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12:14 JR683系でタイムスリップさせる見事な編集です笑転換クロス導入など近鉄スタイルに交換した680系ですが、シルヘッダーやドア配置はそのままでしたね。
鉄コレ製品化と知り、学びたくやってまいりました。そうかぁ…この時代にも京都駅に683系が乗り入れていたかぁ…そして683系は新幹線と接続する運命かぁ…
680系の特急車両時代の使える写真が少ない中、それでも680系にスポットを当ててこの動画を素晴らしい創ったUP主さん、ありがとう。
680系は一般車格下げ後も設備面で冷房付クロスシートが幸いして観光路線的な面があった志摩線専用に重宝された為後から新制された18000系より長生きをしてます。ある意味幸運な運命を辿った車両でした。
680系、晩年は試作高性能車1450系などと仲良く活躍してましたね。乗車することは叶いませんでしたが、小学校の修学旅行で見掛けました。
新制って何?新製なら知ってる(草)
昭和46年、初めて乗車した近鉄特急が紛れも無い683系吊り掛け駆動の固定クロスシートだったのを、鮮明に覚えています。680系が一般車に改造後、短期間ですが京都・橿原線で普通運用に入っていた時に筒井→(大和)西大寺で偶然に乗車・着席が叶い、至福の12分間の乗車でした。
ちょうど鉄コレ事業者限定品が発売するのでありがたい動画です!
デハボ1200はお世話になった電車でした。幼いこどもには桃山御陵前にあった煉瓦造りの奈良電本社とともにロマンを感じるものでした。当時は奈良電特急が京阪丹波橋にも停車していたので、丹波橋から京都まで、よく乗りました。小学生の頃改造された680系が試運転で京阪丹波橋駅を通過する時、聞き慣れない電気笛の音にびっくりしたのを覚えています。オイルダンパーの下部が斜めに突き出たシュリーレン台車、屋根上に載せられた冷房装置など、こども心に印象深い車両でした。
特急車時代は、その存在も知らない680系でしたが、名古屋線で転換クロスシート車が無くなった後、転換クロス車に乗りたいという思いだけで、志摩線の普通として走る680系に乗りにいきました。元特急車だけあって良い乗り心地でした。800系と異なり、名古屋管轄エリアを走ったわけですね。
この車両、一般車に格下げなってから、志摩線で乗った事があります。格下げって言っても、転換クロスシートもエアコンもそのままで、得した気分になったのを覚えてます。それにしても、当時の近鉄の佐伯社長の決断力と行動力には、素晴らしいものがありますね。伊勢湾台風の高潮で壊滅的な被害を受けた名古屋線の改軌を復旧作業と同時進行で行ったり、新幹線開業で壊滅的に乗客の減った名阪甲特急の縮小と、新幹線に乗ってきたお客さんを近鉄沿線の観光地へ誘導する特急網の再構築(特に名伊特急と京橿特急の強化)は、目を見張るものがあります。
@@まるかつ鉄道 そう、あの人の肝っ玉は凄い‼️
動画最初のビスタカー、未だに引退の噂が出ない…もう50年近いのに
近鉄680形は現役時代に会えなかったけど、好きな車両形式でした。近鉄特急色はまんまるで可愛い印象がありました。
(追記)祝っ!!鉄コレ近鉄680系特急色2両編成セット発売っっっ!!!早速近畿車両エンジニアリングHP経由の近鉄グッズマートで購入しました!!
