊り掛け時代の4000形。小田急で初めて乗った電車がこれで 2600形かと思って乗って走り始めたら吊り掛けの音がして「何だこれは!?」と驚いた思い出があります。93.3kwのモーターで20Mの車体は 97kwモーターで18Mの東武3000系よりも重そうですが 高速域の伸びは4000形の方が良かったです。弱め界磁が付いていたからでしょう。尚 小田急はこの電車に吊り掛け式ながら『パイオニア台車』を採用し その前に東急から7000系を借りてテストした程でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに小田急初の「大型車」2600形に似てますね。パイオニア台車はバネ下重量が大きく追従性が低くなり、1800形併結の4000形で発生した脱線の原因ではないかとも言われているようです。
小田急乗車の際は、おせわになりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。吊り掛け4000形は、この後5000形もどきの「高性能」に改造され、意外と長寿でしたね。
照明点灯してますね 減光2ッ、通常 1ツでしたね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。照明点灯ってどこのことでしょうかね?
加速の時の音が不気味
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ひょっとして吊り掛け音をお聴きになったことが無いのであれば、不気味に感じる音なのかもしれませんね。
懐かしいですね!最初に見た時は、2600系と、見間違えた!まさかの吊り掛け電車とは、😮ビックリしました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに4000形は2600形によく似ていましたが、いろいろな意味で大変ユニークな存在でしたね。
4000形釣り掛け音を久しぶりにそして懐かしく聴きました!
そうです、この音でしたね。5両という独特の編成もありました。運転席後ろのルーバーからの風切り音も懐かしい音です!
私が以前住んでいた祖師谷(といっても徒歩20分位)での想い出で、1:01成城学園前発最終上り経堂行き各停が4000形で、毎晩(特に冬の時期)この釣り掛け音が夜中に響いていました。耳をすましていると環八を渡っていくあたりまで聴こえましたね。寝る前にそれを聴くのが楽しみでした!35~40年前の想い出です。
アップロード頂きありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
冬の深夜に遠くで響く吊り掛け音・・・風情が感じられたと思います。
返信頂きありがとうございます。
中学~高校生の頃でしたので、最終電車なんて想像もつかず、ただ昼に自分が乗ったあの車両がこんな時間に走っているのかなぁと思っていました。そしてこれを聴いて「1時か‥寝るか」みたいな・・。懐かしい想い出です。@@昭和電車チャンネル
江ノ島線の映像かつ4000形というのはとても珍しく貴重なものだと思います
いい映像をありがとうございます!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画に出てくるように、江ノ島線は意外にも上り勾配区間が何回も現れるので、4000形の吊り掛け音を是非記録に残そうと、当時ビデオ撮影した次第です。
当時4000形もしくは4000系という形式が存在した私鉄は後にも先にも小田急だけだったと思う。しばらくして西武や名鉄などチラホラ他の私鉄にも現れ始めたけど。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
言われてみるとそうかもしれませんね。3000とか5000とかはよくありましたが。
旧4000形3+3両は最後まで特に江ノ島線の各駅停車(新宿発着含む)で使ったみたいですね。多摩線で使うのは唐木田開業後・冷房化されてからです。しかし今まで気づかなかったですが、湘南台から藤沢本町まで上りは急こう配だったのは知りませんでした。旧4000形が急こう配で全力を出しながらスピードを上げてましたが、目蒲線でも地下切り替え前の不動前から武蔵小山も急こう配で旧3000系も現役当時は全力を出しながらスピードを上げてました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そうなんです。動画内でも字幕入れてますが、藤沢本町→善行→六会→湘南台まで、それぞれ→の間に上り勾配があり、4000形の吊り掛け音を記録しておこう、と当時ビデオ撮影した次第です。目蒲線の不動前からの上り勾配については、動画「目黒駅が地上の頃」に出てきますので、もしまだでしたら御覧ください。
風切り音も含めとても懐かしいです❤
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
風切り音、そういえば今は気付きませんね。
