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鉄道が去っても農家の方たちは変わらず日本人の食卓を支え続けてくれていますね、感謝しか無いですね。
そうですね…
日本の食糧自給率を高めないと、いけないですね。北海道は、国産農産物の重要な供給地ですね。
ちょっと何言ってるのかわからない農家は自ら首絞めたんだぞ子供に“跡継ぐな”って言って都会に出し方から人口減になり農業そのものもジリ貧になったあと“〜しかない”は日本語じゃ否定表現だから(草)英語表現のように肯定として捉えられる事はまずありえない
いつも、レポートありがとうございます…🙏廃止になったのだから、こんなところに鉄道なんて造ったって…という、当時の国鉄の網の目の各赤字ローカル線を一緒くたに批判する人が最近、SNS等で 見ることもありますが、当時の鉄道の重要度、実績、果たした役割、人々の建設当時の気持ちや考えを無視した書き込みや、自己意見の押し付け傾向が多いので、悲しいですね……。次回のレポート動画もお待ちしております。
札沼線ができた当時は車の輸送力が低かったのと、庶民にとって車が今ほど身近ではなかったんですよね。1958年に登場したスバル360がやっと庶民が買える車で、乗用車はハードルが高すぎました。自分は平成生まれですがこのくらいは知っています。これを知らないバカがそういうことを言うんでしょうね。知らないのはまだしも知らないくせに間違ったことをベラベラ言うのは醜いことこの上ないですね。
道路が出来たから廃止になったところはそれまで道路の代わりだったとかそう言うの分かってたりするのだろうかその様なこというヒト達は
廃線跡の多くは、過疎化が進んでいるせいか、廃線後も、面影が残っている場所が多いように感じます。行ったことがないのに、懐かしいものを感じました。北竜町の展示品も貴重です。価値のある動画、ありがとうございました。
遺構が残っていなくても、かつての駅前らしい雰囲気が残っている所が多かったですね。
1985年に北海道ワイド周遊券を利用して、北海道を一周しました。その時に乗った路線がいくつも廃線になっており、ひろりんさんの動画を見るたび当時を思い出します。
1985年の北海道には、たくさんの路線がありましたね…その頃に巡ってみたかったです…
この区間が廃止された1972年は札幌冬季オリンピックがありましたね😲札沼線経由で日の丸飛行隊を見に行った方はいたのでしょうかね?何かオリンピック景気の冷めやらぬ中ひっそりと消える路線には儚い思いを抱きます😌毎回哀愁溢れる丁寧な動画ありがとうございます😊
👍
半世紀も前に消え去った鉄路。それでも水道橋として今も現役の鉄橋、鉄道官舎を必要としたほど駅は職員を擁していた…。今はいくつかの石碑が建てられている。そして石狩沼田駅の寂しさ…。いつも素晴らしいです。ちなみに1968年の航空写真はモノクロの時代なんですね。時代を感じます。
👍️
この区間は当時を全く知らない区間なので、勉強になります。どうもありがとうございます🙇♀️
雨竜の信号機は、当初は記念碑代わりに残そうとされた方がいたのでしょうか。ただ、今となっては「残してある」というよりは「放置され忘れられている」ように見えますね。
あの状態だと手入れされていないようですね…
流石に半世紀以上前の廃線跡だと遺構どころか廃線跡さえ区画整理で消え失せてしまっていますね 農業倉庫と島のように農地に浮かぶ旧市街がかろうじて駅跡の名残かとしかし、現在モーダルシフトやCニュートラルで貨物輸送が見直される時代になってきましたが、廃線にしたら貨物への転換もへったくれもないですね…留萌本線もバスの運転手不足で廃止についても先が読めなくなってきていますし、時代は本当に速く流れるものだと思いますそれにしても1日目の夕焼けと雲と青空が混じった色合い本当に綺麗ですね
いつもありがとうございます!農業が盛んな地域ですから、廃線跡のほとんどが農地に飲み込まれてしまいました…
いつも楽しみにしてます寂しいですね
寂しいですね…
@@hiroring0323 何とかならないのでしょうか?鉄道は必要な交通機関のはずなのに
@@喜久谷口 この先も廃線は増えそうです…
@@hiroring0323 それも寂しい
この区間は最も難解な場所なのによく頑張りましたね。
この区間は資料があまり残っていないので…
ひろりんさん、こんばんは。これは、貴重な映像見せてくださり、ありがとうございます。少ないですが、遺構が残ってるのもあり、嬉しく思います。もともと何も無い所は、これだけ年月がたってるから、さらに何も無くなってる所にも、現地に行かれる、行動力素晴らしいです。お疲れ様でした。
ただでさえ簡素な作りの仮乗降場、50年もの月日が経っていれば何も残っていないのは明白で、それでも実際に訪れて記録する鉄分っぷりはさすがです…
古い札沼線の跡地は、道道~停車場線という駅前通りもどきの道が残ってますから、何となく駅があった場所がわかりますけど、廃止された新十津川は駅のそばの道が停車場線になっていないので、大分経ったらわからなくなりそうですね。札沼北線も新十津川と滝川が繋がっていれば、もう少し長く残ったのでしょうね。
