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安藤輝三は、鈴木貫太郎にトドメをささなかった。鈴木貫太郎は4発もの弾丸を食らった。当時鈴木貫太郎は67歳なのに不死身の回復っぷりをみせる→10年後、最高齢の総理大臣として、東條英機も小磯國昭も無理だった戦争終結を4ヶ月で成し遂げる。この流れが凄すぎる。
因みに、近所に、日本の産業の勇!自動車販売会社賛の、営業所ございますなので、車検にて、参りまして、徒歩帰路路に坂道を挙がって帰りました記憶が鮮明です、今は、マンモス級マンションに建て替えられておられます。と言うか、閣下の、辞世の御言葉に於かせられましては、『永遠の平和、永 遠 の、平和』と2度に渡り仰せ煮られまして、旅立たれて居られます、大 変 申し訳けも、ございません、ので、行動をし為ければならないのかな?と愚考出来てしまう今日この頃です!
@@江波戸-y8r いつの人?
安藤大尉の部下だった人(決起には参加していない)が、入院していた大尉を見舞いに行ったら「驚いたか」と言って笑ったそうです。その人は大尉の前で一言も発することができず、ただ泣くばかりだったとか。病院は警備の兵が沢山いたが事情を話せば短時間の面会は許可されたようです。
祖父が陸士38期で同期でした、安藤さんのことは、「とても優しい性格であり、部下思いというのも理解できた」と言っておりました。事件当日祖父は山王ホテルの前を通り、歩哨を戒厳軍と思い敬礼して通り過ぎたと「もし安藤があの場にいたのであったと知れば説得にいったかもしれない」とも言っておりました。
安藤と陸士同期ということは、磯部浅一とも同期ということですね。
@@大河原仁-d4f そうなんです。実は磯部浅一氏の方が近しかったようで、「イソ」と呼んでいたと。感情の起伏が大きく、情熱が強すぎるところがあったと話していました。
@@檮原渉 様とても興味深い話ありがとうございます。
私の血は、その安藤氏の血をもろにひいてます。本当に有難う御座います。令和の226をぜひ断行したく存じます。●選挙に行き、血税を使う輩を討伐すること。●民衆のために戦う事之を我が使命として生きてゆきたく存じます。安藤輝三の従甥より
貴重なお話ありがとうございます!
安藤大尉のお子さんが、鈴木侍従長記念館に安藤大尉の遺品を展示される事に許可され、亡き父の外套を見る目が印象的でした。一言「感無量です」と。鈴木侍従長の奥さんである、足立タカさんは昭和天皇に命の大切さ、自然界への敬意を教え、昭和天皇からは「タカは母親だ」と言ってましたし、襲撃されて病院に居るタカさんに直接、電話をしたとも聞いています。昭和天皇の骨幹になった精神論は足立タカさんの影響が大きいと思います。良い動画でした。
いい動画です! 青年将校の志は純粋なものだったが、この事件を契機に政党政治が崩壊に向かい、軍が政治を動かす体制を作り上げ、結果無謀な戦争に突き進んだことは忘れてはいけないと思う。安藤の心情は理解できるが、行動そのものは擁護してはいけないと思う。また「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは、真綿にて、朕が首を締むるに等しき行為なり」「朕自ら近衛師団を率い、これが鎮定に当たらん」 との陛下のお言葉は入れて欲しかったです。
全文同感
ありがとう
私の言いたいことを言うてくれてありがとう。このコメント欄にも清廉潔白だとか言うて擁護する人多いけど、どうあってもこの事件は擁護してはいけない。それがあの時代に対する我々の責任ですよ。
@@quanhault879 まぁ今はテロリストの称賛をするのがリベラル界隈な時代で、時代は変わりましたけどね。
朕がビビリだと軍が付け上がる
渡辺錠太郎の娘さんは機関銃で撃たれた時は机を盾に横に居た。後に岡山のノートルダム清心女子大学の学長に30代で就任した。渡辺和子さん。置かれた場所で咲きなさいの著者です。事件主謀者の野中大尉の墓はこの大学が見える岡山市内の東山墓地にあります。
ついに来た、後からゆっくり見よう楽しみだ!
【補足】祖父が陸士出の歩兵大尉で、連隊長の副官をしておりました。その祖父から聞いた、軍学校の説明。*幼年学校=世間一般の中学校(旧制)とほぼ同じ教育課程で、青年期の情操教育が主。そのため軍事関連科目は最小限に抑えられ、語学や一般教育科目の他、体育や芸術科目にも力がおかれていた。グランドピアノが置かれ、ベートーベンやバッハなどの曲を演奏することもあったという。また、そのため授業料は有料(自己負担)で、月2円50銭だったという。*士官学校=幼年学校および旧制中学の卒業生を対象とし、将来の一般将校(少尉から中佐クラスまで)を養成する。中隊レベルの実践指揮能力が求められる。授業内容は座学+実習の軍事関連科目が中心だが、語学や一般教養科目もある。海軍兵学校とともに、現在の防衛大学校の前身。*陸軍大学校=現役将校(少尉~大尉クラス)の中から、将来の将官候補生を養成する。自らの意志による受験ではなく、上官の命令によって受験する。士官学校での成績がものを言い、卒業時の成績席次が概ね30番以内でなければ、推薦されない。定員は50名で、座学や実習の割合が極体に少ない。古今東西の戦史戦略の研究と、師団以上の部隊を動かすストレーミングが教育の主。後年、瀬島龍三氏によると「あまりに軍事に偏っていたため、視野の狭い軍務官僚を輩出してしまった。昭和初期だったか、それでは良くないということで、東大の法学部や経済学部と交換留学させようという意見が陸軍省教育局に提出されたこともあったが、それらは無視されてしまった」と語っている。
こういう近現代史って、学校でもほぼ習わなかったなあ。すごく重要だと思うのに。
軍隊は悪だ・民衆の敵だ、ってのが「学校教育」民衆の側に立つ将校や、権力の側に立ち民衆から貪る側に立ち言論を弾圧する護憲政治家とか、軍と結託し「過激な軍事作戦ニュース」を欲するジャーナリストとか、「戦前昭和史」は現代歴史教育に不都合過ぎる事実ばかりなんだわな。
日本人に真の歴史は教えないよ共産党主導だからな
ここら辺のことやると日教組がおかしなことおしえるから。
@@gtgt9965 まさに日本の敵日教組だよ戦時中でも平気で「平和」を唱えていた表向きでは従っていて戦後手のひらを返したように正義感面をしたからな本当に信用ならん未だに間違った教育を教えてるし
26:47昭和天皇は麹町警察署に直電話して、「鈴木貫太郎」の無事を訪ねたそうです。当時天皇が自分で電話するなんて前代未聞で、父親代わりだった鈴木貫太郎が襲撃されて昭和天皇がブチ切れたという説も信憑性がありますよね。
ちなみに麹町署の署長はまさか昭和天皇が電話をかけてくるとは思ってなかったそうで最初は誰だか分からなかったとのことそこで電話の向こう、昭和天皇の方では当直侍従だったか誰かが「今そちらに電話をかけておられるのはお上にあらせられる」と伝えたそうで……。
安藤夫人は その後 静岡で小さな洋裁学校を開いてましたねNHKの番組に出てました 1970年代までは 当事者が存命してた 貴重なインタビューでした
私もそのNHKの番組、見たことがあります。226事件は日本史上で大きな出来事、事件の一つですが、当事者とも言える夫人にとっては家族の事件でもあり、夫を刑で失い、残された幼いお子さん2人をあの時代育てていくのに、大変な苦労をなされたのだろうと思いました。1996年に召されていたんですね。
遠い記憶にしか過ぎなくなったこの事件の教訓は現代人に生かされているか問ういいビデオだ。まさかはまたかに変わることはあり得る。
母柿ん
安藤大尉の忘れがたいエピソード。安藤の部下が亡くなった。貧農のせがれで、姉が女郎に売られる前日の自殺だった。その葬儀の席で、部下の母は泣いて安藤に問うた。「大尉様、息子を軍隊とられるのも、娘が女郎になるのも、お国への御奉公なのですか?」と。「私は一言も答えることができなかった」と安藤は書き残している
東北の悲劇は当時の日本に国民を救済する原資が不足していたからです。その原因は岸信介等「革新派官僚」たちが、朝鮮や満州に日本の税をつぎ込んだためです。
『宇垣閥』というけど、基本はロシア革命による陸軍省(田中義一)と参謀本部(上原勇作)の対立(国際協調派とロシアに検閲を持ちたい派)が起源でこの時の戦費と陸軍機密費を田中が政界入りに持ち出した疑惑に対する対応で派閥化された。(また、長老を押し出し自分たちが中心に陸軍中級のエリート層が、対ソ派と中国一撃派に分かれた。)2.26事件の一番の問題は自分達の意見が天皇陛下に全然届いていないのに荒木や真崎の意見を聞いて事を起こしたことである。明治維新の元老は若き明治天皇を叱咤激励し大公までに育てたのに対し昭和の中堅軍人は、『天皇は若年である』として政治・軍事を壟断した事にある。安藤個人としては弁明すべき点もあるが・・鈴木の妻は昭和天皇の若年時の教育係だった。
当時大学生だったうちの爺さん(故人)が戒厳令下、規制線ギリギリまで行って様子を眺めていたそうな。線の外は事件の内容とは似つかわしくないほどいつも通りの東京だったらしい。
だとおもう今、自衛隊がクーデターを起こしても庶民は普通のいつもの通り動いてると思う関係者だけお祭りをしとけって感じかな
永井荷風の『断腸亭日乗』にもそのようなことが書かれていましたね。
映画「226」では三浦友和さんが演じてましたね。山王ホテルを占拠する際にも従業員や支配人に穏やかな態度で接し、部下の兵士たちへ食事を用意させる時もちゃんと代金を払ってましたね。決起には最後まで慎重でありながら、一度起つと諸隊のなかで最後まで脱落者なく踏ん張っていました。
迷惑を受けたことになるはずの山王ホテルの支配人が「畳なんぞ全部裏返しにして、散らかすなと命令してました。本当に立派なもんでしたよ」と後々まで褒めちぎった由。
というても近代日本の集大成たる政党政治を破壊した契機の事件でありますよね。擁護できないなぁ
@@草莽-b6d それだけ日本の軍部の規律は厳しかったゆえに利用されたわけこのクーデターに賛同した将校や下士官たちは何人いただろうか
@@quanhault879 「擁護」ではなく「事実」な。接収した施設の利用が行き届いていたから擁護するなんて幼稚な議論は、俺も含めて誰も言っちゃいないのだ。ところでさ、キミ、きちんと義務教育受けたのか?→Quanhaultなお「政党政治」を終わらせたのは、この四年前の五一五事件だ。五一五事件で斃された犬養毅が戦前最後の政党政治家の総理だなんてことは、中学校の教科書にも書いてある。犬養の次の総理は斎藤実、そのまた次のは岡田啓介(二・二六事件当時)。共に海軍出身の「重臣」で、当時は「挙国一致内閣」(政党に依らないから)と言われていた。「近代日本の集大成」だがなんだか知らんが、二・二六事件当時、政党政治なんぞ数年前に事実上終わっていたのだ。義務教育レベルの事実も知らんでシッタカブリするってのも、傍から見ると随分みっともないもんだぜ。お前さんのコメはそんなのばっかりだがな。
アップロードありがとうございます
決起には最後まで懐疑的だったと言われるが、一旦事件勃発後には安藤隊が最も結束が固く、帰順勧告を受けた後には他の決起部隊からは離脱者が散発したのに対し、安藤隊からは一人の離脱者も出ず、「あんなに立派な隊長を裏切る様な真似はできません」と泣いて帰順を拒絶する下士官兵までいたと言われる。階級も離れ政治的立ち位置が逆だった永田鉄山からさえ厚い信頼があった事といい、直接襲撃を受けた鈴木貫太郎からはむしろ「誠に立派な、惜しい」とまで評された事といい、人間的に立派な、あの事件に参加して刑死させるには惜しい人物だったのだろうと思わされるのである。その安藤大尉は、最期に「秩父宮殿下万歳」の語を遺して亡くなった。秩父宮殿下が反乱に好意的であったとも思えないのだが、その一方で当時、「反乱を承けて秩父宮殿下が東北の部隊を率いて東京に攻めてくる」等とのデマが飛んだとも言われる。陸軍内部の派閥争いがあの事件となって爆発したのは確かだろうが、その後の「粛軍」の動きの中で揉み消され、青年将校らになすり付けられた「都合の悪い事実」も相当あったろうとは思わされる。
