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表参道駅ですぐ乗り換えられるから、実質浅草から長津田や中央林間まで直通感覚。
確かあそこってホームが隣同士なんだよね
動画でも言ってたけど田園都市線が銀座線と直通した場合、田園都市線はミニ車体6両だったかもしれない。 今となってはそうなってたらと思うと恐ろしい…
もしも、直通していたら6両はキツイな。
しかも車幅の狭い16m6両。
もしそうなってたら、早期にその銀座線直通の新玉川線のバイパス路線が出来ていたのではないでしょうかね?新玉川線を緩行線として、二子玉川-渋谷で駅を絞った急行線が出来て結局は半蔵門線も作られていたかも
00:01オープニング00:24東京メトロ銀座線とは02:21東急田園都市線とは06:23銀座線と東急田園都市線の直通計画とは10:16銀座線の混雑の激化で直通計画に暗い影•••19:09エンディング
子供のころ、渋谷まで快速で約30分というのは画期的ですた。1編成の両数は新玉川線開通前は4両ですたがドンドン伸びていって6→8→10になった。両数追加の過渡期には混在していて駅のホームの端で待ってて短編成が目の前に停まらない事があった。
渋谷~二子玉川がかつて新玉川線だったのを忘れてたわ。
半蔵門線の半蔵門から九段下駅までの区間。民有地の下を通過するので、その地権者と相当揉めたため、開通まで相当時間かかった。
そのために設定した「1坪共有地」の中には目論見が外れて対象地外となり、共有者不明で手離す事の出来なくなった場所があると、不動産関係の専門誌で見た事があります。民法改正でハードルは下がった様ですが、それでも土地面積に対して掛かる労力が大きく難しいみたいです。
@@takana4381 なにやらとても「資産価値ZERO」な臭いがする話ですね‥
九段地区と平河町地区の住民たちが、半蔵門線が民家の下を通過することを知ったため、またその民家というのが、歴史的に貴重な建物だということで、当時の営団地下鉄に対してルート変更を求めて交渉したものの、話し合いは平行線になりました。 そこで住民たちが、当時の成田空港反対闘争をヒントに、一坪をさらに分割して全国の活動家に土地を持ってもらうという運動を始めました。それが当時の営団地下鉄を大いに悩ませました。全国に散らばる地権者に交渉をせなあかんため、その労力た甚大だったと、当時の関係者の話です。 このあたりに敬意はネット検索できるものとして、「半蔵門線+一坪共有地」概要くらいなら出てきます。あと詳しく調べるならば、東京都の都市計画の資料とかを調べると、この経緯とか出てきます。
@@takana4381 共有者不明とは、近年よく有ると言うか、所有者不明で、解体もなかなか出来ない空き家みたいな感じですか?
@@亮鈴木-i6pさん 共有地の場合、共有者が持っている持ち分は勝手に売却できるので、運動開始時の状態とはかけ離れた状態となってしまい実態を把握するのが困難になる場合が多いと聞きました。
東京メトロ銀座線と東急田園都市線が直通する計画があったんですね。さすがに軌間も集電方式も異なると直通を断念せざるを得ないですね。
@@johnduegombei さん、そうなんですね。
それで言うと、今の三軒茶屋駅から二子玉川駅間のコース取りも幾つか案があった中で、結局は今のとおり、もともと玉川電車が走っていたルートを忠実になぞるルートになったと聞きます。有力な案としては、「蛇崩川ルート」、つまり三軒茶屋駅から今の線路の北側にある「弦巻通り」あたりを通り、用賀駅近辺で今の線路に合流するルートで、用賀駅近辺に車庫を作るというものだったとことです。結果的にこの案は無くなりましたが、この時に東急が確保していた用地に、今の「世田谷ビジネススクエア」が出来たということです。
なお6号線(都営三田線)との直通は別の路線(目黒線、東横線、新横浜線)で実現した模様
東武とすったもんだやった奴?
田園都市線は銀座線より半蔵門線と手を繋いで正解。
つか半蔵門線自体が銀座線直通の代替案だから
このテーマを扱うなら、表参道駅のことも扱ってほしかったかな。駅の場所まで変えたんだから。今でも銀座線の廃駅として残ってるよ。
これは東急側の判断が正解だったな。 第三軌条方式の銀座線に合わせてしまったらその先の延伸が出来ず、すぐ手詰まりになっていたろうし。
半蔵門線はまさに第二銀座線って感じなんだね😊!
