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以前(もう15年以上前ですが)働いていた老人ホームで作戦に参加していた方がいました。その方は食に対して貪欲でついに経口摂取が難しく胃瘻(お腹にチューブを作り、栄養剤を流し入れる物)になっても「食べたいと」強く希望し家族の方と相談して、肺炎や窒息などの危険も伝えた上で1日の内1食はミキサー食を口から食べていました。「俺は(亡くなった)仲間の分まで食べると決めたんだ」が口癖でした。最後は誤嚥性肺炎で亡くなりましたが、今でもその方の事はよく覚えていて、この作戦の話を動画で見る度思い出します。解説ありがとうございました┏○ペコッ
私の祖父はインパール作戦に参加しました。佐藤師団長のおかげで、指だけでも祖母の元に届けていただいたことは、本当に感謝してもしきれません。先日祖母が祖父の元に旅立ちました。2人の仲睦まじい写真は私の胸に、深い憤りと悲しみを感じさせます。牟田口含め無能がいかに危険であるかを再認識してくれることを願います。
>私の祖父はインパール作戦に参加しました。どこの連隊ですか?
申し訳ないのですが、まだ祖母が元気な時に聞いた話なので、佐藤さんという偉い軍人さんが祖父の指を届けてくれたんだよ。とだけ幼い私に伝えてくれました。少し興味があり調べてみたところ、祖母が伝えてくれた師団長は、インパール作戦だと31師団の佐藤師団長だけでした。さらに、他の遺族の方々の話や祖父の戦友の家族の話では、間違いなく祖父の指は佐藤師団長から届けられたそうです。所属は確か、58連隊だった気がします、曖昧な記憶で申し訳ございません。私自身、その時代そこに生きていたわけでもなく、何かできたわけでもないですが、少なくとも全力で私たちを守ってくれた祖父を私は誇りに思います。拙い日本語で申し訳ないです。涙が出てしまい上手く書けません。ごめんなさい。
@@ルーク-m2q私の祖父と曽祖父は第六師団です。親戚のおじさんは海軍航空隊で戦死しましたが、親戚のおじさんの奥さんが話してくれました。
この人にそんなこと言う必要がありますか?この人になんの責任があるんですか?コメ主さん1人の遺族です。
うわぁ...
牟田口司令官がインパールの前に計画されたインド侵攻作戦に補給の問題を指摘して中止させた事は、最近いくつかの動画で見ましたけどもっと知られるべきですね。つまり、牟田口司令官は補給の重要性を゙本当は知っていだ人物なのです。それなのにインパールの時には補給問題を意図的に矮小化して作戦を強行しています。これは牟田口個人の問題ではなく、日本軍の組織的な問題です。理論的に無理だ、やってはダメ、このまま続けたら大変な事になる、と分かっていても、政治的な理由で止められない。これは別に旧日本軍の問題ではなく、今の日本の政府や企業といった組織の多くが抱えてる問題です。「インパール?ああ牟田口が馬鹿だったんだろ?アッハッハ」で思考を終わらせてしまったら、過去の英霊の犠牲から何も学んでないことになります。
そういう奴らは運搬車を要請したのは牟田口で80%以上を漁礁にしたのが海軍…って説明すると発狂するんよなぁw人格攻撃と話題逸らし以外の手段無くて笑うしかない
全くその通りですね個人に矮小化するのではなく、組織全体、軍全体、そして日本国民全体に敷衍して考えなければインパールの失敗は苦い教訓にはならないと思うもっと言えば程度の差こそあれ、社会生物としてのヒト全体の問題であるかもしれない誰もが間違っていると分かっていても止められない、後世の人間から見れば狂ってるとしか思えない決断(多分当時の人間も狂ってると思ってる)によってとんでもない結果を招いた事例は世界史上限りなくある・・・ただまあ、それはそれとして、個人が責任を取らない、責任を取ったように見せても「禊が済んだ」などという謎の概念で村社会のボスが反省なく返り咲くという悪癖は日本固有のものとしてあるのも事実で、こっちも頭が痛い問題だと思う
@@einsfia 言い訳を良しとしない日本陸軍に乗じ失態の多かった海軍がどうにか陸軍も悪いって事にしようとありもしない責任を押し付け牟田口の「さすがにそれ理不尽過ぎない?」って声を嘲笑に変えた感
そういう意味では、消費税にこだわる政府・与党がまさにそんな感じ。消費税を廃止すれば、今抱えている問題の多くが解決する。
@@とらねこ-v3h 消費税って需要はあるけれど供給がないって時に効果的だけれど結構前から日本は供給過多で需要を延ばさないと経済動かないよって状態だしな買い物したら10%罰金って状況では個人預金1000兆突破してまだ伸びるのも当然まさに北風と太陽の北風やんけw
軍部全体の腐敗はそうなんだが とはいえ牟田口と河辺の作戦の打診に来た時「彼もやりたいと言ってるそうだから」と思い出作りみたいなノリ中止の打診に来た時「作戦中止の話をしに来たのは分かった。だが私の顔色によって察して欲しかった」と思春期の乙女のようなノリ結局この二人のノリで作戦が始まり、やめ時を決断できなかったことで数万人が死んでしまった
牟田口だけが槍玉にあげられやすいが、河辺や寺内も大概だこの作戦にはどこかあと一手が足りなかっただけかもしれないが、この組織的な病は現代日本でもまぁ直ってないと感じる
どこの国でも軍隊は官僚組織、役所。ビルマ戦域だったか、日本軍は何度失敗してもいつも同じ作戦で攻めてくるから、しまいにこれは罠かと思ったというイギリス兵のドキュメント番組があった。
川辺虎二郎
河辺を郷土の偉人にしている富山県という素敵な県があってだな。
杉山も同罪ですかね。作戦部長だった真田は反対だったが杉山から寺内さんが是非やりたいと言っているから同意してくれと説得され渋々同意したそうです。彼は晩年、情に流され将兵を無駄死にさせた事を激しく悔いたそうです。
まぁ、牟田口は皇道派で五一五と二二六の青年将校と関わりがあったし盧溝橋も酷かったから。
この撤退で「一人も取り残さない」と自ら殿を務め、末端の兵士も倒れれば自ら運んだりして指揮した宮崎少将は本当に名将だと思う。
@wolverin しょせん侵略戦争の指導者に「名将」なんてあるはずない。
まだその思考で止まってるの、か
@@伊藤せら-q7s 軍国主義者が「名将」? 滑稽そのもの。
@@コバヤシチヨジインド侵略したイギリス軍の方が侵略者
なぜ軍国主義者が名将になれないのか、説明出来ますか?
人情論先行かつ曖昧なままで進めると碌なことないと先人たちが教えてくれたのに、活かせてない人たちが多いこと…
牟田口の悪質なところは、無知な英軍軍人の言ったことを根拠に、最期まで反省も謝罪もせず、自分は正しかったと言い続けたこと。
特に欧米の戦闘回顧は「敵は強かったがそれを倒した我々はもっと強い」というスタンスで書かれる事が往々にしてあるので牟田口への一定評価は額面通り受け止めべきじゃないんだが、本人はそれを真に受けてるんだよね...
@@hrak3980 無敵艦隊とか最たるものですね。当時の海洋覇権国家スペインが頼みとする常設の大艦隊を海戦にて英国海軍が華麗に打ち破った!ってイメージありますがその実態は・・・
英軍からしたら勝利の理由になった名将w
無知な英軍軍人ってそんなわけないでしょw何なら今の時代の軍人よりも詳しいでしょw論破
実際英軍の戦力配置が間に合ったのは日本軍がコヒマに突入する直前(それまでコヒマは戦力不足でガラ空き)だったので割と危なかったのは事実
本当に恐れるべきは優秀な敵兵でなく無能な味方という言葉の重さを思い知らされる反面教師となる戦争ですね・・・
将官が無能なんだよ。
ナポレオンも地獄で泣いてるよ😢
毎度のごとく質のいい動画をありがとうございます🙇🙇
ないとう?
牟田口が胸糞悪いのはこれの失敗そのものよりもその後だから
なんだかんだ戦後生き残ってるからなw
自分の非を死ぬまで全く認めなかった。
あの人物は前線司令部にも芸者を派遣してますからねえ。女好きな将官は何人もいますがこんな将軍閣下は他にいますかね?
自分は昔、戦史に興味があってその時にインパール作戦を知り、実際に従軍された方の手記を文庫にされたものを読みました。その方は第31師団隷下新潟58連隊所属の方で、命からがら日本に帰還することができた方でした。その方は手記の中で、戦友たちとの会話の中で、ディマプールまで行けば勝てたと牟田口が言っているが、とてもコヒマからディマプールまで行ける状況では無かった、コヒマを維持するだけで精一杯だったし、よしんばディマプールまで行ったとしてもそこで全滅して終わっただけだ、現場を見ない司令官が何を言うかと激怒していました。山岳地帯を武器弾薬を全く運べない日本軍にはあまりにも無謀な作戦でした。
福岡第124連隊は先にガダルカナルで大変な飢餓の戦いを経験しており、生き残った方はその命あることを泣いて喜びあったそうですが、インパール作戦に参加し、ガダルカナルと同じかそれ以上の飢餓戦に投入され、俺たちは本当に運が無かったと運命を呪い、その生き残った方達も命を落とされていきました。本当に心からその魂の安らかなることを願わずにはいられません。
日本人は、大和魂がある!弾丸も食糧も無ければ潔く玉砕するべきだったと! むざむざと撤退して敗残兵として生き恥晒すなら白骨街道の白骨の一柱になった方がいい。
そうなんだけど、このUP主のように妄言を信じちゃう人がたくさんいるのよね。
@@義昭楽厳寺 124連隊の人たちの経験のおかげで助かった人たちもいるようですよ。例えば、124出身の人たちはガダルカナルの経験から絶対に地面に直に横たわって寝なかった。それを見習った人たちは生き延びる可能性が増えた。
ガッツリとした解説ありがたいです。知らなかったことがたくさんありました。
ウクライナの話しでも、「兵站」の話しが上がっていましたね。食糧や物資の現地調達の慣例、現地司令官の独断専行による戦線の拡大、何か日本軍の悪癖が極まったんだったんだと感じます。戦没された方々の、ご冥福をお祈りします。牟田口司令官にも責任はありますが、上層部にも作戦への責任はあったと感じます。とかく、戦犯や悪者を、個人に探しがちな環境では、失敗の根本をなおせない気がします。宮崎繁三郎中将は、戦後骨董店の店主として余生を送られ、亡くなる際はうわごとで「みんな、ちゃんと逃げたか?。」とインパール作戦時の事を言われたと聞きます。お話し面白かったです。長文すみません。
インパール作戦の行軍の写真をカラー写真に加工したのを見たことがある。まるでサーカス一座が行軍している様な感じだった。本当に無茶苦茶な作戦でしたね。終戦間際だったので、錯乱していたのかな?
