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大晦日 いっぱいまで仕事してブルートレインに飛び乗って元旦に、食堂車へ行って、朝食を食べながら、初日の出を瀬戸内海を見ながら 九州に向かうのが毎年楽しみだった❤1日一本でいいから、九州ブルートレイン復活してくれる事願っています🤗🥰
末期、高級路線に持っていったのは確かに一つの手段でしたが、ブルトレファン世代がようやく社会人になり沢山乗られると思った矢先に、とても手が出ない価格になってしまったのも衰退の一つの要因。
思い立ったらすぐ乗れる・・・なんて事がなくなったからねぇ。遡れば夜行長距離普通列車(ひいては普通乗車券だけで乗れて予約すらいらない)があったというのに。
夜行普通というより、北星とかああいうやつのほうが興味を引くよ、ゆうづるとか
・新幹線で日帰りしやすくなった・夜行という点では高速バスという競争相手の台頭・そんな各競争相手に対して割高かつ設備の陳腐化で競争にならない、更新するだけの費用にも見合わない・夜行という性質上、普通の電車より圧倒的高コスト(乗務員のみならず沿線主要駅の夜間人員確保が必要)これら理由で採算取れない列車になったために夜行列車は絶滅近くなってしまったのではないかと11:28 紀伊の亀山経由はまだ亀山の利用が多かったのもある13:59 いみじくも「ドラえもん」原作に『廃止前最後の宇宙列車に乗って宇宙の果てに置き去り』という話があったりする
開放寝台の値段が格安ビジネスホテルより高いというのも消えた理由かなと。
新幹線+ビジホ、で仕事が終わってから次の仕事先に前乗りできる範囲が広くなりました。
これが以前なら「移動する列車の中でゆっくり寝て英気を養って・・・」という話になるんですけどね。社会環境ががらっと変わってしまったんで仕方がないですよね。
夜遅く(新幹線では帰れない時間)まで仕事して、寝台特急で移動して仕事‥なんて状況で、よく野辺地→上野、東京→広島、大阪→東京、博多→大阪なんかを利用してましたねぇ〜😊新幹線・飛行機で前日入りする時間にすら間に合わない時には、重宝してました。
寝台列車で乗車した事有るのが、「出雲、銀河」で中でも銀河は週末東京でコンサートやライブ公演などを楽しんだ後、翌朝大阪駅から会社に出勤してましたね!あと寝台列車と言えば、西村京太郎(故人)トラベルミステリーでの、分割、併結での殺人事件アリバイに使われたのが懐かしです。
松本清張の「点と線」の内容を確かめるべく、コミケ・サークル参加(第27回から第29回のころですが)のため上京(東下り)したときに、深夜の東京駅まで確かめに行ったことは、いい思い出です。当時アニメや漫画のサークルの方でも、その方面(鉄道関係)に詳しい同好の士はけっこういらっしゃいましたね。
寝台特急は今でも憧れる。さくら・はやぶさと、なは・あかつきに乗った経験は一生忘れない。Nゲージで80年代からの編成を色々と再現して走っていた頃を思い出す。EDの作り込みが良く泣かせる。😭移動も旅の一つと思わない時代になり、人が利用しなくなったら、廃止になるのは当たり前ですね。維持・管理でもキツイだろう。悲しいけど、これ現実なのよね。
さくら、はやぶさ、みずほ、富士、出雲、紀伊、と昔の時刻表には寝台列車がよりどりみどりでした。お客様減で併結しだしてから一気に衰退しました。いろいろな要素はありますが高速バスが一番の原因ではないかと思います
@@heitetsu4649 さん鋭い所をおっしゃっていただき、ありがたいです。
1970,80年代は夜行列車をよく利用しました。でも寝台車よりは急行列車の座席車をよく利用しました。九州急行は焼酎臭く、大阪止まりの普通列車の方がましだと思いました。その後、上野から東北奥羽方面へ旅行先を転じ、八甲田や津軽をメインに利用しました。3段B寝台客車のいいところはブルマンタイプの電車寝台よりも荷物を置くスペースが広く、中段寝台収納時にヘッドクリアランスが広いところですね。寝台幅が狭い点が短所ですが、当時は横になっていければありがたかった。寝台列車が衰退したのは、それ自身が新しいコンセプトを持たず、陳腐化劣化をたどったことも要因の一つと思います。青函トンネル開業後の特急北斗星が最後の花でした。所要時間を可能な限り短縮し、食堂車やロビーカー、シャワールームなどを備えていました。
プルマンって開放資金寝台なら14系や20系のB寝台車もプルマンなんだよね。個室じゃナイものは。
ななつ星や瑞風は、確かに寝台列車なんだろうけど、正直いって、凄く違和感がある。これらは、豪華ジョイフルトレインのようなものだからね。
1人15万〜40万で一泊2日ですので豪華ジョイフルトレインですね
確かに寝台が付いている列車ではあるんだけど、先に目的となる移動があって その手段として利用する列車(旧来型の寝台列車を含む)とは完全に別物なんですよね。
そりゃ、行った先で仕事なり観光を楽しむ移動手段としての列車と、その列車に乗車する事自体を楽しむ列車で別物なのは当たり前。
「あさかぜ」を取り上げなかったのが個人的には非常に残念です。夜行列車は寝台車のみの編成では通用しないという事なのでしょう。寝台車・座席車の混結編成にして「最終列車」「始発列車」を兼ねた「多目的列車」として走らせるのが夜行列車が存続できるやり方のように思えます。
むかしの「あさかぜ」になぜ座席車の設定があったかというと、当時は寝台料金は贅沢すぎて出張経費として認めてもらえない社会環境だったということです。悲しき宮仕え(T_T)それから当時「あさかぜ」のかなでも、通称「殿様あさかぜ」と呼ぼれる、名士たちが好んで乗車した個室(ルーメット)主体の豪華列車があったことも、お忘れなく。
えっホントに?新幹線がまだ無かった時代〜東京から新大阪までしかなかった時代、座席車にもそれなりに需要があった、まあいいや。
殿様あさかぜの頃はもう名士っていないだろうし、いたとしたら飛行機のファーストクラスだろうな。
@@tydeentetuota5514 さま。とりあえず当時の有名どころでは、岸信介さんなどの大物政治家や大屋晋三さん(有名な大屋政子さんのご主人で帝人の社長)などの大実業家は名士に含まれますね。作家の内田百閒さんはもういらっしゃらなかったですね「あさかぜ」のころは。とくに政治家さんは職業柄他人の眼がない密室が好まれる(意味深〜)ようですし、愛用されていた個室(常に予約して押さえてあったという逸話も)もあったという、話も聞いたことがありますしね。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 様それは失礼いたしました。あさかぜが20系で残っていたのはそんな理由もありますネ。阿房列車読むのも大好きで何冊か集めたのですが実家の火災で焼失しました。おまけに近年眼が衰えまして。再び買い集めようともなかなか売ってないですし。ああいう本で勉強するって今の鉄道マニヤにはいないでしょうね。
素っ気無いビジネスライクな銀河までなくしてしまったのは(名前だけは残ってるがあれは別物)いかがな物か まぁ保線作業やその他人件費を思えは仕方ないのかもしれないが余りにも味気なさすぎる まぁ鉄道もビジネスですからと言われたら反論はできないけど
瑞風やななつ星に四季島みたいな値段設定は庶民にゃ先ず選択肢には入らない、しかも必要以上に豪華になって毛色が変わってしまい手の届かない乗り物になってしまいました。サンライズ位、せめてトワイライトや北斗星程度の出費で済む廉価版バージョンの列車が季節限定で良いからあると嬉しいな。まぁ、維持や管理にセキュリティ等難しいんだろうけど。やっぱり夜行列車は敢えて不便を愉しむロマンなんだよねー。
食堂車の営業を止めてから、寝台列車が明らかに衰退したと感じた……94年だったかな。それから案外長い間何とか存続していたけど、大きな改善策も無く、終わっていくのは寂しいですね。せめてサンライズ系統がもう1本あれば少しは状況変わってたかなあと。もっとも高速バスも減便され、新幹線の今後を考えると、旅行自体が変わってしまうような気がします……
そうですね。大阪経由でもう一本サンライズ的な寝台列車があればいいですね。117を改造するより新車2編成作れば,サンライズの後継。あと臨時列車にも使えます。JR西日本はサンライズをそのままフェードアウトするような気がします
@@heitetsu4649さんサンライズの車両設計は素晴らしい(住宅メーカーとのコラボ)けど、再び同様のプロジェクトを立ち上げるのは難しいと思います。こういうのもロストテクノロジーになってしまうのが本当に残念です。
大垣夜行までも廃止になるなんて…
一時期コミケ参加で使いましたよ。当時深夜の豊橋だったか浜松だったかで、立ち食いそばを食べたのも思い出。
でも、一番の原因は車両の老朽化かな。斜陽化になる直前にサンライズのように新車が出ていたら現在ももう少し残っていたかも...
