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素晴らしい解説でした。感銘を受けました。確かに作曲家が表現したかった境地を理解して、その情熱の高みに達しもしないで、その作品をこねくり回すのは不遜もいいところな行為かも知れませんね。作品や創造の本質を理解する助けになる説明で、本当に感謝の念で一杯です。また、新たな動画を楽しみにしています。
ありがとうございます😊😊😊
先日、井上道義先生の指揮する演奏会のチラシに載っていた先生のコメントに「僕自身はショスタコーヴィッチは僕自身だと言い切っていますが、演奏するということはそういう事。」「楽譜に忠実な精神や、初演の頃の楽器の響きなどを再現する態度は、とっかかりにはなりますが、息づく音楽にするのは演奏者にかかっている」とあって、非常に共感を覚えましたが、タイミングよくこの動画に出会えて、そのコメントが意味するところを、また違う言葉で深く理解できたように思います。ありがとうございました。
敬愛する「車田さん!」久々に大事な大事なお話を伺いました。有り難う御座いました。落ち着いて、静かなトークの中のひと言ひと言の中に、熱い熱い音楽への愛情が溢れていて「車田さん」の熱情に感動しました。就中、忘れられない「ひと言」がありました「フィッシャーディスカウさんの言葉でした」「作曲家の熱量にまで到達して、初めて解釈が出来るようになる」ハイッ!とても肝に銘じました、まもなく90歳です。あたりまえですが僕は思春期、青年時代を20世紀前半の音楽で育ちました。「フルトヴェングラー」って聞いただけで魂がふるえました。
解釈の違い?動画内で話した演奏を聴き比べ!グレン・グールドによるバッハ:平均律クラヴィーア曲集ruclips.net/video/1CVlBSgj0bk/видео.htmlリヒテルによるバッハ:平均律クラヴィーア曲集ruclips.net/video/c8rxkDAaaJ0/видео.htmlカール・リヒターのバッハ:マタイ受難曲ruclips.net/video/vovnChs_u5w/видео.html古楽器(オランダ・バッハ・ソサエティ)によるバッハruclips.net/video/ZwVW1ttVhuQ/видео.htmlカール・ベームによるモーツァルト:ジュピターより4楽章ruclips.net/video/yRUlzJn8UeU/видео.html古楽器によるモーツァルト:ジュピターより4楽章ruclips.net/video/rOVh9GjtcE4/видео.html&start_radio=1&rv=rOVh9GjtcE4&t=3フルトヴェングラーによるベートーベンの第9ruclips.net/video/dHDXdbSWu0E/видео.htmlトスカニーニのベートーベンの第9ruclips.net/video/hIq646l2ymw/видео.html
この若者がおっしゃったことはとても大切なことだと思います。たいへん感銘を受けました。ありがとうございます。その音楽を理解するには自分を高めなければいけない。自分の熱量はそれに値するか。深く考えさせられました。
車田さんの興味深い講義のおかげで、聴く音楽の分野の幅が広がり、今まで聴いていたクラシック曲もさらに奥行きを感じるようになりました。ありがたいことです。これからもよろしくお願いします。
こちらこそありがとうございます😊
クラシック音楽を鑑賞するうえで、最も大切な事を教えて頂いた回でした。ありがとうございます。
😊😊😊
第九の話、面白かったぁ。いつも興味深いお話をありがとうございます!
冒頭のフィッシャーディースカウの言葉がとても深いと思いました。演奏家としての技術があるのは大前提、『解釈』出来る人とはより芸術的な高みを理解出来る人間だけ…✴本当にそうです。素晴らしいです🎶
とても深いお話しでした。有難うございます😊音楽は目に見えない物ですその聴く人、本人が楽しく聴く事が出来るものそれが「音を楽しむ」ですよね♪ 私は、○○が好き♡だから聴くの♪ そこに、新しい 古いも、否定も批判も必要ないと思います。
いつも楽しい、為になるお話しをありがとうございます。三十年以上ドイツに住んでいながら、クラッシック音楽の事何も知らなくて…経験ご豊富でいらっしゃるのに、押し付けがましく無い優しい語り方で、お聞きしていて心に染みます。これからもよろしくお願いいたします。
音楽を聴く上でも演奏する上でも一番難しくて重要な事だと思います。さほど勉強もしていないうちから軽々しく使ってはいけない言葉だというのはご尤もです。また、研究によって肝心なことがないがしろになり、本当の解釈が歪められてしまう危険性もある、というのは興味深い事でした。同じ音楽を勉強しても解釈が異なって演奏が違ってくるのは、同然のようでいて不思議だといつも思っていました。特にオーケストラの大きな曲などは、指揮者によって色々なのが未だよく分かりません。よく、音楽は楽しめば良いんだ、なんて言う方がいますが、やはり理解出来るくらい勉強しないと本当に味わうことも楽しむことも出来ないので、音楽は難しいと思います。本当の理解にたどり着く難しさ、という点では、絵画にしても文学にしても同じ事が言えると思います。自分の趣味に合う合わないで勝手な評価をするのは解釈どかろか論外ですね。素晴らしい作品に対して畏敬の念を持って接しなければなりません。今日もとても大事なお話、有難うございました🙇☺️💖
難しい事を一般人にも分かり易く説明して下さってありがとうございます。このチャンネルの魅力です!マグカップのお話も楽しかったです。
大変興味深く、素晴らしいお話しでした。私は思想研究を生業としているのですが、常に「解釈」の問題に直面しています。歴史考証と内面的解釈の「せめぎあい」(?)という、今日のお話は、私たちの世界と全く共通したお話で、とても勉強になりました。音楽を聴く楽しみも一層増えました。どうもありがとうございました。
こちらこそありがとうございます😊😊
やっぱりそこに魂が宿っているかが1番大切ですね。
上品で優しい語り口で、確固たる主張。自分も取り入れたいと思います。
とても興味深いお話でした。クラシック音楽の演奏は、化石から標本を復元する作業とは違うと思います。当時は、現代音楽だったクラシック音楽が、当時の聴衆にどのように響いたのかと夢想することがあります。偉大なベートーベンが、プレスリーやビートルズのように、にしえの若者たちを熱狂させたのかと想像すると楽しいですね。
自分もホロヴィッツの演奏したモーツァルトのソナタを初めて聴いた時、凄く違和感がありました。まるでラフマニノフがアレンジした様に聴こえたのです。“こんなのはモーツァルトじゃぁない“生意気にも自分はそう思いました。ところがライブ映像を見るとそうしたホロヴィッツの演奏に涙を流して感動している人が写っているのを見て、自分は井の中の蛙だったな、と思いました。感動している人に対して“それは違いますよ”なんて言えませんから。
