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【参考文献】◯世界は時間でできているamzn.to/4dCavTy◯ベルクソンの哲学amzn.to/3SHhRgg◯現代思想「時間とは何か」amzn.to/4dhIoZQ◯消えた反物質www.valuebooks.jp/bp/VS0022535359【サポーターコミュニティはこちら!】yurugakuto.com/tetsu【公式Twitter】 ゆる哲学ラジオのTwitterアカウントがあるので、是非フォローしてください!⇨ twitter.com/yuru_philosophy【おたよりフォーム】 皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています!⇨ forms.gle/n72HW8ZAaAZu5TM96
「1年が1秒に感じられる存在」がいたら、野山は高速でカラフルに点滅する(茶→ピンク→緑→赤/黄→茶)ように見えるなと以前考えたことがあります。さらに時間スケールが長ければ、そもそも点滅も見えず、平均した色だけが見えるかもしれません。
やっと、クオリアが何かわかりました。いつも「クリオネ」(北海の天使)とごっちゃになってました。ありがとうございます!!
砂糖水の話で思い出したのがSHAZNAの「Lily of the Valley」という曲でした。サビに「角砂糖が溶けるような恋」というフレーズが毎回使われているのです。そう思い聞き直してみると冒頭からいきなり「金色の太陽」で始まり、他にも「白いすずらん」「Blueな夜」「景色はピンク色」と、色についての歌詞が散りばめられていて確信しました。IZAMさんはベルクソンやってます。
ゾウをレイとコで挟むだと思った😅
像を霊と個で挟む。。哲学的(全然違った。
像を霊と子で挟む、どの宗派の話かな?
この答え俺は好き
何が起こるか分からない毎日の中で、毎週土曜日にちゃんと動画上げてくれるの安心する。安定してそこにいてくれる安心感
これほど分かりやすく面白く話してくださって感謝です。哲学の本を読み始めては挫折を繰り返していますが、このチャネルで概要をつかめそうなので、再開トライします。
「時間の空間化」という言葉だけ聞くと、カレンダーを見ながら「この作業はどこでやる?」みたいな相談をしているときに、カレンダーという道具を使って時間を空間上で扱っていることをイメージしますね。
前回と今回でベルクソンの時間と空間についてたっぷり楽しませていただきました。スケールの違いによる認識の違いを用いた凝縮のメカニズムや量から質の転換の解説がとてもわかりやすかったです。クオリアを学ぶ際、この「感じ」をどう自分にしっくりこさせるかが大事だと思うのですが、おかげで「空間にて最大、時間では最小」がすんなり入ってきました。
ユクスキュルが言ってたわ。人間にとっての一瞬は1/18秒だって。アニメとか映像のフレームレートを考えるとわかりやすい。現代の映像は1秒間に24枚の静止画からなってるのが一般的。つまり人間が認識する1秒という時間に24個の空間が詰め込まれてるということ。
おれスマブラ2000時間やってるからもう多分1/60まで進化したわ。
23:40 もし作用反作用が応答時間ゼロで生じるのであれば、有限の長さ(1cmでも1mでも1kmでも)を持つ棒の端を押す事で他端に時間差ゼロで力すなわち情報を伝えられることになり、光速を超えます。実際にはそんなことはなく、ミクロの目で見ると原子が持つ電場が干渉し合って力を伝達しており、一定の速度で作用反作用も生じています。つまり、これもスケールの違いだと思います。ちなみに、光が色として見えるのは、電磁波の振動が即座に「色」という質に変換されているのではなく、網膜の錐体という異なる波長に反応する3種の細胞が信号変換をしているからです。具体的には、細胞に特定の波長の光に反応するタンパク質が存在し、光を受けるとタンパク質の化学変化・構造変化が生じ、最終的には電気信号に変換されます。触覚においてもそうですが、ミクロな情報を感知するためにはその分解能に応じた感覚器の数が必要になりますが、体の様々な制約上(エネルギー効率、タンパク質や細胞のサイズなど)無数に感覚器を備える訳にいかないので、今のような形になっているんじゃないかと思います。
