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ありがとう!国鉄電車特急!381系!!
381系やくものプラレール買います!
最初に381系が走った中央西線の通っているJR東海では既に381系の後継車種である383系の、そのまた更に後継となる385系による置き換えが発表されたと言うのにJR西日本ではまだ現役のまま走っている…もはや奇跡と言っていいでしょうね。
381系の知られざる特徴として、電動車2両と付随車1両の3両で1ユニットを組むという機器構成がありますそのため、中間車を先頭車に改造する場合には、サロかモハしか種車にできなかったりします
ついに引退ですね…毎年夏、帰省する際に必ず乗るというのが個人的な恒例行事だったんですけども、それも終わりという感じがして凄く寂しいです。國鐵岡山なんて言われている岡山駅もそう長くはないと感じられますね…
ご視聴ありがとうございます!もう間も無く二度と見ることができなくなるという事実が本当に信じられません、、楽しい思い出を沢山ありがとうですね。
まだ115系後期車が生き残るとはいえ、せいぜい2030年代が限界ですかね。
「しなの」運行開始翌年に小学生の連れ共と金を貯めて名古屋〜多治見に乗りに行きました(当時は千種には停車せず)退屈の象徴だった新幹線より遥かに楽しかった思い出があります。
先月、お名残乗車しました。🚂🚈もちろん、復刻国鉄仕様に乗車しました。🚂🚈東海名古屋地区なので、しなのの印象が強いですね。🚂🚈国鉄時代の車輌が引退するのはさびしいですね。🚂🚈
やくもの381系は全車201系量産車よりも新しい昭和57年製なんですよね。もうこの頃だと1973年登場の初期車から10年経ってるわけですが、まだまだ全然新しい車両だった訳です。普通列車用の115系も1000番台が同じ昭和57年冷房車として登場しており、国鉄路線の中ではかなりの高待遇な路線であったことが伺えます。やはり伯備線の冬は信越本線・上越線国境並みに寒地な為両者ともに耐寒耐雪構造だったのも凄い点なのかもしれません。やくも用は最終後期車で初期車とも形態がかなり異なってますので、保存する価値は全然あるものと思います。
国鉄型はまだキハ185が四国で定期特急運用持ってますよ。気動車ですがね。
ご視聴ありがとうございます!キハ185も大変いい車両です。ただ381系含む国鉄電車特急のオーラは凄まじいものです。
@@watagasi583 やっぱ、あの造形デザインですよねぇ……。電車の185もあの存在感はさすがにないですね。どうも車両動向からすると、電車で最後に残るのも185になりそうな感じがしますが。
キハ185を見ると……どうしてもキハ58の進化系に見えてしまい、更なる進化版がキハ187やら四国2700に思えてしまい……
わざわざ言わんくても…
小学生時代に名古屋から乗る機会がありました…。勿論旅行ですので乗車を楽しみにしておりました…が、ご想像通り盛大に吐きましたw
381系100番台はゴウサントウダイヤ改正で特急くろしお登場時期です。特急しなのにも増備車で登場しています。しなの登場当時全車指定席だったのは、立っている乗客を無くすためとも言われていました。ただすぐに旧盆の多客時期に入り当時あった立席特急券で乗った乗客がかなり酔ってしまったそうです。後に改良されたようですが、紀勢本線では線路規格も低かっのであまり効果はなかったそうです。
日本初の振り子式電車特急として381系の功績は称えるべきものですねカーブでの走行性能も然ることながら湖西線で時速180㌔近く叩き出した国鉄車屈指の韋駄天でもありますね
この間岡山に乗り/撮りに行きました。私は子供の頃電車が大好きだったのですが、5歳の頃にイギリスに行き10年間過ごしました。日本に戻ってきた後にまた鉄オタにはなったはいいものの、子供の頃憧れてた雷鳥や583による夜行列車、そしてどこにでも居た国鉄色の485や他の電気釜、乗ってみたい!見てみたい!と思い駅に行っても跡形も無く新しい特急型に置き換わっていて悲しさと悔しさがありました。けど最後の最後まで生き残ってくれた185と381系には本当に色々な夢を見させて、ロマンを感じさせてくれました。元々岡山や出雲の出身ではないけど、知ってから、実際に見てから短い間だったけど本当に381系には、JR西日本には感謝しかないです。
