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紀勢線で運用されてたときに何度か客車に乗りました。当時客車けん引できたときこれかーって残念がってたけど今となってはいい思い出です。
当日の客車は自動ドアでもなく、連結部特に最後尾は吹き抜けだったので、発車後に飛び乗ったり・・いろいろな遊び(今となっては危険極まりない)ができましたね。もう2度と日本では営業運転されないでしょうね。
当時は無煙化が第一目的だったので動力性能は、まぁ仕方ないよ…むしろ、多くの乗客や運転士をSLの煤煙から解放した実績を称えるべき🎉
日豊本線大分県南部では電化まで普通や荷物、急行からブルートレインまでDF50大活躍でした。普通は1往復除いて客車だし、大阪や東京からやってくる急行も客車。DF50はなんというか格好が良く、好きでしたよ。パワー不足は裏を返せば引き出しが静かということでもあるし。今は2両の普通もかつてはホームから外れるくらいの長編成でした。
DF50懐かしい。こちら高知の土讃線で走ってました。客車や貨物を牽引して。あまりの懐かしさに涙がこぼれました。😢国鉄全盛期を象徴する機関車でした。
非力な電気式ディーゼル機関車だったけど開発は無駄では無かったと思う。むしろDF50を作った技術があったからこそ、DF200やDD200が登場出来たと思う。
よく四国の険しい山道で今より長い客車を牽引して頑張ってきたな
高校時代、毎日DF50+旧客(7,9輌ぐらい)でした 出足はともかくクルージングは快適でしたわ
JR発足後のDF200は1800馬力の機関に対する駆動機器の開発が難しく、その妥協案で電気式を採用したという皮肉な話がありますね!その後登場する電気式ディーゼルカーは駆動機器を電車と共用できるため保守が簡素化できるという利点も急速に拡大した要因!
DF50、よく非力とか散々言われてますけど、北陸本線の杉津越えの補機にも使われるなど結構活躍した機関車ですよ。そりゃ確かに現在のディーゼル機関車と比べれば足下にも及ばないのは事実ですけどね。開発当時の日本の技術力を考えれば優秀な機関車であったのは間違いありません。私が鉄道ファンになる切っ掛けとなった機関車でしたね。幼少の頃、鉄道の本で海沿いの線路(多分、日豊本線?)を20系客車を従えて走るDF50の写真を見て惚れてしまいました。大阪人なので、弁天町にあった交通科学博物館にもDF50を見る為によく行ってました。実際に走行するDF50を最後に見たのは、紀勢本線の「紀伊」でした。今でも世界一美しく格好良いディーゼル機関車だと思ってます。
DF50牽引の普通列車は紀勢線で数回乗車しました.荷坂峠越えはパワー不足でノロノロ🐌🐌💦
SLより非力なDLと聞いて、きかんしゃトーマスでディーゼルがヘンリーのように貨車をいっきに運ぼうとして海に落ちる話を思い出したw
子供の頃四国でDF50はよく見ました。SLみたいに煙たくないからDLの方が良かったですね。今タイにいますが、こちらは液体式機関車は皆無ですね。日本製液体式はとっくに廃車になってます。1960年台のGE製ディーゼル電気式がまだ現役です。同形式のフランス製中国製もあります
液体式は調整が難しいので、軸重の小さい途上国でも敬遠されがちとか…
起動時はD51並み 高速性能はC57並みと謳われた性能だけど実際は非力すぎて『富士』を牽引しながらの宗太郎越えでは30km/h台まで速度低下したそう。この時代に軽量高出力・高効率のエンジンや発電機があれば 日本のDLも 欧米並みに『電気式』で発展したかもしれませんね。それでも『無煙化』を進めた功績は大きいと思います。関係ないけど 欧米では 大戦前から電気と空気で指令する『遠隔操作タイプ機械式変速機』による『総括制御』 が実用化されていて これも日本で実用化されていたら 気動車の歴史も変わっていたでしょうね。
日本の場合、ネックとなるのが重量だったりします欧米諸国じゃ軸重17トンが標準で、日本の特甲線よりも規格が高い線路を使用しているそれに対して日本では非電化路線で軸重15トン程度がせいぜいで、規格の低い路線では軸重が13・5トンに制限されますまた、圧縮空気を利用した遠隔操作は、簡単にいえば相応の容量を持った空気圧縮機が必要になります現代技術でも空気ばね式の車体傾斜装置を気動車に搭載するのが難しいのだから、昔の小型車両では搭載不可能ですなちなみに、機関車であるDF50形では、重連総括制御に同様のシステムを使用しています
1972年時刻表の下り富士で佐伯~延岡1時間11分、上り1時間15分で、電化後の「富士」とも遜色ない所要時間ですよ。さすがに貨物に比べれば軽い(それも付属編成落とした基本編成だけの20系)客車では、大きな問題にはならなかったのでは?子どもの頃佐伯に住んでいましたが、電化前は貨物はD51、ブルトレ以下すべての客車(荷物含む)がDF50牽引でした。
簡易電化。
