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わーい、ブルドックだー。はつかりはディーゼル特急の先駆けとしてフライング運用となった為にトラブル連発でした。投入線区が地味に高速&連続勾配というハードモードというのが原因。その後キサシ80がキシ80になったのもパワー不足を補完するため。はつかりで散々苦汁をなめた結果改良型のキハ80系が全国で活躍する事になったので大事な布石でした。昭和30年頃の車両は普通に防音断熱材として石綿がふんだんに使われていましたね。
欠陥だらけのボンネット気動車だったが、京都にいるキハ81系が唯一の生き残りてある。
特急いなほの間合い運用の特急ひたちは最初上越線の雪害を考慮して季節列車扱いだった。またキハ81型は背もたれの後ろが塩ビだったりカーテンがロールカーテンだったりとときの151系電車とは差がつけられていた。
色々迷な要素はあるだろうけど俺の中では名列車だよ、そしてボンネットがカッコイイし
京都鉄道博物館では6月の土日にキハ81の内部公開が行われています。この機会に是非!
意外ですが、京都鉄道博物館に保存されていますね😊
弁天町の交通科学館に長年保存されてましたからね。
くろしおに使われてた時は、キハ82との併結運用がありました。こだま型同様にボンネットに機器を格納し運転席後ろににも機器を格納したものの、エンジンの負荷が大きく故障を頻発しキハ82登場まで安定した性能が維持できなかった。しかし、ブルドッグの愛称で親しまれ最後は阪和でくろしお運用で幕を閉じた。大阪交科を経て京都鉄博に無事移転したのは幸いで、大阪交科は露天だったが現在は室内展示となりヘッドライトの点灯も実施されています。車内見学もできる日があるので、1度行ってみる価値はあります。
一時期上野駅ではホームの両側に、キハ81「はつかり」と161系「とき」が同時に停まっていたことがありました。これは見応えがありました。
小学6年の頃、上野駅で見た キハ81の いなほ とキハ181の つばさ はまさにあこがれの列車でした❤️
キハ185とかいういまだに置換えの話題が見えてこない車両、そもそも四国はともかく九州車は後継の噂すら聞かないが…
がっかりかもしれんけど、紀勢線電化前まではくろしお名古屋行きで運用してたよな!末期はそれなりにエンジンも安定してたんか??観たい人は京都鉄道博物館におこしなはれ!!!まぁ内装は新快速並やけどな(笑
誰も書いてないけど、43−10から44−10までの1年間奥羽特急つばさの運用に入りました。福島〜米沢間でEF71を連結するために連結器カバーが外されました
上野での走り出しエンジン音が爆発しそうで怖かった。八高のキハ車とは違うものを感じた
縦を横にするのは大変だ………その後は成功したけど代わりの大出力機関開発が遅れたんだよね。
基本設計が戦前のエンジンを横倒して、実用化試験もそこそこに高負荷連続運転すりゃ、何も起きない方がどうかしてますよねぇ…(苦笑)
ヤッターワンの元
キハ181系もデビュー当初はトラブル続きで大変だったとか。今でこそ汎用の産業機械用エンジンを鉄道用にチューンして使うようになり、そういう話は殆ど聞かなくなったけど。
当時の国鉄工作局長も「あれは 運転前の走り込みが足りなかった。」と 認めました。DMH-17は『はつかり』で火を吹き 後に『5ノッチ・5分』の決まりが出来ましたが JR化後 エンジン異常過熱で 新清水トンネル内で『アルカディア』を燃やしましたね。
火災の原因はエンジンの異常過熱というよりは、排気管の異常過熱だったような
@@電光刑事-u4c さま仰る通りです。補足説明ありがとうございます🙇
キハ81系を初めて見たのは上野駅でした。ひたちだったと思います。初乗車は、くろしおでした。尾久機関区も81系、181系で苦労しましたね。
@@chibita-32 さま私もやはり上野駅で見た『ひたち』が初めてでした。調べてみたら その『ひたち』登場時(69年)の上野→平の所要時間は 最末期の『はつかり』と比べて途中2駅(日立・泉)停車が増えたものの 161分から178分に大幅ダウン(因みに 停車駅が変わらない上野→水戸でも 90分から104分にダウン)と かなり余裕を持たせたダイヤで 車両に無理をさせないよう配慮していたのかもしれませんね。(共通運用だった『いなほ』が遅れた時の備えだったのかもしれません。尚 気動車最末期の72年には 上野→水戸86分 上野→平 途中常陸多賀・日立・泉停車で163分で走っていました。)
「くろしお」引退当時、鉄道ピクトリアル誌上での趣味界の大御所、高松吉太郎氏の「嗚呼! 美人薄命」の言葉が印象に残ってます。
後に先頭貫通型キハ82系で改良されたものの大出力機関がウリのキハ181系が投入された中央西線や奥羽本線の峠区間で再びエンジントラブル頻発という国鉄のダメっぷりが露呈。結果的に電化までの繋ぎ役だった訳で。
キハ81は、常磐線を、走っていたのか、すごい話だ。エンジン、駆動系の設計改良が進んだんだね。その頃の勢いのある日本は、すごかったなと思います。
はつかり改めがっかり😖⤵️
わーい、ブルドックだー。
はつかりはディーゼル特急の先駆けとしてフライング運用となった為にトラブル連発でした。
投入線区が地味に高速&連続勾配というハードモードというのが原因。
その後キサシ80がキシ80になったのもパワー不足を補完するため。
はつかりで散々苦汁をなめた結果改良型のキハ80系が全国で活躍する事になったので大事な布石でした。
昭和30年頃の車両は普通に防音断熱材として石綿がふんだんに使われていましたね。
欠陥だらけのボンネット気動車だったが、京都にいるキハ81系が唯一の生き残りてある。
特急いなほの間合い運用の特急ひたちは最初上越線の雪害を考慮して季節列車扱いだった。またキハ81型は背もたれの後ろが塩ビだったりカーテンがロールカーテンだったりとときの151系電車とは差がつけられていた。
色々迷な要素はあるだろうけど俺の中では名列車だよ、そしてボンネットがカッコイイし
京都鉄道博物館では6月の土日にキハ81の内部公開が行われています。この機会に是非!
