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宮崎繁三郎陸軍中将は、太平洋戦争名将十傑の一人。ノモンハンやインパールの名将だけでなく、戦後は、捕虜収容所にて部下がイギリス軍から不当な扱いを受ける度に、イギリス軍に厳重な抗議を行い、撤廃させる等、復員する迄部下を命懸けで守り抜いた人間です!
インパールのみならず帝國陸軍の良心を代表する、「真に責任を果たした軍人」だと思います。
公務員上司に限って 責任事になると 部下に押し付け逃げる、その後 悪状況になると部下の せいにする。特に住民苦情対応、これ現実。
大和田常務「部下の手柄は上司のモノ! 部下の失敗は部下の責任!」
宮崎中将はもちろん立派ですが、抗命しながらも撤退を決断した佐藤将軍も立派だと思います。
佐藤将軍を支持します。ウィキペディア散々書かれてますが、自ら軍事裁判で銃殺を覚悟に部下の将兵を救ったのは偉大。
インパール作戦では無謀な作戦をさせて兵士を大量に死なせて自分は司令部の安全な場所で芸者と遊んだ司令官の牟田口と、激戦の中ので兵士と苦労を分かち合い、極力兵の犠牲を押さえて撤退で落伍者を出さないで軍を維持した宮崎中将で指揮官の差がハッキリ出た。
何かの戦記漫画ではインパール撤退作戦では敵の補給集積所を襲って奪った物資で撤退していましたからね。
@@ae190713 リアルでは違う。鹵獲した大量の燃料は本隊が隠匿しなかったため空襲で炎上。ロクな補給も無いまま、例の佐藤さんの独断撤退の殿として戦闘しつつ、後方にやっとの思いで撤退したら...味方の集積所には大量の物資が。宮崎さん、ブチ切れ。
インパール作戦自体は無謀じゃなかったんだけどなぁ。作戦開始前に英軍の増援が来てなきゃなぁ
@@OB-ho3bt 進軍時までは完璧だった!!君やつの動画見たであろう(・∀・)ニヤニヤ
@@常連のドイツ皇帝 だ、誰の事かな?!わ、分からないなぁ~?
「指揮官としての責任感」という言葉が軍服を着て歩いているような人物だったのですね。このような上官の下で戦ったのであれば、例え戦死してしまったとしても、無念ではあっても納得だけは出来たかもしれません。
ノモンハン、インパールと悪名高い両作戦に参加して優先奮闘しかも生き残ったところに価値がある
上司とはかくありたいと思わせる姿ですね。
日本陸軍では本当に少なかったまともな将軍の一人。しかし甘粕さんの下で特務機関とは意外だった。
宮崎さんのご冥福をお祈りいたします。
この人こそ後世に語り継ぐべき
最期の言葉は歴戦の勇者でなければ出ない言葉 ですね
高木俊朗著「インパール」シリーズを読むと、牟田口・川辺のみならず上層部の無為無能と組織の機能不全がよくわかる。
佐藤将軍に言わせると大本営、南方軍、ビルマ方面軍、第15軍の馬鹿の4乗がインパール作戦の悲劇を招いたのだと。罵倒されても仕方がないと考えてしまいますね。
僕も宮崎中将は大好きです。憧れと言うか目標としてる人で、「こんな中間管理職になりたい」って思ってますが…未だに役職すら付きません笑
宮崎閣下と聞いたらインパールしか思いつかない……
映画「ワンス・アンド・フォーエバー」の第7騎兵連隊第1大隊と大隊長のハル・ムーア中佐のセリフ、諸君らと神に誓おう!戦場で敵と戦う時には、私が一番最初に足を降し、一番最後に戦場を離れると!戦場には誰一人、置き去りになどしない!を地で行ってますね。
大本営の現場を無視した作戦立案、南方方面軍の兵站無視の指導の犠牲者ですね。本間雅晴陸軍中将、安達二十三陸軍中将もぜひ解説お願いします。
宮崎繁三郎も陸士で同期の栗林忠道も、中学出身で幼年学校出身じゃないから人事で冷遇なんだよね。
宮崎さん立派な人間だ。まぁサンジャックは判断を誤ったけど。
そうなんですよね。目標はコヒマなんだから...