兵站の欠落の恐ろしさは、勝利を確定させず、敗北を不可逆にすることにある。たとえ戦術的勝利で一時的に押し込んでも、イギリス軍は撤退するだけで兵力を壊滅させた訳ではないので、日本軍は維持できず結局は戦力消耗しただけという戦略的敗北になったでしょうね。
牟田口が雨季直前に作戦を強行した理由がここにあって、一度押し込まれれば雨季の中反攻作戦をすることは流石のイギリス軍でも厳しいのですよねつまり一時的な戦術的勝利でもそこそこの期間最後の援蒋ルートは遮断できるし、雨季が終わって英軍の反攻が始まってもインパール一帯を防御縦深として使うことが可能になります
こんな作戦、断固を止めるのが真の名将である。こういう人間が出世してしまうところが日本の問題であり、それは現代でも同じ。
将、帷幕に在りや君命に従わざる所あり中国戦線では食料を現地調達可能だったので少ない携行食でも作戦続行が可能だった
ジャワは極楽、ビルマは地獄。死んでも帰れぬニューギニア。
台湾も極楽だった‼️😅
小生は大連で鍋料理をいただきます😋
トラック洋上に浮かぶる戦艦武蔵にて悠々と過ごす哉
うちの爺様はニューギニアで捕虜になって、生きて帰国した200人余りが派遣されて、生還したのはたった7人と、生前何度も聞かされた
未帰還な戦没者の遺骨を思うと、まさに“死んでも帰れぬ”か。
会社も戦争も大敗北の原因は大抵「引き際を間違える」だと思うな
バブル期にイケイケだった会社が崩壊した途端にそれまでのやり方が通用しなくなってバタバタ潰れたことを思い出す。
やりたかったことはわかるのだが、これしか方法がなかったのか? とも問いたい作戦。そして作戦立案の牟田口は非難されてしかるべきだが、止めなかった上官の河辺大将もせめて予備役送りくらいはしないと・・・
インパール作戦に関しては人間関係大切にして上層部に作戦が認可されてったから予備役送りには構造的にならないと思う
これをやらないとビルマから総撤退しかないから。
河辺は更迭どころか、インパール後に大将に昇進してるからな。
ディマプールまで牟田口中将が進撃することを指示していたことを初めて知りました。これにより自分の中では牟田口中将は愚将の評価ではなくなりました。多分牟田口中将の中ではインパール包囲と見せかけて実は31師団によるディマプール強襲が主攻でインパール攻撃の2個師団は31師団の背後を付かせない為の陽動の攻勢だったのでしょう。このインパール作戦の少し前日本軍はビルマ南部のアキャブを包囲攻撃してますがイギリス軍の優秀な火力の前に包囲状態だったのに撃退されております。つまり今のイギリス軍は包囲しても倒せない段階まできている。きっと牟田口中将は理解していたでしょう。ではどうすれば勝てるか?奇襲によってコヒマを陥落させ混乱状態のイギリス軍をディマプールまで追撃してそこで物資と優秀な火器を鹵獲して火力を強化して引き返しインパールを攻撃する。これしかなかったでしょう。突然の思いつきの作戦変更のように感じますが、この時期暗号なと情報漏れは薄々感じてはいたでしょうから、真の目的は直前まで秘匿するつもりだったのでは?惜しむらくは河辺大将に作戦変更の柔軟性がなかったこと。牟田口中将は勝つ為の唯一の手段は行なえていたかと思います。座して死ぬよりはい出て活路を拓かん。そしてインパールを陥落させた上でインド国民の蜂起に掛けるこれしか無かったというかと。ちなみに自分はディマプールまで進撃しても手前で撃退されて結果変わらずだと思います😂
初めまして。後期高齢者の一人として、太平洋戦争の失敗に関して、真珠湾奇襲攻撃で成功して以来、ミッドウェー海戦。ガダルカナル島争奪戦。サイパン海戦。など、の失敗の研究は 良く公開されてましたが、インパール作戦の原因は 良く分かりませんでした。今回の解説で わかり易く説明してくれて感謝してます。これからもよろしくお願いします。
日本国民の1人としてきつい時代をなんとか耐えてくださったあなたのような世代には感謝しかありません
面白いを動画をありがとうございます!リクエストなど受け付けていますでしょうか??もし受け付けているようでしたら、中先代の乱お願いします!
牟田口が老人になった時に自分が正しいとまだ信じ込んでるインタビュー動画があるから見てほしい
今でも現地調達スタイルの軍はあります。現地調達式なら穀倉地帯で平坦であること、あくまで繋ぎですね。急峻な山をロバを使って砲を輸送するってナポレオンか?バイキングか?ちょっと教育がおかしかったですね。
大勢の日本兵が上層部の無能な作戦の為に戦いもせず倒れていった事に涙が禁じ得ない。合掌
補給をせず多数の餓死者を出したインパール作戦、しかしインドでは、インパール作戦をインド独立の始まりとして高く評価しています。
牟田口が英国の工作員だと仮定すると丸く収まる怖さ。
コードネーム、ジンギスカンとして暗躍。
そうとしか思えないよな戦後、刑罰も受けてないし
その無謀作戦に周囲の上官も賛同しちゃってますやん
@@elohelloelohello9209全員工作員なんやろ
インパール作戦の兵棋演習内容は英国にバレていた事を考えると司令部内に英国スパイがいた可能性は否定出来ないかと。
インパール作戦の話になると大体佐藤師団長と宮崎少将が手放しで名将と褒め称えられることが多い中、佐藤師団長への批判的意見にも触れていたのが良かったと思います。第15師団、祭兵団は第31師団、列兵団の動きにかなり苦しんでいます。インパール北で街道を遮断している祭(作戦開始時たった5個大隊)は烈の独断撤退によって南北挟み撃ちに危機にさらされた上、後方の物資倉庫からなけなしの食料を撤退する烈の兵に持ち去られ(祭関係者証言、烈関係者は祭の兵が全部前線に運んでいったから元々なかったと証言)、撤退路の食料となるものは根こそぎ食われたことで撤退時の大量餓死につながります。殿の宮崎支隊の戦いぶりは見事でしたが、街道沿いに後退して祭と合流するはずの宮崎支隊は限界を迎えて突破された際に祭に連絡できずに(できる状態ではなかったのでしょうが)東に単独撤退。北は名将宮崎が守っているから安心していた祭の後方拠点ミッション(少なくともミッションの部隊は北からの脅威を知らなかったようです)の野戦病院と、3トンの米をかき集めていた師団倉庫が蹂躙されます。動画界隈で人気の英印軍グルカ兵に将校以外の患者たちが石油をかけられて生きながら焼き殺される様子と叫び声を、這って逃げ延びた患者たちが山腹から涙ながらに眺めていたといいます。佐藤師団長の決断と宮崎少将の戦いぶりは称えられてしかるべきものと思いますが、その陰で割を食った15師団の将兵のことも知っていただければ幸いです。
グルカ兵って本当に野蛮人なんだな 土人そのもの
そもそも開戦の時ですら、文官のみならず海軍幹部まで勝てる見込み無しと思ってた戦争ってのが虚しいな。。陸軍指導部はどんだけ無能だったんだよ😢
「昭和18年の敗戦」という本をおすすめします。
旧日本軍って調べれば調べるほど嫌いになってくるんだよね
他所で「牟田口中将の悪口を言うな!連合国軍の優秀な将校だぞ!」って皮肉コメ見たときは笑ったわ。もうコレそうとしか思えないもんね
それマスオさんじゃねーか?
