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訂正「運転停車」としていますが、停車した駅では客扱いしていました1:13 下関からのルートはシルクロードではなく、朝鮮半島経由でした13:30 熱海ルート開業で電気機関車牽引になったのは東京〜国府津ではなく東京〜沼津でした
特急燕の機関士、機関助手は交代要員を荷物車内に待機していて、時間になると高速中のテンダーの上を歩いて交代するサーカス紛いの芸当をしていた。給水車のステップでも十分ではなく危険だったけど転落事故がなかったのは神業としか考えられない。
もっとすごい逸話があって、C53の台枠上に助士が乗り、動輪中央の大端部に給油し続け、軸焼けを防いだ逸話があるそうです。油穴が軸に開けられていればこんな危険な給油手法はしなくても済んだはずですが、今では現場猫案件ですね。これに限らずC53には設計ミスのオンパレードだったとも言えますが、鉄道省の宣伝映画『鉄道信號』で、牽引機が映るシーンはどれもC53なのを見ると、C53が花形機関車だったことがうかがえます。
バカなのかな!?
走行中の乗務員交代、逆に2年間も実施していたのが凄すぎるC53の走行中のシリンダー注油といい、命がけで安定輸送を築いてきた国鉄時代の機関車乗務員には頭が下がる一方ですわ...
自衛隊とかだと、戦闘機パイロットなどのリスクの高い任務に就く隊員さんには危険手当って追加の手当金が給料に上乗せされるけど、正直そのクラスの上乗せないとやってられないレベルに危ないっすよね……。
長時間の連続運転では機関助士の(石炭投入)労力は想像を絶するものであったろう。
ヤケクソ給水とアクロバティック交代の逸話好きwww
日本に鉄道が伝わってから半世紀でこれだけの高速運転ができるようになってるのが凄い
ついでに安全にもなった!
速度がアップしたのは事実ですが、鉄道が安全になったかどうかは議論の余地がありますね。三河島事故とか六軒事故とかに限らず、事故はは少なからず起きてましたからね……。
燕「30秒で連結してたで」京急「いやいや早すぎィ!できるわけないだろ!!」電車でGO「全くだよ。この目で見てみたいわ」
今の自動閉塞システムでは絶対に不可能です。駅構内も自動制御の入換『信号機』ですから列車検知と転轍器転換の物理的時間を削れません。この当時はおそらく転轍手が最後尾通過を見てすぐに転轍器テコを動かしていたのでしょうね……。転轍器通過中の転轍を防ぐディテクターバーこそあったにせよ、信号係員すらも最急行に対して全面的に強力していたことがうかがわれるエピソードです。
@@naomiyamada8581 14:10
機関車乗務員の走行中での交代ですが、驚愕なのは、この列車が毎日運転の定期列車であったことです。ということはつまり、雨天の日も、さらに冬季には雪の日もあったはずで、このような降雨・降雪時にも、この方法で交代を行っていたのですから、事故が起きなかったのがまさに驚きです。
新設から2年後のダイヤ改正で導入された「燕号の静岡駅運転停車」も、「静岡駅での30秒の運転停車で2トン、つまり20立方メートルもの給水を行う」という、結構気違いじみたものでありました・・・・・😅・・・・・ちなみに軍用機で使用される増槽(航続距離を伸ばすために装着される外付けの増加燃料タンク)を世界で最初に開発、装備したのは日本ですが、もしかしたらこの水槽車がヒントになったのかも・・・・・
30秒で2トンということは4,000リットル毎分(66.7リットル毎秒)。給水塔から自然流下させる通常の給水手法では到底間に合わなさそうです。
30秒で20トンとかもう💧
@@タマ-r5h 30秒で2トン、20立方メートルですね。
@@タマ-r5h さん改めて元コメントを見て驚きました🤪『2トン が 20立方メートル』なわけないですね。水1キロリットルでほぼ1トン、1㎥ になるから、『20㎥を30秒で補給』といったら、もう立派な水力発電所並みの流量になっちゃいます(汗)
すみません。2トンは2立方メートルですね。20立方メートルだと20トンになってしまいます。大変失礼致しました。そしてご指摘ありがとうございました。
こう考えると新幹線が新横浜から名古屋まで高速で一気に走っていくのはすごいことなんだな
昔々の新幹線ひかりは東京⇔名古屋ノンストップでしたね。
今考えてみると100年前から機関車付け替えの暇を惜しんで蒸気機関車で常軌を逸しているスピード追求は始まっていたんですね…「燕」カオス過ぎる…
迷列車というよりは現場猫案件なんよw
補機の走行解放は割と有名だけど、まさか走行連結も検討していたとは…これだけの綱渡りをしながら、機関車の性能と客車の数は妥協してたのちょっと面白い
そりゃあお金を払ってくれる乗客を減らしてしまえば、運行上のメリットがありませんからね。
大垣のあの区間ですね😮。
燕はまさに超特急という名にふさわしい列車だったと思います。
このあと燕に新京阪P-6形が襲いかかるのが胸熱なんよね。
こち亀BGMはいかなるクレイジーをも浄化してくれる
ペンシルベニア慣れしてるとこれでも大人しめに見えてしまう
11:51客車にあらかじめ乗車している機関士・機関助士のペアと交代していた…_人人人人人人人人人_> 走 行 中 に < ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄もうブッ飛びすぎて笑うしかない
近鉄「走行中に運転士交代とか危ないなあ」
運輸省から、チャチャが入って、津に停車するようになったんだよ。
@@DDwaizen 名阪特急が鶴橋まで止まらなかった頃ですね
@@maigikensa7455 1号車、手荷物室との境にある便所の横にある2人がけの席が指定席でした。(洗面所はなかった)
いくら無停車走行の為とはいえ、かなりブッ飛んだやり方ばかりで正直ビビった…
燕と隼、鳥の方も現在の列車の方もはやぶさが圧倒的に速いけど、最早レーシングチームの如き速さへの執念はつばめの方が上だったという……。つばめ担当の機関士さん、どんなことを思いながら業務に向かっていたんだろうか……。
ああそうか。どこかで見たような気が、と思ったら、F1のピットストップだ。
かつて国鉄で「燕」といえば、花形特急の代名詞でしたね。後年、国鉄がプロ野球の球団を持った際に「スワローズ」を採用したのも、この特急「燕」に由来するものでした。今の「東京ヤクルトスワローズ」の前身です。
燕の話、待ってました!大変楽しく拝見しました!鉄道ファンはこの戦前客レ燕と碓氷峠の話の時、頭の中で地上の星が流れるという……素晴らしく恐ろしい日本を誇る超特急の軌跡……見事な動画です!