新十津川は駅が生きていた時から「あれ?何処だっけ?」なロケーションだったからなぁ。
物心ついた時にはこの区間はすでに廃線となっていて沼田町の祖母の家に行くのに滝川駅から石狩沼田駅まで母と妹と国鉄バス(今はJRバスですね)に乗って出かけたものです。各駅の駅名はほぼ停留所の名前にあてられてるのでとても懐かしいですね。今度自分なりに廃線跡を辿り、腕木式信号機など鉄道遺構や北竜町役場を訪ねてみようかと思います。札沼線のこの廃線区間がとても気になっていたので取材と動画アップうれしいです。ありがとうございました。😊
長い道のりのレポお疲れ様でした。跡形も無い場所の探索に苦労なさったとお察しします。この線は1960年代後半に特に貨客とも利用が激減したようですが、やはり石狩川架橋を含めて道路整備が急発達したからでしょうかね。なおも健在な駅跡前倉庫や、さして衰退していない耕作地を見るにつけ、鉄路だけが見放された現実を感じます。
鉄道が無くなった以外は、街並みはほとんど変わっていないんですよね…
まさかの2部構成、有り難うございます…和駅跡が消滅した後の痕跡といえば、旧徳富川橋梁水道橋、雨竜の朽ちかけた腕木信号、碧水駅跡を残すのみとなりましたが、痕跡の有無に関わらず尺は当たり前に必要ですからね…毎度の事ながら、頭が下がる思いです…
痕跡は随分少なくなりましたね…
いつもお疲れ様です。今回のシーン(新十津川-石狩沼田)は、相手側(留萌線という目標物)があるけれども。 また何十年がたった時、北海道医療大学から新十津川の間。どうなっているのでしょうか。都市圏に近いがために、サラっと更地にされてしまいそうな気が どうする... 札沼線。
サラッと更地…オッフ…
北海道医療大学も移転するので石狩当別~北海道医療大学間もあっさり廃線になるかもしれません
どの集落も札沼線を中心に形成されたのが解る航空写真でしたネ😅
そうなんですよ~
そういえば夜高あんどん見に行った時、真布駅の駅舎に灯りが灯っていたので超ビビりました。今でも点いてるのかなぁ?更に恵比島の踏切跡の線路注意の看板も点灯してました。
色々と多忙な日々で、やっと動画を見ることが出来ました😅新十津川から石狩沼田の間は1度も探索したことなく、大変参考になりました。畑に飲まれ、オッフな箇所もあるんですね。ありがとうございます🫡
札沼北線ではやっぱり碧水駅舎がいいですね。コンクリートの橋梁が3つ残されていて、それなりに見どころがあります。北竜町の展示をまた見たくなりました。
碧水駅舎はいいですね~
@@hiroring0323 駅舎が残っていたのは奇跡的ですね。
@@コンちゃん-s3o そうですね~
感慨深く過ぎてコメントが、、、ありがとうございます。
お疲れ様です~上徳富駅跡が、残骸の山に、なってしまい、オッフ〜🐻➡️⛄
オッフ…
@@hiroring0323スーパーおっふ〜🐻
長編、お疲れ様です。廃線から半世紀、それでも一部に残っている周囲と釣り合わない不自然な形の集落や道路... そして農業倉庫たち。 かつて鉄道の果たした役割が目に浮かびます。石狩沼田駅も、余命2年半を切りましたね。
遺構がほとんど残っていなくても、農地の中に不自然に残っているかつての駅前が何とも…
そういえば、斜里の付近にも不自然な配置で建物が残存する元駅跡がありましたね。
私の生まれる前の路線なので非常に興味のある動画でした!ありがとうございます!ここら辺は道内でも屈指の豪雪地帯ですし、冬の鉄道は遅延とか運休も多かったのですかね…今とは除雪の技術も違うでしょうし本当に大変だったと思います…
航空写真だと「意外に栄えてるな。」と思える場所でも、現地に行ってみると「ほとんど廃屋かい!」というケースも多そうですね😅
よくあるパターンですね…
自然に還っていく所、人工物が増えるところと様々ですね。しかし新十津川駅綺麗になったものです。^^;
新十津川駅は…
情報をありがとうございました。札沼線1次廃線区間は、札幌から自転車🚲旅行で、新十津川駅までの現役区間を撮影してから石狩沼田駅へ向かう途中で探索しました。当時はスマホが無い時代なので、また文献も無かったので、札沼線は農産物の輸送が主体なので、現役区間には、駅近くには農業倉庫があるので、そこを目指して行きました。やはり1次廃線区間にも、それらしい遺構はありました。平成20年代半ばまでは上徳富駅と和駅の両駅は健在でした。他の駅跡は変わってませんでした。
上徳富と和の駅舎は消えてしまいましたね…
@@hiroring0323 まだ、行ってませんが、おっふ〜🐻
廃線から51年が経った札沼北線は、遺構がさすがに少ないですね。せめて雨竜駅跡のような石碑を設置して欲しいものです。
雨竜町だけ石碑を設置したようですね…
札沼線の本来の終点石狩沼田駅は今や留萌本線の終点になり、棒線駅になってしまっているのが非常に虚しい。その石狩沼田駅もいつしか...
