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ゆっくり偉人伝
Япония
Добавлен 17 авг 2021
歴史上の偉人の生涯や偉業を、わかりやすく説明します。
初心者ならではの疑問などを霊夢が質問し、魔理沙が答えることで、すらすらと頭のなかに入ってきます。
現在は、特に旧日本軍の軍人について中心的に取り上げています。
ぜひゆっくりしていってください。
初心者ならではの疑問などを霊夢が質問し、魔理沙が答えることで、すらすらと頭のなかに入ってきます。
現在は、特に旧日本軍の軍人について中心的に取り上げています。
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【ゆっくり解説】逆境を戦い抜いた陸軍の名将「宮崎繁三郎」
史上最悪と言われたインパール作戦。牟田口中将の補給を無視した強硬な作戦を、戦い抜いた陸軍の名将がいた。攻めるときは先頭を、撤退するときは最後尾を。部下を思いやり知恵と勇気で戦い抜いく宮崎は「インパールの良心」と呼ばれた。ノモンハン事件、ビルマ戦などでも逆境が彼を襲う。そんな宮崎繁三郎中将の生涯について解説する。
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【ゆっくり解説】真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の司令官「南雲忠一」
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太平洋戦争の2つのターニングポイントとなった、真珠湾攻撃とミッドウェー開戦、その両方を現場で指揮した将軍、南雲忠一の生涯について、ゆっくり解説します。history of japan 日本史 歴史 トラトラトラ
【ゆっくり解説】沖縄戦を指揮した慈愛の将軍「牛島満」
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日本軍の最終決戦の地、沖縄。その沖縄戦を指揮した牛島満の生涯をゆっくり解説。沖縄戦に至るまでは、教育機関で校長などを歴 し、生徒想いの先生であった。また、日中戦争では、部隊の末端まで牛島の気配りの精神が行き届き、抜群のチームワークを発揮した。沖縄では、住民の疎開を進め多くの命を救う反面、追い詰められ、住民を戦闘に巻き込んでしまった。長勇、八原博道ら有能だがクセの強い部下と共に臨んだ沖縄戦の結末は!?默食用、history of japan
【ゆっくり解説】マレーの虎と呼ばれた悲運の陸軍大将「山下奉文」
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太平洋戦争開戦の瞬間、それはマレー作戦だった。マレー半島を一気に縦断し、シンガポールを攻略する。そんな南方軍の第二五軍司令官は山下奉文。「マレーの虎」と恐れられ、敵将パーシバルに「イエスかノーか」と降伏を迫ったのは有名。しかし、二・二六事件での態度から、軍人としては冷遇を受ける。そんな山下奉文陸軍大将の生涯を解説します。 history of japan 默食用
【ゆっくり解説】陸軍航空部隊を作ったエースパイロット、軍神「加藤建夫」
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日中戦争、太平洋戦争で、日本軍の航空部隊の先駆けとして活躍した軍神「加藤建夫」(かとうたてお)(Kato Tateo)一式戦闘機「隼」で編成された加藤隼戦闘隊は南方作戦、マレー作戦などで活躍。七度の感状を与えられるその活躍は後に映画となり国民的な英雄となった。history of japan 默食用 日本史 歴史
【ゆっくり解説】陸軍の至宝と呼ばれた統制派のエース「永田鉄山」