需要がないから新車も出ない。
@@tydeentetuota5514 あっお馬鹿さんだ
需要がないから出なかったのか、出さなかったから需要がなくなったのかは、永遠のテーマだと思いますね。
2割3割の乗車率じゃ新車出せんでしょ。
度重なる運賃値上げ、新幹線の延伸、航空網の充実格安化。
「紀伊」号は思い出深い列車です。といっても乗車はかないませんでした。高校の夜学時代、帰宅時に乗車していた相鉄線と並行するシーンが毎夜見れたものでした。
速く移動したい人は飛行機に、安く移動したい人は高速バスに、しかもどちらも寝台列車よりもかなり安いとなれば競争力がなくなってしまいましたね。子どもの頃に富士やさくらに乗ったのが懐かしいです。北斗星に乗りたかったです。
東京〜西鹿児島の夜行列車は急行「桜島」(鹿児島本線経由)「高千穂」(日豊本線経由)の印象が強いけど^^;急行「きたぐに」は大阪〜青森(寝台車は新潟)だったしね😀ブルートレイン「あけぼの」は経由路線が変わりながら長生きした(奥羽本線経由の時に乗った)高速バスの自由化、格安ビジネスホテルの誕生、鉄道の高速化により夜行列車が淘汰されて現在ヘ。夜行移動の中心はバス🚌フェリーに。うp主さんは上海在住とのことなので夜行寝台列車を実感できるのでは?食堂車付きだし。現に夜行列車に乗りに中国に行く人も多いようですよ。
ゆっくり夜景を見ながら食堂車でくつろぐ旅が出来なくなり寂しいです。自分が大人になってから衰退したのも残念です。
時代がかわってしまったのですね。新幹線網の発達、高速夜行バス、ビジネスホテル、インターネットの発達、などなど。便利になる傍らで衰退してゆくものもある。夜行寝台列車は過去の遺物になりつつあるのかもしれません。ただ、ひとつ言えることは、あの旅情は今では味わえない良さがあった。記憶に浸み込んでいるといった感じです。実際の現在の夜行(寝台)列車の需要も全くゼロではないと思われます。例えば、かつて中央線などにもあった「山男列車(夜行登山列車)」。臨時便には寝台車を連結していた時代もありました。165系の急行「アルプス」にはビュッフェ車だって連結されていました。昭和のころの最盛期の夏休みなどには、普通から急行まで、電車列車、客車列車ともに10便近くの列車が、新宿駅から出発していました。新宿駅のアルプス広場に集まって、深夜に列車が出る。松本などに早朝早い時間帯に着き、上高地などの登山基地には地元のバスなどで朝に着く。そしてなるべく早くから登山を開始して、山小屋には日没前に着く。こうした点で言うと「山男列車」は登山好きにはなくてはならない必需品(必須アイテム)でした。関西方面、中京方面からの同様の列車(「きそ」「くろよん」「ちくま」)などもありました。他にも需要を掘り起こせば、夜行(寝台)列車の需要はまだあるのではないかと思われます。
そうですね。前回アルピコ交通上高地線に乗ったとき終点の新島々駅にご年配や若い人のハイカーが駅に溢れるくらいいましたのでまだ登山口へのアクセス需要はあると思います
航空運賃が手頃になったのも一因かも。東京福岡みたいに飛行機なら2時間以内で行けるところを15時間以上もかけて行きたいとは思わないですね。鉄道ファン以外は。
分割民営化の影響が大きい。貨物列車と機関車を共通運用できなくなったし、走行距離に応じて分ける方法だから、短距離しか走行しない旅客会社は儲けが少ない。
じゃあ、なんでサンライズ瀬戸は残ってるんでしょうね。四国の運転区間、児島〜高松だけですが残ってますよね?なんなら臨時で琴平とか松山まで行くぐらいには力入れてるみたいですか?紀伊とか安芸など、ざっと調べるだけでも国鉄時代から既に廃止されてる寝台列車が複数いたので、需要がなくなった列車も多数いると思いますよ。トワイライトエクスプレスですら廃止発表前は当日でも券取れるレベルだったそうですが。無くなった今だからあーだこーだ言えるだけ。
@@まるもも-l4g サンライズは出雲市にある車庫でメンテナンスをやり、東日本旅客鉄道やJR四国の車庫では清掃作業とリネンの交換くらいしかやっていません。サンライズ出雲も瀬戸も編成は全く同じで、4日分の装備を積んでJR西日本の車庫で行っているのです。東日本や四国の負担を極力減らすことを前提に残してもらっているのですが、乗車定員はたかが知れていますのでJR西日本にとっても儲けが大きいとは言い難い列車です。登場してから30年位にもなるのに後継車の話すら出て来ないということは近いうちに廃止されることを前提にしているのでしょう。電車なので折り返しが容易で、通勤時間帯の7時台に東京駅に乗り入れられるとか、伯備線や本四備讃線は並行して新幹線が造られていないためブルートレインと比べて残しやすい条件はそろっていたことは言えますが。
JR西日本も他社の負担を減らすのに工夫していたのですね。JR東日本には旅客需要のメリットはありますがJR東海はスルーするだけであまりメリットがないようです
@@heitetsu4649 サンライズでは一番メリットがあるのは東海では…?と思ってたんですが。だってほぼすべての利用者が米原〜熱海間は利用することになって、その分の収入は入ってきますよね…しかも検査は全部西日本持ち。乗務員の手配以外の負担がないと思います。なんならサンライズで一番メリットないのは東かもしれないです。ラッシュにあんな邪魔なクソデカ列車持ってこられるし。
@@heitetsu4649 て、申しますかJR東海に至っては、発足後は機関士を養成していなかった(鉄道アナリストの川島令三氏、談)そうですからブルトレ縮小は、ある意味「お約束、ぢゃなくて、当然の結果」でした。やはり現在ぢゃ、機関士牽引の客車列車は非効率→時代遅れ?
観音寺行き「瀬戸」の方向幕あったんですね。
急行寝台「銀河」は割と利用しましたね。ハネしかありませんでしたが、一定、便利でしたしね。北斗星とかで行く北海道は良かったですね。新幹線網が拡張してきたので減ってしまいましたが、どうなのでしょうね。
モノクラスの銀河あったのですか?
@@tydeentetuota5514 さま。寝台車からは外れますが、当時季節臨時列車の急行「銀河」(81号・82号だったかな?)は、確かモノクラス全座席車だった記憶がありますよ。今思うと大垣夜行よりきついような。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 様ありがとうございます。14系ハザ、EF58牽引の時代知ってます。静岡の由比〜興津の間、薩埵峠で友人が撮った写真を持ってました。(今は失くしてしまった)私の意図は、コメントでハネしかありませんでしたとのことですので、特急の瀬戸(後期のスパやオハ連結前)みたいにB寝台ばかりの銀河があったのかなと。
サンライズ瀬戸よ、永遠に🌅
旅情という意味では寝台列車は魅力的ですが、ビジネスで使うとなると前日に現地入りしてビジネスホテルでもいいから個室でくつろげた方がいいですからね。JRも夜間の線路保守に制約が発生したり深夜帯も明けておかなければならない駅があったり専用車両の保守コストが高く利益が上げられない状態に陥ってしまったのでは遊びで走らせているわけではないので廃止もやむなしですね。
JR分割が大きな要因だと思います。東京ー大阪や東京ー広島はサンライズの設備なら今でも需要は根強いと思いますが、昼間使えない車両の設備投資の責任の調整が地域分割されたJRでは困難なのだろうと思います。
悲しいよなぁ〜・・・
悲しいです。いずれサンライズも後継車両がないため廃止の憂き目に遭うでしょう
後悔にまみれればいいだと思うよ、特に東と東海
えっ?廃止で「せいせい」するんじゃないの。なんで後悔せにゃぁならんの?って東海は思うんでしょ。個人的には小5の頃朝早起きして山奥から8キロ位自転車で走って九州ブルトレの牽引が500番代から1000番代に代わったばかりのブルトレ見に行った世代で悲しいのは解るけど。
何故はやぶさの名称が東北新幹線に使うのだろう?はつかりなら分かりますが。
新幹線と人員確保が困難なこと、線路、架線などのメンテナンスのため。消えるのは無理ないさ。それとできるだけ、家で寝たいもんね。飛行機も増えたしね。
北陸本線沿線で日本海、トワイライト、きたぐに等を見てきたから夜行列車復活には期待したいけど、現実主義的思想で言えば「日本でクルーズトレイン以外の夜行列車は100%復活しない」理由は色々あるが・国鉄分割民営化・新幹線網の拡大・航空運賃の低廉化・LCCの登場・高速道路網の発達・夜行バスの勢力拡大・旅行商品の発達・宿泊施設の低価格化・鉄道運賃の高止まり・車両の老朽化・時代錯誤な設備・客車列車の減少・機関車運転士の減少・保線作業時間の減少・国民所得の減少・増税・円安ドル高の進行・日用品の値上げ・インフラ料金の値上げ・コロナ禍ざっと上げただけでもこれだけあるそもそもとして、全世界を見渡しても「夜間の移動を目的とした夜行列車」で「民営企業が運行する列車」はJR東日本/東海/西日本/四国の4社とベルギーの「レギオジェット」、ドイツ国鉄(DB)のユーロナイト(EN)くらい。それ以外に夜行列車を運行する企業は全て国営鉄道か公営企業体。日本の状況が如何に特殊かよく分かるだろう
父が熊本県の出身で、帰省の時はだいたい新幹線→L特急有明または急行かいもん(昼行便)でしたが、寝台列車に乗りたいと両親にせがんで何度かなはや明星を利用しました。
1974年高校出て上京は八代駅から583明星でした。帰省ははやぶさとみずほに何十万貢いだことだろう。(笑)寝台券買ってからの日々が待ち遠しこと。実際乗ると門司で九州に上陸したと実感し熊本着くのが早く感じる。スマホ📱ない時代なのに車内の時間経過がみるみると過ぎる。まだ車内販売・食堂車🍴のお姉さん・お兄さん達の声と絵が浮かぶ。上りは東京が近づくのが嫌だった。厳しい仕事が待っている。寝台列車はいつまでも我が青春です。
以前なんどか他の動画でコメントしたことがありますが、10系客車時代の「急行きたぐに」(A寝台のオロネ10)に乗ったのが、いまでもいい思い出として残ってますね。乗車後静かに列車内を探検しました。オハネ10の車内もその時始めてみましたよ。まさに蚕棚のような感じでしたね(個人の感想ですが)。当時家で布団に寝ることを思うと格段の寝心地だった思い出があります。その時はオシ17はもう連結されていなくて、座席車は12系客車になっていました。車内けっこう混んでいましたよ。あとになって感じたのは、本格的食堂車はいらないけども、オシ16みたいなサロンかな?、ビュフェ車(自動販売機主体の簡易食堂車としてのの話ですが)はいまでも必要かなとは感じますね。
おっ、オシ16のこと知ってるってあまりいないと思ったら笑。オハネ10は打ち間違いでしょうね。オユ、スロ62、12系ハザ、オハネフ12、スハネ16、オロネ10、スハネ16、オハネフ12の頃でしょうか。後にスロも外されますが。オシ16も台車がTR23とTR47の2種類あるようですね。165系電車でいうところの売店コーナー付きサハ164みたいので電子レンジ置いてあったりしたら便利ですね、セブンカフェ付きとか。