半蔵門線は銀座線の混雑解消の為に建設されました。
営団が呼称した「バイパス3路線」の一つですね。他は千代田線(日比谷線のバイパス)、有楽町線(丸ノ内線のバイパス)
田園都市線のルートは一時は大井町直通でその名残は二子玉川園(現二子玉川)の配線が渋谷方と大井町方で内外逆になっていたところにあります。分岐駅では折り返しで反対方向に転線することを考えると分岐側が内側、直通側が外側に配線されるのが通常ですが、当初は大井町方が直通側なので外側にあり、ルートが渋谷直通に変わっても分岐側の大井町方が外側のままだったため、折り返し列車は駅で上下転線ができない上に発着ホームが二つに分かれて乗換や乗り場の確認が面倒という問題がありました。大井町線の方向幕で二子玉川園に緑地のものがあったのもその対策です。当時の遺構は上り外側線から大井町方に、内側線から渋谷方に立体交差する渡り線として残っています。
東急にとって屈辱だった『三越前』行サボの話は出てきませんでしたね。
行き先案内で相当な苦労があったみたいですね
東横線と東武線を通して走る電車がなかったのも同じ理由だったのではないかと思っておりますw当時だと東武動物公園行きになるので……と思ったら、現在は1日何本か田園都市線から東武動物公園行きがあるんですね
なんだかんだで表参道駅で対面乗り換え出来るから結果オーライな感はありますね。あと、新玉川線が田園都市線に組み込まれた際に、目蒲線が分かれた東急多摩川線も出来ましたがそちらとの混同を避ける意味もあったんでしょうね。
銀座線と井の頭線の乗り入れなら聞いたことあるけど。
1959年だと日本の高度成長が始まる前ですね。現在の田園都市線沿線があれだけ発展するのは想定外だったのでしょう。田園都市線が長津田まで開通した頃の沿線の写真を見たことがありますが現在の状況は想像できません。
地下鉄 6号線(都営三田線)は、西高島平から先、和光市駅に延伸して、東武東上線と相互直通運転をする計画があったのに、それもなくなってしまった。
西高島平の構造見て居ると延伸しようとしていたんだな~と解る。
なぜ、なくなってしまったのでしょうかねぇ❓ひょっとして、有楽町線が和光市延伸、東武直通となったため、そちらが優先されたことですか❓私は、有楽町線より三田線直通の方が肝心の都心へのアクセスとして需要が高いことから、今からでもやってほしいと思うところですよ❗この路線の方が、巣鴨、水道橋、大手町(東京)、日比谷(有楽町)、内幸町(新橋)、さらには三田で都営浅草線乗り入れしてくれたら、品川にも直結することで、これだけの駅で結ばれるのが現在の王子〜目黒地下鉄が南北線と呼ぶなら、この都営三田線こそが「南北線」と呼ぶのに相応しい機能があると言っていいところだと思います❗
@@uk.3277号線(有楽町線)は元々目白から中村橋方面を経て所沢方面を至る路線として運輸審議会答申に上がっていて、その頃はまだ東上線との直通はあくまで高島平から上板橋付近を経て大和町(現・和光市)を経て東上線へ直通、幡ケ谷辺りからは当時の田園都市線(現・大井町線)に直通し二子玉川へ至る予定だった。7号線か具現化すると新宿方面から池袋・成増を経て志木へ至る路線として13号線が審議会答申に上がった同時に東武が高島平から大和町(和光市)へ自前の分岐線を作ってまで直通させるより営団に車両基地を和光市近隣に車両基地を作る事を条件に直通させた方が大回りさせす都区内方面へ直通させた方が良いとして6号線との直通計画から撤退。当初7号線が直通する予定だった西武は同有楽町線を小竹向原~練馬間に開業させ、練馬~大泉学園間を複々線化させる形での相直させる事としたものの練馬駅周辺の再開発や複々線化用地の確保が進まず、1981年に小竹向原~新桜台間の暫定開業(当時は西武独自の車両をもたず営団7000系を1編成借りる形を取り直通していた)西武がもたつく間に営団は元々丸ノ内線の池袋~成増間の用地(丸ノ内線池袋駅と副都心線池袋駅が有楽町新線(有楽町線複々線の池袋~小竹向原間)開業当時から同線池袋駅が丸ノ内線ホーム頭端分と直結しているのはある意味丸ノ内線成増延伸計画の遺構とも言える)を転用、将来開通予定の13号線と共用する事と和光市に営団自前で車両基地を設ける形で和光市まで敷設する事と、和光市~志木間を東武で複々線化する事で1987年に東上線と有楽町線との相直を開始。その後1994年に西武有楽町線の練馬延伸と有楽町新線開業で概ね現在の形になりましたね。いずれにしても当初の計画通り東上線と三田線で直通していたなら三田線内が営団銀座線同様輸送力不足(直通開始したであろう70年代には東上線では優等種別をメインに一部8両編成で運転されていた)に陥った可能性があったりしたのではないか?と推測します。
これ系の話では、ぼっちでかわいそうな三田線、東急東武は悪者、みたいな描かれ方をよくされますが、この動画では都の対応ダメダメだろって感じで新鮮でしたw
高島平経由だと北側を大回りする線形になり、東上線の都心へのバイパスにならないと東武が判断したのが最大の理由。
路面電車の旧玉川線が廃止されたのは、1969年(昭和44年)で、新玉川線が開業したのは1977年だから、おおよそ8年のブランクがあるけど、その間は、渋滞の最中路線バスが大増発されているのだが、旧玉川線の廃止を早めたのは、首都高速3号線の延伸工事とも関係してると思われる。あくまでも個人的意見だけど、首都高速道路公団と調整して、旧玉川線も残しても良かった気がする。世田谷線が渋谷まで乗り換えなしで運転されるのもメリットあるだろうし、路面電車なので停留所は密にあるし、ヂーゼルエンジンのバスより排気ガスは少ないし、新玉川線の混雑率を考えても、需要もあったのではないかと思います。