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満州事変から太平洋戦争に突き進む日本軍。 その頃、陸軍内は皇道派と統制派の争いから二・二六事件へと向かっていく。恩賜組の永田鉄山は、東條英機さえ慕った統制派のエースだが、そんな中、皇道派の相沢三郎に惨殺されてしまう。history of japan 默食用 日本史 歴史
【ゆっくり解説】硫黄島に散った知略の司令官「栗林忠道」
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太平洋戦争の地上戦で忘れてならないのが、硫黄島の戦い。 玉砕、バンザイ突撃を禁止し、徹底抗戦を指揮した日本軍の司令官、栗林忠道の生涯を解説します。history of japan 默食用 日本史 歴史
南雲忠一は有能です。 何故なら真珠湾攻撃なんていう無能が思い付く作戦を成功させたからです。 ミッドウェーの敗戦責任をおうべきは山本五十六という稀代の無能です。 そもそも陸軍の優秀な人達は対米開戦に反対でした。 特に石原莞爾は有名ですが、秋丸二郎という中佐も反対していました。 彼は陸軍省戦争経済研究班、通称秋丸機関を率いていた人物で、感情論や精神論ではなく科学的根拠と経済の観点から大日本帝国がいかにこの難局を乗り切るかレポートを出しました。 参加者は軍人はもちろん帝国大学の経済学部教授や通産省、大蔵省の官僚も参加する超エリート集団。 彼らが打ち出した作戦は「南へ行って西に行く。アメリカとは絶対に戦わない。戦う相手は英国と蘭国に絞る。まず英領の東南アジアを抑えてすぐに西に進み、パナマ運河を押え英国への物資の供給を止める。陸軍は元気なうちにインパールに突っ込みインドの独立派を焚き付けて大英帝国のインド支配を崩壊させる。同時並行でアジアやアフリカにスパイを送って大英帝国の領土でデモや独立運動を起こし、混乱に乗じて南アフリカまで突き進んでロンメル将軍と山下奉文が握手をする」 この作戦ならアメリカとは戦わないし、仮に何かの手違いで仕方なくフィリピンを占領しても外交交渉でアメリカに返すことも検討していた。 とにかく絶対にアメリカとは戦わないようにしていたし、だから東條英機首相も昭和天皇も戦争の許可を出した。 それを吹き飛ばしたのが「航空機で戦艦沈めたら博打っぽくてカッコイイ」と無理矢理強行した山本五十六、それを裏で利用した永野修身と米内光政。 これは陰謀論でも妄想でもない。 一次資料に書いてある事実。
1次史料て。 まさか、林さんの受け売り。
@@user-xn8xl4xx4e 林千勝さんの本も読みましたけど林さんの本の参考文献に一次資料載ってますよ? それくらい普通は全部読みますよね?
@@namuruoishi 林さんの使っている1次史料で、西に進行て。英米経済抗戦力調査で英豪を遮断すれば。とは、有りますが。手段は書かれてません。 米国にさしたる欠点は無い。とも。 独逸経済抗戦力調査では、独逸の経済戦力は1941年がヤマである。と。資源在庫2年分が切れる、液体燃料が限界であり、ソ連の資源確保、バクーの占領、南アフリカの占領での資源確保。が必要。 英米不可分は9月6日の御前会議て、確認為れてますが。 腹案書いたのが、海軍軍務局の藤井茂大佐、陸軍軍務局の石井秋穂大佐。 南仏進駐軍を書いたのも、藤井茂大佐、石井秋穂大佐。 永野総長て、宮様の後任ですよね。米内光政て1940年1月から海軍をクビに成ってますが。山本長官が真珠湾を考えたのは1941年3月の航空機演習で、研究を大西少将に命じた。時からでは。 永野、米内、山本の史料て、何ですか。
何が「慈愛の将軍」や。激戦の結果シュガーロープは米軍に占拠された。牛島満司令部はシュガーローフ陥落によって首里を放棄し沖縄南部へ後退しようとした。これに対し当時の県知事は、南部が戦場になれば避難している30万人の一般人に被害が及ぶと翻意を嘆願した。ここで降伏するか玉砕すべきだった。しかし牛島はこれを無視し南部に後退し、結果数多くの一般人を道ずれにして殺してしまった。日本軍の中でも特筆される愚将だ。「バカな大将敵より恐い」だよ。