@@Jun-ou3nf さん旧日本軍にも戦闘地境という戦術的概念があり戦術教育もなされてましたが、いざ目の前に敵がいると思うと攻撃してしまう(苦笑)
もし出来たら中川州男も解説お願いします
牟田口廉也って今の政治家と似ているちゃんと日本の行く末を視えていて未来の為に戦ってくれた方々のおかげで今がある本当にありがとうございました。
この方は「知られざる名将」としては、著名になりすぎましたよね。自分が初めて宮崎中将の名前を目にしたのは1984年の文藝春秋の「陸海軍の将軍ランキング」的な企画記事。宮崎中将は陸軍の2位でした。ちなみに1位は今村均で3位が阿南、石原の両人が同着。牟田口は下から2番目で、ビリは富永でした。
インパールは成功したほうが地獄だけどな。食料の現地調達が無理なんで(飢饉で百万単位で死んでる
宮崎閣下「あの〜将官自ら火炎瓶を作ってましたは?」
まさに 銀英伝のアムリッツァにおけるヤン・ウェンリーw
男塾塾長みたいな猛者方ですね
特務機関とかにも結構ついているみたいだけどがむいてなさそう。
工藤俊作もお願いしたい…!
写真見てるとこち亀の大原部長に見えるよ
牟田口が偉そうにしてるようでは負けるわ
心で部下を掌握できているけど、商人系軍人のせいか将軍に見えない。
自衛隊の空挺団の団長のような上官みたいだ。
え?あのハカイダーのことか??
宮崎さん
無謀な作戦ってのは皆わかってたんだよ。現地の人に懇願されて決定したんだよ。正義のために戦ったことなんだ。
だめな作戦の名将は、逆に害かも。
笹井亮平、インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか、文藝春秋がおすすめです。詳細英歴史家たちが「グレイテスト・バトル」に選んだ死闘。なぜ“常勝”日本軍は敗れ、連戦連敗のイギリス軍が勝利したのか。
良い動画だなぁと思って見終わってからWikipediaを見たら、台本かと思う位動画の内容そのまんまだった…。テンポとかは悪くないですが、流石に丸パクリでなくもう少しオリジナルで作った方が良いと思いますよ。
wiki丸パクリの動画多いよね。特に軍事関連は。
多いだろうけど戦後は軍から距離を置いて他の軍人のように回顧録も出さなかったからね。元ネタは豊田譲氏の書いた伝記だけ。後は娘さんの書いた伝記があるけど希少本として高値で取引されてるだけだから情報が少ない。存命中なら明治大学の学長を勤めた息子さんの宮崎繁樹氏にどういった人物だったのか聞くべきだったんですけどね。まあでも十分に映画化値する人生だと思う。
宮崎繁三郎陸軍中将は、
太平洋戦争名将十傑の一人。
ノモンハンやインパールの名将だけで
なく、
戦後は、捕虜収容所にて
部下がイギリス軍から不当な扱いを
受ける度に、
イギリス軍に厳重な抗議を行い、
撤廃させる等、
復員する迄部下を命懸けで
守り抜いた人間です!
インパールのみならず帝國陸軍の良心を代表する、「真に責任を果たした軍人」だと思います。
公務員上司に限って 責任事になると 部下に押し付け逃げる、その後 悪状況になると部下の せいにする。
特に住民苦情対応、これ現実。
大和田常務「部下の手柄は上司のモノ! 部下の失敗は部下の責任!」
宮崎中将はもちろん立派ですが、抗命しながらも撤退を決断した佐藤将軍も立派だと思います。
佐藤将軍を支持します。ウィキペディア散々書かれてますが、自ら軍事裁判で銃殺を覚悟に部下の将兵を救ったのは偉大。
インパール作戦では無謀な作戦をさせて兵士を大量に死なせて自分は司令部の安全な場所で芸者と遊んだ司令官の牟田口と、激戦の中ので兵士と苦労を分かち合い、極力兵の犠牲を押さえて撤退で落伍者を出さないで軍を維持した宮崎中将で指揮官の差がハッキリ出た。
何かの戦記漫画ではインパール撤退作戦では敵の補給集積所を襲って奪った物資で撤退していましたからね。
@@ae190713 リアルでは違う。鹵獲した大量の燃料は本隊が隠匿しなかったため空襲で炎上。ロクな補給も無いまま、例の佐藤さんの独断撤退の殿として戦闘しつつ、後方にやっとの思いで撤退したら...味方の集積所には大量の物資が。宮崎さん、ブチ切れ。
インパール作戦自体は無謀じゃなかったんだけどなぁ。
作戦開始前に英軍の増援が来てなきゃなぁ
@@OB-ho3bt 進軍時までは完璧だった!!
君やつの動画見たであろう(・∀・)ニヤニヤ
@@常連のドイツ皇帝 だ、誰の事かな?!わ、分からないなぁ~?
