Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
水木しげるは軍隊へいってたので、その軍隊ですり込まれたことも多い。1.毛穴。日本軍は毒ガスが次の戦いで使われることもあるとして新兵から対ガス訓練が教え込まれた。最新のガスは皮膚の毛穴から浸透して全身を冒すと教育されたので毛穴にこだわった作品が数多くある。もはや一つの特長だと言える。2.戦闘シーンは知覚できない一瞬間で決着する。彼の決定的な戦闘シーンは一コマで終わる。無事だった方を確認し終えることで決戦の勝者を知ることが出来る。戦争では無事だった人は隣の戦友の死が気がつかないままだとか、無事で無かった人は知らないうちに自分の体がもげているとかが実体験である。予兆も無ければ察知も出来ないことが多いのである。彼自身突然爆弾が至近距離に落ちて腕を失っているが気づいたときには腕が潰れているのである。現地と帰国してからで2度切っているはずである。3.
3…3が気になります!!
@@yamadareiji_kirinuki ワロタw
秋元治さんが、後輩から見た「常磐壮」への憧れを「時は…」という作品にまとめていますね。水木しげる大先生の「仙人酒」のあのエロチックな女性群はつげ義春さんが描いたものでしょうか?池上遼一さんのつげさんへの尊敬は尋常なものではなかったそうです。鬼太郎が人気になり、宝塚で毎年「鬼太郎ショー」が開かれるようになると、手塚氏の嫉妬は凄まじく、「君、まだあんなものをやっているの?」という嫌がらせに辟易した水木大先生は、手塚さんを揶揄する「一番病」という作品を描いています。手塚の嫉妬は、弟子とも言える石森(当時)章太郎にも向かい、「ジュン」の事件の後も、「東北は大した漫画家を生んでいないな」「先生、石森さんがいますよ」「だから、石森程度でしょう」と、言い放ったという話も世に伝えられています。なお、「水木荘」は神戸の水木通りにあり、ここで押し入れだけを借りていた某講談師が、ねずみ男のモデルという説は有力です。
この話はメチャ面白いですね。日本漫画史の捉え方が変わりそう。
自分も切り抜いていてとても興味深かったです
1年前の動画、今見て共感しまくってます。山田さんと同世代です。「あっちにはあっちの希望がある」が刺さりました。今の時代、大人がふがいなくも希望を失ってしまった。と言うか捥ぎ取られてしまった。残った子どもたちの希望まで。今の日本は諦めと惰性の空気が充満している。
詳しいし、分析力も素晴らしい。
まんが道でも多少触れられていますが、藤子不二雄さんは二人共母子家庭で、自分達が漫画家になると母親の暮らしが心配な状況でも、お母さん達は応援して下さった訳だし、それこそお父さんが生きておられたら、漫画家なんてとんでもないと反対されていただろうし。手塚治虫さんも、お母さんが応援してくれたので、漫画家になれたみたいだし。石ノ森さんも、亡くなったお姉さんの応援があったようですし。みんなインテリだったし裕福な家庭だったというけど、普通は当時そういう家庭の子どもをは漫画家にならなかった中で漫画家を目指したという所が凄い所だと思うのです。世間の価値観で無い道を選択したという。漫画家の地位が上がってから漫画家になろうとした人達とはわけが違う。安孫子さんがある種の夢の中を生きる事が出来た方なので、まんが道が素晴らしい世界になっているわけで、まあ赤毛のアンで言うところの想像の世界としての安孫子さんの世界が、現実と見事にリンクしているのがまんが道だと思う。だから他の人がトキワ荘をあれこれ言うのを一々検討しても意味が無い。そう言えば、南沙織さんの旦那さんの篠山紀信さんも、確か漫画少年に投稿されていたらしいですね。
安孫子先生がモテたって話はちょいちょい聞きますね。石森先生のお姉さんが安孫子先生にガチ惚れしてて告ろうとしてたのを、シスコンだった石森先生が嫉妬して止めたって話を聞いたことがあります。
ギャグ漫画の依頼を受けた石森が「ギャグなら赤塚が面白いと思うよ」って編集者に言ったのが赤塚ブレイクのきっかけですね。トキワ荘主要メンバーでは最年少の石森は同世代の松本零士、ちばてつや、さあとうたかをとずっと付き合いがあったけど、ちばてつやのインタビューで当時から付き合いがあったと判りました。まんが道にも登場してほしかったですね
