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浅草-北千住の僅かな区画でも旅気分にさせてくれたなぁ。缶ビールを飲みきるのにちょうど良かったな。
6050形で好きだったのは細かいけど、大きなテーブル、厚みのある座面、蛍光灯カバーにクリスタル模様が入ってるところの上質感かなあ。でも、大型連休の時の混み具合はハンパなかった。
「6050型」のコンプレッサー音が独特でしたね。日比直の「2000型」とほぼ同じものでした。東武の他、阪神電車にもありました。
室内の匂いが、国鉄と同じでした。
高校生の時にお金がなくて、浅草から快速に乗って川治の方へ紅葉を見に行きました。半年後にまた乗ろうと思ったら消えていて本当に驚いたな...。
また乗りに行こうかな
6050系に近い思想を持ってるんが西武4000系機器流用も共通
浅草などから日光や鬼怒川方面に行く快速を再び設定してほしいな。また、その車両には転換クロスシートを備えている編成を充当してほしいな
あと20年ぐらい経てば、リバティの機器流用で登場したりして…?
東武の恐ろしいところは「料金種別としての」急行も平成まで存在していたことです。南海もそうですけど「偉大なる国鉄型私鉄」なんですよね。東武は。
なら今も有料急行列車が残ってる秩父鉄道といすみ鉄道って…
@@MITARailways…あれはどっちかって言うと『なんちゃって急行』の類いじゃあ…
@@用宗東田子の浦-w8p 秩父鉄道はれっきとした国鉄型急行だと思う。先代の急行型車両に至っては国鉄急行型そのもの(165系→3000系)でしたね。
確かに@@用宗東田子の浦-w8p
DRCがメインだった日光線と異なり、グレードアップされたとはいえリクライニングのない1800系との差があったと言うことでしょうね。当時のりょうもう号も他の会社では特急として十分通用するものでした。DRCは古くなっても別格でしたね。
浅草から会津田島まで追加料金不要で一本で行けた頃が懐かしいです乗り通しておいて良かったです
快速が廃止されたときは今の京葉線通勤快速のようにかなりの批判を受けていたようですね。
2両編成でクロスシート。新造車については、どこかのローカル私鉄に譲渡できなかったのだろうか?と、当時思ったぐらい好きな車両だった。
大井川鐵道とか、富山地鉄。場合によっては伊豆急あたり…?
@@雅夫大場さま6000とほぼ同じ世代の伊豆急の100系も私鉄のザ・急行仕様の普通電車でしたね。窓が大きく開放感があり、稲取あたりの海岸線の景色を見るのが好きでした。
@@雅夫大場 さん特に富山地鉄は何で4扉(しかも2扉締め切り)のロング車にしたのだろうか……2両単位でワンマンにも出来るのに……
数年前に6050系に乗ったけど、ボックスシートが想像以上に乗り心地よかった❤
湯西川温泉、ウエスタン村、五十里ダムを回る社員旅行に、バスに弱い社員を集めた別動隊を作り、この6050系快速を使いました。ボックスシートが大好評で、幹事としてホッとしました。
浅草発着の快速は、心を無にして車窓を眺めるには最高の列車でした🥹特急に乗りたくなかったのではなく、程よく速くて昔の国鉄急行を思わせる室内の6050系に乗るのが好きでした😢
165系の“大垣夜行”を彷彿しました。窓側のテーブルの下には、“JNR灰皿”と“栓抜き”が付いてました。
一応野岩鉄道所属の6050系が生き残っています。
クラファンで『お座敷電車』になりましたね。
あとは現時点で廃車にはなってない6174F、6176F、6179Fとスカイツリートレインと訓練車になった6165Fが生き残ってます
あと元6050系の634形・スカイツリートレインが生き残ってますね。
6050系、しばらく見てないなと思ったらなくなってたんですね。知らなかった。
東上線から日光に直通していたのは知りませんでした。
池袋から東武日光まで 5時間余り掛かったそうです。
@@toriri-service さま。普通に考えたら、浅草まで行った方が早くne?あのようなコースは、たとえ乗り鉄でもケツがもたなかったんのでは…?
