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この改造、実は相鉄がお初ではなく、北陸鉄道加南線での車両大型化の決定版として登場した6010系アルミカーが日本初のアルミ車体の木造車更新車です。相鉄は実は日本で3番目のアルミ車体の吊り掛け駆動車です(2番目は京成1600型初代開運号の更新車)。これらの車両は大きな功績を残しており、それまで故障が多かった木造車の大型化工事で、劇的に故障を減らせた車両とも聞いたことがあります。
本回の改造にしろ、ネイビーブルー化させたりと、何かとくせの強い事をやってとにかく車両に落ち着きがないのすこ
YNBも迷走しまくってますし……歴史は繰り返すというかなんと言うかw
捏造ファンという同人誌では新7000系のYNB仕様のコラ写真が載っていましたが結構カッコよくて実車でもやって欲しかったです。
もはやテセウスの船と化した2100系wそしてコデ165形は相鉄から来ていたのですね。
もはや新製時からの部品が残っているのか怪しいレベルで改造されてますwコデ165、相鉄2000最後の現役車ですからね。末永く期待してもらいたいものです。
木造車体にVVVFとか、アルミ車体に吊掛モーターとか、まさにアベコベでチグハグな魔改造っぷり。だけどもそれこそが相鉄の真骨頂とも言える。。。
全くもって相反する要素が、思いっきり1つの車両に詰め込まれてしまう……。それが、相鉄のカオス車両の「特徴」。車両繰りや資金難があったにせよ、とんでもない発想だな……と思いますw
高度経済成長期の相鉄は質より量で改造しまくり、東武鉄道、西武鉄道も似たようなものだが相鉄ほど派手ではない。
@@tourin_205 さん相鉄の当時の資金難は「成長する為の資金が足りない」状況だったはずです。当時は横浜駅新ターミナル(相鉄ジョイナス)の建設、全線複線化(海老名駅改良)、いずみ野線建設、かしわ台駅新設、全営業車20m4扉化、8両編成化という大きなプロジェクトが集中(全て昭和48〜51年完成)する一方、物価高騰→オイルショックという社会的な問題が背景にあった事が大きかった。
最新のアルミ車体に旧式吊り掛けとか最新のフェラーリ風のボディでエンジンは旧式のV8OHVエンジンを載せたミッドシップ化したコルベットに似ていますね。
ガソリンカーからエンジン引っ剥がしたのって、元東急キハ1型ですね。流線型の気動車を切妻の無動力電車に改造したやつです。ちなみに相鉄2100系は東横線綱島〜大倉山の間にあるお寺さんに生首が保存されています!(相鉄9000は何故SIVでは無くMGなのか…)
それも予算の都合で仕方なく6000系からMG拝借してつけてるからね
9000や8000のMGの件と言い、変なとこケチりますよね、相鉄ってw
@@tourin_205 8000系は、新品MGなのに9000系お古のMGに機器更新されてもなおこき使われる
9702Fだけ旧型国電のPS13型パンタグラフを装備していたけど…その姿で広報用ポスターやパンフレットにも起用された。
西武は旧モハ50系を好み相鉄は旧モハ31系に近いのを好むか東急は嫌い自社製車体に
さて、2100系。鉄に目覚めた時期によく乗った車両なので記憶は明確です。また、私鉄電車ガイドブック4(1978年)に旧性能から新性能への過渡期だったので詳しく記載されてます……ちな、この4巻は名鉄も載っておりあのカオスな車両を隈無く網羅してます。自分としてもバイブル的1冊。さて、2609編成旧性能時代は謎だらけの編成でした。話せば本当に1本動画作れるレベルです。ちな、新性能化の理由で保守費が嵩む事もあるが、もう1つの理由は「いずみ野線のダイヤに乗せられない」という点です。いずみ野線は当時最高速度は95km/hに対して、2100系は85km/hしか出せなかった事。二俣川での急行接続に支障が起き始めた事もあったと聞きました。(以前の乗務員の話)
だとすると更新前の3000系はいずみ野線開業後はほぼ予備だったのはある意味納得だな
@@hasinomoto さん3000形は更新まで約10年間は確かにあまり積極的には入線しなかったですね。2、3度乗ったけど通常90km/hくらいで走行する南万騎が原〜緑園都市間でも出せて80km/h弱でした。まだ、2100系吊り掛けの方が何とか80km/h出せた感じ。
@@hisakounosuke2474 さんいくらアルミ車体で軽量化しているとはいえ 更新前は100kwしかなかった2100系よりも 同じく更新前は142kwあった3000(3010)系の方が走りが劣っていたのは意外でした。確かに 高速化に対応出来なくなったというのも 更新された大きな理由でしょうね。
@@toriri-service さん旧性能時代は2100系 6両 4M2T3010系8両 5M3Tが主体であり、しかも3010系は歯車比が1:4.13と浅く力行時のパワー不足は否めなかったでしょう。
@@hisakounosuke2474 さんなるほど 高速域で頭打ちになったという事ですね。弱め界磁が無かったのかな?🤔3010系と同じ出力・同じギア比の東武7800系や5000系列(弱め界磁付き 3M3T)は 高速域の伸びは悪かったものの 一応90km/h迄は出ていたので。方や更新後に高性能化 方や車体のみ冷房付きの新しい物に更新 そのまま使い続けて廃車と それぞれに会社の個性が反映されましたね。
いつも見てます!やっぱり迷列車は面白いですね~
ありがとうございます😊
さすが相鉄!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!
アルミ試作車が来るまで大和駅で待ってたんですよ(笑)あと 相鉄の先頭車+中間車は必ず貫通幌にしててくれたのでそこへ行って運転台を見るのが大好きでした♡小田急は貫通しないので相鉄カッコよかったですね…長文m(__)m
俺の胴体を返せ〜!!で吹いてしまったw
渾身のボケを拾って貰えて嬉しいですw
機器流用は名鉄も得意とするところですが、ここまで凄まじいのは無かったような気がします。その中で6750系はカルダン駆動化の準備工事をしてあったようですが、結局吊り掛け駆動のまま引退しました。
相鉄3050、2100に関しては名鉄を超えることが出来る……そんな車両だと思ってますwまあ、名鉄さんは迷車の「数」が段違いですがね……w
6750系の二次車がカルダン化対応でしたね。瀬戸線が鋼製車体全廃・塗装設備廃止に舵を切り6000系・6600系とともに引退しましたが、もし現在も塗装設備を残してあったなら新性能化されていたかもしれません。
日本で一番高級だった『吊り掛け式ロングシートの通勤電車』でしたね。改造の遍歴も 相鉄らしい『ぶっ飛びぶり』。そして カルダン化時に制御装置まで迷わずに取り替えちゃったのも偉い!小田急4000形はカルダン・冷房化した時も 制御装置は存置したから発電ブレーキが付いていませんでした。 因みに 東武がこの時代にアルミ車体を出していたら 同じような顔になっていたかも。(なんとなく『東武顔』っぽいので)
たしかに何となく「東武顔」っぽいですよねwなるほど、制御装置の取り替えを行ったから、HSC+発電ブレーキの組み合わせが実現したと……。これも、2000年代初頭まで生きながらえた秘訣、なのかもですね。というか、この時代の相鉄車、ぶっ飛びすぎていて怖いですw
津覇車輌で、ステンレス車体の8000型の構体を試作したようでした。 結局はコスト高の為、普通鋼での量産になりました。
@@設営撤収民兵 さんそれ 津覇車輌ではなく『ナニワ工機』だった筈。確かに8000系をステンレスにしたようなイメージでしたね。因みに (噂レベルですが)その車体を使って 7300系を再度更新する計画もあったとか。
@@tourin_205 さん2100系は発電ブレーキは最後までありません。7000系ですら発電ブレーキが経済的にペイしないという理由で採用されてません。
@@toriri-service さんご指摘を、ありがとうございます。 失礼します。(汗顔)
相模鉄道2100系の走行音は停車している時はやっぱりごりごりごりごりとなりますよね。それがたまりませんね。
ゴリゴリ……なんの音なんでしょう……?
コンプレッサーと思います。旧型国電の重厚な駆動音。対して発電機は非冷房時代はSIVでしたので、ゴリゴリという重い音とプーンという波長音のデュエットでした。
2100系の車内は、2段サッシ窓車が寒色系で、1段パワーウィンドウ車が7000系と同じ暖色系でしたね。同じ時期に製造されていた新6000系と、車体が鋼製かアルミかの違いで、兄弟車に近いと思いますが、新6000系にはパワーウィンドウ車は製造されませんでしたが、寒色系と暖色系が両方存在していました。この兄弟車から生まれたのが7000系になりますね。(優性遺伝!)もちろん、5000系の動画も作成されますよね。3050系と2100系が凄すぎるから格落ちに見えますが、湘南顔からアルミ車体を手に入れて、最終的にはVVVVF車になり、その際に先頭車化改造された部分の妻面の窓が、運転席窓をそのまま流用しているは、とても最高でした!!