碧水駅残ってましたか...(感動😂)40年位前に行った時は、扉が開ていて、物置きになってました。【26:58の映像( ̄ 🚪)位置関係 ̄が駅表】黒い板にシロヌキで。へきすい 碧水HEKISUIと書かれていました。(筆書)
はるか昔、北海道の移動手段は専ら鉄道だった。それがいつしか道路へ変わっていった。
徳富川橋梁は現役のインフラとして今も活用され人の役に立っている訳で、札沼線の痕跡・記憶が消えても、ずっと生き続けることでしょう
そうですね~
駅舎の有無・五ヶ山等の農地に変化と好対照な跡の今に私は興味を引かれました。1972年は札幌五輪開催と新十津川と石狩沼田の間が廃線に。歴史も悲喜交々ですね。ひろりんさんも元気で過ごされますように。2023.11.27 AM5:20
ありがとうございます👍️
下徳富生まれの父と上徳富生まれの母。新十津川にはよく行きました。しかし、母に関しては、駅にはほど遠い山の生まれだったので、ありがたく拝見しました。
鉄道のない奈良県の山深い十津川村を離村した人たちが入植した新十津川町にも鉄道が走っていたのですね。開業当時の新十津川村の人々は盛大にお祝いしたことでしょう。
5年ほど前に見に行ってみましたけど、雨竜駅跡の石碑しか見つけられませんでした。碧水駅舎は残っていたんですね。半世紀も経っているのでほとんど何も残っていないのも当然でしょうか。
ここは廃止から数年で、ほとんど撤去されましたからね…
1990年代、当時住んでいた当別町から275号線で新十津川町、沼田町を経由して雨竜町からジャリ道の432号線に入って雨竜沼湿原へ日帰りドライブをした事がありました。ここら道路は内地と違って歩行者、自転車の人がいないし信号も少ないのでアクセルをふかすだけの気楽なドライブでした。
この区間は不思議な魅力があります。しかし徳富川橋梁は細く見えますね。そんなに速度が出せなさそうで。
正面から見ると細く見えましたね…
今年初めて碧水駅へ行って見ましたが…かなり小さくて初めから物置だった様にしか見えなかったです。以前スマホが無い頃に探した時はそれ故に見落としたのかも知れません。
小さな駅舎ですからね…
自分が産まれた年に廃線になったのかぁ😢
札沼線と留萠本線と並行して2路線もあったのに両方とも廃線とは。新十津川町だけ繁栄しているのも変な感じです。本家の十津川村は、過疎でえらいことになってます。
繁栄と言うほどの繁栄でもないけどね。一番偉いのは身の丈を意識しながら街づくりをしていることだと思う。一時期滝川が賑わって浮かれている時にベッドタウンに成り掛けたがそこを踏みとどまったのがデカかった。農業をベースにしていることを理解しているから、江部乙高は消滅したが新十津川農業高校は今も頑張っている。
北海道雪すごいね
ですね…
北上徳富駅跡も、農地に飲み込まれ、オッフ〜🐻➡️⛄
オッフッフ
さすがに廃線から半世紀以上経過すると、何の痕跡もなくなっている駅がほとんどですが、それでも“農業倉庫”の存在でソコにかつて駅が有った…と分かるのは、この路線の現役時代の傾向が伺えますね。
そうですね。農作物の輸送で賑わっていたんでしょうね…
追伸・明けましておめでとうございます。令和6年1月1日は辰年の幕開けにふさわしく、平成15年2月23日に函館本線滝川駅で主催した。ぽっぽや号とJRバスで行く旧札沼線・新十津川〜石狩沼田かんをたどる旅をツイッター・Xに投稿しましたので、興味がありましたご覧ください。
あけましておめでとうございます🎍ツイッター拝見しました🌸
@@hiroring0323 読んで下さってありがとうございました。
50年も前の小さな駅舎がひっそりと残ってるのはいいですね場所的に誰かが維持管理してるのかな?農地に飲まれたところは旧軍の敷いた軍用鉄道みたいに借り物なので使い終わったから原状復帰と言うことなのだろうか
碧水駅舎は倉庫に使われているようですね。
滝川駅から出ていた代替バスも廃止
50年も経つと流石に遺構もほんの少しある程度で、鉄路の無い状況がこなれているというか、まだ鉄路の名残を感じる近年廃止区間とは大きく違いますね石狩沼田駅が無くなれば、石狩を冠する駅も全て消えてしまうことになります…石狩国にはまだたくさん駅があるのに、何とも言えない寂しさを感じます
51年も経てばそりゃ建物も跡形もなくなるわな最後の駅も10年後には無くなってそう
農作物輸送の担い手が貨物列車からトラック、トレーラーに切り替えられ、羽幌・留萌から札幌へのルートは函館本線に集約されたことが、この区間の寿命を縮めた…
やはり農地や道路など用途があるところは跡形もなくなりますね。自分の地元には駿遠線が走っていましたが、1968年の部分廃線でなくなり、最終列車が出てからすぐにレール剥がしが始まって道路などになりほぼ跡形もなくなりました。廃線後に駅跡が残るのは、敢えて残しているところもあれば、ただ単に打ち捨てただけのところもあります。後者の場合は複雑ですね。
国鉄だったからこそ成り立っていたルートだよね,札沼線~留萌本線~羽幌線経由で札幌~稚内をのんびり鉄道旅を楽しんでみたかった,幼少の頃,沼田に住んでいたけどその頃は既にこの路線は廃止になっていたんだけど,考えて見たら昭和40年代は札沼線の終着駅でターミナル機能をはたしていたんだな
そうなんですよね…
渭ノ津駅跡は北方向へ500mの場所かと思います。
ご指摘ありがとうございます。北方向へ500mの場所を渭ノ津駅跡と紹介している人もいらっしゃいますが、渭ノ津駅が存在していた1963年と1968年の国土地理院の空中写真を確認しても駅らしきものは何も無いんですよね…ただ解像度がイマイチなので自信は無いですが…
1972年って札幌冬季五輪の年ですよね。物心ついた時は新十津川までだったので、札「沼」線って何?とも思ったのですが、動画の長尺さで、規模が大きかったことがわかりますよね。雨竜って夕張同様札幌から何か行きにくかった気が…。
元々は長大路線でしたからね…
最初の鉄橋がいいですね
笹原康平さんへ今日は。あなたが御指摘の橋梁は新十津川と北側(石狩沼田駅寄り)の石狩橋本の間に遺る札沼線の遺構で唯一にして最大の茶色に塗られた鉄橋で廃線になった後は水道管を通し対岸に水を供給する為と有効活用されているとの事です。但、石狩沼田駅寄りの五ヶ山等の駅の跡は水田に飲まれ碧水(へきすい)の小さな物置の様な駅舎が遺るだけという寂しさだそうです。札沼線沿いには水田が広がり農業に特化した路線と言えたのではないでしょうか。笹原さんも、健康管理に注意し過ごされますように。記・11月29日の午後12時台
徳富川の水道橋、新十津川から石狩沼田方面へ真っ直ぐに伸ばした先にあるので、多分廃線跡だろうと思っていました。廃止から半世紀も経過すると、立地条件によっては廃線跡も廃駅跡も探すのは困難を極めそうですが、今回の動画は2020年に廃止された区間を辿る時の参考になりそうです。もしも2070年(その時、私は生きていないと思いますが)に「廃止から半世紀が経過した札沼線 北海道医療大学(もしかしたら「当別」かも?)⇔新十津川 2020年廃止区間」という動画を上げる時、航空写真(鉄道の遺構)はどうなっているのでしょうね?今回の航空写真を見て思ったのですが、以前は細かく区切られていた農耕地も、今はかなりの広さを持つ区画に変わったのが分かります。これは多分、トラクター等を導入した結果だと思うのですが、そのトラクターもかなり大きな物ではないかと思います。実際、道内ではあちこちにトラクターの営業所とかがありますから。半世紀経っても駅舎や官舎があるのはその趣味の人にとっては嬉しいことですが、そんなに遠くないうちに解体されてしまうのだろうなあと思います。
唯一 残っていたコンクリートの橋も撤去されてしまったんですね。東日本学園大学も北広島へ移転が決まって…札沼線は 歴史的になんか不運ですよね電化しないで 気動車で一部 複線化で 良かったのかもしれないJR北海道かわいそう浦臼リゾート計画の時はアルコンのようなリゾート列車計画もあってさ〜 「札幌〜浦臼」 って列車もあったのに
札沼線…石狩沼田に届くも結局は切り捨てられた路線…札幌近郊でも維持できないのかなぁ…!