トキワ荘って現代の感覚で考えてるから、売れない頃の漫画家がボロアパートに所狭しと住んでたって清貧なイメージだけど、実際は築1,2年の綺麗な新築アパートにイケイケの漫画家がシェアハウスしてたっていう現代だとインスタ映え狙えるようなキラキラ生活だよね😂
だって全員がお坊っちゃんだよ。手塚治虫とか幼少期から映画館に通いつめてたんだから。
切り口鋭っ
雑誌社の缶詰め用施設だから通いのつのだじろうも居た
「トキワ荘」に対して「水木荘」とは面白い。実際水木先生は上京する前、神戸の水木通にあったアパートの大家さんをしながら紙芝居画家をしていたという珍しい経歴でしたね。
トキワ荘で一番モテてたのは赤塚不二夫じゃないかな。当時は美青年で、部屋に女性を連れ込んでヨロシクやっていたらしい。
朝日ソノラマ時代、私の起ち上げたサンコミックスのシリーズは、水木しげる、石森章太郎、さいとうたかをの三本柱を軸に推し進めるというコンセプトでした。水木さんとは、そのときからの付合いですが、当時のアシスタントは池上遼一さん、後にまんだらけの創業者になる古川益三さん、つげ義春さんなどキラ星のごとく多士済々でした。「悪魔くん」のテレビ化の際、東映の平山亨さんに水木さんに紹介したのは私です。平山さんは水木さんの仕事場に入り浸ってマンガを勉強。それが仮面ライダー、戦隊シリーズへと見事に開花します。
光側が強いのは当然だとは思いますが、影側、強すぎませんかw魅力の塊ですね。
光の強さに比例して、影も強くなる。要はそう言う事です。
漫画家版終末のワルキューレって感じだな
光ある所に影がある…まんまサスケですね
つげ義春は漫画も良いですが旅行記とかも面白いですね。
つげさんが水木プロに入るのは29歳くらいのときで、もっと若い時にガチで付き合いがあったのは永島慎二や遠藤政治や石黒昇だった 石黒昇がいるところが面白
石ノ森章太郎先生の昔語り的エッセイ漫画で、「トキワ荘にはあまり良い思い出は無かった」と解釈できるような描き方をされていて、衝撃を受けたことがあります。人それぞれに感じ方が違うんだなと。
同居してたお姉さんが亡くなった影響とかもあるんですかね。
小学館のつげ義春全集のプレゼント企画で「紅い花」のラストページの複製原画をもらったんだけど、原稿用紙の隅に「水木しげる専用」って印刷されていた。
まんが道が出た当時から、明治時代の夏目漱石の木曜会に集まる文化人の話とか、水滸伝の梁山泊の話とダブって、素敵なお話だなと思ってましたが、水木荘の話も被せてくるとまたより面白い
五浦の六角堂に似てるよ常磐(トキワだし)
モテるモテないの話ですが以前トキワ荘出身の漫画家さんたちの座談会を読んだ時はオタク気質丸出しで女性と縁のなかったトキワ荘住民の中で赤塚不二夫さんだけ彼女がいてモテてた、ともありましたね。なんでもトキワ荘時代の赤塚さんは人目を引く色白の美少年だったとか。
王・長嶋と野村克也みたいな対比(太陽と月見草)で面白いですね。コレは奥深くて是非とも「裏漫画道」をどなたか作品化して欲しいですね。
トキワ荘の後も西武池袋線沿線って、マンガ家さん多かったです。富士見台に、虫プロのあった頃、ちばてつや先生もすんでらしたし、(ってか今もいらっしゃるし)他にもたくさん、それが普通と思っていたら、割とあの辺りに密集していたらしいと、大人になってから気づきました。昔からやっている飲食店とかに行くと、大御所達の寄せ書きが、ひっそりとあったりして、凄いなと、思いました
そうなんですね!知らなかったです。
保谷で新聞配達をやっていた時、店の配達区域に吾妻ひでお・山上たつひこ・池上遼一・すがやみつる・梶原一騎等各氏の自宅や遺宅がありましたし、配達中に高畑勲氏と遭遇したこともあります。
闇の水木荘派の作家陣の作品は、高校から大学時代にハマったな。あんまり関係無いけど、上村一夫先生も大好きでした。
テーマは光と影、今回も為になるお話をありがとうございました👍!!
長谷邦夫さんは「はせ」でなく「ながたに」と読むのです。
ほとんどメディアでは出る話では無いですが最初に手塚さんと一緒に引っ越した加藤さんの父親の歴史が漫画史にとっては歴史の分岐点です。
なんとなく再生したけどめちゃくちゃ勉強になった
水木荘(ガロの系譜)の噺はよく知らないので作品として観たいです。
自分も早速漫画を購入しようと思います!