日本だけでなく、東南アジアなど軸重が小さい国では液体式が主力ですね。軸重が大きい中国やロシアは電気式メインですが、一応液体式も併用しているみたいです。
@@鉄道模型大好きおじさん 東南アジアですとフランスの植民地だったインドシナではメーターゲージが主流ですからな日本からも中古車両が送られていますが、その際に軌間を合わせるために一度車軸を切り、ゲージを合わせて溶接しなおしているそうな
当時の戦車もエンジン運搬車と言われるくらいやしな大きさ、重量の割に低出力な物しか作れんかったのやろね
日本の大型高速ディーゼルエンジンは現在に至るまでマトモなものは全く無いに等しいですからね。97式戦車なんて重量が自身の3倍にもなるティーガー戦車より機動性に劣ってましたからね。コマツにしてもカミンズのカタログ落ちエンジンをOEMしてる状態ですし、新潟トランシスのエンジンは北海道で大しくじりやらかしてるし。
オレンジ色の憎い奴。特に1~65のスイスズルザー社のエンジンは独特の音だった。
福知山線でDD51やDD54と併用されていたころ、よく乗ったり見たりしていました。個人的には見た目はDF50が一番好きで、
DF50とDD51とDD54なら、私もDF50が一番好きです。個人的には今でも、世界一美しくて格好良いディーゼル機関車だと思います。私も関西人なので、弁天町の交通科学博物館にDF50を見によく行ってました。走ってるのを最後に見たのは紀勢本線の紀伊でした。
これから非電化区間は水素燃料だよね。未来に期待したい
それは燃料電池の事かな?それとも内燃機関の事かな?使い分けの見極めが必要なのに、意外に未だにゴッチャになってるヒトだらけ…😢
@@Masa-ef5iq 一応、夢物語りの話しではなくてヒバリという電車がすでにあるので、燃料電池か内燃機関かの話しではもう無いハズなんだが…
@@Masa-ef5iq 偉そうに書くならちゃんと説明しやがれ
登場するのが時代を先取りしすぎた感があります。紀勢線、福知山線で走ってたのが懐かしいですね
D F50は伊予西条駅と京都鉄博にDD54も。😮
DF50、津山まなびの鉄道館にも有りますね。元々は弁天町の交通科学博物館に展示されてた物ですけど。
NゲージのTOMIX製DF50はみんな持っていた気がする。
DD54なら「タイプ」も含めて持ってるんやけどなぁ
@@猫山動物事務所駅裏支 ブルトレも旧型客車も貨物も牽けるからね。
Nゲージの日本型ディーゼル機関車で初めて買ったのがトミックスのDF50でしたね。標準色と茶色どちらも買いました。マイクロエースのD51と重連させて、北陸本線の杉津越えをよく再現させてました。カトーのD51は速すぎて上手く協調しなかったんです。
自分も持ってるけど、45年くらい昔で子供だったのでナンバープレートをゴム系接着剤でなくて普通のセメダインでつけて、はみ出して汚くなってます。TOMIXの茶色いのも10年くらい前に購入し、最近カトーの四国タイプを購入しました。
モーターの音がデカくてリアル感がありました
今でこそSLを有難がるが、その昔SLは嫌われモノで駅員に尋ねてSLだったら「母ちゃん。汽車って・・やだなぁ」で、ディーゼルが歓迎されたものの馬力不足で登坂で立ち往生。車掌が「すみません降りて下さい」木製の箱持って来てみんな降ろされた。空車が登坂しきると「乗って下さい」母ちゃんは生まれたばかりの妹を背負い俺の手を引いて汗だく。ひでぇ時代だったなぁ。親父が頑張って観音開きのクラウン買ったら線路と国道が並行してるもんで子供心に優越感がww。
SL牽引の客車は一番前の車両がガラガラで後ろにいくほど混んでいましたね。今のSLの客車は観光用で窓が開かないタイプですから。
@@Snufkin-j6l高崎のスハフ32やらオハ47も窓が開かない様になっているのですか?
@@Snufkin-j6l 12系ハザも窓開かないの?
@@Snufkin-j6l 大井川のも窓開かないの?自分で書いたんだろ、教えて。
電動機の出力合計が103系の1.5ユニット分しかないのですが・・・
103系も同世代の私鉄通勤型電車に負けてることが多いからな…
端子間電圧は違うもののMT46Aと同じ出力ですからねぇ。153系・・・。
電動機の出力は発電機の発電量で賄える出力にしないと、動かないというオチがあります直流発電機の欠点は、整流子の部分にブラシが接触しているため、回転数を上げると摩擦による熱が発生するという点です
@@Shochan.G 103系は60年前に「コスト半分」を目指した車両でしたからね。とにかく新造費が安くて電気を食わない設計。
モーターとか既存の国鉄形式の部品しか使えないからそんな所だろうね、隣の島国のGE製の電気式はちゃんと貨物牽引もしてたし力もあったよ、エンジン音が昭和の昔って感じだけど。
5:13、1984年って昭和59年ですよね!1884年(明治17年)のまちがいでしょか?
大変失礼いたしました...申し訳ないです...