京都ー西大寺間を直線で結ぶとは言うものの、建設していた時代には途中に巨椋池という淀川水系最大の湖沼がありました。巨椋池は、安土桃山時代から干拓が始まって、最終的には1941年に干拓事業は完成しました。で、どうやって直線に線路を引いたかというと、豊臣秀吉が造らせた『太閤堤』の上に線路を敷いたそうです。いまでは名前のみになってしまいましたが、広大な田園地帯や線形などに面影は残っていますよ。
通勤車から改造された特急車って、歴史は繰り返しましたね。
青の交響曲ですね。
旧5820系かもしか号も該当しますね。それにしても、キハ40系まで特急に繰り出すJR九州には驚きました。
@@鉄道模型大好きおじさん そのうちそこら辺で錆びてる415系まで特急にしそうですね。
懐かしい写真、ありがとうございます😂
近鉄680系奈良電から引き継いだ電車が 大改造を受けて『近鉄特急』に大変身!大企業に合併されたら異例の大出世をした社員のよう。但しその外観は(近鉄特急とは)『似て非なるもの』感がプンプン。こんな事をやってのけちゃうのも また近鉄の面白いところです。尚 ウインドシルが僅かに張り出した車体は阪急1010系と雰囲気が似ており『ナニワ工機』製である事を感じる部分です。
この車両、雨樋があるかないかで印象がかなり変わりましたね。シールドビームも灯具内蔵になってくれたので、登場時とそんなにイメージは変わっていません。余談ですが、鉄道模型を趣味にしている人の間ではかなり人気があって、過去何度か模型化されています。しかし冷静に考えると、特急用のサービス機器(車販準備室やトイレ等)を撤去した乗務員室に押し込んでいるので、かなり無理をしている感じは否めませんね。無理をしているといえば、観光客の掘り起こしに成功したものの想定以上の乗客が殺到したために、予備特急683系はおろか予備の予備特急670系までも投入しなければいけない結果になって、18000系を急遽登場させなくてはいけなくなったのは、見込み違いだったのか嬉しい悲鳴だったのか・・・実車は鳥羽線で最後のお勤めをしているときに鳥羽駅で見ました。まだ鳥羽湾に『ぶらじる丸』がいた頃の話なのでかなり前です。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さま雨樋の有無で 車両の印象はだいぶ変わりますね。あればゴテゴテとした なければスタイリッシュな印象です。国鉄モハ90試作車と101系量産車もまた違うし 流電モハ52も正面に雨樋が回っているタイプは『ハチマキ』と呼ばれていたそうですね。近鉄の奈良線特急大増発は『見込み違いの嬉しい悲鳴』でしょう。(可能性に掛けた近鉄の勝ちとも思えます。)680系最後の志摩線暮らしは ハイグレードな中型車として 少々カーブの多い観光路線には最適だったのかもしれません。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN小学校の修学旅行で伊勢志摩を回った際、鳥羽水族館(当時)から頻繁に見かけたな>680系
奈良電の一般車が有料特急車輌に大変身✨️って、ある意味今の「青のシンフォニー」の元祖みたいな車輌だなぁ…680系は…☝️😅-w-wさよなら運転の時、3DAYフリー切符🎫使って志摩線に乗りに行ったな(´- `*)✨️
@@ゴンタオヤジ-n6n さま。まあ680系の前例というべきなのか、過去には1930年に伊勢電モハニ231形として登場し、一度は電装品を他車へ取られクニ5431形になりましたが、その後南大阪線に移って1960年に一般車両から改造で南大阪線最初の特急専用車になった、ほとんどのみなさんが存在を忘れている釣掛特急車5821形『かもしか号』というのもあるんですよ。存在が薄いのは、旧特急色だったせいもあるのかな?75kw✕4のMc+Tcの2両編成でしたから、ほんとスピードもでませんでしたし。こちらは1983年に旧型車の終焉の地・養老線で最後を迎えました。
680系の京橿特急って一度だけ乗った事がありました。なんか変わった車両だと子供心に思ってました。晩年の志摩線時代には何度も乗りました。上本町や鶴橋から2610系の快速急行で鳥羽や宇治山田で乗り換えて乗ってました。又、増結用の2400系列も非冷房があった時代です。2600系だと非冷房もあったので普通としては最高でした。最後までクロスシートで残されたので快速急行よりも乗り心地は良かったですね。
680系に乗りましたか😊それは羨ましいです😀私は物心ついたころから近鉄沿線民ですが、残念ながら奈良電系統の車両に乗ったことはありません😢680系、晩年は名古屋線に居ましたね😃
阪和電気鉄道と同じで、昔の車両なのに今と遜色ない所要時間なんだなあ。
小学校最終年に多分西ノ京(記憶が曖昧)のホーム券売機で特急券を買ってこの特急に乗りましたね特急=別格のイメージがあったので近鉄は簡単に特急に乗れるのか!と思ったものです小さくてシートも転換式でしたが席に着いたところでちゃんとおしぼりを配ってくれました
志摩線の通学列車で680系に当たった時はお得感があったね。ポイントを渡る時の揺れが大きく立ち客が振られてガラスを割ってしまったことが記憶に残っている。ケガがなくて良かったけど、車掌さんがすまなさそうにしていたのには理由があったんだね。
電動機の話に「カルダン駆動では」を入れた方が良いかと。新京阪P-6などは150Kwモーターですし。(写真の国鉄52系も2M2T)確かにオールM主体のカルダン駆動黎明期にMT仕様は珍しいですが。この車両 近鉄御用達の近車/日車でも 京阪御用達の川車でもなくナニワ製というのも面白く。あと京伊特急に680 683 18000が入らなかったのは記述の抑速ブレーキが無い+複電圧仕様ではないからです。 志摩線時代に乗りましたが まだ奈良線系統でもラインデリア車が存在していた時期に 冷房車はありがたかったです。
18000系は抑速ブレーキどころか通常の電気ブレーキすら無かったですね。高性能化する案もあったらしいですが、結局短命でしたね。680系や18000系は他形式との混結が出来なかったことも不利だったようですね。
近鉄名古屋駅にも来たことあったのか。奈良電の車両が名古屋に来た唯一の事例かな?
