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国内だけ見てると突然日本に流線型の機関車が登場して消えたように見えるけど、満鉄・鮮鉄とセットで整理すると関連性が見えてきて面白いんだよね
C53 43号機の梅小路出庫時塗装も満鉄を意識したと考えれば…なんですよね鉄道省の意志は曲げられず翌朝には漆黒に塗り替えられてましたが…
日本の場合は現場の発言力がかなり強く、流線型カバーで整備し難いと苦情が出たら上層部も増産できなかったといいますね。しかし欧米だと階級的なものがあって、現場は与えられたものを最善を尽くして扱うということで、上へ文句をねじ込むなんて事は無かったとか。良くも悪くも文化なんでしょうね。
C51導入時も道床強化してるから問題ないにも関わらず、重たくて保線頻度を増さないといけなくなると文句言われて困惑したとか
うーん...この...
C53と言えば二言目には「整備難」「前後不動」と言われるけど、当時の機関士は振動の少ないよく走る駿馬と言ってるのが、愛されてると感じました。流線形でなくても、そのスラッとしたボディ、リズミカルな排気音、堪らない!!
ホントこの流線形カッコいい!!
10年以上前に一度だけ戦前の燕号の添乗員の方のお話を直で聞く機会があったのを思い出しました仕事でのほんの僅かな間だけでしたが添乗員になれた事が誇りだったと語られていたのが印象的でした
グレズリー式の猛烈にしゅぽしゅぽするの好きこの音は現存国産機ではちょっと聞けないよね
動画見る前「整備性悪そう・・・・」動画見た後「整備性悪そう・・・・」
「整備の難しい3シリンダー機も使いこなしてみせる!」と意気込んでも「コイツは無理」となった流線型。
非鉄オタの素人には受けそうだけどオタクや現場には嫌われそうなデザインだと思ったら全くその通りになってて草
C53は超特急燕の箱根越えの補機としても使われてましたね。国府津を猛ダッシュで発車していくC51+水槽車の写真と、展望車スイテ37020の後ろからアシストするC53の写真が残されています。
次は青大将とc62の登場かな?次回も楽しみ😊
10:34正直、好きです…。
いつも解説をしていただきありがとうございます。編集も面白いし、専門用語もきちんと解説してくれるのでとても見やすいです! デンデンさんのおかげで機関車についてより深く知ることができて楽しいです。本当にありがとうございます。
日本のC53、55の流線型蒸気機関車、後ろの客車は一般形で、アンバランスさが無いわけでもなく、客車も揃って流線型で整っていた満州の特急あじあに比べると見劣りがすると、内地のファンは悔しがったという話し聞いた事あります。
そういえば、C59牽引時代の「燕」「鴎」(1941~43)ってほとんど触れられてませんな。特に「鴎」は全車丸屋根客車で組まれてていただろうからC59戦前形とよくマッチしてたはずです。
大宮の鉄道博物館に、C59牽引の燕の写真ありました。あのカマが登場したのは昭和16年、太平洋戦争開戦の年で、鉄道写真撮るとスパイ扱いされて下手すると憲兵に引っ張られる時代だったから、あの頃の、C59の燕の写真は貴重かも知れません。
現在のプロ野球チームである「東京ヤクルトスワローズ」の前身球団、国鉄スワローズに由来します!国鉄スワローズ、産経スワローズ、産経アトムズ、ヤクルトアトムズ、ヤクルトスワローズ、東京ヤクルトスワローズと現在に至るまでに球団名が変わりました。
@@yoshiichi242様JRバスの方とおしゃべりした事ありますけど「バスの横っ腹にあるツバメのマークと『つば九郎』って実は生き別れの兄弟なんだよね」何でこんな話になったかというと、弊社にJRバスから来客があったタイミングで『ヤクの売人』(又の名をヤクルトレディ)が来たから
64さんの動画はメカニックも解説してくださるのでいつも楽しみにしています!