高校生の時、初めて「ガロ」を書店で見つけ購入しました。それまでのいくつもの「少年〇〇」と違う世界に衝撃を受けました。古川益三が好きでした。※長谷邦夫さん、ナガタニクニオさんだった思いますが。
週刊少年誌だと二大流派が当時トキワ荘と水木荘系でサンデーがトキワ荘、マガジンがトキワ荘の石ノ森章太郎+貸本系、チャンピオンやキングが両者。ジャンプが二大流派不在の独立リーグ。
ときわ荘 私の憧れです。東京に住んでいた時に行けば良かった!時間軸は違うけど、空間を味わいたかった。ありがとう先生方 感謝
トキワ荘はいまも愛されていますよね
水木しげるのもとには矢口高雄も行ってますね。銀行員のままでいなさいという水木しげるのアドバイスに笑いました。
だが矢口先生側の記憶では『絵が上手いと褒めてもらった』しか残っていなかったというw
メンツがほんとすごい
特殊な磁場が生まれてますよね
ほかに水野英子やつのだじろうもいましたね。
光ある所に影はある。手塚治虫と水木しげるが、その役を担ってたと思うと、なんか感慨深い。
自分も編集していてとても興味深かったです。
そのコメントの冒頭文が、白土三平のサスケ アニメオープニングのセリフ流用ってとこがイカします😁ほんと、深い深い感慨。
最近水木荘にいた伝説のマンガ家つげ義春さんの近況が解ってびっくりした。いつからか消息不明になっていたが、フランスの漫画賞を受賞して息子さんと懇意のカメラマンそしてつげ義春さん3人のフランス珍道中が書籍になり発売されるみたいです。
藤本先生はマジで漫画家しか出来ない人だったんですね😅安孫子先生の方が明るい性格で編集者と藤本先生のあいだを取り持ってたって初めて聞きました。安孫子先生は仕事が終わると赤坂とか六本木のバーやクラブで飲み歩いてたのにずいぶん長生きしたなあ😵安孫子先生の魔太郎がくるとか笑うセールスマンが好きだったな
笑うせーるすまん、自分も好きです!
そういう飲み友達からの愚痴とか不平不満を聞いて、作品のネタや糸口にしてたかもしれないね。
めちゃくちゃ面白いこの話まんが道好きすぎる
登場人物全部主役で圧倒されるわ
何故かこの動画にたどり着きましたが、今までずっと心に引っかかっていたつかえが取れました。子供の頃から周りが騒いでいた手塚漫画を甘ったるくて面白いと思ったことがなく、シュールな画風の漫画に惹かれていたのですが水木しげる、つげ義春にはまったのは必然だったと判りました。
この時代の光も闇も大好きです。 この時代の漫画家は作家性が強く、代表作以外の中短編にも傑作が多かったですね。今は代表作1本で他何を書いているのかわからないし、人気連載が終わると消えてしまう人が多いような気がします。おまけ 中1の時、石ノ森先生と赤塚先生の家へサインをもらいにいきました。赤塚先生はダメでしたが、石ノ森先生には書いてもらいました。 今考えるとアポなしで出かけて、サインをねだるとは・・・我ながらあつかましいですね(笑)
トキワ荘の人達は裕福なお坊っちゃんが集まって同人会してたようなもんだから、現代の庶民と比べたらいかん。あの人達は好きで貧乏になってんだから
長谷邦夫がハセさんと呼ばれていたのは初めて知りました。
素晴らしい。
なるほどな~山田さん語りは含蓄が多くて面白かった何気に水木荘側の池上遼一さんは未だに現役で連載してるレジェンドなのびっくらこいたw俺的に講談社グループのちばてつやさん好きなんだよな~
完全に水木荘派ですw藤子Aも好きだけど
大人になって水木荘の良さがわかりました!
漫画家の中で一番好きなのがつげ義春さんです。名前出てきて嬉しかった。
トキワ荘メンバーに確か、ホラー/心霊系漫画の巨匠、つのだじろう先生もいませんでしたか?
つげ義春さんの証言で漫画少年を訪問した時に手塚先生が居てその時ちょうどジャングル大帝のラストを描いている最中だったと何かで読んだ事があるのですが、ジャングル大帝のラストはときわ荘で描いていて安孫子先生がその時に手伝っていたのは有名な話しだから、つげさんの勘違いなのかな?