@@雅夫大場 さまそうですね。浅草或いは国鉄なら 上野または赤羽に出た方が早かったでしょう。地図で見ても北上してまた南下して再度北上するみたいなルートだし。でも乗ってみたくなるルートではありますね。現在の森林公園駅辺りから寄居までの武蔵野の山間部−秩鉄沿い・羽生から杉戸を経て 新古河の利根川を渡る辺りまでの関東平野−栃木県に入って段々と近付いてくる日光連山&険しくなる鉄路と 確かにケツは痛くなりそうだけど変化しつつある車窓を眺めながらの旅は面白そう。そういうお客さんに好評だったかどうかは知りませんが 池袋発の翌日には下板橋発で運転されたそうです。下板橋といえば 幻の『西板線』が分岐する筈だった所。実現していればこんな苦労はしなかったでしょうし もっと早く池袋初の東武特急も実現していたでしょうね。
@@雅夫大場 さまそうですね。浅草或いは国鉄なら上野または赤羽に出た方が早かったでしょう。でも 東上線−秩鉄−本線系統と全て車窓は違うから ケツは痛くなるでしょうけど乗ってみたくなるルートではありますね。そんなお客さんに好評だったかどうかは知りませんが 池袋発の翌日には下板橋発で運転されたそうです。下板橋といえば 幻の『西板線』が分岐する筈だった所。実現していればこんな苦労はしなくて済んだでしょうし 池袋発の東武特急がもっと早く走っていたでしょうね。
@@toriri-serviceさま高速道路がなかった時代、大きな荷物を抱えて何回も乗り継ぐくらいならと少し時間がかかっても直通列車を出して需要を取り込む姿勢だったのでしょう。一時期野田線から日光へ臨時の直通電車も出ていました。
6050系はデッキこそ無かったもののスペーシアの脇役として縦横無尽に走る名車でしたね。座り心地の良いボックスシートで快適に乗れる電車でした。もっとこの電車での旅をしたかったものです。ひとつ苦言を呈すると、寒さよけの半自動ドアになっていなかったことですね。6年前の冬、鬼怒川線の駅で長時間停止の際1両のドアをひとつ開放しており、風が吹き込んで寒かった思い出もありますが、半自動ドアが普及する前の製造だったので仕方の無いところはあるかもしれませんね。
国鉄ではしぬほどあったが😉
カクンッカクンッと小刻みに加速する感じが印象に残ってます22時台浅草発の区間準急でバイト先から帰宅していたのが懐かしい
ここに限らず無料の速達列車特に関東では削減傾向だ。関西名古屋で当たり前になっている新快速は他地域だったら特急相当だからその地域の人はあれが当たり前だと思わず感謝したほうがいい。
好きでしたね、6050系。昔、日光に行った時、行きはスペーシアで帰りは6050系快速でした。2両固定で分割併合できる、元祖リバティだったんですね。ちなみに、グリーンマックスのNゲージキットで最初に作ったのが6050系でした。
当初6000系冷房化も考えられていたらしいが、時代はバブル。車体新造に方針転換したって聞いたことある。東武所属車だけでなく、野岩、会津鉄道でも保有していた。尾瀬夜行やスノーパルはコマーシャルにもなってたな。乗りたかった😢
急行南会津と6050の快速は田舎へ行くためによく利用してました大体南会津が満席でとれないから快速っていう感じで当時は鬼怒川もCMばんばんやってる時代だったから日光鬼怒川方面の客で6050の席取りも一苦労でした時代の流れだから仕方ないですが現状見るとなんか寂しいですね
日光への観光客が減った今、東武線でのニーズは新幹線を使わなくても会津若松へ直行できる便と思いますが、休日ダイヤの朝のリバティが3両編成では定員が少ない問題があり、やはり浅草~会津田島間直通快速はGWと紅葉期には必要と思います。スペーシアXみたいなゴージャスな旅がしたいわけではありません。
東京~会津若松は高速バス🚍️一択😉
6000系時代は’70年代初頭辺りまで、一部指定制でした。料金は当時100円。
「普通の電車には冷房が付いてるのに 料金を取るこの電車にはなんで冷房がないんだ?」と 真夏に酔っ払った快速急行利用客が車掌さんに絡んだ事もあったそうです。
@@toriri-service さま。普通に考えて「快速急行」なら「急行」より格上のハズだし…当時の急行「りょうもう」より下の種別だったんスね。あー、そう云えば最大勢力だった8000系でさえ’70年代から冷房着手しつつあったようですし、この車種が非冷房なのは、おかしな事、と子供心に引っかかったものでした。
@@雅夫大場 さま東武の場合の『快速急行』は『急行』の上位種別ではなく元々『 快速』に設定されていた一部指定席をやめて 代わりに 停車駅を若干減らした 全席指定の独立した列車に仕立てた経緯から 『快速』と『急行』の中間の種別という東武独特の立ち位置でした。だから料金も 急行料金というよりも 座席指定料金という意味合いだったようです。その快速も『急行に準ずる』という意味の『準急』の上位種別だったからやややこしい。 更にその『準急』が『急行』になってもしばらく残っていた『快速』『区間快速』は それらより速い種別だったから 尚更ややこしくなりました。確かに順番としては 8000系よりも先に 冷房化されるべき車両でしたね。座席の背摺りのクッションが 腰の部分にしかなかった事も含めて。(そこ以外は 固い化粧板張り。)