子どもの頃、田園都市線は大井町から中央林間でした。
つきみ野
つきみ野やろが、
つくし野、すずかけ台、つきみ野、中央林間は1984年、4月に開業
当時は、自由が丘乗り換えで渋谷方面に通勤するので、中目黒駅まで激混みだった。
表参道駅は、その昔は神宮前駅と呼ばれていたが、千代田線の開通のころに駅名を改称しました。
千代田線の隣駅のほうが明治神宮に近いわけで、「神宮前」が嘘駅名になるので仕方ないかと。(隣駅の名前は「明治神宮前」)
その前に「青山六丁目」
五島慶太、又の名を「強盗慶太」。ついでに西武の堤康次郎、又の名を「ピストル堤」。
東急が想定していた以上に、銀座線側の都市化(過密化)が進んでしまったと。田園都市線を第三軌条化する意図が無くても、踏切廃止するつもりだったのですね。
田園都市線は当初大井町が始発駅で、その後新玉川線に乗り入れる等東急は路線名を変更する事が多いですね。
半蔵門線の路線を見ると、銀座線や、都営三田線などの混雑緩和に役に立っているように思いますね。そして、概ね、当初の思惑に近い形で実現した路線で、とても利便性も上がりましたね。実は、半蔵門線が東武鉄道と直通運転によって、曳舟から亀戸に抜けることで、総武線との利便性も上がりましたね。
銀座線は第3軌道で集電、軌道幅も標準軌道で、東急の狭軌とは違うので、大改造が必要になるので、実現はほぼ不可能。京成がかつて羽田、京急乗り入れで、改軌したことがあるが、線路だけでなく、車輪も交換で大変なこうじだったようだ。
車両幅も異なります。銀座線:2.55m、日本の従来の鉄道路線の一般的な車両幅:2.8m。
では、銀座線や丸ノ内線を私鉄の20m車が走れるように拡げることができるのか?というと「拡げる技術はあっても拡げるスペースがない」そうです。
今の東京地下鉄鷺沼検車区ができたのは1980年。東急が1979年に長津田検車区へ機能を移した跡地に置かれたのですから、営団の車両を留置・点検する拠点がなかったのも大きいかと存じます。ちなみに西武鉄道西武有楽町線は、1983年の小竹向原〜新桜台の開業時から、1994年に練馬まで暫定的に繋がるまでの間、営団から7000系を借りていました(乗務員や新桜台の管理は西武鉄道)。
もうオレンジの電車…というより真っ黄色だよね笑
新玉川線が開通した時に世田谷区から長野へ引っ越したので私の記憶は田園都市線は大井町駅までだったのに数年後に気が付けば渋谷からに変わっていたので驚きました。開通当時は二子玉川駅で乗り換えていたのが懐かしい。
当初の二子玉川駅の配線が今と逆(折返しを行う大井町線の方が外側)だったのは、銀座線規格の新玉川線は二子玉川が終点で田園都市線区間に直通する想定はなかったからでしたね。福島ダッシュのような光景が見られたのも遠くなりにけり…
銀座線と井の頭線は渋谷で同じ方向を向いていて隣に近い程近接している。輸送力も・井の頭線は20m 車両×5両=100m・銀座線は16m 車両×6両=96mで近いから直通のパートナーとしては田園都市線より相応しい。コスト的には車体幅が広い井の頭線を銀座線の車体幅が狭い車両に変えて線路幅や集電方式を銀座線に合わせれば安上がりに直通ができる。しかし銀座線の方をトンネルの幅と高さを広げる工事を施して長さが20mで車体幅2800mm前後、線路幅1067mmで上からの集電方式にする方が浅草から先の他社線との直通の拡張性も高まって良いと思う。それに下に架線があるのは人の感電リスクが上がって危ないから止めた方がよいと考える。大井町線は田園都市線の行き先を大井町から渋谷に変えたことで中途半端な立ち位置になってしまったが、将来大化けする可能性を秘めている。南北線が品川延伸予定になっているから思いきって大井町から直接延伸するか、大井町止まりの電車はそのまま大井町の地上ホームに止まるようにしつつ、大井町より手前から地下に引き込み線を作って品川迄延伸し南北線に直通させてしまえばよいだろう。大井町線は各駅停車が5両編成、急行が7両編成の現状を将来的にはすべて8両編成に変えてしまえば南北線とピッタリの直通パートナーになる。
半蔵門線で十分な気がするし銀座線だと編成短いし…
こんにちは田園都市線 銀座線 好きな電車です泉岳寺銭が走っていたらもしかしたら高輪ゲートウエイは必要なかったかもしれませんねその方が便利だし。田園都市線は昭和40年代に急速に発展しましたいまじゃ考えられないくらい丘陵地帯だったたまプラーザ駅や長津田駅鉄道の発展って面白いしいろいろな思惑がありますねいつも楽しみにしております
18:58 京浜東北線と根岸線・・・実際は目蒲線分断により多摩川線と紛らわしいからです。
新タマガワ線よりも新しい設定なタマガワ線w
@@dqpb10440 多摩川線のほうが開業古いですよ
いまの溝の口から鷺沼までのエリアは陸軍の訓練施設「溝ノ口演習場」があって新兵さんに地獄の鬼訓練するための交通機関が大井町線だったと聞いたことがある
地下鉄半蔵門線渋谷ー青山一丁目駅間が1978年8月1日に開通して東急新玉川線と相互直通運転が開始されました。
私鉄で一番混む田都がもし16m6両だったらヤバいな
横浜線で八王子あたりから、八高線に乗り、埼玉で電車に乗り続けて、ふと隣のホームを見て、「中央林間」と書かれた電車を見てびっくりしたことがあります。何時も乗り慣れている電車を遠くまで来たなと思う所で見ることは、ホッとするなとしみじみ感じさせられました。レール幅など、様々な問題の末のこの路線の延長なのだと知り、更に路線延長に興味がわきました。
