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チェリビダッケの演奏会は80年代の来日に東京公演は全て行きました。初めての演奏会でのブラームス4番の時、出音の瞬間から最後まで美しさのあまり驚きで口が開きっぱなし、体も全く動けず、体だけでなく脳も心も魅了され、その夜は、寝ると素晴らしい今日が終わってしまうのがもったいないと興奮して朝まで起きて感動し続けていました。ベートーヴェンの運命の時は、サントリーホールで確か2時間半くらいかけてのもうそれはそれはゆっくりでしたが、縦のライン、ゆっくりな分、縦の全ての楽器の1音1音の和を聴くことができ、その縦の美しさといったら、名画を見ているような錯覚を覚え、うっとりいたしました。今でも忘れられない演奏会ばかり体験させていただきました。余談ですが、私も車田さんのコーヒータイムに一緒にコーヒー飲むことにしました(笑)。楽しい時間をありがとうございます。
訂正:5:03 チェリビダッケが来日したのはロンドン交響楽団の方です。
車田様、いつもありがとうございます。大好きなチェリビダゥケについて、田園がしっくりきたと聞き大喜びしました。私がチェリのライブは、3曲しか聴いていません。本当はブルックナーの9番だったのですが、ティンバニ奏者が怪我で来日できず、未完成と田園に変更になりました。田園の最初のフレーズが終わってからの休符が長くて、でも綺麗で、この前はじまらなくても良いとさえおもいました。どちらの曲も聞き飽きていたはずなのに全て初めて曲に聴こえました。私歯科医なのですが患者さんで沈まぬ太陽などの編集をされた新潮社の役員さんがいらしたのですが(故人).チェリのブラームスは説得力があるよなぁと、おっしゃっていました。本当に素晴らしい解説ありがとうございました。今後とも頑張って下さい。応援いたします
チェリビダッケのコンサートは3回体験しました。ブルックナー9番が当日田園と未完成に変更になりがっかり。しかし田園が凄くて(としか表現できなくて済みません)、終楽章の頃にはこのまま曲が終わらないでくれと真剣に思いました。こんな体験はあの時一度きりです。
チェリビダッケを取り上げていただき感激です。初めて聴いたのが、初来日の神奈川県民ホールで読売日響とのリハーサル(ブラームス4番)、再来日のローマの松も凄かった。ミュンヘンフィルとの1986年の東京公演でのシューマン4番、展覧会の絵、ブラームスの4番、ブルックナーの5番、全て伝説的な名演奏です!これらは私にとって、感動の原点であり生涯忘れられない演奏です。
同じ体験をした方がいてうれしくなりました。ブルックナーが田園になってしまってがっかりしていたらそれが素晴らしすぎて口あんぐり。ミュンヘンフィルの本拠地ガスタイクは東京芸術劇場っぽい場所なのでそれもよかったのかも。死後発売されたディスクの中ではチャイコフスキーをお勧めしたいですね。特に最初のリリースで「展覧会の絵」とカップリングされた「ロメオとジュリエット」!曲の価値自体を爆上げする素晴らしい演奏です。チェリの作った時間を密度バリバリの演奏で埋めた当時のミュンヘンフィルは本当に素晴らしいです。
チェリビダッケを取り上げてくださりありがとうございます! 数年前、NHKのドイツ語講座でミュンヘン・フィルの本拠地のホールを訪ねるという回があり、そこに来ていた地元の観客たちが口々に「ミュンヘン・フィルが素晴らしいのは、チェリビダッケのお陰だ」と功績を讃えていたのを思い出しました。団員さんたちは大変な思いをされたと思いますが、ミュンヘンっ子の誇りを生み出したのは、本当に素晴らしい!と思ったことでした。
😊😊
チェリビダッケがマーラーを演らなかった理由が何となく分かりました。自分が初めてチェリビダッケに触れたのは1981年の自作自演の秘密の小箱のLPです。高校生の時でした。今も手元にあります。未だに後悔しているのは行けるチャンスがあったのに来日公演に行かなかった事、生でブル八を聴きたかった。
初めてチェリビダッケ指揮のミュンヘンフィルの『新世界より』を聞いて以来、新世界はチェリビダッケ一択になりました。曲のどこを切り取っても素晴らしい演奏は何度聞いても飽きません。一度でいいから生で聞いてみたかったなあ・・・
初めてチェリビダッケによるブルックナーのロマンチックを聞いたときには、金管楽器奏者たちの肺機能に驚かされました。まさに、このような演奏を可能にするために、演奏者には大変な負荷が課されたものと思われます。でも聴衆の私は、そのゆっくり動く和音が大好きでした。今日のお話を伺い、何故好きになったのか、理由の一部がわかったように思います。ありがとうございました。
コップと水を使った音と音のつながりのご説明が、すごくわかりやすかったです!勉強になりました😄
もう40年以上前のことですが彼の演奏を初めて聴いたときはとても衝撃を受けたことを覚えています。曲は展覧会の絵で当時ビデオデッキなど高価なものは持っていなかったのでカセットテープに録音してテープが擦り切れるまで何度も聴いたことを今でも覚えています。もちろん彼は今でもお気に入りの指揮者の中の一人です。
モーツァルトのレクイエムというと、今までの経験から病的な感じがしてちょっと苦手だったのですが、おすすめのチェリビダッケ指揮のものを聴いたら先入観が少しとれました。序曲のゆっくりしたテンポ、すごくいいですね……。大海のうねる波みたいな……内声がクリアに聞き取れるし、低音の動きが気持ちいい。全体になんというか……すごく誠実さを感じました。余談ながらキリエはバッハのイ短調フーガ BWV889が元ネタかな? と思っていたのですが、ヘンデルに導入がそっくりの歌曲(長調)がある事を最近知ってびっくりしました。
チェリビダッケの来日公演を4回聴きました。その時、演奏とは体験なんだと強く感じました。田園の録音、最高です。
私の人生を変えたチェリビダッケ…それ迄クラシック音楽を聴かなかった人間に、『実演でこんな精緻な演奏が出来るのか!?)それは、まるで【スコアに記された音が全て聴こえる様な、美しく、柔らかく明瞭な演奏】にノックアウトされた瞬間でした…それ迄聴いていた歌謡曲、ロック、フォーク、ブルースではレコード→CDでもライヴでも殆ど聴けなかった演奏がNHK-FMラジオのロンドン響とのライヴで聴いた時に仰天しました… 【スコアの全ての音が立体的に美しくハーモニーを伴って聴こえる演奏】にやられた私は、当時【チェリビダッケ不足の禁断症状】に苦しみました…レコードが無かったからです。【ムソルグスキー・ラヴェル編/展覧会の絵】が始まりでした… 『テンポは空間である。』≒演奏するホールの響に合わせてテンポを決める。←これによって車田さんの【水の流れ】と共に全ての音を響かせる【ホール・アコースティック・チューニング】を体現した殆ど【稀有】な体験でした…カラヤン、ベーム等、当時の巨匠も聴きましたが…チェリに比べると『皆、荒く聴こえた。』のです。 当時、乾きを癒したのは、FM録音と、一回限りのチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの最後のサントリーホール公演のF.シューベルト/未完成とL.V.ベートホーヴェン/田園、生演奏体験でした。 今は幸せです。録画・録音であってもです。何と没後26年後にチェリビダッケの名録音【A.ブルックナー/第8番、リスボン ライヴ】CDが発売!狂喜乱舞しています。
😊 さっそくRUclipsでチェリビダッケの指揮するベートーヴェンの第7番を聴いて見ました。1975年の演奏のビデオですが、心地よいテンポに感じられました。カラヤンでこれを聴くと私にとってはあまりに速過ぎて何となく軽く聞こえてしまいます。
よくぞチェリビダッケにスポットライトをあてていただきありがとうございます。感謝感激です。日本公演「ミュンヘンフィル来日公演 サントリーH チェリビダッケ ブルックナー第7番 1990.10.18 東京」は貴重なライブ映像が残っています。ご高齢で椅子に座っての演奏ですが、「心を込めて」と自分のハートをつついたり、表情豊かな指揮ぶりで、最後はスタンディングオベーションでした。2年後の1992年のベルリンフィルでのブルックナー7番ライブもうれしそうな表情のチェリビダッケの映像が印象的でした。ラストは汗だくでペロリと舌を出しておられましたが、ベルリンの観客もスンディングオベーションでした。フルトヴェングラーのカラー映像が(当然戦中戦後なので)少なくて大変大変残念ですが、「真剣なまなざしで指揮をされる」チェリビダッケが映像で見られるのがうれしい限りです。個人的にはブラームスの演奏が迫力があって好きです。お話が大変分かりやすく心地よかったです!
チェリ最後の日本公演時に演奏したブル3の演奏の凄さは、なかなか言葉では表現しつくせないものがあります。あの響きは、サントリーホールを完全に異質な空間にしていました。あの響きを完全に収録するのは不可能ではないかな。録音嫌いなチェリなのですが、わかるような気がします。ちなみに一番実演に近い録音は、通称リスボンライブのブル8です。ワンポイントで収録し、殆ど手を加えていないこの録音が一番実演に近いのではと思っています。
1980年前後だったと思いますが、来日した時のオケはロンドン交響楽団だったと思いますこの時聴いたラヴェルのマ・メール・ロアは絶品で、生涯忘れられない演奏でした後年、ミュンヘンフィルと来日した折、ブルックナーの第4番「ロマンティック」をサントリーホールで鑑賞しました終楽章の非常にゆっくりとしたテンポにドキドキしながら、そして壮大な音の響きのエンディングに感動しました
ご指摘の通り来日した時はロンドン交響楽団の方ですね。訂正しておきます!
僕がチェリ様(個人的にそうよんでます。) の演奏を真剣に聴くようになったのは、ここ3年程のことなのですが、一度この人の演奏にはまってしまうと抜け出せない物があると思います。とにかくオケの響きがどんな時でも信じられない程美しく、音楽が大河の流れの様にゆったりと、力強く流れて行きます。まさにお話の中でもあったように、この音の洪水の中にずっと浸っていたいと思わせられます。録音嫌いとして有名な方ですが、ミュンヘンフィルと残された録音はどれも素晴らしい音質で、逆に録音メディアにとても積極的だったカラヤンにはそれほど音質的に優秀なものが余り多くないのが不思議な気がします。ミュンヘンイヤーのボックスは正に人類の遺産と言える物だと思います。
チェリビダッケは大好きな指揮者です!最後の巨匠だと思ってます!今回取り上げていただきありがとうございました。お話しを聞いていると嬉しくて泣けてきました。なぜあんな音楽をつくれるようになったかわかる気がしました。ありがとうございます!
