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もの凄く揃っていてとても上手なのに、なんとも空虚でつまらない演奏の正体がそれですよね。巧さばかりが伝わってきて、肝心の感情や曲の魅力が伝わって来ない演奏を良く耳にします。音の力のなさをごまかすためなのか、音の力があるように見せかけるためなのか、会場のキャパを超えた耳障りな爆音も良く耳にします。演奏に携わる人が皆、音楽にとって大切なものは何なのかを見つめ直す時なのかもしれませんね。
私はサクソフォンですが、車田先生から教わったことから、励ましとなった事が一つ、または、益になった事が一つあります。まず、励ましとなったことは、元々マウスピースを極端に深く差し込むチューニングで、リードを全く噛まないアンブシュアで、音程は楽器のキーの運指に寄らずに声楽と同じように喉で歌うことで制御されているので、先生の「喉を下げる」の講義が私の理想と一致していたことです。そして最も益となったことは、レガートでした。「何もないところから音が始まり、何もないところに消えてゆく」。これはタンギングを一切行わない演奏方法へと私を誘いました。また、静寂の中には歌があり、詩やメロディーを探し求める大きな力が常に働いています。今日のプログラムはその復讐となり、自分の方向性を承認し、強力に後押しするものでした。ありがとうございます。また、これらの技巧的なパワーの他、もう一つ忘れてはいけない「パワー」があります。ドイツの教会も今は四旬節かと思いますが、あと数週間で復活祭ですね。その時私たちは、使徒言行録1章8節を読むでしょう。そこには、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなた方は『力』を受ける」とあります。近年は、このパワーを受け取ろうとしない人が多いのではないでしょうか。今日と昔の最も大きな違いは、このような内面的なことだと思います。「心の貧しい人々は、幸いである」とありますが、今日私たちは物質的にも非常に満ち足りているために、自分の心の貧しさを自覚しようとする人が少ないのだと思います。
いつも有難うございます。レガートの大切さ、わかりました。いつも車田先生は「本当に勉強した人」の話をされますが、我々の知る由もないところで、ものすごい研鑽を積んで演奏し、聴衆を魅了しているのだなーとの思いが強まります。録音では、判別が難しいということも、車田先生のお話でわかりました。素晴らしいピアノ演奏を聴くと「あら!弦楽器みたい」と思います。音と音がつながって、すーっと心に入ってくるのですね。一番下っ端で練習する私も少しでも心がけたいです。そのために👂耳をよくして。
本日たまたま、車田さんの動画を、騒音の激しい中(私は熱帯地方暮らしで、部屋の扇風機が、中華料理屋の換気扇並にうるさいんです💦)で聞いてました。ルームシェア&近所との距離も近いので、あまりスピーカーの音量が上げられない中、他のPodcastのナレーションの声や話し方はなかなか聞こえづらいです。しかし車田さんの語りは、音量を上げていないのに一言一言しっかり聞こえます!!声のプロは、歌でなくとも常に力のある声を出しているんだと実感して、驚きました!!
ここ数年youtube での中継演奏をよく聴いていました。昨夏、あるクラシックコンサートの生演奏を聴いて便利なyoutube も生には敵わないな、と強く感じました。また、録画(録音)に映える演奏法が生演奏とは違うことにも気がつきました。いつもありがとうございます😊
私もこれを凄く感じます。やはりアナログ思考、アナログスタイルは無くしてはいけないなと思います。音楽のみならず色々なジャンルも薄っぺらくなってる傾向があるように感じます😆
ありがとうございます!
どうもありがとうございます😊
@@kazuhisakurumada 喉を下げること、腰の支えから来る自然なヴィブラート、レガート、などなど、感謝いたしております。今も毎日4時間の練習を続けておりますよ。ありがとう!
RUclipsにアップされていたBachのピアノレッスンを思い出しました。「当時のクラヴィーアを想像しながら表現するのか」「現代の楽器・コンサート会場にアップデートした表現をするのか」演奏家として、その2つの選択肢があるという内容でした。昔は、前者で弾くのが正しいと思っていましたが、最近では、後者の方の方が好きです。単純に好みが変わったのかもしれませんが、演奏家の努力がそれぞれで垣間見えて面白いです。
すごく良く分かります。音楽の感情が伝わらない音楽は、ただの頭の中の教養的なものになってしまいますよね。ホールの大きさは、商業的に続けていけることと、音楽で味わう感動両方にかかわってきます。バロックをピアノでやるなら、レガートは必要かと思います。車田さんのお話はとても納得できます。
私は音楽の消費者ですので、車田さんとは違って極めて単純に「好きか嫌いか」が全てですが、過去に感銘を受けた演奏というのは間違いなく音に惹かれました。おおよそブラームス以前の音楽を念頭に今回の解説をお聞きしますと、これはかなり意見が割れるんじゃないかと思いました。しかし現代でも後期ロマン派の楽曲は盛んに演奏されているので、車田さんがおっしゃるようなレガートの習得は演奏家にとって必要不可欠のはずだと思うのですが、残念ながらそうではない状況になってきているのでこのような問題提起をされたと推察いたします。本物のレガートを獲得すれば、レガートしない時でも魅力的な音になるって事でしょうかね。
録音技術の発展を喜ばしく思う反面、生音そのものの価値が見失われつつあることに、気付かされました。オーディオでの音体験も良いですがオーディオ音に慣れてしまわぬよう、小さなホールでの生演奏をこれから沢山体験していきたいなと思います。いつも貴重な学びや大切な気付きをいただき、ありがとうございます✨
チェリビダッケがなぜ録音を否定していたのかがわかりました。今、昔の車をしっかり整備して乗るとたまらなく楽しく、それが本来の車の魅力だと感じている人が多く、日本でも空前の旧車ブームです。しかし、旧車を維持し運転するには正しい理解と運転技術が求められ、誰でも旧車を所有できるわけではありませんし、何より車への愛が不可欠です。そうして会得した旧車の楽しさは最新の車では決して味わえません。車田さんのお話を聞いてそんなことを思い出しました。
音量でなく音の力ですね。アナウンスでも伝える力が重要で、基本は伝えるべき内容を正確にとらえ、確かな技術で表現することですが、音楽は演奏者の感情が問われると思います。
最近5人の方が同じ曲を弾かれているのを自分がどんなふうに弾きたいかという視点で聴き比べてみました。最後に聞いた昔の方は車田先生の仰ってる音の力があり惹き込まれる演奏でした。技術力は音のもつエネルギーだということが理解できる演奏でした。後付で理由がわかる動画でスッキリしました。
美しい演奏…レガートですか…なるほど。納得です。「時代を考えて。この時代の曲はこういう演奏ではない」はよく聞く演奏指導の言葉です(特にバロック時代)。間違ってはないです。過去の作曲家の楽譜は、出版されることを目的として書いていないんだろうなと思うくらい演奏指示がなく、逆に現代音楽なんかでは演奏の指示記号だらけで、演奏家の自由が利かないものもある、と聞きます。では、今の楽器で、演奏会場で、技術であれば、バッハはどう曲を書いたのか、演奏するように指示するのか。それを想像して演奏するのも、面白い気がします。
そういえばたしかに、モーツァルトのクラリネット五重奏曲の、包みこまれるような安心感は、昔も今もレガートの価値を理解させてくれます。ノンレガートは考えられません。
拝聴しながら、日本の『能』と『レガート』との共通する緊張感の教えを思い出しました
音の持つ力❣️音色❣️ね!ねい!ねいろ❣️この落差を克服しなくては音色は出せないと思っています。音の余韻❣️これは全音符であろうが32分音符であろうがその音価なりに持つモノ‼️それは発音される音の出だしから音価の最後まで音楽に溢れた音色と余韻のある音が出せるか⁉️更にそれを曲中の音楽表現にあった表現技術で表せるか❣️この点は昔の演奏家にはあったが近年の演奏家に足りないと感じてしまうことがママあるように感じています‼️残念だけど🫤
音楽表現の説明を例えを用いて素人に分かりやすく説明をしていただき感謝いたします。説得力があります。
ピアノで♩と♩をつなぐレガート演奏のレッスンとして、私のゆっくり歩く時の足を見てもらっています。先に1歩出た足ではなく、後に残った足に注目してもらい、その足がいつ地面を離れるか。(そのいつ、の微調整で音のつながり具合が変わる)足踏みしてみる ⇒ その動作を次に指2本で真似てみる ⇒ 実際に音を出してみる。また、ノンレガートもやってみると、普段しないような不自然な歩き方や足踏みになり、笑いが起こりますが、それまた指で真似て実際に弾いてみる。その方法でイメージをつかんでもらっています。他の楽器、歌も難しそうですね。練習、練習ですね💦音そのものの力はやはり生演奏を聴かないと、感じられないことですね。加えてレガートも失われつつあるものだとは意識していなかったので、その2点、また新たな気付きのキッカケになりました。ありがとうございました!