5100系、そして二代目5000系も、ぜひ動画作成したいところではあります……!(相鉄車体更新シリーズをコンプしたいw)ただ、初代の湘南顔の写真素材が今のところ見つからず、足踏み状態ですw
6000系の幅広車両の初期車は化粧板が薄緑で途中からアイボリーに変わっていった。
車内についてですが、これまた曲者で新6000系のように後期車はアイボリー系の内装で揃えられましたが、吊手受けの形状、荷棚の前縁に掴み棒の有無、スピーカーボックスの形状、座席端部のパイプの形状、室内蛍光灯の台座の取付部等細かい点で新6000系と違っていました。
シャア専用バリの、先頭車だけ銀色というところが当時子供だった自分に刺さってよく乗りに行った。
モハ6021、私は現役時を知りませんが、それは異彩を放っていたんでしょうね……。初めて見たら、めちゃくちゃ心惹かれてまいそう……w
8:16 カオスブレイクって、元ネタが完全にイナズマイレブンですね😂😂😂
あ、やっぱり気づいちゃいましたねw突っ込んでくれると期待してましたw
メガループをまるで思い出させるかのような構成とセリフ・・・
2000系や3000系の車体を交換して新性能化したり、5000系のアルミ車体を中間車化改造したり(アルミ車体に手を加えるという話はあまり聞かないし)、相鉄もなかなか凄い事してますね、、、
あまりアルミ車を先頭車化、というのは聞きませんもんね。(加工が難しい?とか聞いた覚えがあります)相鉄はなかなかに……というかめちゃくちゃ「迷走」してますw
@@tourin_205 アルミ車の改造…確かに少ないですね。そんなとち狂った改造、国鉄くらいしかしないかと。381系「ブェックショイ!!」200系「誰や俺らの噂した奴は」
最近だと9000系のリニューアル。関東であれだけやるのは珍しい
5000系(5100系)2両が中間車化改造を受けています。車内から見ると運転席の窓の上下寸法に名残があり側面から見ると裾が斜めに切れていた上に側窓のサイズも少し狭かったようだ。
こういう被し系電車一度は乗ってみたかった🥺(生まれてない)
どの会社でも、2000年代初頭に一掃されてしまいましたからね……。私もほとんど記憶がありません😭
相鉄2100系初めて乗った時はアルミ車体にパワーウインドウなのに吊り掛け駆動で、そのアンバランスさにビックリしました。数年経って乗ったら、カルダン化されていて、フツーの電車になっていましたが、最初のインパクトは強烈でした。相鉄らしい車両だったのかなあ
相鉄の顔とも言えるアルミ車体+相鉄のお家芸、吊り掛け機器流用が同時に見られたのは、この2100系のみ、ですからね。相鉄らしさ全開の車両……と言えるでしょうw
戦前の相鉄に日本初の電気式ディーゼルカーがいましたね。後に日立電鉄へ譲渡されましたが。
日立電鉄に譲渡されたゲテモノ、元ガソリンカーの車両含め1990年代まで思いっきり現役でしたからね……。走ってる姿を見てみたかったものです。
『昭和時代鉄道記録映像』でRUclips検索してみてください。プレイリストの『よこかわ』の駅名標のサムネの3つ下 凸型電機のサムネ(No.43)の動画の13分辺りに ワンカットですが 大橋駅に進入する『モハ15(元相鉄モハ1003→キハ1003)』のシーンがあります。正面切妻改造される前 横から見ると台形断面だった 気動車時代のオリジナルスタイルの映像です。日立では当時『はしご電車』と呼ばれていたそうです。
元相鉄電気式ディーゼルカー(日立電鉄モハ13〜16)1987年の走行映像です。ruclips.net/video/USxd24iFDv0/видео.htmlsi=RZZisOtVJ8qhhV-_
@@toriri-serviceこれはまた貴重な動画を……。参考になります……!(どこで見つけるんですか、凄すぎるw)
@@tourin_205 さんたまたまフォローしているクリエイターさんが上げておられた動画です。お役に立てればと思いましてね。
お隣り小田急の初代4000系も、当時の小田急標準車体に旧型車のモーターを使った吊りかけ駆動車、のちに冷房・カルダン駆動化を果たしたなかなかの迷車なので是非取り上げてください😊
ネタ提供ありがとうございます😊ネタストックに加えさせて頂きます!!
同じ吊りかけ車の1800系と編成して謎の脱線事故に悩まされました。
@@N--jv3go さんモーター以外は ほぼ全て新調。台車は わざわざ東急から7000系を借りて来て試運転までして採用した『パイオニアpⅢ』でしたが 事故原因はそれが仇となったようでしたね。
なんの!東武には直角カルダン駆動から吊り掛け式になった『5720形』がある!三岐鉄道120形や阪神ジェットカーも 琴電や京福に譲渡された物は カルダンから吊り掛けにグレードダウン。しかも 琴電に行って吊り掛け式となった個体の一部は 後年 新製した台車を与えられて 再びカルダン駆動となったからややこしい。
良い動画をたくさん投稿してください。これからも頑張ってください。ずっと応援しています。
嬉しいコメント、ありがとうございます😊
こちらこそ、ハートありがとうございます。
1960年代の相鉄は、日立の実験場のようなことをやっていたようですね。東急の「アオガエル」に対抗した軽量車体の5000系とか。最新鋭のインバーターが2100系についたのも、日立の実験用だったのではないでしょうか。
電磁直通ブレーキも『日立式』でしたからね。因みに新京成は VVVFインバータに関しては『三菱電機の実験場』的なところもありました。
2100系に付いたインバーターは電動発電機用。別でVVVF制御器試験で6000系が試験に使用された。(営業運転実績は無かった)
明けまして、そして6000人達成おめでとうございます‼️今年もよろしくお願いしますm(__)m車体更新や機器流用は合理的な節約に見えますが、実はそうでもないことが分かる例ですね。最初からカルダン化後の最終形態で新造した場合と、形態統一化から最終形態までにかけた改造費用ではどっちの方が安かったのかも気になります。あとはVVVF化していれば3050系に並ぶ伝説化しただろうに・・・
いつもありがとうございます!(´▽`)機器流用を行い、整備コストが高くついて結局新性能化……という結果は、目に見えていたように思いますが……。結局吊り掛け→カルダンに改造する費用が余計にかさみ、コストはトントンだったのかなぁ……と思ってますw
車体新製・機器流用は東武などあちこちで行われていますが、相鉄の改造は機器類もグレードアップして完全な別物に大変身してしまうという……それも1形式だけではないのが凄まじいです(笑)。そんな会社がJRや東急直通で都心に顔を出すようになった発展ぶりには驚きです、次の相鉄編は「お買い物電車」モチーフの東急青ガエルのお仲間……⁇
よく中間車+先頭車+先頭車と言う編成を変態編成として扱われる事が多くありますが、この連結の仕方はかの有名な近鉄のエースカーの思想の物であり、更にその大元を辿りますと阪和線に於いてこの連結使用がある為、関東・首都圏ではあまり見られない感じなのかなと言うのがあると言うのは旧国電愛好家のカミさんの言葉だったりします。相鉄にやって来た17m車と言うのは大体が国鉄や大手私鉄の物が流れ流れてやってくる「わらしべ長者」戦術だったそうですが、逆に言えば大枚をはたいて車両を購入せずに運営できたと言う点では、現代の地方鉄道に似ている所はあるのではないかと思います。カミさんによれば意外と相鉄は東急と仲が良く、アルミニウム・ステンレス車両への導入が早く、東急自体が軍需産業を帯びた子会社を抱えていた事もあってアルミニウムやジェラルミンと言った軽量な素材を所持して居た事からできた釣りかけアルミニウム車であった事で知られており、相鉄側では車体「だけ」を載せ替えれば性能アップすると考えられていたそうですが、アルミ・ステンレス車体と言うのは重厚な電動機とは非常に相性が悪い為パワーの割に騒音がけたたましくなりやすいと言う欠点があった事は否めなかったそうです。それを考えますと実は電動機と台車の組み合わせと言うのは過剰すぎてはいけないバランスの上に立つ物で、スイスランドの車体や台車が日本へ来ると短命と言うのはそのバランスが成り立っておらず、電動機が強すぎたり、台車が脆過ぎたりと言う数学の三角関数を理解しないと言いマッチングをしないのだと言うのがカミさんの言葉だったりします。
15:17 大倉山駅から急な坂道を歩いて数分のところにあるお寺で保存されてます。
この生首を拝みに行ってみたいものです……。
自動窓にはそんな秘密があったんですね。扇風機のボタンもあったような😊そして変な中間車が混ざってた謎も解けました。😅
相変わらずの東武もびっくりの魔改造…
東武さんも東武さんで大概ですが……w相鉄もまぁ、とんでもないことになってますねw
東武はカステラの更新時にVVVF化するような無理はせず現路線でした。
京阪1000系「相鉄さんは物を大事にする立派な会社でんなぁ」
相鉄モニ2008「お 宅 も ね」
「気にしたら負け」…まさにその通りだと思う😊でも、そんな相鉄が大好きです。高校通学ではお世話になりました😆
日常的にVVVF車と混結する1970~80年代製(当時完全新車)の吊り掛け駆動、江ノ電1000形(私のアイコン)。おそらく日本で最新の吊り掛け電車。更新でドア上LCD、フルカラーLED方向、シングルアームパンタがつきました。
相鉄ネタは、数えられないぐらいあるもんで、相鉄は元々、横浜にあった立ち食いそば屋が元だったり大東急時代に車両不足で京急のデハ230型を持ってきて、小田急の厚木まで直通させたり、戦後も、63系タイプの共通車両を使っていたことから、相互直通を厚木まで行ったり、最近は顔だけ復刻塗装にしたり...迷な会社なのが伺えますね。あとこの間、12003編成に乗れました(というかこの子ばかり来るもんで、頭の中で会話を思い出したりしていますw)。
相鉄は本当に戦前も戦後も「迷」なエピソードが多いですw12003、私はあんまり乗ることが出来ず……というかそもそも12000に当たることがほぼ無いので、羨ましいですw
扇風機のON/OFFスイッチとドア横の乗客用鏡それが相鉄の内装あの鏡で降りる前に髪型確認していた人をどれだけ見たことか...そして足回りには何故か外側にむき出しのブレーキディスク今思えばキワモノ装備揃いだった
9000系まで採用された直角カルダン駆動も
相鉄はホンマにこだわりが強いというかなんというか……。車内の鏡、痒いところに手が届く機能ですよね。
相鉄GJ!前回は鋼製車の変態でしたが今回はアルミ車の変態ですかwこれだから相鉄好きはやめられない。経営陣orかしわ台に改造マニアがいるのかしら。あの古のED10型も電車部品のかき集めらしいので。んー、なんか電車来たな~7000系か、いや5000系か?え、2000系???てな体験を何度かした覚えが。当時は違いが良く判らんかった。新型車両を作る為の技術を自前で磨こうという技術者魂あふれる会社です。もっこす熊本人の琴線をガンガン刺激してくれます。地元の熊本電鉄もアク強めですが、それが良い。
相鉄はほんまにおもろい会社ですよねwアルミ車の顔を見分けることができるようになるには、それなりの知識が必要ですよね……。(ほんまに似てるw)
相鉄に惹かれたのは90年代厚木に引っ越してきて小田急に乗っていた時海老名駅へ入線する電車の異様な輝き(アルミ車体+ディスクブレーキ)に只ならぬものを感じてからです。あんなに闘争心むき出しの電車なんて他では見られないので。 何となくメリケンな匂い(NY地下鉄っぽい)もしないではない。
2100系の経歴、誰とは言わないけど仙石線から八高線に渡った車両みたい....