@@toriri-serviceさま6050に改造される前の夏休みに東武日光駅での指定券の発売状況を見て、特急は全て満席なのに快速急行は空きありの表示。この格差についての情報があちこちに知れわたっていたものと思います。(そのときは前売りでDRCの特急券を確保していました。)
年末年始、GW、盆休みに成ると昼前から夕方まで特急が 満席に成ると特急に乗れなかった客の救済列車の意味合いで快速が有るから良かった
1995年頃、東京勤務で、会社同士の会合で会津若松で落ち合う機会があったが、浅草から快速で野岩鉄道線、更に会津鉄道で1枚の切符で乗り通して来た人もいた。
北千住で満席が当たり前で正直嫌だったわ。当時の特急は埼玉ガン無視で選択肢が快速だけだったし赤の他人と長時間にらめっこ状態はキツかったし。今なら20040系にトイレ設置してくれればすんごく助かる。
子どもの頃から6000系も6050系もよく利用していました。
2012年頃までは夜9時台、浅草発準急新栃木行き(6両)が存在していた。東京近郊区間ではドア付近に乗客が集中して乗り降りが大変だった。
しかし、運良くボックスシートへ座れると至福のひとときでした
6000系6050系お疲れ様でした😢片手ほどの回数ですが乗れて良かったです🥺停車駅数の少なさや浅草〜東武日光2時間少々、そして普通乗車券のみで乗れる。ほんとトクトク列車だったんですよね❗
1度だけ、浅草→会津田島(そこから乗り換えて塔のへつりや大内宿まで結局行った)で乗り通したことがある。めちゃくちゃ速達性があって快適だったが、野岩鉄道線内で野生のシカが見れたのは首都圏住まいの自分にとっては驚かされた。
6050系は台車の関係で 新造車よりも 6000系からの改造車の方が乗り心地が良かったように思います。その6000系は 稀に『大師線』運用に入った事もありました。
両板バネ、揺動揺れ枕、枕バネにベローズ形の空気バネでどっしりとしながらも柔らかい乗り心地でしたね……8000系や1800系も同じだったけど。Sミンデン系は保守や軽量化に有利だけどその分バネのセッティングに左右される感じでしょうか。
@@hisakounosuke2474 さま8000系の『FS-356』と 同形態の『鋳鋼製ミンデンドイツ台車』は 小田急3100形や営団5000系前期型 0系新幹線にも用いられ 何れも『重厚でしなやか』という表現がぴったりの乗り心地でしたね。6050系の6000系から更新されたグループは 少し重めの車重とバネ定数とのバランスが絶妙で 後の『スペーシア』よりも良い乗り心地と感じました。今は200系が履いている 元1720系の『鋳鋼製Sミンデン台車(FS-370A)』も 同じくしなやかで重厚な乗り心地。重量のある『鋳鋼製』なのが良かったのでしょうね。この特性が気に入ったのか 東武は8000系の後期型にも『FS-356』を履かせるよう要望したものの 住金の社内的都合で やむなく『Sミンデン台車(FS-396)』になったそうですね。
@@toriri-service さん8000系は昭和49年製までミンデンドイツ式でしたね。これが恐らく住金最後の新製のミンデンドイツの台車ですね。阪急2800形は前年が最後だし。
東武快速の恐ろしい所は浅草~東武動物公園間で特急と同じ停車駅になっていた時がありました。
唯一残る1編成を保有する野岩鉄道の二瓶社長が、需要次第では今後走らせる可能性もあると言っていましたね!6050系が観光資源として、観光客を呼び込む存在になる日が来るかもしれません
大樹もそうですが、鉄道車両そのものを観光資源として活用する動きが出てきたのは興味深いものです。
東武快速の1つしたの列車種別の区間快速で胸熱だったのは土日の昼過ぎに下今市で特急きりふりと接続という急行形同士の連絡が晩年にありました。
20400系・・・嫌いじゃないんだけど観光地を走るんだし3ドアなんだからボックス席化改造くらいしてほしかった。普通列車なら窓割りとかどうでもいいからなぁ・・・。6050系の頃に戻りたい。
確か半蔵門線直通が急行名乗ったもんで急行よりも快速の方が停車駅が少ない逆転現象が起きてたんだっけ。
今の40代以上は急行>快速ですが、JRの急行が事実上無くなったことから若い方は急行と快速の区別がつかないかもしれませんね。東上線からも昨年快速が無くなり、乗り入れてきた反対側の相鉄はメジャー種別だった急行が休止になりました。
2両編成に冷房,🚻など様々な機器を詰め込んだため重量が増えたが,車体の重みで乗り心地は滑らかだった。
車重と空気ばねの柔らかさのバランスがベストでしたね。(特に6000系からの更新車)
6050系も好きだけれど、6000系は大好きでした。6000系に乗るためだけに何度も日光に行ったもんです。ただ脊ずり上半分にモケットが貼られていなくてアルミデコラ貼りだったのが少し安っぽくて玉にきず。
11:24~20000型は3ドア8両、20400型は3ドア4両です
20000形には5扉車があり、20400形にも元5扉車があります。
@@By-Gaeshi20400系の実物を見たことがありますが、ドアの跡が大きな窓になっていて魔改造が良くわかりますね。さらにはドアが押しボタン式になっているのも近年の傾向。冬の寒さ対策も図られているのが興味深いものです。