@@johnduegombei さん、ご返答ありがとうございます。実は、私は超低山ハイクや、日帰り温泉巡りが趣味で、そのために遠回りしながら様々な路線巡りをしています。なので、遠回りでも目的地がある乗換を行っていると、こういうことになります。具体的には、八高線川越方面から川越線に乗り換え、そのまま久喜や春日部に向かうかんじです。東武東上線や、武蔵野線に乗り換えつつ、最寄りの城山や富士塚などの低山ハイクをしたり、日帰り温泉に浸かることで満足している自分がいます。
京王井の頭線と銀座線直通させる話も聞いた事ある。
他の動画で聞いた6号線の悲劇と話が違う
大橋ジャンクションの場所が東急バス大橋営業所跡地です。
さらにその前は、玉電(路面電車)の車庫でした。
もし池上線と三田線が繋がっていたら、池上線に8両編成の電車が走っていたかもそんな景色は想像つきませんがwwwまあ目蒲線のように、三田-旗の台の泉岳寺線と残った池上線に分割された可能性もありますね
新玉川線って加算運賃で値段跳ね上がるから別路線名残してたんだとおもってました。
渋谷〜赤坂見附(永田町)まで、銀座線と半蔵門線が並んでるけど、半蔵門線は外苑前駅を通りませんね
半蔵門線は外苑前を通過しますが、28年ほど前の表参道駅6番線の駅名標には、なぜか銀座線の次駅も併記されていて、シールで目隠しされていました。
元々は青山一丁目も飛ばす予定だったんやで
青山一丁目駅よりも外苑前駅の方が、銀座線、半蔵門線と2線停める需要がないでしょうかねぇ❓スタジアム通り沿いの神宮球場や新国立競技場、秩父宮ラグビー場で試合開催のときが混雑することから。
なら要町と千川は副都心線の駅はいらないような。2つも地下鉄が必要なほど大きくない。
@@山田花子-d2r3l すると要町千川行ける有効本数激減するんだけどそこはわかってる?そうすると小竹以北からの列車が半分以上両駅通過になるんだで、今や有楽町線方面より副都心線方面のほうが本数多いんでねそして逆方向にしても池袋はマトモに乗換えられるような構造じゃない(そもそも改札内で繋がっていない)んで要町千川は有楽町線にお乗換えくださいなんてわけにはいかない、むしろこっちの方が大問題だね池袋までで有楽町線の急行線として使われていた新線時代はともかく今の利用用途でそれは許されないっすね、丸ノ内線通路と改札内で繋いだ意味もなくなる
田園都市線が、近鉄けいはんな線のような第三軌条方式だったら、計画はあったでしょうね。そして、半蔵門線は開業してなかったと思います
半蔵門線は銀座線の混雑解消の為に、どの道建設されていましたよ。
今の渋谷駅の配置的には、井の頭線と直通したら便利だったかもしれませんね🚃
集電方式はどうする気だったんだろう。二子玉川先の神奈川県内まで三線軌条にする気だったのか?
そしてし(新)三田線は目黒で東急と、直通し現在は、最長相鉄海老名までになる。
できる訳ないだろ、銀座線は1435㎜第三軌条式の集電であり、田園都市線は1067㎜の架線式集電の為
18:44 近鉄や名鉄や南海とか単独でもっと長いの居るから、いうほど長いとは思わないけど
玉川線は、多摩川の砂利を運ぶ路面電車だったが、新玉川線は、駒沢の砂利を運ぶ地下鉄になった。祖父の言葉。
大井町線と池上線は品川駅まで延伸していたら目黒線くらい便利になったのに。
この手の話は「東急」と「営団」との話し合いで決めた物で、「東急」と「銀座線」、「東急」と半蔵門線」で決めた話じゃないので、なんか説明が変だよね。「営団」が銀座線のバイパス路線である半蔵門線建設することとになって、東急の乗り入れ先を半蔵毛氈に変更しただけでしょ?まるで「東急が、一度は銀座線単独に打診して、途中で打診先を半蔵門線に変えたかのような話だとしたら、「営団」という経営母体は何も調整しなかったことになるでしょ。
銀座線直通にするなら井の頭線が乗り入れるべきでは?
銀座線は井の頭線と直通運転して欲しい
銀座線が直通するなら井の頭線としてほしかった
半蔵門線の8000系も来年度までに引退してしてしまうなあ。あのバゴーン!って空くドアが好きだった。
昔は非冷房だったので、真夏に遠くから紫帯が接近してくるとハズレと思ったな。確実に冷房車に当たるには快速だったけど、昼間は30分毎でしたので狙って行動する必要があった。
二子玉が表参道に...
初めて聞きました。銀座線は渋谷―新橋が、東急の五島が作ったのは知ってましたが。
純粋地元民はニコタマとは言わんけどね。
「紘毅」さんの歌に『二子玉』ってのがあるんですわ。後にアニメ「ダンボール戦機」のエンディング曲を多数担当されました。
9:48東急の架線ではないと思います
ムリやろ───東急車両は銀座線に入れるサイズじゃないし、3線レールでつくし野までもムリやろ───w
線路幅1067ミリより1435ミリの方が良さそう
銀座線は直通しない美徳があるよな??
新玉川線が開通するまでは自由が丘で東横線に乗り換えていたらしい、その後、渋谷、表参道でののりかえ、そのうちに表参道のみに乗換えとなった、永田町まで開通した時は、乗換なしで会社に行けるようになったと親父が喜んでいた、
内容は良いが、人工音声を聞くと気持ち悪くなる。どうにかならないか。
表参道駅ですぐ乗り換えられるから、実質浅草から長津田や中央林間まで直通感覚。
確かあそこってホームが隣同士なんだよね
動画でも言ってたけど田園都市線が銀座線と直通した場合、田園都市線はミニ車体6両だったかもしれない。 今となってはそうなってたらと思うと恐ろしい…
もしも、直通していたら6両はキツイな。
しかも車幅の狭い16m6両。
もしそうなってたら、早期にその銀座線直通の新玉川線のバイパス路線が出来ていたのではないでしょうかね?