ドイツやハンガリーで流線型SLの完成型を見てると、発展途上で終わったんだなあってのが分かります😢
C51の船底みたいな三角頭の何かのキャラみたいで面白いw模型で欲しいなぁ
既存のC51に薄銅板や紙でカバー作れば比較的再現は楽ですよ私は中村精密のC51ジャンクキット組むときにこの61号機にしました
C53の43号機は流線形改造後に、車体がエンジに塗られていたとする説があるしかし、現存する写真はどれもモノクロームであるため、真偽のほどは定かではないそういう意味においては、日本の国産SLの中で初めて黒以外の車体色が使用された機関車と言えますな
おそらく戦後C59で実験されたチョコレート色(葡萄色3号)だったとする説もあるけれど、確かではないですね。お披露目時の新聞記事には「濃い海老茶色で裾は灰色でぼかし」とあるのでキングスホビーのC53 43号機作ったときは葡萄色3号と灰色9号で塗りました。同じ臙脂系でも赤7号だと暗紅色(マルーン系)だし、鳶色2号は明るすぎ、です。
C55の流線型と言えばヒカリアンのウッカリーを思い出す今思うと、当時のスタッフは随分とマニアックな機体をチョイスしたな(C53の流線型なら更にマニアックだけど)スタッフの中に相当なオタが居たのかな(笑)
素晴らしい解説でした!
ヨッ!!待ってました。これからも、無理せずお願いしますね
小学生の頃、プラレール40周年企画で販売されたブリキ製のC53 43とマイテ39を買ってもらったのが出会いでした。新幹線を始めとする流線型車両が好きな自分としては、C62 2と並ぶ日本型で好きな蒸気機関車です。法律の改正は必要になりますが、いつかイギリスの『トーネード』みたいに現代技術で改良して復刻新製とかできるようになるといいのですが……。
3シリンダーは三相交流モーターに似てますな。位相角120度でスムーズに回すところが。
昔、知り合いの誰だったかこの機関車の事を「着物着て正座してるおばあちゃん」と言ってて大笑いした
動画内で言及されていた肉抜き穴を始めとする軽量化については「日本は資源に乏しいから極力資源を無駄遣いしない」という戦前の日本の風潮が影響していた可能性もありますね少々やり過ぎレベルで軽量化に拘ったことで知られる旧日本軍の戦闘機のゼロ戦はエンジンについても極力小型で排気量もなるべく小さくしたいという希望が軍からだされていた記録がありその理由を端的に言えば「そっちの方が燃費が良いからガソリン節約出来るじゃん!」というモノだったようですからそうした時代背景もC53の設計にマイナスの影響を与えてしまったのかも知れませんなぁ
いずれはあじあ号の解説もしてほしいかもです
現在の御殿場線経由だった時代の、国府津駅で僅か30秒での後補機連結、走行中での解放に、時速80キロ近い走行中での機関士と機関助士の交代…これも現在では考えられない離れ技であり、忘れられない語り草ですよね。現在ならこんな危険な作業、国土交通省が許さないだろう。戦前はそれを殆ど無事故でやってのけたのだから、昔の鉄道員は、かなり腕の立つ職人芸の持ち主が揃っていたんでしょうね。
ちなみにC53は長時間走行でオイル切れするので機関助手が全速走行中にランボード渡ってオイル箱に注油したという逸話もあります…今だと絶対に無理ですね
3シリンダー機、日本の点検整備陣では手がかかりすぎたことから、汎用の2シリンダー機で最強の装備を誇るC59の登場に至るんですよね。。。
唐突的に!ありがとうございます!!!!!久しぶりに鉄道模型に手を延ばしてみよう。
流線形の43号機、見た目のインパクトは凄いけど・カバーの所為でキャブ内の通気性が最悪状態・更に鉄製だから速度が落ちちゃった上に停車位置によって前後移動が不可能になる欠点(金縛り)はそのまま・走行中、停車中共にシリンダーの注油ができず乗務員からも不評・カバーを外すこと前提なのでメンテナンスが大変すぎて「お化けが来た」と言われるくらい整備員から嫌われた量産されなかった理由がごもっとも過ぎる