初期のディーゼル機関車が蒸気機関車よりも低性能だったのは米国も同じだった。DF50の後のDD51が大型SL駆逐の決定版になった。
高松ー豊浜・阿波池田間を運行していた旧客10両編成快速の先頭に立って牽引していた事を知る身としては、決して非力じゃないと主張する次第です。
性能表は間違っていませんか。均衡速度が、DD51より高いのはおかしいですね。紀勢本線でDD51に置き換えたらかなり速くなりました。この機関車ではD51を置き換えられません。
余談ですが、DF50の0番台(ズルツァー)は三菱電機と三菱重工製造の縁なのか、DF200の900番台と0番台のMTUエンジンは北海道三菱ふそうで検査、修繕されているそうです
今の時代、パワーエレクトロニクスの進展もあり、極力「電車化」してトルコンの整備とかやめたいのでしょう。
機関車に限らずディーゼル車に関して国鉄は恐ろしく外国から比べると遅れてたのが恥ずかしいレベル。しかも国鉄民営化まで殆ど進歩してなかった
今は「スルザー」の方が通りが良いですよ。
紀勢本線山陰本線で鈍行に乗りました。
0番台の出力向上型とも言える500番台なのだが、なぜか0番台よりも若干早めに廃車されているような気がする。(車歴表をお持ちの方はぜひ確認を。)0番台のズルツァー直列8気筒に対し、500番台のマンはV型12気筒なので、全般検査時の手間やコスト増が嫌われたのか?
DF50の最大の功績は非電化区間における客車編成の急行旅客列車の無煙化だろうね。まだ冷房装置が普及せず、特急と寝台車・食堂車以外はロザでさえ非冷房だった当時、夏場トンネルの多い路線などでは難行苦行だった。それを解消できたのは本線用ディーゼル機関車DF50の功績だね。非力な部分は重連運転でカバーできたから。電気式はディーゼルエンジンと発電機そして電機としての装備も必要だからどうしても重くなり、軌道の脆弱な日本には向かないと言われていた。気動車も機関車も液体式が発展したのは重量制限をクリアするのが最大目的だった。然し近年技術発展により電気式気動車・電気式内燃機関車も実用に耐えうるものが登場して来て勢力図は変わりつつあるが、これは電気式とすることで電気車の技術や部品が応用できスケールメリットも図れるのも大きいのだろうね。何せ電気式気動車を電車と呼ぶ公式迄現れたのだから(^^);(JR東海のHC85系、あれは今までの概念では電気式気動車なのだけど形式称号から電車然としている。動力車操縦免許との兼合いって[大人の事情]もあるらしい)(^^);[電車][気動車]の概念を切り替えないといけないのかも?アラカン世代のオジン[鉄]にはちと頭の切り替えが大変だ(^^);
「C57並の速度にD51並の牽引力」が国鉄のSL置き換えの要求スペックだったものの、DF50では「D51並の速度にC57並の牽引力」に・・・。結局、本命はDD13のスケールアップ的な液体式のDD51に。只、大出力用液体式変速機の開発は困難を極め、DD51も開発後暫くはトラブル多発。DD51後継のDF200はまた電気式に戻り、結果DD51は日本では空前絶後の大型液体式DLに。(米国の巨大DLは電気式とか)
アメリカでも液体式が試用されたこと有りましたが、使用環境に合わず故障しがちなので短命でしたね。
DF50は非力というより電気式のために当時のシリコン整流器の不具合から故障が多かったんじゃ無いですか?24系富士なんかは7〜8両は難なく牽引してました。が時々故障でC55が重連で牽引してましたね?
日豊本線で寝台特急富士を引っ張ってたイメージ。あっ今冒頭で出た仙石東北ラインのHB-210系に乗ってます。
宮崎電化が1974年だったか、そのころ、臼杵に住んでいました。旅客がDF50で貨物がD51だったか。佐伯までのC58とかもあったかな。(後、DE10) ただし、DF50の故障率が高く,予備のC57が富士を引くとかどうかするとD51が日南を引くとかがあったらしいですが、残念ながら見ることできませんでした。 (大分から南で)DF50が登場したころはC55かC57だったと思いますが、加速が違っていたことを覚えています。出力は90kW×6ですが、思い切り弱め界磁がつかえるらしく高速運転はできるとはいえ、しょせんは合計で540kWですな。宗太郎の峠越えでは速度が落ちていました。(旅客です。)今は、定数も変わらないところ(直見か直川の有効長制限)で、EF510牽引なので、宗太郎の運転は楽勝なんでしょうな。
富士として独立する前はマヤ20をつけたみずほを牽引していたのでしょうね。
電気式ディーゼル機関車はアメリカ等では普通ですが、DF50の時点で日本では手慣れていなかったのかもしれませんね、同じ狭軌の鉄道で電気式機関車が実用されているのは台湾のR200とか特急用PP車(前後先端に付いた機関車でプッシュプル)GE製の機関車とかでしょう、適切な部品選定がされていれば恐らく実用にはなったでしょうけど、国鉄だと既存のモーター等部品に制限がかかるので無理があったんじゃないかな。コ・ナ前台湾行ってみて来たけど普通に貨物(水泥@中身生コン)そこそこの長さ引いてましたよ。因みにロシアのディーゼルも電気式の様で、あれは戦中にイラン経由で入ったアルコ製の電気式が基の様ですね。昨今のコマツ製エンジンの奴は恐らく街中にあるビルの非常用発電機の応用かなと。エンジンは粗同一と思われるので。
日本国鉄は狭軌だけでなく軸重が小さいのも不利でしたね。狭軌を採用するにしても、南アフリカ共和国みたいに軸重を大きくしていれば強力な電気式ディーゼル機関車を開発するのも難しくなかったと思われます。昔、広軌化論争が起きた時、広軌化を諦める代わりに軸重を大きくしていれば軍用列車の運転にも好都合だったでしょうね。
18:50テロップに「DE50」とな?