381系は、今まで1回だけ特急「しなの」で、見たことはある。(ずうと昔のことです)たまに、381系特急「あずさ」で、走ったらどうなるんだろうなぁって、妄想したときがありました。でも調べたら、技術的に、無理だというので、ちょっとヘコんだ記憶がある。改めて凄いクルマだなと、感じた。足回りとかを、じっくりと観察したいなと思った。
ご視聴ありがとうございます!381系のあずさがあったら本当に面白い列車だったでしょうね、、
長野の189系には『あさま』『あずさ』『そよかぜ』以外に『しなの』の絵入りマークも入っていました。(上野で『回送』表示にする際 幕回しで出て来て驚いた)だから当時 同じ長野にいた381系にも(実際に走る事はありませんでしたが)『あずさ』や『あさま』幕が入っていたかもしれません。
元JR職員である宇田賢吉さんが著書の鉄路100万キロ走行記、中で振り子は、カーブの遠心力を感じ難くするためで、通常の車両の方がスピードが出せると書いています。
当時新聞記事にもなりましたが、スーパーやくものパノラマグリーン車、スーパーくろしおの設計図を流用したものだから耐雪ブレーキをつけ忘れた、というエピソードもあるね。JR西の担当者のコメントは「耐雪ブレーキがなくても慎重に運転すれば当面は大丈夫」というもので、確かその後順次取り付けられたはず。
伯備線電化の際183系1000番代が使用される可能性が有った話を聞いた事有ります。
国鉄型特急電車、とある通過駅で警笛聞いて振り返れば、彼らが軽やかに走り去って行った。 「鯨のベーコン色」と揶揄するが、まさか車体の塗色とは思うまい。 (一般旅客)
げろしお・はくもに乗って全く酔わなかった俺にとっては最高に面白かった車両だったよ
自分も酔いませんでした。かえって乗り心地良いと思ったのは、鈍感だったから?
相性が良かったかも
酔わなかったどころか、乗っててとても楽しい車両だったよ❣
めちゃくちゃわかりみが深いよ
昨年、中央西線の、全線電化から50年の節目をむかえ、高度成長期の、昭和40年代に、D51牽引の列車が主であった、中央西線が、振り子式電車特急という型で、高速化を果たした、立役者ともいえる存在でした。複線電化により、新線を走行する区間もあれば、D51も走行した区間を、いまもなお走り続ける、後継車の383系、さらに、後継車の385系、高速化とともに、中央西線の、フロンティアスピリットを担う存在として、伝統を伝えていくことに、期待しています。(24‐06‐12)
明日、明後日乗りに行きます。最後まで無事走りきることを願います
自然振子式故のワンテンポ遅れる振れで、「エチケット袋が必須!」等と揶揄された381系…ただ本型式の実用化成功で、その後のセミアクティブやアクティブ振子式の基礎となったのも、また事実…… “老兵はタヒなず、ただ消え去るのみ…∠(T_T)
その技術は『オーストラリア』にも 輸出されました。
381系がクビにされた後は博物館で保存されて欲しい。しかも381系爺さんの仕事を奪った273系は許せないと思う。それに381系は嫌われ者で、嫌いな人が圧倒的に多く、悪意のあるあだ名を名付けられてしまった…
381系『やくも』の歴史は『はくも🤮』の歴史でもありましたね。ruclips.net/video/fx9WsxuzTic/видео.htmlsi=J1UYtp46TTcQObrNruclips.net/video/9lEjLjQ-0uM/видео.htmlsi=5L9w78UIm1NQWkiqでも 世界初の『振り子式電車』はやはり名車です。
ご視聴ありがとうございます!外から見るかっこよさと裏腹に、評判はいいとは言えませんでしたね、、
ありがとう!国鉄電車特急!381系!!