EF55や52系よりも更に日本離れしたデザインが面白い流線型C53&C55海外の流線型SLと並べても遜色ないデザインだと思う
流体学的に効果が無いというのは、正面形状による形状抵抗pd、摩擦抵抗fr、転がり抵抗rrそして対立項としての全体の出力opでopが十分に大きく、次に全体の抵抗のうちで表面摩擦抵抗frと転がり抵抗rrがそこそこ大きいからです。外国ではボールベアリング、コロ軸受けの導入がありましたが、日本ではまだ少なかったのです。それらの抵抗の少なく、出力の小さい単行気動車では正面形状を改良する必要が発生し、ガソリン車の前面は丸く仕上げられました。短編成の場合は自動車に近くなり流体学的に効果が高くなるのです。それでも流線型機関車は5%の石炭が節約でき、熟練火夫に相当したようです。
子供の時、流線形のSLの存在?は知ってたけど、アニメ(ヒカリアン)で見ただけだったからアニメオリジナルだけなのかな?と思ってたりした!大きくなってから実在してビックリしたし、本物を見てみたかった・・・・ D51は気づいたら知ってた・・・・ レプリカでいいから作って欲しいなぁ🤔
C53の3シリンダーについて詳しく解説している書籍は少ないですね。RUclipsでは初見かもしれません。ありがとうございます。
手持ちでも一番詳しいのがプレスアイゼンバーンの「C52・C53-The echo of 3 cylinders」(1973年)ですからねというかこれ入手してなかったらキングスホビーのC53 43号機組めませんでした…購入時は古書店で4000くらいでしたが今はオークションで0が一つ増えてますねこれ
C51の謎改造をまとめた回なんてものを見てみたい……動画作っていただけませんか??
お、燕の続きだ。しかし海外の技術は当時の日本にはまだ早かったということか💦日本にこんな西洋チックな機関車が走ってたのは意外だなー。
普通にかっこいいよね
唯一の生き残りである、45号機を動態復活させてほしい所。かろうじて、OBの方々がご存命な内に技術継承含め挑戦してほしい。
当時でももう3シリンダー扱える整備員が絶滅危惧状態で吹田からここまで走らせるのが限界だったそうですしかも万全にはほど遠い状態だったとか…
@@kakeruyamato4364 なるほど、C53自体大正時代のだし3シリンダー自体C52.53のみだったので稼働していた時期の存命な方でも当時の若手でしたでしょうから厳しいかも?設計図あれば分解解析しながら時間かけたら出来なくもないでしょうけど万全な状態を把握してるのは当時の整備の方々なわけで車のレストアとはわけがちがいますしね。一度動態復活(仮)させましたが当時でも厳しかったのですね。
C53は後に名機D51や東海道新幹線の開業に大きく携わることになる、島秀雄技師が最初に設計した機関車として知られていますね。
島秀雄さんは、設計頑張っているんだろうけどどこかしらやらかしていておもしろい
SLを無くす為にわざと設計した???
設計時や試作の段階で予見できそうなミスをよくやらかすんですよねこの人…特にD51の軸重問題は設計段階で分かっていたでしょ。
@@ラム-s7g電卓どころか電子計算機もない時代に設計段階で予見できればとっくの昔にモックアップも試作品も全部不要になってるわなw責任者が完全無欠でも量産までにどっかがやらかすのが製造業
C53設計は伊東三枝
もう20年以上前、宮脇俊三という人が書いた「時刻表昭和史」という本を読んだことがある。この本の中でも特急燕に関して言及されており、やはり東京-神戸間の時間短縮のためにありとあらゆる手を尽くしたことが書かれている。印象に残っている表現は、「・・・蒸気機関車のまま電化区間に乗り入れて、架線に煙を吹きつけながら東京駅まで進入してきた。」で、この動画を見ながらもC51が煙を架線に吹きつけながら東京駅に入線してくる様子が脳裏に浮かびました。ところで、後編はいつ?
キターーー!!