演奏家は、ラクな技術習得に留める。技術革新により、演奏会場は大きく広く、録音技術は発達・向上する。聴衆は、生演奏を聴きたくても、日常の雑事で精一杯で、なかなかコンサートホールに足が向かない。その結果、CD💿やRUclipsで済ませてしまう。そして、音を聴き分ける耳が育たない。……みんなで安易な方向に流れているのですね😢音楽に限らず、何でもそう。時代が進んで便利で快適な世の中になったけど(先進国は)、本当に価値のある大切な物を、私達は失いつつあるのですね😢最近は、レガートの美しい曲よりも、速いテンポでリズムがはっきりしている曲が好まれている、という印象。気分が昂揚し、麻薬でも打ってもらったかのようにハイになる。何か、刹那的ですよね。そういう時代なのでしょうか?せめて私に出来ることは、なるべく良い演奏を聴いて、力のある『いい音』を聴き分ける耳を養っていくことでしょうか。小さなことではありますが、そういった小さなことの積み重ねが、意外と世の中を良くすることに繋がるのかもしれません。そう信じたいです。
やはり音楽はアナログでいいし、ライブ(生)が一番なんですよね。逆に今はスマホで聴きたい音楽をすぐに聴ける良さもあり、クラシックを身近に感じることも良いことかと思います。レガートのこと、改めて大切な表現法なんだと明日から練習で意識がより高まりました。ありがとうございます🙇
ブルックナーの交響曲には、様々な版がありますね。朝比奈隆さんは、ブルックナーは原典版を使用することが私は良いと思います、とおっしゃっておられました。オーケストラの場合、指揮者の意向が影響しますね。カラヤンはレガート奏法を最も重視していましたね。テンポは、どちらかと言えば速いですね。チェリビダッケの場合、テンポがゆっくりしたものが多いので、好き嫌いがある方が多いように思いますね。生演奏に勝るものはありませんが、なかなか演奏会に行けない方は、録音、あるいは生中継で楽しみますね。現代はこの聴き方が出来るからいいですね。私がカラヤンの演奏が好きなのは、レガート奏法が生きた演奏が多いからではないかなぁと思います。果物、実物が気になりました。
何の楽器もできないし歌えない、更に楽譜も読めないですが、いつも興味深く動画拝見させて頂いております。今回も興味深い内容でした。的外れかもしれませんが、「柔らかく周りを包み込みような響き」というお話と字幕が出て、レガートが出て、ピアノが出て、チェンバロが出て、バッハが出て、なおかつ車田さんがほかでもないドイツのご在住で、今回ほどオルガン(パイプオルガン)に触れてほしかったと感じた回はありません。西洋音楽史で恐らく人の声の次くらいに大切で、西洋人の音体験のベースになっているのではとも思われるのですが、日本ではクラシック音楽ファンでもなかなか聴かれないのではないでしょうか。
私はあまりコンサートには行かず専ら録音で楽しむことが多いので、お話を聞いて、素晴らしい演奏家の技術や技を堪能しきれていないのかな、と思いました。スタイルとしては昔の演奏が好きなのですが、最近では少なくなってきているんですね。昔のスタイルで演奏できる方がいなくなってしまうのでは…と危惧してしまいます。
厳選クラシックチャンネルのナコさんとの対談を是非聞かせていただきたいです。お二人とも大ファンです。
チェリビダッケは若いころから東洋哲学に惹かれ、ヨガや座禅をしていたそうだ。彼は晩年仏教徒になり、参禅していたという。 東洋人でもない彼が、それでキリスト教の音楽をよくやったもんだと思うが。 意識を保って切らないのが座禅なので彼の音楽の本質はそこにあると思う。 要は呼吸を長くしてと意識を保つことなのだ。彼の解釈は特別で、だからミュンヘンの人たちも、意識を保ち、呼吸を保ち、音を保つ、ことが大変で1楽章でだいぶ疲れただろう。しかし今、ユーチューブであがっている彼の練習風景を見ると、一流でないオーケストラでも、日本でもどこでも行って振り、合唱団と談笑しと、今まで日本の音楽雑誌が作り上げてきた彼の、怖い、近寄りがたい、イメージとかなり隔たりがあり、音楽ジャーナリズムもレコード会社の陰、があったと感じております。
音の力で思い出したことがあります。仕事で、百数十人規模の叙勲記念パーティーを開催したときのことです。司会を某テレビ局出身の女性アナウンサーに頼んだのですが、立食形式でアルコールも出ていたので、会場がかなりガヤガヤしていたにもかかわらず、そのアナウンサーが「皆さま、壇上にご注目ください」と発すると、サッと会場が静まり、壇上に注目が集まるのです。それも、マイクの音量も普通で、別に馬鹿でかい声を張り上げているわけでもないのにです。会場の全員の耳の中にスッと綺麗にというか鮮明に入り込んで来るのです。これがプロの声なんだなと感心しました。発声の訓練や場数の経験から錬成された声は、やはり違うんですよね。きっと、音楽も同じようなことがあるのでしょうね。
50年ほど前にウィーンでムラビンスキー・レニングラードPOの「悲愴」を聞く機会がありました。とてつもない音の大きさでしたが、力みは感じられなかったような気がしました。楽友会ホールの聴衆のうなり声が聞き取れました。
@@伸加藤 6番の悲愴です。第一楽章が印象に残ってます。
@@伸加藤1978年のウィーンだと、チャイコフスキー5番ですね。
録音技術が変わって、演奏会場の空気感まで再現できるようになったら、また状況が変わるかもしれませんね。話は全く変わりますが、最近の演奏と昔の演奏、ということで言えば、「432Hz」問題もあるかと思います。意図的に基音Aが、432Hzから440Hzに変えられてしまったと聞いています。
生身の人間の発するものより、テクノロジーで操作された人工的な物の方が、人間の心や感情を揺さぶるようになったら本当に悲しい。人間は、コミュニケーションの生き物。人間同志のやり取りこそ、心を本当に豊かにする、と私は思ってます。行き過ぎた技術の発達は、真の豊かさを遠ざけます😢
「朗々と歌う」「朗々と響かせる」という言葉がぴったりですね。私はオーケストラをよく聴きますが、オケは音源(ヴァイオリンの駒や管楽器のマウスピース)のようなもので、ホールが楽器の本体だと思っています。だから、ホール全体を豊かな響きで鳴らすことができないオケは貧弱で直接音が鋭く聞くに堪えない音になってしまいますね。日本のオケが欧米のオーケストラと比べてここが弱いので感動する演奏が少ないのだと思っています(もちろん例外はありますが)。車田先生のおっしゃるように、録音すれば今の技術ではどうにでもなりますからね。テレビの放送やCD録音などではエンジニアがリバーブをかけたり音の加工をして響きを作るのでかえってホールの響きなどは邪魔になるのでしょう。それに慣れたオーケストラはホールを響かせる、などといったことはほどんど考えず演奏するのでしょう。日本のオーケストラには響きが無い、というか良い音で響かない(ことが多い)ようです。大きな音を出さずとも、豊かな響きで朗々と音を響かせることができれば、2000人の聴衆全員を感動させることができますね。だいぶ前ですが、東京文化会館で聴いたウィーンフィルの響きが忘れられません。
幅広い視野からの考察に学ばせて頂き感謝してます。このお考えに賛同します。これからの演奏家はAi演奏家とも比較されると思います。四方八方から音が届いてくる可能性があります。音質の概念も変化するかもしれません。現時点では車田さんの考察、研究は凄く役に立ってます。ありがとうございます。👌🙏😌✨
深く納得しました生演奏での感動が録音では再現されない理由がよくわかりました♪逆に録音ではものすごくいい演奏なのに生を聴きに行ったらアレ?と思う体験も音の力の差によるところですね
カラヤンのレガート演奏を、「音を飾り立てる商業主義」みたいに批判する人もいたようです。ふつうに美しい演奏だと思って録音を聴いていた私には、何のことか分かりませんでした。車田さんの解説で、かなり的外れの意見だったことが分かりました。演奏者の意見には、重みがあります。ありがとうございます!