失礼します。東武の快速はまさかの形で東上線が受け継ぎましたが、昨年廃止となりました。ただ改正後は快速急行と急行の部分を除けば今も東武鉄道に快速があるのはが確かです。
最高運転速度105km/hで突っ走る『東武快速』速くて安くて乗り心地の良い電車だったなぁ。料金不要で 東武動物公園‐新大平下 40.1km無停車だったところにもちゃんと触れているところが偉い!今のリバティは 昔の快速急行よりも遅い『ボッタクリバティ』
栃木駅停車は後に追加されたもの、鬼怒川線内は各駅停車。
1999年の夏に、会津田島から浅草まで直通の快速電車に乗ったのが最初で最期の6050系の旅だったなぁ(´- `*)当時まだ走り始めたばかりの「SLばんえつ物語」号の撮影に行って、会津鉄道の湯野上温泉駅で下車して駅前の民宿で一泊して…明くる朝、会津鉄道のディーゼル車で会津田島に行って、そこから浅草直通の6050系快速に乗り換え、ゆっくり旅を楽しんだ😊🚞感激したのは当時、確か日光方面からの快速の併結作業のため下今市の駅で10分以上の大停車があり、その時ホームになんと!、立ち売り駅弁屋のオッチャンが居て「弁当~❗弁当~‼️🍱」の威勢の良い掛け声と共に、扉の前まで売りに来てたことだった✨️❗️当然、(弁当は確か幕の内と山菜弁当の二種類で)山菜弁当とお茶を購入して、浅草までの長旅を満喫したなぁ…🍵(´▽ `*)✨️今残存してる6050系を出来れば改造前の6000系時代の塗装に戻して、往年の「だいや」「おじか」号で運転してくれないかなぁ…日光線や鬼怒川線内だけでも。私自身、西日本方面在住だから、車で訪れるのは遠すぎて無理だから、その時は東武電車や野岩鉄道を使って、ゆっくり撮影を楽しみたいんだが…(´- `*)✨️
管理人さん、長いコメに付き合っていただき、ありがとうございます😊✨️
西武4000系に似てる
歴史的には6050系が先なんだよな機器流用も共通(6050系は新造車含む)
便所ありで大好きでしたね。😃✨便所なしの20400系は仕方ないけど酷過ぎる😢
休日限定の10030で良いから区間急行南栗橋行きと急行東武日光行きを統合してやってほしい
こんばんは❗️6000系の歴史を詳しく知れてとても良かったです。(*^^*)6000系は8000系より10%弱界磁広くとってるので高速性能はいいですね。かといって130キロはだせないでしょう。お疲れ様でした。(*^^*)
JR西日本227系red wingの東武版を導入して浅草直通の快速列車の運転を継続してほしかったな。
20000形は3ドア、20040形は5ドアで両方8両編成です
6050系が未だ🗼東京迄乗り入れてた頃、これの快速ん乗って日光に旅行した事有ります🐒 スペーシアが満席🈵だったのと運賃をケチる為です🤑 でも途中駅から鈍行になるのとカチコチクロスシート💺もあって結構辛い乗車でした(オマケに混雑状態だったし)。いつの間にやら🗼東京迄の乗り入れを辞め、殆どの車両が廃車になってたなんて…(多くは1964年製の6000系からの改造車だし)
JR東に例えるとこんな感じかな6050系=115系+169系500系=E257系
肘掛けに引き出し式の灰皿が有りタバコ🚬吸えた全車両
「6050型」は、東武日光線でよくお世話になりました。20000系列から改造された「20400型」に置き換えられてしまい、グレードダウンしました。
りょうもうだけデなくスペーシアモ通勤特急二
10000系列には、2両編成も多々あり、これらをL/C改造ならびに、トイレを取り付け、長距離用途に対応させればよかったと、いまでも思っています。(24‐06‐23)
6050系の東武日光・会津田島方面から浅草までの快速は、本当にコスパ最強でしたね。僕は毎日の通学で普通電車の6050系に乗ってました。今でも、僕の中では東武鉄道の車両の代表格です。
東武はずる賢いから大嫌い
爆笑(*^ワ^*)
お前よりはマシだ!😜
@@psychedelicraspberry517 仕事しろ
@@パピコ-s2m言ってる意味不明!😜
@@psychedelicraspberry517 君は悔しがり屋さんだね~🤭
東武日光線20400系電車は日光線北鹿沼から下り急勾配はかなりきついまあでれば115系電車を入れて欲しいかな20400系は東武赤城線転用したほがいいかもしれないかな
浅草-北千住の僅かな区画でも旅気分にさせてくれたなぁ。缶ビールを飲みきるのにちょうど良かったな。
6050形で好きだったのは
細かいけど、大きなテーブル、厚みのある座面、蛍光灯カバーにクリスタル模様が入ってるところの上質感かなあ。
でも、大型連休の時の混み具合はハンパなかった。
「6050型」のコンプレッサー音が独特でしたね。
日比直の「2000型」とほぼ同じものでした。
東武の他、阪神電車にもありました。
室内の匂いが、国鉄と同じでした。
高校生の時にお金がなくて、浅草から快速に乗って川治の方へ紅葉を見に行きました。
半年後にまた乗ろうと思ったら消えていて本当に驚いたな...。
また乗りに行こうかな
6050系に近い思想を持ってるんが西武4000系
機器流用も共通
浅草などから日光や鬼怒川方面に行く快速を再び設定してほしいな。また、その車両には転換クロスシートを備えている編成を充当してほしいな
あと20年ぐらい経てば、リバティの機器流用で登場したりして…?