はじめまして。私はかつて本気でピアニストになりたいと音大を卒業しましたが、身の程を思い知り(笑)その後はポピュラー系音楽に携わった者です。楽譜メーカーによるテンポ表記のお話、とても興味深かったです。私の経験では、ポピュラー系の人たちに6/8拍子と3拍子の違いを説明してもなかなか理解してもらえなかった事があります。3拍子は6/8拍子のテンポが遅いバージョンでしょ?3拍子が早くなればいっそ6/8拍子にしてしまえばいいんじゃないの?という感じでした😅いや全然!気持ちからして違うんだよと力説しても伝わらなかったんですよね〜。テンポの取り方、つまりオンとオフの感じ方がクラシック音楽でもまだまだ変わる可能性があるんだというのが、私にとって大変驚きであり面白いなぁと思いました。また「解釈」についても学生の頃、私の師匠から「僕は解釈というのが嫌いでね」と言われた意味がつかめず、長らく喉に引っかかった魚の骨状態だったんですが、お話を伺っててようやく意味が見えてきた気がしました。ありがとうございました。
今回もまた、納得させられるようなお話でした。自分自身の音楽解釈も、深まったように感じます。また、自分自身の熱量も、上げていきたいとも思いました。そして、この考え方は、音楽界に限らず、スポーツ、政治や社会、哲学、料理、芸能、職業、教育、地球、自然・・・・など、あらゆる学問に通用すると思いました。ありがとうございます。
解釈という言葉に感じていた違和感を分かりやすく解きほぐしていただきました。作曲家の頭(心)のなかで鳴っていた音(楽)という感覚を、解釈という概念に引き寄せて考えることへの違和感だったように思いました。感覚は感情で全てが異なった世界のはずなのに、それを概念という普遍に変換したら、それが真実になってしまいますものね。こういう(不思議?不自然?な)癖がヒトにはある、ということなら、音楽に限った話じゃなくなりますね。そんな刺激をいただいた動画でした。ありがとうございます。
面白い話、ありがとうございました。音楽の偉大さって人の心を動かせる事で、だから真剣に音楽を学ぶのだと思いました。そこに魂みたいな物を感じました。
そうですよね。大変良い授業になりました。フルベン、リヒター、ベーム、素晴らしいですよね。18世紀オーケストラを結成して演奏したフランス・ブリュッヘンという人がいましたが、当時の編成で古楽器を使った演奏は、現代のものと全く違いますよね。良くかみしめて、これからもクラシックを聴いて行きたいと思います。
もう先生のお話をずーーーーーっと聞いていたい!!!いつも素晴らしいお話をありがとうございます♪
"解釈" というあいまいな言葉を詳しく説明してくださって音楽の聴き方が深まりました。ありがとうございました。
フルトヴェングラーの言葉はとても印象的ですごい信念の人だと思いました。指揮者はじめ音楽家は作曲家の再現者であり また創造者でもあるんですね。またアイデアと解釈は違うというのがとても納得でした。聞き比べも面白かったです。バッハの平均率はまるで違う曲の様でした。時々クラシック愛好家の方で何千枚というCDを所有されてる方がおられますが その理由のひとつがわかった気もします。ありがとうございました。
多くの方に聞いて欲しい大切なお話をありがとうございます。 解釈から夫々の演奏家の表現(音楽)が始まるのだと思います。技術も含め、真の解釈に到達するまでは長い道のりですね。それが音楽の深さと喜びということでもありましょうか。
こちらこそありがとうございます😊😊😊
とてもいいお話でした。感動しました。
素晴らしいお話をありがとうございました。音楽は好きでずっと愛好してきましたが、このように音楽を深く考えたことがありませんでした。毎回新しい発見があってワクワクします。これからも音楽談話、たくさん伺いたいです。
ありがとうございます😊
ピリオド・アプローチの演奏CDは、研究発表のニュアンスが強いものがあって、なにか楽曲を楽しませることよりも、新解釈に驚いたり納得したりして欲しいという、演奏者の声が聞こえてくるものがあるような気がしますね。ただ近年は、解釈の新規さよりも音楽的な充実を求めるような方向に揺り戻しが起きている気もしますね。アーノンクールのモーツァルト・レクイエムの新録音も、旧盤に比べると穏やかな表現になっているようですし。
古楽器は確かに最初の頃は、これまでの常識をあえて否定しようとする部分があったように思います。60年も経ちましたから、これからはより音楽的な充実に期待したいですね!
いつも興味深く楽しく拝聴させていただいております。先生の今回の解説には本当に感銘を賜りました。最初に聴いた楽曲で感動したアーティストの音楽解釈で、「これ、すばらしくいいなぁ」と思うと、これがベストだと思い込み、同じアーティストを好むだけならいいが、他を排除する傾向になったりします。かく言う私です。今回の先生の解説で「新たな境地」へと誘っていただけたと思っております。ありがとうございました。
私はフルトベングラーが大好きなのですが、音楽通の友人から、「今は、作曲当時そのままを再現するのが主流だから」と言われて、ずっと違和感を持っていました。しかし、今回の車田さんの解説を聴いて、とてもすっきりしました!「作曲当時」にこだわることだけが正解ではない!他方で、自分だけの解釈を振り回すのも正しくない。大切なのは、作曲家と同じ情熱を持って作曲家の気持ちになって音楽に取り組むこと!納得です!いつも新たな気付きを与えてくださって、ありがとうございます。
なんだか難しい授業を受けているような気持ちで拝聴しました。^^;確かに、人間の感情は昔の人とそう変わらないですね。少し話が違うけど、文学だって昔の和歌など読むとそれを強く感じますし…音楽もそうだから、ベートーヴェンなど大作曲家の曲を聴くと、慰められたり勇気をもらったりするのでしょうね。
大変根幹に関わる素晴らしいお話し、感動しました❤感謝🎉感謝❤感謝🎉
いつも勉強になる動画ありがとうございます。メトロノームの話は初めて聞きました。なるほど〜と納得です。行き着くところは結局ベートーヴェンは何を望んでいたの??だとは思いますが、ベートーヴェンに聞くことはできないし…。難しい問題ですね。しかしそれをとてもわかり易く説明してくださったこの動画は勉強になりました!
「そこに魂が宿っているか」共感します。例えばバッハの鍵盤曲をピアノで弾くのとチェンバロで弾くのに優劣はない。(好みはあるかもしれませんが)大切なのはバッハの音楽に迫ることが出来るかなのだと思いました。
まさにおっしゃる通りですね😊!