現代から振り返ってのベルクソンの著作の面白さの一つは、従来の思弁的哲学でよく俎上にあげられる「過去の想起」の固有の性質とは別に、人間の「現在において活用される想起」の特殊な性質を仮定した上で彼が色々考えた部分を読めることにあると思います。この部分は、その後の哲学や心理学でもあまり踏み込んだ考察がなされた分野とは言い難いゆえにベルクソンが特に際立って見えます。「現在における想起」はまさに、「クオリア」を引き起こす何らかの人間の意識性質を解明しようとするために、それまでの哲学や心理学で曖昧に定義されていた「想起」から区別された領域になっていると思います。美術・音楽・スポーツなど、制作や実行の中で、判断力と身体の自動操縦が同時にフル活用されている状態を、従来の哲学的思弁における「意識」や「過去の想起」の考えと結び付けようとすると、時間軸との関係において色々な齟齬が生じてきてしまいます。そのせいでこうした領域が何か人間活動の中で例外的な領域にされてしまったり、あるいは人間活動における「無意識」の役割の過大な評価に結びつきがちです。しかしベルクソンは、コロンブスの卵的な転換で当時の哲学・心理学が見出しがちだったターニングポイントとは別の、意識作用と時間の関係の検証の方に道を開いたと言えますし、それは現代におけるMRIを活用した脳科学や人工知能研究の発展、あるいはそれを活用した産物におけるキャズム発生のパターンの理解克服といった実践的な分野と、思弁的な哲学や心理学との溝を埋めるような何かであるとも感じます。
中学生の頃「自分が見ている赤と他の人が見ている赤は違うのではないか。でもそれを誰も知り得ないから、みんなは共通して赤と呼びなんとなく同じ色だと思っているのではないか」と思い友達と話したら友達も同じことを考えていたそのあと飲茶のホームページの『哲学的な何か』でクオリアの話を読んで、それにクオリアというかっけー名前がついていること、昔から皆同じようなことを考えているということが分かって嬉しくなった思い出
そう考えると、「光よ、あれ」で光が生まれる聖書の展開にも結構頷ける。
平井さんの本よりも分かりやすかったです。この次は、物質と記憶 の記憶の存在論というようなテーマで取り上げて頂きたいです。
宇宙とか時間とか素粒子とかほんとあたまおかしくなる。
クオリアという概念(?)は高校生の頃、本で知りました。それまで意識したことすらありませんでしたけど、赤という周波数の電磁波からもたらされる暖かさ、熱さから情熱とか攻撃的な感じ、あれはいったいどこからくるのか。結局、答えは分かりませんが、今回の話はとても興味深くかつ面白かったです。そもそも、哲学?医学?心理学?物理学?生物学?何がふさわしいんでしょうか?よしのぶさんにも「クオリアは人間だけにあるのでしょうか?」と質問してみたいです。
冷ゾウ庫。すでにゾウが入っています!
今回初めてクオリアを知りました。で、感覚器官が世界の情報を認識する上で(情報量を低減させたりして)便利だから、それぞれを質に変換して認識している。つまり”(主観的故に)そう見えてる”って事を「クオリア」と表現しているのかな?と思いました。
最近はクオリアと聞くフロクロさんの『黒塗り世界宛て書簡』の歌詞にある「そしてクオリアを持った■■■として蘇り」が思い起こされる。黒塗りの部分にはゾンビが入るとされ、前の歌詞の流れから哲学的ゾンビがクオリアを持って蘇ったと書かれていると考察されている(多分)。哲学的ゾンビが何でクオリアが何か正確にはわからないけど、クオリアを持った哲学的ゾンビって哲学的ゾンビじゃないよなー、と勝手に思いつつ、あっているかもわからず悶々としています。難しい話は分からないので、いつかわかりやすく解説してほしいです。話は変わって、今回のサムネ、シンプルだけどゴチャっとしていていいですね。背景はクオリアのレシピの話なので闇鍋感あるし、文字も混ぜられてぐにゃってるのオシャです。
凝縮って面白いですね。細かく見ていくと全然別物のはずなのに、って聞くと「単純なテンソル計算で人工知能が動いてます」というソレは諦めも含めて現代の人間が用いてる凝縮っぽいですね。これに限らず科学的な積み重ねの多くが量と質の変化をもたらしてそうですが
メアリの部屋実験って、色盲の人が、色が見える眼鏡を始めて付けることで擬似的に再現できひんのかな?