先代4000形のつりかけサウンド、堪能いたしました!私もかろうじて知っている世代ですが、締めの「相鉄もブルーラインもまだないころの湘南台駅」とつりかけ4000形の取り合わせがぐっときます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
藤沢本町→善行、善行→六会、六会→湘南台、それぞれの区間に「上り勾配」があり、4000形の吊り掛けサウンドの唸りを記録したいと思った次第です。湘南台駅は、本当に様変わりしましたよね。
裾絞りの拡幅車体に押し込み型ベンチレーター等々、関東私鉄では進歩的な車輛であったと思います。非冷房時代の乗務員扉次位の戸袋窓がルーバーなのも懐かしい。この時点ではスカートが装着されていたのですね。時代と共に編成相手、輛数、冷房&カルダン化と波乱の形式だったと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私が子供の頃の4000形は、スカート無し3両編成で走っていました。この動画撮影時は、いつのまにかスカートが付いていますが、仰るようにまだ4000形の特徴のルーバー窓は残ってます。このあと5000形にどんどん近づいていき、特徴が失われましたね。
江ノ島線に幼少時代から現在まで大変お世話になっております。
初代4000形は小田急車両の中で一番好きな車両です!
ディスクブレーキなのに吊り掛け駆動なのがたまらんです(笑)
善行から六会日大前(当時は六会)の勾配は結構角度がありますよね!
4000形の5×5の急行1回見たような気がするなあ😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
初代4000形のアンバランスな魅力、解ります! 仰るように善行から六会までの勾配が最もきつかったと思いますが、この動画にあるように、本町→善行、六会→湘南台の勾配もそこそこきつくて、吊り掛けが音がよく唸ってくれました(笑)。
僕本人だって1985の時から江ノ島での海水浴にて世話になっています。
祖母の家が湘南台と六会のちょうど中間あたりにあり、祖母の家に行ったときは六会~湘南台の間にある踏切の所で毎日通り過ぎる列車を見ていました。その踏切が動画に映っていたので懐かしい気持ちになりました。当時は吊りかけモーターについての知識がなく、なぜ4000形だけこんなにうるさいのだろと疑問に感じていました。江ノ島線の各停に乗るとき5000形や9000形の4連がくると嬉しかった半面、2400形や4000形がくるとがっかりしていたのを思い出します。素晴らしい動画ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私も小学生の頃、5000形や特に9000形をカッコよく感じ好きでしたね。4000形は好きでも嫌いでもありませんでしたが、正直2400形は好きではありませんでした(笑)。ただ、冷房搭載試験車の2478と、スカート試験車に2551(何十年も経っているのに、いまだに番号を憶えてますw)が来たときは、ラッキーな気分になりました。
昭和61年でも急行運用有りました。5連充当が多く、3連2本は各駅停車が主でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
5連と3+3連は種別で使い分けられていたのですね。
0:31長後の長老さん達が
横浜市営地下鉄建設大反対した為、相鉄、横浜市営地下鉄が隣の湘南台になり長後が衰退してしまった悲しい😢歴史を思い出しました😢
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
地下鉄路線の線形的には、立場からそのまま長後街道を西進する方が自然なので、やはり当初計画では長後だったのですね。
4000形のディスクブレーキ仕様覚えています、円盤が目立ってました。(60代)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
子供のころ初めて4000形を見たとき、ディスクブレーキの知識が無かったので、あの光る円板は何だろうと気になったのを憶えています。
この頃に六会の日大の学生で相模大野に下宿してたから通った小田急懐かしい😆
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
駅名も日大が付きましたよね。
小田急沿線に住んでいる親戚のうちへ行く時、お世話になりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時、吊り掛け4000形は最後の活躍でした。
小田急の4000系乗車したことありますが、釣り掛けモーター音が懐かしい感じですね。3両と5両固定があり、後に冷房化、高性能化されましたね。🚃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
登場からしばらくの間は3両固定編成のみで、冷房はおろかスカートも無く、台車のディスクブレーキが異様に目立つ車輛でした。2600形以来の近代的な大型車でしたが、それが吊り掛け音とアンマッチで、面白かったものです。