水槽車を連結して上り勾配を走ると水が全部水槽車の方に寄ってしまい、ボイラーに水が足りなくなってえらいことになったそうな逆に下り勾配ではボイラーに水が集まってしまい、冷えてしまうことで蒸気が上がりにくくなったそうなまったくの余談ながら、ガーラット式の蒸気機関車で水槽車を連結するケースがあり、一般的には稼働時間を延長するためと考えられているが、実際はそうではなかったりするガーラット式の特徴として前方の水槽車と後方の炭水車の下に走行装置があり、前後対称の車軸配置となっている水が満載の時は安定した粘着力を発揮するが、走行を続けることで水が減っていき、水槽車と炭水車が軽くなることで当初の粘着力を発揮できなくなっていくその結果空転が頻発するようになるので、機関車本体の水はウェイトとして重要であることがわかるそこで水槽車を連結して機関車本体の水を使わないようにしているそうな
ガチでバック・トゥ・ザ・フューチャー3っぽい事をしたのかよ!
この動画で海外の大胆な方法を見てきたが日本にもこういったものがあったとは💦
意外かもしれないのはムーミン(EF55)は特別扱いなのか一代目も二代目も燕(つばめ)引いてるからすごいんだよな一代目も二代目も引くことって今だと珍しい話だから
走行中の補機切り離しはセノハチでやってたからまだ理解るが、走行中の乗務員交代はもうそのままアクション映画に使える有り様だよ
その後電車特急や近鉄名阪特急でも行われています。
山北駅は補器待機駅として当時は色々と賑やかだったそうですが、丹那トンネル開通後はだんだんと寂れていきました、現在秘境駅と言える谷峨周辺などにも痕跡が残りますが戦争中に鉄不足として上下複線から片側を供出した結果、現在の御殿場線は基本単線のままさらに昨今の削減でほぼ無人駅ということに・・・。戦前の漫画家である大城のぼるの名著「汽車旅行」(昭和16年刊)で東京~名古屋間の話が出ていました、EF53から沼津でC53に切り替えのシーンがハイライトですね。
元東海道線の御殿場線がいつ単線に戻ったか?疑問だったので戦時供出と伺って勉強になりました
走行中に炭水車の上を歩くというパワーワード
C53時代は中央ロッドへの給油がとんでもない人力給油。そりゃさっさとC59に代わりますね。
遂に!楽しみすぎる
久しぶりの投稿嬉しい☺️
ウォータースクープが実用的な案w
「燕しか使わないからなあ」で建設取りやめ。(時間不足もあったとは!)逆に言えば、アメリカでの本数の多さが浮き出て来ますね。これが経済力だ・・・
この超特急「燕」から、まさか21世紀になって、あの「畜ペン」が生まれるとは!
終着が下関とすると、ほとんどの人が下関から大陸方面の連絡と思ってしまうがそれは間違い。下関は当時は朝鮮への連絡窓口。満州や大陸・中華民国等へ行くということなら、下関から連絡船で門司まで渡り門司から台湾、大連、上海、天津、香港方面の貨客船に乗り換える。または、欧州行き、東南アジアゆき、インド行き、オーストラリア行き、南洋群島行き、アフリカ行き、南米行き等の貨客船も連絡していたので北米以外はすべて門司で乗り換えた。
さらに性能が高い(議論の余地あり)は流石に笑ってしまったw
2つのバルブてこから3つ目のバルブ開閉タイミングを取り出すグレズリー式弁装置の設計理論を誤って適用した設計上のミスがありました。起動不良はこの設計ミスのためであり、基本的に3シリンダー蒸気機関はバランスの取れた高速走行が可能な仕組みです。もしD52並みの巨大ボイラーを積んでいれば間違いなく『日本最強』の蒸気機関車になったと思います。しかしながら凸凹のレールを走る蒸気機関車には軸ばねがあり最適位置が違ってくることから、調整には設計理論とは違った、いわば職人芸的な勘が求められたのもC53の泣きどころで、引退を早める結果となりました。鉄道省が多気筒の蒸気機関車を諦めたことから、絶対性能で上限が見えている2シリンダーの蒸気機関車しか製造せず、『無煙化』の美名のもと米欧よりも蒸気機関車の引退が早くなったのもまた、歴史的事実です。
@@naomiyamada8581 多気筒は同一機種すら1台1台の癖が大きくなるので、1台に専用の乗員グループを作りその乗機以外の運転は考慮しないと走らせることすら難しいC53の起動不良は設計ミスではなく本家オリジナルからの呪縛でしたが、イギリスでは専属員に見えない聞こえない乗機の癖を職人芸的な勘で把握させていたので問題になりませんでした一方、鉄道省は同一機種どころか性能が似ている別機種も運転可能で共通運用しています旧態依然を通り越して時代錯誤の運用を続けていたヨーロッパを尻目に、専用の乗員を不要として効率的で近代的な蒸気機関車を製造していた鉄道省とも言えます専属の乗員以外では走ることすら難しくなる多気筒と機関士なら誰でも運転可能な2シリンダーとの差はあまりにも大きいです
@@naomiyamada8581 グレズリー式弁装置はもともと起動不良の問題がありましたイギリスでは1台(1機種ではない)に専属の運転チームを乗務させて見えない聞こえない愛機の癖を把握させる方法で癖が強く同一機種でも専用機じゃなければ運転が難しい多気筒の運用をしていました一方、鉄道省は別機種でも性能が近ければ運転可能で共通運用もこなせるほど、機関士なら誰でも運転ができるような体制を実現していましたヨーロッパでは旧態依然を通り越して時代錯誤の運用をしているのを尻目に近代的な蒸気機関車を製造していたとも言えます絶対性能で上限が見えている2シリンダーでも、単純に走らせるハードルが高くて動かせない多気筒と比べると実用面で雲泥の差があります
@@naomiyamada8581 調べれば調べるほど謎な設計変更や肉抜きなどが出てくるのでどうしてこうなってしまったのか…ただこれも含めてC53の魅力だとは思うのですが