戦争体験者の沖縄住民者は牛島と渡嘉敷の住民者達を事件させた赤木は嫌われてます。 沖縄では英雄ではありません。 恐怖扱いです。
加藤隊長と中村三郎大尉ですね
アキャブ前線で不時着した部下の救出を待ち、撤収を延期するうちに敵襲に合って戦死した。 件の部下空中勤務者は英軍の捕虜となってしまったが、撃墜機から回収された加藤部隊長の軍隊手帳を 「この男を知っとるか」 と英軍から提示されると、見ただけで 「隊長殿のものだ。オレの帰りを待って遅れて、隊長殿が戦死したんだ」 と正確に思い至り、涙が止まらなかったと言う。 よほど部下からの信望が厚かったのだろう。
前大戦は、山本が事後承認の形で真珠湾攻撃を敢行し 米国を参戦させた事と、南雲がミッドウェ~で一人小田原評定を演じて主力を壊滅させた事の2点が最大の敗因と言える。 無能でなければ、スバイ…と評価されても仕方ない大失態だと思う。 山口多聞…とゆ~逸材が居たにも拘わらず、人事を誤った事が悔やまれてならない…💧🔔~🙏。
母の兄も64戦隊でした。19年に戦死して、二階級特進しました。二階級特進は加藤隊長と伯父だけと聞いてます。
沖縄戦の前半は昭和天皇や鈴木貫太郎首相もまだ一撃講和論を信じていた。 それに参謀本部も軍令部も政府も天皇も沖縄を捨て石にしようなんて考えていなくて連日神風特別攻撃隊が沖縄沿岸の米海軍に体当たり攻撃を仕掛け、戦艦大和まで特攻を命じた。 だから「海軍は命を捨てて攻撃しているのだから陸軍も総攻撃をかけるべき」と天皇も仰られた。 だから大本営(参謀本部)は「軍令部の総特攻に負けるな」という焦りもあって天皇の意思もあったので総攻撃を打診した。 結果論で言えば誤りだったけど当時の人達のことを考えると致し方ない面もある気がします。 まあ個人的意見ですけど。
昭和17年圧倒的。 昭和18年五分五分。 昭和19年から圧倒されだした。 ということらしいですが。 アメリカのエセックス級空母が完成し、動き出してから。 ということですか。 昭和18年半ば以降エセックスに。 エセックス級が少数のうちに捕捉、撃滅できなかったのですか。 (パイロット不足とタンカー不足のせい?) ミッドウェー海戦の空母4隻が残っていてもどうなったか。 ミッドウェー海戦で勝てば早期講和ができたのか? できれば日米の空母の稼働数を月毎に教えて下さい。 そのエセックス級が太平洋に点在する日本の守備隊を攻撃しだした。 そのせいで不利を承知でマリアナ沖海戦。 開戦劈頭日本もコレをしていれぱ。 燃料(タンカー)の関係で出来なかったらしいですが。 (戦史叢書でググって下さい。 横断検索、 スマフォを90度回転。 全戦史叢書。 表示。 ダウンロード ページ数) 全104巻です。 やはり講和するには 敵戦力の撃滅。 出て来るアメリカ空母を片っ端から。 そして日本空母の存在感をしめし。 アメリカに勝利の望みをなくさせる。 それには現有のエンタープライズ等を撃沈しただけでは。 ガダルカナルでは一時、アメリカの可動可能空母はゼロになりましたし。 一年余りで昭和16年度計画のエセックス級が完成しだすのですから。 これをどうやって沈めていくのか。 ですか? 日本の改⑤計画の雲龍型15隻は昭和17年度ですか。 それも資材不足で。 15隻全て(信濃に資材を提供したため13隻に)が完成するのは昭和22年度になってから。 アメリカのエセックス級はいつですか。 レーダーにしろ一二年遅れていますか。 そのうえで アメリカの西海岸でも、東海岸でも。 空母を遊よく。 空襲させ存在感を。 昭和1/7年度中にやっておければ。 戦史叢書ではそのあたり。 タンカー不足ですか。 ○ミッドウェー。ハワイ攻略。 しかし補給が。 そこでーーーアメリカ空母を。 