@@gongon505 近代日本史のゆっくり解説のチャンネルやったで。いまも残ってるかはわからんけど
@@kkout29718 ホンモノのガイキチさんかなあ?怖い。
失敗の本質という本に、本作戦の組織論的見地からの研究・考察があります。インパール以外にもガダルカナル海戦、沖縄本土戦などの研究があり、この動画が好きな人は一読の価値はあると思います。
イギリス軍の改革から見た、インパール作戦の視点が斬新ですね✨
食料が無くなって兵士たちがダイナマイトを食べ始めたというのがありました。インパール作戦に従軍した火野葦平さんの手記で「甘みがあって羊羹より柔らかく、切り餅くらいの大きさで手頃なので食べるのだ」と書いていました。
まぁグリセリンだから甘いわな
なんか他の戦争でも火薬を食糧にしたって話聞いたな…ダイナマイトじゃなくて最初から羊羹持ってくりゃ良かったねえ(白目)
@@gunsoviva1633 ロシア兵なら航空燃料でパワーUPしますね。
ガバ組織…失敗を認めない人が失敗を認めて改善する人に勝てるわけないんだよなぁ…
ジンギスカンが失敗した時点でもうすでに補給もほとんどなく戦闘開始時点でけが人病人だらけで全員お腹ペコペコ状態でしたからね
牟田口「…(もう止めたいなあ)」河辺「…(やめたそうだなあ)」牟田口「最後までやります!」河辺「まあ、とにかく頑張れ!」
寺内寿一「(俺のせいにされたくないなぁ)」杉山元「(俺のせいにされたくないなぁ)」瀬島龍三「(俺のせいにされたくないなぁ)」服部卓四郎「(俺のせいにされたくないなぁ)」東條英機「俺のせいにされたくないなぁ)」
いつも楽しく学ばせて貰ってます。ありがとうございます♫
すごい、50分を一気見してしまった。
まぐれでこの時イギリスやっつけても、延命できただけでどうせ負けてたな…
幹部達と言うより、日本帝国軍の組織としての統率の無さも原因の一つか。クレイジーカントリーと言われるぐらい体勢が狂信の如く強引すぎた、或いはそうせざるを得なかったのかなぁ・・・。解説お疲れさまです。
私の父は八甲田山で有名な青森第五連隊を経て陸軍航空隊に所属されたそうですが戦争の悪化と共に航空機が無くなり最終的に歩兵としてこの「インパール作戦」に参加させられたようですが奇跡的に助かり、しかもシベリヤに抑留されたそうです。そこでも奇跡的に助かり昭和22年に日本に帰還したようです、帰還できたのが軌跡でしたので長生きして欲しかったのですが、73歳で生涯を閉じました。
配信を、ありがとうございます。
NHKのドキュメンタリーで現地の人がいまだに日本兵の幽霊が出るって言ってるのが印象的だった。どうか安らかに日本に帰ってきてほしい…
無駄口叩くより牟田口叩け、ですね。
牟田口牟田口って思考停止するんじゃなくてもっと調べるべき牟田口がダメというより日本軍全体がそもそもとしてクソだったとしか言いようがない
組織の連携って大事ですね
イギリスの評価ってのは「相手は強かった、それに勝った俺はもっと強かった」と言う、自身の箔付けにするものだから鵜呑みにするのは危ない。
アメリカの輸送機借りれなかったら雨期の中撤退する羽目になってたのは英側なのに?
@@そらきち-u4tインド植民地軍70万だぞ。増える見込みの無い3個師団でどうするんだ。
いやイギリス防衛が紙一重だったのも事実なんだよ。
確かに上司の決裁があるから責任は分散されてもおかしくないように見えるけど、決裁に必要な情報は与えられていたのかどうか疑義があるなぁ。それらもひっくるめて上司の能力だとは言えるけど。熱意のあまり、いい意味での責任転嫁に失敗してるようにしか見えないな。もしくは否決されないために意識的に情報を絞ったか。ある意味承認欲求が盲目にさせたんかな。詳しく知らなかったけど改めて牟田口―河辺ラインクソだなって認識した。くだらない人情で消耗させられたら兵士や親族らはたまらんわな。
とてもハイクオリティな動画でいつも楽しみにしてます!第二次世界大戦の沖縄戦の解説を見てみたいです
イギリスインド軍は主力を北アフリカに引き抜かれているから戦力不足です。ウェーベル自身、ロンメルに負けて北アフリカからインドへ左遷させられた将軍
今に至るまで変わることのない日本型組織の問題点が凝縮されていると思います失敗を認めて臨機応変な対応をすることができない
別の人の動画になっちゃうけど空から戦況を見る動画があるんだけどほんと無謀でしかない
動画で使われてるBGM教えて欲しいです
これがパワポケ2のトンカツ作戦の元ネタか…牟田口が酷いというより組織そのものが穴だらけという
この作戦でおばあさんのご兄弟が戦死したという話しを直接聞きました。おばあさんがこの作戦の全容を知ったらと思うと、胸が張り裂けそうで、思わずトイレに逃げてしまいました。ごめんなさい
インパールは生還した兵も多かったから悲惨だという話が広まった。フィリピンはほぼ全滅だ。フィリピンの悲劇はインパールと比べ物にならない。シンプルに死者数が違う。
この作戦で蒋介石軍への弾薬は止まり 1ヶ月後大陸打通作戦が決行された50万の日本軍が100万の蒋介石軍に勝ち 大陸からの渡洋爆撃は阻止できた
この作戦でインドを独立させた、チァンドラボースの強い要請もあり実行した牟田口司令官は英雄である。東京裁判を否定しましょう。植民地解放国家🇯🇵\(^_^)/ジジーより
私の祖父はインパール作戦に従軍していましたが、ヤギや馬、ロバに乗っていました。衛生面では気を遣っていたそうで、大した怪我も無く終戦を迎えられました。
そいつは凄え。
@user-mc1nr2pf3r なんか旧日本軍っぽいコメント
@user-mc1nr2pf3r 大阪の安連隊ですね。あれは最悪なことをいろいろやったらしいですよ。
天の時は地の利にしかず、地の利は人の輪にしかず。心の底からこれ。
「牟田口がそこまで言うのならやらせてみようじゃないか」という発想、その後も省庁で宦官官僚たちが無茶苦茶やる時に使われ続けていますよ。「寺脇君がそこまで言うのなら一度やらせてみようじゃないか!」と言ってやったのがかの「ゆとり教育」な。
今の日本のようなお伽話。出鱈目な計画を行なって、失敗があからさまになっても、撤退を決断できずに、いつまでもずるずると、誰も責任を取らずに、最後に泣くのは、誰々
トンキン五輪を彷彿とさせますね。大阪万博もきれいにその線を辿りそう!
@@gtky8dbzrfqghngoyotegc.on77ezr 誘致段階の予算から倍以上に費用が膨れ上がって、税金が投入されたのは、なぜなぜ?
東京五輪なんか膨大に膨れ上がる社会保険からすればただの砂山にすぎんよ
日本人は役人や経営者、はたまたプロスポーツ監督なんかでもしばしばあるけど、「失敗したらどうする?」を考えない欧州の戦争はまず敗けた時にその後どうやっていけるか、を考えてから戦端を切る可否を決定すると聞く日本人はそこら辺の考え方がいつも「成功する事」しか考えず、「失敗したらその時はその時」「やる前から失敗する事を考えてどうする」的な思考が支配してしまう失敗や敗北にも小さな失敗と大きな失敗、挽回出来る敗北と取り返しのつかない大敗北がある事を考えないのが…ね
公務員がまさにその思考だ何でもかんでも右上がりになるのが当たり前と思い込んでいる引き時を知らないどころか引く気すらそもそも無い
イギリス人に山越えが出来たから日本軍も出来る。と言う考えがそもそも間違いです。イギリス軍は航空機による空中補給をやっていました。ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈はじめ、そしてこのアラカン山脈もイギリス測量隊が地図を作ったのです。その大昔のイギリスの地図を元に作戦を立てたのです。牟田口は偵察機を飛ばすと撃墜される。と言って、十分な偵察をしませんでした。牟田口は平地はともかく、山岳戦はド素人です。兵士全員に物資を持たせてそのままインパールを目指すのはアルパインスタイルです。インパールに辿り着いても物資は足りません。このような長駆に渡る山越えをするには極地法と呼ばれる、物資を前線へ蓄積し、補給のためのキャンプを作りながら進むのが正しいです。もちろん戦争なのですから、武器、弾薬も運ぶ必要がありました。
私が高校1年生のときの「生物」の先生が、インパール作戦の生き残り。授業中に、当時の話をききました。敗走中に、看護兵が残していた消毒用アルコールの瓶を見付け、体のキズに湧いていたウジにかけて、一命をとりとめたとのこと。食料、兵站の確保という基本を無視していた。戦争でなく、餓死。
動画を見た範囲ですが、ディマプル攻略が戦術的に鍵になっていたというのは後知恵なんじゃないですか?牟田口がそれを理解していたら計画に含めて上層部と重要性を共有していたはずでしょう。一方、河辺がそれを止めたのは正しい仕事。それが有利である根拠が無いのですから。牟田口はインド深部侵攻という勝手に描いた雑な戦略のためにディマプル攻略を命じたように見えましたね。もちろん後から判明したディマプルの重要性は牟田口の自己弁護に利用されたことでしょうし、それは約80年後の現在においても。とにかく、ラッキーパンチが当たりそうだったからといって牟田口が有能な作戦立案をしたという気にはなれませんね。
知識披露する為に動画もろくに見ずに長文打つのやめた方がいいですよ😮
@@みっかぼうずっていった よくわからないので具体的に指摘していただけますか?