現存の1010系も元は奈良電の車両(車体は8400系と同じだが)
2000年代まで一応車両は業務用に改造されて西大寺に残っていたね、はかる君が登場したらひっそりと消えたけど
晩年に志摩線で一般車の普通で使用されていたのを見たけれど特急から一般車に格下げされてからも引退そして廃車されるまで車内改造されないでクロスシートで走っていたんやな!
デバボ1200形は近鉄800系の試作車的な立場でしたね😮 本気のチューニングしたら奈良電の変電所ヤバかったっという噂を聞きました😮 PS.680系に改造の際、格下げした2250系の転クロシートを再利用したらしい…
京都・橿原線には、他に旧型車の足回りにエースカーの小型の車体を載せた18000系もあった。大阪・名古屋線の大型車が入れる様になったのは昭和50年頃。
他社の一般車を「魔改造」とも言えるほどいじって造られた、登場の経緯も異色な車両。しかし、観光特急としての需要を掘り起こし、現在にも繋がる近鉄特急のあり方の礎を築いた歴史的な名車だと思います。この車両での運用の成功がなかったら、名阪で新幹線に負けた近鉄特急は「お伊勢参り」以外の需要を見出だせず寂れ果て、路線距離だけが長い「巨大なローカル私鉄」になっていたかもしれません。活躍時期が短いからか記録や映像が少なく、この存在を知ったのは1979年4月の「鉄道ファン」誌の近鉄特急の特集記事が初めてでした。ビスタカー、エースカー、スナックカーとは全く別物の外観で、普通電車をちょっと豪華に仕立てて頑張って特急やらせてる感が目に引いて、好きな車両のひとつです。
見ていて楽しかったです。
5:19~京都~奈良間を35分って今の特急と同じですよね当時の列車の俊足ぶりがわかるとともに、今の近鉄ももうちょっと頑張ってほしいですね京都線は線形良いのに特急も急行もゆっくり走ってるなあと、いつも思って乗ってました
おそらくATSなどの安全設備を切って運転手の技能のみで走れば可能だと思いますよ。当時はそういうものは装備されていませんでしたから。安全との引き換えなので、あちらが立てばこちらが立たずということでしょうね。
680、志摩線で活躍できたモ683はク1322、鮮魚電車でク501〜503のいずれかになり1481系に代替廃車
12:13 ろっぴ(某西「やぁ」)ゃくはちじゅうさん系
懐かしい❢❢680系最終日、鳥羽〜賢島志摩線往復で乗ってきたことを思い出した次第。ありがとう❢❢
高度経済成長期の凄さを再認識いたしました。
関西の私鉄は戦前から阪和、新京阪、参急等で150kwクラスの大出力電動機を使用する事が一般的ですよ。また全電動車編成ではなく、Tcや参急2200系のようにT車を組込む事も一般的でした。
鮮魚列車ク502(元モ683)の事も思い出してあげてください。
こちらはちょっと長生きして、1989年まで頑張ってましたね。訳あり君のモ601形(2204→1421形)もいたりで、当時の鮮魚列車は個性派揃いでしたね😺。
良いお話でした。
鉄コレでは、18200系(メーカー販売)も11月20日頃発売決定ですね⁉️😊💕︎⁉️
近鉄は昔から三菱の電装品をよく使ってますね。日立もそこそこ有りますけど。
近鉄は最近でも通勤車両を魔改造した青の交響曲を登場させていますが、昔から荒技を使って優等車を生み出していたんですね。
ニコ動で言われた“680系で行くのは賢島、特急で行くのは愚島”はけだし名言だと思います。
このデハボ1200で初採用されたMB-3020モーター、現在でも山陽電気鉄道3000系や5000系に搭載されており、今年で現役70年と息が長い。
こんばんは!奈良電デバボ1200の歴史を説明くださりありがとうございました。先般私の動画では性能を中心に説明させていただきましたね。デハボはギヤ比率が低いので600v時でも120㎞可能な電車でした。かたや683系になった予備特急は最大90㎞/hしか出せない鈍足でかなり性能は見劣りです。(笑)今週の私の動画は引き続き話題の8A系になりそうです。またご覧ください。
京橿は「ケイカシ」じゃなくて「ケイキョウ」ね。
682編成は、今の塗色になっていますした廃車解体は、塩浜検修車庫南側の留置線で行われました格下げ前は、湯の山特急や団体運用でした
12:13683系www一瞬
サブリミナル効果😂