強引に農地を貫通しているように見える線形も、周辺地域の農産物輸送や、果ては留萌方面からの海産物輸送をも引き受ける使命のあった路線なのかな…と容易に想像ができます。 そうなると収益性は低く、すぐ近くを走る函館本線に輸送を任せて廃止に…という流れは止められなかったのでしょう😞廃線後に農地がきちんと整備されていたり発展している市街地もあることから、地元の方にとっては「これでよかった」のかも知れませんね。躊躇する場所の少ない取材は物足りなかったかも知れませんが😅お疲れ様でした😉
そうですね…早い段階で鉄道としての使命は終えていたのかも知れません…
雨竜。北竜。上豊富。懐かしい。
上徳富駅舎と和駅舎がつい最近まで残っいたならばそのまま整備して保存すればよかったのにもったいないですね。
民間に払い下げられたのでしょうね…
札沼線は名が体を表さなくなってから半世紀経ってるんですよね。現在は留萌本線の終点である石狩沼田駅は2026年の3月に廃止されて留萌本線は全廃となりますね。😢
しっかりした道路や農地になってるので現在は面影がないですが、他の北海道廃線に比べて原野に飲み込まれてるわけではないので、悲しさは感じないですね。
原野に還っている廃線跡も多いですからね…
1972年は、確か九州の大隅線が、全線開通したのですね。
何も無くなってしまった場所は納得感ありますが、鉄路が無くなっても住宅が建っているところはちょっと残念な気持ちになりますね。クルマ好きの自分が言うのもなんですが、モータリゼーションに鉄道が敗北と言う事なので複雑な気分です。
1日数本の鉄道では、自家用車には太刀打ちできませんね…
さすがに廃線から50年以上経っているので、ほとんど遺構は残っていないのですね。そんな中、碧水駅の駅舎が今も残っているのは嬉しくなりますね。
郷土資料館のクッマサンがなかなかリアルですね…
クッマ🐻
50年前に廃止になったから痕跡は残っていなの当たり前だけど駅舎、ホ―厶、線路が全く残っていないとは……しかもほとんどが農地か道路飲みこまれ廃線跡あとすらわからないとは……
50年以上も前の廃線ですからね…
北海道は駅で降りても大きな町では無い限りタクシー乗り場やホテルが無い、だから旅人が居なくなる町殻返って来て、駅で降りても迎えに来て貰うしか無い、結局は自家用車が必要になり駅をりょうする人が居なくなる、元鉄道の仕事をしていた者として悲しい限りです、北海道に新幹線が来てもサッポロ止まり、後の路線が無いから又旅人や来る人達は減ると思う、
廃止から半世紀ですか・・・当時は車ではなく鉄道がおもな移動手段というのがわかりますね。今は車の時代、もっと廃線が増えていく事になると思うとさみしいですね。
平野部をずっと走る留萌本線の深川~石狩沼田、廃止されるとこの札沼線の1972年廃止区間と同様に農地で廃線跡が消されるのかな……、と思ってしまいます。近年廃止された北海道医療大学~新十津川も、たった3年なのにずいぶん鉄道の痕跡がなくなってきてますし。函館本線の西側の空知、留萌エリアの鉄道は、みんななくなってしまうんですね。
駅を中心に町が形成され、鉄道が無くなると、町も無くなるパターン多いですよね😢
北海道ではよくありますね…
北海道は今どこいっても、おふっ、ってなる笑年々活気がなくなる北海道。
おっふ・・・🐻駅前イオン、ならぬ、(元)駅前農業倉庫wしかし石狩沼田って街は、よぉ知らんけど、そんなに栄えとったんすかね?交通の要衝になるくらいやし。ま、そこに行き着く間が農地ばっかやし、まだ原野ぢゃないだけマシやけど、乗降人数は、『お察し』だゎな(鬱)オッフ…🐻
1972年の廃線ですから利用客は…オッフ…🐻
50年も経つと痕跡が全く残っていないですね。近年廃止された路線も月日が経てばそこに鉄道があったことすら分からないぐらい跡形も無くなってしまうのでしょうね…
そうですね…2020年の廃止区間も同じようになりそうです…
近い未来札沼線も全線廃止になってしまうのか…
当別までの廃止はないでしょう。北海道教育大学も沿線にありますし、一日2~3千人の利用客がある駅が幾つもあります。無くなるとあいの里団地の住民が途方に暮れてしまいますよ。
鉄道が去っても農家の方たちは変わらず日本人の食卓を支え続けてくれていますね、感謝しか無いですね。
そうですね…
日本の食糧自給率を高めないと、いけないですね。北海道は、国産農産物の重要な供給地ですね。
ちょっと何言ってるのかわからない
農家は自ら首絞めたんだぞ
子供に“跡継ぐな”って言って
都会に出し方から人口減になり
農業そのものもジリ貧になった
あと“〜しかない”は日本語じゃ否定表現だから(草)
英語表現のように肯定として捉えられる事はまずありえない
いつも、レポートありがとうございます…🙏
廃止になったのだから、こんなところに鉄道なんて造ったって…という、当時の国鉄の網の目の各赤字ローカル線を一緒くたに批判する人が最近、SNS等で 見ることもありますが、当時の鉄道の重要度、実績、果たした役割、人々の建設当時の気持ちや考えを無視した書き込みや、自己意見の押し付け傾向が多いので、悲しいですね……。
次回のレポート動画もお待ちしております。
札沼線ができた当時は車の輸送力が低かったのと、庶民にとって車が今ほど身近ではなかったんですよね。
1958年に登場したスバル360がやっと庶民が買える車で、乗用車はハードルが高すぎました。
自分は平成生まれですがこのくらいは知っています。これを知らないバカがそういうことを言うんでしょうね。知らないのはまだしも知らないくせに間違ったことをベラベラ言うのは醜いことこの上ないですね。
道路が出来たから廃止になったところはそれまで道路の代わりだったとかそう言うの分かってたりするのだろうかその様なこというヒト達は