またまた普通の音楽専門家からは普段名前が聞かれない芸術家のお話を伺うことができました。ありがとうございます。私はブルックイナー狂もいいところなのですが、特に『第五番』は何度聴いても身の毛がよだちます。数々の指揮者による三十枚ほどの「第五番」のCDの中でも、チェリビダッケが『シュトゥットガルト放送交響楽団』と1981年に録音したライヴの録音は正にこの世のものではない、聴いていて自分が溶けていくようなものです。彼のテンポは他の誰よりもゆっくりした時間を十分に抑えた素晴らしいものばかりです。お話しありがとうございました。いつも楽しんで伺っています。
チェリビダッケは一度だけ昭和女子大学人見記念堂で聴けました。曲目は、シューマンのピアノ協奏曲で、ピアニストはあのミケランジェリでした。夢の共演でした。僕がチェリビダッケを知ったのは、読響の指揮に来日した時の雑誌の記事でした。自作自演のレコード「秘密の小箱」がチャリティーで発売された頃だった。チェリビダッケを聴くのは、FM-NHKのライブの放送で、シュツットガルト放送響とのベートーヴェンの交響曲第5番、ブラームスの交響曲第4番は本当にビックリしてエアーチェックしたカセットテープで何度も聴きましたねー!
幸運にもチェリビダッケの実演を3度聴くことができました。ブルックナーの第4番と第8番、シューマンの第4番とムソルグスキーの展覧会の絵です。特にブルックナーの8番とムソルグスキーの展覧会の絵は忘れられない思い出です。
1980年の前後数年間、FM放送をよく聞きましたが、チェリビダッケは聞いてすぐ分かる「どれとも違う」演奏でした。まるで宇宙の律動や均衡というのか、中心を欠如した全体流動というのか、西洋音楽の枠に入らないかのようなタイプでした。オケは、フランクフルト放送SOとかロンドンSOでした。一時期、CDをほぼ全部処分したとき、処分しなかったのは、カザルスの10数枚とチェリビダッケの思い出(CDがなかったので)でした。その後、正規盤も大量に出て、伝記も読みましたし、RUclipsで映像もたくさん見られるようになりました。たとえば、チャイコフスキーは、情動過多な感じで好きでなかったのですが、チェリが、最も偉大な交響曲作家と呼んでいたので、改めて聞いて、びっくりしました。東京芸大に来て、学生オケを指導したときのエピソードも、すてきですね。最初の数音に何十分もかけて大変だったが、音が揃ったとき、これがあのオケか!というすごい音がしたそうです。
親戚が、読売交響楽団の演奏家ですが、一度チェリーと演奏したことがあるそうです。そのリハの凄まじさに驚いた、と言ってましたブルックナーも、チェリーが最高ですね!
1970年か71年、チェリビダッケさんがロンドン交響楽団と来日した時、演奏会に行きました。厳格な音楽に対する姿勢に驚き、感動しました。あんな指揮者は初めてでした。この動画を拝見して改めて納得することばかり。あの日の感動がよみがえってきました。ありがとうございました。
チェリビダッケの音楽は次元が違って聞こえますね。音の一音一音に霊が宿る感じが好きですね。
チェリさんの名演はいっぱいありますがやはり私にはブル8が印象的です。特にリスボンライブと呼ばれている演奏、日本でのサントリーホールでの演奏が印象に残っています。一時間以上の演奏にもかかわらもう一度最初から聞きたいと思わせるものです。音響のユニバースとでもいうのでしょうか。現代のオーケストラの見通しの良いサウンドは彼の影響が非常におおきいのではないかと思っています。次世代への扉をひらいた大きなパイオニアとして畏敬の念を持っています。
チェリビダッケへの素晴らしい解説ありがとうございます!1992年、確かシャウシュピールハウスでしたが、あのブルックナーは忘れられません。観客のなかには涙を浮かべて放心状態になっている人もおりました。私は《くるみ割り人形〉、《ロザムンデ》も大好きです。これではバレエは踊れないというテンポですが、まったく別の世界です。ドキュメンタリーで「美は餌にすぎない」と言っていたのが印象的で、哲学者、あるいは隠者という感じでした。機会がありましたら、私にとっての未来のマエストロの第一候補、テオドア・クルレンツィスについてもお話ししてくださると嬉しいです。
私も【くるみ割り人形】【ロザムンデ間奏曲】大好きです。『バレエ音楽なのに、こんなに遅けりゃ踊れない!』←『それが如何した!?』
楽しいお話し ありがとうございました。 音と音の結びつき ぜひ 聴いてみます。次のお話しも 楽しみに待ってます🎶
チェリビダッケは、ずっと幻の指揮者という感じで、晩年になって出てきた。私にとってのチェリビダッケはブルックナー、それも八番とかかな。あの遅いテンポは、ツボにはまれば精密で巨大な音楽になる。ブルックナー八番はフルトベングラー、ヨッフム、ギュンター・ヴァント、カラヤンなど名盤ぞろいだけど、チェリビダッケも十分存在感がある。
動画を拝聴して、早速Spotifyでベートーヴェン6番を聴きました。仰ったように豊かで美しい音色にずっと聴いていたい気持ちになります🎶それぞれの楽器が妥協なく存在感あるのですが、音色が素晴らしいいか調和されていて、逆に通常のテンポだと聴き過してしまいそうなベートーヴェンの極上のアンサンブルが満喫出来ます。これぞオーケストラの醍醐味です。他のベートーヴェンも聴いてみます!新しい音楽との出会いをありがとうございました。感謝致します。
1990年の3月にミュンヘンでチェルビダッケ指揮のミュンヘンフィルを聴きました。曲目は、シューベルトのグレートとベートーベンのピアノコンチェルトの3番。車田先生のお話を伺って、チェルビダッケの音楽の奥深さに感銘を受けました。チェルビダッケを聴けただけで単純に喜んでいた自分が恥ずかしいです。
待ってました❗️有り難う御座います❗️
初コメだと思います、確か(^^;)いつも勉強させて頂いています。チェリビダッケ氏はミュンヘンフィルとの「展覧会の絵」が特に印象に残っています。最初から「遅っ!でもすごく荘厳な演奏…」と素人ながらに引き込まれました。
いつも、もっとゆっくりと聴きたい曲だったので、良いことを知りました✨探してみます
多くの人が【遅い!】と忌避しますね…然し、冒頭の【プロムナード】、個展会場に向かうのに、大方の演奏の様に『サッサッサッ!』と軍隊の行進の様に行きますかね?プロムナード(回廊?)を散策する様を表現する時、チェリビダッケのテンポが説得性を持つのでは無いか?と思っております。
いい意味でも悪い意味でもカラヤンとは正反対の指揮者でしたね。チェリビダッケが来日した時、読響の初日のリハーサルはチューニングだけで終わって読響の団員はうんざりしている様子でした。N響で分かりやすい指揮をしたカラヤンと違い芸術至上主義だったのでしょう。自分はドビュッシー、ラヴェル等のフランス物が素晴らしいと思いました。透き通った音色が他の指揮者では聴けない音です。
読響とのリハーサルのお話、聞いた事があったのですが本当だったのですね。この話しを聞いて、何故貴重なリハーサルの時間をそんな事に使ったのか考えて見ました。僕はヨーロッパのオケで働くオケプレーヤーなのですが、こう言うリハーサルをやられるとオケは間違いなくうんざりしますし、そんな事をしたって演奏会の曲はちっともうまくなりません。それはチェリビダッケだってちゃんと分かっていたと思います。でも敢えてそれをやったのは、恐らくオケのメンバーに、今までより何倍も真剣に集中して自分の出す音を聴いてもらいたかったのだと思います。それでチューニングの音だけでこれだけうるさいのだから演奏会の曲もいい加減なことは絶対通らないと、分からせたかったのではないかと思います。恐らくそのリハーサルの後皆さん、一生懸命個人練習したと思います。この人の残した録音を聴くと、本当にすみからすみまで、響きが整えられ、バランス良く美しいです。こう言う指揮者と仕事をするのには物凄い忍耐力と精神力がいると思いますが、また同時に演奏の後、この上ない満足感が得られるのも確かだと思います。
指揮者チエルビダッケを知らなかった事が恥ずかしい!これから、暫くは聴きまくります!ご紹介有り難うございます!