鐵郎さんにもお知らせしましたが少年時代に観て大興奮した『日曜特バン!』ブルートレインのすべて(1978年3月5日放送)を丸々アップされた方がいらっしゃいました。改めて観ると感慨深いです。ruclips.net/video/S4wuo4AdtCw/видео.html
寝台列車は、日本海、つるぎ、銀河、だいせん、きたぐに、に乗りました。初めて乗ったのは日本海で、その当時は14系3段寝台でした。最後に乗ったのは583系の急行きたぐにで、これも3段寝台でした。あとは2段寝台です。
長距離寝台列車の衰退要因の一つとしては、 JR の分割民営化と北陸本線などの第三セクター化は外せないと思います。線路を新規に敷設する必要があるならともかく、鹿島線や北陸本線などの高規格線路上の特急・寝台列車が高速バスにボロ負けしているのは非合理的としか感じられない。会社変更に伴う乗務員変更などのコスト、料金制度など、ソフト側面がいろいろとおかしいとしか思えません。環境負荷軽減が国の政策の上位に来るべき今日、長距離列車の乗車券運賃の規制緩和など、制度改革は待ったなし と個人的には思いますね。
非合理的云々と言われてもねぇそもそも寝台特急の衰退が始まったのは1990年代に入ってからでしょ1990年代初頭だと所得的に多少は余裕のある人も増えてきて寝台特急が強かった区間でも航空便へのシフトチェンジは始まっていたし(東海道新幹線ですら航空便にシェアを奪われ気味だったので)、いわゆるバブル経済を経ての価値観の変化により当時の寝台特急の設備(特にB寝台)が「古臭い」として一般の人からは「敬遠」もされ始めていたけどな。
飛行機やバスそれに宿がコストダウンに勤しんでいた頃、簡単に他企業が参入の為に取得できないレール設備を抱え込み独占したままコストダウンの努力をしないで陳腐化しても値段を据え置いた罪は大きいですな。輸送量あたりの環境負荷は飛行機や自動車系よりも鉄道の方が抑えられるのは勿論速度を上げると路面抵抗や空気抵抗によるエネルギー損失も大きくなるので、在来線が最強と聞くが。
公共料金として国に料金値上げ抑えられていた国鉄、運営悪化し料金値上げ始めて物価上昇率より料金値上げの方が上回った昭和53年頃、皮肉にもブルトレブームだった。国鉄料金の値上げ等について勉強して欲しい。
クネクネ曲がってなるべく鉄橋やトンネルが短くなるように敷設された在来線と、できるだけ短距離で結べるように敷設された新幹線とどちらが強いのか考えてみて欲しい。
始めは一県一駅の計画だったが、浜松駅は無視できなかったのか、無理矢理カーブ入れてでも浜松駅に入れている。バイパスさせたらもっと速くなるだろって思う。
寝台列車が廃れた原因の一つには、JRの分割・民営化、さらに新幹線開業に伴う並行在来線問題も大きいのでは。
なんせ、JR他社との直通が無いと夜行寝台の生きる距離の運行範囲がなかなか取れないし、1社が奇跡的にやる気になっても、乗り入れ先でも同時に奇跡が起こらないと新設されないのが消える方ばかりは消え捲るからなぁ。
@@dqpb10440 それを思うとブルートレインは地域各社に割り振るのではなく一括で貨物会社に担当させるべきだった、という気がしてくるね。
寝台列車が消えていった当時とは今はちょっと風向きが変わってきてると思いますサンライズが人気となり1周回ってまた夜行列車というのが見直されてる気がしますサンライズ自体は効率や価格だけではない価値を見いだして利用してる人が多いし、あの内装やクオリティで昔の「あけぼの」とか「銀河」とか経路的に絶対需要はあるし一般人が普通に窓口で切符買えて移動手段として乗れる列車はこれからの時代必要だと思うけどなぁ…
♫花嫁は 「夜汽車」に乗って 嫁いでゆくの〜という歌も、夜汽車という表現も忘れ去られていきますね。まあこの夜汽車は夜行普通かもしれませんが
汽車って蒸気機関車でないと汽車じゃないですもんね。イメージとしては最低限電気機関車牽引列車でないと。電車はもうダメですね。
@@tydeentetuota5514 今でも福岡では蒸気機関車が走っていた頃の名残りで今でも「JR=汽車」「西鉄=電車」とそれぞれ呼ばれています。
北海道向けはまだ需要ありそうなんだけどな。まずは札幌を目指すことが重要だけど、青函トンネルが新幹線と貨物列車用になっちゃったのと、道内の線形が悪い非電化路線が多いのがネックだ。
今は函館本線の存続が危ぶまれています。でも函館本線の長万部〜函館の区間は貨物の大動脈ですがJR北海道は切り離すことしか目になく、JR貨物はこの区間を引き受けたくなく。貨物はどうなるか心配です
昔よみうりランドかサマーランドと、長瀞にも停車して固定されたブルートレインに泊まれるホテルがあって、寝台車のベッドに泊まっても全然楽しくなかったんですよね。風景変わらないし、動いてないし、ガタンゴトンの音しないし、トイレと朝食会場は別に接続された建物だったりで、最初は話題になっても寝台車両の末路はだいたいそんな感じで老朽化そし飽きられ、寂しく膜を閉じていったように感じます。最近奈良~名古屋間の直通列車復活など、急ぐ人はリニアで、のんびりしたい人は、のんびりとと、需要が用途によって明確に別れていくのならば、サンライズと、ななつ星や銀河の中間レベルの3段ベッドの寝台特急が復活してくれたらいいのになぁと思います。修学旅行生に貸し切ったらそれこそいい思い出になるのに。
無くなった理由の中に、鉄道運用側の視点がないのが気になりました。「なぜ消えたか」と称する以上は、全方面カバーして欲しい。「無くなった夜行列車を紹介します」とのタイトルなら判るけどね。①線路整備問題(貨物列車かも)②東京駅の入着時刻、通勤列車とのスピード差 サンライズは電車化で生き残り③売上の距離割配分=JR東日本にメリットがない東北方面発の夜行列車が(人口では東海道山陽より少ないのに)結構生き延びたのは、上野駅があったり自社線路内で完結するという②③の問題が小さいこともあると思う。
オタクは細かすぎるぞ
幾つもの要因の中、最大の功罪は新幹線かな?。今や必須の交通機関である事は間違い無いのですが、ただ山陽新幹線だけはちょっと・・・。半分地下鉄なんで。
それ。
JR東日本にもWESTEXPRESS銀河のような列車を期待したい
カシオペア「…」こいつ持て余してるあたりやっぱり定期で走らせるほどの需要はないのよ…
しかし、廉価版として185系を改造・運用するのはアリかもね。
185系 今のまま(座席車のまま)でも人気あるし、潰し過ぎたと後悔している感。カシオペア紀行は高いんだよな、四季島よりも割高な運行も珍しく無くなったそうな。とにかく今はサンライズの後継車両と寝台特急の継続を声高に希望する。
4:00- 音楽好きです もしよろしければで結構ですから教えてください🙇♂️
瑠璃色の記憶 だと思います。スピリチュアル系の動画も運営しておりますのでよく使っております。
@@heitetsu4649かしこまりました🙇♂️ 本当にありがとうございます!
一昨日、友人が東京への出張でサンライズの寝台を利用しました。交通費が一部自腹になるけどJR東海がいつやんぴと言うかわからないから今のうちに乗っておく、と言ってました。
意外と最近まで走ってたんですね。ジジイにとっては世紀変わる前後なんて最近。その辺りはロクな休み無かったから乗るどころじゃなかった。
北斗星の開放型B寝台上段に乗ったことがあります。今考えれば、普通に座れ、折りたたみテーブルも付いている下段や、個室のソロの上下と同じ値段の「6,300円」は法外。ハシゴを登って寝台にたどり着くしかないB寝台上段は、まさに4物一価の象徴。ネカフェ程度かそれ以下の設備でこの金額はボッタクリです。個人的に寝台列車凋落は、この料金設定に問題があったのではないかと思っています。
深夜バスはケツが取れるから鉄道のほうがいいけどな大泉洋が僕は痔なんですよと言いながら憮然とした顔できたぐにの座席車に乗ってましたあれが夜行列車最後の時代だね
高速バスだとシートベルトが強いられますからね。列車なら座席車でも通路側の席なら、気楽に席を立って お尻をマッサージ出来ますが。
寝台新幹線ってどうなんでしょう。ただ、JR各社が分割しているので調整が難しい感じです。東海道新幹線と東北新幹線が直通できればあるいはって思います。サンライズにはがんばってほしいと思います。でもJRから見てビジネスとして成り立っているのかって言われたら微妙です。不定期ですが、ウエストエキスプレス銀河も採算面では微妙と思いますからね。サンライズは走らせてくれているだけで感謝しなければなりません。JR4社を跨いで走らせてくれてますからね。あと、僕の会社でも殆どがリモート会議になりましたから。時代の流れから見るとやはり絶滅していくんですかね。なんか切ないです。
新幹線って深夜0時から6時までは運行出来ない事になってるんですよね。深夜帯は在来線の速度で走るって事で認められれば需要は見込めると思いますが。
@@dqpb10440 さま、確かにそうなんだけど、技術革新で静かになって来ているので夜間走れるように法律を変える時期が来ているように思いますね。
夜間は夜間の騒音基準を適用するという事に切り替われば、より現実的ですね。在来線と同じ速度なら在来線を超える騒音は有り得ませんし、騒音だけが問題なら、単純に音の大きさで線引きしても良いハズ。
地元の絡みで乗車機会多かったのは九州ですが80年代中盤以後は明らかに衰退してましたね。24系の後継がバブル期に出なかったからもう終わるだろうなとは思ってました。新幹線の100系の個室グリーン出てブルトレは全く乗らなくなりましたね。20系は車齢の割には老朽化早かった感じはある。タイでは寝台特急は今でも乗ります。1/2等寝台車食堂車まで新車導入してますね。今九州〜東京は飛行機一択。食堂車もない長距離列車なんか魅力ないですね。ラウンジがある飛行機がいいです。いくらノスタルジー浸っても結局商売として成り立たない以上消えるしかない存在。ななつ星は改装で定員減らして価格上げてますね
最終の飛行機より遅く、朝一番の新幹線より早いのなら、とても便利ですが需要が少ないので高速バスになってしまいますね。
家から駅や空港までの移動の事も考えると、あんまり早く出たり遅く着いたりするのも不便なんですよね。
寝台列車の回送で東京ー品川間で機関車のPP(プッシュ・プル)運転をしていましたね、大阪うめきた線で復活したようです。
段落とし運用、および機回し用11番線もあった。やたら前後に機関車ついてればPPと表現するのも誤り。
後部の機関車が無動力で回送扱いならPPとは言わないわけですね。
さくら号を舞台にした三國車掌の 大いなる驀進渥美車掌の 喜劇急行列車等の映画も ありました!