11:45 知 ☆ っ ☆ て ☆ た(鷹取)
C53・C55に続いてC57も流線形バージョンが登場するはずでした。阪和電鉄所有ですが・・・天王寺から白浜まで現在のオーシャンアローとほぼ同一タイムで走る為に投入を企んでいました。
流線型改造に「煙の絡みつき軽減」狙いの意図があったとは!! スピード感の演出だけが目的だと思っていました(^_^;)
かつて東海道を駆け抜けた蒸気機関車のエピソードには奥が深いものがありますな。C51は動輪径を大きくすることでスピードアップにしたり、C53やC55では『流線型』でスピードアップに励もうとした挑戦が、日本の鉄道技術の粋が感じ取れます。もっとも、蒸気機関車の流線型は保守面やさらなる重量の関係で失敗になってしまったのは皮肉でしたが、あの独特の流線型こそ、鉄道技術の進歩の1つと言っても過言でないでしょう。流改されたC55の30号機も元流線型という貴重な存在なので、せめて保存させて欲しかったorz
戦後編もやるんだろうか東京〜大阪8時間は同じだけど実は途中駅までだと所要時間が結構違う
流線形のドタ靴と言うかムーミンみたいな電気機関車が私、気になります!
C53 43に当たった乗務員や整備員は外れくじを引いた気分だったのかもしれませんね。
伝説の流線型機、いつ見ても面白い形してるなデザインとしてはいいと思うけど、どう考えても重たくて燃費悪そうな形してるなと思ったら案の定か(どこかで聞いた話だけど、実際乗務員の間ではハズレ枠だったらしいし)
見た目などから社外には好評だが、運用に関わる社内からは好評とは言い難い。とりあえず海外のを導入しよう。今もあるあるなのが戦前にもあり、現場の努力で維持できたというのが、今にも通ずるのがあって、技術者の偉大さを感じます
EF55の写真(0:49)、故・西尾克三郎氏が戦前に品川付近で撮影されたもので、「富士」を牽引している写真だ。55のカマは、燕を牽く事もあったが、どちらかというと「富士」の牽引に充てられる事が多かったようだ。
「ツバメ」は国鉄最速列車の称号で国鉄スワローズの親ですが、東海道山陽道で復活してほしいです。リニア新幹線が愛称募集したら「つばめ」を推したいです。
因みに3シリンダーなら、約120度ずつ位相がズレているので、デッドセンターが存在しない。まぁ、2シリンダーでもデッドセンターになってたら後退するなり外部動力で動かすなり、何とかするけど。
いいですね
魔改造C51は流線型の習作と言われなかったら除雪用に改造されたの? と思いそうな構造をしている・・・。丹那トンネル開通前は、小田原に路面電車があったり熱海湯河原方面へ人力鉄道や軽便鉄道があったりしましたね。 熱海駅前にSLが、小田原城から少し離れた所には戦後のですが路面電車が静態保存されていますね。 また人力鉄道は一応動態保存?されているようです。
10:03 レベッカ!?
マイクロのC53 47持ってるけどデカい戦前の特急列車の客車持ってないからKATOのオハ31形とか連結すると横幅デカいのがよく分かるマイクロもうちょっと頑張って欲しいいやKATOに頑張って欲しい
あれはインジェクションでR180通過させようとした結果、従輪の振り幅からああなったとかKATO C55を種車にするキングスホビーの真鍮キットだと幅は普通の日本蒸気機関車とほぼ同じですただ、動輪移動でクランクピンが歪みやすいのと真鍮キットなので金属部品が接触するとショートするので絶縁必須でしたw
中編⁉︎ 迷要素多杉wwww
戦争がなければ、もっと面白い展開があったかもしれないのに。(歴史にifはないとよく言われますが)
次C62じゃないか
…NER S3(LNER B16)みたいなスティーブンソン式3シリンダーなら、シンプルだからトラブルを減らせ他のかなぁ……。
アメリカのアルコ社はライセンス生産みたいですが、そこから輸入してコピーしようとした日本は特許権をクリアしてるんでしょうか?
すみません機関車はなぜかほぼ全て黒なのでしょうか?
汚れが目立ちにくいからではないでしょうか。と言っても蒸気機関車が全て真っ黒けというわけではなく、英国機では緑や青があったりドイツ機の足周りは日本への輸入機も含めて赤が標準的だったりします。
イカれてるとかいうレベルじゃない
もっと投稿頻度を上げてください…!