いつもお世話になっております。こちらの動画がオススメに出てきて、恥ずかしながらチェリビダッケは存じ上げませんでしたので、まずは先入観念を持たないようにこちらの動画を詳しく見る前にチェリビダッケの演奏動画を見て聴いてみました。・・・素晴らしい!!!!聴いたのは僕の大好きな展覧会の絵、新世界より、ベートーヴェン第七とか。他の多くの演奏が「早く」演奏しているのに対し、チェリビダッケ指揮だと非常にゆっくりで、とても豊かな気分にさせてもらいました。超絶技巧の素早い演奏も良いのですが、本来の音楽らしさというか、 『音楽とはこうあるべきだ』という信念が感じられました。その後で改めて車田さんの解説を拝見し、納得しました。『ゆっくり』といっても、曲全体の構成は損なわずにしておけるのは難しいことなんですね。「妥協しない」姿勢を貫くのは一流の芸術家ならではですね。当然一部の楽団員からは不満も噴出するでしょうが、そこできちんと説得力を持って対応してこそ指揮者の力量というものなのでしょう。やはり素晴らしい指揮者というのはただ者では無いんですね。カラヤンについて以前音楽関係者の方が言っていたのを思い出しました、カラヤンというのは、なんだかんだスコア通りに振るから、楽団員の支持が得られたのだ、と。それが良いか悪いか素人が判断出来ませんが、全部同じような演奏になってしまったら非常につまらない。指揮者の個性も感じられなくなってしまうでしょう。ご紹介いただいた48枚組CD「Sergiu Celibidache -The Munich Years」を1万円ちょっとで売っているのを見つけましたので、そのうち購入することになると思いますが、これでチェリビダッケの様々な演奏を聴いたらチェリビダッケ一辺倒になりそうで、その他の演奏が聴けなくなってしまうのがちょっと怖いですね(笑)
どうでも良いことかもしれませんがお使いになったガラスのコップもコーヒーカップ同様結構大きい物を使っておられるようですが海外の製品でしょうか?音と音の結び付きの説明も成る程と目から鱗で分かり易かったです。有難う御座います。自分の場合古楽器の演奏はモーツアァルト位までですね。それもオーケストラ(ホグウッド)やオペラ(ウィリアム · クリスティー)作品に限りますが。例外はガーディナーのベートーヴェンですね。チェリビダッケはTOSHIBA-EMIの時にボックスセットでブルックナーの交響曲集が出ていましたね。それも確かにゆっくりな演奏で音一つ一つに気持ちがこもった演奏でした。
ロンドンフィルと来日(1980年)して演奏した「展覧会の絵」は、NHKで事前予告がされた上で放送されたので、当時学生の私は、リアルタイムで視聴することが出来ました。数あるNHKクラシックアーカイブの中でも、今なお、超の付く名演とされていますね。フルトベングラーに、「曲のテンポはどうあるべきか?」とチェリビダッケが質問したところ、フルトベングラーからは、「それは響き方によるね。」というような答えがあり、チェリビダッケは納得したとの逸話があったようです。ホールによってまた曲の出来によって、その時々最適のテンポが有るのだとの話なのでしょうか。
それは、我々にも簡単な実験で分かりますよ。家でも学校でも、例えば自宅の【居間と風呂場】学校の【教室と階段の踊り場、体育館】等で歌ったり楽器を演奏して、それぞれの『響が違う。』事を体験してみて下さい。それと同じ事が【各々のコンサートホール】で起きています。これは【残響の長さの違い】についての実験ですが、音色の微妙な違いもありますね。 それと日々のホールの温度・湿度や演奏者、聴き手の体調によっても変わります。面白いし、生演奏には飽きませんよ。
来日公演をサントリーホールで見ました。ステージ後方席だったのでまさに「見る」形だったのですが、音響云々より演奏の表現に圧倒されました。ああいう経験したのはチェリとバーンスタインだけだなぁ。
マエストロ・チェリビダッケを掘り下げて頂き、ありがとうございます。私が正に傾倒したマエストロのお一人です。本当に一音一音を大事にする真摯な姿勢が魅力です。テンポが遅くなることはマエストロの考えからすると当然の帰結。お話しの間に流れていましたが、ジークフリート牧歌は珠玉だと思います。また、ドヴュッシーの「海」もテンポが遅くとも緻密であるが故、描いている海の様々な表情を大きなスケール、かつ素晴らしい色彩が浮き出ている佳演です。マネは決して出来ません。
ジークフリート牧歌も素晴らしいですね😊😊
チェリビダッケに熱狂したことがあります。CDとラジオ中継でしたが…。はるか昔に読んだチェリビダッケのインタビューで、テンポをどう決めるかについて、それはホールの響き具合による、という話をしていたと思います。CDでは残響を完全には再現できないので、実際にライブで聴かれた方は幸せだと思います。
本当に面白い動画をありがとうございます🙏モーツアルトのレクイエムを聞いたことがありましたけど、本当にゆっくりテンポで過去にすごく驚いたことがありました。でもとても好きな演奏でした。無限の時間を揺蕩うような気持ちになり、他のガチャガチャした演奏を受け入れられなくなりそうでした😅日本にもとあるレクイエムでそのような演奏(ゆっくり丁寧な指揮)をしたいと考えていた指揮者がいましたが、本番で合唱団員が暴走してしまって少し収拾つかないことになっていました。いい思い出です🫣
その場面がなんとなく想像できます😊😊
私が、彼の演奏を聴いたのは、来日公演での、展覧会の絵と、ミュンヘンフィルによる、ブルックナーの7番でしたが、両方とも、テンポが遅いな、でもすごい説得力のある演奏だなあ、と思ったことを覚えております。ライブ演奏に、長けた人だな、と思いました。
チェリビダッケは3回聴いてます。最初はブラームスの交響曲でしたが、この時はわたしの体調も良くなくて、あまり印象に残っていません。その次はミケランジェリとのシューマンの協奏曲。これはチェリビダッケが、ミケランジェリに合わせている印象でした。そして最後がブルックナーの7番。これは仰る通りで、あとで2時間かかったと聞いてびっくり。まったく長さを感じませんでしたから。
大好きな指揮者!!!!!!!ありがとうございます!!!!!サムネを見た瞬間嬉しすぎて声を出してしまいました😆
チェリビダッケ&ミュンヘンフィルatベルリン1986年、展覧会の絵。大好きで今だにカセットテープで愛聴してます。あのテンポ、あの一音一音大切に鳴らす演奏、ホントに凄いです。
チェリのベートーヴェンいいですよね。英雄もこの曲の可能性を表現している素晴らしい演奏だと思います。最近のCDリリースでは、幻想と新世界が抜群ですね。チェリの演奏スタイルはベルリン以降多様に変容していましたが、私はミュンヘンの前期(79~87年頃)が絶頂期だと思っています。実体験として、83年のルカ協会でのブル4、85年のブル8(ミーティアCDにあり)あたりがその典型かと思います。ブル8は、評価の高いリスボンのオーディオールよりヘラクレスのミーティアのほうが好きです。 ただ、つい最近91年のケルンでのブラ4を聞いたのですが、これがとても泣ける演奏で、各地の演奏旅行では結構いい演奏をしていたのかも知れませんね。
20年以上前でしょうか、チェリビダッケのミュンヘンフィルシリーズが発売されたときは盛り上がりました。これがあのチェリの音か、と。 彼の音楽をわかりやすく解説してもらいありがとうございました。 なるほど音をつなぐ演奏なんですね、コップでの説明よくわかりました。
高校生の時に読響の定期でチェリのレスピーギの松を聴いたものです。その後ミュンヘンフィルのブルックナーを聴きまくり、彼の死後も忘れられません。今日は素晴らしい解説ありがとうございました😊
レスピーギ良いですね。同じ頃のシュトゥットガルト放送交響楽団のライブ録音は聴いたことがあります!ミュンヘン・フィルでも聴いてみたかったです。
@@kazuhisakurumada 素直に申しまして殊に最晩年座って指揮するようになってからのブルックナー等は(録音で聴く限り)付いていけないところもあるのですが、ムカシNHK-FMでシュトゥットガルトとのプロコフィエフ『ロメオとジュリエット』の中継録音で初めて聴き度肝を抜かれました。『ローマの松』の巨大な音楽も凄いですね。ミュンヘンとでは、『悲愴』や五番などチャイコフスキーも好きです。
チェリビダッケ指揮によるブルックナーをシュツットガルト放管の3番との出会いから愛聴し続けています。生前は、地方者にとってはNHKのFMでしか、あの唸り声?が聴けなかったので今は幸せな時代です!…サントリーホールでの8番など至高の名演ばかりですが、ただ1点をオススメするならば、晩年ウィーンで演奏した4番ロマンティックの最終楽章終盤に現れた、とてつもなく巨大な音楽空間です!まるで天国への階段へ一歩一歩と導かれるようなフィナーレで・恍惚とした感情に包まれて涙が溢れます…この圧倒的な芸術体験こそがチェリビダッケの音楽の真髄だと思います☆
チェルビダッケ、食わず嫌いでした。魅力を紹介いただき、聴いてみます。
チェリビダッケはブルックナーとかは当然素晴らしいのですが、プロコフィエフのロミオとジュリエット(ロンドンフィル)も大好きです。全曲録音ではないのが残念ですが、他の演奏とは隔絶しています。
車田さんが仰った「響き」は、興味深いですね!意識を持って聴いてみます!
一時チェリビダッケにハマり、スコア片手に驚嘆しながら片っ端から聴いていました。響きを隈無く聴き取るため、真剣に聴く際はヘッドホン、というのが習慣になりました。声楽演奏についての解説を興味深く伺いました。ナルホド。なのでヴェルディのレクイエムは結果的にあんなにも強烈な演奏になっているのか、と納得です。ちなみに、チェリビダッケ沼から引っ張り出してくれたのはトスカニーニさんでした。。。
チェリについてもう一言、77年の演奏会ただブルックナー8番を聴きたく指揮者もわからずシャンゼリーゼ劇場にチケットを買いにいきました。その日はあいにく微熱がありましたが買い終え外に出て看板をよく見るとなんとチェリだったのです。その瞬間体が燃えるように熱くなりなんと熱が吹っ飛んだのです。これは私が一度だけ経験した奇跡なのです。感謝しますチェリ
私と全く同じ捉え方でチェリビダッケを話されるのに驚きと嬉しさを禁じ得ず、書き込みました。私はサントリーホールでチェリビダッケの実演に触れました。そして同じソースがビデオ、CD、レコードと発売されましたが、未だ満足した響きを追体験出来ず悲しい限りです。ベートーヴェンの6番は最高の演奏だと思っていたのですが、同意見の方がいらして嬉しい限りです。動画で古楽演奏の音の問題を上げていらっしゃいますが、私は常日頃、彼の演奏スタイルの原点はルネサンス音楽にあると思っています。彼は大学での研究は何とジョスカンデイプレでした。ジョスカンの有名なAve Mariaを教会の中で演奏された優れたものを聴くと、音と音の繋がりの大切さ音と音の重なり方の大切さに心奪われます。そのようなスタイルを自分の演奏ポリシーとしたのだと思っています。偉そうな事書いてすみませんでした。
成る程、ジョスカン・デ・プレがそこに繋がるのか…参考になりました。コメント頂き有難う御座います。
フォーレのレクイエム、94年にミュンヘンで聴きました。大きくてたっぷりとした演奏でした。ソプラノソロは大変だったのかもしれませんね。
チェリビダッケは、名前はよく聞いてましたが、近所のレコード屋さんでは、そのレコードには出会えませんでした。今回、チェリビダッケの名前を久しぶりに聞き、ストリーミングで聴こうと思います。チェリビダッケは、若い頃には数学を学んでいたと聞き、驚きました。エルネスト・アンセルメも日本の朝比奈隆先生も、もともとは数学徒ですし、古代のピタゴラスは音楽も研究していますので。
チェリビダッケを紹介いただいてうれしいです。自分はブルックナーの録音で知りました。もう生で聴くこと叶わないのが残念です。
EMI盤のミュンヘンフィルとのチャイコフスキーの5番を聞いてはじめて個々の演奏の繋がりの大切さを感じることが出来ました!