381系やくものプラレール買います!
最初に381系が走った中央西線の通っているJR東海では既に381系の後継車種である383系の、そのまた更に後継となる385系による置き換えが発表されたと言うのに
JR西日本ではまだ現役のまま走っている…もはや奇跡と言っていいでしょうね。
381系の知られざる特徴として、電動車2両と付随車1両の3両で1ユニットを組むという機器構成があります
そのため、中間車を先頭車に改造する場合には、サロかモハしか種車にできなかったりします
ついに引退ですね…
毎年夏、帰省する際に必ず乗るというのが個人的な恒例行事だったんですけども、それも終わりという感じがして凄く寂しいです。
國鐵岡山なんて言われている岡山駅もそう長くはないと感じられますね…
ご視聴ありがとうございます!もう間も無く二度と見ることができなくなるという事実が本当に信じられません、、楽しい思い出を沢山ありがとうですね。
まだ115系後期車が生き残るとはいえ、せいぜい2030年代が限界ですかね。
「しなの」運行開始翌年に小学生の連れ共と金を貯めて名古屋〜多治見に乗りに行きました(当時は千種には停車せず)
退屈の象徴だった新幹線より遥かに楽しかった思い出があります。
先月、お名残乗車しました。🚂🚈もちろん、復刻国鉄仕様に乗車しました。🚂🚈東海名古屋地区なので、しなのの印象が強いですね。🚂🚈国鉄時代の車輌が引退するのはさびしいですね。🚂🚈
やくもの381系は全車201系量産車よりも新しい昭和57年製なんですよね。もうこの頃だと1973年登場の初期車から10年経ってるわけですが、まだまだ全然新しい車両だった訳です。普通列車用の115系も1000番台が同じ昭和57年冷房車として登場しており、国鉄路線の中ではかなりの高待遇な路線であったことが伺えます。やはり伯備線の冬は信越本線・上越線国境並みに寒地な為両者ともに耐寒耐雪構造だったのも凄い点なのかもしれません。やくも用は最終後期車で初期車とも形態がかなり異なってますので、保存する価値は全然あるものと思います。
国鉄型はまだキハ185が四国で定期特急運用持ってますよ。気動車ですがね。
ご視聴ありがとうございます!キハ185も大変いい車両です。ただ381系含む国鉄電車特急のオーラは凄まじいものです。
@@watagasi583 やっぱ、あの造形デザインですよねぇ……。電車の185もあの存在感はさすがにないですね。どうも車両動向からすると、電車で最後に残るのも185になりそうな感じがしますが。
キハ185を見ると……どうしてもキハ58の進化系に見えてしまい、更なる進化版がキハ187やら四国2700に思えてしまい……
わざわざ言わんくても…
小学生時代に名古屋から乗る機会がありました…。
勿論旅行ですので乗車を楽しみにしておりました…が、ご想像通り盛大に吐きましたw
381系100番台はゴウサントウダイヤ改正で特急くろしお登場時期です。特急しなのにも増備車で登場しています。しなの登場当時全車指定席だったのは、立っている乗客を無くすためとも言われていました。ただすぐに旧盆の多客時期に入り当時あった立席特急券で乗った乗客がかなり酔ってしまったそうです。後に改良されたようですが、紀勢本線では線路規格も低かっのであまり効果はなかったそうです。
日本初の振り子式電車特急として381系の功績は称えるべきものですね
カーブでの走行性能も然ることながら湖西線で時速180㌔近く叩き出した国鉄車屈指の韋駄天でもありますね
この間岡山に乗り/撮りに行きました。
私は子供の頃電車が大好きだったのですが、5歳の頃にイギリスに行き10年間過ごしました。
日本に戻ってきた後にまた鉄オタにはなったはいいものの、子供の頃憧れてた雷鳥や583による夜行列車、そしてどこにでも居た国鉄色の485や他の電気釜、乗ってみたい!見てみたい!と思い駅に行っても跡形も無く新しい特急型に置き換わっていて悲しさと悔しさがありました。