投稿頻度と動画の質は反比例
国内だけ見てると突然日本に流線型の機関車が登場して消えたように見えるけど、満鉄・鮮鉄とセットで整理すると関連性が見えてきて面白いんだよね
C53 43号機の梅小路出庫時塗装も満鉄を意識したと考えれば…なんですよね
鉄道省の意志は曲げられず翌朝には漆黒に塗り替えられてましたが…
日本の場合は現場の発言力がかなり強く、流線型カバーで整備し難いと苦情が出たら上層部も増産できなかったといいますね。しかし欧米だと階級的なものがあって、現場は与えられたものを最善を尽くして扱うということで、上へ文句をねじ込むなんて事は無かったとか。良くも悪くも文化なんでしょうね。
C51導入時も道床強化してるから問題ないにも関わらず、重たくて保線頻度を増さないといけなくなると文句言われて困惑したとか
うーん...この...
C53と言えば二言目には「整備難」「前後不動」と言われるけど、当時の機関士は振動の少ないよく走る駿馬と言ってるのが、愛されてると感じました。
流線形でなくても、そのスラッとしたボディ、リズミカルな排気音、堪らない!!
ホントこの流線形カッコいい!!
10年以上前に一度だけ戦前の燕号の添乗員の方のお話を直で聞く機会があったのを思い出しました
仕事でのほんの僅かな間だけでしたが
添乗員になれた事が誇りだったと語られていたのが印象的でした
グレズリー式の猛烈にしゅぽしゅぽするの好き
この音は現存国産機ではちょっと聞けないよね
動画見る前「整備性悪そう・・・・」
動画見た後「整備性悪そう・・・・」
「整備の難しい3シリンダー機も使いこなしてみせる!」と意気込んでも「コイツは無理」となった流線型。
非鉄オタの素人には受けそうだけどオタクや現場には嫌われそうなデザインだと思ったら全くその通りになってて草
C53は超特急燕の箱根越えの補機としても使われてましたね。
国府津を猛ダッシュで発車していくC51+水槽車の写真と、展望車スイテ37020の後ろからアシストするC53の写真が残されています。
次は青大将とc62の登場かな?
次回も楽しみ😊
10:34
正直、好きです…。
いつも解説をしていただきありがとうございます。編集も面白いし、専門用語もきちんと解説してくれるのでとても見やすいです! デンデンさんのおかげで機関車についてより深く知ることができて楽しいです。本当にありがとうございます。
日本のC53、55の流線型蒸気機関車、後ろの客車は一般形で、アンバランスさが無いわけでもなく、客車も揃って流線型で整っていた満州の特急あじあに比べると見劣りがすると、内地のファンは悔しがったという話し聞いた事あります。
そういえば、C59牽引時代の「燕」「鴎」(1941~43)ってほとんど触れられてませんな。
特に「鴎」は全車丸屋根客車で組まれてていただろうからC59戦前形とよくマッチしてたはずです。
大宮の鉄道博物館に、C59牽引の燕の写真ありました。あのカマが登場したのは昭和16年、太平洋戦争開戦の年で、鉄道写真撮るとスパイ扱いされて下手すると憲兵に引っ張られる時代だったから、あの頃の、C59の燕の写真は貴重かも知れません。
現在のプロ野球チームである「東京ヤクルトスワローズ」の前身球団、国鉄スワローズに由来します!国鉄スワローズ、産経スワローズ、産経アトムズ、ヤクルトアトムズ、ヤクルトスワローズ、東京ヤクルトスワローズと現在に至るまでに球団名が変わりました。
@@yoshiichi242様
JRバスの方とおしゃべりした事ありますけど
「バスの横っ腹にあるツバメのマークと『つば九郎』って実は生き別れの兄弟なんだよね」
何でこんな話になったかというと、弊社にJRバスから来客があったタイミングで『ヤクの売人』(又の名をヤクルトレディ)が来たから
64さんの動画はメカニックも解説してくださるのでいつも楽しみにしています!