チェリは、「最初の一音に最後の一音が宿る」とか、禅問答みたいなことを言いましたが、そういう感じの驚くべき演奏でした。
チェリビダッケのRequiem(フォーレ)、ポレロ、大好きです。お尻ダンスしながらの指揮の姿も大好きです。本当に何度も何度もズッーっと聞いてしまいます。チェリビダッケを語ってくださりありがとうございます。
個人的には、25年くらい前から名前だけは聞いていた指揮者でした。数年前ですがRUclipsでドヴォルジャークの交響曲第9番(ミュンヒェンフィル)を聴き、あまりの遅さに衝撃を受けましたが、あの遅さと響きはハマると中毒性がありますね。オットー・クレンペラーも、やや遅めで良く響いてる指揮者かなあ?と思っています。(特にコントラバス!)
音が濁るのがとにかくいやな指揮者という印象。和音の響き優先。残響ともケンカしないとなると超遅くなる。弦楽器は技術的限界を試されているといえるけど、声楽家や管楽器は体力的限界も試されているようなものだからオケから嫌われるのはよくわかる。遅くしようとして遅くしてるわけではなく、残響で濁らないテンポまで遅くしているだけなので、もともと遅めの曲は違和感なく聴ける。ブラームスの3番の3楽章とかすごくいい。
すごくわかりやすい解説、ありがとうございます!ピアノに知識が偏っているもので、チェリビダッケは数年前知りました。子供の頃からカラヤンばかり聴いてきて、最近では若干物足りなくなってきていたので、是非色々聴いてみたいと思いました。カントゥッチーニ、そのまま食べると確かに硬いですよね。確かイタリア人はなんでもコーヒーに浸して食べるようなので、そのためだと思います。私はコーヒーがクッキーくずだらけになるのが嫌いなので、硬いのをボリボリ食べる派です。
チェリビダッケが初来日の時期。高校生で音楽の友等のクラシック雑誌で彼の動向を追ってました。現象学。 彼の当時の音楽を理解するのに語っていたキーワード。それとFM FANなどのFM雑誌にも彼のインタビューが掲載されていて、なにかと他の指揮者をこき下ろすような発言が多く見られましたね。当時から彼を崇拝していたので、カラヤンはほとんど聴いて来なかった。ただ、テンポがやたら遅くなったのは晩年。 シュトゥットガルト放送交響楽団を指揮していた頃はそれほど遅いと感じたことは無かった。
お名前もその時代背景の状況も初めて聞きました。大変有難う御座いました。聴いてみたいとおもいました。
チェリビダッケの良さは録音ではわかりません。あのハーモニーは奇跡です。オケの音色もありえない美しさ。録音では全く伝わりません。フルトベングラーも多分本当はそうなんでしょうね。録音を聴くしかできませんので、録音が存在することには感謝。
音ではなく音楽を聴けば録音でも十分に伝わりますよ😊😊
@@kazuhisakurumada 最近、色々聴いてますが、いい録音があるもんですね。いやいや失礼いたしました。昔図書館にあるCDを聴きあさりましたが、どうもよくなかったんです。チェリ氏の丁寧な演奏ははまると抜け出せない魅力がありますね。
最近の演奏会は出来は悪くないのに、きめ細かさが足りないと感じる理由がよくわかりました。チェリビダッケにかかると聴き慣れた曲に鮮やかなメロディが聴こえてきたりするんですよね。
チェリビダッケのミュンヘンとの展覧会の絵、キエフの大門のコーダのティンパニーの一撃はまるで未知との遭遇のようで、初めて聴いた時は、タイミングがズレてるんじゃないの?と仰け反りましたが、この曲の最高の名演だと思います。
先生のお話は歴史を大学で教えていた私にとっては本当におもしろくためになります。同時に前期高齢者の私にとっては青春を思い出させてくれるのです。進学校にいた私の周囲はクラシック音楽にのめりこんでいる友人が多かったです。でも、1960年代、時代でしたね。中学生で70年安保だった私の世代はもうそれ程ではなかったですが、学生によっては芸術家のファシズムへの関わりをその芸術家の能力より重く考える友人が多かったです。「トゥーランドット」に対しては、中国皇帝の娘が異民族とあのようにして結婚するというあり得ない異国趣味の産物のゲテモノ。一方、進駐軍で来日した多くの米兵と結婚するも米兵は帰国し二度と訪日しないという歴史ではない現実を考えさせた「蝶々夫人」は異国趣味との批判は弱かったと思います。よくも悪しくもそんな時代でした。
車田先生今日の投稿も大変わかりやすく大変大変勉強になりました(^_^)特にコップの水を使ってのご説明は「流石!」目に見えない「音「」と言うモノの説明を目に見える形で説明されていてこういう表現方法があったんだなあ~なんてわかりやすい!本当にいつも素らしいなあ~と思っております(^o^)私の師匠の師匠のミケランジェリがチェルビダッケと仲がよかったらしくそのルートで時々師匠からエピソードなど聞いていましたが残念ながら私はミケ(私の門下ではそう呼ぶ!)もチェルビダッケも生前実際の演奏をホールで聴くことは叶わず。。。今日のご投稿で、チェルビダッケの特別感って一体何なのかと言う事のより深い理解ができ心から感謝です(*^_^*)シャルル・ミュンシュちょっと地味?かもですが、車田先生がもしお好きで、機会がありましたら取り上げて頂けたら嬉しいです♬現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
ミュンシュ!良いですね。
@@東夷-x5g コメントありがとうございます!大好きなんです!車田先生、取り上げて下さるといいなあ~(*^_^*)
@@マユミージュ 私なぞチェリに人生変えられましたからね!その後ミュンシュを知りました。ボストン響を一流にした小澤征爾さんの先生の1人ですね。
チェリビダッケさんの演奏を聞けたのはブルックナーのシンフォニー(BGMで流していたもの)でした。「ブルックナーストップ」という休符があってもゆっくりゆっくりな曲でもフォルティティッシモ(fff)に向けて頂点に向かうブルックナーの交響曲はアメリカやロシアのオケのように輝いてパワフルでした。さながら『のだめカンタービレ』の千秋真一くんみたいに5時間連続練習みたいだったんですよね。これにうんざりする演奏家は多かったみたいですが、ほんとうにすごい演奏家でしたね
確か最後に出てきたイタリアのお菓子は、コーヒーや紅茶につけて食べるのではなかったでしたっけ...
そう言う人もいるみたいですが、特にきまりはないですよ😊😊
聴いてみたくなりました!
チェリのブルックナー、最初は77年パリでシュツットガルト交で8番。物凄いの一言。その後ミュンヘンフィルと7・8を数回。彼のブルックナーは的確な表現で”宗教”です。
車田さんがいつも最後におっしゃるチュスという言葉を聞いてわけわからん若者用語使いやがって!(アメリカの生活がもう30年近いのでごめんなさい。)とか思ってました。ごめんなさい。これからもいろいろ教えてください。
指揮者の名前も知らずにNHKのFMで聴いたライブ録音で感動して調べたらチェルビダッケ氏の演奏でした。録音しておけばよかったと凄く後悔しました。
カントッチーニはコーヒーにつけて食べることもできますよね。
車田さん、チェリビダッケのラヴェルなら、リスボンでやった「展覧会の絵」やって下さいよ!