意外ですが、京都鉄道博物館に保存されていますね😊
弁天町の交通科学館に長年保存されてましたからね。
くろしおに使われてた時は、キハ82との併結運用がありました。
こだま型同様にボンネットに機器を格納し運転席後ろににも機器を格納したものの、エンジンの負荷が大きく故障を頻発しキハ82登場まで安定した性能が維持できなかった。
しかし、ブルドッグの愛称で親しまれ最後は阪和でくろしお運用で幕を閉じた。
大阪交科を経て京都鉄博に無事移転したのは幸いで、大阪交科は露天だったが現在は室内展示となりヘッドライトの点灯も実施されています。
車内見学もできる日があるので、1度行ってみる価値はあります。
一時期上野駅ではホームの両側に、キハ81「はつかり」と161系「とき」が同時に停まっていたことがありました。これは見応えがありました。
小学6年の頃、上野駅で見た キハ81の いなほ とキハ181の つばさ はまさにあこがれの列車でした❤️
キハ185とかいういまだに置換えの話題が見えてこない車両、そもそも四国はともかく九州車は後継の噂すら聞かないが…
がっかりかもしれんけど、紀勢線電化前まではくろしお名古屋行きで運用してたよな!
末期はそれなりにエンジンも安定してたんか??
観たい人は京都鉄道博物館におこしなはれ!!!
まぁ内装は新快速並やけどな(笑
誰も書いてないけど、43−10から44−10までの1年間奥羽特急つばさの運用に入りました。福島〜米沢間でEF71を連結するために連結器カバーが外されました
上野での走り出しエンジン音が爆発しそうで怖かった。八高のキハ車とは違うものを感じた
縦を横にするのは大変だ………
その後は成功したけど代わりの大出力機関開発が遅れたんだよね。
基本設計が戦前のエンジンを横倒して、実用化試験もそこそこに高負荷連続運転すりゃ、何も起きない方がどうかしてますよねぇ…(苦笑)
ヤッターワンの元
キハ181系もデビュー当初はトラブル続きで大変だったとか。今でこそ汎用の産業機械用エンジンを鉄道用にチューンして使うようになり、そういう話は殆ど聞かなくなったけど。
当時の国鉄工作局長も「あれは 運転前の走り込みが足りなかった。」と 認めました。
DMH-17は『はつかり』で火を吹き 後に『5ノッチ・5分』の決まりが出来ましたが JR化後 エンジン異常過熱で 新清水トンネル内で『アルカディア』を燃やしましたね。
火災の原因はエンジンの異常過熱というよりは、排気管の異常過熱だったような
@@電光刑事-u4c さま
仰る通りです。補足説明ありがとうございます🙇
キハ81系を初めて見たのは上野駅でした。ひたちだったと思います。初乗車は、くろしおでした。尾久機関区も81系、181系で苦労しましたね。
@@chibita-32 さま
私もやはり上野駅で見た『ひたち』が初めてでした。
調べてみたら その『ひたち』登場時(69年)の上野→平の所要時間は 最末期の『はつかり』と比べて途中2駅(日立・泉)停車が増えたものの 161分から178分に大幅ダウン(因みに 停車駅が変わらない上野→水戸でも 90分から104分にダウン)と かなり余裕を持たせたダイヤで 車両に無理をさせないよう配慮していたのかもしれませんね。
(共通運用だった『いなほ』が遅れた時の備えだったのかもしれません。尚 気動車最末期の72年には 上野→水戸86分 上野→平 途中常陸多賀・日立・泉停車で163分で走っていました。)
「くろしお」引退当時、鉄道ピクトリアル誌上での趣味界の大御所、高松吉太郎氏の
「嗚呼! 美人薄命」の言葉が印象に残ってます。
後に先頭貫通型キハ82系で改良されたものの大出力機関がウリのキハ181系が投入された中央西線や奥羽本線の峠区間で再びエンジントラブル頻発という国鉄のダメっぷりが露呈。結果的に電化までの繋ぎ役だった訳で。
キハ81は、常磐線を、走っていたのか、すごい話だ。
エンジン、駆動系の設計改良が進んだんだね。その頃の勢いのある日本は、すごかったなと思います。
はつかり改めがっかり😖⤵️