ドイツやハンガリーで流線型SLの完成型を見てると、発展途上で終わったんだなあってのが分かります😢
C51の船底みたいな三角頭の何かのキャラみたいで面白いw
模型で欲しいなぁ
既存のC51に薄銅板や紙でカバー作れば比較的再現は楽ですよ
私は中村精密のC51ジャンクキット組むときにこの61号機にしました
C53の43号機は流線形改造後に、車体がエンジに塗られていたとする説がある
しかし、現存する写真はどれもモノクロームであるため、真偽のほどは定かではない
そういう意味においては、日本の国産SLの中で初めて黒以外の車体色が使用された機関車と言えますな
おそらく戦後C59で実験されたチョコレート色(葡萄色3号)だったとする説もあるけれど、確かではないですね。
お披露目時の新聞記事には「濃い海老茶色で裾は灰色でぼかし」とあるのでキングスホビーのC53 43号機作ったときは葡萄色3号と灰色9号で塗りました。
同じ臙脂系でも赤7号だと暗紅色(マルーン系)だし、鳶色2号は明るすぎ、です。
C55の流線型と言えばヒカリアンのウッカリーを思い出す
今思うと、当時のスタッフは随分とマニアックな機体をチョイスしたな(C53の流線型なら更にマニアックだけど)
スタッフの中に相当なオタが居たのかな(笑)
素晴らしい解説でした!
ヨッ!!
待ってました。
これからも、無理せずお願いしますね
小学生の頃、プラレール40周年企画で販売されたブリキ製のC53 43とマイテ39を買ってもらったのが出会いでした。新幹線を始めとする流線型車両が好きな自分としては、C62 2と並ぶ日本型で好きな蒸気機関車です。
法律の改正は必要になりますが、いつかイギリスの『トーネード』みたいに現代技術で改良して復刻新製とかできるようになるといいのですが……。
3シリンダーは三相交流モーターに似てますな。位相角120度でスムーズに回すところが。
昔、知り合いの誰だったかこの機関車の事を
「着物着て正座してるおばあちゃん」と言ってて大笑いした
動画内で言及されていた肉抜き穴を始めとする軽量化については
「日本は資源に乏しいから極力資源を無駄遣いしない」という
戦前の日本の風潮が影響していた可能性もありますね
少々やり過ぎレベルで軽量化に拘ったことで知られる旧日本軍の戦闘機のゼロ戦は
エンジンについても極力小型で排気量もなるべく小さくしたいという希望が軍からだされていた記録があり
その理由を端的に言えば「そっちの方が燃費が良いからガソリン節約出来るじゃん!」というモノだったようですから
そうした時代背景も
C53の設計にマイナスの影響を与えてしまったのかも知れませんなぁ
いずれはあじあ号の解説もしてほしいかもです
現在の御殿場線経由だった時代の、国府津駅で僅か30秒での後補機連結、走行中での解放に、時速80キロ近い走行中での機関士と機関助士の交代…これも現在では考えられない離れ技であり、忘れられない語り草ですよね。現在ならこんな危険な作業、国土交通省が許さないだろう。戦前はそれを殆ど無事故でやってのけたのだから、昔の鉄道員は、かなり腕の立つ職人芸の持ち主が揃っていたんでしょうね。
ちなみにC53は長時間走行でオイル切れするので機関助手が全速走行中にランボード渡ってオイル箱に注油したという逸話もあります…
今だと絶対に無理ですね
3シリンダー機、日本の点検整備陣では手がかかりすぎたことから、
汎用の2シリンダー機で最強の装備を誇るC59の登場に至るんですよね。。。
唐突的に!ありがとうございます!!!!!久しぶりに鉄道模型に手を延ばしてみよう。
流線形の43号機、見た目のインパクトは凄いけど
・カバーの所為でキャブ内の通気性が最悪状態
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量産されなかった理由がごもっとも過ぎる
EF55や52系よりも更に日本離れしたデザインが面白い流線型C53&C55