けど最後の最後まで生き残ってくれた185と381系には本当に色々な夢を見させて、ロマンを感じさせてくれました。
元々岡山や出雲の出身ではないけど、知ってから、実際に見てから短い間だったけど本当に381系には、JR西日本には感謝しかないです。
381系は、今まで1回だけ特急「しなの」で、見たことはある。(ずうと昔のことです)
たまに、381系特急「あずさ」で、走ったらどうなるんだろうなぁって、妄想したときがありました。
でも調べたら、技術的に、無理だというので、ちょっとヘコんだ記憶がある。
改めて凄いクルマだなと、感じた。
足回りとかを、じっくりと観察したいなと思った。
ご視聴ありがとうございます!381系のあずさがあったら本当に面白い列車だったでしょうね、、
長野の189系には『あさま』『あずさ』『そよかぜ』以外に『しなの』の絵入りマークも入っていました。(上野で『回送』表示にする際 幕回しで出て来て驚いた)
だから当時 同じ長野にいた381系にも(実際に走る事はありませんでしたが)『あずさ』や『あさま』幕が入っていたかもしれません。
元JR職員である宇田賢吉さんが著書の鉄路100万キロ走行記、中で振り子は、カーブの遠心力を感じ難くするためで、通常の車両の方がスピードが出せると書いています。
当時新聞記事にもなりましたが、スーパーやくものパノラマグリーン車、スーパーくろしおの設計図を流用したものだから耐雪ブレーキをつけ忘れた、というエピソードもあるね。
JR西の担当者のコメントは「耐雪ブレーキがなくても慎重に運転すれば当面は大丈夫」というもので、確かその後順次取り付けられたはず。
伯備線電化の際183系1000番代が
使用される可能性が有った話を
聞いた事有ります。
国鉄型特急電車、とある通過駅で警笛聞いて振り返れば、彼らが軽やかに走り去って行った。 「鯨のベーコン色」と揶揄するが、まさか車体の塗色とは思うまい。
(一般旅客)
げろしお・はくもに乗って全く酔わなかった俺にとっては最高に面白かった車両だったよ
自分も酔いませんでした。かえって乗り心地良いと思ったのは、鈍感だったから?
相性が良かったかも
酔わなかったどころか、乗っててとても楽しい車両だったよ❣
めちゃくちゃわかりみが深いよ
昨年、中央西線の、全線電化から50年の節目をむかえ、高度成長期の、昭和40年代に、D51牽引の列車が主であった、中央西線が、振り子式電車特急という型で、高速化を果たした、立役者ともいえる存在でした。複線電化により、新線を走行する区間もあれば、D51も走行した区間を、いまもなお走り続ける、後継車の383系、さらに、後継車の385系、高速化とともに、中央西線の、フロンティアスピリットを担う存在として、伝統を伝えていくことに、期待しています。(24‐06‐12)
明日、明後日乗りに行きます。最後まで無事走りきることを願います
自然振子式故のワンテンポ遅れる振れで、「エチケット袋が必須!」等と揶揄された381系…
ただ本型式の実用化成功で、その後のセミアクティブやアクティブ振子式の基礎となったのも、また事実…
… “老兵はタヒなず、ただ消え去るのみ…∠(T_T)
その技術は『オーストラリア』にも 輸出されました。
381系がクビにされた後は博物館で保存されて欲しい。
しかも381系爺さんの仕事を奪った273系は許せないと思う。
それに381系は嫌われ者で、嫌いな人が圧倒的に多く、悪意のあるあだ名を名付けられてしまった…
381系『やくも』の歴史は『はくも🤮』の歴史でもありましたね。
ruclips.net/video/fx9WsxuzTic/видео.htmlsi=J1UYtp46TTcQObrN
ruclips.net/video/9lEjLjQ-0uM/видео.htmlsi=5L9w78UIm1NQWkiq
でも 世界初の『振り子式電車』はやはり名車です。
ご視聴ありがとうございます!外から見るかっこよさと裏腹に、評判はいいとは言えませんでしたね、、