それは 映画でのこと 実態は 離脱できなかった空気が蔓延してたということですよ兵なんて中隊長は雲の上の存在だよ ごく一部の下士官兵の中には熱狂的な安藤派がいたけど その空気に押され訳も分からず参加させられたというのが本当のところ何のためにやっているのか? 何をしたのか? ほんとんどの兵は知らなかったしわかってない
@@asaichban9842 むしろ映画の中の方が離脱は容易に描かれてますけどね。「動乱」(主演以外はつまらない)「二・二六」にしても、ビラまかれた途端に兵がワラワラ逃げ出したり、中隊長相手に「昭和維新はもう終わりにしませんか」と兵卒が叫んだりするシーンがあったが、下らないと思った。それでもなお、例の「勅命下ル 軍旗ニ手向フナ」のアドバルーンの後には、他隊からは結構な離脱者が出ている。(「勅命」「逆賊」の響きは、それほど重かった)それでもなお、人員の過半数を占める歩三(安藤隊)からは、とうとう離脱者は皆無だった。帰順後も安藤への崇拝を失わない者が多く、危険がられて最前線に回されることが多く、相当大きい割合で戦死者が出たとも言われている。
@@草莽-b6d 昭和35年新東宝の「叛乱」は一見の価値あり、まだ大東亜戦争を戦った人物が生きていた時代の作品。
「秩父宮さま、みんなの宮さま」という歌が流行り、当時の人気は異常なほどでした。
@@竜涎香-g9o 戦後にも、ラグビー関係者が私財や貴重品を売ってようやく建設にこぎつけたラグビー競技場の工事現場に、既に重病の身でありながら「ラグビー協会名誉会長」として長靴を履いて視察においでになり、「ラグビー協会は貧乏なのでなにぶん宜しく頼む」と鹿島建設の担当者に深々と頭を下げられたので、その場にいた者が皆、男泣きに泣いたと伝えられる。ご遺徳を記念して「秩父宮ラグビー場」なのだとラグビーやっていた友人が教えてくれた。この話を聞いて以後、俺にとっても、秩父宮殿下とラグビーへの印象が一層変わった。
心優しき安藤輝三さんは、西郷どんみたいなタイプだったから、自分の故郷の農村地域が飢饉、不作も相次いて、奥さんと娘さんや孫たちの身売りも立て続けに出たから、やると苦渋の決断、二二六事件を起こしたのね😢だからといって、許されないし💀、その後の無茶苦茶な負け戦に、走らせた原因、鈴木貫太郎が昭和天皇様の侍従武官、爺やだったから、昭和天皇様が激おこぷんぷん丸もわかるのよ~😡🔥亡き三笠宮崇仁親王様が手記に、軍部の暴走などを書き遺したのも、頷けるわ~😢この事件の犠牲者の中には、亡きノートルダム清心女子大学の学長や理事長を務めた修道女渡辺和子さんの父上もいたみたい😢
なかなか情報がなかったので北一輝の解説もお願いしたいです
時代が違えば普通に陸自の部下思いの自衛官だったろうなぁ
本人は非常に優秀かつ人格者なのに、取った手法は拙く大迷惑であり、後世まで多くの人を困らせてしまったが、乱の首謀者本人自体は評価されて更に迷惑を広げてしまうという皮肉極まりない結果まで、尊敬していた大塩平八郎そのものになってしまっているのが何重にも皮肉で悲しい。どちらも間違いなく「良い人」ではあるが…
同感
社会の教科書では ここまで詳しく載っていなかったし 奥が深いと感じました
安藤と鈴木貫太郎の関係性は知らなかった。やはり真崎・山下だけでなく海軍側の伏見宮、小笠原は確実な黒幕。
井上成美:「伏見宮(博恭王)は大バカノ宮だ!」海軍でも艦隊派は二・二六事件を歓迎していたと思います(事実、石川信吾などはクビになる予定でした………)。
@@大河原仁-d4f 確かに艦隊派系統は歓迎してる感じでしたね。加藤寛治なんてその筆頭で、井上成美に「強いことを言ってれば若い者に受ける」浅薄な人と評されていましたが、蹶起当日、真崎と伏見野宮邸で謀議を交わしているところからして、完全にアウトだと思います。
伏見宮こそ、日本滅亡の主犯の一人であることは間違いありませんね。
安藤大尉の弟(息子だったかかな?)さんが自衛隊にいたみたいで、父親の上官だったみたいです。勿論、目をつけられていたから3尉より上には上がれなかったみたいですが、優しくしてもらい、家に隊員集めて奥さんが料理を振る舞ってくれたといってました。
貴重なお話ありがとうございます。
秩父宮様は2.26事件後 護衛もなく中国戦線に上級士官として赴任されました。そこで見たのはやはり陸軍幹部の腐敗だったそうです。
『魔法はない』 すごく良い表現だと感じました✨
高倉健主演の動乱のモデルは安藤輝三と磯部浅一の二人を一人にしたのが、高倉健が演じた宮城大尉だったはず。
226事件以降、軍部の政治関与が膨張し、民主政治を破壊して、軍人独裁体制に進んでしまったのは、残念です。若い軍人の正義感が、大東亜戦争にまで突き進んだといえます、三島由紀夫は、226事件を美化しましたが、本人は、クーデターに憧れたようですね。
配信を、ありがとうございます。
ゆっくりシリーズ数多くクオリティ高い
青年将校を煽りまくった荒木貞夫が畳の上で死んだのがどうも納得できない。。
むしろ、真崎甚三郎に対してそう感じる。二・二六事件の映画(とは言っても駄作というか、問題作だが)まで作った三島由紀夫は、何かの講演で「最も軽蔑している人物は誰ですか」との問に、「真崎甚三郎」と即答したという。
@@草莽-b6d 見事なまでに掌を返してますからね…
@@anaisno1 そりゃあ、将校なんて自分の政治の道具としか考えてない連中ばかりですしね。
@@草莽-b6d 様真崎甚三郎:「とうとうやったか、お前たちの心はよう分かっとる、よーく分かっとる」軽蔑というならば荒木・真崎だけでなく山下奉文も加えて良いと私は思います。
@@大河原仁-d4f 迫水久常さんも山下奉文に対しては厳しい発言をしていましたね。
秩父宮の存在は2;26事件最大のタブーとされる。あそこで秩父宮が昭和天皇に反旗を翻していたら、事件の趨勢はひっくり返っていたとする説もあるぐらい。2;26ものの映画では秩父宮のことを脚本に書くとプロデューサーが血相を変えて飛んでくるという話だ。
秩父宮自身がどうかは知らんが皇位簒奪の企てがあったのは事実だからなあ。
自分もそこは大変興味を持っています。現代でも長男に対して全く敬意を持たずに足を引っ張っている次男がいますね…お互い押し立てている勢力がいるから引くに引けない状況なんでしょうか。
@@lutesnest1353 悪い連中にそそのかされていたんだろうな
@@minebazabi 貞明皇后とかもだから。
秩父宮が真崎甚三郎と近かったのは事実のようですね。
小磯国昭と、今からちょうど100年前の総理大臣で今年没後100年を迎える加藤友三郎も解説もお願いします
主犯は磯部浅一だったんじゃないかなあ。免官されて、何も失うものはない「無敵の人」状態だし
だから三島に憑依した?英霊の聲から、三島は変だった。怖じ気づいて三島の生首見なかった石原慎太郎は死なず、見てしまった川端康成は程なく自殺。
主犯は磯部・栗原安秀・安藤の三名と言って過言ではないと思います。
主犯は真崎じゃないでしょうか? あるいは辻が後ろで手を引いていたとか。暴発させて皇道派を壊滅させようとしたりして。ただ辻も中隊長時代の部下には慕われていたという話もありますけど。
この事件で総理官邸を警備していた警察官が殺害されたり警視庁本部が占拠された遺恨が戦後にも続いて現在でも公安警察内に自衛隊を監視するマル自と呼ばれる部門があるそうです。
同じ理由から、警察官の数が自衛隊の数を下回らない様に、との内規があったとも聞きますが‥‥
遺恨関係なしでも監視は必要だとは思うがなんだかなぁ…とは思う。
何処の国でも軍を監視する部門はあるものです。規模が一番大きかったのは旧ソ連KGB軍管理局で参謀本部内にも多くの内通者を抱えていたとか。
「妻たちの二・二六事件」(澤地久枝著)を読むと、残された房子夫人が、夫亡き後の逆境にめげず、自立の道を選んで第二の人生を力強く歩んだことは救いだろう。テレビドキュメント「松本清張事件にせまる」では、志垣太郎が安藤に扮したが、その凛々しさ、事件直前の苦悩をヴィヴィッドに演じ、好演であった。
私も志垣さんが演じた安藤大尉に、ぐいぐい引き込まれました思慮深さや慈悲深さを感じられる、名演だったと思います
@@patariro1964 安藤氏は秩父宮とドイツ語で書簡を交わすなど、秀才の誉れ高かったと仄聞します。「事件にせまる」は「2.26事件」の前に前編(11月20日事件~真崎更迭から相沢事件まで)が制作されましたが、痛恨にも見逃し、録画もできませんでした。放送から40年近くにもなり、DVD化や再放送はほぼ絶望的ですが、せめてこの2.26前後編だけでも、と未だに願っています。
政府側、文官の立場から226に対峙した迫水久常を見てみたいです
村中さんの生い立ちなども取り上げていただけたら嬉しいです。
栗原安秀、野中四郎もお願いします🙏
もし安藤の気質が磯部と同じだったら鈴木貫太郎は殺されていたし、そうじゃなくても安藤が事件前に鈴木を訪ねた時に鈴木の姿勢に感銘を受けていなければ殺されていた。そして鈴木が殺されていればおそらく降伏はもっと後になって本土決戦あるいはソ連の北日本占領が現実になっていたのかもしれない。
これ。みんな、鈴木貫太郎の凄さをわかっていない。4年も戦争続けてて東條も小磯も駄目だったのに鈴木貫太郎は4か月で戦争終わらせましたからね。
@@浄門道場 様東郷茂徳や下村宏、吉田茂、井上成美の意見を聞いてポツダム宣言を「黙殺(=無視?)」していなければもっと良かったのですが。
@@大河原仁-d4f 様。「ノーコメント」事件ですね。戦後に鈴木貫太郎自身も、あれのせいで原爆投下されたのではないかと後悔していたそうですね。
@@浄門道場 鈴木貫太郎は自分の中では日本の首相の中で一番偉大な首相だと思っています。少しでも遅れればソ連が攻め込んでくる、陸軍大臣に侍従長時代からの親交篤い阿南惟幾を据えなければ陸軍は留め置けずおそらく暴発して内乱状態になっていた。その中でベストではないのかもしれないが終戦させた功績は計り知れない。戦争は始めるよりも終わらせる方が難しいですから。
@@大河原仁-d4f のちのトルーマンの日記か何かでは既にこの対応に関わらず投下は確定していた、みたいなのを聞いたことがありますが、個人的にはソ連ルートで講和の道筋を開こうとしてそれを諦めきれなかった部分が惜しい所だったと思います。
いい動画でした。
違う形、やり方があった気がします。戦後まで生きていればきっとよき指導者になったのかも。祖母が事件当時、今の渋谷か港区で住み込みで働いていたそうですがそこの主人から「絶対外に出るな」と家族や使用人に言っていたそうです。
安藤輝三の父は安藤栄次郎という。棚橋衝平は実父。事件時は慶應大学予科の英語学の教授であったが、事件の責任を取り、中等部の教師となった。
もし安藤が陸大に進学していて陸軍中央の軍人として歩んでいたらどういう人生を送っていたか非常に興味がある…
安藤の頭じゃせいぜい雑用係が関の山。あまり知られてないけど、事務的な文書を起案することすら苦労してたほど頭が悪かった安藤。
大佐あたりで終戦になっていた成績優秀で参謀本部作戦課に行ったとしても ああいう人ですから 浮いた存在なので飛ばされて 一連隊長として戦死だよ
決行後整備局長室に戻って「永田に天誅を加えた」と告げた。山岡は予想外の表情をしたが、永田を刺突した際に刀身を持ったため出血している左手をハンカチで縛り、たまたま来室していた大尉に医務室へ案内させた。途中、永田局長の一の子分といわれた新聞班長根本博大佐(陸士第23期、陸大第34期)が駆け寄ってきて、黙って固い握手を交わした。また、調査部長山下奉文少将(陸士第18期、陸大第28期恩賜)が背後から「落ち着け落ち着け静かにせにゃいかんぞ」と声をかけた。こうした陸軍省内の様子を見て「ありがたい、維新ができた」と内心感激した[2]。WIKI 参照 山下大将も絡んでいる?