海外の流線型SLと並べても遜色ないデザインだと思う
流体学的に効果が無いというのは、正面形状による形状抵抗pd、摩擦抵抗fr、転がり抵抗rrそして対立項としての全体の出力opでopが十分に大きく、次に全体の抵抗のうちで表面摩擦抵抗frと転がり抵抗rrがそこそこ大きいからです。外国ではボールベアリング、コロ軸受けの導入がありましたが、日本ではまだ少なかったのです。
それらの抵抗の少なく、出力の小さい単行気動車では正面形状を改良する必要が発生し、ガソリン車の前面は丸く仕上げられました。短編成の場合は自動車に近くなり流体学的に効果が高くなるのです。それでも流線型機関車は5%の石炭が節約でき、熟練火夫に相当したようです。
子供の時、流線形のSLの存在?は知ってたけど、アニメ(ヒカリアン)で見ただけだったからアニメオリジナルだけなのかな?と思ってたりした!大きくなってから実在してビックリしたし、本物を見てみたかった・・・・ D51は気づいたら知ってた・・・・ レプリカでいいから作って欲しいなぁ🤔
C53の3シリンダーについて詳しく解説している書籍は少ないですね。RUclipsでは初見かもしれません。ありがとうございます。
手持ちでも一番詳しいのがプレスアイゼンバーンの「C52・C53-The echo of 3 cylinders」(1973年)ですからね
というかこれ入手してなかったらキングスホビーのC53 43号機組めませんでした…
購入時は古書店で4000くらいでしたが今はオークションで0が一つ増えてますねこれ
C51の謎改造をまとめた回なんてものを見てみたい……動画作っていただけませんか??
お、燕の続きだ。
しかし海外の技術は当時の日本にはまだ早かったということか💦
日本にこんな西洋チックな機関車が走ってたのは意外だなー。
普通にかっこいいよね
唯一の生き残りである、45号機を動態復活させてほしい所。かろうじて、OBの方々がご存命な内に技術継承含め挑戦してほしい。
当時でももう3シリンダー扱える整備員が絶滅危惧状態で吹田からここまで走らせるのが限界だったそうです
しかも万全にはほど遠い状態だったとか…
@@kakeruyamato4364 なるほど、C53自体大正時代のだし3シリンダー自体C52.53のみだったので稼働していた時期の存命な方でも当時の若手でしたでしょうから厳しいかも?設計図あれば分解解析しながら時間かけたら出来なくもないでしょうけど万全な状態を把握してるのは当時の整備の方々なわけで車のレストアとはわけがちがいますしね。一度動態復活(仮)させましたが当時でも厳しかったのですね。
C53は後に名機D51や東海道新幹線の開業に大きく携わることになる、島秀雄技師が最初に設計した機関車として知られていますね。
島秀雄さんは、設計頑張っているんだろうけどどこかしらやらかしていておもしろい
SLを無くす為にわざと設計した???
設計時や試作の段階で予見できそうなミスをよくやらかすんですよねこの人…
特にD51の軸重問題は設計段階で分かっていたでしょ。
@@ラム-s7g電卓どころか電子計算機もない時代に設計段階で予見できれば
とっくの昔にモックアップも試作品も全部不要になってるわなw
責任者が完全無欠でも量産までにどっかがやらかすのが製造業
C53設計は伊東三枝
もう20年以上前、宮脇俊三という人が書いた「時刻表昭和史」という本を読んだことがある。この本の中でも特急燕に関して言及されており、やはり東京-神戸間の時間短縮のためにありとあらゆる手を尽くしたことが書かれている。印象に残っている表現は、「・・・蒸気機関車のまま電化区間に乗り入れて、架線に煙を吹きつけながら東京駅まで進入してきた。」で、この動画を見ながらもC51が煙を架線に吹きつけながら東京駅に入線してくる様子が脳裏に浮かびました。
ところで、後編はいつ?
キターーー!!