昔留学先の宗教(キリスト教)の授業で「雪はなぜ白いのか」という質問にグループで答える課題があったことを思い出しました。「蟻にとっては透明だ。白いとするのは人間の感覚で、設問が間違ってる」って頑張って伝えたら皆納得してくれて、そのまま発表したら「蟻の話はしてません。人間と蟻は違います」って怒られました。正解は「我々が凝縮しているから」だったのか……。
面白いなぁ😮
昔から持ってる疑問です「音楽とはなにか?」音は反響がなければ、一定の時間で減衰します。ではメロディとは?人間は減衰した音の時間を越えて、メロディを心地よいと感じます。これは記憶によるのでしょうか?音は消えてもメロディが記憶に残り心地よさを感じるのでしょうか?では、どれくらいの長さのメロディを記憶し、名曲と感じることができるのでしょうか?ひょっとしたら人間にとって、時間とは結構荒っぽい量子的な感覚なのでしょうか?
冷蔵庫に象の話、大好きな漫画で読んでからずっと謎だなぁと思ってるぜひ平田さんには杉山小弥花先生の漫画を読んでほしいなぁ……めちゃくちゃ好きだと思う(特に明治失業忍法帖)
2次元は面で、線は1次元ですね🐱
3次元空間を目を通して2次元的に認識することを凝縮と言ってるのかなと思ったら全然違った
31:54 マユリvsザエルアポロだ…!あれクオリアで殺してたのか。
ゆる言語学ラジオのゆるコンピュータ科学ラジオ回で言っていた、スマホやpcが魔法の箱に見えるのは何故かってのと同じ話してておもろ〜ってなってた(小並感)
ベルクソンはクオリアを凝縮する演算装置としているのか、凝縮したものを知覚するものとしているのか、疑問に思いました。
凝縮を複雑系の研究でいう創発だと思ってたらその通りに思えるなーって思ってたら創発って言葉もベルクソン発信か!そらそうだな!
生起とも言うね
たのまち!
ゾウを冷蔵庫に入れるには?①リンゴやバナナで誘導する。②四方と天井は明るく檻だけにしておく。③ゾウが入ったら壁と天井を防ぐ④冷蔵スイッチを入れる。
「我々にとって綱渡りが2次元で蟻にとっては3次元」という例えが少しおかしいと思いました.我々にとって綱渡りは前後方向への移動しかできないから1次元,しかしロープ表面に居る蟻にとってはロープの軸方向だけでなく周方向にも動けるから2次元(円筒表面を動くのと同じ移動の自由度がある),というのが正しいのでは.
人の記憶こそが時間ということか
スケールの違い①関ヶ原を生きた人々、②司馬遼太郎『関ヶ原』上中下、③大河(天地人、独眼竜、徳川家康、黄金の日日、黒官、真田丸、春日局、功名が辻、武蔵、江) 違うか。
15:09 あぁ〜!電子の雲ォ〜!!
冒頭の象の問題には当時(ローカルかもしれないが)、「では、キリンを入れるための4手順は?」という続きがあった。正解は↓↓↓↓↓↓1.扉を開ける2.象を出す3.キリンを入れる4.扉を閉めるというものだった。他にもバリエーションがありそうだから、知ってる人いたら教えて欲しいなぁ
哲学者はいろんなこと考えるねえ
2:36 「雲をグランドキャニオンにする方法は?」→設問が悪く、正解が「そんな方法は存在しない」になってしまう。たとえば雲を整形してグランドキャニオンと同じ形にしても、それはグランドキャニオンではない。「グランドキャニオン」は固有名詞。アメリカ合衆国アリゾナ州北部に既に存在しているので、それ以外のものを「グランドキャニオン」とは呼べない。
どんなに小さい空間に議論を変換しても、それを認識することが出来る主体やその次元での客観的対象を前提している議論においては、結局、ベルクソンが乗り越えようとしている実在論と観念論の対立が再演されることになる。また、それでいくと、その小ささや大きさを認知できない主体自体、またその主体が凝縮という機能で量を質に変換するという機能自体は、どう説明されるのか?という事になるし、というか、それを問題にしているのがベルクソンだと思う。解説本よりも、まずは「物質と記憶」から読んだ方が良い気がする。ホルモンや松果体といった器官や諸々の物質的連関が、結果として「時間」という「現象」を産む、と言った連合主義的あるいは実在論的な話ではなく、逆の話をずっとベルクソンはしていると思う。機械論や連合主義を批判しているのがベルクソンだと思うのだが。
ベルクソン個人の考えとしてはそうかも知れないが、、、哲学史全体として、今後の回に繋がるクオリア全般と科学との接地を考えると、ベルクソンが正しいとも限らず。。現代に繋がる基礎として正しい部分を引っ張ってきているから、そのようにご覧になられるのでは???哲学はどこまで言っても主観側の話を起点にしてしまうので、凝縮のメカニズム云々の真実を求めるのであれば、結果的に科学に道を譲ることになるのではないでしょうか?例えば、内的な時間はタキサイキア現象として科学の側が脳の暴走であると結論付けていますし、それまで哲學だけと考えられていた物が、現代では科学の射程に入っていて、共同研究がなされている分野でもあります。
量が大きくなると質にアウフヘーベンする。マルクス
17:40 綱渡りの例がよく聞くヤツと1次元ずつズレてて気になる…
エアコンの効いた屋内なら広義の意味で冷蔵庫では。大事なのは冷蔵庫と言い張る勇気。
尻尾と翼にVR触覚を「生やして」いる友人がいたので気になりましたどうやったら生やせるんでしょうか
29:18 振動数(時間の逆数) の話なので空間スケールでなく時間スケールで凝縮が起こっているのでは?