@@naomiyamada8581 グレズリー式の不具合は鉄道省の設計ミスではなく元からだったようですよLNERはさまざまな欠陥を持つグレズリー式機関車に乗務させる人員を1人1人選別して1台の機関車に専属させる運用で対処したが当時の鉄道省は1台の機関車に乗員を専属させずに運転が可能な体制に移行しつつあり、旧態依然としたLNERのやり方と相性が悪かった(Wikipediaより)これはグレズリー式に限らず多気筒全般の問題だったようで筆頭ともいえるフランスでは日本の鉄道省が1日に走らせている2分の1から3分の1しか動かせなかったようです職人芸的な勘が求められたC53ですがヨーロッパは神業的な勘が求められていたようです
BTTFで出てきたアレが日本で実際に行われてたとは…
何がとんでもないって燕は「毎日」往復1本運行されていたと言うね…gkbr
そもそも東鉄にC53に乗れる機関士が居なかったからという話も聞きますね東京以南は大正から電化されてますしそもそもC53の(本務機としての)配置が名古屋以西御殿場線の補機はC53だし
ヨーロッパへの道、上海方向に行ったら出口無いですよ。釜山から奉天、ハルビンの北向きです
ミキ20、Nサイズだけどはんだ付けで作ったことあります
戦前なのにすごい。いまなら組合から反対でこんな危険な運転はできませんね
いいですよねぇ流線型カバー付きC53国産車で2番目に好きな機関車です
コリドーテンダーって画期的やったんやな···
11:57運転中のテンダーを辿って運転台に侵入とかマジでバック・トゥ・ザ・フューチャーじゃんw
ウォータースクープは、フランス映画のLa Bete Humaineに登場するSNFC231 で実際に使っているシーンが映っています。
何というか不穏な終わり方
自動解放装置がなかったので、補機前端に列車ボーイが立って手動解放していたそうで、機関士交代同様に危ないことをしていたのだな、と😱水槽車連結中止と引き換えに三等車を1両増結していたと思うのですが🤔
正確には水槽車連結で減車していたのを、廃止と同時に元に戻しただけですななお、手動開放も危険だということで、後年は解放錠に紐をつけて、機関助士が解放していたそうです
@@電光刑事-u4c ありがとうございます、水槽車連結に伴う減車や解放取扱は、資料が手元になく存じ上げませんでした。また増結は2両でした(アルモデル・往年の客車列車編成表より)失礼しました。
確かブレーキ菅の切り離しが走行中は難しいということで、列車本体と補機の間で貫通ブレーキをつなげていなかったらしいですね。
BGMの一つが「銀婚式」なのは大変相応しい😊
リアルにBack To The Future Part3みたいなことしてたんか…どうしてそこまでして…
特急燕号、そういえばありましたねえ。すっかり忘れてしまいまさに記憶の外の存在でした。思い出させていただきましてありがとうございます。🎉
あー頭のおかしい時間制御は昔からなんだなと納得してしまった
交代なしで運転する考えもあったようで志願者も出ていましたが流石に危険と判断されたようですこの時は志願者も安心した訳でなく上は自分たちを信用していないのかと不満だったと
読んだ話では15秒遅れで注意。30秒遅れでは場合によって始末書があったそうです。今では考えられない回復運転やら工夫をして定時運行に努めていた凄い列車。
アクロバティック乗務員交代の話ガチで好きw
意味深なエンディングだなあ()
C53、カッコいいですよね一番好きな機関車です1度で良いので実物を見てみたいです
走行中の乗務員交代って戦前レベルなら世界的に見ても、それほど珍しいものではなかったような。
電機や電車なら日本でも結構な事例があれど、蒸気機関車での乗員交代は珍しいかと。まさか運転室に同乗するわけにも当時の風潮から無理だろうし、炭水車越しに交代要員が乗り移るのは珍しいかと。
ここのゆっくりは特にゆっくりですね
近鉄特急もびっくりな乗務員交代劇
運転保安設備の扱いも大概だったと予想する(特に通票授受)
これは確かに特急を超えた超特急...
富士以外は新幹線に名前が引き継がれたな、富士の復活はリニアになるのか?
でも、リニアモーターカーじゃ走行中に富士山見えるんかな?トンネルから一瞬見えるかも…
C51のテンダーの上を歩かせるアクロバティック機関士交代、英LNERはサイズのおかげでテンダーに通路を設けるという荒業ができたのだった……そういえばあちらのA3形も特急機関車、ダブルテンダー、アクロバティック機関士交代と共通点多いですね?
今日的な目から見ると、鉄道省の「燕」にかける執念は異常というか、やりすぎですよね。それだけ鉄道に元気があった時代ですね。航空機がまだまだ鉄道のライバルなりえぬ時代ですから、先輩の「富士」「桜」並みの速さでも十分過ぎたでしょう。以下、重箱つつきで申し訳ありません。1:14 ナレーションでは「日本海」とありますが、ここの地図の矢印では、下関から、【東シナ海】を通り上海に渡って、シルクロード経由でヨーロッパへ向かうルートに見えます。特別急行「富士」の前身である、特別急行1・2列車が運行を開始した1912年当時の状況では、一般の旅行者がシルクロード経由でヨーロッパへ向かうのは現実的ではありません。特別急行1・2列車について、『時刻表でたどる鉄道史』(宮脇俊三編著、原口隆行企画・執筆、JTB)にはこうあります。「この列車は大陸の鮮満鉄道、シベリア鉄道とも連絡している、いわば国際列車でもあった」ですので、矢印は下関から、釜山に上陸、朝鮮半島を北上した後、西(ヨーロッパ)へ向かうのが良かったと存じます。特別急行「燕」の伝説が要領よくまとめられていて楽しめました。後編がありそうな終わり方でしたので、次も期待しております。
乗務員交代は、しっかり停めてえぇんやで😅
13:28 東京~国府津でわなく、東京~沼津でしょう?