東武の恐ろしいところは「料金種別としての」急行も平成まで存在していたことです。
南海もそうですけど「偉大なる国鉄型私鉄」なんですよね。東武は。
なら今も有料急行列車が残ってる秩父鉄道といすみ鉄道って…
@@MITARailways…あれはどっちかって言うと『なんちゃって急行』の類いじゃあ…
@@用宗東田子の浦-w8p
秩父鉄道はれっきとした国鉄型急行だと思う。先代の急行型車両に至っては国鉄急行型そのもの(165系→3000系)でしたね。
確かに@@用宗東田子の浦-w8p
DRCがメインだった日光線と異なり、グレードアップされたとはいえリクライニングのない1800系との差があったと言うことでしょうね。
当時のりょうもう号も他の会社では特急として十分通用するものでした。DRCは古くなっても別格でしたね。
浅草から会津田島まで追加料金不要で一本で行けた頃が懐かしいです
乗り通しておいて良かったです
快速が廃止されたときは今の京葉線通勤快速のようにかなりの批判を受けていたようですね。
2両編成でクロスシート。新造車については、どこかのローカル私鉄に譲渡できなかったのだろうか?と、当時思ったぐらい好きな車両だった。
大井川鐵道とか、富山地鉄。場合によっては伊豆急あたり…?
@@雅夫大場さま
6000とほぼ同じ世代の伊豆急の100系も私鉄のザ・急行仕様の普通電車でしたね。窓が大きく開放感があり、稲取あたりの海岸線の景色を見るのが好きでした。
@@雅夫大場 さん
特に富山地鉄は何で4扉(しかも2扉締め切り)のロング車にしたのだろうか……
2両単位でワンマンにも出来るのに……
数年前に6050系に乗ったけど、ボックスシートが想像以上に乗り心地よかった❤
湯西川温泉、ウエスタン村、五十里ダムを回る社員旅行に、バスに弱い社員を集めた別動隊を作り、
この6050系快速を使いました。ボックスシートが大好評で、幹事としてホッとしました。
浅草発着の快速は、心を無にして車窓を眺めるには最高の列車でした🥹特急に乗りたくなかったのではなく、程よく速くて昔の国鉄急行を思わせる室内の6050系に乗るのが好きでした😢
165系の“大垣夜行”を彷彿しました。
窓側のテーブルの下には、“JNR灰皿”と“栓抜き”が付いてました。
一応野岩鉄道所属の6050系が生き残っています。
クラファンで『お座敷電車』になりましたね。
あとは現時点で廃車にはなってない6174F、6176F、6179Fとスカイツリートレインと訓練車になった6165Fが生き残ってます
あと元6050系の634形・スカイツリートレインが生き残ってますね。
6050系、しばらく見てないなと思ったらなくなってたんですね。知らなかった。
東上線から日光に直通していたのは知りませんでした。
池袋から東武日光まで 5時間余り掛かったそうです。
@@toriri-service さま。
普通に考えたら、浅草まで行った方が早くne?
あのようなコースは、たとえ乗り鉄でもケツがもたなかったんのでは…?