近鉄680系て、相互乗り入れ末期の京阪丹波橋駅に顔見せしてたんだろうな(当時は特急は両方とも通過だったとは言え)。今みたいに停車していたら同じようなシートなのに片や特急料金必須、片や料金不要だったから顰蹙モノだったんだろうな。
奈良から京都に行く時に1200とか1350ではなく1000だったりするとがっくりしたものでした。
もし680系が居なかったら奈良電鉄は倒産していたと考えると良い結果を残したんですね。それと17:04音声だけ12020系と聞こえますが12200系の間違いでは
奈良電が近鉄京都線になったんだ😮解りづらい😂近鉄は合併を繰り返して、一時は三つのゲージを使用してた位だしね。奈良電の最後のエースとして誕生し、近鉄特急色を纏い、昭和の終わり頃まで活躍した立派な名車だろう。
青のシンフォニーの先輩だね
3:25モーターの左下あたりにディ〇ニーのキャラっぽいのがある😳
奈良県民で定期的に新幹線を利用する私は、このお方に頭が上がらないです(*^-^*)次は「吊り掛けエースカー」18000系を是非やってくだされ。名鉄7300系に通じる「釣りかけ特急車」ですが、中小私鉄のハイブリッドなのは名鉄も近鉄も同じなんですから。その舞台裏が見えそうな感じで( ゚Д゚)
この車両は見たことがありませんでしたが、かつての京都線ではこの車両が有料特急、近鉄生え抜きの奈良線のエースだった800系が無料の急行として活躍していたことと思います。生え抜きのエースよりも他社のエース列車を改造して特急として仕立てていたことも興味深いですね。(800系は冷房を付けられなかったのかもしれませんが)さらに晩年には乗り得列車。近鉄の車両運用の奥深さを感じます。
680系が、当時の近鉄特急の中でも少し残念な遜色特急車のイメージがあったが、 12:17 のこの683系は更に…その680系の「予備車」って揶揄されてたよなぁ…-w-w要するに近鉄特急の中では完全に超ハズレ車輌…(^-^;💦…かと思えば 14:01 、更にその下を往く車輌もあったとは…正に(詳しい形式名は解らないが)この車輌こそ…「予備の予備特急車」だったんだなぁ…😅-w-w
3:00 この編成2M2Tなんやが…
なにコレ?こんな車輌あったんか👀⁉️
少額の費用デ多額の収益
奈良電ができる頃、京阪はイケイケだった。今の阪急京都線、千里線、JR阪和線、近鉄生駒線そしてこの近鉄京都線すべて京阪系だった。さらに、廃線になった和歌山の軌道線も京阪系だった。昭和恐慌でこれらの過大投資がたたり京阪は窮地に・・・。この車両、私が社会人になった頃、志摩線の豪華普通列車として記憶している。
迫真の匠最高
東海道新幹線の開通時に名阪特急の特急料金を無料化(もしくは現在の名鉄特急のように座席指定料金のみ徴収)すれば十分わたり合えたのではないかと思うのですが・・・・・
ケイカシ、ケイカシってうるさいなあ。ありゃ、ケイキョウ特急だろ。関西に住んでるわけじゃ無いんだろうけど、少し調べりゃ判るだろうに。
ん?関西住んでるけどケイキョウなんて初めて聞いたぞ。橿の音読みなんて一般的じゃないしケイカシの方が通じると思うぞ
へえー、そうなのか。まわりで、ケイカシなんて呼ぶ人なんて、東から来た人しかいなかったけど、ロコでもいるんだ。ちなみに、僕も橿の音読みなんて、これで知った。
デハボってエホバかな?笑笑
12:14 JR683系でタイムスリップさせる見事な編集です笑
転換クロス導入など近鉄スタイルに交換した680系ですが、シルヘッダーやドア配置はそのままでしたね。
鉄コレ製品化と知り、学びたくやってまいりました。
そうかぁ…この時代にも京都駅に683系が乗り入れていたかぁ…
そして683系は新幹線と接続する運命かぁ…
680系の特急車両時代の使える写真が少ない中、それでも680系にスポットを当ててこの動画を素晴らしい創ったUP主さん、ありがとう。
680系は一般車格下げ後も設備面で冷房付クロスシートが幸いして観光路線的な面があった志摩線専用に重宝された為
後から新制された18000系より長生きをしてます。
ある意味幸運な運命を辿った車両でした。
680系、晩年は試作高性能車1450系などと仲良く活躍してましたね。
乗車することは叶いませんでしたが、小学校の修学旅行で見掛けました。
新制って何?