WWⅡ当時のドイツで、「戦争では良い人ほど早く死ぬ」だそうです。若者を煽動した老人はみんな畳の上で天寿を全うした。カミカゼを命じた老人たちも同じ。
神風特攻隊の産みの親である、海軍中将大西瀧治郎は終戦後、命令に従って死んだ部下たちやその遺族たちそして天皇陛下と国民に対して切腹という形で謝罪している。
宇垣纏司令長官は特攻隊員との約束通り彼等の後を追って最後の特攻をしましたし大西瀧治郎中将は自決して責任取ってますがなんでそんな嘘つくんですか?
最後の連合艦隊司令長官小沢治三郎は宇垣「特攻」に対し、「○ぬのなら一人で○ね」と激怒したと伝わりますが。
陸軍の司令官の菅原は畳の上、宇垣は停船命令違反を引き起こし、若者を無駄死にさせた。最高指揮官だけの問題ではなく、佐官級や将官(少将)クラスでどれだけ自刃しました。
陸軍大臣、阿南惟幾大将も陛下と国民に対し一死大罪を謝す、と遺書を残し終戦の日に切腹しています。
皇道派という派閥なんて実際は存在しなくて主流派から外されて現状に不満をもつ高級将校の愚痴の言い合いを周囲が派閥と勘違いして派閥みたいに行動し始めて派閥の領袖として現状不満派からチヤホヤされていい気になって大きなこと放言してたら事態は引き返し不能になってたという考察もあった気がする
宮城事件も取り上げてほしいです。
畑中健二少佐!
「鉛玉 金の玉をば 通しかね」血の海で危うく滑りそうになり鈴木貫太郎の治療をした医者の詠める歌。これしか覚えてない。
撃たれたのが26年式拳銃だったのが不幸中の幸い。
鈴木貫太郎という不死身の大侍従長。奥様の鈴木たかが天皇に直電話して226事件発覚。その後、戦時中最後の総理大臣となって、たった4か月で戦争を終わらせる。もっと評価されるべき。
渡辺教育総監の話は総監の奥さんが憲兵が大嫌いで、警備の憲兵が常駐してましたが、女中を手込めにされると大変だということで遠くはなれた奥の部屋に追いやられたそうです。そのため護衛が遅れたのが真相です。詳しくは「特高226事件秘史」にあります。
仮に憲兵がすぐに駆けつけられたとしても完全武装の歩兵部隊相手では多勢に無勢で結果は同じだったかと。
@@櫻井孝俊 通報の遅れから憲兵護衛による避難が間に合わなくなったというのが事実らしい。
渡辺教育総監の娘さん和子さんは、憲兵2人は父を守らなかったと証言しています。普段は二軒先の姉の家に行く時もつきっきり警護なのに襲撃の時は2階で身支度していたと。
亡母から聞いた話では、大雪で雷が鳴っていたそうです👩🏻🦳❄️⚡️❄️
誰でも知ってる有名な事。
ちょうどネットカフェで昭和天皇物語を読んだところです。
安藤大尉は、関東軍時代のウチのジーちゃん(兵長)にそっくりなんですよ。他人のそら似ってありますね。ホント。
あまり語られていないが、226事件の時には「昭和天皇を廃位し、陸軍に近く自分たちに理解がある秩父宮を即位させよう」という動きがあった。実際、事件発生時に秩父宮は急遽上京しようとして、身柄を半ば拘束されている。秩父宮~安藤のラインというのはそういう危険性もある重要な話なのよ。「昭和天皇の激怒」というのは、兄弟間で皇位を脅かす動きがあったことが前提としてあったというのは考えておく必要がある。大塩平八郎の陽明学思想は、テロ寄りの革命思想なんだよね。「上を正す」というのは、耳障りはいいんだけど「じゃあ、自分の正しさはどうやって保証するのか?がない。「それがないから、他者批判を自己正当化の手段とする」わけで……。だから、昔の学生運動家やら今の野党の人やら正義感だけ強い人とかがハマってしまう。あと、軍隊以外知らない純粋培養の青年将校たちが政治運動に走った挙句、前線送りかクビかというところにまでなっていた…というのが前提としてあって、追い詰められてたからこそ、とんでもない暴発につながったともいえる。
2・26事件1936年2月26日、陸軍の青年将校らが軍隊を率いてクーデターを起こした。事件の起こる6年前金輸出解禁と世界恐慌により、日本は深刻な不景気に見舞われた。企業は次々に倒産し、さらに農村でも農作物価格が下落し、農民の生活は大変苦しく、自分の娘を女郎屋へ身売りする家も沢山出ました。こうした中、当時の政党は無能で、巨大な資本を有した財閥だけが肥え太る状況が生まれました。このため人々は政党に失望し、財閥を憎み、満州事変などによって大陸に勢力を広げる軍部に期待するようになりました。軍部に所属する青年将校たちが力を持ち、右翼と協力して国家の革新を目指すようになりました。つまり、2・26事件は青年将校らが行った百姓一揆だったのである。しかし、皇道派の重鎮の真崎甚太郎に唆されて、その肝腎な天皇が決起軍を反乱軍と見なして、私が近衛軍を率いて平定すると宣言したから万事窮すである。皇道派だから天皇に逆らえずに或る者は自害し、法廷闘争に持ち込もうとしたが、秘密裡に行われた特設軍法会議での裁判にて死刑の判決を受けた。首謀者の磯部浅一、安藤輝三、香田清貞、栗原安秀ら19名が銃殺にされた。
安藤大尉に関する情報動画ありがとうございます。たか夫人の気丈やりとり初めて知りました。19分20秒頃からかかっているBGMは何ですか?
massive damage という曲です😊
サムネの「主犯」には、ちょっと違和感を感じます。新東宝「絵郁海軍流血史」での宇津井健さんの熱演が印象的。この映画で相沢三郎を演じた沼田耀一さんの狂気に憑かれた姿は、世界の映画史に残る。
「てんちゅう〜」ぶつぶつぶつ……。
沼田曜一さんで思い出しましたが、『仮面ライダーX』(2022年から東京MXテレビで再放送)第15~16話にゲスト出演していました。
こういう脚の引っ張り合いをしてたから外務も内務も上手くいなかったんやなぁ。
動画中の仙台陸幼の写真は、安藤が学んだ学校とは違いますよあと、あくまでも彼等はテロリストであり、当時警備についていた警察官多数をも殺害したことは性格の良さや部下思いなどでは到底許されない蛮行であることを知るべきだと感じた
いやいやテロリストではないきちんとした理由で蜂起してる警備に当たっているから殺されて当然
@@minebazabi それは詭弁だ
安藤大尉は自決したからいいけど大尉たちの命令で動いて反逆者にされてしまった末端の兵士たちはこの後最前線に送られて酷い扱いを受け戦死してまった方たちが多いらしいので兵士も226事件の被害者だと思います。
自決はしていない。最終的には銃殺刑だな。歴史を正しく調べましょう。
自決したのは野中大尉。安藤大尉は拳銃自決しようとしたが弾が急所を逸れて一命を取りとめた。その後軍法会議で銃殺刑となった。
@@ライヘナウヘルマン 様牧野伸顕を襲撃した陸軍航空兵大尉・河野寿も自決していますね。
軍人が政治に首を突っ込むなどもっての外。 テロリストを擁護したり、英雄視してはいけない。 226事件については、昭和陛下のご見解が最も正しい。
現在でもどこその国で軍人が政権握って無茶苦茶になってんだよな…
そういえば今日は226でしたね。もし生きていれば良き上司や教育者になれたかもしれない。蹶起への参加を思いとどまって欲しかった。
最後まで決起を逡巡していたと言われる。「私には部下がいます。立場が違うんです」と言ったとも言われる。決起については懐疑的であったが、それだけにかつての同志らの鎮圧にまわるのは忍び難いとの思いが強く、結局参加に踏み切ったというのが本当らしい。実際に決起となると最も意志強固で、帰順にも最後まで反対し、自殺を図った。今更帰順するくらいならナンで決起したんかと、言えたら言いたかったろう。「撃てるもんなら撃ってみろ! 鎮圧するというならしてみせろ!」と鎮圧側の戦車に立ち塞がったという。他の諸隊と異なり、安藤隊からは最後まで一人も脱落者は出なかったと言われる。
@@草莽-b6d そのとおり!磯部浅一が「安ド、この辺で兵を引いたらどうだ」と言ったら、「お前は兵を率いる立場じゃないからそんな簡単なことを言えるんだ。 俺が最後まで蹶起に逡巡したのも、下士官兵があってのことだ。 こんなくらいで兵を引くっていうんなら、初めからやらなきゃよかったんだ。」と𠮟りつけたことは聞いたことがあります・・・。
人格者 安藤大尉の哀しいエピソード。安藤の部下が亡くなった。貧農のせがれで、姉が女郎に売られる前日の自殺だった。その葬儀の席で、部下の母は泣いて安藤に問うた。「大尉様、息子を軍隊とられるのも、娘が女郎になるのも、お国への御奉公なのですか?」と。「私は一言も答えることができなかった」と安藤は書き残している
私は、リアル安藤輝三大尉の従甥です。輝三大尉は、本当に優しい性格であったんですね!ありがとうございます。
安藤大尉は軍人より文人の風がありますね。宮沢賢治に近いような気がします。
賢治も一輝も日召も莞爾も皆法華経。ナムサッダルマフンドリーカスートラ
昭和天皇の声という書籍に226事件の経緯が書かれていて面白いよ。
蹶起将校にしては、余りにも純粋かつ優し過ぎる方だったと思います。ソレだけに、当時の陸軍将校としても稀な程、非常に人間的魅力に溢れる中隊長として一兵卒に至るまで全幅の信頼を集めたので、蹶起部隊中有数の強固な団結力を保った安藤中隊は、勅命を奉じて軍旗の下に復帰しました。
多くの警察官を殺害し、子供の目の前で父親を惨殺する人間が純粋?