みんな違ってみんなイイ娯楽は少ないが規制も緩んだ時期だからこそ才能が育まれたと思う。水木先生も手塚先生も藤子先生達も過激な描写とされて廃刊にされたものもあるし、赤塚さんもバカボンやおそ松くんがヒットするまで四苦八苦してたこともありますよね。永井豪さんも大人過ぎるからもっと子供が読める感じとかダメ出しされたのにまいっちんぐマチコ先生がアニメ化して「ふぁ?」って感じだったとか……才能あっても花が開くまで大変なんだなと思ってました。漫画家ですと職業名乗れた時代に還ってもいい気がするな……
山田さんの話は本当に面白いです😺平凡なことしか言えなくてすみません😣
貸本屋世代の自分としては、なるほどね!という解説で納得しました。
便所を改造した部屋で膝抱えてるつげ義春が大好きですw
やば、もの凄い面白い。
面白い話だった
現在の漫画家への影響力で言えば、つげ義春は手塚治虫や大友克洋に並ぶか、それ以上なのかも知れませんね
トキワ荘、水木荘、この光と影が日本マンガの「豊穣さ」に繋がった感。70年代後半のエロ劇画とガロの系譜も追いかけました。宮西計三さんとか、ひさうちみちおさんとか、谷弘児さんとか。
いやいや70年代は学生運動の黄昏じゃないでしょうかね
小学生の頃からトキワ荘バンザーイ!の自分で、(これは住んだ後に分かったタマタマだったのですが)トキワ荘近くに住んでる私です。『近くに居たがトキワ荘に馴染めなかった人たち』との指摘と視点持ち合わせていませんでした!Σ(゚ロ゚;)(そこだったのか!)水木荘 ー。その全ても好きっていう自分も居ます🙄おまけで、F先生とA先生の人としての違いの考察。サイコーでした😁
しびれのスカタンが叔父さんの書棚にあったなw
まあ、光と影ってわかりやすくいうけど、満州から引き揚げてきた赤塚不二夫もつげさんと同じくらい苦労してるし他の作家さんも光ばかりではないよな
藤子フラッシュとアタックですもんね
トキワ荘の人達って、昔の歌手とか芸人とかの「テレビに出演できれば有名になれる可能性が一番高い」ってことでテレビ業界に集まってきた人達と同じで、「漫画に関わる人間自体が少ない+だがトキワ荘なら人数も多いから誰かしらこちらの望むものを提供してくれるだろう+他にいたとしてもどこにいるかわからないしな」っていう漫画業界の人達に重宝されやすい恵まれた環境に入れたから有名になれただけなのでは?と、手塚治虫のディズニー風+藤子不二雄や赤塚不二夫の舞台やキャラを日本風にしただけで全体的にはディズニー風な漫画が苦手な自分は常々思ってしまう。「みんな本当に面白いと思っていたのか?、当時から水木風の日本らしさに明るさが合わさった漫画を描く一派があればそちらの方が主流になれたのでは?」とも思うが、欧米万歳な風潮が強かった昭和の時代では無理か。
あの時代って・・凄い!(-_-;)・・
手塚治虫も藤子不二雄Aも鳥山明も水木しげるの弟子だし水木しげるの影響を受けてると思う。それはその人達の漫画を読めばわかる。付き合いとかじゃなくて漫画を読むとわかる。
NHKの朝ドラまったく見ない人間なんですが「ゲゲゲの女房」で水木荘の人たちは登場したんでしょうか?
アパート経営時の水木荘じゃなくて水木プロ編では池上遼一→窪田正孝、つげ義春→斎藤工がそれぞれモデルとなる人物を演じてましたね
知らなかった俺は影の一族だったよか!
水木荘はカマドウマ ナメクジのイメージでトキワ荘はノミ 南京虫のイメージですね日本を漫画大国にしたのは虫達だった…
出てくる名前が伝説の人だらけ。
水木さんはかなりの坊っちゃんだよ
トキワ荘は光と影だけではなく闇が見え隠れする。そこが知りたい。
闇ですか…そう言われると気になりますね…
@@yamadareiji_kirinuki 一連の作品は、都合良く記憶が美化されているのではないかと思うのです。
闇なんて無かったんじゃないかな?集まった時にマンガの話なんてしないで騒いでたのが楽しかったんだから!
寺田ヒロオさんがね
長谷川町子の妹のエッセイのようにもっと生々しい所が見たいよね
漫画世界の梁山泊ですよね。夢がある。
このタイトル…笑笑
手塚治虫先生の上ってディズニーなんですか?ディズニーから影響受けてるのは知らなかった〜
不朽の名作と言われる「ファンタジア」を何度も観ていたらしい。
えーーー!手塚治虫の漫画読んだことないの?そこかしこに拝借した描写があるぞ
佐藤 まさあきも忘れないで欲しいな。ハードボイルド漫画の原点
手塚治虫が造った梁山泊だったな😅
コメントありがとうございます!
これに関しては寺田ヒロオの存在が大きいかも?