同感です。私としては、その音楽に魂が宿っていて、それを聴いて、感動するかどうか?です。「自分の研究結果は最新だぞ!どうだ、すごいだろ?」的演奏には、そっぽを向いてしまいそう。車田先生、どうもありがとうございます。
きわめて説得力がありました。納得です。
どんな時代に どんな感情で 書かれた曲なのか? しっかり勉強したいと思いました。 素敵なお話し ありがとうございました。次のお話し楽しみに待ってます。
言語の読み方、言葉使いについて同じことを考えていました。ほんの数百年前の言語について特に日本語などのラテン系言語でない言葉は当時どういう話し方をしていたのか。録音も誰も聞いた人がいないので、タイムマシーンがあったら聞きに行ってみたい。
解釈と研究の最新研究の話はとても面白かったです。テンポについても研究次第で変わってしまうことの是非についての車田さんの考えには同感します。
大いに考えさせられました。精神的なものは文章や楽譜に著すことはできても、著者が真に何を想っていたのかを読み取り近づいていくのは大変なことだと思います。著者が真意を明確にしなかったら尚更難しいのでは、と。私は最近では、ピアノは演奏よりも聴く方が圧倒的に多く、違う立場からの感想になりますが、初めて聴く曲に関する情報がまったくない状態で聴くのと、先生の作曲家紹介を拝聴してから聴くのとでは、全く違う曲に聴こえてしまいます。芸術は複雑で奥が深く面白いと改めて感じました。
大変勉強になりました。有り難う御座います。
60年前からバロック音楽ジャンルで聴いています。演奏解釈の変遷をyoutubeで見ることのできる今まで生きて来て感慨深いです。
このお話は実感でき興味深いです。第九の歌唱をあのテンポで歌うと味もそっけもなく笑ってしまいました。結局は演奏家の感性の問題に行きつきますね。半世紀以上前のバッハ「音楽の捧げもの」レーデル盤を今も聴き続けています。ロマン派解釈が機械的なカノンと調和して独特の情緒があります。ガット弦と古楽器で現代奏法のコレギウム・アウレウムも大好きです。これらの演奏は古楽研究で一度は否定されましたが、感動的で良いものは聴き続けられていますね。心に響く演奏は時代の変化を超えてしまうのでしょう。
車田さんのお話は本当に新しい発見をさせてくれます。ハイドンの交響曲第26番哀歌でニコラス・ワードとアダム・フィッシャーではこんなにも違うのかと云うのが何となく分かりました。それはロックでもジャズでも歌謡曲でも一緒だなと思います。解釈とはそういうものかなと改めて教えられました。いい勉強になりました。
第九のトルコマーチを例に挙げた解釈、、、ひとことで言えませんが、とてもいいお話しを聞けました。ありがとうございます。先日、何番かの動画で聞いたドイツなど本場でも自分で探していかないと当時の感触はつかめなくなりつつあり、、というお話にも通じて、あれこれ自分でも考えを巡らせています。
演奏家としてのとても奥が深いお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。なるほどと思いました。聴き手としては、同曲異奏者の盤を何枚か買い、カノンはパイヤールが好みだなあとか、四季はイ・ソリスティ・ヴェネティがいいなあとか、悲愴ソナタではアシュケナージがテンポ早っとか、純粋に聴き比べて楽しんでいます。
お話の中で出てきたカール·リヒターですが、当時の映像を見ると楽器奏者や歌手達はリヒター指揮の元で実に気持ちよさそうに演奏しています。学術研究的には△なのかもしれませんが、リヒターの演奏ほど美しく心を打つバッハに今まで出会ったことがありません。
私は、フルトヴェングラーの演奏を初めて聴いた時に、ユニークな解釈に、驚きましたが、その解釈は、その曲をより深く理解するためにされるものであることが分かりました。バイロイト音楽祭での、ベートーヴェンの第九は、まさしく、その解釈の名演奏だと思います。
興味深いお話でした。 音楽の話に限らないですよね 教育の話でも大事だと思います 共通テストなんかパズル化してるような気がしています
私は全くの素人ですが、素人なりに楽譜の研究はしています。気になる所は、ピアノで何度も弾いたりして居ます。そうすると、モーツァルトはやっぱりこうだなとか自分で腑に落ちる・・・此れが私の解釈だと思ってます。
クラシック音楽の楽しみは、きき比べにありますね。ジャズのスタンダードナンバーでもアドリブは変わってしまいますから。引き続き楽しいチャンネル楽しみにしております
「様式的な解釈」や「研究」に関するお話がとても興味深ったです。個人的には現在のクラシック界は、研究の成果にとらわれ過ぎているせいか、演奏家同士の幅が小さくなってきているなぁと思います。「アンチカラヤン」という言葉もありますが(僕はカラヤン大好きです)、昔の演奏家にはそれぞれの表現(解釈としてもいいのかも)があって強烈な賛否があったと思います。芸術にとって賛否が分かれるというのは幅の広がりという点で必要なことかと思いますが、今回のお話を聞いて今の時代に強烈に賛否が分かれるような演奏家がいるのかな?と思いました。つたない感想ですが。
素晴らしい解釈で、すごく腑に落ちました。ただ、1番感動したのは、最後のコーヒータイムでフト福島のイントネーションが感じられた、ことでした。(^^)これは一生直らないんですね、、私もですが、、 (^^)
長年の悩みがまるで氷河期が終わっていくように解けていきました。ピアノのテクニックに偏った教育は、個々の作品を深く考えること大切さ、楽しみを見失うことになってしまっていたように思います。少数派の解釈を、どうしてだろうとずっと悩んできましたし、先生を変えて疑問を投げかけてきましたが、こんなお話をして下さる人とは出会えませんでした。今日のお話は、演奏者にとって素晴らしい感銘を与えると思います。ありがとうございました。
😊😊
今回の動画はいつにも増して強い意志が感じられました。くだらない!と言う率直なご意見、最高です!!!ぼくも激しく同意すると同時に、そのテンポで演奏し、録音までしている演奏家がいると言うのが、驚きです。まぁ、表現の自由ってのもあるんだとは思いますが、そこまで行くと編曲に近いくらい違いが出てくるから、自分の美意識には合わないですね。ある意味、評論家みたいな人の言うことを鵜呑みにして、愛好してるって感じですかね?何にしても、作曲者本人に確認のしようが無いから、この解釈って、まだまだこれからもいろいろ出て来そうですね。やれやれ、、、
作曲家に電話できればいいのに、と思う事が良くあります😊
解釈の違いですか。モーツァルトの交響曲40番ですが、指揮者がベームとワルターでは、曲の印象が明らかに違います。まさに解釈の違いと言わざるを得ません。とても面白い講義でした。
本当に深い内容です。時々感じますが、リヒターの影響力は、彼が単に音楽家だったというよりは、第二次世界大戦以後にヨーロッパでぼろくそに言われていた敗戦国ドイツから生まれた、ドイツ・バロックが不朽の価値ををもつことを、世界に認めさせた「ドイツバロックの宣教師」だったからではないかと思います。第二次世界大戦でドイツをもっとも憎んだソ連の人びと、アメリカの人びとは、リヒターのバッハ解釈により、ドイツ精神の深淵ともいうべき価値を再認識しました。リヒターは、時代の要請にこたえ、敗戦で希望を失ったドイツ人の魂に希望を与え、ドイツバロックの文化が人類に貢献しうるものであることを、世界に伝えた本物の宣教師でした。
モーツアルトのピアノソナタは、聴いているとフォルテピアノの演奏を聴きたくなり色々試しに聴きました。なぜかエドウィン・フィッシャー演奏のような感動が得られませんでした。音楽雑誌の評論は論家、学者の記事は何も響いてこない事が分かり読まなくなり、演奏者のインタビューだけ読むようになりました。フィッシャー・ディスカウ、、シューベルトの「冬の旅」は「夏の旅」と音楽好きから止められ、ホッター、ヒュッシュの録音は所有しています。どうなのか確認してみたくなりました。
ぜひディースカウの冬の旅も聴いてみてくださいね😊
今日たまたま他の動画から見つけたのですが、同じ大学だったので思わずコメントしてしまいました。もうすぐ卒業の四年生です。😂自分も歌を勉強していますが、私は音楽を習い始めるのが遅かったので、周りの同級生たちが小さい頃から培ってきてなんとなくおこなっている音楽性や解釈?というものに自信がありません。解釈に自分なりの意見を具体的に持てるようになりたいので、今は音楽史、世界史、和声の勉強を改めてしていて、いずれは作曲の仕方なども勉強して、楽譜という平面的な情報からめいっぱい汲み取れるようになりたいと思っています。動画、ものすごく興味深いものばかりで大変勉強になりました。また、モチベーションにもなりました。出会えてよかったです。頑張ります!😊
ありがとうございます!勉強頑張って下さいね😊
ベートーベン第九のトルコ行進曲の部分のテンポの件ですが他の部分も全部新しい楽譜は2倍の速さになっているのでしょうか?ガーディナーの演奏で行進曲を2倍のテンポでやってるのを聞いたことがありますが他の部分も2倍のテンポで演奏しているようには聞こえなかったのですが?