新玉川線を緩行線として、二子玉川-渋谷で駅を絞った急行線が出来て
結局は半蔵門線も作られていたかも
00:01オープニング
00:24東京メトロ銀座線とは
02:21東急田園都市線とは
06:23銀座線と東急田園都市線の直通計画とは
10:16銀座線の混雑の激化で直通計画に暗い影•••
19:09エンディング
子供のころ、渋谷まで快速で約30分というのは画期的ですた。
1編成の両数は新玉川線開通前は4両ですたがドンドン伸びていって6→8→10になった。
両数追加の過渡期には混在していて駅のホームの端で待ってて短編成が目の前に停まらない事があった。
渋谷~二子玉川がかつて新玉川線だったのを忘れてたわ。
半蔵門線の半蔵門から九段下駅までの区間。民有地の下を通過するので、その地権者と相当揉めたため、開通まで相当時間かかった。
そのために設定した「1坪共有地」の中には目論見が外れて対象地外となり、共有者不明で手離す事の出来なくなった場所があると、不動産関係の専門誌で見た事があります。民法改正でハードルは下がった様ですが、それでも土地面積に対して掛かる労力が大きく難しいみたいです。
@@takana4381
なにやらとても「資産価値ZERO」な臭いがする話ですね‥
九段地区と平河町地区の住民たちが、半蔵門線が民家の下を通過することを知ったため、またその民家というのが、歴史的に貴重な建物だということで、当時の営団地下鉄に対してルート変更を求めて交渉したものの、話し合いは平行線になりました。
そこで住民たちが、当時の成田空港反対闘争をヒントに、一坪をさらに分割して全国の活動家に土地を持ってもらうという運動を始めました。それが当時の営団地下鉄を大いに悩ませました。全国に散らばる地権者に交渉をせなあかんため、その労力た甚大だったと、当時の関係者の話です。
このあたりに敬意はネット検索できるものとして、「半蔵門線+一坪共有地」概要くらいなら出てきます。あと詳しく調べるならば、東京都の都市計画の資料とかを調べると、この経緯とか出てきます。
@@takana4381 共有者不明とは、近年よく有ると言うか、所有者不明で、解体もなかなか出来ない空き家みたいな感じですか?
@@亮鈴木-i6pさん 共有地の場合、共有者が持っている持ち分は勝手に売却できるので、運動開始時の状態とはかけ離れた状態となってしまい実態を把握するのが困難になる場合が多いと聞きました。
東京メトロ銀座線と東急田園都市線が直通する計画があったんですね。さすがに軌間も集電方式も異なると直通を断念せざるを得ないですね。
@@johnduegombei さん、そうなんですね。
それで言うと、今の三軒茶屋駅から二子玉川駅間のコース取りも幾つか案があった中で、結局は今のとおり、もともと玉川電車が走っていたルートを忠実になぞるルートになったと聞きます。有力な案としては、「蛇崩川ルート」、つまり三軒茶屋駅から今の線路の北側にある「弦巻通り」あたりを通り、用賀駅近辺で今の線路に合流するルートで、用賀駅近辺に車庫を作るというものだったとことです。結果的にこの案は無くなりましたが、この時に東急が確保していた用地に、今の「世田谷ビジネススクエア」が出来たということです。
なお6号線(都営三田線)との直通は別の路線(目黒線、東横線、新横浜線)で実現した模様
東武とすったもんだやった奴?
田園都市線は銀座線より半蔵門線と手を繋いで正解。
つか半蔵門線自体が銀座線直通の代替案だから
このテーマを扱うなら、表参道駅のことも扱ってほしかったかな。
駅の場所まで変えたんだから。
今でも銀座線の廃駅として残ってるよ。
これは東急側の判断が正解だったな。 第三軌条方式の銀座線に合わせてしまったらその先の延伸が出来ず、すぐ手詰まりになっていたろうし。
半蔵門線はまさに第二銀座線って感じなんだね😊!