見ました。若き日の大原麗子さんが出ていました。渥美清氏はまだ寅さんの前の作品なのに さくら の車掌役には縁を感じます
1978年の松竹映画『皇帝のいない八月』では 三菱大夕張鉄道のボロ客車にハリボテの外板を貼り付けた『ニセ14系寝台客車』も登場します。駅に到着するシーンでは 釣り合い梁台車が映っちゃってて「あれ?」って思います。ラストで爆破されました。
ビジホどころかカプセルでさえマットにこだわりだしてる状況ですからね
富士も、晩年の下りは大阪駅停車してた記憶があります。上りあさかぜも晩年は停車してましたね‼️
深夜帯だったので下車のみだった、記憶があるのですが。
運転停車でなく客扱いあったのですか(初心者)。
@@tydeentetuota5514 さま。むかしの鉄道雑誌の記事で読んだ話(おそらく「鉄道ジャーナル」誌だと思います)なのですが、すでに駅の営業時間が終了したあとに停車するので改札から入場することはできないが、改札から出ることだけできるような扱いになっているという記事を読んだことがありました。深夜帯に到着して駅の改札口から出ることだけはできるという列車は、他にもあったような記憶がありますよ。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 様返信いただきありがとうございます😊一つ一つ勉強になります。
儲からないから消えて行ったに決まってる。ドル箱ならば廃止するはずがない。
新幹線に名前が継承されていますね、「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「つるぎ」
若いうちは、あたり前のようにどこへでも夜行で旅をしたが、九州でも北海道でも、一度、飛行機を使っちゃったらもうダメ。なにせ、どちらもジェット便なら発着1時間15分というところだからなぁ。 以後はというと、まだ宇高連絡船だったときに、宇野まで「特急瀬戸」で土佐中村へ行った(※帰りがけ月ヶ瀬口で、もうひと仕事あったんでね)ときと、あとは新大阪で最終の新幹線に乗り損ない、仕事が翌日もあったため、やむを得ず京都から「特急出雲」の寝台に乗って帰ったくらいかな。中年になると、たとえ寝台といえども、夜行列車では疲れてしまい翌日は仕事にならないんだよねぇ。やはり夜行ってのは20台までの乗り物だよ。ましてや座席車で東京から九州だとか北海道だなんて、よくも乗るお客さんがいたもんだと今になってみると感心するばかり。目的地に着いたら誰しもバタンキューでひと眠りだったんじゃないかい。
そりゃ費用対効果の問題でしょ。だって九州に限って言えばスカイマークのおかげで飛行機が身近になったのが一番大きいと思う。あの当時で関東九州往復割引切符で新幹線or寝台選べて34500円。羽田福岡の航空券が片道36500円だった。夜中はえきに止まるたびに振動で叩き起され睡眠不足のまま早朝の山陽路を爆走している時間帯は早く着けよ❗️って思ってた。盆暮正月ゴールデンウィークは子供達がてんこ盛りで更に寝れなくなったのはイイ思い出。下りあさかぜ1号で食堂車営業開始と同時にビーフシチューセットとビールを注文、熱海駅停車中にホームの疲れたサラリーマンを横目にビールアオりながら食餌してました。つくづく昭和は遠くなりました😢
本州と北海道を結んでいた北斗星、トワイライトエクスプレス、カシオペア等のグレードの寝台特急が1列車くらいは有っても良いはずなんだけどねぇ・・・・
故・西村京太郎先生の著作「寝台急行『天の川』殺人事件」の中にこんな文があります。「・・・それは鉄道が、ただ単に乗客と物資を運ぶだけのものではないからである。地方の文化、連帯というものにも役立っていて、その価値は計算できない。少年たちに夢を与えることも、その一つだろう。経済という点だけを考えて分割民営化が推し進められたら、恐らく新幹線と通勤電車だけになってしまうだろう。そうなった時、鉄道に夢を持つ彼等はどこへ行ってしまうのだろうか?」短絡的に考えてはいけないとは思いますが、上の文章に激しく同意です。30年以上も前に書かれたものですが、その危惧がいまや現実となろうとしています。
昭和の末期頃は特に、東京発の便が神戸の須磨←→西明石間でやたら脱線事故を起こしていたなあ。かつて付近に住んでいたから解るが、確かにあそこは見通しの良い海岸線ゆえ、疲労とかで油断すればいとも容易く脱線するのが、素人目にも解る。胸を躍らせ寝つけない客はともかく、ぐっすり寝ていた客のパニックはもはや、想像に難くない……… また、下り「出雲」&「紀伊」の名古屋駅に於ける分離及び機関車付け替え作業中、「紀伊」運用に就くDD51が構内にてまさかの衝突脱線事故もあった。あとで知った原因は機関士自身の飲酒。たとえ直前はジラフでも、「二日酔い💫😵🍶」のまま、アルコールチェックも適当に乗務させた杜撰さ加減には、弁解の余地なんぞ欠片もない。長距離運行の万全なる安全を図るべく、客扱いとは別に、機関士に車掌交代を主に設定されてる「運転停車」も、これではまったく無意味である。また当時は国鉄解体→JR移行が具現化されはじめた時。腐敗極まる国鉄の「お上体質」を如実に示し、分割民営化を「正当化」させる格好の口実を与えたもほぼ同然だろう。最後に気になることをひとつ。上下共に併結運行していた「出雲」&「紀伊」の東海道区間にて、「紀伊」の乗客も「出雲」の食堂車利用ができたのか否か、利用者の方がいらっしゃれば是非教えて戴けると有難いです。
利用者ではないですが出雲2号3号になったのは紀伊の廃止後で紀伊と併結していた時代は出雲でなくて「いなば」だったのでは。そして、食堂車は連結していたものの営業休止じゃなかったのでは?
あと昭和53年頃の時刻表の、列車編成のご案内ページで、この列車の端っこが、座席車になる場合がございますってのが記憶に残ってます。(スハネフ14の難燃化対策実施)
0時から6時までの「夜行新幹線リレー号」な列車を走らせては? 料金を新幹線と一体にすれば使いやすそうです。
リレーする列車があるから、リレー号っていうんだろうなぁ。
あさかぜ3回さくら1回北陸1回あけぼの1回銀河5回サンライズ瀬戸1回かな!
昔は『寝台特急』以外にも『寝台急行』そして「からまつ」「はやたま」「ながさき」等の『寝台(車連結の)普通』もありました。『サンライズ』は人気だし 夜行高速バスも利用率が高いから その時代程ではないにせよ『夜行需要』自体はあるんですよね。76〜79年の国鉄運賃大幅値上げがなかったら また違った未来となっていたかもしれません。なにせ国鉄運賃が安かった60年代は 飛行機の夜行便『ムーンライト』よりも遥かに乗客も多く その為に『ムーンライト』も撤退した位でしたから。
飛行機にムーライトがあったのですね。すぐ着くのでゆっくり寝てられないですね
あと「山陰」「南紀」(南海サハ4801連結のあれ)もありましたね。マルスの仕様上、列車名をつけないと寝台券の発券ができなかったというやつですね。直近の問題として航空機ジェット燃料や自動車の排ガス問題、それに伴う地球温暖化問題もありますから、ひょっとしたら中近距離の輸送は、環境にやさしい交通手段にするように外圧がかかって、復活する可能性も捨てきれませんね。そうなると、アルミデコラや樹脂内装も近代化感があって良かったんですが、もっと多くの住宅建材メーカーなどと手を組んでプレハブ住宅の最新技術を使って住環境の近代化をもっと行った、あたらしい寝台列車のかたちをみてみたいですね。
新幹線が早くなって、安いバスやビジネスホテルが増えた。遅くて高い寝台特急が無くなるのは当然だった。寝台特急に乗りたいなら東欧かベトナムに行くしか無い。
新幹線と高速バスの影響は大きい🚄🚌
藤子F不二雄氏はどこでもドアが発明された未来の世界では、鉄道は観光用にしか残っていないと描いてましたね。コロナまん延で本当に鉄道がそんな状況になって来ました。サンライズの寿命が来たら、寝台列車は観光用のみになるのは確実だと思います。
そうですね。クルマと飛行機の二極化になるようですね。サンライズも1990年代にできましたので老朽化が激しく、種車として改造されます。VVVFインバータですので足回りはまだ使えます
面白すぎ鉄道ビジネスカジュアル最高
もう「さくら」「ふじ」はレジェンド枠
「ふじ」が新幹線に移行していないのは、富士山麓を突っ切るリニアの列車愛称用に温存しているのでは?説が。
富士はあってもひらがなの「ふじ」てのは。リニアに富士は個人的には反対。
夜行列車衰退の原因は、JR各社の怠慢…。😢
寝台新幹線の実現を………
それも一理ありますね。寝台新幹線なら結構快適に移動できます。ゆっくり走れば可能です
札幌延伸したら途中で運転停車時間を作り、東京〜札幌・22時発8時着で十分可能なのですが…
仮に実現したとして一番安い寝台でも8000円は下らないだろうななので運賃と特急料金と合わせると片道3万5000円以上になってもおかしくは無い。
新幹線軌道を在来線と認められる160km/h以下での走行は在来線扱いとして深夜も走れる法整備が欲しいですね。あと、路線のメンテへのシワ寄せを最小限とすべく路線の都合に合わせて毎日一律ではないダイヤでの運行は受け入れるって感じで・・・。
@@triple-sl7kq 結構なお値段になるな。でもクルーズトレインと違って、庶民でも背伸びをすれば手の届くお値段なので、今の状況なら、実現すれば人気は出そう。
飲酒運転のせいでブルートレインが文字通り寝台車になりかかった事もあるし
(⌒▽⌒)ご無事で何よりです
お後がよろしいようで。
最悪の場合サンライズの「バス転換」も覚悟しないといけない ?
今だったら、東京発から大阪行を22時代に。新大阪発(京都発?)は博多か下関行を21時代に。上野発仙台・盛岡行を22時代に。山形・秋田行を20時代に。フェイントかけて、新宿発で新潟行を22時代に。中央線・直江津・糸魚川経由で富山行を22時代に。それぞれ出発させれば、既存の新幹線や特急と被る事無く走らせる事が出来るんちゃうか?(^^)勿論、ブルートレインなんて贅沢は言わないから、せめて既存の特急車両の内装をチョイと改造した車両でやれないかな?(^^)
この場合、○時代でなくて、○時台を用いますね。
@@tydeentetuota5514 すみません。誤字です!
@@ウツケタワケ 様どんまいでーす。こまかいことすみませんでした。アイデアとても良いと思いましたよ。
飛行機や高速バスがマネ出来ない鉄道ならではのサービスがあったんだけど、JR各社のお偉方はアタマが硬くて夜行移動の需要を拾えなかった様です。寝台特急は安価な価格設定だと殆ど利益が出ないので寝台特急は損益分岐点ギリギリであの値段だったのね。儲からない列車のシンボルとも言えました。飛行機や高速バスでは拾えない層をターゲットにしていたなら、寝台特急は今も形態は変わってもそれなりの本数は残っていたでしょう。
はくつる乗りたかったなあ……(´・ω・`)
完全に飼い殺し状態でオタクのおもちゃになってるカシオペアを見てたらわかると思いますが、たまーーーーに走らせるから人気があるんであって、多分これを定期運行させるとそのうち廃止発表されるまで誰も乗らなくなると思う。
臨時で走らせているけど、10万くらいかかかるんでしょう。それに自分から見つけにいかないとわからないし。逆に言えば高いしわかりくいのに需要があるということだけど。
最近は、基本的に毎晩走ってるサンライズも予約取り難くなっていると聞く。
母子家庭で満足に食事の取れないとか高齢者で年金減ってとか、それで高級クルーズトレインとか、金あるんだか金ないんだかよくわからない日本。
@@tydeentetuota5514 一握りの富裕層は存在しつつも、大多数の庶民と貧困層は苦しくなり、その差が大きくなっている感じ。あの極端な高額クルーズトレインは、富裕層に財を吐き出させるには良いけれど元からの寝台列車ファン救済には決して成り得ないぼくから見たら別世界の存在との認識。もっとも、食費の確保も満足に出来ない貧困層にとってはブルートレインやサンライズも別世界の存在だと思うけど。
ヤッパ「新幹線」かな?