メトロノームの音、 お上手です(^^)プッチーニのお話の時、当時誰かが始めて、「それいいんじゃない?」とみんながやるようになって定着したのではないか?と思って聴いておりました。 メトロノームの話は聞いたことがありました。そんなテンポはおかしい、私はやらない、と言えるのが解釈なのではないか、と思いました(^^)
解釈と言ってしまえばそれまでなんだろうけど、やはり楽譜を読んで、そこに書かれてることをどう表現するか?表現の手段として楽器の選択でモダンなのを選択するのか、または、古楽器を選択するのか、ってことにはなるけど、いくら作曲家が活躍していたときに使われていた楽器を使っていても音楽に気持ちというか、それがないと演奏も無味なものになってしまうのでは?って思うなぁ。そこらへんのことをCDのライナーノートに書かれているのを読んだことありますよ。
バッハの「マタイ受難曲」も、例を挙げればメンゲルベルクの1939年録音、リヒターの1958年録音、アーノンクールの1970年録音、ヘレヴェッヘの1998年録音、マクリーシュの2002年録音ではどれも全く違う解釈で、同じ曲なのに全く違った感じに聴こえるのが面白いですね。バッハ自身が演奏した録音が残ってない以上、どの演奏が「正解」「不正解」とは簡単には決められないので、結局は演奏する人や聴く人の好みの問題となるのではないでしょうか?その昔、今は亡き某バッハ研究家が著書でメンゲルベルクのマタイを酷評し「炎上」してしまったことがありますが、たとえ自分の好みに合わない演奏でも安易に否定せず、他人の好みも尊重する姿勢が大事だと思います。
Erika Sonoさん、通称「I教授」だった日本人です。メンゲルベルクのマタイ以外では某ペンションと揉めたりと、いろいろ舌禍事件を起こしてた人ですね😩
初めて聞いたマタイはメンゲルベルクのものでした。それ以後何種類かのCDを買いました。リヒターのも。メンゲルベルクは大変印象的でした。
ベートーヴェンの速度指示って昔から論争になってるけど、結局、研究者同士のゴタゴタに巻き込まれる被害者はいつも演奏家。ゆとりダラダラでいつまでも研究してないで、これこそ決定打だ‼️ってのを総ての楽曲で打ち出して貰いたいもんですよね😓
本当に興味深く、拝聴させて頂きました。ゴミのような娯楽が溢れかえっている私達の日常生活を浄化し高みに押し上げて頂けるような数々のお話ー真の教養講座です!ーを伺えるこのチャンネルは貴重です❤️ オアシスです👍
「解釈」に正解はない。だけどたとえばベームが出したあの茶道のような緊張感は彼が法学博士だったことと無関係ではないでしょうし、クライバーやドゥダメルのドライブ感にはやはり南米育ちが関係しているかもしれません。音楽から離れたところで経験したものが如実に出てくるのが「解釈」だと思います。最近の演奏家に物足りないところが多いのもたぶん音楽そのものの勉強よりも一見音楽と関係なさそうな経験が足りない、もしくは画一的になっている、そんな気がします。
結局、残る人は残る。一時期クラシックは滅びると言われた。でも残っている。78歳。
ストラディバリはバイオリンの王様です。しかもバッハの時代の物でもあるんですが、古楽器ではありませんよね。古楽器の定義が分かりません。
その辺は曖昧ですよね。
楽譜を通して作曲家と会話できる学生が減っていますね。音符はいつも「こう弾くんだよ」って言ってますから。解釈とはその音符への説得という作業ではないでしょうか。
楽譜をどう読むかを学ぶ事は大事な事ですね!
解釈といのは作曲者の表現しようとしたものを理解し表現することじゃないかと思います。そうすると駄作の解釈、というときはそうではなくて、解釈する人の芸術的意味付け?今の時代時間は早く進むのであえてゆっくりした演奏をして昔に戻すのがよいんじゃないかと思います。
私は音楽的には素人ですけど 同じ ラフマニノフの2番を 聞いても 辻井伸行さん以外の演奏家 では ピアノを弾いてるな という印象しか持たない 。でも 辻井さんの演奏からは ラフマニノフが こんな風景を見て この曲を作ったんだろうな という絵が見える 。私の 印象が 正しいか正しくないかは どうでもいい、 私は 辻井 のぶゆきさんの 演奏を聴いた果実として それを信ずる、音を楽しむ行為の一つとして。一つの解釈が素晴らしいかどうかは聴衆の拍手で判断すればいい、答えはいつも聴衆の中にある。曲の解釈よりも聴衆を涙させる一音とは何かを追求した方がいい、辻井さんのピアノは一音だけ聞いても何故か満足できる、他のピアニストは最後まで聴くのが苦痛でチャネルを変えてしまう、 ヴァン クライバーンが 奇跡のピアニスト といった意味を 毎回かみしめている 。仏教の 説話にこおいうのがある 、あわや ひえを 常食 としている者は 世の中にこんな 旨いものはないと思って食べている が 、ひとたび 白米を食べると 二度と あわや ひえには戻らない。当然だよね
勝手にキテレツな解釈で演奏する分には、聴き手も好き嫌いとか聴く聴かないでせいぜい数千円の損で済みますが、200ユーロも払った蝶々夫人で最後に切腹などさせられたら劇場に火をつけて暴れたくなりますよね。こういう時こそ評論家は酷評すべきだと思います。最近はなんだか業界も利害関係があり過ぎるようで本当に酷評ってきかないですよね。
オペラの演出は本当に難しい問題ですね・・
朝比奈たかし
自分にとって解釈とは楽譜という原典から発した表現です。「この演奏が楽譜からも時代考証的にも正しい」とされても受け入れられなかったら何の意味もないからです。正直、バッハ自身が弾くバッハの演奏もショパンが弾くショパン演奏もベートーヴェンが振る交響曲も全く興味がありません。作品は発表された瞬間から作曲者の手を離れると信じて疑わないくらいです。解釈は「服」や「ラーメン」というテーマをスタートにデザイナーや料理人がそれぞれが思う創作をすることだと思います。その結果あるのは、正しいか否かではなくイケてるかイケていないか、美味いか否かでしかありません。したがって極論は、表現の自由は結構ですが表現も淘汰されるべき と考えます。ともすると芸術にかこつけ表現者は表現しっぱなし。周りは真っ当な批判文化を養えません。
素晴らしい解説でした。感銘を受けました。
確かに作曲家が表現したかった境地を理解して、その情熱の高みに達しもしないで、その作品をこねくり回すのは不遜もいいところな行為かも知れませんね。
作品や創造の本質を理解する助けになる説明で、本当に感謝の念で一杯です。
また、新たな動画を楽しみにしています。
ありがとうございます😊😊😊
先日、井上道義先生の指揮する演奏会のチラシに載っていた先生のコメントに「僕自身はショスタコーヴィッチは僕自身だと言い切っていますが、演奏するということはそういう事。」「楽譜に忠実な精神や、初演の頃の楽器の響きなどを再現する態度は、とっかかりにはなりますが、息づく音楽にするのは演奏者にかかっている」とあって、非常に共感を覚えましたが、タイミングよくこの動画に出会えて、そのコメントが意味するところを、また違う言葉で深く理解できたように思います。ありがとうございました。
敬愛する「車田さん!」久々に大事な大事なお話を伺いました。有り難う御座いました。落ち着いて、静かなトークの中のひと言ひと言の中に、熱い熱い音楽への愛情が溢れていて「車田さん」の熱情に感動しました。就中、忘れられない「ひと言」がありました「フィッシャーディスカウさんの言葉でした」「作曲家の熱量にまで到達して、初めて解釈が出来るようになる」ハイッ!とても肝に銘じました、まもなく90歳です。あたりまえですが僕は思春期、青年時代を20世紀前半の音楽で育ちました。「フルトヴェングラー」って聞いただけで魂がふるえました。
ありがとうございます😊😊😊
解釈の違い?動画内で話した演奏を聴き比べ!