半蔵門線は銀座線の混雑解消の為に建設されました。
営団が呼称した「バイパス3路線」の一つですね。他は千代田線(日比谷線のバイパス)、有楽町線(丸ノ内線のバイパス)
田園都市線のルートは一時は大井町直通でその名残は
二子玉川園(現二子玉川)の配線が渋谷方と大井町方
で内外逆になっていたところにあります。分岐駅では
折り返しで反対方向に転線することを考えると分岐側
が内側、直通側が外側に配線されるのが通常ですが、
当初は大井町方が直通側なので外側にあり、ルートが
渋谷直通に変わっても分岐側の大井町方が外側のまま
だったため、折り返し列車は駅で上下転線ができない
上に発着ホームが二つに分かれて乗換や乗り場の確認
が面倒という問題がありました。大井町線の方向幕で
二子玉川園に緑地のものがあったのもその対策です。
当時の遺構は上り外側線から大井町方に、内側線から
渋谷方に立体交差する渡り線として残っています。
東急にとって屈辱だった『三越前』行サボの話は出てきませんでしたね。
行き先案内で相当な苦労があったみたいですね
東横線と東武線を通して走る電車がなかったのも同じ理由だったのではないかと思っておりますw
当時だと東武動物公園行きになるので……と思ったら、現在は1日何本か田園都市線から東武動物公園行きがあるんですね
なんだかんだで表参道駅で対面乗り換え出来るから結果オーライな感はありますね。
あと、新玉川線が田園都市線に組み込まれた際に、目蒲線が分かれた東急多摩川線も出来ましたがそちらとの混同を避ける意味もあったんでしょうね。
銀座線と井の頭線の乗り入れなら聞いたことあるけど。
1959年だと日本の高度成長が始まる前ですね。現在の田園都市線沿線があれだけ発展するのは想定外だったのでしょう。田園都市線が長津田まで開通した頃の沿線の写真を見たことがありますが現在の状況は想像できません。
地下鉄 6号線(都営三田線)は、
西高島平から先、和光市駅に延伸して、東武東上線と相互直通運転をする計画があったのに、それもなくなってしまった。
西高島平の構造見て居ると延伸しようとしていたんだな~と解る。
なぜ、なくなってしまったのでしょうかねぇ❓
ひょっとして、有楽町線が和光市延伸、東武直通となったため、そちらが優先されたことですか❓
私は、有楽町線より三田線直通の方が肝心の都心へのアクセスとして需要が高いことから、今からでもやってほしいと思うところですよ❗
この路線の方が、巣鴨、水道橋、大手町(東京)、日比谷(有楽町)、内幸町(新橋)、さらには三田で都営浅草線乗り入れしてくれたら、品川にも直結することで、これだけの駅で結ばれるのが現在の王子〜目黒地下鉄が南北線と呼ぶなら、この都営三田線こそが「南北線」と呼ぶのに相応しい機能があると言っていいところだと思います❗
@@uk.3277号線(有楽町線)は元々目白から中村橋方面を経て所沢方面を至る路線として運輸審議会答申に上がっていて、その頃はまだ東上線との直通はあくまで高島平から上板橋付近を経て大和町(現・和光市)を経て東上線へ直通、幡ケ谷辺りからは当時の田園都市線(現・大井町線)に直通し二子玉川へ至る予定だった。
7号線か具現化すると新宿方面から池袋・成増を経て志木へ至る路線として13号線が審議会答申に上がった同時に東武が高島平から大和町(和光市)へ自前の分岐線を作ってまで直通させるより営団に車両基地を和光市近隣に車両基地を作る事を条件に直通させた方が大回りさせす都区内方面へ直通させた方が良いとして6号線との直通計画から撤退。
当初7号線が直通する予定だった西武は同有楽町線を小竹向原~練馬間に開業させ、練馬~大泉学園間を複々線化させる形での相直させる事としたものの練馬駅周辺の再開発や複々線化用地の確保が進まず、1981年に小竹向原~新桜台間の暫定開業(当時は西武独自の車両をもたず営団7000系を1編成借りる形を取り直通していた)
西武がもたつく間に営団は元々丸ノ内線の池袋~成増間の用地(丸ノ内線池袋駅と副都心線池袋駅が有楽町新線(有楽町線複々線の池袋~小竹向原間)開業当時から同線池袋駅が丸ノ内線ホーム頭端分と直結しているのはある意味丸ノ内線成増延伸計画の遺構とも言える)を転用、将来開通予定の13号線と共用する事と和光市に営団自前で車両基地を設ける形で和光市まで敷設する事と、和光市~志木間を東武で複々線化する事で1987年に東上線と有楽町線との相直を開始。
その後1994年に西武有楽町線の練馬延伸と有楽町新線開業で概ね現在の形になりましたね。
いずれにしても当初の計画通り東上線と三田線で直通していたなら三田線内が営団銀座線同様輸送力不足(直通開始したであろう70年代には東上線では優等種別をメインに一部8両編成で運転されていた)に陥った可能性があったりしたのではないか?と推測します。
これ系の話では、ぼっちでかわいそうな三田線、東急東武は悪者、みたいな描かれ方をよくされますが、この動画では都の対応ダメダメだろって感じで新鮮でしたw
高島平経由だと北側を大回りする線形になり、東上線の都心へのバイパスにならないと東武が判断したのが最大の理由。
路面電車の旧玉川線が廃止されたのは、1969年(昭和44年)で、新玉川線が開業したのは1977年だから、おおよそ8年のブランクがあるけど、
その間は、渋滞の最中路線バスが大増発されているのだが、旧玉川線の廃止を早めたのは、首都高速3号線の延伸
工事とも関係してると思われる。
あくまでも個人的意見だけど、首都高速道路公団と調整して、旧玉川線も残しても良かった気がする。
世田谷線が渋谷まで乗り換えなしで運転されるのもメリットあるだろうし、路面電車なので停留所は密にあるし、ヂーゼルエンジンのバスより排気ガスは少ないし、新玉川線の混雑率を考えても、需要もあったのではないかと思います。
子どもの頃、田園都市線は大井町から中央林間でした。
つきみ野
つきみ野やろが、
つくし野、すずかけ台、つきみ野、中央林間は1984年、4月に開業
当時は、自由が丘乗り換えで渋谷方面に通勤するので、中目黒駅まで激混みだった。
表参道駅は、その昔は神宮前駅と呼ばれていたが、千代田線の開通のころに駅名を改称しました。
千代田線の隣駅のほうが明治神宮に近いわけで、「神宮前」が嘘駅名になるので仕方ないかと。(隣駅の名前は「明治神宮前」)
その前に「青山六丁目」
五島慶太、又の名を「強盗慶太」。ついでに西武の堤康次郎、又の名を「ピストル堤」。
東急が想定していた以上に、銀座線側の都市化(過密化)が進んでしまったと。
田園都市線を第三軌条化する意図が無くても、踏切廃止するつもりだったのですね。
田園都市線は当初大井町が始発駅で、その後新玉川線に乗り入れる等東急は路線名を変更する事が多いですね。
半蔵門線の路線を見ると、銀座線や、都営三田線などの混雑緩和に役に立っているように思いますね。
そして、概ね、当初の思惑に近い形で実現した路線で、とても利便性も上がりましたね。
実は、半蔵門線が東武鉄道と直通運転によって、曳舟から亀戸に抜けることで、総武線との利便性も上がりましたね。
銀座線は第3軌道で集電、軌道幅も標準軌道で、東急の狭軌とは違うので、大改造が必要になるので、実現はほぼ不可能。京成がかつて羽田、京急乗り入れで、改軌したことがあるが、線路だけでなく、車輪も交換で大変なこうじだったようだ。
車両幅も異なります。銀座線:2.55m、日本の従来の鉄道路線の一般的な車両幅:2.8m。
では、銀座線や丸ノ内線を私鉄の20m車が走れるように拡げることができるのか?