@@福田理理子 ソレは安藤以外の者です。
@@下元武 一緒にクーデターを起こした段階で同罪です。本人も「やむを得ない」と言ったでしょうね。その少女が惨殺されても「奸臣の娘だ。殺されて当然」と言い切ったでしょうよ。
@@福田理理子 うわあ、想像で決めつけたよ、、、
@@福田理理子 思考回路こわw
この前、銀座に行ったら(銀ブラ)文具屋「伊藤屋」があったあれ?2.26事件で青年将校が事前に寄った店だよね?その後、高橋是清邸に向かった。
投獄じゃなくて投降じゃないですか?
昭和天皇はこの事でトラウマを感じたのか、戦後も寝る前に侍従に「治安はどうか?」と聞いたと侍従の日記に記されている。当時は昭和天皇も皇道派の事は懸念しており2・26事件が勃発すると「とうとうやったか」「これは朕の不徳の致すところ」と呟いたという。
近所の爺様の話。すごく寒い真夜中にいきなり非常呼集で起こされて、完全武装で隊を出た。佐倉の駅から汽車に乗せられた。(しまった、大陸に送られる。)と思った。鎧戸を下ろされて外は見えない。どの位走ったか朝停車した。鎧戸の隙間から東京駅の看板が見えた。既に新橋の方向で陸軍と海軍の銃撃戦が始まっていた。陸軍と海軍は銃声が違うのでよく分かった。と回想してました。雪が降っていたかは聞き洩らしました。
ええ、佐倉歩兵第2連隊の生き残りですか?
@@浄門道場 返信があり驚きました。ありがとうございます。連隊名は聞いてません。大人になり調べたところ佐倉と甲府から鎮圧部隊が出動したとの文献を見ました。新橋事件という銃撃戦があったとも見ております。いずれにしても研究者が詳しいと思いますので爺様の寝言くらいに思って下さいませ。
@@1192-h7g 様、ありがとうございますm(_ _)m歩兵第2連隊は今漫画にもなってます、ペリリュー島の戦いで玉砕してます。が、明治末期に1909年に水戸に移ってて、代わりに佐倉には歩兵第57連隊が創設されました。この連隊が、歩兵第一師団の隷下でした。安藤輝三もこの師団所属でした。ということは、そのじいさまは歩兵第57連隊であった可能性が高いですね。
電話の声アップされてますよね
7歳の少女の目の前で、その父親を惨殺することが正義なのかな?
当時としては貧困がひどく階級差別もひどかったからね殺されて当然だよ
三浦友和さんかな?
ゴジラの監督で名高い本多猪四郎監督は一時期安藤輝三中尉の部下だったそうです。226事件当日は第5中隊に所属していたため、事件に参加せず、場合によっては補助憲兵として鎮圧側になる予定だったとか。
まず 昭和維新の歌は当時すべてを物語っていて、胸が締め付けれる。 その後かなり綿密に調書が取られたが、隠蔽された。
87年前のちょうど今か
安藤輝三の解説待ってました殺人は許されないにしても当時の農村の惨状を考えたらどうしても同情してしまう小畑敏四郎や橋本欣五郎とかも解説してほしいです
殺人だけではない、政党政治という元勲が生涯を賭して築かれたものも破壊しています。同情は正直偽善でしかありません。昭和天皇の激憤から鑑みるに擁護しないことが我々の責任であると存じます。
@@quanhault879 政党政治は515の時点で壊れてたのでは?
@@夕凪-f1l そのとおりなんだが、このお方(Quanhaultなお)は毎度知ったかぶりの無知ですから。元勲が生涯賭けて政党政治を築いたってのも、結構珍説だと思います(笑)
@@quanhault879 ↑政党政治の終了は四年前の五一五事件なのだが、キミ、義務教育受けてないのか?それにしても安倍晋三」のスレでは『警察による安倍晋三夫妻抹殺計画があったらミステリーとして面白い』とか言っていたアナタが、こちらでは『擁護するな』『人格優れていたなんて擁護するのケシカラン』ですか。大したダブスタだ。そもそも政党政治の機能不全なぞ大正末期・昭和当初から当時既に久しいのだ。「政府の政策には納得するが、政権奪取する為に反対論を唱える」との自堕落な野党行動は、既に「憲政の常道」辺りから始まっている。予算面から軍縮会議にも比率にも賛成だが政権奪取の為に軍と組んででも反対論をブチ上げる、と言う堕落したやり方を常用した政党政治は、有権者の失望を買っていた。軍人テロを肯定する気なんぞ全くないが、政党政治を壊したのは政党人自身だろう。五一五にせよ二二六にせよ、当時の国民らの少なからざる層が強く共感したのは、それだけ政党政治への反発が強かったのだ。テロを起こした軍人共を貶して済む話では全然ない。それで「責任」とやらが済むと思っていたら、無知なバカだろう。そしてまた、そんなヤカラがおるからこそ、政策皆無で与党に反対オンリーの無責任野党は今でも跡を絶たぬのだ。浜口雄幸は総理の時代に「今の私の政策は、今後数年国民に負担を強いる。しかしその後の日本の発展には必要な痛みだ。耐えてほしい」と訴え、選挙に大勝した。(この辺が日本の政党政治の頂点だったとする研究者もいる)この浜口内閣を軍と結んで世論を煽って打倒を企てたのが当時の野党。その結果の暗殺未遂で重傷を負い「絶対安静」とされた浜口の登壇をしつこく迫り、この為に浜口は死亡した。政権奪取の為にこんなエゲツナイ真似をして軍部と結んだ犬養毅は、軍人の凶弾に斃れた為に今でも「最後の政党政治家」なんぞと言われている。むしろ「政党政治の売り飛ばし人」くらいに言ってもいいくらいなのだ。「憲政の常道」とやらを持ち上げ、軍人テロを非難し、スバラシイ政党政治が終ったと嘆いてみせて能事終われりとしている者は、無知か馬鹿だろう。そんな思考停止がおればこそ、政策皆無・反対オンリーの自称野党が跡を絶たぬのだ。あなたもそんなもんだけどな。野田さんエライ、だっけ?(笑)
@@quanhault879 そもそも政府がもっと東北を始めとする貧困層に対する福祉政策を行っていればここまでの事件にはならなかったとは思うが。ただ世界情勢がそれを許さなかったのかなとは思う
安藤輝三大尉が評価されるべきは起った以上、最後の最後まで兵を引かなかったこと ✋
手段はともかく、こうした覚悟を持つ政治家が誰もいない令和時代。。
むしろ、端から青年将校達に血祭りに挙げられてく連中ばっかり👎💩
@@言霊の幸う國のムソジニスト しかも逃げまどって無様そう。。
@@kumosukeponsuke 身代わりになるつもりでヒゲや髪型まで普段から似せていた義弟が殺されたものの、自分自身は脱出して生き残った岡田啓介は、事件後には世間から「潔くない」との理不尽な指弾を浴びたと、当時小学生だった吉村昭が随筆に書き残している。
@@kumosukeponsuke 様でも、一人も逃さない💀
覚悟って何だよ?もっとも覚悟が無いのが国民自身。
鈴木貫太郎さんおねがいします!
私も賛同します。
結局あの時対ソ主戦にしなかったからその思想の後継国家に苦労させられるという現代。
映画じゃ高倉健さんがやったね。なんか安藤以上に安藤らしく見えた。死刑執行のシーンで目隠しされつつも毅然とした態度をいささかも崩さず前を見つめていたのが心に突き刺さる。実際の安藤もこうだったように思えるな。
動乱という映画でしたね
安藤の性格を褒めた永田鉄山の性格も解説してください。
大義名分は多くの人達を都合よく利用しますからね。動かした人も動かされた人達も一番警戒しなければいけない。
一部の権力欲、私欲が、若い人が国民を思う優しさから、自ら体をい動かさざるを得なかったことを残された気がします。歴史は勝者によって書かれていく、しかし未だ2・26事件が残っているのは、その後が間違っていたり、決起した人たちへの追悼の念が我々に大切なことを残してくれている気がします。国の貧困、国民の貧困あの当時と何変わらない今の日本、みんなが笑って暮らせる国を構成に残せれば・・・そう思います
北一輝の日本改造法案大綱の内容は、現在の日本の社会構造にかなり似通っていて驚かされる。
二・二六事件への背景は松本清張の「昭和史発掘」で詳しく書かれています。
幼い娘の目の前で父親を殺害する事が正義なのかな?昭和維新って言うが何だかなぁ。。
26:06この時、野中隊にいた一人の二等兵が、後の五代目・柳家小さんその人でありました。〽功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠 人生意気に感じては 成否を誰か論ふ(『青年日本の歌〔昭和維新の歌〕』)
小さん師匠は、機関銃隊。割り振られて、野中隊に配置されただけ。
大昔、TBSラジオで流れていた小さん従軍記は面白かったなぁ。また聞きたいです。
俺の父方のじーちゃんは入婿で、旧姓が安藤だった。
2てん26事件じゃなくて226事件です。ににろくじけん
安藤輝三(生まれ変わり)処刑されたのは翌年ではありません1963年7月12日です一切の悩み消えて極楽の夢 最期の言葉です
自分の誕生日だからちゃんと知っといたほうがいいかなと「二・二六」の映画が公開されたときわざわざ観に行ったけど人が多すぎる上話が複雑すぎてなにひとつ頭に入らなかった。「なんか三浦友和が出てたような気がする」しか憶えてないw
腐敗した政治、困窮した経済状況、海外からの脅威。日本を変えるために、何ができるのだろうか?
高橋洋一先生の推すリフレ派経済政策で経済を成長させ、同時に教育国債や防衛国債で、科学技術を充実させるのが、国防に繋がると考えます。
@@Noel-lj7bf 当時は金本位制で安易なリフレ政策は財政の自爆にしかならないのです。だから、ケインズ政策は当時ではまだ博打要素が強すぎて各国が二の足を踏んでいた訳です。そんな時代に高橋是清の軍縮論とセットの景気刺激策すら反発された訳ですね。
今の現状では無理まずはあの腐った9条を廃止して再軍備をはじめること今の国会議員全員を軍法会議にかけること地方議員もな政治家制度を廃止して小委員会を設置して政治を行うそれと経営者の責任追及もしないとな金持ちからの税率を90%にして財産を没収それを国費に充てるそれでも問題は解決できないけどな
今は「にいてんにいろく事件」というのか。
陸士200番台で隊付の大尉で陸大受験なしだから、生きていてもずっと隊付将校だったかな
出世できたとしても佐官止まりで太平洋戦争で戦死の可能性が高いですね。
陸大も本科の他に専科が後に出来たから専科入れてたかもよ。専科卒は師団、旅団参謀になれた。
@@吉野正洋-k5g 活動のために陸大を中退した村中孝次のように官僚としての出世は考えてなかったと思う。永田にしても秩父宮にしても仕事や人柄は評価しても部隊長に対し陸大受験準備を指示してないし、本人も隊のまとまりや兵力向上を第一に考えていただろうから
仙台幼年学校の写真、(校門から行軍しているシーン)は仙台市太白区三神峯に昭和10年代にあった二代目の仙台幼年学校。安藤大尉の幼年学校は宮城野区榴ケ岡にあったが大正軍縮で一旦閉校となったと記憶しています。
明日休みだから渋谷の慰霊碑に花添えに行こうかな
時代が時代なら⁉️誠に惜しい人物だった。
起きた時代起きた背景、起きた事は残念で失われた命が残念である。でもこの様な事が何故起きたのかを何故今の日本の教育界はきちんと教育出来ないのか、歴史に学べ無い日本。
安藤輝三は、鈴木貫太郎にトドメをささなかった。鈴木貫太郎は4発もの弾丸を食らった。当時鈴木貫太郎は67歳なのに不死身の回復っぷりをみせる→10年後、最高齢の総理大臣として、東條英機も小磯國昭も無理だった戦争終結を4ヶ月で成し遂げる。
この流れが凄すぎる。
因みに、近所に、日本の産業の勇!自動車販売会社賛の、営業所ございますなので、車検にて、参りまして、徒歩帰路路に坂道を挙がって帰りました記憶が鮮明です、今は、マンモス級マンションに建て替えられておられます。と言うか、閣下の、辞世の御言葉に於かせられましては、『永遠の平和、永 遠 の、平和』と2度に渡り仰せ煮られまして、旅立たれて居られます、大 変 申し訳けも、ございません、ので、行動をし為ければならないのかな?と愚考出来てしまう今日この頃です!