グレン・グールドによるバッハ:平均律クラヴィーア曲集
ruclips.net/video/1CVlBSgj0bk/видео.html
リヒテルによるバッハ:平均律クラヴィーア曲集
ruclips.net/video/c8rxkDAaaJ0/видео.html
カール・リヒターのバッハ:マタイ受難曲
ruclips.net/video/vovnChs_u5w/видео.html
古楽器(オランダ・バッハ・ソサエティ)によるバッハ
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カール・ベームによるモーツァルト:ジュピターより4楽章
ruclips.net/video/yRUlzJn8UeU/видео.html
古楽器によるモーツァルト:ジュピターより4楽章
ruclips.net/video/rOVh9GjtcE4/видео.html&start_radio=1&rv=rOVh9GjtcE4&t=3
フルトヴェングラーによるベートーベンの第9
ruclips.net/video/dHDXdbSWu0E/видео.html
トスカニーニのベートーベンの第9
ruclips.net/video/hIq646l2ymw/видео.html
この若者がおっしゃったことはとても大切なことだと思います。
たいへん感銘を受けました。ありがとうございます。
その音楽を理解するには自分を高めなければいけない。自分の熱量はそれに値するか。深く考えさせられました。
車田さんの興味深い講義のおかげで、聴く音楽の分野の幅が広がり、今まで聴いていたクラシック曲もさらに奥行きを感じるようになりました。ありがたいことです。これからもよろしくお願いします。
こちらこそありがとうございます😊
クラシック音楽を鑑賞するうえで、最も大切な事を教えて頂いた回でした。ありがとうございます。
😊😊😊
第九の話、面白かったぁ。いつも興味深いお話をありがとうございます!
冒頭のフィッシャーディースカウの言葉がとても深いと思いました。演奏家としての技術があるのは大前提、『解釈』出来る人とはより芸術的な高みを理解出来る人間だけ…✴本当にそうです。素晴らしいです🎶
😊😊😊
とても深いお話しでした。
有難うございます😊
音楽は目に見えない物です
その聴く人、本人が楽しく聴く事が出来るものそれが「音を楽しむ」ですよね♪
私は、○○が好き♡だから聴くの♪
そこに、新しい 古いも、否定も批判も必要ないと思います。
😊😊😊
いつも楽しい、為になるお話しをありがとうございます。三十年以上ドイツに住んでいながら、クラッシック音楽の事何も知らなくて…経験ご豊富でいらっしゃるのに、押し付けがましく無い優しい語り方で、お聞きしていて心に染みます。これからもよろしくお願いいたします。
音楽を聴く上でも演奏する上でも一番難しくて重要な事だと思います。
さほど勉強もしていないうちから軽々しく使ってはいけない言葉だというのはご尤もです。また、研究によって肝心なことがないがしろになり、本当の解釈が歪められてしまう危険性もある、というのは興味深い事でした。
同じ音楽を勉強しても解釈が異なって演奏が違ってくるのは、同然のようでいて不思議だといつも思っていました。特にオーケストラの大きな曲などは、指揮者によって色々なのが未だよく分かりません。
よく、音楽は楽しめば良いんだ、なんて言う方がいますが、やはり理解出来るくらい勉強しないと本当に味わうことも楽しむことも出来ないので、音楽は難しいと思います。本当の理解にたどり着く難しさ、という点では、絵画にしても文学にしても同じ事が言えると思います。自分の趣味に合う合わないで勝手な評価をするのは解釈どかろか論外ですね。素晴らしい作品に対して畏敬の念を持って接しなければなりません。
今日もとても大事なお話、有難うございました🙇☺️💖
😊😊😊
難しい事を一般人にも分かり易く説明して下さってありがとうございます。このチャンネルの魅力です!マグカップのお話も楽しかったです。
😊😊😊
大変興味深く、素晴らしいお話しでした。私は思想研究を生業としているのですが、常に「解釈」の問題に直面しています。歴史考証と内面的解釈の「せめぎあい」(?)という、今日のお話は、私たちの世界と全く共通したお話で、とても勉強になりました。音楽を聴く楽しみも一層増えました。どうもありがとうございました。
こちらこそありがとうございます😊😊
やっぱりそこに魂が宿っているかが1番大切ですね。
😊😊😊
上品で優しい語り口で、確固たる主張。自分も取り入れたいと思います。
とても興味深いお話でした。クラシック音楽の演奏は、化石から標本を復元する作業とは違うと思います。当時は、現代音楽だったクラシック音楽が、当時の聴衆にどのように響いたのかと夢想することがあります。偉大なベートーベンが、プレスリーやビートルズのように、にしえの若者たちを熱狂させたのかと想像すると楽しいですね。
ありがとうございます😊😊😊
自分もホロヴィッツの演奏したモーツァルトのソナタを初めて聴いた時、凄く違和感がありました。まるでラフマニノフがアレンジした様に聴こえたのです。“こんなのはモーツァルトじゃぁない“生意気にも自分はそう思いました。ところがライブ映像を見るとそうしたホロヴィッツの演奏に涙を流して感動している人が写っているのを見て、自分は井の中の蛙だったな、と思いました。感動している人に対して“それは違いますよ”なんて言えませんから。
😊😊😊
はじめまして。私はかつて本気でピアニストになりたいと音大を卒業しましたが、身の程を思い知り(笑)その後はポピュラー系音楽に携わった者です。
楽譜メーカーによるテンポ表記のお話、とても興味深かったです。私の経験では、ポピュラー系の人たちに6/8拍子と3拍子の違いを説明してもなかなか理解してもらえなかった事があります。3拍子は6/8拍子のテンポが遅いバージョンでしょ?3拍子が早くなればいっそ6/8拍子にしてしまえばいいんじゃないの?という感じでした😅いや全然!気持ちからして違うんだよと力説しても伝わらなかったんですよね〜。
テンポの取り方、つまりオンとオフの感じ方がクラシック音楽でもまだまだ変わる可能性があるんだというのが、私にとって大変驚きであり面白いなぁと思いました。
また「解釈」についても学生の頃、私の師匠から「僕は解釈というのが嫌いでね」と言われた意味がつかめず、長らく喉に引っかかった魚の骨状態だったんですが、お話を伺っててようやく意味が見えてきた気がしました。ありがとうございました。
😊😊😊
今回もまた、納得させられるようなお話でした。自分自身の音楽解釈も、深まったように感じます。また、自分自身の熱量も、上げていきたいとも思いました。そして、この考え方は、音楽界に限らず、スポーツ、政治や社会、哲学、料理、芸能、職業、教育、地球、自然・・・・など、あらゆる学問に通用すると思いました。ありがとうございます。
😊😊😊
解釈という言葉に感じていた違和感を分かりやすく解きほぐしていただきました。
作曲家の頭(心)のなかで鳴っていた音(楽)という感覚を、解釈という概念に引き寄せて考えることへの違和感だったように思いました。
感覚は感情で全てが異なった世界のはずなのに、それを概念という普遍に変換したら、それが真実になってしまいますものね。
こういう(不思議?不自然?な)癖がヒトにはある、ということなら、音楽に限った話じゃなくなりますね。
そんな刺激をいただいた動画でした。ありがとうございます。
😊😊😊
面白い話、ありがとうございました。音楽の偉大さって人の心を動かせる事で、だから真剣に音楽を学ぶのだと思いました。そこに魂みたいな物を感じました。
そうですよね。大変良い授業になりました。フルベン、リヒター、ベーム、素晴らしいですよね。18世紀オーケストラを結成して演奏したフランス・ブリュッヘンという人がいましたが、当時の編成で古楽器を使った演奏は、現代のものと全く違いますよね。良くかみしめて、これからもクラシックを聴いて行きたいと思います。
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もう先生のお話をずーーーーーっと聞いていたい!!!