トキワの七光。
日本の洗濯船ですね
つげ義春コミュ障なのに結婚してて子供もいるってもうこれわかんねぇな。コミュ障ってなんなんだよってなる🤔
光と闇なのか?その当時に置ける作家性の様な気もする。
まんが道は、新社会人になる人達には絶対に読んで欲しい。働く事の意味が描いてある。
この切り抜きのサムネわかってねえなw水木荘側は悪魔くん(千年王国の方)使えよw
水木しげるは軍隊へいってたので、その軍隊ですり込まれたことも多い。
1.毛穴。日本軍は毒ガスが次の戦いで使われることもあるとして新兵から対ガス訓練が教え込まれた。最新のガスは皮膚の毛穴から浸透して全身を冒すと教育されたので毛穴にこだわった作品が数多くある。もはや一つの特長だと言える。
2.戦闘シーンは知覚できない一瞬間で決着する。彼の決定的な戦闘シーンは一コマで終わる。無事だった方を確認し終えることで決戦の勝者を知ることが出来る。戦争では無事だった人は隣の戦友の死が気がつかないままだとか、無事で無かった人は知らないうちに自分の体がもげているとかが実体験である。予兆も無ければ察知も出来ないことが多いのである。彼自身突然爆弾が至近距離に落ちて腕を失っているが気づいたときには腕が潰れているのである。現地と帰国してからで2度切っているはずである。
3.
3…
3が気になります!!
@@yamadareiji_kirinuki ワロタw
秋元治さんが、後輩から見た「常磐壮」への憧れを「時は…」という作品にまとめていますね。
水木しげる大先生の「仙人酒」のあのエロチックな女性群はつげ義春さんが描いたものでしょうか?池上遼一さんのつげさんへの尊敬は尋常なものではなかったそうです。
鬼太郎が人気になり、宝塚で毎年「鬼太郎ショー」が開かれるようになると、手塚氏の嫉妬は凄まじく、「君、まだあんなものをやっているの?」という嫌がらせに辟易した水木大先生は、手塚さんを揶揄する「一番病」という作品を描いています。
手塚の嫉妬は、弟子とも言える石森(当時)章太郎にも向かい、「ジュン」の事件の後も、「東北は大した漫画家を生んでいないな」「先生、石森さんがいますよ」「だから、石森程度でしょう」と、言い放ったという話も世に伝えられています。
なお、「水木荘」は神戸の水木通りにあり、ここで押し入れだけを借りていた某講談師が、ねずみ男のモデルという説は有力です。
この話はメチャ面白いですね。
日本漫画史の捉え方が変わりそう。
自分も切り抜いていてとても興味深かったです
1年前の動画、今見て共感しまくってます。山田さんと同世代です。「あっちにはあっちの希望がある」が刺さりました。今の時代、大人がふがいなくも希望を失ってしまった。と言うか捥ぎ取られてしまった。残った子どもたちの希望まで。今の日本は諦めと惰性の空気が充満している。
詳しいし、分析力も素晴らしい。
まんが道でも多少触れられていますが、藤子不二雄さんは二人共母子家庭で、自分達が漫画家になると母親の暮らしが心配な状況でも、お母さん達は応援して下さった訳だし、それこそお父さんが生きておられたら、漫画家なんてとんでもないと反対されていただろうし。
手塚治虫さんも、お母さんが応援してくれたので、漫画家になれたみたいだし。石ノ森さんも、亡くなったお姉さんの応援があったようですし。
みんなインテリだったし裕福な家庭だったというけど、普通は当時そういう家庭の子どもをは漫画家にならなかった中で漫画家を目指したという所が凄い所だと思うのです。世間の価値観で無い道を選択したという。
漫画家の地位が上がってから漫画家になろうとした人達とはわけが違う。
安孫子さんがある種の夢の中を生きる事が出来た方なので、まんが道が素晴らしい世界になっているわけで、まあ赤毛のアンで言うところの想像の世界としての安孫子さんの世界が、現実と見事にリンクしているのがまんが道だと思う。
だから他の人がトキワ荘をあれこれ言うのを一々検討しても意味が無い。
そう言えば、南沙織さんの旦那さんの篠山紀信さんも、確か漫画少年に投稿されていたらしいですね。
安孫子先生がモテたって話はちょいちょい聞きますね。石森先生のお姉さんが安孫子先生にガチ惚れしてて告ろうとしてたのを、シスコンだった石森先生が嫉妬して止めたって話を聞いたことがあります。
ギャグ漫画の依頼を受けた石森が「ギャグなら赤塚が面白いと思うよ」って編集者に言ったのが赤塚ブレイクのきっかけですね。トキワ荘主要メンバーでは最年少の石森は同世代の松本零士、ちばてつや、さあとうたかをとずっと付き合いがあったけど、ちばてつやのインタビューで当時から付き合いがあったと判りました。まんが道にも登場してほしかったですね