というと
「拡げる技術はあっても拡げるスペースがない」そうです。
今の東京地下鉄鷺沼検車区ができたのは1980年。東急が1979年に長津田検車区へ機能を移した跡地に置かれたのですから、営団の車両を留置・点検する拠点がなかったのも大きいかと存じます。
ちなみに西武鉄道西武有楽町線は、1983年の小竹向原〜新桜台の開業時から、1994年に練馬まで暫定的に繋がるまでの間、営団から7000系を借りていました(乗務員や新桜台の管理は西武鉄道)。
もうオレンジの電車…というより真っ黄色だよね笑
新玉川線が開通した時に世田谷区から長野へ引っ越したので私の記憶は田園都市線は大井町駅までだったのに数年後に気が付けば渋谷からに変わっていたので驚きました。
開通当時は二子玉川駅で乗り換えていたのが懐かしい。
当初の二子玉川駅の配線が今と逆(折返しを行う大井町線の方が外側)だったのは、銀座線規格の新玉川線は二子玉川が終点で田園都市線区間に直通する想定はなかったからでしたね。福島ダッシュのような光景が見られたのも遠くなりにけり…
銀座線と井の頭線は渋谷で同じ方向を向いていて隣に近い程近接している。輸送力も
・井の頭線は20m 車両×5両=100m
・銀座線は16m 車両×6両=96m
で近いから直通のパートナーとしては田園都市線より相応しい。コスト的には車体幅が広い井の頭線を銀座線の車体幅が狭い車両に変えて線路幅や集電方式を銀座線に合わせれば安上がりに直通ができる。
しかし銀座線の方をトンネルの幅と高さを広げる工事を施して長さが20mで車体幅2800mm前後、線路幅1067mmで上からの集電方式にする方が浅草から先の他社線との直通の拡張性も高まって良いと思う。それに下に架線があるのは人の感電リスクが上がって危ないから止めた方がよいと考える。
大井町線は田園都市線の行き先を大井町から渋谷に変えたことで中途半端な立ち位置になってしまったが、将来大化けする可能性を秘めている。南北線が品川延伸予定になっているから思いきって大井町から直接延伸するか、大井町止まりの電車はそのまま大井町の地上ホームに止まるようにしつつ、大井町より手前から地下に引き込み線を作って品川迄延伸し南北線に直通させてしまえばよいだろう。大井町線は各駅停車が5両編成、急行が7両編成の現状を将来的にはすべて8両編成に変えてしまえば南北線とピッタリの直通パートナーになる。
半蔵門線で十分な気がするし銀座線だと編成短いし…
こんにちは
田園都市線 銀座線 好きな電車です
泉岳寺銭が走っていたらもしかしたら高輪ゲートウエイは必要なかったかもしれませんね
その方が便利だし。
田園都市線は昭和40年代に急速に発展しました
いまじゃ考えられないくらい丘陵地帯だったたまプラーザ駅や
長津田駅
鉄道の発展って面白いしいろいろな思惑がありますね
いつも楽しみにしております
18:58 京浜東北線と根岸線・・・
実際は目蒲線分断により多摩川線と紛らわしいからです。
新タマガワ線よりも新しい設定なタマガワ線w
@@dqpb10440 多摩川線のほうが開業古いですよ
いまの溝の口から鷺沼までのエリアは陸軍の訓練施設「溝ノ口演習場」があって
新兵さんに地獄の鬼訓練するための交通機関が大井町線だったと聞いたことがある
地下鉄半蔵門線渋谷ー青山一丁目駅間が1978年8月1日に開通して東急新玉川線と相互直通運転が開始されました。
私鉄で一番混む田都がもし16m6両だったらヤバいな
横浜線で八王子あたりから、八高線に乗り、埼玉で電車に乗り続けて、ふと隣のホームを見て、
「中央林間」と書かれた電車を見てびっくりしたことがあります。
何時も乗り慣れている電車を遠くまで来たなと思う所で見ることは、ホッとするなと
しみじみ感じさせられました。
レール幅など、様々な問題の末のこの路線の延長なのだと知り、更に路線延長に興味がわきました。
@@johnduegombei さん、ご返答ありがとうございます。
実は、私は超低山ハイクや、日帰り温泉巡りが趣味で、そのために遠回りしながら様々な路線巡りをしています。
なので、遠回りでも目的地がある乗換を行っていると、こういうことになります。
具体的には、八高線川越方面から川越線に乗り換え、そのまま久喜や春日部に向かうかんじです。
東武東上線や、武蔵野線に乗り換えつつ、最寄りの城山や富士塚などの低山ハイクをしたり、
日帰り温泉に浸かることで満足している自分がいます。
京王井の頭線と銀座線直通させる話も聞いた事ある。
他の動画で聞いた6号線の悲劇と話が違う