いつも素晴らしいお話をありがとうございます♪
"解釈" というあいまいな言葉を詳しく説明してくださって音楽の聴き方が深まりました。ありがとうございました。
こちらこそありがとうございます😊😊
フルトヴェングラーの言葉はとても印象的ですごい信念の人だと思いました。指揮者はじめ音楽家は作曲家の再現者であり
また創造者でもあるんですね。またアイデアと解釈は違うというのがとても納得でした。聞き比べも面白かったです。バッハの平均率はまるで違う曲の様でした。時々クラシック愛好家の方で何千枚というCDを所有されてる方がおられますが その理由のひとつがわかった気もします。ありがとうございました。
こちらこそありがとうございます😊😊
多くの方に聞いて欲しい大切なお話をありがとうございます。 解釈から夫々の演奏家の表現(音楽)が始まるのだと思います。技術も含め、真の解釈に到達するまでは長い道のりですね。それが音楽の深さと喜びということでもありましょうか。
こちらこそありがとうございます😊😊😊
とてもいいお話でした。感動しました。
ありがとうございます😊😊😊
素晴らしいお話をありがとうございました。音楽は好きでずっと愛好してきましたが、このように音楽を深く考えたことがありませんでした。毎回新しい発見があってワクワクします。これからも音楽談話、たくさん伺いたいです。
ありがとうございます😊
ピリオド・アプローチの演奏CDは、研究発表のニュアンスが強いものがあって、
なにか楽曲を楽しませることよりも、新解釈に驚いたり納得したりして欲しいという、演奏者の声が聞こえてくるものがあるような気がしますね。
ただ近年は、解釈の新規さよりも音楽的な充実を求めるような方向に揺り戻しが起きている気もしますね。
アーノンクールのモーツァルト・レクイエムの新録音も、旧盤に比べると穏やかな表現になっているようですし。
古楽器は確かに最初の頃は、これまでの常識をあえて否定しようとする部分があったように思います。60年も経ちましたから、これからはより音楽的な充実に期待したいですね!
いつも興味深く楽しく拝聴させていただいております。先生の今回の解説には本当に感銘を賜りました。最初に聴いた楽曲で感動したアーティストの音楽解釈で、「これ、すばらしくいいなぁ」と思うと、これがベストだと思い込み、同じアーティストを好むだけならいいが、他を排除する傾向になったりします。かく言う私です。今回の先生の解説で「新たな境地」へと誘っていただけたと思っております。ありがとうございました。
私はフルトベングラーが大好きなのですが、
音楽通の友人から、
「今は、作曲当時そのままを再現するのが主流だから」
と言われて、ずっと違和感を持っていました。
しかし、今回の車田さんの解説を聴いて、とてもすっきりしました!
「作曲当時」にこだわることだけが正解ではない!
他方で、自分だけの解釈を振り回すのも正しくない。
大切なのは、作曲家と同じ情熱を持って
作曲家の気持ちになって音楽に取り組むこと!
納得です!いつも新たな気付きを与えてくださって、ありがとうございます。
なんだか難しい授業を受けているような気持ちで拝聴しました。^^;
確かに、人間の感情は昔の人とそう変わらないですね。
少し話が違うけど、文学だって昔の和歌など読むとそれを強く感じますし…音楽もそう
だから、ベートーヴェンなど大作曲家の曲を聴くと、慰められたり勇気をもらったりするのでしょうね。
😊😊😊
大変根幹に関わる素晴らしいお話し、感動しました❤
感謝🎉感謝❤感謝🎉
いつも勉強になる動画ありがとうございます。
メトロノームの話は初めて聞きました。なるほど〜と納得です。
行き着くところは結局ベートーヴェンは何を望んでいたの??だとは思いますが、ベートーヴェンに聞くことはできないし…。
難しい問題ですね。
しかしそれをとてもわかり易く説明してくださったこの動画は勉強になりました!
こちらこそありがとうございます😊😊
「そこに魂が宿っているか」共感します。
例えばバッハの鍵盤曲をピアノで弾くのとチェンバロで弾くのに優劣はない。(好みはあるかもしれませんが)
大切なのはバッハの音楽に迫ることが出来るかなのだと思いました。
まさにおっしゃる通りですね😊!