素敵な内容、感動しました!どうもありがとうございます🎻
どうもありがとうございます😊😊
話が逸れますが、ビートルズ(とジェフ・エメリック)は音作りにかなりこだわっていたようですね。
難しいですね^^;; 芸術は時代を映す鏡とも言われますし、聴衆の要求や鑑賞環境の変化により演奏スタイルも変わってきているのだと言うこともできると、個人的には思います。例えばベルリンフィルを例にすると、カラヤンの時代には「フルトヴェングラーの頃は良かった」と言われ、アバドの時代には「カラヤンの頃は良かった」と言われ、ラトルの時代には「アバドは良かった」と言われ、今は「ラトルは良かった」という人もあるのでしょうね^^;;;
素っ気ない演奏と辛口な音楽評論家たちから、よく酷評されたカラヤンでも、演奏においてはレガートをとても重視していましたね。今、カラヤンの演奏を聴くとオケの音が厚く、滑らかですね。とりわけ、レガートを重視しているので、弦楽器セクションの音が厚くて迫力があります。カラヤンが亡くなった時、一部からはすぐに忘れ去られる指揮者と言われましたが、今でもカラヤンは聴かれ続けていますね。テクニック面では優れても、音に迫力と滑らかさが欠け気味の現代のオケとは違う別の世界がカラヤンの演奏にあるからでしょうね。
こんにちは。いつも拝聴しております。声楽を趣味で習い始めて2年。レガートに歌うようにと注意を毎回受けますが、それは、想像をはるかに超えるレベルのお話だと知り、身が引き締まる思いでおりまして、真摯に取り組んでいかなくてはと。がさつな、いいかげんな己を恥じました。
とても良いお話しありがとうございます。趣味で声楽と合唱を長くやっておりますが、今回のお話しは大変勉強になりました。ありがとうございます💕
生演奏に勝るものはないと思います。音は、空気を通り振動して、響くのです。RUclipsもCDも録音した時点ですでに純粋な音でなく、電子にかえられてますから。実際の生演奏とは違うものになっていると私は思います。レガートは音楽にとってとても大切なことだと私は思います。次の音につなげて流れるようなメロディラインの為には大切なことではと、私は思います。歌手の方にしても生演奏と録音は違います。舞台でお聴きしたとき、マイクなしで本当に響く素晴らしい声それは録音ではわかりにくいと思います。私もRUclips、CDで聴いたりしますが。
興味深く拝聴しました。ピアノを学習していますが、以前にレガートの大切さを教えられ、ピアノを再開してノンレガートの大切さを感じています。ピアノは管弦や声と違うので、様々な音の出し方を使ってメリハリをつける方が音色にも表現にも幅が出ると思うのですが…ノンレガートも美しく弾くのはとても難しいです。どの程度ノンレガートにするのか、細かいコントロールが必要ですし、1つ1つの音が美しくないと当然ですが美しいノンレガートにはならないからです。今回のお話は少し意外な内容でした。音を響かせるためにペダルを多用するピアニストが多いように感じていたので、ノンレガートの美しさにこだわっているピアニストはまだ少数派だと思っていました。
私は最後は演者の心だと思いますね。 なぜ、今、私がこの曲をやっているのか。ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは有名ですが、なぜウィーンフィルがウインナワルツを演奏するのか動機は問うまでもありません。 なぜ柔道日本と言われるのに勝てないか。英国はサッカーも国際大会で優勝できないし、伝統のウインブルドンでも勝てず、でも発祥の地のプライドはある。若いドイツ人ピアニストtがドイツ人にとってベートーベンを演奏することがいかにプレッシャーかを語っていました。 特に日本人は楽譜通りの演奏でなかったり、演奏がドイツの伝統的でないと苦情をいわれるそうです。 お手本が好きな日本人の熱心さですね。 日本人はドイツ物が好きで多くの留学生はドイツ語圏に行く。 ニューイヤーコンサートも昨年はヴェルザー=メスト、今年はティーレマンとドイツ語圏の指揮者が戻ってきました。 自国の文化のものをどう伝えるかの伝統はその国が守るものでしょう。伝統だけでは勝てませんけどね。
オルガンではレガートやスタッカートはあまり無く最小単位の音の並びでテヌートやメゾスタッカートで演奏しています。これをそのままピアノで弾いて輪郭のはっきりしたアーティキュレーションに聴こえると思います。
ホロヴィッツの音に関して言えば、調理師のフランツモアさんの存在も大きかったと思います。鍵盤を浅くしたりハンマーに塗って固くしたり、弦をヤスリで削って薄くしたりと。後年ホロヴィッツのピアノが巡回した際は弾いた人がホロヴィッツの音を出せたらしいです。そういったピアノそのもののメカニックの理解も含めて偉大ですが。リヒテルに関して言えば、彼自身は正式なピアノ教育は受けておらず劇場のピアノ弾きとしてほぼ独学であったそうです。そしてゲイリンヒネイガウスに最終的な指導を受けた分けですが。何よりリヒテル自身が企画外の器の持ち主でネイガウスが何も矯正しなかったのも幸いしているのでしょう。ピアノ的な語法ではなく全音楽的な演奏が音を生み出せたのでしょう。現代の音楽 古楽器演奏の隆盛など。個人的には大巨匠時代からの反動のように感じます。だって未だにフルトヴェングラーが最高ですもん。演者としてみたらいつまでも付き纏う亡霊みたいなものです。ピアノに関してもホロヴィッツのスタイルからの脱却からかポリーニの現代的な演奏スタイルに変わっていきました。音楽に限らずあらゆる文化やスポーツがなんというか 主観的や個性的なものを拒絶してリスクを負わず安定していてミニマルなものになっているのかもしれません。テクノロジーの発展なのか人間力の低下なのか分かりませんが。AI時代と言われる今だからこそクラシカル音楽の持つ価値は大きいと思います。
全く、その通り‼︎人間の感情は、人間でしか伝えられない。電子や電波で伝えきれない物を、人間は伝えることが出来る。最もそれが出来るのが、生身の人間の歌声。次に、天然素材の楽器。私は、そう思っています。だから、クラシック音楽に惹かれるのです。😊❤😊
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録音に関して言うと、多くの制約がある昔のシステムで聴かせるための工夫が今は不要になり有りのままがいいという方向性だ。単純に言うと、マイクが近くて鮮明に取り、ダイナミックレンジを圧縮して音圧を上げていた。最近の録音ほどピアニシモが正直に小さすぎて一般家庭だと聴きにくい。演奏そのものは昔の演奏と今の演奏を時空を越えて並べて聴き比べることは出来ないので、記憶補正が免れない。そして、理想の演奏が別に有るなら実践有るのみ。
なるほど、レガートですか… 音と音の繋がりかぁ… その間に「休み」はない、かぁ… 確かに! 私は、社交ダンスを少しばかり、楽しんでいるんですが、一流のプロの踊りを見てても、「うまい」のは、良く見ますが、なかなか、綺麗に踊られている姿は、目にしません。ましてや、美しさを感じるなんて、極々たまにしか、ありません… ある時に、気が付いたんです。綺麗なダンスは、かかっている曲と、すごく合っていると。その足の運びの一歩一歩は、音楽のリズムに合わせるのは、当然ですが、その「足の運び」「右足から左足への体重の移動」「体の上下」等々が、すっごくスムーズなんです。そっかぁ、もともと人の動きは、アナログですもんね。なんかはっきりしませんが、大切なモノを、教えて頂けたような気がします。ありがとうございます。
この問題について丁寧に説明していただきありがとうございます。
ピアノもレガート・マルカートと言う奏法がありますねこれにスタッカートとスラーが基本奏法かな
録音は音色までも編集してしまい、もう、何が本当かも分からなくなってしまいます💦RUclipsでは、編集しすぎてお風呂の中で演奏しているかのようなものもよく見かけます😥
レガートといえばカラヤンでしょうか。途切れない音の流れですが、美しすぎますよね。
@@伸加藤 カラヤンを批判すいることで「通ぶる」評論家は存命時のほうが多く蠢いていたと思う。小澤さんも結構叩かれていたよ、昔は。「フルートがチャルメラの音に聞こえる」とか酷い評論をしていた高名な評論家がいたよ、愚かしいことだが。
レガートと聞いて、カラヤンを思い出しました。インタビューで、何度も、レガート、レガートと繰り返していました。
昔は一発撮り、カラヤン先生になってからは『各パートの響きが足りない』からいくつかのテイクを切り貼りしたりイコライザーで調整したりし始めましたよね?先日小澤征爾先生がお亡くなりになりましたが、魂を震わされる演奏家が最近減っている気がします。カラヤン先生がバイオリン奏者のムターさん、当時新進気鋭のエフゲニー・キーシンくんを掘り出して名演奏にじんときました。キーシンくんを暖かな眼差しで棒を振っていたカラヤン先生の表情が映像がなんとも優しくて暖かみを感じました。チェリビダッケ先生はレコーディングを嫌ってライブにこだわりましたよね?そしてものすごいテンションでオケを引っ張りあげてものすごい感動を覚えました。ブルックナーの交響曲のたっぷりとしたレガート奏法やしっかり曲を研究して練られた演奏は(カルロス・クライバー先生や朝比奈隆先生の演奏は特に)重厚感、パワフルだった気がします。小澤征爾先生のマーラーの9番(ボストン交響楽団さよなら公演)の消え入るようなピアニシモはたくさんの聴衆を感動させましたよね?逆にヴィヴァルディの『四季』はカラヤン先生は敢えて小編成で、カラヤン先生がチェンバロ引きぶりはグッドアイデアだったと思います。多くの聴衆のためにバッハのインベンション、平均律クラヴィーア曲集を弾くにはノンレガートでやってしまったら切れ切れになってしまいますよね?グールド先生は『スタジオ録音だから』敢えてノンレガート、オリジナル奏法をやったんですよね?佐渡裕さんフジコ・ヘミングさん、辻井伸行さん、そして師匠であるタカヒロホシノ先生もプロフェッショナル演奏家コンクールにチャレンジして世界デビューを果たしたそうです。ハンガリー留学なさってデビューなさった頃からすごいと思いましたが、魂の演奏家が増えてほしいです。パヴァロッティさん、カルーソーさんのような感動する音楽がこれからも残ってほしいです。
すべてのアートに共通する内容でした。
とても心に引っかかっていた事を見事に言い当てて下さいました。ありがとうございました。
クラシック音楽で同じ曲の聴き比べがあるように。そう下手とか上手とか音量とかじゃない、なんだろう表現が難しいですね。聞いている曲が自分を陶酔および高揚感にさせてくれる音。ありますね。ライプツィヒ放送交響楽団の音色が格別ですね。
カラヤンの練習風景の動画で、「レガート、レガート」と言う場面が多いですね、以前はレガートって何のこと? タイやスラーとは別のもの? と思っていました。 今でも明確な違いは分かりません。なんとなく違う様な気がするだけです。 一昨年、サントリーホールでブラームスの4番を聴いた時ですが、冒頭の切々と訴えるように始まる音が、あっさりと演奏され、大変事務的な感じがして。以降最後までつまらない演奏だったなとがっかりした事がありました。レガートしなかったのかな?