11:45 知 ☆ っ ☆ て ☆ た
(鷹取)
C53・C55に続いてC57も流線形バージョンが登場するはずでした。阪和電鉄所有ですが・・・天王寺から白浜まで現在のオーシャンアローとほぼ同一タイムで走る為に投入を企んでいました。
流線型改造に「煙の絡みつき軽減」狙いの意図があったとは!! スピード感の演出だけが目的だと思っていました(^_^;)
かつて東海道を駆け抜けた蒸気機関車のエピソードには奥が深いものがありますな。
C51は動輪径を大きくすることでスピードアップにしたり、C53やC55では『流線型』でスピードアップに励もうとした挑戦が、日本の鉄道技術の粋が感じ取れます。
もっとも、蒸気機関車の流線型は保守面やさらなる重量の関係で失敗になってしまったのは皮肉でしたが、あの独特の流線型こそ、鉄道技術の進歩の1つと言っても過言でないでしょう。流改されたC55の30号機も元流線型という貴重な存在なので、せめて保存させて欲しかったorz
戦後編もやるんだろうか
東京〜大阪8時間は同じだけど実は途中駅までだと所要時間が結構違う
流線形のドタ靴と言うかムーミンみたいな電気機関車が私、気になります!
C53 43に当たった乗務員や整備員は外れくじを引いた気分だったのかもしれませんね。
伝説の流線型機、いつ見ても面白い形してるな
デザインとしてはいいと思うけど、どう考えても重たくて燃費悪そうな形してるなと思ったら案の定か(どこかで聞いた話だけど、実際乗務員の間ではハズレ枠だったらしいし)
見た目などから社外には好評だが、運用に関わる社内からは好評とは言い難い。とりあえず海外のを導入しよう。今もあるあるなのが戦前にもあり、現場の努力で維持できたというのが、今にも通ずるのがあって、技術者の偉大さを感じます
EF55の写真(0:49)、故・西尾克三郎氏が戦前に品川付近で撮影されたもので、「富士」を牽引している写真だ。55のカマは、燕を牽く事もあったが、どちらかというと「富士」の牽引に充てられる事が多かったようだ。
「ツバメ」は国鉄最速列車の称号で国鉄スワローズの親ですが、東海道山陽道で復活してほしいです。リニア新幹線が愛称募集したら「つばめ」を推したいです。
因みに3シリンダーなら、約120度ずつ位相がズレているので、デッドセンターが存在しない。
まぁ、2シリンダーでもデッドセンターになってたら後退するなり外部動力で動かすなり、何とかするけど。
いいですね
魔改造C51は流線型の習作と言われなかったら除雪用に改造されたの? と思いそうな構造をしている・・・。丹那トンネル開通前は、小田原に路面電車があったり熱海湯河原方面へ人力鉄道や軽便鉄道があったりしましたね。 熱海駅前にSLが、小田原城から少し離れた所には戦後のですが路面電車が静態保存されていますね。 また人力鉄道は一応動態保存?されているようです。
10:03 レベッカ!?
マイクロのC53 47持ってるけどデカい
戦前の特急列車の客車持ってないからKATOのオハ31形とか連結すると横幅デカいのがよく分かる
マイクロもうちょっと頑張って欲しい
いやKATOに頑張って欲しい
あれはインジェクションでR180通過させようとした結果、従輪の振り幅からああなったとか
KATO C55を種車にするキングスホビーの真鍮キットだと幅は普通の日本蒸気機関車とほぼ同じです
ただ、動輪移動でクランクピンが歪みやすいのと真鍮キットなので金属部品が接触するとショートするので絶縁必須でしたw
中編⁉︎ 迷要素多杉wwww
戦争がなければ、もっと面白い展開があったかもしれないのに。(歴史にifはないとよく言われますが)
次C62じゃないか
…NER S3(LNER B16)みたいなスティーブンソン式3シリンダーなら、シンプルだからトラブルを減らせ他のかなぁ……。
アメリカのアルコ社はライセンス生産みたいですが、そこから輸入してコピーしようとした日本は特許権をクリアしてるんでしょうか?
すみません機関車はなぜかほぼ全て黒なのでしょうか?
汚れが目立ちにくいからではないでしょうか。と言っても蒸気機関車が全て真っ黒けというわけではなく、英国機では緑や青があったりドイツ機の足周りは日本への輸入機も含めて赤が標準的だったりします。
イカれてるとかいうレベルじゃない
もっと投稿頻度を上げてください…!
投稿頻度と動画の質は反比例