同感です。私としては、その音楽に魂が宿っていて、それを聴いて、感動するかどうか?です。「自分の研究結果は最新だぞ!どうだ、すごいだろ?」的演奏には、そっぽを向いてしまいそう。車田先生、どうもありがとうございます。
きわめて説得力がありました。納得です。
😊😊😊
どんな時代に どんな感情で 書かれた曲なのか? しっかり勉強したいと思いました。 素敵なお話し ありがとうございました。次のお話し楽しみに待ってます。
言語の読み方、言葉使いについて同じことを考えていました。ほんの数百年前の言語について特に日本語などのラテン系言語でない言葉は当時どういう話し方をしていたのか。録音も誰も聞いた人がいないので、タイムマシーンがあったら聞きに行ってみたい。
解釈と研究の最新研究の話はとても面白かったです。テンポについても研究次第で変わってしまうことの是非についての車田さんの考えには同感します。
大いに考えさせられました。精神的なものは文章や楽譜に著すことはできても、著者が真に何を想っていたのかを読み取り近づいていくのは大変なことだと思います。著者が真意を明確にしなかったら尚更難しいのでは、と。
私は最近では、ピアノは演奏よりも聴く方が圧倒的に多く、違う立場からの感想になりますが、初めて聴く曲に関する情報がまったくない状態で聴くのと、先生の作曲家紹介を拝聴してから聴くのとでは、全く違う曲に聴こえてしまいます。
芸術は複雑で奥が深く面白いと改めて感じました。
大変勉強になりました。有り難う御座います。
😊😊😊
60年前からバロック音楽ジャンルで聴いています。演奏解釈の変遷をyoutubeで見ることのできる今まで生きて来て感慨深いです。
このお話は実感でき興味深いです。第九の歌唱をあのテンポで歌うと味もそっけもなく笑ってしまいました。結局は演奏家の感性の問題に行きつきますね。半世紀以上前のバッハ「音楽の捧げもの」レーデル盤を今も聴き続けています。ロマン派解釈が機械的なカノンと調和して独特の情緒があります。ガット弦と古楽器で現代奏法のコレギウム・アウレウムも大好きです。これらの演奏は古楽研究で一度は否定されましたが、感動的で良いものは聴き続けられていますね。心に響く演奏は時代の変化を超えてしまうのでしょう。
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車田さんのお話は本当に新しい発見をさせてくれます。ハイドンの交響曲第26番哀歌でニコラス・ワードとアダム・フィッシャーではこんなにも違うのかと云うのが何となく分かりました。それはロックでもジャズでも歌謡曲でも一緒だなと思います。解釈とはそういうものかなと改めて教えられました。いい勉強になりました。
第九のトルコマーチを例に挙げた解釈、、、ひとことで言えませんが、とてもいいお話しを聞けました。ありがとうございます。先日、何番かの動画で聞いたドイツなど本場でも自分で探していかないと当時の感触はつかめなくなりつつあり、、というお話にも通じて、あれこれ自分でも考えを巡らせています。
演奏家としてのとても奥が深いお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。なるほどと思いました。聴き手としては、同曲異奏者の盤を何枚か買い、カノンはパイヤールが好みだなあとか、四季はイ・ソリスティ・ヴェネティがいいなあとか、悲愴ソナタではアシュケナージがテンポ早っとか、純粋に聴き比べて楽しんでいます。
こちらこそありがとうございます😊😊
お話の中で出てきたカール·リヒターですが、当時の映像を見ると楽器奏者や歌手達はリヒター指揮の元で実に気持ちよさそうに演奏しています。
学術研究的には△なのかもしれませんが、リヒターの演奏ほど美しく心を打つバッハに今まで出会ったことがありません。
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私は、フルトヴェングラーの演奏を初めて聴いた時に、ユニークな解釈に、驚きましたが、その解釈は、その曲をより深く理解するためにされるものであることが分かりました。バイロイト音楽祭での、ベートーヴェンの第九は、まさしく、その解釈の名演奏だと思います。
興味深いお話でした。 音楽の話に限らないですよね 教育の話でも大事だと思います 共通テストなんかパズル化してるような気がしています
😊😊😊
私は全くの素人ですが、素人なりに楽譜の研究はしています。気になる所は、
ピアノで何度も弾いたりして居ます。そうすると、モーツァルトはやっぱり
こうだなとか自分で腑に落ちる・・・此れが私の解釈だと思ってます。
クラシック音楽の楽しみは、きき比べにありますね。ジャズのスタンダードナンバーでもアドリブは変わってしまいますから。引き続き楽しいチャンネル楽しみにしております
ありがとうございます😊😊😊
「様式的な解釈」や「研究」に関するお話がとても興味深ったです。個人的には現在のクラシック界は、研究の成果にとらわれ過ぎているせいか、演奏家同士の幅が小さくなってきているなぁと思います。「アンチカラヤン」という言葉もありますが(僕はカラヤン大好きです)、昔の演奏家にはそれぞれの表現(解釈としてもいいのかも)があって強烈な賛否があったと思います。芸術にとって賛否が分かれるというのは幅の広がりという点で必要なことかと思いますが、今回のお話を聞いて今の時代に強烈に賛否が分かれるような演奏家がいるのかな?と思いました。つたない感想ですが。
😊😊😊
素晴らしい解釈で、すごく腑に落ちました。
ただ、1番感動したのは、最後のコーヒータイムでフト福島のイントネーションが感じられた、ことでした。(^^)
これは一生直らないんですね、、私もですが、、 (^^)
長年の悩みがまるで氷河期が終わっていくように解けていきました。ピアノのテクニックに偏った教育は、個々の作品を深く考えること大切さ、楽しみを見失うことになってしまっていたように思います。少数派の解釈を、どうしてだろうとずっと悩んできましたし、先生を変えて疑問を投げかけてきましたが、こんなお話をして下さる人とは出会えませんでした。今日のお話は、演奏者にとって素晴らしい感銘を与えると思います。ありがとうございました。
😊😊
今回の動画はいつにも増して強い意志が感じられました。
くだらない!と言う率直なご意見、最高です!!!
ぼくも激しく同意すると同時に、そのテンポで演奏し、録音までしている演奏家がいると言うのが、驚きです。
まぁ、表現の自由ってのもあるんだとは思いますが、そこまで行くと編曲に近いくらい違いが出てくるから、自分の美意識には合わないですね。
ある意味、評論家みたいな人の言うことを鵜呑みにして、愛好してるって感じですかね?
何にしても、作曲者本人に確認のしようが無いから、この解釈って、まだまだこれからもいろいろ出て来そうですね。
やれやれ、、、
作曲家に電話できればいいのに、と思う事が良くあります😊
解釈の違いですか。モーツァルトの交響曲40番ですが、指揮者がベームとワルターでは、曲の印象が明らかに違います。まさに解釈の違いと言わざるを得ません。とても面白い講義でした。
本当に深い内容です。時々感じますが、リヒターの影響力は、彼が単に音楽家だったというよりは、第二次世界大戦以後にヨーロッパでぼろくそに言われていた敗戦国ドイツから生まれた、ドイツ・バロックが不朽の価値ををもつことを、世界に認めさせた「ドイツバロックの宣教師」だったからではないかと思います。第二次世界大戦でドイツをもっとも憎んだソ連の人びと、アメリカの人びとは、リヒターのバッハ解釈により、ドイツ精神の深淵ともいうべき価値を再認識しました。リヒターは、時代の要請にこたえ、敗戦で希望を失ったドイツ人の魂に希望を与え、ドイツバロックの文化が人類に貢献しうるものであることを、世界に伝えた本物の宣教師でした。
😊😊😊
モーツアルトのピアノソナタは、聴いているとフォルテピアノの演奏を聴きたくなり色々試しに聴きました。
なぜかエドウィン・フィッシャー演奏のような感動が得られませんでした。
音楽雑誌の評論は論家、学者の記事は何も響いてこない事が分かり読まなくなり、演奏者のインタビューだけ読むようになりました。
フィッシャー・ディスカウ、、シューベルトの「冬の旅」は「夏の旅」と音楽好きから止められ、ホッター、ヒュッシュの録音は所有しています。
どうなのか確認してみたくなりました。
ぜひディースカウの冬の旅も聴いてみてくださいね😊
今日たまたま他の動画から見つけたのですが、同じ大学だったので思わずコメントしてしまいました。もうすぐ卒業の四年生です。😂
自分も歌を勉強していますが、私は音楽を習い始めるのが遅かったので、周りの同級生たちが小さい頃から培ってきてなんとなくおこなっている音楽性や解釈?というものに自信がありません。
解釈に自分なりの意見を具体的に持てるようになりたいので、今は音楽史、世界史、和声の勉強を改めてしていて、いずれは作曲の仕方なども勉強して、楽譜という平面的な情報からめいっぱい汲み取れるようになりたいと思っています。
動画、ものすごく興味深いものばかりで大変勉強になりました。また、モチベーションにもなりました。出会えてよかったです。頑張ります!😊
ありがとうございます!勉強頑張って下さいね😊
ベートーベン第九のトルコ行進曲の部分のテンポの件ですが他の部分も全部新しい楽譜は2倍の速さになっているのでしょうか?ガーディナーの演奏で行進曲を2倍のテンポでやってるのを聞いたことがありますが他の部分も2倍のテンポで演奏しているようには聞こえなかったのですが?