とても興味のあるお話しでしたがその録音ではわからなくてもの一応両方の演奏を聴きクラバテみたかったです。
論点は少しずれますが、昔のように巨大な編成で、全員が情熱的な弓使いをしているパワフルなオケも見たみたいですね、今の澄んだ音も美しいですが。私は若い世代なので生で聞くことは叶わないですが、カラヤン、ベルリンフィルの映像を見ているととにかく編成が巨大かつ全員男性でどのような音がしたのか非常に気になります、、。
レガート、難しいと思います。限られた時間の中で、アマチュアが楽器に慣れ親しもうとする時、ノンレガートに傾いてしまうのは、ある意味仕方がない、と、諦めるしかないのかという結論に帰着してしまいます。残念です。
レガートは確かに音楽にあってほしいものですよね。でも私がこよなく敬愛するのは、マルカートのセルです。セルの演奏は、不滅だと思います。カラヤンとか素晴らしい演奏も多々ありますが、70年代、80年代のベートーヴェンとかデジタルのファルスタッフとかちょっと勘弁してほしい。何でもかんでもレガートで演奏すればいいと言うものではないいい例だと思います。でも自分にとってポリーニのレガートは、かけがいのないものです。
同じくセルの演奏が一番好きです。特にモーツァルトはセル以外ではほぼ聴きません。唯一カールベーム位でしょうか…カラヤンの演奏は若い時の演奏は好きなのですが全盛期の頃は何故か馴染めないんです。その理由が何とかなくわかりました。本来レガートで演奏しなくてもよいものまでレガートで演奏し、必要以上に美しさばかり迫ってくるからかな?と思いました。曲によっても違う面多々あると思います。レガートの魅力を持に感じるのはブラームス交響曲4番とシューベルト未完成かな。個人的な感想です。
@@しきたか子 セルを好きな方とお話しできるのは大きな喜びです。セルが癌末期にも関わらず来日して素晴らしい演奏を残して半年余りで亡くなりました。わたしは子供だったけれど親を亡くした時の何倍も号泣したのを覚えています。もし、モーツァルトがお好きならマッケラスなんてどうですか?ピリオド楽器のアプローチですけれど自分はこればっかりです。
私もセル好きの方を発見するとテンションが上がります😊ライブインジャパンは愛聴盤です。マッケラスはまだ未聴ですので聴いてみますね。存命の指揮者でセルのようなタイプを探すのが困難だなと残念に思ってます。まさに唯一無二の素晴らしい指揮者です。カラヤンでさえ頭が上がらなかったとか。
ベートーベンのピアノ協奏曲3番で、若い女性オーボエ奏者の金子亜未さんが、よく通る音で、その時のピアノ奏者の田部京子さんを圧倒してしまったように聞こえたことに驚いたことを思い出しました。
当時は新日本フィルで、今は読響に移籍している金子亜未さんですね。私が非常に注目しているオーボエ奏者です。彼女は太目の音でビブラートをしっかりとかけて吹くのですが、最近はこのようなスタイルで演奏する奏者は珍しくなってしまったかも知れません。
@@kohhorota7403 名前、間違っていましたね。昨年末、仲道郁代さんと共演されたようでしたが、どうだったんでしょうね?その日、仕事を終えてネットを見てたら、丁度その公演の終了時刻で、非常に悔しい思いをしてしまいました。
どの楽器でもレガートで演奏することは「しんどい」んではないでしょうか?。 カラヤンが「レガートレガート」と言う映像は見た事がありますが、オーケストラはたいへんだろうなあ、と思いました(^^) 貴重なお話をありがとうございました。
昔 ピアノの演奏家の人が強く叩くより優しく叩く方が難しいって言ってました。
私、レガート習いました!私の先生、本物なので!👍💖😆どんなにスローなテンポでも、レガート出来る先生です!💖👍🤗鷲づかみ鷲づかみ!( ̄ヘ ̄)エヘン!!私も一生懸命練習しました私の先生、CD出さないけど、超絶上手いです!先生、海外のディプロマ持っていま〜す!💖👍🤗
あくまでも感覚的な推測ですが、気になるのはジュリアード音楽大学の影響だと感じる。以下は余談です。ヨーロッパの教会、城などのような響きのある場所での古楽器演奏を聴きたくなりました。オペラのホールも当時のような物は1つだけ、確か北欧のどこかの国に残っていたような。古楽器を見直すキッカケは、従来の演奏では観客が熱狂しないのは何故だろうと。ビートルズなどのように。今まで聞いたことのない音楽による、自分の感覚とのズレ、それが熱狂的な感覚を引き出すだろう。モーツアルトのピアノソナタを色々と聞いていると、昔のピアノの物が良いなと感じ、フォルテピアノを聞いてみたけど最近の演奏家では今ひとつ。何度も聞いている曲だからでしょう。レオンハルトもバッハの演奏回数を抑えているということです。
ブルックナーのGPは無音ではないこれですかね
もしかしたらホールの改良とか進化もあるかも知れませんね。でもヨーヨーマのチェロのppがホールの隅々まで浸透するのを感じた時は天上の音楽に感じられました。😊PS 今回の先生の講話は若いブラスの金管ボーイズガールズに聞いて欲しいですね。
立場が違うと考え方も色々あって勉強になります!個人的にはストラディバリウスなんかを改造して鉄の弦を張って爆音で鳴らしているほうが理解できませんし、オーケストラで同じ楽器を重ねて同じように演奏するのもむしろ機械的に感じます。オーディオで「海苔波形」なんて揶揄される、レンジを潰してパワーを稼ぐ編集技術があるのですが、目的は動画内でおっしゃっているレガートの目的と同じです…価値観は人それぞれだとして、レガート良しという価値観は単に商業的に成立させやすいように聴衆の耳を慣れさせたというだけなのではないでしょうか?…って、これが古楽演奏家の方々の言い分ですかね😂
オリジナル楽器の批判のコメントを書き込み数々のコメントを寄せて頂き車田先生にご迷惑をおかけしてはイケナイと思い削除させて頂きました。数々の演奏会を聴きに行き空席が目立つ会場を見て嘆いていました。また、最近のCDの新譜を購入して聴いてても、どれも同じだなぁっと感じたからです。数々のコメントを寄せて頂きありがとうございましたm(_ _)m
ポメロ、我が家もみんな好きです❤️ただ、むくのがめんどくさい。あと、生ゴミが一気に増える😂これさえ無ければねぇ🥴
話が逸れるかもしれませんが、共有弦を持つチェンバロはレガート奏が出来ます。チェンバロの時代はノンレガート奏法しか無いという固定概念はもう過去の遺物です。奏法の流行に倣わなくては入学試験もコンクールも評価されない。逆に言われた通りにすれば評価される。評価されるには不勉強でモノを知らない方が楽なようです。そこで何のために音楽をやってるのか。というところに立ち戻りますね😊
各楽器によるレガート奏法と、音がつながったレガートでは意味合いがまたちょっと違いますね。
車田さん→オペラだけではなくミュージカルも触れてほしいです!
なぜミュージカルなんですかー?