感覚器官、センサー、検出には相互作用が必要で、相互作用させるためにはスケールを合わせないといけないってのは別に素粒子物理学じゃなくても当然の話では?それに、素粒子そのものが性質を持っているわけではなく、その高次構造によって生まれている性質をそのスケールで検出するのだから、「凝縮」という言葉はおかしいように思う。
「陽気なギャングが地球を回す」を思い出した
製造メーカーの答えなの?って思ってしまいました、設計、製造、輸送、実行しゃないんですね~;、、
なんで凝縮という用語にしたんだろうか。解像度と言う方がしっくり来る。
解像度という言い方が定着したのはずっと後なのでは?
前回の話が多浪トークという認識。
電子雲とかトンネル効果あたりの説明が相当に怪しいので、あまりそこには触れない方がいいのでは…(電子雲も実在するわけではないので)ストーリーの流れ的には、古典物理の範囲(ミクロンオーダー)までの例えで充分間に合うように思うので。
【参考文献】
◯世界は時間でできている
amzn.to/4dCavTy
◯ベルクソンの哲学
amzn.to/3SHhRgg
◯現代思想「時間とは何か」
amzn.to/4dhIoZQ
◯消えた反物質
www.valuebooks.jp/bp/VS0022535359
【サポーターコミュニティはこちら!】
yurugakuto.com/tetsu
【公式Twitter】
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「1年が1秒に感じられる存在」がいたら、野山は高速でカラフルに点滅する(茶→ピンク→緑→赤/黄→茶)ように見えるなと以前考えたことがあります。さらに時間スケールが長ければ、そもそも点滅も見えず、平均した色だけが見えるかもしれません。
やっと、クオリアが何かわかりました。いつも「クリオネ」(北海の天使)とごっちゃになってました。ありがとうございます!!
砂糖水の話で思い出したのがSHAZNAの「Lily of the Valley」という曲でした。
サビに「角砂糖が溶けるような恋」というフレーズが毎回使われているのです。
そう思い聞き直してみると冒頭からいきなり「金色の太陽」で始まり、他にも「白いすずらん」「Blueな夜」「景色はピンク色」と、色についての歌詞が散りばめられていて確信しました。
IZAMさんはベルクソンやってます。
ゾウをレイとコで挟むだと思った😅
像を霊と個で挟む。。哲学的(全然違った。
像を霊と子で挟む、どの宗派の話かな?