@@江波戸-y8r いつの人?
安藤大尉の部下だった人(決起には参加していない)が、入院していた大尉を見舞いに行ったら「驚いたか」と言って笑ったそうです。その人は大尉の前で一言も発することができず、ただ泣くばかりだったとか。病院は警備の兵が沢山いたが事情を話せば短時間の面会は許可されたようです。
祖父が陸士38期で同期でした、安藤さんのことは、「とても優しい性格であり、部下思いというのも理解できた」と言っておりました。
事件当日祖父は山王ホテルの前を通り、歩哨を戒厳軍と思い敬礼して通り過ぎたと「もし安藤があの場にいたのであったと知れば説得にいったかもしれない」とも言っておりました。
安藤と陸士同期ということは、磯部浅一とも同期ということですね。
@@大河原仁-d4f そうなんです。実は磯部浅一氏の方が近しかったようで、「イソ」と呼んでいたと。感情の起伏が大きく、情熱が強すぎるところがあったと話していました。
@@檮原渉 様
とても興味深い話ありがとうございます。
私の血は、その安藤氏の血をもろにひいてます。本当に有難う御座います。令和の226をぜひ断行したく存じます。
●選挙に行き、血税を使う輩を討伐すること。
●民衆のために戦う事
之を我が使命として生きてゆきたく存じます。
安藤輝三の従甥より
貴重なお話ありがとうございます!
安藤大尉のお子さんが、鈴木侍従長記念館に安藤大尉の遺品を展示される事に許可され、亡き父の外套を見る目が印象的でした。一言「感無量です」と。鈴木侍従長の奥さんである、足立タカさんは昭和天皇に命の大切さ、自然界への敬意を教え、昭和天皇からは「タカは母親だ」と言ってましたし、襲撃されて病院に居るタカさんに直接、電話をしたとも聞いています。昭和天皇の骨幹になった精神論は足立タカさんの影響が大きいと思います。良い動画でした。
いい動画です! 青年将校の志は純粋なものだったが、この事件を契機に政党政治が崩壊に向かい、軍が政治を動かす体制を作り上げ、結果無謀な戦争に突き進んだことは忘れてはいけないと思う。安藤の心情は理解できるが、行動そのものは擁護してはいけないと思う。また「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは、真綿にて、朕が首を締むるに等しき行為なり」「朕自ら近衛師団を率い、これが鎮定に当たらん」 との陛下のお言葉は入れて欲しかったです。
全文同感
ありがとう
私の言いたいことを言うてくれてありがとう。このコメント欄にも清廉潔白だとか言うて擁護する人多いけど、どうあってもこの事件は擁護してはいけない。それがあの時代に対する我々の責任ですよ。
@@quanhault879
まぁ今はテロリストの称賛をするのがリベラル界隈な時代で、
時代は変わりましたけどね。
朕がビビリだと軍が付け上がる
渡辺錠太郎の娘さんは機関銃で撃たれた時は机を盾に横に居た。
後に岡山のノートルダム清心女子大学の学長に30代で就任した。
渡辺和子さん。置かれた場所で咲きなさいの著者です。
事件主謀者の野中大尉の墓は
この大学が見える岡山市内の東山墓地にあります。
ついに来た、後からゆっくり見よう楽しみだ!
【補足】祖父が陸士出の歩兵大尉で、連隊長の副官をしておりました。その祖父から聞いた、軍学校の説明。
*幼年学校=世間一般の中学校(旧制)とほぼ同じ教育課程で、青年期の情操教育が主。そのため軍事関連科目は最小限に抑えられ、語学や一般教育科目の他、体育や芸術科目にも力がおかれていた。グランドピアノが置かれ、ベートーベンやバッハなどの曲を演奏することもあったという。また、そのため授業料は有料(自己負担)で、月2円50銭だったという。
*士官学校=幼年学校および旧制中学の卒業生を対象とし、将来の一般将校(少尉から中佐クラスまで)を養成する。中隊レベルの実践指揮能力が求められる。授業内容は座学+実習の軍事関連科目が中心だが、語学や一般教養科目もある。海軍兵学校とともに、現在の防衛大学校の前身。
*陸軍大学校=現役将校(少尉~大尉クラス)の中から、将来の将官候補生を養成する。自らの意志による受験ではなく、上官の命令によって受験する。士官学校での成績がものを言い、卒業時の成績席次が概ね30番以内でなければ、推薦されない。定員は50名で、座学や実習の割合が極体に少ない。古今東西の戦史戦略の研究と、師団以上の部隊を動かすストレーミングが教育の主。後年、瀬島龍三氏によると「あまりに軍事に偏っていたため、視野の狭い軍務官僚を輩出してしまった。昭和初期だったか、それでは良くないということで、東大の法学部や経済学部と交換留学させようという意見が陸軍省教育局に提出されたこともあったが、それらは無視されてしまった」と語っている。
こういう近現代史って、学校でもほぼ習わなかったなあ。
すごく重要だと思うのに。
軍隊は悪だ・民衆の敵だ、ってのが
「学校教育」
民衆の側に立つ将校や、権力の側に立ち民衆から貪る側に立ち言論を弾圧する護憲政治家とか、軍と結託し「過激な軍事作戦ニュース」を欲するジャーナリストとか、
「戦前昭和史」は現代歴史教育に不都合過ぎる事実ばかりなんだわな。
日本人に真の歴史は教えないよ
共産党主導だからな
ここら辺のことやると日教組がおかしなことおしえるから。
@@gtgt9965 まさに日本の敵日教組だよ
戦時中でも平気で「平和」を唱えていた
表向きでは従っていて戦後手のひらを返したように正義感面をしたからな
本当に信用ならん
未だに間違った教育を教えてるし
26:47昭和天皇は麹町警察署に直電話して、「鈴木貫太郎」の無事を訪ねたそうです。当時天皇が自分で電話するなんて前代未聞で、父親代わりだった鈴木貫太郎が襲撃されて昭和天皇がブチ切れたという説も信憑性がありますよね。
ちなみに麹町署の署長はまさか昭和天皇が電話をかけてくるとは思ってなかったそうで最初は誰だか分からなかったとのこと
そこで電話の向こう、昭和天皇の方では当直侍従だったか誰かが「今そちらに電話をかけておられるのはお上にあらせられる」と伝えたそうで……。
安藤夫人は その後 静岡で小さな洋裁学校を開いてましたね
NHKの番組に出てました 1970年代までは 当事者が存命してた 貴重なインタビューでした
私もそのNHKの番組、見たことがあります。226事件は日本史上で大きな出来事、事件の一つですが、当事者とも言える夫人にとっては家族の事件でもあり、夫を刑で失い、残された幼いお子さん2人をあの時代育てていくのに、大変な苦労をなされたのだろうと思いました。1996年に召されていたんですね。
遠い記憶にしか過ぎなくなったこの事件の教訓は現代人に生かされているか問ういいビデオだ。まさかはまたかに変わることはあり得る。
母柿ん
安藤大尉の忘れがたいエピソード。安藤の部下が亡くなった。貧農のせがれで、姉が女郎に売られる前日の自殺だった。その葬儀の席で、部下の母は泣いて安藤に問うた。「大尉様、息子を軍隊とられるのも、娘が女郎になるのも、お国への御奉公なのですか?」と。「私は一言も答えることができなかった」と安藤は書き残している
東北の悲劇は当時の日本に国民を救済する原資が不足していたからです。その原因は岸信介等「革新派官僚」たちが、朝鮮や満州に日本の税をつぎ込んだためです。
『宇垣閥』というけど、基本はロシア革命による陸軍省(田中義一)と
参謀本部(上原勇作)の対立(国際協調派とロシアに検閲を持ちたい派)
が起源でこの時の戦費と陸軍機密費を田中が政界入りに持ち出した疑惑に
対する対応で派閥化された。(また、長老を押し出し自分たちが中心に
陸軍中級のエリート層が、対ソ派と中国一撃派に分かれた。)
2.26事件の一番の問題は自分達の意見が天皇陛下に全然届いていないのに
荒木や真崎の意見を聞いて事を起こしたことである。
明治維新の元老は若き明治天皇を叱咤激励し大公までに育てたのに対し
昭和の中堅軍人は、『天皇は若年である』として政治・軍事を壟断した事にある。
安藤個人としては弁明すべき点もあるが・・
鈴木の妻は昭和天皇の若年時の教育係だった。
当時大学生だったうちの爺さん(故人)が戒厳令下、規制線ギリギリまで行って様子を眺めていたそうな。線の外は事件の内容とは似つかわしくないほどいつも通りの東京だったらしい。
だとおもう
今、自衛隊がクーデターを起こしても庶民は普通のいつもの通り動いてると思う
関係者だけお祭りをしとけって感じかな
永井荷風の『断腸亭日乗』にもそのようなことが書かれていましたね。
映画「226」では三浦友和さんが演じてましたね。山王ホテルを占拠する際にも従業員や支配人に穏やかな態度で接し、部下の兵士たちへ食事を用意させる時もちゃんと代金を払ってましたね。
決起には最後まで慎重でありながら、一度起つと諸隊のなかで最後まで脱落者なく踏ん張っていました。
迷惑を受けたことになるはずの山王ホテルの支配人が
「畳なんぞ全部裏返しにして、散らかすなと命令してました。本当に立派なもんでしたよ」
と後々まで褒めちぎった由。
というても近代日本の集大成たる政党政治を破壊した契機の事件でありますよね。擁護できないなぁ
@@草莽-b6d それだけ日本の軍部の規律は厳しかった
ゆえに利用されたわけ
このクーデターに賛同した将校や下士官たちは何人いただろうか
@@quanhault879
「擁護」ではなく「事実」な。
接収した施設の利用が行き届いていたから擁護するなんて幼稚な議論は、俺も含めて誰も言っちゃいないのだ。
ところでさ、キミ、きちんと義務教育受けたのか?→Quanhaultなお
「政党政治」を終わらせたのは、この四年前の五一五事件だ。
五一五事件で斃された犬養毅が戦前最後の政党政治家の総理だなんてことは、中学校の教科書にも書いてある。
犬養の次の総理は斎藤実、そのまた次のは岡田啓介(二・二六事件当時)。
共に海軍出身の「重臣」で、当時は「挙国一致内閣」(政党に依らないから)と言われていた。
「近代日本の集大成」だがなんだか知らんが、二・二六事件当時、政党政治なんぞ数年前に事実上終わっていたのだ。
義務教育レベルの事実も知らんでシッタカブリするってのも、傍から見ると随分みっともないもんだぜ。
お前さんのコメはそんなのばっかりだがな。
アップロードありがとうございます
決起には最後まで懐疑的だったと言われるが、一旦事件勃発後には安藤隊が最も結束が固く、帰順勧告を受けた後には他の決起部隊からは離脱者が散発したのに対し、安藤隊からは一人の離脱者も出ず、
「あんなに立派な隊長を裏切る様な真似はできません」
と泣いて帰順を拒絶する下士官兵までいたと言われる。
階級も離れ政治的立ち位置が逆だった永田鉄山からさえ厚い信頼があった事といい、直接襲撃を受けた鈴木貫太郎からはむしろ「誠に立派な、惜しい」とまで評された事といい、人間的に立派な、あの事件に参加して刑死させるには惜しい人物だったのだろうと思わされるのである。
その安藤大尉は、最期に
「秩父宮殿下万歳」
の語を遺して亡くなった。
秩父宮殿下が反乱に好意的であったとも思えないのだが、その一方で当時、
「反乱を承けて秩父宮殿下が東北の部隊を率いて東京に攻めてくる」
等とのデマが飛んだとも言われる。
陸軍内部の派閥争いがあの事件となって爆発したのは確かだろうが、その後の「粛軍」の動きの中で揉み消され、青年将校らになすり付けられた「都合の悪い事実」も相当あったろうとは思わされる。
それは 映画でのこと 実態は 離脱できなかった空気が蔓延してたということですよ
兵なんて中隊長は雲の上の存在だよ ごく一部の下士官兵の中には熱狂的な安藤派がいたけど
その空気に押され訳も分からず参加させられたというのが本当のところ