廃線跡の多くは、過疎化が進んでいるせいか、廃線後も、面影が残っている場所が多いように感じます。行ったことがないのに、懐かしいものを感じました。北竜町の展示品も貴重です。価値のある動画、ありがとうございました。
遺構が残っていなくても、かつての駅前らしい雰囲気が残っている所が多かったですね。
1985年に北海道ワイド周遊券を利用して、北海道を一周しました。
その時に乗った路線がいくつも廃線になっており、ひろりんさんの動画を見るたび当時を思い出します。
1985年の北海道には、たくさんの路線がありましたね…
その頃に巡ってみたかったです…
この区間が廃止された1972年は札幌冬季オリンピックがありましたね😲札沼線経由で日の丸飛行隊を見に行った方はいたのでしょうかね?何かオリンピック景気の冷めやらぬ中ひっそりと消える路線には儚い思いを抱きます😌
毎回哀愁溢れる丁寧な動画ありがとうございます😊
👍
半世紀も前に消え去った鉄路。それでも水道橋として今も現役の鉄橋、鉄道官舎を必要としたほど駅は職員を擁していた…。今はいくつかの石碑が建てられている。そして石狩沼田駅の寂しさ…。いつも素晴らしいです。ちなみに1968年の航空写真はモノクロの時代なんですね。時代を感じます。
👍️
この区間は当時を全く知らない区間なので、勉強になります。どうもありがとうございます🙇♀️
👍
雨竜の信号機は、当初は記念碑代わりに残そうとされた方がいたのでしょうか。
ただ、今となっては「残してある」というよりは「放置され忘れられている」ように見えますね。
あの状態だと手入れされていないようですね…
流石に半世紀以上前の廃線跡だと遺構どころか廃線跡さえ区画整理で消え失せてしま
っていますね 農業倉庫と島のように農地に浮かぶ旧市街がかろうじて駅跡の名残かと
しかし、現在モーダルシフトやCニュートラルで貨物輸送が見直される時代になってきま
したが、廃線にしたら貨物への転換もへったくれもないですね…
留萌本線もバスの運転手不足で廃止についても先が読めなくなってきていますし、時代は
本当に速く流れるものだと思います
それにしても1日目の夕焼けと雲と青空が混じった色合い本当に綺麗ですね
いつもありがとうございます!
農業が盛んな地域ですから、廃線跡のほとんどが農地に飲み込まれてしまいました…
いつも楽しみにしてます寂しいですね
寂しいですね…
@@hiroring0323 何とかならないのでしょうか?鉄道は必要な交通機関のはずなのに
@@喜久谷口
この先も廃線は増えそうです…
@@hiroring0323 それも寂しい
この区間は最も難解な場所なのに
よく頑張りましたね。
この区間は資料があまり残っていないので…
ひろりんさん、こんばんは。
これは、貴重な映像見せてくださり、ありがとうございます。少ないですが、遺構が残ってるのもあり、嬉しく思います。もともと何も無い所は、これだけ年月がたってるから、さらに何も無くなってる所にも、現地に行かれる、行動力素晴らしいです。お疲れ様でした。
👍
ただでさえ簡素な作りの仮乗降場、50年もの月日が経っていれば何も残っていないのは明白で、それでも実際に訪れて記録する鉄分っぷりはさすがです…
👍️
古い札沼線の跡地は、道道~停車場線という駅前通りもどきの道が残ってますから、何となく駅があった場所がわかりますけど、廃止された新十津川は駅のそばの道が停車場線になっていないので、大分経ったらわからなくなりそうですね。札沼北線も新十津川と滝川が繋がっていれば、もう少し長く残ったのでしょうね。
そうですね…
新十津川は駅が生きていた時から「あれ?何処だっけ?」なロケーションだったからなぁ。
物心ついた時にはこの区間はすでに廃線となっていて沼田町の祖母の家に行くのに滝川駅から石狩沼田駅まで母と妹と国鉄バス(今はJRバスですね)に乗って出かけたものです。各駅の駅名はほぼ停留所の名前にあてられてるのでとても懐かしいですね。今度自分なりに廃線跡を辿り、腕木式信号機など鉄道遺構や北竜町役場を訪ねてみようかと思います。札沼線のこの廃線区間がとても気になっていたので取材と動画アップうれしいです。ありがとうございました。😊
👍
長い道のりのレポお疲れ様でした。
跡形も無い場所の探索に苦労なさったとお察しします。
この線は1960年代後半に特に貨客とも利用が激減したようですが、やはり石狩川架橋を含めて道路整備が急発達したからでしょうかね。
なおも健在な駅跡前倉庫や、さして衰退していない耕作地を見るにつけ、鉄路だけが見放された現実を感じます。
鉄道が無くなった以外は、街並みはほとんど変わっていないんですよね…
まさかの2部構成、有り難うございます…
和駅跡が消滅した後の痕跡といえば、旧徳富川橋梁水道橋、雨竜の朽ちかけた腕木信号、碧水駅跡を残すのみとなりましたが、痕跡の有無に関わらず尺は当たり前に必要ですからね…
毎度の事ながら、頭が下がる思いです…
痕跡は随分少なくなりましたね…
いつもお疲れ様です。
今回のシーン(新十津川-石狩沼田)は、相手側(留萌線という目標物)があるけれども。
また何十年がたった時、北海道医療大学から新十津川の間。どうなっているのでしょうか。
都市圏に近いがために、サラっと更地にされてしまいそうな気が
どうする... 札沼線。
サラッと更地…
オッフ…
北海道医療大学も移転するので石狩当別~北海道医療大学間もあっさり廃線になるかもしれません
どの集落も札沼線を中心に
形成されたのが解る航空写真でしたネ😅
そうなんですよ~
そういえば夜高あんどん見に行った時、真布駅の駅舎に灯りが灯っていたので超ビビりました。
今でも点いてるのかなぁ?