「指揮官としての責任感」という言葉が軍服を着て歩いているような人物だったのですね。
このような上官の下で戦ったのであれば、例え戦死してしまったとしても、無念ではあっても納得だけは出来たかもしれません。
ノモンハン、インパールと悪名高い両作戦に参加して優先奮闘しかも生き残ったところに価値がある
上司とはかくありたいと思わせる姿ですね。
日本陸軍では本当に少なかったまともな将軍の一人。しかし甘粕さんの下で特務機関とは意外だった。
宮崎さんのご冥福をお祈りいたします。
この人こそ後世に語り継ぐべき
最期の言葉は
歴戦の勇者でなければ
出ない言葉 ですね
高木俊朗著「インパール」シリーズを読むと、牟田口・川辺のみならず上層部の無為無能と組織の機能不全がよくわかる。
佐藤将軍に言わせると大本営、南方軍、ビルマ方面軍、第15軍の馬鹿の4乗がインパール作戦の悲劇を招いたのだと。
罵倒されても仕方がないと考えてしまいますね。
僕も宮崎中将は大好きです。
憧れと言うか目標としてる人で、「こんな中間管理職になりたい」って思ってますが…
未だに役職すら付きません笑
宮崎閣下と聞いたらインパールしか思いつかない……
映画「ワンス・アンド・フォーエバー」の第7騎兵連隊第1大隊と大隊長のハル・ムーア中佐のセリフ、諸君らと神に誓おう!戦場で敵と戦う時には、私が一番最初に足を降し、
一番最後に戦場を離れると!戦場には誰一人、置き去りになどしない!を地で行ってますね。
大本営の現場を無視した作戦立案、南方方面軍の兵站無視の指導の犠牲者ですね。本間雅晴陸軍中将、安達二十三陸軍中将もぜひ解説お願いします。
宮崎繁三郎も陸士で同期の栗林忠道も、中学出身で幼年学校出身じゃないから人事で冷遇なんだよね。
宮崎さん立派な人間だ。
まぁサンジャックは判断を誤ったけど。
そうなんですよね。目標はコヒマなんだから...
@@Jun-ou3nf さん
旧日本軍にも戦闘地境という戦術的概念があり戦術教育もなされてましたが、いざ目の前に敵がいると思うと攻撃してしまう(苦笑)
もし出来たら中川州男も解説お願いします
牟田口廉也って今の政治家と似ている
ちゃんと日本の行く末を視えていて未来の為に戦ってくれた方々のおかげで今がある
本当にありがとうございました。
この方は「知られざる名将」としては、著名になりすぎましたよね。
自分が初めて宮崎中将の名前を目にしたのは1984年の文藝春秋の「陸海軍の将軍ランキング」的な企画記事。宮崎中将は陸軍の2位でした。ちなみに1位は今村均で3位が阿南、石原の両人が同着。牟田口は下から2番目で、ビリは富永でした。
インパールは成功したほうが地獄だけどな。食料の現地調達が無理なんで(飢饉で百万単位で死んでる
宮崎閣下「あの〜将官自ら火炎瓶を作ってましたは?」
まさに 銀英伝のアムリッツァにおけるヤン・ウェンリーw
男塾塾長みたいな猛者方ですね
特務機関とかにも結構ついているみたいだけどがむいてなさそう。
工藤俊作もお願いしたい…!
写真見てるとこち亀の大原部長に見えるよ
牟田口が偉そうにしてるようでは負けるわ
心で部下を掌握できているけど、商人系軍人のせいか将軍に見えない。
自衛隊の空挺団の団長のような上官みたいだ。
え?あのハカイダーのことか??
宮崎さん
無謀な作戦ってのは皆わかってたんだよ。現地の人に懇願されて決定したんだよ。正義のために戦ったことなんだ。
だめな作戦の名将は、逆に害かも。
笹井亮平、インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか、文藝春秋がおすすめです。
詳細
英歴史家たちが「グレイテスト・バトル」に選んだ死闘。なぜ“常勝”日本軍は敗れ、連戦連敗のイギリス軍が勝利したのか。
良い動画だなぁと思って見終わってからWikipediaを見たら、台本かと思う位動画の内容そのまんまだった…。
テンポとかは悪くないですが、流石に丸パクリでなくもう少しオリジナルで作った方が良いと思いますよ。
wiki丸パクリの動画多いよね。特に軍事関連は。
多いだろうけど戦後は軍から距離を置いて他の軍人のように回顧録も出さなかったからね。元ネタは豊田譲氏の書いた伝記だけ。後は娘さんの書いた伝記があるけど希少本として高値で取引されてるだけだから情報が少ない。存命中なら明治大学の学長を勤めた息子さんの宮崎繁樹氏にどういった人物だったのか聞くべきだったんですけどね。まあでも十分に映画化値する人生だと思う。