もし、ディマプルを目的に進攻するなら、作戦計画の時に上申して含めるべき。同意します。戦後の後知恵で何とでも言えますね。
最初の30秒で高評価押しました。もっと学ばせていただきます。
インパール作戦は、制空権、戦い自体も最初は取れていました。撤退時に制空権を失っただけでそこまで酷い状態では無かったと思います。ただ言えるのは牟田口さんが無理な作戦を立てたのは事実だと思います
まあ1944年当時の日本軍に無理のないかつ戦局を好転させる作戦立てろってのが無理な話なんですけどね
計画そのもの立案に無理があった。例えば東京を出発点として目的地のインパールは岐阜県までをアラカン山系(アルプス山系)の山々を越えて進軍するんですよ。兵站の専門家、小畑参謀は大反対しましたが消極的だとして左遷られています。
南宋の秦檜みたいに銅像が建てられたら、皆こぞって唾を吐きかけるレベルの対象ですね。
イギリス軍が日本の作戦を高く評価しているように見えますが、勝った側というのは負かした相手を高評価するもんなんですよ。自分たちが、いかに危険な状況を克服し、勇戦して逆転勝利したかをアピールしたいから。無能な敵を楽に打ち破ったなんて言っても、誰も尊敬してくれないからね。スペイン艦隊を「無敵艦隊」って名づけたのが、勝利したイギリス側だったって例を考えればよく分かる。
別の動画ではありますが、インパール作戦はシンガポール攻略やビルマ攻略で捕虜としたインド人兵の嘆願があったのではないか、という推察がありましたね…日本人サイドだけでなくインドの外にいたインド人の立場からもこの作戦について考察をしてもよいのでは、と思いました
武器弾薬、糧食すらもなく、ようやく辿り着いたコヒマから更に進軍など論外の状況でした。既に佐藤師団長が率いる師団は餓死者や病死者が続出し、防衛網すら築けない状況でした。
ちなみにこの「上層部の指示が曖昧なせいで現場に意図が伝わらずに現場で失敗する」典型例はインパール作戦だけでなくミッドウェー海戦や、日本では大成功と言われた真珠湾攻撃でも当てはまる。日露戦争での東郷平八郎連合艦隊司令長官は常に戦艦三笠の先頭に立って、右腕左腕の秋山、加藤が司令長官の指示をしっかりと現場に落とし込んだから大国ロシアに連戦連勝したし日本海海戦では奇跡の大勝利を収めた。なのに大東亜戦争の連合艦隊司令長官山本五十六は後方の大和や長門に引きこもって将棋を指していたし、軍令部との意見の衝突があってもマトモに議論せずなあなあにしていた。だからただでさえ航空戦は専門外の南雲は困り果ててしまった。牟田口廉也と同じく南雲も無能のレッテルを貼られているが、果たして南雲のせいなのか。
昔、三鷹にいたときに風呂屋に来てた靴屋のじーさんが、インパール作戦に行ったって言ってたなー。
元々資源が倍違う英米と戦って、さらに陸軍上層部は人間関係や組織を優先して無茶苦茶で現実離れした作戦を推し進めた訳だから、米・英との物量差以前の問題兵站軽視、組織重視…こんな国が戦争に勝てるわけがない「腹が減っては戦ができぬ」とはまさにこのこと
何が悲しいって先の大戦の大敗北は勿論、現代の上司にも小さな牟田口とその取り巻きが割と居るって事なのよな。変なやつが出てきた時に上司or部下が身体張って止められるかっていうのは本当に大事なんだと学べる。ありがとう無駄口。
ところが現代の会社でも止める部下は牟田口の頃と同様に左遷されるというね。
インパール作戦に従軍したうちの親戚はまだ帰つて来ない・・・
お疲れ様です。もう20年くらい昔、NHKスペシャルで、インパール作戦を取り上げていたっけ。祖父がこの作戦で行方不明になっています。戦死扱いで遺骨を祖母と父が引き取ったと聞いていますが、遺骨は無くて、現地?多分、ビルマのどこかの小石が骨箱に入ってるだけだったと、話してくれましたよ。
すごいな、こんなやつがゆったりと最後を迎えられて使い潰された部下たちは地獄の中で息絶えていった
『15軍、ビルマ方面軍、南方方面軍、大本営というバカの四乗が立てた作戦』
過ちて改むるに憚ること勿れ。。。
構成的にNHKスペシャルのドキュメント太平洋戦争第4回目インパール作戦を下敷きにしたように見えますね。
神出鬼没で有名なウィンゲート旅団だけど、補給は輸送用兼非常食のラバだけでなく空輸も多用できたのが牟田口の第15軍の置かれた条件と異なりますね。それでも戦力半壊なので、英軍であってもアラカン山脈を越えての軍事行動は大変だったんですね。尤も、南アルプス越えとか立山連峰越えでも普通に嫌ですが(笑)
冬の八甲田山で訓練しよう!まあ、すぐ帰ってこれるやろ
過去、知恵袋に牟田口に関する興味深い回答があったので是非。要約すると、彼はインパール作戦までは常勝将軍と呼ばれるほどの名将で、その地位は功績に見合ったものであった。彼がインパール作戦でしくじったのは、動画内にもある様な、彼を取り巻く環境の云々と、それから、いわゆる「ピーターの法則」にある様に、実力の限界を超えた出世をしてしまった事が原因として挙げられる。確かに牟田口は人として出来た人物では無かったが、インパール作戦は軍人として無能だと決めつけるに至るものではない。しかし、上記にある様な牟田口中将の人格を酷評する意見は、インパール作戦時など大出世してからの印象によるものが多いように感じます。実際、彼はそれ以前の、例えば師団長時代の部下や、陸士時代の教え子からは、よく慕われるなど、人格者な一面も存在した様です。このように、彼に関するある程度肯定的な意見も、ごく稀ですが存在します。思うに、殆どの場合、人間というのは一口に良し悪しと語ることはできないのでしょうか。《出典》https:/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13101294753
武装SSのディートリヒとか、ナポレオン時代のミュラやネイに通ずるものがある。有能な指揮官に盲従して戦えば猛将だが、いざ自分が決断する立場まで出世すると悪い点ばかり見え始める
出典が○フー知恵袋で笑った
迫真の出典知恵袋
アホー知恵袋
牟田口も悪いかもしれないが、それを止める機構が無かったほうがもっともっとダメだったかと
「日本軍最悪の無能は牟田口廉也でした!おしまい!」で片付けていては正しい反省は出来ないよね。
軍、輜重無ければ即ち亡び、糧食無ければ即ち亡び、委積無ければ即ち亡ぶ。 補給を 及び 組織管理 の大切さをこれほど 認識 させた 戦いはないね
作戦に参加させた兵隊は自決させて兵站解決しようとしたんだっけそもそも兵隊死なせるつもりの作戦だからこんな無謀な作戦考えついたんだろうな
日本てずっと今更やめられないという結論になった ばっかりだなあ
物量作戦自体は順調で2箇所に追い詰め包囲してる。問題は兵站計画ではなく、連合軍側の新技術であるパラシュートを使った空輸に対して対策できなかったこと(真似や退却含めて)なのに、差別的な意識で問題の本質から外れたバッシングになってる。(インドの独立派の支援要請が発端だったことを含めて)
牟田口については作戦の失敗そのものよりもその後の処置と態度が批判の対象になっているのだろう。自決を推奨する意図はさらさら無いが、それこそ幕僚の言ったように潔く腹を切るとか自分の責任を自認した態度を取り続けていれば評価はそれなりに違っていたはず。現代でも不祥事に対してきちんと謝罪した人や企業はそうそう責められることはないが、見苦しく保身に走って責任転嫁したり逆ギレしたりした者は大炎上し、許されることはない。今もプロ野球で選手として優秀だったが指揮官としては無能の極みみたいな監督が、滅茶苦茶な戦力整備をした上に采配ミスも多く敗戦続きで借金まみれ、そのくせ口を開けばミスが多い選手が悪い結果論なのでねと責任転嫁のオンパレード。そのくせ上層部は彼に甘々のズブズブで更迭の気配もなし。私は彼を「令和の牟田口」と呼んでますよ。
名古屋が本拠地の球団のT監督の事かな?(すっとぼけ)気にくわない選手を片っ端からトレードに出したら戦力が(以下略)
80年前から何も成長していないのが恐ろしいわw
インパール作戦で自由インド仮政府が従軍したという事実が何よりも重要戦後英国が反逆罪で訴追しようとしたが独立戦争なので反逆罪には問えないといって暴動が独立に繋がった
戦後はアメリカとソ連に逆らう力がイギリスに無かっただけだろ空爆で本土も疲弊してたし
その件での暴動が独立に繋がったわけではありません。既に国民会議派を中心とする独立勢力とイギリス政府との交渉によって、インドの独立は規定路線でした。要因の一つではあると思いますが、主因と呼べる事象ではありません。
この失敗は牟田口中将一人を叩けば済む、といったものではない、と確か司馬遼太郎さんが書いていらっしゃったと思いますが、インパール作戦についての解説を見聞きする度にそのように思います。
インパール作戦、ワンチャンでも成功の可能性ってあったんだ...まぁその成功のわずかな可能性も兵站も撤退も何もかもが上手くいくはずのない状態だった訳か。。
そんな感じの歴史ではなく 0:59 中国にもう一回戦争してみたんだけど結局アメリカと戦争になったみたいな感じ
間違ってはいけないのが「牟田口は兵站を軽視していた」ってとこ本来補給部隊として自動車中隊150個、輜重中隊20個他を要求してたけど最終的に届いたのは2つ合わせて18個中隊のみ医療品や軍馬も要求の2割ぐらいしか届けられなかったそのため軍馬が足りず現地徴用の牛等で穴埋めしたジンギスカン作戦は最軽量装備の第31師団が行ってた補給計画も第33師団が南部を制圧後、インパールからコヒマへ行って各師団と合流し補給を行うという計画だったまぁ結果は史実通りだけど雨季までに作戦を終わらせることが大前提だったのにそれを大幅に超過した時点で無理だったのにそれを無視して続行すればそらそうなるよと
負け方も無茶苦茶だけど偽装撤退とはいえ勝ってる時の勝ち方もとんでもないな山を越えて重砲一門担いで敵拠点の砲台奪ってボッコボコにするような部隊預けられたらどこで撤退すればいいかなんてわからんよ
普通ならビルマを押さえずに、昆明を抑えるもんだがなぁ。
日中戦争・仏印進駐・太平洋戦争 いったい何を考えていたのか⁉️
資源がないと結局は奴隷国家になるということ。
ドイツも同じ。
以前(もう15年以上前ですが)働いていた老人ホームで作戦に参加していた方がいました。
その方は食に対して貪欲でついに経口摂取が難しく胃瘻(お腹にチューブを作り、栄養剤を流し入れる物)になっても「食べたいと」強く希望し家族の方と相談して、肺炎や窒息などの危険も伝えた上で1日の内1食はミキサー食を口から食べていました。
「俺は(亡くなった)仲間の分まで食べると決めたんだ」が口癖でした。
最後は誤嚥性肺炎で亡くなりましたが、今でもその方の事はよく覚えていて、この作戦の話を動画で見る度思い出します。
解説ありがとうございました┏○ペコッ
私の祖父はインパール作戦に参加しました。
佐藤師団長のおかげで、指だけでも祖母の元に届けていただいたことは、本当に感謝してもしきれません。
先日祖母が祖父の元に旅立ちました。
2人の仲睦まじい写真は私の胸に、深い憤りと悲しみを感じさせます。
牟田口含め無能がいかに危険であるかを再認識してくれることを願います。
>私の祖父はインパール作戦に参加しました。
どこの連隊ですか?