メトロノームの音、 お上手です(^^)
プッチーニのお話の時、当時誰かが始めて、「それいいんじゃない?」とみんながやるようになって定着したのではないか?と思って聴いておりました。
メトロノームの話は聞いたことがありました。そんなテンポはおかしい、私はやらない、と言えるのが解釈なのではないか、と思いました(^^)
解釈と言ってしまえばそれまでなんだろうけど、やはり楽譜を読んで、そこに書かれてることをどう表現するか?表現の手段として楽器の選択でモダンなのを選択するのか、または、古楽器を選択するのか、ってことにはなるけど、いくら作曲家が活躍していたときに使われていた楽器を使っていても音楽に気持ちというか、それがないと演奏も無味なものになってしまうのでは?って思うなぁ。そこらへんのことをCDのライナーノートに書かれているのを読んだことありますよ。
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バッハの「マタイ受難曲」も、例を挙げればメンゲルベルクの1939年録音、リヒターの1958年録音、アーノンクールの1970年録音、
ヘレヴェッヘの1998年録音、マクリーシュの2002年録音ではどれも全く違う解釈で、同じ曲なのに全く違った感じに聴こえるのが面白いですね。
バッハ自身が演奏した録音が残ってない以上、どの演奏が「正解」「不正解」とは簡単には決められないので、結局は演奏する人や聴く人の好みの問題となるのではないでしょうか?
その昔、今は亡き某バッハ研究家が著書でメンゲルベルクのマタイを酷評し「炎上」してしまったことがありますが、
たとえ自分の好みに合わない演奏でも安易に否定せず、他人の好みも尊重する姿勢が大事だと思います。
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Erika Sonoさん、通称「I教授」だった日本人です。メンゲルベルクのマタイ以外では某ペンションと揉めたりと、いろいろ舌禍事件を起こしてた人ですね😩
初めて聞いたマタイはメンゲルベルクのものでした。それ以後何種類かのCDを買いました。リヒターのも。メンゲルベルクは大変印象的でした。
ベートーヴェンの速度指示って昔から論争になってるけど、結局、研究者同士のゴタゴタに巻き込まれる被害者はいつも演奏家。
ゆとりダラダラでいつまでも研究してないで、これこそ決定打だ‼️ってのを総ての楽曲で打ち出して貰いたいもんですよね😓
本当に興味深く、拝聴させて頂きました。ゴミのような娯楽が溢れかえっている私達の日常生活を浄化し高みに押し上げて頂けるような数々のお話ー真の教養講座です!ーを伺えるこのチャンネルは貴重です❤️ オアシスです👍
「解釈」に正解はない。だけどたとえばベームが出したあの茶道のような緊張感は彼が法学博士だったことと無関係ではないでしょうし、クライバーやドゥダメルのドライブ感にはやはり南米育ちが関係しているかもしれません。音楽から離れたところで経験したものが如実に出てくるのが「解釈」だと思います。最近の演奏家に物足りないところが多いのもたぶん音楽そのものの勉強よりも一見音楽と関係なさそうな経験が足りない、もしくは画一的になっている、そんな気がします。
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結局、残る人は残る。一時期クラシックは滅びると言われた。でも残っている。78歳。
ストラディバリはバイオリンの王様です。しかもバッハの時代の物でもあるんですが、古楽器ではありませんよね。
古楽器の定義が分かりません。
その辺は曖昧ですよね。
楽譜を通して作曲家と会話できる学生が減っていますね。
音符はいつも「こう弾くんだよ」って言ってますから。
解釈とはその音符への説得という作業ではないでしょうか。
楽譜をどう読むかを学ぶ事は大事な事ですね!
解釈といのは作曲者の表現しようとしたものを理解し表現することじゃないかと思います。
そうすると駄作の解釈、というときはそうではなくて、解釈する人の芸術的意味付け?今の時代時間は早く進むのであえてゆっくりした演奏をして昔に戻すのがよいんじゃないかと思います。
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私は音楽的には素人ですけど 同じ ラフマニノフの2番を 聞いても 辻井伸行さん以外の演奏家 では ピアノを弾いてるな という印象しか持たない 。でも 辻井さんの演奏からは ラフマニノフが こんな風景を見て この曲を作ったんだろうな という絵が見える 。私の 印象が 正しいか正しくないかは どうでもいい、 私は 辻井 のぶゆきさんの 演奏を聴いた果実として それを信ずる、音を楽しむ行為の一つとして。一つの解釈が素晴らしいかどうかは聴衆の拍手で判断すればいい、答えはいつも聴衆の中にある。曲の解釈よりも聴衆を涙させる一音とは何かを追求した方がいい、辻井さんのピアノは一音だけ聞いても何故か満足できる、他のピアニストは最後まで聴くのが苦痛でチャネルを変えてしまう、 ヴァン クライバーンが 奇跡のピアニスト といった意味を 毎回かみしめている 。仏教の 説話にこおいうのがある 、あわや ひえを 常食 としている者は 世の中にこんな 旨いものはないと思って食べている が 、ひとたび 白米を食べると 二度と あわや ひえには戻らない。当然だよね
😊😊😊
勝手にキテレツな解釈で演奏する分には、聴き手も好き嫌いとか聴く聴かないでせいぜい数千円の損で済みますが、200ユーロも払った蝶々夫人で最後に切腹などさせられたら劇場に火をつけて暴れたくなりますよね。こういう時こそ評論家は酷評すべきだと思います。
最近はなんだか業界も利害関係があり過ぎるようで本当に酷評ってきかないですよね。
オペラの演出は本当に難しい問題ですね・・
朝比奈たかし
自分にとって解釈とは楽譜という原典から発した表現です。「この演奏が楽譜からも時代考証的にも正しい」とされても受け入れられなかったら何の意味もないからです。正直、バッハ自身が弾くバッハの演奏もショパンが弾くショパン演奏もベートーヴェンが振る交響曲も全く興味がありません。作品は発表された瞬間から作曲者の手を離れると信じて疑わないくらいです。解釈は「服」や「ラーメン」というテーマをスタートにデザイナーや料理人がそれぞれが思う創作をすることだと思います。その結果あるのは、正しいか否かではなくイケてるかイケていないか、美味いか否かでしかありません。したがって極論は、表現の自由は結構ですが表現も淘汰されるべき と考えます。ともすると芸術にかこつけ表現者は表現しっぱなし。周りは真っ当な批判文化を養えません。