トキワ荘って現代の感覚で考えてるから、
売れない頃の漫画家がボロアパートに所狭しと住んでたって清貧なイメージだけど、
実際は築1,2年の綺麗な新築アパートに
イケイケの漫画家がシェアハウスしてたっていう
現代だとインスタ映え狙えるようなキラキラ生活だよね😂
だって全員がお坊っちゃんだよ。手塚治虫とか幼少期から映画館に通いつめてたんだから。
切り口鋭っ
雑誌社の缶詰め用施設だから通いのつのだじろうも居た
「トキワ荘」に対して「水木荘」とは面白い。
実際水木先生は上京する前、神戸の水木通にあったアパートの大家さんをしながら紙芝居画家をしていたという珍しい経歴でしたね。
トキワ荘で一番モテてたのは赤塚不二夫じゃないかな。
当時は美青年で、部屋に女性を連れ込んでヨロシクやっていたらしい。
朝日ソノラマ時代、私の起ち上げたサンコミックスのシリーズは、水木しげる、石森章太郎、さいとうたかをの三本柱を軸に推し進めるというコンセプトでした。水木さんとは、そのときからの付合いですが、当時のアシスタントは池上遼一さん、後にまんだらけの創業者になる古川益三さん、つげ義春さんなどキラ星のごとく多士済々でした。「悪魔くん」のテレビ化の際、東映の平山亨さんに水木さんに紹介したのは私です。平山さんは水木さんの仕事場に入り浸ってマンガを勉強。それが仮面ライダー、戦隊シリーズへと見事に開花します。
光側が強いのは当然だとは思いますが、影側、強すぎませんかw
魅力の塊ですね。
光の強さに比例して、影も強くなる。
要はそう言う事です。
漫画家版終末のワルキューレって感じだな
光ある所に影がある…
まんまサスケですね
つげ義春は漫画も良いですが旅行記とかも面白いですね。
つげさんが水木プロに入るのは29歳くらいのときで、もっと若い時にガチで付き合いがあったのは永島慎二や遠藤政治や石黒昇だった 石黒昇がいるところが面白
石ノ森章太郎先生の昔語り的エッセイ漫画で、「トキワ荘にはあまり良い思い出は無かった」と解釈できるような描き方をされていて、衝撃を受けたことがあります。人それぞれに感じ方が違うんだなと。
同居してたお姉さんが亡くなった影響とかもあるんですかね。
小学館のつげ義春全集のプレゼント企画で「紅い花」のラストページの複製原画をもらったんだけど、原稿用紙の隅に「水木しげる専用」って印刷されていた。
まんが道が出た当時から、明治時代の夏目漱石の木曜会に集まる文化人の話とか、水滸伝の梁山泊の話とダブって、素敵なお話だなと思ってましたが、水木荘の話も被せてくるとまたより面白い
五浦の六角堂に似てるよ
常磐(トキワだし)
モテるモテないの話ですが
以前トキワ荘出身の漫画家さんたちの座談会を読んだ時はオタク気質丸出しで女性と縁のなかったトキワ荘住民の中で赤塚不二夫さんだけ彼女がいてモテてた、ともありましたね。
なんでもトキワ荘時代の赤塚さんは人目を引く色白の美少年だったとか。
王・長嶋と野村克也みたいな対比(太陽と月見草)で面白いですね。コレは奥深くて是非とも「裏漫画道」をどなたか作品化して欲しいですね。
トキワ荘の後も西武池袋線沿線って、マンガ家さん多かったです。富士見台に、虫プロのあった頃、ちばてつや先生もすんでらしたし、(ってか今もいらっしゃるし)他にもたくさん、それが普通と思っていたら、割とあの辺りに密集していたらしいと、大人になってから気づきました。昔からやっている飲食店とかに行くと、大御所達の寄せ書きが、ひっそりとあったりして、凄いなと、思いました
そうなんですね!知らなかったです。
保谷で新聞配達をやっていた時、店の配達区域に吾妻ひでお・山上たつひこ・池上遼一・すがやみつる・梶原一騎等各氏の自宅や遺宅がありましたし、配達中に高畑勲氏と遭遇したこともあります。
闇の水木荘派の作家陣の作品は、高校から大学時代にハマったな。
あんまり関係無いけど、上村一夫先生も大好きでした。
テーマは光と影、今回も為になるお話をありがとうございました👍!!
長谷邦夫さんは「はせ」でなく「ながたに」と読むのです。
ほとんどメディアでは出る話では無いですが最初に手塚さんと一緒に引っ越した加藤さんの父親の歴史が漫画史にとっては歴史の分岐点です。
なんとなく再生したけどめちゃくちゃ勉強になった
水木荘(ガロの系譜)の噺はよく知らないので作品として観たいです。
自分も早速漫画を購入しようと思います!