@@雅夫大場 さま
そうですね。浅草或いは国鉄なら 上野または赤羽に出た方が早かったでしょう。
地図で見ても北上してまた南下して再度北上するみたいなルートだし。
でも乗ってみたくなるルートではありますね。
現在の森林公園駅辺りから寄居までの武蔵野の山間部−秩鉄沿い・羽生から杉戸を経て 新古河の利根川を渡る辺りまでの関東平野−栃木県に入って段々と近付いてくる日光連山&険しくなる鉄路と 確かにケツは痛くなりそうだけど変化しつつある車窓を眺めながらの旅は面白そう。
そういうお客さんに好評だったかどうかは知りませんが 池袋発の翌日には下板橋発で運転されたそうです。
下板橋といえば 幻の『西板線』が分岐する筈だった所。
実現していればこんな苦労はしなかったでしょうし もっと早く池袋初の東武特急も実現していたでしょうね。
@@雅夫大場 さま
そうですね。
浅草或いは国鉄なら上野または赤羽に出た方が早かったでしょう。
でも 東上線−秩鉄−本線系統と全て車窓は違うから ケツは痛くなるでしょうけど乗ってみたくなるルートではありますね。
そんなお客さんに好評だったかどうかは知りませんが 池袋発の翌日には下板橋発で運転されたそうです。
下板橋といえば 幻の『西板線』が分岐する筈だった所。
実現していればこんな苦労はしなくて済んだでしょうし 池袋発の東武特急がもっと早く走っていたでしょうね。
@@toriri-serviceさま
高速道路がなかった時代、大きな荷物を抱えて何回も乗り継ぐくらいならと少し時間がかかっても直通列車を出して需要を取り込む姿勢だったのでしょう。
一時期野田線から日光へ臨時の直通電車も出ていました。
6050系はデッキこそ無かったもののスペーシアの脇役として縦横無尽に走る名車でしたね。
座り心地の良いボックスシートで快適に乗れる電車でした。もっとこの電車での旅をしたかったものです。
ひとつ苦言を呈すると、寒さよけの半自動ドアになっていなかったことですね。
6年前の冬、鬼怒川線の駅で長時間停止の際1両のドアをひとつ開放しており、風が吹き込んで寒かった思い出もありますが、半自動ドアが普及する前の製造だったので仕方の無いところはあるかもしれませんね。
国鉄ではしぬほどあったが😉
カクンッカクンッと小刻みに加速する感じが印象に残ってます
22時台浅草発の区間準急でバイト先から帰宅していたのが懐かしい
ここに限らず無料の速達列車特に関東では削減傾向だ。関西名古屋で当たり前になっている新快速は他地域だったら特急相当だからその地域の人はあれが当たり前だと思わず感謝したほうがいい。
好きでしたね、6050系。
昔、日光に行った時、行きはスペーシアで帰りは6050系快速でした。
2両固定で分割併合できる、元祖リバティだったんですね。
ちなみに、グリーンマックスのNゲージキットで最初に作ったのが6050系でした。
当初6000系冷房化も考えられていたらしいが、時代はバブル。車体新造に方針転換したって聞いたことある。
東武所属車だけでなく、野岩、会津鉄道でも保有していた。
尾瀬夜行やスノーパルはコマーシャルにもなってたな。乗りたかった😢
急行南会津と6050の快速は田舎へ行くためによく利用してました
大体南会津が満席でとれないから快速っていう感じで当時は鬼怒川もCMばんばんやってる時代だったから日光鬼怒川方面の客で6050の席取りも一苦労でした
時代の流れだから仕方ないですが現状見るとなんか寂しいですね
日光への観光客が減った今、東武線でのニーズは新幹線を使わなくても会津若松へ直行できる便と思いますが、
休日ダイヤの朝のリバティが3両編成では定員が少ない問題があり、やはり浅草~会津田島間直通快速はGWと紅葉期には必要と思います。
スペーシアXみたいなゴージャスな旅がしたいわけではありません。
東京~会津若松は高速バス🚍️一択😉
6000系時代は’70年代初頭辺りまで、一部指定制でした。
料金は当時100円。
「普通の電車には冷房が付いてるのに 料金を取るこの電車にはなんで冷房がないんだ?」
と 真夏に酔っ払った快速急行利用客が車掌さんに絡んだ事もあったそうです。
@@toriri-service さま。
普通に考えて「快速急行」なら「急行」より格上のハズだし…
当時の急行「りょうもう」より下の種別だったんスね。
あー、そう云えば最大勢力だった8000系でさえ’70年代から冷房着手しつつあったようですし、この車種が非冷房なのは、おかしな事、と子供心に引っかかったものでした。
@@雅夫大場 さま
東武の場合の『快速急行』は『急行』の上位種別ではなく
元々『 快速』に設定されていた一部指定席をやめて 代わりに 停車駅を若干減らした 全席指定の独立した列車に仕立てた経緯から 『快速』と『急行』の中間の種別という東武独特の立ち位置でした。
だから料金も 急行料金というよりも 座席指定料金という意味合いだったようです。
その快速も『急行に準ずる』という意味の『準急』の上位種別だったからやややこしい。
更にその『準急』が『急行』になってもしばらく残っていた『快速』『区間快速』は それらより速い種別だったから 尚更ややこしくなりました。
確かに順番としては 8000系よりも先に 冷房化されるべき車両でしたね。
座席の背摺りのクッションが 腰の部分にしかなかった事も含めて。(そこ以外は 固い化粧板張り。)
@@toriri-serviceさま
6050に改造される前の夏休みに東武日光駅での指定券の発売状況を見て、特急は全て満席なのに快速急行は空きありの表示。この格差についての情報があちこちに知れわたっていたものと思います。