ホンマにその通りですwしかも、種車がさらにカオスという……w
仙石線から八高線・・・一体何03系3000番台だろう・・・?(すっとぼけ)
当時は東急だっただけに、迷走ぷりがすごいですね。 画像の車輌は、帝都電鐵モハ100型と思われます。 戦災車を引き取ったのだろう? 修繕も東横工場で成されたらしいし。
さすが東急の血を引くもの、迷走っぷりが凄まじいですよねw現代でも東急5000系はぐっちゃぐちゃだし、編成内で20年差の車両が混在してたり……。相鉄は塗装がコロコロ変わるし……。歴史は繰り返す?w
相鉄といい、京阪といい、名鉄といい、国鉄といい、都電といい・・・どこも車体載せ替え車の扱いには苦戦していたのですね・・・というかSIVが昭和40年代からあったの・・・主さん、そんな辛い過去があったとは・・・
siv、結構その歴史は古いんですよね。資金難でケチった結果、もっと金がかかってしまったと言う、本末転倒の良い例です……w
東急はS44年8000系1次車からSIV搭載してます。
東武は吊り掛け駆動の5000系とカルダン駆動の8000系の連結させて走らせようとしたのみたいですが。駆動方式の違いで乗り心地が最悪になるので実施はされなかったみたいです。
西武でも『赤電』の時代に カルダンの701系列とそれ以前の吊り掛け車の併結(どちらも自動空気ブレーキ)がありましたが カルダン車も加速性能を吊り掛け車に合わせていたものの やはり加速中は 701系列が『押したり 引っ張ったり』だったそうですね。東武5050系と8000系は 一度どちらかが故障した時 救援で併結した例があったようです。
さすが東武、考えてることがえげつないw……東武なら乗り心地云々二の次にして、営業に突っ込んじゃいそうな気もしなくないですが……ww
@@toriri-service 吊り掛け車とカルダン車の併結ってありそうで意外とないですよね。西武以外で自分が知る限りでは京王(5000+5100)と銀座線(6両編成中1両だけ吊り掛け)ぐらいのような。
その数年後に東武はチョッパ形と3VFの共通連結をするという8000系と5000系が出来なかった違うモーター同士の実現しちゃうんですけどね。やっぱりチョッパ形と3VFの連結は乗り心地と運転士からはあまり良くなかったみたいです。
@@jtane12r さんあとは遠鉄(30形の最終型モハ51+クハ61はカルダン駆動)江ノ電もありましたね。その江ノ電では 吊り掛け式の1000形とVVVFの500形との併結もあったかも。新京成も 70年代までは800形と在来形の併結は 珍しくなかったし 京成青電でも『カルダン+吊り掛け』はあったようです。事業用車も含めると『クモニ83』や『クモユニ74』も新性能電車と併結してましたね。カルダン・吊り掛け 全車マスコンをHLタイプに統一していた琴電でも やっていました。元京急1000形の1080形は 限流値を下げて 弱め界磁も切る等 性能も落としてありました。
この話の話題でさらに上をいくのが東武鉄道で実社の戦前に走って車両に当時の最新形で絶賛量産中だった8000系と同じ車体を製造して旧型18メートル車体に載せ変えたのは良いものの屋根の構造が8000系とは異なるので冷房を搭載が出来ないことが判明して非冷房で新たに登場しました。この3000系の車番の振り方がなんと種車の窓の形という意味がわからないやり方で振り分けられてたらしいです。
東急7200系も4両編成全車先頭車で、内3両同じ向きとかあったなあ
7200系に、そんな編成があったんですか……?さすが東急、滅茶苦茶……w
@@tourin_205 それどころか、大井町線に7200系と改造した7600系を混ぜて6両編成というのもw
@@tourin_205 4連時代の目蒲線で多数存在、3450系等の旧3000系グループでは東横線と大井町線で5両オール先頭車の編成もありました。この頃の東急は相鉄以上にカオスで東横線と新玉川線以外は掃き溜め状態で中間運転室の件で東武にクレーム入れるなんて筋違いの会社です。
東横線では7200系冷房改造車で8両全部先頭車と言うのがあった。2両ユニットX4であった。3両が同じ方向を向いていたのは目蒲線用で連結面の幅を調整してあった、因みに相方のクハはVVVF化半数は方向転換され7600系になりました。末期には2両が中間車化されているなど魔改造しまくりでした。
窓の開閉の自動化(かなり昔から)、ドアの横の小さな「鏡」、「露出」したディスクブレーキ・・・あと、空気バネなのにちょっと「硬め」の設定。なので乗り心地(最近、柔らかくなったかな?)が少々硬め。でも静かで一部クロスシーともあり、アコモも白黒を基調として落ち着いた感じが好きです。それにつり革も、ちょっと遊んでいる感じの形があるのがいいです。
新性能=カルダン化改造されても東洋電機製造の主電動機だったのか他の直角カルダンの抵抗制御車ながら爆音だったりしましたね
直角カルダン、かなりの爆音だったようで、ホンマに吊り掛けちゃうんよな?と思われたこともあったとかなかったとか……w
16:31 こんな会話があったのだろうか? もしそうならモニ2005優しい車両やな・・・上の人たち「不法侵入してくるなんてどんな奴なんだ・・・」モニ2005「まあ、ワシのほうから注意しておきますんで今回はどうか許してやってください。」
まさに「テセウスの船」ですね。鉄道車両の歴史をたどるとこの例えが出て来る事が多いですが(C57型1号機や58654号とか)、相模鉄道3050/2100は本当に究極ではないかと。
現存するのは改造したモヤ700だけですね。
相鉄のおっちゃん、相模だけに原監督感あるなww(おまえさん)
いつも楽しく拝見しております。キャラクターたちの会話、絶妙ですね。ハリボテ列伝、海老名繋がりで小田急初代4000あたりいかがでしょう。
今の相模鉄道株式会社そのものもハリボテ(法人格の前身がきしめん屋)
7:55あー懐かしい!こんな音だった。
りんかい線「うちの70-000形が知りたがりですみません」相鉄「厳しく言っといてにゃん」
70-000:今度はT武に潜入すっかなぁ……w
@@tourin_205 253系「やめとけや、最悪俺が引っ張れるだろうけどw」
今は日立製作所か総合車両製作所の標準規格の一般型電車が走っているが、嘗てはこんな多種多様な車両が走ってたのか。運転も維持管理も大変そう。
すごい改造だな、しかも伊豆箱根鉄道のコデ165が元相鉄の吊り掛け駆動車だったなんて驚き!
相鉄2000最後の生き残り、現役車ですからね。ゲテモノ改造の生き証人として、末永く活躍して欲しいものですw
そうですね
コデ165、古い割に車体が垂れ下がっていないがっちりしてますね、東急の3450系、3500系は酷かったですよ乗ってみても中央が下がっているのが分かるくらいに歪んでいた。
@@N--jv3goそんなに垂さがるもんなのか……。(解体中の209-500を思い出す……w)
最初は3連で営業していました。
懐かしい
相鉄6000系はシンプルながらも使い勝手が良かった車両でした。アルミ試作車6021やユニット方式試作車のモハ6144.6145、多彩な台車バリエーション、PS13パンタなど、とても面白い形式だと思います。VVVF試験(東芝製)もしていたそうですし。是非6000系も解説して欲しいです🥺
戦後の相鉄が車両に頑張り出したのは湘南顔で新製した5000系からなので決してつぎはぎや魔改造ばかりだったわけではなく、そこそこ儲かって金はあったと思うのに何で?…というあたりが相鉄クオリティなんだよな、小田急直通を続けていたらとか、色々「もしも」も多い…
これは5000系(初代)の頃で乗務していた方に聞いた話(もう20年以上前ですが)だけど実は相鉄はあまり5000系導入を躊躇ってたが、メーカーの頼みで仕方なく導入させられたとか。製造費用が高すぎて、輸送力増強が追いつかず仕方なく旧国電の10系電車を昭和33〜36年に追加増備。これが今回の2100系の種車である2000系の一部となる。
14:00 名古屋市営地下鉄3000形『なんだこれは ちゃんと運転台撤去して面影をなくせよ!』名古屋市営地下鉄3159編成『君が言うことでは無いよ()』
時間通りに配信しなかったから配信見れなかったジャマイカふざけるな!()
すんましぇん!定時投稿に努めますw
0:52相鉄車「なんか銀色の怪しい車両がいる!!!!」1:35草3:352000系「解せぬ」4:03これは酷いw4:10もっとひどいwww7:59旧型車のを使いまわしたな・・・()9:22ばね下重量やばいw11:08草12:18はっやWW13:58向き合わせて()15:27もう意味わからない・・・16:36やっぱり
輸送力向上には軽量化が必要だった
アルミ車体でも2段窓非冷房組(冷房化改造)と冷房パワーウィンドウ組の混結があったなぁ。再改造されてカルダン駆動化されていたが。
名鉄6750系「俺といい勝負だな」(戦前の吊り掛け駆動使用&大手私鉄最後の吊り掛け駆動)
この2100系、そして3050系に関しては名鉄に太刀打ちできる数少ない車両の一つであると思ってますw
@@tourin_205 こう見ると相鉄と名鉄は似てる所が多いですね…
相鉄5000系や3000系(吊りかけ→一気にVVVF)も似たような事をしています。そのうち走るんですシリーズも何かやりそうな気がする。
今や新宿、渋谷にも乗り入れる相鉄。ドイツとフランスの中間っていうことでベルギーにEUの本部が置かれたのと理由は似てるが。
このごった煮の時代からは、相鉄は考えられないほどに進化しましたね。
相鉄の迷要素の一つに「色」がありましょう。3000・6000・新6000系が黄緑色でしたが、現役時、私は、「何でこんなスライム色に!?」と思っておりましたw
スライム色w相鉄の色、と言えば、近年も迷走しまくってますねw一体どうするつもりなんでしょうかw
📻{クソ理由“身近にふと青大将があったから採用した(オチ)”}«#つばめ青大将色»辺りから採った色とか❔直近約20年内に立体物が出てたとか❔、«追記»警戒色+地の色(補色)でそうなったとか、後は、“当時の沿線問題(#踏切突破ダンプ)”の対策で、とかそんな感じかネェ…(❔)
あれテスト時には黄色いのもあって薄緑のが採用に至りました、理由は再塗装の手間を省くというJR西日本みたいな理由です。
@@N--jv3go西の単色化……あれは酷いwコスト削減作とは言えど、海坊主にさつまいものような色に……。あれ?もしかして元フレッシュな彼も経費削減……?