5:08、1984年開発???
日本の鉄道技術史では「日本の技術力では使いこなせず」という話がよくでてきますね。だから、自力開発にこだわったのかなぁ。欧米から導入した技術を「使いこなす」ための技術力をつけるのが本筋だと思うのですが、なぜそちらの方向にいかなかったのでしょうか。
使いこなす=大金を要求、だと予想します。
@@kou1964mal ご関心をお持ち頂いたのは嬉しいのですが、「予想」という言葉をどういう意図で使っておられるのかわかりません。違う表現で再度お書きください。
@@Kobacchi2nd そういう理由があってのことでしょって書いてあるのが解らない低知能なの?
メキドロ式変速機を採用したDD54は大失敗しましたからね。ドイツは勿論、同じくメキドロ式変速機を採用した中国やイギリスなどはそこそこ成功しているのに、日本だけ大失敗。結局日本の技術力が未熟だったのは事実なんでしょうね。
鉄道車両でパワーウェイトレシオという単語を聞くことがあるとは思わなかった
昔、山陰本線で走っていなかった? DF50が山陰本線西部、DD54が山陰本線東部で専ら使われていたと思うのだが。
@@Richlind-ws7yt 米子を境に0番代と500番代の交替があったそうだから同じDF50でも
昔はパワー半導体なんて無かった。
DE50は1両しか製造されなかったから重連は出来ないぜ😜。
晩年は営業運転中に何回か萌えてました。
DF50の1号機は四国地方の高知県で活躍してました
先程言っていた1号機は愛媛県西条市伊予西条駅前の四国鉄道文化館に保存されています
5:12 1984年?
自立した特に貨物運用では用を成さなかったものの、こんな場所にもいたんだ…という記録は多いですぬ。1960年代後半から1970年代前半はあちこちの幹線の輸送力増強が行われましたが、旧線と呼ばれる峠越えや断崖絶壁の難所を蒸気機関車の前や後部補機として力走している写真には感嘆させられます。
東日本地域では見かけないのは年代が違うからかな?
初期の茶色いヤツは秋田の方だったでしょ。
いや、中央線か信越線の方でも走っていたでしょ。
東北地方では見なかったな。
@@hiroshia5789 教えてやってんだけど言い訳ですか
@@hiroshia5789 なんだコイツ東日本地域では見かけないって書いて今度は東北地方ではって笑笑
DF50は動力方式が特殊だよねDD51に比べたら性能劣るし、量産もされなかったけど、山陰、紀勢線といった地方幹線や四国の無煙化には貢献したし、見た目からの人気も高かったと思う個人的には1番好きなDL
量産もされなかったって、何両出来たら量産といいますか?
@@さゆり-f9n DD51より量産台数が少なかったって意味で書いたんだけど
@@あかかげ-q2p 1号機から7号機が試作型で138両まで作られた残りは量産型なんだよね。ここでDD51より少ないって言い訳がましいじゃん。
私もDF50が今でも大好き。個人的には世界一美しくて格好良いディーゼル機関車だと思います。
当時は電気機器が大きかったからでしょう。時期尚早でしたね…
電気式と流体式で色々な技術開発が行われて、それぞれの時期でどちらかが優勢になっているというだけのことです。技術史ではよく見られる現象なので「時期尚早」という表現は少し違うように思います。
@@Kobacchi2nd その当時に於いては時期尚早だったんでしょ。何因縁つけてるのか知らんけど。
@@さゆり-f9n 「時期尚早」というのは完全に失敗したときに使う言葉であり、DF50の場合は「完全な失敗」というわけではないだろうと思っただけです。
@@Kobacchi2nd だからさ、それをあなたが思っただけで、他の人はそう思ってないでしょ。
@@Kobacchi2nd 完全に失敗した時の言葉って何処かに書いてあるのですか?