大晦日 いっぱいまで仕事してブルートレインに飛び乗って元旦に、食堂車へ行って、
朝食を食べながら、
初日の出を瀬戸内海を見ながら 九州に向かうのが毎年楽しみだった❤
1日一本でいいから、九州ブルートレイン復活してくれる事
願っています🤗🥰
末期、高級路線に持っていったのは確かに一つの手段でしたが、ブルトレファン世代がようやく社会人になり沢山乗られると思った矢先に、とても手が出ない価格になってしまったのも衰退の一つの要因。
思い立ったらすぐ乗れる・・・なんて事がなくなったからねぇ。
遡れば夜行長距離普通列車(ひいては普通乗車券だけで乗れて予約すらいらない)があったというのに。
夜行普通というより、北星とかああいうやつのほうが興味を引くよ、ゆうづるとか
・新幹線で日帰りしやすくなった
・夜行という点では高速バスという競争相手の台頭
・そんな各競争相手に対して割高かつ設備の陳腐化で競争にならない、更新するだけの費用にも見合わない
・夜行という性質上、普通の電車より圧倒的高コスト(乗務員のみならず沿線主要駅の夜間人員確保が必要)
これら理由で採算取れない列車になったために夜行列車は絶滅近くなってしまったのではないかと
11:28 紀伊の亀山経由はまだ亀山の利用が多かったのもある
13:59 いみじくも「ドラえもん」原作に『廃止前最後の宇宙列車に乗って宇宙の果てに置き去り』という話があったりする
開放寝台の値段が格安ビジネスホテルより高いというのも消えた理由かなと。
新幹線+ビジホ、で仕事が終わってから次の仕事先に前乗りできる範囲が広くなりました。
これが以前なら「移動する列車の中でゆっくり寝て英気を養って・・・」という話になるんですけどね。社会環境ががらっと変わってしまったんで仕方がないですよね。
夜遅く(新幹線では帰れない時間)まで仕事して、寝台特急で移動して仕事‥
なんて状況で、よく野辺地→上野、東京→広島、大阪→東京、博多→大阪なんかを利用してましたねぇ〜😊
新幹線・飛行機で前日入りする時間にすら間に合わない時には、重宝してました。
寝台列車で乗車した事有るのが、「出雲、銀河」で中でも銀河は週末東京でコンサートやライブ公演などを楽しんだ後、翌朝大阪駅から会社に出勤してましたね!
あと寝台列車と言えば、西村京太郎(故人)トラベルミステリーでの、分割、併結での殺人事件アリバイに使われたのが懐かしです。
松本清張の「点と線」の内容を確かめるべく、コミケ・サークル参加(第27回から第29回のころですが)のため上京(東下り)したときに、深夜の東京駅まで確かめに行ったことは、いい思い出です。当時アニメや漫画のサークルの方でも、その方面(鉄道関係)に詳しい同好の士はけっこういらっしゃいましたね。
寝台特急は今でも憧れる。さくら・はやぶさと、なは・あかつきに乗った経験は一生忘れない。
Nゲージで80年代からの編成を色々と再現して走っていた頃を思い出す。EDの作り込みが良く泣かせる。😭
移動も旅の一つと思わない時代になり、人が利用しなくなったら、廃止になるのは当たり前ですね。維持・管理でもキツイだろう。
悲しいけど、これ現実なのよね。
さくら、はやぶさ、みずほ、富士、出雲、紀伊、と昔の時刻表には寝台列車がよりどりみどりでした。お客様減で併結しだしてから一気に衰退しました。いろいろな要素はありますが高速バスが一番の原因ではないかと思います
@@heitetsu4649 さん
鋭い所をおっしゃっていただき、ありがたいです。
1970,80年代は夜行列車をよく利用しました。でも寝台車よりは急行列車の座席車をよく利用しました。
九州急行は焼酎臭く、大阪止まりの普通列車の方がましだと思いました。
その後、上野から東北奥羽方面へ旅行先を転じ、八甲田や津軽をメインに利用しました。
3段B寝台客車のいいところはブルマンタイプの電車寝台よりも荷物を置くスペースが広く、中段寝台収納時にヘッドクリアランスが広いところですね。
寝台幅が狭い点が短所ですが、当時は横になっていければありがたかった。
寝台列車が衰退したのは、それ自身が新しいコンセプトを持たず、陳腐化劣化をたどったことも要因の一つと思います。
青函トンネル開業後の特急北斗星が最後の花でした。所要時間を可能な限り短縮し、食堂車やロビーカー、シャワールームなどを備えていました。
プルマンって開放資金寝台なら14系や20系のB寝台車もプルマンなんだよね。
個室じゃナイものは。
ななつ星や瑞風は、確かに寝台列車なんだろうけど、正直いって、凄く違和感がある。
これらは、豪華ジョイフルトレインのようなものだからね。
1人15万〜40万で一泊2日ですので豪華ジョイフルトレインですね
確かに寝台が付いている列車ではあるんだけど、
先に目的となる移動があって その手段として利用する列車(旧来型の寝台列車を含む)とは
完全に別物なんですよね。
そりゃ、行った先で仕事なり観光を楽しむ移動手段としての列車と、その列車に乗車する事自体を楽しむ列車で別物なのは当たり前。
「あさかぜ」を取り上げなかったのが個人的には非常に残念です。
夜行列車は寝台車のみの編成では通用しないという事なのでしょう。寝台車・座席車の混結編成にして「最終列車」「始発列車」を兼ねた「多目的列車」として走らせるのが夜行列車が存続できるやり方のように思えます。
むかしの「あさかぜ」になぜ座席車の設定があったかというと、当時は寝台料金は贅沢すぎて出張経費として認めてもらえない社会環境だったということです。悲しき宮仕え(T_T)
それから当時「あさかぜ」のかなでも、通称「殿様あさかぜ」と呼ぼれる、名士たちが好んで乗車した個室(ルーメット)主体の豪華列車があったことも、お忘れなく。
えっホントに?
新幹線がまだ無かった時代〜東京から新大阪までしかなかった時代、座席車にもそれなりに需要があった、まあいいや。
殿様あさかぜの頃はもう名士っていないだろうし、いたとしたら飛行機のファーストクラスだろうな。
@@tydeentetuota5514 さま。とりあえず当時の有名どころでは、岸信介さんなどの大物政治家や大屋晋三さん(有名な大屋政子さんのご主人で帝人の社長)などの大実業家は名士に含まれますね。作家の内田百閒さんはもういらっしゃらなかったですね「あさかぜ」のころは。
とくに政治家さんは職業柄他人の眼がない密室が好まれる(意味深〜)ようですし、愛用されていた個室(常に予約して押さえてあったという逸話も)もあったという、話も聞いたことがありますしね。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 様
それは失礼いたしました。
あさかぜが20系で残っていたのはそんな理由もありますネ。
阿房列車読むのも大好きで何冊か集めたのですが実家の火災で焼失しました。
おまけに近年眼が衰えまして。
再び買い集めようともなかなか売ってないですし。
ああいう本で勉強するって今の鉄道マニヤにはいないでしょうね。
素っ気無いビジネスライクな銀河までなくしてしまったのは(名前だけは残ってるがあれは別物)いかがな物か まぁ保線作業やその他人件費を思えは仕方ないのかもしれないが余りにも味気なさすぎる まぁ鉄道もビジネスですからと言われたら反論はできないけど
瑞風やななつ星に四季島みたいな値段設定は庶民にゃ先ず選択肢には入らない、しかも必要以上に豪華になって毛色が変わってしまい手の届かない乗り物になってしまいました。
サンライズ位、せめてトワイライトや北斗星程度の出費で済む廉価版バージョンの列車が季節限定で良いからあると嬉しいな。
まぁ、維持や管理にセキュリティ等難しいんだろうけど。
やっぱり夜行列車は敢えて不便を愉しむロマンなんだよねー。
食堂車の営業を止めてから、寝台列車が明らかに衰退したと感じた……94年だったかな。
それから案外長い間何とか存続していたけど、大きな改善策も無く、終わっていくのは寂しいですね。
せめてサンライズ系統がもう1本あれば少しは状況変わってたかなあと。
もっとも高速バスも減便され、新幹線の今後を考えると、旅行自体が変わってしまうような気がします……
そうですね。大阪経由でもう一本サンライズ的な寝台列車があればいいですね。117を改造するより新車2編成作れば,サンライズの後継。あと臨時列車にも使えます。JR西日本はサンライズをそのままフェードアウトするような気がします
@@heitetsu4649さん
サンライズの車両設計は素晴らしい(住宅メーカーとのコラボ)けど、再び同様のプロジェクトを立ち上げるのは難しいと思います。
こういうのもロストテクノロジーになってしまうのが本当に残念です。
大垣夜行までも廃止になるなんて…
一時期コミケ参加で使いましたよ。当時深夜の豊橋だったか浜松だったかで、立ち食いそばを食べたのも思い出。
でも、一番の原因は車両の老朽化かな。斜陽化になる直前にサンライズのように新車が出ていたら現在ももう少し残っていたかも...
需要がないから新車も出ない。
@@tydeentetuota5514 あっお馬鹿さんだ
需要がないから出なかったのか、出さなかったから需要がなくなったのかは、永遠のテーマだと思いますね。
2割3割の乗車率じゃ新車出せんでしょ。
度重なる運賃値上げ、新幹線の延伸、航空網の充実格安化。
「紀伊」号は思い出深い列車です。といっても乗車はかないませんでした。高校の夜学時代、帰宅時に乗車していた相鉄線と並行するシーンが毎夜見れたものでした。
速く移動したい人は飛行機に、安く移動したい人は高速バスに、しかもどちらも寝台列車よりもかなり安いとなれば競争力がなくなってしまいましたね。子どもの頃に富士やさくらに乗ったのが懐かしいです。北斗星に乗りたかったです。
東京〜西鹿児島の夜行列車は急行「桜島」(鹿児島本線経由)「高千穂」(日豊本線経由)の印象が強いけど^^;
急行「きたぐに」は大阪〜青森(寝台車は新潟)だったしね😀
ブルートレイン「あけぼの」は経由路線が変わりながら長生きした(奥羽本線経由の時に乗った)
高速バスの自由化、格安ビジネスホテルの誕生、鉄道の高速化により夜行列車が淘汰されて現在ヘ。
夜行移動の中心はバス🚌フェリーに。
うp主さんは上海在住とのことなので夜行寝台列車を実感できるのでは?