なんだ、かつて国鉄は30秒で連結、走行中に切り離しという時間短縮が出来たんだ…(横須賀市民)
新幹線のご先祖様ですね。
待ってました!
走行中に連結の試験をやったってのは初めて聞いたわ
写真のEF55、故・西尾克三郎さんが品川付近で撮影されたものだが、確か「富士」を牽引しているところだ。55のカマは時に燕を牽く事もあったが、どちらかというと「富士」の牽引に充てられる事が多かったらしい。
面白かったです。ところで、給水するのとしないのとで、どれくらいの時間差が生じたのでしょうか?それにしても、交代用の乗務員は客車で待機、と言われた時点で、え?交代いつするのと思ったら・・・・
走行中に炭水車を伝っての乗務員交代、丹那トンネル開通前の30秒での後補機連結に走行したままでの解放…現在ならば、このような危険なリスクが伴う作業、国土交通省が許さないだろう。でも戦前はそれを殆ど事故も起こさずにやってのけていたのだから、昔の鉄道員は、相当腕の立つ職人芸の持ち主が揃っていたのだろう。
運輸省・国交省が見張る以前に、「鉄道省」があった時代ですからね。軌道回路を見て転轍器を動かす方法ではこんな早技は無理で、でっかい転轍テコで分岐器を操作していた時代ならではと思います。操車場での貨車分解操作みたいに目視でないと無理ですね。
御殿場〜沼津の箱根越えをよくSLで走ったなとつくづく思います
『客車にあらかじめ乗車している機関士・機関助士のペアと交代していた…』『 走 行 中 に 』俺「鉄道省… お前は馬鹿か?www」(マジで実際に言ってた)
復水式機関車という発想はなかったのだろうか
構造が複雑化して扱い難くなるからダメだったんでしょう。
その当時の最大級の転車台にも乗らないから発想自体無かったのでは?
のぞみ64号もびっくりのタイム短縮
続きと戦後の『つばめ』の話しも聞きたいです。
大垣〜以西、垂井から関ヶ原にかけての垂井下り支線の勾配1000分の25パーミルの坂道を登るため、燕号の客車の前後にはさみ打ちするかのように前と後ろにC62🚂SLを組み込むプッシュプル運転をして関ヶ原では後ろの補機を走行解放していたそうですね?😳。その為大垣では上下線では下は普通上は特急まで必ず停車指示がされていたそうですね😮。給水🚰の関係で。
んん?関が原は戦時中に新垂井経由の10‰別線が出来ていたからC62時代には後補機は不要だった筈。それでも宮脇俊三氏の著書によれば、その区間の均衡速度は40㎞/h台だった由。それが電化されEF58に代わったら一気に70㎞/h台に上がり更に151系時代には80㎞/h台に向上したとのこと。
08:16 ここで国府津 12:34 ここでは静岡 此方を「運転停車」と仰っていますが、戦前では運転停車と言う概念が基本的に無く、時刻表に停車表示が有れば、運転停車では無く営業の停車で御座います運転停車は客扱いをしないというのが原則では御座いますが、客扱いしなかったというソースは御座いますでしょうか?私自身は10年以上前では御座いますが、確かヤフオクで「国府津→大阪」の「燕の特急券」を見たことが御座いますので、客扱いはしていたと思います。
勉強不足でした。特急が30秒停車で客扱いしたのかわからなかったのですが、普通に考えれば旧型の客車時代なので乗り降りできてもおかしくないんですね、、
それ故に『能生騒動』なる珍事(自動扉装備のキハ82系気動車特急が運転停車なのにそう明記されなかった)が起きたわけで……。
後編はよ!
特急燕伝説の水槽車。。。しかもちゃんと模型化されているんですよね。燕のC51水槽車時代と、ミキ20時代ともに笑そして運転中の乗務員交代。しかも屋外を伝ってというのは現在では考えられないです(´・ω・`)
バック・トゥ・ザ・フューチャー3のような感じで、乗務員交代!
何がそこまで鉄道省を駆り立てたのか……。😶
凄い事してんだなぁ〜w
続きあるよね?c62も青大将もまだ出てきてないよ!
次回、流線型来るか…?
JR各社も鉄道省のように熱血ド根性になってほしい
グレズリー式連動弁装置ですか。愉しみです。😊
30秒で連結、、、当時の国鉄の作業規定がどうなってたかは知らないけど、空気ホース繋がないならワンチャン...
この辺りの燕の話を、「ある機関士の回想」というので、少しではありますが、取り扱っているページがあります。それ以外にも、戦時中の過酷な運転事情など、当時のSL黄金期の話を知れるので、興味のある方は、ぜひお読みください。
走行中に補機連結する案を出すくらいなら、始発から補機を連結した状態で発車すればいいのに、と思うのは浅はかだろうか(下りはとにかく上りは大問題になりそう)
これだけ過酷な時代なら予備の機関士は当然必要だけど、電化したらそりゃいらなくなるよね
1:03 直江津駅か…?特急ってトワイライトエクスプレス??
何で御殿場線区間の補機のところでBGMが「元祖ヤマトのテーマ」になる?
戦前に上海からヨーロッパ行きか
静岡停車になったのは運転上の都合以前に、西園寺公望が興津に坐魚荘を構えて隠居したので政府高官がご意見伺いに訪問する為だったとか…静岡に停める大義名分が出来たおかげでアクロバット的な乗務員交代が不要になった。流石に直接興津駅に停めるのは無理だっただろうね(^^);それにしても…C53時代、検車掛がカマの主台枠の間に潜り込んで走行中に潤滑油を給油しながら運転したって逸話は正直驚愕したよ。万が一落っこちたらたちどころにマグロ(轢死体)になってしまうから。ただでさえ激しい振動に目の前で高速回転するピストン・シリンダー・動輪・メインロッドがあるから担当した人もさぞかし怖かったのでは?