デンチャと男鹿線の車両、懐かしいなぁ😊ここに来ている皆さんにも、デンチャとClass800が並んでいた光景を、見て欲しかったなぁ😊ディーゼルエンジンは、設計上『GENERATOR(発電機)』として扱ってます😊
じゃ、急行ニセコのC62もパワーがなかったから重連でしたか
EF200「やはりパワー!パワーは全てを解決する!と言うわけでフルパワー出していい?」
EF210・EH500「先輩やめてください!あなたがフルパワー発揮したら、洒落にならないですから!僕達動けなくなります!」
そんなぁ(´・ω・`)
紀勢線で運用されてたときに何度か客車に乗りました。当時客車けん引できたときこれかーって残念がってたけど今となってはいい思い出です。
当日の客車は自動ドアでもなく、連結部特に最後尾は吹き抜けだったので、発車後に飛び乗ったり・・いろいろな遊び(今となっては危険極まりない)ができましたね。もう2度と日本では営業運転されないでしょうね。
当時は無煙化が第一目的だったので
動力性能は、まぁ仕方ないよ…
むしろ、多くの乗客や運転士を
SLの煤煙から解放した実績を
称えるべき🎉
日豊本線大分県南部では電化まで普通や荷物、急行からブルートレインまでDF50大活躍でした。普通は1往復除いて客車だし、大阪や東京からやってくる急行も客車。
DF50はなんというか格好が良く、好きでしたよ。パワー不足は裏を返せば引き出しが静かということでもあるし。
今は2両の普通もかつてはホームから外れるくらいの長編成でした。
DF50懐かしい。こちら高知の土讃線で走ってました。客車や貨物を牽引して。あまりの懐かしさに涙がこぼれました。😢国鉄全盛期を象徴する機関車でした。
非力な電気式ディーゼル機関車だったけど開発は無駄では無かったと思う。
むしろDF50を作った技術があったからこそ、DF200やDD200が登場出来たと思う。
よく四国の険しい山道で今より長い客車を牽引して頑張ってきたな
高校時代、毎日DF50+旧客(7,9輌ぐらい)でした 出足はともかくクルージングは快適でしたわ
JR発足後のDF200は1800馬力の機関に対する駆動機器の開発が難しく、その妥協案で電気式を採用したという皮肉な話がありますね!
その後登場する電気式ディーゼルカーは駆動機器を電車と共用できるため保守が簡素化できるという利点も急速に拡大した要因!
DF50、よく非力とか散々言われてますけど、北陸本線の杉津越えの補機にも使われるなど結構活躍した機関車ですよ。
そりゃ確かに現在のディーゼル機関車と比べれば足下にも及ばないのは事実ですけどね。
開発当時の日本の技術力を考えれば優秀な機関車であったのは間違いありません。
私が鉄道ファンになる切っ掛けとなった機関車でしたね。
幼少の頃、鉄道の本で海沿いの線路(多分、日豊本線?)を20系客車を従えて走るDF50の写真を見て惚れてしまいました。
大阪人なので、弁天町にあった交通科学博物館にもDF50を見る為によく行ってました。
実際に走行するDF50を最後に見たのは、紀勢本線の「紀伊」でした。
今でも世界一美しく格好良いディーゼル機関車だと思ってます。
DF50牽引の普通列車は紀勢線で数回乗車しました.
荷坂峠越えはパワー不足でノロノロ🐌🐌💦
SLより非力なDLと聞いて、きかんしゃトーマスでディーゼルがヘンリーのように貨車をいっきに運ぼうとして海に落ちる話を思い出したw
子供の頃四国でDF50はよく見ました。SLみたいに煙たくないからDLの方が良かったですね。今タイにいますが、こちらは液体式機関車は皆無ですね。日本製液体式はとっくに廃車になってます。1960年台のGE製ディーゼル電気式がまだ現役です。同形式のフランス製中国製もあります
液体式は調整が難しいので、軸重の小さい途上国でも敬遠されがちとか…
起動時はD51並み 高速性能はC57並みと謳われた性能だけど実際は非力すぎて『富士』を牽引しながらの宗太郎越えでは30km/h台まで速度低下したそう。
この時代に軽量高出力・高効率のエンジンや発電機があれば 日本のDLも 欧米並みに『電気式』で発展したかもしれませんね。
それでも『無煙化』を進めた功績は大きいと思います。
関係ないけど 欧米では 大戦前から電気と空気で指令する『遠隔操作タイプ機械式変速機』による『総括制御』 が実用化されていて これも日本で実用化されていたら 気動車の歴史も変わっていたでしょうね。
日本の場合、ネックとなるのが重量だったりします
欧米諸国じゃ軸重17トンが標準で、日本の特甲線よりも規格が高い線路を使用している
それに対して日本では非電化路線で軸重15トン程度がせいぜいで、規格の低い路線では軸重が13・5トンに制限されます
また、圧縮空気を利用した遠隔操作は、簡単にいえば相応の容量を持った空気圧縮機が必要になります
現代技術でも空気ばね式の車体傾斜装置を気動車に搭載するのが難しいのだから、昔の小型車両では搭載不可能ですな
ちなみに、機関車であるDF50形では、重連総括制御に同様のシステムを使用しています
1972年時刻表の下り富士で佐伯~延岡1時間11分、上り1時間15分で、電化後の「富士」とも遜色ない所要時間ですよ。
さすがに貨物に比べれば軽い(それも付属編成落とした基本編成だけの20系)客車では、大きな問題にはならなかったのでは?