何のためにやっているのか? 何をしたのか? ほんとんどの兵は知らなかったしわかってない
@@asaichban9842
むしろ映画の中の方が離脱は容易に描かれてますけどね。
「動乱」(主演以外はつまらない)
「二・二六」
にしても、ビラまかれた途端に兵がワラワラ逃げ出したり、中隊長相手に
「昭和維新はもう終わりにしませんか」
と兵卒が叫んだりするシーンがあったが、下らないと思った。
それでもなお、例の
「勅命下ル 軍旗ニ手向フナ」
のアドバルーンの後には、他隊からは結構な離脱者が出ている。
(「勅命」「逆賊」の響きは、それほど重かった)
それでもなお、人員の過半数を占める歩三(安藤隊)からは、とうとう離脱者は皆無だった。
帰順後も安藤への崇拝を失わない者が多く、危険がられて最前線に回されることが多く、相当大きい割合で戦死者が出たとも言われている。
@@草莽-b6d 昭和35年新東宝の「叛乱」は一見の価値あり、まだ大東亜戦争を戦った人物が生きていた時代の作品。
「秩父宮さま、みんなの宮さま」という歌が流行り、当時の人気は異常なほどでした。
@@竜涎香-g9o
戦後にも、ラグビー関係者が私財や貴重品を売ってようやく建設にこぎつけたラグビー競技場の工事現場に、既に重病の身でありながら「ラグビー協会名誉会長」として長靴を履いて視察においでになり、
「ラグビー協会は貧乏なのでなにぶん宜しく頼む」
と鹿島建設の担当者に深々と頭を下げられたので、その場にいた者が皆、男泣きに泣いたと伝えられる。
ご遺徳を記念して「秩父宮ラグビー場」なのだとラグビーやっていた友人が教えてくれた。
この話を聞いて以後、俺にとっても、秩父宮殿下とラグビーへの印象が一層変わった。
心優しき安藤輝三さんは、西郷どんみたいなタイプだったから、自分の故郷の農村地域が飢饉、不作も相次いて、奥さんと娘さんや孫たちの身売りも立て続けに出たから、やると苦渋の決断、二二六事件を起こしたのね😢
だからといって、許されないし💀、その後の無茶苦茶な負け戦に、走らせた原因、鈴木貫太郎が昭和天皇様の侍従武官、爺やだったから、昭和天皇様が激おこぷんぷん丸もわかるのよ~😡🔥
亡き三笠宮崇仁親王様が手記に、軍部の暴走などを書き遺したのも、頷けるわ~😢
この事件の犠牲者の中には、亡きノートルダム清心女子大学の学長や理事長を務めた修道女渡辺和子さんの父上もいたみたい😢
なかなか情報がなかったので北一輝の解説もお願いしたいです
時代が違えば普通に陸自の部下思いの自衛官だったろうなぁ
本人は非常に優秀かつ人格者なのに、取った手法は拙く大迷惑であり、後世まで多くの人を困らせてしまったが、乱の首謀者本人自体は評価されて更に迷惑を広げてしまうという皮肉極まりない結果まで、尊敬していた大塩平八郎そのものになってしまっているのが何重にも皮肉で悲しい。どちらも間違いなく「良い人」ではあるが…
同感
社会の教科書では ここまで詳しく載っていなかったし 奥が深いと感じました
安藤と鈴木貫太郎の関係性は知らなかった。
やはり真崎・山下だけでなく海軍側の伏見宮、小笠原は確実な黒幕。
井上成美:「伏見宮(博恭王)は大バカノ宮だ!」
海軍でも艦隊派は二・二六事件を歓迎していたと思います(事実、石川信吾などはクビになる予定でした………)。
@@大河原仁-d4f 確かに艦隊派系統は歓迎してる感じでしたね。
加藤寛治なんてその筆頭で、井上成美に「強いことを言ってれば若い者に受ける」浅薄な人と評されていましたが、
蹶起当日、真崎と伏見野宮邸で謀議を交わしているところからして、完全にアウトだと思います。
伏見宮こそ、日本滅亡の主犯の一人であることは間違いありませんね。
安藤大尉の弟(息子だったかかな?)さんが自衛隊にいたみたいで、父親の上官だったみたいです。
勿論、目をつけられていたから3尉より上には上がれなかったみたいですが、優しくしてもらい、家に隊員集めて奥さんが料理を振る舞ってくれたといってました。
貴重なお話ありがとうございます。
秩父宮様は2.26事件後 護衛もなく中国戦線に上級士官として赴任されました。そこで見たのはやはり陸軍幹部の腐敗だったそうです。
『魔法はない』 すごく良い表現だと感じました✨
高倉健主演の動乱のモデルは安藤輝三と磯部浅一の二人を一人にしたのが、高倉健が演じた宮城大尉だったはず。
226事件以降、軍部の政治関与が膨張し、民主政治を破壊して、軍人独裁体制に
進んでしまったのは、残念です。
若い軍人の正義感が、大東亜戦争にまで突き進んだといえます、三島由紀夫は、226事件
を美化しましたが、本人は、クーデターに憧れたようですね。
配信を、ありがとうございます。
ゆっくりシリーズ数多くクオリティ高い
青年将校を煽りまくった荒木貞夫が畳の上で死んだのがどうも納得できない。。
むしろ、真崎甚三郎に対してそう感じる。
二・二六事件の映画(とは言っても駄作というか、問題作だが)まで作った三島由紀夫は、何かの講演で
「最も軽蔑している人物は誰ですか」
との問に、
「真崎甚三郎」
と即答したという。
@@草莽-b6d 見事なまでに掌を返してますからね…
@@anaisno1
そりゃあ、将校なんて自分の政治の道具としか考えてない連中ばかりですしね。
@@草莽-b6d 様
真崎甚三郎:「とうとうやったか、お前たちの心はよう分かっとる、よーく分かっとる」
軽蔑というならば荒木・真崎だけでなく山下奉文も加えて良いと私は思います。
@@大河原仁-d4f 迫水久常さんも山下奉文に対しては厳しい発言をしていましたね。
秩父宮の存在は2;26事件最大のタブーとされる。あそこで秩父宮が昭和天皇に反旗を翻していたら、事件の趨勢はひっくり返っていたとする説もあるぐらい。
2;26ものの映画では秩父宮のことを脚本に書くとプロデューサーが血相を変えて飛んでくるという話だ。
秩父宮自身がどうかは知らんが皇位簒奪の企てがあったのは事実だからなあ。
自分もそこは大変興味を持っています。現代でも長男に対して全く敬意を持たずに足を引っ張っている次男がいますね…
お互い押し立てている勢力がいるから引くに引けない状況なんでしょうか。
@@lutesnest1353 悪い連中にそそのかされていたんだろうな
@@minebazabi 貞明皇后とかもだから。
秩父宮が真崎甚三郎と近かったのは事実のようですね。
小磯国昭と、今からちょうど100年前の総理大臣で今年没後100年を迎える加藤友三郎も解説もお願いします
主犯は磯部浅一だったんじゃないかなあ。免官されて、何も失うものはない「無敵の人」状態だし
だから
三島に憑依した?
英霊の聲から、三島は変だった。
怖じ気づいて三島の生首見なかった石原慎太郎は死なず、見てしまった川端康成は程なく自殺。
主犯は磯部・栗原安秀・安藤の三名と言って過言ではないと思います。
主犯は真崎じゃないでしょうか? あるいは辻が後ろで手を引いていたとか。暴発させて皇道派を壊滅させようとしたりして。ただ辻も中隊長時代の部下には慕われていたという話もありますけど。
この事件で総理官邸を警備していた警察官が殺害されたり警視庁本部が占拠された遺恨が戦後にも続いて現在でも公安警察内に自衛隊を監視するマル自と呼ばれる部門があるそうです。
同じ理由から、警察官の数が自衛隊の数を下回らない様に、との内規があったとも聞きますが‥‥
遺恨関係なしでも監視は必要だとは思うがなんだかなぁ…とは思う。
何処の国でも軍を監視する部門はあるものです。
規模が一番大きかったのは旧ソ連KGB軍管理局で参謀本部内にも多くの内通者を抱えていたとか。
「妻たちの二・二六事件」(澤地久枝著)を読むと、残された房子夫人が、夫亡き後の逆境にめげず、自立の道を選んで第二の人生を力強く歩んだことは救いだろう。テレビドキュメント「松本清張事件にせまる」では、志垣太郎が安藤に扮したが、その凛々しさ、事件直前の苦悩をヴィヴィッドに演じ、好演であった。
私も志垣さんが演じた安藤大尉に、ぐいぐい引き込まれました
思慮深さや慈悲深さを感じられる、名演だったと思います
@@patariro1964 安藤氏は秩父宮とドイツ語で書簡を交わすなど、秀才の誉れ高かったと仄聞します。「事件にせまる」は「2.26事件」の前に前編(11月20日事件~真崎更迭から相沢事件まで)が制作されましたが、痛恨にも見逃し、録画もできませんでした。放送から40年近くにもなり、DVD化や再放送はほぼ絶望的ですが、せめてこの2.26前後編だけでも、と未だに願っています。
政府側、文官の立場から226に対峙した迫水久常を見てみたいです
村中さんの生い立ちなども取り上げていただけたら嬉しいです。
栗原安秀、野中四郎もお願いします🙏
もし安藤の気質が磯部と同じだったら鈴木貫太郎は殺されていたし、
そうじゃなくても安藤が事件前に鈴木を訪ねた時に鈴木の姿勢に感銘を受けていなければ殺されていた。
そして鈴木が殺されていればおそらく降伏はもっと後になって本土決戦あるいはソ連の北日本占領が現実になっていたのかもしれない。
これ。
みんな、鈴木貫太郎の凄さをわかっていない。4年も戦争続けてて東條も小磯も駄目だったのに鈴木貫太郎は4か月で戦争終わらせましたからね。
@@浄門道場 様
東郷茂徳や下村宏、吉田茂、井上成美の意見を聞いてポツダム宣言を「黙殺(=無視?)」していなければもっと良かったのですが。
@@大河原仁-d4f 様。「ノーコメント」事件ですね。戦後に鈴木貫太郎自身も、あれのせいで原爆投下されたのではないかと後悔していたそうですね。
@@浄門道場 鈴木貫太郎は自分の中では日本の首相の中で一番偉大な首相だと思っています。少しでも遅れればソ連が攻め込んでくる、陸軍大臣に侍従長時代からの親交篤い阿南惟幾を据えなければ陸軍は留め置けずおそらく暴発して内乱状態になっていた。その中でベストではないのかもしれないが終戦させた功績は計り知れない。戦争は始めるよりも終わらせる方が難しいですから。
@@大河原仁-d4f のちのトルーマンの日記か何かでは既にこの対応に関わらず投下は確定していた、みたいなのを聞いたことがありますが、個人的にはソ連ルートで講和の道筋を開こうとしてそれを諦めきれなかった部分が惜しい所だったと思います。
いい動画でした。
違う形、やり方があった気がします。戦後まで生きていればきっとよき指導者になったのかも。
祖母が事件当時、今の渋谷か港区で住み込みで働いていたそうですがそこの主人から「絶対外に出るな」と家族や使用人に言っていたそうです。
安藤輝三の父は安藤栄次郎という。棚橋衝平は実父。事件時は慶應大学予科の英語学の教授であったが、事件の責任を取り、中等部の教師となった。
もし安藤が陸大に進学していて陸軍中央の軍人として歩んでいたらどういう人生を送っていたか非常に興味がある…
安藤の頭じゃせいぜい雑用係が関の山。
あまり知られてないけど、事務的な文書を起案することすら苦労してたほど頭が悪かった安藤。
大佐あたりで終戦になっていた
成績優秀で参謀本部作戦課に行ったとしても ああいう人ですから 浮いた存在なので飛ばされて 一連隊長として戦死だよ
決行後整備局長室に戻って「永田に天誅を加えた」と告げた。山岡は予想外の表情をしたが、永田を刺突した際に刀身を持ったため出血している左手をハンカチで縛り、たまたま来室していた大尉に医務室へ案内させた。途中、永田局長の一の子分といわれた新聞班長根本博大佐(陸士第23期、陸大第34期)が駆け寄ってきて、黙って固い握手を交わした。また、調査部長山下奉文少将(陸士第18期、陸大第28期恩賜)が背後から「落ち着け落ち着け静かにせにゃいかんぞ」と声をかけた。こうした陸軍省内の様子を見て「ありがたい、維新ができた」と内心感激した[2]。WIKI 参照 山下大将も絡んでいる?