新製なら知ってる(草)
昭和46年、初めて乗車した近鉄特急が紛れも無い683系吊り掛け駆動の固定クロスシートだったのを、鮮明に覚えています。680系が一般車に改造後、短期間ですが京都・橿原線で普通運用に入っていた時に筒井→(大和)西大寺で偶然に乗車・着席が叶い、至福の12分間の乗車でした。
ちょうど鉄コレ事業者限定品が発売するのでありがたい動画です!
デハボ1200はお世話になった電車でした。幼いこどもには桃山御陵前にあった煉瓦造りの奈良電本社とともにロマンを感じるものでした。当時は奈良電特急が京阪丹波橋にも停車していたので、丹波橋から京都まで、よく乗りました。小学生の頃改造された680系が試運転で京阪丹波橋駅を通過する時、聞き慣れない電気笛の音にびっくりしたのを覚えています。オイルダンパーの下部が斜めに突き出たシュリーレン台車、屋根上に載せられた冷房装置など、こども心に印象深い車両でした。
特急車時代は、その存在も知らない680系でしたが、名古屋線で転換クロスシート車が無くなった後、転換クロス車に乗りたいという思いだけで、志摩線の普通として走る680系に乗りにいきました。元特急車だけあって良い乗り心地でした。
800系と異なり、名古屋管轄エリアを走ったわけですね。
この車両、一般車に格下げなってから、志摩線で乗った事があります。格下げって言っても、転換クロスシートもエアコンもそのままで、得した気分になったのを覚えてます。それにしても、当時の近鉄の佐伯社長の決断力と行動力には、素晴らしいものがありますね。伊勢湾台風の高潮で壊滅的な被害を受けた名古屋線の改軌を復旧作業と同時進行で行ったり、新幹線開業で壊滅的に乗客の減った名阪甲特急の縮小と、新幹線に乗ってきたお客さんを近鉄沿線の観光地へ誘導する特急網の再構築(特に名伊特急と京橿特急の強化)は、目を見張るものがあります。
@@まるかつ鉄道 そう、あの人の肝っ玉は凄い‼️
動画最初のビスタカー、未だに引退の噂が出ない…もう50年近いのに
近鉄680形は現役時代に会えなかったけど、好きな車両形式でした。
近鉄特急色はまんまるで可愛い印象がありました。
(追記)祝っ!!鉄コレ近鉄680系特急色2両編成セット発売っっっ!!!
早速近畿車両エンジニアリングHP経由の近鉄グッズマートで購入しました!!
京都ー西大寺間を直線で結ぶとは言うものの、建設していた時代には途中に巨椋池という淀川水系最大の湖沼がありました。巨椋池は、安土桃山時代から干拓が始まって、最終的には1941年に干拓事業は完成しました。で、どうやって直線に線路を引いたかというと、豊臣秀吉が造らせた『太閤堤』の上に線路を敷いたそうです。
いまでは名前のみになってしまいましたが、広大な田園地帯や線形などに面影は残っていますよ。
通勤車から改造された特急車って、歴史は繰り返しましたね。
青の交響曲ですね。
旧5820系かもしか号も該当しますね。
それにしても、キハ40系まで特急に繰り出すJR九州には驚きました。
@@鉄道模型大好きおじさん
そのうちそこら辺で錆びてる415系まで特急にしそうですね。
懐かしい写真、ありがとうございます😂
近鉄680系
奈良電から引き継いだ電車が 大改造を受けて『近鉄特急』に大変身!