申し訳ないのですが、まだ祖母が元気な時に聞いた話なので、佐藤さんという偉い軍人さんが祖父の指を届けてくれたんだよ。とだけ幼い私に伝えてくれました。
少し興味があり調べてみたところ、祖母が伝えてくれた師団長は、インパール作戦だと31師団の佐藤師団長だけでした。さらに、他の遺族の方々の話や祖父の戦友の家族の話では、間違いなく祖父の指は佐藤師団長から届けられたそうです。所属は確か、58連隊だった気がします、曖昧な記憶で申し訳ございません。
私自身、その時代そこに生きていたわけでもなく、何かできたわけでもないですが、少なくとも全力で私たちを守ってくれた祖父を私は誇りに思います。
拙い日本語で申し訳ないです。涙が出てしまい上手く書けません。ごめんなさい。
@@ルーク-m2q私の祖父と曽祖父は第六師団です。親戚のおじさんは海軍航空隊で戦死しましたが、親戚のおじさんの奥さんが話してくれました。
この人にそんなこと言う必要がありますか?この人になんの責任があるんですか?コメ主さん1人の遺族です。
うわぁ...
牟田口司令官がインパールの前に計画されたインド侵攻作戦に補給の問題を指摘して中止させた事は、最近いくつかの動画で見ましたけどもっと知られるべきですね。
つまり、牟田口司令官は補給の重要性を゙本当は知っていだ人物なのです。
それなのにインパールの時には補給問題を意図的に矮小化して作戦を強行しています。
これは牟田口個人の問題ではなく、日本軍の組織的な問題です。
理論的に無理だ、やってはダメ、このまま続けたら大変な事になる、と分かっていても、政治的な理由で止められない。
これは別に旧日本軍の問題ではなく、今の日本の政府や企業といった組織の多くが抱えてる問題です。
「インパール?ああ牟田口が馬鹿だったんだろ?アッハッハ」で思考を終わらせてしまったら、過去の英霊の犠牲から何も学んでないことになります。
そういう奴らは運搬車を要請したのは牟田口で
80%以上を漁礁にしたのが海軍…って説明すると発狂するんよなぁw
人格攻撃と話題逸らし以外の手段無くて笑うしかない
全くその通りですね
個人に矮小化するのではなく、組織全体、軍全体、そして日本国民全体に敷衍して考えなければインパールの失敗は苦い教訓にはならないと思う
もっと言えば程度の差こそあれ、社会生物としてのヒト全体の問題であるかもしれない
誰もが間違っていると分かっていても止められない、後世の人間から見れば狂ってるとしか思えない決断(多分当時の人間も狂ってると思ってる)
によってとんでもない結果を招いた事例は世界史上限りなくある
・・・ただまあ、それはそれとして、個人が責任を取らない、責任を取ったように見せても「禊が済んだ」などという謎の概念で村社会のボスが反省なく返り咲く
という悪癖は日本固有のものとしてあるのも事実で、こっちも頭が痛い問題だと思う
@@einsfia
言い訳を良しとしない日本陸軍に乗じ
失態の多かった海軍が
どうにか陸軍も悪いって事にしようと
ありもしない責任を押し付け
牟田口の「さすがにそれ理不尽過ぎない?」
って声を嘲笑に変えた感
そういう意味では、消費税にこだわる政府・与党がまさにそんな感じ。消費税を廃止すれば、今抱えている問題の多くが解決する。
@@とらねこ-v3h
消費税って需要はあるけれど供給がない
って時に効果的だけれど
結構前から日本は供給過多で需要を延ばさないと
経済動かないよって状態だしな
買い物したら10%罰金って状況では
個人預金1000兆突破してまだ伸びるのも当然
まさに北風と太陽の北風やんけw
軍部全体の腐敗はそうなんだが とはいえ牟田口と河辺の
作戦の打診に来た時「彼もやりたいと言ってるそうだから」と思い出作りみたいなノリ
中止の打診に来た時「作戦中止の話をしに来たのは分かった。だが私の顔色によって察して欲しかった」と思春期の乙女のようなノリ
結局この二人のノリで作戦が始まり、やめ時を決断できなかったことで数万人が死んでしまった
牟田口だけが槍玉にあげられやすいが、河辺や寺内も大概だ
この作戦にはどこかあと一手が足りなかっただけかもしれないが、この組織的な病は現代日本でもまぁ直ってないと感じる
どこの国でも軍隊は官僚組織、役所。ビルマ戦域だったか、日本軍は何度失敗してもいつも同じ作戦で攻めてくるから、しまいにこれは罠かと思ったというイギリス兵のドキュメント番組があった。
川辺虎二郎
河辺を郷土の偉人にしている富山県という素敵な県があってだな。
杉山も同罪ですかね。
作戦部長だった真田は反対だったが杉山から寺内さんが是非やりたいと言っているから同意してくれと説得され渋々同意したそうです。
彼は晩年、情に流され将兵を無駄死にさせた事を激しく悔いたそうです。
まぁ、牟田口は皇道派で五一五と二二六の青年将校と関わりがあったし盧溝橋も酷かったから。
この撤退で「一人も取り残さない」と自ら殿を務め、末端の兵士も倒れれば自ら運んだりして指揮した宮崎少将は本当に名将だと思う。
@wolverin しょせん侵略戦争の指導者に「名将」なんてあるはずない。
まだその思考で止まってるの、か
@@伊藤せら-q7s 軍国主義者が「名将」? 滑稽そのもの。
@@コバヤシチヨジインド侵略したイギリス軍の方が侵略者
なぜ軍国主義者が名将になれないのか、説明出来ますか?
人情論先行かつ曖昧なままで進めると碌なことないと先人たちが教えてくれたのに、活かせてない人たちが多いこと…
牟田口の悪質なところは、無知な英軍軍人の言ったことを根拠に、最期まで反省も謝罪もせず、自分は正しかったと言い続けたこと。
特に欧米の戦闘回顧は「敵は強かったがそれを倒した我々はもっと強い」というスタンスで書かれる事が往々にしてあるので
牟田口への一定評価は額面通り受け止めべきじゃないんだが、本人はそれを真に受けてるんだよね...
@@hrak3980 無敵艦隊とか最たるものですね。当時の海洋覇権国家スペインが頼みとする常設の大艦隊を海戦にて英国海軍が華麗に打ち破った!ってイメージありますがその実態は・・・
英軍からしたら勝利の理由になった名将w
無知な英軍軍人ってそんなわけないでしょw何なら今の時代の軍人よりも詳しいでしょw論破
実際英軍の戦力配置が間に合ったのは日本軍がコヒマに突入する直前(それまでコヒマは戦力不足でガラ空き)だったので割と危なかったのは事実
本当に恐れるべきは優秀な敵兵でなく無能な味方という言葉の重さを思い知らされる反面教師となる戦争ですね・・・
将官が無能なんだよ。
ナポレオンも地獄で泣いてるよ😢
毎度のごとく質のいい動画をありがとうございます🙇🙇
ないとう?
牟田口が胸糞悪いのはこれの失敗そのものよりもその後だから
なんだかんだ戦後生き残ってるからなw
自分の非を死ぬまで全く認めなかった。
あの人物は前線司令部にも芸者を派遣してますからねえ。
女好きな将官は何人もいますがこんな将軍閣下は他にいますかね?
自分は昔、戦史に興味があってその時にインパール作戦を知り、実際に従軍された方の手記を文庫にされたものを読みました。その方は第31師団隷下新潟58連隊所属の方で、命からがら日本に帰還することができた方でした。その方は手記の中で、戦友たちとの会話の中で、ディマプールまで行けば勝てたと牟田口が言っているが、とてもコヒマからディマプールまで行ける状況では無かった、コヒマを維持するだけで精一杯だったし、よしんばディマプールまで行ったとしてもそこで全滅して終わっただけだ、現場を見ない司令官が何を言うかと激怒していました。山岳地帯を武器弾薬を全く運べない日本軍にはあまりにも無謀な作戦でした。
福岡第124連隊は先にガダルカナルで大変な飢餓の戦いを経験しており、生き残った方はその命あることを泣いて喜びあったそうですが、インパール作戦に参加し、ガダルカナルと同じかそれ以上の飢餓戦に投入され、俺たちは本当に運が無かったと運命を呪い、その生き残った方達も命を落とされていきました。本当に心からその魂の安らかなることを願わずにはいられません。
日本人は、大和魂がある!弾丸も食糧も無ければ潔く玉砕するべきだったと! むざむざと撤退して敗残兵として生き恥晒すなら白骨街道の白骨の一柱になった方がいい。
そうなんだけど、このUP主のように妄言を信じちゃう人がたくさんいるのよね。
@@義昭楽厳寺 124連隊の人たちの経験のおかげで助かった人たちもいるようですよ。
例えば、124出身の人たちはガダルカナルの経験から絶対に地面に直に横たわって寝なかった。それを見習った人たちは生き延びる可能性が増えた。
ガッツリとした解説ありがたいです。知らなかったことがたくさんありました。
ウクライナの話しでも、「兵站」の話しが上がっていましたね。食糧や物資の現地調達の慣例、現地司令官の独断専行による戦線の拡大、何か日本軍の悪癖が極まったんだったんだと感じます。戦没された方々の、ご冥福をお祈りします。牟田口司令官にも責任はありますが、上層部にも作戦への責任はあったと感じます。とかく、戦犯や悪者を、個人に探しがちな環境では、失敗の根本をなおせない気がします。宮崎繁三郎中将は、戦後骨董店の店主として余生を送られ、亡くなる際はうわごとで「みんな、ちゃんと逃げたか?。」とインパール作戦時の事を言われたと聞きます。お話し面白かったです。長文すみません。
インパール作戦の行軍の写真をカラー写真に加工したのを見たことがある。まるでサーカス一座が行軍している様な感じだった。本当に無茶苦茶な作戦でしたね。終戦間際だったので、錯乱していたのかな?