WWⅡ当時のドイツで、「戦争では良い人ほど早く死ぬ」だそうです。若者を煽動した老人はみんな畳の上で天寿を全うした。カミカゼを命じた老人たちも同じ。
神風特攻隊の産みの親である、海軍中将大西瀧治郎は終戦後、命令に従って死んだ部下たちやその遺族たちそして天皇陛下と国民に対して切腹という形で謝罪している。
宇垣纏司令長官は特攻隊員との約束通り彼等の後を追って最後の特攻をしましたし大西瀧治郎中将は自決して責任取ってますがなんでそんな嘘つくんですか?
最後の連合艦隊司令長官小沢治三郎は宇垣「特攻」に対し、「○ぬのなら一人で○ね」と激怒したと伝わりますが。
陸軍の司令官の菅原は畳の上、宇垣は停船命令違反を引き起こし、若者を無駄死にさせた。
最高指揮官だけの問題ではなく、佐官級や将官(少将)クラスでどれだけ自刃しました。
陸軍大臣、阿南惟幾大将も陛下と国民に対し一死大罪を謝す、と遺書を残し終戦の日に切腹しています。
皇道派という派閥なんて実際は存在しなくて主流派から外されて現状に不満をもつ高級将校の愚痴の言い合いを周囲が派閥と勘違いして派閥みたいに行動し始めて
派閥の領袖として現状不満派からチヤホヤされていい気になって大きなこと放言してたら事態は引き返し不能になってたという考察もあった気がする
宮城事件も取り上げてほしいです。
畑中健二少佐!
「鉛玉 金の玉をば 通しかね」血の海で危うく滑りそうになり鈴木貫太郎の治療をした医者の詠める歌。これしか覚えてない。
撃たれたのが26年式拳銃だったのが不幸中の幸い。
鈴木貫太郎という不死身の大侍従長。奥様の鈴木たかが天皇に直電話して226事件発覚。
その後、戦時中最後の総理大臣となって、たった4か月で戦争を終わらせる。
もっと評価されるべき。
渡辺教育総監の話は総監の奥さんが憲兵が大嫌いで、警備の憲兵が常駐してましたが、女中を手込めにされると大変だということで遠くはなれた奥の部屋に追いやられたそうです。そのため護衛が遅れたのが真相です。詳しくは「特高226事件秘史」にあります。
仮に憲兵がすぐに駆けつけられたとしても完全武装の歩兵部隊相手では多勢に無勢で結果は同じだったかと。
@@櫻井孝俊
通報の遅れから憲兵護衛による避難
が間に合わなくなったというのが事実らしい。
渡辺教育総監の娘さん和子さんは、憲兵2人は父を守らなかったと証言しています。
普段は二軒先の姉の家に行く時もつきっきり警護なのに襲撃の時は2階で身支度していたと。
亡母から聞いた話では、大雪で雷が鳴っていたそうです👩🏻🦳❄️⚡️❄️
誰でも知ってる有名な事。
ちょうどネットカフェで昭和天皇物語を読んだところです。
安藤大尉は、関東軍時代のウチのジーちゃん(兵長)にそっくりなんですよ。他人のそら似ってありますね。ホント。
あまり語られていないが、226事件の時には「昭和天皇を廃位し、陸軍に近く自分たちに理解がある秩父宮を即位させよう」という動きがあった。
実際、事件発生時に秩父宮は急遽上京しようとして、身柄を半ば拘束されている。
秩父宮~安藤のラインというのはそういう危険性もある重要な話なのよ。
「昭和天皇の激怒」というのは、兄弟間で皇位を脅かす動きがあったことが前提としてあったというのは考えておく必要がある。
大塩平八郎の陽明学思想は、テロ寄りの革命思想なんだよね。
「上を正す」というのは、耳障りはいいんだけど「じゃあ、自分の正しさはどうやって保証するのか?がない。
「それがないから、他者批判を自己正当化の手段とする」わけで……。
だから、昔の学生運動家やら今の野党の人やら正義感だけ強い人とかがハマってしまう。
あと、軍隊以外知らない純粋培養の青年将校たちが政治運動に走った挙句、前線送りかクビかというところにまでなっていた…というのが前提としてあって、
追い詰められてたからこそ、とんでもない暴発につながったともいえる。
2・26事件
1936年2月26日、陸軍の青年将校らが軍隊を率いてクーデターを起こした。事件の起こる6年前金輸出解禁と世界恐慌により、日本は深刻な不景気に見舞われた。企業は次々に倒産し、さらに農村でも農作物価格が下落し、農民の生活は大変苦しく、自分の娘を女郎屋へ身売りする家も沢山出ました。こうした中、当時の政党は無能で、巨大な資本を有した財閥だけが肥え太る状況が生まれました。このため人々は政党に失望し、財閥を憎み、満州事変などによって大陸に勢力を広げる軍部に期待するようになりました。軍部に所属する青年将校たちが力を持ち、右翼と協力して国家の革新を目指すようになりました。つまり、2・26事件は青年将校らが行った
百姓一揆だったのである。しかし、皇道派の重鎮の真崎甚太郎に唆されて、その肝腎な天皇が決起軍を反乱軍と見なして、私が近衛軍を率いて平定すると宣言したから万事窮すである。皇道派だから天皇に逆らえずに或る者は自害し、法廷闘争に持ち込もうとしたが、秘密裡に行われた特設軍法会議での裁判にて死刑の判決を受けた。首謀者の磯部浅一、安藤輝三、香田清貞、栗原安秀ら19名が銃殺にされた。
安藤大尉に関する情報動画ありがとうございます。たか夫人の気丈やりとり初めて知りました。19分20秒頃からかかっているBGMは何ですか?
massive damage という曲です😊
サムネの「主犯」には、ちょっと違和感を感じます。
新東宝「絵郁海軍流血史」での宇津井健さんの熱演が印象的。この映画で相沢三郎を演じた沼田耀一さんの狂気に憑かれた姿は、世界の映画史に残る。
「てんちゅう〜」
ぶつぶつぶつ……。
沼田曜一さんで思い出しましたが、『仮面ライダーX』(2022年から東京MXテレビで再放送)第15~16話にゲスト出演していました。
こういう脚の引っ張り合いをしてたから
外務も内務も上手くいなかったんやなぁ。
動画中の仙台陸幼の写真は、安藤が学んだ学校とは違いますよ
あと、あくまでも彼等はテロリストであり、当時警備についていた警察官多数をも殺害したことは性格の良さや部下思いなどでは到底許されない蛮行であることを知るべきだと感じた
いやいや
テロリストではない
きちんとした理由で蜂起してる
警備に当たっているから殺されて当然
@@minebazabi
それは詭弁だ
安藤大尉は自決したからいいけど大尉たちの命令で動いて反逆者にされてしまった末端の兵士たちはこの後最前線に送られて酷い扱いを受け戦死してまった方たちが多いらしいので兵士も226事件の被害者だと思います。
自決はしていない。最終的には銃殺刑だな。歴史を正しく調べましょう。
自決したのは野中大尉。安藤大尉は拳銃自決しようとしたが弾が急所を逸れて一命を取りとめた。
その後軍法会議で銃殺刑となった。
@@ライヘナウヘルマン 様
牧野伸顕を襲撃した陸軍航空兵大尉・河野寿も自決していますね。
軍人が政治に首を突っ込むなどもっての外。
テロリストを擁護したり、英雄視してはいけない。
226事件については、昭和陛下のご見解が最も正しい。
現在でもどこその国で軍人が政権握って無茶苦茶になってんだよな…
そういえば今日は226でしたね。
もし生きていれば良き上司や教育者になれたかもしれない。蹶起への参加を思いとどまって欲しかった。
最後まで決起を逡巡していたと言われる。
「私には部下がいます。立場が違うんです」と言ったとも言われる。
決起については懐疑的であったが、それだけにかつての同志らの鎮圧にまわるのは忍び難いとの思いが強く、結局参加に踏み切ったというのが本当らしい。
実際に決起となると最も意志強固で、帰順にも最後まで反対し、自殺を図った。
今更帰順するくらいならナンで決起したんかと、言えたら言いたかったろう。
「撃てるもんなら撃ってみろ! 鎮圧するというならしてみせろ!」
と鎮圧側の戦車に立ち塞がったという。
他の諸隊と異なり、安藤隊からは最後まで一人も脱落者は出なかったと言われる。
@@草莽-b6d そのとおり!
磯部浅一が「安ド、この辺で兵を引いたらどうだ」と言ったら、
「お前は兵を率いる立場じゃないからそんな簡単なことを言えるんだ。
俺が最後まで蹶起に逡巡したのも、下士官兵があってのことだ。
こんなくらいで兵を引くっていうんなら、初めからやらなきゃよかったんだ。」
と𠮟りつけたことは聞いたことがあります・・・。
人格者 安藤大尉の哀しいエピソード。安藤の部下が亡くなった。貧農のせがれで、姉が女郎に売られる前日の自殺だった。その葬儀の席で、部下の母は泣いて安藤に問うた。「大尉様、息子を軍隊とられるのも、娘が女郎になるのも、お国への御奉公なのですか?」と。「私は一言も答えることができなかった」と安藤は書き残している
私は、リアル安藤輝三大尉の従甥です。輝三大尉は、本当に優しい性格であったんですね!ありがとうございます。
安藤大尉は軍人より文人の風がありますね。宮沢賢治に近いような気がします。
賢治も一輝も日召も莞爾も皆法華経。
ナムサッダルマフンドリーカスートラ
昭和天皇の声という書籍に226事件の経緯が書かれていて面白いよ。
蹶起将校にしては、余りにも純粋かつ優し過ぎる方だったと思います。
ソレだけに、当時の陸軍将校としても稀な程、非常に人間的魅力に溢れる中隊長として一兵卒に至るまで全幅の信頼を集めたので、蹶起部隊中有数の強固な団結力を保った安藤中隊は、勅命を奉じて軍旗の下に復帰しました。
多くの警察官を殺害し、子供の目の前で父親を惨殺する人間が純粋?