この答え俺は好き
何が起こるか分からない毎日の中で、毎週土曜日にちゃんと動画上げてくれるの安心する。安定してそこにいてくれる安心感
これほど分かりやすく面白く話してくださって感謝です。哲学の本を読み始めては挫折を繰り返していますが、このチャネルで概要をつかめそうなので、再開トライします。
「時間の空間化」という言葉だけ聞くと、カレンダーを見ながら「この作業はどこでやる?」みたいな相談をしているときに、カレンダーという道具を使って時間を空間上で扱っていることをイメージしますね。
前回と今回でベルクソンの時間と空間についてたっぷり楽しませていただきました。
スケールの違いによる認識の違いを用いた凝縮のメカニズムや量から質の転換の解説がとてもわかりやすかったです。
クオリアを学ぶ際、この「感じ」をどう自分にしっくりこさせるかが大事だと思うのですが、おかげで「空間にて最大、時間では最小」がすんなり入ってきました。
ユクスキュルが言ってたわ。人間にとっての一瞬は1/18秒だって。アニメとか映像のフレームレートを考えるとわかりやすい。現代の映像は1秒間に24枚の静止画からなってるのが一般的。つまり人間が認識する1秒という時間に24個の空間が詰め込まれてるということ。
おれスマブラ2000時間やってるからもう多分1/60まで進化したわ。
23:40 もし作用反作用が応答時間ゼロで生じるのであれば、有限の長さ(1cmでも1mでも1kmでも)を持つ棒の端を押す事で他端に時間差ゼロで力すなわち情報を伝えられることになり、光速を超えます。実際にはそんなことはなく、ミクロの目で見ると原子が持つ電場が干渉し合って力を伝達しており、一定の速度で作用反作用も生じています。つまり、これもスケールの違いだと思います。
ちなみに、光が色として見えるのは、電磁波の振動が即座に「色」という質に変換されているのではなく、網膜の錐体という異なる波長に反応する3種の細胞が信号変換をしているからです。具体的には、細胞に特定の波長の光に反応するタンパク質が存在し、光を受けるとタンパク質の化学変化・構造変化が生じ、最終的には電気信号に変換されます。
触覚においてもそうですが、ミクロな情報を感知するためにはその分解能に応じた感覚器の数が必要になりますが、体の様々な制約上(エネルギー効率、タンパク質や細胞のサイズなど)無数に感覚器を備える訳にいかないので、今のような形になっているんじゃないかと思います。
現代から振り返ってのベルクソンの著作の面白さの一つは、従来の思弁的哲学でよく俎上にあげられる「過去の想起」の固有の性質とは別に、人間の「現在において活用される想起」の特殊な性質を仮定した上で彼が色々考えた部分を読めることにあると思います。この部分は、その後の哲学や心理学でもあまり踏み込んだ考察がなされた分野とは言い難いゆえにベルクソンが特に際立って見えます。
「現在における想起」はまさに、「クオリア」を引き起こす何らかの人間の意識性質を解明しようとするために、それまでの哲学や心理学で曖昧に定義されていた「想起」から区別された領域になっていると思います。美術・音楽・スポーツなど、制作や実行の中で、判断力と身体の自動操縦が同時にフル活用されている状態を、従来の哲学的思弁における「意識」や「過去の想起」の考えと結び付けようとすると、時間軸との関係において色々な齟齬が生じてきてしまいます。そのせいでこうした領域が何か人間活動の中で例外的な領域にされてしまったり、あるいは人間活動における「無意識」の役割の過大な評価に結びつきがちです。
しかしベルクソンは、コロンブスの卵的な転換で当時の哲学・心理学が見出しがちだったターニングポイントとは別の、意識作用と時間の関係の検証の方に道を開いたと言えますし、それは現代におけるMRIを活用した脳科学や人工知能研究の発展、あるいはそれを活用した産物におけるキャズム発生のパターンの理解克服といった実践的な分野と、思弁的な哲学や心理学との溝を埋めるような何かであるとも感じます。
中学生の頃「自分が見ている赤と他の人が見ている赤は違うのではないか。でもそれを誰も知り得ないから、みんなは共通して赤と呼びなんとなく同じ色だと思っているのではないか」と思い友達と話したら友達も同じことを考えていた
そのあと飲茶のホームページの『哲学的な何か』でクオリアの話を読んで、それにクオリアというかっけー名前がついていること、昔から皆同じようなことを考えているということが分かって嬉しくなった思い出
そう考えると、「光よ、あれ」で光が生まれる聖書の展開にも結構頷ける。
平井さんの本よりも分かりやすかったです。
この次は、物質と記憶 の記憶の存在論というようなテーマで取り上げて頂きたいです。
宇宙とか時間とか素粒子とかほんとあたまおかしくなる。
クオリアという概念(?)は高校生の頃、本で知りました。それまで意識したことすらありませんでしたけど、赤という周波数の電磁波からもたらされる暖かさ、熱さから情熱とか攻撃的な感じ、あれはいったいどこからくるのか。結局、答えは分かりませんが、今回の話はとても興味深くかつ面白かったです。
そもそも、哲学?医学?心理学?物理学?生物学?何がふさわしいんでしょうか?
よしのぶさんにも「クオリアは人間だけにあるのでしょうか?」と質問してみたいです。
冷ゾウ庫。
すでにゾウが入っています!