兵站の欠落の恐ろしさは、勝利を確定させず、敗北を不可逆にすることにある。
たとえ戦術的勝利で一時的に押し込んでも、イギリス軍は撤退するだけで兵力を壊滅させた訳ではないので、日本軍は維持できず結局は戦力消耗しただけという戦略的敗北になったでしょうね。
牟田口が雨季直前に作戦を強行した理由がここにあって、一度押し込まれれば雨季の中反攻作戦をすることは流石のイギリス軍でも厳しいのですよね
つまり一時的な戦術的勝利でもそこそこの期間最後の援蒋ルートは遮断できるし、雨季が終わって英軍の反攻が始まってもインパール一帯を防御縦深として使うことが可能になります
こんな作戦、断固を止めるのが真の名将である。
こういう人間が出世してしまうところが日本の問題であり、
それは現代でも同じ。
将、帷幕に在りや君命に従わざる所あり
中国戦線では食料を現地調達可能だったので少ない携行食でも作戦続行が可能だった
ジャワは極楽、ビルマは地獄。死んでも帰れぬニューギニア。
台湾も極楽だった‼️😅
小生は大連で鍋料理をいただきます😋
トラック洋上に浮かぶる戦艦武蔵にて悠々と過ごす哉
うちの爺様はニューギニアで捕虜になって、生きて帰国した
200人余りが派遣されて、生還したのはたった7人
と、生前何度も聞かされた
未帰還な戦没者の遺骨を思うと、まさに“死んでも帰れぬ”か。
会社も戦争も大敗北の原因は大抵「引き際を間違える」だと思うな
バブル期にイケイケだった会社が崩壊した途端にそれまでのやり方が通用しなくなってバタバタ潰れたことを思い出す。
やりたかったことはわかるのだが、これしか方法がなかったのか? とも問いたい作戦。
そして作戦立案の牟田口は非難されてしかるべきだが、
止めなかった上官の河辺大将もせめて予備役送りくらいはしないと・・・
インパール作戦に関しては人間関係大切にして上層部に作戦が認可されてったから予備役送りには構造的にならないと思う
これをやらないとビルマから総撤退しかないから。
河辺は更迭どころか、インパール後に大将に昇進してるからな。
ディマプールまで牟田口中将が進撃することを指示していたことを初めて知りました。これにより自分の中では牟田口中将は愚将の評価ではなくなりました。
多分牟田口中将の中ではインパール包囲と見せかけて実は31師団によるディマプール強襲が主攻でインパール攻撃の2個師団は31師団の背後を付かせない為の陽動の攻勢だったのでしょう。
このインパール作戦の少し前日本軍はビルマ南部のアキャブを包囲攻撃してますがイギリス軍の優秀な火力の前に
包囲状態だったのに撃退されております。つまり今のイギリス軍は包囲しても倒せない段階まできている。きっと牟田口中将は理解していたでしょう。
ではどうすれば勝てるか?奇襲によってコヒマを陥落させ混乱状態のイギリス軍をディマプールまで追撃してそこで物資と優秀な火器を鹵獲して火力を強化して引き返しインパールを攻撃する。これしかなかったでしょう。
突然の思いつきの作戦変更のように感じますが、この時期暗号なと情報漏れは薄々感じてはいたでしょうから、真の目的は直前まで秘匿するつもりだったのでは?惜しむらくは河辺大将に作戦変更の柔軟性がなかったこと。
牟田口中将は勝つ為の唯一の手段は行なえていたかと思います。座して死ぬよりはい出て活路を拓かん。そしてインパールを陥落させた上でインド国民の蜂起に掛けるこれしか無かったというかと。
ちなみに自分はディマプールまで進撃しても手前で撃退されて結果変わらずだと思います😂
初めまして。後期高齢者の一人として、太平洋戦争の失敗に関して、真珠湾奇襲攻撃で成功して以来、ミッドウェー海戦。ガダルカナル島争奪戦。サイパン海戦。など、の失敗の研究は 良く公開されてましたが、インパール作戦の原因は 良く分かりませんでした。今回の解説で わかり易く説明してくれて感謝してます。これからもよろしくお願いします。
日本国民の1人としてきつい時代をなんとか耐えてくださったあなたのような世代には感謝しかありません
面白いを動画をありがとうございます!
リクエストなど受け付けていますでしょうか??
もし受け付けているようでしたら、中先代の乱お願いします!
牟田口が老人になった時に自分が正しいとまだ信じ込んでるインタビュー動画があるから見てほしい
今でも現地調達スタイルの軍はあります。現地調達式なら穀倉地帯で平坦であること、あくまで繋ぎですね。
急峻な山をロバを使って砲を輸送するってナポレオンか?バイキングか?ちょっと教育がおかしかったですね。
大勢の日本兵が上層部の無能な作戦の為に戦いもせず倒れていった事に涙が禁じ得ない。合掌
補給をせず多数の餓死者を出したインパール作戦、しかしインドでは、インパール作戦をインド独立の始まりとして高く評価しています。
牟田口が英国の工作員だと仮定すると丸く収まる怖さ。
コードネーム、ジンギスカンとして暗躍。
そうとしか思えないよな
戦後、刑罰も受けてないし
その無謀作戦に周囲の上官も賛同しちゃってますやん
@@elohelloelohello9209全員工作員なんやろ
インパール作戦の兵棋演習内容は英国にバレていた事を考えると司令部内に英国スパイがいた可能性は否定出来ないかと。
インパール作戦の話になると大体佐藤師団長と宮崎少将が手放しで名将と褒め称えられることが多い中、佐藤師団長への批判的意見にも触れていたのが良かったと思います。
第15師団、祭兵団は第31師団、列兵団の動きにかなり苦しんでいます。
インパール北で街道を遮断している祭(作戦開始時たった5個大隊)は烈の独断撤退によって南北挟み撃ちに危機にさらされた上、後方の物資倉庫からなけなしの食料を撤退する烈の兵に持ち去られ(祭関係者証言、烈関係者は祭の兵が全部前線に運んでいったから元々なかったと証言)、撤退路の食料となるものは根こそぎ食われたことで撤退時の大量餓死につながります。
殿の宮崎支隊の戦いぶりは見事でしたが、街道沿いに後退して祭と合流するはずの宮崎支隊は限界を迎えて突破された際に祭に連絡できずに(できる状態ではなかったのでしょうが)東に単独撤退。北は名将宮崎が守っているから安心していた祭の後方拠点ミッション(少なくともミッションの部隊は北からの脅威を知らなかったようです)の野戦病院と、3トンの米をかき集めていた師団倉庫が蹂躙されます。動画界隈で人気の英印軍グルカ兵に将校以外の患者たちが石油をかけられて生きながら焼き殺される様子と叫び声を、這って逃げ延びた患者たちが山腹から涙ながらに眺めていたといいます。
佐藤師団長の決断と宮崎少将の戦いぶりは称えられてしかるべきものと思いますが、その陰で割を食った15師団の将兵のことも知っていただければ幸いです。
グルカ兵って本当に野蛮人なんだな 土人そのもの
そもそも開戦の時ですら、文官のみならず海軍幹部まで勝てる見込み無しと思ってた戦争ってのが虚しいな。。陸軍指導部はどんだけ無能だったんだよ😢
「昭和18年の敗戦」という本をおすすめします。
旧日本軍って調べれば調べるほど嫌いになってくるんだよね
他所で「牟田口中将の悪口を言うな!連合国軍の優秀な将校だぞ!」って皮肉コメ見たときは笑ったわ。もうコレそうとしか思えないもんね
それマスオさんじゃねーか?