子どもの頃佐伯に住んでいましたが、電化前は貨物はD51、ブルトレ以下すべての客車(荷物含む)がDF50牽引でした。
簡易電化。
日本だけでなく、東南アジアなど軸重が小さい国では液体式が主力ですね。
軸重が大きい中国やロシアは電気式メインですが、一応液体式も併用しているみたいです。
@@鉄道模型大好きおじさん 東南アジアですとフランスの植民地だったインドシナではメーターゲージが主流ですからな
日本からも中古車両が送られていますが、その際に軌間を合わせるために一度車軸を切り、ゲージを合わせて溶接しなおしているそうな
当時の戦車もエンジン運搬車と言われるくらいやしな
大きさ、重量の割に低出力な物しか作れんかったのやろね
日本の大型高速ディーゼルエンジンは現在に至るまでマトモなものは全く無いに等しいですからね。
97式戦車なんて重量が自身の3倍にもなるティーガー戦車より機動性に劣ってましたからね。
コマツにしてもカミンズのカタログ落ちエンジンをOEMしてる状態ですし、新潟トランシスのエンジンは北海道で大しくじりやらかしてるし。
オレンジ色の憎い奴。特に1~65のスイスズルザー社のエンジンは独特の音だった。
福知山線でDD51やDD54と併用されていたころ、よく乗ったり見たりしていました。個人的には見た目はDF50が一番好きで、
DF50とDD51とDD54なら、私もDF50が一番好きです。
個人的には今でも、世界一美しくて格好良いディーゼル機関車だと思います。
私も関西人なので、弁天町の交通科学博物館にDF50を見によく行ってました。
走ってるのを最後に見たのは紀勢本線の紀伊でした。
これから非電化区間は水素燃料だよね。未来に期待したい
それは燃料電池の事かな?それとも内燃機関の事かな?
使い分けの見極めが必要なのに、意外に未だにゴッチャになってるヒトだらけ…😢
@@Masa-ef5iq 一応、夢物語りの話しではなくてヒバリという電車がすでにあるので、燃料電池か内燃機関かの話しではもう無いハズなんだが…
@@Masa-ef5iq
偉そうに書くならちゃんと説明しやがれ
登場するのが時代を先取りしすぎた感があります。紀勢線、福知山線で走ってたのが懐かしいですね
D F50は伊予西条駅と京都鉄博にDD54も。😮
DF50、津山まなびの鉄道館にも有りますね。
元々は弁天町の交通科学博物館に展示されてた物ですけど。
NゲージのTOMIX製DF50はみんな持っていた気がする。
DD54なら「タイプ」も含めて持ってるんやけどなぁ
@@猫山動物事務所駅裏支
ブルトレも旧型客車も貨物も牽けるからね。
Nゲージの日本型ディーゼル機関車で初めて買ったのがトミックスのDF50でしたね。
標準色と茶色どちらも買いました。
マイクロエースのD51と重連させて、北陸本線の杉津越えをよく再現させてました。
カトーのD51は速すぎて上手く協調しなかったんです。
自分も持ってるけど、45年くらい昔で子供だったのでナンバープレートをゴム系接着剤でなくて普通のセメダインでつけて、はみ出して汚くなってます。
TOMIXの茶色いのも10年くらい前に購入し、最近カトーの四国タイプを購入しました。
モーターの音がデカくてリアル感がありました
今でこそSLを有難がるが、その昔SLは嫌われモノで駅員に尋ねてSLだったら「母ちゃん。汽車って・・やだなぁ」
で、ディーゼルが歓迎されたものの馬力不足で登坂で立ち往生。車掌が「すみません降りて下さい」木製の箱持って来てみんな降ろされた。空車が登坂しきると「乗って下さい」母ちゃんは生まれたばかりの妹を背負い俺の手を引いて汗だく。ひでぇ時代だったなぁ。親父が頑張って観音開きのクラウン買ったら線路と国道が並行してるもんで子供心に優越感がww。
SL牽引の客車は一番前の車両がガラガラで後ろにいくほど混んでいましたね。
今のSLの客車は観光用で窓が開かないタイプですから。
@@Snufkin-j6l
高崎のスハフ32やらオハ47も窓が開かない様になっているのですか?
@@Snufkin-j6l
12系ハザも窓開かないの?
@@Snufkin-j6l
大井川のも窓開かないの?
自分で書いたんだろ、教えて。
電動機の出力合計が103系の1.5ユニット分しかないのですが・・・
103系も同世代の私鉄通勤型電車に負けてることが多いからな…
端子間電圧は違うもののMT46Aと同じ出力ですからねぇ。153系・・・。
電動機の出力は発電機の発電量で賄える出力にしないと、動かないというオチがあります
直流発電機の欠点は、整流子の部分にブラシが接触しているため、回転数を上げると摩擦による熱が発生するという点です
@@Shochan.G 103系は60年前に「コスト半分」を目指した車両でしたからね。とにかく新造費が安くて電気を食わない設計。
モーターとか既存の国鉄形式の部品しか使えないからそんな所だろうね、隣の島国のGE製の電気式はちゃんと貨物牽引もしてたし力もあったよ、
エンジン音が昭和の昔って感じだけど。
5:13、1984年って昭和59年ですよね!1884年(明治17年)のまちがいでしょか?
大変失礼いたしました...申し訳ないです...