戦後のベルリンフィルを救ったのは確かだがレオ・ボルヒャルトの存在も忘れてはいけない、彼こそ不運の指揮者だな
チェリビダッケはライブで聴く指揮者ですね。ブルックナーですが、凄く長かった。チェリビダッケは口が悪かった。他の指揮者に対しする口撃が酷い。ベルリン・フィルの特徴と思いますが、ポストフルトベングラーの時のチェリビダッケにしても、ポストカラヤン時のマゼールにしても、近年ではティーレマンも、本命の人が音楽監督にならないですね。
チェリビダッケの演奏は、他の指揮者の演奏時間よりも5分以上長い。誤差の範囲内を超えてます。
晩年音楽の一回性を否定したグールドとは対照的に再生音楽を否定していたのに、最近では山ほどCDが出ていてどうなっているのやらと思いますね。
まぁ、子息のセルジ・イオアン・チェリビダーキ氏に『遺された記録を如何するか?お前が決めろ。』とのチェリの遺言を託されたのですから、セルジ・イオアン氏は発売をEMIを始めとしてドイツ・グラモフォン〜と氏の監修の上【正式版を許可】して、その収益を設立した【文化財団運用】の元手にしたとの事。ですからその成果を私は楽しんでおります。
チェリビダッケについては2点申し上げたと思います。まず、出身国。 21世紀の今は考えられなのですが、封建的な20世紀中頃のドイツでルーマニア出身はやはりハンディがあったでしょう。 おなじように日本で人気のある、マタチッチも、当時はオーストリアハンガリーとはいえ、ユーゴスラビアの出身。20世紀までは、指揮者とオケは同国人が当たり前。今はこの伝統はロシアくらいですが。この2人は、いわゆる音楽先進国のイタリア、ドイツオーストリア、イギリス、フランス、チェコの出身なら、キャリアが違っていたと思えます。チェリビダッケはコンサート指揮者で、これも保守的な20世紀半ばのドイツでは、歌劇場のキャリアがない指揮者は半人前です。 フルトベングラーもカラヤンも、マタチッチモみんな歌劇場指揮者の経験がある。 歌劇場カーペルマイスターの重みは車田さんはよくご存じでしょう。
チェリビダッケの演奏会は80年代の来日に東京公演は全て行きました。
初めての演奏会でのブラームス4番の時、出音の瞬間から最後まで美しさのあまり驚きで口が開きっぱなし、体も全く動けず、体だけでなく脳も心も魅了され、その夜は、寝ると素晴らしい今日が終わってしまうのがもったいないと興奮して朝まで起きて感動し続けていました。ベートーヴェンの運命の時は、サントリーホールで確か2時間半くらいかけてのもうそれはそれはゆっくりでしたが、縦のライン、ゆっくりな分、縦の全ての楽器の1音1音の和を聴くことができ、その縦の美しさといったら、名画を見ているような錯覚を覚え、うっとりいたしました。今でも忘れられない演奏会ばかり体験させていただきました。
余談ですが、私も車田さんのコーヒータイムに一緒にコーヒー飲むことにしました(笑)。楽しい時間をありがとうございます。
訂正:5:03 チェリビダッケが来日したのはロンドン交響楽団の方です。
車田様、いつもありがとうございます。大好きなチェリビダゥケについて、田園がしっくりきたと聞き大喜びしました。私がチェリのライブは、3曲しか聴いていません。本当はブルックナーの9番だったのですが、ティンバニ奏者が怪我で来日できず、未完成と田園に変更になりました。田園の最初のフレーズが終わってからの休符が長くて、でも綺麗で、この前はじまらなくても良いとさえおもいました。どちらの曲も聞き飽きていたはずなのに全て初めて曲に聴こえました。私歯科医なのですが患者さんで沈まぬ太陽などの編集をされた新潮社の役員さんがいらしたのですが(故人).チェリのブラームスは説得力があるよなぁと、おっしゃっていました。本当に素晴らしい解説ありがとうございました。今後とも頑張って下さい。応援いたします
チェリビダッケのコンサートは3回体験しました。ブルックナー9番が当日田園と未完成に変更になりがっかり。しかし田園が凄くて(としか表現できなくて済みません)、終楽章の頃にはこのまま曲が終わらないでくれと真剣に思いました。こんな体験はあの時一度きりです。
チェリビダッケを取り上げていただき感激です。初めて聴いたのが、初来日の神奈川県民ホールで読売日響との
リハーサル(ブラームス4番)、再来日のローマの松も凄かった。
ミュンヘンフィルとの1986年の東京公演でのシューマン4番、展覧会の絵、ブラームスの4番、ブルックナーの5番、
全て伝説的な名演奏です!これらは私にとって、感動の原点であり生涯忘れられない演奏です。
同じ体験をした方がいてうれしくなりました。ブルックナーが田園になってしまってがっかりしていたらそれが素晴らしすぎて口あんぐり。ミュンヘンフィルの本拠地ガスタイクは東京芸術劇場っぽい場所なのでそれもよかったのかも。死後発売されたディスクの中ではチャイコフスキーをお勧めしたいですね。特に最初のリリースで「展覧会の絵」とカップリングされた「ロメオとジュリエット」!曲の価値自体を爆上げする素晴らしい演奏です。チェリの作った時間を密度バリバリの演奏で埋めた当時のミュンヘンフィルは本当に素晴らしいです。
チェリビダッケを取り上げてくださりありがとうございます! 数年前、NHKのドイツ語講座でミュンヘン・フィルの本拠地のホールを訪ねるという回があり、そこに来ていた地元の観客たちが口々に「ミュンヘン・フィルが素晴らしいのは、チェリビダッケのお陰だ」と功績を讃えていたのを思い出しました。団員さんたちは大変な思いをされたと思いますが、ミュンヘンっ子の誇りを生み出したのは、本当に素晴らしい!と思ったことでした。
😊😊
チェリビダッケがマーラーを演らなかった理由が何となく分かりました。自分が初めてチェリビダッケに触れたのは1981年の自作自演の秘密の小箱のLPです。高校生の時でした。今も手元にあります。未だに後悔しているのは行けるチャンスがあったのに来日公演に行かなかった事、生でブル八を聴きたかった。
初めてチェリビダッケ指揮のミュンヘンフィルの『新世界より』を聞いて以来、新世界はチェリビダッケ一択になりました。曲のどこを切り取っても素晴らしい演奏は何度聞いても飽きません。一度でいいから生で聞いてみたかったなあ・・・
😊😊
初めてチェリビダッケによるブルックナーのロマンチックを聞いたときには、金管楽器奏者たちの肺機能に驚かされました。まさに、このような演奏を可能にするために、演奏者には大変な負荷が課されたものと思われます。でも聴衆の私は、そのゆっくり動く和音が大好きでした。今日のお話を伺い、何故好きになったのか、理由の一部がわかったように思います。ありがとうございました。
😊😊
コップと水を使った音と音のつながりのご説明が、すごくわかりやすかったです!勉強になりました😄
もう40年以上前のことですが彼の演奏を初めて聴いたときは
とても衝撃を受けたことを覚えています。曲は展覧会の絵で
当時ビデオデッキなど高価なものは持っていなかったので
カセットテープに録音してテープが擦り切れるまで何度も
聴いたことを今でも覚えています。
もちろん彼は今でもお気に入りの指揮者の中の一人です。
モーツァルトのレクイエムというと、今までの経験から病的な感じがしてちょっと苦手だったのですが、おすすめのチェリビダッケ指揮のものを聴いたら先入観が少しとれました。序曲のゆっくりしたテンポ、すごくいいですね……。大海のうねる波みたいな……内声がクリアに聞き取れるし、低音の動きが気持ちいい。
全体になんというか……すごく誠実さを感じました。
余談ながらキリエはバッハのイ短調フーガ BWV889が元ネタかな? と思っていたのですが、ヘンデルに導入がそっくりの歌曲(長調)がある事を最近知ってびっくりしました。
チェリビダッケの来日公演を4回聴きました。その時、演奏とは体験なんだと強く感じました。田園の録音、最高です。
私の人生を変えたチェリビダッケ…それ迄クラシック音楽を聴かなかった人間に、『実演でこんな精緻な演奏が出来るのか!?)それは、まるで【スコアに記された音が全て聴こえる様な、美しく、柔らかく明瞭な演奏】にノックアウトされた瞬間でした…それ迄聴いていた歌謡曲、ロック、フォーク、ブルースではレコード→CDでもライヴでも殆ど聴けなかった演奏がNHK-FMラジオのロンドン響とのライヴで聴いた時に仰天しました…
【スコアの全ての音が立体的に美しくハーモニーを伴って聴こえる演奏】にやられた私は、当時【チェリビダッケ不足の禁断症状】に苦しみました…レコードが無かったからです。【ムソルグスキー・ラヴェル編/展覧会の絵】が始まりでした…
『テンポは空間である。』≒演奏するホールの響に合わせてテンポを決める。←これによって車田さんの【水の流れ】と共に全ての音を響かせる【ホール・アコースティック・チューニング】を体現した殆ど【稀有】な体験でした…カラヤン、ベーム等、当時の巨匠も聴きましたが…チェリに比べると『皆、荒く聴こえた。』のです。
当時、乾きを癒したのは、FM録音と、一回限りのチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの最後のサントリーホール公演のF.シューベルト/未完成とL.V.ベートホーヴェン/田園、生演奏体験でした。
今は幸せです。録画・録音であってもです。何と没後26年後にチェリビダッケの名録音【A.ブルックナー/第8番、リスボン ライヴ】CDが発売!狂喜乱舞しています。
😊 さっそくRUclipsでチェリビダッケの指揮するベートーヴェンの第7番を聴いて見ました。1975年の演奏のビデオですが、心地よいテンポに感じられました。
カラヤンでこれを聴くと私にとってはあまりに速過ぎて何となく軽く聞こえてしまいます。
よくぞチェリビダッケにスポットライトをあてていただきありがとうございます。感謝感激です。日本公演「ミュンヘンフィル来日公演 サントリーH チェリビダッケ ブルックナー第7番 1990.10.18 東京」は貴重なライブ映像が残っています。ご高齢で椅子に座っての演奏ですが、「心を込めて」と自分のハートをつついたり、表情豊かな指揮ぶりで、最後はスタンディングオベーションでした。2年後の1992年のベルリンフィルでのブルックナー7番ライブもうれしそうな表情のチェリビダッケの映像が印象的でした。ラストは汗だくでペロリと舌を出しておられましたが、ベルリンの観客もスンディングオベーションでした。フルトヴェングラーのカラー映像が(当然戦中戦後なので)少なくて大変大変残念ですが、「真剣なまなざしで指揮をされる」チェリビダッケが映像で見られるのがうれしい限りです。個人的にはブラームスの演奏が迫力があって好きです。お話が大変分かりやすく心地よかったです!
チェリ最後の日本公演時に演奏したブル3の演奏の凄さは、なかなか言葉では表現しつくせないものがあります。
あの響きは、サントリーホールを完全に異質な空間にしていました。
あの響きを完全に収録するのは不可能ではないかな。
録音嫌いなチェリなのですが、わかるような気がします。
ちなみに一番実演に近い録音は、通称リスボンライブのブル8です。
ワンポイントで収録し、殆ど手を加えていないこの録音が一番実演に近いのではと思っています。
1980年前後だったと思いますが、来日した時のオケはロンドン交響楽団だったと思います
この時聴いたラヴェルのマ・メール・ロアは絶品で、生涯忘れられない演奏でした
後年、ミュンヘンフィルと来日した折、ブルックナーの第4番「ロマンティック」をサントリーホールで鑑賞しました
終楽章の非常にゆっくりとしたテンポにドキドキしながら、そして壮大な音の響きのエンディングに感動しました
ご指摘の通り来日した時はロンドン交響楽団の方ですね。訂正しておきます!
僕がチェリ様(個人的にそうよんでます。) の演奏を真剣に聴くようになったのは、ここ3年程のことなのですが、一度この人の演奏にはまってしまうと抜け出せない物があると思います。とにかくオケの響きがどんな時でも信じられない程美しく、音楽が大河の流れの様にゆったりと、力強く流れて行きます。まさにお話の中でもあったように、この音の洪水の中にずっと浸っていたいと思わせられます。
録音嫌いとして有名な方ですが、ミュンヘンフィルと残された録音はどれも素晴らしい音質で、逆に録音メディアにとても積極的だったカラヤンにはそれほど音質的に優秀なものが余り多くないのが不思議な気がします。ミュンヘンイヤーのボックスは正に人類の遺産と言える物だと思います。
チェリビダッケは大好きな指揮者です!最後の巨匠だと思ってます!今回取り上げていただきありがとうございました。お話しを聞いていると嬉しくて泣けてきました。なぜあんな音楽をつくれるようになったかわかる気がしました。ありがとうございます!