食堂車付きだし。
現に夜行列車に乗りに中国に行く人も多いようですよ。
ゆっくり夜景を見ながら食堂車でくつろぐ旅が出来なくなり寂しいです。自分が大人になってから衰退したのも残念です。
時代がかわってしまったのですね。新幹線網の発達、高速夜行バス、ビジネスホテル、インターネットの発達、などなど。便利になる傍らで衰退してゆくものもある。夜行寝台列車は過去の遺物になりつつあるのかもしれません。
ただ、ひとつ言えることは、あの旅情は今では味わえない良さがあった。記憶に浸み込んでいるといった感じです。実際の現在の夜行(寝台)列車の需要も全くゼロではないと思われます。
例えば、かつて中央線などにもあった「山男列車(夜行登山列車)」。臨時便には寝台車を連結していた時代もありました。165系の急行「アルプス」にはビュッフェ車だって連結されていました。
昭和のころの最盛期の夏休みなどには、普通から急行まで、電車列車、客車列車ともに10便近くの列車が、新宿駅から出発していました。
新宿駅のアルプス広場に集まって、深夜に列車が出る。松本などに早朝早い時間帯に着き、上高地などの登山基地には地元のバスなどで朝に着く。そしてなるべく早くから登山を開始して、山小屋には日没前に着く。
こうした点で言うと「山男列車」は登山好きにはなくてはならない必需品(必須アイテム)でした。
関西方面、中京方面からの同様の列車(「きそ」「くろよん」「ちくま」)などもありました。
他にも需要を掘り起こせば、夜行(寝台)列車の需要はまだあるのではないかと思われます。
そうですね。前回アルピコ交通上高地線に乗ったとき終点の新島々駅にご年配や若い人のハイカーが駅に溢れるくらいいましたのでまだ登山口へのアクセス需要はあると思います
航空運賃が手頃になったのも一因かも。
東京福岡みたいに飛行機なら2時間以内で行けるところを15時間以上もかけて行きたいとは思わないですね。鉄道ファン以外は。
分割民営化の影響が大きい。貨物列車と機関車を共通運用できなくなったし、走行距離に応じて分ける方法だから、短距離しか走行しない旅客会社は儲けが少ない。
じゃあ、なんでサンライズ瀬戸は残ってるんでしょうね。四国の運転区間、児島〜高松だけですが残ってますよね?なんなら臨時で琴平とか松山まで行くぐらいには力入れてるみたいですか?
紀伊とか安芸など、ざっと調べるだけでも国鉄時代から既に廃止されてる寝台列車が複数いたので、需要がなくなった列車も多数いると思いますよ。トワイライトエクスプレスですら廃止発表前は当日でも券取れる
レベルだったそうですが。
無くなった今だからあーだこーだ言えるだけ。
@@まるもも-l4g サンライズは出雲市にある車庫でメンテナンスをやり、東日本旅客鉄道やJR四国の車庫では清掃作業とリネンの交換くらいしかやっていません。サンライズ出雲も瀬戸も編成は全く同じで、4日分の装備を積んでJR西日本の車庫で行っているのです。東日本や四国の負担を極力減らすことを前提に残してもらっているのですが、乗車定員はたかが知れていますのでJR西日本にとっても儲けが大きいとは言い難い列車です。登場してから30年位にもなるのに後継車の話すら出て来ないということは近いうちに廃止されることを前提にしているのでしょう。電車なので折り返しが容易で、通勤時間帯の7時台に東京駅に乗り入れられるとか、伯備線や本四備讃線は並行して新幹線が造られていないためブルートレインと比べて残しやすい条件はそろっていたことは言えますが。
JR西日本も他社の負担を減らすのに工夫していたのですね。JR東日本には旅客需要のメリットはありますがJR東海はスルーするだけであまりメリットがないようです
@@heitetsu4649
サンライズでは一番メリットがあるのは東海では…?と思ってたんですが。だってほぼすべての利用者が米原〜熱海間は利用することになって、その分の収入は入ってきますよね…しかも検査は全部西日本持ち。乗務員の手配以外の負担がないと思います。
なんならサンライズで一番メリットないのは東かもしれないです。ラッシュにあんな邪魔なクソデカ列車持ってこられるし。
@@heitetsu4649
て、申しますかJR東海に至っては、発足後は機関士を養成していなかった(鉄道アナリストの川島令三氏、談)そうですからブルトレ縮小は、ある意味「お約束、ぢゃなくて、当然の結果」でした。
やはり現在ぢゃ、機関士牽引の客車列車は非効率→時代遅れ?
観音寺行き「瀬戸」の方向幕あったんですね。
急行寝台「銀河」は割と利用しましたね。ハネしかありませんでしたが、一定、便利でしたしね。北斗星とかで行く北海道は良かったですね。
新幹線網が拡張してきたので減ってしまいましたが、どうなのでしょうね。
モノクラスの銀河あったのですか?
@@tydeentetuota5514 さま。寝台車からは外れますが、当時季節臨時列車の急行「銀河」(81号・82号だったかな?)は、確かモノクラス全座席車だった記憶がありますよ。今思うと大垣夜行よりきついような。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 様
ありがとうございます。
14系ハザ、EF58牽引の時代知ってます。静岡の由比〜興津の間、薩埵峠で友人が撮った写真を持ってました。(今は失くしてしまった)
私の意図は、コメントでハネしかありませんでしたとのことですので、特急の瀬戸(後期のスパやオハ連結前)みたいにB寝台ばかりの銀河があったのかなと。
サンライズ瀬戸よ、永遠に🌅
旅情という意味では寝台列車は魅力的ですが、ビジネスで使うとなると前日に現地入りしてビジネスホテルでもいいから個室でくつろげた方がいいですからね。JRも夜間の線路保守に制約が発生したり深夜帯も明けておかなければならない駅があったり専用車両の保守コストが高く利益が上げられない状態に陥ってしまったのでは遊びで走らせているわけではないので廃止もやむなしですね。
JR分割が大きな要因だと思います。東京ー大阪や東京ー広島はサンライズの設備なら今でも需要は根強いと思いますが、昼間使えない車両の設備投資の責任の調整が地域分割されたJRでは困難なのだろうと思います。
悲しいよなぁ〜・・・
悲しいです。いずれサンライズも後継車両がないため廃止の憂き目に遭うでしょう
後悔にまみれればいいだと思うよ、特に東と東海
えっ?
廃止で「せいせい」するんじゃないの。なんで後悔せにゃぁならんの?って東海は思うんでしょ。
個人的には小5の頃朝早起きして山奥から8キロ位自転車で走って九州ブルトレの牽引が500番代から1000番代に代わったばかりのブルトレ見に行った世代で悲しいのは解るけど。
何故はやぶさの名称が東北新幹線に使うのだろう?はつかりなら分かりますが。
新幹線と人員確保が困難なこと、線路、架線などのメンテナンスのため。消えるのは無理ないさ。それとできるだけ、家で寝たいもんね。飛行機も増えたしね。
北陸本線沿線で日本海、トワイライト、きたぐに等を見てきたから夜行列車復活には期待したいけど、現実主義的思想で言えば
「日本でクルーズトレイン以外の夜行列車は100%復活しない」
理由は色々あるが
・国鉄分割民営化
・新幹線網の拡大
・航空運賃の低廉化
・LCCの登場
・高速道路網の発達
・夜行バスの勢力拡大
・旅行商品の発達
・宿泊施設の低価格化
・鉄道運賃の高止まり
・車両の老朽化
・時代錯誤な設備
・客車列車の減少
・機関車運転士の減少
・保線作業時間の減少
・国民所得の減少
・増税
・円安ドル高の進行
・日用品の値上げ
・インフラ料金の値上げ
・コロナ禍
ざっと上げただけでもこれだけある
そもそもとして、全世界を見渡しても「夜間の移動を目的とした夜行列車」で「民営企業が運行する列車」はJR東日本/東海/西日本/四国の4社とベルギーの「レギオジェット」、ドイツ国鉄(DB)のユーロナイト(EN)くらい。それ以外に夜行列車を運行する企業は全て国営鉄道か公営企業体。日本の状況が如何に特殊かよく分かるだろう
父が熊本県の出身で、帰省の時はだいたい新幹線→L特急有明または急行かいもん(昼行便)でしたが、寝台列車に乗りたいと両親にせがんで何度かなはや明星を利用しました。
1974年高校出て上京は八代駅から583明星でした。
帰省ははやぶさとみずほに何十万貢いだことだろう。(笑)
寝台券買ってからの日々が待ち遠しこと。実際乗ると門司で九州に上陸したと実感し熊本着くのが早く感じる。スマホ📱ない時代なのに車内の時間経過がみるみると過ぎる。
まだ車内販売・食堂車🍴のお姉さん・お兄さん達の声と絵が浮かぶ。
上りは東京が近づくのが嫌だった。厳しい仕事が待っている。
寝台列車はいつまでも我が青春です。
以前なんどか他の動画でコメントしたことがありますが、10系客車時代の「急行きたぐに」(A寝台のオロネ10)に乗ったのが、いまでもいい思い出として残ってますね。乗車後静かに列車内を探検しました。オハネ10の車内もその時始めてみましたよ。まさに蚕棚のような感じでしたね(個人の感想ですが)。当時家で布団に寝ることを思うと格段の寝心地だった思い出があります。その時はオシ17はもう連結されていなくて、座席車は12系客車になっていました。車内けっこう混んでいましたよ。
あとになって感じたのは、本格的食堂車はいらないけども、オシ16みたいなサロンかな?、ビュフェ車(自動販売機主体の簡易食堂車としてのの話ですが)はいまでも必要かなとは感じますね。
おっ、オシ16のこと知ってるってあまりいないと思ったら笑。
オハネ10は打ち間違いでしょうね。
オユ、スロ62、12系ハザ、オハネフ12、スハネ16、オロネ10、スハネ16、オハネフ12の頃でしょうか。後にスロも外されますが。
オシ16も台車がTR23とTR47の2種類あるようですね。
165系電車でいうところの売店コーナー付きサハ164みたいので電子レンジ置いてあったりしたら便利ですね、セブンカフェ付きとか。
鐵郎さんにもお知らせしましたが
少年時代に観て大興奮した『日曜特バン!』ブルートレインのすべて(1978年3月5日放送)を丸々アップされた方がいらっしゃいました。
改めて観ると感慨深いです。
ruclips.net/video/S4wuo4AdtCw/видео.html