ほほえみ号をはじめペイントした6000系後期車3本が凄かったです、時期が古いためかラッピングではなくペイントでした。
キハ1ww電気設備類のコスト削減でガソリンカーを入れたのはいいけど坂登れなくて早々に手放されて相鉄に流れ着きエンジン引っペがした後に一部が車両不足の応援で一時的に里帰りしちゃったやつやん
おっしゃる通りですwガソリンカーのエンジンひっぺがして、クハに改造する……、どこかの北の大地のトンデモ鉄道のようなことになってるんですよね、これw
突拍子もねぇ、魔改造っぷりが相鉄の真骨頂とアイデンティティーだろうな。最近まで乗り入れしてなかった為ガラパゴス的進化したとも言える。
ガラパゴス化……まさにその通りですね!他社との直通規格を全く考慮する必要がなかったからこそ、とんでもない独自進化を遂げた車両たち……ホンマに面白いですよね!
その裏では相鉄「はいもしもし、これはこれはりんかい線さんどういったご用件で」りんかい線「あ…相鉄さん今日運用に入ってるはずの70-000系が一編成足りないんだが、そっちに来てないかと思って」「えーと‥あ…はい‥かしわ台の車庫にそれらしき車両が居ますね。」「じゃぁ70-000系に伝えてください‥(笑顔)運用サボって何やっとるんじゃ!はよ戻ってこい!と」
八潮に帰ってきたなり、こってり絞られまくるんだろうなぁ……w
ってか、鉄道会社って大変なんですね。旧型車体に最新機器付けたり、最新車体を旧式足回りに載せたり……でも、ようよう考えたら、新車1編成の材料でハリボテ2編成作れる。と考えれば合理的!?
合理的……だったのかもですねw結局数年で新性能化してますが、一応リーズナブルに製造できたのでしょう……。
@@tourin_205 さんそれも、数年稼いだ事で、ちょっとは値下がりしたり、よりよい物に換装出来た。と思えば合理的、、、、、なのかな!?w
アルミ車体の採用は、費用面もそうですが走行機器を流用して車体を大型化し、でも重量増は好ましくない…ならアルミ合金で車体を製造しようということですね。
12000系かわいい
最近ゲテモノの話を聞くのがブームのようで。w
英国のバックヤードビルダーみたいに、新規のアルミボディーに旧車の台車スワップって(^◇^;)相鉄はヤベーー(^◇^;)
ホンマにこの時代の相鉄はゲテモノ揃いで……やばすぎますw
この車体、どこかで見た事あるな〜って思ったけど調べたらアルミ車体の新車として本格的採用される前の段階だったのかよ…そう言えば相鉄7000系も2形態居たよな…
7000系後期型前面の形が変わったのと側面に帯が入り編成中の2両にボックスシート車が入った。2100系は2段窓で車内が薄緑の車両があった、前から見ると少し顔つきが違っていた、両数の関係でパワーウインドウ車と混ざった編成も存在していた。
相鉄はまぁ、カオスですw資料に載っていない情報も多く、コメント欄で初めて知ることの多いこと……w
JR301系にも先頭車封じ込めがあった。
ありましたね〜。しかも、103系とタッグを組んでいた編成もあったような……?
相鉄、やばい
その通りですw
13:52 この先頭車が同じ向き向いてるやつ、貫通路はどうなってたんだろ...
一応通り抜けは出来た……んじゃないですかね?w助手側に立ち入りできたのかなぁ……。
貫通路幅はすべて共通なのでホロは繫げたはずです。
2100系はえび〜にゃの青い会社もハマの赤い会社もみんなカオスww
海老名で顔を合わせていた小田急最後の新製吊り掛け車、2100形も忘れないでやってくれ。
アルミ車と吊り掛け駆動という組み合わせは世界的に見れば珍しくないと思います。例:日本 北陸鉄道6010系 イギリス ロンドン地下鉄 1956 Stock~1983 Stock(このうち1972 Stockと1973 Stockは現役)およびA60・A62 Stock C69・C77 Stock D781990年台に入ってからようやくカルダン駆動の車両が製造されました
そういえば、8000系や10000系のネイビーブルー化改造も、直通用の新車作るのに急に破改造したり、その後量産しなかったりと、相鉄のやることは、正直今でも本当に意味がわからないですね…😂ある意味、直通に使われなかった11000系は、1番落ち着いた良い運用に入れている幸せ者なのかも…😂それはそうと、70-000はバレましたか…。さて、どんな対応をするのか…
今の相鉄もかなり迷走しまくってますもんねwYNBも結局全車に波及するのかどうか……怪しいw70-000、どうするんでしょw(なんも考えてませんw)
やっぱりハリボテは奥が深いですね、、
奥が深すぎて沼、そのものですw
相鉄「変な車両ならまかせとけ!」
ホンマにその通りw
小田急の旧4000と似たような車両だったんだな。
JR西日本 クモハ84系電車「ワシも元は旧型国電じゃい」
そしてJR西日本初の新形式……。エグいw
@@tourin_205 是非西日本出張編も作ってください(笑)
頑張って、森林公園まで来て欲しいw
まぁ平壌地下鉄には1編成だけ吊り掛け駆動VVVFインバータ車がいますからね…
13:53 キハ85かよw
初見時、私も真っ先に多客期のキハ85を思い浮かべましたw
2612とか2614かな?動画では触れられてないけど、Mc→Tc車化改造(冷房化も併せて実施)した変態車
編集お疲れ様です。今までのハリボテはまだ部品の有効活用と言い訳ができたとしても、これは・・・。(チャットでも書かせていただきましたが)まるで上半身高級スーツ下半身パンツですね(笑)。お金の配分、もう少しなんとかならなかったんですかね。
上物高級スーツに下半身パンツwwだいぶ笑わせて頂きましたw正直、パワーウィンドウと冷房装置とっぱらってカルダン駆動で新製した方がマシだったように感じますが……w
税金対策かも。書類上は1920年代製造だから固定資産税上の簿価が安いのかも。
相鉄にバチクソいいてぇ…
お祖父ちゃんがまだ現役のモハ2000に子供の頃乗ってた歳の者ですが、自分は一体何処から来た2000系に乗ってたのだろうか?因みにその頃1000系はモニとなって西横浜の留置線に居ましたね。
相鉄もリニューアルするけど新車を作った方が早いって気づいた今日この頃
この黄色い車体も実は相鉄6000と車齢は大差なく旧5000系のほうが古いんだよな
1度形態統一工事によって、載せ替えされてますからねw車両ごとに仕様・経歴が違うので、調べるのが大変ですw
まぁ、あり得ない事をやるのが相鉄線
おっしゃる通りですw
2:32 普通に大問題で草
ホンマに、どうやって車両の管理をしていたのでしょう……?
どこぞのバケモン気動車じゃないのこの連結方法は
キハ283・キハ85「呼んだ?」
キハ185「呼んだ?」
全国私鉄編おねしゃす
電車をよく魔改造してたけど会社自体も魔改造してるからなこの会社w
相模鉄道自体が神中鉄道と融合させられてるしな
車両が魔改造されている会社は、会社自体の成り立ちもとんでもないことが多いですよねw
実際、今の相模鉄道㈱の元を辿ると㈱大関というきしめん屋だったというパワーワードが存在しますしw
色々端折って説明すると旧相模鉄道㈱(現在の相鉄HD)が鉄道事業を分社化する際に、飲食事業を別会社に譲渡し、もぬけの殻状態だった㈱大関に鉄道事業を受け継ぎ、㈱大関は現在の相模鉄道㈱になったという感じです
水力発電所が祖業の小田急.....
東武5000系列が来ることを予知します
来る可能性大……w
その流れで8000系も……
あわよくば東武の200が来ることを予知します
13:53キハ85「呼びました?」
キハ283「呼んだ?」
りんかい線の変わりに相鉄11000系になりますかね?