ミッドウェーを占領し、維持するつもりがあったのかな? アメリカ空母が出て来るまで。 ○タンカーがあまり必要ないソロモン諸島沿い。 ガダルカナルですか、どこですか。 このニ案があったらしい。 敵空母を誘い出すために。 ハワイやオーストラリアをねらえば。アメリカは必ず出て来る。 ということらしい。 本当ですか? 山本長官はミッドウェーを取ったらしい。 しかしーーー。 ミッドウェーを占領してどのくらい維持できるのか。 ご存知の方お願いします。 まあ早期に出て来てくれれば。 まさかそれで情報が。 冗談です。 日本軍がいつ、どこへ来るがわからなければアメリカ軍も。 動きようがない。 しかし南雲長官は。 アメリカ空母はハワイから出て来るか、出て来るかと。 しきりに気にしている。 まるで日本空母が ミッドウェーを攻撃してくるのを、アメリカは知っているかのーーー。 まあいいか。 冗談です。 真珠湾ではーーー。 敵空母は真珠湾にいるか。 でしたか? 妙な話です。 ソロモンにおいても。 日本軍が行くと 必ずアメリカ軍が待ち受け。 その確率は。 教えて下さい。 面白い。 まあ。大量の燃料を使い艦隊を動かし、敵が出て来なければ。 山本長官の時はどうだったのか? 見かねた日本陸軍が暗号が解読されているのではと。 アメリカ軍も日本陸軍の暗号は解読出来なかったらしい。 本当ですか? 確認お願いします。 なにせ。 陸軍は自分のところで本を造り。 それを配って、ソレを元に暗号を組んでいたという話も。 本当ですか。 確認お願いします。 アメリカの戦闘意欲を喪失させるには。 これは勝てない。 と思わせるには。 どうすれば講和に持ち込めますか。
南雲さんは言われるほど悪い指揮はしていないと思いますよ。真珠湾でも空母を無傷で帰して欲しいとも言われてましたからね。ミッドウェイはそもそも戦力を分散した戦略じたいが間違いでしたね。山口少将の進言通りニ航戦の艦爆36機を発艦させても丸腰ですから戦果は期待できなかったと思います。戦いは結果ですから非難されるのも仕方ないですけど。
ご意見に概ね賛同します。急遽発艦しても分散している米機動部隊を捕捉して有効な打撃を与えられたかは未知数。又、米側は空母を輪陣で対空砲火で護衛。珊瑚海でも多くの艦載機を失ってます。ある程度編隊で空母に接近別れて攻撃。無線の性能の悪さ、パイロットの技術頼み、先手での攻撃でないと厳しいと考えてます。
二段索敵とは 通常の一段索敵とは 味方の攻撃隊が夜明けとともに発進するのとほぼ同時に発進するらしい。 たから味方の攻撃隊が敵①を攻撃中に 敵②発見となるらしい。 それで。 当時は肉眼のみがたより。 夜間は暗くて何も見えない。 だから夜明けとともに発進するらしいが。 第一段として夜明け前一時間で発進。 一時間で偵察機は何海里飛ぶのか。 夜が明けるまで、何も見えない海上を何百海里か飛んでいく。 そして夜明けとともに索敵開始。 つまり母艦から何百海里も離れたところから偵察ーーーということらしい。 母艦からそこまでの何百海里はどうなるのか? 夜明けとともに第二段が発進。 こちらが担当するらしい。 つまり 第一段を夜明け前一時間で発進させ。 第二段は夜明けとともに。 母艦から数百海里離れたところと 母艦からーーーと日の出とともに 同時に索敵開始するということらしい。 確認お願いします。
なかなか知り得ない部分ですね。航空母艦の離発着はモチロン、基地であっても夜間飛行は危険。基本飛行機による作戦はなし。 ガダルカナルでも、日本の駆逐艦輸送は夜間着すぐに流して離脱。立ち往生して進退極まっていた一木支隊のトドメは夜が明けてからの戦闘機の上空からの機銃掃射ですね。
インパールは成功したほうが地獄だけどな。食料の現地調達が無理なんで(飢饉で百万単位で死んでる
何故、毛利裕仁と刺し違え無い?消えろ。
美少年がお好きな政治家はどなたですか
伝統ですね❗️美青年とともには
西園寺公望は美少年がお好きと、京都人が話してました!が本当ですか!