高校生の時、初めて「ガロ」を書店で見つけ購入しました。それまでのいくつもの「少年〇〇」と違う世界に衝撃を受けました。
古川益三が好きでした。
※長谷邦夫さん、ナガタニクニオさんだった思いますが。
週刊少年誌だと二大流派が当時トキワ荘と水木荘系でサンデーがトキワ荘、マガジンがトキワ荘の石ノ森章太郎+貸本系、チャンピオンやキングが両者。
ジャンプが二大流派不在の独立リーグ。
ときわ荘 私の憧れです。東京に住んでいた時に行けば良かった!時間軸は違うけど、空間を味わいたかった。ありがとう先生方 感謝
トキワ荘はいまも愛されていますよね
水木しげるのもとには矢口高雄も行ってますね。銀行員のままでいなさいという水木しげるのアドバイスに笑いました。
だが矢口先生側の記憶では『絵が上手いと褒めてもらった』しか残っていなかったというw
メンツがほんとすごい
特殊な磁場が生まれてますよね
ほかに水野英子やつのだじろうもいましたね。
光ある所に影はある。
手塚治虫と水木しげるが、その役を担ってたと思うと、なんか感慨深い。
自分も編集していてとても興味深かったです。
そのコメントの冒頭文が、
白土三平のサスケ アニメオープニングのセリフ流用ってとこがイカします😁
ほんと、深い深い感慨。
最近水木荘にいた伝説のマンガ家つげ義春さんの近況が解ってびっくりした。
いつからか消息不明になっていたが、フランスの漫画賞を受賞して息子さんと懇意のカメラマン
そしてつげ義春さん3人のフランス珍道中が書籍になり発売されるみたいです。
藤本先生はマジで漫画家しか出来ない人だったんですね😅
安孫子先生の方が明るい性格で
編集者と藤本先生のあいだを取り持ってたって初めて聞きました。
安孫子先生は仕事が終わると
赤坂とか六本木のバーやクラブで飲み歩いてたのにずいぶん長生きしたなあ😵
安孫子先生の魔太郎がくるとか笑うセールスマンが好きだったな
笑うせーるすまん、自分も好きです!
そういう飲み友達からの愚痴とか不平不満を聞いて、作品のネタや糸口にしてたかもしれないね。
めちゃくちゃ面白いこの話
まんが道好きすぎる
登場人物全部主役で圧倒されるわ
何故かこの動画にたどり着きましたが、今までずっと心に引っかかっていたつかえが取れました。子供の頃から周りが騒いでいた手塚漫画を甘ったるくて面白いと思ったことがなく、シュールな画風の漫画に惹かれていたのですが水木しげる、つげ義春にはまったのは必然だったと判りました。
この時代の光も闇も大好きです。 この時代の漫画家は作家性が強く、代表作以外の中短編にも傑作が多かったですね。今は代表作1本で他何を書いているのかわからないし、人気連載が終わると消えてしまう人が多いような気がします。
おまけ 中1の時、石ノ森先生と赤塚先生の家へサインをもらいにいきました。赤塚先生はダメでしたが、石ノ森先生には書いてもらいました。 今考えるとアポなしで出かけて、サインをねだるとは・・・我ながらあつかましいですね(笑)
トキワ荘の人達は裕福なお坊っちゃんが集まって同人会してたようなもんだから、現代の庶民と比べたらいかん。あの人達は好きで貧乏になってんだから
長谷邦夫がハセさんと呼ばれていたのは初めて知りました。
素晴らしい。
なるほどな~山田さん語りは含蓄が多くて面白かった
何気に水木荘側の池上遼一さんは未だに現役で連載してるレジェンドなのびっくらこいたw
俺的に講談社グループのちばてつやさん好きなんだよな~
完全に水木荘派ですw
藤子Aも好きだけど
大人になって水木荘の良さがわかりました!
漫画家の中で一番好きなのがつげ義春さんです。名前出てきて嬉しかった。
トキワ荘メンバーに確か、ホラー/心霊系漫画の巨匠、つのだじろう先生もいませんでしたか?
つげ義春さんの証言で漫画少年を訪問した時に手塚先生が居てその時ちょうどジャングル大帝のラストを描いている最中だったと何かで読んだ事があるのですが、ジャングル大帝のラストはときわ荘で描いていて安孫子先生がその時に手伝っていたのは有名な話しだから、つげさんの勘違いなのかな?