(そのときは前売りでDRCの特急券を確保していました。)
年末年始、GW、盆休みに成ると昼前から夕方まで特急が 満席に成ると
特急に乗れなかった客の救済列車の意味合いで快速が有るから
良かった
1995年頃、東京勤務で、会社同士の会合で会津若松で落ち合う機会があったが、浅草から快速で野岩鉄道線、更に会津鉄道で1枚の切符で乗り通して来た人もいた。
北千住で満席が当たり前で正直嫌だったわ。当時の特急は埼玉ガン無視で選択肢が快速だけだったし赤の他人と長時間にらめっこ状態はキツかったし。今なら20040系にトイレ設置してくれればすんごく助かる。
子どもの頃から6000系も6050系もよく利用していました。
2012年頃までは夜9時台、浅草発準急新栃木行き(6両)が存在していた。東京近郊区間ではドア付近に乗客が集中して乗り降りが大変だった。
しかし、運良くボックスシートへ座れると至福のひとときでした
6000系6050系お疲れ様でした😢
片手ほどの回数ですが乗れて良かったです🥺
停車駅数の少なさや浅草〜東武日光2時間少々、そして普通乗車券のみで乗れる。ほんとトクトク列車だったんですよね❗
1度だけ、浅草→会津田島(そこから乗り換えて塔のへつりや大内宿まで結局行った)で乗り通したことがある。
めちゃくちゃ速達性があって快適だったが、野岩鉄道線内で野生のシカが見れたのは首都圏住まいの自分にとっては驚かされた。
6050系は台車の関係で 新造車よりも 6000系からの改造車の方が乗り心地が良かったように思います。
その6000系は 稀に『大師線』運用に入った事もありました。
両板バネ、揺動揺れ枕、枕バネにベローズ形の空気バネで
どっしりとしながらも柔らかい乗り心地でしたね……
8000系や1800系も同じだったけど。
Sミンデン系は保守や軽量化に有利だけどその分バネのセッティングに左右される感じでしょうか。
@@hisakounosuke2474 さま
8000系の『FS-356』と 同形態の『鋳鋼製ミンデンドイツ台車』は 小田急3100形や営団5000系前期型 0系新幹線にも用いられ 何れも『重厚でしなやか』という表現がぴったりの乗り心地でしたね。
6050系の6000系から更新されたグループは 少し重めの車重とバネ定数とのバランスが絶妙で 後の『スペーシア』よりも良い乗り心地と感じました。
今は200系が履いている 元1720系の『鋳鋼製Sミンデン台車(FS-370A)』も 同じくしなやかで重厚な乗り心地。
重量のある『鋳鋼製』なのが良かったのでしょうね。
この特性が気に入ったのか 東武は8000系の後期型にも『FS-356』を履かせるよう要望したものの 住金の社内的都合で やむなく『Sミンデン台車(FS-396)』になったそうですね。
@@toriri-service さん
8000系は昭和49年製までミンデンドイツ式でしたね。
これが恐らく住金最後の新製のミンデンドイツの台車ですね。
阪急2800形は前年が最後だし。
東武快速の恐ろしい所は浅草~東武動物公園間で特急と同じ停車駅になっていた時がありました。
唯一残る1編成を保有する野岩鉄道の二瓶社長が、需要次第では今後走らせる可能性もあると言っていましたね!
6050系が観光資源として、観光客を呼び込む存在になる日が来るかもしれません
大樹もそうですが、鉄道車両そのものを観光資源として活用する動きが出てきたのは興味深いものです。
東武快速の1つしたの列車種別の区間快速で胸熱だったのは土日の昼過ぎに下今市で特急きりふりと接続という急行形同士の連絡が晩年にありました。
20400系・・・嫌いじゃないんだけど観光地を走るんだし3ドアなんだからボックス席化改造くらいしてほしかった。普通列車なら窓割りとかどうでもいいからなぁ・・・。6050系の頃に戻りたい。
確か半蔵門線直通が急行名乗ったもんで急行よりも快速の方が停車駅が少ない逆転現象が起きてたんだっけ。
今の40代以上は急行>快速ですが、JRの急行が事実上無くなったことから若い方は急行と快速の区別がつかないかもしれませんね。
東上線からも昨年快速が無くなり、乗り入れてきた反対側の相鉄はメジャー種別だった急行が休止になりました。
2両編成に冷房,🚻など様々な機器を詰め込んだため重量が増えたが,車体の重みで乗り心地は滑らかだった。
車重と空気ばねの柔らかさのバランスがベストでしたね。(特に6000系からの更新車)
6050系も好きだけれど、6000系は大好きでした。6000系に乗るためだけに何度も日光に行ったもんです。ただ脊ずり上半分にモケットが貼られていなくてアルミデコラ貼りだったのが少し安っぽくて玉にきず。
11:24~20000型は3ドア8両、20400型は3ドア4両です
20000形には5扉車があり、20400形にも元5扉車があります。
@@By-Gaeshi
20400系の実物を見たことがありますが、ドアの跡が大きな窓になっていて魔改造が良くわかりますね。
さらにはドアが押しボタン式になっているのも近年の傾向。冬の寒さ対策も図られているのが興味深いものです。
失礼します。東武の快速はまさかの形で東上線が受け継ぎましたが、昨年廃止となりました。ただ改正後は快速急行と急行の部分を除けば今も東武鉄道に快速があるのはが確かです。
最高運転速度105km/hで突っ走る『東武快速』
速くて安くて乗り心地の良い電車だったなぁ。
料金不要で 東武動物公園‐新大平下 40.1km無停車だったところにもちゃんと触れているところが偉い!