なりますかねぇ……w
この改造、実は相鉄がお初ではなく、北陸鉄道加南線での車両大型化の決定版として登場した6010系アルミカーが日本初のアルミ車体の木造車更新車です。相鉄は実は日本で3番目のアルミ車体の吊り掛け駆動車です(2番目は京成1600型初代開運号の更新車)。これらの車両は大きな功績を残しており、それまで故障が多かった木造車の大型化工事で、劇的に故障を減らせた車両とも聞いたことがあります。
本回の改造にしろ、ネイビーブルー化させたりと、何かとくせの強い事をやってとにかく車両に落ち着きがないのすこ
YNBも迷走しまくってますし……歴史は繰り返すというかなんと言うかw
捏造ファンという同人誌では新7000系のYNB仕様のコラ写真が載っていましたが結構カッコよくて実車でもやって欲しかったです。
もはやテセウスの船と化した2100系w
そしてコデ165形は相鉄から来ていたのですね。
もはや新製時からの部品が残っているのか怪しいレベルで改造されてますw
コデ165、相鉄2000最後の現役車ですからね。末永く期待してもらいたいものです。
木造車体にVVVFとか、アルミ車体に吊掛モーターとか、まさにアベコベでチグハグな魔改造っぷり。
だけどもそれこそが相鉄の真骨頂とも言える。。。
全くもって相反する要素が、思いっきり1つの車両に詰め込まれてしまう……。それが、相鉄のカオス車両の「特徴」。
車両繰りや資金難があったにせよ、とんでもない発想だな……と思いますw
高度経済成長期の相鉄は質より量で改造しまくり、東武鉄道、西武鉄道も似たようなものだが相鉄ほど派手ではない。
@@tourin_205 さん
相鉄の当時の資金難は「成長する為の資金が足りない」状況だったはずです。
当時は横浜駅新ターミナル(相鉄ジョイナス)の建設、全線複線化(海老名駅改良)、いずみ野線建設、かしわ台駅新設、全営業車20m4扉化、8両編成化という大きなプロジェクトが集中(全て昭和48〜51年完成)する一方、物価高騰→オイルショックという社会的な問題が背景にあった事が大きかった。
最新のアルミ車体に旧式吊り掛けとか最新のフェラーリ風のボディで
エンジンは旧式のV8OHVエンジンを載せたミッドシップ化したコルベットに似ていますね。
ガソリンカーからエンジン引っ剥がしたのって、元東急キハ1型ですね。流線型の気動車を切妻の無動力電車に改造したやつです。
ちなみに相鉄2100系は東横線綱島〜大倉山の間にあるお寺さんに生首が保存されています!
(相鉄9000は何故SIVでは無くMGなのか…)
それも予算の都合で仕方なく6000系からMG拝借してつけてるからね
9000や8000のMGの件と言い、変なとこケチりますよね、相鉄ってw
@@tourin_205
8000系は、新品MGなのに
9000系お古のMGに
機器更新されてもなおこき使われる
9702Fだけ旧型国電のPS13型パンタグラフを装備していたけど…
その姿で広報用ポスターやパンフレットにも
起用された。
西武は旧モハ50系を好み
相鉄は旧モハ31系に
近いのを好むか
東急は嫌い自社製車体に
さて、2100系。
鉄に目覚めた時期によく乗った車両なので記憶は明確です。
また、私鉄電車ガイドブック4(1978年)に旧性能から新性能への過渡期だったので詳しく記載されてます……ちな、この4巻は名鉄も載っておりあのカオスな車両を隈無く網羅してます。
自分としてもバイブル的1冊。
さて、2609編成
旧性能時代は謎だらけの編成でした。話せば本当に1本動画作れるレベルです。
ちな、新性能化の理由で保守費が嵩む事もあるが、もう1つの理由は「いずみ野線のダイヤに乗せられない」という点です。
いずみ野線は当時最高速度は95km/hに対して、2100系は85km/hしか出せなかった事。
二俣川での急行接続に支障が起き始めた事もあったと聞きました。(以前の乗務員の話)
だとすると更新前の3000系はいずみ野線開業後はほぼ予備だったのはある意味納得だな
@@hasinomoto さん
3000形は更新まで約10年間は確かにあまり積極的には入線しなかったですね。
2、3度乗ったけど通常90km/hくらいで走行する南万騎が原〜緑園都市間でも出せて80km/h弱でした。
まだ、2100系吊り掛けの方が何とか80km/h出せた感じ。
@@hisakounosuke2474 さん
いくらアルミ車体で軽量化しているとはいえ 更新前は100kwしかなかった2100系よりも 同じく更新前は142kwあった3000(3010)系の方が走りが劣っていたのは意外でした。
確かに 高速化に対応出来なくなったというのも 更新された大きな理由でしょうね。
@@toriri-service さん
旧性能時代は
2100系 6両 4M2T
3010系8両 5M3T
が主体であり、しかも3010系は歯車比が1:4.13と浅く力行時のパワー不足は
否めなかったでしょう。
@@hisakounosuke2474 さん
なるほど 高速域で頭打ちになったという事ですね。
弱め界磁が無かったのかな?🤔
3010系と同じ出力・同じギア比の東武7800系や5000系列(弱め界磁付き 3M3T)は 高速域の伸びは悪かったものの 一応90km/h迄は出ていたので。
方や更新後に高性能化 方や車体のみ冷房付きの新しい物に更新 そのまま使い続けて廃車と それぞれに会社の個性が反映されましたね。
いつも見てます!やっぱり迷列車は面白いですね~
ありがとうございます😊
さすが相鉄!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!
アルミ試作車が来るまで大和駅で待ってたんですよ(笑)
あと 相鉄の先頭車+中間車は必ず貫通幌にしててくれたのでそこへ行って運転台を見るのが大好きでした♡
小田急は貫通しないので相鉄カッコよかったですね…
長文m(__)m
俺の胴体を返せ〜!!
で吹いてしまったw
渾身のボケを拾って貰えて嬉しいですw
機器流用は名鉄も得意とするところですが、ここまで凄まじいのは無かったような気がします。
その中で6750系はカルダン駆動化の準備工事をしてあったようですが、結局吊り掛け駆動のまま引退しました。
相鉄3050、2100に関しては名鉄を超えることが出来る……そんな車両だと思ってますw
まあ、名鉄さんは迷車の「数」が段違いですがね……w
6750系の二次車がカルダン化対応でしたね。瀬戸線が鋼製車体全廃・塗装設備廃止に舵を切り6000系・6600系とともに引退しましたが、
もし現在も塗装設備を残してあったなら新性能化されていたかもしれません。
日本で一番高級だった『吊り掛け式ロングシートの通勤電車』でしたね。
改造の遍歴も 相鉄らしい『ぶっ飛びぶり』。
そして カルダン化時に制御装置まで迷わずに取り替えちゃったのも偉い!
小田急4000形はカルダン・冷房化した時も 制御装置は存置したから発電ブレーキが付いていませんでした。
因みに 東武がこの時代にアルミ車体を出していたら 同じような顔になっていたかも。(なんとなく『東武顔』っぽいので)
たしかに何となく「東武顔」っぽいですよねw
なるほど、制御装置の取り替えを行ったから、HSC+発電ブレーキの組み合わせが実現したと……。これも、2000年代初頭まで生きながらえた秘訣、なのかもですね。
というか、この時代の相鉄車、ぶっ飛びすぎていて怖いですw
津覇車輌で、ステンレス車体の8000型の構体を試作したようでした。 結局はコスト高の為、普通鋼での量産になりました。
@@設営撤収民兵 さん
それ 津覇車輌ではなく『ナニワ工機』だった筈。
確かに8000系をステンレスにしたようなイメージでしたね。
因みに (噂レベルですが)その車体を使って 7300系を再度更新する計画もあったとか。
@@tourin_205 さん
2100系は発電ブレーキは最後までありません。7000系ですら発電ブレーキが経済的にペイしないという理由で採用されてません。
@@toriri-service さん
ご指摘を、ありがとうございます。
失礼します。(汗顔)
相模鉄道2100系の走行音は停車している時はやっぱりごりごりごりごりとなりますよね。それがたまりませんね。
ゴリゴリ……なんの音なんでしょう……?
コンプレッサーと思います。
旧型国電の重厚な駆動音。
対して発電機は非冷房時代はSIVでしたので、
ゴリゴリという重い音と
プーンという波長音の
デュエットでした。
2100系の車内は、2段サッシ窓車が寒色系で、1段パワーウィンドウ車が7000系と同じ暖色系でしたね。
同じ時期に製造されていた新6000系と、車体が鋼製かアルミかの違いで、兄弟車に近いと思いますが、
新6000系にはパワーウィンドウ車は製造されませんでしたが、寒色系と暖色系が両方存在していました。
この兄弟車から生まれたのが7000系になりますね。(優性遺伝!)
もちろん、5000系の動画も作成されますよね。3050系と2100系が凄すぎるから格落ちに見えますが、
湘南顔からアルミ車体を手に入れて、最終的にはVVVVF車になり、その際に先頭車化改造された部分の
妻面の窓が、運転席窓をそのまま流用しているは、とても最高でした!!