寝台列車は、日本海、つるぎ、銀河、だいせん、きたぐに、に乗りました。初めて乗ったのは日本海で、その当時は14系3段寝台でした。最後に乗ったのは583系の急行きたぐにで、これも3段寝台でした。あとは2段寝台です。
長距離寝台列車の衰退要因の一つとしては、 JR の分割民営化と北陸本線などの第三セクター化は外せないと思います。
線路を新規に敷設する必要があるならともかく、鹿島線や北陸本線などの高規格線路上の特急・寝台列車が高速バスにボロ負けしているのは非合理的としか感じられない。会社変更に伴う乗務員変更などのコスト、料金制度など、ソフト側面がいろいろとおかしいとしか思えません。環境負荷軽減が国の政策の上位に来るべき今日、長距離列車の乗車券運賃の規制緩和など、制度改革は待ったなし と個人的には思いますね。
非合理的云々と言われてもねぇ
そもそも寝台特急の衰退が始まったのは1990年代に入ってからでしょ
1990年代初頭だと所得的に多少は余裕のある人も増えてきて寝台特急が強かった区間でも航空便へのシフトチェンジは始まっていたし(東海道新幹線ですら航空便にシェアを奪われ気味だったので)、いわゆるバブル経済を経ての価値観の変化により当時の寝台特急の設備(特にB寝台)が「古臭い」として一般の人からは「敬遠」もされ始めていたけどな。
飛行機やバスそれに宿がコストダウンに勤しんでいた頃、
簡単に他企業が参入の為に取得できないレール設備を抱え込み独占したまま
コストダウンの努力をしないで陳腐化しても値段を据え置いた罪は大きいですな。
輸送量あたりの環境負荷は飛行機や自動車系よりも鉄道の方が抑えられるのは勿論
速度を上げると路面抵抗や空気抵抗によるエネルギー損失も大きくなるので、
在来線が最強と聞くが。
公共料金として国に料金値上げ抑えられていた国鉄、運営悪化し料金値上げ始めて物価上昇率より料金値上げの方が上回った昭和53年頃、皮肉にもブルトレブームだった。
国鉄料金の値上げ等について勉強して欲しい。
クネクネ曲がってなるべく鉄橋やトンネルが短くなるように敷設された在来線と、できるだけ短距離で結べるように敷設された新幹線とどちらが強いのか考えてみて欲しい。
始めは一県一駅の計画だったが、浜松駅は無視できなかったのか、無理矢理カーブ入れてでも浜松駅に入れている。
バイパスさせたらもっと速くなるだろって思う。
寝台列車が廃れた原因の一つには、JRの分割・民営化、さらに新幹線開業に伴う並行在来線問題も大きいのでは。
なんせ、JR他社との直通が無いと夜行寝台の生きる距離の運行範囲がなかなか取れないし、
1社が奇跡的にやる気になっても、乗り入れ先でも同時に奇跡が起こらないと新設されないのが
消える方ばかりは消え捲るからなぁ。
@@dqpb10440 それを思うとブルートレインは地域各社に割り振るのではなく一括で貨物会社に担当させるべきだった、という気がしてくるね。
寝台列車が消えていった当時とは今はちょっと風向きが変わってきてると思います
サンライズが人気となり1周回ってまた夜行列車というのが見直されてる気がします
サンライズ自体は効率や価格だけではない価値を見いだして利用してる人が多いし、
あの内装やクオリティで昔の「あけぼの」とか「銀河」とか経路的に絶対需要はあるし
一般人が普通に窓口で切符買えて移動手段として乗れる列車はこれからの時代必要だと思うけどなぁ…
♫花嫁は 「夜汽車」に乗って 嫁いでゆくの〜
という歌も、夜汽車という表現も
忘れ去られていきますね。
まあこの夜汽車は夜行普通かもしれませんが
汽車って蒸気機関車でないと汽車じゃないですもんね。イメージとしては最低限電気機関車牽引列車でないと。
電車はもうダメですね。
@@tydeentetuota5514
今でも福岡では蒸気機関車が走っていた頃の名残りで今でも「JR=汽車」「西鉄=電車」とそれぞれ呼ばれています。
北海道向けはまだ需要ありそうなんだけどな。
まずは札幌を目指すことが重要だけど、青函トンネルが新幹線と貨物列車用になっちゃったのと、道内の線形が悪い非電化路線が多いのがネックだ。
今は函館本線の存続が危ぶまれています。でも函館本線の長万部〜函館の区間は貨物の大動脈ですがJR北海道は切り離すことしか目になく、JR貨物はこの区間を引き受けたくなく。貨物はどうなるか心配です
昔よみうりランドかサマーランドと、長瀞にも停車して固定されたブルートレインに泊まれるホテルがあって、寝台車のベッドに泊まっても全然楽しくなかったんですよね。風景変わらないし、動いてないし、ガタンゴトンの音しないし、トイレと朝食会場は別に接続された建物だったりで、最初は話題になっても寝台車両の末路はだいたいそんな感じで老朽化そし飽きられ、寂しく膜を閉じていったように感じます。
最近奈良~名古屋間の直通列車復活など、急ぐ人はリニアで、のんびりしたい人は、のんびりとと、需要が用途によって明確に別れていくのならば、サンライズと、ななつ星や銀河の中間レベルの3段ベッドの寝台特急が復活してくれたらいいのになぁと思います。修学旅行生に貸し切ったらそれこそいい思い出になるのに。
無くなった理由の中に、鉄道運用側の視点がないのが気になりました。「なぜ消えたか」と称する以上は、全方面カバーして欲しい。「無くなった夜行列車を紹介します」とのタイトルなら判るけどね。
①線路整備問題(貨物列車かも)
②東京駅の入着時刻、通勤列車とのスピード差
サンライズは電車化で生き残り
③売上の距離割配分=JR東日本にメリットがない
東北方面発の夜行列車が(人口では東海道山陽より少ないのに)結構生き延びたのは、上野駅があったり自社線路内で完結するという②③の問題が小さいこともあると思う。
オタクは細かすぎるぞ
幾つもの要因の中、最大の功罪は新幹線かな?。今や必須の交通機関である事は間違い無いのですが、ただ山陽新幹線だけはちょっと・・・。半分地下鉄なんで。
それ。
JR東日本にもWESTEXPRESS銀河のような列車を期待したい
カシオペア「…」
こいつ持て余してるあたりやっぱり定期で走らせるほどの需要はないのよ…
しかし、廉価版として185系を改造・運用するのはアリかもね。
185系 今のまま(座席車のまま)でも人気あるし、潰し過ぎたと後悔している感。
カシオペア紀行は高いんだよな、四季島よりも割高な運行も珍しく無くなったそうな。
とにかく今はサンライズの後継車両と寝台特急の継続を声高に希望する。
4:00- 音楽好きです もしよろしければで結構ですから教えてください🙇♂️
瑠璃色の記憶 だと思います。スピリチュアル系の動画も運営しておりますのでよく使っております。
@@heitetsu4649かしこまりました🙇♂️ 本当にありがとうございます!
一昨日、友人が東京への出張でサンライズの寝台を利用しました。交通費が一部自腹になるけどJR東海がいつやんぴと言うかわからないから今のうちに乗っておく、と言ってました。
意外と最近まで走ってたんですね。ジジイにとっては世紀変わる前後なんて最近。
その辺りはロクな休み無かったから乗るどころじゃなかった。
北斗星の開放型B寝台上段に乗ったことがあります。今考えれば、普通に座れ、折りたたみテーブルも付いている下段や、個室のソロの上下と同じ値段の「6,300円」は法外。
ハシゴを登って寝台にたどり着くしかないB寝台上段は、まさに4物一価の象徴。
ネカフェ程度かそれ以下の設備でこの金額はボッタクリです。
個人的に寝台列車凋落は、この料金設定に問題があったのではないかと思っています。
深夜バスはケツが取れるから鉄道のほうがいいけどな
大泉洋が僕は痔なんですよと言いながら
憮然とした顔できたぐにの座席車に乗ってました
あれが夜行列車最後の時代だね
高速バスだとシートベルトが強いられますからね。
列車なら座席車でも通路側の席なら、気楽に席を立って お尻をマッサージ出来ますが。
寝台新幹線ってどうなんでしょう。ただ、JR各社が分割しているので調整が難しい感じです。東海道新幹線と東北新幹線が直通できればあるいはって思います。サンライズにはがんばってほしいと思います。でもJRから見てビジネスとして成り立っているのかって言われたら微妙です。不定期ですが、ウエストエキスプレス銀河も採算面では微妙と思いますからね。サンライズは走らせてくれているだけで感謝しなければなりません。JR4社を跨いで走らせてくれてますからね。あと、僕の会社でも殆どがリモート会議になりましたから。時代の流れから見るとやはり絶滅していくんですかね。なんか切ないです。
新幹線って深夜0時から6時までは運行出来ない事になってるんですよね。
深夜帯は在来線の速度で走るって事で認められれば需要は見込めると思いますが。
@@dqpb10440 さま、確かにそうなんだけど、技術革新で静かになって来ているので夜間走れるように法律を変える時期が来ているように思いますね。
夜間は夜間の騒音基準を適用するという事に切り替われば、より現実的ですね。
在来線と同じ速度なら在来線を超える騒音は有り得ませんし、
騒音だけが問題なら、単純に音の大きさで線引きしても良いハズ。
地元の絡みで乗車機会多かったのは九州ですが80年代中盤以後は明らかに衰退してましたね。24系の後継がバブル期に出なかったからもう終わるだろうなとは思ってました。新幹線の100系の個室グリーン出てブルトレは全く乗らなくなりましたね。20系は車齢の割には老朽化早かった感じはある。タイでは寝台特急は今でも乗ります。1/2等寝台車食堂車まで新車導入してますね。今九州〜東京は飛行機一択。食堂車もない長距離列車なんか魅力ないですね。ラウンジがある飛行機がいいです。いくらノスタルジー浸っても結局商売として成り立たない以上消えるしかない存在。ななつ星は改装で定員減らして価格上げてますね
最終の飛行機より遅く、朝一番の新幹線より早いのなら、とても便利ですが需要が少ないので高速バスになってしまいますね。
家から駅や空港までの移動の事も考えると、
あんまり早く出たり遅く着いたりするのも不便なんですよね。
寝台列車の回送で東京ー品川間で機関車のPP(プッシュ・プル)運転をしていましたね、大阪うめきた線で復活したようです。
段落とし運用、および機回し用11番線もあった。
やたら前後に機関車ついてればPPと表現するのも誤り。
後部の機関車が無動力で回送扱いならPPとは言わないわけですね。
さくら号を舞台にした
三國車掌の 大いなる驀進
渥美車掌の 喜劇急行列車
等の映画も ありました!