😊😊
またまた普通の音楽専門家からは普段名前が聞かれない芸術家のお話を伺うことができました。ありがとうございます。私はブルックイナー狂もいいところなのですが、特に『第五番』は何度聴いても身の毛がよだちます。数々の指揮者による三十枚ほどの「第五番」のCDの中でも、チェリビダッケが『シュトゥットガルト放送交響楽団』と1981年に録音したライヴの録音は正にこの世のものではない、聴いていて自分が溶けていくようなものです。彼のテンポは他の誰よりもゆっくりした時間を十分に抑えた素晴らしいものばかりです。お話しありがとうございました。いつも楽しんで伺っています。
チェリビダッケは一度だけ昭和女子大学人見記念堂で聴けました。
曲目は、シューマンのピアノ協奏曲で、ピアニストはあのミケランジェリでした。
夢の共演でした。
僕がチェリビダッケを知ったのは、読響の指揮に来日した時の雑誌の記事でした。
自作自演のレコード「秘密の小箱」がチャリティーで発売された頃だった。
チェリビダッケを聴くのは、FM-NHKのライブの放送で、シュツットガルト放送響とのベートーヴェンの交響曲第5番、ブラームスの交響曲第4番は本当にビックリしてエアーチェックしたカセットテープで何度も聴きましたねー!
幸運にもチェリビダッケの実演を3度聴くことができました。ブルックナーの第4番と第8番、シューマンの第4番とムソルグスキーの展覧会の絵です。特にブルックナーの8番とムソルグスキーの展覧会の絵は忘れられない思い出です。
😊😊
1980年の前後数年間、FM放送をよく聞きましたが、チェリビダッケは聞いてすぐ分かる「どれとも違う」演奏でした。まるで宇宙の律動や均衡というのか、中心を欠如した全体流動というのか、西洋音楽の枠に入らないかのようなタイプでした。オケは、フランクフルト放送SOとかロンドンSOでした。一時期、CDをほぼ全部処分したとき、処分しなかったのは、カザルスの10数枚とチェリビダッケの思い出(CDがなかったので)でした。その後、正規盤も大量に出て、伝記も読みましたし、RUclipsで映像もたくさん見られるようになりました。たとえば、チャイコフスキーは、情動過多な感じで好きでなかったのですが、チェリが、最も偉大な交響曲作家と呼んでいたので、改めて聞いて、びっくりしました。東京芸大に来て、学生オケを指導したときのエピソードも、すてきですね。最初の数音に何十分もかけて大変だったが、音が揃ったとき、これがあのオケか!というすごい音がしたそうです。
親戚が、読売交響楽団の演奏家ですが、一度チェリーと演奏したことがあるそうです。そのリハの凄まじさに驚いた、と言ってましたブルックナーも、チェリーが最高ですね!
1970年か71年、チェリビダッケさんがロンドン交響楽団と来日した時、演奏会に行きました。
厳格な音楽に対する姿勢に驚き、感動しました。あんな指揮者は初めてでした。
この動画を拝見して改めて納得することばかり。あの日の感動がよみがえってきました。
ありがとうございました。
チェリビダッケの音楽は次元が違って聞こえますね。音の一音一音に霊が宿る感じが好きですね。
チェリさんの名演はいっぱいありますがやはり私にはブル8が印象的です。特にリスボンライブと呼ばれている演奏、日本でのサントリーホールでの演奏が印象に残っています。一時間以上の演奏にもかかわらもう一度最初から聞きたいと思わせるものです。音響のユニバースとでもいうのでしょうか。現代のオーケストラの見通しの良いサウンドは彼の影響が非常におおきいのではないかと思っています。次世代への扉をひらいた大きなパイオニアとして畏敬の念を持っています。
チェリビダッケへの素晴らしい解説ありがとうございます!1992年、確かシャウシュピールハウスでしたが、あのブルックナーは忘れられません。観客のなかには涙を浮かべて放心状態になっている人もおりました。私は《くるみ割り人形〉、《ロザムンデ》も大好きです。これではバレエは踊れないというテンポですが、まったく別の世界です。ドキュメンタリーで「美は餌にすぎない」と言っていたのが印象的で、哲学者、あるいは隠者という感じでした。機会がありましたら、私にとっての未来のマエストロの第一候補、テオドア・クルレンツィスについてもお話ししてくださると嬉しいです。
私も【くるみ割り人形】【ロザムンデ間奏曲】大好きです。『バレエ音楽なのに
、こんなに遅けりゃ踊れない!』←『それが如何した!?』
楽しいお話し ありがとうございました。 音と音の結びつき ぜひ 聴いてみます。次のお話しも 楽しみに待ってます🎶
チェリビダッケは、ずっと幻の指揮者という感じで、晩年になって出てきた。私にとってのチェリビダッケはブルックナー、それも八番とかかな。あの遅いテンポは、ツボにはまれば精密で巨大な音楽になる。ブルックナー八番はフルトベングラー、ヨッフム、ギュンター・ヴァント、カラヤンなど名盤ぞろいだけど、チェリビダッケも十分存在感がある。
動画を拝聴して、早速Spotifyでベートーヴェン6番を聴きました。仰ったように豊かで美しい音色にずっと聴いていたい気持ちになります🎶それぞれの楽器が妥協なく存在感あるのですが、音色が素晴らしいいか調和されていて、逆に通常のテンポだと聴き過してしまいそうなベートーヴェンの極上のアンサンブルが満喫出来ます。これぞオーケストラの醍醐味です。他のベートーヴェンも聴いてみます!新しい音楽との出会いをありがとうございました。感謝致します。
1990年の3月にミュンヘンでチェルビダッケ指揮のミュンヘンフィルを聴きました。曲目は、シューベルトのグレートとベートーベンのピアノコンチェルトの3番。車田先生のお話を伺って、チェルビダッケの音楽の奥深さに感銘を受けました。チェルビダッケを聴けただけで単純に喜んでいた自分が恥ずかしいです。
待ってました❗️有り難う御座います❗️
初コメだと思います、確か(^^;)いつも勉強させて頂いています。
チェリビダッケ氏はミュンヘンフィルとの「展覧会の絵」が特に印象に残っています。最初から「遅っ!でもすごく荘厳な演奏…」と素人ながらに引き込まれました。
いつも、もっとゆっくりと聴きたい曲だったので、良いことを知りました✨探してみます
多くの人が【遅い!】と忌避しますね…然し、冒頭の【プロムナード】、個展会場に向かうのに、大方の演奏の様に『サッサッサッ!』と軍隊の行進の様に行きますかね?プロムナード(回廊?)を散策する様を表現する時、チェリビダッケのテンポが説得性を持つのでは無いか?と思っております。
いい意味でも悪い意味でもカラヤンとは正反対の指揮者でしたね。チェリビダッケが来日した時、読響の初日のリハーサルはチューニングだけで終わって読響の団員はうんざりしている様子でした。N響で分かりやすい指揮をしたカラヤンと違い芸術至上主義だったのでしょう。自分はドビュッシー、ラヴェル等のフランス物が素晴らしいと思いました。透き通った音色が他の指揮者では聴けない音です。
読響とのリハーサルのお話、聞いた事があったのですが本当だったのですね。この話しを聞いて、何故貴重なリハーサルの時間をそんな事に使ったのか考えて見ました。
僕はヨーロッパのオケで働くオケプレーヤーなのですが、こう言うリハーサルをやられるとオケは間違いなくうんざりしますし、そんな事をしたって演奏会の曲はちっともうまくなりません。それはチェリビダッケだってちゃんと分かっていたと思います。でも敢えてそれをやったのは、恐らくオケのメンバーに、今までより何倍も真剣に集中して自分の出す音を聴いてもらいたかったのだと思います。それでチューニングの音だけでこれだけうるさいのだから演奏会の曲もいい加減なことは絶対通らないと、分からせたかったのではないかと思います。恐らくそのリハーサルの後皆さん、一生懸命個人練習したと思います。
この人の残した録音を聴くと、本当にすみからすみまで、響きが整えられ、バランス良く美しいです。こう言う指揮者と仕事をするのには物凄い忍耐力と精神力がいると思いますが、また同時に演奏の後、この上ない満足感が得られるのも確かだと思います。
指揮者チエルビダッケを知らなかった事が恥ずかしい!これから、暫くは聴きまくります!ご紹介有り難うございます!
😊😊
いつもお世話になっております。
こちらの動画がオススメに出てきて、恥ずかしながらチェリビダッケは存じ上げませんでしたので、まずは先入観念を持たないようにこちらの動画を詳しく見る前にチェリビダッケの演奏動画を見て聴いてみました。
・・・素晴らしい!!!!
聴いたのは僕の大好きな展覧会の絵、新世界より、ベートーヴェン第七とか。
他の多くの演奏が「早く」演奏しているのに対し、チェリビダッケ指揮だと非常にゆっくりで、とても豊かな気分にさせてもらいました。
超絶技巧の素早い演奏も良いのですが、本来の音楽らしさというか、 『音楽とはこうあるべきだ』という信念が感じられました。
その後で改めて車田さんの解説を拝見し、納得しました。
『ゆっくり』といっても、曲全体の構成は損なわずにしておけるのは難しいことなんですね。
「妥協しない」姿勢を貫くのは一流の芸術家ならではですね。当然一部の楽団員からは不満も噴出するでしょうが、そこできちんと説得力を持って対応してこそ指揮者の力量というものなのでしょう。やはり素晴らしい指揮者というのはただ者では無いんですね。
カラヤンについて以前音楽関係者の方が言っていたのを思い出しました、カラヤンというのは、なんだかんだスコア通りに振るから、楽団員の支持が得られたのだ、と。それが良いか悪いか素人が判断出来ませんが、全部同じような演奏になってしまったら非常につまらない。指揮者の個性も感じられなくなってしまうでしょう。
ご紹介いただいた48枚組CD「Sergiu Celibidache -The Munich Years」を1万円ちょっとで売っているのを見つけましたので、そのうち購入することになると思いますが、これでチェリビダッケの様々な演奏を聴いたらチェリビダッケ一辺倒になりそうで、その他の演奏が聴けなくなってしまうのがちょっと怖いですね(笑)
どうでも良いことかもしれませんがお使いになったガラスのコップもコーヒーカップ同様結構大きい物を使っておられるようですが海外の製品でしょうか?