5100系、そして二代目5000系も、ぜひ動画作成したいところではあります……!(相鉄車体更新シリーズをコンプしたいw)
ただ、初代の湘南顔の写真素材が今のところ見つからず、足踏み状態ですw
6000系の幅広車両の初期車は化粧板が薄緑で途中からアイボリーに変わっていった。
車内についてですが、これまた曲者で新6000系のように後期車はアイボリー系の内装で揃えられましたが、吊手受けの形状、荷棚の前縁に掴み棒の有無、スピーカーボックスの形状、座席端部のパイプの形状、室内蛍光灯の台座の取付部等細かい点で新6000系と違っていました。
シャア専用バリの、先頭車だけ銀色というところが当時子供だった自分に刺さってよく乗りに行った。
モハ6021、私は現役時を知りませんが、それは異彩を放っていたんでしょうね……。
初めて見たら、めちゃくちゃ心惹かれてまいそう……w
8:16 カオスブレイクって、元ネタが完全にイナズマイレブンですね😂😂😂
あ、やっぱり気づいちゃいましたねw
突っ込んでくれると期待してましたw
メガループをまるで思い出させるかのような構成とセリフ・・・
2000系や3000系の車体を交換して新性能化したり、5000系のアルミ車体を中間車化改造したり(アルミ車体に手を加えるという話はあまり聞かないし)、相鉄もなかなか凄い事してますね、、、
あまりアルミ車を先頭車化、というのは聞きませんもんね。(加工が難しい?とか聞いた覚えがあります)
相鉄はなかなかに……というかめちゃくちゃ「迷走」してますw
@@tourin_205 アルミ車の改造…確かに少ないですね。そんなとち狂った改造、国鉄くらいしかしないかと。
381系「ブェックショイ!!」
200系「誰や俺らの噂した奴は」
最近だと9000系のリニューアル。関東であれだけやるのは珍しい
5000系(5100系)2両が中間車化改造を受けています。車内から見ると運転席の窓の上下寸法に名残があり側面から見ると裾が斜めに切れていた上に側窓のサイズも少し狭かったようだ。
こういう被し系電車一度は乗ってみたかった🥺(生まれてない)
どの会社でも、2000年代初頭に一掃されてしまいましたからね……。私もほとんど記憶がありません😭
相鉄2100系
初めて乗った時はアルミ車体にパワーウインドウなのに吊り掛け駆動で、そのアンバランスさにビックリしました。
数年経って乗ったら、カルダン化されていて、フツーの電車になっていましたが、最初のインパクトは強烈でした。
相鉄らしい車両だったのかなあ
相鉄の顔とも言えるアルミ車体+相鉄のお家芸、吊り掛け機器流用が同時に見られたのは、この2100系のみ、ですからね。相鉄らしさ全開の車両……と言えるでしょうw
戦前の相鉄に日本初の電気式ディーゼルカーがいましたね。
後に日立電鉄へ譲渡されましたが。
日立電鉄に譲渡されたゲテモノ、元ガソリンカーの車両含め1990年代まで思いっきり現役でしたからね……。走ってる姿を見てみたかったものです。
『昭和時代鉄道記録映像』でRUclips検索してみてください。
プレイリストの『よこかわ』の駅名標のサムネの3つ下 凸型電機のサムネ(No.43)の動画の13分辺りに ワンカットですが 大橋駅に進入する『モハ15(元相鉄モハ1003→キハ1003)』のシーンがあります。
正面切妻改造される前 横から見ると台形断面だった 気動車時代のオリジナルスタイルの映像です。
日立では当時『はしご電車』と呼ばれていたそうです。
元相鉄電気式ディーゼルカー(日立電鉄モハ13〜16)1987年の走行映像です。
ruclips.net/video/USxd24iFDv0/видео.htmlsi=RZZisOtVJ8qhhV-_
@@toriri-serviceこれはまた貴重な動画を……。参考になります……!(どこで見つけるんですか、凄すぎるw)
@@tourin_205 さん
たまたまフォローしているクリエイターさんが上げておられた動画です。
お役に立てればと思いましてね。
お隣り小田急の初代4000系も、当時の小田急標準車体に旧型車のモーターを使った吊りかけ駆動車、のちに冷房・カルダン駆動化を果たしたなかなかの迷車なので是非取り上げてください😊
ネタ提供ありがとうございます😊
ネタストックに加えさせて頂きます!!
同じ吊りかけ車の1800系と編成して謎の脱線事故に悩まされました。
@@N--jv3go さん
モーター以外は ほぼ全て新調。
台車は わざわざ東急から7000系を借りて来て試運転までして採用した『パイオニアpⅢ』でしたが 事故原因はそれが仇となったようでしたね。
なんの!
東武には直角カルダン駆動から吊り掛け式になった『5720形』がある!
三岐鉄道120形や阪神ジェットカーも 琴電や京福に譲渡された物は カルダンから吊り掛けにグレードダウン。
しかも 琴電に行って吊り掛け式となった個体の一部は 後年 新製した台車を与えられて 再びカルダン駆動となったからややこしい。
良い動画をたくさん投稿してください。これからも頑張ってください。ずっと応援しています。
嬉しいコメント、ありがとうございます😊
こちらこそ、ハートありがとうございます。
1960年代の相鉄は、日立の実験場のようなことをやっていたようですね。東急の「アオガエル」に対抗した軽量車体の5000系とか。
最新鋭のインバーターが2100系についたのも、日立の実験用だったのではないでしょうか。
電磁直通ブレーキも『日立式』でしたからね。
因みに新京成は VVVFインバータに関しては『三菱電機の実験場』的なところもありました。
2100系に付いたインバーターは電動発電機用。別でVVVF制御器試験で6000系が試験に使用された。(営業運転実績は無かった)
明けまして、そして6000人達成おめでとうございます‼️今年もよろしくお願いしますm(__)m
車体更新や機器流用は合理的な節約に見えますが、実はそうでもないことが分かる例ですね。
最初からカルダン化後の最終形態で新造した場合と、形態統一化から最終形態までにかけた改造費用ではどっちの方が安かったのかも気になります。あとはVVVF化していれば3050系に並ぶ伝説化しただろうに・・・
いつもありがとうございます!(´▽`)
機器流用を行い、整備コストが高くついて結局新性能化……という結果は、目に見えていたように思いますが……。
結局吊り掛け→カルダンに改造する費用が余計にかさみ、コストはトントンだったのかなぁ……と思ってますw
車体新製・機器流用は東武などあちこちで行われていますが、相鉄の改造は機器類もグレードアップして完全な別物に大変身してしまうという……それも1形式だけではないのが凄まじいです(笑)。
そんな会社がJRや東急直通で都心に顔を出すようになった発展ぶりには驚きです、次の相鉄編は「お買い物電車」モチーフの東急青ガエルのお仲間……⁇
よく中間車+先頭車+先頭車と言う編成を変態編成として扱われる事が多くありますが、この連結の仕方はかの有名な近鉄のエースカーの思想の物であり、更にその大元を辿りますと阪和線に於いてこの連結使用がある為、関東・首都圏ではあまり見られない感じなのかなと言うのがあると言うのは旧国電愛好家のカミさんの言葉だったりします。
相鉄にやって来た17m車と言うのは大体が国鉄や大手私鉄の物が流れ流れてやってくる「わらしべ長者」戦術だったそうですが、逆に言えば大枚をはたいて車両を購入せずに運営できたと言う点では、現代の地方鉄道に似ている所はあるのではないかと思います。
カミさんによれば意外と相鉄は東急と仲が良く、アルミニウム・ステンレス車両への導入が早く、東急自体が軍需産業を帯びた子会社を抱えていた事もあってアルミニウムやジェラルミンと言った軽量な素材を所持して居た事からできた釣りかけアルミニウム車であった事で知られており、相鉄側では車体「だけ」を載せ替えれば性能アップすると考えられていたそうですが、アルミ・ステンレス車体と言うのは重厚な電動機とは非常に相性が悪い為パワーの割に騒音がけたたましくなりやすいと言う欠点があった事は否めなかったそうです。
それを考えますと実は電動機と台車の組み合わせと言うのは過剰すぎてはいけないバランスの上に立つ物で、スイスランドの車体や台車が日本へ来ると短命と言うのはそのバランスが成り立っておらず、電動機が強すぎたり、台車が脆過ぎたりと言う数学の三角関数を理解しないと言いマッチングをしないのだと言うのがカミさんの言葉だったりします。
15:17 大倉山駅から急な坂道を歩いて数分のところにあるお寺で保存されてます。
この生首を拝みに行ってみたいものです……。
自動窓にはそんな秘密があったんですね。扇風機のボタンもあったような😊
そして変な中間車が混ざってた謎も解けました。😅
相変わらずの東武もびっくりの魔改造…
東武さんも東武さんで大概ですが……w
相鉄もまぁ、とんでもないことになってますねw
東武はカステラの更新時にVVVF化するような無理はせず現路線でした。
京阪1000系「相鉄さんは物を大事にする立派な会社でんなぁ」
相鉄モニ2008「お 宅 も ね」
「気にしたら負け」…まさにその通りだと思う😊でも、そんな相鉄が大好きです。高校通学ではお世話になりました😆
日常的にVVVF車と混結する1970~80年代製(当時完全新車)の吊り掛け駆動、江ノ電1000形(私のアイコン)。おそらく日本で最新の吊り掛け電車。更新でドア上LCD、フルカラーLED方向、シングルアームパンタがつきました。
相鉄ネタは、数えられないぐらいあるもんで、相鉄は元々、横浜にあった立ち食いそば屋が元だったり大東急時代に車両不足で京急のデハ230型を持ってきて、小田急の厚木まで直通させたり、戦後も、63系タイプの共通車両を使っていたことから、相互直通を厚木まで行ったり、最近は顔だけ復刻塗装にしたり...迷な会社なのが伺えますね。あとこの間、12003編成に乗れました(というかこの子ばかり来るもんで、頭の中で会話を思い出したりしていますw)。
相鉄は本当に戦前も戦後も「迷」なエピソードが多いですw
12003、私はあんまり乗ることが出来ず……というかそもそも12000に当たることがほぼ無いので、羨ましいですw
扇風機のON/OFFスイッチとドア横の乗客用鏡
それが相鉄の内装
あの鏡で降りる前に髪型確認していた人をどれだけ見たことか...
そして足回りには何故か外側にむき出しのブレーキディスク
今思えばキワモノ装備揃いだった
9000系まで採用された直角カルダン駆動も
相鉄はホンマにこだわりが強いというかなんというか……。
車内の鏡、痒いところに手が届く機能ですよね。
相鉄GJ!
前回は鋼製車の変態でしたが今回はアルミ車の変態ですかw
これだから相鉄好きはやめられない。経営陣orかしわ台に改造マニアがいるのかしら。
あの古のED10型も電車部品のかき集めらしいので。
んー、なんか電車来たな~7000系か、いや5000系か?え、2000系???