全集の写真があります❗️美青年とともに
日本陸軍では本当に少なかったまともな将軍の一人。しかし甘粕さんの下で特務機関とは意外だった。
戦車戦の専門家で非常に優れた将軍だったのにね。 まあ、その有能っぷりを沖縄戦を発揮した結果、長期戦展開した事で県や県民の被害が拡大したのは一種の悲劇。
映画「ワンス・アンド・フォーエバー」の第7騎兵連隊第1大隊と大隊長のハル・ムーア中佐のセリフ、諸君らと神に誓おう!戦場で敵と戦う時には、私が一番最初に足を降し、 一番最後に戦場を離れると!戦場には誰一人、置き去りになどしない!を地で行ってますね。
実は真珠湾攻撃後の作戦は考えていなかったのだ
裁判が酷いとか言うけど日本軍も降伏後の捕虜に対して過酷な虐待を行っていた事を考えると当然の報いだと思う。
沖縄は最後まで軍政ではなく民政だったので、硫黄島やパラオのように命令で疎開させることはできず、県の指導というかたち。だから疎開が不徹底だった。南部撤退も軍は喜屋武半島、民間人と軍属は知念半島へ後退するよう決められていたが、それも同様に不徹底だった。また、悠久の大義に生きよ、は勿論民間人に向けたものではなく、正規の軍人兵士に命じたもの。軍政でないのだから軍は民に命令できない。牛島中将は、島田知事が一緒に死にたいと言ってきたときも、君は民間人だから死ぬることはない、と言っていて、民間人を巻き込むつもりはなかった。沖縄のマスコミや学者は、今もヤマトンチューがウチナンチューを殺したと言っているが、ちょっと違うと思う。戦死した陸軍の軍人兵士は沖縄と縁もゆかりもないのに沖繩を守るために戦って死んだのだから、もう少し62師団や24師団に対する慰霊の気持ちがあっても良いと思う。沖縄を戦場にしたのはアメリカ人で、もし日本軍が居なくても上陸してきて、逆らうものは殺されたと思う。
たしかに日本中から沖縄を守る為に人が集まってきたことや戦艦大和が沖縄を守る為に沈没したことを忘れないでほしいですね。
山下てなんか明るい安村に似ていると思うのは私だけでしょうか?
こんな事言っているから、日本の経済が傾いても、税金取られ放題でもジミン党に投票するか選挙にも日本人は行かなくなって政府の言いなりに成って喜んでしまう人種に成ってしまうんだよ
じゃあどうする? 沖縄戦は結果論で何とでも言えるわな。 だが現実政治は結果論とは行かん。 自民党を政権から引きずり下ろしてどの政党に任せるのか。 ちなみに私は自民党一強時代の安倍政権の頃から1度も自民党に投票していない。 みんなの党、維新、次世代、国民民主党に投票しているがこれは自民党には出来ない既得権益の改革を期待しているから。 あなたの代案を聞きたい。
「指揮官としての責任感」という言葉が軍服を着て歩いているような人物だったのですね。 このような上官の下で戦ったのであれば、例え戦死してしまったとしても、無念ではあっても納得だけは出来たかもしれません。
無謀な作戦ってのは皆わかってたんだよ。現地の人に懇願されて決定したんだよ。正義のために戦ったことなんだ。
男塾塾長みたいな猛者方ですね
山下将軍を主演にして作られたのが、 シベリア超特急。
水野晴郎さんが山下大将を演じてましたね。 ホントに瓜二つだった。
栗林中将は小笠原方面の防衛司令官だったから本隊のある父島に留まり、そこから硫黄島戦の指揮を執ってもよかった。軍人としても有能だったし人間としても立派な方だった。敵前逃亡としか思えない提督、将軍もいましたからね。レイテ海戦の栗田なんてのはこれはもう敵前逃亡ですよ。こんなのに限って戦後も長く生きたやつが多い。
相撲取り並みによく食った 太った面をしている
マネーの虎?