大橋ジャンクションの場所が東急バス大橋営業所跡地です。
さらにその前は、玉電(路面電車)の車庫でした。
もし池上線と三田線が繋がっていたら、池上線に8両編成の電車が走っていたかも
そんな景色は想像つきませんがwww
まあ目蒲線のように、三田-旗の台の泉岳寺線と残った池上線に分割された可能性もありますね
新玉川線って加算運賃で値段跳ね上がるから別路線名残してたんだとおもってました。
渋谷〜赤坂見附(永田町)まで、銀座線と半蔵門線が並んでるけど、半蔵門線は外苑前駅を通りませんね
半蔵門線は外苑前を通過しますが、28年ほど前の表参道駅6番線の駅名標には、なぜか銀座線の次駅も併記されていて、シールで目隠しされていました。
元々は青山一丁目も飛ばす予定だったんやで
青山一丁目駅よりも外苑前駅の方が、銀座線、半蔵門線と2線停める需要がないでしょうかねぇ❓
スタジアム通り沿いの神宮球場や新国立競技場、秩父宮ラグビー場で試合開催のときが混雑することから。
なら要町と千川は副都心線の駅はいらないような。
2つも地下鉄が必要なほど大きくない。
@@山田花子-d2r3l すると要町千川行ける有効本数激減するんだけどそこはわかってる?
そうすると小竹以北からの列車が半分以上両駅通過になるんだで、今や有楽町線方面より副都心線方面のほうが本数多いんでね
そして逆方向にしても池袋はマトモに乗換えられるような構造じゃない(そもそも改札内で繋がっていない)んで要町千川は有楽町線にお乗換えくださいなんてわけにはいかない、むしろこっちの方が大問題だね
池袋までで有楽町線の急行線として使われていた新線時代はともかく今の利用用途でそれは許されないっすね、丸ノ内線通路と改札内で繋いだ意味もなくなる
田園都市線が、近鉄けいはんな線のような第三軌条方式だったら、計画はあったでしょうね。そして、半蔵門線は開業してなかったと思います
半蔵門線は銀座線の混雑解消の為に、どの道建設されていましたよ。
今の渋谷駅の配置的には、井の頭線と直通したら便利だったかもしれませんね🚃
集電方式はどうする気だったんだろう。二子玉川先の神奈川県内まで三線軌条にする気だったのか?
そしてし(新)三田線は目黒で東急と、直通し現在は、最長相鉄海老名までになる。
できる訳ないだろ、銀座線は1435㎜第三軌条式の集電であり、田園都市線は1067㎜の架線式集電の為
18:44 近鉄や名鉄や南海とか単独でもっと長いの居るから、いうほど長いとは思わないけど
玉川線は、多摩川の砂利を運ぶ路面電車だったが、
新玉川線は、駒沢の砂利を運ぶ地下鉄になった。
祖父の言葉。
大井町線と池上線は品川駅まで延伸していたら目黒線くらい便利になったのに。
この手の話は「東急」と「営団」との話し合いで決めた物で、「東急」と「銀座線」、「東急」と半蔵門線」で決めた話じゃないので、なんか説明が変だよね。
「営団」が銀座線のバイパス路線である半蔵門線建設することとになって、東急の乗り入れ先を半蔵毛氈に変更しただけでしょ?
まるで「東急が、一度は銀座線単独に打診して、途中で打診先を半蔵門線に変えたかのような話だとしたら、「営団」という経営母体は何も調整しなかったことになるでしょ。
銀座線直通にするなら井の頭線が乗り入れるべきでは?
銀座線は井の頭線と直通運転して欲しい
銀座線が直通するなら井の頭線としてほしかった
半蔵門線の8000系も来年度までに引退してしてしまうなあ。あのバゴーン!って空くドアが好きだった。
昔は非冷房だったので、真夏に遠くから紫帯が接近してくるとハズレと思ったな。確実に冷房車に当たるには快速だったけど、昼間は30分毎でしたので狙って行動する必要があった。
二子玉が表参道に...
初めて聞きました。
銀座線は渋谷―新橋が、東急の五島が作ったのは知ってましたが。
純粋地元民はニコタマとは言わんけどね。
「紘毅」さんの歌に『二子玉』ってのがあるんですわ。後にアニメ「ダンボール戦機」のエンディング曲を多数担当されました。
9:48
東急の架線ではないと思います
ムリやろ───東急車両は銀座線に入れるサイズじゃないし、3線レールでつくし野までもムリやろ───w
線路幅1067ミリより1435ミリの方が良さそう
銀座線は直通しない美徳があるよな??
新玉川線が開通するまでは自由が丘で東横線に乗り換えていたらしい、その後、渋谷、表参道でののりかえ、そのうちに表参道のみに乗換えとなった、永田町まで開通した時は、乗換なしで会社に行けるようになったと親父が喜んでいた、
内容は良いが、人工音声を聞くと気持ち悪くなる。どうにかならないか。