みんな違ってみんなイイ
娯楽は少ないが規制も緩んだ時期だからこそ才能が育まれたと思う。
水木先生も手塚先生も藤子先生達も過激な描写とされて廃刊にされたものもあるし、赤塚さんもバカボンやおそ松くんがヒットするまで四苦八苦してたこともありますよね。永井豪さんも大人過ぎるからもっと子供が読める感じとかダメ出しされたのにまいっちんぐマチコ先生がアニメ化して「ふぁ?」って感じだったとか……才能あっても花が開くまで大変なんだなと思ってました。漫画家ですと職業名乗れた時代に還ってもいい気がするな……
山田さんの話は本当に面白いです😺平凡なことしか言えなくてすみません😣
貸本屋世代の自分としては、なるほどね!という解説で納得しました。
便所を改造した部屋で膝抱えてるつげ義春が大好きですw
やば、もの凄い面白い。
面白い話だった
現在の漫画家への影響力で言えば、つげ義春は手塚治虫や大友克洋に並ぶか、それ以上なのかも知れませんね
トキワ荘、水木荘、この光と影が日本マンガの「豊穣さ」に繋がった感。
70年代後半のエロ劇画とガロの系譜も追いかけました。宮西計三さんとか、ひさうちみちおさんとか、谷弘児さんとか。
いやいや70年代は学生運動の黄昏じゃないでしょうかね
小学生の頃からトキワ荘バンザーイ!の自分で、(これは住んだ後に分かったタマタマだったのですが)トキワ荘近くに住んでる私です。
『近くに居たがトキワ荘に馴染めなかった人たち』との指摘と視点持ち合わせていませんでした!Σ(゚ロ゚;)
(そこだったのか!)
水木荘 ー。その全ても好きっていう自分も居ます🙄
おまけで、F先生とA先生の人としての違いの考察。サイコーでした😁
しびれのスカタンが叔父さんの書棚にあったなw
まあ、光と影ってわかりやすくいうけど、満州から引き揚げてきた赤塚不二夫もつげさんと同じくらい苦労してるし他の作家さんも光ばかりではないよな
藤子フラッシュとアタックですもんね
トキワ荘の人達って、昔の歌手とか芸人とかの「テレビに出演できれば有名になれる可能性が一番高い」ってことでテレビ業界に集まってきた人達と同じで、「漫画に関わる人間自体が少ない+だがトキワ荘なら人数も多いから誰かしらこちらの望むものを提供してくれるだろう+他にいたとしてもどこにいるかわからないしな」っていう漫画業界の人達に重宝されやすい恵まれた環境に入れたから有名になれただけなのでは?と、手塚治虫のディズニー風+藤子不二雄や赤塚不二夫の舞台やキャラを日本風にしただけで全体的にはディズニー風な漫画が苦手な自分は常々思ってしまう。
「みんな本当に面白いと思っていたのか?、当時から水木風の日本らしさに明るさが合わさった漫画を描く一派があればそちらの方が主流になれたのでは?」とも思うが、欧米万歳な風潮が強かった昭和の時代では無理か。
あの時代って・・凄い!(-_-;)・・
手塚治虫も藤子不二雄Aも鳥山明も水木しげるの弟子だし水木しげるの影響を受けてると思う。それはその人達の漫画を読めばわかる。付き合いとかじゃなくて漫画を読むとわかる。
NHKの朝ドラまったく見ない人間なんですが「ゲゲゲの女房」で水木荘の人たちは登場したんでしょうか?
アパート経営時の水木荘じゃなくて水木プロ編では池上遼一→窪田正孝、つげ義春→斎藤工がそれぞれモデルとなる人物を演じてましたね
知らなかった
俺は影の一族だったよか!
水木荘はカマドウマ ナメクジのイメージで
トキワ荘はノミ 南京虫のイメージですね
日本を漫画大国にしたのは虫達だった…
出てくる名前が伝説の人だらけ。
水木さんはかなりの坊っちゃんだよ
トキワ荘は光と影だけではなく闇が見え隠れする。そこが知りたい。
闇ですか…そう言われると気になりますね…
@@yamadareiji_kirinuki 一連の作品は、都合良く記憶が美化されているのではないかと思うのです。
闇なんて無かったんじゃないかな?集まった時にマンガの話なんてしないで騒いでたのが楽しかったんだから!
寺田ヒロオさんがね
長谷川町子の妹のエッセイのようにもっと生々しい所が見たいよね
漫画世界の梁山泊ですよね。夢がある。
このタイトル…笑笑
手塚治虫先生の上ってディズニーなんですか?
ディズニーから影響受けてるのは知らなかった〜
不朽の名作と言われる「ファンタジア」を何度も観ていたらしい。
えーーー!手塚治虫の漫画読んだことないの?そこかしこに拝借した描写があるぞ
佐藤 まさあきも忘れないで欲しいな。ハードボイルド漫画の原点
手塚治虫が造った梁山泊だったな😅
コメントありがとうございます!
これに関しては寺田ヒロオの存在が大きいかも?
トキワの七光。
日本の洗濯船ですね
つげ義春コミュ障なのに結婚してて子供もいるってもうこれわかんねぇな。コミュ障ってなんなんだよってなる🤔
光と闇なのか?
その当時に置ける作家性の様な気もする。
まんが道は、新社会人になる人達には絶対に読んで欲しい。
働く事の意味が描いてある。
この切り抜きのサムネわかってねえなw
水木荘側は悪魔くん(千年王国の方)使えよw