大企業に合併されたら異例の大出世をした社員のよう。
但しその外観は(近鉄特急とは)『似て非なるもの』感がプンプン。
こんな事をやってのけちゃうのも また近鉄の面白いところです。
尚 ウインドシルが僅かに張り出した車体は阪急1010系と雰囲気が似ており『ナニワ工機』製である事を感じる部分です。
この車両、雨樋があるかないかで印象がかなり変わりましたね。シールドビームも灯具内蔵になってくれたので、登場時とそんなにイメージは変わっていません。
余談ですが、鉄道模型を趣味にしている人の間ではかなり人気があって、過去何度か模型化されています。
しかし冷静に考えると、特急用のサービス機器(車販準備室やトイレ等)を撤去した乗務員室に押し込んでいるので、かなり無理をしている感じは否めませんね。
無理をしているといえば、観光客の掘り起こしに成功したものの想定以上の乗客が殺到したために、予備特急683系はおろか予備の予備特急670系までも投入しなければいけない結果になって、18000系を急遽登場させなくてはいけなくなったのは、見込み違いだったのか嬉しい悲鳴だったのか・・・
実車は鳥羽線で最後のお勤めをしているときに鳥羽駅で見ました。まだ鳥羽湾に『ぶらじる丸』がいた頃の話なのでかなり前です。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さま
雨樋の有無で 車両の印象はだいぶ変わりますね。
あればゴテゴテとした なければスタイリッシュな印象です。
国鉄モハ90試作車と101系量産車もまた違うし 流電モハ52も正面に雨樋が回っているタイプは『ハチマキ』と呼ばれていたそうですね。
近鉄の奈良線特急大増発は『見込み違いの嬉しい悲鳴』でしょう。(可能性に掛けた近鉄の勝ちとも思えます。)
680系最後の志摩線暮らしは ハイグレードな中型車として 少々カーブの多い観光路線には最適だったのかもしれません。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN小学校の修学旅行で伊勢志摩を回った際、鳥羽水族館(当時)から頻繁に見かけたな>680系
奈良電の一般車が有料特急車輌に大変身✨️って、ある意味今の「青のシンフォニー」の元祖みたいな車輌だなぁ…680系は…☝️😅-w-w
さよなら運転の時、3DAYフリー切符🎫使って志摩線に乗りに行ったな(´- `*)✨️
@@ゴンタオヤジ-n6n さま。まあ680系の前例というべきなのか、過去には1930年に伊勢電モハニ231形として登場し、一度は電装品を他車へ取られクニ5431形になりましたが、その後南大阪線に移って1960年に一般車両から改造で南大阪線最初の特急専用車になった、ほとんどのみなさんが存在を忘れている釣掛特急車5821形『かもしか号』というのもあるんですよ。存在が薄いのは、旧特急色だったせいもあるのかな?75kw✕4のMc+Tcの2両編成でしたから、ほんとスピードもでませんでしたし。
こちらは1983年に旧型車の終焉の地・養老線で最後を迎えました。
680系の京橿特急って一度だけ乗った事がありました。なんか変わった車両だと子供心に思ってました。晩年の志摩線時代には何度も乗りました。上本町や鶴橋から2610系の快速急行で鳥羽や宇治山田で乗り換えて乗ってました。又、増結用の2400系列も非冷房があった時代です。2600系だと非冷房もあったので普通としては最高でした。最後までクロスシートで残されたので快速急行よりも乗り心地は良かったですね。
680系に乗りましたか😊
それは羨ましいです😀
私は物心ついたころから近鉄沿線民ですが、残念ながら奈良電系統の車両に乗ったことはありません😢
680系、晩年は名古屋線に居ましたね😃
阪和電気鉄道と同じで、昔の車両なのに今と遜色ない所要時間なんだなあ。
小学校最終年に多分西ノ京(記憶が曖昧)のホーム券売機で特急券を買ってこの特急に乗りましたね
特急=別格のイメージがあったので近鉄は簡単に特急に乗れるのか!と思ったものです
小さくてシートも転換式でしたが席に着いたところでちゃんとおしぼりを配ってくれました
志摩線の通学列車で680系に当たった時はお得感があったね。ポイントを渡る時の揺れが大きく立ち客が振られてガラスを割ってしまったことが記憶に残っている。ケガがなくて良かったけど、車掌さんがすまなさそうにしていたのには理由があったんだね。
電動機の話に「カルダン駆動では」を入れた方が良いかと。新京阪P-6などは150Kwモーターですし。(写真の国鉄52系も2M2T)確かにオールM主体のカルダン駆動黎明期にMT仕様は珍しいですが。この車両 近鉄御用達の近車/日車でも 京阪御用達の川車でもなくナニワ製というのも面白く。あと京伊特急に680 683 18000が入らなかったのは記述の抑速ブレーキが無い+複電圧仕様ではないからです。 志摩線時代に乗りましたが まだ奈良線系統でもラインデリア車が存在していた時期に 冷房車はありがたかったです。
18000系は抑速ブレーキどころか通常の電気ブレーキすら無かったですね。
高性能化する案もあったらしいですが、結局短命でしたね。
680系や18000系は他形式との混結が出来なかったことも不利だったようですね。
近鉄名古屋駅にも来たことあったのか。
奈良電の車両が名古屋に来た唯一の事例かな?