初期のディーゼル機関車が蒸気機関車よりも低性能だったのは米国も同じだった。
DF50の後のDD51が大型SL駆逐の決定版になった。
高松ー豊浜・阿波池田間を運行していた旧客10両編成快速の先頭に立って牽引していた事を知る身としては、決して非力じゃないと主張する次第です。
性能表は間違っていませんか。
均衡速度が、DD51より高いのはおかしいですね。紀勢本線でDD51に置き換えたらかなり速くなりました。
この機関車ではD51を置き換えられません。
余談ですが、DF50の0番台(ズルツァー)は三菱電機と三菱重工製造の縁なのか、DF200の900番台と0番台のMTUエンジンは北海道三菱ふそうで検査、修繕されているそうです
今の時代、パワーエレクトロニクスの進展もあり、極力「電車化」してトルコンの整備とかやめたいのでしょう。
機関車に限らずディーゼル車に関して国鉄は恐ろしく外国から比べると遅れてたのが恥ずかしいレベル。しかも国鉄民営化まで殆ど進歩してなかった
今は「スルザー」の方が通りが良いですよ。
紀勢本線山陰本線で鈍行に乗りました。
0番台の出力向上型とも言える500番台なのだが、なぜか0番台よりも若干早めに廃車されているような気がする。
(車歴表をお持ちの方はぜひ確認を。)
0番台のズルツァー直列8気筒に対し、500番台のマンはV型12気筒なので、全般検査時の手間やコスト増が嫌われたのか?
DF50の最大の功績は非電化区間における客車編成の急行旅客列車の無煙化だろうね。まだ冷房装置が普及せず、特急と寝台車・食堂車以外はロザでさえ非冷房だった当時、夏場トンネルの多い路線などでは難行苦行だった。それを解消できたのは本線用ディーゼル機関車DF50の功績だね。非力な部分は重連運転でカバーできたから。
電気式はディーゼルエンジンと発電機そして電機としての装備も必要だからどうしても重くなり、軌道の脆弱な日本には向かないと言われていた。気動車も機関車も液体式が発展したのは重量制限をクリアするのが最大目的だった。
然し近年技術発展により電気式気動車・電気式内燃機関車も実用に耐えうるものが登場して来て勢力図は変わりつつあるが、これは電気式とすることで電気車の技術や部品が応用できスケールメリットも図れるのも大きいのだろうね。
何せ電気式気動車を電車と呼ぶ公式迄現れたのだから(^^);(JR東海のHC85系、あれは今までの概念では電気式気動車なのだけど形式称号から電車然としている。動力車操縦免許との兼合いって[大人の事情]もあるらしい)(^^);
[電車][気動車]の概念を切り替えないといけないのかも?アラカン世代のオジン[鉄]にはちと頭の切り替えが大変だ(^^);
「C57並の速度にD51並の牽引力」が国鉄のSL置き換えの要求スペックだったものの、DF50では「D51並の速度にC57並の牽引力」に・・・。
結局、本命はDD13のスケールアップ的な液体式のDD51に。
只、大出力用液体式変速機の開発は困難を極め、DD51も開発後暫くはトラブル多発。
DD51後継のDF200はまた電気式に戻り、結果DD51は日本では空前絶後の大型液体式DLに。
(米国の巨大DLは電気式とか)
アメリカでも液体式が試用されたこと有りましたが、使用環境に合わず故障しがちなので短命でしたね。
DF50は非力というより電気式のために当時のシリコン整流器の不具合から故障が多かったんじゃ無いですか?24系富士なんかは7〜8両は難なく牽引してました。が時々故障でC55が重連で牽引してましたね?
日豊本線で寝台特急富士を引っ張ってたイメージ。
あっ今冒頭で出た仙石東北ラインのHB-210系に乗ってます。
宮崎電化が1974年だったか、そのころ、臼杵に住んでいました。旅客がDF50で貨物がD51だったか。佐伯までのC58とかもあったかな。(後、DE10) ただし、DF50の故障率が高く,予備のC57が富士を引くとかどうかするとD51が日南を引くとかがあったらしいですが、残念ながら見ることできませんでした。
(大分から南で)DF50が登場したころはC55かC57だったと思いますが、加速が違っていたことを覚えています。出力は90kW×6ですが、思い切り弱め界磁がつかえるらしく高速運転はできるとはいえ、しょせんは合計で540kWですな。宗太郎の峠越えでは速度が落ちていました。(旅客です。)
今は、定数も変わらないところ(直見か直川の有効長制限)で、EF510牽引なので、宗太郎の運転は楽勝なんでしょうな。
富士として独立する前はマヤ20をつけたみずほを牽引していたのでしょうね。
電気式ディーゼル機関車はアメリカ等では普通ですが、DF50の時点で日本では手慣れていなかったのかもしれませんね、
同じ狭軌の鉄道で電気式機関車が実用されているのは台湾のR200とか特急用PP車(前後先端に付いた機関車でプッシュプル)GE製の機関車とかでしょう、
適切な部品選定がされていれば恐らく実用にはなったでしょうけど、国鉄だと既存のモーター等部品に制限がかかるので無理があったんじゃないかな。
コ・ナ前台湾行ってみて来たけど普通に貨物(水泥@中身生コン)そこそこの長さ引いてましたよ。
因みにロシアのディーゼルも電気式の様で、あれは戦中にイラン経由で入ったアルコ製の電気式が基の様ですね。
昨今のコマツ製エンジンの奴は恐らく街中にあるビルの非常用発電機の応用かなと。エンジンは粗同一と思われるので。
日本国鉄は狭軌だけでなく軸重が小さいのも不利でしたね。
狭軌を採用するにしても、南アフリカ共和国みたいに軸重を大きくしていれば強力な電気式ディーゼル機関車を開発するのも難しくなかったと思われます。
昔、広軌化論争が起きた時、広軌化を諦める代わりに軸重を大きくしていれば軍用列車の運転にも好都合だったでしょうね。
18:50テロップに「DE50」とな?