また、懐かしい動画ありがとうございます。4000系は最高95キロだったと思います。脚力がなくて4M1Tが一寸ましでしたか。2M1T では加速度1. 7でした。(笑)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この動画は2M1T+2M1Tですが、別の動画の4M1Tの方が、ちょっと力強い気もしますね。
映像では分かりにくいですが、スピードが出ると通常の吊り掛けには無いパイオニア台車独特の音が響きます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
パイオニア台車特有の音というのは気付きませんでした。別の動画もあるので注意して聴いてみます。
この吊り掛け音、堪らなくいい味出してますよね。貴重な映像ありがとうございます。VHSでお撮りになったんでしょうね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
登り勾配が繰り返し出てくる路線なので、その度に吊り掛けの唸りが堪能できました。巨大なカメラとデッキが別体でこれまた大きいβやVHSテープを使用する時代もあったようですが、その後ソニーから「8ミリビデオ」と呼ばれたデッキ一体型ビデオカメラ(従来より小型テープ使用)が発売されて、私が1985年から撮影を開始したのは、それがきっかけでした。まあ、従来より小型化されたとはいえ、肩に担ぐ感じで重量も3kg近くありましたので、「板っぺら」で動画撮影できる今からは想像できない世界だと思いますw
@@昭和電車チャンネル そうですか。確かに今のように、気軽に録画出来るような道具がなかった時代だったと思います。8ミリビデオか。懐かしいですね。浅野温子さんがでていたソニーのCMを思い出しました。
善行にある高校に通っていました。
善行の六会への登坂は釣りかけ車にとって辛そうでしたね。
夏になると教室の窓からこの釣りかけサウンドが響いてきたものです。
また六会駅に近づくと日大農獣学部の畑から牛糞のニオイが漂ってきてキツったです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
江ノ島線では海沿いから内陸部へと徐々に海抜が上がるため、この動画にあるように、3か所で顕著な勾配区間(特に善行→六会間)があります。4000形の吊り掛け車がなくなる前に、上り勾配で唸る音を記録しようとビデオ撮影しました。仰るように、吊り掛け音は、線路から結構離れたところまで聞こえますよね。
忘れかけていた幼少期の思い出が甦りました。リクエストなんですが、小田原付近の4000系の前面展望や、京王5100系の吊り掛け前面展望もあったらアップロードしてください。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
残念ながら、ご要望の映像はどちらも持ち合わせておりません。江ノ島線の勾配区間で吊り掛けの唸りを記録したかったので、当時、本映像を撮影しましたが、小田原線の勾配区間でも撮ればよかったと、今では後悔しています。
これこれ!この音最高です!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
江ノ島線のこの区間は、長い上り勾配が繰り返し現れて、吊り掛けの唸りを堪能するには打ってつけでした。
小田急4000のつりかけモーター音に慣れていたら、東急グリーン車や東武5000のつりかけ音がおとなしく感じた思い出があります。特に減速時もいい音がするのは小田急4000しか記憶にありません・・動画ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに4000形の吊り掛け音は、異彩を放っていたかもしれませんね。
小田急線、9000系、4000系は一番かっこいいですね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私も4000形、というかその前の2600形が小田急らしい大型車の嚆矢として好きです。あと9000形ですが、小学生のとき初めて見た際、なんてカッコイイのだろうと思ったものです。その後、他の事業者から似たような顔の電車が続々出てきましたが・・
8:25 =昔の湘南台駅こんなふうになったんだ。乗り降りした記憶はありません。
江ノ島線の駅の中では、湘南台が最も変化が激しかったと思います。
湘南台はもちろん六会日大前(この当時の六会)も改良前の駅舎ですね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
六会も改良前ですね。あと善行は当初(この動画の時期も)から橋上駅だったと記憶していますが、何十年も経っていますのでやはり改築されているのではないでしょうか。(確かめてませんが)
高校生の頃、通学で利用していました。
あの頃は、急行でもHE車ばかりで、8000形は当たりでした。
ただ雨が降ると、空転しまくり。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
2400形HE車の「うしろ4両急行江ノ島行き」は、とにかく車内狭くて混んでいたことが強く印象に残っています。