こちらこそ、ありがとうございます😊
もの凄く揃っていてとても上手なのに、なんとも空虚でつまらない演奏の正体がそれですよね。
巧さばかりが伝わってきて、肝心の感情や曲の魅力が伝わって来ない演奏を良く耳にします。
音の力のなさをごまかすためなのか、音の力があるように見せかけるためなのか、会場のキャパを超えた耳障りな爆音も良く耳にします。
演奏に携わる人が皆、音楽にとって大切なものは何なのかを見つめ直す時なのかもしれませんね。
私はサクソフォンですが、車田先生から教わったことから、励ましとなった事が一つ、または、益になった事が一つあります。
まず、励ましとなったことは、元々マウスピースを極端に深く差し込むチューニングで、リードを全く噛まないアンブシュアで、音程は楽器のキーの運指に寄らずに声楽と同じように喉で歌うことで制御されているので、先生の「喉を下げる」の講義が私の理想と一致していたことです。
そして最も益となったことは、レガートでした。「何もないところから音が始まり、何もないところに消えてゆく」。これはタンギングを一切行わない演奏方法へと私を誘いました。
また、静寂の中には歌があり、詩やメロディーを探し求める大きな力が常に働いています。
今日のプログラムはその復讐となり、自分の方向性を承認し、強力に後押しするものでした。
ありがとうございます。
また、これらの技巧的なパワーの他、もう一つ忘れてはいけない「パワー」があります。
ドイツの教会も今は四旬節かと思いますが、あと数週間で復活祭ですね。
その時私たちは、使徒言行録1章8節を読むでしょう。
そこには、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなた方は『力』を受ける」とあります。
近年は、このパワーを受け取ろうとしない人が多いのではないでしょうか。
今日と昔の最も大きな違いは、このような内面的なことだと思います。
「心の貧しい人々は、幸いである」とありますが、今日私たちは物質的にも非常に満ち足りているために、自分の心の貧しさを自覚しようとする人が少ないのだと思います。
いつも有難うございます。
レガートの大切さ、わかりました。いつも車田先生は「本当に勉強した人」の話をされますが、我々の知る由もないところで、ものすごい研鑽を積んで演奏し、聴衆を魅了しているのだなーとの思いが強まります。
録音では、判別が難しいということも、車田先生のお話でわかりました。
素晴らしいピアノ演奏を聴くと「あら!弦楽器みたい」と思います。音と音がつながって、すーっと心に入ってくるのですね。
一番下っ端で練習する私も少しでも心がけたいです。そのために👂耳をよくして。
本日たまたま、車田さんの動画を、騒音の激しい中(私は熱帯地方暮らしで、部屋の扇風機が、中華料理屋の換気扇並にうるさいんです💦)で聞いてました。ルームシェア&近所との距離も近いので、あまりスピーカーの音量が上げられない中、他のPodcastのナレーションの声や話し方はなかなか聞こえづらいです。しかし車田さんの語りは、音量を上げていないのに一言一言しっかり聞こえます!!声のプロは、歌でなくとも常に力のある声を出しているんだと実感して、驚きました!!
ここ数年youtube での中継演奏をよく聴いていました。
昨夏、あるクラシックコンサートの生演奏を聴いて便利なyoutube も生には敵わないな、と強く感じました。
また、録画(録音)に映える演奏法が生演奏とは違うことにも気がつきました。
いつもありがとうございます😊
私もこれを凄く感じます。
やはりアナログ思考、アナログスタイルは無くしてはいけないなと思います。
音楽のみならず色々なジャンルも薄っぺらくなってる傾向があるように感じます😆
ありがとうございます!
どうもありがとうございます😊
@@kazuhisakurumada 喉を下げること、腰の支えから来る自然なヴィブラート、レガート、などなど、感謝いたしております。今も毎日4時間の練習を続けておりますよ。ありがとう!
RUclipsにアップされていたBachのピアノレッスンを思い出しました。
「当時のクラヴィーアを想像しながら表現するのか」
「現代の楽器・コンサート会場にアップデートした表現をするのか」
演奏家として、その2つの選択肢があるという内容でした。
昔は、前者で弾くのが正しいと思っていましたが、最近では、後者の方の方が好きです。
単純に好みが変わったのかもしれませんが、演奏家の努力がそれぞれで垣間見えて面白いです。
すごく良く分かります。音楽の感情が伝わらない音楽は、ただの頭の中の教養的なものになってしまいますよね。ホールの大きさは、商業的に続けていけることと、音楽で味わう感動両方にかかわってきます。バロックをピアノでやるなら、レガートは必要かと思います。車田さんのお話はとても納得できます。
私は音楽の消費者ですので、車田さんとは違って極めて単純に「好きか嫌いか」が全てですが、過去に感銘を受けた演奏というのは間違いなく音に惹かれました。
おおよそブラームス以前の音楽を念頭に今回の解説をお聞きしますと、これはかなり意見が割れるんじゃないかと思いました。しかし現代でも後期ロマン派の楽曲は盛んに演奏されているので、車田さんがおっしゃるようなレガートの習得は演奏家にとって必要不可欠のはずだと思うのですが、残念ながらそうではない状況になってきているのでこのような問題提起をされたと推察いたします。本物のレガートを獲得すれば、レガートしない時でも魅力的な音になるって事でしょうかね。
録音技術の発展を喜ばしく思う反面、
生音そのものの価値が見失われつつ
あることに、気付かされました。
オーディオでの音体験も良いですが
オーディオ音に慣れてしまわぬよう、
小さなホールでの生演奏をこれから
沢山体験していきたいなと思います。
いつも貴重な学びや大切な気付きを
いただき、ありがとうございます✨
チェリビダッケがなぜ録音を否定していたのかがわかりました。
今、昔の車をしっかり整備して乗るとたまらなく楽しく、それが本来の車の魅力だと感じている人が多く、日本でも空前の旧車ブームです。しかし、旧車を維持し運転するには正しい理解と運転技術が求められ、誰でも旧車を所有できるわけではありませんし、何より車への愛が不可欠です。そうして会得した旧車の楽しさは最新の車では決して味わえません。
車田さんのお話を聞いてそんなことを思い出しました。
音量でなく音の力ですね。
アナウンスでも伝える力が重要で、基本は伝えるべき内容を正確にとらえ、確かな技術で表現することですが、音楽は演奏者の感情が問われると思います。
最近5人の方が同じ曲を弾かれているのを自分がどんなふうに弾きたいかという視点で聴き比べてみました。最後に聞いた昔の方は車田先生の仰ってる音の力があり惹き込まれる演奏でした。技術力は音のもつエネルギーだということが理解できる演奏でした。後付で理由がわかる動画でスッキリしました。
美しい演奏…レガートですか…なるほど。納得です。
「時代を考えて。この時代の曲はこういう演奏ではない」はよく聞く演奏指導の言葉です(特にバロック時代)。間違ってはないです。過去の作曲家の楽譜は、出版されることを目的として書いていないんだろうなと思うくらい演奏指示がなく、逆に現代音楽なんかでは演奏の指示記号だらけで、演奏家の自由が利かないものもある、と聞きます。では、今の楽器で、演奏会場で、技術であれば、バッハはどう曲を書いたのか、演奏するように指示するのか。それを想像して演奏するのも、面白い気がします。
そういえばたしかに、モーツァルトのクラリネット五重奏曲の、包みこまれるような安心感は、昔も今もレガートの価値を理解させてくれます。ノンレガートは考えられません。
拝聴しながら、日本の『能』と『レガート』との共通する緊張感の教えを思い出しました
音の持つ力❣️音色❣️
ね!ねい!ねいろ❣️この落差を克服しなくては音色は出せないと思っています。音の余韻❣️これは全音符であろうが32分音符であろうがその音価なりに持つモノ‼️それは発音される音の出だしから音価の最後まで音楽に溢れた音色と余韻のある音が出せるか⁉️更にそれを曲中の音楽表現にあった表現技術で表せるか❣️この点は昔の演奏家にはあったが近年の演奏家に足りないと感じてしまうことがママあるように感じています‼️残念だけど🫤
音楽表現の説明を例えを用いて素人に分かりやすく説明をしていただき感謝いたします。説得力があります。
ピアノで♩と♩をつなぐレガート演奏のレッスンとして、私のゆっくり歩く時の足を見てもらっています。先に1歩出た足ではなく、後に残った足に注目してもらい、その足がいつ地面を離れるか。(そのいつ、の微調整で音のつながり具合が変わる)
足踏みしてみる ⇒ その動作を次に指2本で真似てみる ⇒ 実際に音を出してみる。
また、ノンレガートもやってみると、普段しないような不自然な歩き方や足踏みになり、笑いが起こりますが、それまた指で真似て実際に弾いてみる。
その方法でイメージをつかんでもらっています。
他の楽器、歌も難しそうですね。練習、練習ですね💦
音そのものの力はやはり生演奏を聴かないと、感じられないことですね。
加えてレガートも失われつつあるものだとは意識していなかったので、
その2点、また新たな気付きのキッカケになりました。ありがとうございました!