走行中にアクロバティック交代とはそりゃあ2年で中止になるわな
3:26からの曲名を教えてください🙏
7:34 インターステラーかよ
炭水車枯らすとダグラスとドナルド事件になる
PRR+NYC=燕
訂正
「運転停車」としていますが、停車した駅では客扱いしていました
1:13 下関からのルートはシルクロードではなく、朝鮮半島経由でした
13:30 熱海ルート開業で電気機関車牽引になったのは東京〜国府津ではなく東京〜沼津でした
特急燕の機関士、機関助手は交代要員を荷物車内に待機していて、時間になると高速中のテンダーの上を歩いて交代するサーカス紛いの芸当をしていた。給水車のステップでも十分ではなく危険だったけど転落事故がなかったのは神業としか考えられない。
もっとすごい逸話があって、C53の台枠上に助士が乗り、動輪中央の大端部に給油し続け、軸焼けを防いだ逸話があるそうです。油穴が軸に開けられていればこんな危険な給油手法はしなくても済んだはずですが、今では現場猫案件ですね。
これに限らずC53には設計ミスのオンパレードだったとも言えますが、鉄道省の宣伝映画『鉄道信號』で、牽引機が映るシーンはどれもC53なのを見ると、C53が花形機関車だったことがうかがえます。
バカなのかな!?
走行中の乗務員交代、逆に2年間も実施していたのが凄すぎる
C53の走行中のシリンダー注油といい、命がけで安定輸送を築いてきた国鉄時代の機関車乗務員には頭が下がる一方ですわ...
自衛隊とかだと、戦闘機パイロットなどのリスクの高い任務に就く隊員さんには危険手当って追加の手当金が給料に上乗せされるけど、正直そのクラスの上乗せないとやってられないレベルに危ないっすよね……。
長時間の連続運転では機関助士の(石炭投入)労力は想像を絶するものであったろう。
ヤケクソ給水とアクロバティック交代の逸話好きwww
日本に鉄道が伝わってから半世紀でこれだけの高速運転ができるようになってるのが凄い
ついでに安全にもなった!
速度がアップしたのは事実ですが、鉄道が安全になったかどうかは議論の余地がありますね。三河島事故とか六軒事故とかに限らず、事故はは少なからず起きてましたからね……。
燕「30秒で連結してたで」
京急「いやいや早すぎィ!できるわけないだろ!!」
電車でGO「全くだよ。この目で見てみたいわ」
今の自動閉塞システムでは絶対に不可能です。駅構内も自動制御の入換『信号機』ですから列車検知と転轍器転換の物理的時間を削れません。
この当時はおそらく転轍手が最後尾通過を見てすぐに転轍器テコを動かしていたのでしょうね……。転轍器通過中の転轍を防ぐディテクターバーこそあったにせよ、信号係員すらも最急行に対して全面的に強力していたことがうかがわれるエピソードです。
@@naomiyamada8581 14:10
機関車乗務員の走行中での交代ですが、驚愕なのは、この列車が毎日運転の定期列車であったことです。
ということはつまり、雨天の日も、さらに冬季には雪の日もあったはずで、このような降雨・降雪時にも、この方法で交代を行っていたのですから、事故が起きなかったのがまさに驚きです。
新設から2年後のダイヤ改正で導入された「燕号の静岡駅運転停車」も、
「静岡駅での30秒の運転停車で2トン、つまり20立方メートルもの給水を行う」
という、結構気違いじみたものでありました・・・・・😅
・・・・・ちなみに軍用機で使用される増槽(航続距離を伸ばすために装着される外付けの増加燃料タンク)を世界で最初に開発、装備したのは日本ですが、もしかしたらこの水槽車がヒントになったのかも・・・・・
30秒で2トンということは4,000リットル毎分(66.7リットル毎秒)。
給水塔から自然流下させる通常の給水手法では到底間に合わなさそうです。
30秒で20トンとかもう💧
@@タマ-r5h
30秒で2トン、20立方メートルですね。
@@タマ-r5h さん
改めて元コメントを見て驚きました🤪
『2トン が 20立方メートル』なわけないですね。水1キロリットルでほぼ1トン、1㎥ になるから、『20㎥を30秒で補給』といったら、もう立派な水力発電所並みの流量になっちゃいます(汗)
すみません。
2トンは2立方メートルですね。
20立方メートルだと20トンになってしまいます。
大変失礼致しました。
そしてご指摘ありがとうございました。
こう考えると新幹線が新横浜から名古屋まで高速で一気に走っていくのはすごいことなんだな
昔々の新幹線ひかりは東京⇔名古屋ノンストップでしたね。
今考えてみると100年前から機関車付け替えの暇を惜しんで蒸気機関車で常軌を逸しているスピード追求は始まっていたんですね…「燕」カオス過ぎる…
迷列車というよりは現場猫案件なんよw
補機の走行解放は割と有名だけど、まさか走行連結も検討していたとは…
これだけの綱渡りをしながら、機関車の性能と客車の数は妥協してたのちょっと面白い
そりゃあお金を払ってくれる乗客を減らしてしまえば、運行上のメリットがありませんからね。
大垣のあの区間ですね😮。
燕はまさに超特急という名にふさわしい列車だったと思います。
このあと燕に新京阪P-6形が襲いかかるのが胸熱なんよね。
こち亀BGMはいかなるクレイジーをも浄化してくれる
ペンシルベニア慣れしてるとこれでも大人しめに見えてしまう
11:51
客車にあらかじめ乗車している
機関士・機関助士のペアと交代していた…
_人人人人人人人人人_
> 走 行 中 に <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
もうブッ飛びすぎて笑うしかない
近鉄「走行中に運転士交代とか危ないなあ」
運輸省から、チャチャが入って、津に停車するようになったんだよ。
@@DDwaizen
名阪特急が鶴橋まで止まらなかった頃ですね
@@maigikensa7455 1号車、手荷物室との境にある便所の横にある2人がけの席が指定席でした。(洗面所はなかった)
いくら無停車走行の為とはいえ、
かなりブッ飛んだやり方ばかりで正直ビビった…
燕と隼、鳥の方も現在の列車の方もはやぶさが圧倒的に速いけど、最早レーシングチームの如き速さへの執念はつばめの方が上だったという……。つばめ担当の機関士さん、どんなことを思いながら業務に向かっていたんだろうか……。
ああそうか。どこかで見たような気が、と思ったら、F1のピットストップだ。
かつて国鉄で「燕」といえば、花形特急の代名詞でしたね。
後年、国鉄がプロ野球の球団を持った際に「スワローズ」を採用したのも、この特急「燕」に由来するものでした。今の「東京ヤクルトスワローズ」の前身です。
燕の話、待ってました!