4000形は、2400形のモーターに交換され、
冷房も搭載されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
4000形は、最後は5000形とほとんど同じようになりましたね。
カルダン駆動の旧4000ガタガタなら乗ったことある!釣り掛け時代の時はないなあ😅
やっぱり4000形といえばこの音と運転席後ろのルーバー、派手なPⅢですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰る通りの個性派車輛でしたね。新性能化で5000形同様になる前は。
当初は1800形2両と連結して、8両の朝ラッシュ
の急行に運用されましたが、2度の脱線事故(どん
な事故か説明すると長くなるのでやめますが、負
傷者死者は0でした)があり、取り止めました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は当時は知らず、後から知ったのですが、台車の追従性のアンバランスが脱線の原因だったようですね。
@@昭和電車チャンネル
冬は、4000形より1800形の方が、
暖かったです。
4000系懐かしい吊り掛け音結構好きでした!運転士によっては伊勢原から鶴巻温泉の間で95キロと惰性で100キロ近い速度で走行した体感もいまだに頭に残っています!
結構性能良かったですよね!
上り勾配ではあまり速度は伸びなかったです!
追加で顔が2600系と同じ顔も覚えています!2600系は雨になるとよく加速時に空転しながら加速していましたね!😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
吊り掛け4000形は急加速が苦手なので、小田原線ではその機会が少なくて済む急行運用が多かったようですね。吊り掛け音を響かせながらの爆走はさぞや気持ちよかったことでしょう。
久しぶりに拝見しました。4000形の唸りを聞いて、地元西武の吊り掛け車が正丸トンネルを走行した時を思い出しました。4000形は4M1Tまたは4M2Tですが西武はMT比1:1で、MT30付を除けば弱め界磁もないので、上り勾配では80kmから上は力行してもほとんど速度が上がりませんでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は西武の吊り掛け車はほとんど乗ったことが無いのですが、秩父へ向かう連続上り勾配では、さぞ良い音を唸らせていたのでしょうね。
@@昭和電車チャンネル 様、さいだいちつのすけです。今後私も貴殿と同じ頃(1980~90年代)にホームビデオで撮影した動画をRUclipsに上げたいのですが、当時の動画に映っている人は編集で顔がわからないようにする必要はないのでしょうか。顔が出ていても肖像権等の問題はありませんか。
返信ありがとうございます。
法的に厳密な話は知らないのですが、写っている人から肖像権を侵害されたと訴えられない為の予防策として、皆さんぼかしを入れているようです。30年以上昔の映像で訴えてくる人はまずいないと思いますが、念の為に私のやっていることとしては、顔が大きく写っている場合はぼかしではなく、そのシーンをカットしています(電車の映像が途切れても止む無し)。また、顔が小さい場合は、昔の映像の解像度が低く元々ぼかしが入っているようなもの(笑)なので、そのままにしています。
@@昭和電車チャンネル 様、ご返信ありがとうございます。参考になりました。
懐かしい🎵
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
懐かしんでいただけななら光栄です。
還暦過ぎのオジイです。当時大学まで小田急を使って毎日「大根・現・東海大学前」~「梅が丘」まで通っていました。本当に懐かしい映像を見て( ;∀;)が出てきました。この音、正しくこの音なんですよね・・・。「相模大野」~「江の島」間の利用は殆どありませんでしたけど。沿線の映像が当時感をを醸し出して本当にノスタルジック。急行箱根湯本行きは短い編成でいつも大変に混雑しており難儀したのも懐かしい思い出です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
懐かしんでいただけたなら、こちらとしても嬉しいです。相模大野で分割していた頃の急行は、仰るようにいつもギュウギュウでしたよね。
製造年号の入った東急車両の古いプレートも印象的だったかな、
雨の日だったけどモーターが焼けた匂いで乗ると空転空転又空転、小田急相模原付近で激しい空転の後停車、
無線連絡の後運転席窓上にあるヒュースらしき物を交換、運転再開、当時の通勤が超満員の中釣りかけ各駅停車運用というのは
中々厳しかったのではないかと。
パイオニア台車ですが、柔らかくはなくとも乗り心地は種車(63形1800形)よりかは良かったとは思いますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
小田急相模原付近で、珍しい体験をなさったのですね。各停運用では加減速を繰り返し、超満員では負荷が掛かるので、不具合の原因になったのかな?