今のリバティは 昔の快速急行よりも遅い『ボッタクリバティ』
栃木駅停車は後に追加されたもの、鬼怒川線内は各駅停車。
1999年の夏に、会津田島から浅草まで直通の快速電車に乗ったのが最初で最期の6050系の旅だったなぁ(´- `*)
当時まだ走り始めたばかりの「SLばんえつ物語」号の撮影に行って、会津鉄道の湯野上温泉駅で下車して駅前の民宿で一泊して…
明くる朝、会津鉄道のディーゼル車で会津田島に行って、そこから浅草直通の6050系快速に乗り換え、ゆっくり旅を楽しんだ😊🚞
感激したのは当時、確か日光方面からの快速の併結作業のため下今市の駅で10分以上の大停車があり、その時ホームになんと!、立ち売り駅弁屋のオッチャンが居て「弁当~❗弁当~‼️🍱」の威勢の良い掛け声と共に、扉の前まで売りに来てたことだった✨️❗️
当然、(弁当は確か幕の内と山菜弁当の二種類で)山菜弁当とお茶を購入して、浅草までの長旅を満喫したなぁ…🍵(´▽ `*)✨️
今残存してる6050系を出来れば改造前の6000系時代の塗装に戻して、往年の「だいや」「おじか」号で運転してくれないかなぁ…日光線や鬼怒川線内だけでも。
私自身、西日本方面在住だから、車で訪れるのは遠すぎて無理だから、その時は東武電車や野岩鉄道を使って、ゆっくり撮影を楽しみたいんだが…(´- `*)✨️
管理人さん、長いコメに付き合っていただき、ありがとうございます😊✨️
西武4000系に似てる
歴史的には6050系が先なんだよな
機器流用も共通(6050系は新造車含む)
便所ありで大好きでしたね。😃✨
便所なしの20400系は仕方ないけど酷過ぎる😢
休日限定の10030で良いから区間急行南栗橋行きと急行東武日光行きを統合してやってほしい
こんばんは❗️6000系の歴史を詳しく知れてとても良かったです。(*^^*)6000系は8000系より10%弱界磁広くとってるので高速性能はいいですね。かといって130キロはだせないでしょう。お疲れ様でした。(*^^*)
JR西日本227系red wingの東武版を導入して浅草直通の快速列車の運転を継続してほしかったな。
20000形は3ドア、20040形は5ドアで両方8両編成です
6050系が未だ🗼東京迄乗り入れてた頃、これの快速ん乗って日光に旅行した事有ります🐒 スペーシアが満席🈵だったのと運賃をケチる為です🤑 でも途中駅から鈍行になるのとカチコチクロスシート💺もあって結構辛い乗車でした(オマケに混雑状態だったし)。いつの間にやら🗼東京迄の乗り入れを辞め、殆どの車両が廃車になってたなんて…(多くは1964年製の6000系からの改造車だし)
JR東に例えるとこんな感じかな
6050系=115系+169系
500系=E257系
肘掛けに引き出し式の灰皿が有りタバコ🚬吸えた全車両
「6050型」は、東武日光線でよくお世話になりました。
20000系列から改造された「20400型」に置き換えられてしまい、グレードダウンしました。
りょうもうだけデなくスペーシアモ通勤特急二
10000系列には、2両編成も多々あり、これらをL/C改造ならびに、トイレを取り付け、長距離用途に対応させればよかったと、いまでも思っています。(24‐06‐23)
6050系の東武日光・会津田島方面から浅草までの快速は、本当にコスパ最強でしたね。僕は毎日の通学で普通電車の6050系に乗ってました。今でも、僕の中では東武鉄道の車両の代表格です。
東武はずる賢いから大嫌い
爆笑(*^ワ^*)
お前よりはマシだ!😜
@@psychedelicraspberry517 仕事しろ
@@パピコ-s2m言ってる意味不明!😜
@@psychedelicraspberry517 君は悔しがり屋さんだね~🤭
東武日光線20400系電車は日光線北鹿沼から下り急勾配はかなりきついまあでれば115系電車を入れて欲しいかな20400系は東武赤城線転用したほがいいかもしれないかな