音と音の結び付きの説明も成る程と目から鱗で分かり易かったです。有難う御座います。自分の場合古楽器の演奏はモーツアァルト位までですね。それもオーケストラ(ホグウッド)やオペラ(ウィリアム · クリスティー)作品に限りますが。例外はガーディナーのベートーヴェンですね。
チェリビダッケはTOSHIBA-EMIの時にボックスセットでブルックナーの交響曲集が出ていましたね。それも確かにゆっくりな演奏で音一つ一つに気持ちがこもった演奏でした。
ロンドンフィルと来日(1980年)して演奏した「展覧会の絵」は、NHKで事前予告がされた上で放送されたので、当時学生の私は、リアルタイムで視聴することが出来ました。数あるNHKクラシックアーカイブの中でも、今なお、超の付く名演とされていますね。フルトベングラーに、「曲のテンポはどうあるべきか?」とチェリビダッケが質問したところ、フルトベングラーからは、「それは響き方によるね。」というような答えがあり、チェリビダッケは納得したとの逸話があったようです。ホールによってまた曲の出来によって、その時々最適のテンポが有るのだとの話なのでしょうか。
それは、我々にも簡単な実験で分かりますよ。家でも学校でも、例えば自宅の【居間と風呂場】学校の【教室と階段の踊り場、体育館】等で歌ったり楽器を演奏して、それぞれの『響が違う。』事を体験してみて下さい。それと同じ事が【各々のコンサートホール】で起きています。これは【残響の長さの違い】についての実験ですが、音色の微妙な違いもありますね。
それと日々のホールの温度・湿度や演奏者、聴き手の体調によっても変わります。面白いし、生演奏には飽きませんよ。
来日公演をサントリーホールで見ました。ステージ後方席だったのでまさに「見る」形だったのですが、音響云々より演奏の表現に圧倒されました。ああいう経験したのはチェリとバーンスタインだけだなぁ。
マエストロ・チェリビダッケを掘り下げて頂き、ありがとうございます。私が正に傾倒したマエストロのお一人です。本当に一音一音を大事にする真摯な姿勢が魅力です。テンポが遅くなることはマエストロの考えからすると当然の帰結。
お話しの間に流れていましたが、ジークフリート牧歌は珠玉だと思います。また、ドヴュッシーの「海」もテンポが遅くとも緻密であるが故、描いている海の様々な表情を大きなスケール、かつ素晴らしい色彩が浮き出ている佳演です。
マネは決して出来ません。
ジークフリート牧歌も素晴らしいですね😊😊
チェリビダッケに熱狂したことがあります。CDとラジオ中継でしたが…。
はるか昔に読んだチェリビダッケのインタビューで、テンポをどう決めるかについて、それはホールの響き具合による、という話をしていたと思います。
CDでは残響を完全には再現できないので、実際にライブで聴かれた方は幸せだと思います。
本当に面白い動画をありがとうございます🙏
モーツアルトのレクイエムを聞いたことがありましたけど、本当にゆっくりテンポで過去にすごく驚いたことがありました。でもとても好きな演奏でした。
無限の時間を揺蕩うような気持ちになり、他のガチャガチャした演奏を受け入れられなくなりそうでした😅
日本にもとあるレクイエムでそのような演奏(ゆっくり丁寧な指揮)をしたいと考えていた指揮者がいましたが、本番で合唱団員が暴走してしまって少し収拾つかないことになっていました。
いい思い出です🫣
その場面がなんとなく想像できます😊😊
私が、彼の演奏を聴いたのは、来日公演での、展覧会の絵と、ミュンヘンフィルによる、ブルックナーの7番でしたが、両方とも、テンポが遅いな、でもすごい説得力のある演奏だなあ、と思ったことを覚えております。ライブ演奏に、長けた人だな、と思いました。
チェリビダッケは3回聴いてます。最初はブラームスの交響曲でしたが、この時はわたしの体調も良くなくて、あまり印象に残っていません。その次はミケランジェリとのシューマンの協奏曲。これはチェリビダッケが、ミケランジェリに合わせている印象でした。そして最後がブルックナーの7番。これは仰る通りで、あとで2時間かかったと聞いてびっくり。まったく長さを感じませんでしたから。
大好きな指揮者!!!!!!!
ありがとうございます!!!!!
サムネを見た瞬間嬉しすぎて声を出してしまいました😆
😊😊
チェリビダッケ&ミュンヘンフィルatベルリン1986年、展覧会の絵。大好きで今だにカセットテープで愛聴してます。あのテンポ、あの一音一音大切に鳴らす演奏、ホントに凄いです。
チェリのベートーヴェンいいですよね。英雄もこの曲の可能性を表現している素晴らしい演奏だと思います。最近のCDリリースでは、幻想と新世界が抜群ですね。
チェリの演奏スタイルはベルリン以降多様に変容していましたが、私はミュンヘンの前期(79~87年頃)が絶頂期だと思っています。実体験として、83年のルカ協会でのブル4、85年のブル8(ミーティアCDにあり)あたりがその典型かと思います。ブル8は、評価の高いリスボンのオーディオールよりヘラクレスのミーティアのほうが好きです。 ただ、つい最近91年のケルンでのブラ4を聞いたのですが、これがとても泣ける演奏で、各地の演奏旅行では結構いい演奏をしていたのかも知れませんね。
20年以上前でしょうか、チェリビダッケのミュンヘンフィルシリーズが発売されたときは盛り上がりました。これがあのチェリの音か、と。 彼の音楽をわかりやすく解説してもらいありがとうございました。 なるほど音をつなぐ演奏なんですね、コップでの説明よくわかりました。
😊😊
高校生の時に読響の定期でチェリのレスピーギの松を聴いたものです。その後ミュンヘンフィルのブルックナーを聴きまくり、彼の死後も忘れられません。今日は素晴らしい解説ありがとうございました😊
レスピーギ良いですね。同じ頃のシュトゥットガルト放送交響楽団のライブ録音は聴いたことがあります!ミュンヘン・フィルでも聴いてみたかったです。
@@kazuhisakurumada 素直に申しまして殊に最晩年座って指揮するようになってからのブルックナー等は(録音で聴く限り)付いていけないところもあるのですが、ムカシNHK-FMでシュトゥットガルトとのプロコフィエフ『ロメオとジュリエット』の中継録音で初めて聴き度肝を抜かれました。『ローマの松』の巨大な音楽も凄いですね。ミュンヘンとでは、『悲愴』や五番などチャイコフスキーも好きです。
チェリビダッケ指揮によるブルックナーをシュツットガルト放管の3番との出会いから愛聴し続けています。生前は、地方者にとってはNHKのFMでしか、あの唸り声?が聴けなかったので今は幸せな時代です!…サントリーホールでの8番など至高の名演ばかりですが、ただ1点をオススメするならば、晩年ウィーンで演奏した4番ロマンティックの最終楽章終盤に現れた、とてつもなく巨大な音楽空間です!まるで天国への階段へ一歩一歩と導かれるようなフィナーレで・恍惚とした感情に包まれて涙が溢れます…この圧倒的な芸術体験こそがチェリビダッケの音楽の真髄だと思います☆
チェルビダッケ、食わず嫌いでした。
魅力を紹介いただき、聴いてみます。
チェリビダッケはブルックナーとかは当然素晴らしいのですが、プロコフィエフのロミオとジュリエット(ロンドンフィル)も大好きです。
全曲録音ではないのが残念ですが、他の演奏とは隔絶しています。
車田さんが仰った「響き」は、興味深いですね!意識を持って聴いてみます!
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一時チェリビダッケにハマり、スコア片手に驚嘆しながら片っ端から聴いていました。響きを隈無く聴き取るため、真剣に聴く際はヘッドホン、というのが習慣になりました。声楽演奏についての解説を興味深く伺いました。ナルホド。なのでヴェルディのレクイエムは結果的にあんなにも強烈な演奏になっているのか、と納得です。ちなみに、チェリビダッケ沼から引っ張り出してくれたのはトスカニーニさんでした。。。
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チェリについてもう一言、77年の演奏会ただブルックナー8番を聴きたく指揮者もわからずシャンゼリーゼ劇場にチケットを買いにいきました。その日はあいにく微熱がありましたが買い終え外に出て看板をよく見るとなんとチェリだったのです。その瞬間体が燃えるように熱くなりなんと熱が吹っ飛んだのです。これは私が一度だけ経験した奇跡なのです。感謝しますチェリ
私と全く同じ捉え方でチェリビダッケを話されるのに驚きと嬉しさを禁じ得ず、書き込みました。
私はサントリーホールでチェリビダッケの実演に触れました。そして同じソースがビデオ、CD、レコードと発売されましたが、未だ満足した響きを追体験出来ず悲しい限りです。
ベートーヴェンの6番は最高の演奏だと思っていたのですが、同意見の方がいらして嬉しい限りです。
動画で古楽演奏の音の問題を上げていらっしゃいますが、私は常日頃、彼の演奏スタイルの原点はルネサンス音楽にあると思っています。
彼は大学での研究は何とジョスカンデイプレでした。ジョスカンの有名なAve Mariaを教会の中で演奏された優れたものを聴くと、音と音の繋がりの大切さ音と音の重なり方の大切さに心奪われます。そのようなスタイルを自分の演奏ポリシーとしたのだと思っています。
偉そうな事書いてすみませんでした。
成る程、ジョスカン・デ・プレがそこに繋がるのか…参考になりました。コメント頂き有難う御座います。
フォーレのレクイエム、94年にミュンヘンで聴きました。大きくてたっぷりとした演奏でした。ソプラノソロは大変だったのかもしれませんね。
チェリビダッケは、名前はよく聞いてましたが、近所のレコード屋さんでは、そのレコードには出会えませんでした。
今回、チェリビダッケの名前を久しぶりに聞き、ストリーミングで聴こうと思います。
チェリビダッケは、若い頃には数学を学んでいたと聞き、驚きました。エルネスト・アンセルメも日本の朝比奈隆先生も、もともとは数学徒ですし、古代のピタゴラスは音楽も研究していますので。
チェリビダッケを紹介いただいてうれしいです。自分はブルックナーの録音で知りました。もう生で聴くこと叶わないのが残念です。
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EMI盤のミュンヘンフィルとのチャイコフスキーの5番を聞いてはじめて個々の演奏の繋がりの大切さを感じることが出来ました!