昭和50年代前半に経堂で3両編成の各停を目撃したことあります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
その時期なら、まだ3両の各停が居たのですね。私にとっての4000形のイメージは、やはり登場時の3両編成(非冷房、スカート無し)です。
その当時は中間車に先頭車を連結した変形5両と登場時のままの3両編成が並立してましたが、昭和50年ごろに中間車2両(冷房準備工事してたか不明)を新造して全て5両になり昭和50年代後半に廃車された2400系等の機器を使用して高性能化されたと記憶してます。小田急沿線住民で鉄男だったのでほぼ正しい情報です。
釣りかけの音がたまらんですね
あとや勾配にはこんなに弱かったんですね 今のスジなら乗せるの難しそう
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
江ノ島線の登り勾配区間(~善行、~六会、~湘南台)では吊り掛けの唸りは最高でしたが、仰るように今に比べて加速は厳しかったですね。
同じ吊り掛け式の1800形、国鉄72系と比べると重厚さがなく、軽快なサウンドでしたね😃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
4000形の足回りの流用元は複数に亘っていたので、吊り掛けサウンドにも違いがあったようですね。
懐かしい!その昔藤沢本町〜六会まで、通学してまいた!因みに2学年上の先輩に、元プロ野球選手の山本昌さんを輩出した学校です!真夏の熱い時、全面が黒色だったら、冷房車、小田急顔だったらどっちかなぁ〜という思い出が有ります!あと、5000系4両は、ほぼほぼ"成り急"(相模大野で本線急行6両とガッチンコ)その他の各停は、6両で町田行が多かったかな!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
後年、駅名が変わったところの高校ですね! 江ノ島線は、通しの急行もありましたが、たしかに「成り急」が多かったですよね。
外側ブレーキディスクのPⅢ台車に釣り掛け駆動でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そうですね。4000形が3両で活躍していた頃、このディスクブレーキは子供の目から見て珍しく感じたものです。
まずこの方向幕の操作盤が懐かしいのと、冷房改造前の4000形だけは運転台を含めて内装がエメラルドグリーンではなく薄い茶色というか小豆色だったのを今でも覚えています。
懐かしい貴重な映像を公開してくださって有難うございます♪
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画に何気なく写ってますが、方向幕の操作盤なんてものが以前はありましたよね。あと内装が薄ピンクのような色なのも、たしかに珍しかったと思います。
現車(4000系)がカルダン車ではなく、吊り掛け旧車からの更新車である旨の乗務員室の薄ピンク?塗装だったのではないでしょうか。あくまで推論ですが。性能を色分けすれば明確ですし。
@@昭和電車チャンネル さん返信有難うございます。僕は子ども心に茶色と思ってました🤣
言われてみると薄ピンクとも表現出来るような。。。🤔
多分当時の丸の内線の車両がどピンクだったのに比べて茶色が混ざってるように思ったんでしょうね。ミルクチョコレートのソフトクリーム🍦にピンクを混ぜたような色と言う表現が一番正しいかもしれません💡
小田急吊り掛け車乗った事ありませんでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
小田急では、東急や東武などに比べて早くに吊り掛け車がなくなってしまいましたからね。
4000型はカルダン化されて冷房も付き快適になったのに、すぐに廃車になり残念でした。
善行駅は山の中腹で、駅から出てどちらへ買い物に向かうにも急坂を登り降りする羽目になるので結局駅前の相鉄ローゼンで済ましちゃうんですよ(笑)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は善行駅は小学生のとき以降、降りたことが無いのですが、たしかに駅の周りがやたら坂が多かったように記憶しています。
カルダン化されて冷房後15年は使ったから結構使ったほうだと思う。機器流用車の中ではむしろ長寿だった。