更に恵比島の踏切跡の線路注意の看板も点灯してました。
色々と多忙な日々で、やっと動画を見ることが出来ました😅
新十津川から石狩沼田の間は1度も探索したことなく、大変参考になりました。畑に飲まれ、オッフな箇所もあるんですね。ありがとうございます🫡
👍
札沼北線ではやっぱり碧水駅舎がいいですね。コンクリートの橋梁が3つ残されていて、それなりに見どころがあります。北竜町の展示をまた見たくなりました。
碧水駅舎はいいですね~
@@hiroring0323
駅舎が残っていたのは奇跡的ですね。
@@コンちゃん-s3o
そうですね~
感慨深く過ぎてコメントが、、、
ありがとうございます。
👍
お疲れ様です~上徳富駅跡が、残骸の山に、なってしまい、オッフ〜🐻➡️⛄
オッフ…
@@hiroring0323スーパーおっふ〜🐻
長編、お疲れ様です。
廃線から半世紀、それでも一部に残っている周囲と釣り合わない不自然な形の集落や道路... そして農業倉庫たち。
かつて鉄道の果たした役割が目に浮かびます。
石狩沼田駅も、余命2年半を切りましたね。
遺構がほとんど残っていなくても、農地の中に不自然に残っているかつての駅前が何とも…
そういえば、斜里の付近にも不自然な配置で建物が残存する元駅跡がありましたね。
私の生まれる前の路線なので非常に興味のある動画でした!ありがとうございます!
ここら辺は道内でも屈指の豪雪地帯ですし、冬の鉄道は遅延とか運休も多かったのですかね…
今とは除雪の技術も違うでしょうし本当に大変だったと思います…
そうですね…
航空写真だと「意外に栄えてるな。」と思える場所でも、現地に行ってみると「ほとんど廃屋かい!」というケースも多そうですね😅
よくあるパターンですね…
自然に還っていく所、人工物が増えるところと様々ですね。しかし新十津川駅綺麗になったものです。^^;
新十津川駅は…
情報をありがとうございました。札沼線1次廃線区間は、札幌から自転車🚲旅行で、新十津川駅までの現役区間を撮影してから石狩沼田駅へ向かう途中で探索しました。当時はスマホが無い時代なので、また文献も無かったので、札沼線は農産物の輸送が主体なので、現役区間には、駅近くには農業倉庫があるので、そこを目指して行きました。やはり1次廃線区間にも、それらしい遺構はありました。平成20年代半ばまでは上徳富駅と和駅の両駅は健在でした。他の駅跡は変わってませんでした。
上徳富と和の駅舎は消えてしまいましたね…
@@hiroring0323 まだ、行ってませんが、おっふ〜🐻
廃線から51年が経った札沼北線は、遺構がさすがに少ないですね。せめて雨竜駅跡のような石碑を設置して欲しいものです。
雨竜町だけ石碑を設置したようですね…
札沼線の本来の終点石狩沼田駅は今や留萌本線の終点になり、棒線駅になってしまっているのが非常に虚しい。その石狩沼田駅もいつしか...