大変楽しく拝見しました!
鉄道ファンはこの戦前客レ燕と碓氷峠の話の時、頭の中で地上の星が流れるという……
素晴らしく恐ろしい日本を誇る超特急の軌跡……見事な動画です!
水槽車を連結して上り勾配を走ると水が全部水槽車の方に寄ってしまい、ボイラーに水が足りなくなってえらいことになったそうな
逆に下り勾配ではボイラーに水が集まってしまい、冷えてしまうことで蒸気が上がりにくくなったそうな
まったくの余談ながら、ガーラット式の蒸気機関車で水槽車を連結するケースがあり、一般的には稼働時間を延長するためと考えられているが、実際はそうではなかったりする
ガーラット式の特徴として前方の水槽車と後方の炭水車の下に走行装置があり、前後対称の車軸配置となっている
水が満載の時は安定した粘着力を発揮するが、走行を続けることで水が減っていき、水槽車と炭水車が軽くなることで当初の粘着力を発揮できなくなっていく
その結果空転が頻発するようになるので、機関車本体の水はウェイトとして重要であることがわかる
そこで水槽車を連結して機関車本体の水を使わないようにしているそうな
ガチでバック・トゥ・ザ・フューチャー3っぽい事をしたのかよ!
この動画で海外の大胆な方法を見てきたが日本にもこういったものがあったとは💦
意外かもしれないのはムーミン(EF55)は特別扱いなのか
一代目も二代目も燕(つばめ)引いてるからすごいんだよな
一代目も二代目も引くことって今だと珍しい話だから
走行中の補機切り離しはセノハチでやってたからまだ理解るが、走行中の乗務員交代はもうそのままアクション映画に使える有り様だよ
その後電車特急や近鉄名阪特急でも行われています。
山北駅は補器待機駅として当時は色々と賑やかだったそうですが、丹那トンネル開通後はだんだんと寂れていきました、現在秘境駅と言える谷峨周辺などにも痕跡が残りますが戦争中に鉄不足として上下複線から片側を供出した結果、現在の御殿場線は基本単線のままさらに昨今の削減でほぼ無人駅ということに・・・。
戦前の漫画家である大城のぼるの名著「汽車旅行」(昭和16年刊)で東京~名古屋間の話が出ていました、EF53から沼津でC53に切り替えのシーンがハイライトですね。
元東海道線の御殿場線がいつ単線に戻ったか?疑問だったので戦時供出と伺って勉強になりました
走行中に炭水車の上を歩くというパワーワード
C53時代は中央ロッドへの給油がとんでもない人力給油。
そりゃさっさとC59に代わりますね。
遂に!楽しみすぎる
久しぶりの投稿嬉しい☺️
ウォータースクープが実用的な案w
「燕しか使わないからなあ」で建設取りやめ。
(時間不足もあったとは!)
逆に言えば、アメリカでの本数の多さが浮き出て来ますね。これが経済力だ・・・
この超特急「燕」から、まさか21世紀になって、あの「畜ペン」が生まれるとは!
終着が下関とすると、ほとんどの人が下関から大陸方面の連絡と思ってしまうがそれは間違い。下関は当時は朝鮮への連絡窓口。満州や大陸・中華民国等へ行くということなら、下関から連絡船で門司まで渡り門司から台湾、大連、上海、天津、香港方面の貨客船に乗り換える。または、欧州行き、東南アジアゆき、インド行き、オーストラリア行き、南洋群島行き、アフリカ行き、南米行き等の貨客船も連絡していたので北米以外はすべて門司で乗り換えた。
さらに性能が高い(議論の余地あり)は流石に笑ってしまったw
2つのバルブてこから3つ目のバルブ開閉タイミングを取り出すグレズリー式弁装置の設計理論を誤って適用した設計上のミスがありました。起動不良はこの設計ミスのためであり、基本的に3シリンダー蒸気機関はバランスの取れた高速走行が可能な仕組みです。もしD52並みの巨大ボイラーを積んでいれば間違いなく『日本最強』の蒸気機関車になったと思います。
しかしながら凸凹のレールを走る蒸気機関車には軸ばねがあり最適位置が違ってくることから、調整には設計理論とは違った、いわば職人芸的な勘が求められたのもC53の泣きどころで、引退を早める結果となりました。
鉄道省が多気筒の蒸気機関車を諦めたことから、絶対性能で上限が見えている2シリンダーの蒸気機関車しか製造せず、『無煙化』の美名のもと米欧よりも蒸気機関車の引退が早くなったのもまた、歴史的事実です。
@@naomiyamada8581 多気筒は同一機種すら1台1台の癖が大きくなるので、
1台に専用の乗員グループを作りその乗機以外の運転は考慮しないと走らせることすら難しい
C53の起動不良は設計ミスではなく本家オリジナルからの呪縛でしたが、
イギリスでは専属員に見えない聞こえない乗機の癖を職人芸的な勘で把握させていたので問題になりませんでした
一方、鉄道省は同一機種どころか性能が似ている別機種も運転可能で共通運用しています
旧態依然を通り越して時代錯誤の運用を続けていたヨーロッパを尻目に、専用の乗員を不要として効率的で近代的な蒸気機関車を製造していた鉄道省とも言えます
専属の乗員以外では走ることすら難しくなる多気筒と機関士なら誰でも運転可能な2シリンダーとの差はあまりにも大きいです
@@naomiyamada8581 グレズリー式弁装置はもともと起動不良の問題がありました
イギリスでは1台(1機種ではない)に専属の運転チームを乗務させて見えない聞こえない愛機の癖を把握させる方法で
癖が強く同一機種でも専用機じゃなければ運転が難しい多気筒の運用をしていました
一方、鉄道省は別機種でも性能が近ければ運転可能で共通運用もこなせるほど、機関士なら誰でも運転ができるような体制を実現していました
ヨーロッパでは旧態依然を通り越して時代錯誤の運用をしているのを尻目に近代的な蒸気機関車を製造していたとも言えます
絶対性能で上限が見えている2シリンダーでも、単純に走らせるハードルが高くて動かせない多気筒と比べると実用面で雲泥の差があります
@@naomiyamada8581
調べれば調べるほど謎な設計変更や肉抜きなどが出てくるのでどうしてこうなってしまったのか…