演奏家は、ラクな技術習得に留める。技術革新により、演奏会場は大きく広く、録音技術は発達・向上する。聴衆は、生演奏を聴きたくても、日常の雑事で精一杯で、なかなかコンサートホールに足が向かない。その結果、CD💿やRUclipsで済ませてしまう。そして、音を聴き分ける耳が育たない。……みんなで安易な方向に流れているのですね😢
音楽に限らず、何でもそう。時代が進んで便利で快適な世の中になったけど(先進国は)、本当に価値のある大切な物を、私達は失いつつあるのですね😢
最近は、レガートの美しい曲よりも、速いテンポでリズムがはっきりしている曲が好まれている、という印象。気分が昂揚し、麻薬でも打ってもらったかのようにハイになる。何か、刹那的ですよね。そういう時代なのでしょうか?
せめて私に出来ることは、なるべく良い演奏を聴いて、力のある『いい音』を聴き分ける耳を養っていくことでしょうか。小さなことではありますが、そういった小さなことの積み重ねが、意外と世の中を良くすることに繋がるのかもしれません。そう信じたいです。
やはり音楽はアナログでいいし、ライブ(生)が一番なんですよね。逆に今はスマホで聴きたい音楽をすぐに聴ける良さもあり、クラシックを身近に感じることも良いことかと思います。
レガートのこと、改めて大切な表現法なんだと明日から練習で意識がより高まりました。
ありがとうございます🙇
ブルックナーの交響曲には、様々な版がありますね。朝比奈隆さんは、ブルックナーは原典版を使用することが私は良いと思います、とおっしゃっておられました。オーケストラの場合、指揮者の意向が影響しますね。カラヤンはレガート奏法を最も重視していましたね。テンポは、どちらかと言えば速いですね。チェリビダッケの場合、テンポがゆっくりしたものが多いので、好き嫌いがある方が多いように思いますね。生演奏に勝るものはありませんが、なかなか演奏会に行けない方は、録音、あるいは生中継で楽しみますね。現代はこの聴き方が出来るからいいですね。私がカラヤンの演奏が好きなのは、レガート奏法が生きた演奏が多いからではないかなぁと思います。果物、実物が気になりました。
何の楽器もできないし歌えない、更に楽譜も読めないですが、いつも興味深く動画拝見させて頂いております。
今回も興味深い内容でした。的外れかもしれませんが、「柔らかく周りを包み込みような響き」というお話と字幕が出て、レガートが出て、ピアノが出て、チェンバロが出て、バッハが出て、なおかつ車田さんがほかでもないドイツのご在住で、今回ほどオルガン(パイプオルガン)に触れてほしかったと感じた回はありません。西洋音楽史で恐らく人の声の次くらいに大切で、西洋人の音体験のベースになっているのではとも思われるのですが、日本ではクラシック音楽ファンでもなかなか聴かれないのではないでしょうか。
私はあまりコンサートには行かず専ら録音で楽しむことが多いので、お話を聞いて、素晴らしい演奏家の技術や技を堪能しきれていないのかな、と思いました。
スタイルとしては昔の演奏が好きなのですが、最近では少なくなってきているんですね。
昔のスタイルで演奏できる方がいなくなってしまうのでは…と危惧してしまいます。
厳選クラシックチャンネルのナコさんとの対談を是非聞かせていただきたいです。お二人とも大ファンです。
チェリビダッケは若いころから東洋哲学に惹かれ、ヨガや座禅をしていたそうだ。
彼は晩年仏教徒になり、参禅していたという。 東洋人でもない彼が、
それでキリスト教の音楽をよくやったもんだと思うが。 意識を保って切らないのが
座禅なので彼の音楽の本質はそこにあると思う。 要は呼吸を長くしてと意識を保つことなのだ。
彼の解釈は特別で、だからミュンヘンの人たちも、意識を保ち、呼吸を保ち、音を保つ、ことが
大変で1楽章でだいぶ疲れただろう。しかし今、ユーチューブであがっている彼の練習風景
を見ると、一流でないオーケストラでも、日本でもどこでも行って振り、合唱団と談笑しと、
今まで日本の音楽雑誌が作り上げてきた彼の、怖い、近寄りがたい、イメージとかなり隔たりがあり、音楽ジャーナリズムもレコード会社の陰、があったと感じております。
音の力で思い出したことがあります。
仕事で、百数十人規模の叙勲記念パーティーを開催したときのことです。
司会を某テレビ局出身の女性アナウンサーに頼んだのですが、立食形式でアルコールも出ていたので、会場がかなりガヤガヤしていたにもかかわらず、そのアナウンサーが「皆さま、壇上にご注目ください」と発すると、サッと会場が静まり、壇上に注目が集まるのです。
それも、マイクの音量も普通で、別に馬鹿でかい声を張り上げているわけでもないのにです。
会場の全員の耳の中にスッと綺麗にというか鮮明に入り込んで来るのです。
これがプロの声なんだなと感心しました。
発声の訓練や場数の経験から錬成された声は、やはり違うんですよね。
きっと、音楽も同じようなことがあるのでしょうね。
50年ほど前にウィーンでムラビンスキー・レニングラードPOの「悲愴」を聞く機会がありました。とてつもない音の大きさでしたが、力みは感じられなかったような気がしました。楽友会ホールの聴衆のうなり声が聞き取れました。
@@伸加藤 6番の悲愴です。第一楽章が印象に残ってます。
@@伸加藤
1978年のウィーンだと、チャイコフスキー5番ですね。
録音技術が変わって、演奏会場の空気感まで再現できるようになったら、
また状況が変わるかもしれませんね。
話は全く変わりますが、最近の演奏と昔の演奏、ということで言えば、
「432Hz」問題もあるかと思います。意図的に基音Aが、432Hzから440Hzに
変えられてしまったと聞いています。
生身の人間の発するものより、テクノロジーで操作された人工的な物の方が、人間の心や感情を揺さぶるようになったら本当に悲しい。
人間は、コミュニケーションの生き物。人間同志のやり取りこそ、心を本当に豊かにする、と私は思ってます。行き過ぎた技術の発達は、真の豊かさを遠ざけます😢
「朗々と歌う」「朗々と響かせる」という言葉がぴったりですね。私はオーケストラをよく聴きますが、オケは音源(ヴァイオリンの駒や管楽器のマウスピース)のようなもので、ホールが楽器の本体だと思っています。だから、ホール全体を豊かな響きで鳴らすことができないオケは貧弱で直接音が鋭く聞くに堪えない音になってしまいますね。日本のオケが欧米のオーケストラと比べてここが弱いので感動する演奏が少ないのだと思っています(もちろん例外はありますが)。車田先生のおっしゃるように、録音すれば今の技術ではどうにでもなりますからね。テレビの放送やCD録音などではエンジニアがリバーブをかけたり音の加工をして響きを作るのでかえってホールの響きなどは邪魔になるのでしょう。それに慣れたオーケストラはホールを響かせる、などといったことはほどんど考えず演奏するのでしょう。日本のオーケストラには響きが無い、というか良い音で響かない(ことが多い)ようです。大きな音を出さずとも、豊かな響きで朗々と音を響かせることができれば、2000人の聴衆全員を感動させることができますね。だいぶ前ですが、東京文化会館で聴いたウィーンフィルの響きが忘れられません。
幅広い視野からの考察に学ばせて頂き感謝してます。
このお考えに賛同します。これからの演奏家はAi演奏家とも比較されると思います。四方八方から音が届いてくる可能性があります。
音質の概念も変化するかもしれません。
現時点では車田さんの考察、研究は凄く役に立ってます。
ありがとうございます。👌🙏😌✨
深く納得しました
生演奏での感動が録音では再現されない理由がよくわかりました♪逆に録音ではものすごくいい演奏なのに生を聴きに行ったらアレ?と思う体験も音の力の差によるところですね
カラヤンのレガート演奏を、「音を飾り立てる商業主義」みたいに批判する人もいたようです。ふつうに美しい演奏だと思って録音を聴いていた私には、何のことか分かりませんでした。車田さんの解説で、かなり的外れの意見だったことが分かりました。演奏者の意見には、重みがあります。ありがとうございます!