そうですね…
碧水駅残ってましたか...(感動😂)
40年位前に行った時は、扉が開ていて、物置きになってました。
【26:58の映像
( ̄ 🚪)位置関係 ̄が駅表】黒い板にシロヌキで。
へきすい
碧水
HEKISUI
と書かれていました。(筆書)
はるか昔、北海道の移動手段は専ら鉄道だった。それがいつしか道路へ変わっていった。
徳富川橋梁は現役のインフラとして今も活用され人の役に立っている訳で、
札沼線の痕跡・記憶が消えても、ずっと生き続けることでしょう
そうですね~
駅舎の有無・五ヶ山等の農地に変化と好対照な跡の今に私は興味を引かれました。1972年は札幌五輪開催と新十津川と石狩沼田の間が廃線に。歴史も悲喜交々ですね。ひろりんさんも元気で過ごされますように。2023.11.27 AM5:20
ありがとうございます👍️
下徳富生まれの父と上徳富生まれの母。新十津川にはよく行きました。しかし、母に関しては、駅にはほど遠い山の生まれだったので、ありがたく拝見しました。
👍️
鉄道のない奈良県の山深い十津川村を離村した人たちが入植した新十津川町にも鉄道が走っていたのですね。開業当時の新十津川村の人々は盛大にお祝いしたことでしょう。
そうですね…
5年ほど前に見に行ってみましたけど、雨竜駅跡の石碑しか見つけられませんでした。
碧水駅舎は残っていたんですね。半世紀も経っているのでほとんど何も残っていないのも
当然でしょうか。
ここは廃止から数年で、ほとんど撤去されましたからね…
1990年代、当時住んでいた当別町から275号線で新十津川町、沼田町を経由して雨竜町からジャリ道の432号線に入って雨竜沼湿原へ日帰りドライブをした事がありました。ここら道路は内地と違って歩行者、自転車の人がいないし信号も少ないのでアクセルをふかすだけの気楽なドライブでした。
👍
この区間は不思議な魅力があります。しかし徳富川橋梁は細く見えますね。そんなに速度が出せなさそうで。
正面から見ると細く見えましたね…
今年初めて碧水駅へ行って見ましたが…かなり小さくて初めから物置だった様にしか見えなかったです。
以前スマホが無い頃に探した時はそれ故に見落としたのかも知れません。
小さな駅舎ですからね…
自分が産まれた年に廃線になったのかぁ😢
札沼線と留萠本線と並行して2路線もあったのに両方とも廃線とは。
新十津川町だけ繁栄しているのも変な感じです。
本家の十津川村は、過疎でえらいことになってます。
繁栄と言うほどの繁栄でもないけどね。
一番偉いのは身の丈を意識しながら街づくりをしていることだと思う。
一時期滝川が賑わって浮かれている時にベッドタウンに成り掛けたがそこを踏みとどまったのがデカかった。
農業をベースにしていることを理解しているから、江部乙高は消滅したが新十津川農業高校は今も頑張っている。
北海道雪すごいね
ですね…
北上徳富駅跡も、農地に飲み込まれ、オッフ〜🐻➡️⛄
オッフッフ
さすがに廃線から半世紀以上経過すると、何の痕跡もなくなっている駅がほとんどですが、それでも“農業倉庫”の存在でソコにかつて駅が有った…と分かるのは、この路線の現役時代の傾向が伺えますね。
そうですね。
農作物の輸送で賑わっていたんでしょうね…
追伸・明けましておめでとうございます。令和6年1月1日は辰年の幕開けにふさわしく、平成15年2月23日に函館本線滝川駅で主催した。ぽっぽや号とJRバスで行く旧札沼線・新十津川〜石狩沼田かんをたどる旅をツイッター・Xに投稿しましたので、興味がありましたご覧ください。
あけましておめでとうございます🎍
ツイッター拝見しました🌸
@@hiroring0323 読んで下さってありがとうございました。
50年も前の小さな駅舎がひっそりと残ってるのはいいですね場所的に誰かが維持管理してるのかな?
農地に飲まれたところは旧軍の敷いた軍用鉄道みたいに借り物なので使い終わったから原状復帰と言うことなのだろうか
碧水駅舎は倉庫に使われているようですね。
滝川駅から出ていた代替バスも廃止
オッフ…
50年も経つと流石に遺構もほんの少しある程度で、鉄路の無い状況がこなれているというか、まだ鉄路の名残を感じる近年廃止区間とは大きく違いますね
石狩沼田駅が無くなれば、石狩を冠する駅も全て消えてしまうことになります…石狩国にはまだたくさん駅があるのに、何とも言えない寂しさを感じます
そうですね…
51年も経てばそりゃ建物も跡形もなくなるわな
最後の駅も10年後には無くなってそう
農作物輸送の担い手が貨物列車からトラック、トレーラーに切り替えられ、羽幌・留萌から札幌へのルートは函館本線に集約されたことが、この区間の寿命を縮めた…
やはり農地や道路など用途があるところは跡形もなくなりますね。
自分の地元には駿遠線が走っていましたが、1968年の部分廃線でなくなり、最終列車が出てからすぐにレール剥がしが始まって道路などになりほぼ跡形もなくなりました。
廃線後に駅跡が残るのは、敢えて残しているところもあれば、ただ単に打ち捨てただけのところもあります。後者の場合は複雑ですね。
そうですね…
国鉄だったからこそ成り立っていたルートだよね,札沼線~留萌本線~羽幌線経由で札幌~稚内をのんびり鉄道旅を楽しんでみたかった,幼少の頃,沼田に住んでいたけどその頃は既にこの路線は廃止になっていたんだけど,考えて見たら昭和40年代は札沼線の終着駅でターミナル機能をはたしていたんだな
そうなんですよね…
渭ノ津駅跡は北方向へ500mの場所かと思います。
ご指摘ありがとうございます。
北方向へ500mの場所を渭ノ津駅跡と紹介している人もいらっしゃいますが、渭ノ津駅が存在していた1963年と1968年の国土地理院の空中写真を確認しても駅らしきものは何も無いんですよね…
ただ解像度がイマイチなので自信は無いですが…
1972年って札幌冬季五輪の年ですよね。物心ついた時は新十津川までだったので、
札「沼」線って何?とも思ったのですが、動画の長尺さで、規模が大きかったことが
わかりますよね。雨竜って夕張同様札幌から何か行きにくかった気が…。
元々は長大路線でしたからね…
最初の鉄橋がいいですね
👍️
笹原康平さんへ
今日は。あなたが御指摘の橋梁は新十津川と北側(石狩沼田駅寄り)の石狩橋本の間に遺る札沼線の遺構で唯一にして最大の茶色に塗られた鉄橋で廃線になった後は水道管を通し対岸に水を供給する為と有効活用されているとの事です。但、石狩沼田駅寄りの五ヶ山等の駅の跡は水田に飲まれ碧水(へきすい)の小さな物置の様な駅舎が遺るだけという寂しさだそうです。札沼線沿いには水田が広がり農業に特化した路線と言えたのではないでしょうか。笹原さんも、健康管理に注意し過ごされますように。
記・11月29日の午後12時台
徳富川の水道橋、新十津川から石狩沼田方面へ真っ直ぐに伸ばした先にあるので、多分廃線跡だろうと思っていました。
廃止から半世紀も経過すると、立地条件によっては廃線跡も廃駅跡も探すのは困難を極めそうですが、今回の動画は2020年に廃止された区間を辿る時の参考になりそうです。
もしも2070年(その時、私は生きていないと思いますが)に「廃止から半世紀が経過した札沼線 北海道医療大学(もしかしたら「当別」かも?)⇔新十津川 2020年廃止区間」という動画を上げる時、航空写真(鉄道の遺構)はどうなっているのでしょうね?