ただこれも含めてC53の魅力だとは思うのですが
@@naomiyamada8581 グレズリー式の不具合は鉄道省の設計ミスではなく元からだったようですよ
LNERはさまざまな欠陥を持つグレズリー式機関車に乗務させる人員を1人1人選別して1台の機関車に専属させる運用で対処したが
当時の鉄道省は1台の機関車に乗員を専属させずに運転が可能な体制に移行しつつあり、旧態依然としたLNERのやり方と相性が悪かった(Wikipediaより)
これはグレズリー式に限らず多気筒全般の問題だったようで筆頭ともいえるフランスでは日本の鉄道省が1日に走らせている2分の1から3分の1しか動かせなかったようです
職人芸的な勘が求められたC53ですがヨーロッパは神業的な勘が求められていたようです
BTTFで出てきたアレが日本で実際に行われてたとは…
何がとんでもないって燕は「毎日」往復1本運行されていたと言うね…gkbr
そもそも東鉄にC53に乗れる機関士が居なかったからという話も聞きますね
東京以南は大正から電化されてますしそもそもC53の(本務機としての)配置が名古屋以西
御殿場線の補機はC53だし
ヨーロッパへの道、上海方向に行ったら出口無いですよ。釜山から奉天、ハルビンの北向きです
ミキ20、Nサイズだけどはんだ付けで作ったことあります
戦前なのにすごい。いまなら組合から反対でこんな危険な運転はできませんね
いいですよねぇ流線型カバー付きC53
国産車で2番目に好きな機関車です
コリドーテンダーって画期的やったんやな···
11:57運転中のテンダーを辿って運転台に侵入とかマジでバック・トゥ・ザ・フューチャーじゃんw
ウォータースクープは、フランス映画のLa Bete Humaineに登場するSNFC231 で実際に使っているシーンが映っています。
何というか不穏な終わり方
自動解放装置がなかったので、補機前端に列車ボーイが立って手動解放していたそうで、機関士交代同様に危ないことをしていたのだな、と😱
水槽車連結中止と引き換えに三等車を1両増結していたと思うのですが🤔
正確には水槽車連結で減車していたのを、廃止と同時に元に戻しただけですな
なお、手動開放も危険だということで、後年は解放錠に紐をつけて、機関助士が解放していたそうです
@@電光刑事-u4c ありがとうございます、水槽車連結に伴う減車や解放取扱は、資料が手元になく存じ上げませんでした。
また増結は2両でした(アルモデル・往年の客車列車編成表より)失礼しました。
確かブレーキ菅の切り離しが走行中は難しいということで、列車本体と補機の間で貫通ブレーキをつなげていなかったらしいですね。
BGMの一つが「銀婚式」なのは大変相応しい😊
リアルにBack To The Future Part3みたいなことしてたんか…どうしてそこまでして…
特急燕号、そういえばありましたねえ。すっかり忘れてしまいまさに記憶の外の存在でした。思い出させていただきましてありがとうございます。🎉
あー頭のおかしい時間制御は昔からなんだなと納得してしまった
交代なしで運転する考えもあったようで志願者も出ていましたが流石に危険と判断されたようです
この時は志願者も安心した訳でなく上は自分たちを信用していないのかと不満だったと
読んだ話では15秒遅れで注意。30秒遅れでは場合によって始末書があったそうです。今では考えられない回復運転やら工夫をして定時運行に努めていた凄い列車。
アクロバティック乗務員交代の話ガチで好きw
意味深なエンディングだなあ()
C53、カッコいいですよね
一番好きな機関車です
1度で良いので実物を見てみたいです
走行中の乗務員交代って戦前レベルなら世界的に見ても、それほど珍しいものではなかったような。
電機や電車なら日本でも結構な事例があれど、蒸気機関車での乗員交代は珍しいかと。まさか運転室に同乗するわけにも当時の風潮から無理だろうし、炭水車越しに交代要員が乗り移るのは珍しいかと。
ここのゆっくりは特にゆっくりですね
近鉄特急もびっくりな乗務員交代劇
運転保安設備の扱いも大概だったと予想する(特に通票授受)
これは確かに特急を超えた超特急...
富士以外は新幹線に名前が引き継がれたな、富士の復活はリニアになるのか?
でも、リニアモーターカーじゃ走行中に富士山見えるんかな?トンネルから一瞬見えるかも…
C51のテンダーの上を歩かせるアクロバティック機関士交代、英LNERはサイズのおかげでテンダーに通路を設けるという荒業ができたのだった……そういえばあちらのA3形も特急機関車、ダブルテンダー、アクロバティック機関士交代と共通点多いですね?
今日的な目から見ると、鉄道省の「燕」にかける執念は異常というか、やりすぎですよね。それだけ鉄道に元気があった時代ですね。航空機がまだまだ鉄道のライバルなりえぬ時代ですから、先輩の「富士」「桜」並みの速さでも十分過ぎたでしょう。
以下、重箱つつきで申し訳ありません。
1:14 ナレーションでは「日本海」とありますが、ここの地図の矢印では、下関から、【東シナ海】を通り上海に渡って、シルクロード経由でヨーロッパへ向かうルートに見えます。特別急行「富士」の前身である、特別急行1・2列車が運行を開始した1912年当時の状況では、一般の旅行者がシルクロード経由でヨーロッパへ向かうのは現実的ではありません。
特別急行1・2列車について、『時刻表でたどる鉄道史』(宮脇俊三編著、原口隆行企画・執筆、JTB)にはこうあります。
「この列車は大陸の鮮満鉄道、シベリア鉄道とも連絡している、いわば国際列車でもあった」
ですので、矢印は下関から、釜山に上陸、朝鮮半島を北上した後、西(ヨーロッパ)へ向かうのが良かったと存じます。
特別急行「燕」の伝説が要領よくまとめられていて楽しめました。後編がありそうな終わり方でしたので、次も期待しております。
乗務員交代は、しっかり停めてえぇんやで😅
13:28 東京~国府津でわなく、東京~沼津でしょう?