素敵な内容、感動しました!どうもありがとうございます🎻
どうもありがとうございます😊😊
話が逸れますが、ビートルズ(とジェフ・エメリック)は音作りにかなりこだわっていたようですね。
難しいですね^^;; 芸術は時代を映す鏡とも言われますし、聴衆の要求や鑑賞環境の変化により演奏スタイルも変わってきているのだと言うこともできると、個人的には思います。例えばベルリンフィルを例にすると、カラヤンの時代には「フルトヴェングラーの頃は良かった」と言われ、アバドの時代には「カラヤンの頃は良かった」と言われ、ラトルの時代には「アバドは良かった」と言われ、今は「ラトルは良かった」という人もあるのでしょうね^^;;;
素っ気ない演奏と辛口な音楽評論家たちから、よく酷評されたカラヤンでも、
演奏においてはレガートをとても重視していましたね。
今、カラヤンの演奏を聴くとオケの音が厚く、滑らかですね。
とりわけ、レガートを重視しているので、弦楽器セクションの音が厚くて迫力があります。
カラヤンが亡くなった時、一部からはすぐに忘れ去られる指揮者と言われましたが、
今でもカラヤンは聴かれ続けていますね。
テクニック面では優れても、音に迫力と滑らかさが欠け気味の現代のオケとは違う
別の世界がカラヤンの演奏にあるからでしょうね。
こんにちは。
いつも拝聴しております。
声楽を趣味で習い始めて2年。レガートに歌うようにと注意を毎回受けますが、それは、想像をはるかに超えるレベルのお話だと知り、身が引き締まる思いでおりまして、真摯に取り組んでいかなくてはと。がさつな、いいかげんな己を恥じました。
とても良いお話しありがとうございます。趣味で声楽と合唱を長くやっておりますが、今回のお話しは大変勉強になりました。ありがとうございます💕
生演奏に勝るものはないと思います。
音は、空気を通り振動して、響くのです。
RUclipsもCDも録音した時点ですでに純粋な音でなく、電子にかえられてますから。
実際の生演奏とは違うものになっていると私は思います。レガートは音楽にとってとても大切なことだと私は思います。次の音につなげて流れるようなメロディラインの為には大切なことではと、私は思います。歌手の方にしても生演奏と録音は違います。舞台でお聴きしたとき、マイクなしで本当に響く素晴らしい声それは録音ではわかりにくいと思います。
私もRUclips、CDで聴いたりしますが。
興味深く拝聴しました。
ピアノを学習していますが、以前にレガートの大切さを教えられ、ピアノを再開してノンレガートの大切さを感じています。
ピアノは管弦や声と違うので、様々な音の出し方を使ってメリハリをつける方が音色にも表現にも幅が出ると思うのですが…
ノンレガートも美しく弾くのはとても難しいです。
どの程度ノンレガートにするのか、細かいコントロールが必要ですし、1つ1つの音が美しくないと当然ですが美しいノンレガートにはならないからです。
今回のお話は少し意外な内容でした。
音を響かせるためにペダルを多用するピアニストが多いように感じていたので、ノンレガートの美しさにこだわっているピアニストはまだ少数派だと思っていました。
私は最後は演者の心だと思いますね。 なぜ、今、私がこの曲をやっているのか。
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは有名ですが、なぜウィーンフィルがウインナワルツを
演奏するのか動機は問うまでもありません。 なぜ柔道日本と言われるのに勝てないか。
英国はサッカーも国際大会で優勝できないし、伝統のウインブルドンでも勝てず、
でも発祥の地のプライドはある。
若いドイツ人ピアニストtがドイツ人にとってベートーベンを演奏することが
いかにプレッシャーかを語っていました。 特に日本人は楽譜通りの演奏でなかったり、
演奏がドイツの伝統的でないと苦情をいわれるそうです。 お手本が好きな日本人の熱心さですね。 日本人はドイツ物が好きで多くの留学生はドイツ語圏に行く。
ニューイヤーコンサートも昨年はヴェルザー=メスト、今年はティーレマンとドイツ語圏の指揮者が戻ってきました。 自国の文化のものをどう伝えるかの伝統はその国が守るものでしょう。
伝統だけでは勝てませんけどね。
オルガンではレガートやスタッカートはあまり無く最小単位の音の並びでテヌートやメゾスタッカートで演奏しています。
これをそのままピアノで弾いて輪郭のはっきりしたアーティキュレーションに聴こえると思います。
ホロヴィッツの音に関して言えば、調理師のフランツモアさんの存在も大きかったと思います。鍵盤を浅くしたりハンマーに塗って固くしたり、弦をヤスリで削って薄くしたりと。
後年ホロヴィッツのピアノが巡回した際は弾いた人がホロヴィッツの音を出せたらしいです。
そういったピアノそのもののメカニックの理解も含めて偉大ですが。
リヒテルに関して言えば、彼自身は正式なピアノ教育は受けておらず劇場のピアノ弾きとしてほぼ独学であったそうです。そしてゲイリンヒネイガウスに最終的な指導を受けた分けですが。
何よりリヒテル自身が企画外の器の持ち主でネイガウスが何も矯正しなかったのも幸いしているのでしょう。ピアノ的な語法ではなく全音楽的な演奏が音を生み出せたのでしょう。
現代の音楽 古楽器演奏の隆盛など。
個人的には大巨匠時代からの反動のように感じます。だって未だにフルトヴェングラーが最高ですもん。演者としてみたらいつまでも付き纏う亡霊みたいなものです。
ピアノに関してもホロヴィッツのスタイルからの脱却からかポリーニの現代的な演奏スタイルに変わっていきました。
音楽に限らずあらゆる文化やスポーツが
なんというか 主観的や個性的なものを拒絶してリスクを負わず安定していてミニマルなものになっているのかもしれません。
テクノロジーの発展なのか人間力の低下なのか分かりませんが。
AI時代と言われる今だからこそクラシカル音楽の持つ価値は大きいと思います。
全く、その通り‼︎
人間の感情は、人間でしか伝えられない。電子や電波で伝えきれない物を、人間は伝えることが出来る。最もそれが出来るのが、生身の人間の歌声。次に、天然素材の楽器。私は、そう思っています。だから、クラシック音楽に惹かれるのです。😊❤😊
@@sH-cr5zc
録音に関して言うと、多くの制約がある昔のシステムで聴かせるための工夫が今は不要になり有りのままがいいという方向性だ。単純に言うと、マイクが近くて鮮明に取り、ダイナミックレンジを圧縮して音圧を上げていた。最近の録音ほどピアニシモが正直に小さすぎて一般家庭だと聴きにくい。演奏そのものは昔の演奏と今の演奏を時空を越えて並べて聴き比べることは出来ないので、記憶補正が免れない。そして、理想の演奏が別に有るなら実践有るのみ。
なるほど、レガートですか… 音と音の繋がりかぁ… その間に「休み」はない、かぁ… 確かに!
私は、社交ダンスを少しばかり、楽しんでいるんですが、一流のプロの踊りを見てても、「うまい」のは、良く見ますが、なかなか、綺麗に踊られている姿は、目にしません。ましてや、美しさを感じるなんて、極々たまにしか、ありません… ある時に、気が付いたんです。綺麗なダンスは、かかっている曲と、すごく合っていると。その足の運びの一歩一歩は、音楽のリズムに合わせるのは、当然ですが、その「足の運び」「右足から左足への体重の移動」「体の上下」等々が、すっごくスムーズなんです。そっかぁ、もともと人の動きは、アナログですもんね。
なんかはっきりしませんが、大切なモノを、教えて頂けたような気がします。ありがとうございます。
この問題について丁寧に説明していただきありがとうございます。
ピアノもレガート・マルカートと言う奏法がありますね
これにスタッカートとスラーが基本奏法かな
録音は音色までも編集してしまい、もう、何が本当かも分からなくなってしまいます💦
RUclipsでは、編集しすぎてお風呂の中で演奏しているかのようなものもよく見かけます😥
レガートといえばカラヤンでしょうか。途切れない音の流れですが、美しすぎますよね。
@@伸加藤 カラヤンを批判すいることで「通ぶる」評論家は存命時のほうが多く蠢いていたと思う。
小澤さんも結構叩かれていたよ、昔は。
「フルートがチャルメラの音に聞こえる」とか酷い評論をしていた高名な評論家がいたよ、愚かしいことだが。
レガートと聞いて、カラヤンを思い出しました。インタビューで、何度も、レガート、レガートと繰り返していました。
昔は一発撮り、カラヤン先生になってからは『各パートの響きが足りない』からいくつかのテイクを切り貼りしたりイコライザーで調整したりし始めましたよね?
先日小澤征爾先生がお亡くなりになりましたが、魂を震わされる演奏家が最近減っている気がします。カラヤン先生がバイオリン奏者のムターさん、当時新進気鋭のエフゲニー・キーシンくんを掘り出して名演奏にじんときました。キーシンくんを暖かな眼差しで棒を振っていたカラヤン先生の表情が映像がなんとも優しくて暖かみを感じました。チェリビダッケ先生はレコーディングを嫌ってライブにこだわりましたよね?そしてものすごいテンションでオケを引っ張りあげてものすごい感動を覚えました。ブルックナーの交響曲のたっぷりとしたレガート奏法やしっかり曲を研究して練られた演奏は(カルロス・クライバー先生や朝比奈隆先生の演奏は特に)重厚感、パワフルだった気がします。小澤征爾先生のマーラーの9番(ボストン交響楽団さよなら公演)の消え入るようなピアニシモはたくさんの聴衆を感動させましたよね?