今回初めてクオリアを知りました。
で、感覚器官が世界の情報を認識する上で(情報量を低減させたりして)便利だから、それぞれを質に変換して認識している。つまり”(主観的故に)そう見えてる”って事を「クオリア」と表現しているのかな?と思いました。
最近はクオリアと聞くフロクロさんの『黒塗り世界宛て書簡』の歌詞にある「そしてクオリアを持った■■■として蘇り」が思い起こされる。黒塗りの部分にはゾンビが入るとされ、前の歌詞の流れから哲学的ゾンビがクオリアを持って蘇ったと書かれていると考察されている(多分)。哲学的ゾンビが何でクオリアが何か正確にはわからないけど、クオリアを持った哲学的ゾンビって哲学的ゾンビじゃないよなー、と勝手に思いつつ、あっているかもわからず悶々としています。難しい話は分からないので、いつかわかりやすく解説してほしいです。
話は変わって、今回のサムネ、シンプルだけどゴチャっとしていていいですね。背景はクオリアのレシピの話なので闇鍋感あるし、文字も混ぜられてぐにゃってるのオシャです。
凝縮って面白いですね。細かく見ていくと全然別物のはずなのに、って聞くと「単純なテンソル計算で人工知能が動いてます」というソレは諦めも含めて現代の人間が用いてる凝縮っぽいですね。これに限らず科学的な積み重ねの多くが量と質の変化をもたらしてそうですが
メアリの部屋実験って、色盲の人が、色が見える眼鏡を始めて付けることで擬似的に再現できひんのかな?
昔留学先の宗教(キリスト教)の授業で「雪はなぜ白いのか」という質問にグループで答える課題があったことを思い出しました。
「蟻にとっては透明だ。白いとするのは人間の感覚で、設問が間違ってる」って頑張って伝えたら皆納得してくれて、そのまま発表したら「蟻の話はしてません。人間と蟻は違います」って怒られました。
正解は「我々が凝縮しているから」だったのか……。
面白いなぁ😮
昔から持ってる疑問です「音楽とはなにか?」
音は反響がなければ、一定の時間で減衰します。ではメロディとは?
人間は減衰した音の時間を越えて、メロディを心地よいと感じます。これは記憶によるのでしょうか?
音は消えてもメロディが記憶に残り心地よさを感じるのでしょうか?
では、どれくらいの長さのメロディを記憶し、名曲と感じることができるのでしょうか?
ひょっとしたら人間にとって、時間とは結構荒っぽい量子的な感覚なのでしょうか?
冷蔵庫に象の話、大好きな漫画で読んでからずっと謎だなぁと思ってる
ぜひ平田さんには杉山小弥花先生の漫画を読んでほしいなぁ……めちゃくちゃ好きだと思う(特に明治失業忍法帖)
2次元は面で、線は1次元ですね🐱
3次元空間を目を通して2次元的に認識することを凝縮と言ってるのかなと思ったら全然違った
31:54 マユリvsザエルアポロだ…!あれクオリアで殺してたのか。
ゆる言語学ラジオのゆるコンピュータ科学ラジオ回で言っていた、スマホやpcが魔法の箱に見えるのは何故かってのと同じ話してておもろ〜ってなってた(小並感)
ベルクソンはクオリアを凝縮する演算装置としているのか、凝縮したものを知覚するものとしているのか、疑問に思いました。
凝縮を複雑系の研究でいう創発だと思ってたらその通りに思えるなー
って思ってたら創発って言葉もベルクソン発信か!
そらそうだな!
生起とも言うね
たのまち!
ゾウを冷蔵庫に入れるには?
①リンゴやバナナで誘導する。②四方と天井は明るく檻だけにしておく。③ゾウが入ったら壁と天井を防ぐ④冷蔵スイッチを入れる。
「我々にとって綱渡りが2次元で蟻にとっては3次元」という例えが少しおかしいと思いました.我々にとって綱渡りは前後方向への移動しかできないから1次元,しかしロープ表面に居る蟻にとってはロープの軸方向だけでなく周方向にも動けるから2次元(円筒表面を動くのと同じ移動の自由度がある),というのが正しいのでは.
人の記憶こそが時間ということか
スケールの違い
①関ヶ原を生きた人々、②司馬遼太郎『関ヶ原』上中下、③大河(天地人、独眼竜、徳川家康、黄金の日日、黒官、真田丸、春日局、功名が辻、武蔵、江) 違うか。
15:09 あぁ〜!電子の雲ォ〜!!