なんだ、かつて国鉄は30秒で連結、走行中に切り離しという時間短縮が出来たんだ…(横須賀市民)
新幹線のご先祖様ですね。
待ってました!
走行中に連結の試験をやったってのは初めて聞いたわ
写真のEF55、故・西尾克三郎さんが品川付近で撮影されたものだが、確か「富士」を牽引しているところだ。55のカマは時に燕を牽く事もあったが、どちらかというと「富士」の牽引に充てられる事が多かったらしい。
面白かったです。ところで、給水するのとしないのとで、どれくらいの時間差が生じたのでしょうか?
それにしても、交代用の乗務員は客車で待機、と言われた時点で、え?交代いつするのと思ったら・・・・
走行中に炭水車を伝っての乗務員交代、丹那トンネル開通前の30秒での後補機連結に走行したままでの解放…現在ならば、このような危険なリスクが伴う作業、国土交通省が許さないだろう。でも戦前はそれを殆ど事故も起こさずにやってのけていたのだから、昔の鉄道員は、相当腕の立つ職人芸の持ち主が揃っていたのだろう。
運輸省・国交省が見張る以前に、「鉄道省」があった時代ですからね。軌道回路を見て転轍器を動かす方法ではこんな早技は無理で、でっかい転轍テコで分岐器を操作していた時代ならではと思います。操車場での貨車分解操作みたいに目視でないと無理ですね。
御殿場〜沼津の箱根越えをよくSLで走ったなとつくづく思います
『客車にあらかじめ乗車している機関士・機関助士のペアと交代していた…』
『 走 行 中 に 』
俺「鉄道省… お前は馬鹿か?www」(マジで実際に言ってた)
復水式機関車という発想はなかったのだろうか
構造が複雑化して扱い難くなるからダメだったんでしょう。
その当時の最大級の転車台にも乗らないから発想自体無かったのでは?
のぞみ64号もびっくりのタイム短縮
続きと戦後の『つばめ』の話しも聞きたいです。
大垣〜以西、垂井から関ヶ原にかけての垂井下り支線の勾配1000分の25パーミルの坂道を登るため、燕号の客車の前後にはさみ打ちするかのように前と後ろにC62🚂SLを組み込むプッシュプル運転をして関ヶ原では後ろの補機を走行解放していたそうですね?😳。その為大垣では上下線では下は普通上は特急まで必ず停車指示がされていたそうですね😮。給水🚰の関係で。
んん?関が原は戦時中に新垂井経由の10‰別線が出来ていたからC62時代には後補機は不要だった筈。それでも宮脇俊三氏の著書によれば、その区間の均衡速度は40㎞/h台だった由。それが電化されEF58に代わったら一気に70㎞/h台に上がり更に151系時代には80㎞/h台に向上したとのこと。
08:16 ここで国府津
12:34 ここでは静岡 此方を「運転停車」と仰っていますが、戦前では運転停車と言う概念が基本的に無く、時刻表に停車表示が有れば、運転停車では無く営業の停車で御座います
運転停車は客扱いをしないというのが原則では御座いますが、客扱いしなかったというソースは御座いますでしょうか?
私自身は10年以上前では御座いますが、確かヤフオクで「国府津→大阪」の「燕の特急券」を見たことが御座いますので、客扱いはしていたと思います。
勉強不足でした。
特急が30秒停車で客扱いしたのかわからなかったのですが、普通に考えれば旧型の客車時代なので乗り降りできてもおかしくないんですね、、
それ故に『能生騒動』なる珍事(自動扉装備のキハ82系気動車特急が運転停車なのにそう明記されなかった)が起きたわけで……。
後編はよ!
特急燕伝説の水槽車。。。しかもちゃんと模型化されているんですよね。
燕のC51水槽車時代と、ミキ20時代ともに笑
そして運転中の乗務員交代。しかも屋外を伝ってというのは現在では考えられないです(´・ω・`)
バック・トゥ・ザ・フューチャー3のような感じで、乗務員交代!
何がそこまで鉄道省を駆り立てたのか……。😶
凄い事してんだなぁ〜w
続きあるよね?c62も青大将もまだ出てきてないよ!
次回、流線型来るか…?
JR各社も鉄道省のように熱血ド根性になってほしい
グレズリー式連動弁装置ですか。愉しみです。😊
30秒で連結、、、
当時の国鉄の作業規定がどうなってたかは知らないけど、空気ホース繋がないならワンチャン...
この辺りの燕の話を、「ある機関士の回想」というので、少しではありますが、取り扱っているページがあります。それ以外にも、戦時中の過酷な運転事情など、当時のSL黄金期の話を知れるので、興味のある方は、ぜひお読みください。
走行中に補機連結する案を出すくらいなら、始発から補機を連結した状態で発車すればいいのに、と思うのは浅はかだろうか(下りはとにかく上りは大問題になりそう)
これだけ過酷な時代なら予備の機関士は当然必要だけど、電化したらそりゃいらなくなるよね
1:03
直江津駅か…?
特急ってトワイライトエクスプレス??
何で御殿場線区間の補機のところでBGMが「元祖ヤマトのテーマ」になる?
戦前に上海からヨーロッパ行きか
静岡停車になったのは運転上の都合以前に、西園寺公望が興津に坐魚荘を構えて隠居したので政府高官がご意見伺いに訪問する為だったとか…静岡に停める大義名分が出来たおかげでアクロバット的な乗務員交代が不要になった。流石に直接興津駅に停めるのは無理だっただろうね(^^);
それにしても…C53時代、検車掛がカマの主台枠の間に潜り込んで走行中に潤滑油を給油しながら運転したって逸話は正直驚愕したよ。万が一落っこちたらたちどころにマグロ(轢死体)になってしまうから。ただでさえ激しい振動に目の前で高速回転するピストン・シリンダー・動輪・メインロッドがあるから担当した人もさぞかし怖かったのでは?
走行中にアクロバティック交代とはそりゃあ2年で中止になるわな
3:26からの曲名を教えてください🙏
7:34 インターステラーかよ
炭水車枯らすと
ダグラスとドナルド事件になる
PRR+NYC=燕