逆にヴィヴァルディの『四季』はカラヤン先生は敢えて小編成で、カラヤン先生がチェンバロ引きぶりはグッドアイデアだったと思います。
多くの聴衆のためにバッハのインベンション、平均律クラヴィーア曲集を弾くにはノンレガートでやってしまったら切れ切れになってしまいますよね?グールド先生は『スタジオ録音だから』敢えてノンレガート、オリジナル奏法をやったんですよね?
佐渡裕さんフジコ・ヘミングさん、辻井伸行さん、そして師匠であるタカヒロホシノ先生もプロフェッショナル演奏家コンクールにチャレンジして世界デビューを果たしたそうです。ハンガリー留学なさってデビューなさった頃からすごいと思いましたが、魂の演奏家が増えてほしいです。パヴァロッティさん、カルーソーさんのような感動する音楽がこれからも残ってほしいです。
すべてのアートに共通する内容でした。
とても心に引っかかっていた事を見事に言い当てて下さいました。
ありがとうございました。
クラシック音楽で同じ曲の聴き比べがあるように。そう下手とか上手とか音量とかじゃない、なんだろう表現が難しいですね。
聞いている曲が自分を陶酔および高揚感にさせてくれる音。ありますね。ライプツィヒ放送交響楽団の音色が格別ですね。
カラヤンの練習風景の動画で、「レガート、レガート」と言う場面が多いですね、以前はレガートって何のこと? タイやスラーとは別のもの? と思っていました。 今でも明確な違いは分かりません。なんとなく違う様な気がするだけです。 一昨年、サントリーホールでブラームスの4番を聴いた時ですが、冒頭の切々と訴えるように始まる音が、あっさりと演奏され、大変事務的な感じがして。以降最後までつまらない演奏だったなとがっかりした事がありました。レガートしなかったのかな?
とても興味のあるお話しでしたがその録音ではわからなくてもの一応両方の演奏を聴きクラバテみたかったです。
論点は少しずれますが、昔のように巨大な編成で、全員が情熱的な弓使いをしているパワフルなオケも見たみたいですね、今の澄んだ音も美しいですが。
私は若い世代なので生で聞くことは叶わないですが、カラヤン、ベルリンフィルの映像を見ているととにかく編成が巨大かつ全員男性でどのような音がしたのか非常に気になります、、。
レガート、難しいと思います。限られた時間の中で、アマチュアが楽器に慣れ親しもうとする時、ノンレガートに傾いてしまうのは、ある意味仕方がない、と、諦めるしかないのかという結論に帰着してしまいます。残念です。
レガートは確かに音楽にあってほしいものですよね。でも私がこよなく敬愛するのは、マルカートのセルです。セルの演奏は、不滅だと思います。カラヤンとか素晴らしい演奏も多々ありますが、70年代、80年代のベートーヴェンとかデジタルのファルスタッフとかちょっと勘弁してほしい。何でもかんでもレガートで演奏すればいいと言うものではないいい例だと思います。でも自分にとってポリーニのレガートは、かけがいのないものです。
同じくセルの演奏が一番好きです。特にモーツァルトはセル以外ではほぼ聴きません。唯一カールベーム位でしょうか…
カラヤンの演奏は若い時の演奏は好きなのですが全盛期の頃は何故か馴染めないんです。その理由が何とかなくわかりました。本来レガートで演奏しなくてもよいものまでレガートで演奏し、必要以上に美しさばかり迫ってくるからかな?と思いました。曲によっても違う面多々あると思います。レガートの魅力を持に感じるのはブラームス交響曲4番とシューベルト未完成かな。個人的な感想です。
@@しきたか子
セルを好きな方とお話しできるのは大きな喜びです。セルが癌末期にも関わらず来日して素晴らしい演奏を残して半年余りで亡くなりました。わたしは子供だったけれど親を亡くした時の何倍も号泣したのを覚えています。もし、モーツァルトがお好きならマッケラスなんてどうですか?ピリオド楽器のアプローチですけれど自分はこればっかりです。
私もセル好きの方を発見するとテンションが上がります😊ライブインジャパンは愛聴盤です。マッケラスはまだ未聴ですので聴いてみますね。
存命の指揮者でセルのようなタイプを探すのが困難だなと残念に思ってます。まさに唯一無二の素晴らしい指揮者です。カラヤンでさえ頭が上がらなかったとか。
ベートーベンのピアノ協奏曲3番で、若い女性オーボエ奏者の金子亜未さんが、よく通る音で、その時のピアノ奏者の田部京子さんを圧倒してしまったように聞こえたことに驚いたことを思い出しました。
当時は新日本フィルで、今は読響に移籍している金子亜未さんですね。私が非常に注目しているオーボエ奏者です。彼女は太目の音でビブラートをしっかりとかけて吹くのですが、最近はこのようなスタイルで演奏する奏者は珍しくなってしまったかも知れません。
@@kohhorota7403 名前、間違っていましたね。昨年末、仲道郁代さんと共演されたようでしたが、どうだったんでしょうね?その日、仕事を終えてネットを見てたら、丁度その公演の終了時刻で、非常に悔しい思いをしてしまいました。
どの楽器でもレガートで演奏することは「しんどい」んではないでしょうか?。
カラヤンが「レガートレガート」と言う映像は見た事がありますが、オーケストラはたいへんだろうなあ、と思いました(^^)
貴重なお話をありがとうございました。
昔 ピアノの演奏家の人が強く叩くより優しく叩く方が難しいって言ってました。
私、レガート習いました!
私の先生、本物なので!
👍💖😆
どんなにスローなテンポでも、レガート出来る先生です!💖👍🤗
鷲づかみ鷲づかみ!
( ̄ヘ ̄)エヘン!!
私も一生懸命練習しました
私の先生、CD出さないけど、超絶上手いです!
先生、海外のディプロマ持っていま〜す!💖👍🤗
あくまでも感覚的な推測ですが、気になるのはジュリアード音楽大学の影響だと感じる。
以下は余談です。
ヨーロッパの教会、城などのような響きのある場所での古楽器演奏を聴きたくなりました。
オペラのホールも当時のような物は1つだけ、確か北欧のどこかの国に残っていたような。
古楽器を見直すキッカケは、従来の演奏では観客が熱狂しないのは何故だろうと。
ビートルズなどのように。
今まで聞いたことのない音楽による、自分の感覚とのズレ、それが熱狂的な感覚を引き出すだろう。
モーツアルトのピアノソナタを色々と聞いていると、昔のピアノの物が良いなと感じ、
フォルテピアノを聞いてみたけど最近の演奏家では今ひとつ。
何度も聞いている曲だからでしょう。
レオンハルトもバッハの演奏回数を抑えているということです。
ブルックナーのGPは
無音ではない
これですかね
もしかしたらホールの改良とか進化もあるかも知れませんね。でもヨーヨーマのチェロのppがホールの隅々まで浸透するのを感じた時は天上の音楽に感じられました。😊
PS 今回の先生の講話は若いブラスの金管ボーイズガールズに聞いて欲しいですね。
立場が違うと考え方も色々あって勉強になります!
個人的にはストラディバリウスなんかを改造して鉄の弦を張って爆音で鳴らしているほうが理解できませんし、オーケストラで同じ楽器を重ねて同じように演奏するのもむしろ機械的に感じます。
オーディオで「海苔波形」なんて揶揄される、レンジを潰してパワーを稼ぐ編集技術があるのですが、目的は動画内でおっしゃっているレガートの目的と同じです…
価値観は人それぞれだとして、レガート良しという価値観は単に商業的に成立させやすいように聴衆の耳を慣れさせたというだけなのではないでしょうか?…って、これが古楽演奏家の方々の言い分ですかね😂
オリジナル楽器の批判のコメントを書き込み数々のコメントを寄せて頂き車田先生にご迷惑をおかけしてはイケナイと思い削除させて頂きました。数々の演奏会を聴きに行き空席が目立つ会場を見て嘆いていました。また、最近のCDの新譜を購入して聴いてても、どれも同じだなぁっと感じたからです。数々のコメントを寄せて頂きありがとうございましたm(_ _)m
ポメロ、我が家もみんな好きです❤️ただ、むくのがめんどくさい。あと、生ゴミが一気に増える😂これさえ無ければねぇ🥴
話が逸れるかもしれませんが、共有弦を持つチェンバロはレガート奏が出来ます。チェンバロの時代はノンレガート奏法しか無いという固定概念はもう過去の遺物です。
奏法の流行に倣わなくては入学試験もコンクールも評価されない。逆に言われた通りにすれば評価される。
評価されるには不勉強でモノを知らない方が楽なようです。
そこで何のために音楽をやってるのか。というところに立ち戻りますね😊
各楽器によるレガート奏法と、音がつながったレガートでは意味合いがまたちょっと違いますね。
車田さん→オペラだけではなくミュージカルも触れてほしいです!
なぜミュージカルなんですかー?
ありがとうございます!
どうもありがとうございます😊
ありがとうございます!
こちらこそ、ありがとうございます😊