@@福田理理子
ソレは安藤以外の者です。
@@下元武 一緒にクーデターを起こした段階で同罪です。本人も「やむを得ない」と言ったでしょうね。その少女が惨殺されても「奸臣の娘だ。殺されて当然」と言い切ったでしょうよ。
@@福田理理子 うわあ、想像で決めつけたよ、、、
@@福田理理子 思考回路こわw
この前、銀座に行ったら(銀ブラ)文具屋「伊藤屋」があったあれ?2.26事件で青年将校が事前に寄った店だよね?その後、高橋是清邸に向かった。
投獄じゃなくて投降じゃないですか?
昭和天皇はこの事でトラウマを感じたのか、戦後も寝る前に侍従に「治安はどうか?」と
聞いたと侍従の日記に記されている。当時は昭和天皇も皇道派の事は懸念しており2・26事件が勃発すると「とうとうやったか」「これは朕の不徳の致すところ」と呟いたという。
近所の爺様の話。すごく寒い真夜中にいきなり非常呼集で起こされて、完全武装で隊を出た。佐倉の駅から汽車に乗せられた。(しまった、大陸に送られる。)と思った。鎧戸を下ろされて外は見えない。どの位走ったか朝停車した。鎧戸の隙間から東京駅の看板が見えた。既に新橋の方向で陸軍と海軍の銃撃戦が始まっていた。陸軍と海軍は銃声が違うのでよく分かった。と回想してました。雪が降っていたかは聞き洩らしました。
ええ、佐倉歩兵第2連隊の生き残りですか?
@@浄門道場 返信があり驚きました。ありがとうございます。連隊名は聞いてません。大人になり調べたところ佐倉と甲府から鎮圧部隊が出動したとの文献を見ました。
新橋事件という銃撃戦があったとも見ております。いずれにしても研究者が詳しいと思いますので爺様の寝言くらいに思って下さいませ。
@@1192-h7g 様、ありがとうございますm(_ _)m
歩兵第2連隊は今漫画にもなってます、ペリリュー島の戦いで玉砕してます。
が、明治末期に1909年に水戸に移ってて、代わりに佐倉には歩兵第57連隊が創設されました。
この連隊が、歩兵第一師団の隷下でした。安藤輝三もこの師団所属でした。
ということは、そのじいさまは歩兵第57連隊であった可能性が高いですね。
電話の声アップされてますよね
7歳の少女の目の前で、その父親を惨殺することが正義なのかな?
当時としては貧困がひどく階級差別もひどかったからね
殺されて当然だよ
三浦友和さんかな?
ゴジラの監督で名高い本多猪四郎監督は一時期安藤輝三中尉の部下だったそうです。226事件当日は第5中隊に所属していたため、事件に参加せず、場合によっては補助憲兵として鎮圧側になる予定だったとか。
まず 昭和維新の歌は当時すべてを物語っていて、胸が締め付けれる。
その後かなり綿密に調書が取られたが、隠蔽された。
87年前のちょうど今か
安藤輝三の解説待ってました
殺人は許されないにしても当時の農村の惨状を考えたらどうしても同情してしまう
小畑敏四郎や橋本欣五郎とかも解説してほしいです
殺人だけではない、政党政治という元勲が生涯を賭して築かれたものも破壊しています。同情は正直偽善でしかありません。昭和天皇の激憤から鑑みるに擁護しないことが我々の責任であると存じます。
@@quanhault879
政党政治は515の時点で壊れてたのでは?
@@夕凪-f1l
そのとおりなんだが、このお方(Quanhaultなお)は毎度知ったかぶりの無知ですから。
元勲が生涯賭けて政党政治を築いたってのも、結構珍説だと思います(笑)
@@quanhault879
↑
政党政治の終了は四年前の五一五事件なのだが、キミ、義務教育受けてないのか?
それにしても安倍晋三」のスレでは
『警察による安倍晋三夫妻抹殺計画があったらミステリーとして面白い』
とか言っていたアナタが、こちらでは
『擁護するな』
『人格優れていたなんて擁護するのケシカラン』
ですか。
大したダブスタだ。
そもそも政党政治の機能不全なぞ大正末期・昭和当初から当時既に久しいのだ。
「政府の政策には納得するが、政権奪取する為に反対論を唱える」
との自堕落な野党行動は、既に「憲政の常道」辺りから始まっている。
予算面から軍縮会議にも比率にも賛成だが政権奪取の為に軍と組んででも反対論をブチ上げる、と言う堕落したやり方を常用した政党政治は、有権者の失望を買っていた。
軍人テロを肯定する気なんぞ全くないが、政党政治を壊したのは政党人自身だろう。
五一五にせよ二二六にせよ、当時の国民らの少なからざる層が強く共感したのは、それだけ政党政治への反発が強かったのだ。
テロを起こした軍人共を貶して済む話では全然ない。
それで「責任」とやらが済むと思っていたら、無知なバカだろう。
そしてまた、そんなヤカラがおるからこそ、政策皆無で与党に反対オンリーの無責任野党は今でも跡を絶たぬのだ。
浜口雄幸は総理の時代に
「今の私の政策は、今後数年国民に負担を強いる。しかしその後の日本の発展には必要な痛みだ。耐えてほしい」
と訴え、選挙に大勝した。
(この辺が日本の政党政治の頂点だったとする研究者もいる)
この浜口内閣を軍と結んで世論を煽って打倒を企てたのが当時の野党。
その結果の暗殺未遂で重傷を負い「絶対安静」とされた浜口の登壇をしつこく迫り、この為に浜口は死亡した。
政権奪取の為にこんなエゲツナイ真似をして軍部と結んだ犬養毅は、軍人の凶弾に斃れた為に今でも「最後の政党政治家」なんぞと言われている。
むしろ「政党政治の売り飛ばし人」くらいに言ってもいいくらいなのだ。
「憲政の常道」とやらを持ち上げ、軍人テロを非難し、スバラシイ政党政治が終ったと嘆いてみせて能事終われりとしている者は、無知か馬鹿だろう。
そんな思考停止がおればこそ、政策皆無・反対オンリーの自称野党が跡を絶たぬのだ。
あなたもそんなもんだけどな。
野田さんエライ、だっけ?(笑)
@@quanhault879 そもそも政府がもっと東北を始めとする貧困層に対する福祉政策を行っていればここまでの事件にはならなかったとは思うが。ただ世界情勢がそれを許さなかったのかなとは思う
安藤輝三大尉が評価されるべきは起った以上、最後の最後まで兵を引かなかったこと ✋
手段はともかく、こうした覚悟を持つ政治家が誰もいない令和時代。。
むしろ、端から青年将校達に血祭りに挙げられてく連中ばっかり👎💩
@@言霊の幸う國のムソジニスト
しかも逃げまどって無様そう。。
@@kumosukeponsuke
身代わりになるつもりでヒゲや髪型まで普段から似せていた義弟が殺されたものの、自分自身は脱出して生き残った岡田啓介は、事件後には世間から
「潔くない」
との理不尽な指弾を浴びたと、当時小学生だった吉村昭が随筆に書き残している。
@@kumosukeponsuke 様でも、一人も逃さない💀
覚悟って何だよ?もっとも覚悟が無いのが国民自身。
鈴木貫太郎さんおねがいします!
私も賛同します。
結局あの時対ソ主戦にしなかったからその思想の後継国家に苦労させられるという現代。
映画じゃ高倉健さんがやったね。なんか安藤以上に安藤らしく見えた。死刑執行のシーンで目隠しされつつも毅然とした態度をいささかも崩さず前を見つめていたのが心に突き刺さる。実際の安藤もこうだったように思えるな。
動乱という映画でしたね
安藤の性格を褒めた永田鉄山の性格も解説してください。
大義名分は多くの人達を都合よく利用しますからね。動かした人も動かされた人達も一番警戒しなければいけない。
一部の権力欲、私欲が、若い人が国民を思う優しさから、自ら体をい動かさざるを得なかったことを残された気がします。
歴史は勝者によって書かれていく、しかし未だ2・26事件が残っているのは、その後が間違っていたり、決起した人たちへの追悼の念が我々に大切なことを残してくれている気がします。
国の貧困、国民の貧困あの当時と何変わらない今の日本、みんなが笑って暮らせる国を構成に残せれば・・・そう思います
北一輝の日本改造法案大綱の内容は、現在の日本の社会構造にかなり似通っていて驚かされる。
二・二六事件への背景は松本清張の「昭和史発掘」で詳しく書かれています。
幼い娘の目の前で父親を殺害する事が正義なのかな?
昭和維新って言うが何だかなぁ。。
26:06
この時、野中隊にいた一人の二等兵が、後の五代目・柳家小さんその人でありました。
〽功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠 人生意気に感じては 成否を誰か論ふ(『青年日本の歌〔昭和維新の歌〕』)
小さん師匠は、機関銃隊。
割り振られて、野中隊に配置されただけ。
大昔、TBSラジオで流れていた小さん従軍記は面白かったなぁ。また聞きたいです。
俺の父方のじーちゃんは入婿で、旧姓が安藤だった。
2てん26事件じゃなくて226事件です。ににろくじけん
安藤輝三(生まれ変わり)処刑されたのは翌年ではありません1963年7月12日です
一切の悩み消えて極楽の夢 最期の言葉です
自分の誕生日だからちゃんと知っといたほうがいいかなと
「二・二六」の映画が公開されたときわざわざ観に行ったけど
人が多すぎる上話が複雑すぎてなにひとつ頭に入らなかった。
「なんか三浦友和が出てたような気がする」しか憶えてないw
腐敗した政治、困窮した経済状況、海外からの脅威。
日本を変えるために、何ができるのだろうか?
高橋洋一先生の推すリフレ派経済政策で経済を成長させ、同時に教育国債や防衛国債で、科学技術を充実させるのが、国防に繋がると考えます。
@@Noel-lj7bf
当時は金本位制で安易なリフレ政策は財政の自爆にしかならないのです。
だから、ケインズ政策は当時ではまだ博打要素が強すぎて各国が二の足を踏んでいた訳です。
そんな時代に高橋是清の軍縮論とセットの景気刺激策すら反発された訳ですね。
今の現状では無理
まずはあの腐った9条を廃止して再軍備をはじめること
今の国会議員全員を軍法会議にかけること
地方議員もな
政治家制度を廃止して小委員会を設置して政治を行う
それと経営者の責任追及もしないとな
金持ちからの税率を90%にして財産を没収
それを国費に充てる
それでも問題は解決できないけどな
今は「にいてんにいろく事件」というのか。
陸士200番台で隊付の大尉で陸大受験なしだから、生きていてもずっと隊付将校
だったかな
出世できたとしても佐官止まりで太平洋戦争で戦死の可能性が高いですね。
陸大も本科の他に専科が後に出来たから専科入れてたかもよ。専科卒は師団、旅団参謀になれた。
@@吉野正洋-k5g 活動のために陸大を中退した村中孝次のように官僚と
しての出世は考えてなかったと思う。永田にしても秩父宮にしても
仕事や人柄は評価しても部隊長に対し陸大受験準備を指示して
ないし、本人も隊のまとまりや兵力向上を第一に考えていただ
ろうから
仙台幼年学校の写真、(校門から行軍しているシーン)は仙台市太白区三神峯に昭和10年代にあった二代目の仙台幼年学校。安藤大尉の幼年学校は宮城野区榴ケ岡にあったが大正軍縮で一旦閉校となったと記憶しています。
明日休みだから渋谷の慰霊碑に花添えに行こうかな
時代が時代なら⁉️誠に惜しい人物だった。
起きた時代起きた背景、起きた事は残念で失われた命が残念である。でもこの様な事が何故起きたのかを何故今の日本の教育界はきちんと教育出来ないのか、歴史に学べ無い日本。