@@gongon505
近代日本史のゆっくり解説のチャンネルやったで。いまも残ってるかはわからんけど
@@kkout29718
ホンモノのガイキチさんかなあ?怖い。
失敗の本質という本に、本作戦の組織論的見地からの研究・考察があります。インパール以外にもガダルカナル海戦、沖縄本土戦などの研究があり、この動画が好きな人は一読の価値はあると思います。
イギリス軍の改革から見た、インパール作戦の視点が斬新ですね✨
食料が無くなって兵士たちがダイナマイトを食べ始めたというのがありました。
インパール作戦に従軍した火野葦平さんの手記で「甘みがあって羊羹より柔らかく、
切り餅くらいの大きさで手頃なので食べるのだ」と書いていました。
まぁグリセリンだから甘いわな
なんか他の戦争でも火薬を食糧にしたって話聞いたな
…ダイナマイトじゃなくて最初から羊羹持ってくりゃ良かったねえ(白目)
@@gunsoviva1633
ロシア兵なら航空燃料でパワーUPしますね。
ガバ組織…
失敗を認めない人が
失敗を認めて改善する人に勝てるわけないんだよなぁ…
ジンギスカンが失敗した時点でもうすでに補給もほとんどなく戦闘開始時点でけが人病人だらけで全員お腹ペコペコ状態でしたからね
牟田口「…(もう止めたいなあ)」
河辺「…(やめたそうだなあ)」
牟田口「最後までやります!」
河辺「まあ、とにかく頑張れ!」
寺内寿一「(俺のせいにされたくないなぁ)」
杉山元「(俺のせいにされたくないなぁ)」
瀬島龍三「(俺のせいにされたくないなぁ)」
服部卓四郎「(俺のせいにされたくないなぁ)」
東條英機「俺のせいにされたくないなぁ)」
いつも楽しく学ばせて貰ってます。ありがとうございます♫
すごい、50分を一気見してしまった。
まぐれでこの時イギリスやっつけても、延命できただけでどうせ負けてたな…
幹部達と言うより、日本帝国軍の組織としての統率の無さも原因の一つか。
クレイジーカントリーと言われるぐらい体勢が狂信の如く強引すぎた、或いはそうせざるを得なかったのかなぁ・・・。
解説お疲れさまです。
私の父は八甲田山で有名な青森第五連隊を経て陸軍航空隊に所属されたそうですが戦争の悪化と共に航空機が無くなり最終的に歩兵としてこの「インパール作戦」に参加させられたようですが奇跡的に助かり、しかもシベリヤに抑留されたそうです。
そこでも奇跡的に助かり昭和22年に日本に帰還したようです、帰還できたのが軌跡でしたので長生きして欲しかったのですが、73歳で生涯を閉じました。
配信を、ありがとうございます。
NHKのドキュメンタリーで現地の人がいまだに日本兵の幽霊が出るって言ってるのが印象的だった。
どうか安らかに日本に帰ってきてほしい…
無駄口叩くより牟田口叩け、ですね。
牟田口牟田口って思考停止するんじゃなくてもっと調べるべき
牟田口がダメというより日本軍全体がそもそもとしてクソだったとしか言いようがない
組織の連携って大事ですね
イギリスの評価ってのは
「相手は強かった、それに勝った俺はもっと強かった」と言う、自身の箔付けにするものだから鵜呑みにするのは危ない。
アメリカの輸送機借りれなかったら雨期の中撤退する羽目になってたのは英側なのに?
@@そらきち-u4t
インド植民地軍70万だぞ。
増える見込みの無い3個師団でどうするんだ。
いやイギリス防衛が紙一重だったのも事実なんだよ。
確かに上司の決裁があるから責任は分散されてもおかしくないように見えるけど、決裁に必要な情報は与えられていたのかどうか疑義があるなぁ。それらもひっくるめて上司の能力だとは言えるけど。熱意のあまり、いい意味での責任転嫁に失敗してるようにしか見えないな。もしくは否決されないために意識的に情報を絞ったか。ある意味承認欲求が盲目にさせたんかな。
詳しく知らなかったけど改めて牟田口―河辺ラインクソだなって認識した。くだらない人情で消耗させられたら兵士や親族らはたまらんわな。
とてもハイクオリティな動画でいつも楽しみにしてます!第二次世界大戦の沖縄戦の解説を見てみたいです
イギリスインド軍は主力を北アフリカに引き抜かれているから戦力不足です。ウェーベル自身、ロンメルに負けて北アフリカからインドへ左遷させられた将軍
今に至るまで変わることのない日本型組織の問題点が凝縮されていると思います
失敗を認めて臨機応変な対応をすることができない
別の人の動画になっちゃうけど空から戦況を見る動画があるんだけどほんと無謀でしかない
動画で使われてるBGM教えて欲しいです
これがパワポケ2のトンカツ作戦の元ネタか…
牟田口が酷いというより組織そのものが穴だらけという
この作戦でおばあさんのご兄弟が戦死したという話しを直接聞きました。おばあさんがこの作戦の全容を知ったらと思うと、胸が張り裂けそうで、思わずトイレに逃げてしまいました。ごめんなさい
インパールは生還した兵も多かったから悲惨だという話が広まった。フィリピンはほぼ全滅だ。フィリピンの悲劇はインパールと比べ物にならない。シンプルに死者数が違う。
この作戦で蒋介石軍への弾薬は止まり 1ヶ月後大陸打通作戦が決行された
50万の日本軍が100万の蒋介石軍に勝ち 大陸からの渡洋爆撃は阻止できた
この作戦でインドを独立させた、チァンドラボースの強い要請もあり実行した牟田口司令官は英雄である。東京裁判を否定しましょう。植民地解放国家🇯🇵\(^_^)/ジジーより
私の祖父はインパール作戦に従軍していましたが、ヤギや馬、ロバに乗っていました。衛生面では気を遣っていたそうで、大した怪我も無く終戦を迎えられました。
そいつは凄え。
@user-mc1nr2pf3r なんか旧日本軍っぽいコメント
@user-mc1nr2pf3r 大阪の安連隊ですね。あれは最悪なことをいろいろやったらしいですよ。
天の時は地の利にしかず、地の利は人の輪にしかず。
心の底からこれ。
「牟田口がそこまで言うのならやらせてみようじゃないか」という発想、
その後も省庁で宦官官僚たちが無茶苦茶やる時に使われ続けていますよ。
「寺脇君がそこまで言うのなら一度やらせてみようじゃないか!」と言ってやったのがかの「ゆとり教育」な。
今の日本のようなお伽話。出鱈目な計画を行なって、失敗があからさまになっても、撤退を決断できずに、いつまでもずるずると、誰も責任を取らずに、最後に泣くのは、誰々
トンキン五輪を彷彿とさせますね。
大阪万博もきれいにその線を辿りそう!
@@gtky8dbzrfqghngoyotegc.on77ezr
誘致段階の予算から倍以上に費用が膨れ上がって、税金が投入されたのは、なぜなぜ?
東京五輪なんか膨大に膨れ上がる社会保険からすればただの砂山にすぎんよ
日本人は役人や経営者、はたまたプロスポーツ監督なんかでもしばしばあるけど、
「失敗したらどうする?」を考えない
欧州の戦争はまず敗けた時にその後どうやっていけるか、を考えてから戦端を切る可否を決定すると聞く
日本人はそこら辺の考え方がいつも「成功する事」しか考えず、
「失敗したらその時はその時」「やる前から失敗する事を考えてどうする」的な思考が支配してしまう
失敗や敗北にも小さな失敗と大きな失敗、挽回出来る敗北と取り返しのつかない大敗北がある事を考えないのが…ね
公務員がまさにその思考だ
何でもかんでも右上がりになるのが当たり前と思い込んでいる
引き時を知らないどころか引く気すらそもそも無い
イギリス人に山越えが出来たから日本軍も出来る。
と言う考えがそもそも間違いです。
イギリス軍は航空機による空中補給をやっていました。
ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈はじめ、そしてこのアラカン山脈もイギリス測量隊が地図を作ったのです。
その大昔のイギリスの地図を元に作戦を立てたのです。
牟田口は偵察機を飛ばすと撃墜される。と言って、十分な偵察をしませんでした。
牟田口は平地はともかく、山岳戦はド素人です。
兵士全員に物資を持たせてそのままインパールを目指すのはアルパインスタイルです。
インパールに辿り着いても物資は足りません。
このような長駆に渡る山越えをするには極地法と呼ばれる、物資を前線へ蓄積し、補給のためのキャンプを作りながら進むのが正しいです。
もちろん戦争なのですから、武器、弾薬も運ぶ必要がありました。
私が高校1年生のときの「生物」の先生が、インパール作戦の生き残り。授業中に、当時の話をききました。敗走中に、看護兵が残していた消毒用アルコールの瓶を見付け、体のキズに湧いていたウジにかけて、一命をとりとめたとのこと。食料、兵站の確保という基本を無視していた。戦争でなく、餓死。
動画を見た範囲ですが、ディマプル攻略が戦術的に鍵になっていたというのは後知恵なんじゃないですか?
牟田口がそれを理解していたら計画に含めて上層部と重要性を共有していたはずでしょう。
一方、河辺がそれを止めたのは正しい仕事。それが有利である根拠が無いのですから。
牟田口はインド深部侵攻という勝手に描いた雑な戦略のためにディマプル攻略を命じたように見えましたね。
もちろん後から判明したディマプルの重要性は牟田口の自己弁護に利用されたことでしょうし、それは約80年後の現在においても。
とにかく、ラッキーパンチが当たりそうだったからといって牟田口が有能な作戦立案をしたという気にはなれませんね。
知識披露する為に動画もろくに見ずに長文打つのやめた方がいいですよ😮
@@みっかぼうずっていった よくわからないので具体的に指摘していただけますか?