てな体験を何度かした覚えが。当時は違いが良く判らんかった。
新型車両を作る為の技術を自前で磨こうという技術者魂あふれる会社です。
もっこす熊本人の琴線をガンガン刺激してくれます。
地元の熊本電鉄もアク強めですが、それが良い。
相鉄はほんまにおもろい会社ですよねw
アルミ車の顔を見分けることができるようになるには、それなりの知識が必要ですよね……。(ほんまに似てるw)
相鉄に惹かれたのは90年代厚木に引っ越してきて小田急に乗っていた時海老名駅へ入線する電車の異様な輝き(アルミ車体+ディスクブレーキ)に只ならぬものを感じてからです。
あんなに闘争心むき出しの電車なんて他では見られないので。
何となくメリケンな匂い(NY地下鉄っぽい)もしないではない。
2100系の経歴、誰とは言わないけど仙石線から八高線に渡った車両みたい....
ホンマにその通りですw
しかも、種車がさらにカオスという……w
仙石線から八高線・・・一体何03系3000番台だろう・・・?(すっとぼけ)
当時は東急だっただけに、迷走ぷりがすごいですね。
画像の車輌は、帝都電鐵モハ100型と思われます。
戦災車を引き取ったのだろう? 修繕も東横工場で成されたらしいし。
さすが東急の血を引くもの、迷走っぷりが凄まじいですよねw
現代でも東急5000系はぐっちゃぐちゃだし、編成内で20年差の車両が混在してたり……。相鉄は塗装がコロコロ変わるし……。歴史は繰り返す?w
相鉄といい、京阪といい、名鉄といい、国鉄といい、都電といい・・・
どこも車体載せ替え車の扱いには苦戦していたのですね・・・
というかSIVが昭和40年代からあったの・・・
主さん、そんな辛い過去があったとは・・・
siv、結構その歴史は古いんですよね。資金難でケチった結果、もっと金がかかってしまったと言う、本末転倒の良い例です……w
東急はS44年8000系1次車からSIV搭載してます。
東武は吊り掛け駆動の5000系とカルダン駆動の8000系の連結させて走らせようとしたのみたいですが。
駆動方式の違いで乗り心地が最悪になるので実施はされなかったみたいです。
西武でも『赤電』の時代に カルダンの701系列とそれ以前の吊り掛け車の併結(どちらも自動空気ブレーキ)がありましたが カルダン車も加速性能を吊り掛け車に合わせていたものの やはり加速中は 701系列が『押したり 引っ張ったり』だったそうですね。
東武5050系と8000系は 一度どちらかが故障した時 救援で併結した例があったようです。
さすが東武、考えてることがえげつないw
……東武なら乗り心地云々二の次にして、営業に突っ込んじゃいそうな気もしなくないですが……ww
@@toriri-service 吊り掛け車とカルダン車の併結ってありそうで意外とないですよね。
西武以外で自分が知る限りでは京王(5000+5100)と銀座線(6両編成中1両だけ吊り掛け)ぐらいのような。
その数年後に東武はチョッパ形と3VFの共通連結をするという8000系と5000系が出来なかった違うモーター同士の実現しちゃうんですけどね。
やっぱりチョッパ形と3VFの連結は乗り心地と運転士からはあまり良くなかったみたいです。
@@jtane12r さん
あとは遠鉄(30形の最終型モハ51+クハ61はカルダン駆動)江ノ電もありましたね。その江ノ電では 吊り掛け式の1000形とVVVFの500形との併結もあったかも。
新京成も 70年代までは800形と在来形の併結は 珍しくなかったし 京成青電でも『カルダン+吊り掛け』はあったようです。
事業用車も含めると『クモニ83』や『クモユニ74』も新性能電車と併結してましたね。
カルダン・吊り掛け 全車マスコンをHLタイプに統一していた琴電でも やっていました。
元京急1000形の1080形は 限流値を下げて 弱め界磁も切る等 性能も落としてありました。
この話の話題でさらに上をいくのが東武鉄道で実社の戦前に走って車両に当時の最新形で絶賛量産中だった8000系と同じ車体を製造して旧型18メートル車体に載せ変えたのは良いものの屋根の構造が8000系とは異なるので冷房を搭載が出来ないことが判明して非冷房で新たに登場しました。
この3000系の車番の振り方がなんと種車の窓の形という意味がわからないやり方で振り分けられてたらしいです。
東急7200系も4両編成全車先頭車で、内3両同じ向きとかあったなあ
7200系に、そんな編成があったんですか……?
さすが東急、滅茶苦茶……w
@@tourin_205 それどころか、大井町線に7200系と改造した7600系を混ぜて6両編成というのもw
@@tourin_205 4連時代の目蒲線で多数存在、3450系等の旧3000系グループでは東横線と大井町線で5両オール先頭車の編成もありました。この頃の東急は相鉄以上にカオスで東横線と新玉川線以外は掃き溜め状態で中間運転室の件で東武にクレーム入れるなんて筋違いの会社です。
東横線では7200系冷房改造車で8両全部先頭車と言うのがあった。2両ユニットX4であった。3両が同じ方向を向いていたのは目蒲線用で連結面の幅を調整してあった、因みに相方のクハはVVVF化半数は方向転換され7600系になりました。末期には2両が中間車化されているなど魔改造しまくりでした。
窓の開閉の自動化(かなり昔から)、ドアの横の小さな「鏡」、「露出」したディスクブレーキ・・・あと、空気バネなのにちょっと「硬め」の設定。なので乗り心地(最近、柔らかくなったかな?)が少々硬め。でも静かで一部クロスシーともあり、アコモも白黒を基調として落ち着いた感じが好きです。それにつり革も、ちょっと遊んでいる感じの形があるのがいいです。
新性能=カルダン化改造されても
東洋電機製造の主電動機だったのか
他の直角カルダンの抵抗制御車ながら
爆音だったりしましたね
直角カルダン、かなりの爆音だったようで、ホンマに吊り掛けちゃうんよな?と思われたこともあったとかなかったとか……w
16:31 こんな会話があったのだろうか? もしそうならモニ2005優しい車両やな・・・
上の人たち「不法侵入してくるなんてどんな奴なんだ・・・」
モニ2005「まあ、ワシのほうから注意しておきますんで今回はどうか許してやってください。」
まさに「テセウスの船」ですね。
鉄道車両の歴史をたどるとこの例えが出て来る事が多いですが(C57型1号機や58654号とか)、相模鉄道3050/2100は本当に究極ではないかと。
現存するのは改造したモヤ700だけですね。
相鉄のおっちゃん、相模だけに原監督感あるなww
(おまえさん)
いつも楽しく拝見しております。キャラクターたちの会話、絶妙ですね。ハリボテ列伝、海老名繋がりで小田急初代4000あたりいかがでしょう。
今の相模鉄道株式会社そのものもハリボテ(法人格の前身がきしめん屋)
7:55
あー懐かしい!こんな音だった。
りんかい線「うちの70-000形が知りたがりですみません」
相鉄「厳しく言っといてにゃん」
70-000:今度はT武に潜入すっかなぁ……w
@@tourin_205
253系「やめとけや、最悪俺が引っ張れるだろうけどw」
今は日立製作所か総合車両製作所の標準規格の一般型電車が走っているが、嘗てはこんな多種多様な車両が走ってたのか。運転も維持管理も大変そう。
すごい改造だな、しかも伊豆箱根鉄道のコデ165が元相鉄の吊り掛け駆動車だったなんて驚き!
相鉄2000最後の生き残り、現役車ですからね。ゲテモノ改造の生き証人として、末永く活躍して欲しいものですw
そうですね
コデ165、古い割に車体が垂れ下がっていないがっちりしてますね、東急の3450系、3500系は酷かったですよ乗ってみても中央が下がっているのが分かるくらいに歪んでいた。
@@N--jv3goそんなに垂さがるもんなのか……。(解体中の209-500を思い出す……w)
最初は3連で営業していました。
懐かしい
相鉄6000系はシンプルながらも使い勝手が良かった車両でした。
アルミ試作車6021やユニット方式試作車のモハ6144.6145、多彩な台車バリエーション、PS13パンタなど、とても面白い形式だと思います。
VVVF試験(東芝製)もしていたそうですし。
是非6000系も解説して欲しいです🥺
戦後の相鉄が車両に頑張り出したのは湘南顔で新製した5000系からなので
決してつぎはぎや魔改造ばかりだったわけではなく、そこそこ儲かって金はあったと思うのに何で?