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チェリは、「最初の一音に最後の一音が宿る」とか、禅問答みたいなことを言いましたが、そういう感じの驚くべき演奏でした。
チェリビダッケのRequiem(フォーレ)、ポレロ、大好きです。お尻ダンスしながらの指揮の姿も大好きです。本当に何度も何度もズッーっと聞いてしまいます。チェリビダッケを語ってくださりありがとうございます。
個人的には、25年くらい前から名前だけは聞いていた指揮者でした。
数年前ですがRUclipsでドヴォルジャークの交響曲第9番(ミュンヒェンフィル)を聴き、あまりの遅さに衝撃を受けましたが、あの遅さと響きはハマると中毒性がありますね。
オットー・クレンペラーも、やや遅めで良く響いてる指揮者かなあ?と思っています。(特にコントラバス!)
音が濁るのがとにかくいやな指揮者という印象。和音の響き優先。残響ともケンカしないとなると超遅くなる。弦楽器は技術的限界を試されているといえるけど、声楽家や管楽器は体力的限界も試されているようなものだからオケから嫌われるのはよくわかる。遅くしようとして遅くしてるわけではなく、残響で濁らないテンポまで遅くしているだけなので、もともと遅めの曲は違和感なく聴ける。ブラームスの3番の3楽章とかすごくいい。
すごくわかりやすい解説、ありがとうございます!ピアノに知識が偏っているもので、チェリビダッケは数年前知りました。子供の頃からカラヤンばかり聴いてきて、最近では若干物足りなくなってきていたので、是非色々聴いてみたいと思いました。
カントゥッチーニ、そのまま食べると確かに硬いですよね。確かイタリア人はなんでもコーヒーに浸して食べるようなので、そのためだと思います。私はコーヒーがクッキーくずだらけになるのが嫌いなので、硬いのをボリボリ食べる派です。
チェリビダッケが初来日の時期。
高校生で音楽の友等のクラシック雑誌で彼の動向を追ってました。
現象学。 彼の当時の音楽を理解するのに語っていたキーワード。
それとFM FANなどのFM雑誌にも彼のインタビューが掲載されていて、なにかと他の指揮者をこき下ろすような発言が多く見られましたね。
当時から彼を崇拝していたので、カラヤンはほとんど聴いて来なかった。
ただ、テンポがやたら遅くなったのは晩年。 シュトゥットガルト放送交響楽団を指揮していた頃はそれほど遅いと感じたことは無かった。
お名前もその時代背景の状況も初めて聞きました。大変有難う御座いました。聴いてみたいとおもいました。
チェリビダッケの良さは録音ではわかりません。あのハーモニーは奇跡です。オケの音色もありえない美しさ。
録音では全く伝わりません。
フルトベングラーも多分本当はそうなんでしょうね。
録音を聴くしかできませんので、録音が存在することには感謝。
音ではなく音楽を聴けば録音でも十分に伝わりますよ😊😊
@@kazuhisakurumada
最近、色々聴いてますが、いい録音があるもんですね。いやいや失礼いたしました。
昔図書館にあるCDを聴きあさりましたが、どうもよくなかったんです。
チェリ氏の丁寧な演奏ははまると抜け出せない魅力がありますね。
最近の演奏会は出来は悪くないのに、きめ細かさが足りないと感じる理由がよくわかりました。チェリビダッケにかかると聴き慣れた曲に鮮やかなメロディが聴こえてきたりするんですよね。
チェリビダッケのミュンヘンとの展覧会の絵、キエフの大門のコーダのティンパニーの一撃はまるで未知との遭遇のようで、初めて聴いた時は、タイミングがズレてるんじゃないの?と仰け反りましたが、この曲の最高の名演だと思います。
先生のお話は歴史を大学で教えていた私にとっては本当におもしろくためになります。同時に前期高齢者の私にとっては青春を思い出させてくれるのです。進学校にいた私の周囲はクラシック音楽にのめりこんでいる友人が多かったです。でも、1960年代、時代でしたね。中学生で70年安保だった私の世代はもうそれ程ではなかったですが、学生によっては芸術家のファシズムへの関わりをその芸術家の能力より重く考える友人が多かったです。「トゥーランドット」に対しては、中国皇帝の娘が異民族とあのようにして結婚するというあり得ない異国趣味の産物のゲテモノ。一方、進駐軍で来日した多くの米兵と結婚するも米兵は帰国し二度と訪日しないという歴史ではない現実を考えさせた「蝶々夫人」は異国趣味との批判は弱かったと思います。よくも悪しくもそんな時代でした。
車田先生
今日の投稿も大変わかりやすく大変大変勉強になりました(^_^)
特にコップの水を使ってのご説明は「流石!」
目に見えない「音「」と言うモノの説明を
目に見える形で説明されていて
こういう表現方法があったんだなあ~なんてわかりやすい!
本当にいつも素らしいなあ~と思っております(^o^)
私の師匠の師匠のミケランジェリがチェルビダッケと仲がよかったらしく
そのルートで時々師匠からエピソードなど聞いていましたが
残念ながら私はミケ(私の門下ではそう呼ぶ!)もチェルビダッケも生前実際の演奏をホールで聴くことは叶わず。。。
今日のご投稿で、チェルビダッケの特別感って一体何なのかと言う事のより深い理解ができ
心から感謝です(*^_^*)
シャルル・ミュンシュ
ちょっと地味?かもですが、車田先生がもしお好きで、機会がありましたら取り上げて頂けたら嬉しいです♬
現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
😊😊
ミュンシュ!良いですね。
@@東夷-x5g
コメントありがとうございます!大好きなんです!車田先生、取り上げて下さるといいなあ~(*^_^*)
@@マユミージュ 私なぞチェリに人生変えられましたからね!その後ミュンシュを知りました。ボストン響を一流にした小澤征爾さんの先生の1人ですね。
チェリビダッケさんの演奏を聞けたのはブルックナーのシンフォニー(BGMで流していたもの)でした。「ブルックナーストップ」という休符があってもゆっくりゆっくりな曲でもフォルティティッシモ(fff)に向けて頂点に向かうブルックナーの交響曲はアメリカやロシアのオケのように輝いてパワフルでした。さながら『のだめカンタービレ』の千秋真一くんみたいに5時間連続練習みたいだったんですよね。これにうんざりする演奏家は多かったみたいですが、ほんとうにすごい演奏家でしたね
確か最後に出てきたイタリアのお菓子は、コーヒーや紅茶につけて食べるのではなかったでしたっけ...
そう言う人もいるみたいですが、特にきまりはないですよ😊😊
聴いてみたくなりました!
チェリのブルックナー、最初は77年パリでシュツットガルト交で8番。物凄いの一言。その後ミュンヘンフィルと7・8を数回。彼のブルックナーは的確な表現で”宗教”です。
車田さんがいつも最後におっしゃるチュスという言葉を聞いてわけわからん若者用語使いやがって!(アメリカの生活がもう30年近いのでごめんなさい。)とか思ってました。ごめんなさい。これからもいろいろ教えてください。
指揮者の名前も知らずにNHKのFMで聴いたライブ録音で感動して調べたらチェルビダッケ氏の演奏でした。録音しておけばよかったと凄く後悔しました。
カントッチーニはコーヒーにつけて食べることもできますよね。
車田さん、
チェリビダッケのラヴェルなら、リスボンでやった「展覧会の絵」やって下さいよ!
戦後のベルリンフィルを救ったのは確かだがレオ・ボルヒャルトの存在も忘れてはいけない、彼こそ不運の指揮者だな
チェリビダッケはライブで聴く指揮者ですね。ブルックナーですが、凄く長かった。
チェリビダッケは口が悪かった。他の指揮者に対しする口撃が酷い。
ベルリン・フィルの特徴と思いますが、ポストフルトベングラーの時のチェリビダッケにしても、ポストカラヤン時のマゼールにしても、近年ではティーレマンも、本命の人が音楽監督にならないですね。
チェリビダッケの演奏は、他の指揮者の演奏時間よりも5分以上長い。誤差の範囲内を超えてます。
晩年音楽の一回性を否定したグールドとは対照的に再生音楽を否定していたのに、最近では山ほどCDが出ていてどうなっているのやらと思いますね。
まぁ、子息のセルジ・イオアン・チェリビダーキ氏に『遺された記録を如何するか?お前が決めろ。』とのチェリの遺言を託されたのですから、セルジ・イオアン氏は発売をEMIを始めとしてドイツ・グラモフォン〜と氏の監修の上【正式版を許可】して、その収益を設立した【文化財団運用】の元手にしたとの事。ですからその成果を私は楽しんでおります。
チェリビダッケについては2点申し上げたと思います。
まず、出身国。 21世紀の今は考えられなのですが、封建的な20世紀中頃のドイツで
ルーマニア出身はやはりハンディがあったでしょう。 おなじように日本で人気のある、
マタチッチも、当時はオーストリアハンガリーとはいえ、ユーゴスラビアの出身。
20世紀までは、指揮者とオケは同国人が当たり前。今はこの伝統はロシアくらいですが。
この2人は、いわゆる音楽先進国のイタリア、ドイツオーストリア、イギリス、フランス、
チェコの出身なら、キャリアが違っていたと思えます。
チェリビダッケはコンサート指揮者で、これも保守的な20世紀半ばのドイツでは、
歌劇場のキャリアがない指揮者は半人前です。 フルトベングラーもカラヤンも、
マタチッチモみんな歌劇場指揮者の経験がある。 歌劇場カーペルマイスターの
重みは車田さんはよくご存じでしょう。