現存の1010系も元は奈良電の車両(車体は8400系と同じだが)
2000年代まで一応車両は業務用に改造されて西大寺に残っていたね、はかる君が登場したらひっそりと消えたけど
晩年に志摩線で一般車の普通で使用されていたのを見たけれど特急から一般車に格下げされてからも引退そして廃車されるまで車内改造されないでクロスシートで走っていたんやな!
デバボ1200形は近鉄800系の試作車的な立場でしたね😮 本気のチューニングしたら奈良電の変電所ヤバかったっという噂を聞きました😮 PS.680系に改造の際、格下げした2250系の転クロシートを再利用したらしい…
京都・橿原線には、他に旧型車の足回りにエースカーの小型の車体を載せた18000系もあった。大阪・名古屋線の大型車が入れる様になったのは昭和50年頃。
他社の一般車を「魔改造」とも言えるほどいじって造られた、登場の経緯も異色な車両。
しかし、観光特急としての需要を掘り起こし、現在にも繋がる近鉄特急のあり方の礎を築いた歴史的な名車だと思います。
この車両での運用の成功がなかったら、名阪で新幹線に負けた近鉄特急は「お伊勢参り」以外の需要を見出だせず寂れ果て、
路線距離だけが長い「巨大なローカル私鉄」になっていたかもしれません。
活躍時期が短いからか記録や映像が少なく、この存在を知ったのは1979年4月の「鉄道ファン」誌の近鉄特急の特集記事が初めてでした。
ビスタカー、エースカー、スナックカーとは全く別物の外観で、普通電車をちょっと豪華に仕立てて頑張って特急やらせてる感が目に引いて、好きな車両のひとつです。
見ていて楽しかったです。
5:19~
京都~奈良間を35分って今の特急と同じですよね
当時の列車の俊足ぶりがわかるとともに、今の近鉄ももうちょっと頑張ってほしいですね
京都線は線形良いのに特急も急行もゆっくり走ってるなあと、いつも思って乗ってました
おそらくATSなどの安全設備を切って運転手の技能のみで走れば可能だと思いますよ。当時はそういうものは装備されていませんでしたから。
安全との引き換えなので、あちらが立てばこちらが立たずということでしょうね。
680、志摩線で活躍できた
モ683はク1322、鮮魚電車でク501〜503のいずれかになり1481系に代替廃車
12:13 ろっぴ(某西「やぁ」)ゃくはちじゅうさん系
懐かしい❢❢
680系最終日、鳥羽〜賢島志摩線往復で乗ってきたことを思い出した次第。
ありがとう❢❢
高度経済成長期の
凄さを再認識いたしました。
関西の私鉄は戦前から阪和、新京阪、参急等で150kwクラスの大出力電動機を使用する事が一般的ですよ。
また全電動車編成ではなく、Tcや参急2200系のようにT車を組込む事も一般的でした。
鮮魚列車ク502(元モ683)の事も思い出してあげてください。
こちらはちょっと長生きして、1989年まで頑張ってましたね。
訳あり君のモ601形(2204→1421形)もいたりで、当時の鮮魚列車は個性派揃いでしたね😺。
良いお話でした。
鉄コレでは、18200系(メーカー販売)も11月20日頃発売決定ですね⁉️😊💕︎⁉️
近鉄は昔から三菱の電装品をよく使ってますね。
日立もそこそこ有りますけど。
近鉄は最近でも通勤車両を魔改造した青の交響曲を登場させていますが、昔から荒技を使って優等車を生み出していたんですね。
ニコ動で言われた“680系で行くのは賢島、特急で行くのは愚島”はけだし名言だと思います。
このデハボ1200で初採用されたMB-3020モーター、現在でも山陽電気鉄道3000系や5000系に搭載されており、今年で現役70年と息が長い。
こんばんは!奈良電デバボ1200の歴史を説明くださりありがとうございました。先般私の動画では性能を中心に説明させていただきましたね。デハボはギヤ比率が低いので600v時でも120㎞可能な電車でした。かたや683系になった予備特急は最大90㎞/hしか出せない鈍足でかなり性能は見劣りです。(笑)今週の私の動画は引き続き話題の8A系になりそうです。またご覧ください。