皇道派、統制派。しかし、第三の派があったならば。今日の国会でも、それなりの第三の党があれば投票率もね。
亡き祖父が山下奉文の副官でしたが、パーシバルとの会談の場にも居合わせていたため 何度か話を聞いたことがあります。 軍からのアルバムには山下奉文はじめ、さまざまな写真があり 今は寄贈しましたが、当時の話をもっと聞いておきたかったです。 山下奉文に関する本も何冊も持っていましたね。 また、笑える話ですが、山下奉文はイビキがとても大きく とても寝られたもんじゃない、と寝台ごと移動した人がいたそうですよ。 捕虜の扱いについても、捕虜をいじめてはならんと言っていたとか。 山下奉文と東條英機とのことや、辻参謀についても祖父は色々言っていたのを覚えています。 処刑前に遺した言葉の中にある、女性に対しての部分、ほんとうにそうだなと思いますね。
やはり、あの恰幅の良い体型だといびきは大きくなりますよね。もしかしたら、睡眠時無呼吸症とかにでるぐらいだったのかも? いまや、歴史の中の存在になってしまわれましたが、そういう人間としての記憶というのはとても大切ですよね。
今の自衛隊は幕僚長に防衛大出身じゃない人が選ばれたりしているけどそれってどうなんだろう。 たしかに文民統制なのかもしれないけど…
厳密に言うと堀栄三が打ち立てた作戦を真面目にやったのが中川州男と栗林忠道と牛島満だけだったって話だけどね。 とはいえよく「水際作戦のせいでイタズラに兵力を消耗した」と呼ばれるサイパンの戦いでは途中からはゲリラ戦を展開して苦しめてる。
226の采配が対米戦争に行き着いた陛下の間違いの始まりと思います
宇宙戦艦ヤマトシリーズの戦闘機隊隊長に加藤にしたのも加藤建夫にちなんでだそうです。 出身地も加藤建夫と同様の北海道という設定です。
16:21~ 何かで読んだ文献には、山下奉文氏はこのようなこと述べていたとされる、、、、 強くて立派な国は強くて立派な国民が作る。国民を育てるのは彼らの母親である。強くて立派な母親を育てるのは女子への教育に他ならない 女子への教育に力を入れるべきである。 国の発展にはそれが必要不可欠だ。 ジェンダーだのフリーだの我がの権利だけを叫くアホ共は少しはそこの所を考えて頂きたい
13:30 日本軍は「25分の21」が死ぬような凄まじい闘いをしたわけですが 連合軍側だって2万6千人が死んでも作戦を止めずに継続したわけですから、 国の方針のためなら人命を物扱いにする点はどちらも同じだと思います アメリカやイギリスが人命尊重の人道主義だなんていうのは幻想です
一式戦闘機は、海軍の零式艦上戦闘機に比べ武装では劣るものの、一型から燃料タンクに防弾装備が施され、二型になるとタンクの防弾装備を強化し、操縦席背面に厚さ20㎜の防弾鋼板が取り付けられた。又、武装は機首に12.7㎜機関砲2門のみだが、命中率が高く積載弾数も多く、それとは正反対の零戦の20㎜機関砲より良かった。 更に、戦争後半になると、重量増加で軽快さを失い、米軍機に太刀打ちできなくなった零戦に比べ、一式戦闘機は終戦まで健闘し、米軍パイロットからの評価も零戦より高かった。
生きていれば野中四郎自決の真相が聞けたのにな
南雲インパール令和電磁波作戦廉也法務省ミッドウェー300兆事変
そもそも南雲艦隊が世界初の空母機動部隊だし、その第一航空艦隊がどのように運用されていたのかを考えればいい。固有の編成ではなく作戦毎に不足分の戦力を他から借りていた。それで機動部隊を完璧に運用しろという方が無理。そうなったのは日本海軍が長い期間、日本近海での艦隊決戦を基本戦略としていて、ハワイやミッドウェー、米国本土近海に進出して米国艦隊と決戦するなど想定さえされていなかった。艦隊とは、基本戦略の決定→艦艇の建造→訓練によって問題点を洗い出す→問題点を改善する、を繰り返して作られる。第一航空艦隊はこのプロセスが明らかに不足していてミッドウェーの敗北の理由を南雲忠一に負わせようとするのは酷すぎると思っている。