今回の航空写真を見て思ったのですが、以前は細かく区切られていた農耕地も、今はかなりの広さを持つ区画に変わったのが分かります。これは多分、トラクター等を導入した結果だと思うのですが、そのトラクターもかなり大きな物ではないかと思います。実際、道内ではあちこちにトラクターの営業所とかがありますから。
半世紀経っても駅舎や官舎があるのはその趣味の人にとっては嬉しいことですが、そんなに遠くないうちに解体されてしまうのだろうなあと思います。
そうですね…
唯一 残っていた
コンクリートの橋も
撤去されてしまったんですね。
東日本学園大学も北広島へ
移転が決まって…
札沼線は 歴史的に
なんか不運ですよね
電化しないで 気動車で
一部 複線化で
良かったのかもしれない
JR北海道かわいそう
浦臼リゾート計画の時は
アルコンのようなリゾート列車計画も
あってさ〜
「札幌〜浦臼」 って列車もあったのに
札沼線…石狩沼田に届くも結局は切り捨てられた路線…札幌近郊でも維持できないのかなぁ…!
強引に農地を貫通しているように見える線形も、周辺地域の農産物輸送や、果ては留萌方面からの海産物輸送をも引き受ける使命のあった路線なのかな…と容易に想像ができます。
そうなると収益性は低く、すぐ近くを走る函館本線に輸送を任せて廃止に…という流れは止められなかったのでしょう😞
廃線後に農地がきちんと整備されていたり発展している市街地もあることから、地元の方にとっては「これでよかった」のかも知れませんね。
躊躇する場所の少ない取材は物足りなかったかも知れませんが😅お疲れ様でした😉
そうですね…
早い段階で鉄道としての使命は終えていたのかも知れません…
雨竜。北竜。上豊富。懐かしい。
👍
上徳富駅舎と和駅舎がつい最近まで残っいたならばそのまま整備して保存すればよかったのにもったいないですね。
民間に払い下げられたのでしょうね…
札沼線は名が体を表さなくなってから半世紀経ってるんですよね。現在は留萌本線の終点である石狩沼田駅は2026年の3月に廃止されて留萌本線は全廃となりますね。😢
そうですね…
しっかりした道路や農地になってるので現在は面影がないですが、他の北海道廃線に比べて原野に飲み込まれてるわけではないので、悲しさは感じないですね。
原野に還っている廃線跡も多いですからね…
1972年は、確か九州の大隅線が、全線開通したのですね。
そうですね…
何も無くなってしまった場所は納得感ありますが、鉄路が無くなっても住宅が建っているところはちょっと残念な気持ちになりますね。クルマ好きの自分が言うのもなんですが、モータリゼーションに鉄道が敗北と言う事なので複雑な気分です。
1日数本の鉄道では、自家用車には太刀打ちできませんね…
さすがに廃線から50年以上経っているので、ほとんど遺構は残っていないのですね。
そんな中、碧水駅の駅舎が今も残っているのは嬉しくなりますね。
そうですね~
郷土資料館のクッマサンがなかなかリアルですね…
クッマ🐻
50年前に廃止に
なったから
痕跡は残っていなの
当たり前だけど
駅舎、ホ―厶、線路が全く残っていないとは……
しかもほとんどが農地か道路飲みこまれ
廃線跡あとすらわからないとは……
50年以上も前の廃線ですからね…
北海道は駅で降りても大きな町では無い限りタクシー乗り場やホテルが無い、だから旅人が居なくなる町殻返って来て、駅で降りても迎えに来て貰うしか無い、結局は自家用車が必要になり駅をりょうする人が居なくなる、元鉄道の仕事をしていた者として悲しい限りです、北海道に新幹線が来てもサッポロ止まり、後の路線が無いから又旅人や来る人達は減ると思う、
廃止から半世紀ですか・・・当時は車ではなく鉄道がおもな移動手段というのがわかりますね。今は車の時代、もっと廃線が増えていく事になると思うとさみしいですね。
そうですね…
平野部をずっと走る留萌本線の深川~石狩沼田、廃止されるとこの札沼線の1972年廃止区間と同様に農地で廃線跡が消されるのかな……、と思ってしまいます。近年廃止された北海道医療大学~新十津川も、たった3年なのにずいぶん鉄道の痕跡がなくなってきてますし。函館本線の西側の空知、留萌エリアの鉄道は、みんななくなってしまうんですね。
そうですね…
駅を中心に町が形成され、鉄道が無くなると、町も無くなるパターン多いですよね😢
北海道ではよくありますね…
北海道は今どこいっても、おふっ、ってなる笑
年々活気がなくなる北海道。
オッフ…
おっふ・・・🐻
駅前イオン、ならぬ、
(元)駅前農業倉庫w
しかし石狩沼田って街は、よぉ知らんけど、そんなに栄えとったんすかね?
交通の要衝になるくらいやし。
ま、そこに行き着く間が農地ばっかやし、まだ原野ぢゃないだけマシやけど、乗降人数は、『お察し』だゎな(鬱)
オッフ…🐻
1972年の廃線ですから利用客は…
オッフ…🐻
50年も経つと痕跡が全く残っていないですね。
近年廃止された路線も月日が経てばそこに鉄道があったことすら分からないぐらい跡形も無くなってしまうのでしょうね…
そうですね…
2020年の廃止区間も同じようになりそうです…
👍️
近い未来札沼線も全線廃止になってしまうのか…
当別までの廃止はないでしょう。北海道教育大学も沿線にありますし、一日2~3千人の利用客がある駅が幾つもあります。無くなるとあいの里団地の住民が途方に暮れてしまいますよ。