この上り善行、モータの唸りで車掌からの停車予告ブザーが聞こえないんです。ブザー箱が上にあって、立ち上がって耳を澄ますと蚊の鳴くような音が聞こえたり。
この時代知らないので、私は、昔阪急沿線は、今津線吊り掛け非冷房扇風機回ってました。本線も2000系非冷房扇風機回って暑かったです。けど吊り掛け最高すきです。今の4000系しか、知らないので。新鮮です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は逆に、阪急の吊り掛け車両時代は残念ながら知りません。吊り掛けの加速音は、いかにも電車が頑張っている感じで、私も最高に好きです。
やっぱり小田急の代表的な吊り掛け車。南海秩父鉄道神鉄旧型車と同じモーター。あと西武351も
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
電動機を往年の旧型車から流用された4000形は、小田急最後の吊り掛け車でしたね。
当時京王5100系と並ぶ最強の吊り掛け電車❤
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
京王5000系列では、吊り掛けとカルダンの混結列車もあったようですね!
ロングレールじゃない江ノ島線が好きでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
小田急では80年代にロングレール化が伸展しましたが、江ノ島線は後回しだったようですね。
見た目は高性能、中身は旧性能で違和感半端なかったです
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
前半生はそうでしたが、後半生では5000形もどきの一応新性能車になりましたね。
ロングレール化されていない江ノ島線。30年位前でしたか、ロングレール化したのは。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに、ジョイント音がしっかり聞こえますね。
4000系の6両より、1800系の6両の加速の方が伸びましたよね。
やはり、モーターの出力差なんでしょうけど。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
1800形の2+2+2編成は、私はあまり乗った記憶がないのですが、加速が違ったのですね。
西武による赤電と同じ音。
側面には急行灯がない。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
西武の赤電は現役時代もそうですが、伊豆箱根鉄道(だったと思いますが)に移ってからも私は乗る機会がないままで、残念です。
吊り掛け時代の4000形。
小田急で初めて乗った電車がこれで 2600形かと思って乗って走り始めたら吊り掛けの音がして「何だこれは!?」と驚いた思い出があります。
93.3kwのモーターで20Mの車体は 97kwモーターで18Mの東武3000系よりも重そうですが 高速域の伸びは4000形の方が良かったです。
弱め界磁が付いていたからでしょう。
尚 小田急はこの電車に吊り掛け式ながら『パイオニア台車』を採用し その前に東急から7000系を借りてテストした程でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに小田急初の「大型車」2600形に似てますね。パイオニア台車はバネ下重量が大きく追従性が低くなり、1800形併結の4000形で発生した脱線の原因ではないかとも言われているようです。
小田急乗車の際は、おせわになりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
吊り掛け4000形は、この後5000形もどきの「高性能」に改造され、意外と長寿でしたね。
照明点灯してますね 減光2ッ、通常 1ツでしたね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
照明点灯ってどこのことでしょうかね?
加速の時の音が不気味
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ひょっとして吊り掛け音をお聴きになったことが無いのであれば、不気味に感じる音なのかもしれませんね。