御意見は非常に納得いくものです。ただ、米との戦争が視野に入ってからは、航空隊の訓練は厳しさが増していきます。鹿児島湾を利用して浅瀬での魚雷攻撃など、この時期の日本の空母部隊のパイロットにしかできません。訓練での死亡事故も起きてます。山本五十六氏は事故の報告を受け『慟哭』したと書かれた戦記モノもありましたが、オーバー表現でしょう。悼んだのは事実でしょう。この訓練が真珠湾を想定していたのは有名です。又、序盤の快進撃・米とどのタイミングで和睦交渉するか?などキチンと戦略を練った戦争では無かったことは時系列で歴史を知れば明らかだと考えてます。
日本敗戦当時、日本を米軍軽空母100隻で囲んでたらしいね 敗戦にミッドウェー海戦関係ない
真珠湾攻撃で、再攻撃をしなかったことが、ミッドウェー海戦失敗につながってしまいましたね。戦略が楽観論すぎて、最終的には精神論の玉砕に走るというのは、最悪のシナリオです。今の政府にも通じますが、最悪のシナリオも想定すべきでした。
真珠湾の再攻撃に関しては最悪のシナリオを想定してしなかった。
わたしは、以下のように理解している。山下将軍はハーフである。ヴィクトリア女王は二卵性双生児の子供として生まれた。男の子(トリノ王と称された)がいたがヴィクトリアが王位を受けつぐことになった。トリノ王は明治の日本銀行の創設日に、祝辞を述べるために来日した。その時日本の女性との間にできたのが、山下氏である。彼の政治的な使命は、日本が集めた、世界の莫大な「金塊・財宝」を安全に保管することであった。それでそれをフィリピンの地下に隠すことに成功した。約数10か所あると言われている。最後にその施設を閉鎖するとき、山下将軍、宮家の竹田、高松宮らが、施設を作った兵士ら(100人以上)を爆破し役目をはたし。戦後フィリピンに隔離(ある程度自由はあった)され生涯を終えたらしい。 山下将軍は写真を見ると、ヴィクトリア女王と顔・体格がそっくりである。またおそらく事実であると思うが、そうであるならば、故エリザベスⅡ世、ドイツのメルケル首相などと血縁関係になる! 興味のある方は、世界銀行の理事であった「カレン・フ―デス」を調べてください。
もし、ミッドウェーに勝っていたらという話があるけどアメリカと和平が結べなければ8/15の終戦記念日が年末に変わっただけだと思う。沖縄上陸が半年遅れていれば原爆の1発目が沖縄だったかもしれない。4発目、5発目の原爆が落ちていたら、自分も含めこの世に存在していなかったかもしれない。怖い話だと思う。
冷静な御意見だと思います。相変わらず5分だの15分あればなどと、おとぎ話が語られているがナンセンス。15~30分で何機発艦できるのか?雲間からの急降下爆撃を防げるはずがないですね。 まして、空母何隻かの犠牲の勝利てミッドウェーをキープできないのは佐々木様の投稿で明らか、まして島を足がかりにハワイ攻略など夢の又夢です。 終戦への決断が遅れに遅れ、尚且つ制海権のない状態で準備もままならない沖縄戦。どんな悲劇が起きたか想像しただけでゾッとしますね。
山下大将のイメージ変わりました!ありがとうございます。
私の曽祖父の弟さんが山下将軍の指揮下にいました。山下将軍あっての精強な日本軍だったと思います。
結局、ミッドウェー海戦は日本側が。アメリカの攻撃をしのぎ切れば勝ち。 ということですか? 護衛の零式無しで山口少将麾下の艦爆たけ(蒼龍、飛龍各18)出すか。 しのぎ切ってから出すか。 あなたならどうしますか? 山口さんも独断で。 最初、加賀が上空直掩を担当。 (各艦零式を編成定数では21機搭載していたらしいです) 敵機が増えるにつれ他の空母からも(アメリカ空母出現に備えていた第二次攻撃隊の護衛に当たるはずの)零式が飛び立ち。 アメリカ空母攻撃用の第二次攻撃隊は直掩機無しに。 ミッドウェイ攻撃の第一次攻撃隊が 帰って来ても。 その零式まで敵機が増えるにつれ、次々に味方空母直掩に飛び出したらしいです。 しのぎ切るには。 だから日本空母上空には70機以上の零式が。 確認おねがいします。 アメリカ空母攻撃を凌げれば。 70機もいてどうしてアメリカの艦爆を。 それと艦攻乗りで3度出撃した者はいないーーーと言われていたそうですが。本当ですか?