見ました。若き日の大原麗子さんが出ていました。渥美清氏はまだ寅さんの前の作品なのに さくら の車掌役には縁を感じます
1978年の松竹映画『皇帝のいない八月』では 三菱大夕張鉄道のボロ客車にハリボテの外板を貼り付けた『ニセ14系寝台客車』も登場します。
駅に到着するシーンでは 釣り合い梁台車が映っちゃってて「あれ?」って思います。ラストで爆破されました。
ビジホどころかカプセルでさえマットにこだわりだしてる状況ですからね
富士も、晩年の下りは大阪駅停車してた記憶があります。
上りあさかぜも晩年は停車してましたね‼️
深夜帯だったので下車のみだった、記憶があるのですが。
運転停車でなく客扱いあったのですか(初心者)。
@@tydeentetuota5514 さま。むかしの鉄道雑誌の記事で読んだ話(おそらく「鉄道ジャーナル」誌だと思います)なのですが、すでに駅の営業時間が終了したあとに停車するので改札から入場することはできないが、改札から出ることだけできるような扱いになっているという記事を読んだことがありました。
深夜帯に到着して駅の改札口から出ることだけはできるという列車は、他にもあったような記憶がありますよ。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 様
返信いただきありがとうございます😊
一つ一つ勉強になります。
儲からないから消えて行ったに決まってる。ドル箱ならば廃止するはずがない。
新幹線に名前が継承されていますね、「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「つるぎ」
若いうちは、あたり前のようにどこへでも夜行で旅をしたが、九州でも北海道でも、一度、飛行機を使っちゃったらもうダメ。なにせ、どちらもジェット便なら発着1時間15分というところだからなぁ。
以後はというと、まだ宇高連絡船だったときに、宇野まで「特急瀬戸」で土佐中村へ行った(※帰りがけ月ヶ瀬口で、もうひと仕事あったんでね)ときと、あとは新大阪で最終の新幹線に乗り損ない、仕事が翌日もあったため、やむを得ず京都から「特急出雲」の寝台に乗って帰ったくらいかな。中年になると、たとえ寝台といえども、夜行列車では疲れてしまい翌日は仕事にならないんだよねぇ。やはり夜行ってのは20台までの乗り物だよ。ましてや座席車で東京から九州だとか北海道だなんて、よくも乗るお客さんがいたもんだと今になってみると感心するばかり。目的地に着いたら誰しもバタンキューでひと眠りだったんじゃないかい。
そりゃ費用対効果の問題でしょ。だって九州に限って言えばスカイマークのおかげで飛行機が身近になったのが一番大きいと思う。
あの当時で関東九州往復割引切符で新幹線or寝台選べて34500円。羽田福岡の航空券が片道36500円だった。
夜中はえきに止まるたびに振動で叩き起され睡眠不足のまま早朝の山陽路を爆走している時間帯は早く着けよ❗️って思ってた。
盆暮正月ゴールデンウィークは子供達がてんこ盛りで更に寝れなくなったのはイイ思い出。
下りあさかぜ1号で食堂車営業開始と同時にビーフシチューセットとビールを注文、熱海駅停車中にホームの疲れたサラリーマンを横目にビールアオりながら食餌してました。
つくづく昭和は遠くなりました😢
本州と北海道を結んでいた
北斗星、トワイライトエクスプレス、カシオペア等のグレードの寝台特急が
1列車くらいは有っても良いはずなんだけどねぇ・・・・
故・西村京太郎先生の著作「寝台急行『天の川』殺人事件」の中にこんな文があります。
「・・・それは鉄道が、ただ単に乗客と物資を運ぶだけのものではないからである。地方の文化、連帯というものにも役立っていて、その価値は計算できない。少年たちに夢を与えることも、その一つだろう。経済という点だけを考えて分割民営化が推し進められたら、恐らく新幹線と通勤電車だけになってしまうだろう。そうなった時、鉄道に夢を持つ彼等はどこへ行ってしまうのだろうか?」
短絡的に考えてはいけないとは思いますが、上の文章に激しく同意です。
30年以上も前に書かれたものですが、その危惧がいまや現実となろうとしています。
昭和の末期頃は特に、東京発の便が神戸の須磨←→西明石間でやたら脱線事故を起こしていたなあ。かつて付近に住んでいたから解るが、確かにあそこは見通しの良い海岸線ゆえ、疲労とかで油断すればいとも容易く脱線するのが、素人目にも解る。胸を躍らせ寝つけない客はともかく、ぐっすり寝ていた客のパニックはもはや、想像に難くない………
また、下り「出雲」&「紀伊」の名古屋駅に於ける分離及び機関車付け替え作業中、「紀伊」運用に就くDD51が構内にてまさかの衝突脱線事故もあった。あとで知った原因は機関士自身の飲酒。たとえ直前はジラフでも、「二日酔い💫😵🍶」のまま、アルコールチェックも適当に乗務させた杜撰さ加減には、弁解の余地なんぞ欠片もない。長距離運行の万全なる安全を図るべく、客扱いとは別に、機関士に車掌交代を主に設定されてる「運転停車」も、これではまったく無意味である。また当時は国鉄解体→JR移行が具現化されはじめた時。腐敗極まる国鉄の「お上体質」を如実に示し、分割民営化を「正当化」させる格好の口実を与えたもほぼ同然だろう。
最後に気になることをひとつ。上下共に併結運行していた「出雲」&「紀伊」の東海道区間にて、「紀伊」の乗客も「出雲」の食堂車利用ができたのか否か、利用者の方がいらっしゃれば是非教えて戴けると有難いです。
利用者ではないですが出雲2号3号になったのは紀伊の廃止後で紀伊と併結していた時代は出雲でなくて「いなば」だったのでは。
そして、食堂車は連結していたものの営業休止じゃなかったのでは?
あと昭和53年頃の時刻表の、列車編成のご案内ページで、この列車の端っこが、座席車になる場合がございますってのが記憶に残ってます。(スハネフ14の難燃化対策実施)
0時から6時までの「夜行新幹線リレー号」な列車を走らせては? 料金を新幹線と一体にすれば使いやすそうです。
リレーする列車があるから、リレー号っていうんだろうなぁ。
あさかぜ3回さくら1回北陸1回あけぼの1回銀河5回サンライズ瀬戸1回かな!
昔は『寝台特急』以外にも『寝台急行』
そして「からまつ」「はやたま」「ながさき」等の『寝台(車連結の)普通』もありました。
『サンライズ』は人気だし 夜行高速バスも利用率が高いから その時代程ではないにせよ『夜行需要』自体はあるんですよね。
76〜79年の国鉄運賃大幅値上げがなかったら また違った未来となっていたかもしれません。
なにせ国鉄運賃が安かった60年代は 飛行機の夜行便『ムーンライト』よりも遥かに乗客も多く その為に『ムーンライト』も撤退した位でしたから。
飛行機にムーライトがあったのですね。すぐ着くのでゆっくり寝てられないですね
あと「山陰」「南紀」(南海サハ4801連結のあれ)もありましたね。マルスの仕様上、列車名をつけないと寝台券の発券ができなかったというやつですね。
直近の問題として航空機ジェット燃料や自動車の排ガス問題、それに伴う地球温暖化問題もありますから、ひょっとしたら中近距離の輸送は、環境にやさしい交通手段にするように外圧がかかって、復活する可能性も捨てきれませんね。
そうなると、アルミデコラや樹脂内装も近代化感があって良かったんですが、もっと多くの住宅建材メーカーなどと手を組んでプレハブ住宅の最新技術を使って住環境の近代化をもっと行った、あたらしい寝台列車のかたちをみてみたいですね。
新幹線が早くなって、安いバスやビジネスホテルが増えた。遅くて高い寝台特急が無くなるのは当然だった。寝台特急に乗りたいなら東欧かベトナムに行くしか無い。
新幹線と高速バスの影響は大きい🚄🚌
藤子F不二雄氏はどこでもドアが発明された未来の世界では、
鉄道は観光用にしか残っていないと描いてましたね。
コロナまん延で本当に鉄道がそんな状況になって来ました。
サンライズの寿命が来たら、寝台列車は観光用のみになるのは確実だと思います。
そうですね。クルマと飛行機の二極化になるようですね。サンライズも1990年代にできましたので老朽化が激しく、種車として改造されます。VVVFインバータですので足回りはまだ使えます
面白すぎ
鉄道ビジネスカジュアル最高
もう「さくら」「ふじ」はレジェンド枠
「ふじ」が新幹線に移行していないのは、富士山麓を突っ切るリニアの列車愛称用に温存しているのでは?説が。
富士はあってもひらがなの「ふじ」てのは。
リニアに富士は個人的には反対。
夜行列車衰退の原因は、JR各社の怠慢…。😢
寝台新幹線の実現を………
それも一理ありますね。寝台新幹線なら結構快適に移動できます。ゆっくり走れば可能です
札幌延伸したら途中で運転停車時間を作り、東京〜札幌・22時発8時着で十分可能なのですが…
仮に実現したとして一番安い寝台でも8000円は下らないだろうな
なので運賃と特急料金と合わせると片道3万5000円以上になってもおかしくは無い。
新幹線軌道を在来線と認められる160km/h以下での走行は在来線扱いとして
深夜も走れる法整備が欲しいですね。
あと、路線のメンテへのシワ寄せを最小限とすべく
路線の都合に合わせて毎日一律ではないダイヤでの運行は受け入れるって感じで・・・。
@@triple-sl7kq 結構なお値段になるな。
でもクルーズトレインと違って、庶民でも背伸びをすれば手の届くお値段なので、
今の状況なら、実現すれば人気は出そう。
飲酒運転のせいで
ブルートレインが
文字通り寝台車になりかかった事もあるし
(⌒▽⌒)ご無事で何よりです
お後がよろしいようで。
最悪の場合サンライズの「バス転換」も覚悟しないといけない ?
今だったら、
東京発から大阪行を22時代に。
新大阪発(京都発?)は博多か下関行を21時代に。
上野発仙台・盛岡行を22時代に。
山形・秋田行を20時代に。
フェイントかけて、
新宿発で新潟行を22時代に。
中央線・直江津・糸魚川経由で富山行を22時代に。
それぞれ出発させれば、
既存の新幹線や特急と被る事無く
走らせる事が出来るんちゃうか?
(^^)
勿論、
ブルートレインなんて贅沢は言わないから、
せめて既存の特急車両の内装を
チョイと改造した車両で
やれないかな?
(^^)
この場合、○時代でなくて、○時台を用いますね。
@@tydeentetuota5514 すみません。
誤字です!
@@ウツケタワケ 様
どんまいでーす。
こまかいことすみませんでした。
アイデアとても良いと思いましたよ。
飛行機や高速バスがマネ出来ない鉄道ならではのサービスがあったんだけど、JR各社のお偉方はアタマが硬くて夜行移動の需要を拾えなかった様です。寝台特急は安価な価格設定だと殆ど利益が出ないので寝台特急は損益分岐点ギリギリであの値段だったのね。儲からない列車のシンボルとも言えました。飛行機や高速バスでは拾えない層をターゲットにしていたなら、寝台特急は今も形態は変わってもそれなりの本数は残っていたでしょう。
はくつる乗りたかったなあ……(´・ω・`)
完全に飼い殺し状態でオタクのおもちゃになってるカシオペアを見てたらわかると思いますが、たまーーーーに走らせるから人気があるんであって、多分これを定期運行させるとそのうち廃止発表されるまで誰も乗らなくなると思う。
臨時で走らせているけど、10万くらいかかかるんでしょう。それに自分から見つけにいかないとわからないし。逆に言えば高いしわかりくいのに需要があるということだけど。
最近は、基本的に毎晩走ってるサンライズも予約取り難くなっていると聞く。
母子家庭で満足に食事の取れないとか高齢者で年金減ってとか、それで高級クルーズトレインとか、金あるんだか金ないんだかよくわからない日本。
@@tydeentetuota5514
一握りの富裕層は存在しつつも、大多数の庶民と貧困層は苦しくなり、
その差が大きくなっている感じ。
あの極端な高額クルーズトレインは、富裕層に財を吐き出させるには良いけれど
元からの寝台列車ファン救済には決して成り得ない
ぼくから見たら別世界の存在との認識。
もっとも、食費の確保も満足に出来ない貧困層にとっては
ブルートレインやサンライズも別世界の存在だと思うけど。
ヤッパ「新幹線」かな?