5:08、1984年開発???
日本の鉄道技術史では「日本の技術力では使いこなせず」という話がよくでてきますね。だから、自力開発にこだわったのかなぁ。欧米から導入した技術を「使いこなす」ための技術力をつけるのが本筋だと思うのですが、なぜそちらの方向にいかなかったのでしょうか。
使いこなす=大金を要求、だと予想します。
@@kou1964mal ご関心をお持ち頂いたのは嬉しいのですが、「予想」という言葉をどういう意図で使っておられるのかわかりません。違う表現で再度お書きください。
@@Kobacchi2nd
そういう理由があってのことでしょって書いてあるのが解らない低知能なの?
メキドロ式変速機を採用したDD54は大失敗しましたからね。
ドイツは勿論、同じくメキドロ式変速機を採用した中国やイギリスなどはそこそこ成功しているのに、日本だけ大失敗。
結局日本の技術力が未熟だったのは事実なんでしょうね。
鉄道車両でパワーウェイトレシオという単語を聞くことがあるとは思わなかった
昔、山陰本線で走っていなかった? DF50が山陰本線西部、DD54が山陰本線東部で専ら使われていたと思うのだが。
@@Richlind-ws7yt
米子を境に0番代と500番代の交替があったそうだから同じDF50でも
昔はパワー半導体なんて無かった。
DE50は1両しか製造されなかったから重連は出来ないぜ😜。
晩年は営業運転中に何回か萌えてました。
DF50の1号機は四国地方の高知県で活躍してました
先程言っていた1号機は愛媛県西条市伊予西条駅前の四国鉄道文化館に保存されています
5:12 1984年?
自立した特に貨物運用では用を成さなかったものの、こんな場所にもいたんだ…という記録は多いですぬ。
1960年代後半から1970年代前半はあちこちの幹線の輸送力増強が行われましたが、旧線と呼ばれる峠越えや断崖絶壁の難所を蒸気機関車の前や後部補機として力走している写真には感嘆させられます。
東日本地域では見かけないのは年代が違うからかな?
初期の茶色いヤツは秋田の方だったでしょ。
いや、中央線か信越線の方でも走っていたでしょ。
東北地方では見なかったな。
@@hiroshia5789
教えてやってんだけど言い訳ですか
@@hiroshia5789
なんだコイツ
東日本地域では見かけないって書いて
今度は東北地方ではって笑笑
DF50は動力方式が特殊だよね
DD51に比べたら性能劣るし、量産もされなかったけど、山陰、紀勢線といった地方幹線や四国の無煙化には貢献したし、見た目からの人気も高かったと思う
個人的には1番好きなDL
量産もされなかったって、何両出来たら量産といいますか?
@@さゆり-f9n DD51より量産台数が少なかったって意味で書いたんだけど
@@あかかげ-q2p
1号機から7号機が試作型で138両まで作られた残りは量産型なんだよね。
ここでDD51より少ないって言い訳がましいじゃん。
私もDF50が今でも大好き。
個人的には世界一美しくて格好良いディーゼル機関車だと思います。
当時は電気機器が大きかったからでしょう。時期尚早でしたね…
電気式と流体式で色々な技術開発が行われて、それぞれの時期でどちらかが優勢になっているというだけのことです。技術史ではよく見られる現象なので「時期尚早」という表現は少し違うように思います。
@@Kobacchi2nd
その当時に於いては時期尚早だったんでしょ。何因縁つけてるのか知らんけど。
@@さゆり-f9n 「時期尚早」というのは完全に失敗したときに使う言葉であり、DF50の場合は「完全な失敗」というわけではないだろうと思っただけです。
@@Kobacchi2nd
だからさ、それをあなたが思っただけで、他の人はそう思ってないでしょ。
@@Kobacchi2nd
完全に失敗した時の言葉って何処かに書いてあるのですか?
デンチャと男鹿線の車両、懐かしいなぁ😊ここに来ている皆さんにも、デンチャとClass800が並んでいた光景を、見て欲しかったなぁ😊ディーゼルエンジンは、設計上『GENERATOR(発電機)』として扱ってます😊
じゃ、急行ニセコのC62もパワーがなかったから重連でしたか
EF200「やはりパワー!パワーは全てを解決する!と言うわけでフルパワー出していい?」
EF210・EH500「先輩やめてください!あなたがフルパワー発揮したら、洒落にならないですから!僕達動けなくなります!」
そんなぁ(´・ω・`)