冒頭の象の問題には当時(ローカルかもしれないが)、
「では、キリンを入れるための4手順は?」
という続きがあった。
正解は
↓
↓
↓
↓
↓
↓
1.扉を開ける
2.象を出す
3.キリンを入れる
4.扉を閉める
というものだった。他にもバリエーションがありそうだから、知ってる人いたら教えて欲しいなぁ
哲学者はいろんなこと考えるねえ
2:36 「雲をグランドキャニオンにする方法は?」→設問が悪く、正解が「そんな方法は存在しない」になってしまう。たとえば雲を整形してグランドキャニオンと同じ形にしても、それはグランドキャニオンではない。「グランドキャニオン」は固有名詞。アメリカ合衆国アリゾナ州北部に既に存在しているので、それ以外のものを「グランドキャニオン」とは呼べない。
どんなに小さい空間に議論を変換しても、それを認識することが出来る主体やその次元での客観的対象を前提している議論においては、結局、ベルクソンが乗り越えようとしている実在論と観念論の対立が再演されることになる。また、それでいくと、その小ささや大きさを認知できない主体自体、またその主体が凝縮という機能で量を質に変換するという機能自体は、どう説明されるのか?という事になるし、というか、それを問題にしているのがベルクソンだと思う。
解説本よりも、まずは「物質と記憶」から読んだ方が良い気がする。
ホルモンや松果体といった器官や諸々の物質的連関が、結果として「時間」という「現象」を産む、と言った連合主義的あるいは実在論的な話ではなく、逆の話をずっとベルクソンはしていると思う。機械論や連合主義を批判しているのがベルクソンだと思うのだが。
ベルクソン個人の考えとしてはそうかも知れないが、、、哲学史全体として、今後の回に繋がるクオリア全般と科学との接地を考えると、ベルクソンが正しいとも限らず。。現代に繋がる基礎として正しい部分を引っ張ってきているから、そのようにご覧になられるのでは???
哲学はどこまで言っても主観側の話を起点にしてしまうので、凝縮のメカニズム云々の真実を求めるのであれば、結果的に科学に道を譲ることになるのではないでしょうか?
例えば、内的な時間はタキサイキア現象として科学の側が脳の暴走であると結論付けていますし、それまで哲學だけと考えられていた物が、現代では科学の射程に入っていて、共同研究がなされている分野でもあります。
量が大きくなると質にアウフヘーベンする。マルクス
17:40 綱渡りの例がよく聞くヤツと1次元ずつズレてて気になる…
エアコンの効いた屋内なら広義の意味で冷蔵庫では。
大事なのは冷蔵庫と言い張る勇気。
尻尾と翼にVR触覚を「生やして」いる友人がいたので気になりました
どうやったら生やせるんでしょうか
29:18 振動数(時間の逆数) の話なので空間スケールでなく時間スケールで凝縮が起こっているのでは?
感覚器官、センサー、検出には相互作用が必要で、相互作用させるためにはスケールを合わせないといけないってのは別に素粒子物理学じゃなくても当然の話では?
それに、素粒子そのものが性質を持っているわけではなく、その高次構造によって生まれている性質をそのスケールで検出するのだから、「凝縮」という言葉はおかしいように思う。
「陽気なギャングが地球を回す」を思い出した
製造メーカーの答えなの?って思ってしまいました、設計、製造、輸送、実行しゃないんですね~;、、
なんで凝縮という用語にしたんだろうか。解像度と言う方がしっくり来る。
解像度という言い方が定着したのはずっと後なのでは?
前回の話が多浪トークという認識。
電子雲とかトンネル効果あたりの説明が相当に怪しいので、あまりそこには触れない方がいいのでは…(電子雲も実在するわけではないので)
ストーリーの流れ的には、古典物理の範囲(ミクロンオーダー)までの例えで充分間に合うように思うので。
中学生の頃「自分が見ている赤と他の人が見ている赤は違うのではないか。でもそれを誰も知り得ないから、みんなは共通して赤と呼びなんとなく同じ色だと思っているのではないか」と思い友達と話したら友達も同じことを考えていた
そのあと飲茶のホームページの『哲学的な何か』でクオリアの話を読んで、それにクオリアというかっけー名前がついていること、昔から皆同じようなことを考えているということが分かって嬉しくなった思い出