京橿は「ケイカシ」じゃなくて「ケイキョウ」ね。
682編成は、今の塗色になっていますした
廃車解体は、塩浜検修車庫南側の留置線で行われました
格下げ前は、湯の山特急や団体運用でした
12:13
683系www一瞬
サブリミナル効果😂
近鉄680系て、相互乗り入れ末期の京阪丹波橋駅に顔見せしてたんだろうな(当時は特急は両方とも通過だったとは言え)。今みたいに停車していたら同じようなシートなのに片や特急料金必須、片や料金不要だったから顰蹙モノだったんだろうな。
奈良から京都に行く時に1200とか1350ではなく1000だったりするとがっくりしたものでした。
もし680系が居なかったら奈良電鉄は倒産していたと考えると良い結果を残したんですね。
それと17:04音声だけ12020系と聞こえますが12200系の間違いでは
奈良電が近鉄京都線になったんだ😮解りづらい😂近鉄は合併を繰り返して、一時は三つのゲージを使用してた位だしね。
奈良電の最後のエースとして誕生し、近鉄特急色を纏い、昭和の終わり頃まで活躍した立派な名車だろう。
青のシンフォニーの先輩だね
3:25モーターの左下あたりにディ〇ニーのキャラっぽいのがある😳
奈良県民で定期的に新幹線を利用する私は、このお方に頭が上がらないです(*^-^*)
次は「吊り掛けエースカー」18000系を是非やってくだされ。名鉄7300系に通じる「釣りかけ特急車」ですが、中小私鉄のハイブリッドなのは名鉄も近鉄も同じなんですから。その舞台裏が見えそうな感じで( ゚Д゚)
この車両は見たことがありませんでしたが、かつての京都線ではこの車両が有料特急、近鉄生え抜きの奈良線のエースだった800系が無料の急行として活躍していたことと思います。
生え抜きのエースよりも他社のエース列車を改造して特急として仕立てていたことも興味深いですね。(800系は冷房を付けられなかったのかもしれませんが)
さらに晩年には乗り得列車。近鉄の車両運用の奥深さを感じます。
680系が、当時の近鉄特急の中でも少し残念な遜色特急車のイメージがあったが、 12:17 のこの683系は更に…
その680系の「予備車」って揶揄されてたよなぁ…-w-w
要するに近鉄特急の中では完全に超ハズレ車輌…(^-^;💦
…かと思えば 14:01 、更にその下を往く車輌もあったとは…
正に(詳しい形式名は解らないが)この車輌こそ…「予備の予備特急車」だったんだなぁ…😅-w-w
3:00 この編成2M2Tなんやが…
なにコレ?こんな車輌あったんか👀⁉️
少額の費用デ多額の収益
奈良電ができる頃、京阪はイケイケだった。今の阪急京都線、千里線、JR阪和線、近鉄生駒線そしてこの近鉄京都線すべて京阪系だった。さらに、廃線になった和歌山の軌道線も京阪系だった。昭和恐慌でこれらの過大投資がたたり京阪は窮地に・・・。この車両、私が社会人になった頃、志摩線の豪華普通列車として記憶している。
迫真の匠最高
東海道新幹線の開通時に名阪特急の特急料金を無料化(もしくは現在の名鉄特急のように座席指定料金のみ徴収)すれば十分わたり合えたのではないかと思うのですが・・・・・
ケイカシ、ケイカシってうるさいなあ。ありゃ、ケイキョウ特急だろ。関西に住んでるわけじゃ無いんだろうけど、少し調べりゃ判るだろうに。
ん?関西住んでるけどケイキョウなんて初めて聞いたぞ。橿の音読みなんて一般的じゃないしケイカシの方が通じると思うぞ
へえー、そうなのか。まわりで、ケイカシなんて呼ぶ人なんて、東から来た人しかいなかったけど、ロコでもいるんだ。ちなみに、僕も橿の音読みなんて、これで知った。
デハボって
エホバかな?笑笑