もし、ディマプルを目的に進攻するなら、作戦計画の時に上申して含めるべき。同意します。戦後の後知恵で何とでも言えますね。
最初の30秒で高評価押しました。もっと学ばせていただきます。
インパール作戦は、制空権、戦い自体も最初は取れていました。
撤退時に制空権を失っただけでそこまで酷い状態では無かったと思います。
ただ言えるのは牟田口さんが
無理な作戦を立てたのは事実だと思います
まあ1944年当時の日本軍に無理のないかつ戦局を好転させる作戦立てろってのが無理な話なんですけどね
計画そのもの立案に無理があった。例えば東京を出発点として目的地のインパールは岐阜県までをアラカン山系(アルプス山系)の山々を越えて進軍するんですよ。兵站の専門家、小畑参謀は大反対しましたが消極的だとして左遷られています。
南宋の秦檜みたいに銅像が建てられたら、皆こぞって唾を吐きかけるレベルの対象ですね。
イギリス軍が日本の作戦を高く評価しているように見えますが、勝った側というのは負かした相手を高評価するもんなんですよ。
自分たちが、いかに危険な状況を克服し、勇戦して逆転勝利したかをアピールしたいから。
無能な敵を楽に打ち破ったなんて言っても、誰も尊敬してくれないからね。
スペイン艦隊を「無敵艦隊」って名づけたのが、勝利したイギリス側だったって例を考えればよく分かる。
別の動画ではありますが、インパール作戦はシンガポール攻略やビルマ攻略で捕虜としたインド人兵の嘆願があったのではないか、という推察がありましたね…
日本人サイドだけでなくインドの外にいたインド人の立場からもこの作戦について考察をしてもよいのでは、と思いました
武器弾薬、糧食すらもなく、ようやく辿り着いたコヒマから更に進軍など論外の状況でした。
既に佐藤師団長が率いる師団は餓死者や病死者が続出し、防衛網すら築けない状況でした。
ちなみにこの「上層部の指示が曖昧なせいで現場に意図が伝わらずに現場で失敗する」典型例はインパール作戦だけでなくミッドウェー海戦や、日本では大成功と言われた真珠湾攻撃でも当てはまる。
日露戦争での東郷平八郎連合艦隊司令長官は常に戦艦三笠の先頭に立って、右腕左腕の秋山、加藤が司令長官の指示をしっかりと現場に落とし込んだから大国ロシアに連戦連勝したし日本海海戦では奇跡の大勝利を収めた。
なのに大東亜戦争の連合艦隊司令長官山本五十六は後方の大和や長門に引きこもって将棋を指していたし、軍令部との意見の衝突があってもマトモに議論せずなあなあにしていた。
だからただでさえ航空戦は専門外の南雲は困り果ててしまった。
牟田口廉也と同じく南雲も無能のレッテルを貼られているが、果たして南雲のせいなのか。
昔、三鷹にいたときに風呂屋に来てた靴屋のじーさんが、インパール作戦に行ったって言ってたなー。
元々資源が倍違う英米と戦って、さらに陸軍上層部は人間関係や組織を優先して無茶苦茶で現実離れした作戦を推し進めた訳だから、米・英との物量差以前の問題
兵站軽視、組織重視…こんな国が戦争に勝てるわけがない
「腹が減っては戦ができぬ」とはまさにこのこと
何が悲しいって先の大戦の大敗北は勿論、現代の上司にも小さな牟田口とその取り巻きが割と居るって事なのよな。変なやつが出てきた時に上司or部下が身体張って止められるかっていうのは本当に大事なんだと学べる。ありがとう無駄口。
ところが現代の会社でも止める部下は牟田口の頃と同様に左遷されるというね。
インパール作戦に従軍したうちの親戚はまだ帰つて来ない・・・
お疲れ様です。
もう20年くらい昔、NHKスペシャルで、インパール作戦を取り上げていたっけ。
祖父がこの作戦で行方不明になっています。
戦死扱いで遺骨を祖母と父が引き取ったと聞いていますが、遺骨は無くて、現地?多分、ビルマのどこかの小石が骨箱に入ってるだけだったと、話してくれましたよ。
すごいな、こんなやつがゆったりと最後を迎えられて使い潰された部下たちは地獄の中で息絶えていった
『15軍、ビルマ方面軍、南方方面軍、大本営というバカの四乗が立てた作戦』
過ちて改むるに憚ること勿れ。。。
構成的にNHKスペシャルのドキュメント太平洋戦争第4回目インパール作戦を下敷きにしたように見えますね。
神出鬼没で有名なウィンゲート旅団だけど、補給は輸送用兼非常食のラバだけでなく空輸も多用できたのが牟田口の第15軍の置かれた条件と異なりますね。
それでも戦力半壊なので、英軍であってもアラカン山脈を越えての軍事行動は大変だったんですね。
尤も、南アルプス越えとか立山連峰越えでも普通に嫌ですが(笑)
冬の八甲田山で訓練しよう!
まあ、すぐ帰ってこれるやろ
過去、知恵袋に牟田口に関する興味深い回答があったので是非。
要約すると、
彼はインパール作戦までは常勝将軍と呼ばれるほどの名将で、その地位は功績に見合ったものであった。彼がインパール作戦でしくじったのは、動画内にもある様な、彼を取り巻く環境の云々と、それから、いわゆる「ピーターの法則」にある様に、実力の限界を超えた出世をしてしまった事が原因として挙げられる。確かに牟田口は人として出来た人物では無かったが、インパール作戦は軍人として無能だと決めつけるに至るものではない。
しかし、上記にある様な牟田口中将の人格を酷評する意見は、インパール作戦時など大出世してからの印象によるものが多いように感じます。実際、彼はそれ以前の、例えば師団長時代の部下や、陸士時代の教え子からは、よく慕われるなど、人格者な一面も存在した様です。
このように、彼に関するある程度肯定的な意見も、ごく稀ですが存在します。
思うに、殆どの場合、人間というのは一口に良し悪しと語ることはできないのでしょうか。
《出典》
https:/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13101294753
武装SSのディートリヒとか、ナポレオン時代のミュラやネイに通ずるものがある。
有能な指揮官に盲従して戦えば猛将だが、いざ自分が決断する立場まで出世すると悪い点ばかり見え始める
出典が○フー知恵袋で笑った
迫真の出典知恵袋
アホー知恵袋
牟田口も悪いかもしれないが、それを止める機構が無かったほうがもっともっとダメだったかと
「日本軍最悪の無能は牟田口廉也でした!おしまい!」で片付けていては正しい反省は出来ないよね。
軍、輜重無ければ即ち亡び、糧食無ければ即ち亡び、委積無ければ即ち亡ぶ。 補給を 及び 組織管理 の大切さを
これほど 認識 させた 戦いはないね
作戦に参加させた兵隊は自決させて兵站解決しようとしたんだっけ
そもそも兵隊死なせるつもりの作戦だからこんな無謀な作戦考えついたんだろうな
日本てずっと今更やめられないという結論になった ばっかりだなあ
物量作戦自体は順調で2箇所に追い詰め包囲してる。問題は兵站計画ではなく、連合軍側の新技術であるパラシュートを使った空輸に対して対策できなかったこと(真似や退却含めて)なのに、差別的な意識で問題の本質から外れたバッシングになってる。
(インドの独立派の支援要請が発端だったことを含めて)
牟田口については作戦の失敗そのものよりもその後の処置と態度が批判の対象になっているのだろう。
自決を推奨する意図はさらさら無いが、それこそ幕僚の言ったように潔く腹を切るとか自分の責任を自認した態度を取り続けていれば評価はそれなりに違っていたはず。
現代でも不祥事に対してきちんと謝罪した人や企業はそうそう責められることはないが、見苦しく保身に走って責任転嫁したり逆ギレしたりした者は大炎上し、許されることはない。
今もプロ野球で選手として優秀だったが指揮官としては無能の極みみたいな監督が、滅茶苦茶な戦力整備をした上に采配ミスも多く敗戦続きで借金まみれ、そのくせ口を開けばミスが多い選手が悪い結果論なのでねと責任転嫁のオンパレード。そのくせ上層部は彼に甘々のズブズブで更迭の気配もなし。
私は彼を「令和の牟田口」と呼んでますよ。
名古屋が本拠地の球団のT監督の事かな?
(すっとぼけ)
気にくわない選手を片っ端からトレードに出したら戦力が(以下略)
80年前から何も成長していないのが恐ろしいわw
インパール作戦で自由インド仮政府が従軍したという事実が何よりも重要
戦後英国が反逆罪で訴追しようとしたが独立戦争なので反逆罪には問えないといって暴動が独立に繋がった
戦後はアメリカとソ連に逆らう力がイギリスに無かっただけだろ
空爆で本土も疲弊してたし
その件での暴動が独立に繋がったわけではありません。既に国民会議派を中心とする独立勢力とイギリス政府との交渉によって、インドの独立は規定路線でした。要因の一つではあると思いますが、主因と呼べる事象ではありません。
この失敗は牟田口中将一人を叩けば済む、といったものではない、と確か司馬遼太郎さんが
書いていらっしゃったと思いますが、インパール作戦についての解説を見聞きする度にそのように思います。
インパール作戦、ワンチャンでも成功の可能性ってあったんだ...
まぁその成功のわずかな可能性も兵站も撤退も何もかもが上手くいくはずのない状態だった訳か。。
そんな感じの歴史ではなく 0:59 中国にもう一回戦争してみたんだけど結局アメリカと戦争になったみたいな感じ
間違ってはいけないのが
「牟田口は兵站を軽視していた」ってとこ
本来補給部隊として自動車中隊150個、輜重中隊20個他を要求してたけど最終的に届いたのは2つ合わせて18個中隊のみ
医療品や軍馬も要求の2割ぐらいしか届けられなかった
そのため軍馬が足りず現地徴用の牛等で穴埋めした
ジンギスカン作戦は最軽量装備の第31師団が行ってた
補給計画も第33師団が南部を制圧後、インパールからコヒマへ行って各師団と合流し補給を行うという計画だった
まぁ結果は史実通りだけど
雨季までに作戦を終わらせることが大前提だったのにそれを大幅に超過した時点で無理だったのにそれを無視して続行すればそらそうなるよと
負け方も無茶苦茶だけど偽装撤退とはいえ勝ってる時の勝ち方もとんでもないな
山を越えて重砲一門担いで敵拠点の砲台奪ってボッコボコにするような部隊預けられたらどこで撤退すればいいかなんてわからんよ
普通ならビルマを押さえずに、昆明を抑えるもんだがなぁ。
日中戦争・仏印進駐・太平洋戦争 いったい何を考えていたのか⁉️
資源がないと結局は奴隷国家になるということ。
ドイツも同じ。