…というあたりが相鉄クオリティなんだよな、小田急直通を続けていたらとか、色々「もしも」も多い…
これは5000系(初代)の頃で乗務していた方に聞いた話(もう20年以上前ですが)だけど
実は相鉄はあまり5000系導入を躊躇ってたが、メーカーの頼みで仕方なく導入させられたとか。
製造費用が高すぎて、輸送力増強が追いつかず仕方なく旧国電の10系電車を昭和33〜36年に追加増備。
これが今回の2100系の種車である2000系の一部となる。
14:00 名古屋市営地下鉄3000形『なんだこれは ちゃんと運転台撤去して面影をなくせよ!』
名古屋市営地下鉄3159編成『君が言うことでは無いよ()』
時間通りに配信しなかったから配信見れなかったジャマイカふざけるな!()
すんましぇん!定時投稿に努めますw
0:52
相鉄車「なんか銀色の怪しい車両がいる!!!!」
1:35
草
3:35
2000系「解せぬ」
4:03
これは酷いw
4:10
もっとひどいwww
7:59
旧型車のを使いまわしたな・・・()
9:22
ばね下重量やばいw
11:08
草
12:18
はっやWW
13:58
向き合わせて()
15:27
もう意味わからない・・・
16:36
やっぱり
輸送力向上には軽量化が必要だった
アルミ車体でも2段窓非冷房組(冷房化改造)と冷房パワーウィンドウ組の混結があったなぁ。再改造されてカルダン駆動化されていたが。
名鉄6750系「俺といい勝負だな」(戦前の吊り掛け駆動使用&大手私鉄最後の吊り掛け駆動)
この2100系、そして3050系に関しては名鉄に太刀打ちできる数少ない車両の一つであると思ってますw
@@tourin_205 こう見ると相鉄と名鉄は似てる所が多いですね…
相鉄5000系や3000系(吊りかけ→一気にVVVF)も似たような事をしています。そのうち走るんですシリーズも何かやりそうな気がする。
今や新宿、渋谷にも乗り入れる相鉄。ドイツとフランスの中間っていうことでベルギーにEUの本部が置かれたのと理由は似てるが。
このごった煮の時代からは、相鉄は考えられないほどに進化しましたね。
相鉄の迷要素の一つに「色」がありましょう。
3000・6000・新6000系が黄緑色でしたが、現役時、私は、
「何でこんなスライム色に!?」
と思っておりましたw
スライム色w
相鉄の色、と言えば、近年も迷走しまくってますねw
一体どうするつもりなんでしょうかw
📻{クソ理由“身近にふと青大将があったから採用した(オチ)”}
«#つばめ青大将色»辺りから採った色とか❔
直近約20年内に立体物が出てたとか❔、
«追記»
警戒色+地の色(補色)でそうなったとか、
後は、“当時の沿線問題(#踏切突破ダンプ)”の対策で、
とかそんな感じかネェ…(❔)
あれテスト時には黄色いのもあって薄緑のが採用に至りました、理由は再塗装の手間を省くというJR西日本みたいな理由です。
@@N--jv3go西の単色化……あれは酷いw
コスト削減作とは言えど、海坊主にさつまいものような色に……。
あれ?もしかして元フレッシュな彼も経費削減……?
ほほえみ号をはじめペイントした6000系後期車3本が凄かったです、時期が古いためかラッピングではなくペイントでした。
キハ1ww
電気設備類のコスト削減でガソリンカーを入れたのはいいけど坂登れなくて早々に手放されて相鉄に流れ着きエンジン引っペがした後に一部が車両不足の応援で一時的に里帰りしちゃったやつやん
おっしゃる通りですw
ガソリンカーのエンジンひっぺがして、クハに改造する……、どこかの北の大地のトンデモ鉄道のようなことになってるんですよね、これw
突拍子もねぇ、魔改造っぷりが相鉄の真骨頂とアイデンティティーだろうな。最近まで乗り入れしてなかった為ガラパゴス的進化したとも言える。
ガラパゴス化……まさにその通りですね!
他社との直通規格を全く考慮する必要がなかったからこそ、とんでもない独自進化を遂げた車両たち……ホンマに面白いですよね!
その裏では
相鉄「はいもしもし、これはこれはりんかい線さんどういったご用件で」
りんかい線「あ…相鉄さん今日運用に入ってるはずの70-000系が一編成足りないんだが、そっちに来てないかと思って」
「えーと‥あ…はい‥かしわ台の車庫にそれらしき車両が居ますね。」
「じゃぁ70-000系に伝えてください‥(笑顔)運用サボって何やっとるんじゃ!はよ戻ってこい!と」
八潮に帰ってきたなり、こってり絞られまくるんだろうなぁ……w
ってか、鉄道会社って大変なんですね。旧型車体に最新機器付けたり、最新車体を旧式足回りに載せたり……でも、ようよう考えたら、新車1編成の材料でハリボテ2編成作れる。と考えれば合理的!?
合理的……だったのかもですねw
結局数年で新性能化してますが、一応リーズナブルに製造できたのでしょう……。
@@tourin_205 さん
それも、数年稼いだ事で、ちょっとは値下がりしたり、よりよい物に換装出来た。と思えば合理的、、、、、なのかな!?w
アルミ車体の採用は、費用面もそうですが走行機器を流用して車体を大型化し、でも重量増は好ましくない…ならアルミ合金で車体を製造しようということですね。
12000系かわいい
最近ゲテモノの話を聞くのがブームのようで。w
英国のバックヤードビルダーみたいに、新規のアルミボディーに旧車の台車スワップって(^◇^;)
相鉄はヤベーー(^◇^;)
ホンマにこの時代の相鉄はゲテモノ揃いで……やばすぎますw
この車体、どこかで見た事あるな〜って思ったけど調べたらアルミ車体の新車として本格的採用される前の段階だったのかよ…
そう言えば相鉄7000系も2形態居たよな…
7000系後期型前面の形が変わったのと側面に帯が入り編成中の2両にボックスシート車が入った。2100系は2段窓で車内が薄緑の車両があった、前から見ると少し顔つきが違っていた、両数の関係でパワーウインドウ車と混ざった編成も存在していた。
相鉄はまぁ、カオスですw
資料に載っていない情報も多く、コメント欄で初めて知ることの多いこと……w
JR301系にも先頭車封じ込めがあった。
ありましたね〜。しかも、103系とタッグを組んでいた編成もあったような……?
相鉄、やばい
その通りですw
13:52 この先頭車が同じ向き向いてるやつ、貫通路はどうなってたんだろ...
一応通り抜けは出来た……んじゃないですかね?w
助手側に立ち入りできたのかなぁ……。
貫通路幅はすべて共通なのでホロは繫げたはずです。
2100系はえび〜にゃの青い会社もハマの赤い会社もみんなカオスww
海老名で顔を合わせていた小田急最後の新製吊り掛け車、2100形も忘れないでやってくれ。
アルミ車と吊り掛け駆動という組み合わせは世界的に見れば珍しくないと思います。
例:日本 北陸鉄道6010系
イギリス ロンドン地下鉄 1956 Stock~1983 Stock(このうち1972 Stockと1973 Stockは現役)およびA60・A62 Stock C69・C77 Stock D78
1990年台に入ってからようやくカルダン駆動の車両が製造されました
そういえば、8000系や10000系のネイビーブルー化改造も、直通用の新車作るのに急に破改造したり、その後量産しなかったりと、相鉄のやることは、正直今でも本当に意味がわからないですね…😂
ある意味、直通に使われなかった11000系は、1番落ち着いた良い運用に入れている幸せ者なのかも…😂
それはそうと、70-000はバレましたか…。さて、どんな対応をするのか…
今の相鉄もかなり迷走しまくってますもんねw
YNBも結局全車に波及するのかどうか……怪しいw
70-000、どうするんでしょw
(なんも考えてませんw)
やっぱりハリボテは奥が深いですね、、
奥が深すぎて沼、そのものですw
相鉄「変な車両ならまかせとけ!」
ホンマにその通りw
小田急の旧4000と似たような車両だったんだな。
JR西日本 クモハ84系電車「ワシも元は旧型国電じゃい」
そしてJR西日本初の新形式……。エグいw
@@tourin_205 是非西日本出張編も作ってください(笑)
頑張って、森林公園まで来て欲しいw
まぁ平壌地下鉄には1編成だけ吊り掛け駆動VVVFインバータ車がいますからね…
13:53
キハ85かよw
初見時、私も真っ先に多客期のキハ85を思い浮かべましたw
2612とか2614かな?動画では触れられてないけど、Mc→Tc車化改造(冷房化も併せて実施)した変態車
編集お疲れ様です。
今までのハリボテはまだ部品の有効活用と言い訳ができたとしても、これは・・・。(チャットでも書かせていただきましたが)まるで上半身高級スーツ下半身パンツですね(笑)。
お金の配分、もう少しなんとかならなかったんですかね。
上物高級スーツに下半身パンツww
だいぶ笑わせて頂きましたw
正直、パワーウィンドウと冷房装置とっぱらってカルダン駆動で新製した方がマシだったように感じますが……w
税金対策かも。書類上は1920年代製造だから固定資産税上の簿価が安いのかも。
相鉄にバチクソいいてぇ…
お祖父ちゃんがまだ現役の
モハ2000に子供の頃乗ってた歳の者ですが、自分は一体何処から来た2000系に乗ってたのだろうか?
因みにその頃1000系はモニとなって西横浜の留置線に居ましたね。
相鉄もリニューアルするけど新車を作った方が早いって気づいた今日この頃
この黄色い車体も実は相鉄6000と車齢は大差なく旧5000系のほうが古いんだよな
1度形態統一工事によって、載せ替えされてますからねw
車両ごとに仕様・経歴が違うので、調べるのが大変ですw
まぁ、あり得ない事をやるのが相鉄線
おっしゃる通りですw
2:32 普通に大問題で草
ホンマに、どうやって車両の管理をしていたのでしょう……?
どこぞのバケモン気動車じゃないのこの連結方法は
キハ283・キハ85「呼んだ?」
キハ185「呼んだ?」
全国私鉄編おねしゃす
電車をよく魔改造してたけど会社自体も魔改造してるからなこの会社w
相模鉄道自体が神中鉄道と融合させられてるしな
車両が魔改造されている会社は、会社自体の成り立ちもとんでもないことが多いですよねw
実際、今の相模鉄道㈱の元を辿ると㈱大関というきしめん屋だったというパワーワードが存在しますしw
色々端折って説明すると
旧相模鉄道㈱(現在の相鉄HD)が鉄道事業を分社化する際に、飲食事業を別会社に譲渡し、もぬけの殻状態だった㈱大関に鉄道事業を受け継ぎ、㈱大関は現在の相模鉄道㈱になった
という感じです
水力発電所が祖業の小田急.....
東武5000系列が来ることを予知します
来る可能性大……w
その流れで8000系も……
あわよくば東武の200が来ることを予知します
13:53
キハ85「呼びました?」
キハ283「呼んだ?」
りんかい線の変わりに相鉄11000系になりますかね?
なりますかねぇ……w